カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2019/07/07

永六輔さんの祥月命日が本日である理由

今日は 7月 7日。新暦の七夕だが、あの永六輔さんの祥月命日でもある。3年前のこの日、永さんが亡くなったというニュースを聞いたときは、ちょっとショックだった。

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「六輔なのに、7月 7日?」 と思った途端に、ふと気がついた。永さんには 『坂本九ものがたり: 六・八・九の九』 という著書がある。「六・八・九」 というのは、「永六輔、中村八大、坂本九」 を表しているが、もしかしたら自分の命日を 「七並び」 とすることで、欠けた 「七」 を埋めようとしたんじゃなかろうか。徳の高い人は、死ぬ日を選べるのだよ。きっと。

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実は私は、永六輔さんから直筆の絵葉書をいただいたことがある。その時のことは、「ミスター・ボージャングルの正体」 という 13年近く前の記事で書いているので、興味のある方は読んで戴きたい。絵葉書は署名の 「六」 という文字が判子になっているのが洒落ている。(下に再録しておく)

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とにかく洒落のお好きな方だったから、自分自身の命日も洒落てみたのだろう。

余談だが、昨日の記事で触れた、15年前の今日の記事のタイトルは「新暦の七夕は興醒めだ」というもので、その理由の一つは、「梅雨も明けないうちの七夕では、季節感がトンチンカン過ぎて、織り姫・彦星に気の毒」ということである。案の定、今日の関東は降ったりやんだりの天気で、日が暮れても星は見えそうにない。

 

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2019/07/04

避難勧告が出ても、ペットの犬まで「逃げない理由」にする心理

鹿児島県を中心とした九州地方の豪雨はかなりの被害になっているようで、「九州大雨のメカニズム 長期化で西日本豪雨上回る可能性も」といわれている。何しろ何日も降り続いているのだから、降水量が半端じゃない。心からお見舞い申し上げる。

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昨日の朝、出張先のホテルを出発する前にテレビニュースを見ていると、鹿児島の現地からの動画が流れた。避難勧告が出された地域で、まだ家に留まっている初老の女性に、取材スタッフが「避難されないんですか?」と問いかけると、「ウチは犬がいて迷惑になるから、逃げられないんです」と答えていた。

それを見て思わず、「何を呑気なこと言ってるんだ。いいから犬連れて逃げろよ!」と、テレビに向かって言ってしまった。

本当に、避難は早めにする方がいい。命あっての物種である。一昨日の記事にも私は次のように書いている。

経験則的に言うと、避難した人の半数以上は結果的には「なんだ、これなら逃げなくても済んだよね」ということになる。それでも「リアルな避難訓練になったよね。いい経験だった」と思う方がいいのだ。

昨年の今頃、西日本豪雨の際に私は "そもそも、水害が差し迫っても 「人は逃げないもの」 らしい" という記事を書いた。逃げなかったために命を落とした人が何人もいたわけだが、そんな危険が差し迫っても、多くの人は「正常化の偏見」というもののせいで「自分だけは大丈夫」と信じて自宅に留まる。

そして記者に「避難しないのか?」と聞かれれば、あろうことかペットの犬まで持ち出して「逃げない理由」にしてしまう。「理窟と膏薬はどこにでも付く」といわれるのも道理である。もしそれで命を落とすようなことがあって、遺族に「あの犬さえいなかったら」なんて言われたりしたら犬が気の毒だ。

実は私の済んでいる地域も 20年ぐらい前までは洪水危険地域で、年に何度もちょっとした雨で道路が冠水していた。私が 40代の頃までは夜に大雨になるとの予報が出たら、事前にクルマを安全なところまで移動しておき、翌朝は膝まで水につかってクルマに辿り着いて出勤していた。現在は治水対策が進んでそんなこともなくなったが、当時はかなりのストレスだった。

そして忘れもしないのが 1986年(昭和 61年)の台風 10号による洪水である。我が家の裏手は小貝川の支流の土手に面しているのだが、この川の水位が見る間に上がり、土手すれすれにまで濁流が押し寄せた。既に道路がかなり冠水した状態で避難勧告が出されたので、私は迷うことなく家族とペットの犬と猫を連れて高台の中学校に避難した。犬猫を連れて逃げたことで非難されることなんてまったくなかった。(参照

