2020年11月23日

そんなに「肉みたいなもの」を食べたいかなあ

NewSphere が "植物由来の「肉ではない肉」がメインストリームへ" というニュースを伝えている。マクドナルドなどのファーストフードも採用に踏み切り始めているというのだ(参照)。

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私はかなり前から肉食を避けるようになていて、2017年 4月 6日の”「脱肉食」を巡る冒険” という記事には次のように書いている。

別に「好き嫌い」で肉を避けているわけじゃないので、それしか食うものがなければ仕方なく食いもするが、最近はどんな高級肉でもおいしいとは感じられない体になった。

そしてこの頃からどんどん肉食が減って、一昨年頃からは肉を完全に食べなくなった。その明確な理由は、昨年 5月 26日の記事に書いてある(参照)。倫理的な理由で肉は食わないと決めた限りは、それを食うのが苦痛と感じるようになったのだ

最近は完全なベジタリアン(菜食主義)というわけではないものの、魚介系は食べるという「ペスカテリアン」として暮らしている(参照)。さらに魚でも資源枯渇が問題になっているマグロとウナギは食わないことにしているし、卵と牛乳も意識して減らしているので、かなりマジメなペスカテリアンである。

医者をしている昔の同級生に「肉も食わないと体に良くないよ」なんて言われたことがあるが、それは「医学的迷信」だと思っている。肉を止めてかなりの年月になるが、こんなに健康でピンピンしているのだから事実が証明している。

冒頭に紹介した記事の話に戻るが、米国で植物由来の「肉でない肉」の需要が伸びているのは、新型コロナウイルスによる感染症拡大の影響らしい。「初期の食肉工場での感染拡大で肉が品薄になったこと、家にいることが増えて料理の機会も増え、食材に対する関心が高まったこと」が要因だという。

ということは、米国人の多くは「本当は肉を食いたいんだけど、肉が品薄なので植物由来の『肉もどき』を食ってみた」というのが、正直なところなのだろう。マクドナルドで「本物の肉を使わないハンバーガー」を扱うのも、その理由がポジティブなものとはいえ、結局は「代用品」というスタンスだ。

ただ、とかく「代用品」に付きもののネガティブ感覚が薄れているのは、「代用品とはいうものの、最近はちゃんとおいしくなってるし」ということが大きいだろう。つまり「ちゃんと本物の肉みたいな食感がある」ってことだ。

ところが私としては、どんなに「よくできた肉の代用品」だとしても、そんなもの食う気がしなくなっている。肉そのものを食いたくないのだから、「肉に似せたもの」だって食いたいと思わないのが自然だろう。

というわけで、「そんなに『肉みたいなもの』を食べたいかなあ」と思ってしまうのである。

 

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2020年11月22日

近頃、交通事故現場に遭遇することが多い。

近頃、交通事故がやたらと多いような印象だ。身近なところでも目撃するし、ニュースを聞いても高速道での事故が多い。

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昨日は 50km 先までクルマで行く用があったのだが、出かける際に我が家のある住宅地から県道に出る交差点が、事故処理の真っ最中で通行止めになっており、目的地に着くのがギリギリになってしまった。ワゴン車の単独事故で、舗道の敷石を乗り越えて斜めになったまま動けなくなっていた。

さらにその日の帰り道でも、日の暮れかかった県道で乗用車同士の追突事故が起きていて、またまた交通規制のために帰宅が遅くなってしまった。クルマのリア部分がグシャリと潰れていた。ここ 1週間で、かれこれ 4度ほど交通事故現場に遭遇している、

今日はちょっと買い物に出てカーラジオを聞いていると、東名高速と常磐道でも交通事故があり、一時通行止めになっていたという。ただでさえ三連休で道路が混雑しているのに、高速道まで通行止めでは大変だっただろう。

