カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の965件の記事

2017/07/19

関東の梅雨明けと、蓮舫氏の戸籍公開

今日、関東甲信、東海、近畿、中国地方が一気に梅雨明けしたと発表された。ただ少なくとも関東に関して言えば、ずっと前から 「梅雨ってもう、明けてるよね」 という感じだったから、古きよき日の梅雨明け宣言ほどのすかっとした嬉しさはない。

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問題は、こんなに早くから真夏日が連続する暑さに突入してしまって、この夏は一体どんな酷暑になってしまうんだろうということである。このままだと、8月初旬なんて死ぬほどの暑さになってしまうんじゃなかろうか。

ちょっと都合良く考えると、天気というのは季節の終わりに締めてみると案外帳尻合わせをしてくれているものなので、8月に入る頃にはぐずついた天気が続いて、猛暑日なんてことになりにくく、お盆過ぎには案外早く秋風が吹くなんてことになるんじゃあるまいかなんて期待してみたくなる。しかしその反対にますます熱くなって、その帳尻は厳冬で合わせるなんてことになったら、大変なことになる。

話は変わって、民進党の蓮舫代表が戸籍の一部を公開したらしい。直前まで 「公開する」 と言ったり 「排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならない」 と言ったり、態度がコロコロ変わっていたが、「本来あってはならないことまで、特例としてやってあげたんだから、もう文句ないでしょ」 というココロのようだ。

しかし現実的には 「もう文句ない」 というわけじゃない。今回の公開で 「ずいぶん長い間、二重国籍のまま国会議員を務めるという違法状態にあったわけなのね」 という事実が客観的にも証明されたわけだ。これに関しては、「公職につくものとして深く反省している」 の一言であっさり済ませており、ケジメとして代表辞任なんてことは、彼女の辞書にはない。

私自身は、蓮舫氏の戸籍なんて見たくもないが、公開が遅れたのは、これまで 「子どもが成人前だったから」 という理由らしい。しかし子どもの情報まで公開したわけじゃないから、それは筋の通った理由とは到底思われない。とにもかくにも他人には厳しく、自分には甘い人のようだ。

世の中には、この問題の根底には 「排外主義、差別主義がある」 と主張する人もいる。毎日新聞のの編集委員、与良正男氏もその一人のようだ (参照)。私なんかこうした主張に接すると、当人の中にそんな意識があることの裏返しなんじゃないかと疑ってしまう。

少なくとも私が問題にしているのは純粋に法的な 「国籍」 であって、「出自」 なんかではない。どんな血が流れていようと、肌の色がどうであろうと、法的にすっきりと 「日本国籍」 ならば (「すっきりと」 というのは、二重国籍問題などをクリアしていればということ)、日本の国会議員になるのに問題はない。

そんなのは言うまでもなく当然のことだ。「いくら日本国籍をもっていても、流れている血が違うのは......」 なんて言う人は、それこそ日本の恥である。「あんたの好きな 『八紘一宇』(世界を一つの家とする) はどこに行ったの?」 と聞いてみたいものだ。

というわけで、蓮舫氏の今回の戸籍公開は、今年の梅雨明けと同様、「それがどうした?」 ということでしかない。

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2017/07/16

「旅館」 という施設には、できるだけ泊まりたくない

『新・観光立国論』 で山本七平賞を受賞したデービッド・アトキンソン氏が、東洋経済 Online で "外国人が心底ガッカリする 「日本の旅館事情」" という記事を書いている。日本の 「旅館」 は、外国人の富裕層が泊まるには多くの問題がありすぎるという指摘だ。(参照

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この記事は富裕層向けの高級旅館に限った話だが、実はごくフツーの旅館も問題ありすぎだ。私は年間 20回以上いろいろな地方に出張するが、宿泊はビジネスホテル専門で、日本に生まれて日本で育った日本人なのに、よほどの事情でもない限り 「旅館」と名のつくところには泊まりたくない。

