カテゴリー「世間話」の324件の記事

2019/01/28

「ゴルフ場利用税」 を廃止する方向なんだそうだ

NHK が 「来年の東京オリンピックに向けて、超党派の議員連盟は、正式競技になったゴルフの振興を図ろうと、『ゴルフ場利用税』 を廃止する法案の骨子をまとめ、通常国会への提出を目指す」 ことになったと伝えている。(参照

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消費税が今年 10月から 10%に上がると決定しており、今後さらなる増税が必要などと言われているのに、議員の方々、ゴルフに関してはずいぶん物わかりがいいようなのだ。「超党派」 というのだから、与党も野党もゴルフ好きが多いんだろうと思うばかりである。

オッサンが多い会議なんかに出席すると、会議が終わればたいていゴルフの話に花が咲いている。なにしろ 「ゴルフ好きで当然」 という前提で成り立っているような集まりが多いから、当然こちらにも 「今度、ご一緒しませんか?」 なんて誘いをかけてくる。

「ゴルフはしませんので」 とさりげなく断ると、さも意外そうな表情になり、「これを機会に始めませんか? 楽しいですよ」 なんて、さらに誘おうとする。「いえ、まったくする気がありません」 とはっきり断っても、「いやいや、実は私も昔はそんな風に思ってましたが、やってみると楽しいものですよ」 なんて、かなりしつこい。

こうなるとこちらも少しはムッときてしまうから、「実を言えば好き嫌いというより、ポリシーとしてやらないんです。語り出すと長くなるから、ここではこれ以上言いませんが」 と、さらにはっきり言う。「しない」 と言っている人間に向かってノー天気に 「楽しいですよ」 なんてしつこく言う相手には、このくらいのことを言わないと通じないことが経験知でわかっているから、多少角が立つぐらいは承知の上だ。

それにしても、ゴルフというのはかなり特殊なスポーツである。世間では 「ラグビーしませんか?」 なんてことはやたらと言わないし、「空手やりませんか?」 というのも同様である。「自転車でヒルクライムしませんか?」 なんて言うと、「途方もない!」 みたいな反応が返ってくる。しかしゴルフだけは、「ポリシーとしてやらない」 なんていう人間がいることは想定外のようなのだ。

私がゴルフをやらない理由はエコロジカルなものだ。プレイヤー 1人当たりの面積がべらぼうに大きく、その分だけ森林を伐採し、除草剤を使いまくっている。それをわかった上で、そんなにやりたきゃやればいい。しかしやるならやるで、環境負荷に対する相応の対価としての税金ぐらい、払ってもいいんじゃないかと思っている。

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2019/01/17

東京オリンピックをきれいに洗っちゃえるか?

世間では今回のフランスでの竹田恒和 JOC 会長の起訴に関して、何だか降って湧いたような話みたいに言われているが、物覚えのいい人なら、2016年 5月頃から持ち上がっていたことを認識しているはずである。私もこのブログの 2016年 5月 17日付で、"「おもてなし」 には、やっぱり裏があった" というタイトルで書いている。

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あの頃、東京オリンピックのプレゼンに 「お・も・て・な・し」 なんて、自分だけでウケてる馬鹿馬鹿しいフレーズが使われ、ただでさえシラけていたのに、さらに 「おもてなしの語源は裏表のないことです」 なんてナンセンスな広告まで登場していた (参照)。そんな時に、「東京オリンピック招致委員会が、シンガポールのコンサルティング会社に約 2億 3000万円を支払っていた」 という話が判明していたのである。

この事に関して私は、2016年の段階で次のように書いている。

ほかでもない。東京オリンピック招致委員会が、シンガポールのコンサルティング会社に約 2億 3000万円を支払っていたという件だ。招致委員会はこの支出は必要なコンサルティング料だったとシラを切っているが、この会社が国際陸連の前会長と関係が深かったというのだから、まあ、その使い道は賄賂だったのだろうね。

