カテゴリー「庄内の話題」の41件の記事

2009/12/09

でっごぐさんのとしや (大黒様の歳夜) #2

昨日は私の郷里の庄内で本日 12月 9日に行われる 「でっごぐさんのとしや (大黒様の歳夜)」 という行事を紹介した。

しかし、大黒様の歳夜 (年越しの夜) がどうして 12月 9日なのかということが、さっぱりわからないし、文献を調べてもそれらしき記述に行き当たらない。

というわけで、あまり気になるのでインターネットで検索の限りを尽くしたところ、少しは関係があるのかなというようなところが見えてきたので、今日はそれについて書いてみたい。

まず、ちょうど今頃が、一年のうちで日没の一番早い時期だからという説がある。こちら のブログはなんと、土佐の高知の方の書かれたものだが、やはり大黒様の年越しを祝うという。そして、それはこの頃が一番日没が早く、農耕民にとっての分岐点になるからではないかというような推論が書かれている。

確かに、山形県でもこの頃が一番日没が早いのである (参照)。12月の 4日から 10日までは、午後 4時 18分には日没になってしまい、11日を過ぎると、日没時刻はほんのわずかずつ先に伸びていく。ただ 1月 半ばまでは日の出がさらに遅くなり、日の短さということに関しては、冬至が分岐点になる。

外で仕事をする農耕民にとって、歳の変わり目という体感的実感があるのは、日没の一番早いこの頃なのかもしれない。そりゃ、早く日が暮れれば、日が短いと思ってしまう。

それから思い当たるのは、12月 9日というのは、旧暦に換算すると、年によって違うが大体 10月の中旬から 11月中旬にあたるということである。旧暦 10月といえば、神無月と呼ばれ、日本中の神様が大黒様 (大国主命) の本拠地である出雲に集まるので、その他の地域から神様がいなくなるという月だ。

もっとも 「神無月」 は当て字で、日本中の神様が出雲に集まるというのは、中世以後に広まった俗説だが、この時代に民俗行事の多くが発生しているのだから、関係ないとは言い切れ ない。その神無月の末日が、新暦の 12月 9日に近く、しかも日没が一番早い時期というのが、勘所のように思われる。

ところで、この土佐の高知の方の記述で興味深いのは、次の記述である。

師走のある夜、父が「大黒大黒、まっかん大根、耳開けて」と神棚の大黒様に向かって大きな声で呼び掛けていた。

私にはこの 「耳開けて」 という件に関する記憶はないが、こちらのページには、「山形では、12月 9日の夕方は、耳あけをやります」 という記述がある。

二股の大根を神棚に上げ、豆の入った一升マスを上下に振りながら、

「お大黒様、お大黒さま、耳をあけて聞いておりますから、いい事を聞かせて下さい」(実際は、山形弁で)
と、これを3回繰り返します。我が家では、子供がこれをやることになってました。

ふうむ、大黒様と 「耳開け」 というのは、何か強い繋がりがあるようなのだ。さらに こちらのページ には、以下のような興味深い記述がある。

 東北地方では、十二月九日を「妻迎え」、「嫁取り」、「お方迎え」などと呼び大黒様が嫁を迎える日としてきました。この日は、ワラで編んだ皿に小豆飯を盛り、二股大根を供えます。この二股大根を「大黒さんのかかさん」「嫁大根」と呼んでいます。
 また、山形県米沢市には、八日に「大黒様の耳明け」という行事があります。二股大根の嫁に柏の葉の着物を着せたものと大豆飯を供えます。そして、炒り大豆を桝に入れてがらがら振りながら、「大黒様、大黒様、耳をあけておりますから、いいこと聞かせてください」と唱え、神棚に祭った大黒に大豆を投げるので す。家によっては、「ぜにかね、ざっくもっく(たくさん)入るようにしてください」とも唱えます。宮城県では、十日の夕方に、おなじようにして、「大黒大黒耳をあけ、よいこと聞いて悪いことを聞きたもうな」と唱えます。大黒は耳の悪い神なので、願いを聞き届けてもらえるよう、大きな音をたて、大きな声で言うのです。

どうやら、子孫繁栄と豊作 (はたまた商売繁盛まで) を重ねて祈願する意味合いが感じられる。まっか大根 (二股大根) を大黒様の嫁に見立てるのは、前述の如くその形状によるもので、子孫繁栄を連想させるからである。さらに、神棚に大豆を投げるというのは、節分の豆まきとの関連もありそうだ。

