カテゴリー「自然・環境」の233件の記事

2017/10/02

22℃で 「肌寒い」 と感じるのが新人類なのか?

小学生の頃に買ってもらった 「気象天文の図鑑」 (確か小学館発行だったと思う) に、正確な言い回しは忘れてしまったが、「18℃が快適な気温 」 というようなことが書いてあった。刷り込まれるというのは恐ろしいもので、以来私は、気温が 18℃ になると快適さを感じてしまう体になってしまった。

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私の生まれ育った山形県庄内地方は、少なくとも 1970年代までは、真夏でも最高気温が 30℃を超える日は多くなかった。だから子どもの頃は気象台発表の最高気温が 29.7℃なんていう日でも、暑くてひいひい言っていた記憶がある。そして秋になれば一挙に 20℃を下回る日が多くなり、快適な涼しさを感じていた。

その庄内地方でも最近は、真夏の最高気温が当たり前のように 32〜33℃ぐらいになっている。フェーン現象が発生したら平気で体温以上になってしまうのだから、昔の常識は通用しない世の中になった。

最近、ラジオの天気予報などを聞いていると、気象予報士が 「明日はぐっと秋らしい天気になって、最高気温も 22度ぐらいまでしか上がらない見込みです」 なんて言うと、MC が 「22度ですか。そうなると、ちょっと肌寒く感じそうですね」 なんて反応する。気象予報士も 「そうですね。明日は長袖の上着を用意してください」 なんて言っている。そんなことでは、18度では震えてしまうだろう。

最高気温が 25℃になったら 「夏日」 なのだから、人間には 「暑い」 と感じられて当然で、22℃ぐらいではむしろ 「少し暖かい」 ぐらいに感じられても不思議ではない。私はとくに暑がりというわけではないと思うのだが、22℃の気温でパタパタ動き回っていたら汗をかいてしまうので、ポロシャツ 1枚でも十分いける。

ただ最近は 「温暖化」 のせいで、夏から初秋にかけては 30℃を超えて当たり前になったので、人間の体も暑い方に順応してしまっているのかもしれない。22℃で肌寒く感じるぐらいが、最近の気候には合っていると言えないこともない。そうでないと、35℃なんかになったら死にそうになってしまう。

ということだと、22℃で 「肌寒く感じそう」 と言うのが新人類で、「18℃ぐらいが一番快適」 なんて言っている私は旧人類ということになってしまいそうだ。なんだかなあ。

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2017/09/16

カメムシの話

一昨日の和歌ログは、カメムシについての歌だった (参照)。外出先から帰宅したら、クルマのボンネットにカメムシがひっついていたのである。どこかから飛んできたのか、あるいはクルマの移動中にひっついて、そのまま連れて来てしまったのか、とにかく、久しぶりでカメムシに遭遇したのである。

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カメムシという虫に出会ったことのない人は幸いである。というのは、邪険に追い払ったりすると、突然ものすごく臭い体液を放出するのだ。ましてや、間違えて踏んづけちゃったりしたら大変だ。「ヘッピリムシ」 という異名まであるのだから、その嫌な臭いが想像されるだろう。

だから、ちょっと 「怒り肩」 風の茶色や緑色の小さな虫を見かけたら、あまり強引に追い払ったり潰したりしない方がいい。一昨日は放っておいたところ、いつの間にかどこかに飛び去ってくれたので安心した。

というわけで、私の中では 「カメムシって、嫌な奴」 と思い込んでいたのだが、徳島博物館の 「カメムシのはなし」 というページを読んで、認識を新たにした。カメムシには、「よいカメムシ・わるいカメムシ・ただのカメムシ」 があるのだそうだ。

ちなみに、この写真のカメムシは 「クサギカメムシ」 といって、豆類を食い荒らす害虫だそうだ。逆に 「ハナカメムシ」 の仲間は害虫を補食してくれる益虫らしい。そして意外なことに、セミやタガメもカメムシの仲間なんだそうだ。確かに、似ていると言えば似ている。そして彼らは 「ただのカメムシ」 ということになっているのがおもしろい。

とはいえ 「よいカメムシ・わるいカメムシ・ただのカメムシ」 と色分けしても、それはひたすら人間の都合で言ってるだけだ。人間というのはかくも勝手なもので、当のカメムシにすれば余計なお世話なんだろう。かまわず放っといてもらうのが一番と思っているはずだ。

