カテゴリー「ちょっといい話」の14件の記事

2008/04/01

登録名にまつわる感動的エピソード

以前、中央線の電車の出発間際に、飛び乗ったことがある。飛び乗った途端に、異次元に迷い込んだかと思った。

満員に近い車内の雰囲気が異様である。状況を理解するのに、少なくとも 3秒かかった。私はどうやら、女子バレーボール・チームの真っ直中に飛び込んでしまったようなのだ。

私の身長は 178センチで、日本人としては間違いなく背の高い方である。人の顔を見上げることあまり慣れていない。ましてや、女性の顔を見上げるなんて、滅多にない。(このあたり、女性蔑視とかいう話とはまったく無関係の、単に物理的な話なのでよろしく)

ところが、その時、私の周囲の若い女性の顔は、ほとんど私の視線と同じレベルか、それより上にあるのだった。「慣れていない状況」 に置かれると、人間の頭はかなり混乱する。私は、わけもなく身の置き場のない思いに囚われてしまったのだった。

それで、ふと大林素子さんのエピソードを思い出した。

女子バレーボール選手はその体格のせいで、人に言えない悩みを持つことが多いそうだ。大林素子さんも、子どもの頃から飛び抜けて長身だったために、周囲の子ども達にからかわれ、大変なコンプレックスを抱いていたという。

しかし、バレーボール選手としての才能を開花させるにつれ、自分が長身であることに自信を持つようになり、コンプレックスが消えたのだという。その間の心の動きは、彼女の自伝 『マイ・ドリーム』 に感動的に記してある。

そしてある日、彼女は親に貰った長身という財産に感謝する意味で、選手としての登録名を変える決意をしたのだった。

彼女の本名が 「小林素子」 であるというのは、ほとんど知られていない。彼女は、選手としての登録名を 「小林」 から 「大林」 に変えることで、幼い頃からのコンプレックスに、最終的な別れを告げたのだった。

登録名を変えてからの彼女の活躍は、広く世に知られるところだ。

ところで、芸能人が芸名を使うのは一般的だが、スポーツ選手が 「登録名」 を使うというのも、それほど珍しいことではない。「イチロー」 は最も有名なケースだが、そのほかにも、姓名判断などで、同じ読み方の別の漢字を登録名にするスポーツ選手は少なくない。

そうした中で、彼女の登録名変更はかなり感動的なエピソードである。

これもまた、いつものエイプリルフール・ネタだろうって? そう思うのは自由だが、彼女の登録名そのものが、元々の本名を語っていることに気付けば、そんな疑いは晴れるだろう。ほら、「大林 もと "コ"」 って。

【4月 2日 追記】

申すまでもなく、エイプリルフール・ネタです。

昨年と一昨年のネタ (参照 1参照 2) は、あまりにも真に受ける人が多かったので、今年は敢えてバレバレにしました。

大林さん、ネタにしちゃってゴメンナサイ。

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2008/01/15

「夜明け」 を巡る冒険 2

夜明けということについて、些細なことだが、もうちょっとだけ書いてみる。「夜明け」 という言葉が、「新しい時代や事物が始まろうとする時」 と、比喩的に使われることがある。

「夜明け前が一番暗い」 と言われるのは、主にこうしたケースで、どん詰まりの状況で絶望しないための、ありがたいレトリックである。

しかし、状況が好転してまったく新しいステージに突入する場合、その直前は決して 「一番暗い」 というわけではなく、客観的にみれば、少しずつ日が射し始めていることが多い。当人がそれに気付かないだけで、状況が一変して初めてそれとわかり、驚いてしまったりする。

実際の夜明けでも、それとちょっとだけ似たようなことがある。夜明けで最初に明るくなり始めるのは、誰しも東の空だと思っているが、実際には違う。反対側の西の空にたなびく雲が、一番先に光を帯び始めることが多いのだ。

それは、再び このページ を見ればわかる。

夜明けの時分は、昨日のエントリーで触れたように、何しろ 「太陽の中心が地平線下七度二一分四〇秒にある時刻」 というのだから、太陽は地平線の下にある。だから、東の空を見つめても、太陽は出ていない。

しかし、その東の地平線下にある太陽から発せられた光線は、天空をよぎって西の空にたなびく雲を下から照らしているのである。だから、日の出の直前の空というのは、東よりも西の方が明るいということが多い。嘘だと思ったら、早起きして確かめてみるといい。

朝になって空がほのぼのと明るくなるのを、今か今かと待ちながら、東の空ばかりを見つめていると、背後の西の空が先に明るくなり始めているのに気付かないのである。一つの方向ばかり見つめて視野を狭めていると、ろくなことがないのだ。

時代の変わるのを待つのも、同じことがいえるだろう。視野は広くしておくに越したことがない。

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2007/08/27

やっぱり無着成恭先生、すごい!

