カテゴリー「自然・環境」の262件の記事

2018/08/10

「かなとこ雲」 を巡る冒険

今月 3日の 「和歌ログ」 に、「薄れ行くかなとこ雲といふ雲の名前も知らず見上ぐる子らよ」 という歌をアップした。この日は大きな 「かなとこ雲」 が出ていて、夕方の薄れ行く頃に、それを見上げている子供たちが 「変な形の入道雲!」 なんて言っているのを聞いたことで詠んだものだ。

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「変な形の入道雲」 じゃなくて、「かなとこ雲」 という立派な名前があるのだが、最近の子たちは 「金床」 というものを知らないから、「かなとこ雲」 も当然ながら知らないのだろう。上の画像は 「かなとこ」 で画像検索した結果の一部だが、「かなとこ雲」 でググったわけでもないのに、雲の画像の方が圧倒的に多かった。

Wikipedia で調べると、「金床(かなとこ、鉄床、かなしき、金敷、鉄敷、鉄砧、ハンマー台) とは、鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことである」 と説明されている。最近の日本ではこうした作業自体が減っているので、当然ながら 「金床」 という道具を見たことのある子どもも減っているのだろう。

雲の形で言えば、上の画像の左上の雲がまさに上部が平らで、"金床そのもの" みたいな形をしている。ちなみに 「かなとこ雲」 でもググってみて、今回初めて知ったのだが、「学術名 "Incus" も、ラテン語で 『金床』 を意味する」 とある。英語でも "anvil cloud"(参照、anvil は 「金床」 の意) と称するらしいし、この特色ある形は、洋の東西を問わず同じ道具を連想させるのかと思ったが、「いや、待てよ」 と考え直した。

もしかしたら、この 「かなとこ雲」 という名称自体が、明治以後にできた翻訳語なのかもしれない。そう言えば、江戸時代以前の古典で、この名称が現れるのを知らないし (私が知らないだけかもしれないが)。このあたりの事情に詳しい人がいたら、コメント欄に書き込んでいただきたいものだ。

かなとこ雲は入道雲の高く盛り上がった最上部が 「対流圏界部」 にまで達すると、それより上に伸びることができないため、横に広がったものだという。道理できれいに平らに広がったものが見られるわけだ。

私としては 「入道雲」 を気象用語で 「積乱雲」 というように、かなとこ雲にもそれなりのもっともらしい専門的名称があるのだと思っていたのだが、Wikipedia によると 「雲形分類では、部分的に特徴のある雲を細分類した『副変種』 として扱われ、積乱雲だけに見られる」 ということで済まされていて、ちょっと力が抜けてしまった。

あんなに存在感に満ち満ちた雲なのに、学術的見地からは 「積乱雲の副変種」 でしかないのだね。

【追記】

本日の 「和歌ログ」 の方も、かなとこ雲に関する歌にさせていただいた (参照)。

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2018/08/09

台風 13号が去った

台風 13号が去った。茨城県つくば周辺では昨日からかなり風が強まり、とくに日が暮れてから夜中過ぎまでは、聞いたこともないほどの大きなごうごうという風の音が鳴りひびいて、沖縄あたりの人は毎年こんな音を聞いているのだろうが、東北生まれ、関東暮らしとしては、正直なところ結構緊張した。

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心配された雨は時々大粒の雨が叩きつけるように降るだけで、それほどのこともなく、ただひたすら風だけが強かった。夜が明けてみると、我が家の屋外に設置された給湯器の手作りの覆いなど、いろいろなものが庭に散乱していた。強風で吹き飛ばされてしまったようで、ホームセンターで資材を買って、作り直さなければならない。やれやれ。

こんな強風が吹いたのに、雨は大したことがなかったというのは、強い雨雲が台風の中心より東側の海上に集中して、西側の陸地ではあまり発達しなかったためらしい。その代わりに、風だけが吹き荒れたというわけだ。暖かい海面から立ち昇る水蒸気が雨雲を作り、陸地ではそれがなかったのだという。

