カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2019/05/16

世の中のイライラ感を高揚させないために

昨日から一泊二日で滞在した静岡の某ホテルは、「バイキング・スタイルの朝食」というのが売り物だった。まあ、北欧海賊スタイルの朝食ってわけじゃないというのは、2015年 11月 3日の記事で書いた通りで和製英語みたいなものなのだが、この言葉がシンガポールに輸入されて、彼の地ではフツーに通じたりするらしい。

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国際的には "buffet style" (日本的には「ビュッフェ・スタイル」と発音)というのだが、とにかくこの方式の朝食だと、ちょっと「お得感」があったりする。今日の朝食も、そういうわけで概ね満足だった。やたらベーコンだのソーセージだのという肉料理が多すぎるってわけじゃなかったし。

ただ、このスタイルにも問題はある。2018年 10月 17日の記事には次のように書いてある。

多くの人が食材を自分の皿に取るために列に並んでいるのに、4〜5人で 「まあ、サラダもいろいろあるのね、どれにしようかしら」 とか、「目移りするわねえ」 なんてキャアキャア言いながらちっとも前に進んでくれないのもオバサン連である。

そして散々迷いながら目一杯のおかずを皿に盛り付け、結局食い切れなくてどっさり残飯入れに捨てるのもまた、オバサンたちである。

まあ、私は世の「オバサン連」に対して偏見があるのかも知れないが、とにかく目の前のことで盛り上がって、後ろのことはちっとも意識してくれないのが困りものなのである。実際、オバサングループの並んだ後には大抵大渋滞が発生しがちだ。

今朝もそうした状況になってしまって、私は今月 11日に書いた記事を思い出してしまった。こんな件である。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

本当に、2車線道路なのに追い越し車線の方が遅いぐらいの時の感覚と、ビュッフェ・スタイルの渋滞でイライラする感覚はとても似ていて、原因にオバサンが多いというのも共通している。どちらも「後ろでイライラしている人たちことをちっとも意識していない」ことによって生じる案件だ。

というわけでオバサンたちに限らず、少しは自戒の念も込めながら、「後ろにも少しは気を使おうよ」ということを、私は声を大にして言いたいわけなのだよね。世の中のイライラ感を高揚させないためにも。

 

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2019/05/14

関東ではイナゴの脚を取って佃煮にするらしい

下の写真は先日山形県に帰郷した際に買ってきたイナゴの佃煮である。子どもの頃はごくフツーのおかずで、よく食べていた。カリカリとした食感で結構おいしい。

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あまりフツーに食べていたから、小学校に入る前ぐらいまでは「イナゴって茶色の虫」だと思っていたほどである(ゴキブリじゃあるまいし)。小学校ぐらいになって、初めてイナゴは田んぼで網を振るえば獲れる緑色の虫だと知った。茶色になるのは砂糖醤油で煮付けるからである。

で、今回これを買って帰ったので(近所のスーパーでごくフツーに買える)、近所の知り合いと「イナゴの佃煮談義」になった。若い連中は「そんなの食べたことない」と言うが、私ぐらいの年配の者は大抵「ああ、昔よく食べたよね」と言って懐かしがる。

ところがその「イナゴの佃煮談義」で明らかになったのは、つくば周辺では捕獲したイナゴを袋に入れたまま一晩放置して糞を出させた後、一度熱湯に浸けて柔らかくし、一匹ずつ脚を取ってから佃煮にしたということである。まあ、脚を取ると言っても後ろの一番ゴツい脚だけのようだが。

私の故郷では糞を出させてから煮込むのは当然としても、上の写真のように脚なんか付けたまま煮込むから、「そんな面倒なこと、フツーしないでしょ」と信じられない思いである。ところがこの辺りの人はおしなべて「脚を取らないとチクチクして食べにくい」と言う。確かにチクチクすることはするが、私としてはその野趣こそがイナゴ料理の持ち味という気がするが、それは通じないようなのだ。

とはいえイナゴの佃煮如きでそんな面倒なことをするのは、にわかには信じがたいので、「イナゴの佃煮 脚を取る」の 2語でググってみると、多くの地方で脚を取ってから調理することが判明した(参照)。ざざむしさんという方のサイトの「イナゴは普通に食べ物やろ」という記事には次のようにある。

