カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の996件の記事

2017/11/16

仕事用名刺から固定電話番号を外した

私はいつまでもぐだぐだとフリーランスとして仕事をしていて、一応自宅をオフィスとして使っているのだが、このほど自分の名刺から固定電話番号を削除して、住所の他はケータイ番号とメルアドだけにした。

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ちょっと前までは FAX 兼用電話を使っていて、名詞にも "TEL & FAX" としてその番号を表示していたのだが、最近 FAX を取り外して小さな固定電話だけにしたので、この表示自体が具合悪いものになっていることに気付いたのである。(参照

で、「& FAX」 の文字を削除するだけに留まらず、「いっそのこと、まるごと消しちゃえ!」 とばかりに、「電話はケータイに一本化」 ということにしたわけだ。電話で伝わりにくい面倒くさい話は、FAX ではなくメールでお願いすることになる。

「FAX がないと、不便だろう」 と言われることがまだあるが、そんなことはない。大抵のことはメールで事足りるから、事実この 2年以上 FAX なんて使ったことがない。今どき仕事上で 「FAX でないと困る」 なんて言い出すような相手は、とても安心して付き合えないし、インターネットの使えない個人相手だったらとくに急ぐこともないから郵送すればいい。

3年ぐらい前までは、両親の世代の親戚が固定電話にかけてきていたが、彼らのほとんどは既にあの世に行ってしまい、その子どもの世代は大抵ケータイで連絡を取り合っている。フリーランスの身としては、仕事上の通話もほぼ 100%ケータイだし、固定電話を使うことはほとんどない。

時々固定電話にかかってくるのは、99.9% がアヤシい営業電話か選挙の投票依頼なので、最近は出ないことにしている。大事な仕事の話なら、初めからケータイにかかってくるので、それで全然不都合はない。

じゃあどうして何時までも固定電話回線をもっているのかといえば、インターネット回線とセットで契約してしまってあるので、いつまでもそのままになっているだけだ。そのうち取り外してしまうことになるかもしれない。

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2017/11/08

アリナミン V の CM は、「雰囲気のもの」 でしかないのね

クルマを運転していると、アリナミン V というドリンク剤の CM がかなり頻繁に流れる。で、この CM が、なんだかよくわからないのである。

この手の CM というのは、本当によくわからない。今年 5月にも同じアリナミン V 関連で、 "「医薬部外品だから効くんだ」 という CM にビックリ" という記事を書いた。「医薬部外品」 というのは 「医薬品」 に準ずるものというのがフツーの常識だろうから、いきなり 「医薬部外品だから効くんだ」 なんて言われると、「じゃあ、医薬品は効かないのか?」 と言いたくもなる。

今回は 「ビタミン B1 誘導体フルスルチアミン?  ビタミン B1 より吸収されやすいんだ!」 というバージョンである。いきなりそんなことを言われても、「ビタミン B1 誘導体フルスルチアミン」 というものがさっぱりわからないこちらとしては、「そんなわけのわからんものより、ビタミン B1 が欲しいんだよ。吸収されやすいからといって、それがどうした?」 と言いたくなってしまう。

よく調べれば、この 「フルスルチアミン」 というのが吸収されてビタミン B1 に変わるみたいなことになるらしいのだが、スポット CM ではそこまで説明されないから、単なる 「雰囲気のもの」 で終わってしまう。テレビで見ている分には、映像でごまかされてしまうことになるのだろうが、ラジオだと音声だけなので、かなりの違和感なのである。

まあ、要するに 「効いたような気がしてくれればいい」 というようなものなのだから、「雰囲気のもの」 で十分なのかもしれないけどね。

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2017/10/29

高校の 「髪の黒初め強要」 問題

例の大阪府立高校の 「黒染め強要で不登校」 問題って、昨日まではお話にならないほど馬鹿馬鹿しすぎる話だと思ってスルーしていたのだが、遅ればせながらちょっとだけ書いてみることにする。髪の毛の 「黒初め強要」 なんてのは、今の世の中であってはならない人権侵害で、これで 「以上、終わり」 としたいところだが、問題の根はもうちょっと深いらしい。

