カテゴリー「言葉」の380件の記事

2017/02/07

「デューダ」 って、スウェーデン語で 「虐殺する」 って意味らしい

"DODA" という名の転職情報誌があり、これをなぜか 「デューダ」 と読みならわしていて、昔は転職することをよく 「デューダする」 なんて言っていた。私は 「なんで "DODA" が 『デューダ』 なんだよ」 とずっと思っていたが、今日、ふと思い立って Wikipedia に当たってみたら、「当初は DÖDA とドイツ語表記であり、このため読みがデューダとなり、後に Ö は O に変更されたが、読みはデューダのままとなった」 とある。(参照

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「へえ、そうか、ドイツ語読みだったのか」 と思い、ここまでは納得した。元々は 「アルバイトニュース」 という求人誌を出していた会社だけあって、ドイツ語にこだわってみたのかもしれない。(「アルバイト」 って、元はドイツ語だからね。念のため)

ただ、それだけで済ませられないのが、知りたがり病の昂じている私の悪いクセである。「で、döda って、どういう意味のドイツ語なの?」 という疑問が当然のように湧いてくる。さらに、どうして途中で Ö を O に変えたのかもたまらなく気になる。しかしなぜか、Wikipedia にはそのあたりの説明がまったくないのである。

で、オンラインのドイツ語辞書で "döda" を調べてみたが、該当する単語が出てこない。どうもドイツ語にはそんな単語はないみたいなのである。「なんだ、『なんちゃってドイツ語』 かよ!」 と、拍子抜けした。要するに 「雰囲気のもの」 というだけのことなのね。

とはいえ、ドイツ語以外で "döda" という単語があるのかもしれないと、念のため多言語で調べてみると、スウェーデン語に該当単語がみつかった。それが上の画像である。英語にすると、"slay, murder, kill, slaughter, assassinate" という意味の単語であるという。(参照

「なぬ!」 である。スウェーデン語の "döda" という単語って、「殺害する、殺す、虐殺する、暗殺する」 という意味だったのかよ! よりによって、転職情報誌の名前がそれか! もしかして、「転職者は殺してやる!」 って裏の意味を込めたりしてたのか?

念のため、日本語訳のウェブページの画像も載せておく。確かにこんなことなのである。(参照

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まあ、精一杯好意的に考えれば、当初この  "DÖDA" という雑誌名を考えた時は、スウェーデン語では物騒な意味になるなんてことは、ちっとも知らなかったんだろうね。あの当時 (1989年創刊だから、バブルの最盛期だ) 特有の軽いノリで、まさに 「雰囲気のもの」 として洒落みたいに命名しちゃったんだろう。

ところが後になって、「ちょっと、ちょっと、ヤバいっすよ、"DÖDA" って、スウェーデン語で 『殺す』 とか 『虐殺する』 とかいう意味になっちゃうらしいっす!」 ということが判明したので、しょうがないからとりあえず、Ö を O にしれっと変更することで、「これ、スウェーデン語じゃないっすから、よろしく」 とトボけることにしたんだろう。うん、そうとしか考えられないじゃないか。

初めからきちんと調べておけば、こんなややこしいことにはならなかったのにね。

【補足】

スウェーデン語の "döda" の発音は、こちら で聴ける。「発音したユーザ ret001 (スウェーデンの男性)」 という表示の左側にある 「▷印」 をポチッとすると聴けるが、「ディユタ」 に聞こえないこともないビミョーな発音である。

それにしても、スウェーデン語の単語をネイティブが発音したのをいながらにして聴けるとは、世の中、便利になったものだ。

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2017/01/29

ストロベリーの 「ストロ」 はどういう意味ですか」 という質問

偶然に 「ストロベリーの 『ストロ』 はどういう意味ですか」 という質問が Yahoo 知恵袋に 3度も寄せられているのを知って唖然とした (参照 1参照 2参照 3)。元の英語の綴り (strawberry) をみれば、「ストロ」 は "straw" (ストロー = 麦わら) であることが一目瞭然なのだから、こんな質問が出ること自体、「知の劣化」 と言われても仕方がない。

