カテゴリー「文化・芸術」の87件の記事

2017/05/12

笠置シヅ子の偉大さ

今年の夏の盛りにはなんと 65歳になってしまう私だが、あの伝説のブギの女王、笠置シヅ子の歌う姿は一度も見たことがなかった。時折ラジオで聞くだけで、画像情報は一切入ってこなかった。

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それもそのはず、彼女が歌手生活をスタートしたのは戦前のことで、あの 『東京ブギウギ』 のヒットは終戦直後。そして 1957年 (私が 5歳の時) には歌をやめてしまっていた。黒澤明の映画 『酔いどれ天使』 に 『ジャングルブギ』 を歌う姿があるらしいが、私の生まれる 4年も前の作品だし、残念ながらまだ見ていない(参照)。

私は子どもの頃から、ラジオで笠置シヅ子の歌を聴く度に心躍らせ、「スゴい歌手がいたものだなあ」 と思っていた。とくに 『買い物ブギー』 は圧巻である。生まれるのが遅すぎて笠置シヅ子を知らない人は、下の画像をクリックして、YouTube で聞いてみるといい。

そしてこのほど何と、笠置シヅ子の動画を発見した。アップロードされたのはもう 9年も前のことのようで、どうして今まで気付かなかったのか、悔しくてたまらないが、一生知らずに死んでしまうよりはずっとよかった。

画質は決してよくないが、戦前は踊りが激しすぎるために 「敵性文化」 として官憲に睨まれたという彼女の、実際に歌い踊る姿を見ることができて、私は幸せというものである。終戦直後とは思われないほどの見事な、そして時には身も蓋もないほどダイナミックな、圧巻の身のこなしだ。ちなみにバンドの指揮を執っているのは、作曲者の服部良一自身だと思う。

ついでだから告白してしまうが、このブギの女王と、1980年代の 「カネヨンのおばちゃん」 とは、全然結びついていなかったのである。いや本当に、同じ名前の別人と思っていたよ。あの頃の私は、テレビというものをほとんど見ていなかったしね。(今もあまり見てないけど)

かなり後になって、『東京ブギウギ』 の笠置シヅ子と 「カネヨンのおばちゃん」 とは同一人物であると知り、かなりショックを受けた。しかし立ち直るまでにそれほどの時間はかからなかった。むしろそれを知ることによって、私の中での笠置シヅ子の存在感はますます高められたのであった。

ところで、「笠置シズ子」 の表記が 「笠置シヅ子」 に変わったのは、いつ頃のことだったんだろうなあ。その辺りからして、戦後のドサクサを感じさせ興味深い。ちなみに上記の 『買い物ブギー』 のレコード・ラベルは 「笠置シズ子」 の表記になっている。

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2016/12/27

ステテコの考察

ちょっと季節外れかも知れないが、「ステテコ」 というものについて書く。私はずっとステテコを持たなかったが、近頃になり、夏に浴衣以外の和服を着なければならない時などにはくために、仕方なく 1着だけもっている。最近はユニクロでも売っているので、スーパードライ素材のものを買った。

Kappore

このステテコというのは決して外来語なんかじゃなく、純粋な日本語らしい。『語源由来辞典』 というサイトには、次のようにある。(参照

明治時代に流行した 「すててこ踊り」 という滑稽な踊りに由来する。 すててこ踊りとは、明治初期に宴席で江戸吉原の太鼓持ちが、うしろ鉢巻きにじんばしょり、半股引姿で踊る踊りで、鼻をつまんで捨てる真似をし、「ステテコ ステテコ」 と歌ったことから、「すててこ踊り」 という名が付いた。

京ちぢみの山城という通販サイトの記事 (参照) によると、これは初代三遊亭円遊が明治 13年頃に寄席で踊って流行らせたものであるらしい。彼は 「鼻の円遊」 といわれたほど鼻が大きかったので、この踊りを踊りながら自分の鼻をつまんでひょいと捨てる振りをしていたらしい。上の画像は、山城のサイトから拝借した。

