2021年1月22日

「おじいさんの本買います」という広告

Twitter で白江幸司さんという方が「おじいさん予備軍に衝撃が走る広告」として、吉祥寺の古書店のチラシを紹介しておいでだ。「おじいさんの本 買います」というもので、想定されるジャンルがズラリと書き連ねてある。

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なるほど、まさに「おじいさん予備軍」には衝撃のジャンルだ。こんな具合である。

人文書:哲学、現代思想、構造主義、分析哲学、印哲、東洋思想、日本思想、神道、修験道、陰陽道、キリスト教、神秘学、占い、漢方ヒーリング、超心理学、反体制、右翼、左翼、差別、公害、フェミニズム、犯罪、日本史、世界史、地理、民俗、郷土、江戸東京。

科学書:数学、物理、生物、建築、自然科学史、社会学、人類学、認知科学、生と性と死、病と身体、精神医学、カウンセリング、精神分析、ユング。

芸術書:画集、写真集、美術展図録、ファッション、茶道、書道。

サブカルチャー:戦前の児童雑誌、古今東西の絵本、料理や雑貨のムック、古いまんが、60 70年代文化、対抗文化、映画、演劇、音楽、クラシック・落語・朗読などの CD、学術・文芸の文庫、超自然など不思議なもの、映画のパンフレットなどのコレクションアイテム

う〜む、こりゃ身に覚えがありすぎだ。

ふゆひー 9 さんが "ジャンルが羅列されるなかで、目を惹く「ユング」(笑)" とコメントをつけておられる。個人名で挙げられているのは、確かにユング 1人だ。

これには思わず反応してしまい、 "ウチは「ライヒ」まであります" なんてサブコメントしてしまった(参照)。上の画像左側真ん中の 『性と文化の革命』(中尾ハジメ・訳)がそれで、今はさすがに絶版のようだが。

その右上の『構造と力』(浅田彰・著)は哲学書としては異例のベストセラーだから、本棚に眠らせている人が日本中にいる。左下は米国のカウンター・カルチャーを代表するジェリー・ルービンの "Do It!" だが、これはさすがに同世代の人間の本棚でもあまり見受けない。

「そういえば、ジェリー・ルービンって、死んじゃったはずだなあ」と思って改めてググってみると、「1994年、ロサンゼルスにて交通事故のため死去」とある(参照)。

そうそう、このニュースを聞いた時はかなり驚いたんだった。そのくせ、その18年後に、思い出したように こんな記事 を書いた時には、彼の死を忘れていたようなのだが。

いやはや、まことにもってこの世は諸行無常である。

Namu

 

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2021年1月21日

飛騨行きと「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」

今月 17日に、オークヴィレッジの稲本正さんからメールをいただいた。10年近く前に書いた ”「葉っぱはなぜ緑色なのか」への、稲本正氏の回答” (2011年 5月 6日付)という記事に関する礼状である。

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文面には「今頃、気づきました」と記されてあったが、こちらからはとくに何も知らせていないのだから、気付かなくて当然で、気付いていただいただけありがたい。おかげで自分としても、改めて復習させていただいた。

このメールに触れられていた彼の近著『脳と森から学ぶ日本の未来〜共生進化を考える〜』を昨日の夕方に Amazon に注文したところ、今朝早く届いた。リアルの書店で買おうとすれば都心まで出かけなければならないだろうから、実質的には Amazon の方が早い。さっそく読み始めよう。

実はブログの方のメールの確認をちょっとサボってしまっていて、稲本氏の 1月 17日付メールに気付いたのは、3日後の 20日になってからだった。つまり当ブログの 19日付「そうだ 飛騨、行こう!」を書いた翌日だったのである。

さらに「ありゃ、そういえば稲本さんのオークヴィレッジがあるのは、飛騨の高山じゃないか!」と気付いたのは、今朝になってからだった。我ながらお恥ずかしいほど反応が遅すぎる。

というわけで、3月の飛騨への旅では図らずもオークヴィレッジ本店を訪問できそうだ。19日の記事ではコロナ対応として「なるべく人と親しく接触せず」なんて書いてしまったが、こればかりは特例とさせてもらおう。ちゃんとマスクはするから。