私が茨城県に移転してきた 40年前は、「茨城は運転が荒くて事故が多い」という評判だった。何しろ「茨城県の道路では制限速度の 2倍まで出していい」なんて無茶苦茶なことが言われていたほどである。

ところが最近ではさすがに高齢化が進んだせいか、県内の道路の流れもずいぶんのんびりしたものになって、制限速度が 50km/h の道を 40km/h 以下でトロトロ走る老人が珍しくなくなっている。こんなのは昔だったら考えられないことだ。

で、スピードを出さなければ事故が起きにくいかというと、決してそんなことはない。ドラバーの判断力が鈍くなっているので、かえって危ないというケースもある。実際に前を走るクルマが突然考えられないような動きをすることがあるので、かなり注意しなければならない。

もうすぐ年末だが、師走というのは昔から 1年で最も事故の多い月と言われている。「危険予知」能力を発揮して、安全運転を心がけようと思っている。

 

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2020年11月21日

「長寿国ニッポン」を実感

ついに今年も 11月下旬となり、「年賀欠礼葉書」(というのかな?)がポツポツ届き始めた。そしてその内容がまた、親がかなりの高齢でなくなったというものが多い。下の写真はそのベスト 2(と言っていいのかな?)で、母親が 101歳と 94歳で亡くなったという知らせである。

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この他にも享年 92歳とか 89歳とか、とにかく長生きが多い。昔は 70代後半で亡くなったという知らせが圧倒的に多かったが、近頃は様変わりである。まさに「長寿国ニッポン!」だ。

というわけで最近妻と話してわかったのだが、我々夫婦は長生き願望というのがまるでない。二人とも「あんまり長く生きなきゃならないんじゃ、たまらない」と思っているのである。

私はいつも「80歳まで生きる了見は毛頭ない。あと 10年も生きれば十分」と言っている。今 68歳だから、つまり「78歳ぐらいであの世に行くのが理想的」ということだ。そしてこれもまた共通の願望だが、「配偶者より自分の方が早く死にたい」と思っている。

妻としては「あなたが先に死んじゃったら、力仕事をお願いする人がいなくなっちゃう」なんていう、はなはだ身勝手なことを言う。とんでもない。70歳を過ぎてまで力仕事で頼られたら、こちらの身が持たない。

ただ、私の家系はどうも妻の方が早死にするという「業」のようなものがあるようなのである。これはまったく困ったことである。

私の両親は父の方が 8か月早く生まれただけの「ほぼ同い年」なのだが、母が 4年早く死んだ。母は晩年病気で動けなくなったので、父はかなり献身的に看病した。そして祖父母は直接の血のつながりはない(母は養女で、父は婿養子なので)が、祖母が 9年も早く死んだ。

というわけで、私は常々「この『業』は自分の代で断ち切るつもりだからね」と言っているのだが、こればかりは実際、どうなるかわからない。このまま健康で若作りのまま 20年も 30年も人生のケリが付かないようだと、このブログも延々と続くことになる。

 

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2020年11月20日

他人の PC でパスワードを設定してあげる時は

下の写真は、私が 3年ちょっと前に書いた記事の画像である。”「私の iPad のパスワード、教えて下さい」 と言い出す人” というタイトルだ。

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知り合いの年配の女性の iPad の、起動時のログイン・パスワードを含む初期設定をしてあげて、「このパスワード、忘れないようにしっかりメモして保存しといてくださいよ」と何度も念を押したのに、案の定、しっかりとなくしてしまっているというお話である。こうしたケースは本当に多い。

そしてこのほぼ 1年後に書いた ”「らくらくスマホ」 は絶対にオススメしない” という記事のコメント欄に書いた話だが、知り合いの女性は Facebook の自分のアカウントのパスワードを忘れてログインできなくなる度に新しいアカウントを作るので、かれこれ 5個もアカウントをもっている。

