カテゴリー「マーケティング・仕事」の60件の記事

2009/11/10

バーバリーの SNS

New York Times の記事に 「バーバリーが顧客獲得の道をオンラインに模索」 というのがあって、ついつい全文読んでしまった。

英国のバーバリー本社が市場開拓のために、独自の SNS を立ち上げたというのである。さっそくそのサイトに行ってみたが、なるほど、おもしろいと言えばおもしろい。

そのサイトに飛ぶと、まず "Art of the Trench" のロゴとバーバリーのマークが表示され、ほどなく自動的にサムネイル写真がずらりと並んだトップページに移動する。これらの写真は、世界各地のバーバリー愛用者を街角で撮影したもので、クリックすると拡大表示される。

拡大表示で "View Details" のアイコンをクリックすると、写真の詳細説明が表示され、一番上には 「どこそこで撮影されただれそれ」 という説明がつく。あちこちクリックしてみると、欧米の各地で撮影されたもののようだ。だが、私がまだ見つけていないだけかもしれないが、アジアで撮影されたアジア人は見当たらない。

ここで "comment" というアイコンをクリックすると、人気投票に参加できる。気に入ったら "I like this" というアイコンをクリックすればいいし、さらに興に乗ればコメントを残すこともできる。コメントと言っても、"Looks perfect!" とか "Cute!" とかの短いのがほとんどだ。

ちなみに、日本語コメントが OK かどうかは、試してないので知らないが、試すまでもなく、たとえ OK だったとしても、あまり意味がないだろう。

これらの写真の表示は、人気順、男女別、スタイリング別 (ベルトをしてるか、してないか)、撮影時のお天気別でフィルタリングできるようになっていて、例えば人気順で表示させると、いかにも 「なるほどね」 という感じの写真がずらりと並ぶ。

この人気順というのも、単に "I like this" が多くクリックされたものと、多くコメントが付いたものとでは、多少異なるのがおもしろい。素人人気と玄人人気は多少異なるということなのかもしれない。

今のところは、専任のフォトグラファーが撮影したものがほとんどだが、このサイトはなにしろ SNS なので、メンバー登録をすればバーバリーを着た自分の写真も登録できるようなのだ。ただ、世界中のかっこいい写真に混じって自分の姿をさらすというのは、よほど自信と度胸が必要だろうけれど。

で、日本人が自分のバーバリー着用写真を投稿するには、本物のバーバリーの着用者でなければならないのか、あるいは三陽商会によるライセンス品でも構わないのか、その辺の注意書きは見当たらない。普通に考えれば、ライセンス品は遠慮してもらいたいところだろう。遠目には区別できないかもしれないが。

そもそも本物のバーバリーと三陽商会によるライセンス品では、プライスレンジが違う。ライセンス品は、その辺の百貨店のコート売場に行けばずらっと並んでいて、価格帯は中の上というところだが、本物は紛れもない高級品で、倍ぐらいの値段になる。

バーバリー本社としてはこの辺りが痛し痒しというところのようで、長年の縁で、しかも大きな収入源なので切るわけにもいかず、かといって、大きく宣伝するわけにもいかないというところなのではなかろうか。

三陽商会のサイトに行ってブランド紹介のページをみても、"Burberry" というのは見当たらない。同社のドル箱ブランドなのに、サイトで紹介しないというところにも、もしかしたらこのあたりの事情が絡んでいるのかもしれない。

バーバリー本社にはこのほかにも、いかにして乗っ取りを防ぐかという悩みもあるらしい。同社は LVMH やプラダの標的になる要素を十分に備えた 「おいしいブランド」 なのである。これを防ぐために株式防衛をしなければならない。

そのためにも、先進的なマーケティングで実質を確保する必要があるとみているのだろう。この SNS が軌道に乗って拡大すれば、顧客リストが小売店経由でなく自社にストレートで入ってくる。これによって、顧客との直接的で、しかも楽しいコミュニケーションが可能になる。

本物のバーバリーの愛用者で、自信と度胸のある人は、この SNS にご自分の着用姿を登録してみてはいかがだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/10/05

ジル・サンダーとユニクロとオンワード

先週金曜日の、ユニクロとジル・サンダーの話の関連でもう一本書かせてもらう。ジル・サンダー本人は、今は ブランドとしての 「ジル・サンダー」 を使えない身の上だったのだ。

「ジル・サンダー」 という会社は、日本のオンワード樫山のものになってしまっていたのを、一昨日、記事を書き上げてから思い出した。

Google で検索してみたら、昨年 9月に、オンワードがジル・サンダーを買収した際のリリースが見つかった (参照)。オンワードのホールディング・カンパニーである (株) オンワードホールディングスが、ジル・サンダーの持ち株会社を完全子会社化していたのである。