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ウチの 3人娘が高校生だった、遙か 12〜3年以上前は、「地毛証明書」 を提出しろなんてことを言われた覚えがないので、「黒初め強要」 なんていう馬鹿馬鹿しい制度がいつ頃から始まったのか知らない。いずれにしても茶髪に染める生徒が増えだして以後のことなんだろう。茶髪にしたがる生徒がいなければ、そもそもこんな話も発生しない。

問題は、茶髪に染めたがる生徒の一部 (あるいは多く?) が、どうやら素行に問題ありと言われるようなタイプであることのようだ。この点に関しても私としては少々疑問があって、「茶髪はイケないこと」 と決めつける学校側の態度が、必要以上に彼ら、あるいは彼女らを 「素行不良」 の側に追い込んでいるのじゃないかと思う。「髪の毛の色なんて、別にどうでもいいじゃん」 と言う方が、実は健全だと思うのだよね。

実際問題としては、似合いもしないくせにことさらな茶髪に染めているのは、「私は結構 DQN です」 と自己宣伝しているようなところがあって、放っておけば自然に落ち着くところに落ち着く。どうせ就職の時期になれば、黒く染め直すことになってしまうんだろうし。

つまり最近の高校の茶髪問題は、生徒側と学校側がコラボして作り上げた 「窮極の馬鹿馬鹿しい世界」 としか言いようがない。生徒側は 「手間暇かけても、カッコよく茶髪にしたいのよ!」 とこだわり、学校側は 「黒髪以外では、教育に差し支える!」 とこだわる。どちらのこだわりも、はっきり言ってレベルが低すぎる。

低レベルのこだわりがぶつかり合って、問題を必要以上にややこしくしているのだ。「そんなこと、こだわらなきゃいいじゃん」 って話なのだが、どうしてもこだわりたいんだろうなあ、お互いに。

問題をますます馬鹿馬鹿しいものにしているのは、元々髪の毛の色が黒くない生徒に対してまで 「黒く染めろ」 だのと馬鹿なことを言い出す学校側の 「こだわり過剰」 な態度である。これは 「学校というのは、こんなにも下らないものですよ」 と自己宣伝して、自らの権威を落とす行為としか言いようがない。多様性を認めないところに、まともな教育なんてあり得ない。

件の高校は 「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」 なんてことまで言ったと伝えられるが、そんなことを言う方がずっと教育に悪いということに、どうして気付かないものだろうか。これで訴訟を起こされたら、学校側に勝ち目はない。

ちなみに 「地毛証明書」 なんてことを聞いて私は、「そんな証明書、どこで発行してもらうんだ?」 と思ったが、なんと、親が署名捺印して提出するんだそうだ。これには笑ってしまったね。そんなことなら、初めから全員が 「ウチの子は生まれつき茶髪です」 として提出すればいい。完全に真っ黒な髪なんて、案外少ないんだから。

証明書の内容の真偽判定なんて、学校の機能にはないし、仮に虚偽の証明書を提出しても、「私文書偽造」 で告発されるなんてことはないだろう。ということは、こんなのは単に紙とインクと労力の無駄遣いである。

今回の告発を機に、こんなような馬鹿な話は学校から根絶されることを期待するが、実際には 「生来の髪の毛の色によっては、黒初めを強要しない」 なんて、さらに細かいところに落とし込まれてしまい、ますます話が馬鹿馬鹿しくなってしまうんだろうなあ。

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2017/10/25

漫画 『桜田です!』 が好きだ

下の画像は、「漫画」 という 1語で、Google の画像検索をしてみた上位の結果である。私のような 「昔の漫画ファン」 からみると、絵が黒っぽすぎて、つまり、線が多くてコントラストが強すぎて、疲れてしまう。

