カテゴリー「自然・環境」の217件の記事

2017/01/15

ちょっとないほどの冷え込み

寒い! 天気図を見ると日本付近は等圧線が縦に走って、典型的な西高東低だ。夕べからしんしんと冷えてきて、朝起きて外に出ると、関東の平地ではちょっとないほどの冷え込みだった。

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田舎の山形県はかなりの大雪になっているようだ。庄内平野はそんなにどっかりとは積もらないが、ちょっと内陸に入ると、2メートルなんていう積雪になっているという。関東からはまともに行ける感じがしない。ヨーロッパはむちゃくちゃな寒さだというが、ここに来て日本も急に厳冬の様相を呈してきた。

今月は半ばに長崎に出張の予定がある。その頃には少しは寒気も緩んでいるだろうが、経験上、九州でも福岡、佐賀、長崎は、冬には案外寒いということを知っているので、油断がならない。それに来月は能登に行くことになっている。厳冬を避けて、二月中旬以降に日程を組むことにしよう。

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2016/12/02

タラバガニの値段が高騰しているのだそうだよ

タラバガニの漁獲量が減り、値段が急騰しているのだそうだ。そんな中、ラジオショッピングなどでは 「お正月にはおいしいプリップリのタラバガニをたっぷり食べたいですよね。そこで、1kg 2万円のタラバガニを、本日に限り、2kg 2万円で提供します!」 なんてプロモーションを展開している。私なんか、「それでも高すぎるなあ」 と思ってしまうのだが。

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タラバガニの漁獲量が減っているのは資源が枯渇しかけているからで、最大供給国ロシアからの輸入も密漁取り締まりによって激減しているらしい。普通に考えれば、資源が枯渇しかけているなら食うのを控えて増加に転じるのを待てばいいということになりそうなものだが、人間の業というのは浅ましいもので、それでもなんとかたっぷり食いたいと願うもののようだ。

私なんか、余計なものを食うのは面倒くさいと思うところがあって、「タラバガニの値段が高騰している」 なんて聞けば、「それなら食う理由がなくて、面倒がないからありがたい」 と感じてしまう。メロンに関してもアレルギーがあって、昼間に食うと夕方過ぎまで口の周りが痒くてたまらなくなるから、逆に 「アレルギーという免罪符のおかげで、高いものを食わずに済んでありがたい」 と思っている。

同様に、マグロやウナギが資源枯渇の危機にあるというので、「だったら高いものを食わずに済んでありがたい」 と、喜んで割り切れる。それで 3年以上前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 と宣言している。

決して食うのを我慢しているわけではなく、「面倒なものを食わずに済むありがたさ」 の方が勝っている。今年正月の記事、"「ご馳走を食わない」 というポリシー" で端的に書いているように、私は要するに、過剰なご馳走を食うことに苦痛を感じてしまうタイプなのだね。

そうでなくても、人間は何を食うかということにもう少し理性的であっていい。キリストは 「山上の垂訓」 で、「何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな」  (マタイ伝 第 6章 25節) と語ったわけだが、「面倒なものは食わない」 と割り切りさえすれば、少なくとも食い物で思い煩うことからは解放される。

旨いものや珍しいものを追い求めるのは、いくら 「グルメ」 として取り繕おうが、突き詰めれば餓鬼道である。いくら旨かろうが珍味だろうが、面倒な事情にまみれたものは食わずに済ませたい。その方がずっと楽に生きていける。

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2016/11/24

雪と学び

予報通りに雪が降って、11月の降雪としては東京では 54年ぶりで、しかもこの月の積雪記録としては観測史上初ということになった。まあ、何があっても不思議じゃない。ただ、それほどの積雪にはならなかったので、栃木県境近くでの仕事の往復は何のことなく終えることができてほっとしている。

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上の写真は途中で写したものだが、田んぼでこの程度の積雪では、幹線道路にはほとんど積もらずに済む。もし田んぼに真っ白な雪が分厚く積もるようだと、道路上でも少なくともシャーベット状になり、関東のドライバーはどうしようもなくなってしまう。

