カテゴリー「マーケティング・仕事」の116件の記事

2017/03/04

早朝から、下手すると夜明け前から働き始める米国人

プレミアムフライデーというものがスタートしているが、世間では悪評紛々である。ただ、私も懐疑派ではあるが、「今月なんて 3月 31日になっちゃうんだから、早く帰れるわけないじゃん」 なんて言い方をされると、何しろへそ曲がりなもので、「初めから締めがわかってるんなら、そこに合わせて仕事して、さっさと仕上げて帰ればいいじゃん」 と思ってしまうのだよね。

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ところで、NewSphere が 「アメリカ人が働き始める時間を調べたら、驚きの結果が!」 という記事を載せている。日本人は、「米国人は遅く働き始めてさっさと帰るんだろう」 なんて思いがちだが、実は彼らはかなり早くオフィスに着いて働き始めているということが、American Community Survey (ACS) による調査で明らかになった。ちょっと引用してみよう。

最も多いのは、午前 7時 45分から午前 7時 59分で、全米の労働者の 7.5%がこの時間帯に勤務を開始している。また、午前 7時から午前 8時 15分の間に全米の労働者の 33.4%が勤務を開始している。

(中略)

Entrepreneur によると、スターバックスのハワード・シュルツ CEO は毎朝午前 4時半に起きて午前 6時までにはオフィスに到着しているという。P&G の前 CEO の A.G.ラフリー氏も、午前 6時半から午前 7時の間にデスクに座っているという。アップルのティム・クック CEOは、午前4時半には起床してEメールで指示を出すという。アメリカのエグゼクティブは、一般的なアメリカ人よりもさらに朝が早いようだ。

というわけで、米国ではかなり朝早くから働き始める人が多いようなのである。このことについては私は 40年前から実感していて、初めてニューヨークに出張した時に、時差ボケで夜明け前から起き出してホテルの窓から街を見下ろすと、夜明けの 5時半頃にはあちこちのビルの窓に明かりが点き始めて、中でデスクに向かっている人が見えたのを覚えている。

日本ではみんな揃って 9時とか 9時半とかに働き始め、みんな揃って残業するのがお約束みたいになっているが、米国では、さっさと働き始めたいやつは夜明け前から仕事を始め、けりが付いたらさっさと帰るのが当たり前みたいなのである。もちろん、けりが付かなかったら夜遅くまで仕事を続けるのだろうが、いずれにしても、一緒に働き始めて一緒に残業するなんてことはないみたいなのだ。

さらに米国では、エグゼクティブほど早く出社して働き始めるようなのである。「俺の会社の俺の仕事」 と思ってるから、そうなるのかもしれない。日本ではフツーのサラリーマンも 「俺の会社」 とは言うものの、その実体は 「俺が雇われてる会社」 ということだから、ちょっと意識が違う。

日本の、とくに東京都心の企業で朝の 7時前に働き始めようなんてことになったら、5時半には家を出なければならない人が多いだろう。残業がなければそれも可能だろうが、前日に夜の 9時まで働いて夜中に帰宅し、3〜4時間の睡眠でまた家を出るなんて生活を続けたら、社員の半分ぐらいが過労自殺してしまうに違いない。

仕事を終えてからちょっとしたいことがあるから、朝早くから集中して仕事をし、夜遅くなる前にさっさと退社するというのが、彼の国のワークスタイルのようなのだ。日本人の多くが朝の 9時過ぎからだらだらと仕事を始め、夜の 9時を過ぎるまでだらだらと残業し、疲れて帰宅するという生活に甘んじられるのは、仕事のほかにあんまりしたいことがないからなのかなあ。

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2017/02/19

月イチの午後 3時退社より、毎日定時退社の方が

一昨日の記事で、月末の金曜日は午後 3時で退社しようという 「プレミアムフライデー」 というものについて書いたが、これって、果たして根付くんだろうか。私は正直言ってとても悲観的だ。