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ちょっと調べさえすればわかることを、すぐに他人に聞きたがるやつに対して、ネット界隈では 「ググれ!」 の一言で対応することが主流になっているらしい。この言葉の後ろには往々にして 「カス!」 の付けられることが多いらしく、「ググれ、カス!」 というのが定型句になっていたりする。

ただ 「ストロベリーの 『ストロ』 は……」 に至っては 「ググれ」 以前の問題で、「辞書引け、辞書!」 というほかないような気がする。しかしこんな手合いだと、国語辞典で 「ストロ」 を引いてみて、 「そんな言葉、見つかりませんでした」 なんて言い出す可能性大だから、ちょっと始末に負えないかもしれない。

とはいえこの質問に関しては、「ストロ」 は ”straw" で 「麦わら」 のことですよと答えて、それで済むなら話は簡単だ。「ああ、そうだったのか、ストローで麦わらか!」 となって、フツーはそれで十分だと思う。

しかし私みたいに 「知りたがり」 の病がちょっと重症化していたりすると、「どうしていちごが、麦わらと関係あるのか?」 なんて食い下がりたくなる。こうなると、話はちょっとややこしくなるようなのだ。

「語源由来辞典」 によると、「地を這い広がった姿が麦わらに似ているから」 とか 「果実の表面にある小粒の種子が麦わらの切れ端に似ているから」 とか言われているらしいが、「実際のところ解っていない」 ということのようだ (参照)。確かに、どちらの説も 「こじつけ臭さ」 が強すぎて、「一体どこが似てるんだ?」 と突っ込むことすら馬鹿馬鹿しいレベルだ。

ところが、Yahoo 知恵袋に新しい説が見つかった。引用してみよう (参照)。

英名の「strawberry」 の 「straw」 は 「麦」 ではなく、「あちこちに散らす、一面を覆う」を意味する 「strew (strawの古語)」 が語源で、ランナーを伸ばして繁殖する様子を表しているそうです。また、2002年 1月 13日のNHK 「日本人の質問」 では、ランナー自体を麦わらに見立てたという説が紹介されていました。

確かに、"strew" という言葉は 「(砂、種などを) まき散らす、振りまく」 という意味で、「ランナー」 というのは 「親株」 から伸びる 「子株」 のことらしく、家庭菜園インフォパークというサイトには「【簡単!イチゴの子苗取り】 収穫後のランナーから新苗を作る方法」 というページがある (参照)。

そしてこの 「ランナー」 というのは日本語では 「匍匐茎 (ほふくけい)」 というらしく、これをキーワードに引き返してみると、Wikipedia に英語では "stolon" (ストロン) という (参照) とあった。下に引用する。

走出枝 (ランナー/Runner)  と呼ばれる場合もある。厳密には匍匐茎 (ストロン) と走出枝 (ランナー) は異なる物であるが、実際上、両語を明確に区別して使用される場面は少ない。

匍匐茎が 「ストロン」 というと、じゃあ、「ストロベリーの語源はこっちの 『ストロン』 なんじゃないの?」 と言いたくなるかもしれないが、カタカナで書いたら似ていても、"straw" と "stolon" は最初の "st" 以外はまったく別の発音なので、原語を話す人々にとっては日本人が思うほど似た言葉じゃない。ここは慎重にならざるを得ない。

まあ、”strew" から来たとみるのが一番近そうだが、決定的な説ともいえず、語源は 「よくわからん」 としておくのが無難だろう。

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2017/01/12

庄内弁の 「さどけ」 (潔癖症) という言葉を巡る冒険

昨日は庄内弁の 「せやみ」 について考察し、その語源は上方言葉の 「かんしょやみ」 ではないかという新仮説を立てた。「かんしょやみ」 とは度を外れた潔癖症のことを言うらしいのだが、我が庄内ではそうした傾向を 「さどけ」 という。

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この 「さどけ」 というのはどうやらかなり地域限定の方言らしく、ネットで検索しても庄内以外の地域で使われているという記述が見当たらない。昨日の 「せやみ」 はちょっと検索しただけでが北陸から秋田までの広い地域で使われているらしいことがわかるので、エラい違いである。

