2025年5月16日

都道府県別のインバウンド・ランキング

ELEMINST というニュースサイトに「各都道府県のインバウンドランキング 国別の傾向も紹介」という記事がある。その中に 2023年 1月〜12月の、都道府県別のインバウンド数ランキングというのがあった。

2505161

5位までを見てみると、トップは圧倒的に東京都である。そして 2位、3位が大阪府、京都府と続き、4位、5位が北海道、福岡県だ。上位 5番目までで「都道府県」がすべてカバーされているのがおもしろい。順序は「都府道県」になってしまっているが。

私は日本中あちこちに出張する機会が多いが、このデータを知る前まではインバウンドの多いのは圧倒的に京都だと思い込んでいた。京都駅やその周辺はモロに外国人ばかりで、東京駅に帰ってくるとそれほどでもない気がするのである。

ところが実はそんなわけじゃなく、数的には京都府は大阪府にも及ばないのだから、印象というのは当てにならない。京都は多分、比較的狭いエリアに外国人が押し寄せるので、密度が高くなってしまのだろう。

ちなみに私が今住んでいる茨城県は順序としては 36位で、かなり下の方になってしまう。18万 3000人あまりだから、大阪府の 100分の 1だ。さらに出身地の山形県は 17万人足らずと、38位である。

ここまで来ると、外国人の姿を見かけることなんて本当に少なく、茨城県ではいろいろな仕事に中東出身者が多く就いている気がする。

 

| | コメント (2)

2025年5月15日

米国の「サマーキャンプ」というもの

山口慶明さんという米国在住の方が Togetter に「アメリカの『サマーキャンプ』という制度は、実はアメリカの格差や教育問題と密接に結びついていて闇が深い」と書いておいでだ。下にその一部を画像で示したが、小さくて読みにくい場合はクリックすればオリジナルのページが別画面で表示される。

250515

リンク先を読んでいただければわかるが、米国の子どもが行く「サマーキャンプ」というのは、ちっちゃなテントを設営してバーベキューなんかしてる日本的イメージとは、次元の違うものなのだ。いわば「エリート育成所」みたいなものらしいのである。

私はこの書き込みを見て、即座に高石ともやの『小さな箱』を思い出してしまった。米国の中産階級を皮肉った歌である。中産階級と言っても、医者、弁護士、会社の重役などもいるのだから、日本の「中堅サラリーマン」などとは比較にならないほど豊かな階層を指すのだが。

この歌の3番目の歌詞(4行目)は、もろに Togetter の書き込みそのものだ。

ビールを飲んで ゴルフをして
可愛い子どもがいて その子どもは
きちんと 学校へ通って
夏が来ればキャンプに行き そして大学へ行き
そして箱に入り ちっちゃな箱はみんな同じ

歌のタイトルにもなっている「ちっちゃな箱」というのは、米国のロサンジェルスあたりの丘の上に立ち並ぶ中産階級の家々のこと。くどいようだが、決して「つつましい家」なんかじゃない。日本の感覚からすると、むしろ「豪邸」に近いぐらいだ(ただ、塀はないけど)。

この歌のオリジナルはマルヴィナ・レノルズ(Malvina Reynolds)の "Little Boxes" で、高石ともやの訳詞は原詩にかなり忠実だ。彼女の代表作「雨を汚したのは誰?(What Have They Done to the Rain)」は、かなり多くのシンガーがカバーしているし、このおばさん、かなり骨のある人だった。

米国の「サマーキャンプ」のコンセプトって、トランプの時代になっても変わらないんだろうなあ。彼の熱烈支持層であるプア・ホワイトにしてみれば、ほとんど関わりのない世界だし。

 

| | コメント (0)

2025年5月14日

押収大麻 20トンの屋外焼却で、ちょっとしたことに

ググットニュースが「押収大麻20トンを野外焼却、町中が "ハイ状態" に… トルコで衝撃的な事態発生」という話を伝えている。燃やした大麻の量は金額にすると約 372億円分というから、トルコって結構スゴいことをする国だよね。

