カテゴリー「世間話」の327件の記事

2019/03/24

他人の悪口は蜜の味かもしれないが

よく 「他人の不幸は蜜の味」 なんて言われるが、「人の悪口は蜜の味」 というバージョンもある。世の中、人の悪口が大好きという人はいるもので、誰でも周囲に 1人や 2人は心当たりがあるようだ。

 

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実は私の身近にも迷惑なのが 1人いる。これが 「うわさ話大好きオバサン」 とかいう類いではなく、70歳をとっくにすぎた 「じいさん」 なのである。

このじいさん、時々 「あんたのこと、こんなふうに悪く言ってる人もいるよ」 なんて、余計なことを言ってくることがある。その内容は聞くに値するようなまともな批判ではなく、単に好き嫌いに発するくだらない感情論でしかないのだが、さすがに聞いていい気持ちはしない。

さらに馬鹿馬鹿しいことに、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて第三者の言葉めかした言い方をしながら、実際には暇さえあれば陰でそんなふうに私の悪口をくどくど言いまくってるのは、そのじいさん自身でしかないことを、私はとっくに知っている。じいさん、私のことがよほど気に入らないみたいなのである。

つまり自分がしょっちゅう口にしている私に対しての感情論的悪口を、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて半ば忠告に名を借りた口ぶりで言うのである。陰口だけでは気が済まず、間接話法に名を借りて本人にまで言わないと気が済まないカラダになってしまったのだろう。言いたいことがあれば、自分の言葉として直接話法で言ってくればいいのにね。

さらに悪いことに、そんなじいさんに限って 「自分は立派な善人だ」 と思い込んでいるフシがあるから、これ、ほとんどビョーキである。私自身はそういうビョーキのじいさんだと知っているからテキトーに聞き流しているが、中にはある程度の地位を経た年配の人間からそんなことを言われたら、かなり気にして悩んでしまう者もいる。

無駄に気にしちゃってるのがいたらあまり気の毒だから、「あんたの悪口なんて、あのじいさん以外に誰も言ってないから、気にしなくていいよ」 とぶっちゃけてあげることにしている。

このじいさんのビョーキは近頃ますます進行して、ようやく周囲にも認知され始め、まともに取り合われなくなってきた。フツーの感覚さえあれば、「このじいさん、いないところでは、俺のこともさぞかし悪く言ってるんだろうな」 とイヤでもわかるのだからしょうがない。

他人の悪口は蜜の味かもしれないが、なめすぎると毒になるってことだ。

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2019/02/26

「離婚のリアル」 という連載

東洋経済が 「離婚のリアル」 という連載をしている。筆者は 「孤独死大国」 などの著書もあるライター、菅野久美子氏。この人、結構ショッキングなルポをする人のようだ。

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この連載記事の冒頭に記されるリードは 「単純計算すると 3組に 1組の夫婦が離婚している日本。そこに至るまでの理由は多種多様だ。そもそも 1組の男女が、どこでどうすれ違い、別れを選んだのか」 というもので、「へえ、離婚ってずいぶん多いと思ってたけど、そんなに多いのか」 と、単純に驚いてしまう。

そういえば身近なところでは、隣家には 2人の出戻り娘がいるし、私のいとこの離婚率もざっと 4割に近い。親族として結婚式に出席した時の印象ではやたらと仲睦まじそうな 「お似合いの夫婦」 に見えたのに、10年も経つと 「別れました」 なんて知らせが来るのだから、どんな事情があったのか知らないが驚いてしまうよね。

ずぼらな私の感覚としては 「離婚するくらいなら、結婚なんてしなければいいのに」 と思う。だって結婚も離婚も、どちらもかなり面倒なことじゃないか。どうしてそんな 「面倒に面倒を重ねる作業」 をするのか、不思議でしょうがない。

そんなことを言うと、「結婚する前に 『別れちゃうかも』 なんて考える人はいないよ」 なんて言われる。しかし、本当にそうだろうか。上述の連載を読むと、本当に自覚的に 「我々、末永く大丈夫」 という自信があって結婚するカップルって、それほど多くないんじゃなかろうかという気がしてしまう。

