カテゴリー「言葉」の398件の記事

2017/09/22

"COIN WASHER" というのは、ちょっとなあ

「コインランドリー」 というのは和製英語といわれている (下の 【追記】 参照) が、これに関しては、私はつべこべ言わずに認めてもいいと思っている。"Coin laundry" と言えば、外国人にも通じてしまいそうだし。

170921

先日泊まったビジネスホテルは大浴場 (天然温泉) 付きで、しかもガラガラにすいていたので、気持ちよくゆったりと暖まることができた。大浴場の隣にはコインランドリーがあり、温泉に浸かっている間に、楽々洗濯できたのも嬉しかった。しかしこのコインランドリーの洗濯機と乾燥機をみて、ちょっとカックリきてしまった。

設置してある洗濯機には "COIN WASHER"、乾燥機には "COIN DRYER" と表示されていたのだよね。うーん、"COIN LAUNDRY" なら認めるけど、申し訳ないが、これはやっぱり認めにくい。

これでは 「小銭洗い機」 「小銭乾燥機」  (「小銭を洗う機械」 「小銭を乾かす機械」 ってことね。念のため) ということになってしまう。"Car washer" が 「クルマを洗う機械」 で、"hair dryer" が 「髪を乾かす機械」 であるのと同様なのは、言うまでもないよね。下手したらマネーローンダリングの機械と思われちゃいそうだが、小銭を洗うぐらいでは、その目的には全然足りないだろうし。

「小銭洗い機」 の方には、「AQUA 洗濯機 5kg」 とあり、ちょっと調べてみたところ、この "AQUA" というのはコインランドリーの業務用機器で国内トップシェアを誇る会社であるらしい (参照)。国内の市場をよほど大切に考えているんだろうね。

【追記】

よく調べてみたところ、”Coin laundry" は、和製英語というわけでもなさそうだとわかった。"Coin Laundry" というタイトルの歌があり、Wikipedia に、次のように述べられている。(参照

"Coin Laundry" is a song performed and written by Australian singer–songwriter Lisa Mitchell from her first studio album, Wonder (2009).

("Coin Laundry" は、オーストラリアのシンガー・ソングライター、リサ・ミッチェルによって書かれ、演奏される歌で、彼女の最初のスタジオ・アルバム "Wonder" に収められている)

少なくとも、オーストラリアでは "coin laundry" で通じるようだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/09/03

「キャッシュ・アンド・キャリー タジマヤ」 のラジオ CM

普通の人は全然気にならないことがものすごく気になってしまうという、面倒な性分である。その私が何十年も気になっているラジオ CM があり、心に引っかかっちゃってたまらないので、いっそここでぶちまけてすっきりしてしまおうと思う。何かといえば、「キャッシュ・アンド・キャリー タジマヤ」 という現金卸問屋の CM である。下の画像をクリックして聞いてみていただきたい。

関東在住でラジオをよく聞く人なら、少なくとも一度は耳にしたことがあるだろう。タジマヤというのは、東京台東区根岸に本社を置くお菓子、食品、日用雑貨の現金問屋で、TBS ラジオなどで長年にわたって CM を打っている。ナレーションは私の大好きな大沢悠里さんで、こうして YouTube で聞いてみるとずいぶん若い頃の声である。

で、何が気になるのかというと、この CM のジングル部分が、「ちゃっしゃいむちゃりー タジマヤ」 としか聞こえないのだ。本当に、何十年も聞いているのだが、そうとしか聞こえないい。

中にはもっとモヤモヤしちゃってる人がいるようで、Yahoo 質問箱に "CM の最後の 「やっしゃいらりー、たじまや!」 とかなんとかいう歌が、一体全体なんと歌っているのか分からず、毎回悶々としています" と聞いてきている人までいる (参照)。なるほど、「やっしゃいらりー」 とも確かに聞こえる。人騒がせな歌だ。

