カテゴリー「心と体」の269件の記事

2017/11/20

私は 「がん家系」 には属していないみたいなので

"「がん家系」 に属するかどうか、判別する 3つのポイント" という記事がある。それによると、がんになる要因は 「老化により DNA に傷がつく加齢要因と、親から原因遺伝子の変異を受け継ぐ遺伝要因」 の 2つが主なものだという。

171120

私の父と父方の伯父・伯父は 4人のうち 3人が肺がん、1人が 舌がんで死んだし、母方の伯父 2人も胃がんで死んだ。 だから私は 「自分はがんになる遺伝子を受け継いでいる」 と信じて生きてきたのである。

ところが舌がんについては定かではないが、肺がんと胃がんは、肝がんとともに、遺伝リスクが小さいとされていて、喫煙とアルコールという生活習慣の要因が大きいんだそうだ。そういえば、父方の 3人はかなりタバコ好きで、母方の 2人は大酒飲みだったからなあ。

そうなると、私の 「がん家系」 のリスクは小さい。とくに私はこの 40年以上、タバコは 1本も吸ってないし、最近は酒もあまり飲まないから、肺がんにも胃がんにもなりにくいだろう。

私は今日の今日まで 「肺がんが胃がんで、あっさり死ねるだろう」 と思っていたのだが、どっこい、そうは問屋が卸してくれないようなのだ。別の死に方も想定しておかなければならない。ちなみに遺伝要因の強いのは、大腸がんなんだそうが、身内には大腸がんになった者は 1人もいない。

私は生きるのも死ぬのも苦にならない。死ぬならいつでも OK と思っている。面倒なのは、死に至るまでの闘病プロセスだ。だから病に伏せている期間はできるだけ短くして、あっさり死にたい。ところが、胃がんにも肺がんにもなりにくそうだとなると、その他の死に方があまり現実味を持って想定されないので困っている。

何しろ 65歳の前期高齢者になっても、ブログの更新を 13年以上 1日も休まずに済むほど丈夫で健康なので、この分だといつまで生きるか知れたものではないのである。生き続けるのは苦にはならないとはいうものの、ある程度のところまで行ってしまったら、きっと面倒くさくなるだろう。

そのあたりの折り合いをどう付けて行くかが、高齢者の仲間入りをした人間にとっての重要課題になるだろうという気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/17

「筋肉は熱発生装置」 というのを実感

近頃寒い日が続き、昨日は東京都心の気温が札幌よりも低くて、10月中旬としては 60年振りの寒さだったという。近頃の天気は、50年ぶりとか 60年ぶりとかいうのがやたらと多い。一昨日までいた山形県酒田市の気温もかなり低くて、一緒に行った妻や娘は震えていた。

171017

ところが、私自身はそれほどの寒さを感じていない。みんなが 「寒い寒い」 と震える中で、「そんなに寒いかなあ」 などとうそぶくので、「年取って、体が鈍くなってるんじゃないの?」 なんて言われてしまった。

実は筋肉から発する熱のせいで、あまり寒く感じないで済んでいるようなのだ。先週、千葉市までの往復 100km を自転車で往復して、筋肉がパンパンに張っていたのである。この程度の距離は何度も経験しているので、それほど気負わずに出かけたのだが、最近 3ヶ月以上いろいろあって極端に運動不足だったので、帰り道はかなりしんどい思いをしてしまった。

翌日、下半身にかなりのハリを感じていたが、まあ、そのうち自然に治るだろうと軽く見ていた。ところが週末に父の七回忌で田舎に片道 6時間のロング・ドライブをしてしまったので、ただでさえ筋肉疲労を起こしていた下半身が、今度はコチコチに固まった状態になってしまい、結構な筋肉痛を起こしてしまったのである。

というわけで、私の背中から下の筋肉は、コチコチの状態から 「治ろう、治ろう」 と一所懸命に頑張っていたので、結構な熱をもった状態になっていたのだと思う。とにかく、みんなが 「寒い、寒い」 と言っているのに、ちっとも寒くないのだ。

