カテゴリー「旅行・地域」の189件の記事

2018/11/09

狸の書いた木葉経

先日、紬で有名な結城に行って、この町で一番大きな寺、弘経寺を詣でると、与謝蕪村の句碑があった。江戸時代の結城には砂岡雁宕 (いさおかがんとう) という著名な俳人があり、その当時に与謝蕪村が彼を頼って訪れ、弘経寺に滞在したという縁があるのだそうだ。

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で、問題の句碑だが、ものすごくダイナミックで、碑からはみ出しそうな字である。最初の文字の判読に苦労したが、どうやら 「肌」 という字のようで、「肌寒し己が毛を噛む木葉経」 と読める。何だか意味がわからない判じ物みたいな句だ。

で、この土地でボランティア・ガイドをしている人に聞いてみると、次のようなことだった。

まず 「木葉経」 というのは、その昔、紙が貴重品だった頃に木の葉に写経したものという。「このはきょう」 または 「もくばぎょう」 と読むそうだ。そしてこの句は、その昔、狸が僧侶に化けてこの寺で仏道修行をしていたという言い伝えに基づいている。

冬の寒い日に木の葉に写経していると、深々と冷えてきて、筆先も凍り付きはしないまでも硬くなって文字が書きづらくなる。その度に、口に含んで噛み、柔らかくしなければならなかった。ところが筆の穂先というのは、狸の尻尾の毛を使うのが一般的だったので、僧侶に化けた狸が穂先を噛むというのは、自分の尻尾を噛むようなものである。この句はその面白みを表現している。

で、この時の木葉経は弘経寺に残っているらしいのだが、住職以外の者がそれを見ると目が潰れると言い伝えられるため、公開されていないのだそうだ。しかし、江戸期の葉っぱはいくら何でも朽ち果ててしまっているだろうから、あくまでも 「言い伝え」 として受け取っておけばいいだろう。

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2018/10/21

雪を戴いた富士の姿

今日、甲府方面から中央本線で帰宅する途中、綺麗に冠雪した富士山の姿が見えた。何だかんだ言っても、やっぱり富士山は雪を戴いた姿が一番美しい。

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東海道新幹線に乗っても、天候に恵まれれば綺麗な富士山が見られる。一番見事なのは、三島付近を通過している時に見える姿だ。ただ、夏の間の雪のない富士山は、いくら見事に見えたとしても、やはり 「最高の眺め」 とは言えない。やはり富士山には雪がなければならない。

昨日、中央本線から見えた富士山は、雪は戴いているものの、上の方の 30% ぐらいの部分なのではなかろうか。頭の辺りがちょこんと見えている程度なので、残念ながらやっぱり 「最高の眺め」 ではない。

ただ、三島方面からの眺めは南斜面になるので、これほど見事な冠雪ではなかったかもしれず、頭のあたりがちょこちょこっと白くなっているだけだったという可能性もある。さらにあの辺りは手前に工場の煙突が林立しているのが興醒めだし、どこから眺めるのが一番なのか、難しい議論になる。

一節には、1000円札の裏側に描かれている富士山が一番見事だと言われていて、これは 「中ノ倉峠展望地」 という所からの眺めらしく、本栖湖の近くにあるらしい。私はそこには行ったことがないが、確かに富士山は北の方から眺める方が、ずっと迫力がある気がする。

いずれにしても、人それぞれに ”My best Fuji" というのがあるのかも知れない。何しろ、かなり遠くからでも見える山で、我がつくば周辺からもしっかり見えるので、本当にいろいろな見え方がある。

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2018/10/17

ゴロゴロ (キャスター付スーツケース) の扱いについて

先日 「一番やりたくないことは何ですか?」 と質問されて、即座に 「人の邪魔になること」 と答えた。ということは、自分自身が、他人に邪魔されることを一番苦痛に感じるということなのだろう。それだからこそ、他人の邪魔もしたくないというわけだ。

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今日も 2泊 3日の出張から戻ってきたばかりなのだが、旅行中に駅のホームなどの混雑したところを歩いていて、他人が目の前に立ち塞がってしまうのには本当にいらいらする。まあ、大抵は旅慣れていないオバサンの団体だったりするのだが、通路一杯に広がって立ち話に花を咲かせ、自分たちが通行の邪魔になっていることをちっとも意識していない。

団体で通路一杯に広がるだけでなく、人の歩いている前に急に横から現れていきなり立ち止まったりするのも、それほど混雑しているわけでもないのに人の目の前スレスレをぶつかりそうになりながら横切ったりするのも、大抵オバサンだ。