「友達申請しようとして Facebook 内を検索したら、あなたが 5人もいて、どれに申請したらいいのか分からない」と言うと、「あ〜ら、どうせ使ってるのは 1つだから、いいのよ」なんていう。「あなたはよくても、周囲には迷惑千万なんです!」と言っても、どうにも話が通じない。

で、最近また、これと同じような話に遭遇した。別の知り合いの女性から、「スマホを新しいのに買い換えて、Facebook のアカウントも新しくしたので、改めて友達申請させていただきます」なんてメッセージが来たのである。彼女の最初のアカウント作成もやはり、私が手伝ってあげたんだった。

「スマホを新しくしても、Facebook のアカウントはそれまでのを使い続ければいいんですよ」と言うと、「パスワードがわからなくなったので、新しく作り直しました」と言う。ああ、やっぱりやってしまったか!

それまでの機種はパスワードを記憶して自動入力してくれていたらしいのだが、機種変更したら急にパスワードの手入力を要求されたので困り果てて、新しいアカウントを作ったのだそうだ。だからあれだけ何度も何度も、「パスワードはしっかりメモしといてね」と言ったのに。

「あなたが設定してくれたんだから、パスワードを覚えていてくれてもいいじゃない」なんて言う人もいるが、冗談じゃない。そんなものは礼儀としてさっさと忘れてしまうことにしている。

ただしそんな常識論が通じないのは結果が雄弁に物語っている。友人には「オバサンという人種は絶対にパスワードを忘れるから、設定してあげたパスワードはすべてこちらが Excel に保存してある。かれこれ 40〜50人分ぐらいのリストになっていて、いつ聞かれても答えられる」なんて剛の者もいる。

さらに最初に紹介した記事にはこんなコメントも付いている。

私の場合は、他の方のPC等をセットアップしてあげる際のパスワードは「a●min」or「r●●t」にしています (Senna さん)

他人様の機器を設定してあげるときは必ず自分の生年月日にしておくとよいかもしれません(笑) そのユーザーの生年月日ではないからセキュリティ的には問題ないし、31July2017とかならアルファベット数字混在だし。(山辺響 さん)

なるほど、そのくらいの対策は必要だと痛感するばかりである。上述の女性のパスワードを設定してあげた時には、残念なことにそうしたノウハウをもっていなかったのだ。

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2020年11月19日

日本人は普段の行動を言語化していない

Quora という Q&A サイトで「なぜ日本人は英語が下手なのでしょうか?」という質問に、Tominaga Shintaro さんという方がとても納得できる回答を寄せてくれている(参照)。要するに「日本人は普段の行動を言語化していない」からだというのである。

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Tominaga さんが英国、米国に滞在していたとき、車で顧客を訪ねる際に電話で道順を聞くと、相手は見事に詳しい説明をしてくれ、その通りに行けば容易に目的地に到達できた。ところが日本人に「家から職場までどうやって行くか」を日本語で話すように頼んでも、しどろもどろになるという。

つまり日本人は「英語が下手」という以前に、物事を言語で表現することが苦手だというのだ。日本語で表現することすら苦手なのだから、ましてや英語でしゃべってみろと言われても戸惑うのみである。

日本人の多くは道順を言葉で説明するぐらいなら、簡単な道案内図を描いて渡す方が楽と考える。しかし英米人の多くは、そんな面倒なものを描くるより、手っ取り早く口で説明させてくれということになるようなのだ。

Tominaga さんは「日本人は道順を絵画的に捉え、英米人は、それを言語化する文化的な癖がある」と指摘している。なるほど、納得である。

というわけでそもそも日本人は「母国語を使って道順を説明する」ことすら苦痛なのだから、英語を使うのはもっと苦痛ということになる。だから英語が上手になりたいなら、まず日本語が上手にならなければならない。

そのためにはとりあえず、言葉で道案内ができるように訓練するのが効果的だろう。もっと言えば、相手が言葉で説明してくれた内容をその言葉通りに受け取れるように訓練することも必要だと思う。多くの日本人は、言葉をきちんと論理的に受け取ることさえ苦手のようだから。