それにしても偶然を通してこうも物事がうまい具合につながるというのは、なかなか気持ちのいいことだ。19日の記事を書いたのは、もしかして稲本さんからのメッセージを潜在意識が感じていたのかもなんて思ったりまでして。

こういうのを "serendipity" というらしい。これについては 13年以上前に "「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」" というタイトルで書いている。長くブログを続けていると知らぬ間に無形の財産が増えているもののようで、まことにありがたいことである。

 

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2021年1月20日

キムチを巡る中韓対立

韓国人ユーチューバー「キムチは韓国文化」で中国から批判殺到、解雇に” という記事に、図らずも注目してしまった。食い物の話にナショナリズムが絡むと、面倒なことになるようなのである。

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日本では「キムチは韓国の漬物」とフツーに思われていて、当の韓国人も当然そう信じているようだ。しかし中国人の常識では、四川料理の「泡菜(パオツァイ)」という辛い漬物が韓国に伝わってキムチになったということのようなのである。

そしてこれが結構な文化摩擦を生じさせている。「キムチは韓国文化」と言われると、ムッときてしまう中国人が多いようなのだ。ちなみに 「泡菜」で画像検索すると、こんな感じである。

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一見した印象だけで言わせてもらうのは恐縮だが、どうやらキムチよりバリエーションはありそうだ。そのせいか「キムチそのもの」という感じじゃなく、素直に見れば「ちょっと別物かも」という感じがしてしまう。

それでも中国人は「四川で泡菜が作られた頃、韓国という国はなかった。キムチは泡菜のバリエーションに過ぎない」と言い、一方の韓国人は「韓国内でこれほどまで広範に定着し、愛されている食べ物を韓国文化と言うのは当然」としている。

つまり「オリジナルはウチ」と言う中国と、「国際的なまでの圧倒的広まりを見せているのは、我が国のキムチ」と言う韓国との対立である。宗主国意識ありありの中国に対して、韓国が「ことキムチに関しては譲れない」と頑張っている構図が読み取れる。

この対立の煽りで、「キムチは韓国文化」と言った韓国人ユーチューバーの Hamzy は、所属する中国の事務所から契約を打ち切られた。それに対して彼女は「中国で活動するために、キムチは中国の食べ物だと言わなければいけないのであれば、中国での活動はしない」と応じ、なかなかの意地を見せている。

彼女は続けて「中国の方も、韓国で活動するために中国の食べ物を韓食と言わなくてもいい。これについては、中国の方も理解してくれると思う」と強調した。これはある程度理解できる言い分であり、単に意固地になっているというわけではないとわかる。

隣国に住む者としては「高みの見物」を決め込んでもいいのだが、この問題に限って言えば、「泡菜は豊富な中国料理のバリエーションの一つ」という中国と比較すると、「一点集中」ともいえるパワーで突進可能な韓国の方にやや分があるような気がする。

ちなみに辛いもの好きの私は、もちろん「キムチ大好き」である。「泡菜」はまだ食べたことがないが、辛くておいしければ当然歓迎だ。拒む理由は何もない。

 

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2021年1月19日

そうだ 飛騨、行こう!

昨年 6月 2日に「旅に出ないとカラダがもたない」なんていう記事を書いている。最近のコロナ禍による「出張機会激減」に参ってしまっているのだ。

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昨年の出張を改めて振り返ってみると、こんな具合だった。

1月: 大阪(1泊 2日)、伊豆、横須賀(2泊 3日)
2月: 赤穂(1泊 2日)、大阪(1泊 2日)
3月: 鈴鹿(1泊 2日)、網走(2泊 3日)
(4〜6月 なし)
7月: 浜松(1泊 2日)、加古川(1泊 2日)
(8〜10月なし)
11月: 富山(1泊 2日)
(12月 なし)

初めの 3か月はまだいつものように 月に 2回以上の泊まりがけ出張をフツーにこなしていたのだが、それ以後は激減して、1年間でたったの 9回。例年のほぼ 3分の 1である。

7月に浜松と加古川、11月に富山に行ったものの、時節柄いずれも用が済んだら大した寄り道もせずそそくさと帰って来ただけ。さらに 3月の網走を除けばすべて本州内で、四国と九州の地を踏んでいないばかりか、兵庫県より西には 1度も行っていない。要するにほとんど「近場」だ。

