カテゴリー「世間話」の319件の記事

2018/12/03

世間もネットも希薄になってしまって

"流行語大賞2018、年間大賞は 「そだねー」 に決定" というニュースを見つけて、「ああ、そうですか」 と、極めて冷静に思った。とまあ、ただそれだけのことだが、「大賞」 と名の付くもののニュースで、そんな程度の反応しかできない世の中になったのだなあと、そっちの方が意味のあるニュースのような気がしてしまった。

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HuffPost の記事によると、「そだねー」 の他にベスト 10に入ったのは、次の言葉だったという。

eスポーツ
(大迫)半端ないって
おっさんずラブ
ご飯論法
災害級の暑さ
スーパーボランティア
奈良判定
ボーっと生きてんじゃねえよ!
#MeToo

実は申し訳ないが、私はこれらの言葉のうち、実際に耳で聞いたことのある言葉が 1つもないのである。「流行語」 ってのは、口語として盛んに使われてこそナンボのものというのが、ちょっと前までの常識だったが、今年の 「流行語」 に関する限り、私はインターネット上の文字として見かけたことしかないのである。

さらに、文字として見かけても、その意味まで興味をもって調べてみたのは、「ご飯論法」 と 「ボーっと生きてんじゃねえよ!」 という 2つだけだ。あとは、「まあ、大体想像つくし」 とか、「別に知らなくてもいいや」 とかで済ませているものばかりである。

これって、私の世間への関心が薄れたのだろうか? それとも 「流行語」 というもの自体がとても小粒になってしまったのだろうか? 「世間」 というものに関しては 14年以上前 ”世間話の怪しい新鮮さ” という記事で、私は次のように書いている。

民俗学では、「世間話」 というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に 「世間」 は存在しなかった。隣近所や集落程度では 「世間」 ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが 「世間」 である。

そしてさらに 12年ちょっと前には ”「世間」 と 「ネット」 はよく似てる” という記事でこんなことを書いている。

現代社会では、隣近所とか親戚付き合いとかいったゲマインシャフト (共同社会) の要素が希薄になり、その変わり、「ゲゼルシャフト」 (利益社会) の要素が大きくなったと言われるが、実は、気の毒なことに、その狭間で一番希薄になってしまったのが、「世間」 である。

しかし、よくしたもので、「世間の復権」 あるいは、「第二の世間」 として、ネットが興隆している。「世間」 も 「ネット」 も、「リアル」 と 「バーチャル」 の皮膜の間にあると思うと、付き合いやすい。

12年前あたりまでは、こうしたことが言えていたのだが、ついに、ネットの世界までが 「世間」 と同様に希薄になりつつあるような気がしているのである。これは由々しき問題だ。「世間」 の代替物としての役割を果たしてきたネットの世界までが、ついに手垢が付きすぎてしまっているのである。

さて、今後の 「世間」 及び 「世間の代替物」 というのは、どんな道筋を辿るのだろうか。

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2018/11/20

カリフォルニアの森林で落ち葉かきをするという発想

先に 「カリフォルニアの山火事は、州の森林管理が悪いからだ」 と tweet したトランプが、「フィンランドを視察した際に、落ち葉かきをしっかりしてるから山火事にならないと聞いた」 と発言して、そのフェイクぶりが話題になっている (参照)。広大なカリフォルニアの森林を、どうやって落ち葉かきしろというのだ。

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広大な森林の落ち葉かきなんて、人力だけでは到底無理だろう。何台もの専用車両を投入して、落ち葉を集めなければならない。しかし、それもかなり危ない。当ブログの 11月 16日付 「カリフォルニア森林火災の原因」 で触れたように、異常な高温低湿度のカリフォルニアでは、「草刈り機の火花」 で山火事になった例が報告されているほどだ。

「落ち葉かき専用車両」 のエンジンから火花が飛んで枯れ葉に燃え移ったりしたら、それこそ目も当てられない。そうなると、「エンジン付きの車両を使うのは危険だから、人力でやれ」 なんて言い出しかねない。しかし最近の落ち葉かき用の熊手 (レーキ = rake) は、ほとんどが金属製だから、やっぱり危ない。