一般的に筋肉ムキムキの人は、かなり寒さ強い、とにかく 「筋肉は熱発生装置」 と言われるぐらいで、寒さを感じにくいのだ。世間では皮下脂肪たっぷりの太った人が寒さ強いと思われているが、実は脂肪というのは自分で暖まることができないので、一度冷えてしまうと今度は寒くてたまらなくなってしまう。

というわけで、この 「筋肉は熱発生装置」 というのを、今回はもろに実感してしまった。私は決して筋肉ムキムキというタイプではないのだが、筋肉疲労状態から元に戻ろうと必死に頑張っている筋肉というのは、通常にも増して大量の熱をもった状態になってしまうようなのである。

今日になって、少しは筋肉のハリが引いてきたので、人並みに寒さを感じ始めたところだが、まだまだそんなに震えるほどではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/02

22℃で 「肌寒い」 と感じるのが新人類なのか?

小学生の頃に買ってもらった 「気象天文の図鑑」 (確か小学館発行だったと思う) に、正確な言い回しは忘れてしまったが、「18℃が快適な気温 」 というようなことが書いてあった。刷り込まれるというのは恐ろしいもので、以来私は、気温が 18℃ になると快適さを感じてしまう体になってしまった。

171002

私の生まれ育った山形県庄内地方は、少なくとも 1970年代までは、真夏でも最高気温が 30℃を超える日は多くなかった。だから子どもの頃は気象台発表の最高気温が 29.7℃なんていう日でも、暑くてひいひい言っていた記憶がある。そして秋になれば一挙に 20℃を下回る日が多くなり、快適な涼しさを感じていた。

その庄内地方でも最近は、真夏の最高気温が当たり前のように 32〜33℃ぐらいになっている。フェーン現象が発生したら平気で体温以上になってしまうのだから、昔の常識は通用しない世の中になった。

最近、ラジオの天気予報などを聞いていると、気象予報士が 「明日はぐっと秋らしい天気になって、最高気温も 22度ぐらいまでしか上がらない見込みです」 なんて言うと、MC が 「22度ですか。そうなると、ちょっと肌寒く感じそうですね」 なんて反応する。気象予報士も 「そうですね。明日は長袖の上着を用意してください」 なんて言っている。そんなことでは、18度では震えてしまうだろう。

最高気温が 25℃になったら 「夏日」 なのだから、人間には 「暑い」 と感じられて当然で、22℃ぐらいではむしろ 「少し暖かい」 ぐらいに感じられても不思議ではない。私はとくに暑がりというわけではないと思うのだが、22℃の気温でパタパタ動き回っていたら汗をかいてしまうので、ポロシャツ 1枚でも十分いける。

ただ最近は 「温暖化」 のせいで、夏から初秋にかけては 30℃を超えて当たり前になったので、人間の体も暑い方に順応してしまっているのかもしれない。22℃で肌寒く感じるぐらいが、最近の気候には合っていると言えないこともない。そうでないと、35℃なんかになったら死にそうになってしまう。

ということだと、22℃で 「肌寒く感じそう」 と言うのが新人類で、「18℃ぐらいが一番快適」 なんて言っている私は旧人類ということになってしまいそうだ。なんだかなあ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/08/23

桃を食って前歯が欠けた

実は昨日、桃を食っていて下の前歯が欠けてしまい、今、歯科医で義歯を誂えてもらっている。煎餅とか漬物とか、あるいは同じ果物でもリンゴとか、もっと歯ごたえのあるもので欠けたならまだ諦めも付くが、こともあろうに桃ごときで歯が欠けるとは、我ながらショックである。

170824

『吾輩は猫である』 に出てくる水島寒月君は、寺田寅彦がモデルと言われているが、この人が椎茸を食って前歯が欠けたまま、恩師の苦沙彌 (くしゃみ) 先生の家に年始に来て、「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々 (じじ) 臭いね」 と茶化される。椎茸で欠けて爺々臭いのだから、桃で欠けるのはさらに爺々臭いだろう。