こんなのはこの 30年以上なかったことで、昨年秋頃から口を開けば「遠くへ行きたい」と呟くという、永六輔シンドロームというか、旅の禁断症状に陥っている。

そこで本当に久しぶりに、「出張以外の私的旅行」をしようと決心した。ただ、コロナ禍の中で自分のわがままを通させてもらうわけだから、そこはそれなりに「自主規制」して、"Go to Travel" じゃない旅にしようと思う。

つまり移動には公共の乗り物ではなく自分のクルマを使い、行った先でも(私らしくもなく)なるべく人と親しく接触せず、「孤独なセンチメンタル・ジャーニー」に徹することとする。どうせ夜の 8時過ぎには外食が困難だろうから、コンビニおにぎりなどを積極活用する。

「遠くへ行きたい」という願望からすれば、少なくとも本州を出て四国か九州に行きたいところだが、それだとクルマでの移動に時間がかかりすぎる。そこで「そうだ 飛騨、行こう!」と思い立った。似たようなタイトルのキャンペーンがあるが、京都は何十回も行ったので、もういい。

私は 48都道府県をすべて制覇(「一泊以上」が自主条件)しているのだが、旧律令国で言えばまだ行っていないところがいくつあり、飛騨国(岐阜県北部)はその 1つだ。これについては、2018年の 3月 23日に「何としても飛騨に行ってみたくなった」という記事に書いている。

あれから 3年近く経ってしまったが、今こそこの思いを成就すべき時ではないかと思い至ったのである。これまでの結構長い人生の中で 1度も行く機会がなかったのだから、今行かなかったら一生行けないかも知れないじゃないか。

スケジュール的には、3月下旬にしたいと思う。気持ちとしてはすぐにでも行きたいところだが、クルマでの移動だけに 3月上旬までは雪のリスクがある。しかし下旬まで辛抱すれば現地はぎりぎり早春で、雪は降っても小降り程度で済むだろう。

というわけで、今から楽しみにいろいろ計画している。人と触れ合わない分、飛騨の自然と文化財にはみっちり触れ合おうと思う。

【1月 20日 追記】

最初、昨年の出張は合計 8回と書いてしまったが、11月の富山行きを失念してしまってカウントしていなかった。そこで本日「9回」に修正させていただいた。

いずれにしても、昨年の旅は少なすぎた。

 

 

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2021年1月18日

人は何かを隠したい時、「ポエマー」になる

昨日昼前の TBS ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」に、久しぶりで大山顕さんがゲスト出演していた。大山さんは Wikipedia では「写真家、フリーライター 」と紹介されている(参照)が、多くのラジオ・リスナーの中では「マンションポエムの人」ということになっていると思う。

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大山さんとマンションポエムについては私も 5年近く前の「ポエマーという存在」という記事で少し書いているが、詳しくは Daily Portal Z の「マンションポエム徹底分析!」という大山さん自身の書いた記事を読めばよくわかる。

要するに「洗練の高台に、上質がそびえる」(「プラウドタワー白金台」野村不動産より)といったあの名調子」のことで、他にも「女神は、輝きの頂点に舞い降りる」「世田谷、貴人たちの庭」「代官山のロミオ&ジュリエット」などなど、過剰なまでにポエミーなコピーの数々が紹介されている。

大山さんによればマンションポエムの特徴は、「マンションの広告でありながらマンションそのものについては何一つ言わず、徹底的に『立地』のみを語る」ことだという。例えば「子ども部屋も作れる余裕の 4LDK」みたいな具体的フレーズは、まずあり得ない。

私がよく言う「雰囲気のもの」というスタイルの代表格だ。肝心の対象についてはあっさりスルーして、あまり意味があるとも思われない周辺のみをもったいぶって語る。

ここで番組パーソナリティの安住紳一郎が、「それって政治家の答弁みたいですね」と鋭いコメントを入れる。さすがの視点である。

それに応えて大山さんは、「何かを語りたいのではなく、何かを隠したい時には、大抵『ポエム』になるんです」と言う。これもまた鋭い指摘である。

具体的事実に関する言及を極力避けて、わけのわかったようなわからないような(で、結局わからない)雰囲気だけの話で済ませたい時、人は限りなく「ポエマー」になってしまうようなのである。