昨日の朝、車で出かけて、いつものように TBS ラジオを聞いていたら、「子ども電話相談室」 に、なんと、あの無着成恭先生が 15年ぶりに回答者として登場されていた (参照)。

先生は大分は国東半島の寺の住職として籠られ、既に 80歳に近づいておられるが、以前と変わらぬ元気なお声であった。

今回の放送は、無着先生のおられる大分と、永六輔さんの待機する東京のスタジオを結んだ二元中継だった。いつもは多弁の永六輔さんも、今回は無着先生をリスペクトして、とても口数が少なくておいでで、もっぱら無着ワールドが展開された思いがした。

それにしても、子どもの質問に対する無着先生の回答は、すごい。並の大人では、とてもああはいかない。

例えば、「どうして、"失敗は成功の元" なんですか?」 という質問が、小さな男の子から寄せられた。

こうした質問に対して、私なら、「失敗して、どうして失敗したのか考え直してみると、失敗から学ぶことができるよね。そして、次からは同じ間違いをしでかさないように注意するようになって、成功に近づけるかもしれないね」 なんて答え方をするだろうと思う。

ところが、無着先生は、ひと味違うのだ。単に 「失敗から学ぶ」 というようなありきたりの答え方ではなく、まず第一に、「これをしようと、"決心する" ことが大切なんですよ~」 と、あの柔らかな山形弁でおっしゃる。

なるほど、目から鱗である。この 「決心」 があって、初めて失敗から学ぶことができるのだ。「決心」 がなければ、せっかく貴重な失敗をしても、何も学ぶことができない。たとえ学んだとしても、それを次に生かすことができない。

私が何度失敗してもコトを成し遂げられないのは、「決心」 が足りないからかもしれない。うぅむ。無着先生は、子どもの質問に答えながら、大人に対しても鋭い考案を発しておられる。

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2007/05/15

亡き母への 「母の日プレゼント」

母の葬儀が 13日に終わり、翌日の月曜日に玄関で片付けものをしていると、宅急便が届いた。「13日の母の日の配達指定でしたが、昨日はお留守だったもので」 という。

包装紙に "Mother's Day" のリボンが付けられている。妹が大分前から手配しておいたプレゼントのパジャマが届いたのだった。

そうか、母の葬儀の日は、「母の日」 でもあったのだと、その時、気が付いた。

家の中で掃除をしていた妹に、「お前と同じ名前の人から、母の日プレゼントが届いたよ」 と言うと、彼女は一瞬絶句して、「早めに手配すると送料無料のキャンペーンだったから、大分前に予約しておいたんだった」 と、改めて悲しそうな顔をする。

私と妻からの母の日プレゼントは、鉢植えの花を手配しておいたが、直前にキャンセルが間に合った。妹のプレゼントは手配したのが大分前のことだっただけに、キャンセルし忘れていたようだ。

ずっと寝たきりの母へのプレゼントなので、パジャマを選んだのだろうが、今やそれを着る体がなくなって、骨壺に収まってしまった。父は、「もう、お前が自分で着るしかないね」 と言う。

思えばこれから先、何年かに一度は、母の命日と母の日とが重なることになるだろう。ちょっと複雑な気持ちである。

とにかく 3日間浮き世と隔絶した暮らしで、ニュースなども全然知らず、浦島太郎みたいになってしまったので、「今日の一撃」 にふさわしいネタが何もない。それで、こんな話を書かせてもらった。

ここから先は、今日も、「和歌ログ」 からの再録。しかし、今日は部分的なコピー & ペーストに止めさせていただこう。それだけ、気を取り直してきているということである。

葬儀に参列してくれた多くの人が、「死んでしまったような気がしない」 「あの笑顔で、今にも語りかけてくれそうな気がする」 と言ってくれた。そう言ってもらえる間は、まだ 「亡くなって」 いるのではない。生きているのだと思える。

思えば、人は、最後には自分以外の人たちの心の中で生きるのである。それだけに、生きているうちに周囲の人を大切にしなければならないなどと、殊勝なことを思ったりする。

そして、母は巧まずして自然にそれをしていたのだなと、感心する。

皐月十三日の歌

人てふは死なぬものなり縁ありし人の心に生き続くれば

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2007/01/11

日本男児の真情溢れるレトリック

1月 8日のエントリーで、永六輔さんがラジオで子供相手に愚痴をこぼされたと書いたが、下手するとそれを 「みっともない」 と受け取ってしまう方もいそうなので、永さんの名誉のために、ちょっとだけ書いておく。

これは、戦前生まれの日本男児独特のレトリックだと思うのだ。

永さんがどんな愚痴をこぼされたのかというと、歳をとって餅をのどにつっかえさせるといけないので、一口大に切って電子レンジでチンしたところ、ふくらんでひっついてしまい、結局、元の大きなもちになってしまったというお話である。「ちゃんと一つずつ暖めなさい」 と、娘さんに怒られたのだそうだ。

これを、永さんは、TBS ラジオの子供電話相談室で、電話をかけてきた子供相手に、「ちょっと、愚痴を聞いてくれる?」 と断ってから話されたのである。

永さんは過日、長年連れ添われたご夫人を亡くし、現在は男やもめ状態であられる。それで、餅をチンするのも、ご自分でやらなければならないのだ。

で、わざわざ子供相手に 「愚痴」 と称して話されたことが、実は、愚痴にこと寄せた亡きご夫人への愛情の表現であると、つい深読みしてしまったのは、私だけではないと思う。

