カテゴリー「ちょっといい話」の21件の記事

2009/11/03

狭山茶にみる美しい関係

先日、車を運転しながらカーラジオを聞いていたら、聴取者参加で、「知られざる郷土自慢」 という企画があった。

聞いていると、なるほど、極々マイナーな知られざる郷土自慢が、各地にあるものである。自慢してもしょうがないような郷土自慢というのも、なかなかほほえましいものだ。

で、その番組にどんな郷土自慢が寄せられていたのかというと、申し訳ないがほとんど忘れてしまった。その程度の、どうでもいい郷土自慢だったのである。それでも、その土地の人にとっては、ちょっとしたプライドのようなのである。まあ、それはそれで大切にしてもらいたいという気はしたのだった。

そうしたマイナーな郷土自慢の中で、たった一つ、今でも覚えているのが、入間市在住の聴取者からの、「狭山茶の生産量は、実は狭山市ではなく、入間市の方が断然多い」 というものだった。これは統計上、本当のことなのだそうだ。

そして、彼はこう続けるのだった。

「入間市で生産されているのに、名称が 『狭山茶』 になっていることは、別にいいんです。名前は狭山に譲ってあげているんです。そんな小さなことに、入間市民はこだわらないんです」

これを紹介したラジオのパーソナリティは、「入間市民はなかなか太っ腹ですね。まあ、東京ディズニーランドみたいなものですかね」 とコメントしていた。

しかし、この見解は甚だ疑問である。というのは、入間で生産された 「狭山茶」 は、狭山市民からみたら、細かいことを言ってしまえば 「ブランドただ乗り」 と言われても仕方ないのではなかろうかという気もするのである。

しかし、そこはお互いに太っ腹であるおかげで助かっている。狭山茶を狭山市内だけで生産されるものに限定していたら、ブランドとしての規模を保持するためには、ちょっと流通が少なすぎるということになるだろう。入間のお茶も加えて、初めて 「狭山茶」 のブランド価値を維持できる。

これこそきっと "win - win" の関係というものなのだろうと思う。お互いに内心では 「ブランドただ乗りしやがって」 とか 「生産量が少ないくせに看板だけは譲らない」 とか、少しの不満を抱いているのかもしれないが、表立って我を張らないおかげで、両方ともハッピーな関係を維持できている。

ちょっとずつ我慢して譲り合うというのが、実は最も美しい関係なのかもしれない。

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2009/10/20

素晴らしい 「直し」 のテクニック

私が密かに注目しているブログに、「くつ・かばん修理事件簿」 というのがある。サブタイトルとして、「日々訪れる、奇怪な修理の悪戦苦闘記録である」 とある。

ここの管理人さんは、靴、かばんの修理職人さんのようなのだが、その修理のテクニックが見事なのだ。

時々、「こんなに壊れちゃったの、どうしたら直せるの?」 なんてい言いたくなるような品物が持ち込まれるのだが、素晴らしい職人芸で見事に復活させてみせる。それが写真入りで紹介されるのだから、なんとなく胸がすくような感じにすらなる。

とくに 10月 7日から、なんと 一週間もかかって復活させたオストリッチのセカンドバッグの件はすごい。持ち込まれた時点では、手垢まみれでものすごいことになっている。汚れ落としも受け付けず、当初は、さすがの管理人さんも 「う~ん、どうしたものか」 と、音を上げかけている。(参照

改めてバッグの裏側をみると、ますますひどい手垢まみれである。さすがに途方に暮れて、6日間ほど放置しておられたようだ。ところがそこに、救いの神が現われる。永健トラスト皮革事業部という会社の方のようだ。その人が、新製品の皮革用ペイントを持ってきたのである。さっそく試してみると、いけそうだ。(参照

そして、圧巻が 10月 15日付である。ここでは修理プロセスの詳細には敢えてふれないが、さすがの職人芸の組み合わせで、見事に復活させてしまったのだ。(参照

私は自分自身が、形のない 「こと作り」 でメシを食ったことしかなく、「もの作り」 に直接関わった経験に乏しいので、とにかく職人芸の真髄をみせられると、鳥肌が立つほど感動してしまったりする。「もの作り」 だけでなく、「もの直し」 にしても同様だ。

使い捨てが当たり前になってしまった世の中で、感動的なまでの 「もの直し」 をしている人がおられるということを、知らない人に知ってもらおうと思い、今日はこの記事を書いてみた。