じゃあ、日本におけるオンワードとユニクロの関係はどうなるのかというと、実は、全然関係ないのだ。というのは、ジル・サンダー自身は今、自分の作った 「ジル・サンダー」 という会社から離れていて、つまり、自分の名前である 「ジル・サンダー」 を、自分の作った商品のブランドとしては使えないという境遇なのだ。不憫な話である。

この間の事情は、ざっと次の通り。

ジル・サンダーは 1973年にデザイナーとしてのキャリアを開始してパリ・コレにデビュー、87年にミラノ・コレクションに舞台を移した。彼女の会社は 99年にプラダに買収され、当初は自身がディレクションを担当したが、方針の相違から自分で創立した会社を去り、2003年に一度は復帰したものの、翌年には再び離れざるを得なかった。

プラダという会社は、よくこういう無茶をする。一人のデザイナーが丹精込めて作り上げたブランドを買収し、そのコンセプトをスポイルしてしまうのだ。まあ、スポイルしたのではなく、ビジネスとして発展させたのだという人もいるわけだが。

ところがプラダは、2006年にジル・サンダーをチェンジ・キャピタルという投資会社に売却し、昨年になって、そこからオンワードが買い取ったというわけだ。同社の商品のデザイン・ディレクションは現在、ラフ・シモンズが担当しており、名前以外は、創業者のジル・サンダーとは無関係になっている。

こうした例は別に珍しいことではなく、ケンゾーやヘルムート・ラングなんかもそうだ。前者は LVMH に、後者はプラダに買収されたためである。70年代に一世を風靡した米国のホルストンは、経営戦略の失敗のために自分で作った会社から追い出されて、自分の名前を冠したブランドを使えなくなり、間もなくエイズで死んだ。

今や、ファッション・ブランドは、金融商品みたいに取引きされるものになってしまった感がある。ジル・サンダー関連でいえば、オンワードは大金を投じて名前とステータスを取り、それに対して、ユニクロは実体に近いところを取ったというわけだ。

この件に関しては、私はユニクロの方が利口だと思う。少なくとも、今のマーケットにずっとマッチした手法だ。それは、一人勝ちと言われるユニクロの好調とオンワードの不振という事実が雄弁に証明している。(参照

今後、ユニクロの "+J" というブランドに関連して、ジル・サンダーというデザイナーの名前はしばしば登場するだろう。ブランドとしてではなく、デザイナーの個人名なのだから、「使うな」 というわけにはいかない。これはパブリシティの強みになる。

で、今のジル・サンダー社が 「ユニクロとは無関係」  (参照) と強調すればするほど、同時に 「本家本元のジル・サンダーとも無関係で、『要するにブランドを名乗ってるだけ』 なのね」 とバレバレになるのだから、ちょっと興醒めなところである。

ちょっと前までだったら、"+J" の取り組みは 「ハイファッションの舞台を失ったデザイナーが、安物のデザイン稼業に落ちぶれた」 と言われかねないケースだが、今や誰もそんなふうには思わない。新たなマーケットの創出という側面の方がずっと大きいだろう。

最後にまったく別件だが、前に書いた記事の関連で 2点。

今年 2月 17日付の 「中川さんの仏頂面」 という記事

いみじくも pfaelzerwein さんがコメントの中で 「あの政治家もおかしな薬を常用しているのでしょう」 と指摘しておられるが、実は私も同じような疑いをもっていたところである。これが見当はずれであってくれればいいと思う。見当はずれでなかったら、親父の二の舞になってしまう心配さえある。

ああ、心配したとおり、親父の二の舞になっちまった。

2007年 3月 7日の 「石原慎太郎は、これで終わりということで」 という記事

北京の後の後に、またしても東アジアでの開催なんて、難しいに決まってるじゃん。そんなことに無駄金使って、どうしようというのだ。

石原慎太郎の 3期目は当選になってしまったが、東京オリンピックはダメだったので、おあいこである。あの近年では最低の北京オリンピックの次の次にまた東アジアに招致するなんて、当の日本人のシンパシーも得られなかったんだから、落選も当然だ。

2016年でなく、2020年だったらまだ可能性があったのに、自分の任期のうちにオリンピック招致を成功させたかったんだろうなあ。これがエゴでなくてなんだというのだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2009/08/26

コピー機のパフォーマンスチャージ

業務用コピー機をオフィスに導入すると、普通は機械購入に伴うリース料のほかに、パフォーマンスチャージというものが発生する。

コピー 1枚当たり 7円とか 8円とかいう料金である。案外知らない人も多いのだが、あれって、コピーする枚数に正比例して料金が発生しているのだ。

私はこれがずっと腑に落ちなかった。コピー機はリースとはいえ、ちゃんと買い取っているのである。自分の会社で買い取った機械を使っているのに、レンタルじゃあるまいし、なんでまた、1枚コピーするたびに、例えば 7円とかを払わなきゃいけないのだ。1ヶ月に 1,500枚コピーすると、10,500円になる。年間だと 126,000円になる。