もしかしたら、永さんは子供相手なので、深読みなんかされないと安心して語られたのかもしれないが、どうしてどうして、「子供電話相談室」 には、大人のファンも多いのである。

戦前生まれの日本男児は、妻への愛をストレートに語ることを潔しとしないところがある。それで、とてもとても遠回しなレトリックで真情を吐露することがある。それをわからないと、日本の男というのは何と薄情なのかと誤解してしまいかねない。

歌舞伎の 「菅原伝授手習鑑」 では、松王丸が身代わりとして差し出した自分の息子の死を悲しんで泣くのを潔しとせず、弟の桜丸が忠義を果たせなかった無念を思いやるという口実で大泣きする (必ずしもそうではないという説もあるが) という場面がある (参照)。

私は永さんの 「愚痴」 から、ふと松王丸の大泣きを連想してしまって、今でも亡き夫人を心から愛していらっしゃるのだなあと思ったのであった。

亡き妻へのラブレターとして、絵はがきを毎日投函していらっしゃるというのは知る人ぞ知る話だが、口で言うとなると、こうした遠回しの表現しかされないというのは、まさに戦前生まれの日本男児である。

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2006/06/16

「名前を知る」 ということは

モーツァルトの名曲、「♪ パーンカ パーンカ パカパカパーン ♪」 のタイトルを知ってるかと問われて 「アンネ・フランク・ナホトカ甚句」 と答え、思いっきり蔑まれたことがある。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 と知っていればこそ、ボケかませたのにね。それとも、ボケ方がまずかったのかなあ。

誰でも口ずさめるほど有名な曲なのに、そのタイトルは知られていないというのが、いくらでもある。「曲とタイトルが一致しない」 というやつだ。クラシックやイージー・リスニングの定番に多い。

それと同様に、よくみかける花なのに、名前がわからないというのも、私の場合、かなり多くある。花自体は、あちこちで見かける。花の名前も、歌や詩、小説などに出てきてお馴染みだ。しかし、その花の姿と名前が、まるで一致しないのである。

子どもと一緒に道を歩いていて、「お父さん、あそこにきれいな花があるね。何ていう花なの?」 と聞かれ、「うーむ、花だね」 としか答えられないというのは、なかなか哀しいものである。

私は 「今日の一撃 - Today's Crack」 のほかに、「和歌ログ」 というサイトをもっていて、毎日和歌を一首詠んで、もう 2年半になる。我ながら道楽なことである。

和歌なんか詠んでも、一文の得にもならないが、近頃、「花の名前を覚える」 という副次的効果があることに気付いた。和歌を詠むのに、何でもかんでも 「花」 で済ますわけにもいかないので、いちいち図鑑で調べるようになったためである。

おかげで、誰でも知っている梅とか桜とか、薔薇とか紫陽花とかチューリップとかの他に、木槿 (むくげ) とか薄紅葵とか、ロケットとかローズマリーとか、車輪梅とかいったものまでわかるようになってきた。

おもしろいもので、花の名前を知ると、こちらの名も、花に届いたような気がする。その花と、存在としての命がつながったような実感が湧く。

それで、6月 13日には、駅に向かう道端に生えている小さな白い花を見て、こんなような歌を詠んだ。

名も知らぬ道端の花その名前知れば我が名も花に届くか

出先で、モバイル PC を使ってその歌をアップロードし、家に帰ってから図鑑で調べたのである。その可憐な白い花に、我が名を届かせようと、健気な歌心を起こして。

その花の名は、あっけなく知れた。十薬 (ジュウヤク) というのだそうだ。そして、またの名を 「ドクダミ」 というとわかった。なんだ、あれって、「ドクダミ」 だったのか。

この瞬間、私の名はドクダミに届き、私の存在としての命は、ドクダミとつながった。複雑な気分がした。

とまあ、50歳を過ぎても、ドクダミの花を知らなかったほどだから、和歌はなんとか詠めても、俳句はどうにも苦手である。俳句は 「季語」 が必要で、その中で、季節の花の名前というのは、とても重要な役割を果たしているのだ。

思うに、ほんのちょっと文学的素養があって、その上で花の名前に詳しければ、誰でも立派な俳人になれる。私の知人はよく新聞に俳句を投稿して入選や佳作をとっているが、彼は生物の教師である。知らない花がないくらいのものだから、俳句は朝飯前である。

音楽のタイトルにしても、花の名前にしても、とにかく 「名前を知る」 というのは、とても重要なことだ。たとえば、何度会っても名前を覚えてくれない人がいたら、自分の存在が軽んじられているという気がするだろう。

「名前を知る」 というのは、対象をリスペクトする第一歩なのだ。

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2006/03/23

仏道修行は広く深い

私はこう見えても 「家事をする夫」 である。炊事、洗濯、掃除、ボタン付け等々、一通りの家事は、そつなくこなせる。

とくに、食器などの洗い物は、我ながら感心なものである。私は食事が終わると、ほぼオートマチックに自分の使った食器を流しに運び、ささっと洗ってしまうことが身に付いている。

