カテゴリー「自然・環境」の225件の記事

2017/06/19

クマよけの音

タケノコ採りなどで山に入った人が、クマに襲われる事故が相次いでいる。昔は腰に鈴をぶら下げたり、ラジオを鳴らしっ放しにしていればクマは近付いてこないと言われていたが、最近ではクマの方もそうした音に耐性がついて、恐れなくなってしまったようなのだ。

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5月下旬にクマに襲われて死亡した秋田県の女性は、鈴を 2個ぶら下げていたというが、効き目がなかった。6月 2日付の毎日新聞は、「そもそも鈴の音が聞こえる範囲には限りがある」、「山菜を採るためしゃがんでいれば鳴らない」 と、鈴への過信に警鐘を鳴らす。

さらにラジオの音についても、「近年はクマが車のエンジン音など人工音を聞く機会が増えている」 ために、音への警戒心が薄れており、「音を聞いたクマが、餌となる物があると考え、おびき寄せられている可能性がある」 とさえ言われる。やつらも生き物だから、学んで慣れるのだ。

私は昔、クマのいる山をよく単独行した。クマがいるような山だからこそ、歩いて自然との一体感を感じ、いい気持ちになれる。そんな自然の中で、いくらクマよけとはいえ、人工的な音を出すのは気が引ける。しかしそうした大自然の中だからこそ、クマとの余計な軋轢を避けるために、敢えてぶち壊しのような音を鳴らさなければならないと考えていた。

私はその頃から、クマよけの鈴なんてあまり信じていなかった。あんなのは音が心地良すぎる、人にとって心地良いのだから、クマだってある程度慣れてしまえば、恐れなくなるだろう。同様に、東北の山の中でも受信できる NHK の番組は、牧歌的すぎてクマが恐れない。ギンギンのパンクロックでも流してくれれば別だが。

私は大自然の中を単独行する時、腰にシエラカップをぶら下げて、時々思いっきり叩いてガシャガシャという金属音を立てていた。そんな音を突然聞いたら、人間だって驚いて身じろぎする。クマに驚いてもらうためには、そのくらいの音でなければならないだろう。

幸か不幸か、私は山歩きをしていてクマに出会ったことがない。よほどの幸運でなければ、自然の中でクマを目撃するなんてことはできないと思っていたが、最近はそんな呑気な話でもなくなっているようなのだ。お互いのためにも、いきなりクマと出くわすなんて事態は避けた方がいい。

自然との調和を乱さないような慎ましい音では、クマよけにならない。思いっきりぶちこわしの不快音でなければならないのだ。余計なトラブルを避けるために、こればかりは仕方がない。のべつ幕なしに鳴らすわけじゃないから、勘弁してもらおう。

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2017/06/17

ウシガエルの鳴く日

6月 7日の 「ヨシキリの鳴き声 2」 という記事で、「人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう」 と書いた。それはあのウシガエルの鳴き声でも同じで、昼となく夜となく 「ブォー、ブォー」 と盛大に鳴いているが、案外平気で安眠できる。

中にはウシガエルの鳴き声を知らない人もいて、気味悪がって 「何の騒音でしょう?」 なんてネットで質問している人までいる。ウシガエルの滅多にいない北海道生まれの人は、本州に引っ越して初めてウシガエルの声を聞くと、本当にびっくりしてしまうようだ。

かくいう私も、山形県庄内地方で暮らしていた高校時代までは、ウシガエルの鳴き声なんて聞いたことがなかった。大学に入って東京に住むようになり、善福寺公園の池の畔ではらわたを震わせるような鳴き声聞いて、「これが噂のウシガエルか!」 と、ちょっと感動したのを覚えている。

「うるさくて眠れない」 なんて言う人は、自然の音への耐性がないのだろう。あるいはウシガエルは20世紀になってから日本に入ってきた外来種だから、遺伝子がものすごくドメスティックな人は、ダイナミックな鳴き声に弱いかもしれない (などとテキトーなことを言う)。

というわけで、ウシガエルの鳴き声を知らない人のために、裏の川土手で取った音声入り動画をアップしてみた。風の音、ヨシキリの声の中で、一際大きく響いてくるのが、ウシガエルの鳴き声である。途中でモンシロチョウが飛ぶ姿もちらりと映っている。

