カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の929件の記事

2017/03/29

籠池理事長の駆け込み寺は、あの本の著者だったのか

このところ、九州の片田舎に二泊三日で出張したり、急ぎの仕事に追いまくられたりして、あまり最新の情報に接していなかった。だから、例の森友問題の籠池氏が駆け込んだ 「菅野完」 というジャーナリストにしても、「誰? それ」 としか思っていなかった。

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出張先のホテルに夜遅くチェックインして、ニュースで菅野氏がマンション前で大勢の取材陣にインタビューを受ける姿をみても、「この関西弁のオッちゃん、誰?」 と思っていた。どうしてこのオッちゃんが急にしゃしゃり出てきたのかわからなかったが、どうせ 「森友学園問題は魑魅魍魎」 と思っていたから、あまり気にもしていなかった。

ところが今日になって、ふと 「あれ、この名前、どっかで見たことあると思ったら、『日本会議の研究』 の著者と同じ名前じゃん」 と気付いた。今頃になって気付くとは、私のアンテナ感度もずいぶん鈍ってしまったものである。

で、念のためググって見たら、まさにあの本の著者が今、籠池理事長の駆け込み寺みたいなことになっているらしいのだ。へえ、世の中わからないものである。いや、わかりやすすぎるとも言うべきか。いずれにしても、これはちょっとおもしろいことになったのではなかろうか。

というわけで、今になってこの森友学園問題に改めてキャッチアップするために、再び興味を持ち直しているところである。それにしても、我ながらなんだかズレてしまっているなあ。

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2017/03/25

「ソンタク力」 の発揮どころ

3月 18日の記事に "今年の流行語大賞の有力候補に 「忖度」 というのが挙げられると思う" と書いたが、それ以後の様子を見ていて、この思いはますます強まった。今のところ断トツの最有力候補だろう。

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世の中にはミーティングルームの壁に 「忖度力」 と大きく書かれた紙の貼られた会社もあるらしい (参照)。日本人は本当に 「忖度」 が好きなのだなあと感心していると、渦中の人物の一人、大阪の松井府知事は 「忖度には、悪い忖度といい忖度がある」 なんて言い出したらしい (参照)。こうなると、お笑いじみてくる。

まあ、フツーはいわゆる 「配慮」 ぐらいで十分なんじゃないかとも思う。ことさら 「忖度」 なんていうから、考えすぎてしまう。このまま行ったら、「配慮の度が過ぎたのが忖度」 で、「事大主義の別名」 なんてところまで零落しかねない。

「忖度 = ソンタク」 という言葉がここまでおかしくなってしまったのは、18日の記事でも書いたように、立場の上の者にばかり妙なソンタクをしてしまう風土がこの国にできてしまったからだ。上の者は部下に対して簡潔明瞭な指示を出すべきで、部下は妙なソンタクなんかせずに、それを粛々と実行すればいい。

そもそも立場が上の者が下の者に対して、「そんなこと俺に皆まで言わすほど、おめえも野暮じゃねえよな。わかってるよな、な?」 ってなことになるのは、グレーゾーンの中でもかなり黒っぽい領域のことになるに決まってる。そんなことをソンタクさせるのは、ある種のパワハラだ。

その逆に、指示を出すとかいう権限のない立場の弱い者に対しては、権限のある者が声なき声を拾ってきちんと忖度すればいいのだ。今の世の中、それが逆になってしまっているから、今回のようなおかしなことになる。

繰り返すが、立場の弱い者に対してさりげなく発揮してこその 「忖度力」 だろうよ。「ソンタクの成るソンタクは誰もする成らぬソンタクするがソンタク」 という道歌もあることだし。…… ないか。

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2017/03/22

「マイクーポンのお知らせ」 というスパム

最近のスパムメールの流行りは、「マイクーポンのお知らせ」 みたいなやつだ。スパムと言っても、いかにもアヤシいところから来るのではなく、いわゆるフツーのメジャーなサービスサイトから来たりするので、本当に厄介だ。例えばこんなようなやつだ。