そのうちに、家族の食べ終わった食器がどんどん流しに運ばれてくるが、それらも私は躊躇することなく洗ってしまう。そればかりではない。私が炊事すると、作り終えた時には、同時に鍋釜も洗い終わっている。その段取りのよさは、はっきり言って妻の数段上である。

禅の公案をまとめた 『無門関』 という書物の第七則に、「趙州洗鉢 (じょうしゅうせんぱつ)」 というのがある。

唐代の名高い禅僧、趙州和尚が、道場の新参者の僧に指導を請われたということが書かれている。

新参僧 「ご指導をお願いします」
趙州  「粥はもう食ったか、それともまだか?」
新参僧 「もう頂きました」
趙州  「そうか、それじゃ、茶碗を洗っておいで」

これだけの問答のうちに、新参の僧は、深く悟るところがあったというお話である。要するに、当たり前のことを当たり前にやれということと伝えられている。(その 「当たり前」 というのが、かなり曲者といえば曲者なのだが)

とりあえず、私も禅宗の坊主の孫なので、自分の使った食器は、さっさと洗ってしまおうと、いつの頃からか心に決めたのである。大げさにいえば、これも仏道修行である。

ところが、私の知人のご主人は、夕食後にさっさと食器を洗うことを、とても嫌われるというのである。芸術家である彼は、夕食後はゆったりとお酒を楽しみたいので、台所からカシャカシャと食器を洗う音がするのは堪らないのだそうだ。

ふぅむ、いろいろなライフスタイルがあるものである。

私は食事の後はさっさと食器を洗うのが、仏道修行であると思っていたが、彼の妻は、さっさと済ませたい食器洗いを先延ばしにして、夫に気持ち良くお酒を飲ますことを優先しておられる。

これは自分の都合だけでワシワシと洗い物を済ませるより、もっとレベルの高い仏道修行といえるかもしれない。「当たり前」 以上のことをしておいでなのである。

仏道というのは、広く深いものである。

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2005/12/28

悲しみを堪え忍ぶ強さ

私はつかみかからんばかりの勢いで、人にくってかかったことがほとんどない。私とて深く憤ったことは何度もあるが、それがあまり直接的に外部に表現されないのだ。

これは東北や新潟辺りの日本海側で育った人間の、共通した性向なのではなかろうかと、東京に出てから気付いた。

世の中には 「喧嘩大好き」 な人がいる。何かというと、すぐに怒り出す人だ。会社などでも、ちょっと上司と意見が食い違うだけで、華々しく喧嘩をする人がいる。店のサービスが悪いといって、ことさらに大声で怒鳴る人もいる。

しかし、私はある意味、そうした声を荒げるような怒り方を知らないのである。これは、生まれた土地の 「土地柄」 とでもいえるかもしれない。

このことを強く感じたのは、昨年の中越地震の時だった。地震被災者たちの、行政の不手際をことさらに責めるでもなく、ただひたすら静かに堪え忍ぶ姿。避難所で何日も過ごし、ストレスが限界に達した状態でも、テレビのインタビューに、まるで他人事のようにポツポツと応える控えめな態度。

それまでひたすら無表情なまでに堪え忍んでいた山古志村の老婆が、崩れた我が家に何十日かぶりで再び訪れた時、初めて大粒の涙を流して泣き崩れた。それは、ご先祖の位牌が泥流にさらわれて失われたと知ったからだった。

自分のことならいくらでも耐えるのに、ご先祖の位牌を失うことは、耐え難い悲しみだったのだ。何というノーブルな人たちだろう。

今回の羽越線特急の脱線転覆事故でも、同じようなことを感じた。事故で怪我をした人、亡くなった方の遺族。皆、驚くほど穏やかなのだ。4月に起きた尼崎の脱線事故の場合と比較しても、その穏やかさは際立っている。

責任を追及して声を荒げることを悪いと言うのではない。それは必要なことである。しかし、私は東北日本海側の血が流れているので、あの穏やかと言えるほどの切々とした悲しみを、より深く受け止めてしまう自分を発見する。

他を圧するアグレッシブな強さではなく、悲しみを内に秘めた、堪え忍ぶ強さ。私の思い描く強さとは、そうしたものだと気付くのである。

【平成 20年 2月 5日 追記】

大分立ってからの思い出したような追記で恐縮だが、この事故の関連で、次の記事も参照されたし。

羽越線脱線事故・外伝  (同年 4月 14日)

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2005/12/15

「パパのウンコ」 再録

昨日、「知のヴァーリトゥード」 トップページのアクセスカウンターが、おかげさまで、めでたく 12万を超した。

14日は、午後にニフティがサーバ・メンテナンスを始めてしまって、閲覧できない状態だったため、どうかなと思ったが、終わってみれば、何のことなく夕方には達成していた。

近頃では、4時間近くアクセスできない状態になったとしても、1日のアクセス数がユニークで 100を下ることは滅多にない。さらに、ブログの "Today's Crack" の方も合わせたら、確実にユニークで 300以上のアクセスを集めるようになった。