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2009/09/28

「デリニエーター」 というものを廻る冒険

この年になって初めて知った英単語がある。"Delineate" という言葉だ。「輪郭を描く、描写する」 という意味がある (参照)。

"Line" (線) という単語に 「完全」 といった意味を付加する "de" という接頭語と 「~する」 という意味にするための接尾辞 "ate" が付いたんだろう。

"~ ate" で動詞化されるのは、"active" (活発な)、"activate" (活性化する) などの例でもお馴染みだろう。

ところで、なんでこんな単語を初めて知ったのかというと、道路脇などに取り付けられている反射板 (リフレクター) に興味を持ってしまったからである。あれ、専門用語で 「デリニエーター」 というのだそうだ。で、調べてみたら英語の "delineator" (「輪郭描き装置」 とでもいえばいいのかなあ) というのが元々の言葉なんだそうだ。

日本語では 「視線誘導施設」 というのだそうだ。日本語の方がより具体的なような気がしてしまうが、じゃあ要するに一体何なんだと言われると、いきなりそう言われただけではわからない。実際は五十歩百歩である。百聞は一見にしかずで、Wikipedia に飛んで見ればすぐにわかる (参照)。

真っ暗な夜道を運転していると、道路がこの先真っ直ぐなのかカーブしているのか、あるいは道路の端っこがどこなんだか、全然わからなくなってしまうことがある。そんな時、このデリニエーターがあると、反射光で道路の幅と曲り具合がわかるので、安心感がある。

そして、そのありがたみが実際にわかっていると、日本語で 「視線誘導施設」 と言われても、英語で 「輪郭描き装置」 と言われても、両方 「なるほどね」 としっくりくる。

こんなものは日本中の道路で見ることができるので、珍しくもなんともないのだが、私がちょっと感心してしまったのは、水戸街道 (国道 6号線) の取手駅付近で見つけたデリニエーターだ。風車が付いているのである。

Crack_090928 リフレクターの表面に風車がついて、車が通りすぎる時の風圧でくるくる回るのは、ここだけでなく日本中で見られるが、私はこれの意義がわかっていなかった。単に 「目立たせるための酔狂」 と思っていたのである。ところが、よくみると決して酔狂ではなかったのだった。

風車のように回る 3本のアームには、ブラシが付いていたのである。しかもそれぞれ、外側、中程、内側と、別の位置にブラシが付いていて、3本が回ることでリフレクターの全面がブラシで掃除されるという仕掛けなのだ。セルフクリーニング方式である。

粉塵の多い道路では、あっという間にリフレクターの表面が汚れて、反射効果が低下してしまうだろうから、こんな仕掛けで自動的に、しかも電気などのエネルギーを使わずに掃除されるというのは、なかなかのアイデアである。これを考えた人は偉い。

ところで、案外知られていないのだが、リフレクターというのは、光を当てるとどこからでも光って見えるというわけじゃない。自動車のヘッドライトなどで照らすと、その自動車の方向にだけ光って見える。他の方向からは、リフレクターの反射光は見えないのだ。

一見すると、入射角と反射角という理屈を無視しているのである。普通は光を当てた方向とは反対側の方向に反射光が行ってしまうのだが、リフレクターは、どうして光を当てた方向にのみ反射して見えるのか。正面からならまだわかるが、かなり斜めから光を当てても、光の来た方向にのみ反射光が返る。これが不思議でなくてなんだろう。

その原理を知ったのは、私が 30歳を過ぎてからのことである。まだご存じない方は、こちら をご覧いただきたい。感動するほどわかりやすく図解してある。文系の私としては、「世の中には頭のいい人がいるものだなあ」 と、ひたすら感心するばかりである。

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2009/09/23

小沢昭一さんが 80歳なんだって

あの小沢昭一さん (小沢一郎ではない) が、『道楽三昧―遊びつづけて八十年』 (岩波新書) という本を出されたそうだ。

「なに、80年だと !?」 とビックリして Wikipedia で調べてみると、確かに 「生年月日 1929年4月6日(80歳)」 とある。なるほど、80歳に間違いがない。

