2022年1月27日

給食における「納得感」と、フードロス軽減

東洋経済に ”強制せず給食完食!「納得感」を生む「食育」のコツ” という記事がある。「食事の楽しさを知ればフードロスもなくなる」というサブタイトルに惹かれて読んでみた。

220127

この記事は「フリーランスティーチャー」という変わった肩書きの田中光夫さんという方へのインタビューという形式で紹介される「フリーランスティーチャーの視点 ~ココがヘンだよ 学校現場~」という連載記事の 1つということも知り、さらに興味を抱いてしまった。うむ、おもしろそうだ。

何しろ学校現場に関しては私としてもずっと「ヘンだ、ヘンだ」と思い続けてきたので、このタイトルを見ただけで興味がかき立てられる。さらに給食は一度も残したことのない子だったから、この個別の記事に関しても読まずにはいられなかったわけだ。

私は、「給食を残す」ということが理解できないままに成長してしまった。子どもの頃は昼時になれば「腹が減ってしょうがない」という状態になっていたから、どんなに不味い給食でも目をつぶって腹に入れてしまわなければ、とにもかくにも体がもたなかったのだ。

そんなわけだから、私は「給食が食べられない」という子の気持ちを理解できず、「よくまあ、食べずに我慢できるな!」と思うばかりだったのである。「食べなければ我慢できない」という食欲旺盛な子ばかりではないとわかったのは、自分自身に子どもができてからのことだ。

「食事は残さず食べるのがいい子」という一般的な価値感の中では、小食で完食が苦痛な子にとっては「食べずに済ませる理由」というのが必要になる。それで「魚は嫌い」とか「豆は嫌い」とか、言いやすいところから言い出すことになり、それが「好き嫌い」として固定化されてしまう。

それどころかこの記事では、食べたことのない料理が出ると「どんな味かわからないから」というのが「食べない理由」になることまで書いてあるので驚いた。文字通りの「食わず嫌い」ってやつで、「できれば食べずに済ませたい」という子がよほど多いみたいなのだ。

ところがこの「好き嫌い」とか「食べたくない」とかいうのは多くの場合、「気分の問題」に過ぎない。この「気分」さえ変えれば「食べてみたい!」になるのは自然の道理だ。

田中さんは「食べること」を決して強制せず、自然に食べ物への興味が湧いて「納得感」が生じるように仕向けることで、この「気分の問題」を解決されている。詳しい内容はリンク先の記事に書いてあるので、ここでは繰り返さない。

この記事を読んで改めて自分の子ども時代のことを振り返ってみると、昼時になると「腹が減ってしょうがない」というより、「食うのが楽しみ」というとてもプリミティブな「納得感」があったのだと理解できた。「納得感」がフードロスも減らすのである。

あの恐ろしくまずい「脱脂粉乳」を目をつむって胃の中に流し込むことができた(参照)のも、この「納得感」があったからこそである。「納得感」は強い! 食事の問題だけでなく、人生全般でポジティブな姿勢を保つこともできる。

ただ私の場合、「肉食」についてはどうしても「納得感」を持てないので(その理由は、こちら)、しっかり納得の上で止めている。

 

| | コメント (0)

2022年1月26日

自分が「老害」扱いされないために

東洋経済 ONLINE に ”50代は「老害」か? 調査でわかった若手社員の本音” という記事がある。読んでみると、20〜30代の社員は 50代の社員に結構辛辣な印象をもっていることがわかる。ネガティブな意見で目立つのは、IT 化に関する意識の遅れ、パワハラ、セクハラ、積極的に働かないなどといった点だ。

220126

私は現在、直接には会社などの組織には属していないが、チームワークで仕事する機会はかなり多い。そして、今年の夏に「古希」(70歳)を迎える身としては、「50代」どころではないので他人事じゃない。

下手すると、自分でも気付かないうちに若手の仕事仲間に「老害」扱いされかねないんじゃないかと、ちょっと心配になってしまった。例えば最新の IT 機器やシステムなどは、若い頃は率先して仕事に取り入れていたのだが、最近は本当に必要になってあわててやり方を調べたりすることもあるし。

今の世の中、テレワークやオンライン・ミーティングなどで Zoom は必須アプリになっている。これを使っての 1 対 1 のミーティングなんかは何の問題もなくスイスイこなして来たが、先日、数十名の参加するミーティングで PowerPoint を使ってのプレゼンをする時にいきなり戸惑ってしまった。

