カテゴリー「文化・芸術」の91件の記事

2019/01/20

『ぐりとぐら』 って、御伽草子のオマージュだったんだね

「来年のことを言うと鬼が笑う」 と言われるが、我ながら気の早いことに、「来年は子年だから、ざっと年賀状用ネズミの画像の目星を付けとくか」 なんていう気になって、ちょっと画像検索してみたところ、おもしろいものが見つかった。子年になるのはずっと先だが、出し惜しみをせずにここで公開してしまおう。

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「ネズミ 浮世絵」 のキーワードで画像検索をかけたところ、上に掲げた画像の上半分にある 『野鼠の草紙』 (「氏」 の下に 「巾」 と書くのは、「紙」 の異体字) というのが見つかった (参照)。一見してどこかで見たことがあると思ったら、そう、あの名作絵本 『ぐりとぐら』 の表紙とそっくりだったのである。

『野鼠の草紙』 というのは、「洞田創研究室 (Hajime Toda Laboratory)」 というブログ・サイトの 2014年 8月 1日付の記事で紹介されているので、説明を少し引用させていただく。

今回ご紹介するのは、明治二年に刊行された 『野鼠の草紙 (ノネズミノソウシ)』 である。これは、合巻形式の草双紙であるが、文明開化の影響か、紙を横長に使った点に特徴がある。 なお、この 『野鼠の草紙』 の内容は 「根津の国のかくれ里に住む山鼠、小栗忠衛門と小倉屋忠吉が森で卵を見つけて “かすていら” を造る」 というたわいのないものであったが、それゆえに年少の子供に大評判となり、多くの続編が出たという。

『野鼠の草紙』 というのは、明治 2年の刊行のようだが、現代の 『ぐりとぐら』 の方も、森の中で大きな卵を見つけ、それで大きな 「カステラ」 を作ったというストーリーが、まったく共通している。急にタイムトンネルを潜ったような気持ちになってしまうじゃないか。

室町時代から連綿と連なる古典文化の 『御伽草子』 の一環として 『鼠草子』 というものがある。それは 「日本文化と今をつなぐ。Japaaan」 というサイトの "御伽草子 「鼠草子」 はネズミをとことん擬人化させた室町時代の物語" という項でばっちりと紹介されている

ということは、『ぐりとぐら』 って、『御伽草子』、とくに 『鼠草紙』 へのオマージュとして書かれたという意味合いもあったわけだね。世の中、よく調べてみるとなかなかおもしろい。

【1月 21日追記】

下のコメントをご覧になっていただけばおわかりのように、これはすっかり騙されてしまったようだ。

『野鼠の草紙』 の 「の」 の字が、完全に今のフォントであることに 「???」 という気はしていたのだが、そこにもっとこだわればよかったなあ。

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2019/01/18

日本での Subway 不振に見る 「文化の違い」

近所のショッピング・センター内で買い物しながら軽く昼食にしようとフード・コートに立ち寄ると、Subway がクローズしているのに気付いた。たまたま休業の日に当たったのかと思ったが、よく見ると 「事情により営業を中止」 という貼り紙がしてある。

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何となく様子が尋常じゃないので iPhone で検索してみると、Subway の FC 店運営会社が破産してしまったという記事が見つかった。破産宣告の前から、続々と店舗が閉鎖されているらしい (参照)。 いやはや、そんなこととは全然知らなかったよ。

上述の記事によると、日本の Subway 不振の要因としては、価格の高さ、商品提供の遅さ、注文の難しさ、店舗の老朽化が挙げられている。ただ、最近ではショッピング・センターのフード・コートでの展開が増えているので、「店舗の老朽化」 は決定的なものじゃないだろう。個人的には Subway の価格は言うほど高くないと思うが、「商品提供の遅さ、注文の難しさ」 というのは、案外大きいかもしれない。

