2021年6月24日

さほどには長生きせずに済むらしい

一昨日の記事で「ヨレヨレで生き延びるよりは、さっさと寿命を全うする方がマシなんじゃないか」なんて書いた(参照)。私は昔から「長生き願望」というのがなくて、平均寿命が延び続ければ嫌でも長生きしなければならないんじゃないかと、ちょっとうんざりしていたのである。

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ところが Gigazine の "人間の平均寿命が延びているのは「長生きできる年齢の限界が上がったから」ではないという研究結果" という記事を読んで俄然安心してしまった。人間はどんどん長生きするように進化しているのではなく、平均寿命が上がっているのは「早死に」が減っているからだというのである。

この記事は次のように紹介している。

一説によると 1850年代から現代にかけて人類の平均寿命は 40歳から 70歳に延びたといわれています。実際に、日本の厚生労働省の公式発表では、平均寿命は昭和 22年(1947年)から令和元年にかけて 50歳から 80歳へ大幅に伸びたことが記録されています。

確かに、私の祖母は 50歳そこそこで死んだし、祖父も 70歳前に死んだが、両親は 70代まで生きた。このままだと、これといって持病も何もなく健康そのものの私は 100歳近くまで生きなければならないんじゃないかと、戦々恐々としていたのである。

「惰眠を貪る」という言い方があるが、「惰生を貪る」というのは、もっと面倒ではないか。

ところが南デンマーク大学のフェルナンド・コルチェロ氏とデューク大学のスーザン・アルバート氏ら 14カ国 39名の研究者が、霊長類において種内の老化速度は変わらないという「老化速度不変則」という仮説を発表したという。要するに「いつまでも長生きできるってもんじゃない」ということだ。

研究によると、次のことがわかったという。

平均寿命が短い生命表では寿命の平等度が低く、平均寿命が長い生命表では寿命の平等度が高いという傾向が判明。これは言い換えると、早死にが多い社会では死亡時年齢にばらつきが大きく、ゆえに平均寿命が短かくなり、反対に早死にが少ない社会では死亡時年齢にばらつきが小さく、平均寿命が長くなることを意味します。

簡単に言ってしまえば、人類に限らず霊長類では、「平均寿命の変動は主に乳児・子ども・若年成人の死亡が原因」ということのようなのだ。現代は赤ちゃんの死亡率が減ったので、平均寿命の数字も伸びているだけということだ。

この記事の英語の元記事がいくつか挙げられているが、タイトルの魅力的なのはこの研究をリードしたと見られる南デンマーク大学のサイト、SDU の、"We cannot cheat ageing and death" (我々は加齢も死もごまかせない)というものだ。

こんな場合の "cheat" というのは「うまい具合に逃れる」という意味合いもあるから、「うまくごまかしたつもりでも、結局は加齢からも死からも逃れられないんだからね」というニュアンスもあるだろう。流石だね。

そんなわけで、私も心配するほどにはダラダラと長生きしなくても済みそうということで、ほっとするあまり、記事のタイトルまで川柳じみたものになってしまった。

このブログの毎日更新が順調に続けば、ほぼ 10年後の 2031年 5月 12日に「10,000日連続更新」の記録が作れる。できればその「連続更新記念記事」を書いてみたいとは思うが、その区切りさえ過ぎればあとはいつポックリ逝っても構わない

なんてお気楽なことを言っていると、ストレスがなくなってさらに長生きしてしまいかねず、かえってコワいのだが。

 

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2021年6月23日

東京オリンピックにはもう、匙を投げた

先月に "東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」" (3日付)と、"改めて「東京オリンピックは他人事」と確認しておく" (4日付)という記事を書いたが、まさにその通りの展開になってしまっている。ここに至っては、もはや「匙を投げた」と言わせてもらう。

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NewSphere の「東京オリンピック絶対開催の理由、海外メディアが指摘」という記事によれば、開催中止にできない理由のほとんどは経済的なものであるらしい。やはり最終的にはゼニカネの問題に行き着くのだ。地獄の沙汰も金次第である。