台風が来る前は 2〜3日、涼しく感じるほどの曇り空が続いたが、去ってしまえばまた元の暑さである。「好きな季節は?」 と聞かれて 「夏!」 と答える子どもは、今年激減してしまったんじゃあるまいか。

それにしても今年の台風は、なんだかいつもとコースが違うような気がする。お馴染みなのは、南の海上から北西に進んで沖縄や九州、四国の辺りを通り、その後に北東に向きを変えて、弱まりつつ東日本に向かうというものだ。ところが今年は、いきなり東海から関東付近を目指して来るような気がする。とくに先日の 12号なんていうのは、それから西日本に行ってしまった。

何しろ温暖化で、地球の自然環境はおかしくなってしまっているらしいから、これからも 「これまでに経験したことのない」 という、最近お馴染みのフレーズで形容される気候現象が頻発するのだろう。気が重くなってしまうではないか。

今月後半はやたらと出張が相次いで、関西と九州と山陰に行かなければならない。台風とタイミングが重ならないように祈るばかりである。

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2018/07/24

東京の夏が 「昔より断然暑い」 ことを示すヒートマップ

東洋経済 Online に、"東京の夏が「昔より断然暑い」決定的な裏づけ -- 過去140年の日別平均気温をビジュアル化" という記事がある。圧巻なのは、下に示した 「ヒートマップ」 (クリックで拡大表示される) で、まさに最近の夏の暑さは昔の比じゃないことがいやでもわかる。

Temperature

この 「ヒートマップ」 は東洋経済編集部の荻原和樹さんの作成したもので、記事中では実際のマップの紹介に先立ち、次のように述べられている。

気象庁が今年 6月に公表した 「ヒートアイランド監視報告2017」 によると、過去 100年間で日本の気温は着実に上がってきた。その中でも特に温暖化の傾向が強いのが東京をはじめとする都市部だ。100年前と比べると、東京の年間平均気温は 3.2度上昇した。天候に関するニュースでは夏の最高気温が話題になることが多いが、上がり幅は夏よりも冬、最高気温よりも最低気温の方が大きい

「100年前と比べると、東京の年間平均気温は 3.2度上昇した」 というのはデータの語る客観的な事実であり、「最近の夏は、昔よりずっと暑い」 というのは、単なる 「気のせい」 ではないことがわかる。さらに、体感的にはあまり気付かれていないが、実は冬の季節の温暖化の方が著しいらしい。

作成されたヒートマップは、6月から 9月にかけての夏の暑さを 「見える化」 していて、その見方は、元記事に詳しく出ているが、要するに縦軸が年、横軸が月 (6月から 9月) を表し、下になるほど現代に近付く。そして 1日は小さな四角で区切られた枡だ。色が赤っぽいほどその日の平均気温が高かったことを示している。なかなかの労作である。

一目瞭然なのが、1920年代から東京の気温は上がり始めていて、とくに 1960年代の高度成長期の頃から赤の部分 (つまり気温の高かった日) の増加が目立つことだ。1990年代以後はさらに、赤の部分の横の広がりも目立つ。つまり夏の早い時期から本格的に暑くなり、しかも残暑が長引いているということだ。

このマップでは、赤い色は 「1日の平均気温が 30度以上の日」 を示している。決して 「最高気温」 ではなく 「平均気温」 なので、最高気温でいえば 35度以上の 「猛暑日」 というのもかなり多く出現しているはずである。

私の生まれ育った山形県の庄内地方は、1970年代以前は夏でも 30度になる日は珍しかった。家の中の寒暖計ではギリギリ 30度に達していても、測候所発表の最高気温は 28〜29度ぐらいのものだった。たまに 「本日の酒田の最高気温は 30度に達しました」 なんていうニュースを聞くと、なんとなく嬉しい気分にさえなっていたものである。