フランスの検察はヨーロッパの国の賄賂だったら、見逃していたかもしれない。しかしフランスに限らず、スポーツの世界の賄賂体質にはむかついていたのだから、アジアの非白人国の賄賂疑惑をこれ幸いと利用して、この世界の正常化を図ろうとしているんじゃないかと、私は踏んでいる。

で、今となっては 「フランス、結構本気で取り組んでたんだね」 と思っているわけだ。この件を日産の 「ゴーン問題の意趣返し」 なんて報じている向きもあるが、2016年 5月は ゴーン逮捕の 1年半ぐらい前のことなんだから、この見方はかなり見当外れである。

とにかく、この 「約 2億 3000万円」 を支払ったシンガポールのコンサルティング会社 (実際にはペーパー・カンパニーだとか、さらに会社ですらないとかいう話もあるが) の名称が 「ブラック・タイディングス」 というのだから笑わせる。

どういうわけだか知らないが、「ヒンディー語でブラック・タイディングスとは、『闇マーケティング』 や 『黒いカネの洗浄』 という意味がある」 なんて、あの 「東洋経済」 が報じている (参照) が、これ、どう見ても英語の "Black Tidings" だよね。なんでまたよりによって 「ヒンディー語」 なんて持ち出さなければならないんだか、さっぱりわからない。

しかも ”Tiding" の原形と思われる ”Tide” というのは、元々は 「潮流」 とか 「潮の干満」 という意味だが、米国では有名な洗剤の商品名でもある。上の写真をご覧戴きたい。コストコに行けば、日本でもグロスでバンバン買っちゃえる。ヒンディー語なんて持ち出すまでもなく、あまりにも意味が露骨すぎだ。

というわけで、私としては東京オリンピックには始めからシラけ放題なのである。

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2019/01/07

人のグラスに勝手にビールを注ぎ足す 「奇習」

Nifty ニュースが "グラスに注ぎ足しながらビールを飲むのは 「奇習と言っていい」  見直して欲しい! 飲み会の妙な習慣" という記事を載せている。

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この記事の発端となったのは、らくからちゃさんというブロガーの 12月 15日の記事らしい。「わたしが苦手なのは、まだ飲みきってもいないのに、ちょっとでも空きがでたもんなら 『どうぞどうぞー』 と継いでくる (ママ) 人の存在」 と書かれている (参照)。

確かにこれ、まことにもって妙な習慣で、私は飲み会に出てもよっぽどのことがない限り他人のグラスにビールを注ぎ足すなんてことはしない。飲みたけりゃ、自分で注げばいいだけのことだと思っている。

社会人になりたての頃 (40年以上前のこと)、会社の飲み会で上司や先輩のグラスのビールがちょっとでも少なくなると、古参のオッサンに 「何をしてるんだ、部長のビール、注がなきゃダメじゃないか!」 なんて怒られたものだ。

あれって、当の部長にビミョーに聞こえるように言うのは、「私はこんなにまで上司に気を使って、新人教育を心がけてますから!」 というアピールのつもりなんだろうね。仕方がないから、その時だけは注ぐが、後はできるだけ気付かぬふりをしていた。まったくもって俗世間とは面倒なものである。

件の Nifty ニュースの記事では、ビールの注ぎ足しを勧めない理由として 「これ以上ビールを飲みたくないと思っていても、注ぎ足されたら飲まなければならなくなってしまう」 「ビールを継ぎ足すと、せっかく冷えたビールとぬるいビールが混ざってしまい、いつまでたっても鮮度の高いビールが飲めない」 などと書かれている。

ただ私としては、「注がれたら飲まなければならない」 なんて思ったことはないし、「冷えたビールが一番おいしい」 ということにも疑問を抱いている。早く言えば、日本の飲み会で本当に美味しいビールを飲もうなんて、初めから無理な相談なのだ。個人的には本場ドイツ、フランクフルトのバーのように、ビールが多少生ぬるくなるのを構わず、時間をかけて注ぐのがベストだと思っている (参照)。

