カテゴリー「庄内の話題」の29件の記事

2008/05/22

庄内平野と検索エンジンのコラボ

「Yahoo! 検索 スタッフブログ」 によると、毎年この時期に、「庄内平野」 をキーワードとした検索が急上昇するのだそうだ (参照)。

表示されたグラフをみると、なるほど、毎年 4月から 6月にかけてのみ、検索数が異常に増えている。この怪現象の要因は、小学校の教科書にあるらしい。

小学校社会科の教科書の序盤に、「米づくりのさかんな庄内平野」 という記述があり、そのために、毎年この時期になると 「庄内平野」 がものすごい勢いで検索されるようなのだ。時間帯による検索のピークをみても、午前 9時頃と午後 2時頃というのだから、この推測は多分当たっているのだろう。件のブログには以下のように記されている。

その理由とは、全国の小学5年生の社会科の授業で
ほぼ一斉に 「庄内平野での米作り」 を教えているため。
おそらく学校内のパソコンで授業中に生徒が検索したり、
先生が授業前の予習として調べた結果、検索数がこの時期に急増しているのでしょう。

ふぅむ、なるほど。今の世の中では、小学校の授業中でもインターネットを使うことがそれほど珍しいことじゃないらしい。それに熱心な先生は常にネットで検索して最新情報を仕入れようとしているようなのだ。

というわけで、試しに私も Yahoo で (いつもは Google 派なのだが) 「庄内平野」 をキーワードに検索してみた。

結果は こちら である。おぉ、なるほど。私の検索した時点では、トップにランクされるサイトが「庄内平野の米づくり」 という JA 全農山形のサイトである。そのほかにも、「庄内平野といえば、米作り!」 といったサイトがずらりと並んでいる。

ちなみに、Google でもトップは JA 全農山形だった。なんだか、農協と教科書と検索エンジンがコラボレーションしているような案配なのである。おかげで庄内米のブランド価値が上がろうというものだ。広告費に換算したらどんなことになるだろう。

ちなみに、たまには 「庄内平野」 だけでなく 「庄内拓明」 でも検索してくれるとありがたいのだが。

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2008/04/20

「寒鱈汁」 と 「どんがら汁」

昨日、大急ぎで京都の神社仏閣巡りをして帰ってきたのだが、関西方面では高校生ぐらいの子たちが電車の中で、コテコテの関西弁でしゃべっている。うらやましいことである。

関西だから当たり前と言われそうだが、私の田舎の山形県酒田市に帰ると、若い子は皆、きれいな共通語なのである。

私はこれまでにも庄内弁が消えていきそうな現状を憂う記事 (例えば こちら) を書いている。関西では関西弁が脈々と伝わり、完全に現役で通用しているというのに、庄内では庄内弁を話せない子どもが増えているのである。

件の記事でも書いたのだが、酒田の子たちは学校からの帰り道、友達と別れるときに 「じゃあね」 なんて言うのである。私は初めてこれを聞いたときに、愕然としてしまった。「さかだの子だばさがだの子らしぐ、『へばの!』 ってそえ!!」 と言いたくなってしまったのである。

ちなみに、上記の庄内弁は、日本語では 「酒田の子なら酒田の子らしく 『へばの!』 と言え!!」 という意味である。「へばの」 は、「おしん」 が放送されていた頃は、全国的に認知されたが、庄内人の努力不足であっという間に忘れ去られた。

私が一つ不満に思っているのは、毎年 1月に酒田で開催される 「日本海寒鱈祭り」 である。太鼓などのイベントをしつつ、冬の庄内で一番おいしい 「寒鱈汁」 を商店街で振る舞うのだが、私の子どもの頃は、誰も 「寒鱈汁」 なんて言わなかった。

私の心の中では、あれは 「どんがら汁」 というものなのである。それがいつの間にか、日本全国共通の 「寒鱈汁」 になってしまった。私は庄内の人たちが 「どんがら汁」 という素晴らしい呼称を捨てたことを悲しむものである。

日本各地には 「それ何?」 と言いたくなるような食べ物がある。九州の 「おきゅうと」 とか、秋田の 「きりたんぽ」 とか、奄美大島の 「鶏飯 (けいはん)」 とか。

あれらは、「それ何?」 と聞いてもらえるからいいのである。「これはね……」 と説明する必要があるからこそ、ウンチク会話がスタートし、よそ者をその土地の土俵に自然に引きずり込める。

庄内の人たちがあのイベントを 「寒鱈祭り」 という名前にしてしまったのは、はっきり言って、庄内人のこの方面のセンスの悪さである。観光センスのある土地だったら、絶対に 「日本海どんがら祭り」 という名前にしていた。

「どんがら」 をフィーチャーする方が、第一、インパクトからして違う。「それ何?」 と聞いてもらえる。庄内人は人がよすぎて、周囲に合わせすぎるので、「それ何?」 と聞いてもらえないのである。

そうするうちに、庄内人自身が 「それ何?」 と聞かなければならなくなり、さらに聞くことすらなくなってしまうとしたら、あまりにも悲しすぎるのである。

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2007/11/30

庄内 On My Mind

昨日の東京の最高気温は 11度ぐらいだったようだ。日が昇ってもあまり暖かくならず、昼前からはむしろどんどん気温が下がってきたような印象で、とにかく風が冷たかった。

朝から空は重苦しい荒涼とした灰色。私にとっては、ああいうのが 「冬空」 のイメージなのだが、関東生まれの人間は違うらしい。

関東に限らず、日本の太平洋側で生まれ育った人にとっての 「冬空」 は、「くっきりと晴れ渡り、冷たく引き締まってきりりとした感じ」 なんだそうだ。日本海側で生まれ育った私にとっては、「冬空」 といえば、関東に 30年以上住んだ今でも、重苦しい灰色の雲が立ちこめているものなのだが。

ところが、昨日は関東の方がどんよりとした重苦しい空になってしまった。ふと思い立って、庄内のリアルタイム映像を配信してくれている 庄内 Cam さんのバナーをクリックしたら、雲一つなく晴れ渡った空を背景に、鳥海山がくっきりと聳えている姿が目に飛び込んできた。

山頂付近は既に白雪に覆われている。やっぱり生まれ育った土地を代表する山というのは特別なもので、ある意味黙示的な存在である。冠雪した姿は、ますます神々しいイメージがある。

ああ、やはり、関東の空と故郷の空は、冬シーズンに限って言えば対照的な関係にあるのだ。関東が晴れれば庄内は地吹雪。たまに関東が曇れば、庄内は束の間の晴天になる。

18歳の春に大学に入って上京した私は、その年の年末がよくよく押し迫るまで、冬になったとは気付かなかった。なにしろ、そんなに寒くないし、空は晴れ渡っているし、大学は紛争が長引いてずっとロックアウトされていて、夏休みからずっと休みが続いているようなもので、いつから冬休みなんだか、はっきりしなかったし。

そして、ふと気付いたら街にはジングルベルが流れ、正月が近かったのである。バイトに明け暮れる生活をしていた私は、妙に驚いてしまった。

「もう、冬だったのか。それにしても、冬なのに、なんでまた、こんなに天気がいいんだ!?」

これが関東の冬だったかと、改めて感動した。からりと明るく、すっきりとした冬。地吹雪の吹きまくる庄内の冬とは大違いである。「こりゃ、やめららん!」 と、私は思った。ここは天国である。吹雪が吹かないだけで、天国なのである。金輪際、庄内になんか帰るものか。

ところが今、私はあの地吹雪が妙に懐かしい。私の心のベースは、やはり庄内にあるようなのだ。冬は荒涼とした空の下、雪が舞い、時としてホワイトアウトしてしまうほどの地吹雪になる、あの庄内が懐かしい。

