カテゴリー「旅行・地域」の202件の記事

2019/07/11

二泊三日の関西出張で、関西文化に浸る

昨日の夕方、奈良から大阪に移り、今日は大阪で一仕事終えて新幹線で家路についている。二泊三日の関西道中だった。

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奈良から大阪なんばまでで近鉄線の急行で移動したのだが、後ろの席に座った大阪のオバチャン 2人がその間の 1時間ぐらいずぅっと他愛もない話題でしゃべり通しで、「さすが大阪!」と感嘆した。どういうわけか大阪のオバチャンというのは、いくらしゃべり続けてもなぜかうるさく感じない。

これが東京山の手のマダム同士のおしゃべりだったら、10分間聞かされただけで気に障って「少しは静かにしててくれんか!」と思ってしまうのだが、文化の違いというのは不思議なものだ。一節には、大阪のオバチャンのおしゃべりは「人の悪口を言わん」から気に障らないのだという。確かに大阪のオバチャンは自分のアホさ加減を笑い話にしても、人のことは悪く言わない。

というわけで、昨夜はなんばのビジネスホテルに泊まった。夕食を食うために外に出ると、かの有名な「なんばグランド花月」から千日前のアーケードにかけて、いかにも大阪の「みなみ」の雰囲気で、勤め帰りの混雑が始まっていた。

個人的印象だが、大阪人はとにかくよく肉を食う。焼き肉だのホルモンだの焼き鳥だのの店がずらりと並んでいるが、私は近頃肉を食わないと決めているので、入る店がない。しかたなく日本中でお馴染みの「丸亀製麺」でうどんを食った。そこでお目にかかったのが、「天ぷら用 だしソース」というもので、これ、関東や東北の人間にはとんと馴染みがない。

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6年前に「ソースで天ぷらを食う文化」「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」という 2本の記事を書いているが、大阪とか広島とかに出張すると、そのことをしみじみと再認識する。日本文化の「多様さ」というのは、「小さな違いが大きな違い」的なものだと思っている。

 

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2019/07/03

都心に近い高速道路は避ける方がいいと学んだ

信州への一泊二日の出張をクルマでこなして戻ってきた。フツーに考えたら北陸新幹線で行けば楽なのだが、上田駅から先はレンタカーの必要なところなので、「いっそ直接クルマで行っちまえ」とばかり、高速道路を乗り継いで往復した。ところが信州方面に高速道路で行くって、結構面倒なのだね。

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往路は常磐道で友部まで行き、そこから北関東道で高崎に抜け、さらに上信越道に入って上田菅平まで行った。この間、栃木都賀JCT〜岩舟JCTは一時的に東北道を南下し、さらに高崎JCT〜藤岡JCT は関越道を南下する。上図のオレンジ色の経路で、ジグザグに戻るように見えるのが、その不規則な経路である(クリックで拡大表示される)。

この 2か所のジグザグがちょっと面倒に感じられたので、復路は素直に車載カーナビの示すとおりの経路(赤い線で示した経路)で戻ってきた。藤岡JCT までは往路と同じだが、そこからこっちは、関越道で大泉JCT まで一気に南下し、そこから外環道で三郷JCTに抜け、あとは常磐道で戻ったわけである。

確かに地図上でも往路よりは復路の方が短く見えるし、車載カーナビがこちらの方を推奨するのも道理である。スマホの Google Map で確認してもこちらの経路を「現時間帯での最速経路」みたいなことを言って推奨するので、一応信用したのだった。

ところが実際に走った印象としては、往路の方がずっと楽に走れたのである。復路は東京都心に近い外環道を経由したため、流れが悪かった上に、美女木付近で「左車線に故障車あり」との表示が出てかなりの渋滞が発生してしまった。

というわけで、往路は途中休憩も含めて 3時間で済んだのだが、復路は 4時間近くかかってしまった。時間が長いだけでなく、流れの悪さによる心理的ストレスも重なり、実際の感覚としても復路の方がずっと疲れた。

教訓。経路が複数想定される場合は、カーナビが何と言おうと都心に近い経路は避けるべきである。比較的空いた地方の高速道路は自分のペースで走れるので、物理的な距離が多少長くても心理的な疲労感が少ないし、結果的にはカーナビが弾き出した机上の計算より短時間で走れる。