人間でも 「いい人」 と 「悪い人」 というのがいて、お隣の半島の北側の太った人は、世界有数の 「悪い人」 扱いされている。カメムシと違うのは、世界中から かまってもらいたがっているらしいという点だ。最もうっとうしいタイプである。

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2017/09/14

今年の 8月の天気は、散々だったのだ

下の写真は、我が家の太陽光発電の、今年 8月の記録だ。オレンジ色の線が発電量の推移で、ブルーの線が消費量の推移。オレンジ色で塗りつぶされている日は発電量が消費量を上回り (つまり 「黒字」)、ブルーで塗りつぶされていれば消費量が上回っている (つまり 「赤字」) ことを示す。

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我が家は一昨年の 4月に太陽光発電パネルを設置したので、それ以来、夏を 3回経験したことになる。経験からして最も効率よく発電してくれるのは、日照時間が長く、気温も高すぎない (高すぎると発電効率が落ちるらしい) 5月で、過去 2年間は、7月、8月がそれに次ぐ実績を上げていた。

ところが今年の 8月の関東の天気はぐずつきっぱなしで、ご覧の通り、ブルーの部分が多かった。とくに月の中頃はひどいもので、天気が悪いためにエアコンもあまり使わなかったので、ブルーの部分がそれほど目立たずに済んでいるが、発電量に注目すれば惨憺たる結果である。

月間の数字は、発電量が 248.2 kWh で、消費量の 236.0 kWh を辛うじて上回り、黒字を確保できた。しかし一昨年の 8月の発電量は 282.9 kWh、去年の 8月なんて 305.9 kWh で、余裕の黒字だったのである。

それどころか、248.2 kW という数字は、今年 1月、2月の発電量の、273.3 kWh、279.7 kWh という数字をも大きく下回る。真夏の太陽光発電量が、真冬のそれに遠く及ばなかったのだから、今年の 8月はとんでもない月だったとわかる。

それでなくても、最近は台風の進路がちょっと変わって来ていて、南海上からやってきたのが、強い勢力のままいきなり関東や東北、それどころか北海道に上陸するというのが増えてきている。米国でも超大型ハリケーンが相次いで上陸するし、これまでの気象の常識がかかりにくくなっている。

ここ 20年ぐらいでこんなに大きな変化を見せているのだから、これから 20年はもっと大変なことになるだろう。気象災害にいかに備えるかが大きな問題になってきている。

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2017/08/27

「近頃天気がおかしい」 と毎年言っているが

昨日は新潟に日帰り出張した。超ピストン旅行である。新潟は前日は大雨だったそうだが、昨日はカラっとした晴天で、気持ちのいい一日だった。下の写真は帰りの新幹線の窓から撮ったものである。

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「8月になってからまともに晴れた日が少ない」 ということだったが、まあ、晴れ男の私が訪れるとこんな感じになってしまう。ところがつくばの里に帰ってみると、湿度の高いじっとりとした夜だった。昨日までのような暑さではないが、ジメジメ感がうっとうしい。

今年の夏は本当におかしな天気で推移中である。梅雨入りが宣言されたとたんに猛烈な暑さになり、7月の初め頃は 「本当は梅雨明けしちゃってるんじゃないの?」 とみんな言っていた。そして気象庁が梅雨明けを宣言したとたんにジメジメした天気になり、「本当の梅雨が始まったみたいだね」 ということになった。8月始めは本当にぐずついた天気が続いたが、しばらくすると猛暑になった。

本当に天気の浮き沈みの激しい夏である。毎年のように 「近頃は天気がおかしい」 と言っているが、今年の夏はおかしさ加減が並外れている。こんな調子で天気がおかしくなり続けたら、4〜5年先は一体どうなっているだろうかと、本当に心配になってしまう。

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2017/08/06

アジサイが 「まだ梅雨なんでしょ」 と咲き始めた

関東の今年の梅雨は、実は 8月に入ってから始まってまだ明けていないんじゃないかとまで思っている。気象庁の速報値では、関東の梅雨は 6月 7日頃から 7月 19日頃までとなっているが、その間は我が家の太陽光発電データをみる限りずっと好調で、雨による不調な日があってもそれは 2日と続かなかった。

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ところが、気象庁が 「関東の梅雨は明けたとみられる」 と言ってから、7月 23〜27日の 4日間、ずっと不調で発電量が使用量を下回り、8月に入ってからはいつもの夏より発電量がずっと小さいままの状態が続いている。「実はまだ梅雨なんじゃないの」 と多くの人たちが言い出すわけだ。