日本の飲み会では、どうせ単なる付き合いでテキトーな飲み方をするのだから、せめてこちらのペースを無視して無理に注ぎ足されることのストレスからは解放されたい。ところが 「過剰な上下関係と同質化要請」 が不思議に共存する日本社会は、それを許さないのだ。私が 「オッサン同士の飲み会」 を避けるのは、このためである。

ただ私も年を重ねて、飲み会の中で最年長みたいなことになる機会が増えてきたので、最近はそれを笠に着て、「今日は原則手酌で自分のペースで飲むことにするから、勝手に人のグラスにビールを注がないように」 と最初に宣言してしまう。これ、はっきり言って後輩たちにとても好評だ。

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2018/12/19

「平成最後の何とか」 というもの

天皇の譲位が来年の 4月 30日に行われ、5月 1日から新しい元号に変わる。これは既定路線である。というわけで、最近はいろいろな分野で 「平成最後の〇〇」 というのがもてはやされている。

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上の写真は、電車の中で見かけた 「平成最後の新春バイキング」 という広告だ。毎年正月に恒例のバイキング料理というイベントをしているのだろうが、「平成最後」 というフレーズにどういう差別化的な意味があるのかよくわからない。

「要するに、いつもの新春バイキングなんでしょ」 というだけの話である。メニューの中に 「なるほど、これは確かに平成でなければあり得ない料理だね!」 というのがあって、元号が変わってしまったら提供不可能になるとでもいうなら話は別だが、そんなものがあるはずもないし。

そういえば、「平成最後の紅白歌合戦」 なんていうのもあるようだ。「昭和最後の紅白歌合戦」 というのも確かにあったわけなのだが、それは後になってから知れたことで、今回は初めから 「今の元号では最後の開催」 とわかっているという意味で初めてのケースである。

初めてのケースであるだけに、「いつものやり方」 というのがない。日本人は長い間 「元号」 という制度に親しんできたわけだが、今回ばかりはそれをどう扱っていいかわかっていない。世間はこういうのにとんと弱いのだね。

言ってしまえば、4月 30日のラジオ体操は 「平成最後のラジオ体操」 だし、朝メシは 「平成最後の朝メシ」、出勤は 「平成最後の出勤」 である。とはいえ、それらはいつも繰り返されているルーティーンに過ぎず、何が特別なのかはわからない。

何だか特別のような気がしないでもないし、特別の意味を込めたいというのも人情ではある。しかしその 「特別の意味」 というのをどう捉えたらいいのか、さっぱりわからない。いわば 「大いなる幻想」 なのである。

ということは、あまり深く考えずに 「雰囲気のもの」 としておけばいいのかもしれない。

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2018/12/18

業務用消臭スプレーをホテルにも

例の札幌のビル爆発は、入居するアパマンの営業所の社員が大量のスプレー缶のガス抜きをしていたためと判明したわけだが、ちょっとググってみたところ、消臭スプレーはアパート・マンション紹介の不動産業者には必須アイテムらしい。ネット界隈では既にずいぶん話題になっている。

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この業者は約 120本分の消臭スプレーのガス抜きをしたというのだが、そんなに使うのは、部屋の紹介の際に 「抗菌・消臭処理手数料」 として 15,000〜20,000円を請求するためらしいのである。この処理に使う業務用スプレー 「ヘヤシュ」 は、アパマンの関連会社が製造しているという(参照)。

いやはや、収集スプレーを噴霧するだけで 15,000円以上も手数料を取るとは、「やらずぶったくり」 に近い気もするが、ただ、この 「ヘヤシュ」 というスプレーはかなり強力な作用があるらしいく、業務用だけに、一般向けには販売されていないようなのだ。

そんなのがあるなら、私も欲しい気がする。私は出張で地方のビジネスホテルに泊まる機会が多いのだが、たまにものすごくヤニ臭い部屋に当たってしまうことがある。こんな場合は別の部屋を希望しても、満室で断られることが多い。最近は 「禁煙ルーム」 がかなり増えたから問題は減ってきているが、それでも、年に 1〜2度は悲惨なケースに遭遇する。

