2022年8月18日

地方百貨店は、存在し続けるだけで苦しい

北海道新聞が "「百貨店ゼロ県」の山形 老舗閉店から2年の今は" という記事を伝えている。北海道資本最後の百貨店、帯広市の藤丸が来年 1月末で閉店することになったため、2020年に日本初の「百貨店ゼロ」となっていた山形県を、モデルケースとして取材したらしい。

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藤丸が閉じると北海道の百貨店は、札幌の大丸、東急、丸井今井、三越、函館の丸井今井だけとなり、これらはすべて北海道外の資本である。函館にはテーオーデパート、シエスタ函館などがあるものの、百貨店協会に加盟しておらず、「百貨店」として認められていない。

いずれにしても地方百貨店は、存在し続けるだけで苦しいのである。

ちなみに山形県では、わが故郷の酒田市に「マリーン 5 清水屋」という「百貨店」があったが、1994年に百貨店協会を離脱していたので、2020年時点で「百貨店ゼロ県」の烙印を押されていた。そしてその清水屋も昨年初めに倒産し、今は「名実ともに百貨店ゼロ県」となって、苦しみから解放されている。

Business Journal の 2020年 10月 23日付に「次の “百貨店ゼロ県” 予備軍・14県…徳島もゼロに」という記事があり、この年の 8月に日本で 2番目の「百貨店ゼロ県」となった徳島県の状況を伝えている。

この記事では、百貨店が 1つしかない「“百貨店ゼロ県” 予備軍」が 14県もあると紹介されている。私の住む茨城県も、「百貨店が 1店のみ」(水戸市の京成百貨店)ということで、「予備軍」の中に入れられているが、それで不便を感じることなんてない。

茨城県南地域では、どうしても百貨店で買い物したいという人は、東京都内に行くことになる。常磐線の途中の柏市に高島屋、西武丸井などがあるにはあるが、そこで途中下車なんてほとんどしない。こんなわけだから、地方百貨店が苦しいのは当然だ。

私はこれまで百貨店に関して、次のような否定的な記事を書いている。

百貨店は付き合いきれない業界  (2016年 10月 3日付)
百貨店という業態は、既にオワコン (2017年 3月 7日付)
閉店、撤退の続く百貨店業界 (2018年 9月 29日付)
まともにものを考える人間は、百貨店で服なんて買わない (2020年 10月 15日付)

これらの記事で、私の百貨店に関する考えはほとんど述べてあるので、今さら繰り返すことはしない。とにかく百貨店というのは、かなり前からフツーの人間にはとくに必要のない業態になったのだと思っている。

どうしても必要だという少数派のためには、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、博多のほか、金沢、広島あたりにちょこちょこっとあれば済むだろう。百貨店での買い物なんて、せいぜい年に数回ぐらいだろうから、それだけあれば十分だ。

それで足りないという大金持ちなら「外商」という手があるし。

 

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2022年8月17日

『すずめの学校』と『めだかの学校』

『すずめの学校』 という童謡がある。あの「ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ」で始まるやつだが、「すずめの学校の先生は むちを振り振り ちいぱっぱ」という歌詞のせいで「軍国主義的」な歌とする見方があるのだと、つい最近知った。

私個人としては、この歌の「むち」というのは「指揮棒」代わりぐらいに思っていたのだが、ググってみると、マジで生徒のすずめをシバくためのもので、「全体主義的な歌」などと語っているページが結構多い。Wikipedia でもこんなふうに紹介されている。

雀の先生がムチを振るって命令し、生徒の雀は自己思想を禁じ国策に向かって突き進む事を歌っているとされ、雀のたった1つの鳴き声である「チイパッパ」を比喩的表現として、全ての日本国民が1つの言葉を胸に日本国を守ろうとすることも同時に歌ってあり帝国主義的な表現を含めて描いているという見方があるが、それに否定的な見方もある。