旅館というのは、とにもかくにも宿泊料金のコストパフォーマンスが悪すぎる。地方のビジネスホテルでは、6,000円も出せばまともな部屋に泊まれる。5,000円で簡単な朝食付というのも珍しくない。

ところが、旅館だと同じ値段で部屋が 「バス付き」 でないことが多いのである。温泉旅館ならまだいいが、家庭用風呂に毛が生えたようなのに交代で入らされることも珍しくない。こんな風呂だと大抵排水が悪く、シャンプーし終えて目を開けてみると、泡だらけのお湯が排水口から溢れて、足をヒタヒタにしているなんてことも覚悟しなければならない。さらに 「トイレ共同」 なんてのもざらだ。

最近ではかなり改善されたが、それでも 「布団が短すぎることがある」 というのも要注意ファクターだ。私は日本人としては長身のため、冬の東北や北海道で短い布団に遭遇すると、足が冷えて往生してしまう。押し入れから予備の掛け布団を引っ張り出して、すっぽりと足を覆わなければならないが、下手すると予備の布団がないこともある。

また、「割烹旅館文化」 というのも始末が悪い。昔、某地方都市に出張した際に、訪問先の会社の世話で、その町に古くからある割烹旅館に泊まらされた。夕方過ぎに部屋に通されてお茶を飲んでいると、さっきまで訪問していた会社のお偉方がいきなりずかずかと上がり込んできたかと思うと、あれよあれよという間に酒肴が運ばれて、酒盛りになってしまった。

何のことはない。あの人たち、その旅館の女将とツーカーになっていて、出張してきた人間をダシにして経費で飲み食いしたいのである。それで 「おもてなし」 と勘違いしてるから始末が悪い。私は酒の無理強いとご馳走攻めは苦手だから (参照)、これ以後、この町に宿泊するスケジュールは絶対に組まないことにした。

そうそう、ビジネスホテルでは常識の LAN や Wifi のサービスが、旅館ではほとんど期待できないのも困る。今どきはスマホ経由でインターネット接続できるからまだいいが、それだとスピードが遅いしね。それに夜になってから座卓に座椅子でデスクワークすると、腰にきてしまうのもしんどい。

というわけで、私は 「旅館」 という施設にはできるだけ泊まらないようにしている。どうやら、ライフスタイルというか、旅のスタイルが全然合わないようなのだ。上の写真をみても、70歳過ぎか、一時の非日常性で盛り上がるギャル以外は喜びそうにない雰囲気である。

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2017/07/15

「加計さん」 という名字を巡る 冒険

加計学園問題で、日本に 「加計」 と書いて 「かけ」 と読む名字があることを初めて知った。Wikipedia の解説によると、加計勉氏が 1961年、岡山市に 「加計学園」 を創立したのが、 「加計学園グループ」 の始まりだそうだ。

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「加計」 と書いて 「かけ」 と読むのは、ちょっと意外と思われるかもしれないが、実は 「か」 と 「け」 という平仮名は、上の画像にあるように、「加」 と 「計」 という漢字から作られたものである。「加」 が 「か」 の字の元というのは誰でも知っているが、「計」 が 「け」 の字の元というのは案外知られていない。

「計」 の 「ごんべん」 を草書体ですらすらっと書いちゃうと、どんどん 「け」 の字の左側に近付いちゃう。だから、「加計さん」 は 「かけいさん」 じゃなく、「かけさん」 なのだね。「かけいさん」 だと、「掛井さん」 とか 「筧さん」 とかの文字になってしまいやすいようだ。

ちなみに 「名字由来 net」 というサイトで 「加計」 を検索すると、全国では上から 17,569番目という結構珍しい名字で、日本中におよそ 290人しかいないという。その由来は次のように説明されている。