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政府主導のキャンペーンでは 「クールビズ」 というのが最も成功した部類だと思う。これなんか、暑い夏に好んでスーツとネクタイ姿でいたいのはファッション人間過ぎるやつかよほどの変わり者で、たいていは涼しい格好をしたいのだから、ちょうどいい免罪符を与えたようなカタチになって広まった。

ちなみにこのクールビズ・キャンペーンの旗振りをしたのは、当時の環境相だった小池百合子さんだった。この人、やることにそつがないよね。そつがなさ過ぎて可愛くないところもあるけど。

話は戻って、「給料日直後の金曜日ぐらい (とはならない月も、確率として年に 1〜2度あるが)、早めに退社したいよね」 という思いは、多くの人がもっているだろう。しかし、「暑い夏はスーツとネクタイから解放されたいよね」 という思いと比べると、どうもグッとくるものがないし、「3時にあがって、どうするの?」 なんてことになる人も多いだろう。

それよりも私なんか、「月イチの午後 3時退社なんかより、毎日定時退社したいよね」 という方が、ずっとマシな発想だと思う。毎日夜の 9時とか 10時とかまで会社にいるような種族は、午後 3時に退社しても、なんとなく早めに帰宅して風呂入って寝ちゃうんじゃなかろうか。なにしろ、お疲れだろうし。

そこへ行くと私なんか、会社勤めしていた頃も、まず大体定時退社していたなあ。退社時刻になったら、「お先に!」 ってなもんである。誰にも遠慮なんかしなかった。だって、やるべき仕事は効率よくさっさと済ませていたし。

時々、締め切り間際の仕事がたまったら、そりゃ 9時とか 10時とかまでやったりもしていたが、そんなのは 1ヶ月に 1度ぐらいのものだから、かえって新鮮だったりした。まあ、私の場合はどちらかというと、「企業内独立事業主」 みたいな、自由な仕事が多かったから、何の抵抗もなくそれができたということもあるだろうけど。

むしろ 「月末の金曜日は、絶対に残業しないで定時退社する日」 とする方が、とりあえずは広まると思う。名前は 「スペシャリー・オーディナリーフライデー」 (特別普通の金曜日) とでもしようか。いずれにしても、定時退社がフツーにできないような仕事はまともなもんじゃないと思うがなあ。

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2016/10/03

百貨店は付き合いきれない業界

日経ビジネスに 「誰がアパレルを殺すのか」 というシリーズがあり、その中に 「百貨店 3社トップ激白、“衣料崩壊” 後の針路」 という記事がある。「百貨店の大閉鎖時代を乗り切る次の一手は?」 という副題付きだ。

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私はずいぶん前から 「オリンピックと百貨店は歴史的使命を終えかけている」 と言っている (参照)。だから、百貨店があちこちで閉鎖に追い込まれようと、ちっとも驚かない。むしろ遅すぎるぐらいだ。昨年辺りまで続いていた中国人観光客の 「爆買い」 がカンフル剤になって、寿命をちょっとだけ長引かせていただけだ。

そもそも私の周囲の人間に 「最近、百貨店で服を買った?」 と聞いても、大抵は 「う〜ん、20年前ぐらいに 1度買ったぐらいかも」 なんて返事が返ってくる。今でも服は百貨店で買うなんていう人種もいることはいるが、それは同じような服を他のチャネルで探せば、半分以下の値段で買えることを知らない人たちである。

確かに昔は百貨店や名の知れた専門店以外で買った服は、品質的に問題があったりした。しかし今のアパレル製品なんて、どこで買っても 90%は中国製である。ある程度の値段を出しさえすれば、品質的には大した違いはない。むしろユニクロなんて過剰品質じゃないかというぐらいのものだ。

私が百貨店業界に違和感を覚えるのは、自らの顧客を第三者に対して 「お客様」 という名で語ることだ。冒頭で紹介された記事を読めば、それはわかる。高島屋の社長のコメントをちょっと引用してみよう。こんな感じである。

