2020/08/09

“Music Don't Lockdown” を正しい英文に直せ

6日前、NHK の朝の番組「マイあさ」で高山羽根子・作の『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』という小説を知った(参照)が、今朝の「マイあさ」では「MDL “Music Don't Lockdown"」というオンライン・イベントを知った。6日前は大きな共感があったが、悪いけど今朝は違和感だったのだよね。

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番組には発起人の いとうせいこう が出演していて、このイベントについてかなり得意げにアピールしていたのだが、悪いけど私は、いとうせいこう と みうらじゅん の 2人にはあまりいい印象を持っていない。今回も “Music Don't Lockdown” と聞いて、「何じゃ、そりゃ?」と思ってしまった。

この違和感は、イベントの趣旨についてではない。あくまでも、言葉の観点からのものである。まず誰でも気付くのは、「主語が "Music" という「三単現」の名詞なのだから、次は "Don't" じゃなく ”Doesn't" になるよね」ということだ。こんなのは中学英語の「基本の基本」である。

2番目の違和感は、"Lockdown" というのは「厳重監禁」とか「封鎖」といった意味の「名詞」だってことだ。まあ、名詞を動詞として使っちゃう(日本語でも「神ってる」とか)こともあるのだが、この場合は「うーん」となってしまう。

というのは、”lockdown" を動詞として使う用例には、私は未だかつて遭遇したことがないのだ。この名詞は動詞化しにくいんじゃないかと思っている。元々 ”Lock" という動詞からわざわざ派生させた名詞だしね。

”Music Doesn't Lockdown" と修正した上で、「無理矢理に動詞として使ってるんですよ」と言われるかもしれない。これだと「音楽は封鎖しない」って意味になるだろうが、しかし今度は「音楽は何を封鎖しないの?」と聞きたくなってしまうではないか。

「いやいや、"lockdown" は他動詞でなく、自動詞として使ってるんです」ということなのかもしれない。しかしそれだと「音楽は閉じこもらない」との意味になり、「今さら改めて言われるまでもなく、音楽って本来そういうもんでしょ」と言いたくなる。どうしても言葉としての不自然な感覚は残ってしまうのだ。

「いや、こういうご時世だから『音楽よ、閉じこもるな』というメッセージなんでしょ」と弁護する向きもあるかもしれない。しかしそれならそれで、"Music, Don't Lockdown” と、カンマで区切ってもらいたいところだ。あるいは、"Music, Don't Get Lockdown” の方がまだいいかも。

というわけで、「"Music Don't Lockdown" の趣旨を極力親切に汲み取った上で、「正しい英文」に直せ" という試験問題を出したくなってしまった。正解は 1つじゃなく、いろいろな言い方があるだろうね。

ちなみに、NHK 「マイあさ」のサイトには「MDL“ミュージック・ロック・ダウン”」(下線 筆者)と表示されている(参照)。要するに NHK、よくわかってないようなのである。

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2020/08/08

新型コロナウィルスが突きつけている根本的な問題

私の両親は既にあの世に行ってしまってるから、今さら里帰りしてもしょうがない。時々は墓守のために帰郷することもあるのだが、今年はコロナ騒動のため、田舎は「都会に出て行った人間に帰ってきてもらいたくない」という空気に満ち満ちているらしい。

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妹は「コロナ騒ぎが収まったら、来年の春あたり帰ってみようかと思う」なんて言っているが、この騒動が「来年の春」までに収まると思うのは楽観的すぎるかもしれない。WHO のテドロス事務局長も「影響は今後数十年に及ぶ」との見通しを表明しているし(参照)。

私は 2020年という年は、人類の歴史上で「コロナ以前/コロナ以後」(国際的には "Before COVID-19/After COVID-19" なんて言うのかな?)を分ける重要な意味をもつことになるかもしれないと思っている。今年を境に、世の中の仕組みは大きく変わるだろうということだ。

これまで人類は「余計なことをしてまで金を循環させて、経済的に発展してきた」と言えるだろう。それが極端な形で現れていたのが、バブル以前の世の中で、その頃の「モノの売り方」ということに、私は 6年前に言及している(参照)。つまり、「徹底的に余計なことをさせろ」ということだった。

