カテゴリー「言葉」の384件の記事

2017/03/23

世の中にはいろいろなローラがいるみたいなのだ

今日は案外どうでもいい話題である。CM なんかでよく見る顔に、ローラという子がいる。個人的にはあんまり近くにいられたくないタイプだが、いろいろとよく登場するのだから人気があるんだろう。このほど長崎から諫早に向かう快速電車で、JR 九州の鹿児島旅行プロモーションの吊り広告でも目撃した。

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で、「ん?」 と思ったのである。この吊り広告には ”KAGOSHIMA by Rola" とある。「ローラによる鹿児島」 というのも、「なんじゃ、そりゃ?」 という感じだが、それよりも 「ありゃ、ローラって、"Laura" じゃなかったのか?」 と、ちょっと意外な気がしてしまったのだ。

私の知ってるローラは、ローラ・ニーロ (Laura Nyro) でも、ローラ・ブラニガン (Laura Branigan) でも、ローラ・フレイザー(Laura Fraser) でも、みんな Laura である。Laura 以外のローラがいたとは、新しい発見である。

そういえば昔イタリアに、ラウラ・アントネッリ (Laura Antonelli) という女優もいたなあ。彼女も英語読みだったら 「ローラ」 にほかならない。しかし今回鹿児島旅行のプロモーションをしているタレントの名前は、ローラはローラでも、いわゆるフツーの Laura じゃないようなのである。

あまりのことに驚いてインターネットに当たってみると、本当に世の中にはいろいろなローラがいるみたいなのだ。「ローラ」 というカタカナでググると、「ローラ (Laura, Lola, Rola) は、女性の名前」 とある (参照)。「へえ!」 ってなもんである。それぞれみんな異なる発音だ。多くの日本人の耳には、あまり区別が付かないことではあるが。

例えば、中国に ローラ・チャン (Rola Chen) という女優がいるし、イタリアには ローラ・パニーニ (Lola Pagnani) という女優が、ルーマニアにはローラ・ボベスコ  (Lola Bobesco) というバイオリニストがいるという。まあ、見当たらないのは Rora ぐらいのものだ。

世の中にはまだ知らないいろいろのことがあるものなのだね。

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2017/03/20

「スチールカメラ」 という言い方は、何とかならんかなあ

こんなことはとっくの昔に書いたとばかり思っていたのだが、自分のサイト内を検索しても出てこない。どうやらまだ書いていないようなので、今さらながら書く。何かというと 「スチールカメラ」 という表記についてである。

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世の中では、静止画像 (つまり動画じゃない画像) を写すカメラのことを 「スチールカメラ」 と呼び慣わしている。で、その心は 「動かない = 固い = 鉄のかたまり」 みたいな連想で、鉄鋼 (steel) という意味をかぶせて 「スチールカメラ」 と言うのだなんて思っている人までいる。

しかしそれは言うまでもなく誤りで、本当は "still" (動かない、静かな) という英語から来た言葉である。筋から言えば、カメラという道具が発明された時には静止画像しか写せなかったので、わざわざ区別する必要はなかったのだが、世の中が進んで動画を撮影できるカメラ ("movie camera" または "video camera") が一般化してしまったので、それと区別するために "still camera" と言うようになったようだ。

ところがそれがカタカナ語として取り入れられる時に、どういうわけか 「スチールカメラ」 になってしまった。世の中にはその間違いが気になって仕方がない人もいるようで、上に示したように、「スチルカメラ」 と表記するのが正しいと指摘したページまである。(「標記」 じゃなくて 「表記」 だろとか、「鉄」 じゃなくて 「鉄鋼」 だろとか、いろいろツッコミどころは満載だけど)

ともあれ私としては、どうせそこまで言うなら 「スチル」 なんて中途半端な段階にとどめず、 「スティル・カメラ」 が正しいと言って欲しいところなのである。今どき、「スティル」 と発音できない人なんでいないだろうからね。

昔は Steve という名前を 「スチーブ」 なんて表記した時代もあったが、「スティーブ」 になって久しいじゃないか。アップルの創始者の名前の表記は 「スティーブ・ジョブズ」 がごくフツーで、「スチーブ・ジョブズ」 なんて言う人に、私は会ったことがない。どうしてカメラだけが今の世の中で 「スチル」 なんだ。