その踊りを踊りながら歌っていた歌は、『瓢箪ばかりが浮き物か 私もこのごろ浮いてきた。さっき浮いた さっき浮いた すててこすててこ 』 というものだったようだ。

「ステテコ」 というのは三遊亭円遊のオリジナルというわけではなさそうで、鳴り物の太鼓の音を 「ステテコ、ステテコ」 と表現したものと思われる。それに三味線の音を加えれば 「ステテコ、シャンシャン」 になる。

それに、ステテコ踊りの 「浮いた」 という言葉から連想すると、「丼鉢ゃ浮いた浮いた ステテコシャンシャン」 もその系統に入れられる。曲名はその名も 『ステテコシャンシャン』 で、レコードにもなって残っており、YouTube で聞くことができる。

それに私の好きな 『かっぽれ』 なんかを踊る時にはいてる 「股引」 もステテコの一種なんだろうと思われる。

こうしてみると、ユニクロのカラーを採り入れたステテコというのも、決して奇をてらったものというわけじゃなく、伝統に沿ったものともいえそうなのである。

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2016/10/18

寡黙のディラン

スウェーデン・アカデミーが、ボブ・ディランへの直接のノーベル賞授賞連絡を断念したらしい。「アカデミーは授賞を発表して以来、彼を探そうと試みたが、今は連絡を取ることをやめた」 と、ダニウス事務局長が語ったというのだから、まあ、ディランらしい。(参照

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13日の 「ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に、しっかり納得」 という記事中で 「多分、当人はニコリともしないだろうが」 と書いた。これは半世紀以上もディランを聞いている者にはわかりきったことで、最近のライブで受賞について一言も触れなかったというのも、「そりゃ、そうだろうね」 ということになる。しかし連絡さえ取れないとまでは、さすがに思わなかった。

ディランもデビュー後の数年は、ステージ上でトークをしていたらしいが、ある時期からまったくしゃべらずに演奏するだけのステージになった。初来日コンサート "Far East Tour 1978" でも全然トークがなく、無愛想そのものだったが、パフォーマンスは素晴らしく、私は十分興奮して聞いていたよ。彼は多分、40年以上このスタイルを続けているのだろうから、「雄弁な寡黙」 がすっかり独自のスタイルになっている。

コンサートでやたらとトークの長いシンガーもいる。それはそれでいいが、自分の歌を長々と説明されると、私はかなりシラける。「説明なしでしっかりと通じる歌を作ってくれよ」 と思う。そしてもう一つ言えば、「歌の解釈は聞き手に委ねるべき」 だと思う。自分で 「これはこういう歌だ」 なんて説明するのは無粋だ。

「トークなしのパフォーマンス」 というのは、実は聞き手を信頼しているからできることなのかもしれない。そりゃあディランの聞き手は筋金入りだからね。

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2016/10/13

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に、しっかり納得

一昨日から長崎に出張し、今日の夕方に乱気流の中を羽田に降り立ち、日が暮れた道を自転車をぶっ飛ばして帰って来たら、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。ひえ〜! その手があったか!! ウッディ・ガスリーズ・グランドチルドレンと思っている私としては、戸惑いながらも嬉しい。

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巷では 「今年こそ村上春樹」 なんて言われていたが、私は密かに 「それは絶対にない」 と思っていた。なぜかと言われても答えに窮するが、直感として彼はノーベル文学賞っぽくないのである。彼は自分でもそう思っているらしいから、それは確かなことなんだろう。

だって、あるじゃん。芥川賞っぽくない作家とか、三島由紀夫文学賞っぽくない作家とか。スコット・フィッツジェラルドもレイモンド・カーバ—も、ノーベル文学賞をもらってないし、どうしたってそんな感じじゃないのである。その辺のところ、村上春樹自身は見極めてるのかもしれない。審査員ががらっと変わらなきゃ無理なのだ。

一方、ボブ・ディランなら完全に納得だ。多分、当人はニコリともしないだろうが。

ネットを見ると、「音楽もありなのか」 「それなら長渕剛もありか」 なんて反応があったりするが、おいおい、そんなことを言ってたら、世界で馬鹿にされるぞ。ディランの詩が文学であることは既にしっかりと認められたことなのだ。