パワポのプレゼン・ファイルは慣れた仕事なのでは何のことなくスイスイと作ってあったのだが、それを Zoom の画面上に表示するのに、「共同ホスト」ってやつの権限が必要だなんて、ちっとも知らなかったのだよ。「こんな基本的なこと知らなかったんですか?」なんて言われて、正直アセった。

泥縄でこの「共同ホスト」になったのだが、Zoom の操作画面がちょっとわかりにくいせいもあり、結構戸惑ってしまった。昔はこの程度のことは先回りしてどんどんやっていたのに、最近のツールをきちんと使いこなしていなかったことに改めて気付いた次第である。

それから、ややこしい複数のタスクを短時間で集中的にこなすなんてことも、昔はスイスイこなしていたが、最近は妙に神経が疲れてしまう。そんな事態は避けたいので、仕事は普段からチマチマ片付けておくに限る。

まあ幸いなことに、若手に「tak のおっさん、何遍教えても同じことを聞いてくる」なんて鬱陶しがられるようなことにはまだなっていない(と思う)。20年ぐらい前まで自分が言っていたことを、巡り巡って言われてしまわないように、常々体だけでなく頭のトレーニングも怠らないようにしておこう。

ちなみに、年は取っても「パワハラ/セクハラ」だけはしてないという自信はある。そういうのって、基本的に性分に合わないのだ。そして私は今、69歳 6ヶ月だが、上で紹介した問題の記事の写真(50代のオッサンということなんだろう)より、見かけだけは若いぞ。白髪、ないし。

 

| | コメント (0)

2022年1月25日

漢字の書体というもの

昨日の "ひらがなの「そ」の字の書き方" という記事で、漢字の「曽」の字とひらがなの「そ」の字の関係について、ちょっと思わせぶりな書き方をしてしまった。

2201251

その部分、こんなふうに書いている。

それどころか、元の漢字の「曽」は楷書体で離して書くのだから、ひらがなの「そ」も本来は離して書くのが正統という屁理屈だって成立しそうだ。(注: これは文字通り「屁理屈」でしかないので、あまり振りかざさないように)

これ、我ながら鼻につく書き方である。ただ「屁理屈」であるという内容は文字通りなので、「そ」を二画で書く高年齢層も、やっぱりこんなことを振りかざしてはいけない。

我々はともすれば漢字の基本は「楷書体」で、それを崩したのが「行書体」と「草書体」であると考えがちだ。他ならぬ私自身も若い頃にははそう思い込んでいたのだが、実はこれ、誤解なのだよね。

「書道入門」というサイトの「漢字の始まり」というページによれば、中国で漢字が生まれたのは約 3,300年前で、基となったのは「甲骨文字」というものだ。その次に「金文」が生まれて、さらにこの 2つを基礎として作られたのが、「篆書(てんしょ) 」という書体である。

この「篆書」という書体は、現代ではまったく使われなくなったというわけでもない。もったいぶった印鑑などに使われている馴染みのない書体の漢字の多くは、この「篆書」らしい。

そして漢の時代に盛んになったのが、篆書の中でも一般的だった「小篆」を簡略化した「隷書」で、これなら我々も、昔の石碑などで時折目にすることがある。そしてこの「隷書」から、お馴染みの「楷書」「行書」「草書」が生まれた。

ただ、この三つの書体の生まれた順番としては「草書」が最も早く、前漢の時代には成立していたらしい。そしてこれとは別の流れの中で「行書」が生まれ、そして「楷書」に至った。「楷書」が「行書」に先立つという説もなくはないが、「楷書」の成立は最後だったとするのが一般的である。

つまり「隷書 → 草書」という流れと「隷書 → 行書 → 楷書」という流れは、別個なのである。先んじて確立された「楷書」をちょっと崩したのが「行書」で、さらにもっと崩したのが「草書」というわけじゃないのだ。

それで、ひらがなの「そ」の字においても「元々の漢字の『曽』の字を見れば、二画で書くのが正統」と言い張るわけにもいかないわけだ。これが、もったいぶった書き方をしてしまった理由である。

もっとも、「楷書体」は唐の時代までは「真書」「正書」とも呼ばれていたらしいから、「由緒正しい書体」というイメージではあったのだろう。だから漢字書体の ”基本の「き」” と思われるのも、あながち無理からぬことではある。

と、ここまで「漢字の書体」について書いているうちに、8年以上前に書いた "脳みそが筋肉でできた警官と「署名」を巡る冒険" という記事を思い出した。時間があればお読みいただきたい。

