カテゴリー「ちょっといい話」の29件の記事

2014/08/01

童話 『おおきなかぶ』 の教訓

"童話 「おおきなかぶ」。あの巨大カブが抜けなかった理由" というのが、一部ネット界隈で話題になっている。Twitter で ことぶきや さんという方が、「【おおきなかぶ】 抜けない理由がシジイに有ることが判明」 と tweet されたのが発端だ。

Ihttps://pbs.twimg.com/media/Btv75CVCIAEjEEk.jpg

福音館書店発行のロングセラー絵本 『おおきなかぶ』 をみると、確かに、最初にかぶを抜こうとしたじいさんが、かぶそのものに足を乗せて葉を引っ張っているのがわかる。なるほど、これでは抜けるわけがない。

この絵本、我が家でも子供たちが小さな頃に読み聞かせしていたのだが、さっき探してみたところ、どうしても見つからなかった。読み聞かせていた頃は、「この絵は、ちょっとまずいよなあ」 と思いつつ、子供たちにツッコミをいれられないか、ちょっとヒヤヒヤものだった記憶がある。

幸か不幸か、我が家の娘たちは誰もツッコミをいれなかったが、成長した今になってこの絵本を読んだら、確実に 「このじいさん、ちょっとおばかだよね」 と言い出すに違いない。

とはいいながら、じいさんの後から引き抜きゲームに参加した連中にしてみれば、じいさんをくっつけたまま、まるごと引っこ抜いてしまえばいいわけだから、最後まで抜けないという理由にはならない。このじいさんはちっとも役に立っていないだけで、自らは地面に固定されているわけじゃないので、「絶対に抜けない状況」 を作っているわけじゃないのだ。

作業の阻害要因としては、自分の体重分だけ重くしちゃってることと、後ろから引っ張る連中が真横に引っ張るしかなくなって、ベクトル的に効率的な作業ができなくなっているという点である。確かに、「ちょっとおばか」 には違いない。

それでも最後にはこのじいさんも、ようやく自分の足が邪魔しているということに 薄々ながら気付いたらしく、かぶにかかっているのはつま先程度になっている。これなら、むしろ支点として作用するかもしれない。さらにネズミにまで加勢を頼んで、ついに抜けてしまうのだから (参照)、結果オーライとしておこう。

この童話の教訓は、次のようなことである。

【教訓 その 1】
そもそもじいさんは、かぶを必死に引っ張るのでなく、かぶの周囲から掘り起こせばよかったのだが、そこに気がつかなかったために、大変な手間がかかった。このように、プロジェクトに最初にトライした人間がちょっとおばかだと、解決するのに大変な手間がかかる。事前の検討は、非情に重要である。

【教訓 その 2】
とはいえ、最初の方向性が多少 「おばか」 だったとしても、人海戦術という 「力技」 で対処すれば、なんとかなることもある。もしかしたら、あれこれ考えているよりも手っ取り早かったりするかもしれない。収拾が付かなくなるリスクも大きいが。

【教訓 その 3】
本来は天敵であるはずのネコに頼まれたネズミまで、この引っ張り作業に参加しているというのは、ちょっとほろりとさせるものがある。争いよりも協力が実り多いものになる。

【教訓 その 4】
最後の最後にネズミが加わったことで、ようやくかぶが抜けたということは、「あともう、ほんの少しの力」 で達成されることがあるということを示す。ものごとがうまくいくか、いかないかの分岐点は、かくまで微妙なものである。それゆえ、最後まで諦めてはいけない。

【教訓 その 5】
それにしても、このかぶの葉っぱの丈夫さは尋常じゃない。

以上。

おまけとして、この絵本の読み聞かせ動画をどうぞ。

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2013/12/19

サンタクロースは、本当にいるんだってば

今年も私の運営するサイトの中で最も美しいページに、アクセスが急増する時期になった。それは "サンタクロースは本当にいる! クリスマス・イブは、「大きな愛」 を知るチャンス" という 10年前に書いたページである。

「サンタクロースって本当にいるの?」 と子供に聞かれて返事に窮したら、どうぞこのページにアクセスしてみていただきたい。

自分で読み返しても、浮世の垢にまみれたオッサンが、よくもまあこんなに素敵なことを書けたものだと、感動してしまう。このページに日本全国からアクセスしてくれる人がいるだけでも、サイトを運営する甲斐があるというものである。