一時言われていた「IOC への違約金」というのは、どうやら払わなくてもいいみたいだが、「野村総研の試算では、完全中止となれば 1兆 8000億円、GDPの0.33%に相当する経済効果が失われる」と伝えられる。さらに、次のようなこともある。

さらに 68社の日本のスポンサー企業は既に莫大な金額の払い込みをしているので、中止になれば世界の保険会社は 20億~30億ドル(約 2200億~3300億円)の損失を被るという。政府としては、そうした渦中に飛び込みたくないのだろう。

米国の NBC ユニバーサルはネットワークやストリーミングで過去最高の利益を期待していて、後には引けない状態だという。マスコミとしては中止キャンペーンなんか、できるわけがなかったのだ。

さらに無観客での実施となると、既に販売済みのチケットの払い戻しという「悪夢」につながるので、考えたくないらしい。観客を入れた結果、それ以上の悪夢になる可能性もあるわけだが、「安全安心」という根拠のない寝言を繰り返してさえいれば、そこから逃れられると思っているようなのだ。

結局のところ、「誰も責任者がいないように見えるのが東京五輪」(作家、ロバート・ホワイティング氏)というのが、最も「言えてる」指摘だと思う。国も都も、明確な「責任者」ってわけじゃないから、「とにかくやって、その上でどうなっても、その時はその時」ということなのだろう。

というわけで、私としては既に「どうぞご勝手に」とか「他人事」とか言っているので、なるべく騒ぎには関わらないで淡々と暮らしていこうと思っている。不幸中の(甚だ勝手な)幸いというか、私も妻も五輪直前にワクチンは 2回接種済みになる予定でもあるし。

【追記】

もしかして最近の人は「匙を投げる」という言い方に馴染みがないかもしれないので、一応「コトバンク」にリンクを張っておく。

 

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2021年6月22日

コーヒーやお茶と、「死ぬ/死なない」の綱引き

Gigazine に "コーヒーやお茶をよく飲む人は「心臓発作や脳卒中になった後」の生存率が高いことが判明" という記事がある。大阪大学大学院医学系研究科社会医学講座の磯博康教授らの研究チームが明らかにしたのだそうだ。

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ニュースはこのように始まる。

これまでの研究により、コーヒーは心不全のリスクを下げることや、お茶には心臓病や脳卒中を予防する効果があることが分かっています。さらに、アメリカ心臓協会が刊行している学術雑誌・Strokeに掲載された日本の研究により、「緑茶やコーヒーをよく飲んでいる脳卒中や心臓発作の経験者は生存率が高い」ことが分かりました。

コーヒーが心不全のリスクを下げることについては、私も今年 3月 14日付の「コーヒーを好きなだけ飲むための言い訳が増えた」という記事で紹介している。そしてさらに、今回の研究では、仮に心臓病や脳卒中になっても、緑茶やコーヒーをよく飲む人は死なずに済む確率が高いというのである。

ただ、前回紹介した「心臓病や脳卒中の予防効果」については、私もかなり歓迎していたのだが、今回の「死なずに済む」という発表については、嬉しいような、そうでもないような、複雑な気がしている。

「人間、死ぬ時は死ぬんだから、何とか死なずに生き延びたとしても、それまでみたいにピンピンしていられるわけじゃないだろうよ」ということだ。ヨレヨレで生き延びるよりは、さっさと寿命を全うする方がマシなんじゃないかなんて思ってしまうのだよね。

というわけで判断に迷ってしまったわけだが、結局「好きなものは我慢せずに頂こう」というところに落ちついた。あれこれ考えてもしょうがないから、勝手な話ながら自分が心臓病や脳卒中にならないことを信じつつ、あとは運を天に任せてしまおう。

ちなみに、コーヒーの心臓病、脳卒中の予防効果や致死率を下げる効果は確認されているものの、砂糖を入れて飲むと、その効果は帳消しになってしまうらしいのでご注意。私はいつもブラックだからいいけどね。

 

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2021年6月21日

『般若心経』は「はんにゃしんぎょう」と読んでね

昨日午前の TBS ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」のゲストは みうらじゅん で、例の「アウトドア般若心経」の話もしていた。経文の文字のある市街の看板等の文字を写真に撮り、それを組み合わせて経文を完成させるという酔狂である。まあ、誰にも迷惑はかからないから、好きなだけやればいい。