それに復路の外環道は別料金になるため、高速料金はほとんど変わらなかったよ。

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2019/07/02

九州の大雨が心配だ

長野県に出張してきている。仕事の本番は明日で、ちょっと前までは曇りのち雨という予報だったのに、今日になっていい方に変わり、晴れのち曇りとなった。相変わらずの晴れ男で、私の行くところはまず降らない。

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そのかわりというか、梅雨前線は九州付近にずっと停滞していて、明日はさらなる大雨になるという予報だ。そこから伸びる前線は本州の太平洋岸にかかるが、陸地には及ばない。まるで私の仕事を円滑にするために、九州に大雨を引き受けてもらっているという構図だ。申し訳ないほどである。

去年の 7月は 「平成 30年 7月豪雨」と名付けられて記憶にも新しいが、近頃は毎年のように梅雨前線が活発になりすぎて各地(とくに西日本)に水害をもたらしている。先日の地震とも合わせて、日本はもう本当に「災害列島」と化してしまったようだ。

九州の大雨が大きな災害につながらないことを祈るばかりである。そして、避難指示が出たら早めに逃げてもらいたい。命あっての物種である。

経験則的に言うと、避難した人の半数以上は結果的には「なんだ、これなら逃げなくても済んだよね」ということになる。それでも「リアルな避難訓練になったよね。いい経験だった」と思う方がいいのだ。

 

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2019/05/21

我ながら「強力な晴れ男」ではある

下関での仕事を終えて、新幹線で帰路についている。晴れ男の常として、西日本はとてもいい天気だった。ここ 20年ぐらい、私は日本各地に 500回以上出張していて、野外イベントにも200回ぐらい参加しているが、晴天率は 99.9%以上である。

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実は先週の時点では 21日の山口県は雨になるという予報だったが、私としては「翌週の予報なんて、大抵変わるものだしね」と、完全に楽観していた。果たしてその通りに、週明けになって予報はドラスティックに変わり、今朝のテレビでも「今日の中国地方は雨傘ではなく、日傘が必要です」なんて言っていた。

経過を書くと、昨日の昼前につくばの地を発つ時の地元は上天気、行き先の西日本はニュースになるほどの大雨だった。ところが新幹線で移動しているうちに雨雲は東へ東へと移動し、夕方に下関に着いた時には、昨日の「和歌ログ」にも写真を載せたようなきれいな夕焼けだった。道路はまだびしょ濡れだったが(参照)。

上の写真は今朝の NHK ニュースでの天気予報の画面で、西日本の雨雲は完全に抜けいる。対照的に東日本は大雨で、朝のテレビに映る東京は大粒の雨だった。私が不在だったせいというわけじゃないが、通勤時に大雨に見舞われた東海・関東の人には人情として「ごめんね」と言いたくなるほどである。

というわけで今日は快晴の下で仕事が終わり、帰路の新幹線の中でこの記事を書いている。そして私がつくばの地に帰り着く頃には雨雲はすっかり関東を抜け、天気が回復しているようなのである。まるで晴れ男の私の移動に合わせて天気の方が気を利かせてくれているかのようだ。

この晴れ男振りは、我ながら本当にありがたい。

 

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2019/05/18

「温泉は熱いもんじゃ!」といわれても

朝日新聞の本日付記事に「別府温泉でお湯の温度をめぐる対立が続く。解決策は?」というのがある。"「修行のように熱い」と言う人もいれば、「熱いのが温泉」と言う人もいる" というサブタイトル付きだ。

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確かに別府には「熱湯好き」(この場合は特別に「あつゆ好き」と読んでいただきたい)が多いという印象だ。それも並みの熱さではない。記事のサブタイトルの如く、文字通り「修行のように熱い」のである。45度ぐらいでないと満足しない常連もいるらしい。

昨年末に大分県に出張した折に別府に泊まり、知人に勧められた「竹瓦温泉」というところに行ってみた。何だかアヤシい雰囲気の歓楽街を抜けて辿り着くと、ミニ歌舞伎座みたいな雰囲気のレトロな建物である。ここは別府のシンボルみたいな温泉施設ということで、「普通浴」(いわゆる浴槽に入る)と「砂湯」があり、実は砂湯というのを体験したかったのだが、この日は予約で一杯だったので「普通浴」というのに入った。

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何しろ昭和初期に建てられたというので、浴場もチョー・レトロである。で、一応体を流してから浴槽に入ろうとしたら、これがまたチョー熱い。思わず「あちちち!」と口走って水でうめようとすると、浴槽の一番奥の湧き出し口に陣取った温泉の主みたいなジイさんに「うめるな!」と一喝された。