いやはや、正直なところ驚いた。まあ、戦前に作られた歌でもあるから、そのあたりは無意識のうちにも入っていたのかもしれないが、「深読み」というのは、なかなかスゴいものである。

それとは対照的に『めだかの学校』の方は、かなり好意的な紹介が多い。戦後に作られた歌だけに、先生と生徒が区別されず、平等な立場が説かれているというのである。なるほど、そう言われてみればそんな気がしないでもないが、いずれにしてもステレオタイプだよね。

とにかく二曲とも「童謡」であって「文部省唱歌」ではないから、教育現場で「強制的に歌わされていた」というものではない。そんなこともあって、私としては「テキトーに楽しんでおく方が、精神衛生にいいかも」程度に思っている。

多くの日本人が抱くイメージはどんなものかと思い、試しに「すずめの学校」で画像検索してみたところ「雀の学校」「雀の卵」というお菓子がやたら多くて、童謡に関したものでは、こんなようなのが見つかった。いずれも「帝国主義的表現」からはほど遠い気がして、少し安心した次第である。

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ただ、中に 1つだけ強烈なのが見つかった。歌イメージ加工合成写真 番外編 (すずめの学校) というもので、こんな感じである。

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ただこれは、「だから! 違うって」というキャプションからもうかがわれるように、もろに「帝国主義的解釈」のパロディである。

そしてこれを取り上げた翆野大地さん(鳥の生態に詳しいらしい)という方も、冷静な目で、「メダカはただ群れているだけで、実際にはスズメの方が、生き抜くために教えを請うています 」とおっしゃっている(参照)。「スズメの学校」は、スズメにとって必要なことのようなのである。

とはいえ、この童謡をどう捉えるかは本当に人それぞれで、つい自分の考えの方に引き寄せて解釈しちゃうのだよね。面倒くさいのは、実はスズメより人間の方である。

 

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2022年8月16日

Siri の「カタカナ英語」聞き取り能力、格段に向上!

2019年 5月 7日に「Siri で遊ぶ」という記事を書いている。Siri というのは、iPhone などに言葉で話しかけていろいろな操作ができる機能なのだが、この日は、日本語モードに設定された Siri に、つい英語で話しかけたところ、トンチンカンな応答をされたのがきっかけで、いろいろ遊んでみたのだった。

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この記事では、朝に目覚めた時に Apple Watch が見当たらなかったので、寝ぼけ気味で iPhone の Siri に頼んで探してもらったのだが、そのいきさつをこんな風に書いている。

そもそも ”Hey Siri” と話しかけたのがきっかけなものだから、ついその勢いで "Could you tell me where my Apple Watch is?" (私のアップルウォッチがどこにあるか教えてくれない?) と英語で聞いてしまった。

ところが、日本語モードの Siri は英語が聞き取れないようで、こんな風なトンチンカンな応答だった。

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どうやら "Could you..." が 「90」に、"where my apple watch is" が「山家(やまいえ)ポワチエ」に聞こえたようで、先月 17日の「 英語に親しむための、今どきの情報」の、"girl" が「ぐおー、"bottle" が「ばーろー」、"train" が「ちゅえいん」に聞こえるというようなことなのだろう。

驚いて Siri の設定を英語モードに切り替えて同様に聞いてみると、今度は何の問題もなく ”It's nearby." (そばにあるわよ)と、ベッドの下に落ちていた Apple Watch から音を出してくれたのだった。

この時はさらに遊びついでに、英語モードのままの Siri に、試しに思いっきりカタカナ英語で話しかけてみたのである。すると、こんな風なことになった。

モロにカタカナ英語で「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と聞いてみると、彼女には "Do you turn on me who am i" と聞こえちゃったらしく、「私は誰?」みたいなタイトルの映画を 5本提示して、”Which one?" (どれのこと?)と聞いてきた。