物事を日本語で筋道立ててで説明できるようになり、相手の言葉をきちんと解釈できるようになれば、後は英語の言い回しに慣れさえすればいい。

 

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2020年11月18日

"Tacodora" には驚いた

下の写真は、今日クルマを運転している時に前を走っていたトラックの後部である。赤信号で停車している時に撮影したのだが、 ”Tacodora” という青いステッカーにご注目いただきたい。

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ずっと後ろを走っていた時は "Tacodora" って、このトラックのドライバーが大変なゲーム好きで、中でも一番好きなゲームのタイトルか何かなんだろうぐらいに思っていた。だって、いかにもそんな感じのネーミングじゃないか。

ところが赤信号で停まった時にじっくりと眺めてみて、「デジタコ+ドラレコ搭載車」ってことなのだとわかった。これにはびっくりだ。

「デジタコ」というのは、デジタルタコグラフのことで、「自動車運転時の速度・走行時間・走行距離などの情報をメモリーカード等に記録するデジタル式の運行記録計」なのだそうだ(参照)。そして「ドラレコ」というのは調べるまでもなく、ドライブレコーダーのことなんだろうね。

いやはやそれにしても、「デジタコ」と「ドラレコ」を装着したトラックだからといって、「タコドラ」とはあまりに意表を突いている。しかも 表記が "Tacodora" とくると、後半の "dora" が "drive" の省略形と理解されるまでの距離が、やたらと長く感じられた。

やはりゲームの名称という方がずっとしっくりくるなあ。いずれにしても、あきば商会さん、よろしくお願いしたい。

 

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2020年11月17日

Mac は Big Sur アップデートでトラブル続出らしい

Gigazine が「macOS Big Sur アップデート中に Mac が文鎮化するトラブルが多発」と伝えている。エラいことで、まったく他人事ではない。

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この記事の書き出しは、こんな感じで始まる。

Mac 向けの最新 OS「macOS Big Sur」がリリースされたタイミングで OS 全体が低速化するという問題が報告されましたが、新たに、「macOS Big Sur へのアップデートを試みたものの Mac がブラックスクリーンになり文鎮化した」という報告が多発していることがわかりました。

私も昨日、所有する 2台の Mac (iMac と Macbook Air)の OS を Big Sur にアップデートしたのだが、どちらもやたらと手間がかかった。やっとの思いでアップデートが終了した途端に、「文鎮化」とまではいかないまでも、とくに iMac の方で何をやらせても動作が遅くなってしまっている。

iMac はデスクトップ・タイプでディスプレイが大きいくせにメモリ(RAM)が 8GB しかないので、前に使っていた Macbook Pro と比較すると元々動作が遅かった。それが Big Sur にした途端にますます遅くなったので、「こりゃ、しんどいことになった」と思っていたのである。

この機種は RAM 増設がやたらと困難な作りになっているので、1年間の補償期間が過ぎたらどこかの専門ショップに持ち込んで、少なくとも 16GB ぐらいに増設する方がいいと思っていた。それがこの度の事態で、「とにかくなるべく早く増設しなければ!」という思いに変わってしまったよ。

幸いにも Macbook Air の方が結構軽く動いてくれているが、自宅で仕事に使うのは iMac の方なので、これは切実である。ただ、今日外出から戻って iMac をいろいろいじってみたところ、昨日よりはまともに動くようになっている。少しは馴染んでくれたんだろうか。

もしかしたらマイナーチェンジを何度かするうちに、多少改善されるかもしれないと、淡い望みも湧いてきているが、いずれにしても RAM の増設は急いだ方がいいだろう。

 

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2020年11月16日

図らずも発揮された「モンタージュ」効果

下の画像は「50つの最も面白おかしいスポーツ NG 集」(「50つの」という言い回しに引っかかるけど)というページにあったものである。(クリックで別画面に拡大表示されるが、その前に心の準備をしておく方がいい)