今じゃあまり言われなくなったが、米国のビートニクからの系譜を知らないと、今回の彼の受賞は理解できないかもしれない。私の勝手な思いとしては、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックの分まで一緒にもらったんだという気がしてしまうのだ。

何しろ 「音楽」 であるとともに、いや、それ以上に 「詩」 (現代詩) なのだよ。だからノーベル文学賞なのである。彼のアルバムは 6枚がグラミーの殿堂入りしているが、彼の作品はグラミー賞よりもノーベル文学賞の方がずっとふさわしいと思う。

上の写真は、私が LP で持っているディランのアルバムである。”SAVED” 以後は ダウンロードして iPhone の中にあるだけなので、形としてのジャケットは、写真にある 12枚だけだ。ああ、ジャケットを眺めるだけでも、ハイティーン時代からの思い出が体の中を駆け巡るよ。

ここでこれ以上ディランを語り始めたら眠れなくなってしまうから、今日のところはここまで。

【日付が変わって追記】

「ギョエテとはわしがことかとゲーテ言い」 というジョークがあるが、放送の世界でもネットの世界でも 「ボブ・デュラン」 と誤記したり、間違って発音したりするケースが多いのに驚いている。夜中の TBS ラジオの女子アナも 「ボブ・デュラン」 と連発していた。これって、女子アナだけじゃなく、原稿を書いた記者も知らなかったってことなんだろうね。

近頃は 「デュランとは俺がことかとディラン言い」 である。"Dylan" をどうやったら 「デュラン」 と読めちゃうのさ? と聞いても、当然ながら元のスペルも知らないんだろう。Duran とか Durand とかじゃないのだよ。その辺の所、よろしく。

そんなこんなで、リアルタイムで Bob Dylan を聴くことができた自分の幸せを思ってしまっている。

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2016/04/26

東京オリンピックのデザインをダイナミックにするには

東京オリンピックとパラリンピックのエンブレムが決定した。「組市松紋 (くみいちまつもん)」 というんだどうだ。「市松模様」 といえば、日本の伝統柄として十分にお馴染みで、その意味ではなかなか乙なデザインなんだろう。少なくとも前に決定しかけてたのよりはずっとマシだ。

前に決定しかけてた 「アレ」 は、作者が 「見かけは似ていても、発想や成り立ちが違うのだから、『盗用』 ではない」 と言い張っていたが、プロセスは違っても結果があんなにも似ちゃってたんだからしょうがない (参照)。プロセスさえ違えば結果が似てても盗作じゃないなんて論理が通ったら、世の中似たデザインの洪水になってしまう。

もっともこのデザインの原型となった 「市松模様」 は、決して日本独特ってわけじゃない。西洋でも 「チェッカー柄」 として定番となっているものと、基本的には同じだ。日本でも昔から 「石畳模様」 と言われて定番だったらしい。それが江戸時代中期の佐野川市松という女形が衣装に取り入れて大ヒットしたことから、後に 「市松模様」 と呼ばれることとなった。

とまあ、そんなわけで、藍色を使うことで日本らしさを強調しているが、元々は必ずしも日本独特の発想ってわけじゃない。しかしそのことがかえって、オリンピックという国際大会のエンブレムとしてほどよく馴染むということになるのだろう。いわく言いがたいほどほどのところがいいってわけだ。

ただ、このデザインに関しては 「地味すぎる」 とか 「躍動感がない」 とかいう批判もあったらしい。まあ、そう言われてみれば確かにそんな気もする。少なくともダイナミックという感じはしない。

20160426_204238しかし私は毎日新聞の紙面の写真で、「あれ、角度によっては結構ダイナミックじゃん!」 と思ってしまった。エンブレム発表式で、作者の野老朝雄氏と作品を斜め下から煽って撮った写真の印象である。パラリンピックのデザインが、斜め下から見たためにデフォルメされて映っており、それがかなりダイナミックに見えちゃったのだ。(写真は毎日新聞より)