もっとも、政治家のほとんどは「ヘボ・ポエマー」だけどね。

【参考】

本日の記事中で用いた「ポエミー」とか「ポエマー」とかいうのは、言うまでもなくテキトーな和製英語なので、その辺りなにぶん

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2021年1月17日

ソーシャルメディアに総スカンをくってるトランプ

昨日はトランプが完全に「終わっちゃってる」ことについて書いたが、それは彼が米国中のソーシャルメディアから総スカンを食ってアカウントを停止されていることでもわかる。NewSphere は「ソーシャルメディア締め出し、発言の場を失うトランプ氏」と報じている。

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トランプは Twitter が大好きだったようで、前々からあることないこと好き放題に書き込んでいた。昨日触れた「トランプは任期一杯までもつんだろうか」というほぼ 4年前の記事を書くきっかけになったのも彼の悪趣味な tweet で、こんなものだ。

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My daughter Ivanka has been treated so unfairly by @Nordstrom. She is a great person -- always pushing me to do the right thing! Terrible!

私の娘のイヴァンカはノードストロームにとても不当な仕打ちを受けた。彼女は偉大な人間で、いつも正しいことをするよう私をプッシュしてくれる! 恐ろしいことだ!

これは米国の大規模チェーン百貨店のノードストロームが、彼の娘イヴァンカの展開する(デザイナーだったというわけじゃない)アパレル・ブランド "Ivanka Trump" の取り扱いを中止したことを罵ったものだ。これを Twitter にない thumbs down sign(いわば「いいね」の反対)付で紹介した。

この背景には反トランプ派の不買運動もあるとはいえ、よくまあ、こんな感情的なイチャモンを大っぴらに書けたものだ。ちなみにこれを最初に読んだ時、トランプが「恐ろしい」と言ってるのは、イヴァンカの「プッシュ」のことだと思っちゃったのだが。

オランダのフロニンゲン大学のサイトの記事は、「この書き込みは米株式市場への影響という点では無意味だったが、心理的影響は今後あり得るかも」としている(参照)。つまりこんなことを書くのは、私企業の活動への政治的介入にほかならないということだ。

実際のところ、イヴァンカのファッション商品は「トランプ支持派のオバサンたち」が喜んで買うだけで、本来のターゲットの若いキャリア層には支持されなかったようだ(参照)。それで翌年、イヴァンカはこのブランドの中止を自ら選択している(参照)。

要するにイケてなかったんで、売れなかったわけだね。まともな神経してたら、トランプの娘の名の付いた服を着て街を歩くなんて、恥ずかしくてできない。

いずれにしてもこの程度の tweet で済んでいれば、まだそんなに大きな問題にはならなかったが、ここに至って大統領選挙が「不正選挙」だったとしつこく言い張ったり、「議会に集結せよ」と呼びかけたりということになると、これはもう見過ごせないレベルである。アカウント停止もやむを得ない。

トランプは今回の事態を「言論の自由の侵害」と言っているらしいが、言論の自由は本来、政府が国民に対して保証するものだ。Twitter をはじめとする SNS 運営企業が、トランプの連続的な問題発言が自社の方針にも公共の利益にも著しく反すると判断するのを妨げるものではない。

Twitter としても「トランプの御用メディア」と思われるのは真っ平ご免ということだろうから、ノードストロームが ”Ivanka Trump” の取り扱いを止めたのと変わらない。

 

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2021年1月16日

トランプはやっぱり、任期一杯までもたなかった

トランプの米国大統領としての任期は、公式的には 1月 20日までだが、米国国務省のサイトには 1月 11日、一時的なミステイクとされたとはいえ、かなり小気味よくも「ドナルド・J・トランプの任期は 2021年 1月 11日午後 7時 49分に終わった」と表示された(参照)。

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ちなみに私は 4年近く前の 2017年 2月 10日、つまりトランプが大統領に就任して 1か月経たない段階で、早々と「トランプは任期一杯までもつんだろうか」という記事を書いている。記事の末尾には「この大統領は任期一杯までもたないんじゃないかという気がしてきた」とまで記した。

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で、今日は何が言いたいのかというと、「ほぉら、やっぱりもたなかったでしょ!」ってことだ。あの記事は、ヒットだったよね。実質的には既に「完全に終わっちゃってる」わけだが、国務省までフェイク・ニュースとはいえ、それに追い打ちをかける形となっているのだから。

