カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1102件の記事

2019/01/21

松原団地の歴史に関するアーカイブが見つからない

先月 (ということは既に昨年) 23日付の朝日新聞 "「松原団地は歴史遺産」 開智高の研究が全国優秀賞" という記事にちょっと食指が動いていたのだが、この記事に載った以上の情報が見つからないので、ずっと書きそびれていた。

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「東洋一のマンモス団地」 と呼ばれた埼玉県草加市の松原団地の歴史について、開智高校の生徒がデジタル・アーカイブを作成してウェブ上で公開、その活動報告レポートが 第12回全国高校生歴史フォーラム」 で優秀賞を獲得したのだという。なかなか面白い試みをしたものだと思う。

どうしてこの記事が目に留まったのかというと、実は私は学生時代 (1970年代前半) に、この松原団地にある学習塾で講師のアルバイトを 2年以上続けたことがあったからだ。学習塾は団地の集会所を借りて、週 2回開かれていて、私は中学生に英語、国語、数学の 3教科を教えていた。とくに英語は教科書にとらわれないユニークな教え方をしていて、生徒たちには喜ばれていたと思う。

団地の最寄り駅は、当時は 「松原団地前」 といって、駅を降りると目の前には広大な団地が広がっていた。当時はこれが 「東洋一の規模」 とは知らなかったが、とにかく大規模なものという印象は強烈だった。

そして月に 1度ぐらいは、現場の集会所に着くとお通夜とか葬式とかが準備されたりしていて、学習塾は 「休講」 になることがあった。当時はケータイなんてなかったから、行ってみて初めてそれがわかり、すごすごと帰ったりしていた。団地内で人が死んでしまうとバイトの実入りが減ってしまうので、ちょっとガックリだったのを覚えている。

で、あまりの懐かしさに、開智高校の生徒がウェブ上に公開したという 「デジタル・アーカイブ」 なるものを見てみたいと思ったのだが、これが見つからないのである。「松原団地 アーカイブ 開智高校」 等々、思いつく限りのキーワードで検索したのだが、どうしても見つからない。朝日新聞って、どうして記事上でそのアーカイブの URL を紹介していないんだろうか。ちょっと気が知れない。

さらに開智高校のサイトに行ってみても、それについて触れた記述が見当たらないのである。ウェブ上に公開された研究成果が優秀賞をもらったというのに、それにアクセスできないのでは、意味が半減してしまうではないか。

要するに、「優秀賞受賞」 という実績が重要なのであって、その中身なんてどうでもいいと思われてしまっているのだろうか。そうだとしたら、なんだかなあという気がする。

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2019/01/15

成人式の日とその翌朝は、警察が忙しい

相変わらず 「平成最後のチョメチョメ」 が大流行で、昨日は 「平成最後の成人式」 のニュースで溢れていた。お約束ネタの 「大荒れ成人式」 もしっかり発生していて、横浜アリーナで壇上に乱入しようとする派手な羽織袴の勘違い成人が YouTube にアップされまくりである。時代だよね。

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この他にも大分県では、屋根を取っ払った定員 5人の改造車に 8人の新成人が乗って成人式会場付近を乗り回したなんてことがあったようで (参照)、何だか成人式というのは 「目立ちたがりがいろいろやっちゃう日」 ということになってしまったようだ。ただ、数年前まではもっといろいろやっちゃってた印象があるが、最近は少しは分別がついたというか、おとなしくなったもののようである。

多くの自治体では成人式を前日の 13日にやってしまったらしく、茨城県でもそんなところが多かった。で、その翌日の 14日は、前夜に飲み明かしてそのまま運転しちゃうことによる 「酒気帯び運転」 が多発するようで、昨日、自転車で土浦の 「りんりんロード霞ヶ浦コース」 を走った時も、途中の道路で決して目立ちはしないが結構な警戒体制が敷かれていた。

朝の 9時過ぎ、繁華街から郊外の自宅に戻るといった道筋に警官がさりげなく立っていて、いかにも飲み明かしたような感じとか、シートベルトを締めていないとか、そんなような運転者を見つけるとすかさず次の交差点で待ち受ける同僚に連絡する。連絡を受けた警察官は、やってくるクルマの前でホイッスルを鋭く鳴らし、旗を振って止まるように促す。

様子をみていると止められちゃうクルマは案外多く、常に 3〜4台がフーセンを膨らまされる順番待ちになっていた。多分県内各所でこんなような取り締まりが行われていたのだろう。警察もなかなか大変である。