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ただ、前々から気になっているのは、世の中には『般若心経』を「はんにゃしんょう」と、鼻濁音でなく清音で発音する人が結構いて、そこはかとない違和感が醸し出されてしまうことだ。そしてあろうことか、この みうらじゅん もその一人なのである。

この男、昨日の番組でも安住アナがきちんと「はんにゃしんょう」と言っているそばから、「はんにゃしんょう」と発音して恥じない。思い起こせばかなり昔から、彼がまともに発音するのを聞いたことがない。

『般若心経』が「はんにゃしんょう」であるのは、上の経文をクリックして拡大し、振り仮名を確認してもらえば嫌でもわかる(参照)。

さらに「般若心経」のキーワードでリンクされる、ありとあらゆる寺院での読経の動画(参照)を再生して聞いていただければ、すべて「はんにゃしんょう」と鼻濁音で発音しているのが確認できるはずだ。この程度のことは、仏教の「いろはのい」である。

『般若心経』や仏像に関する著書まであり、仏教でメシを食ってる感まである みうらじゅん が、いつまで経っても「はんにゃしんょう」なんて言っているのは、単にネタとして扱っているだけで、決して信心からではないことを物語っている。

実は、まともに読経したこともないのだろうね。きちんと習って読経しさえすれば、自然に「はんにゃしんょう」の音が身に付く。

この男の信心の足りなさは、お寺の本堂の中で帽子を取らないままテレビに映っていたことからも窺われ、これについては 11年前の 8月 21日付「お寺の本堂の中での帽子着用」という記事で触れている。こんなことだから、「いろはのい」を誰にも教えてもらえないのだろう。気の毒に。

というわけで、私は曹洞宗の坊主の孫(父方の祖父が僧侶)ということもあり、こればかりは触れておこうと思ったわけだ。触れても触れなくても別にどうということもないのだけれど、まあ、そこは一応・・・

Shikisokuzeku

 

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2021年6月20日

「ワクチン陰謀論」というのがあるらしい

私と妻は今月末にコロナ・ワクチンの 1回目の接種をすることになっているのだが、先日、美容院から戻った妻が急に「私、ワクチン接種止めとこうかな」と言い出した。

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美容師のお兄ちゃんに「政府は隠してるけど、コロナのワクチンってかなりアブナいらしいですよ」と吹き込まれたらしい。「ワクチンが遺伝子の中まで入り込んで DNA 情報を書き換えちゃうから、命に関わる悪影響が 2年半後ぐらいに出てくるらしいです」ってな話だ。

この美容師のお兄ちゃん、腕は確かなようだが、かなりのオタクなのかもしれない。

「俺は外に出ていろいろな人と会って話をするのが仕事だから、いずれにしても接種は受けるけど、あなたは自分で納得するまで調べ直してみたら?」と言っておいたところ、その日のうちに「ネットでよく調べてみたけど、やっぱり受けることにするわ」ということに落ちついた。

そんなこんなのうちに、講談社の「現代ビジネス」のサイトに昨日付で、"トンデモな「ワクチン陰謀論」に心酔する人が、ジワジワと増えている背景" という記事が掲載された。やっぱり、ネットの世界ではいろいろあるのだね。

このような不正確、あるいは誤った情報が急速に拡散して社会的悪影響をもたらすことを "infordemic" (インフォデミック)というらしい。"information" (情報)と "pandemic"(爆発的感染拡大)を組み合わせた新語のようだ。

「現代ビジネス」の記事によると、今回のインフォデミックは大雑把に類型化すると(1)陰謀論(2)デマ(3)誇張された情報(一部事実を含む)に分けられるらしい。

陰謀論の代表的なものは、「コロナワクチンには世界を支配する影の政府が人類を家畜化・奴隷化するためのマイクロチップが埋め込まれている」というようなものだ。「コロナワクチンを接種すると Bluetooth を通じて周辺機器に接続される」というトンデモ動画まで出回っているらしい。