大学に入って上京した 1971年は、このヒートマップで見ると結構暑い夏だったようで、日中は喫茶店に逃げ込んでいた。それでもあの頃は最高気温が高くても 32〜33度ぐらいのもので、夜になれば多少は涼しくなり、最低気温が 25度以上の熱帯夜は少なかったから、エアコンなしどころか、扇風機もないアパートでもなんとか眠れたのである。「今は昔の物語」 だ。

ネット上では、「地球は過去 2年間、寒冷化の傾向を示している」 という指摘もあり、確かにこのヒートマップもそれを示しているように見えなくもない。しかし少なくとも、最近までは 「温暖化」 以外の何ものでもなかったわけだ。そしてさらに 「寒冷化」 という要素も生じているとしたら、要するに 「極端化」 ということになるんじゃなかろうか。住みにくい気候であることに間違いはない。

ちなみに私の田舎も、今では夏の最高気温が当たり前のように 30度を超える日が多くなっている。

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2018/07/13

思えば 6月下旬から天気が明らかにおかしかった

思えば 6月下旬から天気が明らかにおかしかった。6月末から 7月初めにかけては、異様に風が強かったのである。6月 29日の 「和歌ログ」 では、「今日は一日中強風が吹き荒れたが、日が暮れてから少しは弱まってきた」 とあるが、翌 29日には 「今日も風の強い一日だった。風に向かって自転車を漕ぐと、まるで坂道を登っているようだ」 とある。

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とにかくずっと強風だった。関東では 「史上最も早い梅雨明け」 ということで、突然のように猛暑が訪れたが、何しろ風が強すぎるので、あんなにカンカン照りなのに水蒸気が吹き飛ばされて入道雲ができず、一見すると澄み渡った秋の空である。暑さと視覚の間の違和感が尋常ではなく、6月 30日には 「夏空に積乱雲の沸き立たぬ強風の午後自転車を漕ぐ」 なんて歌を詠んだりしている。

関東で 「早すぎる梅雨明け」 なんて言われていた時から、太平洋には台風 7号がゆっくり進んできていて、その周りから吹き込む 「暖かく湿った風」 のせいで、九州は大雨になっていたのだった。そんな情報を知りつつも、関東ではただひたすら、「無茶苦茶な暑さなのに、風だけはやったら強いなあ」 と思っていただけだったのである。

7月3〜4日に紀州に出張し、南紀白浜空港との往復では、飛行機がガタガタに揺れて気持ち悪くなるほどだった。この時の関西の天気予報は 「一日中大雨」 ということで、晴れ男の私は大した雨には遭わずに帰って来れたものの、大阪方面は既に予報通りの大雨になっていたようなのである。この頃から、「なんだか、天気がちょっとヤバいかも」 と気になり始めていた。

気象庁が 「平成 30年 7月豪雨」 と命名した今回の豪雨の本番がやってきたのは、その直後である。とにかく前線が同じ所に居座り続け、最近はお馴染みの言葉になってしまった 「線状降水帯」 が大規模に発達して、西日本の同じ場所にずっと大雨を降らせ続けた。詳しくは今さら言うまでもない。

この豪雨にようやく一段落付いたと思ったら、さにあらず、天気の不安定さにはさらに拍車がかかり、一昨日の夜はつくば周辺で猛烈な雷雨に見舞われた。遠くの方でゴロゴロ鳴っているなと思っているうちに、いきなり地響きするような雷鳴がとどろき、途切れない稲妻で真昼のような明るさが続く。あちこちに落雷し、広範囲で停電してしまったようなのだ。

夜中になってからあんなにものすごい雷雨になったというのは、少なくとも個人的には初めての経験である。我が家の裏の川が整備される前の 10年前だったら、確実に道路が膝上まで冠水していただろう。ところが夜が明けてみると、周囲の道路は嘘のように乾いていた。治水が進んだこともあるが、地面の熱がよほど高くて乾燥しやすくなっていたんだろう。