「さどけ」 はイメージで言えば、自分の家以外の洋式トイレでは、便座をトイレットペーパーなどでカバーしないと腰を下ろせないみたいな人のことである。まあ、上の写真はかなり極端すぎる例だが。

庄内には 「さどけのびしょなし」 という格言じみた言葉があって、「きれい好きで他人にはいろいろとうるさいことを言うくせに、自分自身はまったくだらしない」 という意味で使われる。「紺屋の白袴」 とか 「医者の不養生」 みたいなものだ。

で、この 「さどけ」 の語源だが、これこそ昨日の 「せやみ」 以上の難物で、ググってみても何の手がかりも見つからない。念のため断っておくが、「サドッ気」 とか、そっちの方の話とはまったく関係がない。

私としては、神経が敏感であることを示す 「敏い (さとい)」 という言葉に、「け」 が付いたものと考えている。「け」 は 「もののけ」 (物の化)」 の 「け」 に通じ、異様な状態を示す。つまり 「清潔/不潔という観念に敏感すぎる、フツーじゃない状態」 ということだ。

ちなみに私の母は、潔癖症のことを 「さどけのピー」 と言っていた。この 「ピー」 が何を表しているのかは、今となっては謎である。母が生きているうちに聞いておけばよかったのだが、聞いたとしても多分、母自身もわかっていなかったんじゃなかろうか。

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2017/01/11

「せやみ」 という言葉を巡る冒険

庄内弁に 「せやみ」 という言葉がある。意味は 「寒がり、ものぐさ」 で、派生語として 「せやみこぎ」 がある。「こぎ」 は、「馬鹿こくでねえ!」 の 「こく」 の名詞形。意味は 「寒くて囲炉裏やこたつから離れようとしない人のこと」 (参照) だ。

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仮に 「せやみ」 と表記されるが、実際の発音は 「しぇやみ/しやみ」 に近く、酒田では 「寒がり」 の意味が強いので、私は 「冷や身」 が語源なのだと信じていた。ところが Web の世界の多くは、「背病み」 が語源であるとしている。

『横手/方言散歩』 というサイト (参照) では、「せぼねやみ(背骨病) の略にて、負担を命ぜられたる場合に背骨に病ありと称してズルケル意味の語なり」 という説を紹介している。しかし私の感覚としては、それはたまたま 「せやみ」 と標記してしまったことに引きずられすぎたもので、取って付けた感ありありの不自然さを覚える。

そんな中で最近、偶然に 「かんしょやみ」 という言葉を知った。大阪などの上方では昔から使われてきた言葉で、漢字は 「癇性病み」。Weblio 辞書では 「神経質、潔癖症などのこと。小さな事でも気になってしまう気質や体質」 としている (参照)。

上方言葉は北陸を経て東北日本海側に伝播しやすく、「せやみ」 という言葉は、まさにこの地域で使われる。そこで私は、この 「かんしょやみ」 の 「かん」 が落っこちて、「しょやみ」 → 「しぇやみ/せやみ」 に変化したという仮説を立ててみた。

神経質な潔癖症はいろいろ面倒なことを言い立てて、ぐずぐずすることがある。そこでそんなやつのことを 「せやみ」 と言うように変化したのではあるまいか。布団から出たがらないので、「寒がり」 というイメージも加わったのだろう。

言葉の意味というのは、案外簡単に変化するもので、例えば 「お笑いぐさ」 という意味の 「笑止」 が、我が庄内地方では 「しょす」 に変化して 「恥ずかしい」 という意味になり、米沢地方では 「おしょうしな」 に変わって、「ありがとう」 という意味になった。「かんしょやみ」 が 「せやみ」 になって意味も変わるぐらいのことは十分あり得る。

本日はサービスとして、庄内昔話を聞いていただこう。ちなみに動画のタイトルは 「せやみこぎ」 だが、聞いてみればわかるように、庄内弁の実際の発音は 「しぇやみこぎ」 になる。そして当然ながら私は、ここで語られる庄内弁は全て理解できちゃうのだよね。