昼食をファーストフードであっさり済ませようという日本人の多くは、一言二言で簡単に注文するか、あるいは自動販売機でチケットを買って、サクッと商品を受け取り、後は黙々と食ってしまいたいというニーズなのかもしれない。そこへ行くとパンの種類とその中身、野菜の量、ドレッシングに至るまで多くのチョイスの中から好きな組み合わせを店員に口頭で伝えるという Subway 方式は、かなり異質だ。

讃岐うどんチェーンでも多くのチョイスはあるが、トッピングを無言でチョイスして自分で皿に取り、最後に支払いをする。ところが Subway では 「キャベツは多めにね」 とか 「パセリは要らない」 とか、口頭で細かな好みを伝えるうちに、自分なりのオーダーを確定していくというプロセスを辿る。この辺りの 「ハイタッチ (下の注参照) な多様性尊重」 が、「おまかせ文化」 の日本人にはうっとうしく感じられてしまうのかも知れないね。

日本での Subway の不振というのは、こうした 「文化の違い」 によるところが大きいと思う。ただ、Subuway の店頭に自動販売機が置かれ、チケットで注文を決めちゃうなんてことになったりしたら興醒めだ。それで馴染んじゃうと、米国の Subway では注文できなくなっちゃうなんてことになるだろうしね。

【注】
「ハイタッチ」 は両手を挙げた者同士で 「ポン」 とやることだと思われているが、これは和製英語で、本来の英語の "high touch" の意味は、「人間的な触れ合い、感性を大切にする」 ということに近い。その対極が "high tech" (ハイテク)。

これはちょっと冗談ぽい話だが、私は約 7年前の "「ハートアタックグリル」 という命がけのジャンク" という記事に、ニューヨークの Subway での様子を次のように書いている。

日本でもおなじみのチェーン、Subway でサブマリンスタイルのサンドイッチを注文する時、「ハーフサイズ」 (日本の Subway では基本の大きさ) と言うと、カウンターのおねえちゃんがびっくりして目を見開き、"Really?" (本当にそれでいいの?) なんて聞いてくる。

余計なお世話だと思ったが、見ていると、スキニーな若い女の子でも、倍の 「ワンフット・サイズ」 に、じゅるじゅるの肉をはち切れんばかりにはさみこんだやつを、当然の如く注文しているので、"Really?" と聞きたくなるのももっともな話かもしれないと、妙に納得してしまったりする。

日本では Subway の店員が 「本当にそれでいいの?」 なんてフレンドリーに聞いてくるってことは、決してないよね。

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2018/12/29

「世界一の映画館」 という映画が上映される

昨日の毎日新聞夕刊の "「世界一の映画館」 上映" という見出しを見て、思わず 「ヒャッホー!」 と声を上げてしまったよ。私の故郷、山形県酒田市にあった映画館 「グリーンハウス」 をテーマとしたドキュメンタリー映画が、全国で上映されるというのである。(下の写真をクリックすると、記事全体が拡大補表示される)

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グリーンハウスという洋画専門 (ほんのたまに、珠玉の邦画も公開されたが) の映画館は、中心街の 1774棟を焼失させた 「酒田大火」 (1976年) の火元になったということもあり、その後はあまり大きな声で語られることはなかったが、私にとってはとてつもなく大きな存在だった。なにしろ高校時代は週に一度以上の頻度で (定期試験の前夜だろうがなんだろうが) 入り浸っていて、私の 「センス」 形成に大きな影響を与えた存在だったのである。

このグリーンハウスで特筆すべきは、「シネサロン」 という定員 14名のミニ・シアターである。大量動員は見込めないが、映画好きなら絶対に見逃せないという 「コアな作品」 を選んで上映する趣旨で、今の私のセンスが形成されたのは、この小さな空間のおかげといっていい。このことについては一昨年 2月に 「懐かしのシネサロン」 というタイトルで書いているので、ここでは敢えて繰り返さないけどね。

映画評論家の故・淀川長治さんはこのグリーンハウスを 「世界一の映画館」 と評していたという。本当に世界一だったかどうかは知らないが、淀長さんがそう言ったのだから、まんざら出鱈目でもなかろう。私はその 「世界一の映画館」 に入り浸っていたというだけで、かなりの幸せ者である。