いやはや、お元気なものである。あの TBS ラジオの名物番組 『小沢昭一の小沢昭一的こころ』 を聞いている限りでは、80歳とは到底思えない。同じ TBS の 『土曜ワイドラジオ TOKYO 永六輔その新世界』 を聞いていて、こう言ってはなんだが、「永さん、近頃、しゃべりがじいさんっぽくなっちゃったなあ」 と思ってしまうのとはえらい違いである。

しかも、小沢昭一さんの方が永六輔さんより 4つも年上なのである。この若々しさは、驚異的だ。芸能というものをやっていると、年とりにくいのかなあ。

思えば、小沢昭一・著 『私は河原乞食・考』 は、私の人生の方向を決定づけた本の一つである。早稲田大学第一文学部演劇学科なんていう妙な学科を選択してしまったのも、高校時代にこの本を読んでしまったというのが、その理由の一つだ。その後の人生、経済的には一向にうだつが上がらないのは、この人のせいである。

TBS ラジオの 『小沢昭一的こころ』 には、ミヤサカお父さんという、ちょっとスケベだがいたって小心のオジサンが登場する。ただ 「ミヤサカお父さん」 は、固定的な人物ではない。しがないサラリーマンだったり、ミヤサカ薬局の店長さんだったりする。

昔、毎日新聞に連載されていた加藤芳郎さんの 『まっぴら君』 に、「まっぴら君」 という固定した主人公がいなかったのと、ちょっと似ている。「ミヤサカお父さん」 は、日本の中高年男子の最大公約数ともいえる。それを小沢昭一さんが絶妙の 「口演」 で語る。

私は小沢さんの歌う 「唱歌」 が好きだ。歌手ではないからこそ、「唱歌」 があんなにも演劇的なのである。いつまでもあの 「唱歌」 を歌い続けてもらいたいと思う。

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2009/09/22

「渋滞吸収運転」 の威力

3年以上も前の "「渋滞学」 ってのは、面白そうだ" という私の記事は、今でも検索サイト経由で訪問者の多い記事になっている。

なにしろ、「渋滞学」 でググルと、今日現在、私の記事が上から 6番目のポジションにいる。それどころか、1~2年前は私の記事が長らくトップにランクされていた。

件の記事で紹介した 『渋滞学』 という本の著者、西成活裕先生は、3年前は東大助教授という肩書きだったが、今は教授になられているようだ。渋滞学という斬新な視点の学問が世間の注目を集めたことが大きいんではなかろうか。

3年前、私もさっそく 『渋滞学』 という本を買って読んだのだが、そのレビューをしそびれていた。今さらのようだが、なかなかおもしろいのでオススメである。渋滞回避のヒントが得られるばかりでなく、人間学の一環としても興味深い。

私がこの本を読んで得た渋滞回避運転のヒントは、ブレーキを踏まないということだ。それでは危なすぎるじゃないかという人のために、もう少し詳しく言うが、やたらとブレーキを踏んでブレーキランプを点灯させなくてもいいように、前の車との車間距離をたっぷりととって、ゆっくりと行くのが渋滞回避につながるのである。

ブレーキランプが灯るというのは、とにかく渋滞の一番大きな原因になるんじゃなかろうかとさえ思える。後に続く車が軒並みブレーキを踏んでしまうので、団子になる。そして、そこが渋滞の先頭になりやすい。

高速道路のトンネルの入り口などで、少なからぬ車が無意識に速度を落とす。その後にぴったりとつけていた車は、追突を避けるためにブレーキを踏む。すると、そこから後の車が連鎖的に全部ブレーキを踏む。それで、トンネルの入り口は渋滞の先頭になりやすい。

この現象で有名なのが、東北道の福島トンネル付近である。単にトンネルがあるというだけの理由で、そこに渋滞が発生し、そこを通り過ぎると嘘のように渋滞は解消される。

今年のゴールデンウィークの帰郷の際に、私は西成教授のいう 「渋滞吸収運転」 というのを心がけてみた。高速道路に 「○km 先、渋滞」 という表示があるのを発見すると、意識してスピードを落とすのである。すると、確かに周囲の車は増えるが、本格的渋滞の最後尾にはなかなか追いつかない。

そして、スピードは確かに落ちるが、時速 60km より遅くなることはほとんどない。だから、ストレスもない。気付いてみると、渋滞区間と言われていたポイントは知らぬ間に通り過ぎていて、そこから先はまたスムーズな高速運転ができる。