それから、大黒様は耳が悪いとか遠いとかいう俗信も興味深い。耳が遠いのは大黒様だけでなく、恵比寿様もそうだという俗信がある。古来、恵比寿・大黒でワンセットになっていて、両方とも繁栄とか長生きの神様でもあるので、長生きして年を取ると耳が遠くなるという発想だろうか。

それにしても、この行事は庄内特有のものだと思っていたが、よく調べると、他の土地でも祝っているようなのだ。南三陸町でも大黒様にまっか大根を供えるようで、その由来が こちらのページ に書かれている。先に紹介した由来と共通する。

こうしてみると、元々は日本各地にあった子孫繁栄と豊作を祈る民俗行事なのだが、東北地方、なかんずく庄内地方で、大黒様の年越しという感覚的な意味合いも重ね、最も脈々と受け継がれているというようなことではなかろうかという気がする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/12/08

でっごぐさんのとしや (大黒様の歳夜) #1

庄内には 「でっごぐさんのとしや」 (大黒さんの歳夜) という行事がある。鶴岡あたりでは上品に 「大黒様のお歳夜」 なんて言うらしいが、酒田の我が家ではワイルドに 「でっごぐさんのとしや」 と言っていた。

それとも、奈良時代の発音をしていた私の祖母 (参照) が特別訛っていたのかなあ。

「でっごぐさんのとしや」  は明日、12月 9日の夜の行事である。もっとも、特別な神事を執り行うわけではなく、ましてや大黒舞を舞ったりするというわけでもない。この日の夜が大黒様の年越し (大晦日) であるとして、特別のごちそうを大黒様に供える。それだけの行事である。

特別のごちそうとは、ハタハタの田楽とまっか大根。これだけは必須条件で、あとは納豆汁とか膾 (なます) とかを適当に加えるようだ。そもそも家庭内の行事だから、必須条件さえ満たせば、あとは案外自由度が高い。

ハタハタは冬の日本海で捕れる魚で、小さくて食べる身の部分も少ないのだが、とろっとした食感がよくて、なかなかいける。これに田楽みそを添える。何でハタハタなのか知らないが、何しろ、漢字では 「さかなへんに神 = 鰰」 と書くぐらいだから、特別な意味があるのだろう。

まっか大根とは、別に赤蕪みたいに赤い色をしているわけではない。先が分かれて二股になっている大根である。このまっか大根は、調理しないで、生のそのままの形で供えるということからも、その形状に意味があるというのは明らかだ。そこに子孫繁栄などの意味を見いだしているのだろう (わかるよね?)。

まっか大根がつきものという根拠には、おもしろい伝説もある。ざっといえば、大国主命がまっか大根のおかげで胸やけから逃れたという言い伝えなのだが、詳細はここで書くと長くなるので、こちら を参照ねがいたい。この行事の詳しい知識も仕入れられる。

ただ、この伝説は理に落ちすぎて、後代の作という感じがする。やはり子孫繁栄の方が根元的な意義だろう。私個人としては 「でっごぐさんのとしや」 といえば、ハタハタを食う印象の方が強いのだが、本来の意味合いでは、まっか大根の方が重要のようだ。ハタハタは、冬の日本海側のローカル・ルールかもしれない。

ちなみに、「まっか大根」 は 「まっかん大根」 とも言われる。あの 「最上川舟歌」 に出てくる 「まっかんだいごの塩汁煮」 というのはこれのことである。

さて、前段の部分でかなり長くなってしまったが、私が一番の問題としたいのは、どうして 「でっごぐさんのとしや」 が 12月 9日なのかということである。これがどうしてもわからない。これに関する確固たる文献も見たことがない。

どうでもいいことかも知れないが、私はこうした些細なことが気になってしまう性分なのである。気になって眠れなくなるというわけじゃないが、常に心の片隅に引っかかっている。で、この際だから徹底的に調べてみようと、インターネットを検索しまくってみて、ある程度の見当がつくところまでは調べがついた。

ただ、長くなってしまうので、気を持たせるようで恐縮だが、続きは明日ということに。行事の本番も明日だし。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/07/14