 

| | コメント (0)

2022年1月24日

ひらがなの「そ」の字の書き方

Quora の「昔は大丈夫だったけど今はアウト!ってどんなものがありますか?」という質問にはいろいろな答えが寄せられているが、最近驚いたのが、ひらがなの「そ」の字の書き方に関するものだ(参照)。今は一画で書くのが正しいとされていて、小学校では二画で書くと先生に訂正されるらしい。

220124

竹尾康代さんという方が ”私の知っている「そ」は二画” と書かれていて、何を隠そう、私もフツーは竹尾さん同様、二画で書く。

2201242

確かに今どきは、ほとんどの活字が一画の「そ」になっている。しかしこれは、どちらか一方が正しくて他方は間違いという問題ではない。こんなのは今さら文科省が定めるようなことではないのである。

それは、ひらがなの「そ」の字の成立過程を見れば明らかだ。言うまでもなくひらがなの「そ」の字は漢字の「曽」の字の草書体からできている。

2201243

この「曽」の字の上の部分を続けて書けば一画になり、放して書けば二画になる。ただそれだけのことだ。一般的な明朝体やゴシック体の漢字の「曽」の字は離して表現されているのだから、ひらがなになった途端に「離して書くのは間違い」と言い出すのは乱暴すぎる。

それどころか、元の漢字の「曽」は楷書体で離して書くのだから、ひらがなの「そ」も本来は離して書くのが正統という屁理屈だって成立しそうだ。(注: これは文字通り「屁理屈」でしかないので、あまり振りかざさないように)

そもそも手書き文字というのは、そんなにきつく縛り付けるようなものじゃない。デジタルじゃなくアナログな次元の問題なのだから、どちらか一方に決めつけるのはおかしい。

ただ、この方面の専門家であるらしい押木秀樹氏は、"ひらがな「そ」の字形と知っておくことの意味" というページで、無用の混乱を避けるために対象の年齢層によって、次のように指導すればいいとしている。

  • 小学校1年生くらいなら:どっちも間違いじゃないけど、つなげて書こうね!
  • 同  中学年くらいなら:どちらも間違いではないけど、つなげて書く方が一般的です。
  • それ以上なら:社会的にどちらも「そ」という文字として認められています。一般的には「つながった字形」が多く使用されていますが、これは個人の使用に任せられていると考えられます。

なるほど、これなら納得できる。同様の問題は「さ」と「き」の字についても言える。要するに下図のようにつなげても離してもいいのだが、押木氏はこの点についても "ひらがなの字形はどう教えたらよいのでしょう?" というページで妥当と思われる説明をしておられる。

2201244

それにしても小学校の教師ごとき(ムカついたので、この際敢えて「ごとき」と書いてしまう)が、離して書いた「そ」の字に「ダメ出し」をするなんて、鬱陶しい世の中になったものである。

 

| | コメント (6)

2022年1月23日

面白いけど、「欲しいモノ」と「いらないモノ」

日本文化について発信する Japaaan のサイトに、一昨日付で面白い商品が 2つ紹介されていた。弁当によく付いている醤油入れをモチーフにしたインテリアライト "Light Soy" と、神社のお札を入れて壁掛けにする "OFUDA-Pocket" というものである。

2201231

上の画像が ”Light Soy”。次のように紹介されている。

オーストラリアのシドニーを拠点とする2人のデザイナー、Angus Ware と Jeffrey Simpson によるデザインスタジオ「Heliograf」が手掛けるプロダクトで、2020年にはオーストラリアの the Good Design Awards 金賞を受賞しています。

まあ、確かに面白いといえば面白いけど、個人的に「欲しいか?」と聞かれたら「いらない」と答えてしまうなあ。オーストラリアという国は、こんなようなものにグッドデザイン賞をあげてしまうのだね。

一方、「これ、欲しいかも」と思ってしまったのが、"OFUDA-Pocket" だ。これなら場所も取らなくて便利だし、ちょっとしたインテリアにもなる。

2201232

我が家には神棚があることはあるのだが、ほんの小さなモノで、十分な大きさはない。だから、神社に参拝してお札などを戴いても、置き場所に困っている。しかしこれなら、神棚の周りにひょいと掛けておけばいいので、ありがたい。