で、そんなことを言い出すのは人間だけじゃなくて、我が家の裏のアジサイまで 「まだ梅雨なんでしょ」 と言わんばかりに新しい花房をつけてしまった。アジサイの花の季節は 7月中旬には終わって、あれだけきれいだった花房は薄茶色の枯れ草色になってしまっていたが、今日の昼頃に見ると、なんと瑞々しい色の新しい花房がついている。

自然までが、梅雨はまだ明けていないと勘違いして、というか、実際は正しい判断なのかもしれないが、そんなような動きをしてしまっているようなのである。わけのわからない時代になってしまった。

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2017/07/24

土用丑の日に休業する鰻屋さんの志

明日は土用丑の日なのだそうで、新聞のチラシは鰻蒲焼きのオンパレード。テレビやラジオもウナギ、ウナギで盛り上がっている。ただ私はだいぶ前からウナギとマグロは食わないことにしているので、とろっとした蒲焼の写真なんか見ても全然そそられない。

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私がウナギとマグロを食わないことにしたのは、ケチっているというわけでは決してない。わざわざ絶滅危惧種を選んで自分の口に入れてしまうのは、いかにも夢見が悪いからである。種の多様性を守ることと、ウナギやマグロを食うこととどっちが大切かと言われたら、そりゃ種の多様性を守る方がずっと大切だ。

この間の事情については、過去に書いた中の、次の 3本の記事を読んでいただけばよくわかっていただけるだろう。

当面、ウナギとマグロは食わないことにする (2013.6.14)

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013.8.3)

ウナギを食うのは早めに諦める方がいい (2016.9.26)

こんななかで、朝日新聞が "土用の丑、今年は2回 「ウナギ守るため」休業の店も" という記事を書いてくれている。以下に引用する。

6月下旬、専門店 「うなぎ高瀬」(東京都八王子市)の 「土用の丑の日は休業します」 という店内の貼り紙を、客がツイッターに投稿した。多くの客が訪れることで丁寧な接客が難しくなるほか、稚魚の減少に触れて「資源を大切に守り、日本の食文化 『鰻 (うなぎ)』 を未来に残したい」 などと理由が書かれていた。

私は個人的にはウナギは衰退産業だと思っている。まともな国産ウナギは高すぎるし、安い中国産のウナギはどんなアブない餌で育っているか知れたものではない。いずれにしても、きちんと考えれば考えるほど、自分の口に入れるものではないという気になる。

上記の 「ウナギを食うのは早めに諦める方がいい」 という記事の中で、私は次のように書いている。

そろそろ日本人も、「ワシントン条約のせいでウナギが食えなくなってしまう」 などという、根拠のない被害者意識で捉えることを止めなければならない。本当のところは、日本人がウナギを食い過ぎるからワシントン条約で規制しなければならないところまできてしまったのである。うなぎの視点からは、日本人は加害者なのだ。

しかし街の鰻屋さんにまで 「そんな仕事はお辞めなさい」 という気はない。いずれにしても規模的な衰退は免れないだろうから、早めに将来を考えた方がいいだろうが、そうした中で 「食文化を守る」 というギリギリのラインで踏ん張るというのは尊いことだ。その意味でも 「うなぎ高瀬」 さんの決断は、なかなか潔いものだと思う。

こうした志の鰻屋さんがいる限り、日本文化は大丈夫という気がする。こちらをクリックすると、Twitter での 「うなぎ高瀬」 さんに関する投稿を読むことができる。なかなか素晴らしいお店のようだ。

ただ、いずれにしても私は食わないし、一般的にも、「ああ、そういえば、10年前に一度食ったことがある。確かにおいしかったなあ!」 ぐらいで十分じゃないかという気がしている。

【7月 26日 追記】

ついに保護団体も 「安いものは密漁された可能性が高く、食べないでほしい」 と呼びかけるまでになったようだ。私は安かろうが高かろうが、食べないけど。

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2017/07/06

「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代

福岡、大分の豪雨のニュースが衝撃的だ。「数十年に 1度の記録的豪雨」 などと言われていて、ニュースの映像で見ても、確かにすごい洪水である。

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私は昭和 61年の台風 10号による水害のため、避難所に指定された高台の小学校で一夜を明かしたことがある (参照)。妻が 3番目の子を身ごもっていたので、妊婦と幼い娘 2人、それに犬 1匹を連れての避難だったから、かなり大変だった。

そんな経験があるので、水害のニュースを聞くと他人事とは思えない。被災地の方々には心からお見舞い申しあげると言いたいところだが、雨はまだまだ収まったわけじゃないようなので、この台詞は早すぎるかもしれず、心が痛む。引き続き警戒していただきたい。