私の田舎の海水浴場が閉鎖だって

知り合いのカメラマンが、「ねぇ、tak さんの田舎で砂浜がなくなっちゃって、海水浴場が閉鎖されたんだってね」 と言う。最近のテレビでやっていたんだそうだ。

ウチの田舎で砂浜がなくなったなんてことはない。何かの間違いだ。なにしろ、日本三大砂丘の一つ、庄内砂丘である。

とはいえ、少し気になってググって見たら、十里塚というところの海水浴場が閉鎖したんだそうだ (参照)。十里塚は、酒田の中心街から最上川にかかる出羽大橋を渡り、庄内空港に向かう辺りの集落。中学校の頃に死んだ祖母の出身地である。古い人は 「じゅうりづか」 なんて言わず、「じょづが」 と頭高型アクセントで発音する。ああ、濃いなあ。

ここの小さな海水浴場が、海水浴客の減少と波の浸食による地形変化で閉鎖せざるを得なくなったんだそうだ。海水浴客の減少といっても、ここはマイナーな海水浴場だから、近所の子どもたちとか、酒田の街中から急に思い立って 「ちょっとだけ泳ぐか」 みたいな客しかこないだろうから、それほどの変化というわけじゃない。

庄内浜の海水浴場といえば、鳥海山の裾野が日本海に沈む遊佐 (ゆざ) 町の吹浦 (ふくら) とか、鶴岡市の温泉と直結した湯野浜、温海 (あつみ)、由良 (ゆら) あたりがメジャーなのである。

ちなみに、吹浦、由良は、日本の海岸の地名としてはフォークロアリスティックにものすごく正統派といえるもので、民俗学を学んだ人なら嬉しくなってしまうだろう。それにしても、我が酒田市にメジャーな海水浴場がないのに今気付いて、愕然としてしまったが。

吹浦、湯野浜、温海、由良なんかは、多少のことがあっても閉鎖なんてことにはならない。しかし、十里塚となると、私自身、「まだやってたの?」 と思ったぐらいだから、閉鎖しても不思議じゃない。庄内も年寄りばかりになってきたから、泳ぎに来る子どもの数が減るのは当然だし。

とはいえ、聞き捨てならないのは、波の浸食による地形変化という話である。日本には本当に海岸の地形自体が変わってしまって、砂浜が消滅したなんて例があるらしい。十里塚の場合はそこまではいかないが、これまで遠浅だった海底地形が変わってしまったようだ。

ニュースによると、「1メートルほど沖に出ると場所によっては水深が約1.5メートルと急に深くなり、遊泳の危険性が高まった」 なんてことになったらしい。海辺で育った人間は、1メートル出たぐらいでは 「沖」 なんて言わないが、その程度で水深が約1.5メートルになるなんてことは、昔は考えられないことだった。

高校まで庄内で過ごした私のイメージでは、吹浦はどこまで行っても遠浅で、一度深くなってももう少し沖に行くとまた浅くなったりする。一番深いのは由良海岸だと思っていたが、それでも、記事に書かれているように 「チャプ、ドボン!」 なんてことはなかった。

海の底までは普通は目に見えないが、知らないうちにかなり大きな変化が進んでいると思うほかない。その変化の要因の大きな部分は、海に注ぐ川の変化なんだろう。

川の途中にいくつものダムができて、本来ならコンスタントに注がれる土砂が供給されなくなったり、上流の森林が荒れて沿岸の生態系を形成する成分が流れてこなくなったりしているのではあるまいか。そんなのは他の地方の話と思っていたが、我が庄内にまで及んでいるなんて。

ああ、心配なのである。目は見えないが、海底の裾野が浸食されたら、長い間には日本列島が崩れちゃうじゃないか。ダムなんか造って便利になったような錯覚にとらわれていても、日本列島が狭くなっちゃったら意味ないだろうに。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009/05/04

『おくりびと』 の聖地訪問

昨日の夜 10時頃に酒田に着いた。渋滞のピークを避けるために、敢えて午後 3時半頃にスタートし、一般道を辿って栃木県の真岡から高速道に乗った。

福島県の郡山から二本松まで 10km ほどの渋滞に巻き込まれたが、それ以外はかなりスムーズに走ることができたので助かった。

Crack_090504aそして、今朝 10時頃に、映画 『おくりびと』 で NK エージェント事務所として使われた旧割烹小幡に行ってきた。前にも書いたが、あの建物は私にはお馴染みなのだが、私が高校生の頃には既に廃墟じみた佇まいだったので、中に入ったことは一度もない。この度、映画のセットをそのまま復元して公開されたというので、これは行ってみなければと思ったのだ。

