カテゴリー「比較文化・フォークロア」の227件の記事

2018/10/03

「左上右下」 と 舞台の 「上手/下手」

昨日の 「トイレの上座/下座」 の件で、「左上右下(さじょううげ)」 という伝統文化について触れた。東アジア地域では、左が上座で、右が下座であるというコンセプトである。これと舞台の 「上手/下手」 について、昨日の記事の中で詳しく触れようと思ったのだが、長くなりそうなので分割して今日の記事として書く。

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左が上座で右が下座なら、どうして舞台では右側が上手で左側が下手なのだと問う人がいるが、舞台に関しては見る主体が違うのである。観客の側からは確かに上手が右側に見えるが、実は日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである。

これに関連したことは、10年も前に 「黒森歌舞伎による観客論」 として書いていて、さらにその 4年前にも 「清水の舞台」 というタイトルで書いている。私の田舎で真冬に奉納される 「黒森歌舞伎」 でも、清水の舞台でも、ちゃんとした観客席がない。それは芸能というのは本来神様に奉納されるもので、人間の観客はそのご相伴にあずかって見ている 「余計者」 だからだ。

それ故に、神と役者の視点により、左側が上手、右側が下手になるのである。観客からの視点では逆になってしまうが、観客は本来的には想定外の存在なので、この際問題にならないのだ。

日本の伝統芸能では、舞台上の立ち位置も原則的に 「上手/下手」 のコンセプトで決定されていて、上に掲げた役者絵でも、上手に関守の富樫がいて、中央に弁慶、下手に判官 (源義経) が配置される。おもしろいのは判官の位置で、安宅の関を通過するために身をやつしているので、徹底して下手にいる。

しかし関所を通り過ぎてしまうと、弁慶の上手という本来の立ち位置に移る。そうでないと、 「判官、御手を取り給ひ〜」 で、判官が弁慶の機転を誉めるというくだりが成立しないのだ。

これは歌舞伎ばかりでなく、落語の世界でも同様だ。長屋の大家さんが八っつぁん熊さんの店子と会話するシチュエーションなどでは、咄家が大家さんを演じる時には顔を下手を向け、店子を演じる時には上手をに向ける。つまり一人で演じてはいるが、大家さんは上手、店子は下手にいるというココロでやっているわけだ。

ただ、上座とか下座とかいうのは今の世の中では、伝統芸能や茶の湯などの古典的な世界か、よほど格式張った場以外では、ことさらこだわってもしょうがないというのが、私の考えである。ましてやトイレの序列なんて滑稽ですらある。問題があるとすれば、いい年したオッサンがぞろぞろ連れだって一緒にトイレに行くという妙なメンタリティの方だ。

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2018/07/04

「潜伏キリシタン」 ということ その2

6月 30日の記事 "「潜伏キリシタン」 ということ »" の続編である。

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私は 6月 30日の記事で、次のように書いた。

(世界遺産に) 登録する価値があるとすれば、「禁教期」 において、250年もの間、カソリックなのにバチカンの指導から隔離された信仰を継続してきたという、極めて特異な点だ。こうした状況では、日本独自のフォークロアリスティックなものに変化しないはずがないじゃないか。

私は長崎に旅行した際に隠れキリシタン関連の遺跡を結構訪問している。その印象から湧いたのは、「隠れキリシタンの信仰は、正当なカソリックとはかなり違っているんじゃあるまいか。そのあたりを、どうやって折り合いつけるんだろう」 という疑問だ。

そして、この辺りを明らかにした宗教学者、宮崎賢太郎さんの 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 という本があることを知り、さっそく Amazon で購入申込みをした。この記事は 「本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う」 と結んでいる。

で、早速詠んでみたのである。引き込まれるように読めた。この本の特徴は、第一章の 3ページ目に結論が書かれていて、それ以後はその論拠が丁寧に説明されていることだ。だから上に述べた私の疑問は、のっけから解けた。