これだったら、同じビルの 1階とか、筋向かいにコンビニがあれば、そこでコピーすればいい。1枚のコピーに 10円かかったとしても、高いリース料を払わなくていいだけ、ずっと得ではないか。まあ、コピーの度ごとにコンビニに行くというのも、面倒ではあるが。

近頃、このあたりのことをちょっとだけ勉強してみてわかったのは、あのパフォーマンスチャージというのは、コピー代ではなく、保守点検料として支払っているもののようなのである。コピー枚数が多ければ多いほど物理的な動きが大きいため、トラブル発生の確率も高いというわけで、枚数に正比例する形でチャージされているということなのだ。

しかし、これっておかしいと思わないか? 中にはちょっと紙詰まりしたとか、読み取り面が汚れてコピーに線が入るようになったとかで保守要員を呼びつけるオフィスもあるが、その程度の小さなトラブルなら、オフィス内にちょっと慣れたやつがいれば簡単に解決できる。本当に面倒なトラブルが発生するなんて、普通は年に 1度あるかどうかだ。

だったら、保守点検契約を結ばないで完全に自前で運用すれば、パフォーマンスチャージは発生しないわけなのだが、それだと、運悪く大きなトラブルが発生した場合にスポットで修理してもらった際の請求が、めちゃくちゃ高いものにつくらしい。

要するに、あのパフォーマンスチャージは保険みたいなものと考える方がいいようなのだ。コピーする頻度が高いほどトラブル発生の確率が高いから、保険料に相当するパフォーマンスチャージも高くなるような仕組みになっているのだ。

だが、保守点検要員に来てもらうほどのトラブルが発生する確率は、単にコピー枚数だけで左右されるものではない。前述のように、オフィス内にハードに詳しいやつがいれば、小さなトラブルなら自前で解決できる。

そんな事情があるから、パフォーマンスチャージというのは、交渉次第でかなり安くなる。もしかして、あなたのオフィスでずいぶん高いチャージを払っているようなら、一度交渉してみるといい。かなりな経費削減になる。

自動車保険だって、事故を起こさなければ割引率が大きくなるのだから、そのくらいの交渉はして当たり前である。もっとも、コピー機の代理店としては、ちょっとした紙詰まり程度でも呼び出してくれる方が、いかにも保守点検してあげているようで、高いパフォーマンスチャージの説得材料になるようなのだが。

さらに、あなたのオフィスが小規模オフィスで、コピーの枚数なんて 1ヶ月に 500枚程度なんてことだったら、大げさな業務用コピー機なんていらない。家庭用に毛の生えたようなスモールオフィス用の複合機で十分なことが多い。

これだと、せいぜい 5万円台で購入できて、保守契約なんていらない。何かトラブルがあったら、販売店に持ち込めばいい。保証期間内だったら、無料で修理してもらえる。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009/07/03

セコムのブランド戦略

電車に乗るとキムタクを起用したセコムのポスターがどっさり貼られている。キャッチフレーズの 「セコムしてますか?」 は、前世紀に長嶋さんがやっていた頃からの継続だ。

長嶋さんは今でも、CM のテレビ内テレビにまで登場して、「セコムしてますか?」 を連発している。さすがスーパースターだ。

セキュリティ業界は、もはやセコムの一人勝ちなのだそうだ。この会社、セキュリティ業界で断トツであるばかりでなく、サービス業全体を見渡しても、株式の時価総額が日本一らしい。

セコムに続くのは綜合警備保障とセントラル警備保障なんだそうだが、この 2社は ブランド戦略をかなり間違えている。

綜合警備保障はつい最近まで 「SOK」 (ソーケー) なんていっていたように思うが、近頃は 「ALSOK」 (アルソック) なんてブランドを使っている。ところが、綜合警備保障 = ALSOK というのは、まだ認知度が低い。別の会社だと思っている人も多い。要するに、ブランド・アイデンティティが今イチなのだ。

セントラル警備保障は、「センケー」 なんてちょっと軽いブランドというか、略称というか、そんな名称を使っているが、星野仙一氏を起用するなんていう、ちょっとベタベタのイメージ戦略が、あまりうまくいっているように思えない。

そこへ行くと、セコムのマーケティング戦略はうまい。セキュリティ業界の人たちに聞くと、高額所得者層の個人住宅警備は、軒並みセコムなのだそうだ。お金持ちともなると、他の安い価格の会社と契約するなんて、沽券に関わるということらしい。

トップブランドの強みはすごい。警備会社=セコムということになってしまっている。「味の素」 「カップヌードル」 と同様だ。「ググる」 とか 「チンする」 (これはブランドじゃないが) とかと同様に、「セコムする」 が普通の動詞的な扱いになってしまいそうだ。

と、ここまでセコムを褒めまくってしまったが、契約してどれだけのセキュリティ効果があるかといえば、セコムだろうがアルソックだろうがセンケーだろうが、あるいはローカルな小規模会社だろうが、あまり変わりないらしい。やることはほとんど一緒だもの。