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なにしろ、「ラフに打ち込んだゴルファーが、リカバリーショットで草の下にあった岩をこすって、火花が飛び…」 という原因でも、実際に山火事につながったと伝えられている。それほどまでの異常事態なのだ。「金属製レーキで落ち葉かきしていて、草の下にあった岩をこすって火花が飛び…」 なんてニュースが飛ぶのに、エイプリルフールまで待たなくてもいいかもしれない。

ここは、トランプを先頭にしたホワイトハウスのスタッフが横一列になり、消火器を背負って、レーキで落ち葉かき作戦を展開するしかないようなのだ。何しろカリフォルニアの森林の半分以上は、連邦政府の管理下にある国有林だというのだから。

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2018/11/16

「ノック 2回は、トイレの在室確認」 という都市伝説

今月 12日付の "「ノックは 3回」 という歌があるが" という記事で、某就活サイトにある 「ノックの回数」 についての 「プロトコールマナー」 という記述を紹介した。「ノック 2回は、トイレの在室確認用。3回は、家族、友人、恋人などの親しい相手。4回以上は、礼儀が必要になるオフィシャルな場や初めて伺った場所」 という、一見もっともらしい話である。

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この記事に、山辺響さんから次のようなコメントが付いた。

都市伝説の類という話も……。
https://www.apriori-eye.com/entry/protocol-manners-knock-the-door

リンク先は "a priori" というブログで、今年 8月 14日付の "「ノック 2回はトイレ用」 は嘘という不都合な真実" という記事だ。結構長めのエントリーだが、結論的には、「ノック 2回はトイレの在室確認」 とする信頼に足る客観的な根拠は、どこを探しても見当たらないということだ。

さらに、たにさんからも、以下のコメントをいただいた。

こんな都市伝説が生まれた経緯について調べている興味深いブログがありました。
https://www.netlorechase.net/entry/2017/01/22/070000

こちらのリンク先は、A Netlore Chase というブログの、2017年 1月 22日付 「ノックは何回するのが正しいのか、プロトコールとディグニティー」 という記事である。こちらも 「どうも英語圏の YahooAnswers やマナーに関するページを見る限り、『プロトコールマナー』 もなければ、ノックの回数についても正式に決められているようには見えません」 とある。

そりゃそうだよね。インターネットの通信規約 (いわゆる 「プロトコル」) に関しては、明確に定めないとめちゃくちゃになってしまうが、ノックの回数如きで明確な国際規約があるとは到底思われない。ましてや 「トイレの在室確認は、ノック 2回」 なんて国際合意があるとは想像しがたい。

日本では 「正式なノックは 4回と、プロトコールマナーで決められている」 と、あちこちで喧伝されているが、私の 12日の記事でも、自分としては洋画ではお馴染みの 「ドンドンドンドン」 という音とリズムが身についてしまっただけとした上で、次のように書いている。

多分、フツーの欧米人も、別に親から 「ノックは 4回しなさい」 と教えられたわけじゃなく、日常の生活の中で自然にその音とリズムに落ちつくのだろう。

つまり、「なんとなく、そうしちゃってる」 ぐらいの話としか思われない。「プロトコール・マナー」 なんていう妙な表記を目にした時点で 「何だかなあ」 とは思っていたが、早い話が、欧米のインターネット・ページをググり尽くしても、「部屋に入るときはノックするのが望ましい」 とあるばかりで、「その回数についてはほとんど触れられていない」 というのが結論のようなのである。

さらに言えば、欧米の公共トイレは (近頃は日本のトイレの多くも) 空室の時はドアが開いているというスタイルなので (稀に例外あり)、「在室確認は ノック 2回」 という 「プロトコール」 なんてものを定める意味がない。そういえば確かに、私は海外で公共のトイレを使う時に、ドアをノックした記憶がない。

ただ、小さなレストランなど、小規模な施設の場合は個室のドアが閉じているのがデフォルトの場合もある。これだと、開けてみようとするまでは塞がっているかどうかわからない。