"Cash-and-carry" というれっきとした英語 (「現金卸」 という意味) を知っている私が気になってしょうがないのだから、知らなかったらまるで 「魔法の呪文」 でしかなかろう。とくに "and" に相当する部分の発音が どう聞いても 「あん」 じゃなく 「あいむ」 とか 「あい」 とかにしか聞き取れないのは、最初の録音時に歌う方も録音する側もわかってなかったんじゃないかとしか思われない。

こんなような魔法の呪文が、よくまあ、こんなに長い間続いてきたものだと、感心するばかりである。ちなみに 「現金卸」 というのは、小売業者が直接店頭に行って、スーパーで買い物するように商品を選び、その場で現金払いして持ち帰るという卸売りの形態である。

小規模な小売店にとっては、かなり便利でありがたいビジネスだと思う。私が昔専門にしていたアパレル業界では 「エトワール海渡」 というのが結構有名だったが、もう誰も知らないだろうなあ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2017/08/28

「かばち」 と 「かまち」

「J タウンネット」 というサイトに、"横浜 「~じゃんとか言わない」 広島 「かばちたれって何?」 ... 地元の 「意外と使わない方言」 を聞いてみた" という記事がある。この見出し、ちょっとまずくて、横浜の 「〜じゃん」 は決して言わないわけじゃなく、実際は 「横浜だけじゃないじゃん」 ってことなのだが、「かばちたれ」 は確かに、何度広島に行っても聞いたことがない。

170828

愛媛県の 「ぞなもし」 は、漱石の 『坊っちゃん』 の中だけの言葉と思っていた方がよさそうだし、宮城県の 「だっぺよ」 というのもほとんど聞かなくて、完全に 「〜だっちゃ」 が優勢だ。「だっぺよ」 はむしろ茨城弁だと思う。妻が仙台出身で茨城在住の私が言うのだから間違いない。茨城に 30年も住んでいると、「〜だっぺよ」 がうつっちゃいそうで怖いほどだ。

さて、今日の本題の 「かばちたれ」 である。これ、映画の 『仁義なき戦い』 あたりから全国に知られた言葉だと思うが、「かばち」 というのは 「小理窟」 ってなニュアンスの言葉と理解している。「かばちたれ」 というのは、「つまらない小理窟をつべこべ言い立てる、口だけ達者なうっとうしいやつ」 というような意味だろう。

試しに辞書 (『大辞林』) を引いてみると、「① [「輔・頷」 などと書く] 上下のあごの骨。かまち。[新撰字鏡] ② [西日本方言] 生意気な口をきくこと。口達者なこと。また、その人」 とある。へえ、元々は 「上下のあごの骨」 という意味だったなんて、初めて知った。あごの骨を活発に動かすから 「口達者」 ってなことになったのだろう。

さらに注目すべきは、「かまち」 とも言うという点だ。「かまち」 は 「上がり框」 (玄関などの土間から家に上がるところの横木) などというように、家の造作を指す言葉である。ついでだからこれも 『大辞林』 で引いてみると、「【框】 ① 戸・窓・障子などの周囲の枠。② 床の間や床などの端にわたす化粧横木。上がり框・床框・縁框など」 となっている。

こうしてみると、「框」 も 「かばち (上下のあごの骨)」 も、いわば 「枠組み」 みたいなものだから、元は同じ言葉だったのだろうと想像される。そして 「かばち」 をフルに使うやつが 「口達者」 ということになるのは、なかなかおもしろい言葉の変化だ。広島の若年層がこの言葉を知らないというのは、なんだか残念な話である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/08/08

「机に座る」 という言い方

先日、NHK ラジオの朝の番組を聴いていたら、「毎日ラジオを聞きながら机に座ります」 という投稿が紹介された。投稿者は 72歳の聴取者だという。「昔は 『机に座る』 とフツーに言ってたな」 と、何となく懐かしい気がしたが、若い人にはちょっと違和感のある言い回しだろう。

170808

今どきは 「机に座る」 なんて言ったら、机に直接腰を下ろすという行儀の悪い行為と思われてしまうが、昔の大人は日常的にそう言い習わしていた。ところが私が小学校の頃、つまり昭和 30年代後半頃から 「机に座る」 なんて聞くと、「座るのは机じゃなくて、椅子でしょ」 なんて、無粋なことを言う子どもが増えた気がする。