中心街である仲町から日和山公園に続く坂道を登り切る直前に、旧割烹小幡はあるのだが、坂道の下に 「NK エージェント」 と大書された看板の駐車場がある。NK エージェントは、もう酒田の企業となってしまったかのようである。そこに車を停めて坂道を上ると、見慣れた洋館風の建物が見えてくる。

Crack_090504bこの洋館風の建物の方が、映画では納棺士を派遣する NK エージェントの事務所となっている。旧割烹小幡のメインの建物はこの洋館風の右側の石段をちょっと上ったところにあって、洋館風はその昔ダンスホールかなんかに使われていたらしいのだが、私が酒田にいた頃に、既に使われなくなって廃墟のようになっていた。

右側の割烹の方が廃業してしまったのはいつのことだったか、全然記憶にない。今は NK エージェントの入り口になってしまっている。100円の入場料を払いここから入って、左側の洋館風に行く。階段を下りると、映画でお馴染みになった、あの NK エージェントの事務所だ。棺桶も三つ、ちゃんと置かれている。

小林大悟の弾いた (のと同じものかどうかは知らないが) チェロもちゃんとある。試しに弾かせてもらったが、これがなかなか難しい。私はギターなら弾けるから、ピチカートでは OK だが、弓で弾こうとするとまともな音にならない。よほど強くこすらないと音にならないのだ。

Crack_090504c何事も、やってみないとわからないものだ。主演の本木雅弘さんは、よほど練習したのだろう。音は吹き替えでも、指の動きはしっかりと弾いているように見えた。立派なものである。

3階は、山崎努さん演じる NK エージェント社長の部屋である。小林大悟が納棺士を辞めようとした時に食わされて、辞意がうやむやになったフグの白子も、ちゃんとある。食べたくなったが、いくら何でも作り物だろう。

というわけで、今、酒田は 『おくりびと』 と、5月下旬から始まる酒田祭りで盛り上がっている。この NK エージェントが、長く保存されるように願いたい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/04/27

「おくりびと」 と酒田の風景

何となくバタバタとプチ忙しい日々を送っているうちに、アカデミー賞受賞作品 「おくりびと」 を見逃してしまった。探せば上映館は見つかるが、ちと遠い。

で、新発売されたばかりの DVD をつい買ってきてしまった。3,500円払って、何度も見られるんだから、高い買い物じゃないだろう。

妻には 「ちょっと待てば、Wow Wow でやるに決まってるんだから、それを録画してあげるのに」 なんてチクリと言われてしまった (私はビデオの予約録画ができないのだ) が、待ちきれなかったのである。なにしろ、ロケ地が生まれた街の酒田ということもあるしね。

で、やっぱり見ているうちに、ちょっとうるうる来てしまったのである。

納棺士となった主人公の小林大悟が、幼い時に母と自分を捨てて逃げてしまった父親の死に巡り会い、自らの手で納棺をすることになるのだろうとは、映画を見始めてかなり早い段階で想像がついた。この点、別に意外性はないし、初見の人も大抵は見ているうちに察しが付いてしまうだろうから、案外軽い気持ちでネタばれさせていただいた。

いわば、ストーリーとしてはお定まりといってもいいようなもので、新鮮さはない。それでもやっぱりうるうる来てしまうというのは、やっぱり舞台が庄内だからなのかもしれない。田園調布とか新百合ヶ丘とかでのお話だったら、あんなにはうるうる来ないだろうと思う。

なんといっても、まず映画の冒頭が、地吹雪の田舎道を車で辿る場面である。関東では一度も遭遇したことがないが、高校を卒業するまで、私は何度も何度も、まさにあんな地吹雪の中を歩いて通学していたのである。とくに中学校の後半は越境通学したので、田んぼの畦道を辿るのが近道だった。冬の視界は、まさにあの映画の冒頭の画面だった。

だから、あの地吹雪の画面を見ただけで、不覚にも意識が別のモードに入ってしまったのである。登場人物の庄内弁が全員しっくりこないのが、ちょっと気にはなったが、庄内の風景は、そんなことを吹き飛ばしてしまう特別な力をもっていた。