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「NG 集」とはいえ、このシンクロナイズド・スイミングの選手に非はない。問題はたまたますぐ上に表示されてしまった広告だ。よりによってこんなところに、「お仏壇を探すなら光雲堂」なんてのをもってこなくてもよかったじゃないか。

広告代を払ってこんな「怨霊退散!」みたいなことになってしまうのでは、ちょっと光雲堂さんが気の毒になってしまう。ここはもう一言、「光雲堂さんにも非はない」と言っておかねばなるまい。

この仏具屋さん、別のケースでも間の悪いところに登場させられている。「魔法のような驚くべき幸運、50選」というページでは、こんな具合だ。(やはりクリックで拡大表示される)

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せっかく「驚くべき幸運」で死なずに済んだのだから、敢えて仏壇・仏具を持ち出さなくてもと思うのが、人情というものだろう。「御先祖様があの世から護ってくれた」というなら話は別だが。

気の毒といえば「66つの常識を超えた珍しい写真」(これまた「66つ」が気になるが)というページにあるこれは、中森明菜がかなり気の毒である。「変な形の骸骨」というタイトルの下に「中森明菜 今の姿を確認する前に、ティッシュをご準備ください」では、悪意すら感じさせる。

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これら画像などの組み合わせによる効果を、その筋では「モンタージュ」という。犯人に似た顔写真を合成するのと同じ言葉だが、これはちゃんとした芸術の世界でも使われる。

アカデミックな映像論では「フォトジェニック」と「モンタージュ」が、定番理論となっているほどだ。ちなみに「フォトジェニック」は、いわゆる「インスタ映え」よりちょっとだけ高次元の話なのでよろしく。

モンタージュ理論を確立したのは、あの『戦艦ポチョムキン』のセルゲイ・エイゼンシュテイン。彼は漢字において「偏(へん)と旁(つくり)」の組み合わせで新しい意味が生まれることをヒントにしたとも伝えられる。

ただこのモンタージュ効果というのはご覧の通り、意識的に狙ったわけじゃないが、図らずも変な形で発揮されちゃうみたいなこともあるから、よくよく気をつけなければならない。

フツーの会話でも、当人は話題を変えたつもりなのに、聞く方が一つながりの話と受け取ってムッとするなんてことがあるしね。

 

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2020年11月15日

順番とはいえ、藤十郎まで死んでしまって

坂田藤十郎が死んだというニュースは、ちょっとしたショックだった。藤十郎が中村扇雀だった時代からずっと注目していたので。

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私が歌舞伎ファンだなんて意外に思う人がいるかもしれないが、実はその昔、卒論に九代目団十郎論を書いたぐらいで、決して付け焼き刃じゃない。ワセダの第一文学部ってところは、何しろ坪内逍遙以来の伝統のおかげで「演劇学」なんていう妙な専攻があったのだ。

さらにそれで収まらずに大学院まで行き、七代目団十郎を論じて役にも立たない修士号まで取得している。そんなわけでとくに学生時代は歌舞伎座に毎月、昼の部、夜の部の 2回通っていた(3階席だったけどね)。

学生時代なんていうと、半世紀近くも前のことになるが、その頃は死んだ藤十郎の父親、二代目鴈治郎も達者で活躍していて、今の若い歌舞伎ファンが聞いたらよだれを流して羨ましがるような舞台も数多く観た。ただ、親子でお初徳兵衛を演じる『曽根崎心中』だけは観る機会がなかったのが残念だ。

私は卒論と修士論文で江戸の荒事の本家、団十郎を論じた割には、実際に観るのは上方系の和事が好きで、松島屋系の芝居も好きだったなあ。荒事は観てすっきりするが、和事はしっとりとするのである。