セコムの最大の差別化効果というのは、門の所にセコムのラベルが貼ってあって、「この家はセコムが警備してますよ」 と満天下に知らしめることで、これはある意味、ステイタス訴求にはなる。まあ、言ってしまえばその程度のことだ。逆に言えば、セコムのラベルは、「この家は大金持ちですよ」 と泥棒に知らせてあげていることにもなる。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/24

SWOT 分析は何にでも効くわけじゃない

企業などの戦略計画立案ツールの中で最もよく知られたものの一つに、「SWOT 分析」 がある。

ハーバード・ビジネススクールで 1920年代から開発されてきたもので、ある意味、古典的なツールなのだが、今でもあちこちで、ずいぶんありがたがられて使われている。

これがどんなものかを知るには、上記のリンクを辿って Wikipedeia の説明をご覧いただければいいのだが、ざっと言えば、企業や個人のビジネス戦略を立案するにあたり、まず、以下の 4つのポイントを明確にするところから始めるのが特徴だ。

  • 強み (Strengths) :目標達成に貢献する組織 (個人) の特質
  • 弱み (Weaknesses) :目標達成の障害となる組織 (個人) の特質
  • 機会 (Oppotunities) :目標達成に貢献する外部の特質
  • 脅威 (Threats) :目標達成の障害となる外部の特質

以上の 4つのポイントの頭文字をとって 「SWOT 分析 (SWOT analysis)」 というわけだ。実際の作業では、紙の上に田の字のマス目を書き、左上に強み、右上に弱み、左下に機会、右下に驚異となるポイントを、それぞれ書き連ねることから始まる。

                       
強み (Strengths) 弱み (Weaknesses)
機会 (Oppotunities)脅威 (Threats)

上段が内部要因、下段が外部要因、左側がアドバンテージ、右側がディスアドバンテージとして、視覚的にも整理されるから、戦略立案の出発点としてわかりやすい。企業の戦略会議などで既にお馴染みの方も多いかもしれない。

私も 30代の頃、勤務先の団体が資金的に危機に陥った時に、盛んに会議が招集され、この手法を用いて運営改革の議論が行われた。そして結論から言えば、この会議では、いくらこの SWOT 分析を用いて頭をひねっても、全然役に立たなかったのだ。

私個人は、この会議では完全にしらけていた。私はマーケティングやマネジメントを専門に学んだわけではないが、SWOT 分析というのは、経営危機に陥った組織が 「どうすれば持ち直せるか」 という包括的な議論を行う際に役に立つものではないということを、漠然と感じていた。

SWOT 分析というのは、明確な目標を設定した特定のプロジェクトを開始する時には非常に有効なツールだが、「今までみたいにうまくいかなくなっちゃったから、どうしようか?」 というときに効果を発揮するものではないのだ。そんな時には、むしろ徹底した現状分析からやり直さなければならない。

要するに、経営危機に瀕してそこからの脱却を図ろうという時に有効とはいえない SWOT 分析というツールに、馬鹿の一つ覚えみたいに頼るしかなかったというのが、その組織の限界だった。というわけで、その団体は今ではなくなってしまった。

今でも、マーケティング・コンサルタントか何かで、エラソーに SWOT 分析を振りかざす人が少なくないわけだが、有効なケースで持ち出しているわけでは、必ずしもないように思われる。

それから、たとえ有効なケースであったとしても、その組織の 「強み」 「弱み」 として挙げられる要素が、必ずしも客観的に妥当なものではなく、単に当事者の 「思いこみ」 にすぎなかったりすることもある。というか、それがかなり多い。

過去のあるプロジェクトには十分に 「強み」 として作用していたが、新規プロジェクトにおいては、かえって邪魔になるみたいな要素を、単なる流れで 「強み」 として挙げたがる傾向がある。「強み/弱み」 なんて、相対的なものということをわかっていない人が多いのだ。

私が経験から学んだ教訓は、「SWOT 分析は何にでも効くわけじゃない」 という、当たり前のテーゼである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009/06/23

「その程度でいいの?」 という疑問

私はアパレル業界で主たるメシの種になる仕事をしている。この業界は、今最先端の IT 技術とはなかなか相性が悪い。

前にも書いたが、「ファッションとウェブは、水と油」 なのである。消費者向けのウェブ活用が遅れているだけでなく、業務システムとしての IT 活用も非常に遅れている。

この遅れた現状を是正しようとして、国を始め、地方公共団体などもこれまで少なからぬ補助金を投入して、繊維・アパレル業界向けの業務ソフトを開発させ、普及させようとしてきたが、ほとんど空振りに終わっている。補助金で作成したソフトで市場で生き残っているのは、ざっとみたところ 2割以下である。野球選手だったら、クビになっているところだ。