これまでの大統領だったらもっと早い段階で「敗北宣言」を出し、「実質的な終わり」を平和的に演出していたわけだが、トランプはそれを拒んで「議会乱入事件」という惨状を招いた。つまり「任期一杯までもたない」どころか、もっと酷いストーリーになってしまったのだ。

ということは、私の 4年近く前の記事は当たってはいたものの、生やさしすぎたかもしれないってことだ。「ヒット」ではあったが、「シングルヒット」程度である。

現実は時として想像を超える。

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2021年1月15日

肉を食わないと、おならが臭くない

私は肉を食わず、そのかわり魚介類は食べるというペスカテリアンの生活を久しく続けている。すると妙な話だが、おならが臭くない。

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朝日新聞の「Re ライフ.net」の記事で消化器病専門医・松井輝明さんは、おならの主成分は食事の時に食べ物と一緒に飲み込んだ空気なので、「おならは普通、あまり臭いがしません」と言う。

「そんなこと言っても、臭いものは臭いよ」という反応が多いかもしれないが、私なんかは「なるほど、空気は臭くなんかないものね。おならも臭くないのは当然じゃん」と、簡単に納得してしまう。自分のおならが何よりの「論より証拠」なので。

本来は臭いわけじゃないおならを臭くしてしまうのは、「スカトールやインドールなど、腸内でつくられた臭い物質」で、その臭い物質を作り出しているのが「ウェルシュ菌」など、いわゆる「悪玉菌」と呼ばれる腸内細菌なんだそうだ。

このウェルシュ菌の好物はタンパク質や動物性の脂だが、これらは本来、胃や小腸で分解されるので大腸まではあまり届かないという。ところが食生活が肉食中心になってしまうと、消化しきれなかった残りかすが大腸まで届き、それらが悪玉菌を活性化させる。

これは逆もまた真なりで、肉を食わなければ悪玉菌が活性化されず、その悪玉菌の作り出すスカトールやインドールなどの発生も抑えられる。それでおならも臭くならないというのは、納得できるストーリーだ。

なるほど、肉を食わないとおならが臭くないというのは、ちゃんとした科学的根拠のある話なのだね。単なる気のせいじゃなかったのだ。

ちなみに「オヤジのうんこは臭い」という定説も、私には当てはまらないようだ。「いいウンチ研究所」というサイトによれば「オナラとウンチは同じ臭さ」というから、おならが臭くなければウンチも臭くないのは当然である。妻も娘も、私の後に平気でトイレに入るからね。

「お父さんの後にトイレ入りたくな〜い!」なんて言われてメゲてしまっている人は、試しに焼き肉、牛丼ワシワシを止めてみるのはいかがだろうか。

 

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2021年1月14日

ジェンダー・ハラスメントの面倒くささ

先日ラジオを聞いていたら、リスナーからの投書で「職場で乱雑になっていた書類をきちんと整理したら、『さすがに女だから、よく細かいところに気付いたね』と褒められてしまった」というのがあった。これ、褒められて嬉しかったというのではなく、逆に憤慨しているのである。

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彼女の意識としては「細かいところに気付いて、ちゃんと効率的に整理できたのは、『女だから』じゃなく『私だから』です!」ということになる。

「さすが女だから云々」という言い方をされてそのように反応するのは、十分に自然で当然なことだと思う。もし私が彼女の同僚とか上司とかだったら、「女だから」なんて褒め方は気持ち悪くて到底できない。褒めたつもりが逆に「ジェンダー・ハラスメント」になってしまっている。

上の画像はちょっと古い記事だが 2015年 10月 29日付の「ここは昭和か!?」という記事へのリンクである。平成の時代に書かれたものだが、令和の御代になっても十分通じたりする。

この記事で紹介されているジェンダー・ハラスメントは、「女性のお茶入れ(ママ)や接待など。女性はかわいくて若くて笑っていればいいと思われている」「結婚を報告したら上司の第一声が『いつ辞めるの?』だった」「女は25までに子どもを産むべきと言われた」などなど。

ここまで露骨じゃなくても「君は愛嬌があって評判がいい」とか「君の淹れるお茶はいつもおいしい」なんてのも、案外アブナい。言うケースとタイミングによっては、言われた方はムッとくることが十分あるだろう。