都会のコンクリート・ジャングルの中で暮らしている人は、この動画でちょっとだけリラックスできるかもしれない。いや、驚いちゃうかな。

夜になるとその鳴き声はさらに賑やかになる。10日の 「和歌ログ」 にあげたのだが、こんな具合である。(暗くてよく見えないので、画像サイズは小さめにした)

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2017/06/11

気象庁が梅雨入りを発表すると、雨が続かないという皮肉

気象庁は 6月 7日に 「関東甲信越地方の梅雨入り」 を発表したが、毎年のことながらまったく皮肉なことに、それ以後は雨が少なくなっている。我が家の太陽光発電のモニター・パネルも写真の通り、発表直後の 7、8日の 2日間だけは発電量が少なかったが、それからは順調に持ち直した。しかも 8日には既に、発電量が消費量を僅かながら上回っている。

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梅雨入り発表後に、なぜか天気が回復して雨が少なくなるというのは、まったく珍しいことではなく、近頃はほとんど毎年のように繰り返される現象なんじゃないかという気がしている。7年前の 2010年の梅雨入り直後には、次のようなことまで書いている (参照)。自分の 「和歌ログ」 を辿って判明した事実だ。

昨年 (梅雨入り宣言後 翌日に中休み) (これは 2009年のこと)
一昨年 (同、三日目に中休み)   (同 2008年のこと)
3年前 (同、翌日に中休み)      (同 2007年のこと)
4年前 (同、翌日に中休み)      (同 2006年のこと)
5年前 (同、二日後に中休み)    (同 2005年のこと)

というわけで、2005年から 2010年までは、毎年のように梅雨入り宣言した翌日か、遅くても 3日語には 「梅雨の中休み」 に入っちゃってるのだ。

それは、2010年以降でも似たようなもので、昨年の 7月 29日には 「梅雨入りが宣言されるとすぐに天気が回復して晴天が続き、梅雨明けになっても天気はそれほどもたない。昔の常識が通じない天気になっている」 と書いている (参照)。

というわけで、今日も雲は多めながら、日射しは順調に届いている。雨不足になると困ってしまう農家は、「気象庁は下手に梅雨入りを発表しないでもらいたい」 なんて思っているかもしれない。

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2017/06/07

ヨシキリの鳴き声 2

裏の川原でオオヨシキリが 1日中賑やかに鳴いている。この鳥は夜になっても 「キリキリキリ……」 と鳴き続けるから、一体いつ寝ているのだろうと思うほどだ。下の写真は、日本野鳥の会発行の 「野鳥観察ハンディ図鑑 水辺の鳥」 の P19 で、スズメよりちょっと大きい鳥だそうだ。

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「〜だそうだ」 などと曖昧な書き方をしてしまったのは、鳴き声はずっと聞き通しているものの、姿を見たことはほとんどないので、図鑑を頼りにするしかないからだ。大昔にバードウォッチング用に買った双眼鏡で、声のする方を追ってみたが、残念ながら見つけることができなかった。

オオヨシキリの声は、YouTubeで検索するといくつも出てくる。ついでに実際に鳴いている画像もみることができるので、オススメだ。なるほど、こんなこんな風に止まって鳴いていたのか。

念のため検索してみたら、このブログで 6年前の 5月にも 「ヨシキリの鳴き声」 というタイトルの記事を書いている。15年も続けていると、大抵のことは既に書いてしまっているようだ。我ながら油断がならない。というわけで、今回のタイトルは 「ヨシキリの鳴き声 2」 とする。

上述の記事でも書いているが、私の実の祖父で昭和初期の自由律の俳人だった唯一郎の句集に、次のような句がある。

はつきりと行々子の巣が見える六月の朝空 (参照

月が來る行々子啼くにまかして歩むなり (参照

「行々子」 というのはヨシキリの別名で、そう言われてみれば、「キリキリキリ…」 としか聞こえていなかった鳴き声が、「ギョウギョウシ、ギョウギョウシ…」 と聞こえてくるから不思議だ。