つまり、この分野で投入された税金の 8割以上は無駄になっているのである。これで利益を得るのは、この補助金交付業務にたずさわる役人と、業務ソフト開発を請け負った IT ベンダーだけだ。ベンダーは補助金をもらって開発しさえすればいいのだから、あとはどうでもいいみたいなのである。いわば 「作り逃げ」 だ。

何故、お役所の肝いりで作るソフトが使い物にならないかというと、机上のプランだけが魅力的すぎるからである。補助金交付の決定までには、この机上のプランを如何に飾り立ててプレゼンするかが大切になるが、これが間違いの元なのだ。

プランの上では 「あれもできる、これもできる」 「こんなことまで合理化できる」 と、とても魅力的なものにしなければならない。そうでないと、審査を通らないからだ。ところがいかんせん、アパレル業界の多数を占める中小企業は、そんな小難しいソフトを押しつけられても、使いこなせないのだ。いや、それどころか、意味すら理解できないのである。

ウェブ上で受注すると、バックヤードの在庫を自動的に検索してすぐに発送のレスポンスを返し、自動的に請求業務を行う (まるで Amazon みたい) なんてことを言っても、アパレル・メーカーの多くは、在庫管理がアナログ・ベースなのだから、そんなシステムを導入しても宝の持ち腐れである。

受注が統一フォームによる FAX かメールで受け取れるなら、受け取った側がその時点からアナログ処理を行い、つまり、人手で在庫を確認し、受注確認の電話なり FAX なりメールなりを返し、人手で発送し、まあ、請求書の印刷程度は自動で行うというぐらいのシステムなら、すぐにでも導入可能だ。多くのアパレル・メーカーが欲しいのは、このレベルのシステムなのである。

私なんかが IT ベンダーにこうしたシステムのニーズを力説すると、相手は必ず 「しかし、そんなの業務システムとはいえませんよ。 いわば 『おもちゃ』 じゃないですか。我々が作る以上、そんなお粗末なものはできません」 と言う。

私はこう答えざるを得ない。「おもちゃ程度でないと、この業界は使いこなせないんですよ。我々が求めているのは、まさに 『おもちゃ』 なんですよ。『おもちゃ』 だけでも、この業界の業務効率はものすごく改善されるんですから」

だが、IT ベンダー側も損益分岐点というのがあり、大手になればなるほどそんな 「おもちゃ」 の制作では利益を出せないとみるらしく、どこも手を付けてくれない。私からみれば、開発コストがかからず、リスクも最低限で、しかもやり方次第でどっと売れる可能性があるのに、どうして着手しないんだろうと思う。

もしかしたら、小さなベンダーがやってくれるかもしれないが、販売単価が安くなるので、広範な営業力がないと、少しぐらいの売上では儲けにならないから、なかなか腰が上がらない。

こうしたジレンマは、アパレル業界だけでなく、世の中全般にある。「そんなもんで、いいんですか?」 「そんな程度のことで、効果があるんですか?」 という問いは、世の中にあふれている。そんなとき私は、「そんなもんから始めてみましょうよ」 「その程度のことからでないと、気楽にスタートを切れないでしょうよ」 と答えることにしている。

私が最近実践している 「マイ箸」 なんかは、このケースの代表例で、ようやく少しずつ普及し始めているのが喜ばしい。(参照

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/06/18

百貨店の衣料品売り上げ

衣料品の小売市場に関する調査によると、ユニクロの一人勝ちという様相を呈している。値段の割に品質も安定しているので、日常的な洋服としては文句なしというわけだ。

一方、衣料品販売チャネルとしての百貨店は、かなりの落ち込みだ。一体誰が百貨店で服なんか買ってるんだろうと思うほどである。

繊維業界で最もメジャーな専門紙である 「繊研新聞」 の調べによると、小売市場における百貨店の売上シェアは、婦人服で 53.0%、紳士服で 32.3%、子供服で 29.8%だという。この数字を見て、私は 「ウソだろ!」 と思った。

日本中の婦人服の売上の半分以上が百貨店だなんてはずがない。同様に、紳士服と子供服のそれぞれ約 3分の 1が百貨店の売上だなんてはずもない。いくら百貨店の品物が他のセクターの倍ぐらいの値段であったとしても、そんなシェアになるはずがない。

で、この記事をよく読み返したら、繊研新聞社が実施した 08年度の小売業衣料品売上高調査で、婦人服・紳士服の上位 50社、子供服の上位 30社の数字をもとにはじき出した比率のようなのである。道理でね。

個別の百貨店の売上は相対的に大きいから、上位 50社とか 30社とかには多くがランクインしている。一方、売上の小さい専門店 (街の用品店を含む) の数字は、初めから無視されている。つまり、数字のマジックなのだ。上位にランクインした企業だけをベースにシェアをはじき出して、一体何の意味があるのだろう。統計手法として疑問が残る。