それにしても私が 20歳になった 1972年頃というのは 「反体制文化」 真っ盛りで、成人式なんていう官製イベントにいそいそとでかけるなんてのは 「カッコ悪さの極み」 ということになっていた。親しい仲間に成人式に出席したなんていうのは 1人もおらず、そんなものに振袖着て参加する女の子なんて、こう言っちゃナンだが 「アタマ悪いんじゃねえの?」 なんて思っていたものである。

しかし時代は変われば変わるものだ。今や若い連中が抵抗なく成人式イベントに出席するという世の中になったらしく、聞くところによると 「同窓会イベント感覚」 なんだそうだ。ふぅん、自治体が開いてくれる 「同窓会」 に嬉々として、あるいは勘違いしまくりで集まっちゃうわけなんだね。

私なんか、成人式は和服業者の 「利権事業」 と思っているのだが。

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2019/01/13

「固有の文化」 と、クジラと改憲

古い友人が正月 7日を過ぎてから思い出したようにくれた年賀状に、「今年こそ憲法改正を実現させましょう」 とか 「これからはまた鯨が食えるのが嬉しいですね」 とかいう文言が添えてあった。彼は私のこのブログの存在を知っているはずなのだが、最近はとんと読んでくれていないらしい。

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憲法に関しては昨年の正月に書いた "当分の間 「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行きたい" という記事へのリンクを、上の画像のように本宅サイトのトップ・バナーのすぐ横に置いているし、クジラに関しては "日本政府は IWC 脱退を決めたようだが" という昨年末の記事で疑問を呈している。つまりこの 2つのイシューに関しては、昨年のうちに態度を明らかにしているのだ。

というわけで、彼とはここ数年顔を合わせていないが、今後はますます距離が開いてしまいそうな気がしている。風の噂では日本会議系の団体に入っちゃってるというし、何だか話が合いそうな気がしない。

既に何度か書いていることだが、私は牛肉と豚肉はここ数年避けているし、鶏肉も止めて 2年近く経つ。ましてやクジラに至ってはここ何十年も食べていないのに、IWC を脱退するからといって思い出したように食う気には到底なれない。

捕鯨推進派は 「鯨肉食は日本固有の文化」 とことさらに主張していて、日本政府は、社説で日本の IWC 脱退を批判したニューヨーク・タイムズに、そうした論拠での反論を掲載したらしい (参照)。確かに 「固有の文化」 は尊重されなければならないが、それを錦の御旗のごとく掲げて突っ走るのも、何だかビミョーなところがある。

そもそも、日本人の多くが昔から連綿とクジラを食うことに親しんでいて、それなくしては食生活が淋しくてしょうがないというわけでもない。MAG2NEWS は、「約 7割が売れ残る。それでも日本が捕鯨を続けざるを得ない裏事情」 という記事で、次のように報じている。

調査捕鯨の名目で捕獲された鯨の肉は市場でセリにかけても 3分の1しか落札されず、残りは売れ残ってしまうそうです。それが地元の小学校で給食として提供されているそうですが、鯨の肉には大量の水銀が含まれており (参照:鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について)、それを成長期の小学生の (ママ) 食べさせるのは非常に危険です。

さらに、私も一昨年に "そろそろ捕鯨を止めようじゃないか" という記事で引用した 「日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか」 (原文は "Japan and the whale") という BBC の記事を紹介し、日本の捕鯨に関する方針は、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちの意向が大きいとして、次のように書いている。

(行き詰まっている) 原子力発電や (時代遅れの) スパコン事業にも言えると思います。一旦、「国家プロジェクト」 としてスタートしてしまうと、作られた特殊法人 (=天下り法人) やそのプロジェクトに強く依存する事業者が出来てしまうため、霞が関の担当役人や特殊法人そのものが 「辞めましょう」 とは言えない空気が出来てしまうのです。

まあ、クジラをどうしても食いたいという人に 「絶対に食うな!」 とは言わないが、このあたりの事情も理解した上で、自分の食うものを決めても遅くはないだろうと思う。「固有の文化」 の尊重という点に関しても、日本は 「切腹」 や吉原などの 「遊郭文化」 を、即物的な観点からはとうの昔に捨ててしまっていることだしね。

