2024年5月29日

自治会の回覧板電子化という問題 その1

この春から順番が廻ってきて、地域自治会の役員として名を連ねることになった。任期は来年の春までの 1年間で、やることと言えば突発的な災害とか事件とかでもない限り、市からのお知らせの回覧板管理とか町内会費の徴収、土手の草刈り作業の外部への委託などである。

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以前は町内懇親会なんてイベントがあって、休日に大きな鍋で作ったご馳走などを振る舞いながら楽しむこともあったが、当時の中心メンバーだった人たちは既に 80歳を超えて体力が続かなくなり、さらにコロナ禍などもあったために完全に途絶えてしまった。その分だけ運営は楽になっているわけだが。

そんなわけで日常の運営をもっと効率的かつ楽にするために、回覧板の電子化をしてはどうかという案が出てきて、それが受け入れ可能かどうかを調査するために、このほどアンケート調査を行った。内容は、電子回覧板が必要かどうか、もし実施されたら閲覧することができるかといったことである。

現在その結果が集約されつつあるのだが、回覧板の電子化については賛成意見が 3割足らずで、否定的な意見が圧倒的のようだ。スマホで閲覧可能という回答は 7割程度あるにはあるのだが、やはり紙の形での回覧の方を望む声の方が強いようなのである。

本来ならば電子化した方が時間差がなく受け取れるし、前々からの回覧を遡って閲覧することも可能で、忘れた頃の問い合わせなんてこともなくなるからずっと便利なはずなのだが、そうしたことは全く理解されていない。

今年 3月 31日付の記事で書いたように、何しろ現在の 80歳前後というのは「パソコンなんか押しつけられる前に会社を停年になって助かった」なんて思っている層だ。「電子回覧板なんて送られても、俺はガラケーだから見ることができない」なんて反応も少なくない。

バアさんはスマホを持っているが、それは孫たちとの LINE のやり取りを楽しむためのもので、町内会の回覧板の受信なんて「私はそんなのイヤですよ」と拒否されている。よほど面倒なものと思われているようなのだ。

子どもの層が同居していれば何てこともないのだろうが、40代の現役世代はほとんど家を出て独立している。一方でジイさんは「情報は新聞とテレビから入ってくるから、それで十分。インターネットはウィルスがコワい」なんて頑固に言い張っているのだから、どうしようもない。

最近つくづく思うのだが、本当に「登場人物が入れ替わる」ことがなければ日本は変わらない(参照)。

 

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2024年5月28日

酒飲んで顔が赤くなる人は、コロナにかかりにくい?

最近ほとんど酒を飲まなくて済むカラダ(というよりココロかな?)になってしまって(参照)、3日前に出席した高校の同窓会で飲んだのが、驚くべきことに今年初めての酒だった。すぐに酔っ払ってしまうかと心配したが、それほどでもなくフツーに飲んでいられたので安心した。

ところで、サガテレビが "酒で顔が赤くなる人は「コロナかかりにくい説」 佐賀大学研究結果を報告" というニュース(上の動画)を伝えている。

佐賀大学の研究チームが去年行ったコロナと飲酒についてのアンケート調査で約 800人からの回答を分析したところ、「2021年8月までの期間で、酒で顔が赤くなる人は感染リスクが約 5分の 1にとどまっていた」(太字注意: 上の動画の 55秒目あたりから注目 )というのである。

とはいえこのニュースを報道したサガテレビが行ったアンケート調査では、「赤くなる人」がコロナにかかった割合は 39%で、「赤くならない人」の場合は 45%だったという。「なんだ、それほどの差がないじゃん!」と言いたくなってしまう程度のものだ(太字部分は駄洒落)。

酒で顔が赤くなるのは東アジア人に多い特有なもので「アジアンフラッシュ体質」と呼ばれ、日本人の概ね 2人に 1人はこの体質らしく、珍しくもなんともない。ところがこの体質でもコロナに感染したことのある人の数は既にかなり多くなっていて、「5分の 1」という数字はまったく実感に添わない。

酒を飲んで顔が赤くなるというのは、私自身そうだし、私の家族・親族でも、妹の夫以外は全員当てはまる。ところがコロナにかかっていないのは私と妻だけで、後はウチの 3人の娘、妹とその家族 2人はみな感染済みだ。つまり「顔が赤くなっても感染率 75%」である。