いや、それどころか一時はやたら混乱していた時期があったようで、「スチルビデオカメラ」 なんてものまで存在していたようなのだ。今どきはコンデジでもスマホでも、動画が撮影できるのは当たり前になってしまったので、そんなのは廃れてしまったようなのだが。

さらについでだから言っちゃうと、オフィスなどの間仕切りをするついたてのことをカタカナ英語では 「パーテーション」 と称するが、あれは本当は 「パーティション (partition)」 が正しい (「パーティーション」 と伸ばさずに、「パーティション」 ね)。どうも日本人はカタカナ語を形成する時に、寸詰まりよりはスラッと伸ばして発音する方が 「それっぽい」 と感じるもののようなのだ。

ちなみに、今どきは滅多にやらないが、ハードディスクなどの記憶領域を分割することは、「パーティション」 と言うことの方が多い。若い人は知らないだろうけど、一時代前までは、「パーティションを切る」 なんて言い方をしたものだ。

これ、「スチールカメラ」 とか 「スチルカメラ」 みたいなことで 「パーチション」 なんかにならなくて本当によかったと思うが、仮に 「パーテーションを切る」 なんて言っちゃうと、ハードディスクの話なのにオフィスのついたてみたいで、ちょっと変な感じがしてしまうのかなあ。元は同じ言葉 (partition) なのに。

【3月 22日 追記】

野球の 「スクイズ」 は、"squeeze" (スクウィーズ = 絞る) が元なのに、伸ばさないで寸詰まりになっている。見るからに忙しく緊迫した場面になるから、呑気に伸ばしていられないのかな。

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2017/03/05

「中学英語で十分」 は、文法に関しては本当に本当だと思う

日経ビジネスに "「中学英語で十分」 は本当だった" という記事がある。書いているのは池田和弘さんという人で、大阪観光大学国際交流学部准教授だそうだ。

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私が中学生だったのは半世紀も前のことだから、今の英語教育がどうなっているのか知らないが、本職の方がそう言うのだから、本当なのだろう。そしてそれは、私が高校英語の授業で感じたこととほとんど同じである。

この記事では 「中学英語で高校文法は完全にカバーできます」 とされている。これはまさに実感で、私も高校の英文法教科書の内容は、「こんなの全部知ってることじゃん!」 と思っていた。「こんな当たり前のことを今さら繰り返すより、もっと役に立つことがあるだろうに」 と、かなり馬鹿馬鹿しく思っていたほどである。

本当に、英文法なんていうのは中学レベルで十分だ。そりゃ、難しいことを掘り下げればいくらでも難しくできるが、日本人がとりあえず 「使える英語」 を身につけるというレベルを求めるというなら、これは本当に本当だ。

もちろん文法だけじゃ英語は使えないから、高校に入ったら単語と英語独特のうまい言い回しを沢山覚えればいい。そうすれば、いきなり米国に出張に行くことになってもちゃんと役に立つ。留学経験があるわけでも、大学の英文科で学んだわけでもないこの私がそうだったんだから、まず間違いない。日本の高校では既に知っているはずの文法をこむずかしく繰り返すから、英語嫌いが増えるんじゃないかとさえ思う。

高校の授業では文法の繰り返しに無駄な時間を割くよりも、とにかく英文を読み込むことと、リスニングに慣れることを重視してくれれば、日本人の英語アレルギーもかなり減るだろうにと思う。今どきは学校の授業でネイティブ・スピーカーのしゃべる英語の録音を流すことぐらい、たやすくできるだろうに、それをやらないのは、学校の教師の発音のまずさがバレバレになってしまうからに違いないと思っている。

そんなわけで、学校でまともなリスニングを学べないから、「スピードラーニング」 なんていうイージーな商売がもてはやされる。

余談だが、最近このスピードラーニングのラジオ CM を聞いていて、たまげてしまったことがある。男性が 「ご紹介はシライ (白井?) さんです」 と言うと、女性の声が 「は〜い、シライシ (白石?) です!」 と続くのである。あまりの違和感に、Twitter で 「何の仕掛けなん?」 と tweet している人もいるほどだ (参照)。