つまり、私のテキストは毎日 300人以上の目に触れているわけである。夢のような話である。こうなると、1日のアクセスがせいぜい 20とか 30とかの時期に書いたテキストが、過去ログの中に埋もれているのがもったいないような気がすることがある。

私は同じネタを 2度書かない主義でこれまで来たのだけれど、こうして 3年半以上も毎日更新していると、似たネタというのは何度か出ている。ならばいっそ、復活ネタがあってもいいのではないかと思うようになった。

以前書いたネタで、もう一度より多くの読者に紹介してみたいという衝動に駆られるのは、何といっても一昨年の 2月 10日に書いた 「パパのウンコ」 である。当時は 1日のアクセスがやっと 30を越えた頃だ。今来てくれる 10倍の読者に、是非とも改めて読んでもらいたいのである。(以下、再録)

先日、上野駅のトイレで用を足していたら、小さな男の子を連れた若いオトウサンが飛び込んできて、「大」 の方に入り、ドアをバタンと閉めた。

取り残された男の子は、心細そうに 「パパァ」 と呼びかけた。

パパは 「大」 の中から、
「すぐ出るから、そこで待ってなさい」 と応えた。

すると、小さな男の子は、
「パパァ、すぐになんか出なくていいよぅ。ちゃんと一杯ウンコするんだよ。ゆっくり、一杯するんだよぅ」 と健気にも呼びかけたのだった。

周り中、とてもほのぼのとした雰囲気に包まれた。

この子は、きっといつもママにそう言われているのだろう。「大」 の方に入ったら、きちんと一杯ウンコをするのがいいことで、それをちゃんと外で待っているのが 「優しさ」 だと感じているのだ。

だから、見知らぬ場所に取り残された心細さを我慢してでも、パパが一杯ウンコをするのを待っていなければならないと思ったのだ。きっと優しいいい子に育つだろう。

いかがだろうか。私が是非とも再録したくて堪らなかった気持ちが、少しでもおわかりいただけただろうか。

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2005/11/03

方言ブームと 「もっけだ」 の意味

どこの国の言葉でも、感謝を表す言葉は美しい。「ありがとう」 は、日本語で最も美しい言葉の一つである。

さらに、「ありがとう」 より美しい感謝の言葉として、私は庄内弁の 「もっけだの」 を挙げたいのである。「もっけだの」 は、「ありがとう」 以上に豊富なニュアンスを含んでいる。

今年の 1月 20日の当欄で、私は次のように書いている。

「もっけだの」 は 「ありがとう」 である。道理のわからない余所者は、「庄内人は、人に何かしてもらうと、すぐに 『儲けた』 なんて、はしたないことを言う」 などと言う人もあるが、これは決して 「儲けた」 の訛りではない。「もっけの幸い」 の 「もっけ」 であり、意味は 「滅多にないこと」 である。つまり、その心は 「有り難い」 と同じなのである。

つまり、私は 「もっけだの」 (語尾の 「の」 は、共通語の 「ね」 とほぼ同じ) が 「ありがとう」 と同じであると書いたのだが、実際は、イコールではない。厳密に言えば少し違ったニュアンスがある。

確かに、庄内人は、人に感謝してお礼を言うとき、「あいや、もっけだちゃ、もっけだちゃ、本当で (本当に)、ありがどのぉ (ありがとうね)」 なんて言うことがある。「もっけだ」 と盛んに感謝を述べつつ、最後にまた 「ありがとう」 とだめ押しをする。

「ありがとう」 という言葉が、自分が主体となって相手に感謝の意を表すというニュアンスが強いのに対して、「もっけだ」 は、あくまでも相手が主体で、まず相手側の 「もっけ (希有)」 であるところの好意を立てる。その好意に対するねぎらいという意味合いが勝っているのだ。

庄内人はまず第一に、「もっけだ、もっけだ」 と言うことで相手をねぎらい、その次に、「ありがとう」 と言って、自分側からの感謝を表すという態度表明をするのだ。先に相手があり、次に自分を出す。なんと控えめで奥ゆかしいことであろう。

ちなみに、「もっけだ」 には、もう一つ別の意味合いがあり、「済まない」 という恐縮の意を述べる際に使われる。「あの時は済まなかったね」 というような意味合いで、「あん時だば、もっけだけのぅ」 と言うのである。

大変に恐縮する時には 「大 (おお) もっけだけのぅ」 なんて言う。この場合も、「ごめんね」 と、許しを請うているわけではなく、ただひたすらに、相手が堪えてくれたことや、好意でしてくれたことに対する恐縮と感謝の意を表しているのである。

かくも率直で、しかも我欲を表に出すことをよしとしない高貴な文化の土地に生まれ育ったことを、私は誇りとするものである。

近頃、方言がブームだという。共通語だけでは表しきれない陰影に富んだニュアンスを伝えることで、日本語がより深く豊かになるのであれば、それはいいことだと思っている。

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2005/10/24

「はに丸」 で死にかけた話

「死ぬほど苦しい」 という経験をしたことがあるだろうか? 20代から 30代にかけて、合気道をやっていた頃は、「口から心臓が飛び出しそう」 というほどの猛稽古もしたが、決して 「死ぬほど」 ではなかった。