今回、妻が吹き込まれた類いのものは「デマ」ということになるだろう。この件に関しては COV-Navi で、今回のワクチンが「ヒトの遺伝子(染色体)に変化を起こすことはありません」と説明されている(詳しくは、今年 2月 21日付の記事参照)。

誇張された情報というのは、ある事実を意図的に強調したり、他の文脈に結び付けたりするもので、ワクチン接種と死亡例との根拠のない関連付けなども横行しているという。いやはや、面倒な世の中だ。

いずれにしても、コロナ禍とは早く決別したいものである。

 

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2021年6月19日

「見えても見ていない」ので、他人を手伝えない日本人

東洋経済に "日本人はなぜ、「ベビーカー運び」を手伝えないか 日本人に多い「他人恐怖症」、その根本原因は?" という記事がある。ニューヨークで出産した岡本純子さん(コミュニケーション・ストラテジスト)が、帰国してからの気付きについて書いたものだ。

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私自身は電車で年寄りが立っていたらフツーに席を譲る(参照)し、ベビーカーの扱いで難儀している人を見たりしたら気軽に声をかけて手伝うのだが、こういうのって、確かに「日本人には珍しいタイプ」のようなのである。彼女は次のように書いている。

アメリカ・ニューヨークで子どもを産んだ私は、エレベーターのない地下鉄の駅で、何度となく見知らぬ人にベビーカーの上げ下げを手伝ってもらいました。「May I help you? (手伝いましょうか?)」と通りがかりの人がごく自然に声をかけてくれ、本当にありがたかったのを覚えています。(中略)

帰国してショックだったのは、そういう姿をあまり見かけないことでした。重い荷物をもった人や高齢者など街中で「困っていそうな人」がいても、声をかける人が少ない……。

これに関して、ネット上でのさまざまな意見が紹介されているのだが、煎じ詰めると、「日本人の極端なリスク回避志向」によるものと見ているようだ。これは「事故などあったら、責任問題になり、損害賠償など要求される。リスクが怖い」という意見に代表される。

ただ、私の率直な考えを述べるとすると、そんなもっともらしいことより、日本人は「他人がヘルプを求めている状況に気付く感覚が鈍い」というだけのことだと思う。

上の写真には難儀している母親を冷たい表情で振り返る若い女性が映っているが、これってある意味「演出過剰」で、実際にはこんなことわざとらしい場面はほとんどない。大抵の人はただ何事もないようにフツーに通り過ぎるだけだ。

日本人って、身内には鬱陶しいぐらいお節介なのに、他人の状況にはほとんど無頓着なのである。「見えても見ていない」のだ。岡本さんの記事には「手伝わない理由」がいろいろ紹介されているが、実はほとんど「見えても見ていない」ことの「後付けの言い訳」をもっともらしく述べているだけにすぎない。

「見えても見ていない」ということになるのは、幼い頃からそうした訓練がされていないからだと思う。言葉を換えて言えば、「他人をきちんと意識する仕方」がわかっていないのだ。

岡本さんはベビーカーの上げ下げの手伝いという観点から論じておられるが、私はクルマの運転中にそれをとても感じる。例えば下の図をご覧いただきたい。(クリックすると別画面で拡大表示される)

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主要道路から脇道に右折するために停車し、右側ウィンカーを点滅させながら反対車線のクルマの列の途切れるを待っているクルマがあるとする。反対車線は切れ間なくクルマが通り過ぎて、全然道を譲らない。しかし彼らの行く手には信号があり、赤信号で渋滞中という、「ありがち」の状況だ。

右折しようとしているクルマは、後ろのクルマを「せき止めている」ことになる。せき止められたドライバーはイライラしながら先頭のクルマの右折を待つ。

こんな場合、反対車線を走るクルマはちょっとスピードを緩めるか停車するかして、右折車に道を譲ってから先に行っても、結果はあまり変わらないのだが、多くはまったく道を譲ろうとしない。対向車線を走るドラーバーたちは、ウィンカーを出して停まっているクルマが「見えても見ていない」のである。

