カテゴリー「世間話」の333件の記事

2019/07/01

「お前、臭いんだよ!」で、喫煙者はかなり減るはず

今日、7月 一日から改正健康増進法による喫煙規制が一部施行され、学校、病院、行政機関、児童福祉施設などが「原則敷地内禁煙」になったのだそうだ。「原則」という文字が頭に付いているのは、一定基準を満たせば敷地内に喫煙所を設けることができるかららしい。

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で、この「原則」という余計な一言があるせいで、国の 11省の本庁舎のうち、屋外喫煙所を設けないで正真正銘の「敷地内全面禁煙」となったのは文部科学省と国土交通省の 2省だけで、当の所管官庁である厚労省は「2020年全面禁煙を目指す」なんて寝ぼけたことを言っているらしい。(参照

こんな弱腰規制になってしまうのは、「禁煙は健康のため」という前提にあまり意味がないからである。私は "禁煙を「健康視点」で語るのは不毛だ" という一昨年 4月の記事で、次のように書いている。

まずはっきりさせておこう。私自身は飲食店内禁煙に関して、「健康視点」というまどろっこしい話をキーワードにしていない。早く言えば、「臭くて、おえっとなるから煙草の煙が漂う中には入りたくない」ということに尽きるのである。理屈で「健康に悪い」だのなんだのいうよりも、とにかく、臭くて生理的に耐えられないということが第一なのだ。

当の喫煙者にしても、「煙草が健康に悪いなんて、とっくに承知」で、「自分だけは大丈夫」、あるいは「早死には覚悟の上」みたいな意識で吸っているのである。こうした連中に「健康のために煙草は止めましょう」なんて言ってもあまり効果はない。

私は前々から、「お前、臭いんだよ!」という一言で、喫煙者はかなり減ると思っている。世のオッサン連中は若い連中に「オジさん臭〜い!」なんて言われるせいで「加齢臭」なんてものをやたら気にするくせに、タバコ臭さで嫌われることをあまり気にしていない。それは世の中の連中が遠慮して言わないからである。

はっきり言おう。喫煙者は本当に「臭い」のである。「煙草臭さ」だけではない。喫煙者は体臭そのものがきつくなる傾向があるというのである。"Felice" というサイトに「タバコで体臭がきつくなる!? その原因と対策を徹底分析」というページがあり、次のように触れられている。

タバコで体臭がきつくなる6つの原因

  • 発汗量が増加してしまう
  • 皮脂の酸化
  • 肝臓機能の低下
  • 血行不良
  • 口臭がひどくなる
  • 味覚が鈍くなる

本当に、喫煙者は体臭がきつくなる傾向があるようなのだ。「加齢臭」を気にするくせに、煙草による体臭を気にしないのは、喫煙者の盲点である。このことに気付くだけで、日本の喫煙率はかなり低下すると思うのだよね。

さらに、「早死には覚悟の上」なんて言ってるくせに、本当に健康を害してしまってドクターストップをかけられると、案外素直に禁煙してしまうオッサンが多いのも、「そりゃ、一体どういうことだよ!」と言いたくなる。「本当に覚悟の上」だったら、死ぬまで吸えばいいじゃないか。

私は 7年ちょっと前に、"ドクターストップで禁煙するという、恥ずべきエゴイズム"という記事の中で、次のように書いている。

それまでは、周囲の迷惑も顧みず、平気でスパスパ吸って不愉快な煙を垂れ流しにしておきながら、自分の命が危ないとなると、急に掌を返すように禁煙するというのは、あまりにも自分勝手な恥ずべき姿ではないか。

「そうかい、あんたは周囲の人間の健康はどうでもいいけど、自分の命だけは惜しいのかい」 と、嫌味の一つも言ってやりたくなる。

というわけで、喫煙者は「体臭がキツい上に、基本的に自分勝手なヤツ」と思われるのが関の山なのだから、さっさと禁煙するに越したことはない。

 

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2019/06/21

JAL と羽田空港第1ビルに関する偏見

私は国内を飛行機で移動するとき、できれば JAL ではなく ANA を使いたいと思っている。その理由は単純に、ANA に乗っている方が居心地がいいということだが、もうちょっと詳しくは、2016年の 2月 9日に次のように書いている(参照)。