本当に 「死ぬかと思った」 のは、以前、「はに丸」 を舞台で演じたときである。

「はに丸」 をご存じだろうか? 昭和 58年から 63年まで、NHK 教育テレビで放送された子ども番組のキャラクターで、姿形は 「埴輪」 そのものだった。どんなのかは、こちら をクリックすれば見ることができる。

我が家の娘達がまだ幼稚園や小学校に通っていた頃、町の 「子供劇場」 というのに加入していた。毎月 1度、プロの劇団が巡業してきて、子供向けのお芝居を見せてくれるのである。

いつだったかは正確に覚えていないが、その月は、テレビでお馴染みの 「はに丸」 が町にやってくるというので、子供たちは前々から盛り上がっていた。しかし、そこにはある趣向があった。

「はに丸」 を演じるのは、劇団員ではなく、地元のお父さんだというのである。そして、なぜか私に 「はに丸役」 の白羽の矢が立った。まあ、そこは芝居心がないわけじゃない私である。軽い気持ちで引き受けた。

子供劇場の本番当日、私は会場となる小学校の舞台裏で、劇団の担当者と挨拶を済ませた。「台詞はありませんし、とくに演技も要りません。舞台に立っ て、子供たちと一緒に、簡単なクイズの答えを指さしてくだされば結構です」 という。なんだ、やる気満々の私には拍子抜けである。

さて、舞台が始まった。「はーい、よい子の皆さん、こんにちはぁ! 今日は、みんなの町に、はに丸くんがやってきたよぉ!」 という声に、子供たちが無邪気に反応しているのが聞こえる。いよいよ、私も 「はに丸」 に変身である。

両手両脚は、それぞれが固いボール紙の筒である。それを肩から紐で吊って、ずり落ちないようにするのだ。両脚はギプスのようになって、膝がまったく曲がらない。ちょっと不安な感じだ。

さらにその上から胴体を着けると、腰もあまり曲がらなくなり、肩も固定されて、肘から先しか動かせなくなる。そして、最後に顔の部分をかぶる。

これをかぶると、「はに丸」 の顔は私の胸の辺りにあるのだが、私自身の顔は、狭い 「兜」 の部分に辛うじて収まっている。視界は細い隙間で僅かに確保されているだけなので、足許すら見えない。ますます不安な感じだ。

その上、顔の周りの空間が狭く、ものすごく息苦しい。なるほど、これほどの不自由さでは、大した演技はできそうにない。テレビで見る本物とは違って、全体的にかなりいい加減な作りである。

劇団員はこれらをすべて私に着せ終わり、出のきっかけを再確認すると、「それじゃあ、よろしくおねがいしまぁす!」 と言い残して、どこかに消えてしまった。私は不自由な 「はに丸」 姿のまま、一人取り残されてしまったのである。

まったくもう、ゲスト出演者に対する扱いじゃないなあ。ただでさえ不安な感じなのに。

だんだん出番が迫ってきた。私は狭くゴタゴタした体育用具室を通って、恐る恐る舞台袖に移動した。視界が狭いので、つまずかないように歩くだけで大変だ。一度転んだら、両膝が曲がらないので、起きあがる自信がない。本来なら、介添えが欲しいところだ。

用具室から舞台袖に上がるには、移動式の階段があったはずだ。しかし、狭い視界から必死に探しても、その階段がない。おいおい、誰が片づけてしまったんだよ!?

階段を一人で上ることすら不自由だろうと、ある程度の覚悟はしていたのである。それなのに、その階段もなしに、胸の高さの舞台に自力で上れというのか。これがゲスト出演者に対する仕打ちか?

この扮装は一度身に付けてしまうと、肘から先が動くだけなので、自分では頭の部分が脱げない。頭が脱げないと、他のすべてのパーツも脱げないという構造なのだ。もし何とか脱げたとしても、今度は自分で着られない。ということは、このままの姿でよじ登るしかない。

しかし、肘から先しか動かない両腕と、膝関節がまったく動かない両脚を使ってよじ登るというのは、とてつもなく辛い。しかも、常時酸欠状態なのである。

必死の思いでくらいつき、体を横にして、なんとか舞台上に転がり込むことができた。しかし、もはやこれまで。今度は、膝が曲がらないので立ち上がれないのである。横になったまま、小さな兜の中で呼吸困難になり、金魚のように口をパクパクさせてあえぐばかりなのだ。

うつろな意識の中で、出番がどんどん迫ってくることだけがわかる。ああ、こうしてはいられない。奇妙な埴輪の姿で立ち上がろうと、必死にもがく私。

何度もいうが、膝が曲がらないし、腕も肘から先しか動かせない。その上、呼吸困難の酸欠である。これで、立ち上がれというのは、元々が無茶である。ああ、頭がガンガンする。意識が遠のく。「はに丸」 を演じるのが、こんなに超肉体労働だったとは知らなかった。

