カテゴリー「世間話」の278件の記事

2017/04/29

イノシシの北限が岩手県に入ったらしい

昨日、仙台在住の友人と会ったら、近年は仙台市内でもイノシシが出没し初め、農作物の被害が出始めたと言っていた。さらに宮城県北部を越えて、岩手県にも確実に進出しているという。

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私は長らく 「イノシシの北限は宮城県南部」 と信じていたが、昨年の今頃、「温暖化の最近は岩手県まで進出したという説もある」 と半信半疑で書いている (参照)。しかし今回、「説がある」 どころではなく現実に被害が出始めて困っていると聞き、びっくりである。

宮城県の地方紙 「河北新報」 の記事によると、イノシシの北上は、地球温暖化という自然要因のほか、高齢化による狩猟者の減少、耕作放棄地の増加という人為的要因も絡んでいるという。さらに東日本大震災による原発事故の影響も大きいという。

捕獲されたイノシシ肉の放射性セシウム濃度が国の基準値(1kg当たり 100ベクレル)を超える例が続き、出荷制限がかかっているので、狩猟がさらに下火になっているというのである。イノシシの北限に狩猟や耕作放棄地といった人為的要因が影響しているとは知らなかった。

上述の昨年の記事では、私は山形県生まれのため 「子供の頃はイノシシなんてまったく縁遠い存在で、想像上の動物ぐらいに思っていた」 と書いている。とにかく私は、茨城県に住み着いて長い今でも、ナマ・イノシシは見たことがない。動物園でも見たことがないので、個人的には、十二支の中の辰とイノシシは今でも神秘的な存在だ。

仙台の友人は 「岩手県まで進出してるんだから、おそらく山形県にも行ってるんじゃないの」 と言っていたが、さてどうだろう。冬は大雪で覆われる奥羽山脈を、足の短いイノシシが越えるだろうか。

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2017/04/15

飲食店内禁煙に、自民党内で反発が大きいらしい

下の写真は、「たばこと塩の博物館」 で見つけた、昭和 23年大蔵省専売局のポスターである (参照)。若き日の三船敏郎がフィーチャーされ、キャッチ・コピーが今となっては異様なほどだ。なお、ここでは下手なコラージュ的試みとして、「明るく吸おう」 に 「?」 マークを加え、「ヤミたばこ」 の 「ヤミ」 を線で消させてもらった。

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「受動喫煙対策を強化する健康増進法改正に関し、自民党は、小規模なバーなどを除き原則禁煙とする厚生労働省案を認めない方針を固めた」 と報じられている (参照)。自民党内では 「飲食店が廃業に追い込まれかねない」 との異論が根強いのだそうだよ。

要するに自民党のおっさん連中が、飲み食いしながら煙草を吸いたいというだけのことなんだろう。WHO などの調査では、飲食店で全面禁煙にしても売り上げに大きな影響はないというのが、一応の定説になっているのだが (いろいろ異論はあるみたいだけど)。

思い切り個人的な視点で言わせてもらえば、それぞれの飲食店が独自の判断で 「喫煙 OK」 ということにしたいなら、そうすればいいと思う。ただし店頭に 「喫煙できます」 などの表示を明確にすることが条件だ。

この表示は、いわば 「ウチの店は空気悪いよ」 という自己申告である。そのくらいのことはしてもらわなければ困る。それさえ叶えば、あとは話は簡単だ。非喫煙者としては、そんな店をボイコットすればいいだけの話である。

今どき分煙すらしない飲食店なんて、喫煙者しか入らないだろうから、店のドアを開けただけでそのタバコ臭さに 「おえっ」 となっちゃうだろう。軽い喫煙者すら入りたくはなくなると思う。いずれにしても売り上げが落ちるか、店内の雰囲気が最低になるかのどちらかだ。

