カテゴリー「自然・環境」の228件の記事

2017/08/06

アジサイが 「まだ梅雨なんでしょ」 と咲き始めた

関東の今年の梅雨は、実は 8月に入ってから始まってまだ明けていないんじゃないかとまで思っている。気象庁の速報値では、関東の梅雨は 6月 7日頃から 7月 19日頃までとなっているが、その間は我が家の太陽光発電データをみる限りずっと好調で、雨による不調な日があってもそれは 2日と続かなかった。

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ところが、気象庁が 「関東の梅雨は明けたとみられる」 と言ってから、7月 23〜27日の 4日間、ずっと不調で発電量が使用量を下回り、8月に入ってからはいつもの夏より発電量がずっと小さいままの状態が続いている。「実はまだ梅雨なんじゃないの」 と多くの人たちが言い出すわけだ。

で、そんなことを言い出すのは人間だけじゃなくて、我が家の裏のアジサイまで 「まだ梅雨なんでしょ」 と言わんばかりに新しい花房をつけてしまった。アジサイの花の季節は 7月中旬には終わって、あれだけきれいだった花房は薄茶色の枯れ草色になってしまっていたが、今日の昼頃に見ると、なんと瑞々しい色の新しい花房がついている。

自然までが、梅雨はまだ明けていないと勘違いして、というか、実際は正しい判断なのかもしれないが、そんなような動きをしてしまっているようなのである。わけのわからない時代になってしまった。

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2017/07/24

土用丑の日に休業する鰻屋さんの志

明日は土用丑の日なのだそうで、新聞のチラシは鰻蒲焼きのオンパレード。テレビやラジオもウナギ、ウナギで盛り上がっている。ただ私はだいぶ前からウナギとマグロは食わないことにしているので、とろっとした蒲焼の写真なんか見ても全然そそられない。

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私がウナギとマグロを食わないことにしたのは、ケチっているというわけでは決してない。わざわざ絶滅危惧種を選んで自分の口に入れてしまうのは、いかにも夢見が悪いからである。種の多様性を守ることと、ウナギやマグロを食うこととどっちが大切かと言われたら、そりゃ種の多様性を守る方がずっと大切だ。

この間の事情については、過去に書いた中の、次の 3本の記事を読んでいただけばよくわかっていただけるだろう。

当面、ウナギとマグロは食わないことにする (2013.6.14)

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013.8.3)

ウナギを食うのは早めに諦める方がいい (2016.9.26)

こんななかで、朝日新聞が "土用の丑、今年は2回 「ウナギ守るため」休業の店も" という記事を書いてくれている。以下に引用する。

6月下旬、専門店 「うなぎ高瀬」(東京都八王子市)の 「土用の丑の日は休業します」 という店内の貼り紙を、客がツイッターに投稿した。多くの客が訪れることで丁寧な接客が難しくなるほか、稚魚の減少に触れて「資源を大切に守り、日本の食文化 『鰻 (うなぎ)』 を未来に残したい」 などと理由が書かれていた。

私は個人的にはウナギは衰退産業だと思っている。まともな国産ウナギは高すぎるし、安い中国産のウナギはどんなアブない餌で育っているか知れたものではない。いずれにしても、きちんと考えれば考えるほど、自分の口に入れるものではないという気になる。

上記の 「ウナギを食うのは早めに諦める方がいい」 という記事の中で、私は次のように書いている。

そろそろ日本人も、「ワシントン条約のせいでウナギが食えなくなってしまう」 などという、根拠のない被害者意識で捉えることを止めなければならない。本当のところは、日本人がウナギを食い過ぎるからワシントン条約で規制しなければならないところまできてしまったのである。うなぎの視点からは、日本人は加害者なのだ。

しかし街の鰻屋さんにまで 「そんな仕事はお辞めなさい」 という気はない。いずれにしても規模的な衰退は免れないだろうから、早めに将来を考えた方がいいだろうが、そうした中で 「食文化を守る」 というギリギリのラインで踏ん張るというのは尊いことだ。その意味でも 「うなぎ高瀬」 さんの決断は、なかなか潔いものだと思う。