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1つめの理由は、「JAL の CA のお姉さん(あるいはおばさん)の、あの己の顔面に自信たっぷりにべったりと貼り付けたような、ことさら度満点の作り笑顔と、『お客様』を鳥肌が立つような猫なで声で『うけくせめ』と発音する言い方が気持ち悪過ぎる」こと(実はこれは最近、かなり改善されてマトモになってきつつあるが)。そして 2つめは ANA の機内音楽 "Another Sky" (葉加瀬太郎 作曲)が素敵なことだ。

ところで今、出雲に出張中なのだが、羽田から出雲空港までの便は JAL のみで、ANA は選択できない。しかたなく JAL の便に乗ってやってきた。

とにかく私が JAL を敬遠したいのは上述の如くとても情緒的な話でしかないので、JAL 系の発着する羽田空港第1ビル(ANA 系は、羽田空港第2ビル)というのも、多分偏見がだいぶ混じっていると思うのだが、ちょっと苦手である。それほどごった返すほどの混雑というわけでもないのに、なぜかスムーズに歩きにくいのだ。

とにかく前をよく見ないで歩く人が多いので、こちらが常に注意して身をかわさないと、頻繁にぶつかられそうになる。あるいは狭いところをびっしり塞いで立ち話しているおばさんグループが多く、「ちょっとすみません」と小声で言ったぐらいではなかなかどいてもらえない。

「江戸しぐさ」なんてものを論じたウェブ・ページには、江戸っ子は混雑したところを通り抜ける時、「肩ひき」と言って、お互いにちょっと肩を引いて道を譲り合うなんて、ごく当たり前のことがもっともらしく書いてあったりする。そして羽田空港第1ビルの中を歩くときだけは、私までマジに江戸しぐさを説きたくなったりしてしまうのである。

さらに言えば、小さな子どもが金切り声で叫ぶのをたしなめない親が多く、いつもうるさい。待合所で自分の座った座席の隣に荷物を置いて、2人分占領するおばさんやおねえさんもやたらと多い。また保安検査場の列に並ぶと、チケットのバーコードを機械に読み取らせるのがお下手な人の比率が高く、列がなかなか前に進まない。

ANA の発着する羽田空港第2ビルだと、こうしたことはあまり多くなく、スムーズにことが運ぶような気がするのだよね。既に述べたように、多分に偏見が混じっての印象だとは思うのだけれど。

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2019/06/19

せっかくの秀逸な「人生論」だったのに

本日の TBS ラジオ 「伊集院光とらじおと」がなかなか面白かった。とくに例のピエール瀧の裁判の件に関する伊集院のコメントが秀逸だった。

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ピエール瀧がコカイン使用の罪で起訴され、このほど判決が出たのだが、小野裕信裁判長は判決の後の「説諭」にあたり、「人生」と毛筆で書かれた写真資料を示し、「これからの人生をどうしたいか。人生の言葉の持つ意味は。人生と書いてくれた人の期待にあなたは応えられているか」と問いかけたという。

この説諭は異例の長時間に及んだというのだが、ここで確認しておきたいのは、「説諭」の読みは「せつゆ」であるということ。その意味は大辞林では「悪い点を教え諭(さと)すこと。よく言い聞かせること」とある。まあ、難しいことはいいから、とりあえず「せつゆ」という読みをきちんと頭に入れてもらいたい。「諭」という字は「論」と似ているので、くれぐれも見間違わないように。

で、この件に関して、伊集院光は語り始める。「その昔、尾崎豊が捕まった時、三遊亭圓生師匠が弟子を集めて説教した際に、師匠が『尾崎トヨ』と連発したので、『トヨ婆さん』ばかり気になって、せっかくのいい話が耳に入りにくかった」

とまあ、かいつまんで言えば、こんな前フリだった。

で、話は裁判長の「説諭」に出てきた「人生」(ピエール瀧の所属する「電気グルーブ」の前身のバンド名)に移る。裁判長はこの「人生」というバンド名をモロマジに捉えてお説教してしまったようだが、伊集院によるとこのバンド、お説教のネタになるようなお上品な代物ではなかったらしい。