「これ、市松模様を変形したんだから、いっそのこともう一歩の変形を加えて、斜めにしちゃったらよかったのに!」 と思ってしまったのである。まあ、デザインというのは好きずきだから、「斜めじゃダメじゃん!」 という人もいるだろうが。

試しに妻に、「少なくともパラリンピックのエンブレムは、斜めにしちゃった方が雰囲気いいと思わない?」 と聞いてみると、「う〜ん、そうかもね」 と言っていた。

デザインの世界って、なかなか面白いものと思った次第である。

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2016/04/17

大津で思ったこと

京都への出張から戻ってきて、一日おいて今度は新潟への出張である。そして明日新潟から戻ったら、一日おいてまた京都に行く。一昨日の京都行きとはまったく別の用件なのだが、できることなら連続した日程でアポイントが取れれば楽だった。

ところが、間に今回の新潟での案件が割り込んでしまったので、京都からは一度帰ってまた出直すということになってしまった。新潟が割り込まなければ、少なくとも三泊四日ぐらいで京都に滞在できて、これまでの未踏の地に行くこともできたのに、ちょっと残念である。

もっとも京都にはこれまで何度も訪れて、観光客が行ってみるべきところはほとんど行ったといっていい。まだ行ったことのないところといえば、かなりの 「穴場」 となる。それで前回は京都市内ではなく、京都駅から電車で 10分以内でいける滋賀県大津に泊まり、前々から気にかかっていた三井寺 (みいてら) を参拝した。

三井寺というのは通称で、本当の名前は長等山園城寺 (ながらさんおんじょうじ)。天台宗寺門派の総本山である。琵琶湖のほとりの長等山の広大な敷地に、金堂や観音堂など、多くの由緒ある建物がある。また仏像などの文化財も多い。

この三井寺、天台宗ではあるのだが、その本山の比叡山延暦寺とは長い間、敵対関係にあった。9世紀に円珍 (智証大師) を中興の祖として発展し、その円珍は天台座主の地位にまで昇ったが、その死後、円仁 (慈覚大師) 派との抗争が始まった。

円仁派は 「山門派」、円珍派は 「寺門派」 と呼ばれ、山門派の僧兵が比叡山内の円珍派の建物を焼き払ったりしたために、寺門派は比叡山を下り、円珍以来のゆかりがある三井寺を根拠とした。しかしその三井寺も、山門派によって何度も焼き払われ、昔からそのまま残っている堂塔はほとんどないのだという。

Photo 仏門に帰依しながら、しかも同じ天台宗の中で相争うというのも悲しいものだが、白河天皇が 「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」 と嘆いたというほどだから、叡山の僧兵は相当に荒っぽい存在だったようだ。その荒っぽい僧兵たちの本拠である比叡山から見下ろすと、眼下の琵琶湖の手前に目障りな三井寺があるのだから、焼き払ってしまいたくもなったのだろう。

写真は三井寺参拝から下山して琵琶湖畔に降り、そこから比叡山を望んだところである。こうしてみると、比叡山にとって三井寺は、目の上ではなく、眼下のたんこぶだったのだと、実感としてわかる。

もし三井寺が琵琶湖の畔ではなく、もっと遠くにあったのだとしたら、そこまで対立しなくて済んだのではないかという気がする。しかし、例えば鎌倉なんてところを本拠とするにはもう少し時代を下らなければならなかった。歴史の運命というのは、なかなか大変なものである。

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2016/04/02

陶器と磁器の違いを、この年になって初めて知って

まことに恥ずかしながら、陶器と磁器の違いというのを、この年になって初めて知った。「陶器 磁器 違い」 というキーワードで検索してみて、トップにランクされている 「陶器と磁器は違います - 全国やきもの案内・日本六古窯」 というページを読んで見ると、なんのことはない。すらすらとわかってしまった。

要するに原料の違いということのようなのだが、感覚的には、陶器というのは備前焼に代表されるような、ちょっとラジッドな表面感のやつで、磁器というのは有田焼に代表されるような、地が真っ白で洗練された感覚のやつと思えばいいようなのである。なんだ、わかってみれば実に単純なお話じゃないか。