現広島県西部である安芸国山県郡加計村が起源 (ルーツ) である。懸と起源をともにする。近年、山県郡など広島県に多数みられる。

なるほど、加計学園は岡山市にあるというし、広島県にルーツをもつ加計勉さんが、隣の県の岡山で学校を作ったのかもしれないと想像する。

で、ここからはまったく余計な話なのだが、「かけ」 と言ったら、私はごく自然に 「もり」 を思い出してしまうのだよね。いうまでもなく蕎麦つながりである。

平仮名の 「も」 と 「り」 の元になった漢字は 「毛」 と 「利」 なのだが、「毛利さん」 はなぜか 「もりさん」 じゃなく、「もうりさん」 なのだよね。ちなみに 「もりさん」 は 「森さん」 一強だと思っていたが、他にも 「茂里さん」 や 「茂利さん」 「盛さん」 「守さん」 がいるらしい。(参照

ただ、「毛利さん」 といえば最強の有名人は戦国大名の 「毛利元就」 で、地元は安芸国 (現在の広島県) だから、ここに 「かけ」 と 「もり」 は、広島県つながりでめでたくリンクする。ちょっと無理矢理だが、このオチにたどり着いて、私は何となくすっきりしてしまったのだった。

これで、森友学園の籠池さんが広島県とか岡山県とかの出身だったら、「かけ」 と 「もり (とも)」 の関係がより濃厚になったところだが、彼は香川県出身ということらしい。残念。ちなみに 「籠池」 という名字は全国で 37,603番目で、およそ 70人しかおらず、「加計さん」 よりもさらに少数らしい。

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2017/07/07

原子力規制委員長の 「毒のある冗談」

原子力規制委員会の田中俊一委員長 「ミサイルを原発に落とすより東京の方が」 という発言 (参照) について、一部では沸き返っているが、この現象についてはちょっといろいろ考えてみる必要がある。言葉尻を捉えて騒ぐより、中身をちゃんと読んでみなければならない。

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高浜町民約 30人との質疑応答でのコトの次第をみれば、次のようになるらしい。

  1. 町民に 「ミサイル攻撃への対策は」 と質問された
  2. 田中氏は 「原子力規制の範囲を超える」 としつつ、「(敷地内での) 大型航空機落下についての対策があり、相当の対応はできる」 と説明。
  3. その上で、「小さな原子炉にミサイルを落とす精度があるかどうかよく分からない。私だったら東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいと思う」 と述べた。
  4. その後、報道陣に 「不適切では」 と問われ、「例えが不適切でないかといえば、不適切だった」 などと釈明した。

この 3番目の部分は、常識的には 「口がすべった上での余計なコメント」 に他ならないが、そのココロはといえば、「北朝鮮としても、当たるかどうかわからない原発を狙うよりは、的の大きな東京などの都市を狙うに決まってる」 ということなのだろう。多分彼は、仲間内ではそんな類いの話をしていたんだろうと思う。

「的が小さくて当てにくい原発を狙うほど、北朝鮮の連中はバカじゃないよね」
「そうだよね、発射するなら的の大きな大都市を狙うよね」

とまあ、こんなような話をしていたからこそ、ついポロッと披露してしまったのだろう。そうでなければ、咄嗟に口をついて出るような話じゃない。ある意味、「できすぎのバッド・ジョーク」 である。

この会合で彼は、「規制委の審査が厳しく、(原発停止が) 長期化している」 との指摘に、「事業者には厳しいと思うが、動かしたいなら耐えていただく。(審査を) 緩めると、安全対策がお金との兼ね合いになる」 と述べた。彼は原子力ムラの住民だとばかり思っていたが、このコメントに関しては案外評価していいと思う。

というわけで、あのバッド・ジョークはそれほど感情的になって責め立てるほどの発言でもないと、個人的には思ってしまうのだよね。ただ、毒のある冗談は英国辺りじゃフツーだったりするし、田中氏ご自身も英国紳士っぽいお見かけなのだが、感情論が優先しがちな日本では、ちょっと注意した方がいいという教訓にはなったかも。

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2017/07/02

今年も折り返し点を過ぎた

早いもので、今年ももう半分を越した。6月を過ぎた時点で半分越したと思っていたが、計算してみると 1年 365日の折り返し点は、今日の 7月 2日だった。年の前半は 28日しかない 2月があったりするからね。