Google 検索で動画を当たってみると、こんな感じだったようだ。画像をクリックすると YouTube の動画に飛ぶが、とりあえず「閲覧注意」とのお断りだけはしておこう。(ウィルスに感染するとかいう意味じゃないので、その点はご安心を)

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伊集院は、「人生」というバンドの実態を知っていたので、「トヨ婆さん」が気になって仕方がなくて、圓生師匠の説教が耳に入りにくかったのと同様に、「右に寄っちゃったモノ」(上のビデオをご覧いただけばわかる)が気になって、裁判長の説諭(クドいようだけど、読みは「せつゆ」ね)もなかなかマジには受け取りにくかったようなのである。

ただ残念なことに、伊集院は裁判長の「説諭」を「せつろん、せつろん」と連発してしまっていたので、カーラジオを聞く私としてはこれが「トヨ婆さん」や「右に寄っちゃったモノ」以上に気になってしまって、せっかくの秀逸な「人生論」が耳に入りにくかったというわけだ。本日一番の残念なネタである。そもそもこの読み違い、スタジオの誰も気がつかなかったみたいなのだよね。

で、この話にはオチがあって、私がこの話を今日の夕方、妻に語ったとき、「ピエール瀧」をよりによって「ポール牧」と言い違えてしまい、「残念以下」のお粗末になってしまったのだった。既にあの世に行かれたポール牧さん、ゴメン。

ちなみに「人生」の曲の聴けるソノシート(!)は一番上の画像のように、ネット上のオークションで 4,300円の値段が付いているらしい。

それから、こんな tweet もあった。せっかくの指摘だが、「漢字は同じでも違う場合が多い」って意味不明(そもそも漢字、同じじゃないし)。別に法曹界の用語に限らず、一般論としても「説諭」に「せつゆ」以外の読みはない。

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【6月 20日 追記】

まったく余計な話だが、私が「ピエール瀧」を「ポール牧」と言い違えたというのは、まだ「オモムキのある間違い」のようで、世の中には「電気グルーヴ」と「電撃ネットワーク」の区別が付いていない人というのも結構多いらしいと、今日になって知った。

 

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2019/06/17

ラウンドテーブル・トークの苦行

還暦を過ぎて、もうそろそろ 7年にもなるというのに、相変わらず早食いである。人と一緒に食事をしても誰よりも早く食い終わってしまうので、手持ち無沙汰でしょうがない。だから食事会なんて時には、時間をもたせるためにできるだけ会話をしながら食べることになるが、それでもやっぱり早食いになってしまう。

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昨年の 4月に 「ゆっくりメシを食うことができないカラダなので」という記事の最後に、次のように書いた。

ただ、いくらなんでも人と一緒にメシを食っても、あっという間に食い終わってしまうので、間が持たないことがある。こればかりは何とかしたいのだが、ゆっくり食うことができない体なのでコントロールできない。

仕方なく食わずに話をすることになるので、tak はメシを食うときによくしゃべるなんて思われているようだが、そうでもしないと場が持たないのだからしかたがない。

というわけで前置きが妙に長くなったが、今回は 「食事の際の会話」というテーマで書こうと思う。

早飯しかできないカラダの私にとって、一番気の重いのが西洋式の正式なフルコースの食事である。前菜から始まって順を追っていろいろなメニューが運ばれて来るのだが、自分のペースで食うとあっという間に一皿平らげるので、よほど注意して周りのペースに合わせないといけない。仕方がないから、まあ、いかにもオシャレに「会話を楽しみながらの食事」をしているフリをしてきた。

ところがどういうわけか、日本人との「お食事会」って、こうした席での会話が弾まないのだよね。「これはおいしい」だの「これ好き」だの「嫌い」だの、「どこそこの何とかは、これよりずっとうまい」だの、目の前の食い物に関する即物的な話題に終始してしまいがちで、文化的というか、ソフィスティケイティッドな話題に進まないのだ。

乏しい経験だが、欧米人(と言っても英語以外の外国語ができないので、米国人と英国人がほとんどだが)との食事だと、英語でしゃべるのにはちょっとしたストレスがないわけじゃないが、結構いろいろな方面に話題が飛んで、「飽きない会話」が楽しめる。こういうの、"round table talk" というらしい。