いわゆる 「隠れキリシタン」 のほとんどは、自らの意思でキリスト教信仰を始めたのではなく、領主である 「キリシタン大名」 たちによって、強制的に洗礼を受けさせられ、改宗したことにされてしまったというのが本当のところのようなのだ。したがって彼らは、キリスト教の教義についてはほとんど何も理解していなかった。

彼らが守り通してきたものは、キリスト教信仰ではなく、日本的 「先祖崇拝」 と習合した信仰形態であり、先祖が大切にしてきたものを、自分の代で捨てるわけにはいかないという考えが、これほどまで長く続いてきた要因だった。

「神と子と聖霊の三位一体」 を根本教義とする西欧的に論理一貫したキリスト教は、潜伏キリシタンたちにはついぞ伝わらなかったもののようだ。日本にキリスト教を伝えたとされるフランシスコ・ザビエルはまったく日本語ができず、教義を具体的に伝える術を持たなかった。さらにそれを受け入れる側の日本の農民の教育水準も、ほとんど字を読めなかったので、教義を正確に理解することなど不可能だった。

彼らの理解のレベルでは、「新しい南蛮渡りの神様の御利益が大きいらしい」 という程度のもので、私としては、日本の民衆史の中で何度か繰り返された 「流行神」 の一つぐらいに捉えられたと考えると、理解しやすいのではないかと思う。。

だから、"「隠れキリシタン」 たちは当時の厳しい弾圧に耐えながら、純粋なキリスト教信仰を守り通した" というのは、ロマンに彩られた 「幻想」 で、実際には日本的な信心と習合しつつ、キリスト教本来の祈りの言葉も 「オラショ」 と呼ばれる具体的な意味のわからない呪文のような言葉に変わり、「よくわからない民間信仰」 となって受け継がれてきたというのが実際のところらしい。

つまり、「お稲荷さん信仰」 とか 「お地蔵様信仰」 というのと、本質的な違いはないようなのである。「そんなバカな」 と思われるかもしれないが、仏教にしても 「南無阿弥陀仏」 や 「仏教とは四無量心これなり」 という言葉の本来の意味を理解している日本人がどれほどいるかと考えれば、「そんなものか」 と納得がいく。いずれにしても、かなり 「雰囲気のもの」 なのである。「雰囲気のもの」 だけに正面切って捨てにくいのだ。

幕末の開国直後に日本にやってきたプチジャン神父が長崎に創建した大浦天主堂で、長い弾圧に耐えてキリスト教信仰を守り通してきた浦上の信徒たちと感動の 「再会」 を果たしたという逸話も、「飛躍しすぎ」 と断じられている。日本の信徒がプチジャンに 「吾らの胸、あなたの胸と同じ」 と告白したというのは、よく考えるとあり得ない。

実際には、日本の隠れキリシタンたちは、「自分たちが先祖から伝えられた信心の本家本元」 が、突然日本に来たプチジャン神父であるとは、急には認識できなかっただったろう。事実に基づいて推理すると、プチジャン神父が本国に感動的に報告するために、昔からある 「貴種流離譚伝説」 になぞらえて創作したとみるのが自然のようだ。

現代になって信教の自由が認められても、教会に戻らない 「カクレキリシタン」 (もはや 「隠れ」 る必要がないから、宮崎氏はカタカナで表記している) がいくらでもいる。それは、宮崎氏に言わせれば 「隠れてもいなければキリシタンでもないから」 で、「クリスチャンでもない人に 『なぜ教会に行かないのですか』 と問いかける」 ようなものだという。

宮崎氏は、「隠れキリシタンのロマン」 がいかに幻想であるかを、実証的に示してくれているが、これら 「幻想」 の元は、我々現代の日本人がキリスト教に対して抱く幻想によるものなのだろう。確かに現代の日本人は、キリスト教はお洒落でロマンチックな宗教と思っていて、そのイメージを 「隠れキリシタン」 にも投影してきてしまったようだ。

こうした 「幻想」 は、日本に本当のキリスト教が根付きにくい原因にもなっているようである。クリスマスを受け入れ、ミッション系の大学の学生は多いのに、キリスト教信者は、人口の 1%にも満たない。