私がこの年になるまで陶器と磁器の違いをわかっていなかったのは、決して調べてみなかったからというわけじゃない。実はかなり前に調べてみたことはあるのだ。それはインターネットが普及していなかった頃だから、30代前半のことだったろう。多分、どこかの図書館に行ったついでに、百科事典で調べてみたんじゃないかと思う。

私はその時、「陶器」 と 「磁器」 の項目をそれぞれ読んでみたんだと思う。その時は 「陶器と時期の違い」 を調べようなんて思って図書館に行ったわけじゃなく、何かのついでだったはずだから、じっくりと読み込んで両者の違いを比較検討するなんて余裕はなかった。それで、それぞれの項目のかなり長い説明をざっと流し読みして、「違いは、結局よくわからん!」 と、あっさり匙を投げた。

そしてそのまま 「陶器と時期の違いというのは、よくわからんものである」 と、ほぼ 30年間にわたって思い込んでいたのである。実はこんなに簡単なことだったとは、何十年もにわたって思いもしなかった。

30年前と今との違いは、結局は調べてみる時の 「項目の立て方」 によるものだ。30年前は 「陶器」 と 「磁器」 に関する長々とした説明を、ざっと流し読みした。そこにはそれぞれの歴史、材料、技法、種類、代表的産地・作家、流通、用途など、「これでもか」 というほどの情報がてんこ盛りだった。てんこ盛りすぎて、両者の違いを端的にフォーカスすることまでに至らなかった。

ところがインターネットの時代となった今、自分の知りたい 「陶器と磁器の違い」 というただ一点にフォーカスして調べることができるようになった。ありがたいことである。おかげで他の豊富すぎる情報に埋没することなく、知りたいポイントに絞り込んだ情報に、さくさくっと行き着くことができたのである。

18世紀フランスの百科全書派のような啓蒙主義、教養主義をひょいとパスしながら、我々は知りたいことをとても楽に、いながらにして調べることができる世の中に生きている。だから我々の 「知識の平均点」 は、3世紀前に比べれば少しは高いところにあると思う。しかし気をつけなければならないのは、「知識の深さ」 がどうかという点だ。

私は 「陶器と磁器の違い」 について簡単に知ることができたが、「陶器そのもの」 「磁器そのもの」 について詳しく知ったわけじゃない。それぞれについての知識は、甚だおぼつかないものである。それは知りたいポイントを、まさにピンポイントで楽に知ることができたために、その周辺の情報をせっせと読み込むことをパスしたからだ。

1つのことを知るために、その周辺の膨大な情報の山に分け入り、さんざん遠回りをした挙げ句にようやくゴールにたどり着いた者は、簡単に 1つのことを知ってしまった者とは比較にならないほどの 「知識の深み」 を身につけているだろう。ピンポイントで得た知識は、大きなバックグラウンドに裏付けられた知識に太刀打ちできない。

時には回り道をすることも、とても大切なことなのだ。私も及ばずながら、陶磁器の世界の迷路を折に触れて、これまでより深く楽しんでみたいと思う。

最後にちょっとした付録。私はこれまで、英語の china, pottery, porcelain は 「陶器」 の同義語かと思っていたのだが、ものはついでと調べてみたら、陶器は pottery で、china と porcelain は磁器を指すのだとわかった。へえ! ちっとも知らなかったよ。ちなみに総称としての 「陶磁器」 は "ceramics" なんだそうだが、"ceramic industry" は、ガラス、セメント、煉瓦、タイルの業界も含むという。

ふうむ、なるほど。英語とセットで考えると、頭の中の整理がつきやすい。粉を練ったのが paste で、練って熱して固めたのは ceramics なのだね。

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2015/12/26

当たり前の中の一ひねり

ほんの些細なことだが、今年の夏に軽自動車に乗り換えて (参照)、自分のクルマの前の方のナンバープレートが横っちょにずれていることに気付いた。「ふぅん、真ん中じゃないんだ。へえ、そうなんだ」 と思ったものの、軽自動車のほとんどがそうだと気付いたのは、うかつなことについ最近のことである。

