カテゴリー「比較文化・フォークロア」の237件の記事

2019/08/19

「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」という話

子どもの頃、「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」と言われた。この警句ともジョークともつかない話は私の生まれた山形県庄内地方特有のものと思っていたが、ネットで調べるとほぼ日本全国に広まっており、しかも今でも生きている話のようで、こんな風に真面目に論じたページまである。

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日本でスイカが一般的に広まったのは江戸時代後期からとされていて(参照)、こんな話が作り上げられたのはそれ以後のことだろう。ということは長く見積もっても 1950年代以前のほぼ 100年足らずの間に、テレビもインターネットもなしに山形県の田舎の片隅にまで伝播していたことになる。

ただ、考えようによってはいかにも容易に発想されそうなことでもあるので、あるいは同時多発的なものだったのかもしれない。いずれにしてもフォークロアの威力というのは大したもので、なかなか侮れない。

上で紹介したページには「スイカの種を食べるとヘソから芽が出る由来とは」という項目があって、「農家説」と「食べ過ぎ注意説」の 2つが紹介されている。

「農家説」というのは、農家で「子供達にスイカを振る舞い、 スイカの種を畑に蒔かせる作業を手伝わせたようです」とあり、「スイカの種ごと食べられてはダメなので、『スイカの種を食べるとヘソから芽が出る』と子供が怖がるようなストーリーになった」とされている。要は「種の確保」という、ある意味「合理的」な話である。

ただ、スイカの種蒔きの時期は食う時期に先立つので、スイカを振る舞って種蒔きを手伝わせたというストーリーには無理がある。それに「種確保の必要性」は何もスイカに限ったことではないので、この説は一見魅力的ではあるが、ちょっと「眉唾」かもしれない。

「食べ過ぎ注意説」は、「子供がスイカを食べ過ぎてお腹をこわすのを避けるため」とある。スイカは水分が多く(「食養」でいう「陰性食物」)、体を冷やす作用があるため、「種を取らせる行為を間に挟む事によって大量に食べるのを抑止していた」というのは、ある意味、理にかなっているが、かないすぎておもしろくもなんともない。

私としては、単なる「お笑いノリのお話」と解釈すればいいだけと思っている。全ての言い伝えにもっともらしい教訓を求めるのは、話がお堅すぎる。「単なるお笑い」にだって、十分な存在意義があるのだ。

ちなみに私は子どもの頃、「へそから芽が出る」と言われて、「それならスイカを買わずに済むからいいじゃん!」なんて「人間スイカ畑」みたいなノー天気なことを考えていた。スイカが育って重くなったら、それをぶら下げながら暮らすことになるという不具合にまでは思いが至らなかったのだから、「ユニークではあるが、考えの足りない子」だったようである。

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2019/07/05

小原庄助さんの正体

福島県の民謡『会津磐梯山』に「小原庄助」という人物が登場する。「朝寝朝酒朝湯が大好き」で「それで身上潰した」と伝えられる人物だ。郷土玩具にも「小原庄助こけし」(下図)というのがあるというほどの有名人である。

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ところがこの小原庄助さんという人物、実在のほどはアヤシいらしい。いろいろ当たってみると、「コトバンク」に次のようにある。

【デジタル大辞泉】
民謡「会津磐梯山」の囃子詞(はやしことば)に登場する架空の人物。「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶした」と唄われる。

【朝日新聞「キーワード」の解説】
県文化振興課によると、会津の商人説、武士説、塗り師説がある。白河市大工町の皇徳寺には「会津塗師久五郎」を本名とする「伝 小原庄助」の墓があり、墓石はとっくりの上に伏せた杯を乗せた形だ。1858年に亡くなり、戒名は「米汁呑了居士」。辞世として「朝によし昼になほよし晩によし、飯前飯後その間もよし」とある。一日中米汁(酒)を飲んでいたらしい。

「やっぱり観光」というサイトに「小原庄助の墓」というページがあり、写真をみると本当に「とっくりの上に伏せた杯を乗せた形」の墓石である。(参照

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このページには次のような記述がある。

小原庄助こと会津塗師・久五郎の墓は、羅漢山人という人物の墓所の隅に間借り(?)している。羅漢山人は有名な谷文晁の弟子で、庄助さんはこの人のもとに絵付を習いにきて亡くなったらしい。

なるほど、会津塗師だけに、文人に絵付を習っていたと、もっともらしく語られているらしい。この墓にある解説の札も「あるのふわっとライフ」というサイトで見つかった。(参照)こんな風である(クリックで拡大表示される)。