これ、どうやら男性の方の口跡がおそろしく悪いというだけのことのようだが、それがノーチェックで放送電波に乗っかってしまうというのが、ちょっとコワい。こんなにも発音に無頓着な企業がリスニング教材を扱ってるなんて、「スピードラーニング、大丈夫なのか?」 と言いたくなってしまうよね。

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2017/03/03

縦書き、横書き

emi さんが 「縦書き」 について書いておられる (参照)。東アジア系の友人たちへの取材の結果、「伝統を守りたがる日・台と、簡略化、合理化をよしとする中・韓で、考え方がきれいに分かれてるっぽい」 という結論になったのだそうだ。

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ふぅむ、なるほど。ただ、そこへ行くと私なんかは自分の中で 「伝統派」 と 「合理派」 の二極分化があるみたいな気がしていて、縦書き横書き問題を突き詰めると居心地の悪さを感じてしまうところがある。

私は普段は何の問題もなく、断然横書き派である。横書きの便利な点は、日本語も欧米語も数字も、問題なく混在させることができるという点だ。昔はいざ知らず、現代の日本語文にはこれらの混在が当然のようになっていて、それを縦書き表記しようとするとかなり面倒なことになる。

細かいことを言うと、日本語テキストで数字を全角で入力されると、数値の途中で改行されてしまうようなことがあり、とても読みにくい。だから私は、英数字は半角に統一すべきだと思っていて、そのためにも横書きは現代文には必須というようなところがある。

ただ、全面的に横書きオンリーでいいかというと、そうも言い切れない。例えば私は 「和歌ログ」 というサイトも持っていて、そこでは毎日のように和歌を詠んでいる。上手か下手かは別問題として。

で、この 「和歌ログ」 においては、できれば縦書きで運営したいという気があるのだが、それをやろうとするとかなり面倒なことになり、毎日のことなので対応しきれないという現実から、しかたなく横書きで表記している。それでも 「和歌」 と謳っている以上、内心忸怩たる思いは捨てきれないのだよね。

とかなんとか言っているくせに、時々は横書き表記を逆手にとって、旧仮名表記の和歌の中にアルファベットを混在させるなんていう無茶までやらかしている。伝統派なんだかアバンギャルドなんだか、わかったものじゃない。こんな具合だ。

"Crisp" といふ言葉ある彼の国のぱりりとしたる感触思ふ

木の葉散り実の地に落つる頃なれば "fall" といふも腑に落ちたりき

木枯らしの吹く坂東の駅前のライブ Georgia On My Mind

現代の日本語においては、フツーのテキストなら横書きでいいと思う。いっそのこと、新聞なども横書きにしちゃうべきだと思っているほどだ。ただ、美学、芸術学的分野においては、そんなに簡単には割り切れない。

とくに書道などの分野では、草書体の横書きなんて存在し得ないのだから、縦書きは捨てられるはずがない。横書きですら右から書く方がいい。あれは横書きというより 1行に 1文字の縦書きなのである。

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2017/02/07

「デューダ」 って、スウェーデン語で 「虐殺する」 って意味らしい

"DODA" という名の転職情報誌があり、これをなぜか 「デューダ」 と読みならわしていて、昔は転職することをよく 「デューダする」 なんて言っていた。私は 「なんで "DODA" が 『デューダ』 なんだよ」 とずっと思っていたが、今日、ふと思い立って Wikipedia に当たってみたら、「当初は DÖDA とドイツ語表記であり、このため読みがデューダとなり、後に Ö は O に変更されたが、読みはデューダのままとなった」 とある。(参照

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「へえ、そうか、ドイツ語読みだったのか」 と思い、ここまでは納得した。元々は 「アルバイトニュース」 という求人誌を出していた会社だけあって、ドイツ語にこだわってみたのかもしれない。(「アルバイト」 って、元はドイツ語だからね。念のため)

ただ、それだけで済ませられないのが、知りたがり病の昂じている私の悪いクセである。「で、döda って、どういう意味のドイツ語なの?」 という疑問が当然のように湧いてくる。さらに、どうして途中で Ö を O に変えたのかもたまらなく気になる。しかしなぜか、Wikipedia にはそのあたりの説明がまったくないのである。