こんな場合でも、フロントで消臭スプレーを貸してくれるのはごく稀な話だ。嫌な気分で喫煙ルームのドアを開けると、それだけでたばこのヤニ臭さがどっと押し寄せてくる。荷物を置いてさっそく近くのコンビニに直行し、消臭スプレーを買ってきて部屋中に噴霧する。

なまじの量をスプレーしただけではヤニ臭さは消えないから、とにかく部屋の壁やベッドカバーがしっとりと濡れてしまうまで、ほとんど 1本分をまるごとスプレーする。しかしそれでもまだヤニ臭さは残るのである。タバコの臭いというのは、とことん頑固なものだ。

「ヘヤシュ」 みたいな強力消臭スプレーがあるなら、一般消費者にも販売してもらいたいものである。それが無理なら、ホテルのフロントに常備してもらいたい。年末に 120本も無駄にガス抜きして爆発させるほどの量の供給が可能なら、それくらいできるだろうというものである。

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2018/12/03

世間もネットも希薄になってしまって

"流行語大賞2018、年間大賞は 「そだねー」 に決定" というニュースを見つけて、「ああ、そうですか」 と、極めて冷静に思った。とまあ、ただそれだけのことだが、「大賞」 と名の付くもののニュースで、そんな程度の反応しかできない世の中になったのだなあと、そっちの方が意味のあるニュースのような気がしてしまった。

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HuffPost の記事によると、「そだねー」 の他にベスト 10に入ったのは、次の言葉だったという。

eスポーツ
(大迫)半端ないって
おっさんずラブ
ご飯論法
災害級の暑さ
スーパーボランティア
奈良判定
ボーっと生きてんじゃねえよ!
#MeToo

実は申し訳ないが、私はこれらの言葉のうち、実際に耳で聞いたことのある言葉が 1つもないのである。「流行語」 ってのは、口語として盛んに使われてこそナンボのものというのが、ちょっと前までの常識だったが、今年の 「流行語」 に関する限り、私はインターネット上の文字として見かけたことしかないのである。

さらに、文字として見かけても、その意味まで興味をもって調べてみたのは、「ご飯論法」 と 「ボーっと生きてんじゃねえよ!」 という 2つだけだ。あとは、「まあ、大体想像つくし」 とか、「別に知らなくてもいいや」 とかで済ませているものばかりである。

これって、私の世間への関心が薄れたのだろうか? それとも 「流行語」 というもの自体がとても小粒になってしまったのだろうか? 「世間」 というものに関しては 14年以上前 ”世間話の怪しい新鮮さ” という記事で、私は次のように書いている。

民俗学では、「世間話」 というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に 「世間」 は存在しなかった。隣近所や集落程度では 「世間」 ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが 「世間」 である。

そしてさらに 12年ちょっと前には ”「世間」 と 「ネット」 はよく似てる” という記事でこんなことを書いている。

現代社会では、隣近所とか親戚付き合いとかいったゲマインシャフト (共同社会) の要素が希薄になり、その変わり、「ゲゼルシャフト」 (利益社会) の要素が大きくなったと言われるが、実は、気の毒なことに、その狭間で一番希薄になってしまったのが、「世間」 である。

しかし、よくしたもので、「世間の復権」 あるいは、「第二の世間」 として、ネットが興隆している。「世間」 も 「ネット」 も、「リアル」 と 「バーチャル」 の皮膜の間にあると思うと、付き合いやすい。

12年前あたりまでは、こうしたことが言えていたのだが、ついに、ネットの世界までが 「世間」 と同様に希薄になりつつあるような気がしているのである。これは由々しき問題だ。「世間」 の代替物としての役割を果たしてきたネットの世界までが、ついに手垢が付きすぎてしまっているのである。

さて、今後の 「世間」 及び 「世間の代替物」 というのは、どんな道筋を辿るのだろうか。

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2018/11/20

カリフォルニアの森林で落ち葉かきをするという発想

先に 「カリフォルニアの山火事は、州の森林管理が悪いからだ」 と tweet したトランプが、「フィンランドを視察した際に、落ち葉かきをしっかりしてるから山火事にならないと聞いた」 と発言して、そのフェイクぶりが話題になっている (参照)。広大なカリフォルニアの森林を、どうやって落ち葉かきしろというのだ。