私は 2011年の震災による原発事故が発生して以来、2年間は自宅のエアコンのコンセントを抜いていた。しかしそれ以後はどうも暑さのレベルが違ってきて、大袈裟じゃなく 「命の危険」 すら感じることがあるため、控えめにエアコンを使うことにしている。我が家の屋根には太陽光発電パネルが載っているので、昼は自前の電力でエアコンを動かせるのだ。「文句あるか!」 である。(参照

それにしても、夏の本番はこれからなのだ。9月まで猛暑が続き、10月になっても台風が訪れ、一度や二度ならず大雨も降るだろう。とにかく最近は天気が極端から極端に振れ、過去の常識が通じないことは、今回の水害でわかった通りである。覚悟しておくにこしたことはない。

今日も正午の段階で既に家の中の気温が体温を上回っているようで、我が家の階段の手すりが、日陰にあるのに妙に生暖かく、トイレのドアノブは 「熱い」 と言いたくなるほどだ。いつもの年だったら、まだ梅雨明けてないのに。

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2018/07/11

スタバのプラスチック・ストロー問題

スタバがプラスチック製ストローを全廃するというニュースが、結構注目されている (下の写真の左側)。なにしろプラスチック・ストローというのは、全世界でものすごい量が使われていて、捨てられてゴミになる量も大変なものらしい。これを全廃してしまえば、環境面での貢献はかなりのものだろう。

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で、そのちょっと後のニュースで、ストローを使わずに飲める新しいカップが開発されたともいう (上の写真の右側)。蓋の一部が盛り上がっていて、そこに直接口を付けて飲むらしい。それを使い捨てにしたらストロー以上の無駄遣いだが、リサイクルすると書かれてる。「だったら、初めからストローをリサイクルしろよ!」 と言いたくなるが、ストローは小さすぎてリサイクルには技術的問題があるなんて情報もあり、詳しいところはよくわからない。

このニュース、個人的にはあまり身に迫ってこないのだよ。私は半世紀近く、コーヒーショップで 「ホット・コーヒー」 以外の注文をしたことがないから、ストローなんて使う機会がない。ちなみに店ではつい、「コーヒー」 とだけ注文して、「ホットですか、アイスですか?」 なんて聞かれることが多い。

私としては 「フツー、『コーヒー』 と言ったら、ホット・コーヒー以外ないじゃん」 と思ってしまうのだが、世間一般にはそういうわけでもないらしい。とにかくコーヒー・ショップで辺りを見回すと、アイス・コーヒーを飲んでいる客がやたら多い。夏はとくにそうだが、冬でも珍しくない。

私がしょっちゅう海外出張していた 1990年代頃までは、外国では 「コーヒー」 といえば 「ホット」 以外にないといってもいいぐらいのもので、日本人が "Ice coffee, please" なんて注文してもわかってもらえないことが多かった。「海外では ”Iced coffee" って言うんだよ」 なんて言う中途半端な訳知りもいたが、そんな風に言っても、ないものはないのだから通じない。

ただ、最近は外国でも "iced coffee" が出現して、一般的になっているらしい。私にはどうしても 「奇妙で面倒な飲み物」 に感じられるのだが、まあ、世の中はそっちの方に進んでいるみたいなのだ。米国でストローが問題になっているのは、フツーの冷たい飲み物以外に、"iced coffee" が増えていることも背景にあるのかしらん。

ただ、個人的には、コーヒー・ショップに入ったら、フツーのコーヒー (つまり、ホット・コーヒーね) を飲めばいいじゃないかと、今でも思うのである。紙コップなんかも使わずに、陶器のコーヒーカップでブラック・コーヒーを粛々と飲むのが一番だし、第一余計なゴミも出ない。

