2022年5月26日

「小股」に関して、再び、三度

Japaan に 【いい女の代名詞 「小股の切れ上がった女」の "小股" って何? 江戸時代の庶民文化から探る】という興味深いページがある。ただ悪いけどこの問題、ウチのサイトでは 19年近く前に取り上げ済みなんだよね。

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それは私が「本宅サイト」としている「知のヴァーリトゥード」内「知の関節技」コーナーの 21番目の記事、"「小股ってどこか」よりも大切なこと 「よくわからない」まま置いておく美意識" という記事だ。日付は「H15.07.29」(西暦だと 2003年)だから、この日に生まれた子は、既に成人してることになる。

しばらくの間は、2006年 9月 8日の記事で触れているように、「小股」という漢字 2文字でググると、私のこの記事が圧倒的トップに表示され続けていた。最近は後になって書かれた便乗ページみたいなのが上位に入っているが、あくまでもこの話題の元祖は私なので、そのあたりよろしく。

ただ、上述の「元祖ページ」はちょっと長いので、こちらのブログでそのダイジェスト版みたいなものを、2005年 10月 30日付で書いている。”「小股」は「足指の股」だけじゃない” という記事だ。フツーはこっちの方が手っ取り早く読めると思う。

この記事を書いたきっかけは、この頃に放映された「世界一受けたい授業」という番組で、「小股とは、足の親指と人差し指の間」と言っていたらしいとわかったからである。しかし実際にはそうした意味もあるにはあるが、私はそれは「和装・足袋業界の専門用語に過ぎない」としている。

そりゃ当然で、「足の親指と人差し指云々」なんてことは、この言葉を「いい女」を表す文脈で使うケースとはまともにつながらない。それに第一、そんなところが妙に切れ上がったりなんかしたら、まともに歩けないよね。

冒頭に紹介した Japaaan の記事は「足の親指と人差し指の付け根」説を含め、いろいろな説を並記しているだけだが、私としては次のようなことだろうと結論づけている。

私は自分のページで、「小股の切れ上がったいい女」という場合の「小股」に関しては、「小耳にはさむ」とかいう場合と同様に、「体言挟みの係り」説を原則的に支持している。要するに、「股がちょっと切れ上がった」という意味だと解釈しているのである。

「小腹が空いた」という場合、決して体のどこかに「小腹」という部位があるわけではなく、「ちょっと腹が空いた」という意味であるのと同様だ。

「体言挟みの係り」については、こちらを参照されたい。さらにその上で、私はブログ記事の最後を次のように締めくくっているので、よろしく。

しかし、それでも、「小股」 ってどこかというのを曖昧にして、ああでもないこうでもないと詮索するのも、なかなか広がりがあってオツなものだと、私は主張している。「足指の股」という業界用語のみにもっともらしく固執するのは、無粋の極みである。

 

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2022年5月25日

ギシギシ、カモガヤの刈り取りで、花粉症が軽減

世間では「カモガヤ花粉症」の季節と言われている。ところが私の場合、それもないではないようだが、実際には「ギシギシ」(下の写真)という植物の方により強く反応しているようで、くしゃみ、鼻詰まり、目の痒みが辛い。

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これ以外にはとくに持病はないのでありがたいのだが、2月下旬からのスギ花粉に続き、ヒノキ、カモガヤ、ギシギシと、1年のうち半分近くは花粉症に悩まされてしまうのだから、ちょっとだけ因果な体質である。

今年はギシギシの育たないうちに刈ってしまおうと思っていたのだが、先月末頃に市が大々的に土手の草刈りをしてくれたので、安心していたのがいけなかった。この季節、雑草はあっという間に育つので、気付いた時にはギシギシがかなり大きくなっているじゃないか。

というわけで、今日は天気も良さそうなので、早起きして暑くならないうちにギシギシ刈りを決行した。やたら大きく育ってしまったギシギシの下にカモガヤも結構生えていたので、それも一緒に刈り取り、1時間足らずで近くのアレルギー源は一掃できたと思う。

おかげで今朝はくしゃみも鼻詰まりもなく、快適に過ごしているが、安心はできない。このギシギシという草の生命力はかなりのもので、刈り取ってもいつの間にかまた大きく育つ。1ヶ月後の 6月末にはまた刈り取らなければならず、もしかしたら 8月頃にもやらなければならないかもしれない。