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ちなみに今に伝えられる『会津磐梯山』という歌は、Wikipedia によるとこんなようなお騒がせがあったらしい。(参照

1934年(昭和9年)に小唄勝太郎が歌ったものが歌い出しをとって「会津磐梯山」と命名されて、ビクターレコードより発売され、全国的に広まった。三味線も付けられ、歌詞も長田幹彦によって整えられ、「エンヤー」という独特の掛け声も付けられた。

しかし、「勝太郎節」が俗謡風であったことに加え、元の歌詞と大きく異なる内容であったことから、地元では、「郷土芸術を冒涜するもの」として非難の声が上がり、山内磐水らによって、「気狂踊り」風の節回しが広まった。山内等が普及に努めたこの囃しは、本来の会津磐梯山に近い正当なものであることを示すために「正調」と冠して「正調会津磐梯山」と呼ばれている。

YouTube で聞き比べてみると、確かに勝太郎バージョンは艶っぽすぎる。ただ残念ながら、何が「正調」で、何が「本来」なのかまでは突き詰めることができなかった。

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2019/06/06

日本人の名前のローマ字表記は、姓が先か、名が先か

ちょっと旧聞気味で恐縮だが、日本政府が先月、日本人の氏名をローマ字表記する際に、従来の「名 - 姓」の順から「姓 - 名」の順にすることが望ましいと関係機関に呼びかけることになったことについて、一言書かせてもらおう。

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実は 20年ぐらい前にも国語審議会が「姓 - 名」順とするように呼びかけたことがあって、私も「なんだかなあ…」と思った記憶がある。結局のところ、定着するどころか誰もまともに意識しなかったというお粗末になったわけだが、今回改めて蒸し返されたということなんだろう。

実はこれ、冷泉彰彦氏が Newsweek 日本版に「基本的には個々人の自由であり、強制力を持つ話ではないので、賛成も反対もない」と書かれている(参照)のに全面的に同意してしまいたくなるお話で、さらに「個人的にはあまり気が進まないのは事実」という点にも賛成だ。「今さら政府にどうのこうの言われても、ちょっとなあ」ということである。

私のハンドル・ネームである「庄内拓明」にしても、ローマ字では一応 "Takumyo Shonai" だが、実際には "tak-shonai" という表記の方を意識的にフィーチャーしている。当初は "Tack Shonai" にしようかとも思ったが、「変な東洋人ぽさ」の漂う "tak-shonai" に落ち着いた。これも要するに「個々人の自由」、即ち「好みの問題」である。

野球の大谷翔平は意識的に "Otani" の方を先にして定着させたい意向らしいが、今朝 BS テレビで見たメジャーリークの実況でも、ホームランを打った途端にアナウンサーが興奮気味に「ショウヘーイ・オゥターニィ!!と絶叫しまくっていたから、結局は「名 - 姓」の方が定着してるってことなんだろう。

こればかりは理窟じゃなく、「しっくりくるか、こないか」という点に落ち着いてしまうんじゃないかなあ。

 

 

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2019/05/05

盛大な音を立ててそばをすする「そば喰いナショナリズム」

Twitter で注目の話題をまとめて紹介してくれる Togetter に "問:観光に来たフランス人が蕎麦屋で「そばを啜る音が不快」と言った時、食文化は変容していくべきか?" というのがある。冒頭の写真のフランス人は「僕の隣でそばをすすって食べられると、音が気になってイライラする」とコメントしている。

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このテーマに関する日本人の反応は、音を立ててそばをすすることも含めて日本の文化」「人の国の文化にケチをつけるな」「そんなに気になるなら、イヤフォンでフランス国歌聞きながら食べよう」など、圧倒的に国粋主義的なものが多い。最近の日本人の右傾化と関係があるんじゃないかと思うほどで、私はこうした傾向を「そば喰いナショナリズム」と呼んでいる。

私は過去にもこのテーマで何度か書いている。代表的なのが、12年も前の「蕎麦は禅的食物かもしれないが」という記事だ。虎ノ門の近くのそば屋で、アメリカ人らしき男性グループのリーダー格の男が、そばがいかに深遠で禅ブッディズムのフィロソフィーを体現した食べ物であるかをとうとうと力説(もちろん英語で)していた。

