カテゴリー「旅行・地域」の181件の記事

2018/07/12

「龍ケ崎」 と 「竜ヶ崎」 と 「佐貫」 のややこしさ

ローカルな話題だが、JR 東日本が、常磐線の 「佐貫駅」 を、2020年に 「龍ケ崎市駅」 に改称すると発表した (参照)。現佐貫駅は龍ケ崎市内にあるが、JR 東日本には 「龍ケ崎」 という名称の駅はない。

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その代わり、この佐貫駅を始点とする私鉄の 「関東鉄道竜ヶ崎線」 というのがあって、その終点に「竜ヶ崎」 という名の駅がある。市の名称は 「龍ケ崎」 だが、その中心地にある駅の名前は 「竜ヶ崎」 なので、ちょっとややこしい。

私が茨城県南部に引っ越して来た頃から、常磐線に 「さぬき」 と読む駅があることには戸惑っていた。「四国じゃあるまいし」 と思っていたが、表記が 「讃岐」 じゃなく 「佐貫」 と知って、一応の納得はしていたのである。しかし人口減少傾向にある龍ケ崎市の再活性化のためにも、JR 常磐線で市の玄関口にあたる佐貫駅を改称し、すっきりさせるというわけだ。

この地域に初めて鉄道が通った明治期は、龍ケ崎町と佐貫町とが隣り合っていたらしい。で、明治 33年に鉄道が通るという段になって、本来は規模の大きい龍ケ崎町を通る案が先行していたのだが、「鉄道が通ったら、鶏が卵を産まなくなる」 なんて、当時ありがちだった反対運動が起こり、佐貫の方に押しつけたいきさつがあると、まことしやかに伝えられている。

平成になる前頃から 「合併して龍ケ崎市になったんだから、駅名も 『龍ケ崎』 に変えるべきでは」 という議論になったが、旧佐貫町側の住民が 「その昔に鉄道路線を押しつけたくせに、今になって勝手なことを言うな」 と反発したなんてことも伝えられた。判官贔屓の心の琴線に触れる理窟である。

ただ、今の関東鉄道竜ヶ崎線も、明治 33年に同時に開通したという事実があるし、竜ヶ崎の中心部を通したら常磐線がやたら大きく迂回することにもなるので、押しつけられたという言い伝えは、実は疑問符だらけだ。これに限らず、この地域の歴史にはなかなか面倒な事情があったようで、この問題に関しては今回ようやく一応のまとまりがつくようなのである。

ただ、関東鉄道サイドとしては現佐貫駅の名称はそのまま残す方針という。なるほどね。もし JR 側の改称に連動してしまったら、始点が 「龍ケ崎市」 で、終点が 「竜ケ崎」 という、さらにややこしいことになってしまう。

ちなみに 「龍ケ崎」 の表記に関してはこれだけに留まらず、Wikipedia には次のようにある。(参照

本自治体の正式表記は「龍ケ崎市」 (旧漢字の 「龍」、大きいカタカナの 「ケ」) である。これは1954年に自治体ができたときに官報に載った表記であり、1996年から市の公文章 (ママ) は 「龍」 で統一されている。一方茨城県は、公文書には常用漢字を使うという文書管理規定があるため、県の施設名を 「竜」 で統一している。関東鉄道は、開業免許状などの古い文献で 「龍」、65年に合併したあたりから 「竜」 である。また、筑波銀行は 「龍ケ崎」、常陽銀行は 「竜崎」 である。

ああ、本当にややこしくて、付き合いきれない。

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2018/07/03

紀州田辺、来てよかった!

昨日は "「紀州のドンファン」 の地元に出張する" なんて、さもつまらなそうに書いてしまったが、南紀白浜空港から 1時間ほどバスに揺られて和歌山県田辺市に着いた途端に、忽然と気付いた。「そうか、ここは植芝盛平先生の出身地で、南方熊楠が終の棲家とした土地で、そしてなんと、武蔵坊弁慶の出身地でもあったのか!」

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駅前の観光案内所に立ち寄ると、このことが大々的に書かれている。そうか、忘れてたよ。恐縮だが 「紀州のドンファン」 なんてこの際どうでもいい。私のアイドル 3人のゆかりの地だったのだ。たまたま出張だから経費で来ることができたわけで、なんとまあ、ありがたいことである。