キリスト教は、中世日本においては 「御利益の多い南蛮渡来の神様」 と受け取られ、現代では 「お洒落な小道具」 程度に思われているようなのである。

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2018/06/30

「潜伏キリシタン」 ということ

日本が推薦していた 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 が、UNESCO の世界遺産として登録された。これまで 「隠れキリシタン」 と言われていた存在が 「潜伏キリシタン」 と、聞き慣れない名称になっているのが興味深い。

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日本は 2007年に UNESCO への推薦の前段階としての 「暫定リスト」 に、「隠れキリシタン」 関連の資料を追加、そして 2015年に推薦書を提出した。しかしこの時点では却下され、UNESCO の世界遺産関連の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS = International council on MOnuments and Sites) の 「日本の特徴である禁教期に焦点を当てるべきだ」 との中間報告に沿って申請し直しを行った結果、今回の登録につながったらしい。

なるほど、頷ける話である。キリスト教関連の遺跡というのは、日本だから珍しいだけであって、世界的に見ればいくらでもあるのだから、とくに 「世界遺産」 として登録するほどのものでもなんでもない。登録する価値があるとすれば、「禁教期」 において、250年もの間、カソリックなのにバチカンの指導から隔離された信仰を継続してきたという、極めて特異な点だ。こうした状況では、日本独自のフォークロアリスティックなものに変化しないはずがないじゃないか。

私は長崎に旅行した際に隠れキリシタン関連の遺跡を結構訪問している。その印象から湧いたのは、「隠れキリシタンの信仰は、正当なカソリックとはかなり違っているんじゃあるまいか。そのあたりを、どうやって折り合いつけるんだろう」 という疑問だ。祈りの言葉を、彼らは 「オラショ」 というようなのだが、それはかなり 「呪文」 の如くに変化しており、当の隠れキリシタンにさえも正確な意味は知られていないものもあるというのである。

これに関して 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 という本があることを知り、早速 Amazon で購入申込みをした。著者の宮崎堅太郎さんという方は宗教学者で、自身も隠れキリシタンの家に生まれたという人らしい。

これに関する 「サライ」 の記事に、次のようにある。(参照

宮崎さんは長年の調査研究の結果、「潜伏キリシタン」たちにとってキリスト教とは仏教や神道の神さまと同列か、あるいはそれよりちょっとご利益の大きい神様だったということに気がついた。それはキリスト教本来の一神教の神ではない。実際のところ、彼らの家には仏壇や神棚とともにマリア像がなかよく祀られていた。

彼らはなぜキリスト教風ともいうべき教えを守ってきたのか。聞き書きしたひとりの信者がこう語っている。「先祖たちが大切にしてきたものを、絶やすことなく守り続けるのが子孫としての大切な務めであり、自分の代で絶やしてはならない」。これは形を変えた先祖崇拝だと、宮崎さんはいう。

これはとても興味深いことである。一神教の代表格であるキリスト教が、多神教の国で存続してきたのは、こうした風土があったからだろう。

これ以上のことは、本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う。

【7月 2日 追記】

この件に関して、コラムニストの堀井憲一郎氏が "「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう" という記事を書いている。これは 「制度」 の視点から書かれたもので、「信仰そのもの」 について深く考察したものではないが、確かに 「日本人のしがちな誤解」 を解く助けにはなるから、一読をお勧めする。

【7月 4日 追記】

「これ以上のことは、本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う」 と宣言したので、本日 "「潜伏キリシタン」 ということ その2" を書いた。

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2018/06/10

「ギネスビールの注ぎ方」 の考察

Gigazine に 「あなたの飲むギネスビールの注ぎ方は間違っている可能性がある」 という記事がある。"GUINESS" というロゴマーク入りの 「ギネス用公式グラス」 は、実はギネスのような 「スタウト」 という種類のビールを飲むには適していないという。要するに、泡が落ちつくまで時間がかかりすぎるらしいのだ。