こうした志の鰻屋さんがいる限り、日本文化は大丈夫という気がする。こちらをクリックすると、Twitter での 「うなぎ高瀬」 さんに関する投稿を読むことができる。なかなか素晴らしいお店のようだ。

ただ、いずれにしても私は食わないし、一般的にも、「ああ、そういえば、10年前に一度食ったことがある。確かにおいしかったなあ!」 ぐらいで十分じゃないかという気がしている。

【7月 26日 追記】

ついに保護団体も 「安いものは密漁された可能性が高く、食べないでほしい」 と呼びかけるまでになったようだ。私は安かろうが高かろうが、食べないけど。

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2017/07/06

「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代

福岡、大分の豪雨のニュースが衝撃的だ。「数十年に 1度の記録的豪雨」 などと言われていて、ニュースの映像で見ても、確かにすごい洪水である。

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私は昭和 61年の台風 10号による水害のため、避難所に指定された高台の小学校で一夜を明かしたことがある (参照)。妻が 3番目の子を身ごもっていたので、妊婦と幼い娘 2人、それに犬 1匹を連れての避難だったから、かなり大変だった。

そんな経験があるので、水害のニュースを聞くと他人事とは思えない。被災地の方々には心からお見舞い申しあげると言いたいところだが、雨はまだまだ収まったわけじゃないようなので、この台詞は早すぎるかもしれず、心が痛む。引き続き警戒していただきたい。

それにしても、このところ毎年のように 「記録的災害」 と形容される自然災害に襲われている。私は 4年前の 8月に "「20年に 1度の大雨」 から 「経験したことのない大雨」 に” という記事で、次のように書いている。

ちょっと前まで 「10年か 20年に 1度」 というレベルだった大雨が、最近では当たり前にしょっちゅう降るようになったということのようなのである。それだけ、気象が極端になっているのだ。このブログでは何度も書いたが、「温暖化」 とはまんべんなく暖まることではなく、「極端化」 するということにほかならない。

それで最近は、大雨のニュースでもレトリックに苦心するようになった 「経験したことのない大雨」 というのは、今月初めの秋田や岩手で降った雨だが、その後すぐに、山陰や北九州でも同じレトリックの雨が降った。さあ、こんどはどんな形容詞を使えばいいのか、マスコミも大変だ。

「極端化」 ということについては、過去にも "「温暖化」 というのは 「極端化」 を穏やかに言っただけ"、"「地球温暖化」 は 「気候極端化」" という 2つの記事を書いている。ちょっと考えただけでも、近頃は春と秋が短く、寒い冬が過ぎるとあっという間に暑い夏になり、夏が終わって涼しい秋を楽しむ間もなく、寒い冬になる。モデレートな気候を楽しむことが少なくなった。

一昨年はすぐ近くで鬼怒川の堤防が決壊し、私は水見舞いと復旧ボランティアに行ってきた。この時の大雨は 「50年に 1度の大雨」 と言われていた (参照)。さらに昨年は、北海道に観測史上初めて 3つの台風が相次いで上陸し、しかも台風 7号は本州などを通過せず、強い勢力のままで直接北海道に上陸したのだった。私はその直後に北海道に行ったが、あまりの暑さに 「もう昔の北海道の気候じゃない」 と思った (参照)。

というわけで、近頃は毎年のように 「20年に一度」 とか 「数十年に一度」 とか 「経験したことのない」 とかいうレベルの自然災害が発生しているのである。そんなに希有であるはずの大災害が、毎年発生してたまるものかと思うが、現実なのだからしかたがない。この要因は地球温暖化ということが既に常識となっている。