このジイさん、「温泉は熱いもんじゃ。その辺はまだ一番ぬるいところじゃ!」と、赤鬼の如き形相でのたまうのである。しかたなくゆっくりと時間をかけて全身を浸し、心の中では「このじいさん、毎日こんな熱い湯に入ってたら絶対に長生きできないぞ」と呪いつつ耐えに耐えたが、5分ともたなかった。

こんなことがあるので、別府市営の浜脇温泉というところでは半年前に浴槽を「熱湯(あつゆ)」と「ぬる湯」に分割したというのである。この結果、熱湯好きとぬる湯好きの両方が喜ばれているようだ。めでたしめでたしである。

ただ、この措置はある程度の広さのある施設でないとできないことで、すべての市営温泉で浴槽を分割するのは不可能という。ということは、竹瓦温泉のあの赤鬼の如きじいさんは、相変わらず新参者を「うめるな!」と怒鳴り続けることになるのだろう。

それにしても、別府の湯の熱さは今どきとしては特別だと思う。上に掲げた新聞記事の写真でも、地元のジイさんらしいのは右側の浴槽(熱湯なんだろう)に集中して、左側はガラガラだ。

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2019/03/13

「南海トラフ地震は必ず起きる」 という覚悟

今日の 13時 48分に、紀伊水道を震源とする M5.2 の地震が発生したらしい。私が昨日まで滞在していた高知市でも、震度 2を記録している。

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この地震は南海トラフ地震との関連は薄いようだが、実は私が高知市に着いたばかりの一昨日 15時 37分にも高知県南西部を震源地とする地震があって、やはり震度 2を記録している。あの時は 3月 11日という日付が日付だけに、瞬間的に 「南海トラフ地震が来ちゃったか!」 なんて思い、妙に身構えてしまった。

何しろ南海トラフ地震が起きたら、最大 30メートル以上の高さの津波が襲来する可能性もあると言われているらしい、そしてその南海トラフ地震も、「今後30年以内に 70~80%の確率で発生し、最悪の場合、死者が 32万人以上に達する」 と予測されている (参照) のだから、なかなか心穏やかではいられない。

高知県民に聞いてみると、地震と津波に関する防災意識はかなり高いようだ。そして 「大地震は必ず来るということになっているのだから止めようがない。とにかく、来たらすぐに高いところに逃げることを心がけているほかないよ」 と、案外あっけらかんと言うのである。さすがに土佐のいごっそう、性根が据わっている。

とはいえ、土佐には知り合いも多いことだし、地震は避けられないにしても、願わくは軽い規模で起きてもらいたい。そして大きいのが起きてしまったとしてもできるだけ必死に逃げて、命は助かってもらいたいものだ。

彼らも地震に関する実感的な情報は得たいようで、8年前の私の体験や周囲の状況、どのようにして立ち直ったかなどという話を、熱心に聞いてくれた。本当に 8年前のつくば周辺程度の被害で済んでくれればいいと思うが、つくばは海からは遠いのだから単純には言えない。土佐の人たちにはやっぱり必死に逃げてもらいたいと祈るばかりである。

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2019/03/12

高知への出張から帰って

一泊二日の高知出張から帰って来た。私は仲間内では有名な晴れ男なので、今回も上天気。しかも 11日につくばの自宅を出発するまで大雨だったのに、家を出た途端にピタリと晴れたのも、晴れ男の威力である。ありがたいことだ。

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地方都市に出張して困ることの一つは、夕食をどうするかである。朝一番 (と言っても、最近は午前 10時ということが多いのだが) に訪問先を訪ねる場合などは、大抵前日の夕方過ぎにその町に着いて、ビジネスホテルに泊まる。そして翌朝は簡単に朝食を済ませるのだが、問題は到着当日の晩メシだ。

人口が 20万人以上ぐらいの県庁所在地クラスの都市なら、駅に着けばたいてい駅ビルの中に手頃な値段で晩メシの食えるレストランがあり、そこで食事を済ませてホテルにチェックインすることができる。ところが夕刻過ぎに到着するのが、人口 10万人そこそこの典型的な地方都市だったりすると、晩メシの食える店がほとんどない。

地方都市でも国道沿いまで脚を伸ばせば、たいていファミレスとか、麺類のチェーン店などが店を連ねている。しかし駅前の街並みというのは大抵寂れてしまっていて、そんなような店はない。あるのは居酒屋とか焼き鳥屋とか、おしなべて 「オッサンが会社帰りに群れて酒を飲む」 ためのごく小さな店だけである。