それに欧米人はガツガツ食うので、こちらが意識して合わせなくてもペース的に楽だ。ところが日本人相手だと、食うスピードは遅いし、日本語だからしゃべることそのものには苦労がないが、肝心の会話の内容が食い物そのもの以外に弾んでいかないしで、ちょっとしたストレスになる。

というわけで私はますます「tak はメシを食う時に、関係のない話題でよくしゃべる」と思われてしまう結果になるようなのだ。このことに、還暦を過ぎて数年経ってから初めて気がついた。個人的には、刺身を食いながら刺身の話に終始して何が楽しいのだと思うのだが。

というわけで、最近の私はちゃんとした食事会の席では、周囲の「これはうまい」だの「どこそこの何とかは絶品」だのというどうでもいい話に、うんうんと頷きながら、ただひたすらゆっくりと食べることに集中しているのである。これは食事のスピードと話の内容の両面で退屈極まりなく、かなりの苦行なのだよね。

 

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2019/06/16

「働く= 傍 楽」「おもてなし = 裏表なし」は、洒落にとどめておこう

"「働く」は 「傍楽」が語源" とか "「おもてなし」は「裏表なし」” とか、ベタな語呂合わせにもっともらしい意味をこじつけた精神論が昨今の流行りのようだ。3日前に取り上げた(参照)「ハタコト」という妙な企画でも「”働く” という言葉に、はた(傍)を、らく(楽)にするという意味があるように」 なんて謳われていたし、これはもう、日本の慢性的風土病みたいなものかもしれない。

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試しに 「働く 傍 楽」という 3つのキーワードでググってみると、出てくるわ出てくるわ、何と 219万件もヒットしてしまった。まあ、この中には 「働く = 傍 楽 は誤り」とするページも相当数含まれるのだろう (私のページもその中にあるはず)が、少なくともその 7割以上は「働くとは、傍を楽にするという意味」と高らかに礼賛する 「トンデモ」なページのだろう。すごいなあ。

この「働く 傍 楽」を東の横綱とすれば、西の横綱は文句なく「おもてなし」だろう。例の「おもてなしとは裏表のない心」という主張だ。私は 三年前にこのトンデモについて連続して書いている。こんな記事だ。

おもてなし」 の語源が 「裏表がない」 とは、乱暴すぎる (2016/04/24)
おもてなし」 の 「語源」 について、再び  (2016/04/28)

後篇の 4月 28日の方の記事には、次のように書いている。

誤解されないように言っておくが、私は「裏表のない心でもてなす」ことに異議を唱えているわけではない。そのように解釈してそのように実行するのは、なかなかいいことである。ただし、"「おもてなし」の「語源」は「裏表なし」" などという寝言を言うのだけはやめてもらいたい。「語源」とさえ言わなければ問題ないが、それを言った時点で、おのれの無知をさらけ出したことになり、せっかくの 「深イイ」 が台無しになる。

例えば「『働く』とは、傍(はた)を楽にすることですよ。周囲のために働くという気持ちが大切ですよ」とか言うのは素敵だ。しかし、"「働く」の「語源」は「傍を楽にする」" なんて言ってしまったら、その瞬間、アウトだ。まあ、この誤解もネット上に溢れていて、かなり気持ち悪いのだが。

というわけで、私は「傍を楽にする」や「裏表のない心」という主張に異を唱えているわけじゃない。そうした心でコトをなすのはなかなか素敵だとさえ思う。しかし真っ向から「語源」だとか「元々はそうした意味」とか言われてしまうと、「そりゃ、違うだろ!」と言うほかない。「深イイ洒落」ならいいが、それを語源と言い張られては、いくら何でも気持ち悪いじゃないか。

こうした「日本の風土病」を意識して辿ると、どうやら「江戸しぐさ」的思想に行き当たるようなのである。江戸しぐさというのは、「傘かしげ」とか「肩ひき」とかいう、「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」なんてことにされているが、その実、なかなかアヤシい。Wikipadeia を読むと、そのアヤシさがよくわかる (参照)。

江戸しぐさが秘密結社によって継承されたとか、江戸開城の際にその継承者の多くが新政府軍によって虐殺されたとかいう話になると、それはもうファンタジーとしか言いようがない。「働く 傍 楽」「おもてなし 裏表なし」がファンタジーであるのと同様である。