「売上高に占める婦人服のシェアは2割を切っている状態。拡大はもはや望めず、下振れをいかに食い止めるかという状況になってきている。お客様が求める方向へシフトし、身の丈に合った削り方をしていく」

顧客に直接呼びかけるならば 「お客様」 というのもまだわかる。しかし自らの顧客のことを第三者に向かってまで 「お客様」 なんていうのは、私の知る限り百貨店業界ぐらいのものである。フツーの業界ならば新聞記者の取材に対しては、客観的に 「顧客の求める方向へ……」 といったような言い方をする。

私は 「別にどうでもいいお前の客のことを、第三者の俺に対して 『お客様』 なんて言うのは、単に気持ち悪いわ」 と思う。これは繊維業界紙の記者やアパレル業界団体の職員として働いた経験からの、率直な印象である。

百貨店が自らの顧客を誰に対しても 「お客様」 なんて言い方をするのは、自分たちの業界を 「特権的なな存在」 と思っている妙なエリート意識の反映なのだ。そしてその言い方をビジネス新聞までその通り踏襲して書く。新聞記者は 「読者様の求める方向へ」 なんて決して言わないのに。

そのあたりが 「古すぎる奇妙な感覚」 だと、私は言うのである。周辺まで含めて、ちょっと付き合いきれない業界である。

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2016/06/24

アヤしいマーケティング手法

『現代広告の心理技術 お客が買わずにいられなくなる心のカラクリとは』 (ドル—・エリック・ホイットマン 著) という本が、ネット上で注目されている。まあ、注目されているといっても、SNS などで自分で宣伝しているだけなのだが。

どんな本かというと、「消費者心理を科学的に暴きお客の心理を研究し尽くした本」 なんだそうだ。とくに話題になっているのが、"悪用厳禁:「恐怖を利用して売る」 とても簡単な方法" というものである。一見かなりもっともらしい。

一流大学の教授と一流企業の研究機関が共同開発した 100%ダニの侵入を防止する ”枕カバー” (価格は 980円) を売る際に、どんなチラシを作ればいいかと、この本は問うている。で、どうするのかというと、こんな風にチラシに書くのだそうだ。

実は、2年間使用した枕の重さの10%は、ダニの死骸とその排泄物だと知っていましたか?

実はあなたの枕カバーには、何千、何万匹というダニがいます。そのダニはどんどん卵を生み続けます。ダニの数は増えるだけではありません。そのダニは糞を撒き散らしたり、そのまま死んでいくダニがどんどん増えていきます。

(馬鹿馬鹿しいからちょっと中略)

でも、大丈夫。ダニの侵入を 100%防ぐ枕カバーというのがあるんです。これは、一流大学の教授と一流企業の研究機関が共同開発したもので、しかも、値段は1000円もしません。

と、こうした 「恐怖を利用して売る」 やり方をすると、販売のレスポンスが飛躍的に高まるのだそうだ。ふーん、なるほどね。

私がここで 「なるほどね」 と書いたのは、広告の作り手の方から悪用スレスレの方法論をバラしてもらったので、騙されにくい消費者になることができるという意味である。これから先は、こうしたあざといやり口に遭遇しても引っかからなくなる。「ハハーン、例のヤツだな」 ってなもんである。

本当に枕の中がダニの糞と死骸だらけだったとしても、それを知らなかったら、なんてことなく寝ていられるのである。知った途端に変な気分になる。まさに 「知らぬが仏」 である。そしてたとえ知ってしまったとしても、「それがどうした?」 で済ませることができる。「そんな枕を何十年も使ってきたけど、別にダニの糞まみれなんかにならずに済んでるじゃん!」 と気付きさえすればいいのだ。

そもそも、このダニを防ぐ枕カバーという例からして、「あり得んだろ!」 という無理な設定である。まともな消費者なら、「ダニの侵入を 100%防ぐ」 という枕カバーがわずか 980円だなんて、「どんな仕掛けなんだ?」 と疑心暗鬼になる。「人体にだっていいはずがないんじゃなかろうか」 と思う。そして、そうした疑問に丁寧に答えよとは、この本は全然言ってない。