実感として、私の知り合いでこの 1~2年に、百貨店で服を買ったという人なんて、ほんの数人である。あとはほとんど専門店で買っている。だって、値段が全然違うのだもの。

例えば、紳士スーツを百貨店で買ったら、何とかセールを別とすれば、安いゾーンでも 38,000円、普通は 48,000円以上する。ちょっとしたブランド品となれば、平気で 10万円以上になる。

ところが、ショッピングセンターなどに入っている専門店チェーンの店で買えば、大体 2万円台、安ければ 19,800円なんていう値段で買える。ちょっと見た感じなら、百貨店のものとほとんど変わらない。近頃は、廉価品でもちょっと着たらヨレヨレなんてことはあまりなくなった。

よほどのこだわりのある人でなければ、スーツなんて単なる仕事着だから、安い方がいいに決まっている。だから百貨店でスーツを買う人なんて、ちょっとした小金持ち以上のクラスということになる。

女性にしても、よほどのキャリアウーマンとか小金持ちの奥さんとか、水商売のおねえさんとかでもなければ、百貨店でスーツなんか買わない。フツーの OL は、専門店で大体 1万円ちょぼちょぼで買えるものに、3万円も 4万円も、あるいは 10万円も 30万円も投資したりしない。

ということは、繊研新聞の調査で、婦人服売上高のシェアで百貨店が 53%というと、数量ベースでは、多分 30%以下になるだろう。さらに上位 50社というしばりを外したら、10%台になってしまうのではなかろうか。

思えばバブル最盛期には、百貨店は我が世の春という状況だった。その辺の OL のおねえさんが 100万円近いボーナスをもらい、百貨店でシャネルや D&G のスーツを買ったりしていた。

「一度高級品の着心地を知ってしまうと、もう安物には戻れないわよねぇ」 なんて言っていたバブリーなおねえさんが、今や 40歳をとっくに過ぎて、ユニクロでバーゲンハンターをしている。そして、高級スーツなんて着るのは馬鹿馬鹿しいと思っている。まさに諸行無常である。

ファッション業界人の多くは、「着るものにこだわりをなくしたら、人間おしまい」 みたいに思っているが、それは幻想だ。人間、生活に余裕がでるとファッションなどに気を使うようになるが、ある程度のレベルに到達したら、さらにファッションで突き進むか、別の分野にこだわりを見いだすかは、人それぞれなのである。

私はアパレル業界でメシを食っているが、人間が着るもの以外にも広範な興味を持てる世の中で生きる方が、ずっとハッピーだと思っている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009/05/25

コミットメント経営の時代の終わり

近頃 「コミットメント経営の時代は終わった」 と言われる。だが私に言わせれば、「今頃そんなことを言うのは遅いよ」 ということだ。

念のため説明しておくと、「コミットメント経営」 とは、日本語で 「必達目標経営」 などとも言われて、日産のカルロス・ゴーン社長がこれを積極的に経営に取り入れて成功した。

ところが、そのカルロス・ゴーン社長が、既に昨年からこの経営手法の軌道修正を明らかにしているのだ。1年以上前の記事だが、「日経ものづくり」 の 「日産ゴーン社長がコミットメント経営をやめた背景」 という記事から引用しよう。

ご存じの通り,コミットメント経営では,数値目標をはっきりと打ち出し,誰が責任を負うかを明確にしながら仕事を進め,目標達成に導く。達成すれば高い報酬が与えられ,未達なら厳しく責任を問われる。この方法で日産の経営危機を救った同氏は,産業界やマスコミからカリスマ的な経営者と讃えられることになった。

だが,本誌2007年9月号特集「持続なき復活─日産車の現場に灯る黄信号」 でも指摘したように,倒産の危機から脱した同社が成長軌道へ進むべき段階になると,次第にこのコミットメント経営には「副作用」が生じるようになった。いや,サプライヤーを含めた同社のクルマづくりの現場を走り回って得た感想をここで正直に述べさせてもらうなら,「弊害」と表現した方が正しいと思う。

この記事では、コミットメント経営の最大の弊害は 「情報が上に伝わらない」 ということを挙げている。「衰退に向かう会社の共通点は,現場の情報に上が耳を貸さなくなること」 というのは、よく言われることだ。

ガチガチのコミットメント経営をしている企業では、下からの率直な声は、単なる 「不平・不満」 「上層部批判」 としてしか受け取られなくなる。そりゃそうだ、そうした声にいちいち耳を傾けていたら、期初に設定した目標が達成できなくなる。耳を傾けずにがむしゃらに進むからこそ、辛うじて目標が達成できるのだ。

しかし、そうした経営手法を続けると、下からの声を聞かないということが企業風土になってしまう。最も重要なヒントは現場にあるのだが、それを無視して数字ばかりを追うと、後で必ず手痛いしっぺ返しを食う。