念のため佐賀大学の発表したプレス・リリースに当たってみたが、少なくともこのリリースには「5分の 1」なんて文言は見当たらない(参照)。さらにサガテレビのニュース動画をみる限り、佐賀大学の松本明子准教授の口から直接語られているわけでもない。

「それって一体どこから出てきた数字なんだよ !?」と気になって仕方がなくなり、ググってみると、朝日新聞の記事に次の文言が見つかった(参照)。

2回目のワクチン接種が進んでいた 2021年 8月末までに新型コロナに感染した人は、アジアンフラッシュ体質でない人を 1とすると、アジアンフラッシュ体質の人は 0.21で、感染の確率は約 5分の1だった。

なるほど、2021年 8月末では確かに「感染の確率は約 5分の1だった」ということで、要するに、3年近く前の「初期の時点でのデータ」ってわけね。だったら、それ以後にこの差はどんどん縮まっているという事実にもしっかりと触れるべきだったと思うがなあ。

あるいはニュースとしてのインパクトを損なわないために、敢えて過去のデータを強調するにとどめておきたかったのか。いずれにしても、マスコミのこうした姿勢には要注意である。

実際問題としては、とりあえず「自分は飲酒で顔が赤くなるからほんの少しだけコロナにかかりにくいしかかったとしても軽症で済む傾向がないわけでもないようだ」程度にシンプルに思っていれば、少なくとも精神衛生には悪くないだろう。

逆に顔が赤くならない人も、「何だか言われてるみたいだけど、大した差はないみたいだから気にしないでおこう」と思っていても構わないぐらいのものだよね。

 

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2024年5月27日

相撲部屋という異次元の世界

昨日付の『和歌ログ』でも触れた(参照)が、昨夜は高校同窓生からの縁で大相撲八角部屋の五月場所打ち上げの宴会に紛れ込ませていただいた。こんなのは初めての経験で、いしかわじゅんファンの私としては、リアル版『薔薇の木に薔薇の花咲く』の世界を垣間見たような気がしてしまったよ。

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八角部屋は両国国技館から徒歩 10分ぐらい。さすが大相撲協会の理事長を務める八角理事長(元横綱 北勝海)が親方というだけのことはある。

小結まで行ったことのある部屋頭の北勝富士は今場所西前頭 11枚目の地位で 7勝 8敗の負け越しとなったが、山形県酒田市出身の北の若は西十両 5枚目の地位で 8勝 7敗の勝ち越し。再入幕への道を一歩進んだということで、同郷の人たちがずいぶん盛り上がっていた。

オランダせんべい」で知られる酒田米菓の佐藤社長もその一人。ちなみに「オランダせんべい」の商品名が「私たち(おらだ)のせんべい」という庄内弁から来ているというのは、知る人ぞ知る話 。写真は北の若と並んで自社商品の袋を手に持つ佐藤社長である。

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来賓の中にはかの鈴木宗男参院議員もいて、派手な緑のネクタイで目立っていた、この人、参議院のページで確認すると昭和 23年生まれの団塊の世代(参照)で、私より 4つしか上じゃないのだね。ずっと 10歳ぐらい上のジイさんだろうと思っていたよ。後ろは北勝海で、緑の羽織で一緒に目立っている。

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私としてはドサクサ紛れでこの人と一緒の写真に写ったりしてしまわないように極力避けていたのだが、うまくいっただろうか。もし同じフレームに一緒に写ったりしてたら、他人には見せられないね。

印象的だったのは、 昨日付の『和歌ログ』にも書いたのだが、関取になっていない幕下以下の力士がまるで大きな居酒屋の店員の如くにひっきりなしに立ち回り、客に酒肴の提供をしていたことだ。やたら大きな体が一杯の客の隙間を縫って立ち働く姿は、ちょっとした異次元の感覚だった。

既にこうした場に慣れているらしい贔屓筋は、彼らに「おい!! ハイボール」なんて、当ブログの昨日付を彷彿とさせる遠慮もへったくれもない口調で注文し、いろいろ持ってこさせる。相撲取りは十両以上にならないと人間扱いされないという噂の真相を垣間見たような気がした。

ちなみに北の若の身長はかなり高いが、ほかの力士はほとんど私より低い。「日刊スポーツ」によれば、幕内力士の平均は 184.8センチ、十両力士の平均は 182.8センチということになっている(参照)が、ちょっと信じられない。ただ、平均体重は私の 2倍ほどなので横幅がスゴい。