1 ところで、帰宅してから Twitter 上でおもしろい動画があちこちで retweet されているのを見つけた。「窓を開けて雪をスローモーションで撮影してたらカーテンレールの上に飾ってあった人形が落ちて来ました」 というテキストと動画のセットである (参照)。

ふわふわと舞い落ちる雪とともに、一瞬生身の人間と見まごう物体が、ゆっくりと落ちていく動画が、なかなかシュールである。そしてよく見ると、雪と人形の落ちるスピードがほとんど変わらないことに気付く。

人間の意識としては、雪というものはゆったりと舞い落ちるもので、カーテンレールに載せていた人形は一瞬の間にストンと落っこちるものと思い込んでいるが、こうしてみると、両者のスピードはそれほど変わらない。

まあ物理の授業で物体の落ちる速さは重かろうが軽かろうが同じと教わっているので、「そりゃ、まあ、そうだわな」 と納得するが、それでもちょっとだけ違和感は残る。それでさらに注意深く見つめると、やはり雪の方がほんの少しだけゆっくり落ちているように見える。なかなかビミョーなものである。

そこはそれ、やっぱり雪の方が複雑な気流の影響ってものを受けやすいのかもしれないが、もしかしたら単なる錯覚かもしれない。このあたりは極端な文系ゆえ、厳密なところはよくわからないので、詳しい方のご教示を求む。

というわけで、自然現象というのは虚心になって見つめると、なかなかおもしろいものである。損得勘定だけで見ていると、うんざりしたりしてしまうのだが、まあどうせ人間の力の及ばないことなのだから、多少寒かろうが、交通機関が遅れようが、楽しんでしまえばそこにいろいろの学びがあるのだよね。

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2016/09/24

太陽光発電を始めて、1年半近く経った

9月の第 2週頃から 「秋の長雨」 が半端じゃないほど続いていて、気持ちのいいお天道様がなかなか拝めない。21日は午前中に屋外撮影の必要な仕事が入ったので、晴れ男の常としてちゃんと晴れ間が覗いたが、仕事が終わった途端に雲が広がって、一日を通してカラッとした天気というわけにはいかなかった。

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ところで昨年 4月にウチの屋根の上にソーラーパネルを設置して、1年半近く経った。写真は我が家の太陽光発電のモニターで、今月の発電量と消費量の推移を示したものである。

折れ線グラフの黄土色の部分は発電量が消費量を上回っていることを示し、水色の部分は逆転して消費量の方が多いことを示す。これを見ても、今月 6日までは晴天が続いたが、とくに中旬からは水色部分が圧倒的に大きく、期待通りに発電できていないというのが一目瞭然だ。

発電の振るわない日は雨降りということなので、洗濯物を外に干すことができず、浴室で除湿器をかけながら乾燥することになる。だから自前の発電量が少ない日に限って電力消費が増えるという、好ましくない推移になっている。それにしても、除湿器ってかなり電力を消費するんだなあ。

ちなみに 9月 1日〜22日の 3週間の数値実績をみると、以下のようになっている。

発電量: 159.1 kWh
消費量: 177.3 kWh
売電量:   96.3 kWh
買電量: 114.3 kWh

月の前半はそれなりに晴れた日もあったので、数字だけ見れば、使った電力の 90% 近い量を自前で発電している。ただ、電力消費は発電量の少ない雨降りの日に多くなっているので、実際に使った電力の 64% 以上は東電から買ってしまっていることになる。痛恨だなあ。まあ、それに近い量を売ってもいるわけだけど。

データを振り返ってみると、昨年の 9月も秋の長雨が続いたが、辛うじて発電量が消費量を上回った。今月もこれから天気が回復して晴れてくれさえすれば、バッチリ発電して消費量は減るのだから、カツカツぐらいに持ち直してくれるかもしれない。

これまでの実績からすると、11〜2月の 4ヶ月間は日照時間の短さもあって、発電量が消費量を下回る。もっとも今のところは単位電力量あたりの売電価格が買電価格を上回るから、金額ベースでは年間を通じて黒字を確保している。