例えば上述の連載 10回目 (本日付) の "結婚 8年、46歳で別れた公務員夫が受けた屈辱 「箱入り娘」 妻の身勝手に振り回され続けた" という記事を読むと、結婚までのいきさつがそもそもひどい。職場の飲み会で知り合った女性と付き合っているうちに、相手が勝手に結婚式場を予約して、両親に合わせる日程までいつの間にか決められていたという。

「この人、結婚がしたいんじゃなくて、結婚式がしたいんじゃないだろうかって、途中から思い始めました」 なんて言っているのだから、それに気がついた時点で別れておけばよかったのである。しかし 「年齢的に実さんも結婚を考えていたこともあり、結婚はそういうものだと自分で自分を納得させて、半ば玲子さんの迫力に押される形で結婚」 してしまった。

「おいおい、それって、いくら何でも 『当事者意識』 なさすぎだろう!」 と言いたくなる。しかしそういえば、昔の結婚なんて、周囲が勝手に決めていつの間にか一緒にさせられてたというケースが多かったという。ただ昔は 「離婚なんてとんでもない」 という風潮だったから、必死に耐えていたのだろうね。

今は理不尽な結婚に無理に耐えなくてもよくなったのだから、昔よりはマシなのかもしれないが、その前段階として 「もうちょっとまともに見極められなかったのかね?」 という疑問は引っ込められない。ただ、「まともに見極める」 というのも、数こなさないとなかなか難しいのかもしれないが。

こうしてみると、結婚なんて半ば 「バクチ」 みたいなものなのかもしれない。私の場合は 「当たり」  という自信たっぷりで結婚したのだが、結果としても本当に 「当たり」 でよかったよ。まったく。

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2019/02/21

「ハンコのお辞儀」 という都市伝説

「細かいところによく気がつく人」 というのは、世間でほめられることが多いが、「どうでもいいところばかり気がつく人」 というのはうっとうしい。そして厄介なことに、「細かいところ」 と 「どうでもいいところ」 の境界線はかなり曖昧なのである。

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"たった今、「請求書の判子がお辞儀していないのは失礼だ」 っていうカンカンに怒った電話がかかってきて......" という tweet が話題で、retweet がかなりの数にのぼっている (参照)。いかにもお辞儀してるように見える角度で捺印しろってことらしい。

「判子のお辞儀」 以外にも、世間にはあっと驚くようなルールがあるらしく、"F銀行ではハシゴ判 (回覧印を押す枠) のない回覧物に押印する場合「上席が押すラインを想定して下の方に押せ」 と指導された" という tweet まである (参照)。「F銀行」 って、合併する前の富士銀行かなあ。

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一方で、「ハンコはまっすぐに押すもの」 という正攻法的反論もあり、何が何だかわけがわからない。この手の話としては、昨年 11月 16日に ”「ノック 2回は、トイレの在室確認」 という都市伝説” という記事を書いていることを思い出した。さらには 「飲み会の翌日は参加者全員にお礼の挨拶回り 」 とか 「書類のホッチキスは右肩」 なんてのもあるらしい (参照) が、横書き書類を右上で綴じられたら、読みにくくてしょうがないよね。

個人的な話をすれば、私がハンコを押すと幸か不幸か 「お辞儀してる」 みたいな角度になってしまうことが多い。これは捺印する前に 「上下逆になってないよね」 と確認してそのまま押しちゃうと、自然の結果として 「ハンコのお辞儀」 なってしまいやすいのだ。

下手すると私の押した判子をみて 「tak さん、案外細かいところに気がつく人」 なんて思う人がいるかもしれないが、実際には 「上下逆にならないようにという程度しか気にしてない人」 というのが正解である。

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2019/01/28

「ゴルフ場利用税」 を廃止する方向なんだそうだ

NHK が 「来年の東京オリンピックに向けて、超党派の議員連盟は、正式競技になったゴルフの振興を図ろうと、『ゴルフ場利用税』 を廃止する法案の骨子をまとめ、通常国会への提出を目指す」 ことになったと伝えている。(参照

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消費税が今年 10月から 10%に上がると決定しており、今後さらなる増税が必要などと言われているのに、議員の方々、ゴルフに関してはずいぶん物わかりがいいようなのだ。「超党派」 というのだから、与党も野党もゴルフ好きが多いんだろうと思うばかりである。