このページ、普段は 1日に数件のアクセスしかない。ところが毎年 11月半ば頃からじわじわと増え始め、今年は 12月に入ってから、1日に 300件以上のアクセスを記録し始めた。先週の土曜日からは 500件/日を越し始めたから、もしかしたら今週末からの 3連休は、1000件/日ペースになるかもしれない。

試しに 「サンタクロース/本当にいるの」 の 2語のキーワードでググってみたら、私のページがめでたくも、約 955万ページの中でトップにランクされている。「サンタクロース/本当にいる」 の 2語でも、同様の結果だ。3年前は 169万ページのトップだった (参照) から、同じトップでも重みが違う。ありがたいことである。

3年前の記事では、このページへのアクセスが一時ほどではなくなってきて、12月になっても 3桁のアクセスがないというようなことが書いてあるが、今年はまた増えていて、3年前のおよそ 3倍ペースのアクセスがある。ありがたいことである。

昨夜、出張からの帰り道、常磐線の快速電車に揺られていたら、近くに座っていた若いサラリーマンの 2人組が、こんな会話をしていた。

「子供のクリスマス・プレゼントって、早目に買うと隠し場所に困るよね」
「え? でも、まさかサンタクロースなんて、もう信じてないでしょ?」
「いや、下の子はまだ信じてるよ」
「へえ! 今どき、純真だねえ」

私は 「まさかサンタクロースなんて、もう信じてないでしょ?」 という若いお父さんの発言を聞いて、ちょっと悲しくなったのであった。家に帰って、私のページを読んでくれないかなあ。ちょっとググれば必ずヒットするんだから。

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2013/11/23

自分ではゴミを拾えないゴミ箱ロボット

ICD Lab が、自分ではゴミを拾えないゴミ箱ロボット ”Sociable Trash Robot" というのを紹介している。このロボットは豊橋技術科学大学の岡田研究室で 「チープ・デザイン」 というコンセプトに沿って開発された。ゴミ箱の役割はするけれども、ゴミを拾うためのアームなんていうのは装着せず、拾う作業は人間に任せるのだそうだ。

ビデオを見ると、ゴミ箱ロボットはゴミを見つけるとよたよたと頼りない足取りで近づき、拾ってくれるように周囲にいる子供に頭を下げてお願いする。子どもたちは、初めは戸惑っている様子だが、恐る恐るゴミをぽいと捨てる。その様子がなかなか可愛らしい。

ここで可愛らしいと言うのは、子供たちの様子だけではなく、ゴミ箱ロボットそのものも、なかなか可愛らしいのである。このロボット開発は、「弱さを通じて生まれるコミュニケーション」 や 「共生」 への注目から生まれたという。なかなか面白い。

ちょっと心配になったのは、乱暴な子供がロボットを蹴飛ばしたり倒したりしてしまわないかということだ。「弱いものいじめ」 の現象が生じたら、「共生」 のコンセプトが阻害されてしまう。

しかしビデオの最後に登場した子供は、ついロボットを倒してしまうが、考え直して助け起こしてあげるのである。この様子をみて、「これはイケル!」 と思ってしまった。

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2011/03/14

#thanktheworld 日本はちゃんと世界とつながっている

私はこのブログとともに、「和歌ログ」 という酔狂な文芸サイトを持っていて、三十一文字を毎日更新している。そして近頃、この三十一文字を英語に訳して添えるなんて、さらに酔狂なことまで始めている。

この英語に訳した歌は Twitter にも投稿していて、ハッシュタグはあえて "#tanka" ではなく "#haiku" としている。つまり、短歌の形式の歌を詠んでいるのに、それを英訳したのは、自分では "haiku" (俳句は英語でもこういう) と位置づけている。英語にしてしまうと、ちょうど英語の "haiku" というにふさわしい長さになるからだ。

さすがに毎日のように英語の "haiku" を Twitter 上にも紹介していると、いつの間にか外国人の何名かが注目してくれるようになった。中でも Wendy o_O さんは "Haiku Today" という Twitter 新聞を運営していて、その中に時々、私の haiku も取り上げてくださるようになった。

そのWendy o_O さんが、地震と津波で大変な困難に遭っている日本のために祈ってくれている tweet を見て、今 Twitter 上には #prayforjapan というハッシュタグがあることを知り、世界中の人たちが日本のために祈ってくれているのだということがわかった。

さらに、SandyinBerlin さんの Haikus for Hope: to Japan from the World (希望の haiku: 世界から日本へ) というサイトには、世界中から日本を応援する haiku が寄せられている。私の haiku もビデオページで取り上げてもらった (参照)。