かく言う私も、昭和 30年代の子どもだから、「机に座る」 という言い方を聞くと、特に面倒なことは言わないが、「これは 『机に向かって座る』 の省略形だからね」 と、心の片隅で軽く確認してから納得しているようなところがある。最近はそんな言い方を聞くことが少なくなったから、久しぶりにその面倒なプロセスを思い出してしまった。

「机に座る」 という言い方が何の違和感もなく、ごく一般的に使われていたのは、昔は 「机」 と言えば 「座卓」 がほとんどだったからだろう。上の写真は、文豪夏目漱石の書斎の写真だが、しっかりと座卓で、火鉢に鉄瓶がかけてあるという道具立ても、隔世の感がある。

こんなようなライフスタイルだと、「机に座る」 というのはごく自然な言い回しだったろう。「机に向かって座る」 なんて言ったら、ちょっとくどくなってしまう。「机に座る」 で違和感を生じてしまうのは、時代が下って机と椅子のセットが当たり前になってからのことだろう。

で、最近は 「机に向かって椅子に座る」 ことを、単に 「机に向かう」 と言うのがごく一般的になってしまった。さらに最近は、「PC に向かう」 という言い方がどんどん増えていると思う。まことにもって、言葉は生き物である。

ちなみに私は、座卓でデスクワークすると腰にきてしまう。昔の日本人とは体のつくりが変わってしまったのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/30

「疑う (うたがう)」 と 「疑る (うたぐる)」

『鬢のほつれ』 という端唄がある。通称 「びんほつ」 と言われ、江戸末期から明治にかけて大流行したものという。今でも 『梅は咲いたか』 や 『木遣りくずし』 などとともに、端唄のスタンダードの地位を保っている。

歌詞はこんな感じ。

鬢のほつれは 枕のとがよ
それをお前に疑られ
つとめじゃえ 苦界じゃ 許しゃんせ

木村菊太郎氏の解説によれば、「深川かどこかの岡場所の女となり、情夫に鬢の毛が乱れているよ、大方俺のほかにいいのができたんだろうと皮肉られ、始めは枕のせいにするするが、身に覚えのある身の、努めの身じゃ、苦界じゃ、許しゃんせと男の膝にふす所を唄ったもの」 という。なかなかの風情である。

ただ、今回問題にしたいのはこの歌そのものではなく、例によって 「言葉」 にこだわった話である。上の歌詞の 2行目、「疑られ」 (読みは 「うたぐられ」) という部分だ。「疑われ」 ではなく 「疑られ」 なのである。

今どきは 「疑る (うたぐる)」 なんて言い方をする人は滅多にいなくなったが、昭和 30年代ぐらいまでは案外ポピュラーな言い方だったと記憶している。とくに東京下町あたりではよく使われたんじゃあるまいか。

『大辞林』 によれば 「疑る」 は [「うたがう」 よりも俗な言い方] となっていて 「疑るような目つきをする」 「疑りなんすならなんでもしいせう」 (洒落本 『傾城買二筋道』) という用例が紹介され、可能を表す場合には 「うたぐれる」 になるとされている。受け身の 「うたぐら (れ) る」 とは別の形になるのだね。

『大辞林』 は 「俗な言い方」 としているが、実は文豪・夏目漱石だって堂々とこの言い方を繰り返している。

私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。 (『こころ』 より)

してみると、漱石の頃は 「疑る」 という言い方はかなり一般的だったようで、むしろ粋な言い方のようにも感じられる。「疑う」 と 「疑る」 の間には意味の違いはほとんどなくて、あるのはニュアンスの違いのみのようだ。強いて言えば、「疑う」 の方が即物的なニュアンスがやや強いのかもしれない。

『鬢のほつれ』 の歌詞も、「それをお前に疑われ」 と歌ってしまっては、ちょっと風情がなくなってしまうだろう。言葉というのは、本当に生き物のようなところがある。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/07/11