私はこうした場合、いつもスピードを緩めて道を譲ることにしている。そうすることで道路の流れ全体がスムーズになるのだから、こちらとしても気持ちがいい。

私はこれまで私企業よりも団体に勤務する経験が長かったので、「部分最適」より「全体最適」を求める視点が鍛えられたのかもしれない。「世の中というのは、ちょっとだけ他を手伝って上げたり、譲るべきところで譲ったりする方が、結局のところ自分の方も都合良く運ぶもの」と知ったのだ。

そして「全体最適」を求めるには「他の存在をきちんと意識する」ことが必要なのだが、日本人は「ムラ社会」以来、「他の存在」をきちんと意識するということが苦手のようなのだ。

学校時代も、全員制服で同じ格好をしているのが当たり前で「多様性」ということの実感が不足してるから、「異質の存在」との付き合い方に慣れてないのだね。ましてやいつまで経っても「外国人は黒船」だし。

それにしても、"May I help you?" って、便利な言葉だよね。

 

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2021年6月18日

菅首相との「立ち話」なんて、元々が期待し過ぎ

朝日新聞が「文氏周辺、日本批判噴出 会談不発で五輪訪日も難航か」と伝えている。韓国大統領の側近や政権幹部から「対話を拒否した」との批判が噴き出しているのだそうだ。

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記事は以下のように伝えている。

菅氏と文氏は今回の G7 で初めて対面したが、首脳会議やバーベキューの会場で短時間のあいさつに終わった。韓国外交当局者は韓国メディアに対し、「立ち話が予定されていたが、日本側が急にキャンセルした」と説明した。日本側は、韓国側の言い分が事実に反するとし、会談が実現しなかったのは「スケジュールの都合」としている。

要するに韓国側としては菅首相との「立ち話」に期待していたようなのだが、まともに考えたら「そりゃ、無理だ!」と言うほかない。国会答弁や記者会見で、原稿があってさえまともに読めなくて寝言みたいな繰り返ししかできない(参照)人が、「立ち話」で外交的な話なんかできるわけないじゃないか。

そんなことさせたら、社交辞令に終始したつもりが、後になって解釈問題で「菅首相はこのように繰り返し約束した」「いや、そんな憶えはないんだけど・・・」みたいに話がややこしくなるのが目に見えている。それを見越して、日本側が避けたのだとしか思われない。

韓国側は「菅首相が対話を拒否した」と受け取っているようだが、日本側のココロとしては「拒否」というより「ムリです」ってことだ。あの人に限って、外国であちこちから声がかかって時間の空きが取れなかったなんて考えられないから、「スケジュールの都合」というのは下手な言い訳に過ぎないだろう。

というわけで、第三国で菅首相と「内容的に意味のある立ち話」をしようなんてことは、韓国側としては元々期待し過ぎだったというほかない。菅首相のキャラと言語能力に関する調査が、全然足りていなかったということだ。

ちなみに、文氏がオリンピックで来日しなくても、一向に構わないのでそのあたり

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2021年6月17日

ネコがベッドの足許に飛び乗って「ふみふみ」する時

Gigazine に "なぜネコは「足でふみふみしてくる」のか?" という記事がある。ウチでも昔は 犬 1匹、猫 2匹飼っていたから、ネコの「足でふみふみ」はお馴染みの行為だった。これ、猫を飼っている人なら大抵「ねえねえ、かまってかまって」のサインであることぐらい知っている。

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ウチでは昔、年長の白猫と、年少の黒猫を飼っていた。気位がやたら高くいつもツンと済ましている白猫に対して、甘えん坊ですぐにすり寄ってくる黒猫と、性格は対照的だったが、どちらも早朝に甘えたいときには、こちらの寝ているベッドの足許に飛び乗って、「足でふみふみ」してくるのは同じだった。

ただ、白猫はほんのたまにだが、黒猫の方はしょっちゅうという違いはあった。いずれにしても「足でふみふみ」された時には、「おいで」と一声かけて布団にちょっと隙間を作ると、喜んで潜り込んでくるのだった。

いや、黒猫の方は大喜びで飛び込んできたが、白猫の方は、「まあ、しょうがない、付き合って上げるわ」ってな風を装いつつ、もったいぶって潜り込んでくるという点でも違いは見せていたかな。