植芝盛平先生は合気道の開祖であり、恥ずかしながら私もその合気道の有段者に名を連ねる一人だから、大恩人である。田辺に来るまでその繋がりを忘れていたなんて、まことに申し訳ないことであった。

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というわけで、さっそく弘法大師の創建によると伝えられる高山寺というお寺を訪ねて、お墓参りさせていただいたよ。行ってみると、墓参に訪れる人が多いらしく、案内版がきちんと完備されていて、すぐにわかった。

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そして嬉しいことに、南方熊楠のお墓も同じ高山寺にある。こちらもすぐにわかった。とても質素なお墓で、案内版がなかったら見過ごしてしまいそうだ。いずれにしても、この 2人の偉大なる存在のお墓参りできたのは、望外の幸せというものである。

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もう 1人の弁慶の方は、どこにお墓があるのか知らない。仕方がないから、駅前の銅像の写真を載せておくにとどめることにする。私は歌舞伎の 『勧進帳』 を 何十回も見たせいか、義経より弁慶の方がずっと贔屓なのだ。

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最後の写真は、南方熊楠の住居跡の書斎である。奥の机は、手前の 2本の脚が少し短く切ってあって、やや傾斜がある。長時間机に向かっていても疲れないように、カスタマイズしちゃったものらしい。さすが南方熊楠らしいこだわりである。私も真似したくなったが、私のデスクは脚が金属製だから、無理だろうな。

さて、明日は本来の目的である仕事をして帰ることになる。晴れ男の私としてはチョー珍しく、雨になってしまうようだが、今日が天気に恵まれた (恵まれすぎてムチャクチャ暑かったが) から、よしとしておこう。

【7月 4日 追記】

天気に関しては、4日も大した雨にはならず、時々小糠雨程度のが降る程度で晴れ間の方がずっと長く、「大雨になる」 との予報は外れた。私の晴れ男伝説は、辛うじて守られたようだ。

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2018/06/20

「イバラキング」 という名のメロン

既に何度か書いていることなのだが、私はメロンにアレルギーがあって、食べると口の周りが痒くてたまらなくなってしまう。蕎麦アレルギーのように命に関わるなんてほどではないが、とにかく半日以上痒みが続くので、食べないようにしている。

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食べ物の好き嫌いは一切ないのだが、メロンはアレルギーのため、そして肉類はポリシーによって食わない。結婚披露宴などで私の隣に座った人は、ステーキとメロンを 2人前食えることになっている。

ちなみに私の住む茨城県は、メロンの生産量が日本一なんだそうだ。ただ、量は日本一だが、北海道の 「夕張メロン」 や静岡の 「クラウンメロン」 のようなブランド化がなされていないので、イメージが今イチ高くないのが悩みのようなのである。

この 「ブランド化」 の遅れを解消するために、茨城県でも 2010年から 「イバラキング」 という名の品種を訴求しているらしい。「全国一のメロン生産量を誇る茨城県の 『メロンの王様 (キング)』 として茨城の顔になってほしい」 との願いを込めて命名された」 ということのようだ。

ただ、こう言っちゃナンだが、「イバラキング」 という名称は、いかにもダサダサだよね。高級メロンを買おうという消費者が、店頭でそんなダジャレっぽいラベルの貼ってあるヤツを手に取るものだろうか。かなり疑問である。この名前が気に入っているのは、当事者の生産者と茨城県のお役人たちだけかもしれない。

高級メロンというのは、贈答需要が大きい。病気見舞いとかお祝いの品で持って行くのに、「イバラキング」 はスベり過ぎだ。展開開始から 8年も経つのに全然定着していないというのは、この名称のせいだと思ってしまう。

まあ、私自身はメロンなんて食わないから、全然どうでもいい話なんだけどね。

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2018/06/14

大阪から新幹線で帰ってくる時のこと

今日、大阪出張の仕事を終え、15時 45分頃に新大阪駅構内の切符自動販売機で帰りの新幹線の指定席券を買おうとすると、16時前後に新大阪駅を発車する便は、軒並み窓側と通路側の席が取れない。3列シートの真ん中 (B席) にはまだ余裕があるが、フツーの日本人の体格より一回り大きな私としては、東京駅まで窮屈な思いをするのが憚られる。