この事について私は、14年以上も前に "「入ってます」 を英語でどう言うか?" という記事を書いたことがある。

友人が外国のレストランのトイレに入っている時、外から誰かがドアノブをガチャガチャ回して開けようとした (ノックなんてされなかった) ので、内側からノックで知らせようとしたのだが、なんとそのトイレはとても広くて、便器に腰を下ろしたままでは、ドアまで手が届かなかったのだそうだ。「そんな場合、『入ってます』 は英語でどう言えばいいのか」 と聞かれたのがきっかけである。

こんな場合、"Someone in" と言えばいいなんて話もあるが、私の経験では、米国のレストランでトイレのドアを開けようとしたら中から "Occupied!" という声が聞こえた。飛行機などのトイレの 「使用中」 の表示そのものである。なるほどね、それもありか。要するに、わかりゃいいという話で、決まった言い方なんてないのね。

というわけで、「ノック 2回はトイレの在室確認」 なんていう 「プロトコール・マナー」 は、確かに都市伝説に違いないようなのである。

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2018/11/14

高齢者の火災による死亡が多くなっている

近頃、この辺りでやたらと消防車のサイレンの音が響くようになった。冬は火事が多いというから、そろそろ冬も近いというような、季節要因ばかりではない。この辺りでは春だろうが夏だろうが、年中火事が増えているような気がする。

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原因として思い当たるのは、この地区でも高齢化が進み、老人だけの世帯が増えていることだ。年を取ると注意力が散漫になりがちだから、火の始末もおろそかになってしまうのだろう。我が家の近所も昔は子どもがたくさんいたが、今はほとんど独立して家を離れ、残されたのは 70歳を超える老夫婦だけというのが多い。たまに近所で会っても、みんな老け込んでしまっている。

住宅火災全般における高齢者世帯の比率については、詳しいデータは見つけられなかった (もっと念入りに探せば見つかるかもしれないが) 。しかし 「みんなの介護ニュース」 というサイトに、「火災の死者、高齢者の割合が大きい…原因のたばこは ”昔からの習慣” で辞められず!?」 という記事がある。

この記事によれば、東京消防庁のデータでは、住宅火災による死亡者の 75%が高齢者だという。東京都のようなところで 75%というのだから、この辺りではもっと高くなるだろう。何しろ、高齢者しかいないみたいな地域もあるのだから。

死者が出た火災のうち、原因として最も多いのは 「たばこ」 で、18%を占めるという。このニュースでは、次のように触れられている。

今の若い世代はあまりたばこを吸いませんが、昔は特に男性で喫煙率が高かったのです。その習慣を継続している高齢者ほどたばこを吸うというデータもあり、2017年の時点で 60歳以上の男性において 28.2%がたばこを吸っています。

28.2%というのは、ビミョーな数字である。前世紀後半では成人男性の 80%以上が喫煙者という時代もあったのだから、30%以下になったというのは、見方によってはかなりの減少だ。あるいは、喫煙者ほど早く死んでしまう傾向があるから、こんな数字になっているのかもしれないが、いずれにしても充分に低い数字になったとはいえない。

ただ、「その習慣を継続している高齢者ほどたばこを吸うというデータもあり」 というのは単なる思い込みで、厚生労働省国民健康栄養調査によると、平成 29年の日本の成人男性の年齢別喫煙率は、20代  26.6%、30代  39.7%、40代 39.6%、50代 33.4%、60代 30.6%、70歳以上 16.2% である (参照)。30〜50代の喫煙率が、まだまだ馬鹿みたいに高い。

「JT全国喫煙者率調査」 でも、60代以上の男性の喫煙率は 21.3%と伝えられており、実際には喫煙率が目に見えて下がるのは 70歳を過ぎてからのようである。それは、最近のたばこの値上がりが年金生活者にこたえるというのが最大の理由だろう。だったら、たばこ 1箱 1,500円とか 2,000円 (1本 100円ね) ぐらいにすれば、国民全体の喫煙率も劇的に下がるだろうに。

火災の話に戻ると一番危ないのが 「寝たばこ」 ってやつで、布団にたばこの火が燃え移ると死亡する確率が高いと伝えられている。老人が眠くなってベッドや布団に入ってからたばこを吸うなんていうのは、「ワシは死にたくてたまらないんじゃ。しかも周りに大迷惑をかけて死にたいんじゃ」 と言っているようなものだ。本当に本当に、たばこはやめた方がいい。