歯科医の先生は 「欠ける時はどんな柔らかいものを食べていても欠けます」 と言ってくれた。「元々ヒビが入っていたんでしょうから」

これはある意味、ありがたい慰めの言葉なのだろうが、自分の歯に桃ごときで欠ける原因になるほどのヒビが入っていたというのだから、よく考えればその方がショックである。

先月は白内障の手術をしたし、自分では若いつもりでいても、65歳の年はごまかせないと思ってしまったよ。やれやれ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/07/20

白内障の手術をした

このブログの 6月 8日付7月 2日付で書いたように、白内障の手術をした。もう 10年も前から眼科にかかると 「白内障の 『ケ』 (『ケ』 って何だ?) がありますが、まだ手術をするほどではありませんね」 と言われていたのだが、ここまできて、ついに 『手術しちゃいましょう』 ということになったのである。

170720

手術は今月 11日に、両目いっぺんにやった。ちょっと前までは、白内障の手術は数日おいて片目ずつするというのが常識だったようで、「両目一度にやる」 と言うと、手術経験者に 「そんなバカなことがあるか。ちゃんと医者に確認した方がいい」 と怒られていたが、最近の技術と機器の進化のおかげで、やっぱり同じ日に両目の手術ができちゃたのである。

目の手術というのはさすがに緊張してしまって、神経がどっと疲れる。片目の手術に要する時間は 15分足らずだったと思うが、まず右目が終わった時点で、「まだ半分で、これから同じことを左目でやるのか。もう勘弁しておくれ!」 とヒイヒイ言っていた。しかし結論から言うと、両目一度にやるのは正解だったと思う。というのは、何日かおいてしまったら再び眼科医に足が向くかどうか自信がない。

手術直後は、目が安定せずに視界がぼやけ気味だったが、だんだんとよく見え始め、2時間ぐらい経って帰る頃には 「世界はこんなに美しいものだったのか!」 と感動するほど視界が一変していた。とにかくもやが晴れたようにモノの輪郭がすっきりと見え、さらに色彩が瑞々しいほどきれいなのである。これまではよほど歪んで濁った世界を見てきたようなのだ。

手術後 1週間は、目に雑菌を入れないために顔を洗うのと洗髪は御法度と言われたので、この夏の暑い中を清浄綿で拭き拭き耐えていたが、一昨日やっとシャンプーできてすっきりした。その意味では、白内障の手術は涼しい時が本来の 「旬」 なのだろうが、まあ、今回は仕方がない。

目の具合がすっかり安定するには 1ヶ月ぐらいかかるそうで、確かに今はまだ、細かい作業を続けると目が疲れる。ただし、これまでのように、PC に 1時間向かうと目がウロウロになって開けていられなくなるなんてことはなくなった。今月 26日が誕生日で、晴れて 65歳の 「高齢者」 の称号を得るのだが、その前にかなり若返ったような気になってしまっている。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017/07/18

登山ブームで低山での事故も増えているらしい

登山ブームで、首都圏の低山でも死亡事故を含む遭難が増加していると、読売 Online が報じている。(参照

160816

警察庁によると、昨年の山岳遭難は 2495件、2929人と、共に過去 2番目に多く、死者・行方不明者は 319人。低山が多い首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)に限ると、件数、遭難者数とも5年連続増で、昨年は 34人が死亡。今年も遭難は多発しており、最高峰が 400メートル強しかない千葉県でも、5月末までに 3人が死亡した。

昨今の登山者は結構高年齢者が多いようで、元気な人も多いが、中には途中でヨレヨレになっちゃう人もいる。グループ登山でリーダーがしっかりしていればいいが、単独行なんかだとどうしようもなくなるケースもあるだろう。

私が昨年 (ありゃ、それとも一昨年だったかな?) 付き合った高齢者のグループ登山 (赤城山に登ったのだよね) でも、途中でへたり込んでしまった人がいる。回復を待ったので、下山したのは計画より 2時間遅れで、辺りは薄暗くなりかけていた。