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私は 4年前に 「ビールの飲み方の比較文化学」 という記事で、ドイツ流のビールの注ぎ方について、次のように書いている。

ドイツのバーでビールを注文すると、サーバーからジョッキに注ぐのに結構な時間をかける。最初にドバーッと注いで、全体の 3分の 2以上を泡にしてしまい、それをしばらく放置して泡が減ってくると、またしてもドバーッと注ぐ。これを 3度ぐらい繰り返すと、きめ細かいクリーミーな泡が、全体の 3分の 1弱ぐらいになって、見るからにおいしそうになる。

私は初め、これが待ちきれなくて、「そんなに時間をかけないでいいから、さっさと出してよ。日本人とアメリカ人は、ウォーム・ビアーはダメなんだから」 と言っていたが、ドイツ人のバーテンダーは誇りにかけても、そんな無粋な注文には応じない。

で、この記事の中で、英国流のビールの注ぎ方にも少し触れていて、こんな風に書いている。

それと対照的に、英国の 「エール」 ってやつは、ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけないんだそうだ。泡でごまかすなんてのは、許せないらしい。味音痴の英国人らしい話である。ただ、泡が消えるのを待つために、やはり時間がかかり、生ぬるくなる。

ここでいう 「エール」 ってのは、いわゆる 「スタウト」 と共通した種類の、ローストした大麦を使って上面発酵させたビールである。で、スタウトの場合は、上記の記事を見てもわかるように、泡の割合がかなり少ない。私の記事は 「ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけない」 と、かなり極端な表現にしちゃってるが、ドイツ流からみれば、それも大袈裟には聞こえない。

私はこれを 「味音痴の英国人らしい」 と、偏見に満ちたことを言ってしまったが、実はビールの種類の違いによるところが大きいようだ。件の記事によると、スタウトやエールの 「窒素による泡」 (我々が馴染んでいるラガーやドラフトの泡は、二酸化炭素) を落ちつかせるためには、結構な時間がかかり、その間に泡の割合も少なくなってしまうというのが本当のところらしい。英国人のみなさん、ごめんね。

ただ、スタウトやエールの注ぎ方は、上の写真にあるようにグラスを 45度に傾けるのが流儀らしいが、これはドイツでは決して取られない手法である。グラスを傾ければ泡の落ちつくのはやや早くなるが、それだとクリーミーな泡になりにくい。

つまり、グラスを傾けるという時点で、英国流はハンディを負っている。そして件の記事が主張するように、「大きめのマティーニ・グラス」 を使うのは、「グラスが全面的に 45度に傾けられている」 みたいなものだから、結局は簡便法みたいに思えるのだよね。

まあ、最近はビールをあまり飲まなくなったし、エールなんてほとんど飲まないから、どうでもいいか。

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2018/05/13

茶色に着色してあれば、アイスクリームとは思われなかった

今月 5日の 「排泄物のシンボリズム」 という記事で、「外国人に巻きグソの概念はあるのか調べた」 という、「オモコロ」 というサイトの記事について触れた。オモコロの記事では、例の 「巻きグソ」 の絵を見せたところ、欧米人のほとんどが 「アイスクリームだろ」 と答えたという結果が紹介されていたのである。

しかしそれに関しては、「ブラウンに着色でもしてあれば、また別の反応があったのだろうが……」 と書いておいた。「オモコロ」 の記事で使われたのは、単なるモノクロの線画で、肝心の 「ブツ」 も無着色で白いままだったから、「アイスクリーム」 にしか見えなかったということが考えられるのである。

そして今回、”logmi" というサイトの 「人間の排泄物は肥料として使用できるか?」 という記事を見て、「あの絵が茶色かったら、ちゃんと 『ウンコ』 と思ってもらえたはず」 と確信した。