で、オンラインのドイツ語辞書で "döda" を調べてみたが、該当する単語が出てこない。どうもドイツ語にはそんな単語はないみたいなのである。「なんだ、『なんちゃってドイツ語』 かよ!」 と、拍子抜けした。要するに 「雰囲気のもの」 というだけのことなのね。

とはいえ、ドイツ語以外で "döda" という単語があるのかもしれないと、念のため多言語で調べてみると、スウェーデン語に該当単語がみつかった。それが上の画像である。英語にすると、"slay, murder, kill, slaughter, assassinate" という意味の単語であるという。(参照

「なぬ!」 である。スウェーデン語の "döda" という単語って、「殺害する、殺す、虐殺する、暗殺する」 という意味だったのかよ! よりによって、転職情報誌の名前がそれか! もしかして、「転職者は殺してやる!」 って裏の意味を込めたりしてたのか?

念のため、日本語訳のウェブページの画像も載せておく。確かにこんなことなのである。(参照

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まあ、精一杯好意的に考えれば、当初この  "DÖDA" という雑誌名を考えた時は、スウェーデン語では物騒な意味になるなんてことは、ちっとも知らなかったんだろうね。あの当時 (1989年創刊だから、バブルの最盛期だ) 特有の軽いノリで、まさに 「雰囲気のもの」 として洒落みたいに命名しちゃったんだろう。

ところが後になって、「ちょっと、ちょっと、ヤバいっすよ、"DÖDA" って、スウェーデン語で 『殺す』 とか 『虐殺する』 とかいう意味になっちゃうらしいっす!」 ということが判明したので、しょうがないからとりあえず、Ö を O にしれっと変更することで、「これ、スウェーデン語じゃないっすから、よろしく」 とトボけることにしたんだろう。うん、そうとしか考えられないじゃないか。

初めからきちんと調べておけば、こんなややこしいことにはならなかったのにね。

【補足】

スウェーデン語の "döda" の発音は、こちら で聴ける。「発音したユーザ ret001 (スウェーデンの男性)」 という表示の左側にある 「▷印」 をポチッとすると聴けるが、「ディユタ」 に聞こえないこともないビミョーな発音である。

それにしても、スウェーデン語の単語をネイティブが発音したのをいながらにして聴けるとは、世の中、便利になったものだ。

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2017/01/29

ストロベリーの 「ストロ」 はどういう意味ですか」 という質問

偶然に 「ストロベリーの 『ストロ』 はどういう意味ですか」 という質問が Yahoo 知恵袋に 3度も寄せられているのを知って唖然とした (参照 1参照 2参照 3)。元の英語の綴り (strawberry) をみれば、「ストロ」 は "straw" (ストロー = 麦わら) であることが一目瞭然なのだから、こんな質問が出ること自体、「知の劣化」 と言われても仕方がない。

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ちょっと調べさえすればわかることを、すぐに他人に聞きたがるやつに対して、ネット界隈では 「ググれ!」 の一言で対応することが主流になっているらしい。この言葉の後ろには往々にして 「カス!」 の付けられることが多いらしく、「ググれ、カス!」 というのが定型句になっていたりする。

ただ 「ストロベリーの 『ストロ』 は……」 に至っては 「ググれ」 以前の問題で、「辞書引け、辞書!」 というほかないような気がする。しかしこんな手合いだと、国語辞典で 「ストロ」 を引いてみて、 「そんな言葉、見つかりませんでした」 なんて言い出す可能性大だから、ちょっと始末に負えないかもしれない。

とはいえこの質問に関しては、「ストロ」 は ”straw" で 「麦わら」 のことですよと答えて、それで済むなら話は簡単だ。「ああ、そうだったのか、ストローで麦わらか!」 となって、フツーはそれで十分だと思う。

しかし私みたいに 「知りたがり」 の病がちょっと重症化していたりすると、「どうしていちごが、麦わらと関係あるのか?」 なんて食い下がりたくなる。こうなると、話はちょっとややこしくなるようなのだ。