ただ、世の中、そうはいかないみたいなのだね。甘ったるいものを飲みたがる客も多いようなのだ。面倒なものである。

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2018/07/08

「数十年に一度の気象災害」 が毎年ある時代

西日本の豪雨被害は、大変な規模になっているようだ。下の画像は 7月 7日時点の 72時間降水量を示しているが、その後に岐阜県などでも雨量が増し、さらに北日本にまで被害は広がりそうだ。

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ニュースによると、8日の朝の時点で死者の数が 50人を越していて、さらに増えそうだ。気象情報が発達していなかった前世紀には、このくらいの規模の被害がざらにあったが、今世紀に入ってからは記憶にない。

思えば、最近は 「記録的大雨」 とか 「過去に経験したことのない大雨」 とかいう言葉で表される気象災害が頻発している。ニュースを聞きながら、「おいおい、『数十年に一度の気象災害』 って言葉は、去年も一昨年も聞いたよな」 と、思わず呟いてしまった。そんなのが毎年起こってたまるものか。

近頃は気象の傾向が変わってしまったんじゃないかと思う。「何でもかんでも温暖化のせいにするな」 という人もいるが、これなんか温暖化と無関係とは思われない。

最近は極地の氷が溶けてしまっているという。だったら、地球上の水が氷として固定される割合が減って、「雨となる水の在庫」 が増えているのだから、ただでさえ暖かくなった地球上で蒸発して雨雲になり、地上に降り注ぐという、水の循環の総量が増えているのだろう。

CO2 削減に真剣に取り組まなければならない。野放図にクルマのエンジンをかけっぱなしにしたまま長時間駐車したり、エアコンをかけっぱなしにしたりといった行為は、確実に自分の首を絞めているのだ。

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2018/06/29

強風の真夏日

カンカン照りの真夏日だ。何もしていなくても汗が流れ落ちる。ただ、いつもの夏の真夏日とは少々様相が違う。空は真っ青でも風がやたら強いのだ。だからこんなに暑いのに入道雲がない。

上のビデオは、近くの田んぼの様子だ。真っ青な田んぼが強風に波打っている。穂の出かけた稲が台風の風に波打つという景色はお馴染みだが、青い田んぼがこんなに波打つ光景は、あまり馴染みがない。そして繰り返すが、背景の青空に入道雲のないのも、違和感の元だ。

ジリジリと照り輝く太陽の下で、そよとも吹かぬ風を待つというのが、いつもの夏である。しかしこの数日間、 「そよとも吹かぬ」 どころか、轟轟と音を立てて吹く風の止み間がない。まったくおかしな夏空である。

関東はこんなに晴れているのに、北九州は記録的な大雨だったのだそうだ。川崎町というところでは、1時間に 110ミリの猛烈な雨が降ったというから、尋常じゃない。雨雲レーダーを見ると、西日本から東北日本海側にかけて濃い青色で示される分厚い雨雲が連なっている。いわゆる 「線状降水帯」 ってやつだ。

関東にはこの雨雲がかかっていないが、強い風が吹きまくっているのは、低気圧に向かって吹き込む風がかかっているのだろう。とにかく、強風に煽られながら熱中症の心配をするという、あまり経験のない状況になっている。

「近頃天気がおかしい」 というのは、何年も前から何度も繰り返して言っている気がするが、その 「おかしさ加減」 は年々際立ってきている。今からこんな具合だと、本当の真夏になったらどんな猛暑になってしまうのかと、思いやられる。

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2018/06/22

土用の丑の日にウナギの 「代用食」 を食べようという提案

私は 5年前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 と宣言した。もっとも、出先であてがい扶持の弁当などで出てきてしまった場合には、捨てるのもナンだから仕方なく食うが、自分で選んで食うことはもう一生ないだろう。

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これはもちろん、絶滅危惧種であるウナギを絶滅から救いたいという意識からである。生物多様性を守ることは、我々人間自身の存続を守ることにもつながるから、単なるもの好きというわけではない。