よれよれになっちゃった人は、高齢になってから周囲に誘われて登山を始めた人で、見るからに体力がありそうにない。少しは普段からトレーニングすればいいのだが、ほとんどぶっつけ本番だったようだ。

「山を甘く見た」 と言えばそうに違いないが、こうした人は単独行なんか絶対にしないから、死ぬなんてこともまずない。危ないのは若い頃に多少登っていて、久しぶりに一人で登ってみたなんて人だろう。いくら若い頃に登っていても、オッサンになって腹が出まくった状態では、途中でへばって当然だ。

それに低山ほど甘く見るから危ない。375メートルしかない鋸山で死ぬなんて、ちょっと考えにくい話だが、考えにくい話だからこそ危ないのだ。

私としても、3000メートル峰にガンガン単独行しまくっていた若い頃に比べたら、体力は相当落ちているし、バランスも悪くなっているのを自覚する。あの頃みたいなハードな山登りなんて到底無理だと思う。さらに、低山ハイクで遭難なんて恥ずかしいことにならないよう、気をつけよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/08

お酒は卒業しちゃったようだ

一昨日の夜、NHK BS の 「美と若さの新常識〜カラダのヒミツ」 という番組で、「お酒は "老ける毒" 若さを守る対策術」 というのをやっていた。(参照

170606

早く言えば、お酒を飲んでまず生成される 「アセトアルデヒド」 という物質は猛毒で、体を老けさせるだけでなく、さまざまながんなどの病気の原因になりやすいということなのだった。なるほど、周囲を見ても、大酒飲みは確かに年取って体を壊し、早死にする。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は 「週に一度は 『休肝日』 を作りたいなあ」 と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。ところが最近は、週に一度飲むか飲まないかというぐらいなのだから、人間というものは変われば変わるものだ。

私は元々は酒に強い体質ではない。父は 「お猪口一杯ならおいしいが、二杯飲んだら死ぬ」 と言うほど酒に弱かった。その息子だけに、さんざん鍛えてようやく飲めるようになっても、酒から遠ざかって久しい近頃はまた弱くなった。ちょっと飲んだだけですぐに顔が赤くなる。

顔が赤くなるのはアセトアルデヒドの作用なのだそうで、この毒素を分解する酵素の力が弱い体質だと、なかなか無害な物質にまで分解することができない。つまり私は、この猛毒のアセトアルデヒドをいつまでも体内に残しておきやすい体質のようなのだ。

最近はちょっと飲んだだけでいい気分になり、それ以上飲んだら悪酔いして苦しくなってしまうので、飲んでも適量で済む。NHK の番組では、一日に一合ぐらいなら 「酒は百薬の長」 として機能すると言っていたので、つまり今の私は、「もうちょっと飲んでもいい」 ぐらいのレベルまで 「飲まない人」 になってしまったわけだ。

飲めばおいしいとは思うが、飲まずにいられないなんて気分には全くならないので、私はお酒は卒業しちゃったということなのだろう。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017/06/08

白内障手術を受けることになった

先月 26日に書いた "「寄り目」 って、できてフツーだったとは!" という記事で、私は目を寄せることができないので、近くのモノを見るのが苦手ということを書いた。これもまた 「斜視」 の一種なんだそうだ。

1706082

で、このほど 「斜視」 の検査をしたところ、とりあえず白内障の手術をすることが先だろうということになった。10年以上前から眼科にかかると 「白内障の兆候がありますが、まだ手術するほどではありません」 と言われ続けてきたのだが、ついに 「そろそろ手術する方がいいかも」 となってしまったのである。

白内障手術にあたっては、その前に 「手術前検査」 というのを受けなければならないのだそうだ。私は今月末まではスケジュールが立て込んでいるので、月末に予約した。で、この手術を受けると、しばらく瞳孔が開きっぱなしみたいになるので、「付き添い」 が必要なんだそうだ。