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しかたなくずっと後の便の座席を探して、16時 40分発の 「のぞみ 36号」 に 1つだけ A席 (3列シートの窓側) の空きを発見してそれを予約。待っている間に、構内の TULLY'S で Mac を広げ、メールのレスを書いたりして時間を潰した。

そして 16時 35分頃に新幹線のホームに昇ると、のぞみ 36号は、山陽新幹線での人身事故の影響で、10分遅れの到着となり、16時 50分発の 「のぞみ 244号」 を先に発車させるというアナウンスが流れている。どうやら、その事故の影響で博多発の便に運休が出たため、ダイヤが乱れているらしい。

なるほど、そのせいで 「のぞみ」 の本数が減り、いつになく指定席が混んでいたのかと納得した。で、「のぞみ 36号」 はアナウンス通りに定刻より 10分遅れて新大阪に到着し、12分遅れて発車したのだった。まあ、もともと 40分ほど待ったのだから、そのくらいの遅れは別にどうということもなかったのだが、発車してからの時間の取り戻し方がかなり見事だった。

先に発車させていた 「のぞみ 244号」 を名古屋駅でギリギリにキャッチし、絶妙のタイミングで追い抜いた。その際に 「名古屋駅で乗務員を交代しました」 というアナウンスが流れ、「なるほど、新幹線は遅れが出ると、ベテランの腕利き運転士に交代して遅れを取り戻す」 という噂は本当だったのかなんて思ったのである。まあ、実際には予定通りの交代だったのかも知れないが。

そうこうしているうちに、横浜駅では定刻の 5分遅れまで回復し、東京駅には定刻通りに到着してしまったのだった。

ニュースを見ると、人身事故は今日の午後 2時過ぎに起きたようで、事故車両が小倉駅に入ってきたときは、ホームにいた乗客がボンネットの破損に気付いたのに、JR の駅員は気付かずにそのまま発車させてしまい、行きすぎてから途中で停車して調べて事故を確認したということになっている (参照)。

そのあたりのずさんさはいかがなモノかと思うが、ダイヤの遅れの取り戻し方だけは、それはそれは見事なものだった。

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2018/05/27

米原駅と古川駅

Daily Portal に "知っているけど降りたことない駅 「米原駅」 周辺を観光する" という記事がある。

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東海道新幹線で東京から大阪に向かう時、名古屋の先、京都の手前に 「米原」 という駅がある。「まいばら」 と読むことぐらいはかなり知られていて、もはや 「よねはら」 なんて読む人は少ないだろう。今は 「のぞみ」 に乗ってしまうと、名古屋の次は京都だが、「ひかり」 と 「こだま」 しかなかった時代は、この米原駅に停車する便が結構あった。

ただし、この Daily Portal の記事が指摘するように、乗り換えのためにこの米原駅で降りる人はいても、改札口から出る人というのはあまりいない。そうなると、私は 「米原駅の改札口から出たことが 2回だけだけどあるよ!」 と自慢してもいいかも知れない。

最初に米原駅で下車したのは 15年前、2003年 2月のことである。福井に出張した際に永平寺に寄った時のことが、Today's Crack がこのココログに移転する前の記事として出ている (参照)。その際に、米原で降りて何とかいうホテルに前泊したのだが、この時のホテルが、これまで泊まった中でのワースト・スリーの一つだったと記憶している。

私はホテルに関してはあまり贅沢なことは言わずに、「フツーに寝られればいい」 ぐらいに思っている。しかしこの時は、禁煙ルームを予約したはずなのに喫煙ルームしか空いてないと言われ、仕方なく部屋に入るとものすごくタバコ臭く、おまけにカチカチのコンクリート床に敷かれたペラペラに薄いパンチカーペットが、どういうわけかじめじめと湿っぽくて、どえらく居心地が悪かった。

で、この時は夜に着いて朝にはすぐに出発したから、米原駅周辺に関してはほとんど記憶がない。しかし今年 3月に、ついに米原駅の近くに仕事で行き、その夜は米原駅近くの東横インに泊まった。私の中では東横インもあまり上位にランクされていないのだが、前に泊まったホテルほどひどくはなかった。