ところが実際にテーブルにそばが供されると、そのリーダー格も含めて全員すすることができず、ただひたすら「モグモグ」と悪戦苦闘していたというお話である。幽玄なまでのそばの哲学を極めても、すするという実技まではモノにしていなかったようなのである。

個人的経験則からしても、外国人にはそもそもそばをすすることができない人が多い。「多少は音を立ててもいいんだよ」と助言しても、「本当か? からかってるんじゃないだろうな」と、信じられないほど疑い深い。

「それは西洋人だけの傾向じゃないか」という人もあるだろうが、私は昨年、その疑問への答えのような「平壌冷麺も、すすりこまずにもぐもぐ食うもののようなのだ」という記事を書いている。北朝鮮を訪問した韓国の文在寅大統領が金正恩と仲良く平壌冷麺を食べる姿は、日本人の目にはとてもぎこちなく映った。

絡み合う長い麺に絶望的に手をこまねく文在寅の静止画像(参照)は「閲覧注意」と注釈をつけたくなるほどだし、器に覆い被さるようにして妙にチマチマと麺をたぐる金正恩の動画(参照)も、ちょっと異様だ。私はこれらを見て、平壌冷麺は一生食うまいと心に決めた。

いろいろな要素を総合すると、私は「そばは盛大に音を立ててすするべし」なんて言いたいとは思わない。そばをことさらに音を立ててすするようになったのは、ラジオが普及した昭和中期以後からだという説がある。ラジオの中継では身振りが見えないので、噺家が蕎麦をすする音を大きめに演出したのが、そもそもの始まりらしい。

というわけで落語ではやたら盛大な音を立てて演じられるが、実際にはかなり控えめに「ツルツル」程度の音ですする方が差し障りがない。隣の席で傍若無人に「ズルズルッ」とやられたら、日本人の私でも「おいおい、ちょっと控えておくれよ」と言いたくなってしまう。

「日本の貴重な文化なのだから」と、あたかも免罪符を得たカソリックの如くやたらと盛大にやるのは、過剰な「そば喰いナショナリズム」と思ってしまうのだよね。

 

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2019/03/23

日本人が電車で席を譲らないのは

日本人は電車内で立っている老人を見かけてもなかなか席を譲らないというのが、たびたび問題にされる。私は決して世界中を旅しているわけじゃないけど、立っている老人をこれほど露骨に無視し続けられる国というのは、世界でも珍しいんじゃないかと思っている。だからことさらに 「優先席」 なんてのが必要になるわけなのだね。

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いろいろなところで 「どうして席を譲らないのか」 というのが話題になっているが、一番目に付く言い訳はいつも 「周りの目が気になって、席を譲るのが恥ずかしい」 というものだ。私なんか既に前期高齢者の年齢に達しているが、幸か不幸か見かけが若いものだから、近くにいかにも哀れっぽい老人が立っていたりすると座っている方がずっと恥ずかしくて、さっさと席を譲ってしまうがなあ。

そして立ち上がってから改めて座っている乗客を見ると、大抵私よりずっと若い連中ばかりなのだ。そこで 「お前ら、よく恥ずかしくないなあ!」 と言いたくなるのを、ぐっと堪えるのが常である。

私は日本人が席を譲りたがらないのには、「譲るのが恥ずかしい」 なんて表面的なものよりずっと根の深い別の理由があると見ている。そのヒントとなるのが、こんなエスニックジョークだ。

大型客船が沈没しかけているのだが、婦人と子どもを優先するとどうしても救命ボートの数が足りない。そこで男の乗客に自発的に海に飛び込ませるために、船長はこんなふうに言う。

イギリス人に向かっては、「あなた達は紳士ですから、飛び込めますよね」
アメリカ人に向かっては、「あなた達こそ真のヒーローです」
ドイツ人に向かっては、「これはルールです」
そして最後に日本人に、「皆さん、そうしてらっしゃいますから …… 」

つまり多くの日本人は、「皆さん、そうしてらっしゃる」 のを目の当たりにしないと、自分からはなかなか動かない。そして一度 「皆さん、そうしてらっしゃる」 のを確認してしまうと、是も非もなくぞろぞろ素直に従うのである。

ところが電車内で 1人の老人に席を譲るのは、1人が席を立ちさえすればいい。何人も続いてぞろぞろ立ち上がる必要はないので、「皆さん、そうしてらっしゃいますから」 という行動原理が成立しない。これが 「日本人が席を譲らない」 ことの根本的な理由である。