前の方では引退力士 2人の断髪式が始まる。もう少し湿っぽい感じで行われるのかと思ったが、常連らしい客達が淡々と列に並んで、順番にほんのちょっとずつ鋏を入れていく。そしてそれとはほとんど無関係であるかのように、宴はどんどん盛り上がり、進行していく。

下は昨日付の和歌ログにも使った写真だが、テーブルの上にはご馳走が並び、大きな体の相撲取りが忙しく立ち働き、奥の方に秘やかに断髪されていく引退力士の姿がチラリと見える。まさに「非日常」の光景だ。

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おもしろいのは、こうした「非日常」の中に腰砕けになってしまうほどの「日常性」がチラホラ混じり、それがほとんど違和感なしに渾然一体となっていることだ。とくに日常の極みなのが、廊下にあったこんな貼り紙である。力士も人の子だ。

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さらに宴は進み、力士がカラオケで歌を披露する。北の若の歌は「上手でも下手でもない」レベルだったが、若い力士 2人(ゴメン、名前覚えてない)は聞いてる方が悶えるほどの「音痴」だった。なんとなく抱いていた「お相撲さんは歌が結構上手」という既成概念は、木っ端微塵に打ち砕かれたのだった。

ただ、音程はデタラメだがリズムは外さないというところは、さすがに力士である。タイミングの勝負には強いのだね。

70歳を過ぎてからこうした「異次元の世界」を体験できたというのはなかなかよかった。とはいえ二度目に誘われることがあっても、「一度で十分」という気がしているので、その点はよろしく。

【同日 追記】

力士の公式身長は、髷を含めて計ってるので、実際より 2〜3センチ高くなってしまうことがあるのだそうだ(参照)。道理でね。さらに「サバ読み」疑惑もあるようだし。

薔薇の木に薔薇の花咲く』は「力士はなぜごんすと言うのか・・・」がサブタイトルみたいになっているが、リアル相撲部屋では「ごんす」を一度も聞くことができなかった。庄内弁では「がんす」がちゃんと生きている(参照)というのに、残念なことである。

 

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2024年5月26日

50年前の広告にみる「おい!! もう1本」という価値観

出雲で新本と古本を売っていらっしゃる句読点さんという方の tweet がちょっとバズっている(参照)。「昔の料理本を古本買取したら、中の広告がひどい」というもので、何がひどいのかと言えば、東芝電子レンジの広告だ。

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問題の広告を拡大して見ると、冒頭に夕食時の夫婦の会話がある。最初の言い草の「おい!! もう1本」というのは、写真で見ればお銚子つまんでるから、酒をもっと出せということなのだろう。

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"おい!! もう 1本・・・"  "ハイ できています"
"おい!! おつまみ・・・"  "ハイ おいしそうよ"
"おい!! みそ汁・・・・・"  "ハイ 熱いから気をつけて"

とにもかくにも、「おい!!」の 3連発に驚いてしまったよ。今の広告でこんなことしたら炎上確実だし、製品の販売ストップなんてことにもつながりかねない。

Tweet 主の句読点さんによれば、これは昭和 48年、1973年の広告なのだそうで(参照)、決して戦前の話じゃない。まあ、戦前に電子レンジはないしね。

1973年といえば、私は大学に入って 2年目だ。70年安保が終わって政治的にはようやく落ち着き始めていた頃で、「ウーマンリブ」と言われた女性解放運動が注目を浴びていた。

それでもこんな広告が堂々と展開されていたというのは、仕事から帰ってきた男がエラソーに食卓につき、「おい!!」呼ばわりで妻に酒肴のサービスをさせて当然という価値感がしっかり健在だったということだ。ウーマンリブって、気の毒なまでにキワモノ扱いされていたということもあるし。

この広告に登場している夫婦は 30歳前後に見える。ということは戦前から終戦直後ぐらいの生まれで、いわゆる「団塊の世代」よりほんの少し上ということになる。団塊の世代の男は、さすがに妻に「おい!!」なんて言わないよね(いや、言う男もいるかな?)。

この世代は今、少なくとも 80歳前後になっている。ビジネス社会からはほとんど卒業してしまっているが、どういうわけか政治の世界では一番大きな顔をしていて、代表的なのは麻生太郎(83歳)あたりか。

ということは、このあたりの因習的価値観のジイさん連中が、今の日本の政治を牛耳っているってことだ。岸田首相がやたら軽く見られるのは、まだ 66歳で党内の長老連中に頭が上がらない雰囲気だからというのもあるだろう。昔の小泉純一郎ぐらいに思いっきりやれば、何とかなるかもしれないのに。