今年の夏はまだ始まったばかりなので、「数十年に一度の大雨」 が、今年中にあと何度あるか知れたものではない。この期に及んで、地球温暖化対策を進めるパリ協定から脱退するという、米国のトランプ大統領には、「お前、気は確かか?」 と言いたいほどのものである。

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2017/06/19

クマよけの音

タケノコ採りなどで山に入った人が、クマに襲われる事故が相次いでいる。昔は腰に鈴をぶら下げたり、ラジオを鳴らしっ放しにしていればクマは近付いてこないと言われていたが、最近ではクマの方もそうした音に耐性がついて、恐れなくなってしまったようなのだ。

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5月下旬にクマに襲われて死亡した秋田県の女性は、鈴を 2個ぶら下げていたというが、効き目がなかった。6月 2日付の毎日新聞は、「そもそも鈴の音が聞こえる範囲には限りがある」、「山菜を採るためしゃがんでいれば鳴らない」 と、鈴への過信に警鐘を鳴らす。

さらにラジオの音についても、「近年はクマが車のエンジン音など人工音を聞く機会が増えている」 ために、音への警戒心が薄れており、「音を聞いたクマが、餌となる物があると考え、おびき寄せられている可能性がある」 とさえ言われる。やつらも生き物だから、学んで慣れるのだ。

私は昔、クマのいる山をよく単独行した。クマがいるような山だからこそ、歩いて自然との一体感を感じ、いい気持ちになれる。そんな自然の中で、いくらクマよけとはいえ、人工的な音を出すのは気が引ける。しかしそうした大自然の中だからこそ、クマとの余計な軋轢を避けるために、敢えてぶち壊しのような音を鳴らさなければならないと考えていた。

私はその頃から、クマよけの鈴なんてあまり信じていなかった。あんなのは音が心地良すぎる、人にとって心地良いのだから、クマだってある程度慣れてしまえば、恐れなくなるだろう。同様に、東北の山の中でも受信できる NHK の番組は、牧歌的すぎてクマが恐れない。ギンギンのパンクロックでも流してくれれば別だが。

私は大自然の中を単独行する時、腰にシエラカップをぶら下げて、時々思いっきり叩いてガシャガシャという金属音を立てていた。そんな音を突然聞いたら、人間だって驚いて身じろぎする。クマに驚いてもらうためには、そのくらいの音でなければならないだろう。

幸か不幸か、私は山歩きをしていてクマに出会ったことがない。よほどの幸運でなければ、自然の中でクマを目撃するなんてことはできないと思っていたが、最近はそんな呑気な話でもなくなっているようなのだ。お互いのためにも、いきなりクマと出くわすなんて事態は避けた方がいい。

自然との調和を乱さないような慎ましい音では、クマよけにならない。思いっきりぶちこわしの不快音でなければならないのだ。余計なトラブルを避けるために、こればかりは仕方がない。のべつ幕なしに鳴らすわけじゃないから、勘弁してもらおう。

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2017/06/17

ウシガエルの鳴く日

6月 7日の 「ヨシキリの鳴き声 2」 という記事で、「人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう」 と書いた。それはあのウシガエルの鳴き声でも同じで、昼となく夜となく 「ブォー、ブォー」 と盛大に鳴いているが、案外平気で安眠できる。

中にはウシガエルの鳴き声を知らない人もいて、気味悪がって 「何の騒音でしょう?」 なんてネットで質問している人までいる。ウシガエルの滅多にいない北海道生まれの人は、本州に引っ越して初めてウシガエルの声を聞くと、本当にびっくりしてしまうようだ。

かくいう私も、山形県庄内地方で暮らしていた高校時代までは、ウシガエルの鳴き声なんて聞いたことがなかった。大学に入って東京に住むようになり、善福寺公園の池の畔ではらわたを震わせるような鳴き声聞いて、「これが噂のウシガエルか!」 と、ちょっと感動したのを覚えている。