オッサンが多い会議なんかに出席すると、会議が終わればたいていゴルフの話に花が咲いている。なにしろ 「ゴルフ好きで当然」 という前提で成り立っているような集まりが多いから、当然こちらにも 「今度、ご一緒しませんか?」 なんて誘いをかけてくる。

「ゴルフはしませんので」 とさりげなく断ると、さも意外そうな表情になり、「これを機会に始めませんか? 楽しいですよ」 なんて、さらに誘おうとする。「いえ、まったくする気がありません」 とはっきり断っても、「いやいや、実は私も昔はそんな風に思ってましたが、やってみると楽しいものですよ」 なんて、かなりしつこい。

こうなるとこちらも少しはムッときてしまうから、「実を言えば好き嫌いというより、ポリシーとしてやらないんです。語り出すと長くなるから、ここではこれ以上言いませんが」 と、さらにはっきり言う。「しない」 と言っている人間に向かってノー天気に 「楽しいですよ」 なんてしつこく言う相手には、このくらいのことを言わないと通じないことが経験知でわかっているから、多少角が立つぐらいは承知の上だ。

それにしても、ゴルフというのはかなり特殊なスポーツである。世間では 「ラグビーしませんか?」 なんてことはやたらと言わないし、「空手やりませんか?」 というのも同様である。「自転車でヒルクライムしませんか?」 なんて言うと、「途方もない!」 みたいな反応が返ってくる。しかしゴルフだけは、「ポリシーとしてやらない」 なんていう人間がいることは想定外のようなのだ。

私がゴルフをやらない理由はエコロジカルなものだ。プレイヤー 1人当たりの面積がべらぼうに大きく、その分だけ森林を伐採し、除草剤を使いまくっている。それをわかった上で、そんなにやりたきゃやればいい。しかしやるならやるで、環境負荷に対する相応の対価としての税金ぐらい、払ってもいいんじゃないかと思っている。

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2019/01/17

東京オリンピックをきれいに洗っちゃえるか?

世間では今回のフランスでの竹田恒和 JOC 会長の起訴に関して、何だか降って湧いたような話みたいに言われているが、物覚えのいい人なら、2016年 5月頃から持ち上がっていたことを認識しているはずである。私もこのブログの 2016年 5月 17日付で、"「おもてなし」 には、やっぱり裏があった" というタイトルで書いている。

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あの頃、東京オリンピックのプレゼンに 「お・も・て・な・し」 なんて、自分だけでウケてる馬鹿馬鹿しいフレーズが使われ、ただでさえシラけていたのに、さらに 「おもてなしの語源は裏表のないことです」 なんてナンセンスな広告まで登場していた (参照)。そんな時に、「東京オリンピック招致委員会が、シンガポールのコンサルティング会社に約 2億 3000万円を支払っていた」 という話が判明していたのである。

この事に関して私は、2016年の段階で次のように書いている。

ほかでもない。東京オリンピック招致委員会が、シンガポールのコンサルティング会社に約 2億 3000万円を支払っていたという件だ。招致委員会はこの支出は必要なコンサルティング料だったとシラを切っているが、この会社が国際陸連の前会長と関係が深かったというのだから、まあ、その使い道は賄賂だったのだろうね。

フランスの検察はヨーロッパの国の賄賂だったら、見逃していたかもしれない。しかしフランスに限らず、スポーツの世界の賄賂体質にはむかついていたのだから、アジアの非白人国の賄賂疑惑をこれ幸いと利用して、この世界の正常化を図ろうとしているんじゃないかと、私は踏んでいる。

で、今となっては 「フランス、結構本気で取り組んでたんだね」 と思っているわけだ。この件を日産の 「ゴーン問題の意趣返し」 なんて報じている向きもあるが、2016年 5月は ゴーン逮捕の 1年半ぐらい前のことなんだから、この見方はかなり見当外れである。

とにかく、この 「約 2億 3000万円」 を支払ったシンガポールのコンサルティング会社 (実際にはペーパー・カンパニーだとか、さらに会社ですらないとかいう話もあるが) の名称が 「ブラック・タイディングス」 というのだから笑わせる。