よく考えると、この本、かなり 「トンデモ」 なんじゃあるまいかってなことになる。そしてふと思い出して発売元を調べてみると。「ダイレクト出版」 という会社である。この出版社の本については、前にもクサしたことがある。去年の今頃の、"ならば私は「¥記号をつけた数字で表示:¥1,200」 の店を選ぶ" という記事だ。

槍玉に挙げたのは、『脳科学マーケティング100の心理技術』 という本だ。この本は、レストランのメニューでは、 値段を表すのに 「¥1,200」 でも 「千二百円」 でもなく、単に 「1200」 と書けば、客の心理的抵抗感を軽減できるとしている。

しかし実際問題として、メニューに単に  「1200」 なんて書いているレストランなんてろくなもんじゃないと思うのは、私だけではなかろう。うさんくさすぎるではないか。で、今度の本はモロに 「柳の下のドジョウ」 みたいなのだ。巧みに恐怖心を煽るのは、カルト宗教と同じ手口で、ますます信用できない。

この本を書いた著者にしても、出版社にしても、そんなに有効な方法論があるなら、秘密にして自分だけで実行すればいいようなものだが、こんなアヤシげな本にして売るというのだから、それだけで 「なんだかなあ」 と思ってしまう。

馬券の指南という商売があるが、そんなに競馬で当てることができるなら、誰にも教えずに自分だけで大穴馬券を買えばいいではないか。実際には自分でやっても儲からないから、人にやらせて金を取る方が確実なのである。そしてその先のことまでは、責任を取らない。

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2016/05/25

飲み会、とっくにやめている

私は基本的に 「おごられる」 のが苦手である。自分の飲み食い分ぐらいは、自分で払いたいと思っている。さらに、接待でもなんでもない部署内の人間だけのいわゆる 「飲み会」 を、会社の 「経費」 で落とすのも苦手である。割り勘なら、まだ安心するのだが。

しかし会社勤めをしていた時代には、「当然ながら、自分では払わない」 というケースがあった。それは上司が 「どうだ? たまには 1杯やらんか?」 などと、「飲み」 を誘ってきた場合である。こうしたことはできるだけ断っていたというか、誘われないように立ち振る舞っていたのだが、仕事の延長というムードがありありで、「今回は断りにくいな」 というケースがたまにある。そんな場合は、仕方なく付き合っていた。

そんな時には、私は決して払わない。なにしろ 「仕事の延長みたいな雰囲気満々」 のくせに残業代もつかないことに、渋々付き合うのである。ただで飲み食いしても嬉しくもなんともなくて、単に苦痛なだけなのだから、その 「苦痛の代償」 を相手に支払わせることに、何のてらいもなかった。

ところが上司は決して自分の金でおごっているわけではない。領収書をもらって、経費で落としているのである。「だったら、勤務時間中にミーティングとしてやってもらいたいなあ」 と思うのだが、彼らは会社の金で飲み食いしながら、「仕事の話」 をするのが大好きなようなのである。そして、昼にやってくれれば 30分で済む話を、夜に 3時間ぐらいかけるのだ。

「酒が入ると、相手の人間性が理解できていい」 という人もいる。しかし、なまじ人間性を理解してしまったせいで、ますますその人とは付き合いたくなくなることが多い。ところが 「この人とは距離をおいて接したいなあ」 と思う人ほど、やたらと飲みに誘ってくるというパラドックスには、本当に悩まされる。

最近は昔ほど 「飲み会」 が頻繁ではないようで、なかなかいい傾向である。同僚や部下の 「限られた時間」 を尊重しようと思ったら、やたらと飲み会なんかに誘えないはずなのだ。「飲み食いしながらのフランクなコミュニケーションの場」 なんて、年に 1度の忘年会で十分じゃないか。