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2007/09/30

酒田の 「舞娘」

JR 東日本の CM で吉永小百合様が、我が故郷、酒田を歩いておいでである。撮影現場に居合わせたかったなあ (参照)。

こうしてみると、テレビの画面にかの大女優を擁して、見る者をしらけさせない存在感を主張できるだけの風景が、酒田にはちゃんとあったのだなと、ちょっとだけ嬉しい。

「ちょっとだけ」 というのは、酒田の街全体は、やっぱりさすがに吉永小百合と張り合うほどの雰囲気は持ち合わせないからだ。狙い打ちしてフレームで切り取った部分だけは、なかなかのものなのだが。

ただ、そうかといって、酒田の街全体を、東京人の期待に添った 「東北に花開いた上方文化の湊町」 という色合いで塗りつぶそうとしても、そんなことは空しいし、どだい、できっこない。

酒田のバックグラウンドは、どってことない普通の田舎町でいいのである。その中に、ちょっと意外なほどハイカラな部分が残っていて、物好きはそれをみて、ちょっとだけどきっとするぐらいでちょうどいいのである。

で、ちょっと気になるところがあった。「酒田の舞娘」 の件である。「まいこ」 は普通 「舞妓」 である。そうでなければ 「舞子」 だ。酒田のはなんで 「舞娘」 なのかというと、

宴会の席などの “芸” ということではなく 「その場を華やかにする舞う娘」 という意味をもたせるため

なのだそうだ。ふ~ん、そんなことは、私も初めて知った。はからずも、普通の田舎町の中のちょっと意外な要素という意味合いにうまくバランスした表記かもしれない。

それでも、ちょっとなんだかなあ。キャバクラのおねえちゃんじゃあるまいし。私はちゃんと 「芸」 をみせて欲しいけどなあ。「芸」 がなければ、本当の意味でその場を 「華やか」 にすることなんてできないぞ。

酒田の 「舞娘」 が、内心ではちゃんと 「舞妓」 たるべく精進されることを願いつつ、おやすみなさい。ああ、たまった原稿を仕上げるのに手間取って、眠い。

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2007/05/26

緊急業務連絡: エリア内の人は聞いてね

緊急業務連絡。本日 (26日) のお昼ごろ、山形放送の 「ドンキーのいいのおー庄内」 に、電話出演するんで、放送エリア内の方は、よかったら聞いてくださいな。

この番組には、昨年の今頃に続いて、2度目の出演となる。今回は、ドンキーさんの庄内弁ヒアリングをチェックすることになる。

前回は、「知のヴァーリトゥード」 のサブサイト 「庄内力養成委員会」 の 「庄内力チェック」 に挑戦してもらって、内陸出身のドンキーさんは 50点で 「初心者」 というランクに甘んじてしまった (参照) のだが、あれからどのくらい進歩したのかを知るため、アシスタントの佐藤さんが駆使する庄内弁のヒアリング・チェックを行う。楽しみ楽しみ。

さて、24、25日と、広島に出張して、日付の変わる直前に帰宅した。25日は、晴れ男の私にはとても珍しいことに、出張先で土砂降りにあった。私は少なくとも 20年以上、出張先では晴れるか、悪くても小糠雨が一時的に降る程度ですむものと信じ込んでいたので、なんだか不思議な感覚にとらわれたほどだ。

とはいえ、さしもの土砂降りも昼過ぎにはだんだん小降りになり、2時過ぎには上がってしまった。仕事上の屋外での撮影もなんとかギリギリでクリアできたので、よしとしよう。この雨は、きっとお清めの雨で、これからはまた晴れ男に戻れそうな気がする。

で、夕方に広島を発って、新幹線で戻ってきたのだが、大阪あたりまで来たらまたしても雨になった。どうやら、「のぞみ」 の 250km/h のスピードで、東に進んでいく雨雲に追いついてしまったらしい。それから先はずっと雨で、つくばの地に着いてからもまだ降っていた。

よほど大きな雨雲だったようだ。それにしても、車で走っていて、雨雲に追いつかれてしまったことはあるが、去っていく雨雲に追いついてしまうというのは、さすが新幹線のスピードである。

今日の朝になったら、またしてもいい天気になるようで、夏日になるらしい。さて、山形県の天気はどうなってるだろうか。

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2007/04/04

庄内ひな街道

わが故郷、庄内は、ひな祭りの盛んな土地である。それは月遅れで祝われるので、昨日の 4月 3日がクライマックスだった。

庄内ひな街道] というイベントも、2月下旬から 4月 3日まで開催された。この期間中、庄内のいたるところで、家々に伝わる自慢のひな人形が飾り付けられた。

先月の 30日から今月 1日まで帰郷したので、ちょうど、この庄内ひな街道イベントの佳境に当たっていたのである。酒田に着いて、夕食をとった蕎麦屋にも、きれいなおひな様が飾られていた。

これがその写真である。おもしろいのは、酒田ではひな飾りのあつらえの一番下の段に、「うどがわら人形」 というのを飾る。これは酒田の郊外にあたる 鵜渡川原というところで作られていた素焼きの土人形だ。

本来は、ひな人形とは全然関係がないのだが、なぜか、酒田ではどこの家でも一緒に飾るという風習になってしまっているようだ。

博多人形と同じような作り方で、博多人形は洗練に洗練を重ねて、今や芸術品扱いだが、うどがわら人形の方は素朴なままで、民芸品そのものである。モチーフも、花嫁人形から子守り、童子、果ては米国映画のベティさんまで、実にいろいろなものが作られていて楽しい。

今回は、「傘福」 というものの展示もみた。傘福というのは、唐傘の下に布で作った 「おくるみ」 をたくさんぶら下げて飾るものだ。庄内では昔、安産や子供の成長を祈って飾り付け、神社に納めたりしたものらしい。

私が酒田で暮らしていた昭和 20~40年代には廃れていて、まったく見たことがなかったが、近年復活したようで、今回の帰郷では、山王クラブという酒田で最高の格式を誇った料亭 (今は料亭ではなくなって、酒田市の文化遺産となっている) に展示されているのを見た。

中には、蔵の奥から出てきた古い着物地をほぐした布地で作ったような、味わい深い飾りもぶら下げられていて、なかなかの見物である。

このほか、相馬楼という料亭 (これも今は文化遺産として扱われているようだ) では、酒田の旧家に伝わる超お宝的なおひな様が展示されていたが、これらは撮影禁止ということで、残念ながら、画像では紹介できない。

酒田の港が栄えていた江戸時代から明治にかけては、豪商や豪農が競って京都や江戸から豪華なひな人形を取り寄せて飾っていたようで、それらが残っているわけだ。多分、値段を付けたら目玉が飛び出しそうなくらいになるだろう。

というわけで、昨日までのほぼ 1ヶ月半ぐらいの時期、庄内はとても華やかな雰囲気に包まれていたわけだ。

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2007/02/17

晩秋から早春の庄内は、白鳥だらけ

あまり知られてないことだが、私の故郷、酒田市は、日本最大の白鳥飛来地なのである。毎年冬になると、約 1万羽の白鳥がやってきて、最上川河口で越冬する (参照)。

白鳥たちは、日中はあちこちの田んぼに出張して餌をあさるので、庄内の冬の田んぼは、白鳥だらけになる (参照)。

白鳥が酒田に来始めたのは、記録によると昭和 41年からのようだ。最初の年は、わずかに 7羽だった。ところが、年ごとにどんどん増えて話題になり、酒田市民も最上川河口に白鳥見物をしにでかけるようになった。