というわけで、3年前の英語モードの Siri は、日本人のカタカナ英語をまともに聞き取ることができなかったのである。ところが、「最近の Siri はカタカナ英語をかなり理解する」という噂を聞いたので、昨日の午後に「どれどれ」と試してみた。

3年前とまったく同じく 「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と質問してみると、なんと、今度はしっかりと通じてしまったのである。名前は同じ "Siri" でも、実体はほとんど別人だ。

その時の応答が、この記事の一番上にある画像である・"Looking for your Apple Watch..." (今、あなたの Apple Watch を探してるわ...)と応えた途端に、すぐに見つかったらしく "It' nearby. Pinging your Apple Watch now..." (そばにあるわ。今鳴らしてみるわね)と言ってくれたのだった。

Apple としては、日本市場が iPhone のマーケットとして非常に重要と認識しているので、日本人特有のカタカナ英語識別力まで向上させてくれたのだとしか考えられない。やっぱり「お得意様」には特別の便宜を図ってくれるようだ。

ただ、日本市場を大切にするなら、別に「カタカナ英語」を理解しなくても、日本語モードを充実させればいいだけの話とも思われるのだが、そのあたりの事情は、よくわからない。

ちなみに、2020年 5月 5日付の東洋経済 ONLINE に ”英語の発音矯正に役立つ「Siri」の意外な活用法” という記事があるが、この視点からすると、これは「進化」ではなく、余計なことによる「劣化」ということになるだろうね。カタカナ英語の発音矯正には、ちっとも役立たなくなったのだから。

 

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2022年8月15日

「同じ 38℃」でも、気温と湯温で感じ方の違うのは?

先月 28日にヨーロッパの軒並み 40度以上という熱波に関して、「45度なんて、風呂でもアツ過ぎて耐えられない」という記事を書いた。この時は密かに「うぅむ、このタイトルはツッコミどころあるかも」と思いつつ、つい「えいや!」 でこのまま行ってしまったわけである。

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それで今でも「風呂の湯温と気温では、感じ方がかなり違うよね」と、忸怩たる思いが残っているわけなのだ。ところが何と、この問題を愛知県刈谷市の中学生たちがまともに掘り下げてレポートしているのを見つけてしまった。

タイトルはまさに「38℃の日は暑いのに38℃の風呂に入ると熱くないのはなぜか」というもので、これでしっかりと、第 43回自然科学観察コンクール(シゼコン)の文部大臣奨励賞を受賞している。しかもこのコンクール、昨年が 第 62回目というのだから、20年も前の話じゃないか。

これは確かに、とても不思議な問題である。きちんと理窟立てて説明するのは、かなり難しそうだが、それを中学生たちがやってしまったのだから、なかなかのものではないか。

ネット上に掲載されている研究発表を読んでみると、どうやら「外部温」(周囲の温度)、「皮膚温」(体表面の温度)、「深部温」(体の内部の温度)というのがポイントのようなのである。中学生たちはこの「深部温」というのをオムロン耳式体温計“けんおんくん” で測定している。

まず、38℃ の風呂に入った場合、瞬間的には温かく感じる。そして皮膚温がすぐに湯温の 38℃まで上昇するが、深部温との差が小さいことに加え、幼い頃から慣れてきた 40℃ ほどの湯温との違いもあって、ぬるく感じるのだと結論づけられている。

一方、38℃ という気温の部屋に入ると、皮膚温は風呂の場合よりゆっくりと上昇して 8分くらいで 36℃ ほどになるが、やがて発汗効果により下がり始め、34℃~35℃ で安定する。その結果、直接接し合う外部温と皮膚温の間に、3〜4℃ほどの差が生じる。

つまり「同じ 38℃ という温度」でも、風呂の場合は、湯温、皮膚温、深部温の差が小さいが、38℃ という気温の中にいると、外部温と皮膚温の差が風呂の場合より明らかに大きい。そのために異なった感覚になるというのだ。なるほど、なるほど。納得である。