どういうわけだか知らないが、「ヒンディー語でブラック・タイディングスとは、『闇マーケティング』 や 『黒いカネの洗浄』 という意味がある」 なんて、あの 「東洋経済」 が報じている (参照) が、これ、どう見ても英語の "Black Tidings" だよね。なんでまたよりによって 「ヒンディー語」 なんて持ち出さなければならないんだか、さっぱりわからない。

しかも ”Tiding" の原形と思われる ”Tide” というのは、元々は 「潮流」 とか 「潮の干満」 という意味だが、米国では有名な洗剤の商品名でもある。上の写真をご覧戴きたい。コストコに行けば、日本でもグロスでバンバン買っちゃえる。ヒンディー語なんて持ち出すまでもなく、あまりにも意味が露骨すぎだ。

というわけで、私としては東京オリンピックには始めからシラけ放題なのである。

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2019/01/07

人のグラスに勝手にビールを注ぎ足す 「奇習」

Nifty ニュースが "グラスに注ぎ足しながらビールを飲むのは 「奇習と言っていい」  見直して欲しい! 飲み会の妙な習慣" という記事を載せている。

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この記事の発端となったのは、らくからちゃさんというブロガーの 12月 15日の記事らしい。「わたしが苦手なのは、まだ飲みきってもいないのに、ちょっとでも空きがでたもんなら 『どうぞどうぞー』 と継いでくる (ママ) 人の存在」 と書かれている (参照)。

確かにこれ、まことにもって妙な習慣で、私は飲み会に出てもよっぽどのことがない限り他人のグラスにビールを注ぎ足すなんてことはしない。飲みたけりゃ、自分で注げばいいだけのことだと思っている。

社会人になりたての頃 (40年以上前のこと)、会社の飲み会で上司や先輩のグラスのビールがちょっとでも少なくなると、古参のオッサンに 「何をしてるんだ、部長のビール、注がなきゃダメじゃないか!」 なんて怒られたものだ。

あれって、当の部長にビミョーに聞こえるように言うのは、「私はこんなにまで上司に気を使って、新人教育を心がけてますから!」 というアピールのつもりなんだろうね。仕方がないから、その時だけは注ぐが、後はできるだけ気付かぬふりをしていた。まったくもって俗世間とは面倒なものである。

件の Nifty ニュースの記事では、ビールの注ぎ足しを勧めない理由として 「これ以上ビールを飲みたくないと思っていても、注ぎ足されたら飲まなければならなくなってしまう」 「ビールを継ぎ足すと、せっかく冷えたビールとぬるいビールが混ざってしまい、いつまでたっても鮮度の高いビールが飲めない」 などと書かれている。

ただ私としては、「注がれたら飲まなければならない」 なんて思ったことはないし、「冷えたビールが一番おいしい」 ということにも疑問を抱いている。早く言えば、日本の飲み会で本当に美味しいビールを飲もうなんて、初めから無理な相談なのだ。個人的には本場ドイツ、フランクフルトのバーのように、ビールが多少生ぬるくなるのを構わず、時間をかけて注ぐのがベストだと思っている (参照)。

日本の飲み会では、どうせ単なる付き合いでテキトーな飲み方をするのだから、せめてこちらのペースを無視して無理に注ぎ足されることのストレスからは解放されたい。ところが 「過剰な上下関係と同質化要請」 が不思議に共存する日本社会は、それを許さないのだ。私が 「オッサン同士の飲み会」 を避けるのは、このためである。

ただ私も年を重ねて、飲み会の中で最年長みたいなことになる機会が増えてきたので、最近はそれを笠に着て、「今日は原則手酌で自分のペースで飲むことにするから、勝手に人のグラスにビールを注がないように」 と最初に宣言してしまう。これ、はっきり言って後輩たちにとても好評だ。

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2018/12/19

「平成最後の何とか」 というもの

天皇の譲位が来年の 4月 30日に行われ、5月 1日から新しい元号に変わる。これは既定路線である。というわけで、最近はいろいろな分野で 「平成最後の〇〇」 というのがもてはやされている。

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上の写真は、電車の中で見かけた 「平成最後の新春バイキング」 という広告だ。毎年正月に恒例のバイキング料理というイベントをしているのだろうが、「平成最後」 というフレーズにどういう差別化的な意味があるのかよくわからない。