オオヨシキリの鳴き声があまりにも賑やかで、夜になっても続くので、さぞうるさくて眠れないのではないかと心配する人もいるが、自然というのはよくできたもので、こうした音というのはそのうちに 「聞こえても聞こえない音」 になってしまい、全然気にならずに眠れる。

同じことはカエルの鳴き声でも言えて、このつくばの地に引っ越して来た頃はあまりにも盛大な 「筑波山麓合唱団」 の声におそれをなしたほどだが、実際には全然気にならずに眠れる。静かすぎるよりも安眠できるほどだ。

(ちなみに上記の 「〜合唱団」 のリンクをクリックすると、若かりし頃のデュークエイセスの見事なコーラスが聴けて、さらに歌い終わってからちょっと嬉しいサプライズまである)

谷川のそばのキャンプ地で、囂々とした水の響きがとどろいていてもまったく気にならずに眠れるし、人間の耳というのはよくできたものである。自然の音というのはどんなにけたたましいようでも、いつの間にか耳に馴染んで気にならなくなってしまうのだ。逆に人工的な音や不自然な異常音などは、たとえ小さな音でも気になって神経に障る。

人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう。都会に住み慣れてしまうと、クルマの音ぐらいはうるさく感じなくて済む耳になっているかもしれない。ただしそうなったとしても、無意識の部分ではストレスにはなるだろうなあ。

都会暮らしの人が泊まりがけで田舎に行ったりすると、夜になると 「シーン」 という音が聞こえるなんて話を聞いたことがある。もっと耳を澄ませば、微かな風の音や虫の声が聞き分けられると思うのだが。

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2017/05/05

カナヘビのロマンスを目撃

今日の記事は、興味のない人にはおもしろくもなんともないものだと思う。いや、それどころか、「気持ちわる〜!」 と言って、もしかしたら、もう二度とこのブログには寄りついてくれないかもしれない。だが、そこはそれ、心を鬼にして書いてしまう。

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一体何事かといえば、「カナヘビの交尾を目撃してしまった」 という話である。カナヘビというのは、トカゲによく似たは虫類で、肌はカラッと乾き、ぬめぬめしていない。目が可愛らしいので、ペットとしても案外人気がある。私も嫌いじゃない。というか、どっちかと言えば好きである。

そのカナヘビが、我が家の玄関先で 2匹絡まりあっていたのである。よく見ると、片方が片方の後ろ足の付け根あたりに噛みついている。そしてそのままじっと動かない。

「こ、これが噂に聞く 『カナヘビの交尾』 というものか!」 と、ちょっとだけ感動してしまったのである。いつもならカナヘビを見つけたら、いい年してすぐに捕まえて掌に乗せて遊びたがるクチなのだが、今回ばかりは邪魔をしちゃいけないと思い、とりあえず iPhone で写真を撮るにとどめた。

カナヘビの交尾は、メスがオスの気を引くように寄り添うことから始まるらしい。そしてオスがその気になってしまうと、どういうわけかメスに噛みつくというのである。そこから徐々に本式の交尾に移行するらしいのだ。(参照

本来ならじっと観察していたかったのだが、残念ながらこの日は昼一番に用があって出かけなければならず、最後まで見届ける時間がない。そこで、玄関の前でこんなのが絡まり合っていたら、もしかして訪ねてくる人が腰を抜かしてしまうかもしれないと、そっと拾い上げて、草むらに移してあげた。

2匹のカナヘビは、私に拾い上げられてもまったく動ぜず、ただひたすら 2匹だけの世界に浸っているようだった。とまあ、今日はそれだけの、解釈のしようによってはロマンチックなお話。

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2017/04/02

ハンドソープは無添加フォームタイプがお薦め

近頃は世の中に 「ハンドソープ」 と称するものがあって、手を洗う際にポンプ式の容器でプシュプシュッとやると、石けん液が出てくる。そもそも私自身はこのタイプの石けんをあまり使うことがなくて、大抵は水洗いで済ませることが多いが、念入りに洗う時には 「フォームタイプ」 という初めから泡で出てくるのを使っている。

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しかも写真にあるように、無添加タイプのもので、つまり抗菌成分の入ってないやつだ。スーパーやドラッグストアでハンドソープを買おうとすると、ほとんど 「抗菌作用」 を売り物にしていて、抗菌成分無添加のものは必死に探さないと見つからない。我が家の近くで買おうとすると、やっと 1種類だけ見つかる。