バブル崩壊以後は、この「余計なこと」というのがしにくくなってしまったが、「コロナ騒動」以後は、それがますます顕著になった。感染リスクを避けるためには「家でおとなしくしている」ことが求められるのだもの、仕方がない。

気の合う仲間同士で寄り集まって酒を飲み、カラオケをして騒いだり、狭い観客席にぎっしり押し込められてスポーツ観戦やコンサートを楽しんだりするのは、もってのほかということになった。おいしいと言われるものを食べたり、珍しいものを見るために長蛇の列に並ぶのも憚られる。

つまり「非日常的な体験」のために大勢の人の中に飛び込むことが、なかなかできなくなってしまった。それどころか、そうしたことをするために移動することさえ憚られる世の中になってしまったのである。

「感染リスクを避けるために不要不急の外出は避けるように」というのは、当然の要請である。しかしもう一方で「Go to キャンペーン」なんてものを進めたがっているのは、こうした「余計なこと」もしてくれないと、経済が縮小して世の中が破綻するという危機感を隠しきれないためだ。

しかしこの 2つの要請は根本的に相反するのだから、うまく行くわけがない。そしてそう言ってお上の愚策を批判するのはたやすいが、批判する人間自身の心の内部でも、こうした矛盾する欲求が衝突してストレスの元になる。要するにこれは、「人類的矛盾」の象徴でもあるのだ。

この矛盾によるストレスは今後ますます大きくなるだろうから、それをどう解決するかが大きな問題だ。それはとりもなおさず、「経済成長しなくても人間が生きていける社会構造を実現するために、人間の欲求というものとどう折り合いをつけるか」という問題だからである。

コロナウィルス騒動というのはこうした根本的な問題、つまりこれまでまともに考えることを避け続けてきた哲学的課題を、否応なしに人間に突きつけている。これをきちんと意識化しないと人類は存在の意味を失うだろう。

つまり滅亡への長い道(あるいは「案外短い道」?)を辿る第一歩になるということだ。

 

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2020/08/07

仙台の七夕祭りも中止だそうで

今日は月遅れの七夕。例年は東北三大祭りの一つとして、仙台の街は大賑わいになるのだが、今年は例のコロナ騒動で中止となっているのだそうだ。仙台は私の妻の生まれた街だが、こういうことなら、まあ、仕方がない。

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とはいえ、「気は心」ということか、町の中心部には吹き流しだけが登場しているという。やっぱり何もないと寂しすぎるということなのだろうね。

この「七夕の季節感」ということについては既に何度も書いていて、今年も先月 6日に ”「明日は七夕」というのだが” という記事を書いている。ざっと言ってしまえば、本来の七夕は俳句でも秋の季語とされていることからも分かるように、新暦の 7月 7日なんていう梅雨も開けないうちからやるものではないのだ。

さらに言えば月遅れでも大抵は早すぎるぐらいのもので、本来の旧暦 7月 7日は、今年の場合は 8月 25日になるのだよね。この頃になれば日没も少しは早くなって、涼しい夕暮れときれいな天の川が見られるというわけだ。

というわけで、今年の七夕は、8月 25日の夜にひっそりと個人的に夜空を見上げて楽しみたいと思っている。

 

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2020/08/06

「うがい薬騒動」で薬局に殺到する「正しい人」たち

例の「うがい薬騒動」で、店頭での売り切れが続出していると聞いて、「人って、そこまで反応するか!」と心底驚いてしまった。東京 MX テレビの女性アナウンサーもうんざり顔でこのニュースを伝えている。(参照

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ニュースではうがい薬を買い求めにきたらしい人が 3人、既に売り切れた薬局の店頭でインタビューに応じているが、自分のそそっかしさや情報理解力の不足を特段恥じる様子もなく、「うがい薬を買うのも一苦労ですよね」みたいな感じで話している。これを見てさらに呆れた。

最初に登場したオバサンは「昨日も 5軒ぐらい廻った」と言ってるし、3人目のオジサンは「あとは大久保行って、アメ横行って、あとは 1ヶ月ぐらい待つ」なんてずいぶんマメなことを言っている。そんな「不要不急の外出」を繰り返すより、家でおとなしくしてる方が感染リスクは減るだろうに。