ホテルのビュッフェスタイル (ホントの発音は、「バフェイ・スタイル」、いわゆる 「バイキング形式」 のこと) の朝食で、多くの人が食材を自分の皿に取るために列に並んでいるのに、4〜5人で 「まあ、サラダもいろいろあるのね、どれにしようかしら」 とか、「目移りするわねえ」 なんてキャアキャア言いながらちっとも前に進んでくれないのもオバサン連である。

そして散々迷いながら目一杯のおかずを皿に盛り付け、結局食い切れなくてどっさり残飯入れに捨てるのもまた、オバサンたちである。まあ、それはもう、今さらどうこう言っても直りようががないので、じっと耐えているわけなのだが、たった一つ、本当に気をつけてもらいたいことがある。

それはキャスター付きのスーツケース (いわゆる 「ゴロゴロ」) を、ずいぶん体から離して後ろ手に引きずって歩くことだ。混んでいるところでこれをやられると、目の前を横切ったオバサンの後ろに引きずられているゴロゴロにつまづいたり、蹴飛ばしたりしてしまう。これ、案外危ないのだよ。

混雑したところでは、お願いだから、体の横にぴったりと付けて (つまり、斜め後ろに引きずらずに、自分の横に真っ直ぐ立てて) 転がしてもらいたいのである。それから、エスカレーターに乗るときは、大きなゴロゴロを自分の横においてステップの両側を塞いでしまわずに、自分の直前のステップにおいてもらいたいものだ。

この 「ゴロゴロの扱い」 だけは気をつけていただきたい。本当に危ないから。

旅慣れなくて人の邪魔にばっかりなってしまうというのは、多くのオバサンたちのほんの一部なのだろうが、こうした人たちのおかげで、オバサン全体が変な目で見られてしまうのは、ちょっと気の毒なことでもあるのだよね。

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2018/10/16

「こたべ」 という名の京都のお菓子

今日、京都駅のみやげ物売り場でいいものを発見した。京都名物 「生八ツ橋」 の子ども版である。生八つ橋は 「おたべ」 という商品名で売られていることが多いのだが、その子ども版なので 「こたべ」 なのだろう。「おたべ」 は 2口サイズで、「こたべ」 は 1口サイズである。

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実は、私は生八ツ橋が好物なのである。普段の食事では甘いものは避けたいクチなのだが、生八ツ橋ときんつばは好きなのだよね。どういうわけか。

で、これまでは京都土産に生八ツ橋を買っても、土産を持って行く相手の口には入っても、自分の口には入らないのが少々不満だった。「実は俺だって食いたいんだけど」 と思ってしまうのである。

ところが、この 「こたべ」 は値段が 350円と非常に手頃なので、自分用に軽い気持ちで買ってしまえるのだ。それで、人にあげるのはちょっと大きめのを買って、自分はこっちを買って食べることで、これまでの不満解消ができるというわけだ。

調べてみると、2013年から季節限定で販売されているらしい。これまで知らずにいたのがちょっと悔やまれてしまうよ。

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2018/10/08

「新高橋橋」 という橋

昨日まで 3日連続でシリアスなテーマで書いてしまったので、今日は軽い話題である。茨城の地名というか、橋の名前に関する話だ。

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上の写真は Google Map から拝借したものだが、国道 6号線を水戸から土浦方向に南下していて、茨城町 (という町があるのだ) で涸沼川 (ひぬまがわ) という川を渡る橋に差しかかる直前の光景である。手前左側に橋の名前の看板があって、「新高橋橋 Shintakahashi Bridge」 と表示されている。「しんたかはしばし」 とはカンじゃいそうなので、通る度に印象に残ってしまう名称だ。

それでつい最近、ふと思い立って橋の名前の由来を調べようとググってみたのだが、「新高橋橋」 という橋が見当たらないのである。その代わりに 「新高橋」 という橋が見つかった。どうやらいつも通っている 「新高橋橋」 のことらしい。(参照 実際に地図に飛んだら、橋の部分をクリックすると、下の画像のような詳細説明が表示される)

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地図によると、この 「新高橋」 (あるいは 「新高橋橋」) の東 (右側) に平行して 「水戸街道」 (いわゆる 「旧水戸街道」 あるいは 「旧 6号」) が通っており、いつも通っている国道 6号線は、新しくできた 「6号バイパス」 とされている。で、旧道が涸沼川を渡る橋は、下図のように 「高橋」 ということになっている (参照)。バイパスの方の橋は 「新しい高橋」 なので 「新高橋」 ということのようなのだ。

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初めは 「高橋」 という地名があって、そこにかかる橋なので 「高橋橋」 ということになり、Google などでは紛れてしまって、橋の名前が 「高橋」 と表示されているのかとも考えた。しかし地名検索してみても、この辺りに 「高橋」 という地名はない。