私とて昔は結構酒を飲んだし、このブログだって酒飲みながら書いているという時期も結構長かった。しかし最近はほとんど飲まない。飲んだとしても缶ビール 1本ぐらいのものである。だから、暗くなって着いた地方都市の駅前で居酒屋の暖簾をくぐろうなんて気にはならない。しかたなく、コンビニでおにぎりを買ってビジネスホテルの部屋でそれを食うということになりがちだ。

人口の少ない地方都市なら、それで仕方ないとも思う。最近の若い連中は、仕事帰りに群れて飲むなんてあまりしないから、若い層の多い都市なら、さっとメシだけ食って帰れる店がいくらでもある。ところが若年層が極端に少なく、オッサンとじいさんが圧倒的に多い地方都市では、日が暮れれば居酒屋系しかないのだ。

ところが今回の出張先は高知である。曲がりなりにも県庁所在地だ。遅くなっても酒なしで晩飯を食える店ぐらい開いているだろうと期待していたのである。しかし、それは甘かった。

「そうだ、ここは高知だったのだ」 と改めて思った、高知の人たちというのはとにかく酒を飲む。会社帰りにどっと繰り出して、ガンガン飲みまくる。それだけじゃない。会社帰りのオッサンの飲み会の始まる前に、奥さん連中が飲み会を済ませて家に帰ったりしているというほどの土地柄である。

そうした町だもの。空港から高知駅までのバスに乗り、駅前からホテルに向かう道のりは居酒屋、海鮮飲み屋、焼き鳥屋の類いだけで、メシだけ食える店なんて皆無である。必死に探して、「CoCo壱番屋」 が見つかり、そこでカレーを食ってホテルに入れた。そうでなかったら、またしてもコンビニのおにぎりになるところだった。

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2019/02/19

「自分の家から見る富士山が最高」 という三島市民

昨日の 「双頭峰」 ネタの続きである。実は富士山も縄文以前は双頭峰だったという話なのだが、昨年の今頃 (参照)、新幹線の中から三島付近で写した富士山の写真をよく見ると、なるほど、右肩のあたりに宝永火口の出っ張りがあって、双頭峰の名残がうかがえる。

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実は今年 1月に三島に出張した時は、案外間近から何枚も富士山の写真を撮ったが、この日は雲がちょうど宝永火口を隠す辺りにかかっていた。これはこれでなかなか美しい。下の写真はその時の 1枚である。こうして見比べてみると、今年初めの富士山は雪が少なく、昨年の 2月の方が見事な雪化粧だった。

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ところで最近聞いた話だが、三島市民の多くは 「自分の家から見る富士山が一番きれい」 と信じているのだそうだ。出張先で会った人も 「そりゃ、そうですよ。我が家から見る富士山はちゃんとポーズを決めてくれるし、光線の具合がいいと、スマイルだってしてくれますから」 と、マジに言うのだった。

ここまで来るとすごいと感心するほかないが、その気持ちはなんとなくわかる気がする。地元から見える山は、見慣れた地点から見るのが一番しっくりくるのだ。

例えば我が故郷の鳥海山は、反対側の秋田県から望むとまったく別の印象になる。さすがに北斜面だけに、山形県から望む穏やかな姿とは異なる厳しさを感じさせるのだ。それで秋田県人は 「山形側から見る鳥海山は間が抜けてる」 なんてことを言う。それに対してこっちは 「秋田から見るとちょっと貧相だ」 なんて言うわけだ。

それは筑波山にしても同様で、「つくば市内からの角度が最高」 と言う人が多いが、他から見るのも変化があってなかなかいいというのも事実である。とにかく、見慣れた角度が、その人にとっての最高なのだ。「故郷の景色」 というのは、「馴染み」 の度合いが大切なファクターのようだ。

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2019/02/02

東北生まれの男が広島で一人メシを食うのは大変

一泊二日の広島出張から、さっき戻ったばかりだ。一昨日夜からの雪は心配したほどには積もらなかったので、交通機関への影響はほとんどなく、帰りも順調に帰って来れたのでホッとしている。

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広島市には 10回近く出張しているが、その度に食文化の相違を感じて戸惑ってしまう。とくに広島駅周辺で晩メシを食おうとしても、お好み焼きやと寿司屋の比率がやたら高くて、二の足を踏んでしまうのだ。とにかく 「飲み」 とワンセットとすることが前提の飯屋が多く、1人でサクサクっと食事を済ませるのに適した店が少ない。