「語源由来辞典」 によると、「地を這い広がった姿が麦わらに似ているから」 とか 「果実の表面にある小粒の種子が麦わらの切れ端に似ているから」 とか言われているらしいが、「実際のところ解っていない」 ということのようだ (参照)。確かに、どちらの説も 「こじつけ臭さ」 が強すぎて、「一体どこが似てるんだ?」 と突っ込むことすら馬鹿馬鹿しいレベルだ。

ところが、Yahoo 知恵袋に新しい説が見つかった。引用してみよう (参照)。

英名の「strawberry」 の 「straw」 は 「麦」 ではなく、「あちこちに散らす、一面を覆う」を意味する 「strew (strawの古語)」 が語源で、ランナーを伸ばして繁殖する様子を表しているそうです。また、2002年 1月 13日のNHK 「日本人の質問」 では、ランナー自体を麦わらに見立てたという説が紹介されていました。

確かに、"strew" という言葉は 「(砂、種などを) まき散らす、振りまく」 という意味で、「ランナー」 というのは 「親株」 から伸びる 「子株」 のことらしく、家庭菜園インフォパークというサイトには「【簡単!イチゴの子苗取り】 収穫後のランナーから新苗を作る方法」 というページがある (参照)。

そしてこの 「ランナー」 というのは日本語では 「匍匐茎 (ほふくけい)」 というらしく、これをキーワードに引き返してみると、Wikipedia に英語では "stolon" (ストロン) という (参照) とあった。下に引用する。

走出枝 (ランナー/Runner)  と呼ばれる場合もある。厳密には匍匐茎 (ストロン) と走出枝 (ランナー) は異なる物であるが、実際上、両語を明確に区別して使用される場面は少ない。

匍匐茎が 「ストロン」 というと、じゃあ、「ストロベリーの語源はこっちの 『ストロン』 なんじゃないの?」 と言いたくなるかもしれないが、カタカナで書いたら似ていても、"straw" と "stolon" は最初の "st" 以外はまったく別の発音なので、原語を話す人々にとっては日本人が思うほど似た言葉じゃない。ここは慎重にならざるを得ない。

まあ、”strew" から来たとみるのが一番近そうだが、決定的な説ともいえず、語源は 「よくわからん」 としておくのが無難だろう。

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2017/01/12

庄内弁の 「さどけ」 (潔癖症) という言葉を巡る冒険

昨日は庄内弁の 「せやみ」 について考察し、その語源は上方言葉の 「かんしょやみ」 ではないかという新仮説を立てた。「かんしょやみ」 とは度を外れた潔癖症のことを言うらしいのだが、我が庄内ではそうした傾向を 「さどけ」 という。

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この 「さどけ」 というのはどうやらかなり地域限定の方言らしく、ネットで検索しても庄内以外の地域で使われているという記述が見当たらない。昨日の 「せやみ」 はちょっと検索しただけでが北陸から秋田までの広い地域で使われているらしいことがわかるので、エラい違いである。

「さどけ」 はイメージで言えば、自分の家以外の洋式トイレでは、便座をトイレットペーパーなどでカバーしないと腰を下ろせないみたいな人のことである。まあ、上の写真はかなり極端すぎる例だが。

庄内には 「さどけのびしょなし」 という格言じみた言葉があって、「きれい好きで他人にはいろいろとうるさいことを言うくせに、自分自身はまったくだらしない」 という意味で使われる。「紺屋の白袴」 とか 「医者の不養生」 みたいなものだ。

で、この 「さどけ」 の語源だが、これこそ昨日の 「せやみ」 以上の難物で、ググってみても何の手がかりも見つからない。念のため断っておくが、「サドッ気」 とか、そっちの方の話とはまったく関係がない。

私としては、神経が敏感であることを示す 「敏い (さとい)」 という言葉に、「け」 が付いたものと考えている。「け」 は 「もののけ」 (物の化)」 の 「け」 に通じ、異様な状態を示す。つまり 「清潔/不潔という観念に敏感すぎる、フツーじゃない状態」 ということだ。

ちなみに私の母は、潔癖症のことを 「さどけのピー」 と言っていた。この 「ピー」 が何を表しているのかは、今となっては謎である。母が生きているうちに聞いておけばよかったのだが、聞いたとしても多分、母自身もわかっていなかったんじゃなかろうか。

