カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1015件の記事

2018/01/17

まだまだ寒い季節が続く

昨日辺りまでは、今日 17日は雨模様になるが、気温としては暖かくなるだろうという予報だった。ところが実際には、確かに雨模様とはなったが、決して暖かいというほどではなく、むしろ肌寒い一日なった。近頃の天気は、そう甘くはないようだ。裏の川に浮かぶ鴨たちも、寒そうな佇まいである。

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そういえば今月初め頃の天気予報で、某気象予報士が 「寒気は今がピークで、今後だんだんと緩んでくるとみている」 と発言していた。その根拠は、「この冬は、12月頃からずっと厳しい寒さが続いているので、そろそろ北極付近の寒気団も、「寒気の在庫」 が尽き始めているのではないかという話だった。

ところがあに図らんや、週間天気予報を見ると、今月末あたりから再び厳しい寒さとなり、「この冬一番の冷え込み」 になるだろうとされている。「寒気の在庫」 はまだまだ尽きていなかったようなのだ。まさに天気は甘くない。

毎年のことながら、今の時期は 「寒い寒い、春はまだか」 と、季節が変わるのを心待ちにするようになる。ところが待つ身にとっての時間の流れは長く感じるもので、なかなか進まない。そして来月中頃に一度春っぽさを観じてしまうと、そこから先は怒濤の早さだ。

というわけで、またあっという間に 1年が経って、来年になってしまうというのだろう。やれやれ。

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2018/01/11

整理・整頓・収納の三原則

昨日の 「整理収納」 関連の続きである。私はずっと自分が 「整理収納が下手な人間」 だと思っていた。ところがよく自己分析してみるとそういうわけでもないと、ある日突然気付いた。自分は 「収納」 は得意で、結構な量の品物でもきちんとコンパクトに収納できる。この才能は旅行やキャンプの際の荷物のパッキングなどに十分に発揮されている。

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自分に欠けているのは 「整理」 能力なのだと、30年ほど前に気付いた。「整頓」 ならできる。きちんとコンパクトに収納するために、多くの品物を種類・用途別に分類して、使いやすいように収めることは、自分でいうのもナンだが上手なのだ。ところがその前に、「整理」 ということをしないと、結局のところ、収納スペースが隙間なくぎっしりになりすぎて、わけがわからなくなる。

「整理」 という作業のかなりの部分は、「捨てる」 ことだ。例えはよくないかも知れないが、「人員整理」 と言ったら、クビを切ることである。「整理・収納」 における 「整理」 というのは、言うまでもなく 「不要品を捨てる」 ことと割り切れば話が早い。

以後、いろいろ試行錯誤しながら、「整理・収納」 に 「整頓」 という項目を加え、自分なりの 「整理・整頓・収納の三原則」 に行き着いた。こんな具合である。

  1. 「整理」 : 「捨てる」 作業をみっちり行う
    「そのうち使うかも」 というモノは、結局使わない。「思い出の品」 なんて、なくても困らない。よほどのセンチメントがあるなら、モノとしてではなく写真にして残す。
    この作業をみっちり行うと、収納しなければならないモノは半分以下に減る。

  2. 「整頓」 : モノを種類・用途ごとに分類する
    同じ類いのモノは 1カ所にまとめる。分散させると結局ありかがわからなくなって、つい買い直すことになり、ある日突然、「同じモノが家中のあちこちに売るほどある!」 と気付く。
    1カ所にまとめると収納スペースが足りないというなら、それはとりもなおさず 「まだ持ち過ぎてる」 ということだから、収納スペースを増やすのではなく、モノの方を減らす。つまり 「もっと捨てる」。

  3. 「収納」 : 棚や引き出しに 「平ら」 に収める
    床に直接置くのはテーブルや椅子などの他は、棚やキャビネットなどの収納家具のみ。それ以外のモノを床に置くのは 「ゴミ屋敷化」 の第一歩である、
    収納スペースにモノを整然と収めるには、棚の段を調節するか、ボックスに入れて 「平ら」 に重ねる。「角が丸くてフワフワ (ペーパーバッグに詰め込んだ衣類など)」 とか 「小物が剥き出し」 の状態のまま積み重ねると、悲惨な 「雪崩現象」 につながる。