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2017/01/10

「名乗れることができる」 という妙な言い方

今朝、何気なくみていたテレビ・ショッピングで、「ハンガリー産の高級ダックダウン 90%使用の高級羽毛布団」 が取り上げられていて、その説明のナレーションで、「ダウンが 50%以上含まれていれば、羽毛布団と名乗れることができてしまうんです」 と言っていた。90%という数字がハイ・スペックだと言いたかったのだろう。

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しかし 「名乗れることができてしまう」 というのは、明らかに誤用である。「動詞の可能形 + ことができる」 というくどすぎる誤用は、近頃枚挙にいとまがないほどで、例えば 「走れることができた」 というフレーズでググると、19,800件がヒットする (参照)。トップにあの茂木健一郎氏の tweet (参照) が来ているのにはびっくりしたが。

こうした間違いはフリートークや Twitter など、ちゃちゃっとしゃべったり書いたりした時に、つい間違いがちなのかと思っていたが、テレビ・ショッピングのナレーションにまで登場したことに、ちょっとしたショックを受けた。これは 「つい言い間違えた」 というレベルではない。

日本語のプロであるはずのライターが平気でこんな原稿を書いている。そしてそれを読む段階で、ナレーターが間違いに気付けばいいのだが、何の疑いもなくそのまま読んでしまっている。これは 「〜れることができる」 という言い方が一般化してしまっているという、危機的状況を示しているんじゃあるまいか。

というわけで念のため書いておくが、「名乗れることができてしまう」 は、正しくは 「名乗ることができてしまう」 あるいは 「名乗れてしまう」 である。これを 2つも組み合わせるのはくどすぎる。同様に 「走れることができた」 も、「走ることができた」 あるいは 「走れた」 である。

いくら言葉は生き物で時代とともに変化するとはいえ、私はこの 「動詞の可能形」 にさらに 「ことができる」 を加えてしまう言い方が、気になってしかたがない。「走ることができることが可能です」 と言っているようなもので、もっと言えば 「四角い正方形」 と言っているのと変わらない。この言い方が当たり前になってしまうようだと、日本語が危ないレベルに達しているんじゃないかと思ってしまう。

あるいは 「すべからく〜すべし」 という慣用句みたいに、決まり切った言い方として定着してしまうんだろうか。ただ、この 「すべからく」 にしても 「誤用のチャンピオン」 みたいな言葉で、「全て」 の洒落た言い方と思っている人が圧倒的に多い。「すべからく」 と言いたくなったら、ぐっと堪えて 「総じて」 とか 「ことごとく」 とか 「概して」 とか言い換える方が身のためだ。(参照

ちなみに、例の羽毛布団のテレビ・ショッピングでは、「高級 『ダッグダウン』 (『ク』 が濁音) を 90%使用」 なんて言っていた。「ダックダウン」 (言うまでもなく 「アヒルの羽毛」 ね) を聞き違えたのかと思って、注意して聞いていたが、2度目も明らかに 「ダッグダウン」 と言っていた。「ダッグ」 って、一体どんな鳥だ?

最近の放送業界の劣化は、かなりヤバいところまで来ているなと確信してしまったよ。

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2016/12/22

「ロックフェラー」 は 「ロッカフェラー」 であるらしい

今日の昼前の BS NHK、「ザ・プロファイラー」 という番組で、「夢と野望の人生 華麗なる一族の光と影 〜ロックフェラー一族〜」 という番組があった。私は 10年以上前に 12月のニューヨークを訪れたことがあって、ロックフェラーセンター前の豪華なクリスマス・イルミネーションを思い出した。

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で、今日はロックフェラー一族を語ろうというわけではなく、例によってどうでもいいような細かい話である。それは "Rockefeller" という名前の発音についてだ。日本ではずっと昔から 「ロックフェラー」 ということになっているが、本当の発音はどうもそうじゃないと、ずっと昔から思っていたのである。

ロックフェラーともなると、いろいろな歌にまでその名が登場するが、私が最初に知ったのはドリス・デイの "On the Sunny Side of the street" だと思う。この中で彼女は 「1セントも持ち合わせがなくても、ロックフェラーみたいにリッチになるわ」 と、いかにもアメリカン・ドリームといった世界を歌っている。

