カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の100件の記事

2019/03/18

缶コーヒーはカラダに毒らしい

「週刊大衆」 という週刊誌は知っているが、「日刊大衆」 というウェブサイトがあることを、今日初めて知った。ココログの 「注目のニュース」 という案内の 「缶コーヒーは絶対NG! 体に悪影響を与えない“銘柄”の選び方」 という見出しをクリックしたら、このページに飛んだのである。

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この記事によればフツーの缶コーヒーは砂糖の量が滅茶苦茶多く、砂糖を使わないものでも人工甘味料が含有されていて、これまた体に良くないのだそうだ。

私は 11年前に "コーヒーと缶コーヒーは全然別物" という記事の中で "世の中ではかなり大量に流通しているのに、個人的には一度も買ったことがないという商品が、誰でも一つや二つはあると思う。 私の場合、その代表的なのが 「缶コーヒー」 というものだ" と書いている。というわけで、ありがたいことに私のカラダは缶コーヒーに汚染されずに済んでいるようだ。

ただ、自分では絶対に買わない缶コーヒーというものだが、何かのイベントに参加し、そこで支給されたものを飲んだことは 数回ある。その印象は、とにかく 「甘すぎる!」 というものだ。とてもじゃないが、飲むに堪えない。

私の住む茨城県には、一部では 「チバラキ・コーヒー」 として知られる 「マックス・コーヒー」 というものがあり、これがまたフツーの缶コーヒー以上に激甘だ。私は 5年前に行われた共同草刈り作業に参加した際に配られたものを、自宅に持ち帰って翌日に恐る恐る飲んでみたのだが、聞きしに勝る甘さだった。

この時のことは " 「マックス・コーヒー」 を生まれて初めて飲んでみた" という記事にしているが、幸か不幸か冷蔵庫でキンキンに冷やしてから飲んだので、その甘さに卒倒しなくて済んだ。人間の味覚は低温だと鈍くなるので無事だったが、もう少しヌルかったら、吐き出していたかもしれない。

で、この 「日刊大衆」 の記事では、コンビニコーヒーを選ぶように勧められている。これなら砂糖の量を自分で調節できるから OK というのだ。とはいえ、やはり自分で選んだ豆を直前に挽いて淹れるコーヒーが、一番いいと思うがなあ。もちろんシュガーレスで。

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2019/03/17

筑波山の姿と、ニュージーランドの大量殺戮事件

東海道新幹線に乗って見ればわかるが、富士山は三島付近から眺めるのが一番迫力がある。そして先月 19日には "「自分の家から見る富士山が最高」 という三島市民" という記事を書いた。

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三島ではただでさえ富士山がきれいに見えるのに、その中でも 「我が家から見える富士山が最高」 と言い張る市民が多い。なにしろ 「我が家から見る富士山はちゃんとポーズを決めてくれるし、光線の具合がいいと、スマイルだってしてくれますから」 なんてマジに言う大人が少なくないのである。

これ、ある意味自然なことで、山というのは 「見慣れた姿」 が一番美しく感じるものだ。先月の記事の中でも次のように述べている。

例えば我が故郷の鳥海山は、反対側の秋田県から望むとまったく別の印象になる。さすがに北斜面だけに、山形県から望む穏やかな姿とは異なる厳しさを感じさせるのだ。それで秋田県人は 「山形側から見る鳥海山は間が抜けてる」 なんてことを言う。それに対してこっちは 「秋田から見るとちょっと貧相だ」 なんて言うわけだ。

それは筑波山にしても同様で、「つくば市内からの角度が最高」 と言う人が多いが、他から見るのも変化があってなかなかいいというのも事実である。

ところで今日は、茨城県内の筑西市にある下館 (「しもだて」 と読む) というところに用があって、クルマで行って来た。片道約 50km、往復で 100kmちょっとの運転になるのだが、この下館まで行くと、いつも眺めている筑波山をほぼ裏側から望むことになる。上に掲げた写真の上がいつも見ている筑波山で、下が下館から見る筑波山だ。

