カテゴリー「自然・環境」の53件の記事

2008/06/08

幻の銀玉水

環境省はこのほど 「平成の名水百選」 を選定、発表した。これは 1985年に選定した 「名水百選」 に加え、7月の 「洞爺湖サミット」 に合わせ、特に水環境の保全活動が行われている点を主眼に選んだという。(参照

このニュースに惹かれた私は、詳しい情報を見ようと、環境省のサイトに飛んだ。

まず、環境省公式サイトのトップページの一番上にある検索欄で、「名水百選」 をキーワードにすると、政府関係の検索サイト 「電子政府の総合窓口 - ホームページ検索」 という機能で 「環境省 名水百選」 というページがトップに表示された。

ところが、さっそくそこに行ってみると、あろうことか、いきなり、「名水百選は移転しました。http://mizu.nies.go.jp/meisui/ (水環境総合情報サイト内)」 と表示される。

そこで、リンクをクリックして指定されたページに行ってみると、今度は 「2008年4月1日より、本サイトはサーバ移転しました。新しいページはhttp://www2.env.go.jp/water/mizu-site/ です」 ときた。

その新しいページへは 5秒以内に自動的に飛ぶように JavaScropt か何かで設定されているからいいけど、だったら、初めから一番新しいページにリンクしてくれよと言いたくもなろうものである。ぷんぷん。

で、やっと表示されたページは 「水環境総合情報サイト」 というページで、実はまだ、目指す 「名水百選」 のページではない。まったくもう、疲れるなあ。ここで左側のメニューから 「名水百選」 のボタンをクリックすると、ようやく 「環境省選定 名水百選」 というページに辿り着く。

しかし、なんだかおかしい。よくみると、そこはまだ 1985年に選定された 「昭和の名水百選」 のページなのであった。

で、改めて検索してみると、環境省のサイトには、平成の名水百選関連のページは、「新・名水百選の選定」 で表示される選定経過を広報するページしかないようなのだ。つまり、このほど賑々しく発表された 「平成の名水百選」 の最終結果のページは、本日現在、まだないということなのである。

おいおい、段取り悪いなあ。さすが、お役所仕事である。だが、それはまあいい。どうせそのうち (忘れた頃に)、新しいページが作られるだろうから、それまで待てばいい。くさるものでもあるまいし。

で、ようやく本題に入ろう。

私がこれまでで一番おいしいと思った水は、昭和の名水百選にも平成の名水百選にも見当たらない。それも仕方のないところである。それは、一日かけて辿り着いた登山口を早朝に出発し、夕方頃、へとへとになって辿り着く山の稜線にあるのだ。

誰もが簡単にありつけるというものではないから、お役所の 「名水百選」 なんてものには、極めて選ばれにくいのである。

それは山形県の秘境、朝日連峰の稜線に湧く 「銀玉水」 (「ぎんぎょくすい」 と読む) という水である。私はこの水を 20代の半ばに口に含んだ。それはそれはもう、とろけるほどの甘露だった。あんな極楽浄土に遊ぶような心地になる水を飲んだのは、後にも先にも一度きりである。

登山者が列をなして昇るようなポピュラーな山ではない。ただでさえ山懐の深い東北の、熊とカモシカの住処でしかない難所中の難所である。稜線の途中のコブも、脇をまいたりせずに、いちいち忠実にピークを越えて進む、とにかく人をへとへとにさせるためだけにあるようなコースである。

20代半ばの私は、合気道という武道をきっちりとやっていたから、体力にはかなり自信があった。普通の登山コースなら、その辺のにいちゃんが 5時間かかって歩くコースを 2時間半でぶっとばす脚力があった。その私が、「もう勘弁してくれ」 と弱音を吐くほどの難コースなのであった。

その難コースの夕方近く、もう目眩がするほどへとへとになったあたりに、かの 「銀玉水」 はある。もともと甘露なのか、体がめちゃくちゃに水を求めているから、どんな水でも甘露に感じられるのか、多分、その両方なのだと思うが、とにかく五臓六腑にしみわたる旨さなのである。

こんな旨い水を大量に持って帰りたいと思うのだが、そんな大量に持ち運んだら、途中でばてて遭難してしまう。だから、しかたなく水筒に一杯で我慢するのである。

ちなみに、もう少し進んで、大朝日岳直下の小屋付近にテントを張ったが、付近に水場はない。そこから歩いてしばらく行ったところに、今度は 「金玉水」 (くれぐれも 「きんぎょくすい」 と読んでもらいたい) という湧き水がある。

金玉水も旨いが、圧倒的に銀玉水の方が旨い。しかし、もう遅い。テントを張って思い切り飲めるのは、金玉水でしかない。銀玉水はかくして、幻の水と化すのである。

そして、50代半ばを過ぎた今、あの銀玉水を飲むために、もう一度死ぬ思いをする覚悟があるかといえば、残念ながら私にはないのである。悲しいことである。ああ、あの水筒一杯の銀玉水が、今そばにあったら、どんなに幸せなことだろうと思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/07

白熱灯を止めるなんていっても……

「経済産業省が家庭用照明の白熱灯を廃止し、省エネ型の電球型蛍光灯に転換を促す方針」 (参照) とのニュースには、白熱灯派の私としては、ちょっと驚いてしまった。

我が家はかなりエコ意識の高い家庭を自認しているが、蛍光灯だけはやたら少なくて、白熱灯比率が高い。

確かに蛍光灯の方が消費電力が少ないのはわかっているが、こればかりは趣味の問題で、ちょっとだけ贅沢させてもらっている。それでも、要所要所、私のデスクとか、リビングルームのテーブルの上とかは、蛍光灯だ。

白熱灯にしているのは、廊下、階段、玄関、トイレ、台所、寝室など、あまり長時間使わない所である。廊下とかトイレなんかは、ちょっと点けてすぐに消すから、これらを蛍光灯に変えても、消費電力はあまり変わらないと思うのである。

しかも、我が家の白熱灯は、ワット数が最大でも 60ワット止まりである。100ワットの電球なんて 1個も使ってない。あんまりのっぺりと明るすぎるのは嫌いで、40ワットぐらいのうすぼんやりしたのが好きなのだ。廊下とかトイレなんて、20ワットばっかりである。

こんな我が家が全ての電球を蛍光灯に変えたところで、消費電力とか CO2 排出量に大した違いは出ないと思うがなあ。ちょっと白熱灯で贅沢させてもらっている分は、他の部分の省エネでお釣りが来るんじゃなかろうか。

そもそも、白熱灯を蛍光灯に変えて大きな効果が期待できるのは、ヨーロッパ辺りだと思う。とくにドイツとかフランスとかの連中は、蛍光灯嫌いで、白熱灯ばっかりである。そのおかげで、薄っぺらな感じじゃない深みのある陰影のインテリアが実現されている。

彼らが、この深みのある陰影のインテリアってやつをすっぱり諦めて、全部蛍光灯に変えてしまったら、消費電力がかなり少なくなると思う。とはいえ、彼らがそう簡単にインテリアの雰囲気を放り出してしまうとは思えないのだけれど。

一方、日本人の家庭をみると、既にかなりの部分が蛍光灯化されてるじゃないか。我が家みたいに白熱灯だらけの家なんて、あまり見たことがない。オフィスなんてのは、もう、ほとんど蛍光灯みたいなものだし。

こんな日本で蛍光灯化なんて言っても、あまり大きな効果は望めないんじゃないかと思ってしまうのだ。もっと他にやることいっぱいあるだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/06

人災としての杉花粉症

今年の杉花粉飛散量は、半端じゃないらしい。そのせいか、この春に花粉症デビューしちゃった人がかなり多い。

身近なところでは、我が家の末娘だ。ある日突然、グシュグシュしながら 「ねぇねぇ、もしかして、これって花粉症?」 と言い出したまま、立派な花粉症持ちになってしまった。