私のセンスがかなりバタ臭くなったのは、このグリーンハウスで見た数々の洋画のおかげに違いない。そのくせ修士論文で歌舞伎をテーマとしちゃったこともあり、以後ずっと和洋二本立てで生きてきている。

ちなみにこの毎日新聞の記事には淀川長治さんと大杉漣さんの顔写真が載っている。淀長さんが亡くなたのはかなり前だが、大杉漣さんは今年初めに急逝してしまった。というわけで、この毎日新聞の記事は、「今は亡き三本立て」 である。

せめて急には死にそうにない私が、時々話題にして語り継がなければならないような気がしている。というわけで、下の画像をクリックすると、予告編の見られるページに飛ぶ。それにしてもこのストーリーに登場する人には 「佐藤さん」 という苗字が多いなあ。

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【12月 30日 追記】

上の本文で 「定期試験の前夜だろうがなんだろうが」 と書いているが、それについて、14年前に書いた記事が見つかった。(下の URL をクリック)

http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2004/09/post_14.html

あの伝説の記録映画 『ウッドストック』 を見た時のことで、この記事にある 「地元の映画館」 というのが、何を隠そう、このグリーンハウスだったのである。

 

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2018/11/04

「誰かの弾くギターに合わせて、すぐにハモって歌い出せる」 世代

7年半以上前、ってことは、あの東日本大震災の前ということだが、「SMAP がハモらないのは」 という記事を書いた。その SMAP も今は解散してしまっているので、ずいぶん昔の話だが、この中で触れられている内容は、今でも古くなっていない。それは、東アジアには 「ハモって歌う」 という文化が根付いていないということだ。

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この記事の冒頭を以下に引用してみよう。

だいぶ前のことだが、森山直太朗がラジオにゲストとして出演しておもしろいことを言っていた。「母の世代は、どうして集まるとすぐ車座になるんだろう。そして、どうして誰かの弾くギターに合わせて、すぐにハモって歌い出せるんだろう」 と、子供の頃から不思議に思っていたというのである。

そして彼はずっと、「自分の世代には、車座になってハモって歌える歌がない」 と感じてきたのだそうだ。ふぅん、そうなのか。そうなのかも知れない。私の世代にとっては、集まってみんなで歌い出すのは案外自然なことで、しかも複数の人間が集まって歌うのにハモらなかったら、何だか損をしているような気さえしてしまうんだがなあ。

この記事の中で私は、「代わりばんこにソロ取って、サビはユニゾン」 というのが、日本のアイドル・グループの定番スタイルのようだとしている。さらにこれは韓国の場合でも同様のようで、つまり、東アジアでは 「ハモって歌う」 という文化がないということのようなのだ。

そして最近、私はこの 「代わりばんこにソロ取って、サビはユニゾン」 というスタイルが、とくにアイドル・グループの専売特許というわけじゃなく、ずっと昔からごく当たり前に踏襲されてきた 「伝統的スタイル」 なのだと知った。というのは、いわゆる 「デュエット・ソング」 というものを聞き、「これこそまさに、『代わりばんこにソロ取って、サビはユニゾン』 の決定的スタイル!」 と気付いたからである。

同窓会の二次会などでカラオケに繰り出すと、必ず誰かがペアになって、 『銀座の恋の物語』 なんてのをご機嫌で歌い始める。申し訳ないがはっきり言って、私としてはこのタイプの曲は 「違和感の塊」 でしかないし、従って、団塊の世代以前のアイドル扱いとなっている石原裕次郎という人についても 「古い時代の人」 と思うばかりで、まったく思い入れがない。

とにかく、こうしたタイプの、典型的な 「代わりばんこにソロ取って、サビはユニゾン」 というスタイルは、「気持ち悪くて仕方がない」 のである。というわけで、今のアイドル・グループの曲にしても同様に 「気持ち悪さ」 が先に立ってしまうのだ。