250514

ただこの記事、ちょっと曖昧なところがある。冒頭では「トルコ南東部ディヤルバクル県ライス(Lice)地区で、押収された大麻約 20トンを警察が焼却処分したところ、住民が意図せず "ハイ" な状態に・・・」とあるのだが、次のパラグラフでは「憲兵隊は(中略)、市街地近くで野外焼却を実施」とある。

焼却処分を実施したのは「警察」なのか「憲兵隊」なのか、一体どっちなんだ? いろいろ検索して元記事の英語版と思われるものを見つけたのだが、焼却処分に携わったのは "the authorities" と表記されているだけで、これってフツーは「当局」と訳されることが多いんだがなあ。

警察」と訳したまではまだ理解できるが、どうしてここで「憲兵隊」が出てくるのかわからない。この翻訳者はたまたま軍事関係のニュースか何かを訳した直後で、それとごっちゃになったりしたのかなあ。

いずれにしても、記事冒頭では「住民が意図せず "ハイ" な状態に」とあるが、実際には「住民およそ 2万5000人がめまいや吐き気、幻覚などの症状を訴え」、さらに「子どもたちの中には、体調を崩し病院に運ばれるケースも」とある。実際は「ハイ」というより「バッド・トリップ」だったようだ。

それにしても、わざわざ "LICE" の文字状に並べて燃やしている写真を見ると、大量のシラミ(シラミは英語で "louce" だが、複数形だと "lice")を燃やしているように勘違いしてしまいそうだよね。めまいや吐き気をもたらしたのも無理もない。

ちなみに、燃やしたのは大麻であって「お米(rice)」じゃないのでよろしく。多くの日本人は "lice/rice" を区別して発音できないから(参照)、米価が何かと話題の今どきは下手すると大変なことになってしまいそうだ。

 

| | コメント (2)

2025年5月13日

どうしてそれほどまでに夫婦同姓にこだわるのか

先月 22日に報じられた記事だから取り上げるタイミングがちょっと遅くなってしまったが、「維新 結婚後も旧姓の通称使用可能にする法案要綱まとめる」という NHK NEWS の内容が気になってしまった。

250513

日本維新の会の案は、記事によれば「結婚で姓を変えることが、女性の仕事や社会活動に不利益をもたらしており、早急な対応が必要だとして、結婚後も旧姓を通称として使用できることを規定した法案の要綱が示され」とある。どうやら「姓の変わるのは女性」というのが前提とされているようなのだね。

そして要項内容の重要ポイントは次のようなことだ。

要綱では戸籍法を改正し、希望する人が結婚前の旧姓を通称として戸籍に記載できるようにするとともに、住民票や運転免許証、それにパスポートなどにも旧姓を記載できるようにするとしています。

つまり戸籍上では「本名はあくまでも本名」で、「通称としての旧姓が補足的に記載できる」ということのようなのだ。ただ「住民票や運転免許証、それにパスポートなどにも旧姓を記載できるようにする」というのは画期的ではあるものの、表現がかなり紛らわしい。

「本名」を原則としながら「旧姓」も補足的に表記できるというのか、「旧姓」のみの表記でいけるのかが曖昧で、明確に読み取れない。いずれにしても一人の人間に「本名」と「通称」の二通りの名前を法的にもたせるということ自体、かなり鬱陶しい制度ということができる。

これ、次のように考えてみればその不毛さが実感されるだろう。

結婚に際して男の方が妻の姓に変わることだって当然あるわけで、他ならぬ私の父がそうだった。母が一人娘だったために、いわゆる「婿入り」の形で結婚したのである。ところが通称としての旧姓使用に関する最近の情報は、ほとんど女性の場合のみを想定して語られている気がする。

これがこの問題をややこしくする第一歩みたいなものだ。根底にあるのが「男権社会」のコンセプトのままだからである。

私は 7年近く前に "「夫婦別姓」 は、保守派にもメリットがあるだろうに" という記事の中でこんなことを書いている。少々長くなるが引用しておく。

思えば、「夫婦別姓」ならぬ「親子別姓」というケースがある。今の世の中では、親が離婚して、母親が旧姓に戻ったために、子どもと姓が違うという場合が多いだろう。しかし昔は、そうではない理由での「親子別姓」というのがあった。