最近は脚に文句言う贅沢な人が増えたので羽と跳び脚をもぎましょう。
気にしない人ばかりの時は面倒なのでこの工程は必要なし。 

ということは、関東圏の人は(ざざむしさんがどちらにお住まいかは不明だが)、「脚に文句を言う贅沢な人」が多いということなのだろう。山形県の人間には本当に、贅沢この上ないことのように思えてしまう。

私の馴染んだイナゴの佃煮といえば、上の写真のように脚が付いたままのものだから、まさに「所変われば品変わる」である。

 

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2019/05/13

田舎を走ると、クルマのボディに虫がこびりつきまくり

クルマ好きと言われる人は、見たところしょっちゅう洗車してボディをピカピカにしているようだが、私といえば滅多に洗車なんかしない。多分 1年に 1度ぐらいしかしないと思う。

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今回は洗車ではなく、ボディ全体を雑巾で拭くというメンテを行った。というのは、先日母の法事で山形県酒田市の実家に帰ったので、ボディ、とくに前面に虫の死骸がつきまくりだったからである。フロントガラスにこびりつくとウォッシャー液ごときでは落ちないので、ガラス全面が虫だらけになってしまう。

虫というのは結構なタンパク源で、昔はイナゴの佃煮なんかがごくフツーに食されていたほどだから、クルマにぶつかって潰れると体液のタンパク質があっという間に乾燥して、本当に頑固なほどこびりつく。帰宅して改めて自分のクルマを見ると、ナンバープレートなんて虫だらけで悲惨なありさまだ。

こんな時、フツーのドライバーなら洗車するということになるのだが、私は虫の死骸がごくフツーの洗車なんかでは落ちないことを知っている。それで落ちるなら、ウォッシャー液でも落ちるはずじゃないか。

ネットなんかを見ると、世の中には虫落とし用スプレーなんてものがあるらしい。これを使うと洗車だけで簡単に虫の死骸が落ちるということなのだが、私はそんなものは使わない。ただひたすら雑巾で拭くだけである。あまり固く絞らずに拭くと、案外簡単に落ちるのだ。

あまりゴシゴシ拭くと塗装によくないという説もあるが、水分を多く含んだ雑巾で拭いて虫汚れをふやけさせてから、二度目に固く絞ったヤツで拭けばそれほど力を入れなくても落ちる。いくら何でも雑巾で虫を拭き取ったせいでサビが生じたなんてこともないだろうから、余計なことは気にしない。

それにしてもつくば周辺を走っただけではあんなに虫は付かないのだから、東北という地域はよほど虫だらけなのだね。それだけ自然が豊かということなんだろうから、まんざら悪いことじゃない。

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2019/05/11

危ない運転って結構あるのだね

昨日の記事の末尾でもちょっと触れたが、ふと思い立った酔狂で、山形県酒田市から茨城県つくばの地までの約 500km の道のりを、高速道路を使わずに一般道だけを通って帰ってきた。朝の 9時半から夜の 7時半まで、ほんのわずかなトイレ休憩と給油以外はほとんど 10時間運転しっぱなしだった。

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私としても 66歳の立派な「前期高齢者」だから、初めは「一般道シバリ」なんて我ながら無茶なチャレンジだと思っていた。途中で「こりゃしんどいな」と感じたらいつでも高速道路に乗っかろうと思っていたのだが、自分の想定以上に体力が残っていて、最後までしっかり運転できたのだった。ちょっと自信をもっちゃったよ。

で、10時間も一般道を走っていると、高速道路とは別の意味で結構危ない運転や迷惑運転に遭遇する。直前に割り込まれて危うく急ブレーキをかけたのは 10時間で 5回(2時間に 1度の計算だ)もあったし、2車線道路の追い越し車線を走行車線よりノロノロ走って、後ろに延々と続くパレードを率いるクルマの影響も頻繁に受ける。

それとは対照的に 1車線の道路で、こちらとしても結構なスピードは出しているのに後ろからアオられるということも珍しくない。そんな時は、さっさと路肩に避けて先に行かせる。「危険運転で事故って死ぬなら、俺よりずっと先の方に行ってから死んでくれ」というわけだ。