なるほど、これでは日本が変わるはずないよね。やっぱり、「登場人物が入れ替わる」(参照)必要がある。

 

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2024年5月25日

永遠の『おどるポンポコリン』

先日の明け方、まだ眠りから覚めないうちにどういうわけか頭の中で『おどるポンポコリン』の無限のリピート再生が始まってしまい、当人としても夢の中で大ノリしていた。そして起きてからもそれはしばらく鳴り続け、朝飯を食い終わる頃になってようやく一段落したのだった。

鳴りひびいていたのは『ちびまる子ちゃん』のテレビ放送が始まった 1990年当時のものだから、当然ながら "バージョン 1" で、演奏はあの B.B.クィーンズ。いくら夢の中とて、ノってしまわないはずがない。

この『ちびまる子ちゃん』、長女が幼い頃に読んでいた少女漫画雑誌『りぼん』に載った連載第一回目をたまたま目にして、家族でファンになってしまった。というわけで、我が家は最も古くからの年季の入った『ちびまる子ちゃん』ファンである。

この連載第一回目は 1986年の話だから、テレビ放送が始まったのは 4年後ということになる。このエンディング・テーマは、作詞がさくらももこさんご本人で、歌詞の積極的なまでの無意味さと脈絡のなさは、ここまでくると天才的とさえ思えてしまう。

しかし時代は変わるもので、作者のさくらももこさんが亡くなってから 5年以上の月日が経ち、さらにアニメでまるちゃんの声を担当していた TARAKO さんまで急逝された。

今月 22日付の記事で、時代というのは「要するに『登場人物が入れ替わる』ことで変わるのである」と書いた(参照)。ただし音楽や漫画、アニメなど、「作品」として残っているものは、それに再び触れることで「失った時間を取り戻す」ことができる。

まことにもってありがたいことである。

 

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2024年5月24日

「舌先三寸」と「口先三寸」

山梨県でネットを中心に不動産業を展開しているフロンティア技研のブログに掲載された 2年以上も前の記事なのだが「舌先三寸? 口先三寸? 意味と誤用」というのがある。"「本心でない上辺だけの巧みな言葉」を何という?" という問題だ。

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言うまでもないが、正解はもちろん「舌先三寸」で、「口先三寸」は誤用。

ところで私の使っている日本語入力システムの ATOK で、この記事を書くために多分生まれて初めて「くちさきさんずん」と打ち込んだところ、いきなり下のような警告表示が出てきた。"「舌先三寸」の誤り" だから、shift + return で「舌先三寸」に修正しろというのである。

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なんともはや、実に親切な設定だが、今回は行きがかり上、誤りは重々承知の上で入力する必要があるのだからしょうがない。というわけでそのまま続行していると、何度も同じ表示が出てきてめげそうになった。3度目ぐらいで事情を察して、後は放っといてくれるという設定がないものかなあ。

言うまでもなく、「口先三寸」という慣用句はない。少なからぬ人たちが「口先だけのごまかし」みたいな言い回しに引きずられて、言い間違えているいるだけだ。

ただこの記事には「誤用で使っている人の方が多いというデータがあります」なんてことが書いてあり、次の文章を読むと「おやおや」と思ってしまう。

文化庁の平成 23年度『国語に関する世論調査』では、本来の言い方である『舌先三寸』と回答した人が 23.3% に対し、本来の言い方でない『口先三寸』と答えた人が 56.7% という逆転した結果が出ています。

「逆転した結果」と言っても、並みの逆転じゃない。誤用しちゃう人の方が 2倍以上多いというのだから、かなり嘆かわしいい話だ。

世の中って、一度ボタンの掛け違いが起きると、なかなか修正しにくいもののようなのだ。「あらたし」が「あたらしい」になってしまった(参照)のも道理である。

 

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2024年5月23日

下手すると "人工コーヒー" を飲む日が来そうなのだ

COURIER の 5月 21日付に 【「コーヒーが飲めなくなる日」に備えて "人工コーヒー" の開発が進んでいる】というニュースがある。"人工コーヒー" を飲まなければならないなんて聞くと、何となくいい気分ではない。

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そもそも「コーヒーが飲めなくなる日」というのはいつ頃なのかと言うと、同じ COURIER が 5年前の 2019年 2月 23日付で「知られざる "2050年問題"  30年後、人類はコーヒーを飲めなくなるかもしれません」と伝えている。