「高橋」 という地名がないということは、橋の名前を 「高橋橋」 なんてクドいものにする必要は、まったくないということである。一体どうなっているのか。

さらにググって見ると、「目的地までが目的地」 というサイトが見つかった。いながらにしてドライブ気分を味わえるサイトで、本当に主要道路を辿る画像が満載されている。この中に 「新高橋」 というページもあり、「新高橋橋」 という名称表示のある写真に 「『新高橋橋』 と書いて在るが・・・手元にある国土交通省から開示請求して取り寄せた資料だと 「新高橋」 とあるので・・・」 とのキャプションがある。

国土交通省の資料に 「新高橋」 とあるというのだから、正式名称はやはり 「新高橋」 でいいのだろう。で、東側の古い方は 「高橋」 だ。となると、「じゃあ、『橋』 の前の 『高』 というのは、一体どこからきたのだ?」 という疑問が当然湧いてくるが、それに関してはどうにもわからないので、とりあえずこだわらないことにしよう (気になるけど)。

とにかく、茨城県の地名にはわかりにくいのが多い。例えば関東鉄道バスの取手・守谷間を結ぶ路線には 「岡」 というバス停がある。知らない人は岡の上か麓にあるバス停を想像するだろうが、まったくの平地なのだ。よく調べるとこの辺りは 「岡」 という地名で、確かにはずれの方にちょっとした岡がある。ただ、バス路線は岡を外れた平地を通るので、違和感の元になっているようなのだ。

ちなみに広島県の JR 呉線には 「坂」 という名の駅があるのだが、これもまたスゴいと思う。

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2018/08/29

鳥取県から帰ってきた

鳥取県米子市での仕事を終えて、無事帰って来た。暑さが完全に戻ってきていて、街を歩いているだけで汗が流れたが、雨にも、もちろん台風にも遭わずに帰って来れたからよしとしておこう。

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そして、前回の佐賀と博多を 2泊3日で回ったときは、一昨日の記事でも書いたように、蜂に 2度も刺されたせいでかなりぐったりと疲れたが、今回は体力が回復して、ピンピンしたまま帰って来た。自分でも安心している。

写真は米子空港のロビーから眺めた空港の景色。米子空港の近くには、自衛隊の美保基地があるのだが、そこは父が若い頃に志願して入った予科練の基地のあったところで、「若き父はこの山陰の海を眺めていたのか」 と、ちょっと感激してしまった。

そしてせっかく感激した直後に覗いた土産物屋に、「島根か鳥取か分からないけどそこら辺に行きました。」 という名前のチョコレートパイがあったので、その感慨もどこかに吹っ飛んでしまったのだった。なかなか心の琴線に響く自虐ネーミングである。

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鳥取と島根は、どっちがどっちかわからない隣同士の県の中でも筆頭格で、そしてこのチョコパイは一応島根県の土産であるらしいのだが、鳥取県の米子空港で売られているのだった。まあ、米子は島根との県境に近くて紛らわしいし、売り場が増えれば売り上げも増えるってことなのだろう。私自身も米子市というのが島根県ではなく鳥取県にあることを、今回初めて知ったのだし。

ちなみに私の生まれた山形県も、秋田県と区別の付かない人が多く、さらに香川県と徳島県もちょっとした鬼門だ。

ところで、来週は熊本県に行くことになっているのだが、昨日発生した台風 21号が、ちょうどその頃に日本に近付くらしい。さぁて、どうなるか。

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2018/08/26

博多の繁華街に漂う生臭さの正体

一昨日に続いて、「肉を食わない」 ことに関する話題である。今日は博多ラーメンの話だ。

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佐賀の街を歩いていた時から、何となく生臭いというか、もっとひどい形容をしてしまえば 「ウンコ臭い」 というか、あまりいい感じではない臭いがすると思っていたのだが、博多に移動して、その臭いの元がはっきりと特定できた。九州のラーメンは博多ラーメンを筆頭に 「豚骨スープ」 が多いため、ラーメン屋からその独特の臭いが漂っているのである。

博多にはこれまでに何度も来たが、この臭いは、今回初めて気になった。今年の 3月に来た時はモロに博多の街に滞在したわけではなく、北九州市と太宰府で仕事があって、博多の街は宿泊しただけだったから、あまり気にならなかった。それに、今年の春は肉食を全面的に止めて間もない頃だったので、まだ体が変わり切っていなかったのかもしれない。