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私はミック・ジャガーと同じ誕生日だから、今月の 26日でめでたく 「高齢者」 の称号を得る。若い頃は自分が高齢者になるなんて想像も付かなかったが、あとわずかのところまで来てみると、元々気の早い性分なもので、数字上の区切りなんてさっさと越える方がせいせいするから、楽しみな気分になっている。

肉体的には健康で、何をやらせても同年代の連中の平均よりはずっとガシガシこなせてしまうので問題ないが、問題は目である。今月 11日に白内障の手術を受けることになってしまった。手術後は目がよく見えるようになるというから、このブログの更新も楽になるだろう。

残念なのは、16日からの関西出張に合わせて熊野の地を初めて訪れ、「熊野古道」 を足で歩いて辿るつもりでいたのだが、白内障手術後はしばらく体力的に無理をしないようにと釘をさされ、泣く泣くあきらめた。できれば今年中に再挑戦したい。

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2017/06/30

「4K 有機 EL ビエラ」 って、70万円もするらしい

パナソニックが、「ビエラ史上最高峰の漆黒と色再現性を実現した」 という 「4K 有機 EL ビエラ」 の出荷を開始したという (参照)。

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「それ、何すか?」 と思ったら、テレビなんだそうだ。価格.com で値段を調べたら、大きさにもよるが、Y418,800 から ¥761.000 もしている。私は 10万円でも要らんな。7〜8年前に妻と娘が選んだ我が家の液晶テレビでも、トゥーマッチと思っているぐらいだから。

昔のテレビの画面を見ると、その解像度の低さに驚く。しかし今の時代の高解像度画面を見慣れたからこそ、昔のテレビの性能の悪さがわかるのであって、昔は別に不満を感じることもなく見ていた。テレビの画面なんてどうせバーチャルなのだから、人間の肉眼が識別できる以上の解像度をもってこられても、「それがどうした?」 というようなものだと思う。

今はテレビ画面の再現性追求が話題だが、昔は 「オーディオマニア」 というのがいて (今でもいるのだろうが)、音響装置にやたら金をかけていた。知り合いのオーディオマニアが 「ウチのステレオを聴かせてやる」 と無理矢理誘うので訪問したら、レコード棚にあったのは、BGM に使われるようなイージー・リスニングと歌謡曲ばっかりだったということがある。

正直なところ 「大枚はたいて聞くような音楽かなあ」 と思ったわけだが、要するに彼は、「音楽」 より 「音」 が好きという種族なんだろうね。テレビにしても、フツーの娯楽番組を見るぐらいで 70万円もかける意味があるのかなあという気がする。

あるいは高解像度テレビ向けの特別放送みたいな企画がどんどん登場するのかもしれない。しかしそういうのって、とくに初期の企画であればあるほど、即物的に迫力ある画像が連続して現れるだけで、「それがどうした?」 になってしまいそうな気がする。想像するだに疲れそうだ。

私は音楽を聴くにしても、iPhone とごくフツーのイヤフォンを使って十分満足している。慎ましい音を聞きながらでも、脳内ではオリジナルの素晴らしい音に変換されている。要は、時々ちゃんとしたナマの音楽を聴くことで、想像力を鍛えればいいのだ。

テレビにしても、今あるフツーの液晶テレビで何の不満もない。ナマの素晴らしい景色に接していれば、ごくフツーのテレビでみる景色も脳内変換でしっかり味わえる。要はちゃんとしたナマの経験を持っているかどうかなんじゃないかなあ。ちゃんとした山登りの経験があれば、小さな写真を見るだけで追体験できる。

私の好きな小津安二郎の映画を見るのに、有機 EL の 4K 液晶なんか使ってもしょうがないと思うし。

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2017/06/28

将棋と親孝行

中学生だという藤井聡太四段が無傷の 29連勝を達成したというので、世の中はちょっとした将棋ブームなんだそうだが、私は駒の動かし方を辛うじて知っている程度なので、まるで遠くの景色を眺めるような思いでニュースに接している。