席を譲るというのは要するに 「早い者勝ち」 の世界なのだが、この 「早い者勝ち」 というのが、日本人は決定的に苦手なのだ。下手すると 「ええ格好しい」 とか 「抜け駆け」 に思われてしまうので、とことんためらってしまう。

「隣百姓気質」 という言い方がある。隣が種を蒔けば自分も種を蒔き、隣が草取りをすれば自分も草取りをし、隣が刈り入れをすれば自分も刈り入れをする。自分で能動的に考えてやってるわけじゃない。

日本人の行動原理はこの 「隣百姓気質」 にあると、私は思っている。だから何かの弾みで皆が一斉にやり始めると、世界が驚くほどの大きな動きになるが、1人がさっさとやりさえすれば簡単にコトは済むというようなケースでは誰も 「その 1人」 になりたがらず、なかなかコトが済まない。

1人でさっさとコトを済ませたがる私みたいなのは、日本社会ではどうしても 「変人」 扱いされてしまうのだよね。ちょくちょく米国出張していた若い頃、ニューヨークなんか今よりずっと治安が悪かったが、日本のオッサンたちと付き合っているよりずっとストレスがなかったのを覚えている。

 

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2019/02/17

私は 「シャルリー」 でも 「一本気な子ども」 でもない

Newsweak にフローラン・ダバディというフランス人が、「ブラック・ユーモアを忘れた日本は付き合いにくい」というコラムを書いている。日仏関係はゴーン問題もあって揺れているが、フランス文学界の鬼才、ウェルベックの新しい小説に、日本人をバカにしたような登場人物が描かれているいることに関連し、彼は「今の日本人は、こんな 『侮辱』 を受け流せるのだろうか......」と危惧している。

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このダバディという人、「どこかで見たことのある顔」 と思ってしまったが、サッカーで日本代表監督を務めたトルシエの通訳兼アシスタントをしていたと紹介されているので、「道理で」と得心した。今は Newsweek なんかにコラムを書いたりしてるのだね。

ミシェル・ウェルベックという作家の最新作『セロトニン』に関しては、私はまったく読んでいないのでなんとも論評のしようがないが、ダバディ氏によると全体的にはこの作家らしいブラック・コメディ的なタッチであるらしい。そして登場する日本女性を小馬鹿にしたような描写が多々あるのだそうだ。

で、彼は「この本が日仏関係にとって危険なのは、最近の日仏関係がよくないせいだけではなく、そもそも日本人が風刺の心を忘れてしまったせいです。そしてそれは、フランス人との関係に限らず、国際社会から孤立する原因にもなりうるのです。危機感を抱いたほうがいいと思います」と述べている。へえ、日本人は今、フランス人にこんな心配をされるほどしゃっちょこばった存在と思われているらしい。

彼は学生時代、日本の「スネークマン・ショー」のファンだったそうで、英国の「モンティ・パイソン」を連想したりして、「日本とヨーロッパは笑いのツボが一緒」と思っていたという。しかし残念なことに、「今ではもう日本では通じない斬新過ぎるユーモアになってしまったのかもしれません」なんて言っている。

彼はまた、2014年の 「シャルリー・エプド」 事件を持ち出している。IS に関して風刺的に描いたフランスの週刊誌、シャルリーの編集者が、襲撃され殺されてしまった事件だ。あの時、西欧社会は ""Je suis Charlie" (私はシャルリーだ) というスローガンのもとに、案外単純に 「報道の自由の侵害」 と捉えたのだった。

しかしこれについて私は 2015年 1月 11日 と 12日の記事で少々疑問を呈している。12日の記事なんかは 「"Je ne suis pas Charlie" (私はシャルリーではない) と言う自由」 というタイトルだ。11日の記事では、次のように書いている (参照

風刺やパロディが単純に 「報道の自由の範疇」 と思っているのは、ある意味、西欧的傲慢である。喩えは悪いかもしれないが、すれっからしの大人が妙に一本気な子どもをブラックジョークで挑発しても、それは洒落にならないのだ。

ダバディ氏は 「昔の日本人はもっと洒落が通じたのに、最近は通じなくなってきていて、ちょっとヤバいんじゃないの」 と言いたいみたいなのだが、今だろうが昔だろうが、日本には洒落の通じるやつもいれば、まったく通じないやつもいる。ある意味、今は通じないやつがかなり大きな顔をしているわけだが。