なにしろこの記事の元ネタのプレゼンを行った Hank Green さんという方の "What Happens If You Use Your Feces as Fertilizer?" (あなたの排泄物を肥料として使ったらどうなるか?) というタイトルの YouTube 動画 (上の画像をクリックすると、動画がスタートする) のしょっぱなに、ちゃんと茶色に着色された絵が、"human poop" (人間のうんち) の象徴として採用されているのである。動かぬ証拠だ。いや、動画だから動いちゃうけど。

それにしても、上述の私の記事に 山辺響さんが 「人糞を肥料として使うのは東アジア地域を除くと一般的ではない、と解説されていました」 とコメントしてくださっていることからもうかがわれるように、西欧では、人間のウンコを肥料とすることがものすごく 「意外なこと」 と思われているようなのである。東アジアの人間としては、その方がよっぽど 「意外」 なのだが。

ちなみに、Hank Green 氏のプレゼンでも、人糞を肥料として用いるには、「病原菌と寄生虫が死んでいることを確認する必要があります」 とされている。理論上では、伝統的な堆肥化のプロセスで温度が 71℃ にまで上昇し、病原菌や寄生虫の卵も死んでしまうことになっているが、実際には昔は寄生虫が大きな問題になっていたから、完全にクリアすることは困難だったようなのだ。

とはいえ、現在の技術をもってすれば、安全なバイオ肥料として使うことは充分可能なので、変な化学肥料よりはずっといいはずなのだが、最後にクリアすべきなのは、「ウンコで育てた作物を食べるなんて、やだぁ」 なんていう情緒的な問題なのだろうね。その意味でも、5日の私の記事で強調した 「高度なシンボライゼーション」 というプロセスが必須と痛感するのである。

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2018/05/06

排泄物のシンボリズム

ゴールデンウィーク最後の記事として、「巻きグソ」 なんていうテーマはいかがなものかとかなり躊躇したのだが、ちょっとした比較民俗学的考察になるとも思うので、「えーい、ままよ」 と書いてしまうことにする。

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「オモコロ」 というサイトに 「外国人に巻きグソの概念はあるのか調べた」 という企画がある。上の写真の絵にある、ある種シンボリックな絵を日本人の多くは 「巻きグソ」 と理解するが、果たして外国人はどうなのかという疑問について、街行く外国人に片っ端から絵を見せて反応を調べ、解決しようとしたものだ。これ、ある意味ちょっとした 「勇気」 である。

結論から言うと、欧米人の圧倒的多数 (と要っても、何百人にも聞いたわけじゃないが) が、「アイスクリームだろ」 と答えたのだった。ブラウンに着色でもしてあれば、また別の反応があったのだろうが、とにかくこの絵を見る限りでは、断然 「アイスクリーム」 なのである。ただしかし、タイ人はちゃんと 「ウ・ン・チ」 と理解したというのだから面白い。

東洋人は着色なんかしなくてもちゃんと 「巻きグソ」 と理解するのに、欧米人はそうではないというのが、とても興味深い。サンプルが少なすぎるので軽々に断言はできないが、これは 「日本人と欧米人の民族的差異」 というよりも、「東洋と西洋の差異」 と言った方がいいのかもしれない。

私が 15年近く前に書いた記事に 「和式と洋式 便器の形の考察」 というのがある。これは当時開設していた BBS への書き込みに端を発したものだが、ある高校の先生が、和式便器があのような形なのは、「日本人は性質上自分のしでかしたことを確認する傾向がある」 からだと言ったというのである。私はこれに対して次のように異議を述べている。

和式トイレで 「自分のしでかしたモノ」 を確認できるようになったのは、水洗式が普及して以降のことだ。それ以前は 「ボットン式」 だったので、少なくとも 「確認しやすい」 ということはなかったはずだ。そして、和式の基本的な形は 「ボットン式」 の頃からほぼ確立されていたのである。

こう考えると、「自分のしでかしたこと云々」 は、面白い視点ではあるが、ちょっと違うようだ。

「自分のしでかしたモノ」 を容易に確認できるのは、「和式水洗トイレ」 を別とすれば、「野グソ」 の時である。今の日本人は相当登山者の少ない山を登るときでもなければ、野グソなんかする機会はほとんどないのに、あのアイスクリームのような 「アイコン」 を 「巻きグソ」 と理解するのは、これはもう本当に文化的、象徴的な事項としか言えないだろう。