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Gigazine の記事を読んで、こんな昔の記憶をなつかしく蘇らせてしまった。自分の和歌ログを辿ると、白猫が最後に登場したのは 2010年 10月 31日付で、それから間もなく死んでしまった。そして黒猫の方もその翌年の 4月 26日に息を引き取り、家の中が一気に静かになった。

おもしろいのは、日本語の記事では「足をふみふみ」と表現される行為が、Coversation というサイトの元記事では ”Why do cats knead with their paws?” (なぜネコは前足で "knead" するのか?)というタイトルになっていることだ。”Knead” というのは「こねる」という意味である。

これ、子猫のときに母親の腹部をこねて「ミルク飲みたい」と伝えていた頃からの名残が、成長してからもずっと続いているものらしい。やっぱり「甘え」のサインに間違いないのだね。

ただ ”knead” というのはちょっと学術用語っぽくて、フツーには ”making buiscut"(ビスケット作り)なんて言うらしい。なるほどね。これってほとんど前足でやるから、日本語でも「ふみふみ」と言うより「こねこね」の方がいいかもしれない

 

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2021年6月16日

菅首相、G7 では ”借りてきたネコ" 状態だったようで

13日の夕方、カーラジオを聞いていて、G7 で「途上国へのワクチン供与を菅首相が主導して決定した」というニュースに、脊髄反射的に「ウソだろ!」と呟いてしまった。もし本当だとしたら、裏でよほど念入りなお膳立てをしてもらってたんだろう。

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コロナ関連のワクチン接種が G7 の中で一番遅れている日本が、途上国への供与を「主導」するなんてストーリーは、あまりにも不自然すぎる。仮に本当だったとしても、そのお膳立ては「厚顔無恥」に近いレベルと言える。

LITERA はこのニュースについて、NHK が菅首相をヨイショしたフェイク・ニュースだったと決めつけている(参照)。各国首脳の環の中に入れず、ポツンと取り残されるばかりだった菅首相を "借りてきたネコ” 状態とし、ワクチン供与は、実際には「米英が既に決めていたこと」と伝えているのだ。

行く前から十分に予想されてはいたが、G7 での菅首相は、各国首脳との間に十分な「ディスタンス」を取って行動していたようだ。(参照:G7首脳の中でぽつん 菅首相の「ディスタンス」に批判と同情 = 毎日新聞)。まあ、母国語も不自由(参照)なのだから、英語で会話に参加できるわけないよね。

そうした状況で LITERA は、13日の NHK ニュース 7 で、英国で同行取材していた長内一郎記者が、以下のようにコメントしたと伝えている。

「主要なテーマとなった新型コロナ対策では、セッションの冒頭、菅総理大臣が『ワクチン普及は多国間主義を基本とし、途上国に公平かつ迅速に届ける必要がある』と訴え、議論を主導したかたちとなりました」

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LITERA というニュースサイトはいろいろ毀誉褒貶があるので鵜呑みにせず、一応確認するためにわざわざ「NHK+」に加入し、13日に放送されたニュース 7 を再生してみたところ、これは長内記者の言葉として一言一句間違いない。画面のテロップに「菅首相 議論を主導」とあるのも、上の画像の通りである。

LITERA はこの件について、次のように伝えている。

実際、低所得国への10億回分ワクチン提供は、10日の段階ですでに議長国であるイギリスのジョンソン首相が G7 で合意する見通しであることを打ち出しており、さらにワクチン外交によって途上国への影響力拡大を図る中国を意識するアメリカのバイデン大統領も G7 に先立って 5億回分の提供を表明していた。すでに議論はイギリスとアメリカが主導していたのだ。

これについても、何しろ LITERA の引用なので慎重を期すためにウラを取ってみた。結果、以下の通りである。

"イギリスのジョンソン首相が G7 で合意する見通しであることを打ち出しており・・・"

→ 参照:"G7、ワクチン10億回提供英首相 ボリス・ジョンソン氏寄稿"
 (6月 11日付 日本経済新聞)

"・・・バイデン大統領も G7 に先立って 5億回分の提供を表明していた"

→ 参照: "米、ワクチン5億回供与正式表明 バイデン氏「世界最大」"
(6月 11日付 東京新聞)