ちょっと前に話題になったが、ハンドソープの 「抗菌作用」 というのは無意味であるらしく、単なる水洗いやフツーの石けん洗いとの差はほとんどないという。それどころか、トリクロサン、トリクロカルバンなどの殺菌成分は、免疫系に悪影響を及ぼすリスクの方が大きいということで、米国では販売禁止になっているところもある。

というわけで、我が家では抗菌剤フリーのものを使っている。さらにフォームタイプにしているのは、節水効果が期待できるからである。いかにも濃厚な液体タイプの石けんがムニュッと出てきてしまうと、それを洗い流すのに結構な量の水を使う。一方フォームタイプだとあっという間に洗い流せる。

こうした日常的なものを選ぶにも、ちょっとだけ賢くなる必要があると思っている。

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2017/03/21

バリケンという鳥のいることを初めて知った

バリケンという鳥をご存じだろうか? 実は私も今日初めて知った。雨の中、つくば市の赤塚公園というところを歩いていると、なんだかニワトリの大きいんだか、七面鳥の小さいんだか、よくわからん鳥がぼうっとつっ立っている。「何だ? ありゃ!」 と言うと、一緒に歩いていた後輩が 「tak さん、知らないんですか。バリケンってやつですよ。この辺じゃ知らない人いませんよ」 と言う。

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近付いて行っても飛び去る気配はない。というか、どうやら飛ぶことはできないようだ。結構でぶっちょで、羽も小さいから、まあ、飛べたとしてもちょこっと程度だろう。写真を撮ろうとすると露骨にうっとうしがるような素振りは見せるが、走って逃げるということもない。見た目は強面だが、至って呑気な鳥という印象だ。

帰宅してからググってみると、Wikipedia で 「ノバリケン」 という項目が見つかった (参照)。野生のバリケンで、「野バリケン」 というココロらしい。カモ目カモ科の鳥である中米産ノバリケンを家禽化したものが、バリケンということのようなのである。日本においては家禽化されたバリケンの方が先に知られ、後になって 「元々の野生の方は 『ノバリケン』 ってことにしようか」 ってなことだったのだろう。

Wikipedia には 「食用家禽として日本に持ち込まれたが、あまり普及していない。飛行能力が残っており日本各地で逃げ出したものが散見される」 とある。おお、やはりちょこっとは飛べるもののようだ。まあ、そんなことを言えば、ニワトリだって木の枝ぐらいまでは飛んだりするからね。

この Wikipedia には、つくば市の洞峰 (どうほう) 公園で目撃されたバリケンの写真が載っている。とすると、やはりつくば市周辺はバリケンが多く見られる地域ではあるのだろう。私の自宅近辺では見たことがないけどね。

それにしても、この年になって初めて見る鳥というのがあって、しかもその鳥はつくば市では知らぬ者とていないというのだから、人生というのはよくよくわからないものである。

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2017/03/12

自然に対して 「戦闘」 を挑む愚かさ

ちょっと古い話で恐縮だが、Japan DailyNK の 2015年 1月 19日付記事に "北朝鮮、森林破壊に危機感 「自然との戦争を宣言した」" というのがある。下の写真は、韓国のインターネット掲示板で話題になった北朝鮮の 「回復不能なまでのはげ山」 で、「火星の景色か」 というコメントまで付いたそうだ。

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この記事の中には、次のような件がある。

金正恩氏は、2015年の 「新年の辞」 でも 「森林の回復戦闘を力強く繰り広げ祖国の山々を緑の森に覆われた黄金山に転換させなければならない」 と全国の樹林化事業を強調している。

これを読んで、森林回復事業を 「森林回復戦闘」 などと呼んでいる限りは、この国の自然は回復しないだろうと、絶望的になった。そもそもの発想からして間違いなのだ。森林の回復は 「戦闘」 ではなく 「調和」 によるのでなければ、一歩も前進できないだろう。