それにしても、このところ毎年のように 「記録的災害」 と形容される自然災害に襲われている。私は 4年前の 8月に "「20年に 1度の大雨」 から 「経験したことのない大雨」 に” という記事で、次のように書いている。

ちょっと前まで 「10年か 20年に 1度」 というレベルだった大雨が、最近では当たり前にしょっちゅう降るようになったということのようなのである。それだけ、気象が極端になっているのだ。このブログでは何度も書いたが、「温暖化」 とはまんべんなく暖まることではなく、「極端化」 するということにほかならない。

それで最近は、大雨のニュースでもレトリックに苦心するようになった 「経験したことのない大雨」 というのは、今月初めの秋田や岩手で降った雨だが、その後すぐに、山陰や北九州でも同じレトリックの雨が降った。さあ、こんどはどんな形容詞を使えばいいのか、マスコミも大変だ。

「極端化」 ということについては、過去にも "「温暖化」 というのは 「極端化」 を穏やかに言っただけ"、"「地球温暖化」 は 「気候極端化」" という 2つの記事を書いている。ちょっと考えただけでも、近頃は春と秋が短く、寒い冬が過ぎるとあっという間に暑い夏になり、夏が終わって涼しい秋を楽しむ間もなく、寒い冬になる。モデレートな気候を楽しむことが少なくなった。

一昨年はすぐ近くで鬼怒川の堤防が決壊し、私は水見舞いと復旧ボランティアに行ってきた。この時の大雨は 「50年に 1度の大雨」 と言われていた (参照)。さらに昨年は、北海道に観測史上初めて 3つの台風が相次いで上陸し、しかも台風 7号は本州などを通過せず、強い勢力のままで直接北海道に上陸したのだった。私はその直後に北海道に行ったが、あまりの暑さに 「もう昔の北海道の気候じゃない」 と思った (参照)。

というわけで、近頃は毎年のように 「20年に一度」 とか 「数十年に一度」 とか 「経験したことのない」 とかいうレベルの自然災害が発生しているのである。そんなに希有であるはずの大災害が、毎年発生してたまるものかと思うが、現実なのだからしかたがない。この要因は地球温暖化ということが既に常識となっている。

今年の夏はまだ始まったばかりなので、「数十年に一度の大雨」 が、今年中にあと何度あるか知れたものではない。この期に及んで、地球温暖化対策を進めるパリ協定から脱退するという、米国のトランプ大統領には、「お前、気は確かか?」 と言いたいほどのものである。

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2017/06/19

クマよけの音

タケノコ採りなどで山に入った人が、クマに襲われる事故が相次いでいる。昔は腰に鈴をぶら下げたり、ラジオを鳴らしっ放しにしていればクマは近付いてこないと言われていたが、最近ではクマの方もそうした音に耐性がついて、恐れなくなってしまったようなのだ。

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5月下旬にクマに襲われて死亡した秋田県の女性は、鈴を 2個ぶら下げていたというが、効き目がなかった。6月 2日付の毎日新聞は、「そもそも鈴の音が聞こえる範囲には限りがある」、「山菜を採るためしゃがんでいれば鳴らない」 と、鈴への過信に警鐘を鳴らす。

さらにラジオの音についても、「近年はクマが車のエンジン音など人工音を聞く機会が増えている」 ために、音への警戒心が薄れており、「音を聞いたクマが、餌となる物があると考え、おびき寄せられている可能性がある」 とさえ言われる。やつらも生き物だから、学んで慣れるのだ。

私は昔、クマのいる山をよく単独行した。クマがいるような山だからこそ、歩いて自然との一体感を感じ、いい気持ちになれる。そんな自然の中で、いくらクマよけとはいえ、人工的な音を出すのは気が引ける。しかしそうした大自然の中だからこそ、クマとの余計な軋轢を避けるために、敢えてぶち壊しのような音を鳴らさなければならないと考えていた。

私はその頃から、クマよけの鈴なんてあまり信じていなかった。あんなのは音が心地良すぎる、人にとって心地良いのだから、クマだってある程度慣れてしまえば、恐れなくなるだろう。同様に、東北の山の中でも受信できる NHK の番組は、牧歌的すぎてクマが恐れない。ギンギンのパンクロックでも流してくれれば別だが。

私は大自然の中を単独行する時、腰にシエラカップをぶら下げて、時々思いっきり叩いてガシャガシャという金属音を立てていた。そんな音を突然聞いたら、人間だって驚いて身じろぎする。クマに驚いてもらうためには、そのくらいの音でなければならないだろう。