それは一人娘が結婚して姓が変わってしまったために、「家督相続」する者がいなくなり、どうしても「家」というものを継続させたいがために、生まれてきた子の 1人を母親の両親の養子として縁組してしまい、それによって母方の「家」を継がせるというものだ。大方は子どもの知らないうちに養子縁組を成立させてしまうので、子どもが幼いうちは、当事者ながらよくわからない事情であっただろう。

保守派は「夫婦別姓では、親と子の姓が違ってしまい、家族の一体感が阻害される」などといって反対するが、その昔の「子どもが知らないうちに、祖父母の家に養子縁組されてしまっている」というケースに関しては、「親と子の姓が違ってしまい…云々」 みたいなことは言わない。これは甚だ不公正な態度と言えるだろう。

そもそも夫婦別姓を取り入れると言っても「選択的夫婦別姓」なのだから、全ての夫婦が別姓を名乗れというわけじゃない。妻が夫の姓を名乗りたければそうすればよく、旧姓のままでいたければそれも合法とするというだけのことだ。

そのせいで世の中がひっくり返ったりするわけじゃないというのは、日本以外の国がごくフツーに証明してくれている。どうしてそれほどまでに「戸籍上の夫婦同姓」にこだわるのか、本当にわからない。

最後に付け加えておくが、この記事に添えられてる写真、妙に寂しい光景だなあ。

| | コメント (10)

2025年5月12日

金属製の水筒の「さび」に中毒の可能性だってさ

歩いているだけで汗をかくこれからの季節に限らず、冬場でも乾燥で喉が渇くので、私はほとんど一年中水筒を持ち歩いている。ところが grape LIFESTYLE  が "金属製の水筒で中毒 医療局の注意喚起に「知らなかった」「怖すぎだろ」" なんてニュースを伝えているので、ちょっと気になってしまったよ。

2505121

とはいえ実際に記事を呼んで、かなり安心した。まとめるとこんなようなことになる。

金属製の水筒は長期間使用で飲み物が触れる内側もコーティングが剥がれ、傷が付いたり、サビが生じたりすることがある。この状態で酸性の飲み物や食品に触れると、金属が溶け出す恐れがある。実際に古い水筒でスポーツ飲料を飲んだ人が、頭痛やめまい、吐き気などの症状を起こした事例がある。

これは水筒の銅が溶け出したことによる中毒症状で、防止の方策はいろいろ紹介されているが、基本的には金属製の水筒にスポーツ飲料などの酸性飲料を長時間保管しないということに尽きるようだ。

私は水筒には真水しか入れないので、中毒の心配はあまりないと言ってよさそうだ。めでたしめでたし。

ちなみに同じ grape LIFESTYLE のサイトにある関連の "水筒に絶対入れないで 企業の呼び掛けに「ダメだったのか…」「これはやりかねない」" という記事には、金属製の水筒に入れてはいけないものが、次のように図で示されている。

2505122

おもしろいのは「葉入りお茶」はダメだが、「煮出したお茶」「ティーバッグや水出しを含むお茶」「茶こししたお茶」はいいんだそうだ。きっとお茶の葉がいけないのだろうね。

また最初に紹介した記事では「スポーツ飲料」はダメということになっているが、後者では OK とされている。

ただ、「スポーツ飲料は、塩分や糖分を含んでいるため、手入れが不十分だとカビやサビの発生原因になるとのこと。もし入れる際は、その日のうちにしっかりと洗い、乾燥させてから保管するようにしましょう」なんて但し書き付きで、ずいぶんビミョーな話である。

私なんか極めて大雑把な人間だからずいぶん面倒に感じてしまうのだが、まあ、要するに元々真水しか入れないので忘れてしまってもいいよね。心と体の健康に悪いのは、「どうでもいい話を気にしすぎる」ってことだから。