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私は将棋とかチェスとか囲碁とかのセンスはからきしのようで、将棋とチェスは人と対戦しても勝ったことが一度もない。そもそも好きでもなんでもないので、子どもの頃に同級生に無理矢理誘われて何度かやってみただけだが、いつもあっという間に負けていた。

負けても 「これで解放される」 と思うだけで、「負けて悔しい」 という気持ちがちっとも理解できず、そのため、負けないために練習して上達しようという気にも、当然ながらなれない。藤井四段は 「負けず嫌い」 なんだそうだが、そのあたりからして、私とは全然違う。私は勝負師の資質がまったくないようなのだ。

どうしてまた、自分がこんなにも将棋が弱いのかということに関しては、既にかなり前に自己分析済みだ。それは、勝負を始める前の最初の布陣 (上の写真ね) が、あまりにも完成された美しい姿と思っているために、駒を動かすのを忍びなく感じてしまうのである。

しかし実際に将棋を始まってしまうと、駒を動かさざるを得ない。勝とうという意識がなくて、ただひたすら動かすのに抵抗があるだけの私としては、なるべく当たり障りのない部分の駒を嫌々ながらチマチマ動かすのみなので、勝てるはずがない。しばらくすればバランスが崩れまくった盤面から早く抜け出したくてたまらなくなり、あっさり負けてほっとする。

「なんだか、前にもこんなことを書いたことがあるなあ」 という気がして、自分のブログを検索してみたら、ほぼ 4年前に 「オセロ・ゲームのアプリ」 というタイトルで、将棋に関し、"最初に駒が並べられた状態がとても美しく感じられて、「この素敵なバランスを、どうしてわざわざ崩さなければならないんだ?」 なんて思ってしまうほどの 「平和主義者」 なので、てんでお話にならない" なんてことを書いている。

この時の記事では、オセロ・ゲームは嫌いじゃないので、時々 iPhone のアプリで楽しんでいるみたいなことを書いているが、実は今ではオセロもすっかり面倒くさくなってしまって、遠ざかって久しい。要するに、この手のゲームには才能がないみたいなのである。

ただ、6年前の東日本大震災の年の秋に亡くなった父は、将棋や囲碁が得意だった。会社勤めをしていた頃、社内の将棋だか囲碁だかの大会で優勝したこともあったらしい。

大昔に、たまには将棋や囲碁の相手をすることで親孝行したいと思い立ったことがあり、ちょっとだけ練習してみたのだが、すぐに自らの才能のなさを思い知って諦めた。とくに囲碁なんて、眺めていてもどっちが勝ったのかすらわからず、入門書を読んでも結局理解できなかった。とことん向いていないようなのである。

というわけで、親孝行できなくて、ごめんね。

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2017/06/26

海苔の値上がりと、コンビニおにぎり

近頃、電気、ガス、タバコ、オリーブオイル、生命保険、ティッシュペーパーなど、いろいろなものの値上げが相次いでるんだそうだ。ちっとも知らなかった。何しろあまり活発な消費者じゃないからね。先日は海苔の値上げが報じられていた。

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我が家は電気は太陽光発電で自家発電しているし、ガスはそれほど使わないし、タバコは吸わないし、響くのは花粉症だからティッシュペーパーの値上がりぐらいかなあと思う。海苔もほとんど食わなくて、その存在すら忘れているほどだし。

というわけで、私は海苔が値上げされても全然困らない。海苔の値上げが最も響く分野って、何だろうと考えてみると、もしかしたらコンビニのおにぎりなのかもしれない。私自身はコンビニおにぎりをほとんど食べないのだが、あれって、びっしりと海苔が巻いてあるからなあ。

どうしてあんなに海苔を使うのか、さっぱりわからない。それに食べる直前まで海苔が乾いた状態に維持されるように、プラスティック・フィルムでおにぎり本体と分離してあったりするし、あんな余計なことをする意味もわからない。たまに出先でコンビニおにぎりが支給されたりすると、ちょっと食べるだけで 「プラごみ」 の山になる。

