当ブログの LGBT に関する "coincidence"
2月 3日付の「同性婚を認めても、別に不利益を被るわけじゃない」という記事に、山姥さんが「子供らがどういう性自認、性的指向を持つのか(持っているのか)は分かりませんが、素敵な人と出会い共に歩んでいって欲しいものです」というコメントを残してくれた。これには共感する人が多いだろう。
このコメントに私は、次のような返信をした。
子どもの幸せを祈るなら、性的指向がどうのこうのとは言えませんよね。
例の総理秘書官には、「自分の子が LGBT だったら、顔を見るのも嫌になるのか?」と聞いてみたいものです。
「例の総理秘書官」というのは、その翌日付の「総理秘書官は、 LGBT を「見るのも嫌」だそうで」という記事で批判した荒井勝喜という元秘書官(さっそく更迭されたので)のことである。
そしてこのレスを書いた直後に何気なく HUFFPOST を覗いてみたところ、「NZ 国会議員が同性婚反対したことを謝罪していた」という記事が見つかった。"同性婚に反対した議員「ゲイと告白した息子に約束した」。過ち認め謝罪するニュージーランドでの演説が話題に" というものである。
そもそも 3日付の記事自体が、先月 28日の「一人で静かに気持ち悪がるだけなら、お前の勝手だが」という同性婚に関する記事への回答みたいなものだった。そして今回の山姥さんへのレスへの真っ正面からの回答が、またしてもニュージーランドの国会演説にあったのだから驚きだ。
こういうのって、英語で "coincidence" という。英和辞書的には「偶然の一致」とか「同時発生/同所共存」とかいう意味だが、もうちょっと深いニュアンスがあるだろう。「神の思し召し」とまではあからさまに言及されないが、それに近い感覚があると思う。
というわけで、"coincidence" も同じテーマで 2度も続いてしまうと、これはもう、コメントへのレスだけで済ませず、ちゃんした記事にして書かないわけにいかないという気がしてしまったわけだ。なにしろ「思し召し」っぽいからね。
荒井元秘書官の息子は、ワセダの卒業式の夜に酔っ払って不祥事を起こしてしまったらしいが、性的指向については不明である。その息子がもしゲイだったりしたら、荒井元秘書官は「顔を見るのも嫌だ」なんて言えるだろうか? 「親子の縁もこれっきりだ!」なんて言っちゃうのだろうか?
これは荒井元秘書官に限らない。あちこちで散々「アンチ LGBT」的発言をしている人たちは、「ウチの子は絶対に LGBT じゃない」なんて確信を持って言えるのだろうか? 仮に自分の息子や娘、あるいは孫が LGBT ということがわかったとしたら、彼らはどう反応するつもりだろうか。
こうした可能性について思いを巡らせてしまったら、これはもう、迂闊に感情的な発言なんてできるもんじゃないよね。この方面の多様性を素直に認めておけば全然問題じゃないのに。
というわけで、「LGBT」というのは現代の重要テーマになっているという認識に至ったので、このほど当ブログの重要なカテゴリーの一つとして登録させてもらった(参照)。そのあたり、どうぞ
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