上の写真は、「小物」 を種類別にまとめて 「平ら」 に重ねたものである (上のトレイは左右にスライドする)。こうした状態で収納すると、ゼムクリップやホッチキスの針、画鋲などを無駄に買ってしまうことがなくなる。前は私の引き出しの中も、使い切れない 「マックス針」 が奥の方に 3箱眠っていた。

この単純素朴な 「三原則」 を徹底すれば収納に困ることはなくなるが、いろいろ試行錯誤を経なければ、本当には身につかない。「そう言えばこれ、1年以上触ったことすらないな」 とか 「なんでこんなもの後生大事にしてたんだろう」 なんて気付きながら、その度に処分していくことで、だんだん身の回りがすっきりする。

要は 「必要最小限のモノ」 で暮らす方が快適と知ることだ。大切なのは 「モノ」 ではなく、形のない 「コト」 なのである。今は情報化社会だから、「なければ困るモノ」 なんて少なくなった。本当に 「なければ困るモノ」 というのは、「生産活動のなれの果てとしての消費財」 ではなく、「コト」 を生み出すための 「道具 = ツール」 なのだ。

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2018/01/10

整理収納 Before After、そしてその後

テレビ番組などで、ごっちゃごちゃにちらかって半ばゴミ屋敷状態の家に整理収納のプロが訪問し、あっという間にすっきり片付けて 「別の家みた〜い!」 なんてことにしてしまうといった企画が時々ある。本当に見事なまでに片付けてしまうので、「我が家にも来て欲しい」 なんて思ってしまう人もいるだろう。

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だが私は、こうした企画でその家がその後ずっときれいな状態であり続けるかということについては、かなり懐疑的だ。半年後にその家を訪ねたら、おそらく元のゴミ屋敷寸前の状態に戻っているのではないかと思う。

整理と収納のセンスのない人というのは、確実にいる。彼らの周囲はありとあらゆるものがゴチャゴチャに積み重ねられ、今にも崩れ落ちそうになっている。何かモノを探そうとしても、あちこちひっくり返してようやく見つかる。必要なものが奥深くに眠っていて、取り出しやすい手近にあるのは、「何じゃ、こりゃ?」 みたいなガラクタばかりだ。

周囲の者から 「あんまりだから、そろそろきちんと整理したらどう?」 と促されても、「うん、そのうち」 と生返事するばかりで、一向に手がつかない。「なんであんなにだらしがないのだろう」 と言われるばかりだが、彼または彼女は、だらしがないというより、整理収納のセンスがないので、どうしても手がつかないだけなのだ。

これはもう、音痴の人がどうしてもきちんと音程を取れないのや、運動の苦手な人がどうしても鉄棒の逆上がりができないのと同じで、生理的なものと思った方がいい。簡単に教えてもらって身につくものじゃないようなのだ。

妻は 「でも大丈夫よ、ああいう企画では、まず最初にごっそりとモノを捨てることから始まるから、ゴミの山にはならないわ」 と言う。しかしいくらモノを捨てても、整理センスのない人はあっという間に不要品をため込むのである。そしてため込んだモノをきちんと収納できず、いずれ元の木阿弥でゴチャゴチャになる。

整理収納下手な人というのは、要するにモノを捨てられない人なのである。不要なものでも 「そのうち使うかもしれないから」 などと言って、適当な場所にしまい込む。ところが 「そのうち使うかもしれない」 というものを実際に使うことなんてまずないのは、多くの経験の示すところである。

稀に実際に使う場面が生じたとしても、その頃にはどこかにしまい込んでおいたことすら忘れてしまっているから、つい同じようなものを買って来ることになる。そして気付いた時には、同じモノが家中のあちこちに売るほどあると知る。

こうした人というのは、いくら 「収納特集」 なんていう雑誌や 「断捨離」 の本なんて買ってきて読んでも、まず身につかない。心の底で 「自分はちょっと別。だって大切な思い出の品が一杯なんだもの」 なんて思っていたりするから、捨てたり整理したりする作業にとりかかれない。「自分が死んだらあれもこれも、棺桶に一緒に入れてもらいたい」 とまで言うが、そんなに大きな棺桶なんて世の中にない。