以前、名古屋に行った時に 「コメダコーヒーのシロノワールを食ってみろ」 と薦められていたので、名古屋駅地下の店に入ろうとしたが、あまりのタバコ臭さで一歩も足を踏み入れることができなかった (参照)。コメダ・ファンには悪いけど、入り口で 「おえっ」 となってきびすを返すのは、私だけじゃないと思う。

これをマーケティング用語では、店にとっての 「売り上げ機会損失」 という。自民党のオッサン連中の反発は、言い換えれば飲食店の売り上げ機会損失を推進しているようなものだ。だから 「店のため」 なんかではなく、「自分たちが飲み食いしながら煙草を吸いたいだけ」 なんだろうと言いたくなるのである。

早い話が、「めっちゃ臭くてもいいなら、どうぞお入り下さい」 というハイリスク・ローリターンの方針でやっていく勇気があるなら、どうぞ 「喫煙可」 の店作りをしてくださいってことだ。

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2017/04/13

「浅田真央現象」 についての考察

昨日の昼過ぎに電話で話した仕事関係の友人が、「今、テレビ見てるんだけどさあ、スゴいよ! どのチャンネルも浅田真央引退の話ばっかりで、異様だよ!」 と言っていたので、「どれどれ」 とスイッチを入れてみると、まさに彼の言った通りだった。ほとんどすべてのチャンネルが 「真央ちゃん、感動をありがとう!」 で染め上げられ、しかもそれが延々と続いている。

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そして毎日新聞の夕刊トップまで大きな写真入りの 「浅田真央 引退会見」 で、異様度をさらに高めている。

誤解のないように言っておくが、私は浅田真央が嫌いでもなんでもない。だから彼女のファンが引退を惜しむことを揶揄するつもりもない。ただ、テレビの (地上波に限るが) ほとんどすべてのチャンネルのニュースショーが 「真央ちゃん、感動をありがとう」 の大合唱になることに、ちょっとした違和感を覚えたのだ。

考えてみれば、日本人のほとんどすべてが浅田真央の大ファンで、彼女の演技に心底魅了され、引退を心の底から惜しんでいるというわけじゃなかろう。だからテレビのどのチャンネルも延々と浅田真央特集みたいな状態になっていることに関して、「他に話題はないのかよ!」 と不満を覚えた視聴者も少なくないはずだ。

しかし実際はあの通り、どのチャンネルも延々と 「真央ちゃん、感動をありがとう!」 なのである。なんでああなるのかを考えてみると、昼からテレビを見たがる層の多くが、あれを見たい人たちだからなんだろう。そうとしか思えない。

それに 「真央ちゃん、ありがとう!」 をやらないテレビ局には、「なんでお前んとこは、真央ちゃんを大きく取り上げないんだ!」 と了見違いの抗議電話を寄こすやつもいるんだろう。うん、きっといる。いないはずがない。

人間という生き物の多くは、「皆と同じことで感動したい」 という欲求を多かれ少なかれ持っているんだと思う。感動の対象なんて実は何でもいいのだが、できれば誰もが知っていて、反感を覚える人がとても少なくて、ちょっとだけ悲劇的要素のスパイスが加わっているというのが望ましい。今回の浅田真央引退は、その意味でも 「感動の共有」 に最高の素材だった。

というわけで浅田真央ちゃんには全然興味ないけど、テレビを見るのは大好きという極めて少数派の人にとっては、昨日のテレビはとても不満の大きなもので、さぞかし苦行を強いられたのだろうと思う。ご苦労様でした。

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2017/04/07

「缶チューハイ」 の 「どーでもいい」 ほどの自由度

昨日、運転しながらカーラジオを聞いていたら、「缶チューハイの 『氷結』 って、ベースはウォッカなんですよ」 と言っていた。「なぬ? 『チューハイ』 というから焼酎ベースと思っていたのに、そうじゃなかったのか」 と、一瞬驚いた。

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そもそもこの商品、今世紀初めの発売当初は 「氷結果汁」 と称していたのだが、「制度上、『果汁』 というのは 100%果汁でなければならない」 というクレームで、「果汁」 を取って 「氷結」 という名称に落ち着いたという、結構安易な経緯がある。そしてさらに、実はウォッカ・ベースだったというトリックスターぶりだ。