私が高校 2年の頃に見に行った昭和 45年は、記録では 430羽が飛来したことになっている。今とは比べものにならない少なさだが、それでも、当時はものすごい数に思えた。考えてもみてもらいたい。一度に 100羽以上のオオハクチョウを見る機会なんて、滅多にないだろう。

それが今では約 1万羽である。私は最近は最上川河口まで行って見たことがないので、なにしろ想像を絶してしまう。

私の高校時代、最上川河口にびっしりと浮かんでいる白鳥たちは、土地の人が茶殻などの餌を撒いてくれる時間になると、ますますすし詰め状態になり、我先に餌にありつこうとしていた。

それはそれはすさまじいもので、ぴゃあぴゃあうるさく鳴きながら、阿鼻叫喚の様を呈する。水面にエレガントに浮かぶ白鳥のイメージは、一瞬にして吹っ飛び、思わず 「畜生の浅ましさ」 なんて言葉が脳裏に浮かんだりする。

それでも、遠くからみる白鳥はやはり美しく、鳴きながら群れをなして空を飛ぶ姿は、何度見ても感動的なほどだ。冬の酒田の名物は、地吹雪と寒鱈汁と白鳥である。この冬は、地吹雪はさっぱりだったが。

昭和 46年、高校を卒業して東京で大学生活を始めようとしていた春、白鳥たちも酒田からシベリアへの遠い旅路に発ち始めていた。

餌をあさりに行くのとは明らかに違う大きな編隊を組んで、コウコウと鳴きながら飛んでいく白鳥たちの姿に、自分自身の旅立ちを重ね合わせて見送っていたことを、私はまるで昨日のことのように憶えている。

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2007/01/30

寒鱈汁のうまさ

今年の帰郷は 1月の末になったので、恒例の 「日本海寒鱈まつり」 (1月 20、21日開催: 写真参照) には間に合わなかった。

とはいえ、冬の日本海の味覚は何と言っても 「寒鱈汁」 なので、アツアツのを作っていただいた。もっとも、私の子供の頃は、もっとワイルドに、「ドンガラ汁」 と言ったものだが。

「ドンガラ汁」 と言ったのは、鱈の身はもちろん、アラからダダミ (オスの精巣) まで、とにかく何でもかんでもぶち込んで煮込むからである。骨以外は食べるのだが、骨だって出汁になるから、無駄なところは何もないのである。

寒鱈のアブラワタ (肝臓) をよく煮込んで旨さを出してから 「ドンガラ」 を煮込み、味噌と酒粕で味を調える。最後にネギや岩海苔などで風味を加え、アツアツで食べる。これはとにかく、幸せに体が暖まるのだ。

この季節、庄内は寒鱈汁の旬なので、是非訪れていただきたいものである。今年はダメだが、普段の年なら地吹雪も見られる。何しろ、酒田というのは人間が暮らす都市としては、世界最凶の地吹雪地帯と言われているぐらいなので、関東より南の人は滅多にできない体験をしてみるのもオツなものではなかろうか。

それに、酒田の地元の人はあまり頓着していないようなのだが、酒田というのは、見るべき観光資源がどっさりあるのである。他の土地から来た人なら、泣いて喜びそうな名所もあるのに、土地の人ほどそのすごさがわかっていないというところがある。

酒田の観光が今イチ盛り上がらないのは、市内にビジネスホテルばかり一杯あって、観光ホテルがないせいでもある。酒田の人自身が、何かあると近くの湯の浜温泉にくりだして泊まったりするのが好きなものだから、市内で泊まって盛り上がろうという気がないようなのである。

でもまあ、それだけあまり俗化されることもなく、いつまでものほほんとした土地柄でいられるのかもしれない。何が幸いするかわからないのである。

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2007/01/29

雪が少ないなあ

昨日の朝、つくばの地を発って、酒田に帰ってきている。途中、東北道を福島飯坂で降りて、国道 13号線を通って、米沢に抜ける。

さらに、山形から国道 112号線に入り、月山直下の「六十里越え街道」 を越えたが、驚くほど雪が少ない。豪雪だった昨冬の記憶が覚めやらぬだけに、拍子抜けするほどだ。

去年の今頃は、何十年ぶりとかいう豪雪だった。特急いなほが地吹雪にあおられて脱線転覆してしまったのは、まだ記憶に新しい。

平成 17年の 12月 (今から 1年と 1ヶ月ほど前) は、実家の引越しに大わらわだった。そのときの和歌ログのエントリーに添えられた写真をみると、酒田は雪に覆われている。そして、年明けにはさらに大雪になった。

ところが、今年は路面に全然雪がないのである。せっかくスタッドレスタイヤをはいてきたのに、これでは馬鹿馬鹿しいほどだ。

2年分を足して 2で割ればちょうどいいぐらいなのに、自然界というのはなかなか均等になってくれない。どうしても 「まだら模様」 になるのだ。意識的にかき混ぜてくれる存在がないのだから、しょうがない。

自然界はうまくかき混ぜられないのだから、せいぜい極端が発生しないように、人間の方で負荷をかけすぎぬ努力をするしかないのだろう。

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2006/11/30

ねじめ正一さんと酒田

昨日から酒田に帰ってきている。市内全戸に無料配布されている地元誌 "SPOON" の10月号をみたら、詩人のねじめ正一さんがいらして、朗読会やトークショーに参加してくれたという記事が出ている。

迂闊にも知らなかったのだが、ねじめさんは、とても酒田に縁の深い方だったのである。

ねじめさんは、30年前の酒田大火 (その時、私は既に東京暮らしだったのだけれど) 後の復興に取り組む商店街の奮闘を、『風の棲む町』 (1996年・NHK出版) という小説にしており、その後 『青春ぐんぐん書店』 と改題して新潮文庫に収められているらしい。

おいおい、知らなかったよ。これ、もっと酒田発の話題としてもっと積極的にアピールしてもらいたかったなあ。本当に酒田って、いいものが一杯あるのに、プロモーションがお下手なんだから。ともあれ、さっそく書店で探して読んでみようと思う。

ねじめさんが初めて酒田にいらしたのは、19年前のことだという。酒田の阿蘇孝子さんという人から、ねじめさんの朗読会をしたいという手紙があったのだが、いったんは断ったらしい。しかし、再び届いた手紙の便箋から、コーヒーのいい匂いがしたのにやられてしまって、つい引き受けてしまったそうだ。

阿蘇さんは、その頃喫茶店をやっていたという。酒田って、喫茶店文化がまだ生き残っているのだよね。

ねじめさんのトークショーの記事から、以下を引用しておこう。

実際には、復興をめぐって、いろいろトラブルがあったと思います。(中略) それでも、これは町のためにやっていくんだって決めた時の酒田人の速さ。それから町の復興のために、みんなが一致協力してやっていくんだという、酒田の人たちの必死さというものも書いておきたいと思いました。

よくわかってくれているなあ。感激した。本当に、酒田の人たちって、「速い」 んだよね。だから、わたしもものごとがサクサク動かないと、ついいらいらしちゃったりする。酒田人の悪い癖だけど。

この記事は、最後にこう締められている。

酒田は魚も米もおいしいし、人も温かいし、老後に住むには最高にいい街だよねって、うちの奥さんとも話しているんです。六十歳過ぎたら移住してきちゃうかも知れませんけど、その時は仲よくしてやってください(笑)。

おお、大歓迎だ。

(写真は、SPOON 10月号より)

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2006/09/24

庄内弁の 「かすと」 は 「かつゑびと」 ?