ソーラーパネルを設置する前は、消費する電力を丸々東電から買っていたわけだから、その頃に比べれば、支払う金額はぐっと減り、その上、買電した分の金額が毎月振り込まれるようになったということだ。そのプラスマイナス分をトータルすれば、ソーラーパネル設置に伴う費用の月賦支払い分ぐらいは、しっかりと浮いている。

そんなわけで私は、「太陽光発電をするための費用なんて、タダみたいなものだよ」 といつも言っているのである。タダみたいな費用で環境貢献できるのだから、始めない手はない。

世の中には、売買電価格の差額分は太陽光発電をしていないユーザーの負担になっているのだから、不公平だなどと言う人もいる。しかし自然エネルギーを活用しなければ地球環境は悪化するに決まっているのだから、率先してやっている人に 「委託金」 を払っているようなものなんじゃあるまいか。

太陽光発電を率先して行い環境貢献するのに、このくらいのメリットがなければ、その方がかえって不平等という考え方だってあると思うのだよね。

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2016/09/11

ラニーニャが発生したらしい

今年の春頃には 「夏にラニーニャが発生する」 と言われていたが、気象庁は今頃になってようやく 「ラニーニャが発生したとみられる」 との発表を行った (参照)。まだ初期段階にあるらしいが、統計的には、ラニーニャだと夏は猛暑になり、冬は厳冬になるという。

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気象庁によると、秋の天気は 「全国的に暖かい空気に覆われて気温が高く推移する見込み」 ということになっている。ラニーニャの発生が予想より遅れて、極端な猛暑は避けられたが、秋にはちょっとだけその片鱗が現れるということか。

その代わり、その後は結構寒い冬になるかもしれない。上越の山にちゃんと雪が降ってくれれば、この夏のような水不足は避けられるかもしれないが、春先に関東の都市部で雪が降るようだと、交通機関が乱れるかもしれない。

そしてその傾向が来年の夏まで続くようだと、今度は猛暑が思いやられる。3年前のラニーニャでは、高知の四万十市で 41.0 ℃ という日本最高気温が記録されたが、あんな暑さがまた来るのは本当に勘弁してもらいたい。いずれにしても地球全体のスタンダードが温暖化傾向にあるのだから、「猛暑」 になるとエラいことになってしまう。

(上の画像は 「インターネットで世界の天気を見てみよう!」 というサイトより)

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2016/09/06

メガソーラー・バブルの崩壊は、当然の結果

日本経済新聞が 「太陽光パネルの国内業界が底なし不況の様相を呈している」 と伝えている (参照)。2016年 4~6月期の国内出荷量が前年同期比で 26%減少しており、15年度に前年実績を割り込んでから、復調の兆しが見えないのだそうだ。

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出荷量減少の要因は産業用 (メガソーラー向けなど) の減少という。産業用は全体の 8割を占めているというから、家庭用がいくら健闘しても全体の出荷量が減ってしまうのは無理もない。

産業用ソーラーパネルの出荷が減ったのは、発電した電力の買い取り価格が下がってしまったからにほかならない。2012年には 1kwh 当たり 40円で買い取られていたのが、16年には 24円に引き下げられた。これでは新規のメガソーラーに投資しても 「金儲け」 にはならない。

一時はメガソーラーはバブルの様相を呈していて、とにかく申請しておいて、その権利を転売して儲けるなんてことまで横行していた。本当に 「環境のため」 を意識して作る場合は、なるべく木を切らずに済む土地を探して作るのだが、儲け主義の連中は林を伐採して丸裸にしたところにソーラーパネルを並べるなんてことを平気でやる。

私は太陽光発電に関しては、各家庭やオフィスで屋根や庭に設置し、「自分のところの電気は自分で作る」 というのが望ましい姿で、メガソーラーに関しては 「やりたければどうぞ」 ぐらいに思っている。しかし昨年 9月 11日の記事で書いたように、本来山林だったところなどの自然を破壊してまで作るのは、「そりゃ本末転倒だろう」 と考えている。

太陽光発電推進派の私としても、昨今のメガソーラー・バブルの崩壊は 「当然の結果」 と認識している。これで需要が落ち着けば、ソーラーパネルの価格も下がって、家庭での設置がしやすくなるかもしれない。