国産高級帆布を使用して色も選べるようなのでなかなかいいが、最後に値段を確認したら ¥4,500 とあるので、ちょっとびっくりしてしまった。これじゃあ、正月の初詣などでお札を戴く参拝料(奉納金というのかな)とあまり変わらないよね。

というわけで、これならハンド・クラフトで自作できるじゃないかと思ってしまったよ。

 

| | コメント (2)

2022年1月22日

幸福になりたいなんて、ことさらに思ったことないし

東洋経済 ONLINE に「幸福になりたいと願う人が幸福から遠ざかる皮肉」という記事がある。「真剣に考えるにはあまりにも重すぎるテーマ」というサブタイトル付きで、筆者はストックホルム商科大学経営戦略・マーケティング学部教授のミカエル・ダレーンという人だ。

220122

この記事は、次のような紹介で始まっている。

人が幸福だと感じる条件をまとめた『幸福についての小さな書』で、著者のミカエル・ダレーン教授(ストックホルム商科大学)は最後の章を「幸福を真剣に考えるのはやめよう」と締めくくっています。幸福感を高める本で、「真剣に考えるのはやめよう」と伝えた真意とは?

この書き出しを読んで私は、これまでの人生で「幸福になりたい」とか「幸福とは何か?」なんてマジに考えたことは一度もないと思い当たった。そもそも人生はなるようにしかならないのだから、「幸福」なんてことを真剣に追い求めるのは私の管轄事項じゃない。

そもそも「幸福になりたい」と考えるのは、「現状は幸福じゃない」と思っているからだろうし、その点で言えば、私は「自分は不幸だ」なんて思ったことも一度もない。「そこそこ、こんなもんなんじゃないの?」という自己認識なので、ことさら幸福をこいねがう必要もないのだ。

幸福を突き詰めて考えれば確実に幸福になれるというなら考えないでもないが、そんなことがあるはずもないので、当然のごとく「しょうもないことを考えるより、することは他にいくらでもある」ということに落ちついている。

これって、ミカエル・ダレーン教授の言う「幸福を真剣に考えるのはやめよう」という話と見事に合致しているじゃないか。幸福なんてことさらに考えない方が幸福感が高まるというのだから、限られた人生の時間の中ではほかのことを考える方がずっといい。

そもそも教授によれば「幸福とは異常な状態」であり、「人よりも幸福を真剣に考えている人は、平均して幸福度が少し低い」という研究結果さえあるという。ということは、「幸福」なんて追い求めるだけ無駄というより、むしろ弊害の方が大きい。

というわけで私は図らずも、「幸福」ということに関しては望ましい態度で暮らしてこれたわけだ。これって、幸せなことと思っていればいいのだろうね。

【1月 23日 追記】

そういえば、5年ちょっと前に "「幸福 と「幸せ」 とは、ビミョーに違ってる" という記事で、"小学生の頃に「この世に本当の幸福なんてあり得ないから、別に期待しない」という、まったく可愛げのない作文を提出" したというようなことを書いていたのを思い出した。

基本的に、今でもこのスタンスに変わりないと思う。

 

| | コメント (2)

2022年1月21日

喫煙者より禁煙者の方が高い、コロナ重症化リスク

NHK のサイトに「喫煙歴 コロナ重症化のリスク高  男性 1.51倍 女性 1.94倍にも」というニュースがある。文中の「喫煙が原因で引き起こされた病気のため、重症化リスクが高くなっている可能性がある」というのがさっぱりわからないが、いずれにしても喫煙歴は重要なファクターであるらしい。

220121

この NHK ニュース、全体的に文章が曖昧でわかりにくいので他のソースを検索したところ、「喫煙中より禁煙者に高いコロナ重症化リスク…2万人以上の研究結果」というテレ朝のニュースが見つかった。化学工業日報も「NCGM、喫煙歴ありはコロナ重症化リスク高」と伝えている。

これら 2本の記事には、コロナの重症化リスクは「現在喫煙者」より「過去喫煙者」(つまり "禁煙者")方が高いということが明確に示してあり、恐縮ながら NHK ニュースより端的にわかりやすい。

ずっと煙草を吸い続けている人よりも、過去に吸っていて今は禁煙しているという人の方が感染リスクが高いというのは、かなり意外な話である。こんなことなら、「せっかく禁煙しようと思ってたんだけど、やっぱり吸い続けることにするわ!」という人が出てきてもおかしくない。