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2017/01/11

「せやみ」 という言葉を巡る冒険

庄内弁に 「せやみ」 という言葉がある。意味は 「寒がり、ものぐさ」 で、派生語として 「せやみこぎ」 がある。「こぎ」 は、「馬鹿こくでねえ!」 の 「こく」 の名詞形。意味は 「寒くて囲炉裏やこたつから離れようとしない人のこと」 (参照) だ。

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仮に 「せやみ」 と表記されるが、実際の発音は 「しぇやみ/しやみ」 に近く、酒田では 「寒がり」 の意味が強いので、私は 「冷や身」 が語源なのだと信じていた。ところが Web の世界の多くは、「背病み」 が語源であるとしている。

『横手/方言散歩』 というサイト (参照) では、「せぼねやみ(背骨病) の略にて、負担を命ぜられたる場合に背骨に病ありと称してズルケル意味の語なり」 という説を紹介している。しかし私の感覚としては、それはたまたま 「せやみ」 と標記してしまったことに引きずられすぎたもので、取って付けた感ありありの不自然さを覚える。

そんな中で最近、偶然に 「かんしょやみ」 という言葉を知った。大阪などの上方では昔から使われてきた言葉で、漢字は 「癇性病み」。Weblio 辞書では 「神経質、潔癖症などのこと。小さな事でも気になってしまう気質や体質」 としている (参照)。

上方言葉は北陸を経て東北日本海側に伝播しやすく、「せやみ」 という言葉は、まさにこの地域で使われる。そこで私は、この 「かんしょやみ」 の 「かん」 が落っこちて、「しょやみ」 → 「しぇやみ/せやみ」 に変化したという仮説を立ててみた。

神経質な潔癖症はいろいろ面倒なことを言い立てて、ぐずぐずすることがある。そこでそんなやつのことを 「せやみ」 と言うように変化したのではあるまいか。布団から出たがらないので、「寒がり」 というイメージも加わったのだろう。

言葉の意味というのは、案外簡単に変化するもので、例えば 「お笑いぐさ」 という意味の 「笑止」 が、我が庄内地方では 「しょす」 に変化して 「恥ずかしい」 という意味になり、米沢地方では 「おしょうしな」 に変わって、「ありがとう」 という意味になった。「かんしょやみ」 が 「せやみ」 になって意味も変わるぐらいのことは十分あり得る。

本日はサービスとして、庄内昔話を聞いていただこう。ちなみに動画のタイトルは 「せやみこぎ」 だが、聞いてみればわかるように、庄内弁の実際の発音は 「しぇやみこぎ」 になる。そして当然ながら私は、ここで語られる庄内弁は全て理解できちゃうのだよね。

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2017/01/10

「名乗れることができる」 という妙な言い方

今朝、何気なくみていたテレビ・ショッピングで、「ハンガリー産の高級ダックダウン 90%使用の高級羽毛布団」 が取り上げられていて、その説明のナレーションで、「ダウンが 50%以上含まれていれば、羽毛布団と名乗れることができてしまうんです」 と言っていた。90%という数字がハイ・スペックだと言いたかったのだろう。

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しかし 「名乗れることができてしまう」 というのは、明らかに誤用である。「動詞の可能形 + ことができる」 というくどすぎる誤用は、近頃枚挙にいとまがないほどで、例えば 「走れることができた」 というフレーズでググると、19,800件がヒットする (参照)。トップにあの茂木健一郎氏の tweet (参照) が来ているのにはびっくりしたが。

こうした間違いはフリートークや Twitter など、ちゃちゃっとしゃべったり書いたりした時に、つい間違いがちなのかと思っていたが、テレビ・ショッピングのナレーションにまで登場したことに、ちょっとしたショックを受けた。これは 「つい言い間違えた」 というレベルではない。

日本語のプロであるはずのライターが平気でこんな原稿を書いている。そしてそれを読む段階で、ナレーターが間違いに気付けばいいのだが、何の疑いもなくそのまま読んでしまっている。これは 「〜れることができる」 という言い方が一般化してしまっているという、危機的状況を示しているんじゃあるまいか。