そしてご多分に漏れず、私の印象としては 「あれ、下館から見る筑波山って、『裏返し』 になっちゃうなあ」 なんて感じてしまったのである。しかし下館に住んでいる人間に言わせると、「つくば市側から見る筑波山って、アンバランスだよね」 ってなことになるようなのである。

かくの如くに、人間の感覚というのは 「慣れ」 とか 「馴染み」 とかいう要素に大きく左右されてしまうものなのだ。「絶対的な美しさ」 とか 「絶対的な価値」 なんて幻想に過ぎないのである。筑波山は見る角度それぞれに異なった美しさをもつのだが、自分の馴染んだ姿のみに執着すると、多様な価値がわからなくなる。

うどんの例をもち出せば、讃岐うどん派は 「博多うどんはコシがない」 と言い、博多うどん派は 「讃岐うどんみたいに硬いのは、うどんじゃない」 などと断じる。よそ者の私からすれば 「両方それぞれのおいしさがあって捨てがたいのになあ」 と思うのだが。

と、まあ、回りくどく卑近なことを言ってきたが、この度のニュージーランドの大量殺戮事件の容疑者の抱く 「白人至上主義」 というのも、「要するに幻想に過ぎない」 と言いたいわけなのだ。自分の属する狭い世界に異常に執着し過ぎて、他の世界が認められなくなったことの極端すぎる結果である。

馴染んだ価値観を重んじるのはごく自然なことだが、他の価値観の否定につながってはならない。視野は広く持ちたいものだと、つくづく思う。

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2019/03/16

「ローロデックス」 というもの

「ローロデックス」 (Rolodex) というものをご存じだろうか。実は私もその名を今日初めて知ったのだが、モノ自体はアメリカ映画などで十分にお馴染みである。オフィスのデスクの上にお約束のように置いてある回転式の名刺ホルダーだ。(参照

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なんでこんなものを調べてみたのかというと、昨日書いた 「4〜5年ぶりに FAX を送付されてしまったよ」 という記事と関係がある。「知識連鎖」 というサイトの 「未来で消えるいらないもの 固定電話・スーツ・大型テレビ・パソコンのキーボードなど」 という記事で触れられているのだ。

この記事は、2012年のアメリカでの調査を元にしている。7年前の時点で、「5年後の 2017年には消えていると思うものは?」 とのアンケートで挙げられたモノ (及びコト) の動向を調べたものだ。ちなみに 「消えている」 と思われた上位10傑は、次のようなものだった。(括弧内は、全体の何パーセントの人がそう答えたかを示す)

10位    USBメモリ (17%)
9位    仕切りのある個人用小室 (19%)
8位    社長や役員のための部屋(21%)
7位    スーツ、ネクタイ、パンティストッキングなどフォーマルなビジネスの服装 (27%)
6位    デスクトップパソコン (34%)
5位    机の電話 (35%)
4位    標準労働時間 (57%)
3位    ローロデックス [回転式名刺整理機] (58%)
2位    ファックス (71%)
1位    テープレコーダー (79%)

で、2019年の今、検証してみると、6〜10位は今でもしっかり残っているし、3〜5位も案外しぶとい。しかしさすがに 1位と 2位の 「ファックス」 と 「テープレコーダー」 は、少なくとも米国ビジネス社会では消えて久しいだろう。まあ、この 2つは 2012年の調査時点でもかなりレアになっていたわけだが。

で、この中の 3位に挙げられている 「ローロデックス」 というものについて、私は初めてその名称を知ったのである。これ、「コトバンク」 で調べてみると、こんなふうに説明してある。

文具、家庭用品メーカーのニューウェル・ラバーメイド社 (本社:アメリカ) が販売する回転式の卓上名刺ホルダー。1950年代に実業家のアーノルド・ノイシュテッターが発明、1958年販売開始。

ふうん、発売されてから、まだ半世紀とちょっとしか経っていないのだね。印象としては 100年も前からあるような気がしていたが、100年前はまだ今のようなビジネスカードなんて一般化してなかっただろうから、まあ、そんなものだろう。

これ、なにしろ 「ホッチキス」 みたいな 「商標」 だから、元祖のニューウェル・ラバーメイド社以外は使うことができず、Amazon のサイトを見ると日本のセキスイは 「ターボデックス」 なんて、ちょっとダサめの名前にしている。さらに時代を反映してか、「デジタル名刺ホルダー メックル」 なんてものまである。