私は会社勤めから離れ、飲み会といううっとうしい慣習から解放されて本当にせいせいしている。今は出張先で合流するスタッフとも、晩飯を一緒に食べたら、あとは基本的にフリーというのがお約束だ。年に 1度ぐらいはじっくり飲みながら話すこともあるが、しょっちゅう誘ったりなんかしたら確実に敬遠されてしまうと、お互いに思っているから気が楽だ。一匹狼同士の方がずっと付き合いやすい。

ハフィントンポスト日本版編集長の竹下隆一郎氏が 「#飲み会やめる そしたら、人生変わる気がする」 という記事を書かれている。そして 「#飲み会やめる を考える」 というハフポスト日本版イベントが、6月 10日(金) の 18:30 開場、19:00 開始で開かれるらしいが、私の仕事環境では、飲み会なんてとっくにその使命を終了してしまっている。

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2016/05/05

自分の会社が 「好き」 ですか?

「千日ブログ ~雑学とニュース~」 というサイトに 「社畜が多い日本でまさか! 世界一会社を嫌いな日本人 信頼も最低」 という記事がある。いろいろな調査で、日本人の自分の会社に対する "engagement" 意識の低さが明らかにされているのだそうだ。

ギャラップ社の調査によると、下の表のような具合だという。ちなみにここでは便宜的に、「Engaged: 会社が好き、Not engaged: 別に好きじゃない、Actively disengaged: はっきり言って嫌い」 というような意味合いと解釈してそう大きな間違いはないだろう。

国名 Engaged
(%)
Not
engaged
(%)
Actively disengaged
    (%)
米国 30 52 18
ブラジル 27 62 12
オーストラリア 24 60 16
イギリス 17 57 26
ドイツ 15 61 24
フランス 65 26
日本 69 24
中国 68 26

なるほど、確かに日本人は会社が好きじゃないようだ。もっとも中国人は日本人以上に会社が嫌いのようだが、「日本人は勤勉で会社に忠実」 というイメージからすると、外国からみたらかなり意外な数字と思われるだろう。そしてこう言っちゃナンだが、フランス人と中国人の数字はかなりイメージ通りだと思う。

で、日本人の数字だが、「会社が好き」 なのはわずか 7%で、69% は 「好きじゃない」 と答え、24% は 「はっきり言って嫌い」 としている。フツーの考え方からしたら、「じゃあ、どうして日本人は好きでもない会社の仕事を、そんなに勤勉にこなすのか?」 という疑問を投げかけられるだろう。

その答えは簡単だ。日本人は仕事を楽しそうにこなしても、そんなに誉められないのである。逆に、いかにも苦労している風に仕事をしていると、評価してもらえる。「苦労イコール勤勉」 なのである。「仕事を楽しくこなす」 なんて態度を示したりしたら、「勤勉なヤツ」 とはまず思ってもらえない。

だから 「会社が好き」 なんてことは、あまり言っちゃいけないのである。苦労の場である会社を 「好き」 なんて言うと、「頭おかしいんじゃないの?」 なんて思われかねない。そんなのは、就職試験の面接以外の場で言うべき文脈ではないのだ。就職前は 「貴社が好き」 と言わないと採用してもらえないが、就職して 「自分の会社」 になったとたん、言いにくくなる。

ただ、ビミョーな感覚ではあるが、「会社」 ではなく 「仕事が好き」 ということなら、時と場合によっては言うべきだと思われている。とくに仕事の後の飲み会などでは、上司に対してそれをアピールすると、覚えがめでたくなったりする。「苦労が好きな勤勉なヤツ」 と思ってもらえるのだ。

ところがいくら会社の飲み会でも 「会社が好き」 なんて口走ろうものなら、ちょっと白い目で見られることになりかねない。日本の仕事社会というのは、なかなかビミョーで難しいものなのだ。おもしろい国だね。

ちなみに私自身は、「企業内個人事業主」 みたいな立場の仕事しかしたことがないので、勤め人だった頃も、「会社はクライアント」 という意識で働いていた。別に好きも嫌いもなく、「請け負っただけの結果はきちんと出しますよ。それで文句ないでしょ」 という感じだったなあ。