しかし、YouTube で確認してもらえばわかるように、彼女は "Rockefeller" を、カタカナで書けば 「ロッキフェラー」 と聞こえる発音で歌っている。"Doris Day - On The Sunny Side Of The Street" という動画の 1分 20秒あたりからに注目いただきたい。

というわけで私は、「ロックフェラーって、本当はロッキフェラーなんだな」 と思っていたのだが、間もなく、それもどうも怪しいということになった。どうやら 「ロッカフェラー」 という発音の方が多数派らしいと気付いたのである。

ベット・ミドラーはその名も "Mr. Rockfeller" という歌を歌っているが、どう聞いても 「ロッカフェラー」 としか聞こえない発音だ。のっけから 「ロッカフェラーさん、ご機嫌いかが?」 だもの、こればかりはしょうがない。

ボブ・ディランは 1962年に "Hard Times in New York Town" という歌で、「ゴールデンゲイトからエンパイア・ステイトのロックフェラー・プラザまではとても長い道のりだ」 と語った。その発音は強いてカタカナで書けば 「ロカフェラー」 である。(ビデオの 1分 10秒あたりからに注目)

そもそも名前の綴りからして "Rockfeller" じゃなくて ”Rockefeller" だもの。「ロッキフェラー」 か 「ロッカフェラー」 に聞こえるのも自然なことだ。どうして日本では 「ロックフェラー」 になってしまったんだろう?

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2016/12/20

「けしからん」 という言葉の、現在進行形での変化

言葉は生き物で、時代と共に変化するとはよく言われることだが、今まさに変化しつつある言葉として 「けしからん」 というのが挙げられると思う。ニュアンスがなんとなくビミョーに変わってきているような気はしていたが、それはネット界隈では既に認められた既成事実であるようなのだ。

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「けしからん」 を辞書で引くと、漢字まじりの表記は 「怪しからん」 で、意味としては 「道理や礼儀にはずれていてよくない、無礼だ、不都合だ」 というようなことと解説されている。ところが最近は 「ちょっとヤバいけど、実は歓迎」 ってなニュアンスで使われているような気がしていたのである。そしてそれは、ネットスラングとしては既に公認であるようなのだ。ピクシブ百科事典には、次のようにある (参照)。

本来の意味

相手の非常識 (非道徳的) な言動に怒ったり、憤慨する時に使う。
例 嘘を付くとはけしからん。

ネットスラングとしての意味

自分の欲求 (主に性欲) をくすぐられた場合に使用し、怒りや憤慨を装って妄想を展開している。

ニコニコ動画などでは子猫動画などかわいらしいものに対しても使われる。
無理やり文章にすると 「私の欲望を刺激して堕落させようとする。けしからん。」 か。

なるほどなるほど。そういうようなことなのだね。一応は憤慨を装いながら、「も、もっとドンドンやってくれ!」 というバレバレの本心を表現する言葉に変化しているわけだ。サザエさんのマンガで波平さんがカツオを 「けしからん!」 と一喝していた時代からは、ちょっとした変化を遂げているのである。

新時代の 「けしからん」 を視覚的に確認したい方は、Google で画像検索してみればすぐにわかる。ここでは (当ブログの品位のために) 敢えてリンクしないでおくので、どうしても見たい人は、自分で検索してもらいたい。

で、この 「けしからん」 という言葉は、元々の成り立ちからしてそんなような方向に進みやすい萌芽を持っていたようなのである。ネット上の 「由来・語源辞典」 によると、次のように説明されている (参照)。

本来の形は 「けしからず」 で、形容詞 「異(け)し」 の未然形に打ち消しの助動詞 「ず」 がついた語。「ず」 の連用形 「ぬ」 の終止法が広まるにつれて 「けしからぬ」 と変化し、さらに 「けしからん」 となった。 「異し」 は、「普通と違い異常だ」 という意味で、「けしからず」 とはそれを否定したもので、つまり 「もっと異常だ」 ということであり、そこから 「とんでもない、不届きだ」 の意になった。

なるほど。「普通と違い異常だ」 という意味の 「けし」 を否定したら、本来は 「フツーじゃん!」 てなことになるはずなのだが、「けしからん」 の場合は 「フツーの異常よりさらにずっと異常だ」 と、まったくフツーじゃない意味合いを持つようになったわけなのである。