実は私も花粉症持ちである。元々アレルギー性鼻炎ではあるのだが、杉花粉の季節になると、それに輪をかけてひどくなる。とはいえ、ここしばらくはあまりたいした症状は出なくて、昨年あたりはもう治ったんじゃないかと思うほどだったが、さすがに今年はたまらないので、外出時にはマスクをしている。

ところで、ものの本によると、花粉症は英語で "hay fever" というなんてことになっている。「ヘイ・フィーバー = 干し草熱」 である。英語の本場、英国では干し草で花粉症になるらしいのだ。

時は大航海時代、英国人たちは船を造るために森林を刈り尽くし、裸になってしまった土地に牛を飼うための牧草を植えた。英国の牧草地のほとんどは、元々野っぱらだったわけじゃなく、多くは森林を皆伐してしまったなれのはてなのだというのである。

で、英国の農夫たちは干し草を束にして運んでいるときに、妙に鼻水が出たり、熱っぽくなったりするのを自覚していた。それを称して  "hay fever" と言ったわけである。もろに 「干し草熱」 だったわけだ。

だから、  "hay fever" と日本の 「杉花粉アレルギー」 は同じものじゃない。しかし、共通点はある。元々はそんなに多くなかった植物を、人工的に増やしすぎたという点だ。このように、人工的に不自然な増やし方をすると、人間の方が絶えきれなくてアレルギー反応を起こしてしまったりするらしい。

そういえば、私は以前 「杉花粉と種の保存」 というエントリーを書いている。戦後むやみに植えすぎた杉の人工林が、手入れの悪さで悲鳴を上げ、必死に種を保存しようとして無駄に花粉を飛ばしているのだという説もある。花粉症はかなりの意味で人災と言えるようなのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/04

ソメイヨシノによるストレス増幅

4月 1日の春嵐にも負けず、関東の桜が満開を維持している。桜ははかなく散るものと思われているが、実際には盛りを過ぎるまでは、強風でも必死に枝にしがみついている。

それでも、桜ははかなく、あるいは潔く散るというのは、日本人の DNA の中に深く擦り込まれた固定イメージのようなのだ。

昨日の和歌ログで、「のどけきを忘るる春の曉に静かなるかな桜散らざり」 と詠んだ (参照)。日本人の桜のイメージに、敢えて反旗を翻してみた。こんな風に詠いたくなるほど、今年の桜は健気である。

この日の和歌日記にも書いたのだが、在原業平に、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 という超有名な歌がある。桜さえなかったら、今日散るか、明日散るかと思いを馳せることもなく、平穏な心で春を過ごせるのにという歌だ。

しかし、業平の頃の桜の主流は山桜である。ソメイヨシノはずっと時代を下って江戸末期に品種改良の末に作られたものだから、日本人は山桜に馴染んだ期間の方がずっと長い。有名な吉野の山の桜も、山桜である。

山桜というのは、Wikipedia によると、ソメイヨシノよりもずっと花の盛りが長いらしい (参照)。そのため、昔の花見はその長い花の盛りの間に、散発的に行われたとある。今のように集中してどっと繰り出すというようなことはなかったようだ。

それなのに、業平は 「絶えて桜のなかりせば」 と詠んだのである。今から思えばずっとのどかな花見をしていた時代に、なおこんな風な感慨を抱いていたわけだ。今の我々と、平安貴族のスピード感は、ものすごいギャップがあるようなのである。

思えば、我々はあまりにも急ぎすぎているような気がするのである。1年を 8年分生きるドッグイヤー感覚に慣らされすぎているようだ。

そういえば、今では日本の桜の 80%がソメイヨシノになってしまっているようだが、これでは 「種の多様性が維持できない」 と警鐘を鳴らす人もいる。なるほど。日本中のソメイヨシノがたった 1本の木のクローンだというのだから、もし何か大きな要因でソメイヨシノにダメージが与えられたら、日本中の桜の 8割が消えてしまいかねない。

政府の首脳が全員 1機の飛行機に乗って移動するようなものである。何かの事故で墜落したら、国がマヒしてしまう。日本の桜はそれと同じような状態にある。

そして、平安の代の貴族ですらソワソワしていた感覚を、開花期間の短いソメイヨシノで、さらに増幅させてストレス社会に輪をかけている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/03/04

「業績不振を天候要因に帰すな」 と言うが

アパレル業界では 「業績不振を天候要因に帰すな」 とよく言われる。天候が味方してくれなくても、企画とマーケティング努力で売り上げは伸びるのだという叱咤である。

しかし、そんなきれい事を言っても、やはり衣料品の売れ行きはお天気に大きく左右される。これはどうしようもない事実である。

ハイファッションを買い続けないとストレスになってしまうという、ファッション・マニアックは、ある一定の比率で存在する。こうした消費者は、魅力的な商品さえ提供されれば、暑かろうが寒かろうが、どんどん買ってくれる。寒波到来前に、汗をかきながらダウン・コートを着てくれる。

しかし普通の消費者は、暖冬だったら 3年前に買ったコートをもう 1年着ちゃおうと思うのである。夏が暑すぎたら、夏用のジャケットなんか何着も揃える気になれないのである。アパレルもエアコンもビールも、お天気商売なのだ。

それに、今回のようにかなり寒い冬になっても、本格的に寒くなったのが 1月の中旬以後だったりすると、その頃は既にバーゲンのシーズンになっているので、いくらコートが売れても在庫処分の世界であって、まともな利益にはならない。

アパレル業界が儲かるには、梅雨明けが早くて 7月初めからどっと暑くなり、旧盆が過ぎたら急に秋めいてきて、晩秋からぐっと冷え込み、立春を過ぎたらさっさと春の陽気になってくれればいい。要するに、季節の移り変わりが早め早めになってくれればいいのだ。

ところが、最近は逆で、梅雨明けがいつなのかうやむやのうちにやっと夏になり、そのくせ、秋の彼岸を過ぎてもだらだらと残暑が続く。短い秋が過ぎて暖冬かと思っていると、立春過ぎに急に寒くなる。ようやく春が来ても天候不順で菜種梅雨が長く、そのうちにまた暑い夏になる。

これでは、アパレル業界としては、まともな値段で勝負する期間がない。ようやくそのシーズンにふさわしい天候になった時には、バーゲン・シーズンなのである。当然にも、フツーの消費者はバーゲンになってから服を買う。

とまあ、このように天候要因に大きく影響される業界でメシを食っているせいか、気象予報士試験を受けたら、そりゃあ落ちるだろうが、私は素人としてはお天気ネタには結構強い方である。

いつの年が酷暑で、いつが暖冬だったかなんてことはしっかり頭に入っていて、「よくそんなこと憶えてるね」 なんて言われるが、それは仕事柄なのである。しかし、よく考えてみれば仕事柄だけではなく、これまで暮らしてきた環境のせいでもあるようだ。

高校まで暮らした山形県の庄内地方は、音に聞く地吹雪地帯である。人間が普通に暮らしているところとしては、世界最凶のブリザード地帯といわれることもある。そんなだから、天気には敏感で、天気図の読み方も子供の頃からいつの間にかわかるようになっていた。

学生時代にはよく山登りをして、観天望気なんていう技も身に付けた。さらに、30歳前に引っ越してきた今の家が、なんと洪水地帯に建っていたのである。

引っ越して 1週間目の日曜日に台風が来て、目の前の道路が冠水し、外に出られなくなった。さらに 2年後には床下浸水なんて被害まで経験し、当時勤めていた会社から 「罹災手当」 として 1万円が支給された。伊勢湾台風以来、25年ぶりの支出項目だったそうだ。