そこからどうして立ち上がれたのか、自分でもよく覚えていない。気付いてみると、私はびっしょりと冷や汗をかきながらも、辛うじて立ち上がっていた。奇跡だぜ! しかし、それはまさに出番ギリギリのタイミングだった。

「さぁ、みんなで、はに丸くんを呼ぼう!」  お兄さんの声が妙に遠くから聞こえる。ああ、お願いだ。まだ呼ぶな。やばいのだ。完全に酸欠状態で、あえいでもあえいでも、酸素がちっとも肺に入ってこない感じなのだ。もうちょっと時間をくれ。今動いたら、吐きそうだ。

しかし、舞台はこちらの気も知らず、容赦がない。お兄さんが 「はに丸くーん!」 と呼ぶと、今か今かと舞台を見つめる子供たちの声が、どっとばかりに押し寄せてきた。

「はぁにぃまぁるぅくーん!」

ああ、この無邪気な、しかし残酷な呼び声を、どうして裏切ることができようか。私はゼイゼイいいながら舞台に進み出たのである。心臓はバクバクだが、その鼓動はほとんど空しいあがきだ。神様、もっと酸素をください、酸素を!

舞台に登場すると、そのフラフラした歩きが、図らずも芝居っ気たっぷりに見えたらしい。子供達の歓声で、どっと受けたのがわかった。アホか、吉本新喜劇じゃあるまいし。しかし、受けてしまうと、私は弱い。気が遠くなりながら、つい 「ノリ」 の虫が騒ぐ。

「はに丸くん、早くこっちにおいでよ!」 お兄さんから声がかかる。

「無理言うな! こっちは死にそうなんじゃ!」  しかし、思いとは裏腹に、私は、体全体でうなずきながら、両手を振って客席に挨拶している自分自身に気付く。何なんだ、これは!

舞台の進行とともに、私の体はなぜか本能的に反応して、ウケを取ってしまう。朦朧とした頭でクイズに答え、「正解!」 なんて言われると、精一杯のガッツポーズさえ決めてみせる。

悲しい。悲しすぎる。誰がそこまでしろと言った? 兜の中では、今にも吐きそうなのに。

ああ、テレビで無理難題を必死にこなすお笑い芸人の気持ちがわかる。切ないほどよくわかる。

しばらくすると、ようやく少しは息が整ってきた。しかし、その頃には出番は終わりで、お兄さんが、「はに丸くん、ありがとう。それじゃ、またね」 なんて言っている。おいおい、もっと何かやらせろ!

「さあ、みんなで、はに丸くんにさよならを言おう!」 何だ、死にそうなところを無理矢理呼び出しておいて、ようやく生き返って調子の出かかったところで、引っ込めと言うのか?

「さよぉならぁ!」 元気な声に見送られて、私は渋々手を振りながら舞台の袖に戻った。そこには劇団員が二人も待っていて、降りるのを手伝ってくれた。お前ら、降りるときにいて、上るときに消えてたとは、見上げた了見だ。さては、ゲスト出演者を殺す気だったな!

兜を脱いだ私は、見事に顔面蒼白だったが、誰もその理由を理解できなかった。

「今日の 『はに丸くん』 は、とっても演技派で、素晴らしかったですよぉ!」 劇団員は口々に言ってくれた。

冗談じゃない。それは演技派以前に、体力の勝利だったのだ。他の運動不足で軟弱なお父さんだったら、病院で白目剥いて点滴受けてるところだったぞ!

その時のステージを見ていた長女は、「あのはに丸、ウチのお父さんなんだよ、なんて言いながら見てたけど、そんな、死にそうだったなんて、全然気付かなかったよ!」 と、今でも言う。

そうとも、私は不屈の役者根性で、生命の危機を乗り越えたのさ。ふんっ!

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2005/07/11

「もったいない」 という言葉

近頃、にわかに 「もったいない」 という日本語が脚光を浴びている。ケニアの女性環境保護活動家のワンガリ・マータイさんが、来日した時に感銘を受けた言葉として、世界中に広めようとしておられる。

Mottainai Tシャツ」 なんてものまであって、私も 1着欲しい。

確かに 「もったいない」 という言葉は貴重な言葉である。私は外国語は英語しか知らないが、少なくとも英語では 「もったいない」 という言葉のニュアンスをちゃんと表現する言葉がないと思う。

辞書を引くと、確かに "wasteful" とい単語が出てくる。"Waste" というのは 「浪費 (する)」 とか 「廃棄物」 という意味で、"wasteful" は、そこから派生した形容詞である。「浪費的」 とは、どちらかというば論理的な言葉だ。

"What a waste!" という英語はよく使われるようで、「もったいない」 に最も近いかもしれない。しかし、何となく無駄遣いしてしまったものに対する結果論的なニュアンスがある。

それに対して 「もったいない」 は無駄遣いする前に戒める言葉という側面があるように思える。そして、論理的と言うよりは観念的で、 「思い」 から発する言葉である。

日常生活では、人は時として論理を裏切る。私も、「こうすればうまくいく」 というのがわかっているのに、腰があがらなかったりする。しかし深い 「思い」 というものは、なかなか裏切ることができない。「もったいない」 を深い思いとすれば、環境破壊は少なくとも減速される。