結果的には床下浸水の被害となって、ギリギリで床上までには達しなかったのだが、当時務めていた会社で「伊勢湾台風以来 27年ぶりの罹災手当」というのが支給された。

今でも、あの時は避難して正解だったと思っている。逃げないで自宅に留まった人たちも「夜中は怖くてまんじりともしなかった」と言っていた。そんなことなら、どうして避難しなかったのだと言いたくなったものである。

 

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2019/06/14

不思議なまでにナイーブな「コウペンちゃん」の世界

昨日は阪急電鉄の「ハタコト」企画に関するちょっと嫌みな記事を書いてしまったが、今日は対照的な話題である。西武鉄道の「コウペンちゃん」というキャラクターが妙に好評 (参照)だというお話だ。

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「コウペンちゃん」というのは、るるてあさんというイラストレーターが創作したキャラクターだそうで、「出勤してえらい!」「電車にのってえらい!」「いつもがんばってるのみてるよー!」「きみのおうえん隊!」という、とても「肯定的」なコピーが添えられているという。これって多分、「皇帝ペンギン」の洒落なんだろうね。

昨日のネタの「ハタコト」は、もっともらしさを装った押しつけがましさが不興を買ってしまったようだが、西武鉄道のコウペンちゃんの方はもっともらしさなんてどうでもよくて、ひたすら「可愛らしさ」を前面に押し出している。日本人ってどういうわけか、こういうのにはヨワいみたいなのだよね。

しかも添えられるコピーが、まるで「ほめて育てる」みたいな感覚の内容で、「電車にのってえらい!」だの「出勤してえらい!」だのは、いくら何でも子どもだましすぎると思うのだが、これがなぜか反感を買わないみたいなのだ。不思議なまでにナイーブな世界である。

ちなみに「ナイーブ」というと、『大辞林』で引くと「純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴」と説明されていて、どちらかといえば「悪くない言葉」と思われている。しかし英語になると、”Wisdom English Dictionary” では ”naive" は「世間知らずの、単純【愚直】な、だまされやすい、お人好しの、(考え方などが)浅はかな」と、散々な意味になる。

副次的な意味として「純粋な、無邪気な」という語義も申し訳程度に添えられているが、おしなべて英語の ”naive" という言葉はほとんどいいイメージでは用いられれない。「あんなナイーブな人とは、一緒に暮らせない」なんて言って、離婚の理由になるほどである。

というわけで、このコウペンちゃんというのは、英語的感性で捉えるか、日本語的感性で捉えるかによって、印象がかなり違ってくる。私は 40代の頃、英語のプレス・リリースを日本語に翻訳するという仕事を数年続けたことがあるせいか、日常生活にもかなり英語的感性が紛れ込んでしまうところがあって、「コウペンちゃん」にはずいぶんな違和感を覚えてしまうのだよね。

さらに言えば、ちょっと考えすぎかもしれないが、同じ企画を関西の電車で展開しても、関東で得られるような好評は期待できないと思う。おしなべて関西人は関東の人間より「ナイーブ」じゃないと思われるからだ。この直観、多分「当たり」だと思うが、どうだろう。

ああ、またしてもちょっとだけ「嫌み」になってしまった。

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2019/06/04

「引きこもり」を一律に危険視してはいけない

中日新聞の本日付記事に "引きこもり危険視やめて 豊橋の男性「レッテル貼り怖い」" というのがある。自身も 25年間引きこもり生活を続けているという豊橋市在住の小崎(こざき)悠哉さん(39歳)が中日新聞に取材依頼のメールを送ったことで実現した記事だという。

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今、「中高年の引きこもり」というのが大きな問題になっている。「引きこもり傾向にあった」とされる 51歳の男性が小学生ら 20人を殺傷して自殺した川崎市の事件が注目された直後に東京練馬区で、元農林水産事務次官の 76歳の男性が引きこもりがちで家庭内暴力問題を起こしていたという 44歳の長男を殺害するという事件を起こした。