そう言えば、商品パッケージには 「缶チューハイ」 なんて表示は見当たらない。くまなく探せばどこかに書いてあるのかもしれないが、少なくとも目立ったところにはない。ウォッカ・ベースとしたことに関する開発ストーリーは、Wikipedia の 「氷結 (チューハイ)」 の項に詳しく載っているので、敢えてここでは繰り返さない。

ただ、新しい知識として、「酎ハイ」 または 「チューハイ」 と称する商品カテゴリーは、制度上は存在しないということを知った。だから、焼酎を使わない 「チューハイ」 が存在しても、法律的にはまったく問題がないらしい。ふぅん、ずいぶん紛らわしいご都合主義だけど、酒飲みはそんなことにはこだわらないのかね。

一方、宝の 「焼酎ハイボール」 の方は、焼酎専門メーカーだけに焼酎ベースとなっているらしいが、Excite Bit の記事には、宝酒造への取材で得られたコメントとして、次のような記載がある (参照)。

「商品によって焼酎にする前の高濃度アルコールを使う場合もあって、その場合表示が変わることはありますが、基本的には同じアルコールを使用していることになります」 (宝酒造広報)

ここでも、「へえ!」 である。なるほど、そういえば焼酎には 「甲類/乙類」 の区別があって、乙類というのは原料がイモとか麦とかはっきりさせているみたいだが、甲類はそういうのじゃなくて、単に 「高純度のアルコール」 ということらしい。要するに、化学物質のアルコールそのものってわけね。

というわけで、「酎ハイ」 または 「チューハイ」 というのは、単なる俗世間の言い習わしに過ぎないのだとわかった。要するに 「どーでもいい」 というか、よく言えば 「自由度がものすごく高い」 カテゴリーなわけね。

てことは、商品開発の自由度もめちゃくちゃ高いということになる。ウォッカとトマトジュースで、「ちょっとプシュッとした感じがあるんだから、チューハイであって、決してブラッディマリーじゃないよ」 と言い張ることもできそうだと思い、念のためちょっと調べたら、既に 『サッポロ 極 ZERO CHU-HI ゴクハイ9』 というのがあるのね。油断も隙もありゃしない。

まあ、こっちは最近酒をほとんど飲まないから、まさに 「どーでもいい」 んだけど。それにしても、このブログを始めた頃は酒飲みながら書いていたんだから、人間変われば変わるものである。

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2017/03/26

通販は認知症の敵になる

日経ビジネスに "その名は 「通販」。認知症介護の予想外の敵" という記事がある。宇宙作家クラブ会員の松浦晋也さんという方の書かれたものだ。

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記事は認知症の母との悪戦苦闘の記録である。そして今回は通販との戦いに焦点を当てたものだ。なにしろ女性は買い物が好きだから、認知症になってもテレビショッピングをしまくる。しかも必要でもないものを 「定期購入契約」 とやらで買うので、白髪染めやら洗剤やら何やらが、毎月届くのだそうだ。

買ったところで使わないのだから、未使用の同じ商品が家の中に山と積まれることになる。そして当人は買ったことさえ忘れているので、「どうしてそんなものを買ったんだ」 と問い詰めても、「そんな覚えはない」 と言い張る。認知症の老人を論理的に問い詰めても埒があかないことはわかっていも、神経の消耗は大変なものだろう。

私の母も体が動かなくなって寝込んでしまう前は、徐々に進行する認知症のせいで、かなりとんちんかんなことが多くあった。実家は母が寝込んでしまってから近所の新築の家に引っ越したので、1週間近くかけてその荷造りを手伝ったことがあったが、古い家の物置きには、母がいつの間にか買い込んだ手つかずの品物が売るほどたまっていたのを思い出す。