ただ気温の場合は、38℃ まで上がらなくても 30℃ ぐらいで十分暑く感じるのだが、そこにはやはり、22℃ ぐらいの気温を「快適」と感じる人体の「つくり」ということもあるのだろう。さらに「高湿度」という要素も加わると、汗の蒸発による冷却機能も落ちるので、ムチャクチャに不快と感じるわけだ。

猛暑日に長時間にわたって炎天下にいたりすると、体温そのものも上がってしまって、風邪を引いて高熱を発した時みたいなしんどい状態になってしまうのだろう。違いは、熱せられるのが内側からか外側からかということだけだ。

それにしても、今年の夏の暑さは異常というほかない。先月のヨーロッパみたいに気温が 45℃ 越えなんてことになったら、熱めの風呂以上だから、本当に耐えきれない。

 

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2022年8月14日

「危険な暑さ」が、まさに ”ホット・ワード”

「危険な暑さ」という言葉がニュースなどでよく聞かれ、まさにこの夏の ”ホット・ワード” だ。Yahoo! Japan ニュースも「お盆休み後半の天気 北海道・東北は大雨 関東以西は危険な暑さ 40℃ に迫る所も」と伝えている。

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今日は 熊谷と前橋で最高気温が 39℃ になるとの予報だ。これまでにも瞬間風速的に 40℃ を超えるような「高温記録」というのは度々あったが、今年の夏は「猛暑」が数日間連続してしまい、夜になっても地面や建物の冷える間がなく、翌日の太陽でさらに熱せられるのだからたまらない。

先週の木曜日、救急車がサイレンを鳴らしてやって来て隣家に横付けし、しばらくそのまま動かない。どうしたのかと思っていると、さらにもう 1台の救急車まで到着して、1時間半後ぐらいに去った。

日が暮れる頃、近くに嫁いでいた隣の娘が戻っていたので事情を聞いてみると、なんと夫婦が揃って熱中症で倒れ、緊急入院してしまったのだそうだ。コロナ騒ぎと熱中症の増加のため、搬送先が見つかるまで 1時間半もかかってしまったのだという。

脳卒中だの何だのというような重大な話ではないというので、とりあえず安心はしたものの、今年は熱中症で命を落とす人もいるらしいから、油断がならない。何しろあれから三泊四日してもまだ戻ってきた様子はないので、結構な重症だったのだろう。

隣の夫婦はウチよりも 4〜5歳は若いはずなのだが、それでも揃って倒れたというのだから、まさに「危険な暑さ」である。そんなわけで今年の夏ばかりは、我が家も無理して頑張ったりせず、素直にエアコン(設定は 28℃)を使っている。

それにしても、今後はこんなとんでもない暑さが「普通の夏」ということになってしまうのかなあ。できれば「いくら何でも今年は特別」ということであってもらいたいが。

 

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2022年8月13日

スーパーの店頭からイカが消えてしまった

私は魚介系の中ではマグロなんかよりイワシとイカが好きという、金のかからない男である。一時、イワシが不漁でやけに値段が高くなった時期があったが、ようやく少しこなれてきた。しかしそれに代わってイカが不漁になったようで、最近はスーパーの店頭から姿を消してしまっている。

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北海道新聞は 8月 13日付で、深刻なイカ不漁のため道南の加工業者が危機に見舞われていると伝えている(参照)。函館市水産物地方卸売市場の昨年度のスルメイカ取扱量は1,203トンで、なんと 1999年度の 37分の 1まで落ち込んでおり、今年も改善の傾向はないのだそうだ。

朝日新聞も 7月 24日付で「アカイカ初水揚げ 不漁で価格は昨年の倍 八戸港」というニュースを伝えている。イカは日本近海からいなくなったわけではないものの、その資源は極端に減少しているようなのだ。

このイカ不漁の要因は、気候変動という要素もあるが、直接的に大きいのは中国漁船の違法操業であるらしい。Yahoo! Japan ニュースは 2020年 7月 30日付で "AI と衛星が暴いた!日本の食脅かす中国の「暗黒船団」―対北制裁にも違反" というニュースを伝えている。