2050年といえば私は計算上 98歳になっているわけだが、ここまで健康で丈夫だと 100歳まで生きてしまわないとも限らず、「他人事」として片付けられるわけでもない。

さらに COURIER の記事を読んでみると、次のような聞き捨てならない話がある。

旺盛なコーヒー需要を背景に大規模な森林伐採が進み、コーヒー豆の価格上昇とほぼ無縁の農家は低賃金にあえぎ、生産とサプライチェーン(供給網)の移動の両面で相当な量の二酸化炭素(CO2)が排出される。調査によると、コーヒー栽培に適した土地の約半分が、気候変動の影響で2050年までに栽培に適さなくなるという。ブラジルはその割合が88%に達する。

1日に少なくとも 2〜3杯のコーヒーを飲む(自宅では自分で豆から挽いて淹れる)身としては、罪の意識に囚われてしまいそうな話だ。私は肉を食わないので(参照)、それとのトレード・オフ(これ、言葉としてはビミョーに誤用っぽいが)で、なんとか勘弁してもらえないものだろうか。

"人工コーヒー" とはどんなものなのかも気になる。記事中にはストレートのエスプレッソ試飲の感想として「本物のエスプレッソにそっくりなため、(一杯ずつ丁寧に入れるスタイルの)サードウェーブ・コーヒーショップのバリスタでもない限り、判別できるのかは疑わしい」とある。

ふぅむ、そういうことならブログの毎日更新を続けながら 100歳まで生きて、"人工コーヒー" を啜ることになっても、それほど嘆かずに済むのかも知れない。

とはいえ、インスタント・コーヒーとか缶コーヒーとかしか飲まない「非こだわり派」(参照)の人たちはいっそ日本茶か紅茶に乗り換えて、私のような「純コーヒー派」(参照)を救済してくれないかなあ。

 

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2024年5月22日

郵便料金値上げは「郵送そのもの」を減らすきっかけ

結構前から確実とみられていた郵便料金値上げが、ついに本決まりになった。NHK が「手紙の郵便料金 ことし 10月に 84円から 110円に値上げへ」と伝えている。

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最近は電子メールが増えたので紙の手紙やハガキのやりとりはめっきり減った。しかしまったくなくなったというわけではなく、自治体からの通知、公共料金の請求などは相変わらず郵便で届く。

うんざりするのは広告などのダイレクト・メールだ。前はいろいろな「品物」を売りつけようとするものが多かったが、最近は「80歳以上まで加入できて葬儀費用がまかなえる生命保険」なんていうのばっかりで、さらにうんざりだ。いずれにしても速攻リサイクル・ゴミにしてしまうのだが。

こちらから手紙やハガキを出すことはほとんどなくなったが、外部から受注した仕事の請求書の多くは郵送せざるを得ない。必要経費の領収書の添付が求められるからだ。これが画像や PDF で済むようになれば、紙の請求書なんていらなくなるのだが。

以前は年賀状を 150枚ぐらい出していたが、これは 2023年分から「年賀状じまい」した(参照)のでほとんどなくなった。ただ年賀状はハガキとして出すのを止めただけで、インターネット上で発表しているので、読もうと思えば前世紀まで遡っていつでも閲覧できる(参照)。

はっきり言って、紙の年賀状よりずっと便利なのでオススメだ。何しろハガキ代がかからない。とはいえこの年は世話になった少数の年配者には紙で年賀状を出していた。彼らはインターネットを扱えなかったのでしょうがない。

しかし今年分からはそれも取りやめた。先方のほとんどがボケてしまったか亡くなってしまったかしたからで、時代というのはこんな風にして変わるのだね。要するに「登場人物が入れ替わる」ことで変わるのである。

ということは、自分自身が変わるためには生まれ変わるぐらいの覚悟をしなければならないってことだ。なかなか大変だが、それが必要になることは人生において何度かある。

今後は領収書添付の請求書以外では、紙の郵便は全廃するぐらいのつもりで行こうと思っている。時に「手書きの文字もなかなかいいものだ」なんて思うこともあるが、そんな場合は紙に書いたものを写メしてしまえばいい。

 

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2024年5月21日

私としても Twitter と呼び続けるつもりなので

イーロン・マスク自身が「正直に答えてください。まだ Twitter と呼んでますか? それとも X と呼んでますか?」と問いかけているみたいな tweet があったので、つい「へぇ、彼なりに気にはしてるんだ!」なんて思ってしまったよ。