とはいえ、ジュースだの牛乳だのいろいろ入れたがる人は、念のためご注意を。

 

| | コメント (0)

2025年5月11日

NHK から国民を守る党・立花孝志の「選挙ハック」

TBS NEWS が【「選挙って儲かるんですよ」の裏側 ポスター代を水増し請求 "選挙ハック" の実態】というニュースを伝えている。例の「NHK から国民を守る党」党首・立花孝志氏が夏の参院選で兵庫選挙区から立候補すると表明した件のからみである。

立花氏が昨年 11月の兵庫県知事選(参照)において斎藤元彦知事を応援するために立候補した際、「2馬力選挙」による「選挙ハック」が問題となった。ちなみに彼は 2023年の選挙立候補で、「今回の選挙もなぜやってるか。 金儲けです。儲かるんですよ」と言っている。

選挙ポスターの作成に関して、候補者の得票率が一定のラインを超えた場合には印刷会社が経費を自治体に請求して受け取ることができるのだという。彼は自身の設立した印刷会社で選挙ポスターを印刷しているので、この自治体から受け取る金額が馬鹿にならない。

しかも「ポスターを 10万円で作っても 40万円とか請求できるんですよ。めっちゃ儲かるんですよ」なんて、図々しいことを言ってるじゃないか。

彼が昨年 12月に大阪府泉大津市長選挙に出馬した際の得票率は 10%を超え、ポスター代は公費負担となった。この際には 140枚印刷されていたのだが、支給された額は泉大津市が定める上限ぴったりの 39万2140円で、1枚あたり単価は 2801円となる。こんな高いポスターがあるものか。

ちなみに「自分の当選を目的としない立候補」も問題視されているが、この記事では鳥取県の取り組みを紹介している。同県は "立候補届出の際に他の候補者の当選を目的とする選挙運動をしない、などとする「宣誓書」を提出させることを定めた" というのだ。

こうしたことは国全体でも実施すべきだろう。そうでないと選挙に立候補することが「営利事業」と化し、馬鹿馬鹿しいことで公的経費が無駄遣いされてしまう。

 

| | コメント (4)

2025年5月10日

鯉のぼりは一匹から群れに変化しているらしい

紹介のタイミングがちょっと遅くなってしまったが、nippon.com のサイトに 5月 5日付で「こいのぼり:時代とともに 1匹から群れで泳ぐスタイルに」という記事がある。鯉のぼりというのは江戸時代からどんどん変化しているようなのだ。

250510

江戸時代初めの鯉のぼりは、サイズも小さいものでほとんど存在感がなかったようだが、幕末から明治期にかけて大きな鯉のぼりが盛んになったようだ。ただ、安藤広重の「江戸名所百景」に描かれたものを見ると、当初は大きな真鯉が単独で揚げられていたようなのである。

2505103

それが明治後期から大正の頃には、真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の2匹セットが主流になった。しかしこれは「鯉の夫婦」というわけではなく、武家の発想による「父と子(男児)」を表していたらしい。そんなわけで唱歌の「こいのぼり」にも、お母さんは登場しない。

屋根より 高い こいのぼり
大きい まごいは お父さん
小さい ひごいは 子どもたち
おもしろそうに 泳いでる

家族観の変化に伴って 3匹構成(赤い緋鯉が「おかあさん」となり、小さな青いこどもが加わった)が基本になったのは、1970年以降だという。鯉のぼりの家族におかあさんが加わるまでには、戦後から 25年という年月を要したわけだ。

それが現代では、観光名所や川などに多数の鯉のぼりが揚げられるというような形に変わりつつある。個別の家庭で大きな鯉のぼりを揚げるという余裕がなくなってきたことが背景にあるわけだが、これってもしかしたら「家族」のあり方の変化を先取りした現象かもしれない。

鯉のぼりを揚げるというのは、それほど歴史の古い風習ではなく、江戸時代後期から案外短期間のうちに様式が変化しているのだね。これは鯉のぼりが時代ごとの「家族のコンセプト」を反映しているからで、古来の「宮廷」を模した「雛祭り」とは基本的に異なっているからなのだろう。