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こんなの、PC にデータベースとして保存すればいいのにと思うが、ローロデックスのイメージに憧れちゃうようなタイプの人は、つい欲しくなってしまうのかもしれない。ただ、実際に買うのはよほどのもの好きだろうし、「メックル」 というネーミングもスゴい。「究極の B級商品」 と言えるだろう。

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2019/03/15

4〜5年ぶりに FAX を送付されてしまったよ

一昨年の 4月 24日に 「A3 サイズ対応の FAX 兼用プリンターの使用を止めた」 という記事を書いた。つまりここ 2年近く FAX というデバイスなしの生活をして、それでまったく困っていなかったのである。

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ところが先週、知り合いの女性からケータイに 「FAX を送りたいんですけど」 という連絡が来た。「FAX 番号がわからないので、教えてください」 と言うのである。

我が家の固定電話は FAX 兼用ではない一番安いタイプで、しかも呼び出し音が 1回なるだけで留守電応答に切り替わる設定にしてある。かかってくるのは 99.9%がアヤシい勧誘電話なのだから、これでまったく問題ない。

ところが、突然 「FAX を送りたい」 なんて言い出されたので、慌てて押し入れの奥から大昔の FAX 兼用電話を引っ張り出してつなぐと、しばらくして呼び出し音が鳴り、続いて FAX に切り替わってのんびりとプリントが開始されたのだった。

ここ 4〜5年間でただ 1度の FAX 受信なので、まるでタイムマシンに乗ってしまったような感覚になった。それにしても無事に動いてくれてよかった。

世の中の中年以上の女性の間では FAX がまだまだ現役で使われているとは聞き及んでいたが、私のところにまでその余波が及ぶとは思わなかった。そのオバさんは私が 「FAX はここ 2年ほど取り外してあるので、つなぐまで 2〜3分待って」 というのを聞いて、「どうしてこんな便利なものを外しちゃってるんだろう」 と思ったに違いない。

フツーに考えれば、「どうしてこんなに邪魔で面倒なものを、まだ使い続けてるんだろう」 ということになると思うのだが、感覚のズレの大きさに驚いてしまったね。

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2019/03/14

「めんべい」 と 「朝顔煎餅」

妻の友人が博多土産に 「めんべい」 というのをくれた。「飲んべえ」 ではなく、「めんべい」 である。辛しめんたいこ風味のせんべいなので、この商品名になっているらしい。

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この 「めんべい」 という商品名を見て、どういうわけか 「朝顔仙平」 というのを思い出してしまった。これは 歌舞伎十八番 『助六所縁江戸桜』 (すけろくゆかりのえどざくら) の登場人物名で、「髭の意休」 という嫌なジジイの手下という役どころだ。

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(左上から傾城揚巻、助六、髭の意休、朝顔仙平、くゎんぺら門兵衛)

「朝顔仙平」 というのは、当時江戸で流行った 「朝顔煎餅」 という菓子の洒落であるらしく、「事も愚かや、この糸鬢は砂糖煎餅が孫、薄雪煎餅はおれが姉、木の葉煎餅とは行逢兄弟、塩煎餅が親分に、朝顔仙平という色奴 (いろやっこ) だぞ」 という「煎餅尽し」 の台詞がある。当時の歌舞伎は CM の機能も果たしていて、ということは、さらに砂糖煎餅、薄雪煎餅、木の葉煎餅、塩煎餅というのもあったわけだね。

で、私としては 40年以上にわたって 「朝顔煎餅ってどんな煎餅なんだろう?」 と思ってきたわけなのである。ところが今日、ふとした酔狂でググってみたら、今の世にも 「朝顔せんべい」 というものがあるとわかった。入谷の八千代堂という煎餅屋さんで買えるらしい。(参照

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一見ごく普通の煎餅のようだが、拡大版を見ると、なるほど、朝顔の花を正面からみたように見えなくもない。しかし江戸時代のオリジナル朝顔煎餅は、「横向きの朝顔」 の形、つまり片側がすぼまって反対側が開いた形だったらしい (参照) ので、それとはずいぶん違う。