しかしこれらは、廃止された今でも歌舞伎など (『仮名手本忠臣蔵』 四段目、六段目や、『助六所縁江戸桜』、『曽根崎心中』 を見よ) のフィクションの中で脈々と生き延びているし、クジラを実際に生々しく食わなくても、語り継ぐことは十分に可能だろう。文化というのは 「リアルでやめたらすぐに廃れる」 というような、そんなにも即物的で脆弱なものじゃないってことだ。

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2019/01/10

酒と脳の記憶に関する甘美な考察

本日付の Gigazine に 「アルコールが脳の記憶に影響するためアルコール中毒が生じている可能性」 というニュースがある。

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「確かに、飲み過ぎて記憶が飛んじゃうってこと、あるもんなあ」 と思いながら記事を読み進んだが、結局内容はよくわからなかった。言い訳をすれば、私の読解力が足りなかったわけじゃなく、この研究自体が途中段階にあるために、結論的なことまでは解明されていないということのようなのである。

イリノイ大学のチームによって行われたこの研究では、報酬や回避の記憶を作り出すときに出される信号の仕組みが基本的に人間と同様であるキイロショウジョウバエというハエを使って実験が行われたという。へえ、人間って、そのあたりの心理メカニズムはハエと同じなのか。

その結果、ハエがアルコールを好む原因が、ドーパミン受容体 (D2 様受容体) の発現に関わるシグナル伝達に影響を与える 「Notch たんぱく質」 にあることが判明したという。その たんぱく質が働くことで 「悪い記憶よりも良い記憶の方が保持されやすくなるのではないか」 とみられているようなのだ。

ということは、大酒を飲むことで 「都合のいい甘美な記憶が優先的に残り、否定的教訓につながる苦い記憶は忘れてしまいがち」 になるってことなんじゃないかと、私は自分なりの暫定的翻訳で解釈している。「酒に逃避する」 って、脳内のこうしたメカニズムで引き起こされる傾向なのかもしれないね。

酒と記憶という問題に関しては、同じ Gigazine の 昨年 10月 3日付の 「アルコールの飲み過ぎによって 『記憶が飛ぶ』 現象はなぜ起こるのか?」 という記事で報じられており、「飲酒による記憶障害は、記録用テープの途中が切れてしまうようなものです」 と説明されている。「なんだ、そんなことは昔から体験的にわかってたよ」 と言うほかない。

もう一つ、酒と認知症の関連についても、昨年 8月 3日付で 「中年期に 『お酒を飲まなかった人』 は認知症リスクが 『高い』 という研究結果」 という記事で触れられている。

この記事によると、中年期にまったく酒を飲まなかった人の認知症発生リスクは、普通に飲んでいた人より 45%も高いというのである。これは酒をまったく飲まなかった場合に、心血管疾患のリスクが高かったことによるとみられているらしい。

ただし飲めば飲んだで、飲酒量に正比例してリスクが高まり、「週あたりのアルコール消費量が 7ユニット増加するごとに認知症リスクが 17%増加した」 と報じられている。この場合の 「1ユニット」 とは、酒に含まれる純粋なアルコール 10ml を指す。

要するに 「お酒はほどほどに」 ということのようなのだ。この結論もまた、当たり前すぎて拍子抜けである。人間は神代の昔から酒を飲みつけているので、「酒との付き合い方」 は別に学問的研究によらなくても、経験則としてわかっていることが多いようなのだね。

ちなみに私は、最近ではめっきり酒量が減ったが、2000年代の初め頃まで (まさに中年期) は、酒を飲みながらブログを更新することもしょっちゅうだった (参照)。ただ、ブログ更新しながらということは、それほど大酒を煽っていたわけじゃないので、認知症リスクはさほど大きくないと思っていてもいいかもしれないね。人生、何が幸いするかわからない。

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2019/01/09

楽天カードは、なかなかシュールなカードであるらしい

昨年末に 「はぁ?」 というような tweet があった。亡くなった父親の楽天カードの解約を電話で申し入れたところ、「ご解約には必ずご本人様からご連絡を頂く必要があります」 と言われ、そのまま電話を切られたというのである。(参照

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楽天カードというのは、なかなかシュールなカードであるらしい。よほど見かけ上の会員数を減らしたくないのだろう。まあ、名義人がいなくなったのだから、その後はカードが使われることもなく、支払いも発生しないわけで、放っておいても実害はない。とはいえ、身内としては複雑な気分に違いない。