元々 「フツーじゃない」 言葉なので、「ヤバいけど、歓迎!」 というようなニュアンスになってしまうのも、無理からぬところという気がするのである。

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2016/12/16

「素性」 って、「そせい」 とも読むのね

今朝ラジオを聞いていたら、2016年に注目されたシンガーの一人として、シーア (Sia) というオーストラリア出身のシンガー・ソングライターが紹介されていた。彼女のことを知らない人でも、"This Is Acting" というアルバムの "Alive" という曲ならどこかで聞いたことがあるかもしれない。

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"I'm still breathing" (まだ息してるわよ) という繰り返しが印象的で、リンク先の YouTube 動画 (上の写真のクリックでも飛べる) は、土屋太鳳のダンスとのコラボが結構素敵だ。見ておいて損はないと思う。

で、ようやく今朝のラジオの話に戻る。本題は "Alive" の話ではなく、相変わらず 「言葉」 のお話。ラジオで解説していた某音楽評論家が Sia のことを紹介するのに、「この人、『ソセイ』 を明らかにしたがらない人なんですが……」 と言っていた。「ソセイ」 の 「ソ」 にアクセントを置いている。

「ソセイ?」 …… 一瞬考えてしまったが、「もしかして 『素性』 を 『ソセイ』 と読んじゃってるのか?」 と思い当たった。シーアは顔出し NG だった時期もあったほどで、確かに 「素性 (すじょう) を明らかにしたがらない歌手」 として知られている。

「まったく、もう。近頃の音楽評論家ってやつは、漢字の読み方を知らないのかよ!」 と、ちょっとカリカリしたが、そこはさすがに我ながら還暦過ぎのオッサンの用心深さである。「もしかして 『ソセイ』 って読みもあったりしたら、カリカリしちゃったこと自体が恥になっちゃうもんね」 と思い返し、念のため iPhone を取り出してインストールしてある 『大辞林』 で 「そせい」 を引いてみた。

すると、何と言うことか、「素性」 には 「ソセイ」 という読みもあるではないか。意味として次のように書いてある。

① 本来の性質。すじょう。
② 《言》 [feature] 音的、統語的、あるいは意味的な単位を構成する部分的な特性。ある特性があることを+、ないことを−で表す。例えば、+round (円唇性)、+N (名詞のこと) など。

2番目の意味は言語学の学術用語 (原語は "feature") なので、結構ややこしい話になっているが、とにかく 「素性」 は 「すじょう」 とも 「そせい」 とも読むもののようだ。とはいえ、「すじょう」 の方がずっと一般的なのは言うまでもない。今月 5日の "「分別」 と書いて 「ぶんべつ」 「ふんべつ」 と読む分別" という記事に、この 「素性」 という言葉も加えておくべきだったかもしれない。

で、そもそも、かの音楽評論家は、「素性」 を 「そせい」 とも読むことを知っていたのか、あるいは知らずにそう言っていただけなのか。ここでは 「わからん」 ということにしておこう。

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2016/12/15

日本語の 「ん」 の発音

Twitter 上で коноплякиноварь(まりこ) さんが、"日本語の 「ん」 には3つの発音があると習ったのは大学の、授業ではなくて合唱部でだったな。そう、日本人のほとんどは意識してないけど、違うんだよね" と、エリカさんというドイツ在住 (らしい) の方の tweet を引用して指摘しておいでだ (参照)。そう、日本語の 「ん」 の発音のコンセプトは、確かに融通無碍すぎるかもしれない。

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元 tweet のエリカさんの記事は、次のようなものだ (参照)。

① さんにん
② さんまい
③ さんかく
この 3つの 「ん」、アルファベットで書くとそれぞれ sannin,  sammai,  sangkaku で、ドイツ人の耳には全く違う音に聞こえてるらしい。確かに ① の「ん」では唇がつかないけど ② ではくっついてて、③ だけ舌が上あごの奥に触れてる。