というわけで、私はつい最近まで台風が近づくたびに、天気図とにらめっこしながら眠れない夜を過ごしていたのである。

ところが、最近になって近所に遊水地ができ、我が家の裏の川も拡幅工事で川幅が 2倍になった。地域の排水設備もようやく整えられて、なまじの台風では道路冠水なんてしなくなった。引っ越してきてから 30年。長いようで短い期間だが、治水対策だけは確実に進んだ。

おかげで、近頃は台風が近づいても少しは安心して眠ることができるようになって、浸水の心配は忘れ、業界の売れ行きだけを気にかけていればいいようになったのである。ありがたいことだが、一方では地球温暖化なんていう、より大きな心配の種が持ち上がっている。

やはり天候要因というのは大きいのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/02/25

「春一番」 の大混乱

一昨日の 23日、関東に春一番が吹いたというニュースがあったのだが、その直後に急に風向きが変わって、より強い北寄りの風が吹いたために、情報がかなり混乱している。

ブロゴスフィアにも 「なんて寒い春一番だ」 とか 「冷たい春一番が吹き荒れた」 とか、ちょっと困った記述がどっさり見られる。

ニュースでも、「春一番 首都圏につめ跡 恐風」 (東京新聞) とか、「春の嵐、列島に猛威・関東で春一番」 (Nikkei Net) など、見出しを見る限りでは、昼過ぎに吹いた春一番と、その後に猛威をふるった強烈な北西風とが、ずいぶんごっちゃにされている。

念のために復習しておくと、春一番の定義は、「立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り (東南東から西南西) の強風」 である。南寄りの風だから、暖かいのである。冷たい北寄りの風は、そりゃ春一番じゃないのだ。

一昨日の関東地方における天気の推移をレビューしてみよう。この日の朝から吹いていた南寄りの暖かい風は、昼下がりの 13時 24分に 15.9メートルに達し、基準値の風速 8メートルを超えたため、昨年より 9日遅い 「春一番」 と認定された。

しかしその後、寒冷前線の通過に伴って、急に風向きが変わり、より強い北西風となった。この日の暖かい陽気は午後 2時頃までしかもたず、その後の北西風の最大瞬間風速は 27.9メートルにも達した。なんと倍近い、台風並みの風速である。

この日の東京都心は、暖かい南風のせいで、午後 1過ぎに 4月上旬にあたる 17.0度の気温を観測していた。ところが北西風に変わった後の午後 3時の気温は 6.8度と、わずか 2時間のうちに、一気に10度以上下降している。

後になってから吹いた冷たい北西風が春一番よりずっと強烈だったのは、印象とか体感だけではなく、こうして数値的にもはっきりと裏付けられる。

この急激な気象変化により、人間の感覚にもニュースにも、かなり混乱をきたしてしまったのは、最初に触れた通りである。大きな被害が発生したのは、より強烈な北西風に変わった午後 2時半頃より後に集中しているのだが、これが 「春一番」 が吹いたという事実とごっちゃに報道されている。

これについては、気象予報士の森田正光さんも、ブログで次のように警鐘を発している。(参照

話がややこしくなりますが、北西風の最大瞬間風速と、春一番をごちゃごちゃにしては、誤解を受けます。何度も言いますが、こういった誤解を解くのが我々、お天気キャスターの仕事なのです。

こうした誤解は、本当に解いておいていただきたい。そうでないと、実害はないかもしれないが、冒頭に触れたように  「冷たい春一番が吹き荒れた」 といったようなトンチンカンが続出してしまう。

念のため、だめ押ししておくが、春一番は暖かい風であり、冷たい春一番というのはあり得ないのである。そして、一昨日は春一番が吹くには吹いたが、その直後により強烈な北西風に変わったのであり、伝えられた被害の多くは、春一番によるものではないのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/13

季節予報はビミョー

昨日は風呂に入ると、もう目を開けているのも億劫になり、ばったりと気絶するかのごとき眠りに落ちてしまった。

今年になってから、三が日は休んだものの、それ以外は 1日しか休みが取れていない。ああ、毎週でなくていいから、2週間に 1日は何もすることのない休日が欲しいものである。

というわけで、今日は日付の変わった直後の更新はならず、そのかわり、少しは睡眠不足を補うことができた。それで、朝の常磐線の中でこのエントリーを書いている。今日のジョーバ・ン線運動は、帰りの車内だけにしておこう。

ところで、今日は 「この冬一番の寒気」 というのが、上空に入ってきているそうなのである。梅の蕾が膨らんできているというのに、妙に寒く感じるのは、歳のせいでも、ジョーバ・ン線運動で体脂肪が減ってきているせいでもなく、単純に気温が低いからのようだ。

思えば、昨年の 11月に発表された季節予報では、暖冬か平年並みになる可能性が高いということだった。ラ・ニーニャ現象が発生すると、厳冬になる確率が高いのだが、それでも寒気を供給する北極圏が地球温暖化の影響でそれほどの力を持っていないので、厳冬にはなりにくいと説明されていたはずだ。

と思ってよく調べたら、昨年 11月に発表されたのは、11月から 1月までの 3ヶ月の予報だった。うぅむ、急に寒くなったのは 1月の松の内を過ぎてからだから、もしかしたら、そんなには外れていないかもしれない。微妙なところである。

いずれにしても、気象庁の発表する 3ヶ月の季節予報の実績は、当たったのが 50%に満たないのだから、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 のレベルと思っていればいいのだが。

昔、生ものを食う前に 「天気予報、天気予報、天気予報」 と、三度唱えるまじないがあった (その心は 「当たらない」) が、これからは 「季節予報、季節予報、季節予報」 と唱えるといいと書いたのは、去年の 8月のことだ (参照)。

昨年の 11月、この冬の季節予報発表直後に、「寒い冬になってもたじろがないように、今から覚悟だけは決めておこう」 と書いている (参照)。今となれば、覚悟を決めておいてよかったと思うのである。

季節予報の結果がビミョーだろうが外れようが、あきらめずにシステムの改良を重ねていくうちに、そのうちに当たる確立が 60%を越すようになって、「お、3シーズンに 2度は当たるようになったじゃないか」 なんていわれる日がくるのだろう。

ただ、そうなればなったで、今度は外れたときのダメージが大きくなる。今なら外れても、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 で済ませられるが、なまじ当たりだすと、外れたときにクレームが多くなるだろう。ああ、人間の業は限りないものである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/01/02

五感を研ぎ澄ますと

昨年、少年少女向けの野外体験学習プログラムというものにちょっと縁があって、さわりだけ付き合う機会があった。

海辺の林の中で、インストラクターが 「目を閉じて耳を澄ませてください。さあ、何種類の音が聞こえるか、指を折って数えてみましょう」 という。試しに私もやってみた。

初めのうちは、人間の立てる音しか聞こえない。周りの人間の小さな話し声、林の中の落ち葉を踏むカサコソいう音、そして、遠くの国道を走る車の音。しかし、すぐに驚くほど豊かな音の世界に、自分が包まれていることがわかってくる。

風の音が聞こえる。まるで自然が呼吸をしているように、強く、弱く、常に耳のそばで鳴っている。そして、その奥で通低音のように鳴っているのが、磯に打ち寄せる波の音だ。

小鳥たちの声も聞こえる。ツツピー、ピィ~、チュンチュン、チチチ・・・。チュンチュンというのはスズメだろうが、その他は何という鳥かわからない。わからないが、鳴き声がそれぞれ違うので 4種類いることはわかる。そして、カアというカラスの声も聞こえる。これで鳥は 5種類だ。