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私は少なくとも 30代後半までは漫画が好きだった。ところが今では毎日新聞朝刊に連載されている、いしかわじゅん作の 『桜田です』 しか読まない。要するに、いしかわじゅんさんの画風がほとんど唯一受け入れられるものになってしまったのだ。

1710242 いしかわじゅんさんの漫画は、左にあるように、白っぽい、つまり線が少ない。シンプルなのである。これ、私が子どもの頃から親しんだ漫画にとても近い雰囲気なのだ。

私は本当に小さな子どもの頃から結構な漫画ファンで、さすがに 『のらくろ』 までは遡らないが、前谷惟光の 『ロボット三等兵』山根赤鬼の 『よたろうくん』 (双子の兄の、山根青鬼の方は、残念ながらあまり記憶にない)、わちさんぺいの 『ナガシマくん』 などを、とても楽しみにして読んでいた。リンクをクリックしてみていただければわかるが、どれも単純な線の呑気な画風である。

そしてその後に登場した真打ちが、赤塚不二夫大先生である。『おそ松くん』 と 『天才バカボン』 は、記念すべき金字塔で、とくに 『天才バカボン』 は私の人生に少なからぬ影響を与えたといってもいいほどのものだ。

そしてその頃から登場していたのが 「劇画」 というジャンルである。『ゴルゴ 13』 なんかがその代表格とされていて、一時一世を風靡したが、今となっては 「劇画」 というのはすっかり死語になってしまった感がある。

ただ、「劇画」 は死語になってしまったが、今の漫画の多くは 「劇画風の漫画」 とか 「劇画の影響を受けた漫画」 と言っていいもののように思われるのだ。何しろ、絵が黒っぽくて線がやたらに多いというのは、どうみても劇画の影響としか思われない。

というわけで、私は毎日 『桜田です!』 を読むのを楽しみにしていて、密かに 「聖なるサクラダ・ファミリア」 と読んでいるほどなのである

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2017/10/23

「排除」 と 「シカト」

今月 19日の "「排除の論理」 への反発って、一体何なんだろう" という記事で、私は希望の党の小池さんの 「排除発言」 への反発について、ちょっと情緒的すぎるんじゃないかという疑問を呈しておいた。そしてその疑問はまだくすぶったままなので、改めてもう一度書いてみようと思う。

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「排除」 という言葉そのものは、「良い言葉」 でも 「悪い言葉」 でもない。ニュートラルなもので、それをニュートラルなままで使ったり善悪の意味を込めたりするのは、使う人間の側である。で、小池さんが 「排除」 という発言をした場面では、当人としては完全に 「ニュートラル」 な意味で使っていたように思う。その場面を、日刊スポーツの記事から引用してみよう。(参照

質問で引用された、「(民進党議員は)公認申請すれば排除されない」 という前原誠司氏の言葉に反応し、「排除されないということはございません。排除いたします」 と発言。すぐ 「絞らせていただく」 と言い直したが、戦略を持って言葉を発する小池氏らしくない対応だった。

小池さんは関西学院大を中退してカイロ大学に留学したという経歴の持ち主で、アラビア語ができて、英語も結構堪能だ。それだけに 「排除」 という言葉を、つい英語の "exclude" 的に論理的な意味で使ってしまったという印象である。"Exclude" は、単に "include" (包含する) の対義語で、ことさらなまでの情緒的な意味はない。

ただ、さすがに 「排除いたします」 ではきつく受け取られてしまうかもしれないと思ったのか、「絞らせていただく」 と言い直しているが、日本人の心情には 「排除」 という言葉がぐさりと突き刺さってしまったようなのだ。日本語というのは本当に過度にセンチメンタルな言葉で、論理を語るのに向いていない。

前述の 19日の記事でも書いたように、この件だけに限って言えば、民進党議員を最大限に受け入れてしまったら、後になって内部分裂のタネになるに決まっているのだから、そんな危険は避けて当然なのだ。ただ、「排除」 という言葉が妙に一人歩きしすぎただけとしか思われない。