ちなみに私は、24歳の年の 10月まで 6年間ヘビー・スモーカーだったが、それ以来 46年近く 1本も吸ってない(参照:20歳前から吸ってたのは「時効」ね)。ということは、この半世紀近い年月についてどう考えたらいいのだ。このあたりのことを、テレ朝のニュースは次のように伝えている。

国立国際医療研究センターは「過去に喫煙していた人は併存疾患を抱えている率が高く、禁煙しても疾患が残るため重症化しやすい」と分析しています。

ということは、禁煙というのは多くの場合、何らかの病気がきっかけになっていると決めつけているのだろうか。私の場合はそんなことではなく、故郷の酒田大火をきっかけに「火事の原因になるような行為は止めようと」と決心して禁煙したので、「併存疾患」なんて抱えていないのだが。

そしてさらに、NHK ニュースには次のような記述もある。

一方で、現在たばこを吸っている人では、重症化リスクは統計的に有意な差はみられませんでしたが、将来的にはリスクが高まるおそれがあるとしています。

これは「現在喫煙中の人は、今は元気でもそのうちいろいろな疾患が出てくるから、覚悟しな!」という脅し文句に聞こえるよね。このあたりのことって、ニュースの字面だけではよくわからない話である。

いずれにしても私としては、「コロナに罹りたくないから、タバコを再開して『喫煙者』に戻ろう」なんて夢にも思わないので、そのあたりどうぞ

Yoroshiku4

【注】 文中の化学工業日報の見出しにある "NCGM" は、「国立国際医療研究センター」(National Center for Global Health and Medicine)のこと。

 

| | コメント (0)

2022年1月20日

ワクチン接種拒否に関するお話

AFP が「反ワクチン派女性、故意にコロナ感染し死亡」というチェコのニュースを伝えている。コロナ・ワクチンの接種に反対する女性フォークシンガーが「衛生パス」取得のために、故意にコロナに感染して死亡したのだそうだ。

220120

「衛生パス」というのは、ワクチン接種か最近感染して回復したことの証明があれば取得できるもののようで、文化施設やスポーツ施設への入場、旅行、バーや飲食店の利用に必要という。この女性は、ワクチン接種よりも「感染して回復」という事実によってこのパスを取得しようとしたらしい。

欧米では新型コロナウイルスによる感染症予防のためのワクチン接種に反対する動きがかなり根強いようで、昨年夏にはキプロスで反ワクチン派のデモがテレビ局を襲撃するという事件まで起きている。

何を隠そう、我が家でも妻が行きつけの美容院のおにいちゃんに、「コロナ・ワクチンはヒトの遺伝子を変えてしまう」なんて話を吹き込まれたことがあったほどだから、決して別世界の話ってわけじゃない(参照)。そしてこんなのを信じている人は、今でも結構いる。

反対派の中でもとくに「トンデモ系」なのが、「ワクチン陰謀論」である。代表的なのは「コロナワクチンには世界を支配する影の政府が人類を家畜化・奴隷化するためのマイクロチップが埋め込まれている」というような話だ。

そんな目に言えないほどのチョー精密なマイクロチップが仮に可能だったとしても、それを大量生産してワクチンに混入するするなんて、いくら人類家畜化が目的でも、到底コストが合わないだろうに。陰謀論というのはある意味ファンタスティックなところがあるので、人によっては心酔しちゃうのだろう。

ワクチン拒否といえばテニスのジョコビッチが話題になったが、彼の場合はグルテン・アレルギーを食生活改善で乗り越えた経験から、自然療法に対する強いこだわりがあるらしい(参照)。彼が陰謀論信者じゃなくてよかった。

冒頭に紹介したチェコの女性フォーク・シンガーは、「昨年のクリスマス前にワクチンを接種していた息子と夫が新型ウイルスに感染した時、進んでウイルスに身をさらした」ということのようだ。ワクチンを打つぐらいなら、一度感染して抗体を獲得する方がいいと考えたわけだ。

ところが息子と夫は軽症で済んだが、彼女は重症化して死に至ってしまった。やはりワクチンには、接種すると重症化しにくいという一定の効果があるようなのである。

というわけで、日本でも近く 3回目の接種が本格的にスタートするらしい。私は注射は苦手(恥ずかしながら、本当に子どもみたいに苦手)だが、ここはやっぱり覚悟を決めて受けとく方がよさそうだ。自分自身が感染元になって広めてしまうリスクを減少させるためにもね(参照)。

 

| | コメント (4)

2022年1月19日

「寸借詐欺」防止の呼びかけに、警察は消極的?