 

| | コメント (0)

2025年5月 9日

いかに齢を重ねても、人生の未知の分野は限りなく広い

X(旧 Twitter)で、たちばな TOKYO BUNNYS CLUB さんという方が「一生に一度の記念品にこだわる人は将来ゴミ屋敷確定やぞ」と tweet しておられる。父親が彼女の使っていたベビーベッドやらちっちゃい椅子やらを捨てられない人らしく、それらで一部屋埋まってるんだそうだ。

250509

そんなことやってたら娘が 3人(それぞれもう独立しているが)の我が家なんて、一部屋が埋まるどころじゃ済まないだろう。しかし実際は大抵あちこちに「お下がり」としてあげまくったから、そんなことにはまったくなっていない。

私も妻も、子どもの使っていたものを手放せないようなセンチメンタリズムとは無縁の性格ようで、まことに至福の至りではある。ただそれはそうと、今日の記事の重要ポイントはむしろここから先なのだ。

上の画像で示した tweet に「お前の娘はもう BBA なんやぞって誰かおしえてやってくれ」という一文があるが、当初は彼女が大学の経営学部か経済学部を出て「経営学士」になってるんだという話かと思ってしまった。

フツーの常識では BBA ってのは Bachelor of Business Administration の省略形で、世間で(とくに米国なんかで)それよりありがたがられるのが MBAMaster of Business Administration:経営学修士 ) ってわけだからね

しかしそう解釈してしまうと、そこはか以上の違和感が生じてしまう。いや、別に経営学士でも一向に構わないし、もしかしたら実際にそうなのかもしれないが、この文脈でそれを前面に押し出したところでナンセンスでしかない。実際は別の意味で使っていると考えるのが自然のような気がする。

というわけでググってみると、どうやら こんなこと らしい。いやはや、「ババア」とは思いっきり意表を突かれた。

2505092

この項目には「2012年 3月 27日更新」とあるから、私はこの用法をまったく知らないままで少なくとも 13年以上生きてきたことになる。となると、自分自身はモロに JJY(ジジイ)ってことか。常に日本標準時(JST)を発信してくれているありがたい無線局という意味じゃなく。

いかに齢を重ねても、そしてどんなにちょっとしたことでも、人生の未知の分野は限りなく広い。先月末には「 "Happee Birthdae" って、私が知らなかっただけ」という記事を書いてもいるし、「わし、な〜んも知らんもんね」と思っている方が事実に近いし、何より楽なのだよね。

 

| | コメント (0)

2025年5月 8日

「スマホ認知症」なんてのがあるんだそうだ

TBS NEWS が "若年層も注意!「人や物の名前が出てこない…」もしかしたら "スマホ認知症" かも… 原因は「スマホの使い過ぎ」?【Nスタ解説】" という、ちょっと気になるニュースを伝えている。

いわゆる「認知症」と「スマホ認知症」の違いは、次のようなことだそうだ。

認知症」とは、情報を脳にインプットすることができなくなっていく。「海馬」と呼ばれる部分が萎縮していってしまうので、情報を取り入れることができなくなる。つまり、記憶ができない状態

一方で、「スマホ認知症」とは、スマートフォンを目的もなく見ていると、情報がどんどん脳に入ってきます。その膨大な情報に脳が疲れてしまうことにより、今度は情報を取り出すことができなくなってしまう。

覚えてはいるもののその引き出しがどこにあるのかが分からないため、取り出せなくなってしまうというのが「スマホ認知症」なのだという。「おとといの夕飯に何を食べたのか」がすぐに出てこない人は、スマホの使い過ぎによる "スマホ認知症" かもしれないとと指摘されている。

幸い私はすぐに思い出せたのでちょっと安心したが、もしかしたらいつも同じようなものしか食べてないからかもしれないと思い、またちょっと気になってしまった。

というわけで、下のチェックリストに挑戦してみるといいらしい。
2505081

私は ⑤ の「人・ものの名前がすぐに出ない」という 1項目だけが該当したが、これは最近に限ったことじゃなく昔からのなので、別に「スマホ認知症」のせいってわけじゃないだろう。というわけで一応安心していいようだ。