そうした意識が、年間 2.7トン のウナギのかば焼きをムダに廃棄しているという日本の流通業界にもようやく出てきたようで、宅配大手のらでぃっしゅぼーやが、「土用の丑の日にウナギの 『代用食』 を食べようという提案を初めて行うことになった」 というニュースが流れた (参照)。私からすれば 「ようやくか!」 と言いたいところだが、とりあえずは歓迎すべきことである。

土用丑の日に、「体のために」 ウナギを食べようなんていう話になっているが、今どきのウナギは 「国産」 の表示があってもまったく信用できない。供給がタイトな国産ウナギのかば焼きが、あんなに日本中のスーパーにずらりと並ぶはずがない。多くは中国産のクスリ浸けウナギと思う方がいい。

それでも、丑の日に我も我もとウナギのかば焼きを食べたがるというのは、そのこと自体がもはや 「ビョーキ」 である。日本人の多くが大喜びでビョーキになって、クスリ浸けのアヤシい食い物を食いたがっている。そろそろ目を覚ました方がいい。

タバコの場合は、嫌煙権が言われ始めて 40年以上経ち、最近になってようやく 「タバコを吸うのはカッコ悪い」 という意識がメジャーになってきた。ウナギの場合、「土用丑の日だからと言って、我も我もとウナギを食うのはカッコ悪い」 という意識になるまでに、あとどのくらいかかることだろう。

まあ、もっと端的に言ってしまえば、土用丑の日に、絶滅危惧種のウナギを避けるために、その 「代用食」 を食おうというのも、まだ 「半分ビョーキ」 という気もするのだが、それでもモロにウナギに群がって、挙げ句の果てに大量のフード・ロスを生じさせるよりはずっとマシということにしておこう。

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2018/06/21

夏至の日の入りが一番遅いってわけじゃない

昨年 12月 1日に、「今日は日の入りの一番早い日」 という記事を書いた。一年で一番日の短いのは冬至ということになっているが、冬至は日の入りが一番早いというわけではなく、12月 1日を過ぎると、日の入りはだんだん遅くなる。ただ、日の出がさらに遅くなって、年が明けてからようやく早くなり始めるので、冬至が一番 「日が短い」 ということになっている。

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同じように、今日は夏至で、「日の一番長い日」 だが、だからといって日の入りが一番遅いというわけではない。上図は気象庁のサイトからコピーさせていただいた東京の日の入り時刻で(参照)、今日は 19:00、そして今月 24日以後は 19:01 と、さらに少し遅くなる。ちなみに左から 2番目の列が日の出時刻だが、今月初めからずっと 4:25 のまま、早い夜明けが続いていて、明日からは 1分遅くなる。

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というわけで、本日付の読売新聞の連載漫画 『コボちゃん』 は、残念な間違いを犯してしまっている。テーマはまさに 「夏至」 なのだが、左のコピーを見ていただけばわかるように、4コマ目で街灯が 「おしいねー わたしらセンサー付き街灯が一年で一番おそくつくとこみないの」 と独り言を言っている。

ところが上図で明らかなように、センサー付き街灯が夏至の日に 1年で一番遅く点灯するというのは、ありがちな誤解である。天気が一定と仮定すれば、理窟から言えば夏至の 3日後あたりから点灯時刻がより遅くなるはずなのだ。まあ、わずか 1分だから微妙な違いではあるが。

そして日没時刻は、来月の 4日までは 19:01 のままで、それが過ぎても 5日間は 19:00 となっている。だから、電柱の街灯が 「おしいねー」 なんて呟くのは完全な勘違いである。まず今日が 「センサー付き街灯が 1年で 1番遅く点く」 日というわけではないし、さらに 24日から 4日までの 11日間もの長きにわたって、「1番遅く点く」 ことになっているのだから、「惜しい」 なんてことはまったくない。