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2016/09/02

「もう昔の北海道の気候じゃない」 という実感

昨日、北海道への出張から帰ってきたが、「涼しい北海道で一息つこう」 という期待は完全に裏切られた。台風 10号が南の空気を呼び込んだまま去ってしまったようで、9月の声を聞いたというのに、蒸し暑さに汗びっしょりという北海道になってしまった。

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前日は夜遅くホテルにチェックインしたので、そのまま爆睡してしまい、9月 1日の朝早く目が覚めてテレビを点けると、台風 10号の被害状況が生々しく伝えられている。その前の台風 11号が北海道直撃という進路を辿り、さらに迷走していた 10号が東北を横断したために、その北に広がる雨雲が北海道を襲ったようだ。

ただでさえその前から続く大雨で水をたっぷり含んでいた土壌が、たまらず決壊してしまった地点が多く、北海道の地元放送だけに、各地の被害を詳しく伝えていた。これまでの北海道の常識では考えられなかったような惨状である。

今回は道東の遠軽 (えんがる) という町に行ったのだが、まるで亜熱帯のような蒸し暑さで、9月の北海道の爽やかな風なんて、ちっとも吹かなかった。帰りの飛行機に乗る頃には、体中汗だらけという感覚だった。

北海道への旅行は天候に気を遣う。普段の年なら、夏でも日が暮れれば上着を羽織らないと肌寒く感じるほどだから、内地の感覚は役に立たない。

今年の 5月末には釧路と根室を訪問したが、低気圧の影響で季節が逆戻りしたような寒さだった。初日は 「ダウンベストを持ってきてよかった」 と思ったが、2日目には 「分厚いダウンパーカにすればよかった」 と後悔したほどだ。

そうかと思うと、6年前の 8月末に小樽に行った時は、32度以上という暑さに驚いた。小樽は長崎や尾道と同様に坂道が多いから、炎天下を歩くうちに脱水症状寸前みたいになった。土地のばあさん連中も 「わたしゃ、70年以上生きてるけど、こんな暑いのは初めて」 と音を上げていた。こちらとしても、その夏は大変な猛暑だったから、「涼しい北海道で人間らしい気持ちを取り戻そう」 と思っていたのだが、それは甘すぎた。

同じ年の 1月には、江差付近の猛吹雪で札幌から動きが取れずに一度追い返され、1週間後に出直すという経験もした。あの時は、札幌駅の北口ロータリーから、駅舎が見えないほどの大変な地吹雪だった。さすが北海道である。

ただ、いずれにしても北海道の地元の人たちも、「もう昔の北海道の気候じゃない」 と感じておられるようだ。「まるで内地みたいな暑さになるし、台風が元気なうちに直撃してくる」 という現実は覆せない。

地球温暖化は今、まさに実感として迫っている。

 

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2016/08/26

この夏、逃水を見ていない

昨日と今日、茨城県内のあちこちに行く用事ができて、炎天下を車で走り回って気がついた。そういえば、今年の夏は逃水 (にげみず) を見ていない。

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逃水とは言うまでもなく蜃気楼の一種で、よく晴れた暑い日にアスファルト道路を走っていると、遠くの路面が水浸しになったように、青い空が映ったりしているように見える現象である。真夏のドライブではお馴染みだ。

ところがこの夏、その逃水を一度も見ていない。一つには、私自身がこの夏にそんなに長距離ドライブをしていないということがある。田舎の両親が亡くなってからというもの、真夏に帰省することが減って、帰るなら道路が混まず、暑くも寒くもないいい季節を選んだりしている。

とはいえ、近郊の道路を運転することはある。そしていつもの夏は、暑い日にちょっとした直線道路を走れば、当たり前のように逃水が見えたものなのだ。それを一度も見ていないというのは、一体どうしたことなんだろう。

逃水というのは、熱せられた路面とその上の空気層に温度差が生じて、光の屈折率がかわってしまうことで起こる現象だ。ということは、世の中が暑くなりすぎて、熱せられた路面との温度差が小さくなってしまったのだろうか。いやいや、その辺りのことはよくわからないが、来年の夏はごく当たり前に逃水を見て、少しは安心したいものだ。