このニュースは「北朝鮮領海内で中国漁船による大規模なスルメイカ漁が対北制裁に違反して行われていることを突きとめた」としている。イカは回遊する性質があり、産卵期を迎える前に北朝鮮領海で成長するので、ここでの乱獲は漁獲資源の減少にストレートにつながっている。

さらに問題は北朝鮮領海のみではなく、日本の領海でも中国船は違法操業を繰り広げているらしい。2020年 12月 23日付読売新聞オンラインは "スルメイカ不漁続く「中国船いなければ、もっと釣れていたはず」" と伝えている。つまり中国のせいで、私は好きなイカを食えなくなってしまっているというわけだ。

イカの漁業資源が回復するまでに、どのくらいの時間がかかるのだろうか。一時イワシが少なくなって、まともに食えるようになるまで 10年以上我慢した印象があるが、イカも同じぐらいかかるのだとしたら、私は生きている間にイカを好きなだけ食うことができないかもしれないじゃないか。

まったくもう、食い物の恨みは大きいのだよ。習近平のあの尊大そうな顔に、イカ墨ぶっかけてやりたくなってしまう。

 

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2022年8月12日

酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト

週刊はてなブログに "それって「ソバーキュリアス」?  あえてシラフでいることを選ぶ、お酒を飲まない生き方について" という記事がある。洒落のつもりか、冒頭に盛り蕎麦の写真が使われているが(キュウリも使えばよかったのに)、酒なしで蕎麦を食うというような話では決してないので、よろしく。

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「ソバーキュリアス」というのは "sober" (しらふの、実直な)と "curious" (興味がある)を合わせた言葉で、この記事では「しらふでいることへの興味」と訳されている。なるほど、それで「酔っ払っているとブログも書けない!」というサブタイトルにつながるわけだ。

調べてみたところ、これは英国出身でニューヨーク在住の文筆家、Ruby Warrington が 2020年に "Sober Curious" という著書を世に出してから注目され始めた言葉のようだ。つまり、比較的新しいライフ・コンセプトで、著書の正式タイトルは以下の通りである。

Sober Curious  The Blisfull sleep, Greater focus, Limitless Presence and Deep Connection  Awaiting us All on the Other Side of Alcohol
(『ソーバーキュリアス 至福の睡眠、より大きな集中力、無限の現在、深い関わりが、
アルコールの反対側で私たちを待つ』)

ちなみに私もここ 10年以上、ほとんど酒を飲まなくなってしまった。自分のブログを遡って検索してみると、2017年 7月 8日付で「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事を書いている。こんな具合だ。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。

というわけで、確かに 2003年頃には、毎晩酒を飲みながらこのブログを書いていた。これは「酔っ払っているとブログも書けない!」ってことの反証にもなるが、 2014年 3月 24日付で「酒は大好きだが、酔うのがいやになったこと」なんて記事を書いているのだから、人間、変われば変わるものである。

私が感じた「酔うのがいやになった」という思いは、実質的には「ソバーキュリアス」に近いもののようだ。週刊はてなブログの記事には、次のようにある。

「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合、禁酒や断酒はある意味でそれを脅かす行動になることもありそう。そんなときに新たな概念を知ることは、新しいアイデンティティーを獲得して、自身の行動を変えるきっかけになるのかもしれません。

なるほど、うまいことを言う。"「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合" には、確かに「酒を飲んでこそ本来の自分」みたいな気がしてしまうものなのである。自分自身が毎日飲んでいたのだから、それはよくわかる。

そして、ここで言う「新しいアイデンティティー」というのは、まさにこの「ソバーキュリアス」ということで、それまでの「酒飲み」としてのアイデンティティを、このコンセプトで置き換えるわけだ。そして一度酒から離れてしまえば、「自分」と「酒」とは「カンケーないね」という感覚になる。