今回の海苔の値上げをきっかけに、日本人の多くがコンビニおにぎりをあまり食わないように心がければ、資源の節約にもなるかもしれない。でもそれは、あまり期待できないだろうなあ。

ちなみに私は、シンプルな塩むすびが好みで、ツナマヨネーズのおにぎりなんてその存在すら驚きで、一度も食べたことがない。

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2017/06/25

「ゆとり世代の行動」 って、そんなにひどいだろうか

うちの末娘は 「あたし、『ゆとり』 だから」 と半分自嘲的に言う。いわゆる 「ゆとり教育」 の世代なので、ビシッとしてないんだそうだ。私なんか、「いいじゃん、別に」 と思う。「ゆとり」 はなきゃいかんものと思ってるしね。

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Yomerumo News というサイトに "【激怒】 ゆとり世代の信じられない行動 15選!  「私ゆとり世代ですから」 と開き直る" というのがある。そこに挙げられている 「信じられない行動」 というのは、こんなようなものだ。

  1. 「辞めちまえ!」 と怒ると本当に辞める
  2. 上司や先輩にお酒を注がない
  3. 重役のスピーチ中にガムを噛んでいる
  4. 飲みに誘うと 「残業代出ますか?」
  5. 意外とネットは使いこなせない
  6. 欠勤の連絡を親がしてくる
  7. 寝坊で遅刻するのは仕方がない
  8. 頼まれていない仕事はやらない
  9. 社外秘の資料を SNS にアップする
  10. 冠婚葬祭のマナーがない
  11. 言っちゃいけないことをあっさり言う
  12. 冗談が通用しない
  13. 批判的なコメントはスルーする
  14. LINEで欠勤報告
  15. 「私ゆとり世代ですから」 と開き直る

こんなので 「激怒」 する方がおかしいと、私なんか思う。とくに 1番目の 「辞めちまえ」 なんて言うのはそもそもパワハラで、そんなこと言う方がよっぽど 「信じられない行動」 である。そんな上司のいる職場にいるぐらいなら、さっさと辞める方がいいと考えるのも不思議じゃない。

2番目の 「酒を注がない」 なんてのも、私なんか勝手に酒を注がれるのが迷惑でしょうがないから、注がれないのはかえってありがたい。ガムだって、「クチャクチャ」 と音をさせなければ、気にならない。

飲みに誘うと 「残業代出ますか?」 と聞かれるというのはちょっとネタっぽいが、ゆとり世代にとっては、半分は本音に近いところもあるだろう。私なんか年齢だけはオッサンだが、同年代のオッサンと一緒に酒飲むのが苦痛だから、その気持ちはよくわかる。

オッサンの方も、「ゆとり世代」 が気に入らなかったら、初めから飲みになんか誘わなければいい。気に入らない者同士で飲んでもつまらないし、「飲みニケ—ション」 の機能なんて果たせないから、経費の無駄だ。

ネットの使い方なんて、必要ならすぐに覚えるし、少なくともオッサンの世代の平均よりは上だろう。欠勤の連絡を親がするのは 「ちょっとね」 と思うが、本人が相当しんどかったんだろうと思いやればいい。寝坊で遅刻なんて、別に 「ゆとり」 でなくても経験あるだろうし、二日酔いでムッとするような酒臭い臭いを発散しながら出勤して、ただウダウダしているよりはまだいい。

頼まれていない仕事までするのは、「余計なお世話」 になりかねないし、そうでなくても 「サービス残業」 などの労働強化につながるから考え物だ。「社外秘の資料を SNS にアップする」 なんてのは、相当お馬鹿な特殊ケースだろうし、ネットでなくても、口が軽くて酒飲みながら余計なことをペラペラしゃべっちゃうやつは、おっさん世代にもいくらでもいる。