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近所のスーパーの駐車場でみてみると、ほとんどすべての軽自動車のフロントのナンバープレートは、真ん中よりちょっと右側にずれている。左の写真をクリックすると拡大されるが、黄色のナンバープレート (軽自動車は黄色のナンバープレートと決められているらしい) は、ことごとくそうなっているのがわかるだろう。一方、普通車の白いナンバープレートはすべてきちんと真ん中に取り付けられている。

「へえ、ウチのクルマだけじゃなくて、軽自動車ってみんなそうなんだ。知らなかった!」 目からウロコとは、このことである。

軽自動車のナンバープレートが、ここまで揃いも揃ってずれてるというのは、きっと理由があるに違いない。まあ、普通に考えればラジエーターの関係なんだろうと想像がつく。軽自動車のラジエーターはやはり普通車のそれより小さいだろうし、クルマ自体の幅も狭いから、ナンバープレートで塞いで冷却効率を落とさないために、ちょっと横にずらしてるんだろう。

そう思ってググって調べてみると、果たしてその通りだった。当たり前すぎる結論で、ちょっとシラけてしまうほどである。

改めて考えてみると軽自動車というのは、「当たり前」 を突き詰めに突き詰めてデザインされているのだとわかる。軽自動車としての制約の中で最大限の性能と効率を実現するために、とことん当たり前を追求した結果が、こんなようなスタイルになるのだろう。

世の中には、「当たり前をとことん追求した結果のグッドデザイン」 と、「当たり前をうまく否定したグッドデザイン」 というのがある。そのどちらも美しい。そしてその中間に、「中途半端に当たり前のデザイン」 という広大なゾーンがあり、それらはあんまり美しさを感じない。まあ、「当たり前を下手に否定した結果、ぶちこわしになったデザイン」 というのよりは多少はマシかもしれないが。

「当たり前」 というのは、とことん追求するか、あるいは上手に否定してしまうか、そのどちらかでないとあんまり意味がないもののようなのである。

私としては、当たり前の中にさりげなくちょっとだけ当たり前を否定した 「一ひねり」 を加えたデザインというのが好みである。このブログも、そんなところを目指しているのだが、実はそれって、結構難しい。

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2015/10/30

よき師につくことについて

今朝の NHK ラジオを聞いていたら、「以前に (番組パーソナリティの) 高橋源一郎さんが 『楽しみは〜○○の時』 と続く句を紹介していたのを聞き、それをきっかけに自分も始めて、作品が千句以上になりました」 という投稿があった。

こう聞いたら、フツーは俳句の話かと思うじゃないか。例えば 「楽しみは新蕎麦の時喉鳴れり」 みたいなのを想像したのである。ところが、よく聞いてみると短歌の話なのだった。「短歌だったら 『句』 じゃなくて 『歌』 と言ってよね」 とか、「数の話でも 『千句』 じゃなくて 『千首』 と言ってくれよ」 とか、つい思ってしまうよね。

要するに、橘曙覧 (たちばなのあけみ) という幕末の歌人の 「独楽吟」 の話だったのである。天皇皇后両陛下が 1994年にがアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎スピーチで 「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」 という歌を引用したとかで、世間の注目を浴びたことがあった。

番組ではその投稿者の 「句」 (本当は 「歌」 なんだけどね) を紹介していたが、はっきり言って 「お下手」 である。基本的に文法の誤りが多すぎる。連体形で続けるべきところを終止形にしちゃう (例えば 「流るる○○」 とすべきところを 「流る○○」 にしちゃう) ものだから、歌がずたずたに切れまくったりしている。

普通は、短歌も 500首以上詠めばかなり上達すると言われているが、1000首以上詠んでこの程度では、「ど」 のつく素人芸でしかない。やはりよき師について習うことは必要なのだと思った次第である。それは短歌ばかりでなく、芸術一般、スポーツ、宗教的修行でも同じだ。