そもそも、傘をさしてすれ違う時に互いの傘をひょいと外側に傾けるという「傘かしげ」なんて、特別なことでもなんでもなく、私は誰に教わらなくても昔から自然に実行していた。ただ、「どうして皆、こうしないんだろう?」という不満は確かにあり、そうした不満がその昔、「江戸しぐさ」というファンタジーに昇華されたということはあるかもしれない。

「ちょっとした深イイ」をことさら真っ向から礼賛しすぎては、洒落にならない。元々は洒落から出た話なのだから、洒落にとどめておけばよかったのに、あまりマジに言い過ぎるので「野暮」になってしまうのである。

 

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2019/06/12

つくば市内で売り出されるとても「知的」なマンション

この写真、今日ポスティングされていたつくば市で売り出されるというマンションの広告の一部である。つくば市という「石を投げれば博士にあたる」といわれる「研究学園都市」の物件だけに、「√2」が「ひとよひとよにひとみごろ」であるという、物件には直接関係なさそうだがとても「知的」なコピーが、真ん中にでかでかと記されている。

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「知的」であることを売り物にするだけに、広告の上部にも「IQ」の文字がどでかく踊る。ただしこれはちょっと紛らわしいことに、 ”International Quality” ということであるらしい。「つくばの人は、やっぱりつくばの中心を選びます」とのコピーも効いていて、私をして「ああ、つくばの僻地に住んでいて悪かったな」と思わせるに十分である。

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さらによくわからないのは、このマンションの名称であるらしい "LEBEN TSUKUBA CORIS" ("CORIS" は「こありす」と読むらしい)の文字の上に "Memorial" の文字があることだ。「あれ、これって新築マンションの広告じゃなくて、何かの追悼施設の広告だったの?」と思ってしまったよ。

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販売業者としては「記念碑的なまでの意味のあるマンション」というつもりなのかもしれないが、この言葉はフツーには過去のことを思い出させるイメージだよね。例えば "memorial service" と言ったら「追悼式典」とか「(仏教の)法事」みたいな意味になってしまう。少なくとも新築マンションのキャッチ・コピーにふさわしい前向きな言葉じゃない。

このマンション、まあ、売れないことはないんだろうが、本当に知的な人は笑ってパスしちゃうんじゃなかろうか。物件は他にもいろいろあるんだし。

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2019/03/24

他人の悪口は蜜の味かもしれないが

よく 「他人の不幸は蜜の味」 なんて言われるが、「人の悪口は蜜の味」 というバージョンもある。世の中、人の悪口が大好きという人はいるもので、誰でも周囲に 1人や 2人は心当たりがあるようだ。

 

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実は私の身近にも迷惑なのが 1人いる。これが 「うわさ話大好きオバサン」 とかいう類いではなく、70歳をとっくにすぎた 「じいさん」 なのである。

このじいさん、時々 「あんたのこと、こんなふうに悪く言ってる人もいるよ」 なんて、余計なことを言ってくることがある。その内容は聞くに値するようなまともな批判ではなく、単に好き嫌いに発するくだらない感情論でしかないのだが、さすがに聞いていい気持ちはしない。

さらに馬鹿馬鹿しいことに、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて第三者の言葉めかした言い方をしながら、実際には暇さえあれば陰でそんなふうに私の悪口をくどくど言いまくってるのは、そのじいさん自身でしかないことを、私はとっくに知っている。じいさん、私のことがよほど気に入らないみたいなのである。

つまり自分がしょっちゅう口にしている私に対しての感情論的悪口を、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて半ば忠告に名を借りた口ぶりで言うのである。陰口だけでは気が済まず、間接話法に名を借りて本人にまで言わないと気が済まないカラダになってしまったのだろう。言いたいことがあれば、自分の言葉として直接話法で言ってくればいいのにね。

さらに悪いことに、そんなじいさんに限って 「自分は立派な善人だ」 と思い込んでいるフシがあるから、これ、ほとんどビョーキである。私自身はそういうビョーキのじいさんだと知っているからテキトーに聞き流しているが、中にはある程度の地位を経た年配の人間からそんなことを言われたら、かなり気にして悩んでしまう者もいる。