「ドイツ人の耳には全く違う音に聞こえてるらしい」 というのは、多分ドイツ人だけじゃなくて、多くのヨーロッパ系言語を話す人もそうなんじゃないかと思う。ドイツ人がとりわけ厳密に考えているという可能性もあるけどね。

で、まりこさんの書かれているように、日本でも合唱をしたりすると、この発音の区別に敏感になる。コーラスの中で "n" と "m" の発音が混在すると、濁ってきたなく聞こえてしまうからだ。

で、エリカさんはこの tweet に続き、次のようにも書かれていて、とても興味深い (参照)。

だから日本語勉強中のドイツ人に 「ねぇ信号の発音って、しんごう? それとも、しんごう?」 って聞かれて 「?????」 ってなるんだなぁ……………

上の図は、「英語で悩むあなたのために」 というサイトの 「子音 / ŋ /」 というページから拝借している。この 3つのメカニズムで発音される音が、日本語ではすべて 「ん」 という文字で表現される。だから、「しんごう? それとも、しんごう?」 と聞かれたりすることになるわけだが、実は 「信号」 の発音にはとくにややこしいところがある。

「信号」 をローマ字表記すると "shimgo" じゃないのは明らかなので、"shingo" と表記することになるのだが、そうすると 「ん」 の発音が "n" なのか "ŋ" なのか、甚だ不明確になるのだ。でもまあ、実際のところは "n" の音を省いた "ŋ" なんだけどね。ああ、面倒くさい。

この関連でいうと、多くの新聞社のサイトで、URL が "shinbun" と表記されている (例えば ここ とか、ここ とか) のが、妙なところにこだわりたがる私としては気になってしまう。「う〜ん、"shimbun" にしてくれんかなあ」 なんて思ってしまうのだ。それだけじゃなく、ついローマ字に引きずられて "shin-bun" と、舌の先を上あごの内側につけて発音する自分を発見したりする。

これって、ある意味ビョーキだ。

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2016/12/13

"He/she" の代わりに "ze" を用いるべしというお話

ネット上の (あるいはネット上に限らないのだろうが) アンケートに答えようとすると、必ずと言っていいほど 「性別」 というのを聞かれる。で、大抵の場合、その選択肢が 「男性」 と 「女性」 の 2つしかないのでるある。

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私自身はあっさり 「男性」 と答えることができるのだが、中にはとても抵抗のある人もいるだろう。戸籍上の性別と意識上の性別が一致しない人というのは、少なくないはずだ。そうした人たちは、聞かれる度に意に反して戸籍上の性別を解答するのが、結構なストレスになると思う。

これに関して英国のオックスフォード大学が、三人称単数の代名詞として "he" と ”she" ではなく "ze" を使用するよう学生たちに推奨したと報じられている (参照 1参照 2)。今後、トランスジェンダーの学生に対して "he/she" という性別を特定する代名詞を意図的に使うことは、オックスフォード大学の行動規範に反する行為になるという。

ちょっと前までは "he or she" (彼または彼女) なんていう言い方をするのがトレンドだったが、もはやその言い方でも意は尽くせないというわけだ。ただ複数形は元々、男でも女でもそれ以外でも "they" なので問題ないだろう。

こうした措置に関して、伝統的な価値感から抵抗を示す人もいるだろう。「世の中、男と女しかいないんだから、どちらかということにしておけばいいじゃないか」 というわけだ。しかし 「世の中、男と女しかいない」 というのは、かなり不確実な話のようなのである。性というものはかなりの多様性を包含している。

性別を訊ねる質問に対する回答に 「その他」 という選択肢をを加えるぐらいのことはしてもいいのではないかと思う。ただこれは、あまりにも苦し紛れで事務的すぎる選択肢なので、あまり良い気持ちはしないだろう。もっといい言い方があればそれにしてもいいと思う。

最後にひっかかるのは、"ze" を日本語に訳す時にどう言えばいいかという問題だ。元々 「彼/彼女」 というのは明治以来の翻訳語だから、"ze" にも何らかの訳語を当てなければならないだろう。「彼の人」 という意味で 「彼人」 なんていう造語をしなければならないのだろうか。さらに "they" を 「彼ら」 と訳すのも問題になるだろうから、日本語の方がややこしいことになりそうだ。

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