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2016/03/30

「コアなゲームマニア」 と 「フツーのゲーム好き」 の絶妙な棲み分け

Wired に "モバイルゲーム 「課金」 の半分はわずか 0.19%のユーザーから" という記事がある。モバイルゲーム売上の48パーセントは、わずか0.19パーセントのユーザーから生み出されているというのである。この数字はモバイル・マーケティング会社スワーヴ (Swrve) が報告したものであるらしい。

これはゲームに多額の金をつぎ込む極々少数のゲームマニアによって、市場全体が支えられていることを意味する。何しろ 0.19% というのだから、ハンパなゲームマニアじゃない。そしてこの数字は 2年前からほんのわずかしか変わっていないというから、ずっとこんなもののようなのだ。

「上位 20%で、全体数量の 80%を占める」 というパレート法則どころじゃない。いや、もっと大ざっぱにみると 20% で 80% になるのかもしれないが、いずれにしても、ものすごく極端なデータである。Wired の記事は、モバイルゲームのターゲットは 「語弊はあるかもしれないが、いわゆるゲーム依存症のプレイヤー」 と言い切っている。

ここで思い出すのが、現在の新日本プロレスの親会社、プロシードの、木谷高明社長のコメントだ。「すべてのジャンルはコアなファンが潰す」 というのである (参照)。彼はまさに、「コアなファン」 の思い入れによって市場性を狭めていたプロレスを 「フツーのにいちゃん、ねえちゃん」 に解放し、「ライトなプロレスファン」 を作り出すことで、再生させたのである。

1000人のうちのたった 2人ぐらいに支えられているにすぎないモバイルゲームなんて、極々小さな市場というように聞こえる。そんな極端にオタクっぽい小さな市場がどうして潰れずにすんでいるのか、摩訶不思議に思われてしまう。

なんで潰れずにすんでいるのか、よく考えてみればそれは多分、モバイルゲームの市場は全然狭くなんかないからなのだろう。電車に乗ればかなりの乗客がスマホでゲームに興じている。モバイルゲームの市場は実はものすごく広いのだ。

このものすごく広いモバイルゲームの市場は、圧倒的に 「無料アプリ」 によって支えられている。彼らは電車内での時間つぶしにちょうどいいモバイルゲームを、金を出して買おうなんて、あまり思っていない。あるいは、一度金を出して買ったゲームでずっと長くプレイする。コンスタントに金を出すのは、極々少数の 「コアなゲームマニア」 なのだが、金を出さない 「フツーのゲーム好き」 は、その何百倍もいる。

つまりコアなファンなんて、全体からみればほんの少数派に過ぎないので、逆に市場としての健全さが保たれている。「金を出すのがほんの少数なのに、どうしてやっていけるんだ?」 ではないのだ。「ほんの少数のコアなマニアの外側に、ものすごく広大な裾野がある」 からこそ、モバイルゲームは潰れないと考えるのが、多分正解なのだろう。

言い方を変えると、「コアなゲームマニア」 と 「フツーのゲーム好き」 が、絶妙な形で棲み分けているのだろう。これって、マーケティングのケーススタディとして、なかなか面白い分野と言えるんじゃなかろうか。

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2016/02/12

製造業の国内回帰

"「海外生産が安い」はもう古い、エプソンの国内回帰戦略" という日経テクノロジーの記事を読んで、「そりゃ、もっともだ」 と思った。エプソンによると、「2013年以降、労働集約型の海外工場に比べて、自動化設備を積極的に導入した国内工場の方が労務費の面で安く抑えられている」 のだという。そうなるのはごく自然なことだと思う。同社は次のように説明している。

2012年までは、国内と海外の製品内労務費の差が10倍以上あった。2013年に国内の生産設備の自動化を進め、生産性を10.5倍に向上させた」。この取り組みは組み立てセル間の搬送や除給材といった作業もロボットに置き換えるほど徹底したものだ。