無駄に気にしちゃってるのがいたらあまり気の毒だから、「あんたの悪口なんて、あのじいさん以外に誰も言ってないから、気にしなくていいよ」 とぶっちゃけてあげることにしている。

このじいさんのビョーキは近頃ますます進行して、ようやく周囲にも認知され始め、まともに取り合われなくなってきた。フツーの感覚さえあれば、「このじいさん、いないところでは、俺のこともさぞかし悪く言ってるんだろうな」 とイヤでもわかるのだからしょうがない。

他人の悪口は蜜の味かもしれないが、なめすぎると毒になるってことだ。

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2019/02/26

「離婚のリアル」 という連載

東洋経済が 「離婚のリアル」 という連載をしている。筆者は 「孤独死大国」 などの著書もあるライター、菅野久美子氏。この人、結構ショッキングなルポをする人のようだ。

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この連載記事の冒頭に記されるリードは 「単純計算すると 3組に 1組の夫婦が離婚している日本。そこに至るまでの理由は多種多様だ。そもそも 1組の男女が、どこでどうすれ違い、別れを選んだのか」 というもので、「へえ、離婚ってずいぶん多いと思ってたけど、そんなに多いのか」 と、単純に驚いてしまう。

そういえば身近なところでは、隣家には 2人の出戻り娘がいるし、私のいとこの離婚率もざっと 4割に近い。親族として結婚式に出席した時の印象ではやたらと仲睦まじそうな 「お似合いの夫婦」 に見えたのに、10年も経つと 「別れました」 なんて知らせが来るのだから、どんな事情があったのか知らないが驚いてしまうよね。

ずぼらな私の感覚としては 「離婚するくらいなら、結婚なんてしなければいいのに」 と思う。だって結婚も離婚も、どちらもかなり面倒なことじゃないか。どうしてそんな 「面倒に面倒を重ねる作業」 をするのか、不思議でしょうがない。

そんなことを言うと、「結婚する前に 『別れちゃうかも』 なんて考える人はいないよ」 なんて言われる。しかし、本当にそうだろうか。上述の連載を読むと、本当に自覚的に 「我々、末永く大丈夫」 という自信があって結婚するカップルって、それほど多くないんじゃなかろうかという気がしてしまう。

例えば上述の連載 10回目 (本日付) の "結婚 8年、46歳で別れた公務員夫が受けた屈辱 「箱入り娘」 妻の身勝手に振り回され続けた" という記事を読むと、結婚までのいきさつがそもそもひどい。職場の飲み会で知り合った女性と付き合っているうちに、相手が勝手に結婚式場を予約して、両親に合わせる日程までいつの間にか決められていたという。

「この人、結婚がしたいんじゃなくて、結婚式がしたいんじゃないだろうかって、途中から思い始めました」 なんて言っているのだから、それに気がついた時点で別れておけばよかったのである。しかし 「年齢的に実さんも結婚を考えていたこともあり、結婚はそういうものだと自分で自分を納得させて、半ば玲子さんの迫力に押される形で結婚」 してしまった。

「おいおい、それって、いくら何でも 『当事者意識』 なさすぎだろう!」 と言いたくなる。しかしそういえば、昔の結婚なんて、周囲が勝手に決めていつの間にか一緒にさせられてたというケースが多かったという。ただ昔は 「離婚なんてとんでもない」 という風潮だったから、必死に耐えていたのだろうね。

今は理不尽な結婚に無理に耐えなくてもよくなったのだから、昔よりはマシなのかもしれないが、その前段階として 「もうちょっとまともに見極められなかったのかね?」 という疑問は引っ込められない。ただ、「まともに見極める」 というのも、数こなさないとなかなか難しいのかもしれないが。

こうしてみると、結婚なんて半ば 「バクチ」 みたいなものなのかもしれない。私の場合は 「当たり」  という自信たっぷりで結婚したのだが、結果としても本当に 「当たり」 でよかったよ。まったく。

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2019/02/21

「ハンコのお辞儀」 という都市伝説

「細かいところによく気がつく人」 というのは、世間でほめられることが多いが、「どうでもいいところばかり気がつく人」 というのはうっとうしい。そして厄介なことに、「細かいところ」 と 「どうでもいいところ」 の境界線はかなり曖昧なのである。