いずれにしても、一日中スマホとにらめっこという生活は避けた方がいいということである。

 

| | コメント (2)

2025年5月 7日

「ベルマーク」がまだ続いてたなんて、びっくり

昼のラジオ番組で「子どもの頃、学校で何の係でしたか?」という特集をしていて、聴取者からの回答の中に「ベルマーク係でした」というのがあった。「そう言えば、昔はそんなのがあったよね」と思いつつ試しにググってみたところ、まだ続いているのだと知って驚いてしまったよ。

2505071

たまたま最近報じられた毎日新聞の(4月 27日付) "ベルマーク協賛企業が減少 「PTA 保護者の負担」と脱退も" という記事が、「やっぱり時代だよね」と思わせる。記事によれば、ベルマーク運動の始まりは次のようになっている。

ベルマーク運動の始まりは1960年。「すべての子どもに等しく、豊かな環境の中で教育を受けさせたい」と財団が設立され、全国の PTA に参加を呼びかけ 2263校でベルマーク運動が始まった。06年からは幼稚園や小中学校、高校だけでなく大学や公民館なども参加対象とするようになった...

ただ、Wikipedia には「朝日新聞社創立 80周年記念事業として 1960年(昭和 35年)に始まった」とある(参照)。なるほど、毎日新聞社としては遠慮なく最近のベルマーク運動の低調さを報じることができたのだろう。

ただ「現在も全国の小学校の約 7割、中学校の約 6割が参加しており、年間約 3億円分の点数が・・・」とあるので、決して壊滅してしまったわけではないようだ。とはいえ我が家の娘たちが小学生だったほぼ 30年前頃でも、「ベルマーク集めにご協力を」というような呼びかけなんてなかったなあ。

ベルマークは 1枚 1点で、1円の計算となるらしい。こんな浮世離れしたシステムでは、"「活動に携わる保護者の負担になっている」という理由で企業が脱退するケースもあった" と報じられるのも無理はない。ベルマーク 100枚集めるのと直接 100円寄付するのと、どちらが楽か考えれば一目瞭然だ。

これでは「事実上、終わってしまったプロジェクト」とみる方がずっと現実的だろうと思ってしまう。

 

| | コメント (6)

2025年5月 6日

特攻を「美談」として語る幻想

読売新聞が 5月 4日付で "特攻隊員を見送った元女学生「特攻は無謀な作戦で、美談などではない」…知覧の慰霊祭に参列" という記事を伝えている。「特攻隊員を見送った元女学生」として、今はたった一人の参列者となった北九州市の三宅トミさん(95)のコメントだ。

250506

記事には次のようにある。

三宅さんは「特攻は無謀な作戦で、美談などではない。戦争を知る世代が少なくなり、また、あの時代がやってくるのではと気がかりだ」と強い口調で訴えた。

確かに、特攻を自らの命を犠牲にして国を護るという尊い美談のように語る風潮はなくならない。しかしこんなのは、実際に敵艦に体当たりする前に撃墜されたものの方がずっと多いという事実を知るまでもなく、幻想に過ぎない。

前にも書いたことがあるが私の父は戦時中(旧制中学時代)、易者に「お前は若死にする」と言われて「同じ死ぬなら空で死のう」と予科練に志願した。ところがいかにも「最後の予科練兵」らしい話で、入隊したものの「空で死ぬため」の飛行機は一機も残っていなかったというのである。

しかたなく、上陸した米軍に自爆攻撃を仕掛けるための地上訓練ばかりさせられていた。背中に重い爆弾を背負って匍匐前進するというものである。とことん馬鹿馬鹿しい訓練で、実行に移したとしてもほとんどは敵陣に突入する前に撃たれてしまうというのは、飛行機での特攻と同様だろう。