こうした 「渋滞吸収運転」 について、Trendy Net で紹介されているのでご覧いただきたい (参照)。「『ゆっくり走る』 は金も時間もオトク」 なのだそうだ。

実は昨日も常磐道を通って水戸方面から帰ってくるとき、同じように渋滞吸収運転をした。道路の電光表示は、「友部パーキングより先は渋滞 20km」 となっている。それで、友部の手前で意識して時速を 80km 以下に落とした。前の車との車間距離は、意識して 「なんでこんなに」 と思えるほど十分に取る。

なるほど、友部パーキングを過ぎると、周囲を走る車の台数がやたらと増え始め、スピードが遅くなる。時速 80km すら維持できない。大体 60km ぐらいになる。だが、車間距離を十分とっている限り、極端なノロノロ運転になるということはほとんどないし、ましてやストップしてしまうということはない。

車間距離が短いと、追突を避けるために急ブレーキをかけなければならない事態が頻繁に生じるが、前の車との余裕が十分だと、その必要はない。前の車のブレーキランプが点灯しても、こちらはエンジンブレーキで対応できるので、あまりブレーキを踏む必要がない。すると、後ろの車もブレーキを踏まずに済んでいるはずだ。

時として時速 30km ぐらいにまで落ちるが、それは長くは続かず、すぐに時速 60km ぐらいに回復する。だから、あまりストレスはない。下手に急いで前の車との車間距離を詰めたら、ストップしないまでも、時速 5km 以下の歩くより遅いノロノロ運転に、頻繁に陥ってしまっていたと思う。

で、ふと気づくといつの間にか渋滞区間を通り抜け、時速 100km が回復されていた。この間、スピードが極端に落ちた時でもブレーキを踏んでいないので、燃費効率は落ちていないはずだ。経済的で、ストレスがないというのは、なによりである。

問題は、件の記事で紹介されていたように 「金も時間もオトク」 かどうかだ。金に関しては、ほぼ確実にオトクになっていると思うが、時間もオトクだったかどうかは検証できない。ただ、少なくとも 「ゆっくり走ったから時間がかかった」 というような実感はない。一度も止まらずに済んでいるので、全然遅くなってはいないと思う。

こうした 「渋滞吸収運転」 が多くのドライバーに認知され、実感として理解されれば、高速道路上の渋滞は劇的に減ると思う。渋滞は下手な運転のせいで、必要以上に作り出されているのだ。

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2009/04/20

長嶋さんの知られざる 「重大発言」

すき家の店内の壁に "Sukiya is delicious." と書いてあることもあって、「すき屋は食えない」 と指摘しちゃった (参照) わけだが、コメントで当然の如く Engrish に話題が飛んだ。

で、さらに長嶋さんのあの妙な英語らしきものの話題に及び、それに止まらず、長嶋流のレトリックまでまな板にのってしまった。

私は長嶋さんのレトリックの中では、あまり知られていないけれども、決定版とも言える材料をもっている。そのことについては、大分前に、こちら に書いておいたのだけれど、格納場所があまりにも目立たないところなので、あまり読まれていない。それでこの際、改めてブログに書いて紹介してしまおうと思うのである。

これはとても古い話なのだが、「知られざる重大発言」 である。昭和 55年に、長嶋さんが巨人軍監督 (第1期) を辞める (実際は辞めさせられる) ことになった時のことだから、もう 29年も前のことだ。30歳になっていない人は生まれていないし、35~36歳ぐらいでもまず記憶にないだろう。

この年の秋、長嶋さんが監督を務めていた巨人軍は、辛うじて Aクラスにはとどまったものの、2リーグ制分立後に、3年連続で優勝を逃したのは初めてのことだった。その責任をとって、長嶋さんは辞任を表明したのだが、それは読売幹部による事実上の解任というのは明らかだった。かなり悲劇的な状況だったのである。

辞任表明の日、あの 「イレブンPM」 という深夜番組のインタビューに応え、長嶋さんが沈痛な面持ちで次のように語るのを、私はたまたま深夜営業のラーメン屋のテレビで見ていた。

「マァー、私は巨人軍を去りますがァ、
ファンの皆様にはですネ、
これからも巨人軍を、マァー、 

いつまで続くか分かりませんがァ、

応援していただきたいとォ……」

これを聞いた私は、口の中のラーメンを吹き出しそうになった。まあ、発言が正確にこの通りだったかは自信がないが、少なくとも赤い太文字部分は、まさにそのようにおっしゃったのである。

この人は自分の現役引退セレモニーで何を言ったか覚えていないのか!?  確か

巨人軍は永久に不滅です!