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"たった今、「請求書の判子がお辞儀していないのは失礼だ」 っていうカンカンに怒った電話がかかってきて......" という tweet が話題で、retweet がかなりの数にのぼっている (参照)。いかにもお辞儀してるように見える角度で捺印しろってことらしい。

「判子のお辞儀」 以外にも、世間にはあっと驚くようなルールがあるらしく、"F銀行ではハシゴ判 (回覧印を押す枠) のない回覧物に押印する場合「上席が押すラインを想定して下の方に押せ」 と指導された" という tweet まである (参照)。「F銀行」 って、合併する前の富士銀行かなあ。

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一方で、「ハンコはまっすぐに押すもの」 という正攻法的反論もあり、何が何だかわけがわからない。この手の話としては、昨年 11月 16日に ”「ノック 2回は、トイレの在室確認」 という都市伝説” という記事を書いていることを思い出した。さらには 「飲み会の翌日は参加者全員にお礼の挨拶回り 」 とか 「書類のホッチキスは右肩」 なんてのもあるらしい (参照) が、横書き書類を右上で綴じられたら、読みにくくてしょうがないよね。

個人的な話をすれば、私がハンコを押すと幸か不幸か 「お辞儀してる」 みたいな角度になってしまうことが多い。これは捺印する前に 「上下逆になってないよね」 と確認してそのまま押しちゃうと、自然の結果として 「ハンコのお辞儀」 なってしまいやすいのだ。

下手すると私の押した判子をみて 「tak さん、案外細かいところに気がつく人」 なんて思う人がいるかもしれないが、実際には 「上下逆にならないようにという程度しか気にしてない人」 というのが正解である。

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2019/01/28

「ゴルフ場利用税」 を廃止する方向なんだそうだ

NHK が 「来年の東京オリンピックに向けて、超党派の議員連盟は、正式競技になったゴルフの振興を図ろうと、『ゴルフ場利用税』 を廃止する法案の骨子をまとめ、通常国会への提出を目指す」 ことになったと伝えている。(参照

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消費税が今年 10月から 10%に上がると決定しており、今後さらなる増税が必要などと言われているのに、議員の方々、ゴルフに関してはずいぶん物わかりがいいようなのだ。「超党派」 というのだから、与党も野党もゴルフ好きが多いんだろうと思うばかりである。

オッサンが多い会議なんかに出席すると、会議が終わればたいていゴルフの話に花が咲いている。なにしろ 「ゴルフ好きで当然」 という前提で成り立っているような集まりが多いから、当然こちらにも 「今度、ご一緒しませんか?」 なんて誘いをかけてくる。

「ゴルフはしませんので」 とさりげなく断ると、さも意外そうな表情になり、「これを機会に始めませんか? 楽しいですよ」 なんて、さらに誘おうとする。「いえ、まったくする気がありません」 とはっきり断っても、「いやいや、実は私も昔はそんな風に思ってましたが、やってみると楽しいものですよ」 なんて、かなりしつこい。

こうなるとこちらも少しはムッときてしまうから、「実を言えば好き嫌いというより、ポリシーとしてやらないんです。語り出すと長くなるから、ここではこれ以上言いませんが」 と、さらにはっきり言う。「しない」 と言っている人間に向かってノー天気に 「楽しいですよ」 なんてしつこく言う相手には、このくらいのことを言わないと通じないことが経験知でわかっているから、多少角が立つぐらいは承知の上だ。

それにしても、ゴルフというのはかなり特殊なスポーツである。世間では 「ラグビーしませんか?」 なんてことはやたらと言わないし、「空手やりませんか?」 というのも同様である。「自転車でヒルクライムしませんか?」 なんて言うと、「途方もない!」 みたいな反応が返ってくる。しかしゴルフだけは、「ポリシーとしてやらない」 なんていう人間がいることは想定外のようなのだ。

私がゴルフをやらない理由はエコロジカルなものだ。プレイヤー 1人当たりの面積がべらぼうに大きく、その分だけ森林を伐採し、除草剤を使いまくっている。それをわかった上で、そんなにやりたきゃやればいい。しかしやるならやるで、環境負荷に対する相応の対価としての税金ぐらい、払ってもいいんじゃないかと思っている。

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