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ところがこれ、実はパロディ・アカウントのようなのだ。MrBeast さんというユーザーの別名らしい(参照)。

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で、問題はこの tweet へのリアクションなのだが、ちょっと覗いてみると "Twitter" と呼ぶというコメントが圧倒的なのである。まず初っぱなに登場したのが、BaseTrade さんという人だ。

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nobody is saying "I posted on X" lil bro】 というもので、Google 翻訳では「誰も "Xに投稿した" なんて言ってないよ」ということになっている。文末の "lil bro" が無視されてしまっているが、これは "little brother" の省略形で、敢えて言うなら「弟よ」ぐらいの感じかな。

続くコメントもズラリと「Twitter と呼んでるよ」というものばかりだ。ずっと使い続けているユーザーの多くは、"X" という名称にはかなり抵抗があるようなのである。

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Diego Souza さんは "I'll call Twitter forever" (永遠に Twitter と呼ぶ)と高らかに宣言しているし、Question Everything さんのコメントの「X って、ポルノ・サイトみたいな感じ」は、ちょっと言えてて笑ってしまった。

というわけで私としても Twitter と呼び続けるつもりなので、そのあたりなにぶんよろしく。

 

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2024年5月20日

そばの食い方って、いろいろ言われているが

今日はそばの食い方の話である。前にも何度か書いたが、そばというのは、やたらとウンチクを並べて窮屈な食い方をする人がいる一方で、見ている方が恥ずかしくなるほどみっともない食い方をする人も多い。要するに、せめて「フツーに」食ってもらいたいものなのである。

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「フツーに」そばを食うための第一条件というのは、上の写真のようにそば猪口を手に持って食うということだ(参照)。これは江戸の昔からの常識で(参照)、これさえ気を付ければそんなにみっともなくなることはない。

ともすると、ちゃんとしたそば屋のサイトの写真が下のようなことになっていることが多い。そばの食い方をあまり気にしていないカメラマンが、単に写真の構図だけを考えた結果だろう。

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これだと、そばを食うためには身をかがめて口を近づけるほかない。これってまともなそば屋でもよく見かけてしまうが、そばに限らず日本食全般で「みっともない食い方」の代表みたいなものだ。いわゆる「犬食い」である。

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あとは、そばを汁(つゆ)の中にドボっと落としてグルグルかき回しちゃったりしないことだ。箸で適量をつまみ上げたそばは箸から放さず、下の方を汁につけてそのまま啜るのが粋というもので、要はこれだけのことである。

「適量」というのは、一息で楽に啜り切れる程度の量ということだ。無闇にどっさりつまみすぎると、『吾輩は猫である』の迷亭君みたいに途中で苦しくなって涙が溢れたりするからね(参照)。さらにみっともないのは途中で力尽き、噛み切ってそば猪口の中にボトッと落としてしまったりすることだ。

よく「三分の一だけ汁につける」なんてことさらなことを言う人がいるが、そんなのは別に気にする必要なない。そばを箸から離しさえしなければ全体を浸すことの方が難しくて、三分の一だろうが半分だろうが、自然に自分の好きな加減で汁に浸すことができるのだから。

さらにいわゆる「通」を気取る人の中は、「最初はそばそのものの味を確認するために、1本だけつまんで汁を付けずに食う」とか「薬味は汁に入れずにそばに乗っけて食う」なんて人もいる。「これが自分のスタイル」と言うなら、さりげなくやってくれれば確かにそれなりにカッコいい。

ただ個人的にこだわる分にはいいが、エラソーに吹聴されたり人にまで押しつけたりされるとかなり鬱陶しい。鬱陶しいというのは、「野暮」の別の言い方である

私は個人的にはそばを啜る時はそばそのものの味を楽しみたいから、汁には薬味を入れず、食べ終えた後でそば湯を飲む段になってから入れる。ただ、人にまでこうしろとは言わない。

まとめると、そば猪口は手に持ち、適量すくい上げたそばは、箸からはなして猪口にドボッと落としたりしないというだけのことだ。要するにそば猪口を手に持ちさえすれば、半分以上は解決する問題である。