大変ありがたいことである。日本は決して孤立していない。世界とつながっている。私は彼ら/彼女らの祈りに感謝するために #thanktheworld (ありがとう、世界!) というハッシュタグを作って tweet するようにしている。できたら皆さんも、このハッシュタグで感謝の意を発信していただきたい。

思えば、最も日本的なことをしていながら、ふと気付くと世界につながっている自分がいることを知って、私は勇気づけられ、不思議な気持ちになっている。沈み込んではいられない。

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2010/12/24

庄内浜では 「小さなおじさん」 がハタハタ釣りをしている

我が故郷、酒田の海岸には、借り暮らしの 「小さなおじさん」 がいると、一部で大評判になった。庄内日報という地方紙の記事に載った写真にそれがはっきりと映っているのである。遠野には座敷童がいるのだから、庄内浜に 「小さなおじさん」 がいても不思議はないが、地方紙とはいえ、新聞に堂々と登場したのは今回が初めてだろう。

百聞は一見にしかず、こちら を見てもらえればわかる。 一番上は鶴岡の第九コーラスの記事だが、その下に "来た!ハタハタ第一陣 酒田北港 太公望 「さお釣り」 で勝負" という記事があり、その記事に添えられた写真の左下に、岸壁でハタハタ釣りをする 「小さなおじさん」 が、はっきりと映っている。(写真そのものへのリンクはこちら

なにしろ、土地柄が土地柄である。何があってもおかしくない陸の孤島、庄内のお話だ。「小さなおじさん」 が庄内浜に出てハタハタを釣っていても、ちっともおかしくない。ちっともおかしくないどころか、珍しくもなんともないことなので、新聞記事では 「小さなおじさん」 のことについては一言も触れられていない。

犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになると言われる。いや、最近では犬が人を噛んでもニュースになることがある。庄内浜では、小さなおじさんがハタハタ釣りをするのは、犬が人を噛むよりも、さらに珍しくもなんともない日常風景なのだ。

もっとも、よく見ると、手前の大きく映った人たちは、岸壁と海を隔てる高いコンクリート塀の狭い縁に乗っていて、「小さなおじさん」 は、その塀の下の遠くの方で釣っているように見えないこともない。後ろに停められている自動車の大きさと対比してみると、それがわかるようにも思える。

いや、しかしそれはうがちすぎた見方である。やっぱり、庄内浜には小さなおじさんがいて、ハタハタ釣りをしているのだ。なにしろ庄内のことだから。

【25日 追記】

2ch に  「秋田県で小人が魚釣りをする貴重な写真が発見され」 とか、「秋田県で小人が発見されたらしい」 とかいうスレッドが立っている。スレ主は秋田県と山形県の区別ぐらい確認して欲しかったなあ。

それに、秋田県に行ったら、小さなおじさん程度のものじゃ済まないのが生息しているんだから。

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2010/12/04

「サンタクロースは本当にいる」 というページ

私の本宅サイトには、毎年この時期になると、急にアクセスの増えるページがある。私のサイトの古くからの読者ならもうご存じと思うが、「サンタクロースは本当にいる」 というページだ。「サンタクロース/本当にいるの」 という 2語でググルと、本日現在、このページが 169万件のトップにランクされている (参照)。

このページは、私のサイトの中でも最も美しい言葉で書かれていて、口はばったいが、書いた自分が読んでも心が洗われるような気持ちになってしまう。私の中にも、こんなに純真っぽいところがあることに、我ながら驚いてしまったりもする。

毎年 12月の声を聞くと、このページへのアクセスが 1日に軽く 100件とか 200件を越える日が続き、クリスマス直前には 300件以上になったりするのだが、どういうわけか今年はちょっと少ない。今月に入ってからはまだ、90件を越えた日がないのである。これはちょっとした異変だ。

まあ、既に多くの人がこのページを読んでしまったので、今さら読み返す必要がないということも考えられる。なにしろサイトにアップロードしたのが 7年も前で、5年ぐらい前からは 12月になると毎日かなりのアクセスを集めてきたのだ。少なく見積もっても、既に 2万人以上の人に読んでもらっていると思う。

日本列島に 1億人以上の人がいても、わざわざネットで 「サンタクロースは本当にいるの?」 なんて調べ者をする人は、そう多くないだろう。そろそろ飽和状態 (?) に近づいているのかもしれない。