国内の人件費の上昇率は 2~3%。一方、海外での人件費の上昇率が年間で 10~15%である。この結果、同社は 2020年には国内と海外の製品内労務費の差は3.5倍に縮まると見積もる。自動化された国内工場の労務コストはほぼ横ばいなので、国内工場の方が、コスト競争力で大幅に上回ることになる。

さらに国内生産によって経営リスクが排除できること、生産拠点と研究開発拠点を密接に連携させ、知識集約が進められることも大きなメリットになる。こうしたトータルなメリットを勘案すれば、国内生産は海外生産を上回る競争力をもつことになる。とくに最近の中国経済の不透明さは、将来を悲観視するに十分な材料である。

こうしたストーリーは、労働集約型の典型と思われている繊維産業でも可能なことと、私は前々から考えていた。私のキャリアは繊維産業でその大半が形成されているのであろ。

繊維産業の中でも織布や丸編みなどの分野はかなりの部分、装置産業化している。同じ原料と同じ機械があれば同じ製品が生産できるのだ。こうした工場を取材するにつけ、私は 「これならどこで作っても同じじゃん。どうせ同じなら、近い方がいいじゃん」 と思っていた。きめ細かい生産コントロールに対応できる国内工場の方が、有利になる時がくる。

思ってはいたが、本格的にその有利性が表れるには時間がかかるのもしょうがないとも考えていた。その有利性を発揮する前提条件が徹底したロボット生産ということなので、多額の初期投資が必要になるからである。これまで日本の企業はバブル崩壊からずっと続く景気低迷で、それを行うだけの体力がなかった。

しかし今、そのチャンスが巡ってきている。もしかしたら最後のチャンスかもしれない。

定番品ばかりを大量生産するという 「少品種大量生産」 なら人件費の安い国の方の有利性が継続するだろう。しかし 「多品種少量生産」 なら国内生産の方が有利だ。製品の品質管理、出荷コントロールなど、目に見えない部分で国内工場の方がノウハウをもつからである。

徹底したロボット生産が前提なら雇用は増えないので、国内経済への好影響は限定的と思われるかもしれないが、そんなことはない。周辺の品質コントロール、IT 産業、部品産業、ロジスティックスなどが、総合的に発展する。

これまで日本の製造業は、オフショア・ビジネスに過度に傾斜しすぎていたと思う。そろそろ揺り戻しがきてもいい頃だ。その動きは徐々に出始めている。

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2015/09/02

結果とプロセスの (意図的) 混同が、エンブレム騒動の根本原因

東京オリンピックのエンブレムの一連の騒動で、多分誰もが薄々と感じてはいるが、明確に言い切っていないことがある。それは、今回の騒動を必要以上にややこしくした最大の原因は、当事者たちの 「結果とプロセスの (意図的) 混同」 にあるということだ。

今回の当事者たちは、「見かけは似ていても、発想や成り立ちが違うのだから、『盗用』 ではない」 と主張した。OK。それは確かに理解できる。客観的証明は難しいが、「パクリじゃない」 という主張は可能である。ところが異なるプロセスをたどっても、結果として明らかに似てしまうことは十分あり得ることで、結果とプロセスは別問題なのだ。

その意味で、佐野氏自身の会見での 「要素は同じものはあるが、デザインに対する考え方がまったく違うので正直まったく似ていないと思った」 という発言は、常識的にいえば明らかな 「無理筋」 である。これほど似ているものを 「まったく似ていない」 とは、「目が節穴」 と言われてもしょうがない。

「似ている/似ていない」 というのは、結果をみての判断であって、結果にたどり着くまでのプロセスなんてどうでもいいことだ。ところがこの結果とプロセスを、多分意図的に混同して、結果として明らかに似ているものを、プロセスが違うんだから 「まったく似ていない」 と言い切ってしまう傲慢さが、デザイン業界の一部では通用するようなのである。