去年の 1月 20日に、"「かすと」 と 「さんごろぺ」" というエントリーを書いた。よくわからない庄内弁として挙げたのだが、最近、「かすと」 についての有力情報が届いた。

「かすと」 の意味は、「飢えている人」 らしいということまではわかっていたのだが、その語源の糸口がつかめたような気がする。

念のため繰り返しておくが、「かすと」 というのは、庄内弁でもあまりイメージのよくない言葉で、食事の時に、行儀の悪いがつがつした食べ方をすると、「"かすと" であんめし!」 ("かすと" じゃあるまいし!) と言って怒られたものだ。

だから、「かすと」 というのは、飢えて本能剥き出しみたいになった状態をいうのだろうとは薄々思っていたが、その語源はよくわからなかった。

少しググってみたら、秋田県の本荘由利地域 (庄内のすぐ北隣) の方言をまとめたサイトの中に、「かつと」 という言葉を見つけ、そこには、"「飢人」 の訛りか?" という指摘があった。だが、「飢人」 で 「かすと」 あるいは 「かつと」 と読むには、無理があるだろうと思っていたのである。

しかし、このほど阿部さんという方から、長野県の旧安曇野郡奈川村 (現在は松本市に編入) の辺りでは、「飢人」 で 「かつえびと」 と言うとのご指摘をメールでいただいた。ありがたいことである。

広辞苑にも、以下の記述があるとのことだ。

かつえ-じに 【飢え死に・餓え死に】 
かつえて死ぬこと。うえじに。

かつ・える 【飢える・餓える】 
1. うえる。空腹になる。 
2. 甚だしく欠乏を感じる。

どうやら、私がうかつなことに、「かつえる」 という言葉を知らなかっただけのようなのである。以前、だいぶ古い版の広辞苑を処分して以来、大きな辞書は持たない主義できたのだが、こうしてみると、ちゃんと備えておいた方がいいのかなあという気がしてきた。

試しに Goo 辞書で調べてみると、以下のように出ている。(参照

かつ・える かつゑる   【▽餓える/▽飢える】

(動ア下一)[文] ワ下二 かつ・う
(1)食物が足りなくて苦しむ。うえる。
「これから先きは―・ゑて死ぬより外に仕方がない/塩原多助一代記(円朝)」
(2)不足を感じてしきりに欲しがる。
「何かに―・ゑたやうな眼をぱつちりと開いて/悪魔(潤一郎)」

なんと、円朝の落語はおろか、現代文学にまで使われていた言葉だったのだ。こんなことなら、谷崎をもう少しきちんと読んでおくんだった。

なるほど、「かつゑびと」 (飢えて苦しんでいる人) という言葉が訛って、「かすと」 になるのは十分にあり得ることだ。秋田の本荘由利地域では 「かつと」 というのだから、「かつゑびと」 により近い。

長野県の旧安曇野郡奈川村における 「かつえびと」 という言い方は、しっかりと由緒正しい古語の系譜である。今ではかなりの年配の人の間でしか使われないということだが、庄内弁の 「かすと」 にしても、今では死語になっていると思う。

何しろ、「飽食の時代」 になってしまったので、本当の意味での 「かつゑる」 という感覚は、今では戦争を知る世代しか体験していないだろう。死語になるのも仕方ないだろう。

だがあるいは、メタフィジカルな意味合いでの 「かつゑびと」 は、むしろ増えているような気がする。胃袋が 「かつゑ」 から解放された今、人は精神的に飢えているのかもしれない。

なお、本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 の 20万ヒット突破に続き、ココログの "Today's Crack" も、昨日でめでたく 30万ヒット越えを果たした。ご愛読に感謝。

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2006/05/19

酒田に来ると、食べ物が美味すぎる!

ああ、いかん。今、酒田の実家に来ているのだが、ここにいると、何を食べてもうまくて、つい食いすぎてしまう。太らないか、心配だ。

買い物に出かけると、その辺の普通のスーパーで買う魚が、とてもイキが良かったりする。野菜が新鮮だ。果物がうまい。酒もうまい。適当に買うものが、みんなうまい。

昨日の昼は、近所のラーメン屋、満月に行って、かの有名なワンタンメンを食した。12時から 1時の間に行っても満員に決まっているから、かなり我慢して 2時近くになってから、満を持して行ったのである。

ここのワンタンメンの、適度の透明感とコクと旨味が渾然一体となった魚貝系スープは、私の体内の血中濃度とまったく違和感がなく、体内にしみこんでくるような気がする。それに、透き通るようなエレガントなワンタンは絶品だ。

1日 24時間のうち、10時間以上は空きっ腹だった高校の頃から、私はここの店のワンタンメンがご贔屓だった。当時は単に、ラーメンだけでは足りないから、ワンタンをプラスしたワンタンメンを注文していただけなのだが、そのワンタンメンが、そんなにすごいものとは知らなかった。

高校を卒業して東京に出てからというもの、私は、「まともなワンタンメン」 を食すことができなくなったのである。高校時代は当たり前だと思っていた満月のワンタンメンは、実は世界に誇るワンタンメンだと知ったのである。

だから、酒田にきたらなんとしても満月のワンタンメンは食わなければならない。

酒田に来る途中には、西川町の一松の蕎麦がある。今回は 「かんざらしそば」 というのを食べた。この店に入ったのが、午後 4時を回っていて、かんざらしそばが二人分残っていなかったので、二八そばにサービスとして付けてもらったのである。ここのご主人は、とても気前がいい。

このかんざらしそばは、色の白い一番粉で打ったもので、蕎麦粉 10割なのにツルツルした感触。噛んでみるとものすごくギュッとしまった感じのコシ、モチモチ感がある。こんなそばは初めて食った。

ご主人は、「そばの香りは 別製の十割そばの方があるけど、これはこれで、おもしろいでしょう」 という。なるほど、そばの世界は奥深いものである。

ここのおススメは、天ざるである。うまい蕎麦屋の天ぷらは、往々にしてたいしたことなかったりするものだが、ここのご主人は以前に本格的な板前の修行をしただけあって、天ぷらも絶品だ。今回の天ぷらは、海老天二本に、山菜づくし。大満足だった。

外食が大満足な上に、素材がいいから、妻の作る料理もおいしくて、つい食べ過ぎる。ああ、帰ったら運動しなければ。

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2006/04/14

羽越線脱線事故・外伝

これまでにも、田舎自慢はさんざんしているので、あまり度重なると嫌味になるかなと、ちょっと保留状態にしていたのだが、やっぱり止むに止まれず書くことにする。

昨年暮れの羽越線特急脱線事故の際の、JR 東日本社員の奮闘ぶりである。4月 8日付の毎日新聞夕刊 (参照) に掲載されている。

事故現場に急行した警察、消防隊が目にしたのは、猛烈な地吹雪の中、自ら重傷を負いながら、献身的に、そして文字通り懸命に乗客救助に奔走する乗務員 (運転士、車掌)、そして、たまたまその特急に乗車していた非番の JR 東日本社員 6人の姿だった。

6人の JR 東日本社員は、休暇で帰省し、新潟の勤務先に戻るところだったという。だから、運転士と車掌を加えた 8人は、おそらく全員、新潟から秋田にかけての日本海側の生まれだ。そのど真ん中が、私の田舎、庄内である。

そして、この 8人のうち、7人は現在も通院中だという。

運転士は血を流しながら、救助隊に 「私は大丈夫。早くお客さんを!」 と叫んだということが、警察内部の雑誌には記されている。他の社員も、腰の骨を折るなどの重傷を負いつつも、必死の救助作業にあたっていた。