「要するに、いつもの新春バイキングなんでしょ」 というだけの話である。メニューの中に 「なるほど、これは確かに平成でなければあり得ない料理だね!」 というのがあって、元号が変わってしまったら提供不可能になるとでもいうなら話は別だが、そんなものがあるはずもないし。

そういえば、「平成最後の紅白歌合戦」 なんていうのもあるようだ。「昭和最後の紅白歌合戦」 というのも確かにあったわけなのだが、それは後になってから知れたことで、今回は初めから 「今の元号では最後の開催」 とわかっているという意味で初めてのケースである。

初めてのケースであるだけに、「いつものやり方」 というのがない。日本人は長い間 「元号」 という制度に親しんできたわけだが、今回ばかりはそれをどう扱っていいかわかっていない。世間はこういうのにとんと弱いのだね。

言ってしまえば、4月 30日のラジオ体操は 「平成最後のラジオ体操」 だし、朝メシは 「平成最後の朝メシ」、出勤は 「平成最後の出勤」 である。とはいえ、それらはいつも繰り返されているルーティーンに過ぎず、何が特別なのかはわからない。

何だか特別のような気がしないでもないし、特別の意味を込めたいというのも人情ではある。しかしその 「特別の意味」 というのをどう捉えたらいいのか、さっぱりわからない。いわば 「大いなる幻想」 なのである。

ということは、あまり深く考えずに 「雰囲気のもの」 としておけばいいのかもしれない。

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2018/12/18

業務用消臭スプレーをホテルにも

例の札幌のビル爆発は、入居するアパマンの営業所の社員が大量のスプレー缶のガス抜きをしていたためと判明したわけだが、ちょっとググってみたところ、消臭スプレーはアパート・マンション紹介の不動産業者には必須アイテムらしい。ネット界隈では既にずいぶん話題になっている。

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この業者は約 120本分の消臭スプレーのガス抜きをしたというのだが、そんなに使うのは、部屋の紹介の際に 「抗菌・消臭処理手数料」 として 15,000〜20,000円を請求するためらしいのである。この処理に使う業務用スプレー 「ヘヤシュ」 は、アパマンの関連会社が製造しているという(参照)。

いやはや、収集スプレーを噴霧するだけで 15,000円以上も手数料を取るとは、「やらずぶったくり」 に近い気もするが、ただ、この 「ヘヤシュ」 というスプレーはかなり強力な作用があるらしいく、業務用だけに、一般向けには販売されていないようなのだ。

そんなのがあるなら、私も欲しい気がする。私は出張で地方のビジネスホテルに泊まる機会が多いのだが、たまにものすごくヤニ臭い部屋に当たってしまうことがある。こんな場合は別の部屋を希望しても、満室で断られることが多い。最近は 「禁煙ルーム」 がかなり増えたから問題は減ってきているが、それでも、年に 1〜2度は悲惨なケースに遭遇する。

こんな場合でも、フロントで消臭スプレーを貸してくれるのはごく稀な話だ。嫌な気分で喫煙ルームのドアを開けると、それだけでたばこのヤニ臭さがどっと押し寄せてくる。荷物を置いてさっそく近くのコンビニに直行し、消臭スプレーを買ってきて部屋中に噴霧する。

なまじの量をスプレーしただけではヤニ臭さは消えないから、とにかく部屋の壁やベッドカバーがしっとりと濡れてしまうまで、ほとんど 1本分をまるごとスプレーする。しかしそれでもまだヤニ臭さは残るのである。タバコの臭いというのは、とことん頑固なものだ。

「ヘヤシュ」 みたいな強力消臭スプレーがあるなら、一般消費者にも販売してもらいたいものである。それが無理なら、ホテルのフロントに常備してもらいたい。年末に 120本も無駄にガス抜きして爆発させるほどの量の供給が可能なら、それくらいできるだろうというものである。

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2018/12/03

世間もネットも希薄になってしまって

"流行語大賞2018、年間大賞は 「そだねー」 に決定" というニュースを見つけて、「ああ、そうですか」 と、極めて冷静に思った。とまあ、ただそれだけのことだが、「大賞」 と名の付くもののニュースで、そんな程度の反応しかできない世の中になったのだなあと、そっちの方が意味のあるニュースのような気がしてしまった。