道路上というのはかくまでもヤバい状態の現出するところというのを、身を以て再確認した。

ちなみに急な割り込みに関しては、危険を承知で意識的にチャレンジしてくるのはほとんど男性ドライバーで、ボウッと無意識にやってしまうのはオバさんドライバーに多いという印象だ。どちらが危ないかと言えば、無意識なオバさんの方が圧倒的に危ない。お釈迦様が「知って犯す罪と知らずに犯す罪とでは、知らずに犯す罪の方が重い」と指摘したのももっともなことだと思ってしまう(参照)。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

ところで、例の大津市の保育園児死傷事故のケースでは、無理な右折で事故の原因を作った容疑者(52歳の女性)が、前方不注意のまま前のクルマに続いて漫然と右折しようとした可能性が高いと報道されている(参照)。フツーは「前を見ないで右折するなんて考えられない」と思ってしまうが、昨日の 10時間の運転では、そんなようなケースにもしっかり遭遇した。日常的にも決してないことじゃないのである。

こちらは、危険運転のニュースが続いた後だけに意識して慎重な運転を心がけていたが、漫然と危険運転をするドライバーというのは、何があろうと漫然と運転するようなのである。これはもう「世の中そんなものなんだ」と諦めて、せめて自分だけでも安全運転しようと思うしかない。

 

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2019/05/04

トイレのペーパーホルダーに新品を交換セットするか

Twitter で、猫アカデミー@調和征服さんが職場のトイレのペーパー交換について tweet しておられる(参照)。ロールが使い切られたまま、誰もホルダーに交換セットせず、新品に手が付けられた状態で放置されていることが目立つという。ちなみに猫アカデミー@調和征服さんは、週に数回交換されるそうだ。

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女性用トイレについてはあずかり知らないが、男性用トイレでは確かによくあるケースである。ホルダーにセットされたロールは芯だけになっていて、横ちょの棚の上などに新品から自分の分だけ使ったのが無造作に置いてあったりする。こんなケースで私は猫アカデミー@調和征服さん同様に、自らホルダーに交換セットする派だ。

この tweet の最後に、「女性用トイレの状況はわからない」との一文があり、それについていずれも女性かららしい 3件のコメントがある。2件は「女子トイレではあまりない」というものだが、1件は「女子トイレにもしっかりある」としている。興味深いのは、次のようなコメントだ。

紙がくっついて引っ張りにくくなる最終版の段階でホルダーの紙は新品に替えてしまい、少ない方は筒ごと手に持って貼り付いた紙をはがせるようにホルダーの上に置いておく、という別次元の進化形がたまにあったりします。 

これと関連すると思うのだが、「これが男性用トイレ固有の現象なのかどうかが知りたい」という猫アカデミー@調和征服さん自身のコメントに付けられた sino さんという方からの孫コメント(と言うのかな?)に次のようなものがある。

ありますよ、女子トイレでも。これ前に別のところで話題になったんですが、換えた方がマナーか、換えない方がマナーかって。この手の交換って手を洗う前の作業じゃないですか、人が換えた物使えるかどうかによるらしくて 

なるほど、この考え方に関連して、自分が使った後にペーパーの先端を三角に折りたたんでおくなんていうのがもてはやされたりしたことがあったが、これに関しては私も、手を洗う前にそんな余計なことをされたらかえってイヤな気分になる。ただ、トイレットロール自体を交換するのは「あり」と思うのだよね。

この tweet に付けられたコメントを見ると、女性用トイレに関して、職場のトイレでは放置はあまりみないが公共トイレ(ショッピングモールなど)ではよく見かけるというのがある。職場という狭いサークル内では周囲を気にして交換セットするが、他の公共トイレでは気にしないという女性が存在するようだ。その点、男は職場内でもあまり気にしない。これ、ちょっと興味深い現象である。

 

 

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2019/05/02

未だ書き慣れぬ「令和」てふ文字

令和の御代になって 2日目、デジタル・テキストとしては何度も「令和」とタイプしたが、まだ 1度も手書きしたことがないと気付いた。そのうち何かの機会に手書きで書かなければならないこともあるだろうから、試しにサクッと書いてみた。下手くそな字だが、右が筆ペン、左がボールペンで書いたものである。

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全然こなれない。どうやら難易度の高い 2文字のようで、全体のバランスがなかなかとりにくい。書き慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