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広大な森林の落ち葉かきなんて、人力だけでは到底無理だろう。何台もの専用車両を投入して、落ち葉を集めなければならない。しかし、それもかなり危ない。当ブログの 11月 16日付 「カリフォルニア森林火災の原因」 で触れたように、異常な高温低湿度のカリフォルニアでは、「草刈り機の火花」 で山火事になった例が報告されているほどだ。

「落ち葉かき専用車両」 のエンジンから火花が飛んで枯れ葉に燃え移ったりしたら、それこそ目も当てられない。そうなると、「エンジン付きの車両を使うのは危険だから、人力でやれ」 なんて言い出しかねない。しかし最近の落ち葉かき用の熊手 (レーキ = rake) は、ほとんどが金属製だから、やっぱり危ない。

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なにしろ、「ラフに打ち込んだゴルファーが、リカバリーショットで草の下にあった岩をこすって、火花が飛び…」 という原因でも、実際に山火事につながったと伝えられている。それほどまでの異常事態なのだ。「金属製レーキで落ち葉かきしていて、草の下にあった岩をこすって火花が飛び…」 なんてニュースが飛ぶのに、エイプリルフールまで待たなくてもいいかもしれない。

ここは、トランプを先頭にしたホワイトハウスのスタッフが横一列になり、消火器を背負って、レーキで落ち葉かき作戦を展開するしかないようなのだ。何しろカリフォルニアの森林の半分以上は、連邦政府の管理下にある国有林だというのだから。

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2018/11/16

「ノック 2回は、トイレの在室確認」 という都市伝説

今月 12日付の "「ノックは 3回」 という歌があるが" という記事で、某就活サイトにある 「ノックの回数」 についての 「プロトコールマナー」 という記述を紹介した。「ノック 2回は、トイレの在室確認用。3回は、家族、友人、恋人などの親しい相手。4回以上は、礼儀が必要になるオフィシャルな場や初めて伺った場所」 という、一見もっともらしい話である。

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この記事に、山辺響さんから次のようなコメントが付いた。

都市伝説の類という話も……。
https://www.apriori-eye.com/entry/protocol-manners-knock-the-door

リンク先は "a priori" というブログで、今年 8月 14日付の "「ノック 2回はトイレ用」 は嘘という不都合な真実" という記事だ。結構長めのエントリーだが、結論的には、「ノック 2回はトイレの在室確認」 とする信頼に足る客観的な根拠は、どこを探しても見当たらないということだ。

さらに、たにさんからも、以下のコメントをいただいた。

こんな都市伝説が生まれた経緯について調べている興味深いブログがありました。
https://www.netlorechase.net/entry/2017/01/22/070000

こちらのリンク先は、A Netlore Chase というブログの、2017年 1月 22日付 「ノックは何回するのが正しいのか、プロトコールとディグニティー」 という記事である。こちらも 「どうも英語圏の YahooAnswers やマナーに関するページを見る限り、『プロトコールマナー』 もなければ、ノックの回数についても正式に決められているようには見えません」 とある。

そりゃそうだよね。インターネットの通信規約 (いわゆる 「プロトコル」) に関しては、明確に定めないとめちゃくちゃになってしまうが、ノックの回数如きで明確な国際規約があるとは到底思われない。ましてや 「トイレの在室確認は、ノック 2回」 なんて国際合意があるとは想像しがたい。

日本では 「正式なノックは 4回と、プロトコールマナーで決められている」 と、あちこちで喧伝されているが、私の 12日の記事でも、自分としては洋画ではお馴染みの 「ドンドンドンドン」 という音とリズムが身についてしまっただけとした上で、次のように書いている。