さらに、風が少し強まると聞こえる葉擦れの音。それも、高い所と低い所では、葉の種類が違うから、鳴る音も違う。少なくとも、12種類の音が確認できた。

しばらくして、子どもたちに何種類の音が聞こえたか、インストラクターが聞く。驚いたことに、ほとんどの子は 3~4種類の音しか聞いていない。話し声、足音、車の音、鳥の鳴き声ぐらいのものだ。

多くの子どもたちには、風の音が聞こえていない。さらに、鳥の鳴き声が聞き分けられず、1つの音にしか聞こえていない。葉擦れの音は意識すらされていない。これって、かなりやばいんじゃないかという気がした。

彼らは決して耳が悪いというわけじゃない。自然の音のちょっとした違いが聞き分けられないのは、彼らが普段、自然とあまり接していないので、違いを意識する訓練ができていないのだ。ハンバーガーしか食べていない子が、他の食材の微妙な味わいを理解できないようなものだろう。

私は昨日、約 10キロの道のりを歩いて、初もうでのはしごをした。途中は、車の往来の激しい県道を避け、ほとんど田んぼの中のあぜ道を歩いた。歩いているうちに、自然と対話している自分に気付いた。

日射しは常に変化している。急ぎ足なので、太陽が現われれば汗ばむほどだが、雲に隠れればとたんに冷え冷えとする。その雲は、地形にも似た上空の大気の状態を見せてくれている。

風には風の道があり、少し移動するだけで耳のそばでなる風の音が変化する。冬の日射しのもとで、鳥たちは思い思いに鳴いている。冬枯れの時期とはいえ、主要な水路が近付くと水の流れる音がする。世界は豊かさに満ちている。しかしそれは、気付いた者のみにもたらされる豊かさである。

いつのまにかハイな気分になっている。ジョギングをしていると、「ランナーズ・ハイ」 という状態になることがあるが、山歩きなどをしていてもそうなることがある。「ウォーカーズ・ハイ」 とでもいうのだろうか。昨日は久しぶりにそれを体験した。

五感を研ぎ澄ますと、世界はこんなにも豊かなのだ。いにしえの人たちは、現代に生きる我々よりもずっと多くの対話を、自然との間でしていただろう。我々の気付かなくなってしまった多くのことを、さも当然のように理解していただろう。

そしてその向こうに、さらに五感以上の何かで感じられる世界が開けてくる。私はそれを 「信心」 と称している。「信仰」 というほど大袈裟なものではない。人間を超えた世界を畏れ敬うという、ほんのちょっとだけ謙虚な心である。

「信仰」 というのは、それが嫌いなら強制するものではないが、ちょっとした 「信心」 はあった方がいいと思う。

2時間 25分の初もうで行脚の記録は、和歌ログ 1月 1日付の記事に書いてあるので、興味のある方はどうぞ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/12/19

関東の冬景色

近頃、目を覚まして窓を開けると、外はびっしりと霜が降りている。「あぁ、関東の冬景色だなあ」 と、しみじみ思ってしまう。

私は筑波の里に越してくるまで、霜の降りた光景なんて、見たことがなかった。だから、この土地で最初の冬、一面の霜野原を見たときは、雪が降ったものと勘違いしたほどだ。

生まれて高校 3年まで過ごした庄内の地では、霜なんてものはほとんど降りない。もしかしたら、年に何度かは降りていたのかもしれないが、少なくとも私は一面の霜野原というのは、自分の生まれた土地では目撃したことがない。

何しろ、庄内の冬は風が吹くのである。シベリアからやってくる、あの冬の季節風である。しかも関東に吹くような空っ風ではない。たっぷりと湿り気を含んだ上に、毎日台風かと思うような強風である。あんなに風が吹いていたら、霜どころではない。

そう思いながら家を出て、車を運転しながらいつもの TBS ラジオを聴いていると、気象予報士の森田正光さんが、まさに霜関連の話をしていた。前夜ばったりと寝てしまって、日付の変わった直後の更新ができないと、それはそれで、おもしろい情報に出くわす。

森田さんいわく、霜柱は関東地方でよく見られるが、実は世界でも珍しい現象なのだそうだ。注意しなければならないのは、「霜」 と 「霜柱」 は、気象の世界では別物なのだということ。霜は空気中の水分が急激に冷やされて凍ったものだが、霜柱は地中の水分が凍って地面にせり出してきたものだ。

で、霜は世界中あちこちでみられるが、霜柱のできる条件に合致する地域は、それほど多くないというのである。地表の温度が 0度以下にならないといけないが、あまり寒いと霜柱どころでなく凍土になってしまうし、風が強くてもいけない。

なるほど、私が一面の霜野原をみて 「あぁ、関東の冬景色だなあ」 と思うのは、単なる個人的印象ではなかったのである。

それから、ちょっと余談だが、冬になると、部屋や車のドアを開けようとしたときに、ビシッと静電気が走ることがある。私なんか割と静電気に弱い方で、かなりストレスなのだが、これを解消する方法というのを発見した (参照)。

要するに、金属のノブを触る前に、壁に触ればいいのだそうだ。屋外だったら、塀とか電柱とか。金属は電気を通しやす過ぎるので、触ったときにビシッとくるのだが、木材とか壁とかは、ゆっくりと静電気を逃がしてくれるので、体には感じないもののようだ。

なんだ、それだけのことかと思うほど、なんてことのない話だが、世の中で実際役に立つのは、「なんてことのない」 ことの方が多い。面倒くさい手順なんか、踏んでられないから。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2007/11/14

ラニーニャと地球温暖化

関東甲信越地方のこの冬の季節予報 (11、12、1月) によると、気温が平年並みとなる確率と、平年より高くなる確率がいずれも 40%で、合計 80%になっている (参照)。

平年より低くなる確率は、20%。つまり、平年並みか暖冬になる確率が高く、厳冬になる確率は、とても低いということだ。

今年の夏はめちゃくちゃ暑かったが、これは、ラニーニャ現象の影響によるものとされている。で、ラニーニャの発生した年の冬は、厳冬になる傾向があるといわれる。近いところでは、一昨年の冬がそうだった。私の田舎はすっぽりと雪に埋まった。

しかし、今年はラニーニャが終息したという話は聞かないのに、厳冬予想になっていない。これは、寒気の供給元となっている北極圏の寒気団が、今年は例年に比べて弱いため、厳冬の予報は出しにくいからだと言われている。

確かに、北極圏の氷がすごい勢いで解け始めていて、ホッキョクグマのサバイバルが大変というニュースを聞くにつけ、地球温暖化をしみじみと感じてしまう。つまり、いくらラニーニャでも、寒気の供給元がしゃんとしてくれないと、厳冬にはなりにくいということのようなのだ。

もし、今年の冬が暖冬になったら、地球温暖化は、ラニーニャを無視してしまうほどの勢いで進行しているのだと、危機感をもたなければならないだろう。逆に、ラニーニャの年らしい厳冬になったら、ほんの少しだけほっとしていいのかもしれない。

と、こう言ってからそっと付け加えるのだが、気象庁の 3ヶ月予報というのは、実のところ、あまり当たらない。過去の成績をみると、当たった確率は 50%に達していないのだ。ということは、要するにはずれる確率の方が高いということだ。

で、私は寒い冬になってもたじろがないように、今から覚悟だけは決めておこうと思うのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/09/07

元気のいい台風が来てしまった

今、日付が替わって 7日になったばかりだが、関東平野には、台風 9号の風雨が容赦なく吹き付けている。

九州か四国あたりで体力を使い果たして、すっかり弱った台風ではない。今まさに海からやってきたばかりの、一番元気のいい台風である。この状態で関東直撃というのは珍しい。

やはり、威勢のいい状態の台風というのは、雰囲気が違う。まず、音からして違う。ごぅっという風の音が、まるで地鳴りのような勢いである。この音がすると、家が揺れる。九州や四国の人は、慣れているかもしれないが、関東人は肝を冷やす。