誤解を恐れずに言ってしまえば、おそらく日本人を含む多くの東洋民族は、「ウンコ」 についてかなりシンボリックに捉えることができるのだと思う。なにしろ、「アイスクリーム」 にしか見えない線画を 「巻きグソ」 と捉える共通理解の文化をもっているのだから、これはかなり確実なことだ。

その背景には人間の排泄物を肥料として利用してきた圧倒的な歴史があるではなかろうか。自分の排泄物で育てた農産物を食ってしまうのだから、それ自体、かなり 「シンボリック」 なことと言うほかない。少なくとも 「リアル」 なものとして捉えるよりは精神衛生にもいい。

そこには 「シンボリックに理解することによる浄化」 という精神作用があるように思われるのである。これができずに、「いやーん、汚〜い」 なんて言うのは、「中途半端で不器用なリアリスト」 でしかなく、メタフィジカルな思考とは縁遠い人である。それについて語り出すと制限がなくなるので、今日のところはこれにて。

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2018/04/24

「葬頭河の婆」 というのは?

昨日の記事では 「おんば様祭」 の話の関連で、「脱衣婆」 についてちょっと触れた。亡者が三途の川の渡し賃の六文銭を持ってこないと、衣服をはぎ取るのでそう呼ばれる。そして私の生まれた山形県の庄内では 「しょずがのばば」 (葬頭河の婆) と言われる。

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上は天橋立の近くの知恩院という寺にある、地獄巡り絵図の中の三途の川の場面で、なるほど、川のほとりで葬頭河の婆が亡者の衣服をはぎ取ろうとしている。後の柳の枝には、既にはぎ取られた着物がかけられてあり、一説には、この着物の重さで業の深さがわかるのだともいう。

この絵の葬頭河の婆はかなり恐ろしげな形相で、体も見上げんばかりの大きさだが、庄内の民話には 「年は 25歳で女の盛り」 としているものがある。

昔、大層仲のいいい爺さん婆さんがいて、どちらが先に死んでも再婚などしないという約束をした。ところがこの約束をした途端に、爺さんの方が死んでしまうのである。婆さんは悲しくて寝込んでしまうほどだったが、周囲に励まされてやっと立ち直った。

「爺さんはお茶が好きだったから」 と、堰に流せばあの世に届くと聞いて、新品のお茶道具を盆に載せて流してやったり、寒くなる前に綿入れの着物を墓の境内に置いてあの世に届くようにしたりと、甲斐甲斐しくやっていた。

ある日あの世の爺さんと話をしようと、「口寄せ」 のできる弓張り巫女のところに行ってみる。弓張り巫女とは、弓の弦をベンベン叩いて音を出し、トランス状態になって死者の霊を呼び出すのである。果たして口寄せされた爺さんが巫女の口を通して話し始める。

「あら、懐かしや」 と喜んだ婆さんが 「お茶道具や綿入れは無事に届いたか?」 と聞くと、「届いたことは届いたが、途中であちこちにぶつかったり引っかかったりして、ボロボロの状態だった」 と言う。婆さんは 「あれ、口惜しい、もったいない」 と嘆く。

「ところで、私は約束通りずっと独り身でいるけど、そっちはどうか?」 と聞くと、「俺のことは心配ない。閻魔様の仲人で葬頭河の婆と一緒になる」 と言う。ひどいジジイである。婆さんは驚いて、「その葬頭河の婆というのは、どんな風なのだ?」 と聞くと、「年は 25で女の盛りよ!」 という返事が返ってきた。

秋祭で 「地獄極楽の生き人形」 という見世物があり、婆さんが三途の川の場面のところに行くと、女の人が立っている。小屋の親方に 「これは誰?」 と聞くと、「葬頭河のお婆さん」 なんて言う。「年はいくつ?」 と訊ねると、その返事は爺さんと同じく 「年は 25で女の盛りよ!」 というのだった。