練馬区の事件の息子殺害の動機は、「長男が(近所の)子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」ことだと警察に語ったという。ネットの世界ではこの行為を「英断だ」などと賞賛する書き込みまであるというが、それはかなり短絡的で危険な考えだと言わざるを得ない。

子どもの悩みをまったく理解しようとしない親に対して、子どもは時として暴力的になる。これは子どもの方が一方的に悪いのではなく、親子の関係性の中で生じた事態だ。練馬区の事件に関しては、「親の方だってずいずん短絡的ではあるよね」という印象を持ってしまったのは私だけじゃないだろう。

実は私は、結構いろいろな「引きこもりケース」に単なる「傍観者」として以上の関係で関わったことがある。その経験から言うと、彼らは確かにまともに接しようとすると本当にやりにくい。 

そして「引きこもり」と言っても実にいろいろなケースがあって、千差万別だ。 普段はおとなしいけれども時として暴れ出す子もいれば、夕方近くになって起き出して、自分の部屋に閉じこもってばかりいるという子もいる。

腹を割って話し合えば普通にコミュニケーションを取れる場合もあれば、何を話しかけても無反応に近い場合もある。しかしそんな没コミュニケーションの子 (「子」と言っても 40歳ぐらいだったりすることも多いが)でも、予断をもたずに接すれば、調子のいい時には嬉しそうな表情を見せてくれる時もある。

高校時代から15年以上引きこもっていた男が、「これではいけない」と一念発起してやり直し、周囲に理解者を得て社会復帰を遂げたというケースもある。彼は当初硬く暗い表情で話しづらい雰囲気を漂わせていたが、徐々にほぐれてきて今は明るく建設的な話をするにも無理がなくなった。人間というのは変われば変わるものである。

中日新聞の取材を受けた小崎さんは「危ないやつとレッテルを貼られるのが怖くて意見が言えなかったが、そんな自分を変えたい。もがきながらも、社会で働くことを目標に闘っている人がいることを世間に知ってほしい」と語っている。

「レッテルを貼られるのが怖くて」とおっしゃっているが、実際問題として個別の人間にレッテル貼りするなんて不可能なのだ。ただひたすら「そのままを認める」という意識で接するしかない

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2019/05/27

トランプには相撲よりプロレスがお似合い

来日中のドナルド・トランプが、大相撲の千秋楽を観戦したらしい。私はその頃、仕事先からつくばエクスプレスに乗って帰宅途中だったので、リアルタイムでは全然関知していなかった。

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今日になっていろいろなニュースをチェックしたところでは、トランプは相撲を楽しんだようには見えなかったらしい。実際のところは「退屈感ありあり」だったようなのである。

思い起こせば子どもの頃、テレビで相撲を見るにはかなりの忍耐が必要だった。意味がありそうにも思えない「仕切り直し」という退屈な所作を 4分の制限時間が尽きるまでひたすら単調に繰り返す。実際の勝負は大抵 10秒かからずに終わるのだから、その前の 4分間は単に間を持たせる時間稼ぎとしか思われない。

長じるに及んでようやく、途方もない無駄に見えた 4分間にはそれなりの意味があり、その間にいろいろ伝統的要素も散りばめられていると知った。しかし子どもにそれを理解するに足るソフィスティケーションを求めても、所詮無理というものである。

そしてトランプも、私の子どもの頃と同じように退屈してしまったのだろう。いずれにしてもそれほどのソフィスティケーションの持ち主には見えないし。それに彼はずいぶん「いらち」の要素が濃いようだから、ほとんど永遠にさえ思われる 4分間の所在なさを紛らわすのに、ずいぶん苦労したに違いない。

要するに「大相撲観戦」というイベントは、ちっとも「おもてなし」にならなかったということだ。相当な手間を掛けていろいろイレギュラーな手はずも整えたらしいのに、終わってみれば馬鹿馬鹿しさだけが残る。

トランプというのは、相撲よりプロレスの方がずっとお似合いなのだよ(参照)。これは比喩じゃなく、下の写真からリンクされる動画をご覧戴けばわかるように、単純リアルなお話だ。