真夏の雑草刈りは汗だくになるが、運動になるからまあいいか。

 

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2022年5月24日

大阪の「モータープール」という看板

NHK 大阪放送局の作る ”Nan で nan?" (なんでなん?)というサイトに、「大阪はモータープール なんでなん? 東京では消えた?」というページがある。そういえば「モータープール」という表示、近頃は大阪に行った時ぐらいしか見かけないよね。

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その昔は、東京にも「モータープール」という看板を見かけることがあったように思うが、最近はほとんど消えてしまった。NHK の記事によると、この言葉は終戦直後に米国の進駐軍が軍用車、乗用車の置き場という意味で使い始めたのが広まったのだそうだ。

当然ながら東京にもモータープールは多くあったのだが、一等地が多かったので、すぐに商用施設などに転用されて姿を消したのだという。ところが大阪ではそのまま残ったというのが真相のようだ。地図会社のゼンリンが「モータープール」と名の付く物件をプロットすると、こんな具合になるという。

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青い点で示されているのが「モータープール」物件のようだが、確かに大阪府の形に近くびっしりと集中し、あとは神戸と奈良辺りにちょぼちょぼある程度だ。なるほど、「大阪でしか見ないよね」という印象になってしまうのも無理はない。

ちなみに、モータープールは民間、それも個人の経営であることが多いという。これが最近では、大手の駐車場経営会社の「無人コインパーキング」に変わる傾向があるらしく、それにつれて表示も「パーキング」に変わることが多くなっているとある。

そうなると、「ああ、大阪に来たなあ」と思わせる風物詩的な看板も、今後は徐々に減っていくのだろうか。そうだとすると、ちょっと淋しい気もしてしまう。

いっそ「コイン・モータープール」にすればいのにとも思うが、それだと字数が多くて面倒なのだろうね。

 

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2022年5月23日

高知城歴史博物館でもらった「土佐国絵図」の絵葉書

下の写真は、先日高知に出張した折に立ち寄った高知城歴史博物館でもらった絵葉書。「土佐国絵図」というタイトルで、江戸時代に作成された、いわば「絵地図」のようなものだ。博物館のサイトの中にもある(参照)が、私の訪れた日はこれの展示室が改装中だったようで、本物は見られなかった。

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何となくファンタスティックなもののように見えるが、画像のクリックで拡大してみると、かなり精密なものであることがわかる。ど真ん中に黄色に黒で縁取りされた「土佐国」という表示があり、その周囲の山々の間に、地名を表示した楕円形表示がたくさん散りばめられている。

この地名表示、絵葉書の画像が小さ過ぎて文字を読みにくいが、「土佐国」の右下の四角表示「高知」は、お城のある中心地だけにしっかりと読める。その他の地名も、土佐の人なら想像力を駆使すればかなり読めるだろうと思う。

さらによく見ると、東側の室戸岬と西側の足摺岬が、全体からの比率的にはかなり大きめに書かれていると気付く。室戸岬なんかは岬の先端に注ぐ川の河口が、入り江のようにさえ見える。この辺りは、こうして誇張されて描かれるほどの要所だったのだろう。

もっと面白いのは、この地図の上の方の文字は、上下が逆になって書かれていることだ。左右の端にある「西」「東」という文字も、それぞれ左側と右側から読むように、横向きで書かれている。

上の方の文字はどれも草書体で小さくしか見えないので判読しにくいのが残念だが、いずれにしても、この地図は元々はかなり大きなものなので、実際に広げて上の方の文字を読み取る時には、反対側に回り込んでいたのかもしれない。ものすごくフレクシブルなのだね。

高知城歴史博物館のサイトには「自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~」というページもあり、動画などのコンテンツもあって、いながらにしてかなり楽しめる。

 

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2022年5月22日

ドーミーインとスーパーホテル

PRESIDENT Online に ”大浴場のシャワーが勝手に止まらない・・・出張族がビジネスホテル「ドーミーイン」を偏愛する理由” という記事がある。実は私も、先日の高知出張の折に「天然温泉 紺碧の湯 ドーミーイン高知」というクドい名前のところに泊まったばかりなので、つい反応してしまった。

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私は 2017年 11月 4日付の「ビジネスホテル品定め 2」という記事でも書いているように、全国チェーン展開のビジネスホテルの中では、このドーミーインスーパーホテルをお気に入りのベスト 2 としている。というわけで、今回の高知のドーミーインも、しっかりと満足した。