「おくりびと」 という映画は、様式美と、人情と、庄内の風景という三要素の合体の勝利である。なんといっても、この映画の様式美と人情は、人の死に立ち会うという決定的なシチュエーションで表現されるものだけに、非日常的なパワーがある。

そしてその独特なパワーを包み込むのが、庄内の厳しくものほほんとした自然。この対照があるというだけで、映画の成功は約束されていたようなものだ。

あの映画に出てくる NK エージェントの事務所は、小幡という割烹跡を使って撮影された。あの独特の味わいある建物は、いわば私の縄張り内である。私の生まれたのは、あの建物から歩いて 2~3分の家なのだ。(もっとも、今は取り壊されて駐車場になっているが)。

小幡が料亭を止めてしまって、単なる廃墟になってしまったのはいつ頃のことだったか、全然記憶にない。なにしろ割烹だから、子どもが外で遊ぶ日中は、ひっそりとしていた。だから私の記憶の中では、ずっと昔から廃墟じみた特別な雰囲気を漂わせていたのが、あの建物である。

だから、映画で小林大悟があの建物のドアを開けて中に入る場面を見て、「へぇ、中はこんなだったのか」 と一瞬思いかけて、「いやいや、まさかね」 と思い直したほどの、変なリアリティがあった。

ところが今、あの建物の内部は、「おくりびと」 の NK エージェントの事務所がそのまま再現されて、今月 10日から一般公開されているのだそうだ (参照)。「嘘から出た誠」 とは、このことだ。連休には母の三回忌で帰郷するので、私もぜひ訪れたい。

酒田の中心街からの道を辿り、日和山公園に上る坂のてっぺん近くにある、あの一種独特の趣の建物が、アカデミー賞映画のモニュメントとして保存されるというのは、酒田生まれの人間として、とても嬉しいことである。願わくは、飽きっぽい酒田市民が2~3年で 「もうや~めた」 なんてことにならないように。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/09

とく、ほどく、ほぐす

似たような意味合いで、「とく」 「ほどく」 「ほぐす」 という 3つの動詞がある。漢字表記では同じ 「解」 の字が使われ、「解く」 「解く」 「解す」 になる。前の 2つは区別がつかない。

今は 「とく」 と読ませる 「解く」 のみが一般的で、他は平仮名で 「ほどく」 「ほぐす」 と書くのが主流のようだ。

どうして急にこんな些細なことを持ち出したのかというと、昨日付の 「唯一郎句集」 レビュー #11 で、「蚕棚の風呂敷はほぐされざる毎日」 という句 (自由律なので、五七五の定型ではない) をレビューしたからだ。

「蚕棚に置かれた風呂敷がずっとほぐされない」 という句である。現代の読者の多くは、風呂敷という主語に 「ほぐす」 という動詞を用いる言い回しに、少し違和感を覚えてしまうかもしれない。ややもすると、風呂敷の生地をずたずたに細かく引き裂いてしまうことと受け取られても不思議がない。

しかし、酒田では風呂敷の結び目をほどくことを 「ほぐす」 というのである。唯一郎は私の母の実父で、酒田で生まれて酒田で死んだ人だから、ごく自然に 「ほぐされざる」 と表現したのだろう。これはあながち方言というほどではないが、日本語の標準的用法からは少しだけずれているような気が、酒田出身の私でもしてしまう。

ちなみに、Goo 辞書 (三省堂 『大辞林』 がベース) では、次のように解説してある。(参照

ほぐす 【▽解す】 (動サ五[四])

(1) もつれて固まった状態を、といてもとへもどす。結ばれたり織られたりしているものをさばいて分ける。

「魚の身を―・す」
「織り糸を―・す」

補足説明 「ほぐれる」に対する他動詞

(2) 緊張・疲労・怒りなどを、おだやかな状態へもどす。

「気分を―・す」
「旅のつかれを―・す」
「肩のこりを―・す」

可能動詞 ほぐせる

私にとって 「ほぐす」 という動詞が一番ぴったりくるのは、上記の用例にもあるように、「魚の身をほぐす」 という言い方だ。独身時代、さばの水煮の缶詰を開けて皿にがばっと移し、それからおもむろに箸でほぐしにかかったものである。