などと、こんなことを書いていると、またしても消防車のサイレンの音が響き始めた。2階の窓を開けて音のする方を眺めてみたが、火の手は見えない。あまり大きな火災ではないようで、不幸中の幸いというものだろう。

いずれにしても私だっていつまでも若いつもりではいるが、実年齢でいえば前期高齢者になったばかりなのだから、火の扱いには充分に気をつけよう。たばこは止めてから半世紀近く経つけどね。

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2018/10/29

ハロウィーンのバカ騒ぎと、1970年頃までのクリスマス

本来のハロウィーンは毎年 10月 31日なのだが、日本ではそのことはあまり認識されておらず、雑貨ショップに赤いカボチャが並ぶようになるとだんだん盛り上がって、10月の最終日曜日あたりで爆発するということになってしまったようだ。そして渋谷では爆発しすぎて大問題になっている。(参照

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私はこれまで、ハロウィーンについて何度か書いている。ざっと挙げてみよう。

こうしてみると、ハロウィーンは 10年ちょっと前ぐらいから日本に受け入れられ始め、「よくわからないけど、カボチャの飾りとコスプレのイベントらしい」 ということで、近頃ではずいぶん盛り上がるようになった。ただ、本当の趣旨が理解されているとは到底言いがたい。

思い起こせば、クリスマスだってそうだった。戦後になってアメリカ文化がどっと入って来たついでにどんちゃん騒ぎするようになったが、1970年頃までは単にプレゼント商戦とバカ騒ぎの日という位置づけで、クリスマス・イブはいい年した大人がキャバレーで三角帽子をかぶって酔っ払いまくる夜ということになっていたと思う。

その後、クリスマスというものの本来の意義が説き起こされて、「決してバカ騒ぎする日ってわけじゃない」 という理解が広がり、少しは落ちついて今の状態になっている。ハロウィーンも、日本におけるクリスマス定着の道筋を繰り返すのかもしれない。

とにかくキリスト教文化がちっとも定着していない土壌で、「なんでもいいから盛り上がっちゃう理由になるイベントの日」 ということで採り入れられてしまったので、初めは 「よくわからん」 ということでしょうがないのだろう。そのうちにだんだん本当のあり方がわかるようになる。

それまでは、渋谷のど真ん中でトラックをぶっ倒してその上に乗っかって騒ぐなんて、「乗りすぎ」 のケースも出てくる。そして数年経つと、「あの頃は、わけもわからず、ただ騒ぐだけだったよね」 と、ちょっと悔悛の情を交えながら思い出すことになるのだろう。

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2018/09/07

"LED" と 「発光ダイオード」 が、頭の中で結びついてなかった

我が家は省エネにはかなり気を使っていて、屋根には太陽光発電パネルを載せているし、照明もいち早くすべて LED に置き換えた (参照 1参照 2)。ところが私としたことが迂闊にも、”LED” というのが何という言葉の省略形なのか、ずっと無頓着でいたのである。

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なにしろ頭の中が極端な文系なもので、「えぇと、”longlife Electrical Device" か何かかなあ、いや、そんなわけないか」 なんて思いつつ、今さらのようにお気軽にググってみて愕然とした。”Light Emitting Diode" とあるではないか。思わず 「え、LED って、発光ダイオードのことだったの!?」 と、小さく叫んでしまったよ。

「発光ダイオード」 というものについては、言葉として知ってはいた。2014年に 3人の日本人科学者 (ごめん、名前忘れた) が、「青色発光ダイオード」 の開発でノーベル物理学賞を受賞したというニュースもちゃんと知っていた。しかしそれは、「何だか知らないけど、工業分野で画期的なことなんだろうなあ」 ぐらいに思っていただけで、自分の家で毎日使っている照明にリンクしているなんて、考えもしなかったのである。

こんなこと、知っている人にとっては当たり前すぎるほど当たり前のことで、知らない者がいることの方が信じられないぐらいのものなのだろう。しかし私ときたら、日頃、周りには 「tak さん、すごく物知りね」 なんて言われているくせに、理工方面のことについては、かくの如くの無知蒙昧なのだ。