ところが今回は肉食を止めて 1年近く経っているせいか、豚骨系の臭いがかなり気になった。喫煙者がタバコ臭さに気付かないようなもので、普段肉を食べ付け、豚骨系スープに親しんでいると、博多の繁華街に漂うあの臭いに鈍感になるもののようだ。自分自身、肉を食っていた頃は全然気にならなかったのである。

今回博多で会った人の中にも、肉食をしない人がいて、彼は 「豚骨系スープのラーメンは博多名物的な位置づけなので、あまり声高には言われないけど、実は案外 『臭い公害』 と感じている人は少なくないんです」 と言っていた。日本人の多くが喫煙者だった頃には、「タバコ臭さ」 なんてあまり話題にならなかったのと同じ構造だと思う。

ただ喫煙者は減っているが、肉食は減らないどころかますます増えているので、全体的には博多の繁華街に漂うあの 「生臭さ」 は、今後もあまり問題にされずに経過してしまうような気がする。

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2018/08/03

飛騨国行きはお預けになってしまった

今年 3月 23日に 「何としても飛騨に行ってみたくなった」 という記事を書いていて、今年のお盆過ぎはそのチャンスだと思っていた。京都と博多に出張することが決まっていて、その前に名古屋で途中下車し、未踏の地である飛騨の高山に寄り道しようと計画していたのである。

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で、今日は外出したついでに、名古屋から高山行きの 「ワイドビュー 特急ひだ」 の切符を買うために駅に寄った。この特急は JR 東日本管轄ではないので、指定券の自動販売機では買えず、「みどりの窓口」 に並んで申し込んだら、窓口担当者が 「ありゃ、これはちょっと —— うぅむ、ちょっとお待ちください」 と、難しい顔をして別の端末で何やら調べている。

何事かと思っているうちに調べがついたようで、「申し訳ありません。名古屋からの高山本線は、先日の豪雨で土砂崩れが発生しておりまして、しばらく運行できない状態になっています」 という。いやはや、広島や岡山の路線がメチャクチャになっているとは知っていたが、高山本線まで運行停止になっていたとは知らなかった。

そんなことなら仕方がない。今回は高山への寄り道は諦めて、直接京都に行く切符を買った。飛騨国を訪れるには、まだ縁が熟し切っていないようなのである。

ちなみに、帰宅して調べ直してみてわかったのだが、名古屋から高山までは高速バスも運行していて、特急より 30分余計に時間がかかる程度で行けるらしい。「なんだ、これなら諦めることもなかった!」 と思ったのだが、前もって予約しておいた高山のホテルをキャンセルした直後だったし、改めて計画を練り直すのも億劫になってしまった。

考えてみれば、よりによってこんな暑い夏に飛騨国を訪れることもなかろう。ネットで調べてみれば、この夏の高山の最高気温はフツーに 35℃を越えている。無理矢理に行っても暑さでヘトヘトになりそうだし、下手するとその後に続く京都と博多での強行軍の仕事にも影響しかねない。せっかく初めての土地に行くのなら、もう少し涼しい時分がいいだろうと思い直したのだった。

というわけで、飛騨国行きはお預けになってしまったのである。秋以後に、高山と白川郷をゆっくり訪れる機会を作りたい。

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2018/07/12

「龍ケ崎」 と 「竜ヶ崎」 と 「佐貫」 のややこしさ

ローカルな話題だが、JR 東日本が、常磐線の 「佐貫駅」 を、2020年に 「龍ケ崎市駅」 に改称すると発表した (参照)。現佐貫駅は龍ケ崎市内にあるが、JR 東日本には 「龍ケ崎」 という名称の駅はない。

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その代わり、この佐貫駅を始点とする私鉄の 「関東鉄道竜ヶ崎線」 というのがあって、その終点に「竜ヶ崎」 という名の駅がある。市の名称は 「龍ケ崎」 だが、その中心地にある駅の名前は 「竜ヶ崎」 なので、ちょっとややこしい。

私が茨城県南部に引っ越して来た頃から、常磐線に 「さぬき」 と読む駅があることには戸惑っていた。「四国じゃあるまいし」 と思っていたが、表記が 「讃岐」 じゃなく 「佐貫」 と知って、一応の納得はしていたのである。しかし人口減少傾向にある龍ケ崎市の再活性化のためにも、JR 常磐線で市の玄関口にあたる佐貫駅を改称し、すっきりさせるというわけだ。

この地域に初めて鉄道が通った明治期は、龍ケ崎町と佐貫町とが隣り合っていたらしい。で、明治 33年に鉄道が通るという段になって、本来は規模の大きい龍ケ崎町を通る案が先行していたのだが、「鉄道が通ったら、鶏が卵を産まなくなる」 なんて、当時ありがちだった反対運動が起こり、佐貫の方に押しつけたいきさつがあると、まことしやかに伝えられている。