日本人のメンタリティというのはとても情緒的な 「身内主義」 で、「仲良しこよし」 が大好きなので、「排除」 というのは好まない。ただ好まないのは 「意識的な排除」 であって、実は日常的には、「異端的なもの」 を 「無意識的に排除」 している。無意識のものだけに、自分でそれに気付いていないだけだ。

なにしろ、ちょっと毛色の変わった人間は仲間に入れてもらえないのである。「シカト」 という行為が 「いじめ」 の最大要素になっているぐらいのものだ。「排除」 という言葉に過剰反応しまくる人こそが、普段は 「多様性」 を認めず、ちょっと変わったやつをシカトしまくる人なんじゃないかと、私は疑っているほどなのである。

ただ。小池さんと希望の党に関しては、私は別の視点からとっくに見切りを付けているので、これ以上の弁護をしようとは全然思わない。

それから最後に、ちょっとだけ触れておくが、例の日刊スポーツの記事の見出しは 「天敵フリー記者指名で……」 となっているが、これを見たとき私は 「天敵を排除した記者会見での指名」 なのだと思った。「デューティフリー」 が 「免税」 で、「スモークフリー」 が 「タバコの煙に悩まされない」 という意味なのと同じと思ったのである。

ところがこれは 「天敵であるフリー記者を指名」 という意味のようで、それだとまったく意味が逆だ。このあたりも日本語感覚と英語感覚の違いで、ちょっとコワいところである。

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2017/10/21

最高裁裁判官が、ほとんど同年代のオッサンだった

衆院選と同時に、最高裁裁判官の国民審査というのがある。そんなことを言われても普段そんなところの裁判官なんて意識したことがないから、判断の材料に乏しく、新聞と一緒に届けられる 「広報」 というのを読むしかない。

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というわけで、先日期日前投票をする前に、一応広報に目を通してみた。よくわかったというわけじゃないが、総選挙の定数に関して政府寄りの 「違憲とは言えない」 なんて判断を示したという 3人には、×印をつけさせていただいた。そのせいで罷免されるなんてことはどう転んでもあり得ないだろうけど、自分なりの 「落とし前」 である。

で、この広報を読んでいて驚いたのだが、今回の国民審査の対象となる 7人の裁判官が、全員私とほとんど同年代なのだ。具体的には、1つ年上が 3人、タメが 2人、1つ年下と 2つ年下がそれぞれ 1人ずつである。次の国民審査では多分、「なんだ、全員年下じゃん!」 ってなことになるだろう。

最高裁の裁判官というのは、いろいろなところでキャリアを積んだ末にたどり着く終着駅みたいなもので、要するに 「じじいばっかり」 だと思っていた。それがなんと、ほとんど全員同年代というのだから、複雑な思いがしている。

そして、というか、ところがというか、広報に載った顔写真をみると、全員が結構な 「じじい顔」 なのである。生年月日のデータを見なかったら、5〜10歳ぐらい年上と思ってしまうところだった。これじゃあ、一緒に酒を飲んでも話が合わないだろうなあと思ってしまったのである。

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2017/10/18

高速道路上の 「煽り」 問題を、ちょっと別の視点から

高速道路上で注意されたことに腹を立て、さんざん相手の車を煽った挙げ句に、こともあろうに追い越し車線上で無理矢理に停車させ、追突をくらって死亡事故につなげてしまった事件が話題を呼んだ。この関連で、"「あおり運転」 摘発、7625件=昨年、9割近くは高速上 - 警察庁" という事実がニュースになった。

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1年で 7625件が摘発されているというのだから、平均すると 1日 20件ぐらいが摘発されているわけだ。多いような少ないような、ちょっと複雑な数字である。