ほぐさないと、あっという間に口の中に収まってしまうが、ほぐすことによって、おかずとしての存在感が増す。私はこれを称して 「増やす」 とも言っていた。量は増えないが、食べ心地が増すのである。

さて、風呂敷を 「ほぐす」 という言い方に戻る。上記の用例に「結ばれたり織られたりしているものをさばいて分ける」 とあるのだから、風呂敷の結び目をほどくことを 「ほぐす」 と言っても、標準語としても問題はない。

だが、「ほぐす」 は、やっぱり魚の身をガシガシほぐしたり、肩凝りをほぐしたりという言い方が一般的だろう。私は風呂敷という主語に 「ほぐす」 という動詞を使われると、なんとなく特別な感じがする。郷愁を覚えてしまう。

同じく酒田出身の吉野弘という詩人が、「ほぐす」 という詩を書いているということは、昨日付の記事でも少し触れた。自分のブログで著作権侵害をするのは憚られるので、他人のふんどしを使ってしまう。こちら に飛べば、詩の全文が読める。

詩の冒頭を引用する。

小包みの紐の結び目をほぐしながら
思ってみる
―― 結ぶときより、ほぐすとき
すこしの辛抱が要るようだと

そして、人と人との愛欲のきづなを 「ほぐす」 ときにも、「多くのつらい時を費やす」 と、酒田生まれの詩人は言う。

この詩においては、キーワードとなる動詞はやはり、「ほどく」 ではなく 「ほぐす」 でなければならない。単に 「ほどく」 だけではなく、その後のケアまで含めた意味合いの言葉でなければ、十分なメタファーが成立しないからだ。

それにしても、庄内弁というのは本当に、硬さを 「ほぐす」 言葉だなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/02/24

庄内が 『おくりびと』 のロケ地だったなんて

映画 『おくりびと』 がアカデミー賞の外国語映画賞を取ったという話題でもちきりだが、これが我が故郷、庄内でロケしたものとは、恥ずかしながらちっとも知らなかった。

このところ妙に忙しくて、見たいと思う映画も全然見られない。見られないだけでなく、情報からも遠ざかっていたようだ。

近頃、山形県が映画のロケ地として重宝な存在となっているようだ。ちょっと思い出すだけでも、『たそがれ清兵衛』  『スウィングガールズ』 『蝉しぐれ』 『蕨野行』 などが挙げられる。『釣りバカ日誌』 のシリーズでも、庄内を舞台にしたのがあったはずだ。

藤沢修平の映画化作品が鶴岡辺りで撮影されるのは当然としても、山形県の風景というのは、いかにも典型的な山里とか田舎町とか、往時の繁栄を思わせる街並みとか、時々垣間見られる小京都っぽさとか、何となく絵になりやすいものがある。それに何と言っても、あわただしい都会の時間とはかけはなれたのんびりさがあるので、ロケしやすいんだと思う。

これだけ話題になっているんだから、しっかり観光キャンペーンに役立てればいいようなものだが、庄内の人たちは、そういうセンスはかなり薄いから、「来たかったらどうぞ」 程度のゆる~いプロモーションしかしないだろう。

何しろ、庄内出身の私が、オスカー受賞作のロケ地が庄内だったと、受賞翌日になって知ったぐらいだから、プロモーション不足は明白である。ただ、このぐらいのゆるさが、庄内の良さなので、それはそれでいいのかもしれない。

どうせ一時的に観光客がどっと増えたところで、すぐに潮が引くように去っていくのは目に見えているのだから、本当に庄内の好きな人が時々訪れるという程度がいいのかもしれない。

それにしても、映画が見たい。芝居だって見たい。でも見る時間がない。ちょっとフラストレーションである。

ちなみに、『おくりびと』 が 「納棺師」 の映画だと聞いて、私はしばらく 「脳幹死」 の映画だとばかり思っていた。情報不足にもほどがある。お恥ずかしい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2008/12/28

庄内の冬の思い出

降雪、車両トラブル…各新幹線で運休・遅れ相次ぐ」 なんていう記事をみると、ついに本格的な冬になっちまったような気がしてきた。

確かに近頃、関東でもちょっと寒い。北西の風が国境の山のあたりで雪を濾し取られ、冷たさだけになって吹き下ろしてくる。「空っ風」 とはよく言ったものである。

28日、長野、山形、秋田新幹線はさんざんだったようだ。長野新幹線はブレーキ故障によるものだったようだが、山形新幹線は積雪、秋田新幹線は強風による運休だ。まさに冬である。