ただ私の場合は、取り立てて「新しいアイデンティティー」を獲得したというわけではなかった。どういうわけか単に酒に飽きてしまったような気がして、自然に酒から遠離り、結果的に「ソバーキュリアス」になってしまっていただけということである。

この辺りのところをきっちりと自己分析していたら、Ruby Warrington より先に画期的なことを提唱し始めることもできたのにね。あまりにも自然な成り行きだったので、我ながら呑気なことだった。

【付記】

”Sober Curious” は日本語に翻訳され、『飲まない生き方 ソバーキュリアス』という邦題で出版されているようだ。

この本の帯にある「ソバキュリァン」というのは、「ソバー + エピキュリアン」というココロなのだろうが、"sobercurean" でググっても一件もヒットしなかった。日本だけで通用する洒落のようなので、ご注意。

 

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2022年8月11日

イッセイ・ミヤケ の死去と、「媚びないファッション」

iPhone Mania のサイトで、ファッション・デザイナーの三宅一生の死が報じられている(参照)。なんでまた iPhone のサイトでこのニュースが取り上げられているのかと言えば、スティーブ・ジョブズが生前いつも着用していた黒のタートルネック・セーターが、イッセイのデザインによるものだったからだ。

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ファッションなんかとは縁遠い存在と思われがちな私だが、ところがどっこい、その昔にはファッション・ライターをしていた時期があって、主に海外向けに英語で東京コレクションを紹介していたのだよ。だから、自分の身なりにはほとんど構わないが、ファッションに関しては少しは語れたりするのだ。

何しろ東京コレクションが一番輝いていた 1980年代に、イッセイ・ミヤケやコム・デ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモトなどのシーズン毎のコレクションを、最前列のプレス席で取材していたのである。そっち方面の好きな人からは、死ぬほど羨ましがられてもいいぐらいだろう。

当時、欧米から日本に東京コレクションの取材に来るファッション関係者の案内もよくしていた。彼女たちにとってのイッセイ・ミヤケは、ほとんど神格化されたみたいな存在で、彼の話題になると目をトロンとさせながら、”Oh, Issey Miyake!" とため息交じりに呟いていたものである。

それまでのファッションというのは、欧米、とくにパリ発の情報をいかにこなすかというのが重要だった。それだけに、ファッション・デザインというのは基本的にボディラインを美しく表現するものというのが「常識」だったのである。

ところがイッセイは、素材(布地)そのものの持ち味を前面に出し、見ようによってはプリミティブと言えるまでのアバンギャルドなコンセプトを強調した。私はそれを密かに「媚びないファッション」と呼んでいたが、これは実は、ココ・シャネル以来の「媚びない」系譜の発展形だったと思っている。

最近もっぱら愛用しているユニクロの服も、私の中では「媚びない」という点で共通しているのだよね。シャネルやイッセイと比べたらずっと安上がりだけど。

 

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2022年8月10日

半世紀前の ”暴力地獄” だった頃のワセダ

NewsSocra に「半世紀前の早大は "暴力地獄"」という記事がある。紹介された書籍の『彼は早稻田で死んだ』というタイトルの「彼」というのは、川口大三郎君という学生だった。まさに「半世紀前の早大」に在籍していた者にとっては、忘れようにも忘れられない名前である。

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このことに関しては、4年ちょっと前に書いた「JR 東労組の組合員大量脱退というニュース」という記事の中でも、こんな感じで書いている。

ちなみに JR 東労組の内部には、革マル派がかなり浸透していると認識されている。そしてこの「革マル派」という言葉を聞くと、私なんか、とても「いやぁな感じ」になってしまうのだ。

(中略)

さらに 1972年の秋には、革マル派による学内でのリンチ殺人事件が発生して、大学は長期休講に追い込まれた。これが世に言う「川口大三郎君事件」である。

とにかく私は半世紀前のワセダで、"暴力地獄" を間近で体験してしまっているので、この本の内容のかなりの部分は既に知っているような気がしてしまう。とはいいながら、一応「総括」のつもりで読んでみようと、たった今 Amazon で注文したばかりだ。