最後に付け加えると、そばを啜る音に関してはことさら大きな音を立てるのは、ラジオの落語の世界のお話に過ぎないと思うのだよね(参照)。

【同日 追記】

身をかがめて食器に口を近づける食い方は、日本では「犬食い」といってマナー違反になるが、北朝鮮では決してそういうわけでもないようで、「音を立てない」ことの方が重要みたいなのだね(参照)。

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2024年5月19日

ウシガエルとオオヨシキリの声が目立つようになった

気付いてみれば、5月もとっくに半ばを過ぎて、明日からは下旬である。年をとると時の経つのが早く感じるというが、まったくだ。

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裏の川原で、ウシガエルとオオヨシキリが鳴き始めている。例年だとウシガエルは 5月初めには鳴き始めていたような気がするのだが、今年はちょっと遅いようだ。初夏の暑さになったり初春の肌寒さになったりの繰り返しがひどかったので、鳴き始めるのを戸惑っていたのだろうか。

ウシガエルの鳴き声を知らない人もいるようなので、2017年 6月 17日の「ウシガエルの鳴く日」という記事を紹介しておこう。裏の土手で盛大になくウシガエルの声を聞くことができる。ウシガエルの声のバックにはオオヨシキリの鳴き声も聞こえている。

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そう言えばオオヨシキリの方は、例年よりちょっと早めに鳴き始めているような気がする。同じ生き物でも季節の感じ方に差があるのかもしれない。

このオオヨシキリは「キリキリキリ・・・」という地鳴きに交えて「ギョギョシ、ギョギョシ・・・」とけたたましく鳴くこともあるので、「行々子」という別名がある。この鳥は 1日に 1時間しか寝ないのだそうで、夜になっても鳴き続ける(参照)。

というわけで、今年も本格的な夏に向かっているようなのだ。またしても猛暑になるものと覚悟しておく方がいいのだろうね。

 

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2024年5月18日

暗証番号に凝るより、カードそのものの管理が大切

Get Navi web が " 「4桁の暗証番号」、世界でよく使われる組み合わせが判明! どの国の人も考えることは同じ?" というニュースを伝えている。過去に流出した 340万件の暗証番号を分析した結果、よく使われるものとそうでないものの傾向が見えてきたのだという。

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340万件という膨大なケースの分析というのだから、かなり信じていいんだろう。で、人気の高い暗証番号のベストテンを見ると、1 から始まるのが多い。中でもトップの「1234」なんて当人は忘れずに済むのだろうが、ハッカーではない私でも最初のトライで見破ってしまうだろう。

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対照的に「人気の低い暗証番号」というのは、大きな数字から始まるのが多くてやたら覚えにくい。大きな数字はテンキーを打ちにくいというわけでもなんでもないのに、なぜか避けられがちというのは、人間の無意識の習性ってものがあるのだね。

ただどんな込み入った暗証番号にしてもハッカーは「わずか 5回試すだけで、およそ 20%は暗証番号を解読できる可能性がある」というのだから、面倒っぽい暗証番号というのもそれほど意味がなさそうに思える。とくに私なんか数字に弱いから、語呂合わせしやすい番号しか選ばないし(参照)。

要するに暗証番号云々より、キャッシュカードやクレジットカードそのものをしっかり管理して、どこかに置き忘れたり盗まれたりしないようにするのが先決なのだろうね。

 

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2024年5月17日

8,540円分のキセルで 134万円支払った茨城県職員

本日はローカル・ニュース、しかも茨城県ネタで、茨城県職員のキセル乗車が発覚したというお話だ(参照)。それにしても、8,540円分のキセルで JR に 134万円支払わなければならなかったということについては、「へぇ〜!」と言いたくなってしまうよね。

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このキセルの手口というのは、こんなことだったようだ。

昨年11月28日、自宅最寄りのJR水戸駅から乗車し、県北部の高萩市へ出張するため高萩駅で降車。通勤定期券の区間外となる運賃420円を支払う必要があったが、事前に準備していた別の区間の切符(190円)を使用し、改札で記録が残らない無人駅から乗車したように装っていた。

これ、FNN ニュースの画面で見るとわかりやすいので、下に貼り付けておく。

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みればセコすぎると言いたくなるほどのもので、片道 230円を浮かせるために、本来の下車駅の 1つ先にある無人駅、南中郷駅まで行って最低料金 190円の切符を買い、そこから折り返してその切符で下車していたというのである。

190円の切符を買うためにさらに 190円払って南中郷駅まで行ったら 40円しか浮かないじゃないかと思ってしまうが、そこはそれ、南中郷駅では無人改札を素通りしてたんだろうね。