熊本の人は、年に何度も一番元気のいい状態の台風を経験する。それでも、山を切り開いた造成地の大型駐車場で、ごぅっという風の音とともに、ずらりと停車してある車の列が一斉にズルっと動くのをみると、青ざめてしまうという。おぉ、くわばらくわばら。

九州や四国の人が体験するような、海からやってきたばかりのイキのいい台風が関東を襲うというのは、温暖化現象で、台風発生のメカニズムとその移動経路が、北に平行移動してしまったんじゃあるまいかなんて、余計なことが気にかかったりする。

それにしても、こうしたフレッシュな状態の台風を迎えると、海洋国家の日本というものを意識する。遙かなる太平洋の燃え上がる息吹を吸収して、それを列島に叩きつける自然の力というのは、わたつみを介して地球的に広がる意識を培養するかもしれない。

台風は今日の朝までが山場だという。大きな被害がなければいいなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007/08/14

「季節予報」 を 3回唱える

昔、生ものを食う前に 「天気予報、天気予報、天気予報」 と、三度唱えるまじないがあった。その心は 「当たらない」 ということである。

最近は、明日や明後日の天気予報はとてもよく当たるようになったが、季節予報はまだ難しいようだ。気象庁が 8月の気温を低めに予報修正したとたんに、この暑さである。

梅雨入り前は、ラニーニャ現象の影響で、この夏は 「小雨で猛暑」 との予報だったのを、覚えておられる方も多いだろう。ところが、実際には梅雨明けが遅れに遅れて、案外しのぎやすい日が続いた。

そこで、気象庁も考えを改めたらしく、先月の 25日に発表した 8~10月の 3か月予報で、8月の気温については、「高めか平年並み」 から 「平年並み」 に修正された。

一説によると、元々、気象庁のスーパーコンピュータの計算では、平年並み予想だったのだが、ラニーニャ要素を重視して手動で修正した結果が 「小雨で猛暑」 という予報だったようだ。それで、なんだ、やっぱりコンピュータの方が正しかったじゃないかといことになったらしい。

ところが、梅雨明けした途端にやたら暑くなってしまって、とくに北日本では記録的な暑さになっている。手動による修正が、後になってからだんだんと正しさを発揮し始めてしまったようなのだ。世の中はまったく皮肉なものである。

実は 12日まで、酒田と仙台に滞在していて、関東と比べたら少しはしのぎやすいだろうと期待していたが、すっかり裏切られ、大変な暑さだった。

東北でも内陸は、例年かなりの暑さになるのだが、酒田や仙台は、暑くてもせいぜい 32度程度のことが多い。しかし、今年は平気で 34度とか 35度になっている。フェーン現象を除いたら、異例のことだ。

で、気象庁も 8月 10日発表の 1ヶ月予報では、日本の大部分で、平年より気温の高い確率が 50%以上と塗り替えられている。これなんか、予報というよりはなんとなく 「後出しジャンケン」 じみたもののような気がするのだが、まあしょうがない。

それに、9月以降の残暑は厳しくなるという予報なのだが、これだって、当たるのだかどうだか甚だ怪しいものである。なにしろ、1ヶ月以上先の予報は当たらないことの方が多いという実績が、しっかりとあるのだから。

これからは、生ものを食うときには、「季節予報、季節予報、季節予報」 と、3回繰り返すといいかもしれない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/07/12

うぅむ、にっくきアレチウリ

多摩川の中下流域で、河川敷に帰化植物の アレチウリ が急激に繁殖して、ヨシ原のヨシに絡みつき、数万羽のツバメがねぐらを奪われているというニュース (参照) を目にした。

うぅむ、にっくきアレチウリ。府中四谷の河川敷では、一昨年 2万羽いたツバメが、昨年は 50羽しか確認できなかったというではないか。

そういえば、私が取手駅近くに借りている駐車場の周辺でも、アレチウリが大増殖している。上の写真は、坂の道端の草に絡み付いて、そのチクチクザラザラした感触の蔓を、まるでエイリアンの如くに道路の真ん中あたりまで伸ばし、次の寄生先を探ろうとしている光景である。

そして、下の写真は何だと思われるだろうか?

実は上の写真の右手に続く杉林の一本の杉の姿なのだ。アレチウリが杉の木にびっしりと絡み付いて、まるで、「アレチウリの大木」 のような様相になってしまっている。

こんなにまで絡み付かれては、杉の木はさぞうっとうしくて堪らないだろう。濡れ落ち葉の比じゃない。まことに気の毒な話である。

この植物が 「アレチウリ」 という名の帰化植物だとは、件のニュースで初めて知ったのである。何でも、北アメリカ大陸が原産らしい。

実は、この話は昨日付の 「和歌ログ」  (参照) でも触れていて、私はその中で次のように書いている。

つい、アメリカに絡みつかれて身動きが取れなくなっている日本を見ているような気がするが、このメタファーはあまりにもステロタイプ過ぎて気恥ずかしいから、敢えて否定しておこう。

(否定して、かえって意味が強まってしまったりして)

そしてめずらしく、こんなふうな気張った歌を詠んでしまった。

アメリカの棘ある蔓に覆はるる杉に見るまじ祖国日本

否定したせいで意味が強まってしまったのは、どうやら確実なようだ。まあ、あまり政治的な深い意味は込めてないのだが。(政治、嫌いだし)

ちなみに、「アレチウリ」 (荒地瓜) は和名で、英語名は "star cucumber" というそうだ。「星のキュウリ」 である。多分、花の形が星に似てる (参照) からそういうのだろうが、私の感覚では、アレチウリを 「スター」 だなんて言いたくないなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/06/30

「優しい運転」 を巡る冒険

私はマイ箸やマイバッグを使ったり、合成洗剤を使わなかったりなど、中年のオジサンとしては結構、エコ派だったりするのだが、車の運転には案外無神経だった。

とくに加速に関しては、「最初の 5秒で 20km/hになるくらいのペースを目安にして、優しい発進」 なんて、近頃初めて意識した。

試しに、自分の加速がどの程度のものかと思い、実際にやってみたら、時速 20km/h なんていうのは、最初の 1.5秒ほどで達してしまう。5秒もかけたら、下手したら 60km/h を超えてしまう。私の愛車のデミオはトルクが太いらしく、ちょっとアクセルを踏むだけで、やたら心地よい加速感なのだ。

この車に買い換えてから、青信号になって発信したととたんに他の車を引き離してしまうなあと、薄々感じてはいた。それまで、3種類の 7人乗り RV に 15年以上続けて乗ったので、加速はあまりよくなかった。だから、それまでの感覚でアクセルを踏むと、グィーン! と加速してしまうのである。

それに気づいてからは、発信するときは恐る恐るみたいな感じでアクセルを踏んでいるのだが、それでも、20km/h に達するまで 3秒ぐらいで済んでしまう。5秒かけたら、余裕で40km/h だ。

ただ、何が何でも 「優しい加速」 にすればいいというものでもないような気がする。例えば、渋滞直前のノロノロ運転の時など、先頭の車がやたらと 「トロい」 運転をしている場合が多い。その先頭が 「フツー」 に走ってくれさえすれば、交差点に差し掛かる度に赤信号にひっかかることもないのにと、ムッときたりする。

赤信号でアイドリングストップをする車なんてほとんどないから、全体としては、ものすごく燃費を悪化させることになると思うのだ。

状況によっては、「優し過ぎる加速」 が車の流れを停滞させて、全体として排気ガスを増やしているということがあるような気がする。コトは、「自分だけの燃費向上」 では済まないのだ。