というわけでウラも取れたので、長内記者のコメントは NHK の「ヨイショ」だったと信じじるに十分と判断したわけである。「裏のお膳立て」どころか、英米の意向で既に「ほとんど決定項」だった案件に、知ってか知らずか、ひょいと乗っかっちゃっただけだったのだね。

 

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2021年6月15日

授業をサボり、庄内砂丘に寝転がる

これについては既に書いているような気がしていたのだが、ちょっと断片的に触れたことはあっても、まともに書いたことはないとわかったので、今さらながら、半世紀前の思い出話を書かせていただく。きっかけは 3日前の記事で、「よく授業を抜け出してサボっていた」と触れたことだ。

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私は高校時代、よく授業をサボって学校を抜け出していた。授業の出席率は、教科ごとに最低 75%に達していないと単位を取得できないという規定があると知ったので、私はそれを逆手にとって「じゃあ、4回に 1回はサボってもいいんだ」と解釈していた。

実際には 5回に 1回ぐらい、単純計算で 1日に 1時間以上はサボっていたことになる。というか、出席の取り方の甘い教師の授業では、もっとサボっていたかもしれない。

その頃に全校生徒を集めた朝礼で生活指導の教師が、「最近職員会議では授業の出席率が著しく低下して、97〜98%ぐらいになっているのが問題になっている」と強調した。「97〜98%と言えば問題ないように聞こえるかもしれないが、以前はずっと 99%以上だったのだから、大問題だ」というのである。

出席率を下げた最大の要因は私のサボりだったようなのだが、それでも 3日前に書いたような事情で、教師に直接咎められることはなかった。卒業してから聞いたところによると、「あいつは自由に生きていくタイプで、ひどい悪さをするわけでもないから、放っておくしかない」と思われていたらしい。

私の高校は当時、自転車で登校できるのは自宅との距離が 1.5km 以上あることという規定があったが、私の家は 1km ちょっとだから、自転車登校の許可証が貼れない。そこで私はいつも学校の裏手のちょっとした木陰に自転車を停め、サボった時の足に使っていた。

天気のいい日に学校を抜け出し、自転車に乗って行く先は、庄内砂丘である。酒田の市街地は最上川の北側に集中しており、その海岸は酒田港だから、砂丘らしい雰囲気のところまで行くには、南岸に渡るのが手っ取り早い。そうでないと市街地を抜けて 10km ほど北に行かなければならない。

私が高校を卒業した翌年に、最上川河口近くに出羽大橋という大きな橋が完成したが、その前は乗船無料の渡し船(写真参照:多分、市営だったと思う)に乗るのが近道だった。この渡し船に自転車ごと乗り込み、対岸の宮野浦に渡る。

乗客は私一人ということもあり、学校は授業中の時間帯なのだが、船頭さんは毎回何も言わずに渡してくれた。思えば大らかな時代だった。

対岸で再び自転車を漕ぎ、砂丘に出る。庄内砂丘は全長 40km にわたる広大な砂丘だが、鳥取砂丘のように砂漠的な様相ではなく、江戸時代に植えられたクロマツの防風林が延々と続いていて、海岸に沿った部分だけが砂浜となる。

砂浜になってしまうと自転車では進めないので、防風林の中に自転車を停め、歩いて誰もいない浜に出る。急に開ける目の前は日本海だ。砂丘で仰向けに寝転ぶと、目を閉じても日の光が眩しい。浜に打ち寄せる波の音が足許の方から絶えず響き、空からはトンビのピーヒョロヒョロと鳴く声が聞こえる。

学校はつまらないが、世界は広く開けている。その開けた世界こそが自分の生きていく場所に違いないと思いながら、しばらく瞑想のように横たわる。

サボるのは授業の 1時間か 2時間の間だけなので、砂浜に寝転がっていられたのは長くても正味 30〜40分ぐらいのものなのだが、しょっちゅう行っていたので、全部合わせれば何十時間もいたことになり、その度ごとに永遠の至福のように感じられた。

この庄内砂丘で寝転がっていた体験は、今でも大切な心の財産になっている。ありがとう、庄内砂丘。

 

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