平成になる前頃から 「合併して龍ケ崎市になったんだから、駅名も 『龍ケ崎』 に変えるべきでは」 という議論になったが、旧佐貫町側の住民が 「その昔に鉄道路線を押しつけたくせに、今になって勝手なことを言うな」 と反発したなんてことも伝えられた。判官贔屓の心の琴線に触れる理窟である。

ただ、今の関東鉄道竜ヶ崎線も、明治 33年に同時に開通したという事実があるし、竜ヶ崎の中心部を通したら常磐線がやたら大きく迂回することにもなるので、押しつけられたという言い伝えは、実は疑問符だらけだ。これに限らず、この地域の歴史にはなかなか面倒な事情があったようで、この問題に関しては今回ようやく一応のまとまりがつくようなのである。

ただ、関東鉄道サイドとしては現佐貫駅の名称はそのまま残す方針という。なるほどね。もし JR 側の改称に連動してしまったら、始点が 「龍ケ崎市」 で、終点が 「竜ケ崎」 という、さらにややこしいことになってしまう。

ちなみに 「龍ケ崎」 の表記に関してはこれだけに留まらず、Wikipedia には次のようにある。(参照

本自治体の正式表記は「龍ケ崎市」 (旧漢字の 「龍」、大きいカタカナの 「ケ」) である。これは1954年に自治体ができたときに官報に載った表記であり、1996年から市の公文章 (ママ) は 「龍」 で統一されている。一方茨城県は、公文書には常用漢字を使うという文書管理規定があるため、県の施設名を 「竜」 で統一している。関東鉄道は、開業免許状などの古い文献で 「龍」、65年に合併したあたりから 「竜」 である。また、筑波銀行は 「龍ケ崎」、常陽銀行は 「竜崎」 である。

ああ、本当にややこしくて、付き合いきれない。

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2018/07/03

紀州田辺、来てよかった!

昨日は "「紀州のドンファン」 の地元に出張する" なんて、さもつまらなそうに書いてしまったが、南紀白浜空港から 1時間ほどバスに揺られて和歌山県田辺市に着いた途端に、忽然と気付いた。「そうか、ここは植芝盛平先生の出身地で、南方熊楠が終の棲家とした土地で、そしてなんと、武蔵坊弁慶の出身地でもあったのか!」

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駅前の観光案内所に立ち寄ると、このことが大々的に書かれている。そうか、忘れてたよ。恐縮だが 「紀州のドンファン」 なんてこの際どうでもいい。私のアイドル 3人のゆかりの地だったのだ。たまたま出張だから経費で来ることができたわけで、なんとまあ、ありがたいことである。

植芝盛平先生は合気道の開祖であり、恥ずかしながら私もその合気道の有段者に名を連ねる一人だから、大恩人である。田辺に来るまでその繋がりを忘れていたなんて、まことに申し訳ないことであった。

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というわけで、さっそく弘法大師の創建によると伝えられる高山寺というお寺を訪ねて、お墓参りさせていただいたよ。行ってみると、墓参に訪れる人が多いらしく、案内版がきちんと完備されていて、すぐにわかった。

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そして嬉しいことに、南方熊楠のお墓も同じ高山寺にある。こちらもすぐにわかった。とても質素なお墓で、案内版がなかったら見過ごしてしまいそうだ。いずれにしても、この 2人の偉大なる存在のお墓参りできたのは、望外の幸せというものである。

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もう 1人の弁慶の方は、どこにお墓があるのか知らない。仕方がないから、駅前の銅像の写真を載せておくにとどめることにする。私は歌舞伎の 『勧進帳』 を 何十回も見たせいか、義経より弁慶の方がずっと贔屓なのだ。

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最後の写真は、南方熊楠の住居跡の書斎である。奥の机は、手前の 2本の脚が少し短く切ってあって、やや傾斜がある。長時間机に向かっていても疲れないように、カスタマイズしちゃったものらしい。さすが南方熊楠らしいこだわりである。私も真似したくなったが、私のデスクは脚が金属製だから、無理だろうな。

さて、明日は本来の目的である仕事をして帰ることになる。晴れ男の私としてはチョー珍しく、雨になってしまうようだが、今日が天気に恵まれた (恵まれすぎてムチャクチャ暑かったが) から、よしとしておこう。

【7月 4日 追記】

天気に関しては、4日も大した雨にはならず、時々小糠雨程度のが降る程度で晴れ間の方がずっと長く、「大雨になる」 との予報は外れた。私の晴れ男伝説は、辛うじて守られたようだ。

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