一昨日 「エコ対策の複眼思考」 のエントリーでも触れたのだが、こうした問題は本当に一筋縄ではいかないのである。一人一人が自分の頭で考えて、最適な対策を取らなければならないのだろうが、人間はそこまで賢くなろうと不断の努力をするほど偉いものでもないらしい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/28

エコ対策の複眼思考

地球温暖化が切羽詰ってくるにしたがって、マイバッグ使用だの、バイオエタノールをガソリンに混ぜるだの、いろいろなエコ対策が提案されているが、それぞれに懐疑論が付きまとう。

レジ袋を削減したところで、大した効果はないとか、バイオエタノールの需要増加に従って、トウモロコシの価格が暴騰するとか。

再生紙やペットボトルのリサイクルにしても、リサイクルする方が生産に要するエネルギーは大きいのだという指摘もある。要するに、リサイクルは逆に環境破壊につながる所業であって、どんどん採れたての原料を使うほうがいいのだというお話だ。

しかし、このあたりはちょっと待ってもらいたいという気がする。リサイクルの方がよりコストがかかったり、エネルギーを要したりするのは、現時点においては当たり前の話なのだ。

この社会の生産システムのほとんどは、リサイクルなんか考えなかった時代のコンセプトで最適化してある。それ以外のコンセプトで運用しようとしたら、ロスが発生するのは当たり前だ。

つまり、現状のリサイクルはロスが大きいと認めつつ、その上で、リサイクルが不合理なのではなく、現状のシステムが金属疲労をおこしつつあって、不合理になっているのだと考えなければならない。どっちが絶対的に正しいかではなく、歴史の流れという視点の複眼思考である。

リサイクルを前提とした生産システムに移行するには、時間がかかって当然なのだ。今はその過渡期であって、その過渡期の状況の不完全さをあげつらっていては、いつまで経ってもシステムを改良してよりよいものにすることができない。

新しいシステムというのは、いつだって試行錯誤を経て改良され、定着してきたのである。その試行錯誤を否定するのは、システムの進化そのものを否定することにつながってしまう。

人間の所業というのは、常に合理的でまっすぐな一本道というわけではない。これまでの歴史を振り返れば、そんなことは一目瞭然だ。同じようなプロセスを、今現在の我々だって辿りつつあるのである。ゴチャゴチャしてるのは過去の歴史だけと考える方が愚かというものだ。

大きな変化の際に多少の痛みを伴うのは当たり前である。その程度の痛みは覚悟しよう。人類はこれまでだってその痛みを経験してきたのであり、そのおかげで今の世の中が、我々があるのだ。自分たちだけは痛みを感じたくないというのは、勝手というものである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007/06/26

またしても 「マイ箸」 にこだわってみる

今年の 1月から 「マイ箸」 を持ち始めて、半年近くになる。ここまで来ると、つい最近まで、何の疑問もなく安物の割り箸を口に含んでいたことが、信じられない気がする。

近頃、「安物の割り箸免疫」 が切れてしまったようなのだ。だから、たまに割り箸を使うと、明らかに違和感がある。

私の関係先のオフィスの近くに蕎麦屋がある。特別旨いというわけでもないが、値段の割には許せるそばを食わせてくれるので、昼食はそこで食うことが多い。そして、先日、マイ箸を持参するのを忘れたので、何ヶ月ぶりかで、その店の割り箸を使ってそばをたぐった。

すると、明らかにツユの味が違うのである。なんだか、薬臭い 「いやぁな味」 がするのだ。半年近くも、しょっちゅう食いつけてきた味だから、その違いは明らかにわかる。店の割り箸の先を浸してしまったツユには、確かに、変な刺激のある夾雑物が溶け出しているのである。

ほとんどの割り箸は、防かび剤、防腐剤、農薬、漂白剤で処理されているというが、この時、確かにそうなのだろうと実感した。それらの薬品が、そばつゆの中に溶け出しているのを、私の舌は敏感に感じ取ったのである。

割り箸を当たり前に使っていた頃は、それには気付かなかった。しかし、半年近く割り箸から遠ざかった後に、久しぶりで使ってみると、その違和感は隠しようもない。

せっかく無農薬だの減農薬だのという食材を選んで食しても、安物の割り箸を使ったら、その意味がかなり薄れてしまうとみていいような気がする。

というわけで、私は今、マイ箸を使おうよと、改めて大いに勧めたい気持ちになっている。環境保護のためというのはもちろんだが、それは自分の健康のためにもなりそうだ。「環境なんか知ったことじゃないが、自分の健康だけは守りたい」 というエゴイスティックな動機でも、とりあえずは、ちっとも構わないと思う。

とは言いながら、やっぱりマイ箸使用に踏み切れない人は多いだろうなあと思う。以前にも書いたが、電車で気軽に老人に席を譲ることのできない自意識過剰の人は、なかなかマイ箸も使えないだろう。

ということは、ある意味では、無理矢理にでもマイ箸を使うのは、余計な 「我 (が)」 に執着することを捨てるトレーニングにもなりそうだ。マイ箸を気軽に使えるようになったら、神経症とは無縁の人になれるかもしれないぞ。そして、電車で老人に席を譲ることをためらわずに済むかもしれない。

ちなみに、これまでの当ブログの 「マイ箸」 関連エントリーは、以下の通り。今回のは、第 5弾である。

 「マイ箸」 を持ち始めた  マイ箸その後  「マイ箸」 について再び考察
 やっぱり 「マイ箸」 でないとね

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2007/06/16

エネルギーを浪費しない照明

私はとても物騒だった頃のニューヨークを知っている。なにしろ、ホテルのロビーで人が撃ち殺されたのを目撃しているし (参照)。

ところが、近頃のニューヨークはとても安全になった。結構のほほんと道を歩いていても、それほどの危険は感じない。ジュリアーノ元市長の浄化作戦が功を奏している。

3年前にニューヨークに行ったとき感じたのは、夜になっても裏通りがやたらと明るいことだ。大きな照明を使った宣伝パネルが、いたるところに設置されている。これで、街の隅々まで明るくなって、犯罪防止にとても役立っているのだそうだ。

確かに、夜間照明を充実させることで、犯罪はかなり抑止されるらしい。しかし、問題はそれに使われるエネルギーだ。

ただでさえ地球温暖化防止で、電力消費を控えようと呼びかけられているのに、その一方で、ふんだんに夜間照明を使うのは考え物である。夜間電力とやらで、コストは抑えられているかもしれないが、CO2 発生まで抑えられているわけじゃない。

「あちらを立てればこちらが立たず」 というのは世の習いだが、これは、かなりしんどい二律背反である。人の命を守ろうとすると、地球の命が危なくなる。

この問題の有効な解決策になるかもしれない開発商品を、最近、ひょんなことから知ったので、紹介しておこう。レビアという会社の 「ソーラー式ルナライト」 である。太陽光充電で 14時間の点灯が可能な LED フラッシュライトで、600m 以上離れても見えるのだそうだ (参照)。

既に千葉県木更津市の 「中の島大橋」 のほか、いろいろな施設に採用されているらしい。昼間に 6時間太陽光に当たれば、夜になってから 14時間発光するというのだから、かなり使い物になるではないか。

このルナライトを庭に設置し、夜間、光で蚊や蛾などの害虫を集めて駆除するということも可能なようで、今、北海道大学で実験中だそうだ。消費する電力はすべて太陽光発電で、殺虫剤も用いないので、環境にやさしい。

今年のエイプリルフール・ネタのハエ取りリボン (参照) よりは、ずっと画期的である。(実は、このネタを間に受けてしまった人がずいぶん多くいて、その中の一人からこの情報をいただいたので、罪滅ぼしの意味もあって、紹介している)

こんなような技術開発なら、どんどん進めてもらいたいと期待する。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007/06/12