「うるさくて眠れない」 なんて言う人は、自然の音への耐性がないのだろう。あるいはウシガエルは20世紀になってから日本に入ってきた外来種だから、遺伝子がものすごくドメスティックな人は、ダイナミックな鳴き声に弱いかもしれない (などとテキトーなことを言う)。

というわけで、ウシガエルの鳴き声を知らない人のために、裏の川土手で取った音声入り動画をアップしてみた。風の音、ヨシキリの声の中で、一際大きく響いてくるのが、ウシガエルの鳴き声である。途中でモンシロチョウが飛ぶ姿もちらりと映っている。

都会のコンクリート・ジャングルの中で暮らしている人は、この動画でちょっとだけリラックスできるかもしれない。いや、驚いちゃうかな。

夜になるとその鳴き声はさらに賑やかになる。10日の 「和歌ログ」 にあげたのだが、こんな具合である。(暗くてよく見えないので、画像サイズは小さめにした)

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2017/06/11

気象庁が梅雨入りを発表すると、雨が続かないという皮肉

気象庁は 6月 7日に 「関東甲信越地方の梅雨入り」 を発表したが、毎年のことながらまったく皮肉なことに、それ以後は雨が少なくなっている。我が家の太陽光発電のモニター・パネルも写真の通り、発表直後の 7、8日の 2日間だけは発電量が少なかったが、それからは順調に持ち直した。しかも 8日には既に、発電量が消費量を僅かながら上回っている。

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梅雨入り発表後に、なぜか天気が回復して雨が少なくなるというのは、まったく珍しいことではなく、近頃はほとんど毎年のように繰り返される現象なんじゃないかという気がしている。7年前の 2010年の梅雨入り直後には、次のようなことまで書いている (参照)。自分の 「和歌ログ」 を辿って判明した事実だ。

昨年 (梅雨入り宣言後 翌日に中休み) (これは 2009年のこと)
一昨年 (同、三日目に中休み)   (同 2008年のこと)
3年前 (同、翌日に中休み)      (同 2007年のこと)
4年前 (同、翌日に中休み)      (同 2006年のこと)
5年前 (同、二日後に中休み)    (同 2005年のこと)

というわけで、2005年から 2010年までは、毎年のように梅雨入り宣言した翌日か、遅くても 3日語には 「梅雨の中休み」 に入っちゃってるのだ。

それは、2010年以降でも似たようなもので、昨年の 7月 29日には 「梅雨入りが宣言されるとすぐに天気が回復して晴天が続き、梅雨明けになっても天気はそれほどもたない。昔の常識が通じない天気になっている」 と書いている (参照)。

というわけで、今日も雲は多めながら、日射しは順調に届いている。雨不足になると困ってしまう農家は、「気象庁は下手に梅雨入りを発表しないでもらいたい」 なんて思っているかもしれない。

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2017/06/07

ヨシキリの鳴き声 2

裏の川原でオオヨシキリが 1日中賑やかに鳴いている。この鳥は夜になっても 「キリキリキリ……」 と鳴き続けるから、一体いつ寝ているのだろうと思うほどだ。下の写真は、日本野鳥の会発行の 「野鳥観察ハンディ図鑑 水辺の鳥」 の P19 で、スズメよりちょっと大きい鳥だそうだ。

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「〜だそうだ」 などと曖昧な書き方をしてしまったのは、鳴き声はずっと聞き通しているものの、姿を見たことはほとんどないので、図鑑を頼りにするしかないからだ。大昔にバードウォッチング用に買った双眼鏡で、声のする方を追ってみたが、残念ながら見つけることができなかった。

オオヨシキリの声は、YouTubeで検索するといくつも出てくる。ついでに実際に鳴いている画像もみることができるので、オススメだ。なるほど、こんなこんな風に止まって鳴いていたのか。

念のため検索してみたら、このブログで 6年前の 5月にも 「ヨシキリの鳴き声」 というタイトルの記事を書いている。15年も続けていると、大抵のことは既に書いてしまっているようだ。我ながら油断がならない。というわけで、今回のタイトルは 「ヨシキリの鳴き声 2」 とする。