婆さん、遂に逆上して、見世物小屋をズタズタにぶち壊して帰って来たというお話である。庄内って、我が故郷ながら変なところである。

ちなみに、上の三途の川の絵のある知恩院というお寺は、5年ほど前に天の橋立の近くで仕事をした時に、ついでだから訪ねたことがあって、この絵も実際に見ている。行ってみれば、なかなか呑気な雰囲気のお寺さんだった。そしてブログを読み返してみると、この頃から私はお酒をあんまり必要としなくなったということがわかる (参照)。

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2018/04/23

「おんば様祀り」 というもの

食工房のブログ 「飯豊の空の下から...」 に、青木さんが集落の会計係を担当することになり、その関係で地域の 「おんばさま祭り」 に参加したという記事があって、興味深く読ませてもらった。

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東北方面には 「おんば様信仰」 というのがあって、大体は安産の神様を祀るものである。「おんば様」 というのは、御神体を見るとたいていは 「婆さん」 の姿をしていて、その正体は三途の川で渡し賃の六文銭をもたずにやってきた者の衣服をはぎ取る 「脱衣婆 (だつえば)」 だとか、あるいは鬼子母神だとかいろいろ言われるが、それはまあ、後からこじつけられたもので、元々は太古の昔からある民間信仰なのだろう。

インターネットで検索して 「おんば様」 の姿を見ても、上の画像にあるように、別に恐ろしげな顔つきをしているわけじゃなく、どちらかといえば、隣の婆さんみたいな身近な雰囲気だ。こんな感じだから、気軽に安産のお参りができたりするのだろう。

で、食工房のある会津は、この 「おんば様信仰」 の本場であるらしく、年に一度のお祭りをしっかりやっているようなのである。大昔からの民間信仰が今の世にしっかり生きているというのは、なかなかいいものだと思う。今も昔も、人間はこんな風に素朴に生きるのが一番の平和への道だ。

ところで、うちの地域の産土神社は 「あんば様」 という神様を祀っていて、この大元締めは茨城県稲敷市の、その名も阿波 (あば) というところにある 「大杉神社」 である。それについては、ほぼ 4年前に 「信心はキャッチボール」 というタイトルで書いている。

「あんば様」 と 「おんば様」 は、音がよく似ているので、どこか関係があるのかとも思っていたが、調べてみるとまったく別の神様のようだ。神様は別でも、信心は一つだから大切にしたいものである。

ちなみに脱衣婆は、私の生まれた山形県庄内地方では 「しょずがのばば」 というのだが、これは三途の川の別名である 「葬頭河」 (しょうずか) の婆ということである。これがいろいろ転じて 「正塚婆」 とも表記されたりするのだが、民間信仰というのは、とにかく細かいことには頓着しないのだ。

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2018/02/21

韓国カーリング女子チームのややこしい事情

HUFFPOST に 「韓国カーリング女子チーム、全員同じ名字 ⇒ 混乱避けるための秘策が想像を超えていた」 という記事がある。

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韓国カーリング女子チームは、全員が 「金」 という名字なので "Team Kim" と呼ばれているらしい。全員の名前を挙げると、「キム・ギョンエ、キム・ヨンミ、キム・ソンヨン、キム・チョフェ、キム・ウンジョン選手」 ということになるという。で、あまりややこしいので、全員に 「英語名」 を付けて解決しているというのである。

ところがその 「英語名」 というのが何とも珍妙で、「マリー」 や 「ナタリー」 とかではなく、その日に食べた朝食がもとになっている。ざっとこんな具合だ。

キム・ウンジョンは、食べていたヨーグルトの商標から名前を取って 「エニ」、キム・チョヒはチョコレートから 「チョチョ」、キム・ヨンミは 「パンケーキ」 となった。