いみじくも森山直太朗が言っているように、「誰かの弾くギターに合わせて、すぐにハモって歌い出せる」 という私の世代は、日本の音楽文化においてはちょっと異端的な位置付けにあるのかもしれない。

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2017/05/12

笠置シヅ子の偉大さ

今年の夏の盛りにはなんと 65歳になってしまう私だが、あの伝説のブギの女王、笠置シヅ子の歌う姿は一度も見たことがなかった。時折ラジオで聞くだけで、画像情報は一切入ってこなかった。

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それもそのはず、彼女が歌手生活をスタートしたのは戦前のことで、あの 『東京ブギウギ』 のヒットは終戦直後。そして 1957年 (私が 5歳の時) には歌をやめてしまっていた。黒澤明の映画 『酔いどれ天使』 に 『ジャングルブギ』 を歌う姿があるらしいが、私の生まれる 4年も前の作品だし、残念ながらまだ見ていない(参照)。

私は子どもの頃から、ラジオで笠置シヅ子の歌を聴く度に心躍らせ、「スゴい歌手がいたものだなあ」 と思っていた。とくに 『買い物ブギー』 は圧巻である。生まれるのが遅すぎて笠置シヅ子を知らない人は、下の画像をクリックして、YouTube で聞いてみるといい。

そしてこのほど何と、笠置シヅ子の動画を発見した。アップロードされたのはもう 9年も前のことのようで、どうして今まで気付かなかったのか、悔しくてたまらないが、一生知らずに死んでしまうよりはずっとよかった。

画質は決してよくないが、戦前は踊りが激しすぎるために 「敵性文化」 として官憲に睨まれたという彼女の、実際に歌い踊る姿を見ることができて、私は幸せというものである。終戦直後とは思われないほどの見事な、そして時には身も蓋もないほどダイナミックな、圧巻の身のこなしだ。ちなみにバンドの指揮を執っているのは、作曲者の服部良一自身だと思う。

ついでだから告白してしまうが、このブギの女王と、1980年代の 「カネヨンのおばちゃん」 とは、全然結びついていなかったのである。いや本当に、同じ名前の別人と思っていたよ。あの頃の私は、テレビというものをほとんど見ていなかったしね。(今もあまり見てないけど)

かなり後になって、『東京ブギウギ』 の笠置シヅ子と 「カネヨンのおばちゃん」 とは同一人物であると知り、かなりショックを受けた。しかし立ち直るまでにそれほどの時間はかからなかった。むしろそれを知ることによって、私の中での笠置シヅ子の存在感はますます高められたのであった。

ところで、「笠置シズ子」 の表記が 「笠置シヅ子」 に変わったのは、いつ頃のことだったんだろうなあ。その辺りからして、戦後のドサクサを感じさせ興味深い。ちなみに上記の 『買い物ブギー』 のレコード・ラベルは 「笠置シズ子」 の表記になっている。

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2016/12/27

ステテコの考察

ちょっと季節外れかも知れないが、「ステテコ」 というものについて書く。私はずっとステテコを持たなかったが、近頃になり、夏に浴衣以外の和服を着なければならない時などにはくために、仕方なく 1着だけもっている。最近はユニクロでも売っているので、スーパードライ素材のものを買った。

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このステテコというのは決して外来語なんかじゃなく、純粋な日本語らしい。『語源由来辞典』 というサイトには、次のようにある。(参照

明治時代に流行した 「すててこ踊り」 という滑稽な踊りに由来する。 すててこ踊りとは、明治初期に宴席で江戸吉原の太鼓持ちが、うしろ鉢巻きにじんばしょり、半股引姿で踊る踊りで、鼻をつまんで捨てる真似をし、「ステテコ ステテコ」 と歌ったことから、「すててこ踊り」 という名が付いた。