とはいえ、上越新幹線はきちんと走ったようで、さすがに計画当初から雪を計算に入れて建設しただけのことはある。めちゃくちゃ雪の深いあたりはトンネルで切り抜け、越後湯沢、長岡あたりになれば、それほどの影響を受けないようになっているようだ。

それに、不思議なことに、越後の国は長岡を越すとだんだん雪が少なくなり、新潟に着いてしまうとほとんど積雪ゼロということが多い。私は新潟市は雪の少ないところと思っている。関東の人には意外なことのようだが。

そして、新潟で羽越線特急いなほに乗り換えると、まただんだん雪が深くなる。とはいえ、県境を越えてしまえば庄内平野で、豪雪地帯というほどではない。山形県で雪が深いのは、内陸にはいったところだ。

米沢の近辺に行くと、今でも道路から住宅の玄関に辿り着くまで、トンネルみたいに雪を掘った道を下らなければならないところがあると聞く。ああ、そんな面倒なところに生まれなくて良かった。

庄内平野の冬は、雪よりも風がすごいのである。これは何度も書いたことだが、庄内は、人がフツーに都市生活をしているところとしては、世界一のブリザード地帯なんだそうだ。3年前には、特急いなほが強風に煽られて脱線するという大事故を起こしてしまったほどだ (参照)。白鳥が薙ぎ落とされてしまったということもある。

今のところ、庄内 Cam の画面を見ても、酒田市内は積雪しているというようには見えない。雪は酒田に積もらず、山際と、それを超えた内陸にまで吹き飛ばされてしまうのだ。

酒田で高校まで通った私は、地吹雪でほとんど視界の効かない中を、勘を頼りに学校までたどり着いたということが何度もある。関東であんな地吹雪になったら (まあ、なるはずがないが)、確実に休校だ。そうでないと、子どもたちが途中で遭難する。

小学校では、だるまストーブに火を入れるのは用務員さんの仕事とされ、子どもが勝手にやってはいけないという、一応の規則になっていたが、用務員さんが各教室に廻ってくるまで待っていては、凍えてしまう。なにしろ、窓の隙間から吹雪が吹き込んでくるのだから。

だから、小学校の 1~2年の頃から、生徒が自主的に火を付けていた。新聞紙、細い薪、太い薪、石炭の順にくべていって、最終的にストーブの横腹が赤くなるほどガンガンに火を強くするのである。

この火付けの技術が、秋の芋煮会のたき火に応用されたのは言うまでもない。今の学校は集中暖房だろうから、最近の子たちは、たき火の火起こしには難儀しちゃってるんじゃあるまいか。それとも、スーパーで売る 「芋煮会セット」 に、火のスターターも入ってるんだろうか?

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2008/12/20

実家の E-mobile 接続が可能になった

今回の帰郷では、これまで難儀していた E-mobile の接続が問題なくできるようになっている。ありがたいことである。

お盆に帰郷した時は、E-mobile カバーエリアのど真ん中であるはずの私の実家が、なぜか 「圏外」 だったのだ。隣の公園のベンチで、辛うじてアンテナが 1本立つ程度だった。

私の E-mobile は @nifty 経由のサービスなので、nifty の相談窓口に苦情のメールを出したところ、「地域の事情によって接続できない場合もある」 と、木で鼻をくくったような返事が返ってきただけだった。

そんなことは、言われなくても事実としてとっくにわかっている。苦情の真意は、「カバーエリアの中で接続できないポイントがあるということを知らせているのだから、ピンポイントで対策をとってもらいたい」 ということなのである。

期待としては、@nifty 側から接続できないポイントがあることを知らせ、そして E-mobile としては、実家の付近に中継ポイントを 1カ所作ってくれるのではないかということだったので、その返事にはちょっと失望した。

ところが、今回試してみたら、部屋によって 1本だったり 3本だったりするが、きちんと実家の中でもアンテナ表示が立ち、難なく接続できた。酒田が E-mobile のカバーエリアに入ったと公表されてからほぼ 9ヶ月目で、名実共に接続可能になったわけだ。これでメールの受発信もブログの更新もサクサク行える。