というわけで、なんだか情けない気がしてしまうが、月末に妻に付き添ってもらって眼科にかかることになったわけだ。そしてさらに、その後 3ヶ月以内に、本番の手術を受けることになる。

こんなことがあったので、周囲の知り合いに聞いてみると、なんと白内障手術経験者がゴロゴロいると知ったのである。年寄りくさい話だと思っていたが、早い人は 50代のうちに経験していて、「ちっとも大変な手術じゃないから、安心しろ」 という。それに、手術すると感動的なほどモノがよく見えるようになるらしい。

何しろ私は今、目だけが年寄りじみてしまっていて、視界はぼやけるし、小さな字が読みにくいし、眩しさに極端に弱いしで、まさに 「弱り目にたたり目」 状態なのだ。眩しさに弱いのは、眼球の中のゴミのせいで、光が乱反射してわけがわからなくなってしまうのだそうだ。これが解消されるだけでも、私としてはありがたい。

手術本番は多分来月になり、手術後に改めて最適な眼鏡を誂えるのがいいだろうということだ。まあ、65歳の誕生日を迎えて 「高齢者」 の称号を得る夏本番ぐらいまでには、若い目玉を取り戻して少しはモノを見るのが楽になっていることを期待しよう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/05/29

カモガヤ花粉症ってやつに悩まされている

2月頃からスギ花粉症で悩まされ、4月半ばまではヒノキ花粉の番となり、ほんの 1週間ぐらい楽になったかと思うと、今度はカモガヤ花粉でひいひい言っている。7月か 8月頃まではこれで悩まされるという、「半年近いアレルギー体質」 がほぼ確定してしまった。

170529_2

カモガヤというのは、その辺の土手や畦道などにいくらでも生えているイネ科の植物で、日本では花粉症の原因として、スギ、ヒノキに次いで 3番目なんだそうだ。ウチの廻りにも盛大に生えている。写真のように、花が満開状態だ。

実は自分がカモガヤ花粉にまでアレルギーがあったなんて、すっかり忘れていたが、このブログを遡ってみると、5年も前から症状が出ているんだった (参照)。一昨年には症状があまりひどいので、医者にまで行って 「カモガヤ花粉症」 とのお墨付きをばっちり受けている (参照)。

これ、ブログに書いていなかったら、カモガヤなんてものに悩まされるのは今年が初めてなんて勘違いするところだった。「初春から真夏まで半年間もアレルギーに悩まされるのはゴメンだ」 という意識が、比較的最近から発症したカモガヤ花粉症に関する記憶を、意識下に封じ込めてしまっていたのだろう。とにかく、まともには記憶に残っていなかったのである。

しかし、いくら記憶になくても体は正直で、症状は出る。しかもカモガヤ花粉による症状は、私の場合、スギ、ヒノキよりも重い気がする。とくに眼がショボショボして痒いのには、本当に困る。仕事に差し支えてしまう。

今年の 2月末にスギ花粉症で医者に処方してもらった薬は、とっくに飲みきってしまった。そしてなにしろ、自分がカモガヤ花粉症だとは記憶になかったもので、妻がくしゃみや鼻水の症状が出て、さっさと医者に行ったのを横目で見ながら、「大変だなあ」 なんて思っていたのである。呑気なものだ。

ところが、いくらなんでも症状がひどくなってきたので、今日の昼に医者に行った。医者の方はカルテを見ているから、一昨年からカモガヤ花粉症でも薬を出しているのをちゃんとわかっていて、ニコニコ笑いながら 「今年はちょっときついみたいですね」 なんて言う。この医者は 3ヶ月分ぐらいを一度に処方してくれるので、何度も通院しなくて済む。それもあってカモガヤの方は忘れていたのかもしれない。

とはいえ薬ばかりに頼っていてもしょうがないと思い、帰ってから家の裏の土手のカモガヤを、エンジン式の草刈り機で刈りまくった。向こう三軒両隣どころか、ほぼ 200メートルぐらいにわたって、きれいに刈った。炎天下、かなりの汗をかいたが、爽快感はある。