私は事故直後のエントリーで、「中越地震の際にも触れたことなのだが (参照)、北陸・東北の日本海側の人たちの、不運な災害、事故に遭っても、決して恨み言を言わずにただ静かに耐えている姿には、頭が下がる」 と書いた。(参照

犠牲者の家族が、決して恨み言を言わなかったのは、人間の誠 (まこと) を信じているからである。乗務員たちが献身的に救助作業にあたってくれたことを、誰に聞かなくても知っていたからである。

なぜなら、この地域の人たちは、そうした人たちだからだ。自らを犠牲にしてでも、他に尽くすということを、実際に、しかも当然のごとくやってしまう人たちなのだ。私は、こうした地域に生まれたことを誇りに思う。

一応、毎日新聞の該当ページにリンクをはったが、新聞社のサイトでは、古くなった記事はどんどん削除されてしまう。だから、多分この記事もいずれ削除されてしまうだろう。

しかし、削除されるには惜しい渾身の記事である。これを書いた斎藤記者の感動が伝わってくる。その意味で、このコラムでは異例のことだが、敬意を表して以下に全文引用させていただく。

羽越線脱線事故:JR非番社員、傷負いながらの救出劇

 「私は大丈夫。早くお客さんを」と叫ぶ運転士、自ら大けがをしながら雪の中から手だけ出ていた女性客を救出した社員……。37人が死傷した昨年12月の山形県庄内町のJR羽越線特急「いなほ」脱線転覆事故で、乗務員2人と帰省などで同乗していたJR東日本新潟支社員6人の事故直後の行動が、JR東日本の調査で分かった。猛烈な地吹雪の中、それぞれが負傷者の救出や避難誘導に奔走する様子が浮き彫りになる。8人のうち7人は現在も通院中だ。【斎藤正利】

 事故当日は日曜日で、支社員6人は帰省後、勤務先に戻る途中、事故に遭遇した。今回明らかになったのは、JRが事故直後に、収容された病院などで聞き取ったものだ。

 運転士(29)は、運転室の搭載機器が顔を直撃して右まぶたを切った。真っ暗になった運転室で非常用スイッチを操作。業務用携帯電話で新潟支社輸送指令に「列車が脱線した」と緊急連絡を入れ、運行中の列車の停止や救急車の手配などを要請した。

 車掌(26)は二重衝突を防ぐための無線スイッチを即座に作動させ、携帯電話で「激しい揺れで緊急停止」と指令に報告した。2人は手分けして乗客の安否確認に走り回り、転覆車両内の乗客に毛布や車内カーテンを引きちぎって配布するなどした。

 最初に現場に到着した山形県警の警察官は、6号車で救出作業中の運転士の様子を、「頭から出血しており、声をかけると『私は大丈夫です。早くお客さんを助けてあげてください!』と言っていた」などと警察内部の雑誌に記した。

 支社の6人のうち5人は小屋に激突し「く」の字に曲がった先頭の6号車に乗車しており、いずれも「一瞬、体が宙に浮き、強い衝撃で座席や床にたたきつけられた」と語っている。

 腕や太ももを強打するなどして3カ月入院する重傷だった新幹線保線センター員(49)は、雪の中から手だけが出ている女性客を発見。腰の骨を折るなどした信号通信課員(48)と協力し、窓ガラスの破片が散乱する雪を血で赤く染めながら救出した。

 腰を強打するなどし3カ月入院した保線課員(50)も輸送課員(29)とともに、雪に埋もれた女性客を助け出した。顔を強く打つなどして重傷を負った保線技術センター員(47)は気を失った。意識回復後も動くことはできなかったが、周辺の乗客に声をかけるなどした。

 昨年4月のJR福知山線脱線転覆事故では、JR西日本の運転士2人が負傷者を救助せずに立ち去り、厳しい批判を浴びている。

毎日新聞 2006年4月8日 15時00分

改めて、犠牲者の冥福を祈る。奇しくも、この記事の掲載された日は、花祭り、お釈迦様の誕生日だった。

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2005/12/27

羽越線脱線転覆事故に思う

25日の夜から、ウチのサイトへのアクセスがいつもより多かったのだが、どうも特急列車脱線転覆事故のニュースで 「山形県庄内町」 と繰り返されるので、このサイトを思い出してくれる人が多かったようなのだ。

しかし、こんなことでアクセスアップしても、全然喜べないじゃないか。

事故現場は、私の実家から車で 30分も走れば行けるところだ。先日も、実家の引っ越しの手伝いに行った帰りに、まさに特急いなほ 8号 (事故を起こしたのは、いなほ 14号) で通ってきた所である。

冬の庄内では、風速 20メートルというのはそう珍しいことではない。古い話になるが、昭和 51年 10月 29日の酒田大火の時にも、このくらいの風が吹いていた。それで炎が風下に向かい、地上をなめるように燃え広がったのだ。

この大火が起きたためにニュースにはならなかったが、同じ日に、庄内の海岸線では、津波のような高波の被害があったと聞く。海岸から国道を越えてきた大波に、売り物をさらわれた商店もあったらしい。

今回の脱線転覆事故では、現場近くの風速は約 20メートルと言われているが、それを記録した風速計は、鉄橋の上にあったものではないという。とすれば、鉄橋の上では、多分それを大きく上回る風が吹いていただろう。最上川が風の通り道となるからだ。

冬の庄内は、しょっちゅう 「冷たい台風」 に見舞われているようなものなのだ。人間の居住地としては、世界最強の地吹雪地帯といわれるのも頷ける。私も高校時代までは、ホワイトアウトした中を学校まで行ったことが何度もある。

事故に遭って亡くなられた方は、さぞ無念なことだったろう。さらに、あの猛吹雪の中で、夜を徹して救出作業にあたられた警察、消防、医療関係の方々は本当に大変なことだったろうと思う。

そして、中越地震の際にも触れたことなのだが (参照)、北陸・東北の日本海側の人たちの、不運な災害、事故に遭っても、決して恨み言を言わずにただ静かに耐えている姿には、頭が下がる。

実は、私の妹は実家の引っ越しが終わった後、26日に東京に戻る予定だったのだが、羽越線が不通になったため、本日に仙台まで高速バスで行き、そこから東北新幹線に乗り継いで帰ることにしたようだ。難儀な旅である。

亡くなられた方のご冥福と、怪我をされた方の回復を祈る。そして、このような事故が繰り返されないことも祈りたい。

【平成 20年 2月 5日 追記】

大分立ってからの思い出したような追記で恐縮だが、この事故の関連で、次の記事も参照されたし。

悲しみを堪え忍ぶ強さ  (平成 17年 12月 28日)

羽越線脱線事故・外伝  (同年 4月 14日)

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2005/11/28

蕎麦としじみと、地吹雪

私は 18歳で郷里の酒田を離れて単身上京し、東京で学生生活を始めたのだが、日常生活に関しては、言葉の面も含めてまったく違和感を感じなかった。

ただ、しみじみと違いを感じたのは、蕎麦の盛りの量、味噌汁の具のしじみの大きさ、そして、冬の間の天気である。

蕎麦の盛りに関しては、それはそれは大きなショックを感じた。江戸前の蕎麦はさぞかしうまいものだろうと、某有名蕎麦屋に入り、盛りそばを注文し、目の前に現れたのは、まさに二口半で食いきってしまいそうな量である。

思わず、「これじゃあ、『おやつ』 じゃないか!」 とつぶやいたのだが、まさに江戸前の蕎麦とは、本格的に腹を満たすためのものではなく、小腹の空いたときにたぐる 「おやつ」 なのだそうだ。