ラニーニャ発生 - 当たりそうな 「しっくり感」

私は 6月 5日に、"ラニーニャが発生するすると言われている割には、「発生した」 とは全然伝えられず、わけがわからない" というようなことを書いている (参照) が、実は、遅くとも 5月には発生していたらしい。(参照

へぇ、5月下旬の時点では、「6月にも発生する見込み」 (参照) なんて言ってたのにね。

まあ、あら探しは止めておこう。気象データというのは、きっとかなりデリケートなもので、いろいろと検証を重ねてからでないと、確信をもった発表ができないんだろうということで。

というわけで、ラニーニャ発生の年の夏は、日本では猛暑、小雨になりやすいんだそうだ。で、前回のラニーニャは、2005年秋から 2006年冬にかけて発生したということだが、この年の冬は、記憶にも新しい豪雪の冬だった。

あの、特急いなほが突風に煽られて脱線転覆してしまった年の冬である。本当に本当に、大変な冬だった。(なお、この件に関しては、ぜひ読んでいただきたいエントリーがあるので、よろしければ、以下をクリックしていただきたい)

 羽越線脱線事故・外伝

話は戻るが、ラニーニャが発生すると、夏はくそ暑く、冬はくそ寒くなりやすいということなのか。つまり、夏はより夏らしく、冬はより冬らしくなって、結局は 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 というような傾向になるのだな。

逆に、エルニーニョになると、「日本では長梅雨、冷夏、暖冬となる事が多い」 と、Wikipedia には書いてある(参照)。夏らしくない夏とか、冬らしくない冬ということになるようだ。「及ばざるは過ぎたるが如し」 なんていう格言はないが、そんなようなことか。よく覚えておこう。

私はその 6月 5日のエントリーで、以下のように書いている。

でも、私は昨日、我が家の裏の土手の道を歩いて、「この夏は猛暑になりそう」 との予測を信じることにした。昨日の日射しを浴びて、なんとなくしっくり来てしまったのである。

で、どうやら、この 「しっくり感」 は当たりそうな雲行きなのである。やれやれ、こんな予感は別に当たらなくてもいいのに。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/05

この夏は、猛暑で小雨になりそう

今年の夏は、ラニーニャ現象の影響で、猛暑・小雨になりそうだと予測されている。気象庁発表の 6-8月の 3ヶ月予報でも、関東甲信越は、気温の高い確率 50%。小雨の確率 40%とされている。(参照

それにしても、この中長期予報というやつは、本当にわかりにくいなあ。

何しろ、上記でリンクした気象庁のページを見てみると、気温に関しては、6-8月の 3ヶ月では、平年より低い確率が 20%、平年並みの確率が 30%、平年より高い確率が 50%なんだそうだ。

これって、どう読み解けばいいのかというと、平年より気温の高い確率が半分しかないというよりは、低かったり、平年並みだったりする確率の 2倍ぐらい高いというふうにみるのが妥当ということのようで、要するに気象庁は、「暑い夏になるだろう」 と言いたいらしい。

ところが、過去の実績をみると、気象庁の中長期予報が当たったという確率は 50%を僅かに切るようで、つまり、当たらなかったことの方がちょっとだけ多いのだ。ということは、平年並みだったり、平年より低かったりする確率が、半分だけ担保されているということが、妙な説得力をもったりしている。

というわけで、私なんか、中長期予報は信じない人なのである。結局、わけわからんし、外れても、ちゃんと言い訳が用意されて過ぎているものを、信じろという方が無理だ。

で、今回の猛暑・小雨の予報の根拠の一つとなっているラニーニャ現象というのは、4月あたりから、6-7月に南米沖で発生する可能性が高いと、ずっと言われているのだが、6月に入った今でも、「発生した」 とは伝えられていない。

どうなってるんだか、よくわからないのである。どうも、気象予報の世界というのは、専門家の独占状態になっているようで、法律的にもがんじがらめの縛りがきつい。素人が勝手なことを言ってはいけないし、玄人でもうかつなことを言っちゃいけないことになっている。

そりゃ、外れたら鬼の首でも取ったように文句を言ったり、苦情を言ってきたりするのが多いから、予報する立場の者が決定的な責任を取らないようなシステムを構築しておく必要があるのだろうが、かといって、ものすごくグレーゾーンのきつい表現ばかりするようなことでは、結局わけがわからんのだ。

明日や明後日の天気は、近頃、かなりよく当たるが、一週間先の天気となると、なかなか当たらない。ましてや、3ヶ月先の天気なんて、どうせ、当たるも八卦、当たらぬも八卦みたいな世界である。

でも、私は昨日、我が家の裏の土手の道を歩いて、「この夏は猛暑になりそう」 との予測を信じることにした。昨日の日射しを浴びて、なんとなくしっくり来てしまったのである。天気なんて、要するに、しっくり来るか来ないかというお話である。で、私としては暑い夏を覚悟することに決めたと、そういうお話である。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007/05/09

霧は痒いのだ

昨日の朝、珍しく都心に霧がたちこめたそうだ。私が都心に出たのは午前 9時半頃だったから、もう消えかけていたが、8時前頃はかなりの濃霧だったらしい。

ここ 10年間の東京の霧発生日数は、年平均で 1.8日しかないそうだが、1945~50年頃は、30~40日も霧が発生していた (参照)。

なにしろ、「東京の灯よいつまでも」 という大昔の歌謡曲があって、その出だしの歌詞が 「雨の外苑 夜霧の日比谷」 というのである。ちょっと調べてみたら、昭和 39年、つまり東京オリンピックの年のヒット曲だったようだ (参照

ということは、東京オリンピックの年あたりまでは、歌に歌われるほどに、東京都心の日比谷あたりでも霧がしょっちゅう発生していたようなのである。まあ、サンフランシスコほどではないだろうけれど。

東京の霧の発生が極端に減ったのは、1970年代を境にしている。私は昭和 46年 (1971年) に大学入学で上京したが、確かに東京で霧なんかほとんど見たことがない。それどころか、私は今住んでいるつくばの里に越してくるまで、霧なんてまともにみたことがなかった。

東京での霧の発生が激減したのは、温暖化、都市化現象のためとみられている。樹木伐採、ビル建設、道路の舗装などで裸地が減少し、地表からの水蒸気の蒸発が減り、その結果、霧が発生しなくなったと言われている。

一方、私の生まれた山形県庄内地方は、自然環境は豊かなのだが、何しろ年中風が強いので、霧なんか滅多に出ないのである。いや、出たとしても、すぐに吹き飛んでしまうのだ。その代わり、地吹雪で見通しがきかなくなることはしょっちゅうだが。

ところが、昭和 57年に、このつくばの地に越してきて、驚いた。年中濃霧が発生するのである。夏の朝、とっくに日は昇っているはずなのに、霧で見通しがきかないために、車のライトを点けて、歩くようなスピードで行くことが度々あるのだ。つまり、この地は風が穏やかで、自然が豊かということなのだろう。

ちなみに、霧が発生するには、空気中に霧の核となる微粒子が多数存在しなければならない。芥子粒ほどの塵とか、煤とか、そんなものである。それに水蒸気がひっついて、凝結して霧になる。

そのせいだろう。霧の中をバイクで走ると (フルフェイスのヘルメットでは大丈夫かもしれないが)、顔がものすごく痒くなる。霧の核となっている微粒子が、毛穴の奥まで入り込んでしまうようなのだ。だから、なまじの洗顔では、この痒みはなかなか取れない。

東京オリンピックの頃、夜霧の日比谷公園で愛をささやき合っていた恋人たちも、もしかしたら、ほっぺたをぽりぽり掻いたりしていたのだろうか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/23

ペットボトルを捨てるにも、関西はエライ!