友人に家電メーカーでずっと製品開発を担当してきた人間がいるが、彼と話をしていると、その理詰めのアプローチに新鮮な驚きを感じることがが多い。彼にとっては当たり前の論理展開に私がいちいち感動するものだから、彼は時々戸惑ってしまうことすらようなのだ。

しかし彼は彼で、私の文系的な話を 「そんな考え方は初めて聞いた」 なんて感動するので、お互い様である。

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2018/09/05

台風 21号で、関空がエラいことになって

一昨日の記事 (参照) でも書いたように、仕事の本番は明日なのだが、移動日の今日は新幹線を乗り継いで熊本までやってきた。当初の予報では、台風 21号は今日の 5日が危ないということだったので、初めから飛行機便を避け JR の切符を手配していたのだ。

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実のところは、台風のピークが今日だったりしたら、いずれにしても新幹線だって動かなかっただろうが、まあ、台風が通り過ぎても今さら飛行機便を手配してもお高く付いちゃうだろうから、当初の予定を変えず、はるばる陸路でやってきたわけだ。長旅は疲れたけど。

というわけで、私は初めから羽田空港から飛行機が飛ぶなんてことを当てにしていなかった。しかし台風の進路により近い (というか、モロに進路上の) 関西方面では、現実にあんなにまで大荒れになって、「暴風雨と高潮」 に最大限の警戒が呼びかけられていたというのに、わざわざ空港まで行っちゃって缶詰状態になった人が何千人もいたというのである。当事者の方々には悪いけど、ちょっと信じられない思いがした。

まあ、全員があの海の上の細長い橋を渡って行ったというわけじゃなく、他の空港から関空着の便で来て降ろされちゃったという人もいるのだろうが、いずれにしても着陸すら危険なんだから、それは少数だったろうと思う。

Twitter でも 「あんな日に空港に行っても、飛行機が飛ぶわけないじゃん!」 と、かなり批判的な書き込みが多いのだが、私としては、関空が早いうちに 「空港閉鎖」 という措置を取らなかったのが、より大きな問題だと思っている。

要するに、関空は 「最強台風」 を甘く見ていたとしか思われないのである。「通り過ぎてしまえば離発着も可能だろう」 とか、「運休が多発したら、莫大な損害になる」 とか、ゼニカネ問題の思惑が働いて 「何とかなるだろう」 と考えてしまい、対応が遅れたのだろう。

先日の西日本豪雨でも、「ほとんどの住民は避難指示が出ても逃げない」 ことが問題になった。これは 「正常性の偏見 (normalcy bias)」 —— 私は今後、これを 「正常性バイアス」 と呼ぶことにしたい —— に邪魔され、最後まで避難をためらって被害に遭ったケースが多かった。

この正常性バイアスが、空港運営者にもあったのだろう。これは抜本的に考え直さなければならない問題だと思う。外国だったら 「飛行機が飛ばないことが明らかなのに、安易に旅行客を受け入れて缶詰状態に追い込み、多大なる苦痛を与えた」 として損害賠償訴訟を起こされても不思議じゃないケースだと思う。

まあ、「飛行機が飛ばないことが明らかなのに」 という点を強調しすぎると、結局 「両刃の剣」 になっちゃうのだけどね。

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2018/05/25

「日本人に英語をマスターされると困る人たち」 がいるらしい

Facebook に、下のような 「これすごすぎる・・・」 という書き込みが表示された。どうやらお金を払っていろいろな人のタイムラインに表示させる広告らしい。

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それにしても 「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法が判明! 毎日 5分だけで OK なその理由とは?」 というコピーがすごい。英語教育にまで 「陰謀史観」 が持ち込まれているとは、恐れ入った。

この関連では、こんなのも見つかった。ちなみにこの 「早川千尋」 というアカウントはこの書き込みのためだけのもののようで、プロフィル写真の横顔がべっぴんさんすぎるほどで、しかも実在の人物かどうかはまったくアヤシい。

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クリックすると表示されるのは 「スマホ留学」 というサイトで、社名は 「株式会社イングリッシュライフ」 ということのようだ。英語教育の会社が 「英国的生活」 という名前なのは、思わず笑っちゃいそうだが、ここでは敢えて 「ふむふむ」 とだけ書いておく。