この作戦が行われる前に終戦となったため父は易者の占いに反して生き残り、私という人間がこの世に生まれた。そして半世紀以上経ってこんなことを書いているわけである。

父は戦時中の日本のやり方についてはとことん批判的だった。実際に体験した者の思いは強い。

【5月 9日 追記】

これは直接「特攻隊」に触れたことではないのだが、「ひめゆりの塔」についてムチャクチャな思い込みを語って撤回しない自民党の西田昌司参院議員みたいな人が、今後減りはしないのだろうと思うと、ちょっと警戒しなければと思ってしまう。

【同日 再追記】

西田参院議員は、ひめゆりの塔についての自身の発言を撤回したらしい(参照)。もっとも、発言は他の展示と混同してしまったためなんて言ってるので、自身の思想については反省もへったくれもないようだ。

 

| | コメント (2)

2025年5月 5日

私にとっての「外食」と、サイゼリヤの好調

東洋経済 ONLINE に【「もう値上げも間近?」「今までが安すぎた」との声も出たが… サイゼ「下方修正でも絶好調」が示す大変化の "進捗"】という記事がある。サイゼリヤはつくば周辺でもあちこちに店があって、かなり好調をキープしている印象だ。

250505

この店については 5年近く前の "「サイゼリヤ」って「さいぜり屋さん」なんでしょ" という記事のコメント欄で「サイゼリヤは、我が家の娘たちが小さかった頃に何度か入ったことがあるはずですが、まったく印象がありません」と書いている。しかし最近は、妻との外出時に時々利用するようになった。

やはり圧倒的なコスト・パフォーマンスがある上に、味も決して悪くないというのが市場での強みを発揮する要因になっているのだろう。記事の筆書の谷頭和希氏はこれを「ファストカジュアル化」と表現して、次のように書いている。

ファストカジュアルとは、「ファミリーレストラン」と「ファストフード」の間に位置するもので、価格帯としてはファミレスよりも安く、ファストフードより手の込んだ料理を食べられる、という業態だ。

なるほどね。ちなみに私はこの店ではいつもスパゲティの中でも最もシンプルな「ペペロンチーノ」のドリンクセットしかオーダーしないので、 ファストフードより安上がりなほどの 500円で済む。ところが妻はいろいろなバラエティで食べたがるので、2人合わせると 1500円ぐらいになる。

それでも、2人で外食して 1500円というのはメチャクチャ安い。妻は「もっといろいろ頼んだら?」と言うのだが、私はメニューの中から選ぶのが億劫でたまらない人なので、つい「いつもの最小限」になってしまう。毎回いろいろ異なったものを選ぶのが楽しそうな妻との決定的な違いだ。

なにしろ私の「外食」の原点は、そば屋とラーメン屋である。そば屋では「もりそば」しか食わないし、ラーメンは酒田の「ワンタンメン」が定番である。その他にどんなメニューがあっても、私にはまったく意味がない。

というわけで、メニュー表はどんなにすっきりさせてもらっても構わないのである。そういえば、今年 1月 31日の「日本のスタバも、メニュー削減してくれないかなあ」という記事でも似たようなことを書いていたんだった。

 

| | コメント (4)

2025年5月 4日

「恥」も「畏れ多さ」も知らないトランプ

共同通信が "トランプ氏、教皇模した画像投稿 「私がなりたいね」と冗談も" という記事を画像入りで伝えている。自分が教皇の姿をした合成写真を SNS に載っけちゃったもののようだ。この人って要するに「いい年こいて、頭の中はガキンチョ」なのだね。

250504

どうやら「恥」と「畏れ多さ」のどちらも知らない人のようなのである。どちらか片方だけでも知っていたら、こんな馬鹿なことはできるものじゃない。

JIJI.COM の記事によれば、当然ながら翌日にはあちこちで批判が相次いでいるようだ。イタリアのレンツィ元首相は「(カトリック)信者を不快にさせる」と批判して、写真に「恥」と上書きしたという(参照)。