ところが冒頭の例と同様、言った方は褒めたつもりで気持ちよくなっちゃっていて、「褒めて何が悪い?」と言い出すので話が面倒だ。その褒める価値感が褒められる方の価値感とケンカしてしまっているので、ちっとも褒めたことにならないのだが。

逆に女性上司に「男のくせに、なんでこんなことができないの?」なんて言われたりするのも、立派な(?)ジェンダー・ハラスメントだ。日常的な話としては、ちょっとでも重そうな荷物が届いたりすると、若い男性社員はどんなに忙しくしていようがお構いなしに呼び出されちゃうしね。

「男ならやってみろ!」なんて言い方も、私としては気持ち悪くてできないし、さらに言われたくもない。

セクシャル・ハラスメントは「セクハラ」という短縮形で言葉としても浸透しているから、社会全体としても多少は気をつけようという空気になってきている。しかしジェンダー・ハラスメントはまだ社会に認知されていないのが問題だ。「ジェンハラ」なんて言っても、日本のどこでも通じないしね。

 

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2021年1月13日

ジャニスの "PEARL" が世に出て 50年

Facebook に "50 Years of Janis Joplin's PEARL #Pearl50" という記事がある。ジャニス・ジョプリンの名アルバム "PEARL" が世に出て、なんと 50年なんだそうだ。もう半世紀も経ってしまっているのか! Facebook の記事には当然ながら、「超いいね!」を付けさせてもらった。

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このアルバムが発売されたのは 1971年 1月 11日。私が高校 3年の時で、その 2か月後には大学進学が決まり、上京している。このアルバムを買ったのはそんな頃だが、ジャニス自身は既にこの世にいなかった。

彼女は前年の 10月 4日にヘロインのキメ過ぎであの世に行ってしまっていたのだ。だからこれはジャニスの「遺作」という特別な意味をもっている。

上の画像をクリックすると Facebook の記事に飛んで、"Me and Bobby MacGee" を聞くことができる。クリス・クリストファーソンの名曲だ。(下の「追記」参照)

今、改めて聞くとジャニスの声はとても可愛らしい。そう感じるのはこちらが年を取ってしまったからかもしれない。初めて聞いた 18歳の時は、そのソウルフルなキメキメのパフォーマンスにシビれるばかりだった。

ちなみにクリス・クリストファーソン自身の歌は こちら で聞くことができる。これと比べると、ジャニスのバージョンはものすごく濃い。

(英語では意味がわからないという方は、一度 中川五郎の日本語でのパフォーマンス を聞くといい。彼の訳は「ありがとう! よくぞここまで原詩に忠実に日本語にしてくれました!」と言いたくなるほどだ)

この歌でとくに泣かせるのは次の部分(訳は私)。

I'd trade all tomorrows for a single yesterday
Hodin' Bobby's body next to mine

全ての明日を、たった 1日の昨日と交換してもいい
そばにいるボビーを抱きしめていた、その 1日と

ジャニスの "PEARL" 50周年を記念する Facebook の書き込みをクリックしてこの曲が流れるのは、世界中のジャニス・ファンの思いを代弁するからだろう。ジャニスがギンギンにナマで歌っていた あのたった 1日の昨日 が戻るなら、全ての明日を諦めてもいい。

それにしても私は今でもこのアルバムをアナログの LP で持っているが、悲しいことに再生する機器が手元にない。それで iTunes (おっと、今は "Music" というのか)で聞くしかなくなっているわけだ。

ただ、何を通して聞いても、”PEARL” はウルウルきてしまうよ。

【追記】

”Me and Bobby Macgee” という曲は、恋人だった Bobby MacGee と、米国南部のサリナスの町で別れたことを歌ったものだが、昔、「ボビー・マギーって、男なの? 女なの?」と聞かれたことがあった。答えは「歌い手のジェンダーによって変わるんだよ」ってことだ。

"Bobby" という名前は男でも女でもいけるから、クリス・クリストファーソンの作った曲をジャニスもそのまま歌うことができたのである。

ただ「そのまま」とはいえ、クリスは "I let her slip away" (彼女を放してやった)と歌い、ジャニスは "I let him slip away" (彼を放してやった)と歌っている。これによって「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」(これについては こちら を参照)にならずに済んでいる。

 

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