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10万円以上で 5000円引きが使えるなんていっても、よく考えれば 5%以下のディスカウントでしかない。世の中ちょっと探してみれば、そんなもんじゃないディスカウントがいくらでも見つかる。というか、そんなちゃっちい割引を探す方が難しいぐらいのものなのだが、「マイクーポン」 という言い方をすると、嬉しいご褒美みたいな気がしてしまうのだろうか。

こうしたメールは、利用しているポータルサイトからまで来るので、うかつに配信停止の手続きなんかすると、他の知らせまで止まっちゃいかねないから困ってしまう。それでこの類いものとわかったら読まずに即刻削除することにしているので、私に関する限りはいくら送りつけてもまったく無駄なのだが、近頃は増える一方のような気がする。

「お得なクーポン」 なんて言っているが、大抵はどこかの店とか通販サイトとかで必要でもないモノを買ったりすると、割引クーポンが付くというシステムらしい。多くの場合、自分の本当に必要なものを買ってもクーポンなんてもらえないのに。要りもしないものを買うとついてくるというのである。

つまり 「お得」 という名の無駄遣い促進システムだ。向こうも商売だから、慈善事業をしているわけじゃない。付与するクーポン分は元の値段の中に含んでいるはずだ。ということは、意識してクーポンをゲットしなけりゃ、その分だけ高い買い物をすることになる。だったらクーポンなんて付かないフツーのサイトで、お買い得商品を探して買う方がマシだ。

せっかくもらったクーポンは使わなきゃ損という人もいるが、そのクーポンを使って、またしてもあまり必要でもないものを買ったり、温泉旅館やリゾートホテルの宿泊なんかに使わなきゃいけないのだから、結局は売り手の論理でしかない。クーポンなんか使わなくても、上手に計画すれば費用のかからない旅行なんていくらでもできる。

まあ、世の中にはさんざん無駄な買い物をして貯めたクーポンで、あらかじめセットされたプランで温泉旅館なんかに泊まり、「ああ、お得な楽しみをゲットしちゃったわ」 なんてルンルンしている人もいるらしいので、それはそれで 「どうぞお幸せに長生きしてね」 というほかないのだが。

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2017/03/18

立場が上のオッサンに対して 「ソンタク」 なんてしたがるから

今年の流行語大賞の有力候補に 「忖度」 というのが挙げられると思う。試しに "SONTAKU" でググってみたら、そんな名前のメンズウェア・ブランドまであった (参照)。やはり日本人、「ソンタク」 が大好きみたいなのだ。

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『大辞林』 によれば 「忖度」 とは、次のようなことになる。

( 名 ) スル
〔「忖」 も 「度」 もはかる意〕
他人の気持ちをおしはかること。推察。 「相手の心中を-する」

全部言わなくても意を汲んでもらえるというのは、ある意味では日本の美風でもあるが、なんでもかんでもソンタクしちゃうのはやり過ぎだ。今どきの世の中、みんな同じようなことを考えているわけじゃ決してないから、どこかでやり過ぎや行き違いが生じる。

とくに会社や役人の世界なんかでは、ついつい 「上に対してのソンタク」 ばっかり横行しちゃうのが問題だ。今や 「ソンタク」 という言葉は 「他人の気持ちをおしはかること」 というより 「上の意向をおしはかること」 という意味に堕落しちゃってる。

とくに中堅からやや上ぐらいの役人になると、上からの見えない圧力なんか、加えられる前から敏感に感じてしまって前もって準備したりしている。一般の人たちの苦労なんて、どうでもいいと思ってるくせにね。私が 「忖度」 というもっともらしい漢字で書くより、茶化して 「ソンタク」 と書きたくなる所以である。

「あいつは言われたことしかしない」 なんて、部下のことを悪く言いたがるオッサンがいるが、「言われたこと」 をしっかりやれさえすれば、そりゃ立派なものじゃないか。意図したことをみなまでやってもらえないのは、しっかりと指示しない上司の責任なのだ。