楽天カードといえば、私にも妙な思い出がある。5年ぐらい前に、「今、楽天クレジットカードを申し込めば、もれなく 1万円分の買物券プレゼント」 とかいう店舗でのキャンペーンに不覚にも乗ってしまって、サクサクッと申込書に記入したところ、なんとその場でカードを発行してくれた。買物券は追って郵送されるという。

ところがその買物券というのが、待てど暮らせど送られてこない。どうなっているのかと、一応電話で問い合わせるてみると、「そのキャンペーンは既に終了しました」 なんていう返事である。あまり馬鹿馬鹿しいので早々に電話を切った。

ああ、なるほど、その手があったわけね。自分の懐の痛む話は、さっさと終わっちゃえばチャラにしちゃえると思ってるわけね。楽天って、そういう会社だったのね。

というわけで、そんなカードは使う気になれず、決済用の銀行口座登録もせずに鋏で切って捨ててしまった。すると、あれから 5年も経つというのに、「銀行口座をご登録下さい」 というメールが毎月律儀に届くのである。こちらは他のカードで十分に用は足りているから、ずっと無視しっぱなしだが、私の名前は楽天カードの会員として登録されっぱなしなのだろう。

もしかすると、らびすけさんの亡くなった父君のメルアドにも、ずっと 「今月の決済額は 0円です」 というメールが届き続け、遺族によるメルアド解約後は、楽天側に毎月、「メールの宛先不明です」 として返送されるのだろう。もとより 「本人からの解約通知」 は不可能なのだから、この状態は永遠に続くのかもしれない。

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2019/01/03

年賀状の枚数を減らせないしがらみ

今年は年賀状を出す枚数を大幅に減らそうと思っていた。去年の年賀状は、一昨年の年末に 100枚弱を印刷して出し、年が明けてから、こちらから出していないのに届いてしまった分をプリントし直して、結局 120枚ぐらいの枚数になったから、今年はもっと減らすつもりだったのである。

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というわけで、念のために 100枚買って確保しておいたが、それを全部使うつもりはなく、年末にプリントしたのは、絞り込んだ末の 70枚程度だった。この年になると、亡くなってしまった親戚や知人も増えるし、滅多に顔を合わせることもなくなった勤め人時代の知人宛は、「もう、そろそろいいか」 ってなことにしたつもりだったのである。

「これで、年々枚数を減らしていける」 と思っていたのだが、いざ元日になると、「もう、今回はパス」 と思っていた昔の知人から相変わらず年賀状が続々と届くのである。仕方がないので、改めて彼ら宛をプリントし、投函した。正月 2日は年賀状配達はお休みのようだったが、3日目の今日、またしても新たな年賀状が届き、プリントの補充をする羽目になった。

というわけで、結局のところは昨年と同じ枚数とまではいわないが、100枚以上の年賀状を出すことになってしまっている。これ本当に、何とか減らせないものかなあ。

こう言っちゃナンだが、私は年賀状の枚数は抑えたいと思いつつも、中身は凝りたい方なので、コンビニで買ってきた子供だましみたいなデザインのもので済ますなんてことはしない。となると自然、毎年の年賀状を楽しみにしてくれる人も増えてしまい、ついほだされてさらにあれこれ考えて作り込んでしまうことになる。(下のバナーをクリックすると、これまでのコレクションが表示される)

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ところで、Yahoo ニュースに 「年賀状はアナログ時代の遺物!?~発行枚数減少でも CM 増が示す時代状況~」 という記事があり、それによると、年賀葉書の発行枚数は年々減少していて、日本人の 5人に 1人は 「年賀状を出さない」 という時代になっているらしい。そして 「出す」 という人でもメールや SNS で済ませる人がどんどん増えているようなのだ。

できることなら私も、ネットで済ませたいところだが、何しろ PC もスマホもできない (あるいは多少はできても、めったにチェックしない) 年配の親戚や知人が多くて、そういうわけにもいかないのが痛恨である。もう 10年も経ったら、「年賀状は完全にオンラインで」 ということにできると思うが、それまではシコシコプリントして送らなければならないだろう。

そして上述の記事には 「年賀状を出す理由」 という調査結果が載っていて、それによると 「日頃の感謝: 42%、なんとなく習慣: 34%、義務感 (本当はやめたい): 24%」 となっている。これ、実際には単純に割り切れるものではなく、1人の人間でも出す相手によって、これら 3つの理由が錯綜してしまうと思う。