ただいくらなんでもフランスの現代文学を読むような日本人は、多少は洒落が通じるから、ダバディ氏の心配するほどのことはないだろう。もしいきり立つようなやつがいたとしても、日本人同士でちゃんとなだめてしまうから心配ないと思っていていい。

とはいえ、もっと大衆的なメディアで日本人がブラックジョークの対象にされたりしたら、かなりエラソーな顔をして真剣に憤慨し出す 「一本気な子ども」 みたいなのが出てくるだろう。面倒な話だが、それは確実だ。

取りあえず今日のところは、「私は『シャルリー』でも『一本気な子ども』でもない」と宣言しておこうと思う。

 

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2019/02/07

日本旅館の 「おもてなし」 で震えるのは、外国人だけじゃない

東洋経済 Online に "外国人が震える旅館の実は怖い 「おもてなし」  プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題" という記事がある。日本旅館に泊まりたがる外国人は少なくないといわれるが、実は 「違和感ありあり」 の経験になってしまうことも多いようだ。

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冒頭で紹介した東洋経済 Online の記事を書いたのは、ジュンコ・グッドイヤー さんと 村山みちよさんという方で、Agentic LLC という会社を運営しているらしい。業務の中身は 「クリエイティブ & コミュニケーション・エージェンシー」 ということらしく、ポリコレの問題には強いらしい。

そうした会社の人らしく、外国人が日本旅館に泊まって戸惑うことの多くは 「プライバシーがダダ漏れ」 ということに発すると主張している。日本旅館で顧客と仕事の打ち合わせをした際に、「歓迎 〇〇御一行様」 という麗々しい看板が玄関にも、そして何と、宿泊する部屋の前にもかけられていたということに、固まってしまうほど驚いたというのである。

廊下を見渡すと、どの部屋にも宿泊客の名前が貼り出してあったという。これはさすがにちょっとビビる。私は個人的には玄関に 「歓迎 〇〇御一行様」 (〇〇が個人名だったらヤバいけど) とあるぐらいはガマンするが、部屋の前に個人名が書いてあったりするのはむちゃくちゃイヤだ。

東洋経済の記事は、"外国人が震える旅館の実は怖い 「おもてなし」" という割には、旅館に関する話は冒頭で触れられるだけで、後は延々とプライバシーとポリティカル・コレクトネスの話になる。要するに日本人はプライバシーとポリコレに関して無頓着すぎるということを述べる象徴的な例として、「日本式旅館」 というのが挙げられているわけだ。

私は泊まりがけの出張が月に 2〜3度ぐらいあるが、よほど仕方のない時を除いて、「旅館」 というものには泊まりたくない。そんな思いを、2017年 10月 7日付の "日本人の私でさえ 「旅館」 には戸惑ってしまうのだから" という記事に書いている。こんな具合だ。

日本人の私でもびっくりしてしまうのは、夕方ちょっと外出して、部屋に戻ってみるといつの間にか布団が敷いてあったりすることだ。旅館の従業員とはいえ、知らぬ内に部屋に入られて、荷物がテキトーに片隅に寄せられて、見かけだけはやたらと豪勢な布団を敷かれちゃうというのは、何だか複雑な思いがしてしまうのだよね。

夜にちょっと PC に向かう仕事があるので、布団を片隅に寄せて、壁際に立てかけられちゃったテーブルを戻すというのも、何だか馬鹿馬鹿しい気がしてしまう。それに長時間座卓に向って PC のキーボードを叩くと、腰に来てしまうのだよ。

(中略)

それから、「素泊まり」 ならまだ気楽だが、晩飯付きだったりすると、女中さんが入って来てあてがい扶持の夕食を勝手によそってくれたりするのも、こちらとしてはやりにくい。なにしろ、こちらの好みなんて一切考慮されず、ひたすら提供する側の都合によるメニューなのだ。これだったら 「素泊まり」 にして、晩飯は食いに出る方がいいと思ったりしてしまう。

それからもう一つ、2012年 2月 27日付というほぼ 7年も前の記事だが、"グループでホテルに泊まる時" というのもある。複数の人間のグループで宿泊予約した際の、ホテル側の部屋の取り方の問題だ。私はこんな風に書いている。

日本で複数の人間のグループがホテルの宿泊を予約すると、ほとんどの場合、同じフロアの続き部屋になる。それが当たり前だと思われている。

ところが欧米の場合だと、グループでもあえて部屋はバラバラに用意される。続き部屋でないのはもちろん、大抵はフロアまでバラバラの部屋になる。

日本人同士のグループでの欧米へのビジネス・ツアーで、泊まる部屋がバラバラに設定されていると、「どうしてまとまったフロアにしてくれないんだ、気が利かないなあ」 などと不満をいう人がいる。しかし実は気が利かないのではなく、これはホテルが気を利かせてくれているのだ。