こんなことぐらい、世界の常識である。言わなくても気を利かしてもらえると期待するのは、日本のオヤジの甘えに他ならない。言わないことまで喜んでやってもらいたかったら、まず自分が魅力的なオヤジにならなきゃいけない。

私が 「ソンタク懐疑派」 なのは、ソンタクの好きなやつというのは、えてして強いやつの意向ばかりおしはかり、弱い立場のやつのことは無視するからである。結局のところ 「上司の覚えをめでたくして出世したい」 というだけのことなのだ。

私は昔から意識的に 「気の利かないヤツ」 で押し通してきた。上からの指示に対しては、敢えて必要以上のことはしない。文句を言われても 「そんなん、皆まで言うてくれなわかりませんやん」 と、トボければいい。

そのかわり本当に必要なことがあれば、何も言われなくても誰にも理解されなくてもとことんやる。私の嫌いなサービス残業を続けてでもやっちゃう。半年経てば現場ではしっかり理解される。こうして蓄えた財産のおかげで、組織内では出世しなかったが、フリーランスになってからはものすごくやりやすかった。

そんなようなところで、私は 「ソンタク」 なんかより 「シンシャク (斟酌)」 の方を大切にしたいなんて思っているのだよね。まあ、多分にニュアンスの違いだけってところもあるかもしれないけど。

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2017/03/15

日本の退屈な授業じゃ、そりゃあ居眠りもするさ

国立青少年教育振興機構の発表によると、日本の高校生の授業は米国、中国、韓国に比べて受け身的で、生徒はきちんとノートを取るが居眠りもよくしていて、グループワークには消極的なのだそうだ (参照)。世間では 「日本の生徒はよく居眠りをする」 と話題になっているが、授業が退屈なのだもの。そりゃあ居眠りもするさ。退屈なら眠くなるのは、国会だって同じだ。

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授業については、91.2%の高校生が 「教科書に従ってその内容を覚える」 ことが中心と感じていて、「個人で調べ、まとめ、発表する」 は16.6%、「グループで課題を決め、考え、調べる」 は 11.9%で、どちらも 4カ国中最低だった。ようするに、日本の高校の授業はつまらないということだ。

そんな中で日本の高校生は、「授業中、きちんとノートを取る」 というのが 79.4%と、驚異的な数字で 4カ国中トップだが、その一方で 「授業中、居眠りをする」 というのも 15.4%と、断然トップとなっている。私の印象では、居眠りをするのが 15.4%というのは少なすぎる気がするが、最近の高校生は眠気を我慢しているのだろうか。

私の高校時代は、勉強は家に帰ってから自分でやるもので、授業は睡眠補給のための時間と思っていた。自分のペースで自分で考えながらやる方がずっと勉強になるし、実質的にはかどる。こんなことだから自覚的に学ぼうとする日本の高校生は、どうしても 「夜型」 になる。

国立青少年教育振興機構なんていう組織が、こんなような調査結果を発表したというのは、国としてもこれまでの旧態依然とした教育ではまずいと思っているからなのだろう。しかし日本の高校の授業が退屈なのは、昔からずっと繰り返されてきたメソッドが抜き差しならぬほど定着しているからで、急に変えようといっても到底無理だと思う。

何しろ日本の学校の先生というのは、この国の教育システムの中で、可もなく不可もない程度の成績で大学を出て、そして可もなく不可もない教育システムの中に回帰してメシを食おうと思った人が多数派なのだ。斬新なことをしたいと思う人材の多くは、学校の先生なんかにはなるまい。

だから多くの先生たちは、今さら斬新なことをしろと言われても、戸惑ってしまうだろう。その上、部活の顧問なんかしてやたら過重労働になっている。教育の成果は、大学受験かスポーツでいい結果を残すことでしかアピールできないのだから、あまり多くは望めない。

となれば、生徒としてもまともな勉強をしようと思ったら学校のシステムなんかに頼らず、自分で好きなことをするしかない。で、学校に行っている時間というのは 「無駄な時間」 ということになるから、せいぜい睡眠補給のために有効に使うのである。