こんな人は、整理収納が上手な人と暮らすしかないだろう。

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2018/01/09

Time's gonna be up in Japan

今年のゴールデン/グローブ授賞式では、"Time's up" がキーワードになったようだ。アンチ・セクハラの動きが、ようやく大きな潮流となっている。

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ことの発端は大物映画プロデューサーのハービー・ワインスティーンの数々のセクハラ行為が、昨年秋頃から明るみに出たことだ。まあ、何しろハリウッドの 「大物プロデューサー」 という連中はめちゃくちゃ好色揃いで、まあ、いろいろやってたらしいのだよね。だが 「もうそんな時代じゃない」 ということで、炎上状態に追い詰められてしまっているようなのだ。

米国のビジネス社会は既に女性が大きな力をもっているので、前世紀末あたりでも、米国出張中 (主にニューヨーク) に露骨なセクハラなんて、見たことも聞いたこともない。なにしろ女性が管理職で、オフィスでも女性の方が多かったりするので、セクハラなんていうムードじゃないのだよ。まあ、私の観察不足というだけかも知れないが。

ところがハリウッドという別世界では、まだまだ露骨にあったようなのである。この点では米国のフツーのビジネス社会より 20〜30年は遅れている。逆に言えば、フツーのビジネス社会がそのくらいに進んでくれたので、ハリウッドの女優たちも当たり前に声を上げやすくなったのだろう。ところが我が日本においては、フツーのビジネス社会でも相当に遅れているような気がする。

「社会人の教科書」 というサイトに、「部下を持ったら気を付けましょう! これもセクハラ 50選」 というページがある。「えっ、それもセクハラなの?」 と驚くようだと、結構オッサンし過ぎてるということになるだろう。

最初に挙げられているのは、「肩に手を置く、肩を揉む」 という行為だ。これ、昔はよくいたなあ。やたらと若い女の子の肩を揉みたがるオッサン。気持ち悪がられてるのに、当人は 「健全なスキンシップ」 だと思ってる。その他に 「頭をポンポンしたり髪に触る」 「壁ドンする」 「お尻や胸を触る」 なんてのも挙げられていて、「あり得ないだろう!」 と思うかもしれないが、まだ結構あるのだよ、これが。

「仕事の場」 からちょっとだけ離れてしまうと、ますますエスカレートする。飲み会でやたらカラオケのデュエットを強要したり、チークダンスを踊りたがったりするというのも多い。端から見れば 「よくやるなあ!」 と思うばかりだが、当人はかなり悦に入っている。

ところが女性の方も妙に慣れてきて、「そんなこと言ってると、奥様に言いつけますよ」 なんて、軽く受け流したりする技を身に付けたりする。そう言われて 「デヘヘ」 とやに下がりながら、「彼女も結構喜んでる」 とか、「自分は部下とフランクなコミュニケーションとれてる」 なんて誤解するオッサンが、今でも結構いるので困りものなのである。

まあ、だんだん少なくなってきてはいるようなので、"Time's up" ではなく、"Time's gonna be up in Japan" (日本でもタイムアップになるだろう) というタイトルにしたが、結構時間がかかるかもしれないなあ。

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2018/01/07

時の経つのが恐ろしく早い

1月 7日の日が暮れようとしている。いつも思うのだが、新年になりたては時の経つのが恐ろしく早い。ちょっと前に大晦日直前で大掃除だ、年賀状印刷だと大忙しだったのに、ふと気付けば松の内ももう終わりだ。

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こんなようなことを前にも書いたことがあるような気がして、自分のブログを検索してみると、5年前の 1月 4日に 「三が日が過ぎて」 という記事を書いている。こんな感じだ。

それにしても、年末年始ほど早く過ぎ去る休暇はない。暮れのうちは年賀状作りや大掃除でひたすらバタバタして、年が明けると、やれ初詣だ、年賀状の整理 (出してない人から来たりすると、大あわてで返事を書くなど) だとバタバタする。そして、ふと気付けば三が日は終わりだ。