で、この時の米原駅周辺の印象は、驚くほど何にもないところで、ひたすら殺風景である。ただちょっと脚を伸ばせばいい感じの田園風景となり、昔の日本のいい雰囲気がかなり残っている。これと言って目立った名所なんてないが、時間さえあればゆっくりとした旅ができる。それは冒頭で紹介したサイトの記事に詳しい。

そして東海道新幹線の米原駅に相当するのが、東北新幹線の 「古川」 という駅ではないかと思う。仙台の 1つ先で、「くりこま高原駅」 の手前だ。多くの人は仙台や盛岡で下車したことはあっても、古川駅で降りたことはないだろう。

私はこの古川駅に、今月 17日に行って来た。降りてみると、駅周辺にビジネスホテルがいくつもあって、なかなか便利である。少なくとも米原駅周辺よりはずっと殺風景じゃない。こんな感じである。

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宮城県方面の観光で、仙台市内のホテルが一杯だったら、古川駅周辺に泊まるのがオススメだ。ゆっくり回ると、結構いい感じの見所もある。

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2018/05/08

旅先では、「ホテルで洗濯」 に限る

私は仕事上の旅 (つまり 「出張」 ってヤツね) が結構多い。とくに今年の 3月なんて、改めて数えてみるとビジネスホテルで 10泊していて、行ったり来たりを含め、31日間のうち 17日間は旅をしていたことになる。こんなに多いのは特別だが、平均すると 10日に 1度以上はビジネスホテルで寝ていることになる。

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旅先で問題なのは、「着替え」 である。とくに下着の替えをどうするかは、人によっていろいろなやり方があるが、大別すると次の 3通りになるようだ。

  1. 日数分の着替えを持参する。
  2. 1泊 2日だったら、着替えないで通す。
  3. ホテルで洗濯して着替える。

私の場合は、3番目の 「ホテルで洗濯」 派だ。「東洋経済 Online」 に、「少ない服をヘビロテ! 旅先での簡単お洗濯術  その日に着た服をその日のうちに洗うには?」 という記事があって、この内容がまさに私がやっているのと同じシステムなので、「我が意を得たり!」 と思ってしまった。

要するに、旅先ではさっとお湯で洗うか、バスルームのボディソープで軽く洗う程度にしておき、本格的な洗濯は自宅に帰ってからすればいいと割り切るのだ。だからホテルのコインランドリーなんか使う必要はない。そもそもあれって、たかが 1組の下着を洗うのに時間がかかりすぎる。

洗って手で絞った後はバスタオルでぐるぐる巻きにして水分を取り、ハンガーに吊して乾かす。乾かす場所はバスルームではなく、ベッドルーム。ホテルの部屋はエアコンが効いてかなり乾燥するから、一晩寝ているうちにすっかり乾いてしまう。

ちなみに、リンク先の記事は 「ヘビロテ」 (「ヘビー・ローテーション」 ってことなのかな) としていて、つまり 「こまめに洗濯して着回す」 のを推奨しているのだが、私の場合 「ローテーション」 なんかしない。その日に着た下着とシャツを洗って乾かしている間、つまり夜は、すっぽんぽんで寝て、夜のうちに乾いたのをまた翌朝に着る。

念のため、替えの下着を 1組だけ持っていくのだが、たいてい使わずに済む。その日に着た服はその日のうちに洗って、翌朝にまた着るということなので、2泊 3日だろうが 3泊 4日だろうが、はたまた 1週間の旅だろうが、着替えは念のためにいつも 1組持って行くだけだ。そして大抵の場合、着替えは手つかずでそのまま持ち帰ることになる。

知り合いに日数分の着替えを持参するタイプがいるが、それだと 2泊 3日ぐらいならまだいいが、3泊 4日以上だと荷物が多くなる。私は 「同じものを旅先に複数持っていく」 ということを馬鹿馬鹿しく感じるのだよね。一方、「2泊 3日までだったら、着替えない」 なんていう剛の者もいるが、それはやっぱりちょっと抵抗があって、自分のスタイルにしたいとは思わない。