というわけで、私は授業中の居眠りを全然否定しないのである。

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2017/03/13

寒い冬ではあったらしいが

昨年秋の初め頃にラニーニャが発生していたらしく (参照)、そうなると冬は厳冬になりやすいという話だった。で、実際どうなったかというと、東京では 54年ぶりに 11月に雪が降ったりして、我がつくばの地も白くなった (参照)。そして 1月中旬には 「ちょっとないほどの冷え込み」 なんて記事も書いている。

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上の写真は、先月中頃に広島に出張した時、新幹線の中でついうつらうつらして、ふと目が覚めると雪景色だったので驚いた時のものだ。思わず 「俺って、広島行きの 『のぞみ』 に乗ったはずだけど、どうしちゃったんだ?」 と思ったが、そこは関ヶ原の風景だった。

まあ、関ヶ原なら雪景色でも不思議じゃないが、ちょっと意表を突かれた気がした。やはりこの冬は厳冬だったらしい。とくに雪に関する注意報も何も聞いていなかったのに、こんな状態だったのだもの。

しかし確かに寒い冬だったような気はするが、私としてはそんなに凍えるほどの寒さだったような実感が残っているかといえば、それほどでもないのである。周囲の人は 「寒い冬だったねえ」 なんて言っているが、「まあ、そんな気もするね」 程度の感じでしかないのだよね。

若い頃はズボン下なんてものをはかなかったが、40代半ばを過ぎた頃から宗旨替えをして、「寒いものは寒いんだから、伊達の薄着は馬鹿馬鹿しい」 と、平気でズボン下をはくようになっていた。とくにユニクロがヒートテック製品なんてものを大々的に売り出すようになってからは、本当に欠かせないものになっていたのである。

ところが、一昨年の冬辺りから、ズボン下をはかなくなった。それは自転車を始めて、10km や 20km ぐらいならガンガンペダルを漕ぐようになったからだと思う。腰から下に若い頃の筋肉が戻ってきて、あまり寒さを感じなくなったのだ。筋肉の発する熱量というのは、結構なものである。

というわけで、寒いとは感じていたものの、それほどべらぼうな寒さとは思わないうちに、梅が咲いて春になってしまったようなのである。昨日辺りも光は十分に春の日射しなのだが、風は北風で、周囲の人は 「寒い寒い」 と震えていた。私は 「ずいぶん暖かくなったじゃん!」 と言っていたのだが。

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2017/03/11

あれから 6年経った

また 3月 11日という日が来た。あれから 6年経った。このブログの過去記事を振り返ると、あれから毎年 3月 11日には地震を振り返っていろいろなことを書いている。しかし 6年も経つと、正直なところ記憶は確実に風化しつつある。忘れないために、6年前の和歌ログに載せた写真を、ここにもう一度載せる。

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安倍首相は 6年経って 「節目を越えた」 として、これまで続いてきた記者会見を今年は行わないのだそうだ。あの人は原発も 「アンダー・コントロール」 の状態にあると思っているらしいから、そんなことになるのだろうが、私としてはそんなわけにはいかない。

載せた写真は、地震直後の私の書斎の床である。いろいろなものが本棚や机の上から落ちて散乱して足の踏み場もない状態である。当時使っていた PC のキーボードもぶっ飛んでいる。階下では台所の棚の戸が飛んで、食器がだいぶ割れた。それでも停電もせず、水道も止まらなかったのは不幸中の幸いだった。

おかげでこのブログも、和歌ログも、一日も中断せず更新を続けられたのは、ちょっとした奇跡だった。だって、周り中少なくとも一晩以上は停電しまくっていたのだから。我が家が茨城県のもう少し北にあったら、少なくとも 1週間は更新が途絶えて各方面に心配をかけていたかもしれない。

そしてさらにもう少し北に行って、福島県に位置していたとしたら、今頃こんな風に呑気に PC のキーボードを打っていられたかどうか、甚だ疑問だ。もしかして今でも避難先でストレスまみれになっていなければならなかったかもしれないのだ。