年賀状の宛先のうち、「なんとなく習慣」 のうちの半分と 「義務感 (本当はやめたい)」 の全部を 「もう出さない」 と決めてしまえば、年賀状プリントもずいぶん楽になると思っていたのだが、今回それを実行してみても、結局先方から届いてしまうので、お返しみたいに書いちゃうことになるのだよね。

このしがらみは、なかなかスッキリとは行かないものである。

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2019/01/01

恭賀亥年の山くじら

明けましておめでとうございます。恒例により、新年の年賀状画像をお届けします。今年もよろしくお願いいたします。

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(ここから、いつもの調子)
今年は亥年ということで、動物はイノシシが当てはめられている。ただ私はどういうわけか、ナマでイノシシを見たことがまだない。十二支の中でナマの姿を見たことがないのは、自分の干支の辰と、イノシシだけである。まあ、辰をナマで見られないのは当たり前だが。

とはいえイノシシは足跡だけなら何度も見たことがあり、単に直接見たことがまだないということのようだ。茨城県はちょっと田園地帯に脚を伸ばせば、イノシシはいくらでもいるもののようで、田畑をイノシシに荒らされて困っている農家の人は多い。

ちなみに 12年前の亥年の元旦には、「猪」 という漢字は、本家本元の中国では 「ブタ」 のことを指すというウンチクを書いている (参照)。確かに、気合いの入った中華料理店のメニューで 「猪肉」 と書いてあるのは 「豚肉」 のことだものね。

賀状にフィーチャーしたのは、歌川国芳の役者絵。右は六代目坂東三津五郎、左は五代目瀬川菊之丞である。天保 2年 11月の顔見世芝居で初代沢村訥升 (後の五代目沢村宗十郎) 襲名披露のだが、演目不明。この絵の左に肝心の訥升が描かれているが、猪肉をさばいている場面のため、肉を食わない私としては、悪いけど省いた。

天保年間といえば、私が修士論文で書いた七代目市川團十郎の頃で、なんだか妙に親近感を覚える。芝居の演目は 『歌舞伎年代記』 という本で調べればわかるはずだが、この辺りの図書館には置いてないだろうなあ。論文を書いた頃に入り浸った早稻田大学の演劇博物館にはどさっとあるけど。

絵の看板にある 「御ぞんじ 山くじら」 の 「山くじら」 というのは、「猪肉」 (イノシシの肉) のこと。獣肉ということをあからさまにしないために、「牡丹」 とか 「山くじら」 とか言っていた。ちなみに鹿の肉を 「紅葉」 ということもあるので、その由来は花札の絵札にあるという人もいるが、それは信憑性が低い。牡丹の絵札は 「蝶」 で、猪が描かれているのは 7月の 「萩」 の札だし。

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「くじら」 にしても 「獣肉」 には違いないのだが、江戸時代の知見では 「やたら大きな魚」 みたいに考えていたのだろうね。そして日本は今年、クジラを食うために IWC を脱退するのだそうだ。今度はクジラの方が 「海いのしし」 みたいなことになっている。

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2018/12/31

今年は 25都道府県に旅した

今年も年初から大晦日まで、つつがなくブログを更新し続けて終わろうとしている。年の瀬の 3日間の関東は妙に天気が良く、空が澄み渡っている。

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大晦日のネタとして、今年の個人的十大ニュースでもまとめてみようかと思っていたが、いざ手を付けてみると、ニュースと言えるほどの変わったことは何も起きなかった。ただ毎日を淡々といつものように過ごしてきただけである。

ただ、今年も仕事で北海道から九州まで、よく旅した。この1年間の一泊以上の旅先を都道府県別にまとめてみると、こんな具合である。

広島県 【3回】

群馬県、山形県、京都府、奈良県、福岡県 【各 2回】

北海道、青森県、宮城県、福島県、石川県、滋賀県、大阪府、
和歌山県、兵庫県、鳥取県、佐賀県、長崎県、熊本県 【各 1回】

こうしてみると、一泊以上の旅を 1年間で 30回もしている。この他に、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、栃木県への日帰り出張を 10回以上しているから、ほぼ 1月平均 4回の旅をしてきたことになり、行った先は 25都道府県に及ぶ。

出張の回数で言えばもっとずっと多い人もいるだろうが、行き先が 1年で 25都道府県というのは、かなり多い方だろう。3年前に全都道府県制覇を果たしている (すべての都道府県で一泊以上という条件もクリア) が、こんなペースで旅して来たので、今では全都道府県に 2回以上旅しているという記録まで作ってしまった。