というわけで、私はこれからも 「予備の 1組」 だけ念のためにバッグの底に押し込んで、基本は 「毎晩ホテルで洗濯」 というスタイルを続けようと思う。

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2018/04/10

「ターミナルホテル」 という名称のホテル

先日の出張で、某都市の 「〇〇ターミナルホテル」 (〇〇は地名) という名称のホテルに一泊した。外壁や内装は最近お色直しした形跡があったが、設備的にはかなり古色蒼然としたホテルだった。

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私は古いホテルに泊まることは全然厭わない。むしろ味があっていい感じだったりすることもある。甲府インター近くの 「ホテル昭和」 なんて、名前の通りかなり古いが、私はとても贔屓にしている (参照)。しかし先日の 「〇〇ターミナルホテル」 はいただけなかった。設備が古すぎて、ガタがきている。次にこの都市に来ても、このホテルに泊まることはないだろう。

一番驚いたのは、トイレの水洗レバーが壊れていることだ。水を流そうとしてレバーを捻ったところ、壁からレバーが外れてしまって、作動しない。外れたレバーを壁にはめ込み直し、手で押さえて捻ったら、やっと水が流れた。しかしそれからもちょっとさわっただけで外れてしまい、水が流れている状態ではずれてしまうと、今度は水が止まらない。

このホテルに泊まった日はいわゆる 「寒の戻り」 で、日が暮れてからはかなり冷え込んだのだが、集中制御式エアコンの吹き出し口がドア近くにあって、そこからベッドのあるスペースまで風が届きにくい。そもそも壁に取り付けられたエアコンのコントローラーが古すぎて、調節目盛りの文字がかすれて読めず、ということはまともな設定ができないのである。

さらに夜中にあまりにも寒いので、ごそごそ起き出してエアコンの吹き出し口に手をかざしてみたら、冷たい空気が吹きだしていた。暖房が故障したか、あるいはもしかしたら、前日まで初夏の陽気が続いたので、冷房に切り替えられていたのかもしれない。これには驚いてしまい、慌ててエアコンのスイッチを切ったら、多少は寒さが和らいだ。

ちなみに 30代後半から数年間、月イチのペースで尾州の一宮に出張していた時期は、「名古屋ターミナルホテル」 というのを定宿にしていた。これは JR の名古屋駅から一歩も出ずにチェックインできる立地で便利だった。今は 「ホテルアソシア」 とかいう名前になってるのかなあ。

当時は JR ホテル・グループの運営する 「ターミナルホテル」 というのが各地にあって、いずれも泊まってハズレのないホテルだったが、ある時期を境にこの名称がどんどん消えて別の名前に変わった。多分 「ターミナル」 という言葉が 「終末」 という意味をもつので、「終末医療の施設じゃあるまいし」 ということになったんだと思う。

ところがあの頃に、各地でJR ホテル・グループの尻馬に乗って、JR とは関係のない 「●●ターミナルホテル」 というのが続々とできていた。これらは名前だけいただいた 「なんちゃってターミナルホテル」 だから、JR 系の 「本家ターミナルホテル」 と比べたら、かなり落ちることが多い。

そして本家が 「ターミナルホテル」 の名称をどんどん廃止したので、今に残る 「●●ターミナルホテル」 というのは、建物も設備も、かなり古くなっている場合が多いのだろう。私が先日泊まった 「〇〇ターミナルホテル」 も、その例に漏れなかったわけだ。

というわけで、先日は他が満室だったので仕方なく予約したのだが、これからは 「●●ターミナルホテル」 という名称のホテルはなるべく避けようと思う。この名称のホテルが全て 「ハズレ」 というわけじゃないだろうが、敢えて選ぶだけの積極的な理由はないしね。

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2018/04/04

広島市と福山市

今日は広島県の福山市に出張している。関東では東京で初の夏日になるなど、かなり暑くなったようだが、こちらは晴れたり曇ったりの天気で、ちょうどいい暖かさ。対照的に青森では雪が降って真冬の寒さに戻ったというから、日本の天気は一体どうなっているんだろう。

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で、今日は別に天気の話をしたかったわけではない。広島県には何度も来たが、県庁所在地の広島市と、県内第二の都市である福山市とは、駅から降りた時の感覚がかなり違うということを言いたかったのだ。広島の 「県民性」 として一括りにはできない。

広島市民は激情的というイメージがあるが、福山市民は比較的穏やかだ。福山の人たち自身もやはりそのことは意識しているようで、「広島市は安芸国だけど、福山市は備後国じゃから」 なんて言う。なるほど、国が違うのだ。距離からしても広島市より岡山市に近いし。