とか何とか、かの有名なセリフを絶叫したではないか。詰め腹切らされたからといって、「いつまで続くか分かりませんがァ」 とは、トボケるにも程がある。自分自身の栄光の発言に、どう落とし前をつけてくれるというのだ。私は茫然としながらそう思った。

私は吹き出しかけたラーメンを改めて飲み込みながら、翌日の 「東京スポーツ」 (大阪では「大スポ」) 一面トップの見出しはは、この大ボケ発言になるだろうと確信した。しかし現実は、そうはならなかったのである。

世の大衆は実にセンチメンタルな反応を示し、長嶋さんには日本中の同情が集まった。そして彼らは、讀賣新聞の購読部数が減ったとさえ言われるほどの猛烈な判官贔屓を発揮した代わりに、これほどまでにオチョクリ甲斐のある 「大ネタ」 をすっかり見落としてしまったのである。何ともったいない。

というわけで、長嶋さんの現役引退の時のあの栄光の発言には後日談があり、なんと自らの大ボケ発言で、それを裏切ってしまっていたのである。当時 2ch があったら、どんなに盛り上がっただろう。

長嶋さんみたいな人を上司にもったら、部下は苦労するだろう。言うことがコロコロ変わる。昨日言われたことを必死で実行していると、今日は正反対のことを言われる。当人はそれについて、別になんとも思っていない。

しかし、当人には悪気がないのである。全然ないのだ。発言内容に無意識なだけである。それだけに、憎めないのである。何があっても、長嶋さんのせいにはできないのである。すべて部下の方で飲み込んで、うまく処理するしかない。

だから現在の象徴的地位は、長嶋さんにぴったりなのである。この人に実務なんかさせてはいけない。象徴として、その明るい光を周囲に放ってもらえばいいのである。そうすることで、すべてがうまくいく。

実は私も、長嶋さんは大好きなのである。だからこの記事は、「ちょっといい話」 というカテゴリーに入れておくのである。

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2008/11/29

「やる気のスイッチ」 というものがあるらしい

日経ビジネスのメルマガにあった "「やる気のスイッチ」を入れるには" というタイトルに興味を覚えてしまって、ついクリックしたら、漆紫穂子さんという人のコラムに遭遇した。

この方、品川女子学院という学校の校長さんで、この学校、近年やたらと評価が上がっているんだそうだ。

品川女子学院という学校に興味を覚えてしまった方は、学校のウェブサイトWikipedia の紹介 をご覧になればいいし、漆紫穂子さんの考え方に興味を持ってしまったなら、日経ビジネス Online の、彼女のコラムを全部お読みになればいい。インデックスは、こちら だ。

私は別に、学校教育を語ろうとしているわけではない。品川女子学院という学校も、漆紫穂子さんという人の名も、上述のウェブサイトで初めて知っただけで、それ以上の予備知識があるわけじゃない。ここではあくまで 「やる気のスイッチ」 を入れるための方法として挙げられている 3つのポイントについて、私なりに考察してみようと思う。

漆さんの挙げておられる 3つのポイントとは、

1) できないと思っていたことができた時
2) これはみんなのためになると思えた時
3) 自分のやりたいこと、目標ができた時

というものである。より手っ取り早く言えば、"成功体験、「誰かのために」、自分の目標" の 3つなのだそうだ。

まず、成功体験というのは本当に大切である。私はちょっと前に、"成功体験を重視する 「グッピー理論」" というコラムを書いていて、そこで 「勝ち癖をつけること」 の重要性について触れている。私の言う 「勝ち癖」 とは、別に相手を打ち負かすことではなく、達成感の喜びを知ることだ。

一度達成感という喜びを知ると、大抵のことはできるという気になる。心理学的にいっても、物事を成し遂げるコツというのは、「いい意味で "なめてかかる" こと」 なんだそうだ。初めから 「これは難しそうだ」 とか 「できるかなあ」 なんてことは思わずに、「これくらい、できるさ」 と、軽い気持ちで取りかかる方がいい。

しかし、そうした気持ちで取りかかれるようになるには、やっぱり何度かの成功体験を持っているということが強みになる。「やった!」 とか 「できた!」 とかいう経験を何度か積むと、自信がついてしまって、「できない」 なんて発想がなくなる。