1年で 1番日の長いのが夏至で、日の短いのが冬至というのは誰でも知っているが、「日の長さ」 というのが正午を中心としてきっちり対称をなしているわけじゃないというのは、案外意識されていない。学校でもとくに教えてくれるわけじゃないしね。ということは、学校の先生も案外知らないのだろう。

この辺りのことを身体的知識としてよく知っているのは、早起き仕事をする農家の人とか、新聞配達の人とかなのかもしれない。漫画家という職業は、早起きとはまったく縁がなさそうだから、知らなくても仕方がないか。

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2018/06/08

刈り草を 「可燃ゴミ」 として集積所に出すという発想

私はかなり自然豊かな地域に住んでいて、家のすぐ後ろは川土手になっている。今の季節は背の高い雑草の宝庫になり、ヤブ蚊が大量発生するから、草刈り作業が結構大変だ。そんな昨今、町内のゴミ集積所に、刈ったばかりの枝と草が出されていた。真ん中辺りの紐で束ねてあるのが刈り枝で、奥の方のゴミ袋に入れてあるのが刈り草である。

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私は常々、刈り枝をゴミとして出すのはしょうがないところもあるが、刈り草を市の焼却処理に任せるのはいかがなものかと思っている。水分たっぷりの草を燃やすには、他のゴミと適当にブレンドし、重油と混ぜて無理矢理燃やさなければならないと聞いている。面倒な作業である上に、かなりの環境負荷になる。

ゴミとして出さないまでも、人はなぜか刈った草をかき集めて高く積み重ねておきたがったりするが、そんなことをすると、積み重ねた草の下の方がいつまでも乾かず、虫が湧いたりする。そして刈り草を集めて剥き出しになった地面は日当たりがいいので、またすぐに雑草が生える。これからの季節は、雑草が伸びるのと刈り取るのとの競争になってしまう。

土手付近の刈り草は、芝できれいにした庭とは違うのだから、そのまま地面に寝かせて敷いておくに限る。そうすれば適当なグランドカバーになって日当たりを抑制するので、新たな雑草が少しは生えにくくなる。これは、土手際に住む者としての経験知から、自信を持って言える。

ウソだと思うなら、今日の私の 「和歌ログ」 の写真を見てもらいたい (参照)。刈り草をそのまま地面に寝かせておいても、すこしも目障りじゃない。晴れて 3日もすれば草は乾燥して地面と同化するプロセスが本格化し、ますます自然な景観になる。積んでおく方がよほど目障りな上に、ジメジメして面倒なことになる。

ところが休日に町内の共同草刈り作業などをすると、実際の草刈りという重労働には手を出さないのに、刈った草を鋤で集めて積み重ねるという、楽だが無意味な作業をして、「私も一応働いてるんですよ」 という免罪符にしたがる人がいる。

私は 「そういう余計なことはしないでくれ」 と言うのだが、いくら言ってもわからないようだ。せっかくのグランドカバーをどかされたら、またすぐに雑草が生えるから、私は共同作業が終わった後に積み重ねられた雑草の山を崩して、再び平らにならしたりしている。

というわけで、土手際の刈り草を積み上げるのは無意味以上に、後でさらに面倒になる作業なのだが、あまつさえ、ゴミ袋にパンパンにつめてゴミ集積所に出したりされると、「この人、一体何を考えてるのか」 と暗澹としてしまう。刈り草は 「ゴミ」 なんかじゃなく、元々自然のものなのだから、刈ったらそのまま自然にしておけば別に目障りなわけでもなんでもないのに。

それどころか、家庭菜園をしている人の中には、落ち葉や枯れ草を堆肥にして貴重なバイオ肥料にしている人もいるというのに、ムダに油をかけて燃やすという発想が私にはどうにも理解できない。しかし世の中ではこうしたエコロジカルな考えの方が、まだまだ理解してもらえないようなのだ。

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