ちなみに逃水という現象は昔からあったようで、歳時記にも取り上げられている。しかしそれは、春の季語として載っているようなのだ (参照)。アスファルト道路のない昔は、春によく見られる現象だったんだろうか。環境が変わると季節感まで変わってしまうもののようなのだ。

源俊頼の歌に 「あづま路にありといふなる逃げ水のにげのがれても世を過ぐすかな」 というのがある。昔は都路では逃水が滅多に発生せず、遙か東国ではよく見るというようなものだったのだろうか。

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2016/07/28

ようやく梅雨が明けたのだが

関東甲信は今日梅雨明けしたようだ。平年より 1週間遅く、昨年と比べると 20日も遅い。まあ、8月にずれ込まなかっただけ幸いである。

昔は 「梅雨明け十日」 などと言って、梅雨明けしたら安定した晴天が 10日間は続くとされていた。実際に、梅雨明けした途端に急に夏になったような気がしたものである。ところがラジオの気象予報士によると、「今年は、『梅雨明け 3〜4日』 ということになりそうです」 という。

安定した晴天はそれほど続かず、来週あたりからまた天気がぐずつきそうだというのだ。それほど暑くならずに済むのかと期待して聞いていたら、さにあらず。日照時間が少ない割に気温は高めで推移するという。要するに蒸し暑くなるというわけだ。最悪じゃないか。

ちなみに 「今年は、『梅雨明け 3〜4日』 ということになりそうです」 なんて、いかにも特殊な夏のように言っているわけだが、最近では毎年そんな感じという印象が強い。梅雨入りが宣言されるとすぐに天気が回復して晴天が続き、梅雨明けになっても天気はそれほどもたない。昔の常識が通じない天気になっている。

地球全体の気象が、ちょっと変わって来てしまっているのだろう。「地球温暖化」 なんていうより、「気象変化」 という方がしっくりくる。「2〜30年に 1度」 というほどの異常気象が毎年出現しているのだから、気象のメカニズムはよほどおかしくなっているのだろう。何があっても驚かない覚悟を決めておくほうがいい。

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2016/07/17

人口減少で、過疎地にクマがあふれる可能性

Gigazine が 「日本の人口が減少し続けると過疎化した土地にクマがあふれる可能性」 と、次のように報じている。

人口の減少が今後も続けば、さらに過疎地域の空洞化が進み、維持できず空き家となった神社や学校にクマやイノシシなどの野生動物が住み着く事態が起こりかねないことから、「移民政策」 の必要性についてロサンゼルス・タイムズが指摘しています。

この件に関しては私も、先月 15日付の 「クマの被害が増えているのは」 という記事で、次のように危惧している。

山村は老齢化が進み、限界集落が限界を越し始めたりしているのではなかろうか。そうなると、山菜やタケノコ採りで山に入る人たち (多くは山村の老人) が減り、人間のテリトリーが後退する。すると相対的にクマのテリトリーが前進してくる。

そうした状況の中で、なおかつ山に入る人というのは、既にクマが 「俺のテリトリーだ」 と認識し始めた領域に、これまで通りのつもりで軽い気持ちで入っていってしまっているのではあるまいか。

今回のロサンゼルス・タイムズの記事で、同じような心配をしているのは私だけではないとわかった。野生動物は人間の気配を案外恐れていて、人が入ってくれば好んで争いたいとは思わず、自ら身を隠す。しかし進入する人間の数が減少すれば、野生動物の意識だって変わる。「ここは俺のテリトリーなんだから、無遠慮に入ってくるヤツは、攻撃してやる」 と思ったとしても不思議ではない。

限界集落では、かつて人間が野生動物たちから奪い取ったテリトリーを、知らないうちに返還してしまいつつあるように思う。人はこれまでより遠慮深くなる必要がある。「そちら様の土地に、ちょっとお邪魔させていただきますので、なにぶんよろしく」 といったつもりで、山に入らなければならない。

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