上述の記事でも書いているが、私の実の祖父で昭和初期の自由律の俳人だった唯一郎の句集に、次のような句がある。

はつきりと行々子の巣が見える六月の朝空 (参照

月が來る行々子啼くにまかして歩むなり (参照

「行々子」 というのはヨシキリの別名で、そう言われてみれば、「キリキリキリ…」 としか聞こえていなかった鳴き声が、「ギョウギョウシ、ギョウギョウシ…」 と聞こえてくるから不思議だ。

オオヨシキリの鳴き声があまりにも賑やかで、夜になっても続くので、さぞうるさくて眠れないのではないかと心配する人もいるが、自然というのはよくできたもので、こうした音というのはそのうちに 「聞こえても聞こえない音」 になってしまい、全然気にならずに眠れる。

同じことはカエルの鳴き声でも言えて、このつくばの地に引っ越して来た頃はあまりにも盛大な 「筑波山麓合唱団」 の声におそれをなしたほどだが、実際には全然気にならずに眠れる。静かすぎるよりも安眠できるほどだ。

(ちなみに上記の 「〜合唱団」 のリンクをクリックすると、若かりし頃のデュークエイセスの見事なコーラスが聴けて、さらに歌い終わってからちょっと嬉しいサプライズまである)

谷川のそばのキャンプ地で、囂々とした水の響きがとどろいていてもまったく気にならずに眠れるし、人間の耳というのはよくできたものである。自然の音というのはどんなにけたたましいようでも、いつの間にか耳に馴染んで気にならなくなってしまうのだ。逆に人工的な音や不自然な異常音などは、たとえ小さな音でも気になって神経に障る。

人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう。都会に住み慣れてしまうと、クルマの音ぐらいはうるさく感じなくて済む耳になっているかもしれない。ただしそうなったとしても、無意識の部分ではストレスにはなるだろうなあ。

都会暮らしの人が泊まりがけで田舎に行ったりすると、夜になると 「シーン」 という音が聞こえるなんて話を聞いたことがある。もっと耳を澄ませば、微かな風の音や虫の声が聞き分けられると思うのだが。

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2017/05/05

カナヘビのロマンスを目撃

今日の記事は、興味のない人にはおもしろくもなんともないものだと思う。いや、それどころか、「気持ちわる〜!」 と言って、もしかしたら、もう二度とこのブログには寄りついてくれないかもしれない。だが、そこはそれ、心を鬼にして書いてしまう。

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一体何事かといえば、「カナヘビの交尾を目撃してしまった」 という話である。カナヘビというのは、トカゲによく似たは虫類で、肌はカラッと乾き、ぬめぬめしていない。目が可愛らしいので、ペットとしても案外人気がある。私も嫌いじゃない。というか、どっちかと言えば好きである。

そのカナヘビが、我が家の玄関先で 2匹絡まりあっていたのである。よく見ると、片方が片方の後ろ足の付け根あたりに噛みついている。そしてそのままじっと動かない。

「こ、これが噂に聞く 『カナヘビの交尾』 というものか!」 と、ちょっとだけ感動してしまったのである。いつもならカナヘビを見つけたら、いい年してすぐに捕まえて掌に乗せて遊びたがるクチなのだが、今回ばかりは邪魔をしちゃいけないと思い、とりあえず iPhone で写真を撮るにとどめた。

カナヘビの交尾は、メスがオスの気を引くように寄り添うことから始まるらしい。そしてオスがその気になってしまうと、どういうわけかメスに噛みつくというのである。そこから徐々に本式の交尾に移行するらしいのだ。(参照

本来ならじっと観察していたかったのだが、残念ながらこの日は昼一番に用があって出かけなければならず、最後まで見届ける時間がない。そこで、玄関の前でこんなのが絡まり合っていたら、もしかして訪ねてくる人が腰を抜かしてしまうかもしれないと、そっと拾い上げて、草むらに移してあげた。