母はテレビショッピングなどにはそれほど馴染みがなかったので、ほとんどの商品は近くのスーパーで買い込んだタオルや洗剤、ティッシュペーパーなどの日用品だったが、中には通販で買い込んだらしきものもいくつか混じっていた。あの頃はまだ通販がそれほど一般的ではなかったからまだいいが、今の世の中で認知症になった女性なら、確かにいろいろなものを、ものすごい勢いで買いまくるだろう。

若い女性で通販に慣れ親しんでいる女性が、何十年か経って認知症になってしまったら、どんなに不必要なものを買いまくるか、考えるだに恐ろしくなる。認知症とはいえ、慣れ親しんだ行動はすいすいこなしてしまうのだ。

通販業界は認知症の老人によるとんちんかんな購入申し込みへの対策を考えないと、トラブル処理にずいぶん無駄なコストをかけることになるだろう。かくいう私も、Amazon で要りもしないものを買いまくらないように、くれぐれも注意しようと思う。

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2017/03/06

「鼻茸」 というものがあるらしい

今は薬の世話になっているので、なんとか楽になっているが、先月初め頃は花粉症の症状があまりにもひどいので、うんざりしていた。いや、うんざりしていられるだけならまだいいのだが、鼻水とクシャミで 「ひいひい言っていた」 という方が正確なところだろう。

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で、ある時、ラジオでその方面の専門医師が花粉症対策について語っているのを、興味津々で聞いた。興味津々で聞いたはいいが、要するに、あまりひどかったら早めに医者にかかって薬を処方してもらえということだった。で、それを素直に聞いて、医者に行ったのである。

要するにあれは医者の宣伝みたいなものだね。ただ、この放送でちょっと印象に残ったのが、「花粉症もあまりにひどいと、『ハナタケ』 になってしまうことがある」 というくだりだった。

「ハナタケ? そりゃ一体何じゃ?」

試しに iPhone で 「はなたけ」 と入力してみると、即座に 「鼻茸」 と変換される。「鼻のキノコか? 冬虫夏草みたいなものなのか?」 思わず、鼻の穴からキノコが生えてきている図を想像してしまった。そんなことになったら、さぞ大変だろう。自分に限ってはそんな妙なことになりたくないものだ。

わけがわからない時は、とりあえずググってみるのが習慣みたいになっているので、Google 先生に聞いてみると、Wikipedia で簡単に調べがついた。「副鼻腔にできるポリープ状の病状で、鼻の内部における粘膜が膨れて茸 (キノコ) のような状態になったものを指す。鼻ポリープとも呼ばれる」 とある (参照)。

この鼻茸というのができてしまうと鼻づまりの状態になり、「ひどくなると鼻で息が全くできなくなったり、鼻の穴から鼻茸が顔を出すこともある」 とある。私が咄嗟に想像した 「鼻の穴からキノコが生えてきている図」 も、まんざら見当違いじゃないらしい。いやはや、私は花粉症とはいえ、鼻茸なんてものが生えていないだけ幸いである。

くわばら、くわばら。

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2017/02/24

LP ガス小売価格は、めちゃくちゃ不透明なのだ

NHK が、「LP ガスの料金値下げなどへ新たな行政指針」 というニュースを流していた。4月から始まる都市ガスの小売り自由化にともない、全国で 2400万世帯が利用する LP ガスについても事業者間の競争を促すための新たな行政指針を、経済産業省がまとめたという。(参照

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我が家は今では都市ガスになったが、なにしろ田園地帯を造成した住宅地のため、数年前まではガス管が通っておらず、LP ガスに頼っていた。引っ越してから 30年以上にわたって、同じ LP ガス業者と契約していたのだが、あの東日本大震災から半年ぐらい経ったある日、別の会社のセールスマンが訪ねてきて、かなり安い料金での提供を申し出た。それまでと比べると、明らかに 30%ぐらい安くなる。