それから、近頃は不況のせいもあって、クリスマスでそんなに盛り上がるという雰囲気でもなくなっている。自然、「サンタクロースは本当にいるの?」 なんて浮世離れした検索をする人も減っているのだろう。

とはいいながら、私としてはこのページを大切に守っていきたいと考えている。個人的な思いとしては、宝物のようなページなのだ。

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2010/03/24

近頃靴の防水性がよくなった

今日は朝から雨降りである。家を出てくるときはほんの小糠雨で、傘を差す必要もないぐらいだったが、東京都内についた 9時半頃からは本降りになった。昼になっても、ちゃんとした大粒の雨が降り続いていて、傘なしでは外を歩けない。

雨が降るたびに思うのだが、近頃、靴の防水性が良くなってとてもありがたい。そんなに高級な靴を履いているわけでもないのだが、かなりの大雨で道路が水溜まりだらけになっても、靴の中まで雨が浸みてくるなんていうことは滅多にない。安心して歩ける。

昔は、まともな雨の中を歩くと、革を通して水が浸みてきて、靴の中がグッポングッポンになってしまったものだ。そこまでいかなくても、靴下がびしょびしょになるのはしょっちゅうだった。近頃、そうしたことが絶えてなくなったのである。

子供の頃は革靴なんか買えなかったから、大抵ズック靴である。あれは単なる分厚い布だから、雨が降ったらびしょびしょになった。だから、雨の時はゴム長を履いたものである。ゴム長でも、ズボンがびしょ濡れになるような大雨だと伝って下に降りてくるから、まさにグッポングッポンの水浸しになった。

時が下って、学生時代になる。革製のカジュアル・シューズやウォーキング・シューズを履けるようになったが、当時の革靴は防水性が全然なってなかった。ちょっとした雨が降るだけで、革の表面にぽつぽつと水のシミができる。

その状態を過ぎると、たっぷりと水を吸い込んで色が変わる。その頃には、中の靴下がびしょびしょだ。撥水スプレーなんかをふりかけても、効き目があるんだかないんだか、さっぱりわからなかったものだ。

今みたいに雨が降っても安心して歩けるようになったのは、一体いつ頃からだったろう。考えてみると、そんなに古いことではないと思う。せいぜいこの 10数年ぐらいのことじゃなかろうか。

一時、「戦後、女と靴下は強くなった」 なんて言われたが、「バブル以後、靴の防水性がよくなった」 というのは確かなことだと思う。こんなに防水性がよくなっても、足が蒸れるようなこともとくにないし、技術というのは日常的なところで確実に進歩しているのだなあと思ってしまうのである。

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2009/12/21

tslサンタクロースは本当にいる

ウチの常連さんの多くは既にご存じのことなのだが、私の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 には、毎年この季節になるとアクセスが急増するページがある。

サンタクロースは本当にいる!」 というページである。自分でも信じられないほど美しい言葉で書かれたページだ。

「サンタクロース/本当にいるの」 というキーワードでググると、今日の午前10時現在、第 2位にランクされている。1位にランクされているのは、なぜか超音波美顔器の宣伝ページで、サンタクロースにはあまり関係ない。だから、実質的には私のページがトップなのだと思っている。

それどころではない。驚くことに 「サンタクロース」 という 1語だけでググっても、第 2位なのだ。トップは 「サンタクロース の画像検索結果」 ということなので、ここでも、実質的には私のページがトップと思っても、罰は当たらないだろうと思う。

サンタクロースは本当にいるんだということを、私はこのページで言っているわけなのだが、クリスマスのプレゼントは直接的にはお父さんやお母さん、あるいはその代わりとなる人がくれるという事実を、私は否定していない。だから、明らかなウソはついていない。

ただ、それはあくまでもサンタさんに代わってプレゼントをあげるんだということだ。つまり、「サンタさんの名代」 である。直接プレゼントをくれる人の心をずっと遡れば、世界を覆うサンタクロースの愛があるということを、私は言いたかったのだ。

サンタクロースの実在性についての夢溢れる回答では、1897年 9月 21日にニューヨーク・サンの社説として掲載されたもの (参照) が最も有名で、これが国際スタンダードみたいになっているようなのだ。でも、何しろ 112年前の回答だし、個人的にはファンタジックすぎる気がしないでもないんだよなあ。

まあ、私の回答は理に落ち過ぎと思う人もいるだろうから、その辺は好みに応じて選択してくれればいいので、押しつけるつもりは毛頭ないのだということは、念のために言っておこう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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2009/11/03