その一方で、日本自動車連盟 (JAF) が昨年 6月に実施したインターネット調査によると、運転中に後方からあおられることが 「よくある」 との回答が 7.9%、「時々ある」 が 46.6%にのぼった。半数以上が 「煽られ経験がある」 と答えたわけだ。(参照

この数字も、かなりビミョーなものだと思う。私の印象では、「煽るクルマ」 が必ずしも一方的に悪いのではなく、「煽られるクルマ」 の方も追い越し車線を不必要に塞ぐというマナー違反をしている場合が案外多い。後ろで急いでいるクルマが、ついジレてしまって車間距離を詰めてしまうというケースもみられるのだ。

で、上の調査で 「煽られたことがある」 と答えたドライバーは、「煽られている」 と気付くだけマシだと感じる。煽られていると気付いたら、左側の車線に移るなりして危険を回避できる。一方、「煽られた経験がない」 という回答の中には、実際には煽られているのに、それに気付かないドライバーの回答もかなり含まれると思う。

そうしたドライバーは周囲に注意を払わないので、自分が追い越し車線を不必要に塞いで通行を妨げているという自覚がない。そしてバックミラーなんか滅多に見ないので、煽られていることにも気付かない。(バックミラーは 「化粧確認用」 だから、自分の顔が映る角度に設定してあるという恐ろしい女性ドライバーを、私は何人も知っている)

実際に高速道路を走っていると、後ろから散々煽られていることに気付かず、ゆっくりと追い越し車線を走るクルマを時々見かける。「早く走行車線に戻ればいいのに」 と思うのだが、そうしたクルマのドライバーは、「一番右の車線は追い越しのための車線」 というルールを知らないかのように、そのままいつまでものんびり走り続ける。

そうしたドライバーがいると、高速道路上は時々、上の写真のようになってしまう。こんな場合私は 「煽り」 なんていうムダなことはせずに、一番左の走行車線をスイスイ走って団子状態から脱出することにしている。日本の高速道路では不思議なことに、3車線のうち左側がガラガラに空いていて、右側 2車線が密集状態というケースが多いのだ。

この現象に関しては、私の本宅サイトで詳しく論じているので、興味があったらのぞいてみていただきたい (参照)。

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2017/10/16

「物知り」 は、ものを知らない

世の 「読書家」 と言われる人は、ベストセラーと言われる書籍を読まない。「物知り」 と言われる人は、世間の誰でも知っていることを知らない。

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私はありがたいことに仲間内では 「物知り」 扱いされているが、若いおねーちゃんなら誰でも知っているテレビ・タレントの名前、流行りの歌、朝の連続ドラマなどはさっぱりわからない。とくにお洒落な食べ物の名前に関してはほとんど知らない。周囲には、カタカナ名前の食べ物はラーメンとカレーライスしか知らない人と思われている。

上の写真は、フツーの若いおねーちゃんたちがよく知っていて、フツーのオッサンたちがさっぱり知らない分野である。テレビに出てくるアイドル、舌の回らない名前の洋食、そしてなんたらかんたらいうケーキという分野だ。はっきり言って、みんな同じに見えてしまうのだよね。

ところが私は、同年代のオッサンたちなら誰でも知っていることも知らない。ゴルフのルール、小難しい病気と薬の名前 (「サロメチール」 と 「葛根湯」 以外よくわからない)、株式関連の用語、クルマの車種などは、何が何やらチンプンカンプンだ。

「そんなことも知らずに、よく生きていけるね」 と言われるほどだが、私としては、そんなことを知っている方がずっとストレスになると思っている。病気と薬の名前に妙に詳しいのは、医者か病人である。知らずに済んでいるのは健康なればこそで、ありがたいことである。

ただ、いわゆる 「お洒落」 の分野はさっぱりわからないかというと、そういうわけでもない。私はその昔、ファッション関連の記事を書いていたほどだから、そっち方面の知識は結構豊富である。ただ、自分自身がことさらファッショナブルな格好をしないというだけだ。