多分、フツーの欧米人も、別に親から 「ノックは 4回しなさい」 と教えられたわけじゃなく、日常の生活の中で自然にその音とリズムに落ちつくのだろう。

つまり、「なんとなく、そうしちゃってる」 ぐらいの話としか思われない。「プロトコール・マナー」 なんていう妙な表記を目にした時点で 「何だかなあ」 とは思っていたが、早い話が、欧米のインターネット・ページをググり尽くしても、「部屋に入るときはノックするのが望ましい」 とあるばかりで、「その回数についてはほとんど触れられていない」 というのが結論のようなのである。

さらに言えば、欧米の公共トイレは (近頃は日本のトイレの多くも) 空室の時はドアが開いているというスタイルなので (稀に例外あり)、「在室確認は ノック 2回」 という 「プロトコール」 なんてものを定める意味がない。そういえば確かに、私は海外で公共のトイレを使う時に、ドアをノックした記憶がない。

ただ、小さなレストランなど、小規模な施設の場合は個室のドアが閉じているのがデフォルトの場合もある。これだと、開けてみようとするまでは塞がっているかどうかわからない。

この事について私は、14年以上も前に "「入ってます」 を英語でどう言うか?" という記事を書いたことがある。

友人が外国のレストランのトイレに入っている時、外から誰かがドアノブをガチャガチャ回して開けようとした (ノックなんてされなかった) ので、内側からノックで知らせようとしたのだが、なんとそのトイレはとても広くて、便器に腰を下ろしたままでは、ドアまで手が届かなかったのだそうだ。「そんな場合、『入ってます』 は英語でどう言えばいいのか」 と聞かれたのがきっかけである。

こんな場合、"Someone in" と言えばいいなんて話もあるが、私の経験では、米国のレストランでトイレのドアを開けようとしたら中から "Occupied!" という声が聞こえた。飛行機などのトイレの 「使用中」 の表示そのものである。なるほどね、それもありか。要するに、わかりゃいいという話で、決まった言い方なんてないのね。

というわけで、「ノック 2回はトイレの在室確認」 なんていう 「プロトコール・マナー」 は、確かに都市伝説に違いないようなのである。

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2018/11/14

高齢者の火災による死亡が多くなっている

近頃、この辺りでやたらと消防車のサイレンの音が響くようになった。冬は火事が多いというから、そろそろ冬も近いというような、季節要因ばかりではない。この辺りでは春だろうが夏だろうが、年中火事が増えているような気がする。

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原因として思い当たるのは、この地区でも高齢化が進み、老人だけの世帯が増えていることだ。年を取ると注意力が散漫になりがちだから、火の始末もおろそかになってしまうのだろう。我が家の近所も昔は子どもがたくさんいたが、今はほとんど独立して家を離れ、残されたのは 70歳を超える老夫婦だけというのが多い。たまに近所で会っても、みんな老け込んでしまっている。

住宅火災全般における高齢者世帯の比率については、詳しいデータは見つけられなかった (もっと念入りに探せば見つかるかもしれないが) 。しかし 「みんなの介護ニュース」 というサイトに、「火災の死者、高齢者の割合が大きい…原因のたばこは ”昔からの習慣” で辞められず!?」 という記事がある。

この記事によれば、東京消防庁のデータでは、住宅火災による死亡者の 75%が高齢者だという。東京都のようなところで 75%というのだから、この辺りではもっと高くなるだろう。何しろ、高齢者しかいないみたいな地域もあるのだから。

死者が出た火災のうち、原因として最も多いのは 「たばこ」 で、18%を占めるという。このニュースでは、次のように触れられている。

今の若い世代はあまりたばこを吸いませんが、昔は特に男性で喫煙率が高かったのです。その習慣を継続している高齢者ほどたばこを吸うというデータもあり、2017年の時点で 60歳以上の男性において 28.2%がたばこを吸っています。

28.2%というのは、ビミョーな数字である。前世紀後半では成人男性の 80%以上が喫煙者という時代もあったのだから、30%以下になったというのは、見方によってはかなりの減少だ。あるいは、喫煙者ほど早く死んでしまう傾向があるから、こんな数字になっているのかもしれないが、いずれにしても充分に低い数字になったとはいえない。