ちなみに坂田藤十郎というのは、初代が元禄の頃に上方で和事を創始した名優で、同じ頃に江戸で荒事を創始した初代団十郎と並び称される。安永年間に三代目が死んで以来、名跡が途絶えていたが、三代目鴈治郎となっていた藤十郎が、2005年に復活させた。

で、私としては長年「成駒屋」の屋号で親しんでいた扇雀、鴈治郎が、藤十郎を襲名した途端に「山城屋」になったというので、「はあ?」なんて軽くうろたえてしまった覚えがある。上方の人間って、その辺りのことには案外こだわらないみたいなのだね。

というわけで、死ぬのは順番とはいえ藤十郎まであの世に逝ってしまったことで、またしても大きな節目になったような気がしている。最近は世の中の移り変わり方がさりげなく激しい。

 

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2020年11月14日

"Under the Spreading Chestnut Tree" の手振り

3日連続の『大きな栗の木の下で』ネタである。初日に呈した謎が、2日目にしてだんだん解けてきたというのが面白く、しつこいと言われるかもしれないが、簡単にはやめられなくなってしまった。

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今日はキャンプファイアー・ソングとして広まったらしいという点に注目し、身振り、手振りに焦点を当ててみる。

 "Boy Scout Song, Girl Guide Song, with Lyrics" というページに動画があるらしいので、喜び勇んでアクセスしてみたが、「この動画を再生できません」というメッセージが空しく表示されるばかり。他の似たようなページもことごとく動画は再生できなかった。残念!

さらに、ボーイスカウトの歌というのを手がかりにしつこく検索したところ、"Scouts 4th Sevenoak" というページが見つかり、そこには身振りの説明があるではないか。だが、それってこんな具合である。

Spreading – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Chest – strike chest
  (胸を叩く: これはまんまの当て振りだね)
Nut – tap head
  (頭をチョン)
Tree – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Held – arms as though embracing.
  (腕を抱きしめるように)
Knee – strike knee.
  (膝を叩く: これもまんま当て振り)
Happy – Scowl and emit a growl.
  (しかめっ面をしてどなる)

歌詞が端折ってあるし、そもそも最後はどうして「しかめっ面をしてどなる」ことになるんだか、わけがわからない。あまり奇妙なので他を探したら、”Retired Scouter" というページも見つかった。このページの説明はよほどまともで、こんな具合だ。

Under (make hands over head like an umbrella)
  (両手を頭上で傘のような形にする)
the spreading (move hands out like tree branches)
  (両手を木の枝のような形にする)
chest (point to chest) nut (point to head) tree (move hands out like tree branches again).
  (手を胸から頭、頭上に上げ、再び最初の形に)
There we sat (hug yourself)
  (自分自身を抱きしめる)
just you (point to somebody else)
  (他の誰かを指す)
and me (point to yourself).
  (自分自身を指す)
Oh how happy (smile and point to smile)
  (笑顔を指さす)
we would be(hug yourself).
  (自分自身を抱きしめる)
(以下、最初と同じ動作)

こっちのバージョンは、我々の馴染んでいる振りによく似ている。多分日本式の元になったんだろう。

今回の『大きな栗の木の下で』ネタで判明したのは、日本語のサイトにはこの歌を大人が振り付きで歌う動画がくさるほどあるが、欧米のサイトでそんなものを探しても見当たらないということだ。これって、ある意味「文化の違い」なのだろう。

日本の場合は大人が「子ども文化」で盛り上がることにほとんど抵抗がないが、欧米の場合は「いい年して、何やってんだ?」みたいな感覚があるようなのだ。そういえば米国人の友人は、初めて日本に来た時、大人が電車の中で平気で漫画雑誌を読んでいるのを見て、最初は信じられなかったと言っていた。

というわけで、3日連続の『大きな栗の木の下で』の考察は、この辺で一段落としておきたい。検索に次ぐ検索で、かなり疲れたし。

 

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