太くてどっさりとした量の、まさに 「腹一杯食う」 ための田舎蕎麦と、ちんまりした江戸前の蕎麦とは、まったく別の世界の食い物だったのである。

しじみの場合は、驚いたというよりは、納得したという感覚である。酒田にいた頃から、しじみ汁は汁だけ吸って、実は残すのが粋だと聞いていたから、江戸っ子というのは、なんともったいないことを言うのだと思っていた。

ところが実際に東京に出て、トンカツ屋の味噌汁を見て納得した。江戸のしじみは小さいのである。この小ささなしじみの実をいちいち食っていたら、日が暮れてしまう。なるほど、出汁の効いた汁だけ味わって、貝の方は残すのも当然だとわかったのである。

翻って、酒田で食っていたしじみは、大きいのである。東京のあさりぐらいはある。あれだけ大きければ、食わなければもったいないのだ。

さらに、だめ押しは、冬の間の天気である。大学 1年で初めて東京の冬を迎えたが、初めは冬という気がまったくしなかった。東京とはいえ、冬に寒くないというわけではない。当時は今よりずっと寒くて、さすがにコートを着て背を丸めて街を歩いていた。

それでも冬という実感がなかったのは、天気のせいである。かなり寒くなってから、ようやく冬であると気付いた私は、思わず独り言を言った。

「冬なのに、どうしてこんなに天気がいいんだ!?」

そう、田舎の冬は、青空なんて見えないのである。どんよりとした暗く重い雲が立ちこめ、地吹雪が舞う。それなのに、東京の冬は毎日毎日、青空続きである。同じ日本とも思えなかった。

東京の冬は最高だと思った。こんな冬なら、一年中冬でもいいと思ったぐらいである。

しかし、わからないものである。今、私は田舎の地吹雪が妙になつかしい。

どっさり盛られた太い田舎蕎麦と、大きな貝殻のしじみ汁、そして、地吹雪の吹きまくる冬こそが、私にとっての 「日本」 なのだと思うのだ。

 

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2005/11/21

庄内柿のパラドックス

毎年この季節になると、庄内柿が家の中にあふれる。ところが、この柿は食べ頃がとても短く、放っておくと、グニャグニャになってしまう。だから、さっさと食べなければならない。

だが近頃は、どの家でも子どもはあまり柿を食べたがらない。それで、一家の主は毎日 5〜6個ほどの 「柿責め」 に遭うのである。

庄内柿については、mago さんの 「まったり田舎暮らし」 というブログで、きっちりと説明されているので、ご覧いただきたい (参照)。

何しろ、庄内柿というのは不思議な果物である。買ってきた覚えもないのに、なぜか家の中の至る所に柿が鎮座ましますのだ。

いどさんの 「庄内弁な日々」 というブログでもひとしきり話題になっている (参照) が、そこでも、「買わなくても、向こうから来てくれる庄内柿」 なんて、コメントに書かれている。

とくに農家でなくても、庭に柿の木があれば、自然に家の中は柿だらけになる。そうでなくても、大抵は頼んだ覚えもないのに、親戚や知り合いから、食いきれないほどの量が送られてくる。

さらに、もらいすぎて処理に困った隣近所の家が、半ば強制的に押しつけてくる。その上、コンビニなんかで 「ご自由にお持ち下さい」 なんて、どっさり盛ってあったりすることまであるらしい。世の中に豊富にありすぎて、庄内ローカルでは値が付かないのだ。

我が家でも、先日実家から送ってもらった庄内柿のうち、半分以上を隣近所や知り合いに配り、残ったのをようやく食い終わったと思ったら、先週帰郷した際に、実家の 2軒先の奥さんから、またどっさり押しつけられた。

庄内柿というのは基本的に渋柿で、焼酎につけて渋抜きをする。これを庄内では 「さわす」 という。さわす期間は、大体 1週間で、それを過ぎると、今度は加速度的に熟してしまい、あっという間にグニャグニャのゼリー状になってしまう。

世の中には、そのゼリー状になったものの方を好むという変わり者もいるのだが、大抵の者には、そうならないうちの方がおいしい。だから、庄内柿の賞味期間というのはとても短く、一気呵成に食わなければならない。

庄内人というのは、大抵は柿好きである。しかしいくら柿好きでも、毎日毎日 5個も 6個も押しつけられては食傷してしまう。毎年食傷するくせに、それでも季節になると、庄内柿が恋しくなるというパラドックスが現出する。不思議な果物である。

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2005/11/03

方言ブームと 「もっけだ」 の意味

どこの国の言葉でも、感謝を表す言葉は美しい。「ありがとう」 は、日本語で最も美しい言葉の一つである。

さらに、「ありがとう」 より美しい感謝の言葉として、私は庄内弁の 「もっけだの」 を挙げたいのである。「もっけだの」 は、「ありがとう」 以上に豊富なニュアンスを含んでいる。

今年の 1月 20日の当欄で、私は次のように書いている。

「もっけだの」 は 「ありがとう」 である。道理のわからない余所者は、「庄内人は、人に何かしてもらうと、すぐに 『儲けた』 なんて、はしたないことを言う」 などと言う人もあるが、これは決して 「儲けた」 の訛りではない。「もっけの幸い」 の 「もっけ」 であり、意味は 「滅多にないこと」 である。つまり、その心は 「有り難い」 と同じなのである。

つまり、私は 「もっけだの」 (語尾の 「の」 は、共通語の 「ね」 とほぼ同じ) が 「ありがとう」 と同じであると書いたのだが、実際は、イコールではない。厳密に言えば少し違ったニュアンスがある。

確かに、庄内人は、人に感謝してお礼を言うとき、「あいや、もっけだちゃ、もっけだちゃ、本当で (本当に)、ありがどのぉ (ありがとうね)」 なんて言うことがある。「もっけだ」 と盛んに感謝を述べつつ、最後にまた 「ありがとう」 とだめ押しをする。

「ありがとう」 という言葉が、自分が主体となって相手に感謝の意を表すというニュアンスが強いのに対して、「もっけだ」 は、あくまでも相手が主体で、まず相手側の 「もっけ (希有)」 であるところの好意を立てる。その好意に対するねぎらいという意味合いが勝っているのだ。

庄内人はまず第一に、「もっけだ、もっけだ」 と言うことで相手をねぎらい、その次に、「ありがとう」 と言って、自分側からの感謝を表すという態度表明をするのだ。先に相手があり、次に自分を出す。なんと控えめで奥ゆかしいことであろう。

ちなみに、「もっけだ」 には、もう一つ別の意味合いがあり、「済まない」 という恐縮の意を述べる際に使われる。「あの時は済まなかったね」 というような意味合いで、「あん時だば、もっけだけのぅ」 と言うのである。

大変に恐縮する時には 「大 (おお) もっけだけのぅ」 なんて言う。この場合も、「ごめんね」 と、許しを請うているわけではなく、ただひたすらに、相手が堪えてくれたことや、好意でしてくれたことに対する恐縮と感謝の意を表しているのである。

かくも率直で、しかも我欲を表に出すことをよしとしない高貴な文化の土地に生まれ育ったことを、私は誇りとするものである。

近頃、方言がブームだという。共通語だけでは表しきれない陰影に富んだニュアンスを伝えることで、日本語がより深く豊かになるのであれば、それはいいことだと思っている。

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2005/07/28

庄内弁の豊かな陰影

またしても、山形放送ラジオに出ることになってしまった。29日 (金) 朝 6時 45分からの 「歌のない歌謡曲」 という番組の中で、10分ほどしゃべらせていただく。

松下香織アナウンサーとの電話を通じたおしゃべりということで、生出演ではないので、既に収録は終わっている。

山形放送 (YBC) ラジオとご縁ができてしまったのは、私の運営しているサブサイト 「庄内力養成委員会」 が、一部で評判になってしまって、私が庄内弁振興の旗振り役の一人みたいなイメージになってしまったことからだった。