幸か不幸か、私は山歩きをしていてクマに出会ったことがない。よほどの幸運でなければ、自然の中でクマを目撃するなんてことはできないと思っていたが、最近はそんな呑気な話でもなくなっているようなのだ。お互いのためにも、いきなりクマと出くわすなんて事態は避けた方がいい。

自然との調和を乱さないような慎ましい音では、クマよけにならない。思いっきりぶちこわしの不快音でなければならないのだ。余計なトラブルを避けるために、こればかりは仕方がない。のべつ幕なしに鳴らすわけじゃないから、勘弁してもらおう。

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2017/06/17

ウシガエルの鳴く日

6月 7日の 「ヨシキリの鳴き声 2」 という記事で、「人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう」 と書いた。それはあのウシガエルの鳴き声でも同じで、昼となく夜となく 「ブォー、ブォー」 と盛大に鳴いているが、案外平気で安眠できる。

中にはウシガエルの鳴き声を知らない人もいて、気味悪がって 「何の騒音でしょう?」 なんてネットで質問している人までいる。ウシガエルの滅多にいない北海道生まれの人は、本州に引っ越して初めてウシガエルの声を聞くと、本当にびっくりしてしまうようだ。

かくいう私も、山形県庄内地方で暮らしていた高校時代までは、ウシガエルの鳴き声なんて聞いたことがなかった。大学に入って東京に住むようになり、善福寺公園の池の畔ではらわたを震わせるような鳴き声聞いて、「これが噂のウシガエルか!」 と、ちょっと感動したのを覚えている。

「うるさくて眠れない」 なんて言う人は、自然の音への耐性がないのだろう。あるいはウシガエルは20世紀になってから日本に入ってきた外来種だから、遺伝子がものすごくドメスティックな人は、ダイナミックな鳴き声に弱いかもしれない (などとテキトーなことを言う)。

というわけで、ウシガエルの鳴き声を知らない人のために、裏の川土手で取った音声入り動画をアップしてみた。風の音、ヨシキリの声の中で、一際大きく響いてくるのが、ウシガエルの鳴き声である。途中でモンシロチョウが飛ぶ姿もちらりと映っている。

都会のコンクリート・ジャングルの中で暮らしている人は、この動画でちょっとだけリラックスできるかもしれない。いや、驚いちゃうかな。

夜になるとその鳴き声はさらに賑やかになる。10日の 「和歌ログ」 にあげたのだが、こんな具合である。(暗くてよく見えないので、画像サイズは小さめにした)

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2017/06/11

気象庁が梅雨入りを発表すると、雨が続かないという皮肉

気象庁は 6月 7日に 「関東甲信越地方の梅雨入り」 を発表したが、毎年のことながらまったく皮肉なことに、それ以後は雨が少なくなっている。我が家の太陽光発電のモニター・パネルも写真の通り、発表直後の 7、8日の 2日間だけは発電量が少なかったが、それからは順調に持ち直した。しかも 8日には既に、発電量が消費量を僅かながら上回っている。

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梅雨入り発表後に、なぜか天気が回復して雨が少なくなるというのは、まったく珍しいことではなく、近頃はほとんど毎年のように繰り返される現象なんじゃないかという気がしている。7年前の 2010年の梅雨入り直後には、次のようなことまで書いている (参照)。自分の 「和歌ログ」 を辿って判明した事実だ。

昨年 (梅雨入り宣言後 翌日に中休み) (これは 2009年のこと)
一昨年 (同、三日目に中休み)   (同 2008年のこと)
3年前 (同、翌日に中休み)      (同 2007年のこと)
4年前 (同、翌日に中休み)      (同 2006年のこと)
5年前 (同、二日後に中休み)    (同 2005年のこと)

というわけで、2005年から 2010年までは、毎年のように梅雨入り宣言した翌日か、遅くても 3日語には 「梅雨の中休み」 に入っちゃってるのだ。

それは、2010年以降でも似たようなもので、昨年の 7月 29日には 「梅雨入りが宣言されるとすぐに天気が回復して晴天が続き、梅雨明けになっても天気はそれほどもたない。昔の常識が通じない天気になっている」 と書いている (参照)。

というわけで、今日も雲は多めながら、日射しは順調に届いている。雨不足になると困ってしまう農家は、「気象庁は下手に梅雨入りを発表しないでもらいたい」 なんて思っているかもしれない。

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