キム・ソニョンは、片面だけ焼いた半熟の卵・サニーサイドアップを食べたので 「サニー」。お肉が好きなキム・ギョンエは 「ステーキ」 になった。

ちなみに 「エニ」 とか 「チョチョ」 とかというのは、果たして 「英語名」 と言っていいのかなあ。私の耳には韓国人の名前にしか聞こえないが。

こんなややこしいことをするより、単純に名字でなく名前で呼べばいいじゃないかと思ったが、「いや、多分ややこしい事情があって、単純に名前で呼ぶわけにはいかないんだろう」 と思い直した。試しにネットで検索してみたら、「韓国語の名前の呼び方」 というページが見つかった。うぅむ、やっぱりね。

まあ、とにかくややこしくて、ざっと呼んだだけではわかりにくいのだが、まとめるとこんな感じらしい。

  • 相手が親しい、または目下の場合
    相手の名前の最後にパッチムがある場合:아(ア)を付ける
    相手の名前の最後にパッチムがない場合:야(ヤ)を付ける 
  • 相手が親しい、または目下の場合はフルネームではなく下の名前で呼ぶ
  • 야(ヤ)は名前の前には付けない
  • 相手が目上の場合はフルネームに씨(シ)を付ける
  • 役職がわかっている場合は名字に役職名で呼ぶ

とにかく、単純に 「〜さん」 とか 「〜ちゃん」 とか、名前の呼び捨てとかで呼ぶわけにいかないというのである。とくにスポーツの世界は上下関係がきびしいだろうから、呼び方だけで余計な気を使っていたら、試合の戦略に集中できなくなってしまうのかもしれない。とくにカーリングは試合中のコミュニケーションが大切だし。

とにかく (やたら 「とにかく」 が多いが、とにかく使いたくなってしまうのだよ)、韓国人の名前の呼び方については、ちょっと間違えたら喧嘩になってしまいかねないほどの、厳しい上下関係による 「決まり」 があると指摘するページがいくつも検索される。というわけで、余計な気を使わずに済む 「英語 (?) 名」 を付けたということなんだろう。

それにしても、もうちょっと気の利いた名前にしてもよかったんじゃなかろうかと思うのだがね。

それから、HUFFPOST の元記事でも混乱があるようで、1人は 「キム・チョヒ」 と 「キム・チョフェ」 の 2通りの表記があって、どっちが妥当なんだかわからない。

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2017/11/15

七五三を巡る冒険

今日は七五三なんだそうだ。慣習では数え年の 3歳と 7歳で女の子、5歳で男の子のお祝いをするということになっているようだ。我が家は娘ばかり 3人で、数えてみると昭和 58年から平成 5年までの 11年間に、6回も七五三参りをしたわけだ。この間は平均 2年に 1度以上で、お宮参りにもすっかり慣れてしまった。

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最近では男女平等という建前なのか、男の子も女の子も 3回祝うこともあるらしい。そんなことだと、我が家は 11年間で 9回もお宮参りをするところで、とくに昭和 60年からは 7年連続と、結構な負担になってしまうところだった。こればかりは男女平等でなくて本当によかった。

ところで私自身は七五三を祝ってもらった覚えがない。私の同窓生もほとんどそんな記憶がないという。この行事は比較的歴史が新しく、Wikipedia によると、「天和元年 11月 15日 (1681年 12月 24日)  に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第 5代将軍である徳川綱吉の長男) の健康を祈って始まったとされる説が有力である」 とある。奇しくも最初の七五三は、新暦ではクリスマス・イブだったのね。

そして 「現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった」 とある。昭和 20〜30年代初期という時代は、私の生まれた陸の孤島、山形県庄内地方までは伝わっていなかったものらしい。雑誌やラジオなどで 「七五三」 という行事があることを知ってはいたが、自分たちとは無関係のものと思っていた。

私が高校生になる頃には、庄内でも七五三がちらほら祝われるようになっていた記憶があるので、ということは、関東から伝わってくるまでに 280年以上のタイムラグがあったわけだ。日本も結構広いものである。ちなみに仙台出身の妻は七五三を祝ってもらったという。さすがに仙台は東北の東京である。

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