翻ってわが 「和歌ログ」 だが、はっきり言って師匠はいない。昔、かなり道を極めた先輩について指導していただいた時期があったが、今は離れてしまい、いろいろな本を参考にしながらの独学になってしまっている。そのせいでなかなか進歩しないのだろうが、昔の指導がなかったら、もっとヘボだったろうと思う。

ちなみに、私が短歌なんかやってると聞くと、「じゃあ、ここで一句お願いします」 なんていう人がいるが、そんな時私は、「誰が詠むか!」 と思ってしまう。短歌を 「一句」 なんていうのは、どうせ軽はずみな 「ノリ」 で言ってるだけの人なので、まともに請け合ってもしょうがない。(参照

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2015/09/03

グラフィック・デザインの世界の変わり目なのかも

今回のエンブレム 「パクリ」 騒動で、当初から言われていたのは、「シンプルなデザインでは、類似はある程度避けられない」 ということだった。確かにタイポグラフィとか、単純な図形を組み合わせることによる平面的デザインは、どう組み合わせようともどこか似てきてしまう。

おまけに色に関しても 「トレンド・カラー」 というものがあって、Intercolor という国際団体が、世界の色使いの潮流をまとめ、動向を予測したりしている。デザイナーたちはこれを無視できないから、色使いまで似通ったものになりやすい。

だから、受けのいい平面的組み合わせにトレンド・カラーを乗せたら、どうしてもどこか似通った印象になってしまうのは避けられない。あとは 「おっと、そうきたか!」 と思わせるような意表を突いた組み合わせをするという手があるが、それにしたってすぐに陳腐化する。

そこへもってきてネット界隈には、今回のエンブレム騒動で類似デザインをあちこちから見つけ出してきて注目されることに、味をしめてしまった人たちがいる。たまたま似てしまったデザインをもってこられて、無闇に 「パクリだ!」 と言われるリスクが高まったのだから、今やデザイナー家業も楽じゃない。

新たに公募し直されることになった東京オリンピック・パラリンピックののエンブレムだが、デザイナーたちには 「下手に突っ込まれたくない」 という意識が働いて、どうやら我も我もと応募したがる空気ではないらしい。

というわけで私は昨日の記事で、"「どう工夫してもある程度似通ってしまうのはしかたがない」 みたいな分野では、「ブルースのコード進行」 のようなフリーの 「入会地的ソース」 を認めておいて、利権主義的な 「知的所有権」 のコンセプトから、ある程度解放してあげなければ、そのうちにっちもさっちもいかなくなると思っている" と書いた。デザイン業界にはほとんど関わりがないが、そこまで心配してあげたくなってしまったのである。

しかし 1日経って、やっぱり 「別に素人がそこまで心配する義理はないね」 と思い直した。問題なのは今のグラフィック・デザインの主流が、タイポグラフィや単純な図形の組み合わせになっていることであって、手法を変えてしまえばデザインの可能性は広がる。

要するに行き詰まっているのはグラフィック・デザインそのものではなく、今の 「主流スタイル」 なのだ。いつの時代でも、メインの手法が行き詰まったら、新しい手法が生まれる。グラフィック・デザインは、たまたま今、その時期にさしかかっているということなんだろう。

今後いろいろと新しい模索が行われ、その中で 「これって、いいんじゃないの?」 と言われる要素が力を得て、共通する手法を採用する有力なデザイナーが輩出し、もしかしたら 「○○派」 なんて呼ばれ、それが新たなメインストリームを形成する。このようにして時代は変わり、繰り返し、また変わる。

今回のゴタゴタは、時代の変わり目を象徴する事件ということなのかもしれないね。

一つの可能性として、今は 「ユニークさ感じさせる絵の描ける人」 より 「既存のネタの組み合わせの上手な人」 が大いばりしているようだが、それが逆転するということはあると思う。より 「手の使える人」 が重宝されるだろう。つまり、グラフィック・デザインがちょっとだけイラスト寄りにシフトするだけで地平はぐっと広がる。

ただそれにしても、あまりにもアナログなところまで戻りすぎると問題だろう。そのあたりの匙加減がキーポイントかもしれない。

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