しかし、いくらカモガヤは背が低いからあまり遠くまで花粉が飛ばないとはいえ、まだその向こうからも飛んでくるらしく、症状が皆無になったわけではない。薬は飲み続けなければならないようだ。

ネットで調べたら、スギ花粉アレルギーのある人の半分は、カモガヤにもアレルギーがあるらしい。そして、カモガヤにアレルギーのある人の多くは、スイカやメロンにも過敏で、口の周りや内側がイガイガになりやすいとある (参照)。

ああ、それでわかった。子どもの頃からメロンを食べると口の周りが痒くてたまらなくなるのは、カモガヤ・アレルギーの体質と関係があるんだったのか (参照)。やれやれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/26

「寄り目」 って、できてフツーだったとは!

今年の 7月に 65歳になるが、こんな年になって初めて知ったことがある。それは、「寄り目」 って、できてフツーということだ。ちっとも知らなかった。私は生まれてこの方、寄り目なんてできたことがないから、そんなの特殊能力だと思っていたし、ましてや歌舞伎の見得で片目だけ寄せるなんて、ウルトラ特殊能力と信じて生きてきた。

170526

子どもの頃から、「寄り目のできるやつって、案外いるもんだな」 ぐらいには思っていた。しかしそれは、できるやつが得意になってやって見せているだけで、できない方が多数派なのだろうと思い込んでいた。しかし実際には、ほとんどの人はできるのだが、敢えて人前でして見せたがりはしないというだけのことのようなのだ。

そういえば、ウチの娘は全員できるみたいだし、聞いてみれば妻も 「できるわよ」 と言うのである。だったら初めからしてみせればよかったのにと一瞬思ったが、用もないのに夫にいきなり寄り目してみせる妻というのは、結構素っ頓狂なものだろう。とにかく世の中、本当にわからないものだが、とりあえず遺伝とは関係ないようだ。

近頃、デスクワーク (といっても、ほとんどは PC に向かう仕事) を長く続けることがしんどくなった。目が疲れて、ひどい時には開き続けていることもできなくなるのである。老眼がまた進んでしまったのかと思って眼科に行ったところ、「シャシの可能性があるので、検査しましょう」 と言われた。

「シャシ…… って、それって、斜視…ですか?」
「斜視の可能性がありますね。子どもの頃から寄り目ができないというのは、生まれつき 『フクソーフゼン』 なのかもしれません。若い頃はまだそれでも何とかなったんでしょうが、年齢的に、デスクワークなどを長く続けると、眼精疲労になるんです」

「フクソーフゼン」 とかなんとか言ってたのは、帰宅してググってみて 「輻湊不全」 てやつだとわかった。「輻湊」 というのは、「目を内に寄せる」 ことで、人間は近くのものを見る時には、自然に目が内側に寄るものなのだそうだ。そして私は、この 「輻輳」 ってやつが子どもの頃から苦手なので、デスクワークを続けると目が疲れて仕方がないということらしい。

そう言えば、若い頃は本の細かい字を見る時でも、目を近づけることはしなかった。近づけなくても視力が良かったからちゃんと読めたし、近づけると逆に目が疲れてしまうのである。ところが最近は視力が落ちたので、PC のスクリーンに目を近づけがちになる。すると今度は、目が疲れてしょうがなくなる。どうしようもない二律背反である。

自分が 「斜視」 の可能性があるとは、生まれてから一度も意識したことすらなかったが、この 「輻湊不全」 というのも斜視の一つだというので、本当に驚いた。というわけで、これから 1週間ほど目薬をさし続けてドライアイによる眼球の傷を治してから、斜視検査ってやつを受けなければならなくなってしまったのである。

ふぅ、やれやれ。丈夫だけが取り柄みたいなものなので、年取ってもとりたてて不便は感じていないが、眼だけはちょっと厄介になってきた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