繰り返す。6年目なのである。小学校に入ったばかりの子が 6年生になったら、顔つきだって変わる。記憶が風化していくのも当然だ。しかし毎年書き続けることで、少しでもそれに抵抗しよう。来年の今日もまた、書くことがあるはずだ。

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2017/03/02

最近、大いびきをかく人が減ったような気がするが

最近、大いびきをかく人が減ってきたんじゃないかと思う。昔は、社員旅行などの団体旅行で大きな部屋に布団を並べて寝たりすることがあると、必ずあちこちから雷のような大いびきがひぎき渡り、大変なことになったものだが、最近ではそれが減ったような気がするのである。

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若い頃に務めていた会社では毎年社員旅行があり、夜になると大部屋で大勢が寝たものだが、それはそれは大変ないびきの大合唱になっていた。中には 「三拍子揃った〇〇さん」 と言われる人がいて、誰よりも早く大音響のいびきをかいて寝つき、それが収まったと思うと、地獄の底から響くような歯ぎしりに変わる。そして突然がばっと起き上がり、「どないやちゅうねん!」 などと絶叫し、またぱたりと寝るのである。

あそこまでいくと、誰も彼と同じ部屋になりたがらず、運悪く同室になってしまうと 「やれやれ」 と身の不運を嘆くのだった。そして翌朝は寝不足で眼を赤くして朝食会場に現れる。

ここまで行かなくても、社員旅行などでいびきの大合唱になるのは、その前の宴会で酒を飲み過ぎるのがいけないと思っていた。とにかく大酒を飲みまくったやつほど早く寝つき、そしてほどなく大いびきをかき始めるのである。

最近の団体旅行で、あまり大いびきに悩まされなくなったのは、ここぞとばかり酒を飲みまくる輩が、昔ほどいなくなったせいではなかろうか。昔の団塊の世代以上の連中は、とにかく団体旅行とくれば飲んだくれずにはおられないというのが多かった。こうした世代の連中が定年になって姿を消した今は、そんなに命がけで飲みまくる者もなく、従って寝付いてもあまり大いびきををかかない。

それに最近は、団体旅行でも大部屋で布団をいくつも並べて寝るということがなく、せいぜいホテルの部屋で、多くても 3〜4人で寝るというケースが多い。この 3〜4人の中に大いびきをかくやつがいたら最悪だが、その確率は高くない。

ところが先日、ちょっとしたグループ旅行で、ホテルの部屋で 4人で寝ることがあり、その中の 1人が大いびきだった。最近では珍しい不運である。寝る前に酒盛りをしたわけでもないのだから、彼は病的ないびきかきだったのだろう。あまり長生きしそうにない。

とにかく大いびきをかくやつというのは、例外なく自分だけは寝つきがよく、あっという間に熟睡に落ちる。そしてほどなく大音響のいびきをかき始める。私は iPhone で音楽を聴きながら寝入ったのであまり被害はなかったが、同室の残り 2人はさんざんな目に遭ったようだ。気の毒に。

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2017/02/16

「老い遅れ」 という言葉を初めて知った

「近頃、老眼が進んじゃってさ」 とつぶやいたら、「老い遅れるよりはいいわよ」 と、一緒に仕事をしている女性に言われた。彼女は 70歳を過ぎて、実はいろいろ病気を抱えてはいるらしいが、すこぶる元気で快活に見える。それにしても 「老い遅れる」 という言葉を、この時初めて知った。

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帰宅してググってみると、これは黒井千次著の 『老いのかたち』 という本に出ている言葉らしい。初版は 2010年 4月というから、結構前の本だ。この本は 4章立てになっていて、それぞれ 「病気待ちの列」 「友を送る-これも同窓会」 「老い遅れに気をつけて」 「普通高齢者がイチバン」 というタイトルだという。

第3章の 「老い遅れに気をつけて」 を踏まえて、彼女は 「老い遅れるよりはいいわよ」 と言ったのだろう。私は黒井千次氏の本を 1冊も読んだことがないので、どんな具合に書かれているのか知らないが、まあ、先輩からのありがたい言葉として受け取っておこう。