「ものもらい MAP」 が興味深い

ロート製薬の 「ものもらい MAP」 というのが、密かな注目を集めている。麦粒腫 (いわゆる 「ものもらい」) の呼び名を全国的アンケートで集計・分析し、マップにまとめたものだ。この MAP で評価すべきは、三重大学教育学部 余健助教授が、「方言研究の見地から」 として、非常に興味深い解説をしてくれているところである。

170710

関東を中心とする東日本で標準となっている 「ものもらい」 については 「三軒の家から米をもらって食べると治る」 (福島県東白河郡)、「よその家へ乞食に行くと、めこじき (ものもらい) が治る」 (岐阜県土岐市) など、「人からものをもらうと治る」 という伝承と結びついていると解説されている。「めこじき」 「めぼいと」 などの語源もこれと共通する。

柳田国男は 『モノモライの話』 という著作の中で、元来 「もらう (もらふ)」 という行為は食物に限定された言葉で、食事を共にすることは村落における結合の重要な要素であるとした。古代においては 「食物の共同」 は 「多くの人の身の内に食物によって不可分の連鎖を作る」 と捉えられていたため、その力によって治癒が得られると考えられていたらしい。

元々は多くの人々と一つ釜のメシを食う 「食物の共同」 を行うのは長者の特権だったが、貧しい人々でも隣近所から食物をもらって食べれば同じ効果が得られ、眼病が治るまじないになると考えられていたとされるのである。そもそも命に関わる難病というわけじゃなく、何もしなくても大抵は治るのだが、隣近所から食い物を恵んでもらうことで治癒の力を得るというフォークロアの発想って、なかなかおもしろい。

「ものもらい」 という言葉の使用地域は東日本を中心として、九州の佐賀県や鹿児島県、沖縄県まで広がっているが、約 50年前の国立国語研究所による調査では、東海・関東・東北の一部にしか確認されなかったという。最近の広がりの背景には、メディアを通じての共通語化の影響があるという。なるほどね。

一方、「めばちこ」 は、MAP によれば大阪府で 91%、兵庫県で 90%、奈良県で 88%と、圧倒的メジャーである。私の知り合いの関西人も、ほぼ全員 「めばちこ」 派だ。ただ、京都府だけは、「めいぼ」 の方が多いという。都にしてはちょっと即物的だよね。

「めばちこ」 の語源は 「メ (目) + ハチ (こじき) + コ (接尾辞)」 という説や 「目をパチパチする」 ことに由来するなどの説があるが、はっきりとはわからないらしい。いずれにしてもフォークロア的には、「ものをもらう」 行為との結びつきが強いらしいことが注目される。

私の妻の出身地、仙台ではものもらいのことを 「ばか」 と言い、これは宮城県を中心に東北 6県に広がっているらしい。ただ私の出身地、山形県庄内地方では 「ばか」 とは言わず、「ものもれ」 と言い、これは 「ものもらい」 の音便訛りである。しかし件の 「ものもらい MAP」 で検索すると、「ものもれ」 の使用地域は山形県しか表示されず、しかも使用率はたったの 1%でしかない。

これ、この地域の人は普段は 「ものもれ」 と言っていても、改まってアンケートに答える際に、無意識の音便訛り修正変換がはたらいてしまい、つい 「ものもらい」 と答えるケースが多かったせいじゃあるまいかと、私は疑っている。私なら誇りを持って 「ものもれ」 と答えるところだが。

ちなみに私の祖母 (奈良時代のメンタリティと発音を昭和の御代に顕現していた 「生きたフォークロア」 = 参照) は、「もれもれ」 と言っていた。これを検索すると、新潟県のみが表示され、しかも使用率は 1%ということになっていて、やはり 「ものもれ」 と似たケースと考えられる。

正統的方言って、こんな風なプロセスで失われちゃうことが多いのだよね。悲しいことである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/06/01