これまでの経験では、日本中の県庁所在地の市街ではほとんど問題なく接続できるし、それ以外の主要都市でも接続が可能なところが多い。東海道新幹線では、トンネル以外のほとんどのところで OK だ。

これからますますカバーエリアが拡大しそうなので、さらに使いやすくなりそうだ。モバイルでのインターネット接続が必要な人には、オススメしておこう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/11/19

「過去の一番手前が現在」 という試論

山形県では、私の出身地である庄内ではあまり聞かないが、内陸の方では、電話に出て名乗る時、「はい、○○でした~」 と、なぜか過去形で言うことが多いようだ。

「○○です」 だと、なんとなくきつすぎて、最後に 「!」 が付くような気がするらしい。そこで、過去形で婉曲的ニュアンスにするわけだ。

庄内でも、電話で名乗る時は言わないが、近所の家を訪問する時など、玄関先で 「こんにぢはぁ~、今日は旦那さん、いましたがぁ~?」 (いましたか?) なんて、過去形で聞く。「いますか?」 なんて言ったら、それこそ、詰問調になるような気がしてしまうのだ。

山形県だけではない。「ですます調」 で話すとき、現在のことを言うのでも過去形の 「○○でした」 「○○ました」 と言うのは、東北各地で聞かれる。実に柔らかい口調で 「私はぁ、3人兄弟でした~」 なんて言うから、既に 1人か 2人は死んじゃったのかと思うと、実は 3人とも健在だったりするから、注意が必要だ。

こうなってしまったのは、まず、「ですます調」 なんていう文体は、元々の東北弁にはなかったからということがある。明治以後の近代教育で教え込まれた口調なのだが、新しく教わった 「です」 「ます」 という言い切り型には、どうも馴染めないものがある。そこで、過去形で婉曲的なニュアンスにし、ようやく日常生活に取り込まれたのだ。

ところが、もう一つの問題がある。それは、「そもそも、どうして過去形にするとしっくりくるのか?」 ということである。

そこで私は、一つの試論を述べたいと思う。日本人のメンタリティにおいては、「現在」 というのは、「一番手前の過去」 であるということだ。日本語においては、西欧語的な意味での 「現在形」 というのはない。現在形と思われているのは、単に 「原型」 である。

庄内弁では、現在進行中を表す言い方は、過去形に非常に近い。例えば、「食べている」 は、「食った」 (くった)である。「今、メシくった」 といえば、「今、メシを食っている」 という意味だ。じゃあ 「食べた」 はどう言うのかといえば 「食た」 (くた) である。促音かそうでないかの違いだ。

同様に 「走っている」 は 「走った」、「走った」 は 「走た」、そして 「寝ている」 は 「寝っだ」、「寝た」 は 「寝だ」 である。ほとんどの動詞をそのように活用する。

元々の形を推定すると、現在進行中を表す 「○っだ」 は、「○していた」 ということの短縮形だと思われる。今の考え方からすれば、現在進行形ではなく、過去進行形だ。それでも、それは現在のことを表すのである。「食った」 (「食っていた」 という現在進行) は、「食た」 (「食べた」 という過去形) と、微妙だがきちんと区別されるのだ。

前述の 「今日は旦那さん、いましたがぁ~?」 にしても、元々の庄内弁だと、「今日は旦那さん、いっだがぁ~?」 になる。だからそれを、ですます調でていねいに言おうとすると、「いますか?」 ではなく、ごく自然に 「いましたがぁ~?」 になる。これは伝統文化というものである。

やはり 「現在」 というのは、「過去の中で一番手前にあるもの」 でしかないのである。「現在」 という時制は独立したものではなく、どちらかといえば、「過去」 の範疇に属するのだ。

一方、英語では (私は西欧の言葉は英語しかわからないので、英語を例にとるしかない)、現在形と過去形の違いはとても明確だ。逆に、未来を表す時に、現在形に助動詞を付けるという手段を使っている。つまり、現在と未来の方が近い。「未来の一番手前」 が 「現在」 である。

それでも英語だって、人に者を頼む際にていねいなニュアンスを表現したいときなんかは、"Woud you ~ ?" なんて過去分詞を使う。"Will you ~?" というよりていねいなのだ。そのあたりは、私の こちらの記事 に書いてある。

どうも、過去に振る方が無難という気がするのは、人類共通のメンタリティなんじゃないかという気がしてきた。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (14) | トラックバック (0)