この記事の載った 1年半後の、2016年 7月 4日付では、"悲惨! 北朝鮮 「森林レンジャー」、盗伐団に相次ぎ惨殺される" という記事がある。個人耕作地を没収し、苗木を植える 「山林復旧戦闘 (森林造成事業)」 という事業が反発を招き、山林監視を行う山林保護員 (森林レンジャー) が惨殺されるという事件が起きているという。

「盗伐団」 とは言っても、そのほとんどは薪を切りに山に入った一般の住民であるらしい。民衆は将来の森林よりも、目先の食料の方を求めているわけだ。そのため、段々畑を潰して森林を造成しようとする森林保護員を鎌で惨殺するという行為に及んでいるというのである。

彼らはこの半世紀以上、自然に対して 「戦闘的姿勢」 なんかで立ち向かっていたのだから、当然にもこんなことになる。だから発想を変えなければならないわけなのだが、彼らの辞書には 「調和」 の文字がないようなのだ。

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2017/01/15

ちょっとないほどの冷え込み

寒い! 天気図を見ると日本付近は等圧線が縦に走って、典型的な西高東低だ。夕べからしんしんと冷えてきて、朝起きて外に出ると、関東の平地ではちょっとないほどの冷え込みだった。

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田舎の山形県はかなりの大雪になっているようだ。庄内平野はそんなにどっかりとは積もらないが、ちょっと内陸に入ると、2メートルなんていう積雪になっているという。関東からはまともに行ける感じがしない。ヨーロッパはむちゃくちゃな寒さだというが、ここに来て日本も急に厳冬の様相を呈してきた。

今月は半ばに長崎に出張の予定がある。その頃には少しは寒気も緩んでいるだろうが、経験上、九州でも福岡、佐賀、長崎は、冬には案外寒いということを知っているので、油断がならない。それに来月は能登に行くことになっている。厳冬を避けて、二月中旬以降に日程を組むことにしよう。

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2016/12/02

タラバガニの値段が高騰しているのだそうだよ

タラバガニの漁獲量が減り、値段が急騰しているのだそうだ。そんな中、ラジオショッピングなどでは 「お正月にはおいしいプリップリのタラバガニをたっぷり食べたいですよね。そこで、1kg 2万円のタラバガニを、本日に限り、2kg 2万円で提供します!」 なんてプロモーションを展開している。私なんか、「それでも高すぎるなあ」 と思ってしまうのだが。

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タラバガニの漁獲量が減っているのは資源が枯渇しかけているからで、最大供給国ロシアからの輸入も密漁取り締まりによって激減しているらしい。普通に考えれば、資源が枯渇しかけているなら食うのを控えて増加に転じるのを待てばいいということになりそうなものだが、人間の業というのは浅ましいもので、それでもなんとかたっぷり食いたいと願うもののようだ。

私なんか、余計なものを食うのは面倒くさいと思うところがあって、「タラバガニの値段が高騰している」 なんて聞けば、「それなら食う理由がなくて、面倒がないからありがたい」 と感じてしまう。メロンに関してもアレルギーがあって、昼間に食うと夕方過ぎまで口の周りが痒くてたまらなくなるから、逆に 「アレルギーという免罪符のおかげで、高いものを食わずに済んでありがたい」 と思っている。

同様に、マグロやウナギが資源枯渇の危機にあるというので、「だったら高いものを食わずに済んでありがたい」 と、喜んで割り切れる。それで 3年以上前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 と宣言している。

決して食うのを我慢しているわけではなく、「面倒なものを食わずに済むありがたさ」 の方が勝っている。今年正月の記事、"「ご馳走を食わない」 というポリシー" で端的に書いているように、私は要するに、過剰なご馳走を食うことに苦痛を感じてしまうタイプなのだね。

そうでなくても、人間は何を食うかということにもう少し理性的であっていい。キリストは 「山上の垂訓」 で、「何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな」  (マタイ伝 第 6章 25節) と語ったわけだが、「面倒なものは食わない」 と割り切りさえすれば、少なくとも食い物で思い煩うことからは解放される。

旨いものや珍しいものを追い求めるのは、いくら 「グルメ」 として取り繕おうが、突き詰めれば餓鬼道である。いくら旨かろうが珍味だろうが、面倒な事情にまみれたものは食わずに済ませたい。その方がずっと楽に生きていける。

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