ただ、冒頭に紹介した PRESIDENT Online の記事は、クリックして行ってみればわかるように、デザインがドーミーインを展開する共立リゾートのページ(ドーミーイン高知もその 1つなのだが)にそっくりなのが気になる。写真も共立関連会社からしっかりと提供されているようだし。

つまりプレジデントのこの記事って、「ワニブックス PLUS 新書」の非公認ガイドブック『Have a nice ドーミーイン 「一泊すると住みたくなる」最高のビジネスホテル』" という本の紹介みたいな体裁だが、実は共立リゾート協賛の、俗に言う「広告記事」なんだろうと思ってしまうのだよね。

ワニブックスの本も「非公認」とは言いながら、おそらく共立リゾートの肝いりで、つまり半分は「自画自賛」なのだろう。だからと言ってこの記事が「金の力で書かせた嘘八百」ってわけでは決してなく、確かに素晴らしいビジネスホテルではあるのだが、「半分は広告」という点は意識しておく方がいい。

で、私の「ビジネスホテル品定め」に戻るのだが、お気に入りのドーミーインとスーパーホテルを比較すると、ドーミーインの方の値段がやや高い。その分、満足度の高いのも当然だが、スーパーホテルはコストパフォーマンスがいいと言うこともできる。

例えば、スーパーホテルでは一つの大浴場が時間帯によって男女入替制になっていたりするところもあるが、ドーミーインはどこもちゃんと男性用と女性用の 2つの浴場に分けられている。つまり、時間を気にせず入れるというわけだ。ただ店舗数で言えば、スーパーホテルの方が断然多いので、予約はしやすい。

というわけで、私としてはできるだけこの 2つのビジネスホテルのどちらかを選びたいと思っているのだが、出張先によってはこのどちらも無かったりすることも多い。まあ、ベッドがあってインターネット接続できさえすればいいわけなのだが、やはり大浴場とビュッフェスタイルの朝食は、かなりありがたい。

そんなわけで来月に出かける福島県では東横インになったりするのだが、はっきり言って満足度はガクンと落ちるのだよね。このホテル、日本中どこにでもあるけど、大浴場がなくて、朝食は基本的にパン(または、おにぎり)と飲み物だけ。それでいて宿泊費はそこそこ取られるんだもの。

 

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2022年5月21日

「三角関数」と「金融経済」は比較対象たり得ないよね

藤巻健太という日本維新の会所属の衆院議員の「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」という tweet がずいぶん話題になっている。この人、それで結局一体何を言いたいんだかわからないので、私としては今日まで放っておいたのだが、一応ここらでちょっとだけクサしておくことにする。

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まず最も基本的なことを言えば、「三角関数」という「数学の中の一命題」と、「金融経済」という「一定の範囲をもつ学問分野」とは、直接的な比較対象たり得ないってことだ。つまり、どっちがより重要かという議論の対象にはならないのである。

彼の発言に対する批判の声の中に「三角関数は金融経済においても使われることがある」という指摘が見受けられるのは、つまりそういうことだよね。

そもそも単純比較してはいけない事項を一緒くたにして、「金融経済の方が重要」みたいに論じていること自体がこの人の頭の悪さを物語っているし、さらに下記のような下手な言い訳みたいな tweet まで付け足して、火に油を注いじゃってる。

三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。
1人が木の高さを測ればいい。
残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。
99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。

100人のうちの 1人が木の高さを測って、その結果が残りの 99人に明確に伝わるなんてことは、まずない。半分ぐらいに伝わるのがせいぜいで、残りは蚊帳の外だ。だったら、忘れた頃に別件で木の高さを知る必要が生じた時のためにも、残り半数の中に三角関数をわかってるやつが少なくとも数人いる方がいい。

さらに彼は、「残りの 99人」にとっては「安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくか」の方が重要だとしている。しかし実際には、そんなことをまともに考えられるのは、99人中 10人にも満たないだろう。

「金融経済」とやらを学校教育で学んだとしても、この 10人が 30人に増えるとは思われないし、「どうやって木を紙に変えるのか」に至っては、金融経済の範疇じゃない。

「三角関数なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」と言うのと同様に、あるいはそれ以上に、「金融経済なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」となるのが関の山だ。