なんでそんなに安くできるのかと訊ねると、「フツー、新規契約だとどこの業者でもこのくらい安い値段でのオファーができる」 というのである。それが本当だとすれば、私は質問の仕方を間違えたことになる。本来は 「じゃあ、ウチはどうしてそんなに高いガスを買わされてきたのか」 と訊ねるべきだったのである。

そのセールスマンは、「これまで、円安傾向などを理由として、何度か値上げを承諾させられたでしょう」 と言う。うむ、確かに年に 1度以上は 「円安で輸入価格が上がっているので、値上げさせていただきます」 というオファーがあり、それを疑いもせず了承してきた。つまり我が家で購入する LP ガスの値段は、毎年少しずつ上がってきていた。

彼はさらに続ける。「これまで、円安を理由に値上げの申し出があったでしょうが、それなら、円高の時には値下げしてもらえましたか?」

うむ、そう言われてみれば、円安に振れたらさっさと値上げを呑まされたが、円高になったからといって値下げしてもらったことは一度もない。結局値上げされる一方で 30年以上買い続けてきたのである。

というわけで、LP ガスというのは、同じ業者と長年契約し続けていると、知らぬ間に相場よりかなり高い価格で買ってしまうことになるのだという。その業者は 「ここまで内情をバラした以上、当社では状況によっては仕方なく値上げさせていただくこともありますが、逆の状況になったら、ちゃんと値下げします」 と言う。

そこで、その業者と契約することに決めたのだが、LP ガス業界というのはわけのわからない慣習があるらしく、実際に新たな契約を結んで、その業者からの LP ガス提供を受けるまでには、3ヶ月近くかかった。それまでの業者が、頼みもしないのに勝手にボンベ交換をしてしまうのである。詳しい事情は忘れたが、そうされると、別の業者がそれを撤去して新たなボンベに付け替えるわけにいかないのだそうだ。

すったもんだのやりとりの挙げ句、ようやく新たな契約に切り替えて、それまでより安い価格で LP ガスを購入することができるようになったのだが、その 2年後ぐらいに東京ガスの配管工事が完成して、LP ガスの契約の必要がなくなり、今に至る。

NHK ニュースによると、料金メニューを公表している LP ガス事業者は全国 2万社のうち 150社程度と、全体の 1%にも満たず、小売価格の不透明さが指摘されているのだという。うむ、確かにそのようだ。同じ業者から買っても、客ごとに別の値段を請求されているわけである。何しろ長期に渡る顧客ほどボラれているというのだから、ひどいものだ。

もし長年にわたって同じ業者から LP ガスの提供を受け続けている方がいたら、一度別の業者に乗り換えてみるといい。多分、ずっと安い価格で買えると思うから。インターネット上で LP ガスの適正価格がわかる 「プロパンガス価格適正化協会」 というサイトもあるので、トライすることを薦めたい。

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2017/02/14

「平等に貧しくなろう」 というのは

中日新聞に掲載された上野千鶴子氏のインタビュー記事が、ネット界隈でえらく話題になっている。というか、ほとんど炎上状態だ (参照)。

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それにしても 「平等に貧しくなろう」 という見出しは、インパクトは強いが、かなり言葉足らずだと思う。念のため確認しておくが、この記事は上野氏の 「寄稿」 ではなく、インタビューをした大森雅弥という記者がまとめた記事である。だからこのタイトルも、上野氏の書いた原稿のタイトルではなく、新聞社側が付けたものだ。

このことをしっかりと押さえた上で考えると、とりあえず大きな話題になることを主目的としたなら見出しなら大成功だが、インタビュー内容をきちんと伝えようというなら、ほかにも見出しの付けようはあった。

新聞記事をきちんと初めから終わりまで読む人は少数派で、多くは見出しだけで判断してしまうのだから、こんな見出しでは物議を醸すことは初めからわかっていただろう。わかっていてやった確信犯なら、これだけ話題になったのは大成功ということになる。