京ちぢみの山城という通販サイトの記事 (参照) によると、これは初代三遊亭円遊が明治 13年頃に寄席で踊って流行らせたものであるらしい。彼は 「鼻の円遊」 といわれたほど鼻が大きかったので、この踊りを踊りながら自分の鼻をつまんでひょいと捨てる振りをしていたらしい。上の画像は、山城のサイトから拝借した。

その踊りを踊りながら歌っていた歌は、『瓢箪ばかりが浮き物か 私もこのごろ浮いてきた。さっき浮いた さっき浮いた すててこすててこ 』 というものだったようだ。

「ステテコ」 というのは三遊亭円遊のオリジナルというわけではなさそうで、鳴り物の太鼓の音を 「ステテコ、ステテコ」 と表現したものと思われる。それに三味線の音を加えれば 「ステテコ、シャンシャン」 になる。

それに、ステテコ踊りの 「浮いた」 という言葉から連想すると、「丼鉢ゃ浮いた浮いた ステテコシャンシャン」 もその系統に入れられる。曲名はその名も 『ステテコシャンシャン』 で、レコードにもなって残っており、YouTube で聞くことができる。

それに私の好きな 『かっぽれ』 なんかを踊る時にはいてる 「股引」 もステテコの一種なんだろうと思われる。

こうしてみると、ユニクロのカラーを採り入れたステテコというのも、決して奇をてらったものというわけじゃなく、伝統に沿ったものともいえそうなのである。

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2016/10/18

寡黙のディラン

スウェーデン・アカデミーが、ボブ・ディランへの直接のノーベル賞授賞連絡を断念したらしい。「アカデミーは授賞を発表して以来、彼を探そうと試みたが、今は連絡を取ることをやめた」 と、ダニウス事務局長が語ったというのだから、まあ、ディランらしい。(参照

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13日の 「ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に、しっかり納得」 という記事中で 「多分、当人はニコリともしないだろうが」 と書いた。これは半世紀以上もディランを聞いている者にはわかりきったことで、最近のライブで受賞について一言も触れなかったというのも、「そりゃ、そうだろうね」 ということになる。しかし連絡さえ取れないとまでは、さすがに思わなかった。

ディランもデビュー後の数年は、ステージ上でトークをしていたらしいが、ある時期からまったくしゃべらずに演奏するだけのステージになった。初来日コンサート "Far East Tour 1978" でも全然トークがなく、無愛想そのものだったが、パフォーマンスは素晴らしく、私は十分興奮して聞いていたよ。彼は多分、40年以上このスタイルを続けているのだろうから、「雄弁な寡黙」 がすっかり独自のスタイルになっている。

コンサートでやたらとトークの長いシンガーもいる。それはそれでいいが、自分の歌を長々と説明されると、私はかなりシラける。「説明なしでしっかりと通じる歌を作ってくれよ」 と思う。そしてもう一つ言えば、「歌の解釈は聞き手に委ねるべき」 だと思う。自分で 「これはこういう歌だ」 なんて説明するのは無粋だ。

「トークなしのパフォーマンス」 というのは、実は聞き手を信頼しているからできることなのかもしれない。そりゃあディランの聞き手は筋金入りだからね。

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2016/10/13

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に、しっかり納得

一昨日から長崎に出張し、今日の夕方に乱気流の中を羽田に降り立ち、日が暮れた道を自転車をぶっ飛ばして帰って来たら、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。ひえ〜! その手があったか!! ウッディ・ガスリーズ・グランドチルドレンと思っている私としては、戸惑いながらも嬉しい。

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巷では 「今年こそ村上春樹」 なんて言われていたが、私は密かに 「それは絶対にない」 と思っていた。なぜかと言われても答えに窮するが、直感として彼はノーベル文学賞っぽくないのである。彼は自分でもそう思っているらしいから、それは確かなことなんだろう。

だって、あるじゃん。芥川賞っぽくない作家とか、三島由紀夫文学賞っぽくない作家とか。スコット・フィッツジェラルドもレイモンド・カーバ—も、ノーベル文学賞をもらってないし、どうしたってそんな感じじゃないのである。その辺のところ、村上春樹自身は見極めてるのかもしれない。審査員ががらっと変わらなきゃ無理なのだ。