昨日、どういうわけか 2020年 11月 1日付の「若者相手の寸借詐欺は、今も多いようだ」という記事にほんの 30分ぐらいアクセスが集中して、すぐに収まっていた。どんな記事だったかなあと自分でアクセスしてみると、同年 9月 30日付の毎日新聞の記事を引用したものだった。

220119

ところが、この毎日新聞の記事は既にネット上から削除されてしまっているようで、リンクできない。そこでちょっと探してみたら、同じ事件を西日本新聞が報じている(参照)ので、そちらの方にリンク先を変更した。長くブログを続けていると、時々こんなような「アフターケア」が必要になったりする。

ところが、この西日本新聞の記事の末尾に紹介されている福岡県警博多署のコメントには、かなり疑問を感じてしまった。こんなコメントである。

寸借詐欺に関する相談は以前から多く、被害に遭うのは主に学生などの若者。被害に気付かない本人を心配した親族が警察に相談するケースもあるという。捜査幹部は「本当に困っている人もいるだろうし、お金を貸さないでと呼び掛けるわけにもいかない。善意につけ込む卑劣な手口だ」と憤る。

「本当に困っている人もいるだろうし、お金を貸さないでと呼び掛けるわけにもいかない」というのは、いかがなものだろうか。「見知らぬ人には、安易にお金を貸さないように」と呼びかけるのは、今どきの世の中としては、むしろ常識的なことなんじゃないかなあ。

「本当にスリにあったとか、財布を落としたとかで困っているなら、警察に相談を」と言うのが本来なのではあるまいか。警察がそうした相談を受けたら、本人確認の上、家族などに連絡を取って迎えに来てもらえばいい。あるいはほかに適当な相談窓口があるなら、そちらに回せば済むことだ。

そうした呼びかけを行わないのは、警察の怠慢とさえ思ってしまう。あるいはうっかり者の相手をするのを、よほど面倒に思っているのかなあ。

 

| | コメント (2)

2022年1月18日

「お世話になっています」を AI で英訳すると・・・

東洋経済 ONLINE に "AI で「お世話になっています」を英訳してみると" という記事がある。レノボ・ジャパン社長のデビット・ベネット氏の書かれたものだ。

220118

ベネット氏は最近の AI 翻訳について、"現在 GPT-3 という AI や、DeepL という AI の評判がかなりよく、率直にいって英語の翻訳については「ほぼ完璧」と言えます" と書いている。記事には DeepL を使って英文を日本語に翻訳したものが載せられているが、確かにかなり自然な日本語になっている。

とはいいながら、ベネット氏は「私は引き続き外国語のスキルは必要だと思っています」としている。それは日常の会話などを適切に翻訳するという点において、AI はまだまだだからということのようだ。

例えば、"How are you?" という言葉について、ベネット氏は次のように述べる。

本来「あなたはどうですか=元気ですか?」という意味です。しかし突然「元気ですか?」という挨拶をする日本人は私の知るかぎりアントニオ猪木さんくらいで、他にはあまりいませんね。

このくらい一般的な言葉であれば AI は学習していて「こんにちは」と訳します。ただ、これがビジネスの場であればどうでしょう。おそらく「こんにちは」といきなり挨拶をする営業マンがいたらざわつくのではないでしょうか。

確かに難しい問題だ。その場その場の空気を読んで、最も適切な言葉に置き換えるしかなく、時には大胆な意訳も必要になる。

ビジネス上の挨拶としては「いつもお世話になっています」が登場し、これは日本語としては自然だが、AI が英訳すると "Thank you for your help." となり、かなり不自然なことになる。

さらに日本語のビジネスレターの書き出しの決まり文句、「貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」を英訳して、"I hope that your company is doing well." なんてやったら、かなりナンセンスだろう。実際にはこんなの、訳しようがないね。

というわけで、ベネット氏は「ビジネスの報告をする時、対立する意見を持つ人と意見交換をする時、あるいは異性に交際を申し出る時、こうしたシーンを AI に任せる気にはならないです」と書いている。これについては、私もまったく同感だ。

AI がかなり進化した今でも、やはり語学力というのは必要なのだろう。さらに実際の場面においては単に言葉の翻訳という問題だけではなく、「比較文化論」の視点まで必要になることが多い。

複数の言語が話せるということは、1つのテーマに関して別の文化的アプローチで考えることができるということになるので、確実に厚みのある思考ができると思う。

 

| | コメント (0)

«日本列島って、活断層だらけなのだね