ただ、「既に知っている」とは言うものの、死んだ川口大三郎君が「早稲田精神高揚会に所属したこともあるし、左翼とは逆の原理研究会系の学生新聞の記者をしていたことも」あったというのは、噂では聞いたこともあったが、この NewsSocra の記事で初めて確認できた。

「原理研究会」(原理研)とは、今をときめく(?)統一教会系学生組織である。そっちの側の学生を「中核派のスパイ」と誤認してリンチ殺人したなんて、当時の革マルの情報力はお粗末過ぎである。いずれにしてもあの頃の学生運動って、右も左も「思い込み」だけで突っ走る傾向が強かったわけだが。

この本は著者の樋田毅氏が、当時の早大文学部自治会委員長だった田中敏夫氏にインタビューするため、2020年に自宅を直接訪問した時の描写から始まるという(参照)。ただ田中氏はその前年の 2019年に死去していた(参照)ようで、私はそのことについても初めて知った。

ちなみに田中氏は当時、文学部内では「田中ボーイ」なんて呼ばれていて、あまたいた革マル派学生の中では珍しくクールな印象だった。「田中ボーイ」というのは、同じ革マル派女子学生の「田中ガール」(フルネームは忘れた)との差別化(?)の意味があったと思う。

この「田中ガール」の方は、1971年度の新入生クラス担当だったらしく、よく我々の授業に乱入して政治論をふっかけたりしていたが、「お約束の決まり文句」しか言えず、議論してもつまらないタイプだった。今どうなっているのかは、全然知らない。

というわけで今は、本の届くのが待ち遠しい気持ちと、当時の記憶が生々しく蘇るのが鬱陶しそうだという感覚が、奇妙に入り交じってしまっている。

【付記】

本文中でリンクした NewsSocra の記事は会員登録しないと全文は読めないのだが、どういうわけか Yahoo ニュースのサイトだとフリーで全文読めるので、「会員登録なんてウザい」という方は、こちらにどうぞ。

 

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2022年8月 9日

電車内の英語アナウンス、再び

Q&A サイトの Quora に、「関東地方に住んでいますが、電車で車掌さんが The Doors in the right side will open. と駅ごとにアナウンスするのですが、正しい英語なのでしょうか?」という質問があるのを見つけた。

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とりあえずはっきりさせておかなければならないのは、前置詞が "in" か "on" かということだろう。Quora の質問では ”The doors in the right side will open" となっているが、この "in" は "on" の聞き違いなんだろうと思う。

私の 2019年 5月 20日の記事でも「ザ ドズオザ ライツァイ ウィル オプン」と聞こえるなんて書いていて、「ドズオザ」というぐらいだから ”The doors on the right side" のはずだ。この質問への回答も、すべて "on" が正しいということになっている。(”In" でも通じないことはないだろうが)

ただもう一つ、ちょっと気になるのが、”The doors on the right side will open." という言い方だと、主語が長くて頭でっかちの固い印象になってしまうことだ。

これに関しては、ネイティブ・スピーカーの Jason SH Wang さんが、バンクーバーの電車では "(The) doors will open on the right (side) ." と言っていると答えている。

括弧内は省略可能ということで、車掌さんによってバリエーションがあるのだろう。とにかく端的には "Doors will open on the right." で済むってことだ。

これなら自然な英語っぽいから鬱陶しくない。日本版アナウンスは、いかにも「右側のドアが開きます」という日本語の直訳っぽいが、バンクーバー版は「ドアは右側が開きます」って感じだ。”Right” を語尾にもってくることで強調されるので、紛れも少ないだろう。

というわけで、日本のアナウンスもこの形を採用すればいいのにと思ったのだが、今さら無理だろうなあ。

 

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