おもしろいのは、その 「スマホ留学」 のサイトに飛んでも、「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法」 ということにさっぱり触れられていないことである。それって、一体どんな人たちなのだろう。

とにもかくにも、この学習法を開発したという 「塩原祥之」 なる人物が、よくまあ 「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たち」 という闇の勢力によって抹殺されなかったと思うばかりである。それは、その学習法に大した効果がないということの証左に他ならないという理窟も成り立つだろうけれど。

「スマホ留学」 というサイトに飛んで、このシステムのおかげでペラペラしゃべれるようになったという人たちの動画を見ても (聞いても)、「今さらこの程度のかわいらしい英語をしゃべるために、20万円も使ったのか」 とため息をつくばかりだが、これ以上は野暮になりそうなので、これでおしまい。

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2018/05/24

「国民的悪役」 になっている内田というおっさん

先月からずっと忙しくて、日曜祭日もなく、大してお金にもならない仕事で忙殺されていた。連休以後も、5月の最初の 2日間だけは辛うじて休んだが、その他はずっとあちこち出かけてばかりで、今日、ようやく 3週間ぶりの休みである。

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昼前にちょっとテレビのスイッチを入れてみると、どこの局もワイドショーで、例の 「日大アメフト問題」 の推移を大々的に報じている。とくに当事者の宮川君が独自に誠意の感じられる記者会見を開いたことを受けて、昨日になって日大アメフト部サイドがお粗末な会見をしちゃったものだから、どのワイドショーも 「内田ヒドい、井上苦しい」 のオンパレードである。

聞くところによれば日大には 「危機管理学部」 という学部があるというのに、今回のケースではまったく機能していない。思うに日大首脳部はこの件について、「そこまで大袈裟な 『危機』 じゃない」 と高をくくっていたようなのである。実はその認識不足こそが最大の危機要因なのだが。

昨日の記者会見では 「日大のブランドが落ちる」 と指摘されたが、実は既に十分落ちてしまった感がある。私には日大出身の知り合いが結構いるのだが、ほとんどは芸術学部出身で、彼らは 「日大」 ではなくあくまでも 「日芸」 出身と思っているので、あまりダメージは受けていないみたいなのが幸いだ。(27日追記: 参照

ところで、アメリカン・フットボールについてほとんど知識もなかった世間が、この問題に関してどうしてこんなにも釘付けになっていきり立っているのか、ちょっと横っちょの方向から考えてみた。思うに、今回のケースは、このところ立て続けに起こった 「ムカつく社会的事件」 とか、あるいは 「身近のムカつくおっさん」 とかいうストーリーの、最も 「ムカつく要素」 を、あの内田というおっさんが象徴的に現出しているからなのではなかろうか。

「ムカつく事件の当事者」 と言えば、「もりかけ問題」 の総元締である安倍首相を筆頭に、その関連の連中、そして一連の 「パワハラ、セクハラ事件」 の当事者たちも、事件発覚後、一様にとぼけて責任を取ろうとしてこなかった。「会ってない、言ってない、指示してない、知らない」 とか 「そんなつもりじゃなかった、そんな認識はなかった、気付かなかった」 など、ちょっと突っつけばボロボロ崩れるような下手な取り繕いばかりである。

さらに 「チョー強力なむかつき要因」 は、内田というおっさんの、あのゴーマンさである。多くの人の身近にも、あのタイプのゴーマンなおっさんがいて、そうしたおっさんの多くは妙に権力を握ったりしているので、表立っては逆らいづらい。そうした鬱憤を、「内田ってやつはひどい!」 と口を極めて罵ることで、少しは発散できるのだ。

実はその昔、私の仕事関係の付き合いの中にも、あれとそっくりな 「ゴーマンなおっさん」 がいた。あまり具体的に書くと人物が特定されそうだが、同じ日大出身で、風貌と名前まで、兄弟か親戚じゃないかというほどそっくりというとこぐらいまでは、いいや、この際書いちゃおう。一応ネット検索してみてもひっかからなかったから、そこまで有名なおっさんじゃないってことだね。