そもそもこの職員が高萩まで行ったのは「出張」ということのようだから、交通費は県に請求すれば全額支払ってもらえるもののはずだ。にも関わらす 1本早めの便に乗って折り返してまで、しっかりと 230円チョロまかしていたというわけだ。

さらに往復で 460円浮かせてたとしたら、帰路でも南中郷駅まで行って折り返さなければならない。あの辺り、そんなに本数の多い区間じゃないんだから、私に言わせたら完全に「時間の無駄」でしかないのだが、出張の度に同じことを繰り返していたようで、気の遠くなるほどマメな話である。

このチョーマメな職員は同じ手口を 10回繰り返した上に、グリーン料金を払わずにグリーン車に乗るなんてことまでしていたので、セコさの割に「かなり悪質」と見られ、JR東日本の規定通りの厳しい罰則料金を請求されたのだろう。そしてこの料金は、既に JR に支払い済みのようだ。

この職員がゴネもせずに 134万円支払ったというのは、さらに深い事情があるとしか思えない。ここまでマメな手口を使ってまでキセルを繰り返すというのはおそらく常習犯で、もっと言えば愉快犯的ですらある。発覚した 10回にとどまらず、もっとずっと前からやってたんだろう。

これまで 30年ぐらい繰り返してきたとすれば、大小さまざまのキセル金額を合計してこれに近いぐらいに達していてもおかしくない。というわけで「大きな利息付き後払い」になってしまったと思えば、諦めがつくのかもしれないね。

ただ、そのために失った馬鹿馬鹿しいほど無駄な時間までは戻らず、気の毒な限りだが。

 

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2024年5月16日

『猫じゃ猫じゃ』を巡る冒険

漱石の『吾輩は猫である』を完読したのは、小学校 6年生の時だった。昼休みに毎日図書室に通い、長編だけにかれこれ 1ヶ月ぐらいかかって読み終えた。最後の場面は猫が水瓶に落ちて死ぬのだが、その描写が猫なりにかなり哲学的なもので(参照)、私の死生観にかなりの影響を与えてくれたと思う。

ただ、今日は何も「死の哲学」を語ろうというわけじゃない。テーマは『猫じゃ猫じゃ』である。漱石の「猫」が最後に水瓶に落ちて死ぬのは猫のくせにビールを飲んで酔っ払ったからなのだが、その酔っ払った感覚の描写は以下のようなものだ。

次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌が歌いたくなる。猫じゃ猫じゃが踊り度くなる。主人も迷亭も独仙も糞を食らえと云う気になる。

私はこの『猫じゃ猫じゃ』というのが妙に気になってしまったのである。この時から 6年足らずしてワセダの第一文学部演劇学科なんてところに入り、歌舞伎をテーマにした卒論と修士論文を書くことになるだけに、12歳の子どもらしくもないものに興味津々になっちゃったのだね。

大人に聞いても「子どもがそんなもの知らなくていい」と言われるのが関の山だから、自分でいろいろ調べたところ、江戸時代末期からの俗曲とわかった。寄席の「出囃子」にも使われるというのだが、ラジオの寄席番組を聴いても、どれがそうなのかさっぱりわからない。

今なら下の動画などで、いつでも簡単に確認できるのに。(落語ファンなら聞き覚えあるでしょ)

それだけでなく、漱石の「猫」が酔っ払って踊りたくなったという踊りだって手軽に見ることができる。今の子たちは本当に幸せなものである。

これは市丸のオーケストラ付きバージョンで踊られているのだが、上の土谷利行のバージョンと比べると、良くも悪しくもずいぶん洗練されてしまっている。歌詞まで変わって、「杖付いて」という部分がカットされているし。

洗練といえば、石川さゆりのバージョンまで来るとちょっとスゴい。ここまでくれば、もはや俗曲とも言えなくなってしまう。

最後に、『猫じゃ猫じゃ』というタイトルの元になった 1番の歌詞に触れておく。

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が、猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ

これ、旦那の囲っている妾に他の男ができてしまい、ちょうど旦那が来たときにその間男を隠した場面というココロである。

妾は「今の物音は、猫が逃げてったのよ」と言い訳するが、目の前に男の下駄と浴衣が残っているのでバレバレだ。最後の「オッチョコチョイノチョイ」が何度か繰り返されるので、これ、別名「オッチョコチョイ節」とも呼ばれる。


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