もしこれが、世の中を甘くみたことによる意図的混同でなく、「自然の振る舞い」 なのだとしたら、今回の騒動の関係者たちは頭が悪すぎる。明らかに基本的な大問題であり、根本から考え直してもらわなければならない。

こうしたことは、例えば商標や商号の登録ではあり得ないことだ。製作プロセスがどう違おうとも、結果として類似性が認められ、紛らわしければ、「アウトはアウト」 というのが常識というものである。

ところがデザイン業界では、「(佐野氏のデザインを) プロのデザイナーとしては納得できるが、一般の人には理解できないかもしれない」 なんて、したり顔で発言している人もいる。そんな発言自体が、この業界の一部に特殊な価値観があるらしいことを物語っている。

このあたりで、他の視点から語ろう。音楽でいえば狭義の 「ブルース」 というのは、12小節でコード進行までほぼ決まり切っており、同じ曲に聞こえる別の歌がゴマンとある。それが 「本来のブルース」 である。

つまりブルースというのは、ある意味、俳句や短歌のような 「定型芸術」 であり、初めからその定型に沿って作られるので、いくら似ていても、「パクリ」 という概念の外にある。似ていて当たり前というジャンルなのだ。

根本的なことを言えば、私としては 「どう工夫してもある程度似通ってしまうのはしかたがない」 みたいな分野では、「ブルースのコード進行」 のようなフリーの 「入会地的ソース」 を認めておいて、利権主義的な 「知的所有権」 のコンセプトから、ある程度解放してあげなければ、そのうちにっちもさっちもいかなくなると思っている。

音楽で言えば、そうした例はいくらでもある。例えば、"Careless Love" と "Release Me" は、下の YouTube ビデオで聞けばわかるように、ほとんど同じ曲と言ってもいいほどよく似ている。それは同じ古い民謡を原曲としているので当然だ。同じ原曲をアレンジによっていろいろなイメージに膨らませ、別個の楽曲にしている。

デザイン業界でもこんなような手法がきちんとオーソライズされれば、問題なくなるのにね。どうせ似たようなことがフツーにやられてるようなんだから。

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2015/07/22

冠婚葬祭は衰退産業

ちょっと旧聞気味だが、「冠婚葬祭互助会の1割が債務超過 少子高齢化で収入減」 という朝日新聞の記事に 「へえ」 と思った。まあ、「それが何か?」 という程度の 「へえ」 なのだが、要するに、業界の 1割が債務超過なんてことは、珍しくもなんともないじゃないかと思ったのである。

ところが、"更に割賦販売法が定める「純資産が資本金の 9割以上」という財務基準を満たしていない社も 43社あった。基準を満たさない社は原則、新規契約の締結禁止が命じられる”というくだりには、「それって、ヤバいじゃん!」 と思った。この業界、ずいぶん縛りがキツいみたいなのだね。

国の縛りのキツい産業というのは、衰退産業だという認識が私にはある。最近は年寄りが多いから、冠婚葬祭、とくに葬儀に関する業界は追い風なのかと思っていたが、そうでもないらしい。一般的に葬儀が簡素化される風潮があるので、あまり儲からないらしいのだ。

考えてみれば、互助会という産業は冠婚葬祭に金をかけたがる傾向に支えられてこれまで発展してきたと言っていいだろう。しかしこれからは、葬式代も残せずに死んでいく年寄りが増える。

それは当然だ。平均寿命が延びるということは、生きている間に財産をほとんど使ってしまうということだ。さらにほとんど死んでいるのに無理矢理生かされて、病院に払うお金ばかりがかさむのだから、葬式代なんて残らない。私は余計な延命治療はしないでくれと、子供たちに言ってある。

「死」 というのは珍しいことでもなんでもない。人間誰しも死ぬのである。当たり前のことに余計な金を使っても仕方がない。葬儀が簡素化するのは当然である。さらに若い年代層が減るのだから、結婚式も減る。冠婚葬祭は衰退産業に間違いない。

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