それにしても、間違えて「平成」と書きかけても、「平」という字の 3画めまでに気付けば、途中から「令和」に書き直せるという話には笑わせてもらった。「そんなやつ、いないだろ」とツッコミたくなるネタではある(参照)。

思い返せば、「明治 - 大正 - 昭和 - 平成」と、3シラブルと 4シラブルの年号が交互に続いてきたので、次は 3シラブルになるのだろうと、なんとなく予想してはいた。明治の前をさらに遡れば、「慶応 - 元治(読みは「げんじ」)」 となるのだから、それが伝統なのだろうという気までしていたのである。

しかしよく調べてみると、その前は「文久 - 万延 - 安政」と 4シラブルが 3回続き、さらにその前が「嘉永 - 弘化 - 天保 - 文政 - 文化」なのだから、何も決まったシステムというわけでもない。たまたま「元治」以来そうなっているというだけなので、短絡的な思い込みは危険ということだ。

激動の時代だからいろいろなことが起こるだろうが、後世に語り継ぐのに「令和の〇〇」というのがあまり悪いことにならず、ハッピーなものになるようにと祈るばかりである。

さらに言えば、私の両親がいずれも昭和 1桁生まれで、私も妻も、そして 3人の子どもたちに至るまで 3代続けて昭和生まれ(末娘は辛うじて昭和 62年生まれ)なのだから、昭和という時代は長かったのだなあ。

 

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2019/04/29

「昭和生まれのじじい」の世の中になる

平成が明日で終わり、明後日からは令和という元号になる。新しい元号が前もって知らされているというのは初めての体験だから、なんだか明日がプチ大晦日みたいな妙な感覚だ。

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ところで自分の生まれた昭和は、令和からみれば 2つ前の元号ということになる。昭和生まれの自分の子どもの頃の感覚からすると、大正生まれはオッサンで、明治生まれはじじいだった。すると令和生まれの子供たちが物心つく頃には、平成生まれはオッサンで、昭和生まれはじじいということになる。かなわんなあ。

ところで、上の画像は国立社会保証・人口問題研究所というところがつくった 2020年の日本の人口ピラミッドで、クリックで拡大表示される。ちょっと前までは日本の人口ピラミッドは「つりがね形」なんて言われていたが、今となっては下の方がすぼまった「つぼ形」となっている。

上の方で左右の広がりの大きいのは、70歳を超えたあたりのいわゆる「団塊の世代」である。そして私はその団塊の世代のすぐ下だから、自分では「団塊の世代の尻尾」なんて言っている(参照)。

さらにその下でもう一度左右に膨らんでいるのが、40代後半の「団塊の世代ジュニア」だ。こうしてみると、昭和生まれの世代というのはやたら分厚い。それ以下はどんどんすぼまる一方で、なるほど都会を別とすれば、街を歩いても年寄りばかりで若い世代が見当たらないわけだ。

20歳以下の若年層は減る一方だ。あと 20〜30年したらこの少ない日本人が、団塊の世代ジュニアより上の年寄りたちの尻拭いを必死にしなければならない。分厚い昭和生まれの重石が減って若い層の負担が軽くなる 2060年ぐらいまでは、日本は経済的には浮上できない。

私はそれよりずっと前にあの世に行って、日本は「平成生まれのじじい」の世の中に移っていく。

 

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2019/04/28

「平成最後の昭和の日」にちなんで

いよいよ平成の終わりが近付いた。世の中では昨年終わり頃から「平成最後の〇〇」というのが大流行で、昨年 12月 19日には「平成最後の新春バイキング」というのを取り上げている(参照)。いつもの新春バイキングとどこがどう違うのか、さっぱりわからないが。

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今年に入ってからは、「平成最後のお正月」「平成最後の節分」「平成最後のひな祭り」などが連なった。ところで上述の記事で山辺響さんのコメントに、私は "極めつけは「平成最後の昭和の日」かも" なんてレスを付けている。そしてその日が明日に迫った。

意外なのは、世の中ではこのおもしろいレトリックが拍子抜けするほど注目されず、明日に迫ってようやく一部で言われ始めた程度ということだ。日本人はこんなふうな「情緒を排した純粋ロジカルな奇妙さによる面白さ」というのを、あまり好まないのだね。