それから、「自分以外の誰かのために」 というのも、かなり重要ポイントである。こんなことを言うと、もしかしたら偽善ぽく聞こえるかもしれないが、人間、自分だけのために働くよりは、「誰かのため」 に働く方がずっと力を出せるものである。利己的な動機だけで動くと、そのうちきっと空しくなる。

とりわけ 「愛する誰か」 のためというのが、最もがんばれる条件である。恋人のためとか、妻のためとか、子どものためとかとなると、火事場の馬鹿力みたいな力が出る。だったら、世界を愛してしまえばいい。世界のために働ける。

最後に、「自分の目標」 というのも、案外大きい。考えてみると、私がここ何年もブログの毎日更新を続けていられるのは、「毎日更新する」 ことを自分に課しているからだ。

そりゃもちろん、書くことが楽しいからでもあり、大上段に振りかぶって 「目標」 などと突き詰めているわけでもないが、年が変わるごとに 「今年もずっと更新を続けよう」 と思っているのは、「目標」 と言ってもいいのかもしれない。

そして、この 「目標」 は、ある日急に思いついたわけではない。「ほぼ毎日更新」 という状態を 1~2年続けているうちに、「いっそ、掛け値なしの毎日更新をしてみよう」 と思い立ち、自然にそうなったのである。

つまり目標というのは、他から課せられた 「ノルマ」 だったり、自分を縛り付けるためのものだったりしてはならない。楽しんでやっているうちに、自然に湧いてくるものこそ、「励み」 になる。そうでないものは、「苦行」 でしかない。

つまり、「やる気」 のスイッチを入れるには、「やったぜ!」 という喜びの延長線上にあり、それが自分だけではなく他の人たちの喜びにもつながり、それゆえに、自然に 「もっとやったる!」 という気持ちになっていくというプロセスが理想的だと思う。

首根っこに縄附けて無理矢理に引っ張るみたいなことでは、「やる気のスイッチ」 なんて、決して入らない。逆に嫌になるだけである。

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2008/04/01

登録名にまつわる感動的エピソード

以前、中央線の電車の出発間際に、飛び乗ったことがある。飛び乗った途端に、異次元に迷い込んだかと思った。

満員に近い車内の雰囲気が異様である。状況を理解するのに、少なくとも 3秒かかった。私はどうやら、女子バレーボール・チームの真っ直中に飛び込んでしまったようなのだ。

私の身長は 178センチで、日本人としては間違いなく背の高い方である。人の顔を見上げることあまり慣れていない。ましてや、女性の顔を見上げるなんて、滅多にない。(このあたり、女性蔑視とかいう話とはまったく無関係の、単に物理的な話なのでよろしく)

ところが、その時、私の周囲の若い女性の顔は、ほとんど私の視線と同じレベルか、それより上にあるのだった。「慣れていない状況」 に置かれると、人間の頭はかなり混乱する。私は、わけもなく身の置き場のない思いに囚われてしまったのだった。

それで、ふと大林素子さんのエピソードを思い出した。

女子バレーボール選手はその体格のせいで、人に言えない悩みを持つことが多いそうだ。大林素子さんも、子どもの頃から飛び抜けて長身だったために、周囲の子ども達にからかわれ、大変なコンプレックスを抱いていたという。

しかし、バレーボール選手としての才能を開花させるにつれ、自分が長身であることに自信を持つようになり、コンプレックスが消えたのだという。その間の心の動きは、彼女の自伝 『マイ・ドリーム』 に感動的に記してある。

そしてある日、彼女は親に貰った長身という財産に感謝する意味で、選手としての登録名を変える決意をしたのだった。

彼女の本名が 「小林素子」 であるというのは、ほとんど知られていない。彼女は、選手としての登録名を 「小林」 から 「大林」 に変えることで、幼い頃からのコンプレックスに、最終的な別れを告げたのだった。

登録名を変えてからの彼女の活躍は、広く世に知られるところだ。

ところで、芸能人が芸名を使うのは一般的だが、スポーツ選手が 「登録名」 を使うというのも、それほど珍しいことではない。「イチロー」 は最も有名なケースだが、そのほかにも、姓名判断などで、同じ読み方の別の漢字を登録名にするスポーツ選手は少なくない。