それにしても人間のメンタリティとはおもしろいものである。「経済成長がすべてではない」 と言えば、とりあえず 100%近い賛同を得ることができる。「金を儲けさえすればいいってもんじゃない」 という言い方をしても、同様の賛同が得られるだろう。

「経済成長路線のほかにも道はある」 という言い方でも、そんなに抵抗はなかろうし、「金のせいで道を誤る人は多い」 と言うのも、「うん、確かにそうだよね」 と反応してもらえる。多くの人が 「必ずしも経済的に豊かでなくても、幸せになる道はいくらでもある」 という言い方をしていて、それなりの共感を呼ぶ。

ところがそれを直接的に 「平等に貧しくなろう」 と言っちゃうと、「とんでもない、それはご免だ!」 ということになる。

「金がすべてじゃない」 というのはうなずけるし、「貧しくても幸せな人はいくらでもいる」 というのも、「そりゃ、そうかもしれないね」 と反応できる。しかし、「あんたも平等にその世界に入って、清貧の美徳を味わいましょう」 と言われると、「それはイヤだ!」 という。他人が 「清く貧しく美しく」 暮らす分にはいいが、自分だけは楽してリッチになりたいのである。

そんなわけで、「みんなで平等に貧しくなろう」 と言っても、どうせわかってもらえるはずがないから、まず自分が率先して 「金はそんなにないけど、結構気楽で幸せなんだよね」 というライフスタイル・モデルを築いて実行すればいいのである。

要するに金儲けにあくせくするより、「まあ、金はないけど楽しく暮らしてるわいな」 という生き方をする人が増えさえすればいいんでしょ。それがどうしても嫌なら、人口減少時代に移民が持ち込んでくる馴染みのない異文化に濃厚に接してもストレスを感じなくて済むように、タフな心になる準備をしておくことだ。

じいさんばあさんだけの世の中になるのは嫌だけど、自分が子どもを 3人以上育てるのもしんどい。その上、向こう三軒両隣に移民がゴロゴロ住んで、わけのわからない外国語が行き交うようになるのもまっぴらで、だけど、きちんと経済的に豊かな暮らしだけはしたいというのは、今や駄々っ子の言い草である。その点については、受け入れてもいいと思う。

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2017/02/04

Dress like a woman (女らしい服装をしろ) というお話

本当にそう言ったのかどうか、確たるソースさえアヤシいのだが、ドナルド・トランプが 「ホワイトハウスで働く女性には、女性らしい服装をしてもらいたい」 と発言したという、いかにもありそうな話が俄然一人歩きしちゃっていて、Twitter は "#dresslikeawoman" のハッシュタグで大賑わいになっている (参照)。

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Twitter をちょっとのぞいてみればわかるように、アップされている写真や画像は、たいていトランプの求めているような 「女性らしい服装」 なんかじゃなく、かなり勇ましいとかマニッシュとかのばかりだ。そしてどれもみな 「美しい」 ってのがいい。

私は昔から 「〇〇らしく振る舞う」 ってのが、どうにも居心地悪く感じてしまう性分で、何をやらせても 「らしくない人」 と思われてきたところがある。「〇〇らしくない」 存在ではあっても、「あいつらしい」 と思ってもらえさえすれば、受け入れられるものである。

まあ、「らしくない」 といえば、ドナルド・トランプ自身ほど 「大統領らしくない」 人もいない。私がいくら 「らしくない」 のが好きといっても、ああいうのはちょっとディレクションが違いすぎて笑ってしまうほかない。最も大統領らしくない振る舞いをする人が、女性には女性らしい服装を求めるというのも、なかなかのパラドックスである。他人にことさらに礼儀作法を求めるやつが、最も無礼なんてのは、よくある話だ。

鈴木清順の伝説の名画 『けんかえれじい』 に、おもしろいくだりがある。高橋英樹演じる主人公の南部麒六は、旧制中学を舞台に喧嘩に明け暮れる名物男。岡山の中学でも喧嘩事件を起こし、会津の喜多方中学に転校を余儀なくされるが、その中学の校長室に麗々しく飾られているのが 「良志久」 (らしく) という掛け軸だ。