そんなことでうまくいくものかと言う人もあるだろうが、私はそこまで人間に失望してはいない。

ところで、「もったいない」 というのは、「勿体ない」 である。「勿体」 とは、Goo 辞書では、以下のように出てくる。

(1) 態度などが重々しいこと。威厳があること。
 「―がある」
(2) 態度や品格。風采。
 「遣手にしては―がよし/歌舞伎・助六廓夜桜」

「もったいぶる」 とか 「もったいをつける」 などというと、嫌らしい意味になるが、本来はいい意味の言葉のようだ。ところが、この意味で 「勿体ない」 というと、「威厳がない」 ということになってしまう。

日本語の 「もったいない」 は、この直訳的流れではなく、言外の深い意味合いがありそうだ。それは、「そのもの本来の威厳 (価値) が生かされない」 ということで、それを惜しむというニュアンスなのだろう。

ところで、私の持っている三省堂の携帯新漢和中辞典には、「勿体」 は 「物体」 とも書く (読みは 「もったい」 のまま) とある。「物体」 は、近代では 「ぶったい」 の読みになって、物理的な 「もの」 という意味となった。

ここからのインスピレーションで、『般若心経』 の 「色即是空、空即是色」 が浮かんでくる。

宇宙の全ての現象 (「色」) の真の姿は 「空」 であるが、その 「空」 とは決して 「虚無」 ではなく、「空」 の現れとして 「色」 があるのだから、現象の姿の深奥に宇宙の本質はうかがわれると、釈尊は説かれている (と、私は解釈している)。

「物体」 は、「もの」 の姿をしてこの世に現れているが、単に 「もの」 というだけではなく、その本質は仏の慈悲の顕れなのだから、あだやおろそかにはできないというわけだ。

なお、昨年に書かれた記事のようだが、紐育日記の "「もったいない」 に込められた気持ち" にトラックバックさせていただいた。

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2005/03/21

名曲喫茶 「クラシック」 の閉店

東京中野の名曲喫茶 「クラシック」 が、今年 1月末、「閉店しました」 という 1枚の貼り紙を出したきり、75年の歴史に幕を閉じたという。(参照

ここ 20年以上も行っていないが、とても残念な気がする。何しろ、私の妻
がこの店でバイトをしていたのだ。

もう 30年ほど前の話である。私たちはこの店によく出入りしていた。早々と大学を中退し、絵の勉強をしようとしていた彼女は、クラシックの雰囲気が格段に好きだったようで、ある日、マスターの故・美作七朗氏に掛け合った。

「私を使ってくれませんか?」
「あぁ、あんた、良さそうだから、明日からおいで」

たったこれだけの会話で、彼女は翌日から、かの伝説の名曲喫茶の店員になってしまったのだった。

妻は美作氏に結構気に入ってもらっていたようである。ある日、当時私が住んでいた国分寺の駅近くを一緒に歩いていたら、美作氏に出会った。彼はあちこちの友達を訪ねて、ほっつき歩くのがお好きだった。

その日は、彼の友達の経営する飲み屋に連れて行ってもらい、一緒に酒を飲んだ。いつもクラシックの店の奥にゆったりと座っておられる風情を崩さず、淡々とした飲みっぷりだったが、ビールの銘柄だけは 「キリンのラガー」 に情熱的に固執しておられた。

そのマスターも平成元年になくなられたと風の便りに聞いたが、店はまだ続いているという話だった。

ついにその 「伝説」 にも終止符が打たれたわけだが、その途中にささやかながら関わりをもってしまった我々は、このニュースを読んで、とてもしんみりとしている。

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2004/12/01

サンタクロースは本当にいる!

ついに今年も 12月である。12月と言えばクリスマス。私のサイトのあるページへのアクセスが急増する季節である。

それは、「知のヴァーリトゥード本場所」の37番目のコラム、「サンタクロースは本当にいる!」 というページ。このサイトで、最も美しい言葉のページである。

このページは、我ながらちょっとしたものなのである。Googole で検索すると、「サンタクロース」 「本当にいる」 の2つのキーワードで、965件中の 1位。ちょっとだけひねって 「サンタクロース」 「本当にいるの?」 でも、622件中の 1位である。だから、これら 2語のキーワードでググッたら、たいていは私のところに来てくれることになっている。

内容は実際にリンク先に行って読んでいただければいいので、あえて繰り返さないが、要するに、「サンタクロースは本当にいる」 ということを、子供にどう説明したらいいかを書いている。単に 「夢の世界」 で信じろというのではない。本当に 「愛の波動」 として存在するのだということを言いたいのである。

常にはひねたことばかり書いている私だって、たまにはこのくらいの純なことも書けるのである。

「サンタクロースなんて、嘘っぱちだよ」 なんて、うそぶいている人がいたら、どうか考えを改めていただきたいのである。決して嘘っぱちなんかではないのだから。

 

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