それにしても、夏の間はとてつもなく暑かったなあ。よくまあ夏バテもせず乗り切ったものだ。それに、寒の最中に北海道の旭川に行ったりもしたし、今年直に体験した寒暖差は、45度以上だったはずで、確実にこれまでの人生で最大だ。

来年も 「旅人暮らし」 は続く。旅が元気の源のようなものだ。

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2018/12/23

何度も言ったことだけど、「サンタクロースは、本当にいる!」

明後日はクリスマス。そして明日の夜はクリスマス・イブである。毎年この時期になると、私の本宅サイトのあるページへのアクセスが急に増える。今年も既に結構増えている。

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それは "サンタクロースは本当にいる! クリスマス・イブは 「大きな愛」 を知るチャンス" というページだ。その内容は上のリンクをクリックして見てくれればいいのだが、まあ、ざっと言えば、実際にプレゼントをくれるのはお父さんやお母さんだが、ただしそれは、「本当のサンタクロースの代理人としてなんだよ」 ってことだ。

お父さんやお母さんは、クリスマス・イブには本当のサンタクロースの大きな愛を子どもに教えるために、その代理人となってプレゼントをくれるのだ。ということは、本当のサンタクロースは、お父さんやお母さんを通して、大きな愛で包んでくれるのだ。

そして、その 「本当のサンタクロースって誰?」 ってことは、上のリンクをクリックすればちゃんと書いてある。このページは、「サンタクロース 本当にいるの」 というキーワードでググると、つい最近まではずっとトップとか 3番目とかのポジションにあったのだが、さっき確認したら、8番目になってしまっていた。うーん、ちょっと口惜しいかも。

いずれにしても、メリー・クリスマス! これはこれまでも、何度も、いろんな言い方で言われてきたことだけどね。(これは "The Chrismas Song" の、ちょっと泣かせる歌詞)

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2018/12/06

トランプのヘアスタイルと、長すぎるネクタイ

いつも気にかかっているのだが、この際、ぶっちゃけで書いてしまおうと思う。トランプのあのヘアスタイルと長すぎるネクタイは、悪趣味すぎるということだ。フツーの感覚だと 「ウケ狙い」 のお笑いレベルとスレスレなんじゃないかと思うのだよね。ということは、素直に笑ってあげればいいのか。

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既に娘のイバンカが吹聴しまくっているらしいが、トランプのヘアスタイルは 「カツラ」 なんかじゃなく、無理なハゲ治療の失敗を、いろいろ撫でさすったり、無理に流したり、固めたりという作業でごまかした結果というのである (参照)。結構手間暇かけているようで、まったくもってご苦労なことなのである。

ノンフィクション作家のマイケル・ウルフによる暴露本 "Fire and Fury: Inside the Trump White House" (炎と怒り、トランプ政権ホワイトハウスの内幕) には、次のように記されているという。

トランプは1980年代にはげ治療の一環として頭皮縮小法という手術を受けたが、これがいけなかった。毛のない部分の頭皮を除去し、そこに毛の生えた部分の頭皮を引き伸ばすことではげている面積を小さくする方法だが、英テレグラフ紙によるとトランプは術後に毛流れが不自然になってしまった。頭全体の髪の毛は同じ向きで毛先は1カ所に。そこをヘアスプレーで固めているそうだ。

要するに、余計なことをしたせいで、さらに余計な手間をかけなければならなくなってしまったということのようなのである。そしてお膝元の米国ではこれを下の動画のように素直に、「お笑いネタ」 として受け取ってあげることが一般的になってきているみたいなのだ。

さらに目立つのは 「ネクタイ」 である。彼の場合、ほとんど赤と青の 2色のネクタイしか締めないようで、青は 「冷静に行こう」 というアピール、赤は 「俺はやるぜ!」 という戦闘性のアピールとして使い分けているとみられる。色彩心理学の応用としては、単純すぎて笑っちゃうほどのものだ。

そして特徴的なのが、そのネクタイの長さである。ネクタイって 「男権性の誇示」 という無意識の現れとも言われているが、彼の場合はその単純な無意識性をさらに単純化して誇示したがるという、「究極の単純さ」 を遺憾なく現している。そして当然ながら、これもお笑いネタにされているわけだ。こんな風に。(参照

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彼の政権が実害が大きくなりすぎないうちに早く終わって、後になってから 「あれは要するに 『悪趣味なお笑い』 だったんだね」 と語れる時代になってもらいたいものである。そして太平洋のこっち側の安倍政権も。

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