難読中の難読地名 「十六島」

一泊二日で出雲に出張し、今帰って来たところだ。出雲といえば、一昨年 2月に行った 「出雲市十六島町」 という地名の町を思い出す。出雲大社の後背の山をぐるっと時計回りに回り込んで日本海岸に出て、さらにその先に角のように張り出した、ちょっとした半島状の断崖絶壁に囲まれた海が 「十六島湾」 という。その辺りが 「十六島町」 だ。

170601

上の写真が一昨年冬に撮った十六島湾の写真で、対岸に見えるのが出雲大社の後背の山地である。つまり、絶海の孤島ではないが、陸の孤島と言ってもいいというか、その言い方がものすごく似つかわしいところだ。

で、問題は 「十六島」 の読み方で、これがとてつもない難読地名なのである。「さて、何と読むでしょう」 というクイズを出されても、フツーに推し量ることができるようなものじゃないから、初めから正解を書いておく。「うっぷるい」 と読むのだ。私の知る中でもトップランクの難読地名だ。

この地名を初めて聞いた時、アイヌ語が語源なのかと思ったほどで、実際にアイヌ語語源説というのもある (参照)。しかし北海道からあまりにも遠いので、ちょっと信じがたい。東北や北陸ぐらいまでは、アイヌ語を語源として考えるとしっくり来る地名がいくらでもあるが、出雲はいくら何でも遠すぎる気がする。

同様に朝鮮語の 「巨岩」 を意味する 「ウルプロイ」 が語源だとする説もあるが、これもまたにわかには信じがたい。こうした 「外国語で似た言葉がある」 というもっともらしい語源説は、言い出したらキリがない。

で、いろいろ調べてみると、「打ち振るい」 が語源という説がある。十六島特産の 「十六島海苔」 を食すと、災いを振るい落とすというので、「打ち振るい海苔」 と言われ、それが十六島の地名となったというのである (参照)。

まあ、そこまでもっともらしくこじつけなくても、冬には地を震わすほどの荒波が打ち付けるということから、「打ち振るう」 が 「うっぷるい」 の語源になったとういう説は少しは信憑性があるように思われる、日本の古代では、今の 「はひふへほ」 を 「ぱぴぷぺぽ」 と発音していたわけだし、今でも複合語では 「風邪っぴき」 などと半濁音が復活してしまうことがある。

湾の中なら波も静かになるんじゃないかと考えられるかもしれないが、なにしろ西に向かって開けた湾なので、冬の季節風をまともに受けて、しかも湾の奥の岩場に集約されてしまうので、すごい波になる。岩海苔取りも、ちょっと荒れたら命がけだ。

また、出雲風土記にも出てくる 「於豆振 (おずふれ、おつふり)」 が 「うっぷるい」 の古い形の地名であるとして、「小津」 という地名から変化したものとの説もある (参照)。これもまた捨てがたい。

で、その語源はいいとして、どうしてまた 「十六島」 という漢字が当てられたのかという疑問も残る。何しろ、この辺りにはそんなような島なんてないのである。これは本当にわからない。もしかしたら、岩海苔を採る岩場を 「シマ」 と言って、それが沢山あるから 「十六島」 という漢字が当てられたのかもしれない。

というわけで、難しい話はこのくらいにして、十六島特産の岩海苔 「十六島海苔」 は、本当においしいという話で締めたい。出雲に旅すると、あちこちのちょっとした店で食べることができるし、土産物屋でも買える。今回は買い忘れてしまったので、ちょっと残念な気がしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/30

「ワンオペ育児」 って、「1工程で完結する育児」 かと思ったよ

今さら旧聞気味の話だが、ユニ・チャームのおむつの CM で論争が持ち上がったんだそうだ。CM が 「ワンオペ育児を美化している」 と批判される一方、「勇気づけられた」 と擁護する声もあるらしい。(参照

170530

で、このブログで取り上げるってわけだから、毎度のことながらストレートな視線ではない。といっても、敢えてひねっているわけでもなんでもなく、単純な話で、この話題に関しての私の最初の反応は、「ワンオペ育児って何?」 というものだった。我ながら素直すぎるほどの反応である。