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これ、9年後に米国大統領になる男の姿である。アメリカって国、奥は深いが底は浅いのかも。

 

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2019/05/16

世の中のイライラ感を高揚させないために

昨日から一泊二日で滞在した静岡の某ホテルは、「バイキング・スタイルの朝食」というのが売り物だった。まあ、北欧海賊スタイルの朝食ってわけじゃないというのは、2015年 11月 3日の記事で書いた通りで和製英語みたいなものなのだが、この言葉がシンガポールに輸入されて、彼の地ではフツーに通じたりするらしい。

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国際的には "buffet style" (日本的には「ビュッフェ・スタイル」と発音)というのだが、とにかくこの方式の朝食だと、ちょっと「お得感」があったりする。今日の朝食も、そういうわけで概ね満足だった。やたらベーコンだのソーセージだのという肉料理が多すぎるってわけじゃなかったし。

ただ、このスタイルにも問題はある。2018年 10月 17日の記事には次のように書いてある。

多くの人が食材を自分の皿に取るために列に並んでいるのに、4〜5人で 「まあ、サラダもいろいろあるのね、どれにしようかしら」 とか、「目移りするわねえ」 なんてキャアキャア言いながらちっとも前に進んでくれないのもオバサン連である。

そして散々迷いながら目一杯のおかずを皿に盛り付け、結局食い切れなくてどっさり残飯入れに捨てるのもまた、オバサンたちである。

まあ、私は世の「オバサン連」に対して偏見があるのかも知れないが、とにかく目の前のことで盛り上がって、後ろのことはちっとも意識してくれないのが困りものなのである。実際、オバサングループの並んだ後には大抵大渋滞が発生しがちだ。

今朝もそうした状況になってしまって、私は今月 11日に書いた記事を思い出してしまった。こんな件である。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

本当に、2車線道路なのに追い越し車線の方が遅いぐらいの時の感覚と、ビュッフェ・スタイルの渋滞でイライラする感覚はとても似ていて、原因にオバサンが多いというのも共通している。どちらも「後ろでイライラしている人たちことをちっとも意識していない」ことによって生じる案件だ。

というわけでオバサンたちに限らず、少しは自戒の念も込めながら、「後ろにも少しは気を使おうよ」ということを、私は声を大にして言いたいわけなのだよね。世の中のイライラ感を高揚させないためにも。

 

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2019/05/14

関東ではイナゴの脚を取って佃煮にするらしい

下の写真は先日山形県に帰郷した際に買ってきたイナゴの佃煮である。子どもの頃はごくフツーのおかずで、よく食べていた。カリカリとした食感で結構おいしい。

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あまりフツーに食べていたから、小学校に入る前ぐらいまでは「イナゴって茶色の虫」だと思っていたほどである(ゴキブリじゃあるまいし)。小学校ぐらいになって、初めてイナゴは田んぼで網を振るえば獲れる緑色の虫だと知った。茶色になるのは砂糖醤油で煮付けるからである。

で、今回これを買って帰ったので(近所のスーパーでごくフツーに買える)、近所の知り合いと「イナゴの佃煮談義」になった。若い連中は「そんなの食べたことない」と言うが、私ぐらいの年配の者は大抵「ああ、昔よく食べたよね」と言って懐かしがる。

ところがその「イナゴの佃煮談義」で明らかになったのは、つくば周辺では捕獲したイナゴを袋に入れたまま一晩放置して糞を出させた後、一度熱湯に浸けて柔らかくし、一匹ずつ脚を取ってから佃煮にしたということである。まあ、脚を取ると言っても後ろの一番ゴツい脚だけのようだが。

私の故郷では糞を出させてから煮込むのは当然としても、上の写真のように脚なんか付けたまま煮込むから、「そんな面倒なこと、フツーしないでしょ」と信じられない思いである。ところがこの辺りの人はおしなべて「脚を取らないとチクチクして食べにくい」と言う。確かにチクチクすることはするが、私としてはその野趣こそがイナゴ料理の持ち味という気がするが、それは通じないようなのだ。