結論。三角関数と金融経済の、どっちの方により学ぶ価値があるかなんてことは、命題として成立しない。要するに、学びたいヤツがしっかり学べばいいのだ。

私はワセダで「芸術学」なんてものを専攻したのだが、「すべからく芸術なんて役に立たないモノよりも金融経済を学ぶべし」なんてことを言うヤツが目の前に現れたら、心の底から軽蔑させていただくので

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2022年5月20日

世の中に流れるいろいろな時間

今月 16日に高知から帰って来た日は肌寒さに驚いたが、翌々日から急に夏っぽくなって、今日は Tシャツ 1枚でも汗をかいていた。もうそろそろ、「春先のような寒さ」のぶり返すこともないだろう。

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暖かくなって、というか、暑くなって、いろいろと忙しくなった。これまではコロナ禍であちこちに出張することができなかったが、急にまた旅が増えてきている。

今月は高知に行ったが、来月もまた四国に飛ぶことになり、道後温泉に入れそうなので楽しみだ。さらにまた、東北にも行かなければならない雲行きである。そんなこんなで、今日はいろいろな話で忙しくなり、このブログの更新も遅くなってしまった。

出先から帰ってくる途中、近くの岡堰という所を通ると、1匹の猫が呑気に日向ぼっこしていた。絵になる光景なのでクルマを停め、近付いて写真に撮ろうとしたところ、猫は「やれやれ、厄介なヤツが近付いてきたなあ」というような雰囲気で億劫そうに起き上がり、場所を移動するのだった。

邪魔してごめんね。

世の中、いろいろな時間が流れていて一様じゃないと感じられた一瞬だった。何しろ「つい 4日前」も、「ついさっき」と「つい 154年前」が同期されてしまったほどだからね。

 

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2022年5月19日

屋外では、積極的にマスクを外そう!

NHK が 「”屋外で会話少なければマスク必要なし” 専門家会合メンバー」というニュースを伝えている。夏に向かってどんどん暑苦しくなるから、この見解発表は嬉しい。

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これは熱中症のリスクが高まる夏を前に、改めて屋外でのマスク着用についての考え方をまとめたもの。端的にはニュースの冒頭で、次のように報じられている。

厚生労働省の専門家会合のメンバーらがまとめた考え方によりますと、マスクの着用は、屋外で人との距離が十分に取れない場合でも徒歩で移動する際などに周りで会話が少ないか、ほとんどなければ「必ずしも必要ない」としています。

さらに松野官房長官は記者経験で、「特に気温・湿度が高いときは、熱中症のリスクが高くなることから、屋外での人との距離が少なくとも 2メートル以上確保できている場合にはマスクを外すことを推奨している」としている。

ここまで来てしまったら、コロナよりも熱中症のリスクの方が現実的ということなんだろう。ただ、私は先月 30日に「真夏が来る前に、マスクから解放されたいのだが」という記事で、次のように書いている。

何しろこの国の人はマスク好きが多い上に、何事においても変に「空気を読みたがる」から、たとえ公式に「マスク解除」になっても、実際にマスクなしで人の中に入ったら当分の間は白い目で見られかねないし。

というわけで、「屋外ではマスクを外しても OK」というムードをよほど積極的にアピールしないと、いつまでも「白い目」が続きかねない。そんなようなことにならないためにも、私としては、屋外では積極的にマスクを外して歩いてしまおうと考えている。

「屋外ではマスクをしないのが当たり前」という空気の方を、支配的なものとしてしまわなければならないからね。

ただし、屋内や電車などの中ではこの限りにあらずで、引き続きマスク着用が求められ、私としても敢えてそれに逆らおうとは思わない。冷房が効いていればそれほど苦痛ではないだろうが、やはり鬱陶しさは否定できず、思いやられる。

早くコロナ禍が収まって、マスクから解放される日が来るのを待つばかりだ。

 

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2022年5月18日

「ごめんあそばせ」という言い回しの由来

Japaaan のサイトに 【「ごめんあそばせ」の ”あそばせ” ってなに? ルーツは歴史の意外なところにあった】という記事がある。

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記事では、「ごめん」は「許す」というような意味で、「あそばせ」は「あそばす」(「する」の尊敬語)の使役系。合わせ技で「お許しください」という意味の丁寧な言い方としている。そしてその由来には諸説あるとし、その代表的な 2つを紹介している。