三が日があっという間なのだもの、松の内だってあっという間である。

5年前にもほとんど同じようなことを思っていたのかと、我ながら笑ってしまうが、今年の正月の時の経つ早さは、5年前の比ではない。あの頃の 3が日が終わったくらいの感慨で、もう 7日が終わろうとしているのだから、そのスピード感は 2倍以上だ。これって、年のせいなのかなあ。

これも何度も書いたことなのだが、「松の内」 というのも、関東では 1月 7日までとされているが、関西では 15日の小正月までが松の内とするところが多い。その方がずっとのんびりさせてもらえるような気がするが、現代は関東式のせかせかした正月になってしまった。

ただ、これもまた何度か書いたことだが、これから春になるまでのほぼ 1ヶ月半は、結構長く感じる。寒さに震えながら、「春はまだか、春はまだか」 と言っている間が、結構長いのだ。人間、何かを待っている時間というのは長く感じるようなのである。そして私はこの季節、毎年同じことを思っているようなのだ。どうも進歩がない。

進歩はないが、私は今年もまた仕事であちこち駆け回ることになる。日本全国を訪れながら、ふと気付けば年末を迎えるということになるのだろう。

それにしても寒い。春はまだか。

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2018/01/06

膵臓がんで死んだ仕事仲間に捧げる記事

プロ野球の、えぇと、何と言ったらいいのだろうとググってみたら、朝日新聞は 「中日、阪神、楽天の元監督で、楽天球団副会長」 と書いていたが、とにかくその星野仙一氏が、膵臓がんで亡くなったのだそうだ。ご冥福を祈りたい。

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私はとくに星野仙一ファンというわけでもないのだが、このニュースに思わず反応してしまったのは、私の仕事仲間もつい最近、同じ膵臓がんで亡くなってしまったからだ。彼は関西在住だったが、つい最近までかなり頻繁にコンビを組んで仕事させてもらっていた。私よりも 5〜6歳は若いはずなのに、死んだという連絡をもらった時は本当にショックだった。

彼は一昨年頃に体調を崩し、1ヶ月ほど入院して仕事に復帰した。退院してきた時はかなり痩せてしまっていたが、案外元気そうだったので安心した。がんに違いないとは思ったが、彼は話したがらなかったし、こちらも敢えて詳しい話は聞かないようにしていた。

昨年の 9月下旬に、「11月に 1ヶ月ほど検査入院しますが、12月には復帰できると思います」 と言っていたので、心配と安心が五分五分ぐらいの感覚でいた。果たして 12月になってもまだ仕事復帰は叶わなかったので、年賀状には 「今年はまた、一緒に仕事しましょう」 と書き添えておいた。

ところが元日の夜、彼が亡くなったとのメールが入った。退院後、12月 30日に急に病態が悪化して緊急入院し、辛うじて年は越したものの、元日に亡くなったのだそうだ。ということは、これからずっと元日が彼の命日ということになる。誕生日が元日という友人は 3人もいるが、友人の命日が元日になったのは初めてのことである。

このことについて、今日までは書かないでおこうと思っていたが、同じ病気で亡くなったという星野氏のニュースを見て、やはり書いておこうという気になった。これも何かの巡り合わせだろう。

改めて膵臓がんという病気について調べてみると、"闘将・星野仙一監督が闘った 「膵臓がん」 は、こんなに怖い" という記事が見つかった。この記事によると、「がんと診断されてからの 5年生存率が他の部位のがんと比べて格段に低い」 とある。

そうだったのか。そんなこととは知らず、ただ今年も一緒に仕事ができると思っていたのだが、ユーモアに溢れ、他人を悪く言うことがなく、人情に厚く、いつも確実な仕事をこなす彼は、密かにそんなにひどい病気と闘っていたのか。思いやりの言葉をかけることもできなかったのが心残りだが、彼としてはきっと、ことさらな気遣いは望まなかったに違いない。