一方、ボブ・ディランなら完全に納得だ。多分、当人はニコリともしないだろうが。

ネットを見ると、「音楽もありなのか」 「それなら長渕剛もありか」 なんて反応があったりするが、おいおい、そんなことを言ってたら、世界で馬鹿にされるぞ。ディランの詩が文学であることは既にしっかりと認められたことなのだ。

今じゃあまり言われなくなったが、米国のビートニクからの系譜を知らないと、今回の彼の受賞は理解できないかもしれない。私の勝手な思いとしては、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックの分まで一緒にもらったんだという気がしてしまうのだ。

何しろ 「音楽」 であるとともに、いや、それ以上に 「詩」 (現代詩) なのだよ。だからノーベル文学賞なのである。彼のアルバムは 6枚がグラミーの殿堂入りしているが、彼の作品はグラミー賞よりもノーベル文学賞の方がずっとふさわしいと思う。

上の写真は、私が LP で持っているディランのアルバムである。”SAVED” 以後は ダウンロードして iPhone の中にあるだけなので、形としてのジャケットは、写真にある 12枚だけだ。ああ、ジャケットを眺めるだけでも、ハイティーン時代からの思い出が体の中を駆け巡るよ。

ここでこれ以上ディランを語り始めたら眠れなくなってしまうから、今日のところはここまで。

【日付が変わって追記】

「ギョエテとはわしがことかとゲーテ言い」 というジョークがあるが、放送の世界でもネットの世界でも 「ボブ・デュラン」 と誤記したり、間違って発音したりするケースが多いのに驚いている。夜中の TBS ラジオの女子アナも 「ボブ・デュラン」 と連発していた。これって、女子アナだけじゃなく、原稿を書いた記者も知らなかったってことなんだろうね。

近頃は 「デュランとは俺がことかとディラン言い」 である。"Dylan" をどうやったら 「デュラン」 と読めちゃうのさ? と聞いても、当然ながら元のスペルも知らないんだろう。Duran とか Durand とかじゃないのだよ。その辺の所、よろしく。

そんなこんなで、リアルタイムで Bob Dylan を聴くことができた自分の幸せを思ってしまっている。

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2016/04/26

東京オリンピックのデザインをダイナミックにするには

東京オリンピックとパラリンピックのエンブレムが決定した。「組市松紋 (くみいちまつもん)」 というんだどうだ。「市松模様」 といえば、日本の伝統柄として十分にお馴染みで、その意味ではなかなか乙なデザインなんだろう。少なくとも前に決定しかけてたのよりはずっとマシだ。

前に決定しかけてた 「アレ」 は、作者が 「見かけは似ていても、発想や成り立ちが違うのだから、『盗用』 ではない」 と言い張っていたが、プロセスは違っても結果があんなにも似ちゃってたんだからしょうがない (参照)。プロセスさえ違えば結果が似てても盗作じゃないなんて論理が通ったら、世の中似たデザインの洪水になってしまう。

もっともこのデザインの原型となった 「市松模様」 は、決して日本独特ってわけじゃない。西洋でも 「チェッカー柄」 として定番となっているものと、基本的には同じだ。日本でも昔から 「石畳模様」 と言われて定番だったらしい。それが江戸時代中期の佐野川市松という女形が衣装に取り入れて大ヒットしたことから、後に 「市松模様」 と呼ばれることとなった。

とまあ、そんなわけで、藍色を使うことで日本らしさを強調しているが、元々は必ずしも日本独特の発想ってわけじゃない。しかしそのことがかえって、オリンピックという国際大会のエンブレムとしてほどよく馴染むということになるのだろう。いわく言いがたいほどほどのところがいいってわけだ。