2505042

イタリア語で「恥」は "vergogna" というのだね。英語の "shame" よりきつい感じだ。よほど怒ってるのだろう。

ちなみに JIJI.COM は次のようにも伝えている。

トランプ氏は数日前、記者団に「教皇になりたい」と冗談を飛ばしたほか、「非常に優秀なニューヨーク出身の枢機卿がいる」と発言。次期教皇候補としてドーラン・ニューヨーク大司教(75)に肩入れしたと受け止められている。

このドーラン・ニューヨーク大司教という人とトランプはおそらく一脈通じてるんだろうが、今回の騒動のせいでコンクラーベで彼を推す人は既にいなくなってしまっただろう。

【5月 7日 追記】

6日付の NHK ニュースによれば、トランプはそのうえで「誰かが教皇にふんした私の写真を作成し、インターネットに公開したものだ。私が作成したわけではない。AI かもしれないが、私は何も知らない」「誰かが冗談でやっただけだ。別に問題ないだろう。私も少しは楽しむのが好きだ」と述べたという。

そう言われてみれば、トランプ自身にこんな合成画像を作成する技術があるとは思われない。ただ仮に誰か(関係者?)が作成して公開したものだとしても、「ホワイトハウスも公式 SNS で同じ画像を投稿」というのはどうかしているよね。

【5月 9日 追記】

先ほど、クルマを運転中にカーラジオで「新ローマ教皇に初のアメリカ出身の枢機卿」というニュースが流れた(参照)ので、「まさかね !?」と思ったのだが、本文中で触れた「ドーラン・ニューヨーク大司教」とは別人の「ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿」(レオ 14世)とわかって一安心した。

 

| | コメント (2)

2025年5月 3日

「面倒だから遠くに捨てる」という行為の深層意識

奇しくも同じ日付の昨日 5月 2日、似たようなニュースが 2本報じられた。自宅から出たゴミを路上や山中に放置した男が逮捕されたというものである。

2505031

2505032

一つはゴミもゴミで、"「トイレまで行くの面倒」路上に尿入りボトルを捨てた疑い 100本以上か、47歳男逮捕" というものだ。尿入りペットボトルというのは、今回のみならず時々ニュースになる。

もう一つは "ビールの空き缶 3000本を山に捨てたか... 金沢市に住む 65歳の男を逮捕「自分で飲んだ。他にも捨てた」" というニュースだ。大量の空き缶をわざわざ山の中まで運んで捨てるというのは、軽い気持ちでできることじゃない。

路上に捨てられた尿入りボトルの多くは過密労働のトラック・ドライバーによるものと言われるが、今回のケースは話が違う。フツーに考えれば路上に捨てるよりトイレに行く方がずっと面倒がないのだから、別の心理が働いているとしか考えられない。

PRESIDENT Online の 【「1本あれば 100本はある」ゴミ屋敷から出てくる "ションペット" という爆弾" 】 という記事によると、「ゴミ屋敷」には尿入りペットボトルが大量にあることが多いのだそうだ。孤独死現場の第一人者という石見良教さんが、記事中で次のように語る。

"家" の共同体意識がなくなり、常に自分、個だけの動きとなったのだと感じます。 誰とも関わりを持たない、持ちたくない、ゴミをため込むことにより他を寄せ付けず、威嚇するのです。私は "ゴミシェルター" と言っています。

ゴミがシェルターなら、その中でも尿入りペットボトルは最も強力な「城壁材料」なのだろう。そしてそのペットボトルを路上に捨てるという行為からは、シェルターあるいは自己領域の拡大という意識が感じられる。かなり歪んだ自己主張である。

一方のビールの空き缶というのも、心理としては共通しているような気がする。わざわざ山の中に持って行って捨てるより「不燃ゴミ」として出す方がずっと楽なのだが、そこはそれ、山の中に人知れず自分の領域を残すことに意味があるのだ。ある意味、そこは自分の「別荘」になるのだろう。

いずれにしても共通するのは「人を寄せ付けない孤独」ということのような気がする。

 

| | コメント (0)

«トランプ離れの中でも「熱烈支持者」が動じないのは