狭山茶にみる美しい関係

先日、車を運転しながらカーラジオを聞いていたら、聴取者参加で、「知られざる郷土自慢」 という企画があった。

聞いていると、なるほど、極々マイナーな知られざる郷土自慢が、各地にあるものである。自慢してもしょうがないような郷土自慢というのも、なかなかほほえましいものだ。

で、その番組にどんな郷土自慢が寄せられていたのかというと、申し訳ないがほとんど忘れてしまった。その程度の、どうでもいい郷土自慢だったのである。それでも、その土地の人にとっては、ちょっとしたプライドのようなのである。まあ、それはそれで大切にしてもらいたいという気はしたのだった。

そうしたマイナーな郷土自慢の中で、たった一つ、今でも覚えているのが、入間市在住の聴取者からの、「狭山茶の生産量は、実は狭山市ではなく、入間市の方が断然多い」 というものだった。これは統計上、本当のことなのだそうだ。

そして、彼はこう続けるのだった。

「入間市で生産されているのに、名称が 『狭山茶』 になっていることは、別にいいんです。名前は狭山に譲ってあげているんです。そんな小さなことに、入間市民はこだわらないんです」

これを紹介したラジオのパーソナリティは、「入間市民はなかなか太っ腹ですね。まあ、東京ディズニーランドみたいなものですかね」 とコメントしていた。

しかし、この見解は甚だ疑問である。というのは、入間で生産された 「狭山茶」 は、狭山市民からみたら、細かいことを言ってしまえば 「ブランドただ乗り」 と言われても仕方ないのではなかろうかという気もするのである。

しかし、そこはお互いに太っ腹であるおかげで助かっている。狭山茶を狭山市内だけで生産されるものに限定していたら、ブランドとしての規模を保持するためには、ちょっと流通が少なすぎるということになるだろう。入間のお茶も加えて、初めて 「狭山茶」 のブランド価値を維持できる。

これこそきっと "win - win" の関係というものなのだろうと思う。お互いに内心では 「ブランドただ乗りしやがって」 とか 「生産量が少ないくせに看板だけは譲らない」 とか、少しの不満を抱いているのかもしれないが、表立って我を張らないおかげで、両方ともハッピーな関係を維持できている。

ちょっとずつ我慢して譲り合うというのが、実は最も美しい関係なのかもしれない。

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2009/10/20

素晴らしい 「直し」 のテクニック

私が密かに注目しているブログに、「くつ・かばん修理事件簿」 というのがある。サブタイトルとして、「日々訪れる、奇怪な修理の悪戦苦闘記録である」 とある。

ここの管理人さんは、靴、かばんの修理職人さんのようなのだが、その修理のテクニックが見事なのだ。

時々、「こんなに壊れちゃったの、どうしたら直せるの?」 なんてい言いたくなるような品物が持ち込まれるのだが、素晴らしい職人芸で見事に復活させてみせる。それが写真入りで紹介されるのだから、なんとなく胸がすくような感じにすらなる。

とくに 10月 7日から、なんと 一週間もかかって復活させたオストリッチのセカンドバッグの件はすごい。持ち込まれた時点では、手垢まみれでものすごいことになっている。汚れ落としも受け付けず、当初は、さすがの管理人さんも 「う~ん、どうしたものか」 と、音を上げかけている。(参照

改めてバッグの裏側をみると、ますますひどい手垢まみれである。さすがに途方に暮れて、6日間ほど放置しておられたようだ。ところがそこに、救いの神が現われる。永健トラスト皮革事業部という会社の方のようだ。その人が、新製品の皮革用ペイントを持ってきたのである。さっそく試してみると、いけそうだ。(参照

そして、圧巻が 10月 15日付である。ここでは修理プロセスの詳細には敢えてふれないが、さすがの職人芸の組み合わせで、見事に復活させてしまったのだ。(参照

私は自分自身が、形のない 「こと作り」 でメシを食ったことしかなく、「もの作り」 に直接関わった経験に乏しいので、とにかく職人芸の真髄をみせられると、鳥肌が立つほど感動してしまったりする。「もの作り」 だけでなく、「もの直し」 にしても同様だ。

使い捨てが当たり前になってしまった世の中で、感動的なまでの 「もの直し」 をしている人がおられるということを、知らない人に知ってもらおうと思い、今日はこの記事を書いてみた。

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