校長は 「男は男らしく、学生は学生らしく」 と、本分を守ることを厳しく言い渡す。ところがここでも南部麒六は、会津中学の連中と華々しい集団果たし合いをして勝ってしまう。すると、あれだけ 「学生は学生らしく」 と言っていた校長が、戦果を聞いて大喜びではしゃぎまわってしまい、真面目一方の教頭がうろたえながら、会津弁で 「校長ぉう〜! らはぁすぃぐぅ!」 と叫ぶのがなかなかよかった。

それから "like a woman" と言ったらどうしても出てくるのが、Bob Dylan の ”Like A Woman" である。忘れられないのが、The Concert For Bangladesh 1971 での、Leon Russel, George Harrison との共演版だ。

歌詞の中で繰り返されるのは、このリフレイン。(一部引用だから、JASRAC はおとなしくしていてね)

She takes just like a woman.
She makes love just like a woman.
And then she aches just like a woman.
But she breaks just like a little girl.

なにしろノーベル賞作家の歌詞だから、結構象徴的で訳しにくいが、ざっといえば 「彼女は一人前の女らしく物事を進める/彼女は一人前の女らしくセックスする/彼女は一人前の女らしく痛みを感じる/だけど、小さな女の子みたいにボロボロになる」 というような感じだ。

大統領も、小さな男の子みたいにボロボロになるかもしれないしね。

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2017/02/03

恵方巻の大量廃棄が発生しているらしい

今日は節分、新聞チラシはもう恵方巻のオンパレードである。すごいなあと思う。我が家では食わんけどね。

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私がこのブログで恵方巻というものに触れたのは、もう 12年も前のことになる。この食い物が世間に知れ渡り始めた頃に、「恵方巻の社会学」 という記事で、「世の中では豆まきに取って代わって、節分の恒例になる可能性がある」 と書いている。

当時、「こんなのは一過性ですぐに廃れる」 などという見方もあったが、私は定着するとみていた。4年後の 「再び恵方巻を語る」 という記事でも書いているが、それは次のような理由による。

  1. 今どき、どこの家庭も少子高齢化で、豆まきを喜ぶ子どもが少なくなった。
  2. いい年をした大人が、日が暮れてから声を張り上げて 「鬼は外、福は内」 なんてやるのは、こっ恥ずかしい。
  3. 最近の感覚では床に落ちた豆を拾って食べるなんて、ばっちい気もする。
  4. しかしながら、節分に何もやらないというのも、日本人として何となく淋しい。
  5. 恵方巻なら、声を張り上げることもなく、無言なのだから隣近所に気兼ねがいらない。
  6. コンビニで買ってきたビニール・パックの太巻きを食うだけだから、清潔でお手軽だ。

とまあ、こんな理由で、私は恵方巻が世の中に根付くとみていたのだ。繰り返すが、我が家ではやらんけどね。

しかし近頃、この恵方巻が過熱しすぎて、コンビニやスーパーでの大量廃棄が発生しているらしい (参照)。コンビニのバイトまで結構な量の売り上げノルマを課せられた上に、売れなかった分は自腹で購入を迫られ、それでも残ったのがゴミとして大量に捨てられているらしい。

これは由々しき問題である。世界には食糧不足で餓死する子どもまでいるというのに、一方でそんなことをしているのは罰当たりもいいところだ。

こんなことになるなら、恵方巻なんていう風習はさっさと風化させて廃れるようにもって行く方がいい。我が家はもとよりこんなものは食わないからいいが、何となく惰性でやってるのなら、来年から止めちまうにこしたことはなかろう。

「恵方巻って、だっさーい!」 というイメージを広めてしまえばいい。元々、そんなに楽しいものでもないのだから、どうしても続けたいなら細々とやってもらいたい。流行り始めてから既に干支も一回り以上してしまったのだから、世の風潮が変わるのも当然ということだ。

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