まず 1つめは、室町時代に宮中で使えていた女性たちが使っていた「女房詞(にょうぼうことば)」に発するというもの。これは「そうなんだろうな」と思わせるに十分な説だ。

そして 2つめは、西南戦争のときに他の県から熊本に集まった士族たちが別れの際に「御免阿蘇馳せ参じ奉る(意味:悪いが、阿蘇へ急いでいくんだ)」とあいさつしたというものだ。悪いが、これ、単なるダジャレとしか思われない。

というのは、この言い回しには、「ごめんあそばせ」以外にも「お食べあそばせ」「ご覧あそばせ」などいくつものパターンがあるので、これだけでは説明しきれないからだ。こうした「ダジャレ説」を一件マジに語ってテキトーに済ませてしまうというのは、いかがなものかと思うがなあ。

ちょっと前までは、山の手の上品な奥様たちのよく使う言葉と思われていたが、最近は全然使われない。こうした言葉にも流行り廃りというのがあるようだ。

 

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2022年5月17日

ピアノの黒鍵から、オクターブ、コードを考える

先日、友人のカメラマンと食事しながら話していると、彼が「ピアノの鍵盤は、視覚的にどうしても納得がいかない」と言い出した。黒鍵が 2つ並びと 3つ並びの繰り返しで、写真的にどうしてもバランスが取れない」と言うのである。うむ、視覚派らしい主張だ。

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「だって、『ミ』と『ファ』の間に黒鍵入れても、その音は『ファ』と同じだから、無駄になっちゃうからね」と言うと、彼は驚いたように「えっ、そうなの?」と言う。

「そうだよ。『ド』の半音上は『ドのシャープ』だけど、『ミ』の半音上は『ファ』なんだよ。『シ』の半音上も『ド』になっちゃう。だから、『ミ』と『ファ』、『シ』と『ド』の間には黒鍵入れてもしょうがないんだよね」

「えっ、そんな変な区切り方しないで、均等に上がったり下がったりすれば、黒鍵なんていらなかったのに!」

なるほど、それはもっともな疑問である。しかし実際には、そんな区切り方をするわけにいかない。

「そんなことしたら、ピアノの横幅が広くなりすぎて大変だよ。それに人間の自然な音感にそぐわなくて、コードも自然に聞こえないかも」

「コードって何?」

「和音のこと。『ドミソ』とか『ファラド』とか『ソシレファ』とかをいっぺんで鳴らすといい感じの響きになるでしょ。1オクターブを均等割にしちゃったら、不自然に響くんじゃないかなあ。実際には聞いたことないけど」

彼はこの説明に半分納得し、半分納得できないという風情だったが、これ、確かに不思議な話である。どうして人間の耳って、いわゆる和音が心地良く聞こえるようになってるんだろう。

それを考えるには、「オクターブ」を理解しなければならない。オクターブというのは、例えば「下のド」から「上のド」までのことで、「ドレミファソラシド」の 8音あるから「オクターブ」という。(8本足のタコが「オクトパス」なのと同じ語源で、暦の ”October” も同様:参照

音楽の基本の音は、どういうわけか「ラ」ということになっていて、音名では ”A” (日本語では、イロハの「イ」)という。いわゆる「ド」は、そこから数えて 3番目だから "C" で、日本語では「ハ」だから、これを主音とすると ”C major(ハ長調)" とか "C minor (ハ短調)" なんてことになる。

そして、ピアノの真ん中辺りの ”A” の音の周波数は 440Hz で、それより 1オクターブ下は 220Hz、1オクターブ上は 880Hz ということになっている。これ、ギターのチューニングでも基本の音になっているほど大切なもののようなのだ。

1オクターブ上がるごとに周波数が倍になって、どんなに長く延ばしてもズレないから、人間の耳には「オクターブ違いの同じ音」に聞こえるのだろう。そしてその間をうまい具合に区切ったので、「ドミソ」とか「ファラド」もいい具合に響くのだという単純な理解で、そんなには外れていないと思う。

ただ、現在の音階に辿り着くまではいろいろ微妙な変化があったようで、「平均律」とかいう妙に数学的すぎる区切り方を経て今の心地良い音階になったようだ。

音楽というのも、なかなか大変なことのようなのである。

 

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