というわけで念のため書いておくが、「名乗れることができてしまう」 は、正しくは 「名乗ることができてしまう」 あるいは 「名乗れてしまう」 である。これを 2つも組み合わせるのはくどすぎる。同様に 「走れることができた」 も、「走ることができた」 あるいは 「走れた」 である。

いくら言葉は生き物で時代とともに変化するとはいえ、私はこの 「動詞の可能形」 にさらに 「ことができる」 を加えてしまう言い方が、気になってしかたがない。「走ることができることが可能です」 と言っているようなもので、もっと言えば 「四角い正方形」 と言っているのと変わらない。この言い方が当たり前になってしまうようだと、日本語が危ないレベルに達しているんじゃないかと思ってしまう。

あるいは 「すべからく〜すべし」 という慣用句みたいに、決まり切った言い方として定着してしまうんだろうか。ただ、この 「すべからく」 にしても 「誤用のチャンピオン」 みたいな言葉で、「全て」 の洒落た言い方と思っている人が圧倒的に多い。「すべからく」 と言いたくなったら、ぐっと堪えて 「総じて」 とか 「ことごとく」 とか 「概して」 とか言い換える方が身のためだ。(参照

ちなみに、例の羽毛布団のテレビ・ショッピングでは、「高級 『ダッグダウン』 (『ク』 が濁音) を 90%使用」 なんて言っていた。「ダックダウン」 (言うまでもなく 「アヒルの羽毛」 ね) を聞き違えたのかと思って、注意して聞いていたが、2度目も明らかに 「ダッグダウン」 と言っていた。「ダッグ」 って、一体どんな鳥だ?

最近の放送業界の劣化は、かなりヤバいところまで来ているなと確信してしまったよ。

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2016/12/22

「ロックフェラー」 は 「ロッカフェラー」 であるらしい

今日の昼前の BS NHK、「ザ・プロファイラー」 という番組で、「夢と野望の人生 華麗なる一族の光と影 〜ロックフェラー一族〜」 という番組があった。私は 10年以上前に 12月のニューヨークを訪れたことがあって、ロックフェラーセンター前の豪華なクリスマス・イルミネーションを思い出した。

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で、今日はロックフェラー一族を語ろうというわけではなく、例によってどうでもいいような細かい話である。それは "Rockefeller" という名前の発音についてだ。日本ではずっと昔から 「ロックフェラー」 ということになっているが、本当の発音はどうもそうじゃないと、ずっと昔から思っていたのである。

ロックフェラーともなると、いろいろな歌にまでその名が登場するが、私が最初に知ったのはドリス・デイの "On the Sunny Side of the street" だと思う。この中で彼女は 「1セントも持ち合わせがなくても、ロックフェラーみたいにリッチになるわ」 と、いかにもアメリカン・ドリームといった世界を歌っている。

しかし、YouTube で確認してもらえばわかるように、彼女は "Rockefeller" を、カタカナで書けば 「ロッキフェラー」 と聞こえる発音で歌っている。"Doris Day - On The Sunny Side Of The Street" という動画の 1分 20秒あたりからに注目いただきたい。

というわけで私は、「ロックフェラーって、本当はロッキフェラーなんだな」 と思っていたのだが、間もなく、それもどうも怪しいということになった。どうやら 「ロッカフェラー」 という発音の方が多数派らしいと気付いたのである。

ベット・ミドラーはその名も "Mr. Rockfeller" という歌を歌っているが、どう聞いても 「ロッカフェラー」 としか聞こえない発音だ。のっけから 「ロッカフェラーさん、ご機嫌いかが?」 だもの、こればかりはしょうがない。

ボブ・ディランは 1962年に "Hard Times in New York Town" という歌で、「ゴールデンゲイトからエンパイア・ステイトのロックフェラー・プラザまではとても長い道のりだ」 と語った。その発音は強いてカタカナで書けば 「ロカフェラー」 である。(ビデオの 1分 10秒あたりからに注目)

そもそも名前の綴りからして "Rockfeller" じゃなくて ”Rockefeller" だもの。「ロッキフェラー」 か 「ロッカフェラー」 に聞こえるのも自然なことだ。どうして日本では 「ロックフェラー」 になってしまったんだろう?

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