5月 28日 (土) に、「ドンキーのいいのぉー庄内!」 という番組に、電話出演させていただいたのが、そもそもの発端である。

この時の顛末は、"「庄内力」 ラジオに進出" という事前予告コラムと、"ラジオ出演、その後の 「庄内力」"という事後報告コラムにまとめられている。

この時の放送に注目してくださったのが、松下香織アナウンサーで、私の 「庄内人は 『のう』 と言える日本人」 発言は、大受けを取ってしまったようなのだ。

そんなわけで、この放送では、私の庄内弁に関する思いを語らせていただいている。

今どきの庄内人は、誰でも共通語と庄内弁のバイリンガルなのだが、大脳皮質の外側の部分にある 「理屈」 の部分を担当する共通語の奥底に、より生理的、本能的、感性的な、庄内弁という豊かな深海が存在することは、庄内人の幸いなるところである。

しかも、他の方言の多くは、大抵どこでも通じてしまうが、庄内弁は、東京でそのまましゃべってもほとんど通じない。通じない感性を、通じるように翻訳するという、無意識的な作業の末に、庄内人は陰影の深い独特の感性の襞を身に付けてしまったのだ。

私は、とても難解な庄内弁の中で育ったことを無上の幸運と思っている。

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2005/05/29

ラジオ出演、その後の 「庄内力」

25日の当コラムでお知らせしたように、山形放送 (YBC) ラジオの 「ドンキーのいいのぉー庄内!」 に電話出演した。

この番組は、山形県内陸 (非庄内) 出身のドンキーさとうさんと、庄内出身の佐藤泰子さんの二人のパーソナリティが、庄内ネタで盛り上がるのである。

電話出演の発端は、私の運営しているサブサイト、「庄内力養成委員会」 の 「庄内力チェック」 をしてみようということのようなのであった。

佐藤泰子さんは庄内出身だけあって、番組でのおしゃべりを聞いていても、危なげない庄内力を感じるのだが、ドンキーさんの方は内陸出身とあって、庄内弁もちょっとしっくりこない。番組を開始して 4年近くなった今、ドンキーさんの庄内力はどのくらい進化したかというのが、興味の焦点となったのである。

結論。佐藤泰子さんは 80点台で、「先生」 というランク。「標準以上だが、まだディープなところまでは迫っていない」 という判定だ。一方、ドンキーさんは 50点台で、「初心者」 というランク。

それでも、内陸出身でありながら、あのモロ庄内弁で書かれた設問を理解できたというだけで、大健闘だと賛嘆させていただきたい。にぎやかで楽しいおしゃべりも、人柄の良さを感じさせて、なかなか楽しい番組だった。

ところで、この番組で宣伝が効いたようで、28日の昼ごろから 「庄内力養成委員会」 へのアクセスが急増した。普段は、1日にせいぜい 15件程度のアクセスしかないページなのだが、半日で約 150件のアクセスがあった。

放送の力というのは、やはり大きなものである。とくに今回の番組は山形県内とその周辺地域しかカバーしていないローカル局のものであることを考えれば、この数字は結構なものだ。

波及効果かどうかわからないが、「庄内力 BBS」 も、モロ庄内弁の書き込みで急に賑わい出している。それに近頃、複数のサイトや BBS で、「庄内力チェック」 が話題になっているようだ。

庄内出身者の広がりというのは、案外すごいものだと、再認識している。

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2005/05/28

庄内のポテンシャル

27日から酒田に帰郷している。寒河江から西川までの道のりは、大雨、雷、雹で大変な迎えにあった。

しかし、月山街道を越えて庄内に入ると、雷雲が宮城に行ってしまった後で、実家に着いた時には青空ものぞいていた。いつものことだが、私は晴れ男である。

帰郷の目的は、寝たきりの母の見舞いと、介護に奮闘する父の応援である。母の病状はまた少し進んでいて、声をかけてもなかなか反応を示さない。眠っている時間が圧倒的に長くなってしまった。

それから、今回は介護の応援の間を縫って、妻に羽黒山を見せたいと思っている。何度も庄内に来ていながら、羽黒山を見ていないというのはやはりもったいないことだからである。

そう思っていたところ、山形県が出羽三山の世界遺産登録を目指しているというニュースに目が止まった。

その一環で、県は周辺環境の整備や地域の運動を広げるプラン策定を審議する推進委員会委員を公募しているという。委員は山形県内に住んでいることが条件ということなので、私にはその応募資格がないが、県内居住者になんとかがんばっていただきたいものである。

修験道の本拠地として、山岳信仰の文化が色濃く残っているところとして、この地域はとても素晴らしいと思うのである。しかし、その素晴らしさを案外地元の人が理解していない。その独特の文化は、地元の手で常に育てていくという意識を持たなければならないとも思うのである。

外から見ていると、山形県人というのは、自己アピールが致命的に下手である。それは不言実行の素晴らしさにも通じるが、たまには有言実行してくれないと、プロモーションという視点からするとどうにも物足りないのである。

出羽三山の世界遺産登録というのは、客観的にみるとまだまだハードルが高いかもしれないが、これに挑戦する努力は庄内のポテンシャルを確実に高めてくれると思うのである。

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2005/05/25

「庄内力」 ラジオに進出

私は 「庄内力養成委員会」 というサブサイトをもっている。故郷の山形県庄内を思う 「望郷道楽サイト」 である。

「庄内力」 とは、「庄内人と庄内を愛する人の、庄内的アイデンティティに裏打ちされた人格的力」 と定義づけていて、正式な読みは 「しょうないりょぐ」 と訛る。

このほど、このサブサイトが縁となって、山形放送 (YBC)ラジオの 「ドンキーのいいのぉー庄内!」 という番組に電話出演することになった。「いいのぉー」 というのは、「いいねぇー」 という意味である。

庄内弁の語尾には 「のー」 (「の」 「のぅ」 「のぉー」 などバリエーションあり) が必ずと言っていいほどつく。庄内人は、石原慎太郎都知事が推奨する 「ノーと言える日本人」 なのである。

放送日は 5月 28日 (土) で、午前 11時 25分頃から、約 5分間の予定だそうだ。ほんの短い時間だが、電波の届く地域にお住まいの方は、よろしければ聞いていただきたい。

山形放送 (YBC) というのは、田舎にいた高校生の頃までは、よく聞いていたので、懐かしい。しかし、最近は電波の届かないところに住んでいるので、「ドンキーのいいのぉー庄内!」 という番組は一度も聞いたことがない。申し訳ないことである。

何でも、ドンキーさとうさんと、 庄内地区ラジオカーリポーターの佐藤泰子さんの、二人のパーソナリティによって進められる番組らしい。二人とも 「佐藤さん」 で、「佐藤率 100%」 というあたり、さすがに山形である。

ドンキーさとうさんは山形市在住だが、庄内出身ではないらしい。しかし、佐藤泰子さんは庄内生まれということなので、何だか具体的にはわからないが、期待されるところである。

ちなみに、放送当日までに両佐藤さんは、当サイトの 「庄内力チェック」 をして、自分の庄内力を判定しておいてくれるそうである。どんなレベルだろうか。楽しみである。

「庄内力チェック」 は、興味があればトライしてみていただきたいのだが、何しろチェック項目がすべて庄内弁で表記されている。かなり庄内に縁の深い方でなければ、読みこなすことさえ困難を極めるはずだ。