他の都市だと、少なくともフードコート的な飲食店の集合スペースがあって、そこで適当に軽く食事を済ませることができる。ところが広島駅周辺だと、私が知らないだけなのかもしれないが、そうしたところはない。とにかく、「広島焼き」 と称するお好み焼き屋で、サラリーマンたちがご機嫌な大声で飲み食いしているのが目立つ。

6年近く前の 「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」 という記事中でも書いたように、私の生まれた山形県は 「お好み焼き不毛の地」 と言われるところだ。酒田市でも私が暮らしていた 1970年までは、数年に 1度お好み焼き屋が開店し、半年ももたずに閉店するという状態だった。

そんなわけで、私はお好み焼きを食う作法をトンと知らないのである。訳知りの人は 「広島焼きは大阪流のお好み焼きと違って、店の人が焼いてくれるから問題ないですよ」 なんて言うのだが、そうは言っても、あの 「サラリーマンたちのご機嫌な大声充満」 の店の前に立つと、どうしても一人メシを食うために暖簾を潜ろうという気にはならないのだ。

それは寿司屋を前にしても同じことで、出張先で寿司屋に入って一人メシを食おうなんて発想はない。最近は肉食を避けているので、ラーメンも食わないし、そうなると蕎麦屋かうどん屋が一番無難な線なのだが、西日本に行くと蕎麦屋というジャンルの店がやたら少ないのだよね。うどん屋はそれほど珍しくはないが、それでも多くはない。

東北生まれの人間が一人メシを食おうとして、広島ほど苦労する土地はないと、訪れる度に思うのである。

それと付け足しだが、広島の地は既にスギ花粉がずいぶん飛んでいるようだった。そしてつくばの地に帰っても花粉の飛散量は 2日前とは段違いのようで、やたらと目が痒い。今年も春は近付きつつある。

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2018/12/20

奈良の鹿の角

昨日から一泊二日で奈良に出張していた。奈良と言えば奈良公園の鹿である。今回は時間がなくてゆっくり散歩することはできなかったが、クルマで通り過ぎるときに見ると、鹿はことごとく角がなくなっている。

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鹿の角は春から秋にかけて大きく成長し、冬になるとその付け根の部分に栓のようなものが形成されて血流がなくなるため、自然にポロリと落ちてしまうらしい。つまり、あれって毎年新しく生えて、冬になると落ちてしまうというのである。

秋の繁殖期が終わり、雄同士が争う必要がなるなると、食糧不足の冬を乗り切るために、余計物となった角を落とす方が楽ということらしいのだ。何しろあの角は春から秋にかけてあんなに成長するので、維持するのにもかなりの栄養を消費するというのである。

秋になると奈良では 「鹿の角切り」 という行事がある。鹿を追い込んで捕まえ、縄を掛けて寝かせてしまってから、ノコギリでゴリゴリ切るのである。秋になると鹿の角は血流もなくなり、人間の爪を切るのと同じような感覚で切ってしまえるというのである。道理で、今の時期の奈良の鹿は、ノコギリで切り落とされたばかりのような短い切り跡のある鹿がたくさんいる。

鹿の角は自然にポロリと落ちのだから、自然に落ちるに任せればいいようなものだが、どうしてわざわざ 「角切り」 を行うのか、私は長年不思議に思っていた。公式には 「秋には繁殖期で気が荒くなり、角で突き合って怪我をしたりするので、その防止のために角を切る」 とされているのだが、どうもそれだけでは説明がつかない気がする。

どうせ自然に落ちるなら、どうして余計な手間をかけるのか。それに、鹿同士が角で突き合って怪我をすることがあると言っても、どうせ野生の鹿同士なのだから、それはそれで自然の営みの一部として放っておけばいいではないか。

今回奈良の知人に聞いてみたところ、そこはそれ、角切りをしなければならない事情というのがあるようなのだ。一つは、秋には鹿の気が荒くなって、観光客が突かれてしまう危険性があること。そして二つ目は、自然に角が落ちるに任せておくと、そこら中に角が落ちてしまい、交通の妨げになることがあるというのである。なるほど、下手したらクルマがパンクしちゃうよね。

そして最後に、角切りというのは結構人気のある神事なので、観光資源として止めるわけに行かないというのである。なるほど、これは大きな要素だろう。

というわけで、角切りというのは、人間の都合という要素が大きいようなのだ。

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