ちなみに「塩煎餅」 は今も定番で、「砂糖煎餅」 と 「木の葉煎餅」 も確認できたが、「薄雪煎餅」 は見つからなかった。ただ、りんごを使った和菓子の 「薄雪」 というのは存在するようで、かなりおいしそうである。

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2019/03/10

「選択肢が多い方が幸せというのは嘘」 という主張に驚く

ふゆひーさんが Naoki Takahashi ‏さんという人の tweet を 「ひとことで言うと、江戸時代に戻ろうって話ですよ」 という批判的コメント付きで リツィートしている (参照)。どんなのかというと、こんな tweet だ。

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これは下に示す自らの tweet の続きとして書かれたもので、本来の順序としてはこっちから読む方がいいのだろう。

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Naoki Takahashi さんは、「夫婦別姓」 という問題から発して、「選択肢が多い方が幸せにつながるというのは嘘」 であると主張されている。つまりごくフツーの人々にとっては、選択肢なんて少ない方が親切なのだということのようだ。その根拠として 「スティーブ・ジョブスが常に同じ格好をしていたのがいい例」 としている。

しかしこれに対する反論は容易だ。スティーブ・ジョブスは確かに、いつも T シャツとジーンズで登場したわけだが、これは 「ビジネス・ピープルはバリッとしたスーツで登場するのが当然」 との 「常識」 に対するオルタナティブという意味があったことを、Naoki Takahashi さんは無視している。つまりジョブスは、実効的な選択肢を確実に一つ増やしたわけなのだよ。

もっと基本的なことを言えば、Windows 一辺倒の様相を呈しかけていた PC の世界に、ジョブスは Mac という別の選択肢を提供してくれたわけだ。そのおかげで私は今、Windows の呪縛から離れた世界で快適に PC を使わせてもらっている。

「Mac なんて使っているのは圧倒的少数派だから、そんなもの潰して Windows に統一してしまえばいいじゃないか」 と言われても、「いやいや、そうはいかないよ」 と言うほかない。Windows だけの世界なんて、考えるだにつまらない。

それから 「毎日何を食べるのか自分で考えるより美味しいものが自動的に出てくる方が良い」 というのも考えもので、それだと 「毎日まずいものが自動的に出てくる」 なんて境遇になっちゃう可能性だって当然あることも、Naoki Takahashi さんは無視している。毎日美味しいものを出してもらうことを選択できるのは、食い物選択の自由があればこそなのだがね。

人間は興味のある分野では豊富な選択肢の中から 「こだわりの一品」 を選びたがり、逆に興味のない分野では 「あてがい扶持でも一向に構わない」 と思うことが多い。問題は人間の意識は多様だから、人によって 「こだわり分野」 も千差万別ということだ。

私は自分では全然興味のない分野の選択肢に関しても 「少ない方がいい」 などとは決して言いたくない。自分にとっての 「こだわりのある分野」 の選択の幅が、誰かさんの意思によって強引に狭められたりしたら大迷惑というものだから。

【3月 18日 追記】

食い物の選択肢に関連して、14年前の 8月 8日に 「夫婦間の理解不能な言葉のやりとり」 という記事を書いていたことを思いだした。

妻の発する 「夕食、何が食べたい?」 という質問にどう答えたらいいか、「何でもいいよ」 ではあまりに愛想なしすぎるし、滅茶苦茶悩んでしまうというお話である。人間、本当に 「あてがい扶持で十分」 という分野があるものだが、それは妻の料理に対する信頼感があればこその話でもある。

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2019/03/04

「ハンドウォッシュ」 と 「ハンドスキッシュ」 という組み合わせ

この写真は、先日岡山に出張した際に泊まったビジネスホテルの、バスルームにあった手洗いセットである。石けんの方の商品名が 「ハンドウォッシュ」 で、それとセットの手指消毒剤の方が 「ハンドスキッシュ EX」 と、カタカナ的にはビミョーに韻を踏んでいる。