とはいえイナゴの佃煮如きでそんな面倒なことをするのは、にわかには信じがたいので、「イナゴの佃煮 脚を取る」の 2語でググってみると、多くの地方で脚を取ってから調理することが判明した(参照)。ざざむしさんという方のサイトの「イナゴは普通に食べ物やろ」という記事には次のようにある。

最近は脚に文句言う贅沢な人が増えたので羽と跳び脚をもぎましょう。
気にしない人ばかりの時は面倒なのでこの工程は必要なし。 

ということは、関東圏の人は(ざざむしさんがどちらにお住まいかは不明だが)、「脚に文句を言う贅沢な人」が多いということなのだろう。山形県の人間には本当に、贅沢この上ないことのように思えてしまう。

私の馴染んだイナゴの佃煮といえば、上の写真のように脚が付いたままのものだから、まさに「所変われば品変わる」である。

 

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2019/05/13

田舎を走ると、クルマのボディに虫がこびりつきまくり

クルマ好きと言われる人は、見たところしょっちゅう洗車してボディをピカピカにしているようだが、私といえば滅多に洗車なんかしない。多分 1年に 1度ぐらいしかしないと思う。

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今回は洗車ではなく、ボディ全体を雑巾で拭くというメンテを行った。というのは、先日母の法事で山形県酒田市の実家に帰ったので、ボディ、とくに前面に虫の死骸がつきまくりだったからである。フロントガラスにこびりつくとウォッシャー液ごときでは落ちないので、ガラス全面が虫だらけになってしまう。

虫というのは結構なタンパク源で、昔はイナゴの佃煮なんかがごくフツーに食されていたほどだから、クルマにぶつかって潰れると体液のタンパク質があっという間に乾燥して、本当に頑固なほどこびりつく。帰宅して改めて自分のクルマを見ると、ナンバープレートなんて虫だらけで悲惨なありさまだ。

こんな時、フツーのドライバーなら洗車するということになるのだが、私は虫の死骸がごくフツーの洗車なんかでは落ちないことを知っている。それで落ちるなら、ウォッシャー液でも落ちるはずじゃないか。

ネットなんかを見ると、世の中には虫落とし用スプレーなんてものがあるらしい。これを使うと洗車だけで簡単に虫の死骸が落ちるということなのだが、私はそんなものは使わない。ただひたすら雑巾で拭くだけである。あまり固く絞らずに拭くと、案外簡単に落ちるのだ。

あまりゴシゴシ拭くと塗装によくないという説もあるが、水分を多く含んだ雑巾で拭いて虫汚れをふやけさせてから、二度目に固く絞ったヤツで拭けばそれほど力を入れなくても落ちる。いくら何でも雑巾で虫を拭き取ったせいでサビが生じたなんてこともないだろうから、余計なことは気にしない。

それにしてもつくば周辺を走っただけではあんなに虫は付かないのだから、東北という地域はよほど虫だらけなのだね。それだけ自然が豊かということなんだろうから、まんざら悪いことじゃない。

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2019/05/11

危ない運転って結構あるのだね

昨日の記事の末尾でもちょっと触れたが、ふと思い立った酔狂で、山形県酒田市から茨城県つくばの地までの約 500km の道のりを、高速道路を使わずに一般道だけを通って帰ってきた。朝の 9時半から夜の 7時半まで、ほんのわずかなトイレ休憩と給油以外はほとんど 10時間運転しっぱなしだった。

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私としても 66歳の立派な「前期高齢者」だから、初めは「一般道シバリ」なんて我ながら無茶なチャレンジだと思っていた。途中で「こりゃしんどいな」と感じたらいつでも高速道路に乗っかろうと思っていたのだが、自分の想定以上に体力が残っていて、最後までしっかり運転できたのだった。ちょっと自信をもっちゃったよ。

で、10時間も一般道を走っていると、高速道路とは別の意味で結構危ない運転や迷惑運転に遭遇する。直前に割り込まれて危うく急ブレーキをかけたのは 10時間で 5回(2時間に 1度の計算だ)もあったし、2車線道路の追い越し車線を走行車線よりノロノロ走って、後ろに延々と続くパレードを率いるクルマの影響も頻繁に受ける。