もちろん 「ワンオペ」 というのは、"one operation" の省略形なんだろうとは想像がついた。となれば、またまた素直な解釈で、「1工程の育児って、一体どんな風に合理化した育児なの?」 となり、 すぐに 「そんなの、あり得ないでしょ。さっぱりわけわからん」 というところに落ち着いたわけである。

で、例によって Wikipedia で調べてみると、元々は 「人手が不足する時間帯 (特に深夜) を中心に、外食チェーン店などで従業員を 1人しか置かず、全ての労働をこなす行為をさす」 ということらしい。最初にやったのが、牛丼チェーンの すき家と記されている (参照)。

なんだよ。完全に和製英語じゃん。こういうの、本当にやめてくれないかなあ。誰が言い出したのか知らないが、いくら何でも紛らわしい、というより、言葉としてひどすぎる。

Yahoo 知恵袋に 「すき家のワンオペ禁止 ワンオペってなに?」 という質問があり、それに対する 「ベスト・アンサーに選ばれた回答」 というのが、"「one men operation (ワン マン オペレーション )」 店員が一人で全ての業務をすること" となっているのにも呆れた (参照)。なんでまた "one men operation" なんて、中学生に笑われそうな英語がベストアンサーなんだよ。

"One-man operation" とか "one-person operation" と言うべきだなんて指摘もあるようだが、それって、「個人事業」 とかいう意味になるはずだから、やっぱり NG である。

いわゆる 「ワンオペ」 は、私の感覚では 「あり得ない」 話である。それが平気で 「あり得ちゃってた」 のだから、やはりおかしい。元がおかしいんだから、おかしな言葉にするしかなかったのも道理である。で、おかしすぎるから、すき家でも 「ワンオペ」 は廃止されたのだろう。

しかしいくらおかしくても、「ワンオペ育児」 とやらは続くのだろうか。ちなみに、私は我が家の 3人の娘たちの食事やお風呂、おむつの取り替え、寝る時の昔話なんかも、結構やったよ。とくに昔話は毎晩せがまれて、同じ話を何百回もやった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/05/23

「医薬部外品だから効くんだ」 という CM にビックリ

最近、ビックリ啞然としてしまった CM がある。クルマを運転していたところ、アリナミン V のラジオ CM で、「これって医薬部外品だから効くんだ」 というナレーションが流れ、耳を疑った。「じゃあ、医薬品だと効かないってわけ?」 と、言いたくなってしまうではないか。ググってみたら、テレビ CM 版もあり、YouTube にアップされている。

改めてよく聞いてみると、CM の登場人物はまず 「これって、エナジードリンクと何が違うの?」 と呟き、その次に 「医薬部外品だから効くんだ」 と言っている。好意的に解釈すれば、「医薬部外品はエナジードリンクよりも格上のカテゴリーと解釈され、ということは、エナジードリンクは信用できないけど、医薬部外品なら効いてもいいよね」 という意味で言っているのだろう。

しかし 「医薬部外品だから効くんだ」 という部分だけを切り取ってしまうと、ビミョーに 「医薬部外品だから」 の部分にアクセントを置いていることもあって、自然な流れとして 「医薬品は効かないけどね」 と、言外に言っているような印象を残す。こう言っちゃナンだが、どうにも言葉足らずの CM である。

言葉足らずということで言えば、大西英男議員の、例の 「がん患者は働かなくていい」 という野次のニュースを思い出してしまう (参照)。大西議員という人はこれまでにもいろいろな問題発言をしていて、まあ、よくよく言葉のセンスがない人である。巫女さんよりもずっと公式にしゃべる機会の多い政治家さんのくせに。

ただ今回の野次に関しては、本人は 「喫煙可能な店で働かなくてもいいのではないかという趣旨だった」 と弁明している。つまり、「がん患者は、なにも煙草の煙がモクモクしている店で働かなくてもいいじゃないか」 という意味だったらしい。(参照