なお、放送当日、私はたまたま酒田の実家に帰っているので、ローカルで放送に参加できる。庄内地区ラジオカーリポーターの佐藤泰子さんにお会いできないかなあ。

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2005/01/20

「かすと」 と 「さんごろぺ」

私は三代同居の家で育ったので、由来もはっきりしない古い庄内弁の飛び交う中で、子ども時代を過ごした。

その代表格が 「かすと」 と 「さんごろぺ」 である。この二つは、悪いイメージの代表格として、子どもを叱る際に、「~じゃあるまいし」 という使い方がされた。

庄内弁には訳のわからない言葉がかなりあるが、よく辿れば大抵は古語の訛りであるとわかる。つまり、いくらチンプンカンプンでも、庄内弁とて日本語の一部なのである。

例えば、驚くことを 「きもける」 という。これは、「肝がひっくり返る」 ということで、つまり、それほどまでにびっくりするということだ。

「もっけだの」 は 「ありがとう」 である。道理のわからない余所者は、「庄内人は、人に何かしてもらうと、すぐに 『儲けた』 なんて、はしたないことを言う」 などと言う人もあるが、これは決して 「儲けた」 の訛りではない。「もっけの幸い」 の 「もっけ」 であり、意味は 「滅多にないこと」 である。つまり、その心は 「有り難い」 と同じなのである。

このように、多くの庄内方言の語源は案外簡単にわかるのだが、「かすと」 と 「さんごろぺ」 (最後の 「ぺ」 は "pe") は、何だかよくわからない。

「かすと」 は、がつがつ食べることを言う。子どもの頃、空腹のあまり息せき切ってご飯を掻き込むと、祖母に 「"かすと" であんめし、もと、よっくりけ!」 ("かすと" じゃあるまいし、もっとゆっくり食え!)  と怒られた。しかし、私が 「"かすと" って何?」 と聞いても、いつも笑って答えてくれなかった。多分、彼女も知らなかったのだろう。

最近、秋田県の本荘由利地域 (庄内のすぐ北隣) の方言をまとめたサイトの中に、「かつと」 という言葉を見つけた。使い方は、庄内弁とまったく同じである (参照)。

このサイトでは、「かつと」 は 「飢人??」 としている。しかし、「飢」 の読みは 「キ」 と 「うえる」 だから、「かつと」 に字を当てるとしたら 「渇人」 の方が正しいだろう。ただ、一般的な古語辞典で引いても 「渇人」 は出てこない。漢和辞典には 「飢人」 があるが、これでは 「かつと」 や 「かすと」 と読み下すのは無理があるし、やはり謎として残る。

さらに謎を呼ぶのは 「さんごろぺ」 である。子どもの頃、着崩しただらしない身なりをしていると、「"さんごろぺ" であんめし!」 ("さんごろぺ" じゃあるまいし!)  と怒られるのだった。これも、「かすと」 同様、意味を聞いても納得のいく回答を得た例しがない。

私は子供心に、「そう遠くない昔、"三五郎平" とか "山五郎兵衛"とかいう名前の、とてもだらしない人がいたのだろう」 ぐらいに思っていた。一説によると、「いつもチンチン丸出しで歩いていた人」 などとも言う。そうなると、知る人ぞ知る 「仙台四郎」 みたいな人だったのかもしれない。

しかし、同じ 「チンチン丸出し」 でも、四郎様は写真まで残るはっきりした実在の人で、仙台では今や商売繁盛の福の神扱いだが、「さんごろぺ」 は実在も定かではなく、ただ単にだらしない人の代表みたいな言われ方で、扱いに差がありすぎる。

ある時、母の叔父 (祖父の弟) が来たとき、さんごろぺを知っているかと聞くと、彼は笑って、「ほほう、いだもんだけのぅ」 (ほほう、居たものだったなぁ) と答えた。ところが、やれうれしやと、どんな人だったかと訊ねても、言を左右にして、具体的なことは何も言わない。要するに彼も知らなかったのだろう。結局 「ウソばっか!」 ということになった。

半世紀近い謎を引きずっていると、どうも夢見が悪い。「かすと」 「さんごろぺ」 関係で有力な情報があったら、メールで知らせていただければ幸いである。

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2004/12/10

ヨン様の像とおしんの像

韓国でヨン様の像を造ったはいいが、悪評紛々で、廃棄されそうというニュースには、かなり笑ってしまった。

しかし、他人事ではない。我が故郷の酒田市でも、以前似たようなことがあったのである。それは、JR 酒田駅前に設置された 「おしんの像」 である。

昭和 58年にスタートした NHK の連ドラ 「おしん」 は爆発的なヒットとなり、酒田は 「おしん ゆかりの地」 として、観光事業も少しは潤ったようである。私も 「庄内出身」 というと、判で押したように 「あぁ、あの 『おしん』 の・・・」と言われたものである。

そうこうするうち、里帰りすると酒田駅前に、「おしんの像」 が建っていたのである。それは子守りをしている少女時代のおしんをかたどったものだったと記憶する。

しかし、これが酒田市民にさんざんな悪評だったのだ。「おしんはあんなにブスじゃない」 というのである。

私はしげしげと眺めたわけではないので、その悪評が妥当なものであったかどうかはしらないが、少なくとも、名のある彫刻家の手によるとかいうものではなく、誰かが 「適当に造っちゃった」 という程度のできだったという印象はある。

そして、何ヶ月後かにその像の首の部分だけすげ替えられて、少しはマシになったというオチまで付いたのだが、その後、その 「おしんの像」 はいつの間にか、うやむやのうちに撤去されてしまっていたのである。そして、後で知ったのだが、その像は、山居倉庫の博物館に終の棲家を得て展示されているようなのだ。(参照

それにしても、あんなに評判を呼んだものを、いともあっさりと表玄関の酒田駅前から撤去してしまうあたり、さすがに移り気で諦めの早い酒田の人らしいエピソードである。

そんなことがあったので、今回の 「ヨン様像騒動」 はあまり笑ってはいけないと思ったのだが、画像をみたら、やっぱり吹き出してしまった(参照)。「おしんの像」 は、まだずっとマシのような気がする。

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2004/11/22

「満月」 のワンタンメン礼賛

同じ山形でも、酒田は蕎麦の街ではなく、ラーメンの街である。蕎麦屋もないではないが、魚介類が豊富すぎるためか、ツユのダシが効きすぎて、せっかくの蕎麦の香りを損なってしまうことが多い。

しかしラーメンでは、すっきりしてコクのある魚貝系スープが、俄然強みを発揮する。

酒田のラーメンで特徴的なのは、ワンタンメンである。高校時代には、単なるラーメンでは腹一杯にならないので、よくワンタンメンを注文していた。酒田のワンタンメンのワンタンは、とても薄く繊細にできていて、そのふわりと溶ける感覚が、コシのある麺とのコントラストで、絶妙の食感を生み出す。

東京のワンタンメンになると、そのワンタンはいかにも 「餃子の皮」 風でかなり興醒めになるのだが。

久しぶりで、「満月」 のワンタンメンを食した。以前からここのワンタンメンはうまいと思っていたが、さらに進化したその姿に、私は感動してしまったのである。

いろいろな具を入れてインパクトを強めたラーメンが全盛を極める中で、酒田のラーメンは、どちらかと言えば 「昔ながらの中華そば」 的な風情を強く残している。しかし、独特の魚貝系スープは、透明感があるすっきり味ながら、しっかりとしたコクがあり、「只者ではない」 感覚を与える。

その上、麺は 「酒田のラーメン屋の 8割は自家製麺」 というだけあって、よく研究されて微修正が効いている。多くは打ち終えたばかりの麺に向かって、合掌礼拝するそうである。