というわけで、今日は彼の冥福を祈る記事とさせていただく。

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2018/01/04

赤信号では停止線の手前で停まるということの意味

赤信号で停まる時、できるだけ停止線より前に出て、いつも前輪を横断歩道に乗せたぐらいの位置に停まるというドライバーが、少なからずいる。信号が変わるギリギリのタイミングで止まりきれなかったというわけでもなく、十分に余裕があっても、スピードを緩めながらだらだらと前進し続けて、結局止まった所は横断歩道の上という人は、いつも決まってそうした位置に停車する。

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上の写真のワゴンのドライバーも、そんなタイプの人だった。赤信号で停まる時は、意味もなく少しでも前に出た状態で停まりたいらしい。あまり呆れたので、iPhone で撮影してしまったのである。

たまたま 2車線の道路をしばらく併走する形になったのだが、彼は追い越し車線をどこまでも私と並んで走るので、後ろには追い越したくても追い越せないクルマのパレードができていた。こちらが気を使って減速すると何故か彼も減速するので、後ろでイライラしているクルマをどうしても前に出してあげることができない。

というわけで彼は、「急いでるんで、赤信号でもちょっとでも前に出ておいて、青になった途端にダッシュしたいんだ!」 というわけじゃないことは明らかで、ただひたすら無意味に 「ちょっとでも前に出た状態で止まりたい」 というだけのようなのである。

かなり昔のことだが、知り合いのクルマの助手席に乗せてもらって、都内の住宅街を通り抜けたことがある。なにしろ都内だから頻繁に赤信号にひっかかるが、彼も上で述べたタイプのドライバーだった。先頭で赤信号にさしかかると、ゆっくりと減速し、十分に停止線で止まれるにも関わらず、必ずそのままだらだらと前進して、できるだけ前に出てから停車するのである。

「こいつ、ちょっとヤバいな」 と思っていたところに、たまたま白バイが通りかかり、停車位置が前すぎるということで厳重注意をくらった。その時の警官はなかなかよくデキた人で、頭ごなしに叱らずに、なぜ停止線で止まらなければならないかをしっかりと説明してくれた。こんな説明だった。

交差点でこんなに前に停まっていると、左側から右折してくる大型車が、あなたのクルマが邪魔になって曲がりきれないという事態になるんです。停止線というのは、それを計算して引いてあるんだから、きちんとそこで停まらないと、大変な交通妨害になってしまうんですよ。

こんなことはフツーに考えれば常識的なことである。ところが彼は、警官に説明されて初めて 「停止線」 というものの存在を意識したようなのだった。ただ、意識したはいいがそれもほんの一瞬のことで、次の交差点で赤信号になると、またしてもだらだらと前進して、ギリギリまで前に出て止まったのである。「蛙の面に小便」 とはこのことだ。

ところがまさにその時、左から大型トラックが右折してきて、我々の乗ったクルマが邪魔になり、曲がりきれないという、警官に言われたばかりの事態が現実化してしまったのである。

「ほぅら、停止線で止まらないとこんなことになるって、さっき警官に言われたばかりじゃん」 と言ったのだが、どうしようもない。後ろには数台のクルマが続いて止まっていて、急にはバックすることもできない。大型トラックが立ちふさがった交差点は、本当に交通マヒになり、クラクションが鳴りひびいた。

その時は後ろにいた数台のクルマに少しずつバックしてもらって、何とかなったのだが、この経験をしたことで、彼は初めて 「停止線の手前で止まる」 ということの意味を理解したようだった。実際に痛い目に遭わないとわからないタイプの男である。

そして私はと言えば、停止線を越えて止まるクルマの後ろに停車するときは、そのクルマがいつでもバックして来れるだけのスペースを空けて停車することにしている。交差点が交通マヒしたら、自分も困ってしまうのでね。

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2018/01/02

「〇〇学院大学」 という名前の大学は

今日は恒例の箱根駅伝をテレビで観戦した。何だかこれを見ないと年が明けた気がしないほどで、テレビのコンテンツとしては最強の部類になってしまったなあ。これで CM がなければ最高なんだが。