そうした中で、彼女の登録名変更はかなり感動的なエピソードである。

これもまた、いつものエイプリルフール・ネタだろうって? そう思うのは自由だが、彼女の登録名そのものが、元々の本名を語っていることに気付けば、そんな疑いは晴れるだろう。ほら、「大林 もと "コ"」 って。

【4月 2日 追記】

申すまでもなく、エイプリルフール・ネタです。

昨年と一昨年のネタ (参照 1参照 2) は、あまりにも真に受ける人が多かったので、今年は敢えてバレバレにしました。

大林さん、ネタにしちゃってゴメンナサイ。

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2008/01/15

「夜明け」 を巡る冒険 2

夜明けということについて、些細なことだが、もうちょっとだけ書いてみる。「夜明け」 という言葉が、「新しい時代や事物が始まろうとする時」 と、比喩的に使われることがある。

「夜明け前が一番暗い」 と言われるのは、主にこうしたケースで、どん詰まりの状況で絶望しないための、ありがたいレトリックである。

しかし、状況が好転してまったく新しいステージに突入する場合、その直前は決して 「一番暗い」 というわけではなく、客観的にみれば、少しずつ日が射し始めていることが多い。当人がそれに気付かないだけで、状況が一変して初めてそれとわかり、驚いてしまったりする。

実際の夜明けでも、それとちょっとだけ似たようなことがある。夜明けで最初に明るくなり始めるのは、誰しも東の空だと思っているが、実際には違う。反対側の西の空にたなびく雲が、一番先に光を帯び始めることが多いのだ。

それは、再び このページ を見ればわかる。

夜明けの時分は、昨日のエントリーで触れたように、何しろ 「太陽の中心が地平線下七度二一分四〇秒にある時刻」 というのだから、太陽は地平線の下にある。だから、東の空を見つめても、太陽は出ていない。

しかし、その東の地平線下にある太陽から発せられた光線は、天空をよぎって西の空にたなびく雲を下から照らしているのである。だから、日の出の直前の空というのは、東よりも西の方が明るいということが多い。嘘だと思ったら、早起きして確かめてみるといい。

朝になって空がほのぼのと明るくなるのを、今か今かと待ちながら、東の空ばかりを見つめていると、背後の西の空が先に明るくなり始めているのに気付かないのである。一つの方向ばかり見つめて視野を狭めていると、ろくなことがないのだ。

時代の変わるのを待つのも、同じことがいえるだろう。視野は広くしておくに越したことがない。

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2007/08/27

やっぱり無着成恭先生、すごい!

昨日の朝、車で出かけて、いつものように TBS ラジオを聞いていたら、「子ども電話相談室」 に、なんと、あの無着成恭先生が 15年ぶりに回答者として登場されていた (参照)。

先生は大分は国東半島の寺の住職として籠られ、既に 80歳に近づいておられるが、以前と変わらぬ元気なお声であった。

今回の放送は、無着先生のおられる大分と、永六輔さんの待機する東京のスタジオを結んだ二元中継だった。いつもは多弁の永六輔さんも、今回は無着先生をリスペクトして、とても口数が少なくておいでで、もっぱら無着ワールドが展開された思いがした。

それにしても、子どもの質問に対する無着先生の回答は、すごい。並の大人では、とてもああはいかない。

例えば、「どうして、"失敗は成功の元" なんですか?」 という質問が、小さな男の子から寄せられた。

こうした質問に対して、私なら、「失敗して、どうして失敗したのか考え直してみると、失敗から学ぶことができるよね。そして、次からは同じ間違いをしでかさないように注意するようになって、成功に近づけるかもしれないね」 なんて答え方をするだろうと思う。

ところが、無着先生は、ひと味違うのだ。単に 「失敗から学ぶ」 というようなありきたりの答え方ではなく、まず第一に、「これをしようと、"決心する" ことが大切なんですよ~」 と、あの柔らかな山形弁でおっしゃる。

なるほど、目から鱗である。この 「決心」 があって、初めて失敗から学ぶことができるのだ。「決心」 がなければ、せっかく貴重な失敗をしても、何も学ぶことができない。たとえ学んだとしても、それを次に生かすことができない。

私が何度失敗してもコトを成し遂げられないのは、「決心」 が足りないからかもしれない。うぅむ。無着先生は、子どもの質問に答えながら、大人に対しても鋭い考案を発しておられる。

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