私は会議や研修などで、グループ同士でまとまった続き部屋に泊まらされると、ちょっとしたストレスになる。とくに隣の部屋に泊まるのが女性の場合などは、トイレやシャワーを使うにも気を使ってしまう。

本当に、翌日の会議でも顔を合わせる女性の隣部屋に泊まらされたりすると、おならするにも気を使ってしまうよね。いや、マジで。

とにかく、日本式の考えで 「皆さん、どうぞご一緒にまとまってお楽しみください」 みたいな妙な 「おもてなし」 コンセプトで宿泊させられると、かなりストレスを感じてしまうのだ。「おもてなし」 を押しつけられるより、さりげなくも素っ気なくされる方がずっと気楽である。

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2018/11/12

「ノックは 3回」 という歌があるが

中学生の頃から洋画ファンだったもので、ドアは 4回ノックするものと思っていた。というか、「4回」 と明確な数字を意識していたわけじゃなく、「ドンドンドンドン」 とたたく音とリズムが身についてしまっていたのである。だって、洋画ではみんなそうしているのだもの。それがフツーと思うほかないではないか。

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多分、フツーの欧米人も、別に親から 「ノックは 4回しなさい」 と教えられたわけじゃなく、日常の生活の中で自然にその音とリズムに落ちつくのだろう。私の場合はたまたま、よく見ていた映画を通してそんな風になったのだが。

ところが上京して、友人や先輩の住むアパートを訪ねる時など、フツーに 「ドンドンドンドン」 とノックすると、とくに先輩などは 「お前のノックはうるさい。普通にトントンと 2回叩けばわかる。なんで 4回も叩くんだ」 と言うのだ。

その頃としては、「日本ではそういうことになっているのかなあ」 と思うほかなかった。日本のアパートなんて狭いし、ドアも薄っぺらなのが多かったから、西洋流に叩くとうるさく感じるというのもわからないではない。

先輩の 1人はアメリカン・ポップスの 『ノックは 3回』 (YouTube で聴ける) というのを持ち出して 「アメリカだって、『ノックは 3回』 ということになってるじゃないか。お前はやりすぎだ」 なんていうのである。まあ、確かに 1971年のリリースで、そんなヒット曲があった。

しかしあの歌は、ちゃんと聴けばわかるけど、ドアのノックの回数のことを歌ってるんじゃない。アパートの下の階に住む女性に恋を打ち明け、「受け入れてくれるなら、天井を 3回叩いて知らせて」 という歌詞なのだ。ちなみに 「ノー」 だったら配管を 2回叩いてくれと言っている。

ただ、そこで英語の歌詞の解説なんか始めたら逆に嫌みと取られかねないから、仕方なく引き下がり、それ以後は日本的妥協の産物として、小さく 「コンコンコン」 と 3回ノックすることにした。まあ、それが落としどころってもんで、仕方ないよね。

ところでノックの回数については、最近注目されている、いわゆる 「就活サイト」 でも取り沙汰されているみたいなのである。、面接を受けるために入室する際のノックは、何回が望ましいのかという話である。日本人って、細かいところでいろいろ言いたがるのだね。探してみたところ、こんな風に書かれているページが見つかった。(参照

ノックには正しい回数があることを知っていましたか? 実は、国際標準マナーであるプロトコールマナーによって、状況に応じての正式なノック回数が定められているのです。ノック 2回は、トイレの在室確認用。3回は、家族、友人、恋人などの親しい相手。4回以上は、礼儀が必要になるオフィシャルな場や初めて伺った場所。

「プロトコールマナー」 なんてものがあるとは、この年になって初めて知った。なんと、「一般社団法人 日本プロトコール・マナー協会」  「日本マナー・プロトコール協会」 という 2つの団体まであるらしく、びっくりである。

ただ、発音は 「プロゥトコル」  (アクセントは第二音節の 「ロゥ」 に置く) が一般的だと思うがなあ。「プロトコール」 って、業界用語みたいになっちゃってるのかなあ。つい 「コ」 にアクセントを置いて伸ばして発音してしまいそうだよね。