要するに人間は、自分の興味のある分野、生きていくのに必要な分野、そしてメシの種になる分野の知識しか吸収できないもののようなのである。私自身も、興味がなくて、知らなくても生きていけて、メシの種になるわけでもない分野の知識は、何度教えてもらってもすぐに忘れてしまう。

とくにケーキの名前なんて、チーズケーキとイチゴショート以外は、30分と覚えていられない。

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2017/10/15

父の七回忌

父の七回忌のために、一泊二日という強行軍の帰省をし、たった今戻ってきたところである。山形県はほんの時々霧雨が舞ったが、その合間に青空ものぞいたので、まあ、まずまずの天気だった。写真は奥羽山脈を越える山形自動車道の風景である。

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父の兄弟は既に全員あの世の人となり、妹 2人 (つまり私の叔母) がまだ生きているが、体はガタガタで法事に出席できるような状態ではない。仕方がないので、私と妹の二家族のみで執り行った。さらにお寺の和尚さんも 80歳を過ぎて、4ヶ月の入院から生還したばかりというので、田舎はもう、年寄りばかりの世界である。

再来年は母の十三回忌となる。わずか 2年後とはいえ、田舎の状況はどんなことになっているだろうか。まさに諸行無常である。

昨日と今日、合計 14時間のクルマの運転で疲れたので、これでおしまい。

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2017/10/14

好きな食べ物を最後までとっておくと

前にも何度か書いているが、私は食べ物の好き嫌いがない。「好きな食べ物」 はいくつも挙げられるが、「嫌いな食べ物」 を挙げろと言われたら途方に暮れてしまう。だって、そんなものないのだから。

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どうして人によっては食べ物の好き嫌いを言うのかということに関して、私は好き嫌いを言うのは心の安定を得るための代償行為なのだろうと推定したことがある (参照)。で、私はその類いの代償行為を必要としていない。好きだの嫌いだのと面倒なことを言うより、さっさと食っちまう方が話が早くて楽だと思っている。

ただ、食べ物に関しては 「好き」 と 「フツー」 しかなく、なんでも淡々と食ってしまうことに関しては、余計なリスクの伴うことがある。とくに好きでもないものが好物だと誤解されてしまうのだ (参照)。それで最近は、本当においしいと思ったらきちんとそれを表現するようにしている。

思えばそんなようなことは、子どもの頃からよくあった。母が 「今日の夕食は、お前の大好きな〇〇だよ」 とか言って、別に好きでもないものを食卓に並べるのである。せっかくだからと気を使い、いかにもおいしそうに食べる。すると 1週間もするとまた 「お前の大好きな……」 と、同じものが並ぶ。別に嫌いってわけじゃないからいいのだが、「どうしてこれが好きと思われてるのかなあ」 と、長らく疑問だった。

これ、「好きな食べ物は最後まで取っておいて、とくに好きじゃないものから先に片付ける」 という、私の食べ方流儀による誤解なのだと、よほど後になってから気付いた。先にどんどん食べてしまうものだから、母親としては 「これは息子の大好物なのだな」 と誤解してしまったのだろう。そして最後まで大事に取っておく本当の大好物は、「できれば食べたくないもの」 と思われてしまうようなのだ。

というわけで、私の 「好きじゃないものから先に片付ける」 というのは、食べ方としてだけでなく、生き方としても 「ちょっと損」 なものと思っていた時期がある。好きなものから無邪気に手を付ける方が、自分の好みがストレートに伝わるのだから、それは自然な考えだ。

しかし今は、好きなものを親に誤解してもらったお陰で、「いろいろな食物をバランス良く食べることができた」 というだけでなく、「つべこべ言わずに、誰とでも分け隔てなく接する」 という態度が身についたと思っている。つまり結果的には、好きなものばかり与えられるよりずっとありがたいことだった。

「好き嫌いを言う」 というのは、やはり結果的にはマイナス勘定になるのだね。

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