去年の秋、ペットボトルを捨てる時には蓋を取って捨てるというマナーがほとんど守られていないことを、私は嘆いた (参照)。

しかし、今回関西に行って、コンビニのゴミ箱を見て感心してしまったのである。ごく自然にペットボトルの蓋を取って捨てるように、ゴミ箱のデザインが工夫されているのだ。

件のエントリーには、ペットボトルのリサイクル現場からも、蓋をしたまま捨てられるのは困るとの声が上がっているというコメントが寄せられた。この問題を解決できるデザインがあることを、私は初めて知った。

写真は、兵庫県明石市で見かけたコンビニの店先のゴミ箱である。ペットボトル用のゴミ箱の左側の小さな穴は、キャップを入れるようになっている。そして、右側の部分をプッシュすると、ペットボトル本体を捨てられるようになっている。

なるほど、これならペットボトルを捨てるときに、自然にキャップを取って捨てることになる。キャップを捨てる穴には蓋がなくて、本体は蓋を押さなければ捨てられないというところがミソだ。これで、捨てる時に、ちょっとだけ考えることになる。

一緒に仕事をした関西人に聞くと、多くのコンビニで、この仕様のゴミ箱が採用されているとのことである。素晴らしいじゃないか。少なくとも私は、関東でこんなスマートなアイデアを見たことがないぞ。

このゴミ箱の中がどうなっているのかまでは確かめなかったが、入り口が別でさえあれば、中は一緒でも構わないと思う。要するに、捨てるときにペットボトルから蓋が取り外されるように、自然に誘導すればいいだけのことなのだから。

何しろ、フツーの日本人は変に勤勉だから、ペッボトルを捨てる時にさえ、わざわざ蓋をして捨てるのである。それでリサイクルの時に余計な手間がかかるのだ。その余計な勤勉さを防止するために、このデザインはなかなか考えられている。

人間の 「知」 は、脳みその外部にあったりするのである。例えば、押して開けるドアには取っ手がなく、"PUSH" と書かれた金属やプラスチックの板が貼り付けてあるだけで、引いて開けるドアには取っ手があったりする。これによって、ドアの開け方が直感的に理解されるのだ。

リサイクルのためには、ペットボトルの蓋を取るべきだと知らない人間でも、これなら自然に蓋を取って捨てるという行動に移りやすい。脳みその外部デザインとして、これはとてもさりげなく、しかも気が利いていると思うのである。日本中に広まってもらいたいものだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/04/01

地方空港とハエ取りリボン

「ハエ取りリボン」 という商品をご存じだろうか。リボン状の粘着テープを天井から吊し、飛び交うハエをくっつけてしまうものだ (参照)。

高度成長期以前は日本中で普通に使われたが、最近は滅多に見られなくなった。しかし、ここ 10年ほど、ハエ取りリボンの生産量が再び増加し、隠れたヒット商品となっている。

先月、某社の社内報企画で、衛生と環境保全の関連をテーマにした特集に関わり、大阪和泉市にある安政 3年創業の老舗にして国内シェア 45%の最大手、大日本蝿取紙本舗(株) の取材をして、このことを知った。

ハエ取りリボンは人体に害を与えない害虫駆除グッズとして、再び脚光を浴び始めているというのである。

取材に応じてくれた同社の服部専務によると、ハエ取りリボンの需要は 10年ほど前に底をつき、一時は廃業寸前まで追い込まれたが、それ以降はV字回復的な持ち直しで、とくにここ 2~3年は、1年中生産ラインをフル稼働させても需要に応じきれないほどだという。

この時ならぬ需要増加の最大要因は、地方空港が増えたことである。最近、不必要なほどの数の地方空港が次々に開港しているが、そのほとんどは、典型的な田園地帯にある。

その周囲の田んぼや畑は、最近有機農業の台頭によって、鶏糞や堆肥などの自然肥料を大量に使う傾向がある。有機米や有機野菜は、市場で高値で取引されるため、今や農家にとって最も重要な作物になっているのだ。

このため、空港周辺では春から秋にかけて自然肥料に群がって大量のハエが発生する。しかし、それを駆除しようにも、殺虫剤を大量散布するわけにはいかない事情がある。

それは、空港利用者の健康を守るためということもあるが、最大の理由は、空港で殺虫剤を大量使用すると、周囲に漏れだしてしまい、近隣の農家が、ドル箱の 「有機米」 や 「有機野菜」 のブランドを使えなってしまうことだ。つまり、農家の営業妨害になるのである。

しかし、空港ビル内をうなりを立てて飛び交うハエの大群に手をこまねいているわけにはいかない。そこで、窮余の一策として考えられたのが、ハエ取りリボンを大量にぶら下げるという方法だったのである。

春から秋にかけて、地方の空港を利用すると、真っ黒なリボン状のものが、空港ロビーの天井から何本もぶら下がっているのに気付くだろう。あれがハエ取りリボンである。真っ黒に見えるのは、表面にびっしりとくっついたハエなのだ。

私の故郷の庄内空港に問い合わせたところ、年間のハエ取りリボン使用量は、約 240ダース、金額にして 100万円以上になるという。月に 2度の交換作業は、空港職員総出で半日を要するそうだ。

ざっと計算すると、日本中で生産されるハエ取りリボンの 80%以上は、地方空港の需要ということになるようだ。世の中、何が幸いするかわからない。

こうして一時の危機を脱したハエ取りリボン業界だが、その生産は機械化が遅れており、しかも若年労働者が不足しているため、最近では逆に、供給不足が恒常的に続いている。地方空港では、端境期の冬の間に大量に買い占める動きを見せているほどだ。

大日本蝿取紙本舗では昨年、中国上海に生産工場を移転し、生産を拡大しようと計画したが、中国では、ハエは殺虫剤の大量散布で駆除すればいいという考えが支配的なため、そんな産業を導入しても自国の利益につながらないと判断した模様で、許可が下りなかった。

服部専務は、「中国でもハエ取りリボンの有用性に気付くぐらいにならないと、地球規模での環境汚染は続く」 とコメントしている。

ちなみに、九州地方の空港では、今年最初のハエ取りリボン設置を、今日 4月 1日に行なうそうだ。そうか、なるほど。

【4月 2日 追記】

えぇと、恐れ入りますが、これは改めて申し上げるまでもなく、エイプリルフールのネタということで、ご容赦願います。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007/03/13

自然の帳尻合わせ

いくらなんでも、もうスタッドレスタイヤは要らないだろうと、普通のラジアルタイヤにはきかえた途端に、冬に逆戻りして、東北の日本海側には大雪注意報が出た。

まあ、関東ではもう雪は降らないだろうし、田舎に帰るのは今月末だから、多分支障はないだろうが、さすがに驚いた。

寝たきりの母を介護する父の応援のため、2か月に 1度帰郷しなければならないので、今年は冬の帰郷に備えて、生まれて初めて自分の車にスタッドレスタイヤを装着した。しかし、それが役に立ったのは、たった 1度、時間にしてわずか 20分程度のことだった。

11月末に帰郷し、12月 1日に戻ってくるときに、月山越えの国道 112号線で雪にあった。その時の模様を、私のもう一つのサイト、wakalog  に収めてある  (参照) が、この時、かろうじて役に立ったのである。

その後は、なにしろ東京やつくば周辺では雪が一度も降らない冬になってしまったため、全然役に立たず。さらに先月中頃からは暖かくなる一方だったので、ついに今月の 5日、しびれを切らして、普通のラジアルタイヤに戻してしまったのだ。

すると途端に冬に逆戻りなのだから、我ながらお笑いである。4年か 5年前、桜が咲いてから雪が降ったことがあったから、さほど珍しいことではないのかもしれないが、この冬が記録的な暖冬だっただけに、何だか初めて冬らしくなったような気さえする。