ただ、「その習慣を継続している高齢者ほどたばこを吸うというデータもあり」 というのは単なる思い込みで、厚生労働省国民健康栄養調査によると、平成 29年の日本の成人男性の年齢別喫煙率は、20代  26.6%、30代  39.7%、40代 39.6%、50代 33.4%、60代 30.6%、70歳以上 16.2% である (参照)。30〜50代の喫煙率が、まだまだ馬鹿みたいに高い。

「JT全国喫煙者率調査」 でも、60代以上の男性の喫煙率は 21.3%と伝えられており、実際には喫煙率が目に見えて下がるのは 70歳を過ぎてからのようである。それは、最近のたばこの値上がりが年金生活者にこたえるというのが最大の理由だろう。だったら、たばこ 1箱 1,500円とか 2,000円 (1本 100円ね) ぐらいにすれば、国民全体の喫煙率も劇的に下がるだろうに。

火災の話に戻ると一番危ないのが 「寝たばこ」 ってやつで、布団にたばこの火が燃え移ると死亡する確率が高いと伝えられている。老人が眠くなってベッドや布団に入ってからたばこを吸うなんていうのは、「ワシは死にたくてたまらないんじゃ。しかも周りに大迷惑をかけて死にたいんじゃ」 と言っているようなものだ。本当に本当に、たばこはやめた方がいい。

などと、こんなことを書いていると、またしても消防車のサイレンの音が響き始めた。2階の窓を開けて音のする方を眺めてみたが、火の手は見えない。あまり大きな火災ではないようで、不幸中の幸いというものだろう。

いずれにしても私だっていつまでも若いつもりではいるが、実年齢でいえば前期高齢者になったばかりなのだから、火の扱いには充分に気をつけよう。たばこは止めてから半世紀近く経つけどね。

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2018/10/29

ハロウィーンのバカ騒ぎと、1970年頃までのクリスマス

本来のハロウィーンは毎年 10月 31日なのだが、日本ではそのことはあまり認識されておらず、雑貨ショップに赤いカボチャが並ぶようになるとだんだん盛り上がって、10月の最終日曜日あたりで爆発するということになってしまったようだ。そして渋谷では爆発しすぎて大問題になっている。(参照

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私はこれまで、ハロウィーンについて何度か書いている。ざっと挙げてみよう。

こうしてみると、ハロウィーンは 10年ちょっと前ぐらいから日本に受け入れられ始め、「よくわからないけど、カボチャの飾りとコスプレのイベントらしい」 ということで、近頃ではずいぶん盛り上がるようになった。ただ、本当の趣旨が理解されているとは到底言いがたい。

思い起こせば、クリスマスだってそうだった。戦後になってアメリカ文化がどっと入って来たついでにどんちゃん騒ぎするようになったが、1970年頃までは単にプレゼント商戦とバカ騒ぎの日という位置づけで、クリスマス・イブはいい年した大人がキャバレーで三角帽子をかぶって酔っ払いまくる夜ということになっていたと思う。

その後、クリスマスというものの本来の意義が説き起こされて、「決してバカ騒ぎする日ってわけじゃない」 という理解が広がり、少しは落ちついて今の状態になっている。ハロウィーンも、日本におけるクリスマス定着の道筋を繰り返すのかもしれない。

とにかくキリスト教文化がちっとも定着していない土壌で、「なんでもいいから盛り上がっちゃう理由になるイベントの日」 ということで採り入れられてしまったので、初めは 「よくわからん」 ということでしょうがないのだろう。そのうちにだんだん本当のあり方がわかるようになる。

それまでは、渋谷のど真ん中でトラックをぶっ倒してその上に乗っかって騒ぐなんて、「乗りすぎ」 のケースも出てくる。そして数年経つと、「あの頃は、わけもわからず、ただ騒ぐだけだったよね」 と、ちょっと悔悛の情を交えながら思い出すことになるのだろう。

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