そうした中で、わずかに Twitter で昨年 7月 26日(私の誕生日じゃないか)付の tweet として "2019年4月29日に「平成最後の昭和の日に大正駅で明治のお菓子食べる」とかやりたい" というのが検索された。なるほどね、ここまでクドくしないと日本では笑えないのだろう。ちなみに大正駅というのは大阪市大正区にある JR 西日本環状線の駅らしく、ちょっとローカルネタっぽい。

ここまできたら、もっと徹底的にやっちまえとなるのが人情というもので、その 4ヶ月後に "平成最後の昭和の日に大正駅の前で明治のチョコレートを食べる慶応生」というネタを思いついたので是非ともやっていただきたい" というのが投稿された。

明治までつなげた程度ではあまり心を動かされないが、それを突き抜けて「慶応」まで持ち出したというしつこさに関しては、充分評価していいと思うのだが、これでも巷ではあまり話題にならなかった。そうなるといっそ、関東在住の人間は老舗の和菓子屋のキャッチフレーズを思い出して組み込みたくなってしまう。

というわけで「平成最後の昭和の日に大阪の大正駅の前で明治のチョコレートを食べた慶応生が関東に戻ってきて、元治元年創業梅林堂のお菓子も食べる」ぐらいにしたいが、ちょっとしつこすぎるかな。

 

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2019/04/23

天気はすっかり春モードのようだが

天気はずいぶん暖かくなった。3月半ばに妙に暖かくなった時期があり、そのまま本格的な春になってしまうのかと思っていたら、その後に何度も「寒の戻り」というのがあった。4月初めにようやく天気が安定して、「お天気キャスター」の女性が「もう寒の戻りはありません」と自信たっぷりに言い切っていたが、8日頃にダメ押し的な寒の戻りがきた。

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そんなこんなで春と冬の間を何度も行きつ戻りつして、ようやく「これでもう、寒さは戻らないんじゃなかろうか」と実感できる暖かさになった。今週末から世間一般は 10日間の連休に突入するわけだが、フリーランスの身の上としてはそんなのはあまり関係ない。それどころか「長期連休になるので、納品を急いでください」なんてことになり、エラい忙しさだ。

さらに、そんなこんなでバタバタしているうちに元号が「令和」に変わってしまうので、まったくもって気ぜわしい。ストレスが重なったせいか、数年ぶりで風邪を引いてしまったような気がする。

天気図を見ると、高気圧は東に抜けつつあり、代わりに西から前線が近付いている。明日は関東でも時々雨になるらしい。さて、連休中はどんなことになるか。個人的には連休後に母の十三回忌で帰郷するので、そっちの方が晴れてくれるとありがたい。それまでにしっかりと風邪を治そう。

 

 

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2019/04/20

北関東は取り立てておいしいものがない

北関東にはうまいものが少ないような気がする。ここ茨城県はわずかに 「常陸蕎麦」というものがあり、残る栃木県、群馬県でも、やれ餃子だのこんにゃくだのと言われるが、正直言ってあまりぱっとしない。

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東京や横浜に出れば、かなり洗練されたおいしいものを食ってグルメを気取ることができる。逆に北方向に脚を伸ばして東北に行くと、各県の気候や風土に即した特産品と称するものがあり、それぞれに素朴だったり趣向を凝らしたりした料理となっている。

そこへ行くと北関東というのは、どうも「中途半端な田舎」という気がするのである。洗練された料理を提供するというイメージではないし、かといって高級な特産品を売り物にしたり素朴な田舎料理に特化するほどの地域でもない。なかなか難しいところがある。それにどうも味付けが無闇に濃すぎるようで、繊細さに欠けるところがある。

先日も群馬県まで用事ででかけ、高速道路のサービスエリアで名物っぽいお土産をいくつか買って帰ったのだが、取り立てておいしいと感じさせるものがない。「上州って、うまいものがないね」と言いたくなってしまうが、「栃木はもっとおいしくないよ」というのがもっぱらの評判だ。申し訳ないけど。

なにしろこの 2つの県は海がないので、おいしい海産物を提供できない。どうしても山のものだけになってしまう。一方茨城県は、海はあるのだが、おいしい魚を食おうと思ったら利根川を超えて銚子まで行きたくなってしまう。どうも北関東文化圏は食い物に関するこだわりが薄いような気がするのだ。

こればかりは風土の問題でもあるから、諦めるほかないのかもしれない。

 

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