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両方とも 「KAO プロフェッショナル」 というブランドだから、花王の業務用製品なのだろう。それにしても 「スキッシュ」 なんて言葉は初耳 (この場合は 「初目?」) だから造語としか思えない。「手を消毒してスッキリする」 というような意味合いなんだろうが、日本のメーカーはこうした類いの 「雰囲気カタカナ言葉」 が大好きなようだ。

そういえば同じ花王の製品で "Biore" というのがあって、私はすっと 「バイオール」 かと思っていたら、ローマ字読みで 「ビオレ」 なんだそうだ。そのココロは、ギリシャ語の "Bios" (生活) と "Ore" (満ち足りた) の合成語で、「満ち足りた生活」 だという (参照)。こんなの誰も想像つかないよね。

私も前に使っていた Canon のインクジェット・プリンターのブランドは "Pixus" で、「ピクセル (pixel) を 私たちにもたらす」 というような意味かと思っていたが、実はもっと複雑な由来があって、こんなことらしい (参照

「pixel (ピクセル、画素)」 や 「picture (ピクチャー、写真)」 を意味して、音感が似ている点、「X」 は無限を表し、「US」 は your style とも言い換えられるなど、いろいろな意味が込められています。

いやはや、ここまで欲張ったネーミングだと、聞くだけでお腹一杯になってしまいそうだ。それにしても "US" で ”your style" とは、ちょっと無理があるような気がするがなあ。若いタレントが子細ありげに言いそうだけど。

既に有名なのは大塚製薬の 「ポカリスエット」 で、"sweat" は 「汗」 だから、誰もそんなもの飲みたがらないだろうというので、海外展開の場合のネーミングは "POCARI" だけにしているらしい。「いえいえ、『スウェット』 じゃなく、『スウィート』 です」 とでも言い張ればよかったのに。

もう一つ有名なのは 「カルピス」 で、"Calpis" を米国アクセントで発音すると "cattle piss" (牛のおしっこ) に聞こえちゃうので、米国市場では "Calpico" の商品名で展開されている。なぜか巷では 「米国では "cow piss" (雌牛のおしっこ) に聞こえる」 説が圧倒的だが、米国発音で "cal" と "cow" は似ても似つかないので、そのあたりよろしく。

(”これ、”gal” (ギャル)と “gown” (ガウン)の違いで、「ガル」 とか 「ギャウン」 では通じないと言えばわかるかな? それでもしっくりこない人は、下のコメントのやり取りをどうぞ)

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2019/03/01

遺影というもの

同い年の友人の通夜と告別式に、連続して列席した。親しい同年配の人間が突然死ぬというのは、心の痛むことである。

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ところで彼の遺影はなかなかよく撮れていて、見ているとこちらに何かを語りかけているようにさえ思えるものだった。正装だったから、多分彼の娘の結婚式の時に写したものだろう。それほど前のことではないから、本当に彼の生前の雰囲気をよく現していた。

それを見ながら、残された我々は 「俺たちもそろそろ遺影を用意しておかなければならないかなあ」 なんて話していたのである。仲間内には写真を撮られるのが苦手な者が多いので、いざ死んでしまったら遺影にするのに適当な写真がない。

そういえば父の葬儀の時も遺影にするのにまともな写真がなく、普段着で談笑している写真しか見つからなかった。結局のところは 「かえって人柄が偲ばれてよかった」 なんて言ってもらえたが、遺影にするにはカジュアルすぎたかもしれない。

私としても、最近は 「和歌ログ」 の更新のために毎日写真を撮っているが、自分の写真となると本当に少ない。何かの集まりで撮った集合写真ぐらいのものである。ただ集合写真というのは、顔は小さく映っているだけだから、遺影用に引き延ばすとかなりボケボケになってしまう。

ましてやこのブログのプロフィルに使っているのは、遺影になんかしようがない。何しろ大昔に出たばかりの頃の安物のデジカメで撮ったものだから、画素数なんて最低だ。無理矢理引き延ばしたら、それこそ幽霊みたいになってしまう。

というわけで、遺影用の写真は早めに確保しておく方がいいということになったのだが、ある友人が言うには、「この世は善良なやつほど早く死ぬことになってるから、お前はなかなか死にそうにないよ」 という話ではあった。