それとは対照的に 1車線の道路で、こちらとしても結構なスピードは出しているのに後ろからアオられるということも珍しくない。そんな時は、さっさと路肩に避けて先に行かせる。「危険運転で事故って死ぬなら、俺よりずっと先の方に行ってから死んでくれ」というわけだ。

道路上というのはかくまでもヤバい状態の現出するところというのを、身を以て再確認した。

ちなみに急な割り込みに関しては、危険を承知で意識的にチャレンジしてくるのはほとんど男性ドライバーで、ボウッと無意識にやってしまうのはオバさんドライバーに多いという印象だ。どちらが危ないかと言えば、無意識なオバさんの方が圧倒的に危ない。お釈迦様が「知って犯す罪と知らずに犯す罪とでは、知らずに犯す罪の方が重い」と指摘したのももっともなことだと思ってしまう(参照)。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

ところで、例の大津市の保育園児死傷事故のケースでは、無理な右折で事故の原因を作った容疑者(52歳の女性)が、前方不注意のまま前のクルマに続いて漫然と右折しようとした可能性が高いと報道されている(参照)。フツーは「前を見ないで右折するなんて考えられない」と思ってしまうが、昨日の 10時間の運転では、そんなようなケースにもしっかり遭遇した。日常的にも決してないことじゃないのである。

こちらは、危険運転のニュースが続いた後だけに意識して慎重な運転を心がけていたが、漫然と危険運転をするドライバーというのは、何があろうと漫然と運転するようなのである。これはもう「世の中そんなものなんだ」と諦めて、せめて自分だけでも安全運転しようと思うしかない。

 

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2019/05/04

トイレのペーパーホルダーに新品を交換セットするか

Twitter で、猫アカデミー@調和征服さんが職場のトイレのペーパー交換について tweet しておられる(参照)。ロールが使い切られたまま、誰もホルダーに交換セットせず、新品に手が付けられた状態で放置されていることが目立つという。ちなみに猫アカデミー@調和征服さんは、週に数回交換されるそうだ。

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女性用トイレについてはあずかり知らないが、男性用トイレでは確かによくあるケースである。ホルダーにセットされたロールは芯だけになっていて、横ちょの棚の上などに新品から自分の分だけ使ったのが無造作に置いてあったりする。こんなケースで私は猫アカデミー@調和征服さん同様に、自らホルダーに交換セットする派だ。

この tweet の最後に、「女性用トイレの状況はわからない」との一文があり、それについていずれも女性かららしい 3件のコメントがある。2件は「女子トイレではあまりない」というものだが、1件は「女子トイレにもしっかりある」としている。興味深いのは、次のようなコメントだ。

紙がくっついて引っ張りにくくなる最終版の段階でホルダーの紙は新品に替えてしまい、少ない方は筒ごと手に持って貼り付いた紙をはがせるようにホルダーの上に置いておく、という別次元の進化形がたまにあったりします。 

これと関連すると思うのだが、「これが男性用トイレ固有の現象なのかどうかが知りたい」という猫アカデミー@調和征服さん自身のコメントに付けられた sino さんという方からの孫コメント(と言うのかな?)に次のようなものがある。

ありますよ、女子トイレでも。これ前に別のところで話題になったんですが、換えた方がマナーか、換えない方がマナーかって。この手の交換って手を洗う前の作業じゃないですか、人が換えた物使えるかどうかによるらしくて 

なるほど、この考え方に関連して、自分が使った後にペーパーの先端を三角に折りたたんでおくなんていうのがもてはやされたりしたことがあったが、これに関しては私も、手を洗う前にそんな余計なことをされたらかえってイヤな気分になる。ただ、トイレットロール自体を交換するのは「あり」と思うのだよね。

この tweet に付けられたコメントを見ると、女性用トイレに関して、職場のトイレでは放置はあまりみないが公共トイレ(ショッピングモールなど)ではよく見かけるというのがある。職場という狭いサークル内では周囲を気にして交換セットするが、他の公共トイレでは気にしないという女性が存在するようだ。その点、男は職場内でもあまり気にしない。これ、ちょっと興味深い現象である。

 

 

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