ちなみに上述の就活サイトでは、「4回がプロトコール」 と言いながら、現実的には 3回が望ましいとして、次のように書かれている。

実際に面接官の判断基準に沿うと、やはりこの 3回を基準にしている場合が多いようです。人事から直接、正しく 3回ノックをしたことを褒められた者もいたようで、見ている人は見ている (聞いている) ということでしょう。

「見ている人は見ている (聞いている)」 というのは、一体何を根拠として見ている (聞いている) のだろうかと思うほかない。というわけで、日本という国はやはり 「やたら細かい一方で、実際には言わく言いがたいウヤムヤの国」 であるようなのだ。なんだか、ナースコール、おっと違った、「プロトコール」 の協会に怒られちゃいそうである。

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2018/10/03

「左上右下」 と 舞台の 「上手/下手」

昨日の 「トイレの上座/下座」 の件で、「左上右下(さじょううげ)」 という伝統文化について触れた。東アジア地域では、左が上座で、右が下座であるというコンセプトである。これと舞台の 「上手/下手」 について、昨日の記事の中で詳しく触れようと思ったのだが、長くなりそうなので分割して今日の記事として書く。

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左が上座で右が下座なら、どうして舞台では右側が上手で左側が下手なのだと問う人がいるが、舞台に関しては見る主体が違うのである。観客の側からは確かに上手が右側に見えるが、実は日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである。

これに関連したことは、10年も前に 「黒森歌舞伎による観客論」 として書いていて、さらにその 4年前にも 「清水の舞台」 というタイトルで書いている。私の田舎で真冬に奉納される 「黒森歌舞伎」 でも、清水の舞台でも、ちゃんとした観客席がない。それは芸能というのは本来神様に奉納されるもので、人間の観客はそのご相伴にあずかって見ている 「余計者」 だからだ。

それ故に、神と役者の視点により、左側が上手、右側が下手になるのである。観客からの視点では逆になってしまうが、観客は本来的には想定外の存在なので、この際問題にならないのだ。

日本の伝統芸能では、舞台上の立ち位置も原則的に 「上手/下手」 のコンセプトで決定されていて、上に掲げた役者絵でも、上手に関守の富樫がいて、中央に弁慶、下手に判官 (源義経) が配置される。おもしろいのは判官の位置で、安宅の関を通過するために身をやつしているので、徹底して下手にいる。

しかし関所を通り過ぎてしまうと、弁慶の上手という本来の立ち位置に移る。そうでないと、 「判官、御手を取り給ひ〜」 で、判官が弁慶の機転を誉めるというくだりが成立しないのだ。

これは歌舞伎ばかりでなく、落語の世界でも同様だ。長屋の大家さんが八っつぁん熊さんの店子と会話するシチュエーションなどでは、咄家が大家さんを演じる時には顔を下手を向け、店子を演じる時には上手をに向ける。つまり一人で演じてはいるが、大家さんは上手、店子は下手にいるというココロでやっているわけだ。

ただ、上座とか下座とかいうのは今の世の中では、伝統芸能や茶の湯などの古典的な世界か、よほど格式張った場以外では、ことさらこだわってもしょうがないというのが、私の考えである。ましてやトイレの序列なんて滑稽ですらある。問題があるとすれば、いい年したオッサンがぞろぞろ連れだって一緒にトイレに行くという妙なメンタリティの方だ。

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2018/07/04

「潜伏キリシタン」 ということ その2

6月 30日の記事 "「潜伏キリシタン」 ということ »" の続編である。

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私は 6月 30日の記事で、次のように書いた。

(世界遺産に) 登録する価値があるとすれば、「禁教期」 において、250年もの間、カソリックなのにバチカンの指導から隔離された信仰を継続してきたという、極めて特異な点だ。こうした状況では、日本独自のフォークロアリスティックなものに変化しないはずがないじゃないか。

私は長崎に旅行した際に隠れキリシタン関連の遺跡を結構訪問している。その印象から湧いたのは、「隠れキリシタンの信仰は、正当なカソリックとはかなり違っているんじゃあるまいか。そのあたりを、どうやって折り合いつけるんだろう」 という疑問だ。

そして、この辺りを明らかにした宗教学者、宮崎賢太郎さんの 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 という本があることを知り、さっそく Amazon で購入申込みをした。この記事は 「本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う」 と結んでいる。

で、早速詠んでみたのである。引き込まれるように読めた。この本の特徴は、第一章の 3ページ目に結論が書かれていて、それ以後はその論拠が丁寧に説明されていることだ。だから上に述べた私の疑問は、のっけから解けた。