百歩譲ってこの弁解の言い分を認めるとしても、ちゃんと働こうとしているがん患者の就労機会を狭めてもいいのだという意味になってしまい、弁護の余地はない。ただ、前後の話のつながりを無視して、「すべてのがん患者は働かなくてもいい」 と言ったように聞こえかねないニュースの伝え方は、ちょっといかがなものかと思わざるを得ない。

去年の 「巫女さんのくせに」 発言が決して女性蔑視発言というわけではなかったことは、当ブログでも書いている (参照)。オヤジ趣味丸出しの不愉快発言ではあるけどね。

で、「がん患者は働かなくていいよ」 という部分や、「巫女さんのくせに」 という部分だけを抜き出してセンセーショナルに伝えたいという人は、「医薬部外品だから効くんだ」 という CM に関しても、「医薬品への信頼を揺るがす問題 CM」  (医薬品会社の CM なのにね) として大きく取り上げなくちゃおかしいだろうと思うのだよね。まあ、武田薬品は広告料をどっさりくれるから、言いにくいだろうけど。

【同日 追記】

驚いたことに、アリナミンの CM には 「医薬品だから効く」 というバージョンもあると知った。「どっちが本当なの?」 と聞きたくなってしまうが、アリナミン A (医薬品) と V (医薬部外品) の違いのようで、だったら、V の方は 「医薬部外品でも効くんだ」 ぐらいに言わなきゃ、節操が問われるよね。(本当に効くかどうかは別として)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/05/15

うどん屋の「つゆが美味しくなりました」 という広告

下の写真は、今日の新聞の折り込みチラシである。某うどん屋が、今日から期間限定で 「天ざるうどん祭」 というのをやるのだそうだ。

170505w

それはいいのだが、私がどうにも気になってしまったのが、写真の左上の赤地に白抜きで印刷されている 「つゆが美味しくなりました」 というコピーである。私は前にも書いた (参照 1参照 2)ように 「アスペルガー障害一歩手前」 のようなところがあるから、言葉をそのまま額面通りに受け取りがちだ。だから、このコピーもそのまま受け取ってしまう。

つまり、ここでわざわざ唐突に 「つゆが美味しくなりました」 と言うということは、それまでは 「美味しくなかった」 のだろうと受け取るほかないではないか。「これまで、さんざんまずいつゆで食べさせちゃって、ゴメンね」 という広告に思われてしまうのだ。

これは敢えて意識的にへそ曲がりで意地の悪い解釈をしたわけではなく、私としてはごくナチュラルな反応でしかない。そこが 「アスペルガー一歩手前」 たる所以なので、それに関して「ことさらなイチャモン」 とか 「性格悪い」 とか言って批判されても困ってしまうのである。

まあ、いくら私でも、ちょっと考えてみれば 「つゆを改良して、これまでよりもさらに美味しくしました」 ということなんだろうとわかる。しかし逆にいえば、私の場合はこの 「ちょっと考えてみる」 というプロセスを経なければそれがわからず、最初のリアクションとしては、どうしても 「えっ? 今までは不味いつゆだったの?」 になってしまうのだよね。

それだけに、もし私がこの広告を企画する立場だったとしたら、「より」 という 2文字を付け加えないではいられない。「つゆがより美味しくなりました」 としないでは、気持ち悪くてしょうがないのである。たった 2文字で解決しちゃうのに、どうして付け加えないのだ。

フツーの日本語としても、こちらの方がずっと自然でこなれているはずだ。さらに言えば、それは私のような 「アスペルガー一歩手前」 の人間に対する 「言葉のバリアフリー的配慮」 と言ってもいいと思うのである。だってそうでないと、私のようなやつは下手すると、軽くパニクってしまうことすらあるのだよ。

まあ、要するに、「ちょっとした言葉こそ大切にしようね」 というお話である。とくに飲食店などのサービス業では、慇懃無礼なほどの丁寧すぎる接客をするよりも、この辺のことをすっきりさせてくれる方が、私としては気持ちがいい。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