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HuffPost の記事によると、「そだねー」 の他にベスト 10に入ったのは、次の言葉だったという。

eスポーツ
(大迫)半端ないって
おっさんずラブ
ご飯論法
災害級の暑さ
スーパーボランティア
奈良判定
ボーっと生きてんじゃねえよ!
#MeToo

実は申し訳ないが、私はこれらの言葉のうち、実際に耳で聞いたことのある言葉が 1つもないのである。「流行語」 ってのは、口語として盛んに使われてこそナンボのものというのが、ちょっと前までの常識だったが、今年の 「流行語」 に関する限り、私はインターネット上の文字として見かけたことしかないのである。

さらに、文字として見かけても、その意味まで興味をもって調べてみたのは、「ご飯論法」 と 「ボーっと生きてんじゃねえよ!」 という 2つだけだ。あとは、「まあ、大体想像つくし」 とか、「別に知らなくてもいいや」 とかで済ませているものばかりである。

これって、私の世間への関心が薄れたのだろうか? それとも 「流行語」 というもの自体がとても小粒になってしまったのだろうか? 「世間」 というものに関しては 14年以上前 ”世間話の怪しい新鮮さ” という記事で、私は次のように書いている。

民俗学では、「世間話」 というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に 「世間」 は存在しなかった。隣近所や集落程度では 「世間」 ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが 「世間」 である。

そしてさらに 12年ちょっと前には ”「世間」 と 「ネット」 はよく似てる” という記事でこんなことを書いている。

現代社会では、隣近所とか親戚付き合いとかいったゲマインシャフト (共同社会) の要素が希薄になり、その変わり、「ゲゼルシャフト」 (利益社会) の要素が大きくなったと言われるが、実は、気の毒なことに、その狭間で一番希薄になってしまったのが、「世間」 である。

しかし、よくしたもので、「世間の復権」 あるいは、「第二の世間」 として、ネットが興隆している。「世間」 も 「ネット」 も、「リアル」 と 「バーチャル」 の皮膜の間にあると思うと、付き合いやすい。

12年前あたりまでは、こうしたことが言えていたのだが、ついに、ネットの世界までが 「世間」 と同様に希薄になりつつあるような気がしているのである。これは由々しき問題だ。「世間」 の代替物としての役割を果たしてきたネットの世界までが、ついに手垢が付きすぎてしまっているのである。

さて、今後の 「世間」 及び 「世間の代替物」 というのは、どんな道筋を辿るのだろうか。

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2018/11/20

カリフォルニアの森林で落ち葉かきをするという発想

先に 「カリフォルニアの山火事は、州の森林管理が悪いからだ」 と tweet したトランプが、「フィンランドを視察した際に、落ち葉かきをしっかりしてるから山火事にならないと聞いた」 と発言して、そのフェイクぶりが話題になっている (参照)。広大なカリフォルニアの森林を、どうやって落ち葉かきしろというのだ。

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広大な森林の落ち葉かきなんて、人力だけでは到底無理だろう。何台もの専用車両を投入して、落ち葉を集めなければならない。しかし、それもかなり危ない。当ブログの 11月 16日付 「カリフォルニア森林火災の原因」 で触れたように、異常な高温低湿度のカリフォルニアでは、「草刈り機の火花」 で山火事になった例が報告されているほどだ。

「落ち葉かき専用車両」 のエンジンから火花が飛んで枯れ葉に燃え移ったりしたら、それこそ目も当てられない。そうなると、「エンジン付きの車両を使うのは危険だから、人力でやれ」 なんて言い出しかねない。しかし最近の落ち葉かき用の熊手 (レーキ = rake) は、ほとんどが金属製だから、やっぱり危ない。

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なにしろ、「ラフに打ち込んだゴルファーが、リカバリーショットで草の下にあった岩をこすって、火花が飛び…」 という原因でも、実際に山火事につながったと伝えられている。それほどまでの異常事態なのだ。「金属製レーキで落ち葉かきしていて、草の下にあった岩をこすって火花が飛び…」 なんてニュースが飛ぶのに、エイプリルフールまで待たなくてもいいかもしれない。

ここは、トランプを先頭にしたホワイトハウスのスタッフが横一列になり、消火器を背負って、レーキで落ち葉かき作戦を展開するしかないようなのだ。何しろカリフォルニアの森林の半分以上は、連邦政府の管理下にある国有林だというのだから。

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