ここで、「コミットメント」 と 「ノルマ」 とはどう違うのかということについて触れよう。「同じようなものじゃないか」 という疑問に対して、コミットメント経営推進論者は、常に 「似ているようで、全然違う」 と答えてきた。

ノルマは上から押しつけられた目標で、コミットメントは自ら 「宣言」 として発する目標だというのである。だから、コミットメントを達成すればそこには大きな 「働く喜び」 があり、働くものを引っ張ってくれるのだという。

これが幻想に過ぎないことは、既に明らかになった。「自ら宣言するコミットメント」 といっても、実体は 「そう宣言せざるを得ない雰囲気」 が、上から押しつけられているのである。消極的な目標を宣言しようものなら、「やる気がない」 として上から叩かれる。叩かれないまでも、ちっとも評価されない。

コミットメントというのは、自ら宣言したものという建前になっているだけ、始末が悪いのである。達成できればいいが、できなかったら会社の責任ではなく、現場の責任になってしまう。無理矢理宣言させられて、責任ばかりが押しつけられるのだ。

2009年度 3月期で、国内自動車メーカーとして唯一黒字を確保したホンダの福井社長は、片山修氏の取材に応えて、コミットメント経営の弊害を、以下のように、もっと端的に言い表している (参照)。

トップが数値目標を掲げてイケイケドンドン式に推し進める経営は、1、2年の短期的な対応としてはいいのかもしれません。しかし、その後に必ずリバウンドがきます。

(中略)

短期的には効果があるかもしれませんが、続くわけがない。息が切れて落ちていきます。数字をクリアすることに集中してしまうと、結局、お客さまの信頼を損なうことになってしまいます。

リバウンドして 「息切れ」 してしまうのは、要するに現場である。コミットメント経営論者が言うような 「働く喜び」 どころではない。「働く苦しみ」 になってしまうのだ。

それで、現場は苦し紛れの操作に操作を重ねた数字をはじき出すようになる。実質的には何の足しにもならないどころか、そんなことに時間をかけるので生産性が落ちてしまうだけの、見かけ上の数字を追うようになる。現場というのは、必ずそうなるものなのだ。

また、コミットメント経営では、掲げる目標が前期より低くなるわけがない。必ずより高い目標が掲げられる。そうなると、要するに 「市場動向無視」 になる。また、市場の規模はある程度決まっているのだから、その中で業績を上げようとすれば、見かけ上の数字操作とともに、なりふり構わず他社のシェアを奪うという方策に及ぶ。

他社のシェアを奪うことに汲々とすると、一時的に自社の業績は上がるかもしれないが、市場全体としては活気がなくなる。というか、嫌なムードに包まれる。そうなると、その市場は 「凋落市場」 になってしまう。つまる、「働く喜び」 だけでなく、顧客の 「買う喜び」 までそがれてしまう。

コミットメント経営のあまり言われていない弊害は、実はここにある。企業の都合が前面に出た強引なマーケティングが、市場や商品そのものの魅力を奪うのだ。

市場と商品の魅力を維持するために、数字以上に大切なものを見据える経営が、今は求められているのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009/05/08

通話料金体系って、わけがわからん

近頃、固定電話にしても携帯電話にしても、料金体系が複雑すぎてさっぱりわからない。それでもって、ほんの少しの差をめぐって競合がはげしくなっている。

競合してくれるのはいいが、ほんの少しの差を一生の損得みたいに言ってあちこちから売り込まれるのが、本当にうっとうしい。

そもそもケータイの料金体系を理解しようなんていうことは、初めから諦めていた。なにしろ複雑すぎる。複雑なだけならなんとか理解しようともするが、それらを理解した上で、コンセプトのちょっと違った競合他社の体系と比較しようとすると、まず頭がおかしくなる。

ようやくちょっとだけわかったような気になって、取り敢えず 「自分にとって最もリーズナブルなような気がする料金体系はこれ」 と結論づけてそれを選択しても、競合が激しいから、状況はすぐに変わってしまう。だから、自分の選択した料金体系が本当に最もとくなのかは、じきにさっぱりわからなくなる。

それにつけこんで、ケータイ各社がいろいろなキャンペーンを展開するのだが、その内容がわかったようでわからない。大きな文字だけ読んでちょっとそそられても、端っこの方に書いてある小さな字を読んで 「なぁんだ」 とがっかりしたり、「要するに何を言いたいんだ?」 といらだったりすることの方が多い。

ビジネス用の固定電話にしても、いろいろな業者がいろいろなプランをもって営業に廻ってくる。よく聞くと、3分の通話料が 0.3円ぐらい安いとか、その程度のレベルである。1日で 100本ちょっと電話をかけるような事業所なら、1ヶ月で 1000円近くのコストカットになるだろうが、ウチのような零細企業ではあまり意味がない。