ただ、このデザインに関しては 「地味すぎる」 とか 「躍動感がない」 とかいう批判もあったらしい。まあ、そう言われてみれば確かにそんな気もする。少なくともダイナミックという感じはしない。

20160426_204238しかし私は毎日新聞の紙面の写真で、「あれ、角度によっては結構ダイナミックじゃん!」 と思ってしまった。エンブレム発表式で、作者の野老朝雄氏と作品を斜め下から煽って撮った写真の印象である。パラリンピックのデザインが、斜め下から見たためにデフォルメされて映っており、それがかなりダイナミックに見えちゃったのだ。(写真は毎日新聞より)

「これ、市松模様を変形したんだから、いっそのこともう一歩の変形を加えて、斜めにしちゃったらよかったのに!」 と思ってしまったのである。まあ、デザインというのは好きずきだから、「斜めじゃダメじゃん!」 という人もいるだろうが。

試しに妻に、「少なくともパラリンピックのエンブレムは、斜めにしちゃった方が雰囲気いいと思わない?」 と聞いてみると、「う〜ん、そうかもね」 と言っていた。

デザインの世界って、なかなか面白いものと思った次第である。

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2016/04/17

大津で思ったこと

京都への出張から戻ってきて、一日おいて今度は新潟への出張である。そして明日新潟から戻ったら、一日おいてまた京都に行く。一昨日の京都行きとはまったく別の用件なのだが、できることなら連続した日程でアポイントが取れれば楽だった。

ところが、間に今回の新潟での案件が割り込んでしまったので、京都からは一度帰ってまた出直すということになってしまった。新潟が割り込まなければ、少なくとも三泊四日ぐらいで京都に滞在できて、これまでの未踏の地に行くこともできたのに、ちょっと残念である。

もっとも京都にはこれまで何度も訪れて、観光客が行ってみるべきところはほとんど行ったといっていい。まだ行ったことのないところといえば、かなりの 「穴場」 となる。それで前回は京都市内ではなく、京都駅から電車で 10分以内でいける滋賀県大津に泊まり、前々から気にかかっていた三井寺 (みいてら) を参拝した。

三井寺というのは通称で、本当の名前は長等山園城寺 (ながらさんおんじょうじ)。天台宗寺門派の総本山である。琵琶湖のほとりの長等山の広大な敷地に、金堂や観音堂など、多くの由緒ある建物がある。また仏像などの文化財も多い。

この三井寺、天台宗ではあるのだが、その本山の比叡山延暦寺とは長い間、敵対関係にあった。9世紀に円珍 (智証大師) を中興の祖として発展し、その円珍は天台座主の地位にまで昇ったが、その死後、円仁 (慈覚大師) 派との抗争が始まった。

円仁派は 「山門派」、円珍派は 「寺門派」 と呼ばれ、山門派の僧兵が比叡山内の円珍派の建物を焼き払ったりしたために、寺門派は比叡山を下り、円珍以来のゆかりがある三井寺を根拠とした。しかしその三井寺も、山門派によって何度も焼き払われ、昔からそのまま残っている堂塔はほとんどないのだという。

Photo 仏門に帰依しながら、しかも同じ天台宗の中で相争うというのも悲しいものだが、白河天皇が 「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」 と嘆いたというほどだから、叡山の僧兵は相当に荒っぽい存在だったようだ。その荒っぽい僧兵たちの本拠である比叡山から見下ろすと、眼下の琵琶湖の手前に目障りな三井寺があるのだから、焼き払ってしまいたくもなったのだろう。

写真は三井寺参拝から下山して琵琶湖畔に降り、そこから比叡山を望んだところである。こうしてみると、比叡山にとって三井寺は、目の上ではなく、眼下のたんこぶだったのだと、実感としてわかる。

もし三井寺が琵琶湖の畔ではなく、もっと遠くにあったのだとしたら、そこまで対立しなくて済んだのではないかという気がする。しかし、例えば鎌倉なんてところを本拠とするにはもう少し時代を下らなければならなかった。歴史の運命というのは、なかなか大変なものである。

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