冠婚葬祭のマナーなんて、そもそも多くの世代にわたってかなりいい加減なものだし、若いやつが慣れてないのは当然でそのうち少しは慣れる。「言っちゃいけないことをあっさり言う」 「冗談が通用しない」 「批判的なコメントはスルーする」 なんてのは、実はオッサン世代の方がひどい。

「LINE で欠勤報告」 というのも、使えるものならどんどん使えばいいだろう。もっとも私自身は LINE は嫌いだが (参照)。

最後に "「私ゆとり世代ですから」 と開き直る" というのがあるが、あれは多くの場合、開き直っているのではなく、自嘲的ジョークとして言っているのである。それが通じないから、「オッサンは冗談が通用しない」 と言いたくもなるのである。

世代論で開き直るのは、実はオッサンの世代の方がひどい。「俺は古い男だから」 なんてのを免罪符にして押しつけがましいことを言うのは、オッサンの私からみても本当にうっとうしかったりする。

こうしてみると、「ゆとり世代」 の行動をとやかく言うのは、「ゆとりのない世代」 のことさらな思い込みからくることが多い。行きすぎさえしなければ、ゆとりはある方がいいに決まってる。

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2017/06/16

納豆の 「タレ」 再考

最近は北朝鮮のミサイルだの、森友学園だの加計学園だのと、うっとうしいニュースばかりで、そんなのはなんだかこのブログで取り上げる気になれない。とくに森友、加計両学園の問題は、フツーに考えれば安倍政権のゴーマンさが問題というのは明らかなので、今さら書く気にもなれない。それで、つい身近でチマチマしたことを書く方向に振れてしまっている。

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で、今日は 「納豆のタレ」 問題だ。これ、5年ちょっと前にも "納豆に付いてくる 「タレ」 は 「余計なお世話」 の最たるもの" というタイトルで書いたことがあるが、その後日談である。

とにかくこの 「タレ」 というのは、袋を開けようとすると 10回に 8回はこぼしてしまい、下手すると服に飛ばしてシミを作ってしまう。5年前の記事では、こんなことを書いている。

昔、私の上司がビジネスホテルの朝食で納豆のタレのビニール袋を開けようとして、あっという間に自分のネクタイにぶっかけてしまったことがある。しかもその直前に、私が 「注意してくださいよ。飛び散りますから」 と言い、彼も 「そうなんだよね、これ、注意しないとやばいんだよね」 と言いつつ、やっぱりやらかしてしまったのだ。

ことほど左様にこれ、かなりやっかいな代物なのである。「アメリカだったら、きっと訴訟をおこすやつがいるぞ」 と書いたら、アメリカ在住の emi さんが 「間違いないです」 とお墨付きのコメントをくれた。

そもそも私は、この 「タレ」 の濃厚な 「グルタミンソーダ感」 に抵抗があって、あまり好きじゃないのだが、捨てるということにそれ以上の抵抗があって、5年前にこの記事を書いた頃までは、嫌々ながら使っていた。そしていくら慣れても、10回に 5回以上は、1〜2滴テーブルにこぼしてしまっていた。

しかしこの記事を書いたことをきっかけとして、ついに 「こんな馬鹿馬鹿しいことでストレスを感じ続けるよりは、思いっきり捨ててしまおう」 と決心がつき、それ以来さっさとゴミ箱に捨てて醤油で済ませるようになった。こう決めてしまってからは、朝食が想像以上にストレスフリーになったのである。

さらに最近は、スーパーでたった 1種類だけ 「タレ付きでない納豆」 を発見し、それを我が家御用達と決めている。これなら 「タレ」 を捨てることによる良心の小さな呵責からも解放される。あまりにも快適なので、世の中の納豆の少なくとも半分はタレを付けずに流通させるべきだと考えるまでになった。

しかし今回は、その 「タレ付きでない納豆」 がたまたま品切れだったため、仕方なく 「タレ付き」 を買ってきてしまった。そして、このタレをポイと捨ててしまうことによる小さなストレスを、思い出してしまったのである。

そうそう、念のために書いておくが、私は 「カラシ」 の方もいらないのだよね。

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