黒井千次氏はさらに、2014年に 『老いの味わい』 という本も出しているらしい。それだけでなく、『老いるということ』 (2006年)、『老いのつぶやき』 (2012年)、『老いへの歩み』 (2015年) と、「老い」 をテーマに何冊もの本を出している。ふむ、「老い」 というのは、案外商売になるのだな。

私はかなり老い遅れている傾向があるのだが、ある日突然がくっとこないように、少しは老い遅れに気をつけて生きてみようと思う。

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2017/02/13

ずらりと並ぶ額装された表彰状、感謝状

茶の間の鴨居の上に、じいさんの代からのいろいろな表彰状やら感謝状やらをずらりと並べて飾ってある家がある。「すげえなあ!」 とは思うが、自分でもそうしようという気は毛頭ない。まあ、早く言えばそんな趣味はないのだよね。

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私の父は家族にも知られずにいろいろな公職を引き受けていたらしく、何とかの役職を何十年続けたことによる表彰なんてのを受けるために、時々県庁所在地の山形市に出かけることがあった。周囲の人は 「おめでとう」 とか言っていろいろなお祝いをしてくれるのだが、当人は嬉しそうでもなんでもなく、ただ面倒くさそうだった。

で、表彰を受けて帰って来た父に 「その賞状、見せれ」 (ミスタイプじゃなくて、庄内弁なのでよろしく) と言っても、「汽車の網棚に置き忘れてきた」 とか 「駅のゴミ箱に捨ててきた」 とか、滅相もないことを言うのだった。子どもの頃は 「額に入れて飾ればハクがつくのに」 なんて思っていたが、父にはそんな発想がなかったようなのである。

父が死んでから遺品の整理をしていて、丸筒に入れられたまま押し入れの奥に放り込んである表彰状とか感謝状とかをいくつか見つけたりはしたのだが、もらった表彰状をすべてまとめて大切に保管してあるのではなく、1本の丸筒に 1枚だけ入ってる (要するに、もらったまま) 状態のものが何本か、あちこちに無造作に放り込んであるという風情である。多くは本当にどこかに忘れたか捨ててきたようなのだ。世間的栄達には興味のない人だった。

ところが自分自身も大したことはしていないのに、還暦を過ぎてみれば、それなりにいろいろなところから表彰状とか感謝状とかを頂いてはいるのである。こういうことは、ただ一定の年数を大過なく務めさえすれば、自動的にくれるという世の中の仕組みになっているようなのだ。

そしてもらった表彰状や感謝状は、父みたいに 「置き忘れてきた」 とか 「捨ててきた」 とかいう極端なことはないにしても、やっぱり押し入れの奥に無造作に放り込んであるだけで、額装して人目に付くようなところに飾ろうなんていう気には、到底なれないのである。

世の中には 「私も〇〇の役職を長年やったんだから、そろそろ表彰してもらいたい」 とか堂々と口にしたりする人もいて、「すげえなあ」 と思ったりする。「すげえなあ」 と思うのは、その長年の功績に対してではなく、そういうことを堂々と公言するメンタリティに対してである。

中には、国から勲章をもらうためにお手盛りの業界団体を設立して、その理事長に就任したという人までいる。国に対する長年の働きかけが実ってようやく勲章をもらうと、その御仁は間もなく死んでしまい、その最初で最後の理事長が死んでしまった途端に、年に 1度の総会以外にすることがなかった業界団体は、自然消滅してしまった。というわけで、勲章そのものよりも 「名誉欲の強い人だったなあ」 という記憶の方が強烈な印象として残っている。

で、私と言えば、「蛙の子は蛙」 ということなのか、そういうことには全然興味がなくて、くれるというものはもらわないと角が立つし、単なる形式的なものを 「いらない」 と言ってごねる方がよほど面倒なので、ありがたくもらうけど、ただそれっきりのことになってしまうのだよね。

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