私は幸いにも彼とは直接の利害関係がなかったから、適当に離れたポジションをキープしていたが、彼の部下たちは結構大変な思いをしていたようだ。その反動で、彼らは自社の上役にはペコペコしながら、一方で発注先には妙に尊大に振る舞うのである。まったくもう、日大アメフト部の井上某じゃあるまいし。

というわけで、あの内田というおっさんを見ていると、世間で苦労している人たちのいろいろなムカつくイメージが次々によみがえってしまうというのが、彼がここまで 「国民的悪役」 にされてしまっている要因じゃないかと気付いたのだった。

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2018/05/21

樹木希林と森繁久弥と 「セクハラ」 という三題噺

5月 18日の朝、私は宮城県の大崎市というところのビジネスホテルにいてテレビを見ていた。当初の予定では朝 9時にスタートするはずだった仕事が天候要因で 10時からに変更となり、1時間ほどヒマになったのである。

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で、テレビを点けたら NHK の 「あさイチ」 という番組に樹木希林がゲスト出演していたので、つい見入ってしまったのだ。この樹木希林という人、なかなか素敵である。

で、一通りのインタビューが終わると、視聴者から FAX (今どき、FAX というのが、いかにも NHK らしい) で寄せられた質問に樹木希林が答えるという趣向になり、その中に 「森繁久彌さんとの共演が長かった樹木希林さんですが、お尻を触られませんでしたか?」 という質問があった。

あちこちで 「セクハラ」 が問題になっている時節柄、よくまあ、こんな質問を取り上げたものだとちょっと驚いたが、NHK という組織はこうしたことには案外無神経なのかも知れない。

森繁久弥が共演する女優のお尻を触るというのは有名な話だが、この質問に樹木希林は 「森繁さんは、綺麗な女優さんだったらスッーと触るのね。美形が好きみたいで、そういう人は触ってましたね、でも私は触られません」 と答えていた。先日亡くなった星由里子あたりは確実に触られてただろう。

で、森重の場合は、時代的背景もあっただろうが、この 「お尻を触る」 という行為も 「独特のご愛敬」 として済まされていた感がある。触られた女優にしても 「ホントにもう、しょうがないんだから」 と笑ってスルーしていたようなのだ。まあ、それが本音からかどうかは窺うよしもないが。

そんなわけで、「セクハラ」 というのはなかなか複雑なところがある。「相対性理論」 じゃないが、する側とされる側との関係性によって 「もろにセクハラ」 になったり 「まったくもう、しょうがないんだから」 で済むご愛敬になったりするのである。つまり、「セクハラ」 というのは 「両者の間」 にあるのであって、「する側」 の方に一方的にあるわけじゃないみたいなのだ。

「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか鐘と撞木の間 (あい) が鳴る」 という禅問答みたいな都々逸 (?) があるが、まさにこの辺りは結構深いところがある。

「する側」 が 「単なるご愛敬」 とか 「他愛ない挨拶代わり」 のつもりでも、「される側」 がシリアスに受け止めたら、それは 「立派な (?) セクハラ」 になるのであって、この辺りのところが無神経な人には理解できないみたいなのである。「そんなつもりじゃなかった」 なんて言っても、それは一方的な弁明にしかならない。何しろセクハラは 「両者の間」 にあるのだから。

思えば、森繁久弥は平和な時代に生きていたのである。今の世でそんなことをしたら、「セクハラ大魔神」 として炎上してしまっていただろう。

セクハラ問題を起こさないためには、「鐘と撞木の間」 に余計な軋轢を作りさえしなければいいのである。要するに 「セクハラと受け取られても仕方のない言動」 をしなければいいだけのことなのだ。

ただ、世の中にはこの辺りのビミョーな判断が全然できない人がそこら中ごろごろいて、そんな人って、つい 「鐘と撞木の間」 に余計なことをグリグリ押し込んじゃうんだよね。端から見ていると、「なんでまた、ここでわざわざそんなバカなこと言うかなあ」 みたいなことを、好んでポロポロ言っちゃうのだ。しかも、いかにもオッサンじみたギトギト・イメージで。

こうなると、もう 「単なるご愛敬」 なんて決して受け取ってもらえないから、覚悟した方がいい。

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