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2019/02/28

レジ袋の有料化は、個人的には歓迎

原田環境大臣が、「レジ袋の有料化を全国一律公平に行う」 という方針を明らかにした。早ければ来年中にも実施されるらしい。

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近所のスーパーではレジ袋はだいぶ前から有料化されていて、「マイバッグ」 を持つのが当たり前になっている。それに対してコンビニではレジ袋を付けるのが当然みたいで、暖かいものと冷たい飲み物を買った場合なんかは、下手すると 「袋、分けますか?」 なんて聞かれる。冗談じゃない。ただでさえレジ袋なんてもらうのはためらわれるのに、ことさらに罪の意識を倍増させないでもらいたい。

さらに言ってしまうと、「分けますか?」 と聞かれるようになったのはごく最近のことで、その前は当たり前のように レジ袋を 2つ使おうとしていた。私なんか慌ててそれを阻止していたほどである。

というわけで、個人的にはレジ袋の有料化は歓迎である。こちらとしては、常に 「マイバッグ」 を持っていればいいというだけのことだから、別に何の面倒もないし、余計なゴミも出さずに済む。

環境省によれば有料化の詳細は今後の検討に待つということで、「消費者への影響も大きいことから」 実現は早くても来年以降になるという。「消費者への影響」 が大きいなんて、考え過ぎというほかないと思うがなあ。

今日は友人の通夜に出席して疲れたので、これにて。

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2019/02/25

私は教師に何を言われようが、全然気にしなかったけどなあ

ネット上では、小学校の女性講師が指導に従わない児童に 「耳が聞こえないなら病院に行った方がいい」 とか 「障害者か?」 とか暴言を吐いたというニュースが注目されている (参照)。最近の教師はよほど言葉に気をつけなければならないようだ。

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当の女性講師は 「障害者か?」 とは言っていないとしているらしい。確かに 「耳が聞こえないなら病院に行け」 というコメントと 「障害者か?」 という文言は釣り合わない。後から尾ひれが付いた可能性もある。

ところで小学校時代の私は、教師には相当な 「悪童」 と認識されていたので、「障害者か?」 なんてものじゃない言い方をしょっちゅうされていた。もろに感情的な 「人格否定」 である。ただ私は何を言われても 「教師ってレベル低いなあ」 と思うばかりでちっとも傷つかなかったので、まったく取りあわなかった。気にするだけ馬鹿馬鹿しいと思っていたのだよね。

私の小学生時代は 「悪童」 とは言っても、ひたすら 「勝手な振る舞い」 をする子供だったというだけで、騒いで授業妨害をするとかいうわけではなかった。そんな馬鹿なことをするのは嫌いだったしね。ただ、それが教師の目にはかなり気に入らなかったらしく、親には 「授業中に勝手なことばかりして周囲に迷惑をかけている」 と伝えられていた。

ただ当時のクラスメイトに尋ねても、私が授業妨害をする子どもだったという認識はまったくなく、「授業中でもただひたすらマイペースな tak 少年」 と思われていただけのようなのだ。はっきり言って迷惑がっていたのは教師だけだったのだよね。よほど気に入らなかったのだろう。

「教師の目には気に入らなかった」 というのも、わからないではない。こう言っちゃナンだが、地方の公立小学校の授業のレベルって低すぎて、退屈極まりないので、つい勝手なことばかりしちゃうのである。そのくせ授業の内容にはきちんと聞き耳を立てていて、教師がうっかり誤ったことを言おうものなら 「先生、それ、違うよ」 とすかさず指摘して、授業中に何度も恥をかかす。これで教師 (とくに女性教師) に嫌われないわけがない。

というわけで、私は小学校時代から 「自分って、ちょっと変わった子なのかも」 と、十分に自覚しながら育ったのである。そう自覚してしまいさえすれば、教師に何を言われようが気にならないどころか、逆に 「励みになる」 ぐらいのものである。

こんな風な育ち方をしてしまったので、しっかりと授業妨害をしながら、「ちょっと変わった子扱い」 だけはされたくないという虫のいい子供と、その親の方が問題なんじゃないかと、炎上リスクまであるような極論コメントまで、ついしたくなってしまったのである。

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