2匹のカナヘビは、私に拾い上げられてもまったく動ぜず、ただひたすら 2匹だけの世界に浸っているようだった。とまあ、今日はそれだけの、解釈のしようによってはロマンチックなお話。

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2017/04/02

ハンドソープは無添加フォームタイプがお薦め

近頃は世の中に 「ハンドソープ」 と称するものがあって、手を洗う際にポンプ式の容器でプシュプシュッとやると、石けん液が出てくる。そもそも私自身はこのタイプの石けんをあまり使うことがなくて、大抵は水洗いで済ませることが多いが、念入りに洗う時には 「フォームタイプ」 という初めから泡で出てくるのを使っている。

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しかも写真にあるように、無添加タイプのもので、つまり抗菌成分の入ってないやつだ。スーパーやドラッグストアでハンドソープを買おうとすると、ほとんど 「抗菌作用」 を売り物にしていて、抗菌成分無添加のものは必死に探さないと見つからない。我が家の近くで買おうとすると、やっと 1種類だけ見つかる。

ちょっと前に話題になったが、ハンドソープの 「抗菌作用」 というのは無意味であるらしく、単なる水洗いやフツーの石けん洗いとの差はほとんどないという。それどころか、トリクロサン、トリクロカルバンなどの殺菌成分は、免疫系に悪影響を及ぼすリスクの方が大きいということで、米国では販売禁止になっているところもある。

というわけで、我が家では抗菌剤フリーのものを使っている。さらにフォームタイプにしているのは、節水効果が期待できるからである。いかにも濃厚な液体タイプの石けんがムニュッと出てきてしまうと、それを洗い流すのに結構な量の水を使う。一方フォームタイプだとあっという間に洗い流せる。

こうした日常的なものを選ぶにも、ちょっとだけ賢くなる必要があると思っている。

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2017/03/21

バリケンという鳥のいることを初めて知った

バリケンという鳥をご存じだろうか? 実は私も今日初めて知った。雨の中、つくば市の赤塚公園というところを歩いていると、なんだかニワトリの大きいんだか、七面鳥の小さいんだか、よくわからん鳥がぼうっとつっ立っている。「何だ? ありゃ!」 と言うと、一緒に歩いていた後輩が 「tak さん、知らないんですか。バリケンってやつですよ。この辺じゃ知らない人いませんよ」 と言う。

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近付いて行っても飛び去る気配はない。というか、どうやら飛ぶことはできないようだ。結構でぶっちょで、羽も小さいから、まあ、飛べたとしてもちょこっと程度だろう。写真を撮ろうとすると露骨にうっとうしがるような素振りは見せるが、走って逃げるということもない。見た目は強面だが、至って呑気な鳥という印象だ。

帰宅してからググってみると、Wikipedia で 「ノバリケン」 という項目が見つかった (参照)。野生のバリケンで、「野バリケン」 というココロらしい。カモ目カモ科の鳥である中米産ノバリケンを家禽化したものが、バリケンということのようなのである。日本においては家禽化されたバリケンの方が先に知られ、後になって 「元々の野生の方は 『ノバリケン』 ってことにしようか」 ってなことだったのだろう。

Wikipedia には 「食用家禽として日本に持ち込まれたが、あまり普及していない。飛行能力が残っており日本各地で逃げ出したものが散見される」 とある。おお、やはりちょこっとは飛べるもののようだ。まあ、そんなことを言えば、ニワトリだって木の枝ぐらいまでは飛んだりするからね。

この Wikipedia には、つくば市の洞峰 (どうほう) 公園で目撃されたバリケンの写真が載っている。とすると、やはりつくば市周辺はバリケンが多く見られる地域ではあるのだろう。私の自宅近辺では見たことがないけどね。

それにしても、この年になって初めて見る鳥というのがあって、しかもその鳥はつくば市では知らぬ者とていないというのだから、人生というのはよくよくわからないものである。

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