こうした気質の違いは別に広島市と福山市だけに限らず、多くの地域でみられる。私の生まれた山形県庄内の人間にしても、「山形県人」 と言われるのは甘んじて受けても、「山形人」 と言われるとかなり抵抗を感じる。あくまでも 「庄内人」 なのだ。内陸の山形市周辺とはかなり違う。

長野県でも、県庁所在地の長野市は県の北端に近く、中央部の松本市とは、物理的な距離以上の違いを感じることがある。福島県なども、「浜通り、中通り、会津」 という地域によって、「ビミョー以上」 の違いがあるように思う。狭い日本もよく見ると、しっかりと多様性があるのだね。こうしたこととなると、「小さな違いが大きな違い」 になってしまう。

で結局、福山で買う土産は、広島名物の 「もみじ饅頭」 ではなく、岡山名物の 「きびだんご」 になってしまうのだ。マジな話、きびだんごはおいしいし。

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2018/03/23

何としても飛騨に行ってみたくなった

私は 2015年に一応日本の 「全都道府県制覇」 というのを達成している。単に行ったことがあるとか、通り過ぎたことがあるとかいうのではなく、「その都道府県で一泊以上している」 という、ハードルをちょっとだけ上げてのことで、まあ、そんなにスゴい希少価値というわけでもないだろうが、どうでもいいほどたやすいことでもない。

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ただ、全都道府県は制覇したが、「旧律令国」 の全制覇には至っていない。一昨年 2月 20日に能登国の七尾市 (石川県能登地方) に行った際に、次のように書いている。

まだ豊前 (大分県北部)、大隅 (鹿児島県東部)、但馬 (兵庫県北部)、石見 (島根県西部)、飛騨 (岐阜県北部) と、淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡の離島が残っている。但馬、淡路は、通過したことだけはあるので、それを大目に見てもらって、「行ったことはある」 とすれば、残りは 8つの国である。

そして、この 「8つの国」 は、まだ 1つも減っていないのである。そして今、飛騨国に行ってみたいという思いが強烈に強まっている。飛騨国は、岐阜県の北部に当たり、高山市、飛騨市、下呂市のほか、合掌造りの家で有名な白川村がある。どうして今まで行ったことがないのか、不思議なくらいである。

今年は、ぜひ何とかして飛騨国に行って、そしてその次は佐渡国に行ってみたいと想っている。

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2018/03/06

庄内のお皿って結構な値打ちものもあるらしい

JR 東日本の新幹線内に常備されている雑誌 『トランヴェール』 に、「山形、骨董探訪 北前船がつないだ北前船がつないだ庄内、新潟、金沢」 という特集があった。表紙はこんなのである。

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この表紙にある焼き物だが、「この手の皿なら、庄内のちょっとした古い家なら、いくらでもあるわなあ」 という印象である。ごくフツーの食事で、サンマの焼いたのとかを載せて食卓に出されたりする。ところがこれ、古伊万里の伝統をひくものらしいのだ。

私は陶磁器や骨董に全然詳しくないので、深いところの話はよくわからないのだが、庄内は江戸時代の北前船によってもたらされた古伊万里の宝庫らしいのである。まあ、フツーの家庭でサンマなんか載せて出していたのはほとんどデザインだけ真似たイミテーションなんだろうが、この手のデザインが庄内のスタンダードだったという事実は、古伊万里がたくさんあるということで裏付けられるんだろう。

で、酒田は今、「酒田雛街道」 という催しの真っ最中で、街中のあちこちに雛人形が飾ってある。酒田のひな祭りは月遅れだから、来月初めまで続くのだが、博物館級の展示になると、江戸中期頃に上方で作られたみたいな、とんでもない値打ちものがあったりする。

日本中で結構古い雛人形の展示があったりするが、庄内の雛人形は他の土地のものと比べて保存状態が格段にいい。ものすごく大切にされてきたことを物語る。まあ、昔の豪商が金にあかせて買い集めたものだから、大切にもするわなあ。

というわけで、東北の片田舎ながら、結構な眼福ものにお目にかかれたりするのが、我が故郷というわけなのである。

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