年額数百円なんていうレベルの差では、新たに申込書に記入したり、銀行口座の引き落とし手続きをしたりの手間の方が面倒くさい。それに、その程度で頻繁にプランを変えていたら、年がら年中変えなければならない。今自分の使っている回線が何だったのか、混乱してしまってわけがわからなくなる方がうっとうしい。

いっぱしの規模の事業所でも怪しげな業者にひっかかると、年額数千円の通話料節約のために、数万円のデバイスを設置させられて、その程度のことにリースを設定すると、10万円以上も余計に払わされたりする。よほどしっかり話を聞かないといけない。

というわけで、私は通話料に関しては 「今使っているのが一番お得」 と考えて、余計なことを考えないようにしている。一目瞭然で断然お得なサービスが出現したら乗り換えないでもないが、そんなことは滅多にないことだしね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009/04/10

「整理整頓」 ということ

近頃、書類整理に追われている。関係先の事務所が引っ越しをすることになり、その準備で大わらわなのだ。

しかしそれにしても、オフィスの書類棚の奥というのは、どうしてこんなにも要らない書類ばかりなんだろう。どうしてもっときちんと捨てておかなかったんだろう。

私はこれまで、オフィスの引っ越しというのを数回経験しているが、その度に奥の方から要らないものばかり洪水の如く出てきて、それらを捨てるだけで大変な作業になっていた。まあ、おかげで引っ越した先ではとても身軽な状態になることができるのだが。

ちなみに、普段の書類や道具の片付けのことは、「整理整頓」 なんていうことが多い。「整理」 「整頓」 という二つの言葉をワンセットにし、「整理整頓」 という四文字熟語のように使っている。ところが、引っ越し前の大わらわは、「整理整頓」 ではない。ただひたすら 「整理」 である。これには、ちゃんと理由がある。

Goo 辞書で 「整理」 と 「整頓」 という 2つの言葉を調べてみると、次のようになる。

整理

  1. 乱れているものをそろえ、ととのえること。
  2. 不必要なものを取り除くこと。
  3. 会社が支払い不能・債務超過に陥るおそれや疑いがある場合、裁判所の監督下に会社の再建を図る目的で行われる手続き。商法で規定されている。

整頓

  • 物事をととのった状態にすること。

つまり、「整理」 という言葉には、「捨てる」 とか 「見切りを付ける」 とかいう意味合いが、どうやら半分以上含まれているようなのだ。だから 「人員整理」 というと、大抵は首切りの意味で使われる。

一方、「整頓」 の方は捨てるというニュアンスがなく、ひたすらきちんと整えるという意味合いだ。オフィスの書類などは、「整頓」 するのみで 「捨てる」 ということをしないと、余計なものがたまる一方になるから、「整理整頓」 というのはどうしても必要になる。

よく見かけるのは、一見とてもよく整頓されているけれど、書類棚の中に整然と並んでいるのは、ここ数年、手に取ったこともないような不要書類ばかりというオフィスだ。そのくせ、現在進行形の業務の書類は、各自のデスクの上に堆積していて、その案件が終わっても、書類棚が一杯なので、しばらくはデスクの上に堆積しっぱなしというのが多い。

もっとも便利な特等席である書類棚がはるか昔の不要書類で占領され、最近の必要な書類はうず高い堆積のどこかにあるというのでは、本末転倒だ。やはり、「整頓」 一辺倒ではナンセンスになり、どこかで 「整理」 をしなければ、どうにもならなくなる。

というか、私としては、半年に一度とかの割で 「整理」 さえきちんとしておけば、「整頓」 なんてあまり必要ないんじゃないかと思っている。見た目にこだわらなければ、それで十分だ。

私は前にも書いたように、PC のハードディスクの中身は、人に誇れるほどきちんと整理整頓されていて、何年前のファイルでも、即座に取り出すことができる (参照)。ところが、現実のデスクトップ、つまり机の上は、人に見られるのが恥ずかしいぐらいゴチャゴチャだ。

しかし、これであまり不便は感じていない。現実のデスクトップの上に堆積してしまった書類は、半年か四半期に一度ぐらいのペースで、ほとんど何も考えずに思い切りどんどん捨ててしまえばいい。

絶対に保存しておく必要があるのは、官公庁に提出した書類や契約書類の割り印の押してある控えと、保証書やプロバイダーから送られてきたインターネット接続の仕様書ぐらいのものだ。マニュアルなんかは、よほど頻繁に使うのでもない限り、今は必要に応じてメーカーのサイトから PDF でダウンロードできるし。

万が一、何かの会議で配付された資料などを捨ててしまった後で、急に必要になったりしても、その資料の作成元にメールで丁寧に依頼すれば、大抵はすぐに添付ファイルで送ってくれる。

便利な世の中になったものである。「整頓」 なんかに手間をかける暇があったら、余計なことは考えず、「整理」、すなわち、どんどん捨ててしまえばいいのである。そうすれば、引っ越しの時だってほいほいと気軽に移動できる。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