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早稲田は東洋、青学に次ぐ 3位。最近はずっと 「まあ、このくらいは走ってくれなきゃ困るよね」 程度の、可もなく不可もなし的な順位に甘えていたから、上位 2チームからはかなり離されていたとはいえ、よく健闘したと言えるだろう。復路でも遅れずに頑張ってもらいたいところだ。

ところで今日の話題は箱根駅伝とは直接の関係がないが、大学の名前についてである。今年の駅伝には、「〇〇学院大学」 という名称の大学が、3校出場していた。青山学院大学、中央学院大学、山梨学院大学である。

私は今日の今日まで、この 「〇〇学院大学」 という名前の大学は、キリスト教系、いわゆる 「ミッション系大学」 なのだとばかり思っていた。関東学院大学、明治学院大学、関西学院大学などが、一応名の知られたところで、東北では東北学院大学もミッション系である。

ところがよく調べてみると、すべてがミッション系とも言い切れないようだ。今回の出場校の中では、青学は紛れもなくミッション系だが、残りの 2校、中央学院大学と山梨学院大学は、キリスト教とは直接の関係がないみたいなのである。

中央学院大学というのは、私の居住する茨城県つくばの地からちょっと東京寄りの、千葉県我孫子市にある大学なのだが、Wikipedia によると 「仏教学者の高楠順次郎らが南岩倉具威男爵を初代校長に迎えて創立した日本橋簡易商業夜学校を起源とする大学」 とある (参照) 。どちらかといえば、キリスト教よりは仏教に縁があるようだ。

残る山梨学院大学も、「1946年、古屋眞一により創立された山梨実践女子高等学院 (後に山梨女子高等学院、山梨高等学院と改称) が前身」 とあり (参照)、創立者に関してはインターネットで調べてもキリスト教との関わりがあったとは確認できないから、多分関係ないのだろう。

そういえば、栃木の作新学院というのもキリスト教とは関係なさそうだし、「『〇〇学院大学』 という名前だったら、ミッション系」 というのは、単に私の思い込みにすぎなかったようだ。そして、いわゆるミッション系の大学の学生がみんなキリスト教徒というわけでもなさそうである。

世の中、本当によくわからないことと知らないことばかりである。

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2018/01/01

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。平成 30年 (2018年) の幕開けです。今年もよろしくお願いいたします。

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今日の画像は、 Wakalog と共通。iPhone X の中は戌年にちなんで、Photoshop の円 (楕円含む) 描画機能と塗りつぶし機能だけを使って描いてみた。郷土玩具によくある張り子のイヌの顔と思っていただければ幸いだが、どうしてもサイバーっぽく見えてしまう。

どうせサイバーっぽく見えるなら、いっそしゃべらせてみようというので、「あらたまの〜」 の和歌を読み上げさせてみた。画像の下の ▶ 印をクリックすると音声が流れるので、静かにしていなければならない環境ではご注意。

英語の部分はネイティヴの声で録音することも可能で、その方がずっと自然に聞こえるのだが、敢えてまだ不器用なサイバーっぽさを感じるままにした。最近はあまり聞かれなくなった言い回しだが、「ドッグイヤー」 のスピードで進化するということでよろしく。

ちなみに、私のこれまでの年賀状コレクションは、こちら

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2017/12/31

よいお年を

毎年そんなような気がするのだが、今年もまた、バタバタのうちに暮れようとしている。年が暮れようが明けようが、同じ時間の連続ではあるのだが、世間はどうしても区切りをつけたいようなので、こちらもつい巻き込まれてしまう。

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というわけで、個人的にはなかなか区切りはつかないが、今日西の空の果てに沈んだ日は、明日の朝には 「初日の出」 という特別な意味をもって昇ってくる。その意味をつけるのも人間の側に違いないのだが、まあ、長い間のうちに 「魂の新生」 にまでつながる意味が定着しているので、それに従うのもいいことなのだろうと思っている。伝統文化ってものだよね。

というわけで、今年もつつがなく暮れようとしている。数時間のうちに新しい年が明けるので、ありきたりの挨拶だが、「よいお年をお迎えください」 という一言で、締めくくらせていただきたい。

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