いわゆる 「隠れキリシタン」 のほとんどは、自らの意思でキリスト教信仰を始めたのではなく、領主である 「キリシタン大名」 たちによって、強制的に洗礼を受けさせられ、改宗したことにされてしまったというのが本当のところのようなのだ。したがって彼らは、キリスト教の教義についてはほとんど何も理解していなかった。

彼らが守り通してきたものは、キリスト教信仰ではなく、日本的 「先祖崇拝」 と習合した信仰形態であり、先祖が大切にしてきたものを、自分の代で捨てるわけにはいかないという考えが、これほどまで長く続いてきた要因だった。

「神と子と聖霊の三位一体」 を根本教義とする西欧的に論理一貫したキリスト教は、潜伏キリシタンたちにはついぞ伝わらなかったもののようだ。日本にキリスト教を伝えたとされるフランシスコ・ザビエルはまったく日本語ができず、教義を具体的に伝える術を持たなかった。さらにそれを受け入れる側の日本の農民の教育水準も、ほとんど字を読めなかったので、教義を正確に理解することなど不可能だった。

彼らの理解のレベルでは、「新しい南蛮渡りの神様の御利益が大きいらしい」 という程度のもので、私としては、日本の民衆史の中で何度か繰り返された 「流行神」 の一つぐらいに捉えられたと考えると、理解しやすいのではないかと思う。。

だから、"「隠れキリシタン」 たちは当時の厳しい弾圧に耐えながら、純粋なキリスト教信仰を守り通した" というのは、ロマンに彩られた 「幻想」 で、実際には日本的な信心と習合しつつ、キリスト教本来の祈りの言葉も 「オラショ」 と呼ばれる具体的な意味のわからない呪文のような言葉に変わり、「よくわからない民間信仰」 となって受け継がれてきたというのが実際のところらしい。

つまり、「お稲荷さん信仰」 とか 「お地蔵様信仰」 というのと、本質的な違いはないようなのである。「そんなバカな」 と思われるかもしれないが、仏教にしても 「南無阿弥陀仏」 や 「仏教とは四無量心これなり」 という言葉の本来の意味を理解している日本人がどれほどいるかと考えれば、「そんなものか」 と納得がいく。いずれにしても、かなり 「雰囲気のもの」 なのである。「雰囲気のもの」 だけに正面切って捨てにくいのだ。

幕末の開国直後に日本にやってきたプチジャン神父が長崎に創建した大浦天主堂で、長い弾圧に耐えてキリスト教信仰を守り通してきた浦上の信徒たちと感動の 「再会」 を果たしたという逸話も、「飛躍しすぎ」 と断じられている。日本の信徒がプチジャンに 「吾らの胸、あなたの胸と同じ」 と告白したというのは、よく考えるとあり得ない。

実際には、日本の隠れキリシタンたちは、「自分たちが先祖から伝えられた信心の本家本元」 が、突然日本に来たプチジャン神父であるとは、急には認識できなかっただったろう。事実に基づいて推理すると、プチジャン神父が本国に感動的に報告するために、昔からある 「貴種流離譚伝説」 になぞらえて創作したとみるのが自然のようだ。

現代になって信教の自由が認められても、教会に戻らない 「カクレキリシタン」 (もはや 「隠れ」 る必要がないから、宮崎氏はカタカナで表記している) がいくらでもいる。それは、宮崎氏に言わせれば 「隠れてもいなければキリシタンでもないから」 で、「クリスチャンでもない人に 『なぜ教会に行かないのですか』 と問いかける」 ようなものだという。

宮崎氏は、「隠れキリシタンのロマン」 がいかに幻想であるかを、実証的に示してくれているが、これら 「幻想」 の元は、我々現代の日本人がキリスト教に対して抱く幻想によるものなのだろう。確かに現代の日本人は、キリスト教はお洒落でロマンチックな宗教と思っていて、そのイメージを 「隠れキリシタン」 にも投影してきてしまったようだ。

こうした 「幻想」 は、日本に本当のキリスト教が根付きにくい原因にもなっているようである。クリスマスを受け入れ、ミッション系の大学の学生は多いのに、キリスト教信者は、人口の 1%にも満たない。

キリスト教は、中世日本においては 「御利益の多い南蛮渡来の神様」 と受け取られ、現代では 「お洒落な小道具」 程度に思われているようなのである。

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