このタイプの人たちって、「自分は常に正しい」とまではいかないまでも、「常に正しい方の側にいる」ぐらいには思っているのだろう。「大阪府知事が『うがい薬が効く』と発表してるんだから、それを買いに走るのは人として当然でしょ」と疑いもなく信じているに違いない。

世の中に要らぬ混乱をもたらすのは、こうした「自分は常に正しい方の側にいる」と信じる人たちである。彼らがそう信じる根拠はせいぜい「だって、みんなもそうしたいと思ってるでしょ」というぐらいのことで、実はとても素直で世話好きで純朴な人たちなのだよね。

そして、岩手県などで感染者の家に卵や石を投げたり差別的な行動に出たりするのも、実はそうした素直で世話好きで純朴な人たちなのだ(参照)。ただ、「世話好き」ということに関しては「過剰に」という但し書きが必要かもしれないが。

というわけで、私は「正しい人」というのがとても苦手なのである。何しろ「そんなこと言ってるけど、あなただって本当は買いたいんでしょ。うがい薬」なんて、真顔で言われそうだしね。

 

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2020/08/05

東京立川の「猫返し神社」というもの

朝のラジオを聞いていたら、脱走してしまった猫が帰ってくるという御利益がある「猫返し神社」の話が出てきた。「そりゃ、一体なんじゃ?」とググってみたら、ジャズ・ミュージシャン、山下洋輔の著書まで一緒に検索されて、「へえ〜!」となってしまった。

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2016年 5月 28日付の AERA の記事によると、この神社は阿豆佐味天神社・立川水天宮という由緒あるものなのだそうだ。この中に、正式名称を「蚕影神社」(こかげじんじゃ)というお社があり、これが「猫返し神社」と呼ばれているという。その由来を宮司の宮崎洋さんがこう語っている。

実は 30年ほど前に、ジャズピアニストの山下洋輔さんが立川に引っ越して来られたんですが、その時に飼い猫のミオちゃんがいなくなってしまったんです。それで方々探すうちに、うちの神社にたどり着いて。引っ越しのご報告と、猫が帰ってきますようにということをお願いしたんだそうです。そうしたら間もなく、その猫のミオちゃんがよれよれになりながら戻ってきてくれたそうです

このエピソードは 1度だけに留まらず、代替わりした 2匹目、3匹目の猫の行方不明時にも、この神社にお参りして戻ってきたとのことで、山下氏がこの話を雑誌に書いたり単行本にしたりしたおかげで、今やすっかり「猫返し神社」として知られるようになったのだそうだ。

この神社を訪ねると、ピアノ・ソロの『越天楽』が流れているのだが、これは山下氏の演奏だという。一度お参りして聞いてみたいものである。

【同日 追記】

ちなみに雅楽の『越天楽』は、後にアレンジされて白拍子の『今様』になり、さらにアレンジされて『黒田節』に変わったと言われる。聞き比べると、確かに共通したメロディだよね。

 

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2020/08/04

スパム・メールの波が来ているようだ

先週辺りから、私の 2015年 2月 28日の "「同窓会のお知らせ」というスパムメール” という記事へのアクセスが妙に多い。ついググってヒットした私の記事を読みたくなるほど、近頃はこの種のスパム・メールが多いようなのである。

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「同窓会のお知らせ」というのは、古典的なスパム・パターンで、同窓会というものと無関係の人はほとんどいないだろうから、そんなタイトルのメールが届いたらつい開けてみる。すると、なにやらもっともらしいことが書いてあるので、純朴で人付き合いのいい人ほど反応したくなってしまう。

しかし考えてみれば、大抵の同窓会には例えば「青葉会」とか「清流会」とか、あるいは 「〇〇高校**年度卒業生の集い」とか、それぞれ固有名詞が付いている。この固有名詞が出てこないで単なる「同窓会」になってしまっている時点で、「これ、アヤシ過ぎ!」と気付かなければならない。

それから最近増えているのが、Facebook の付属メッセージ・アプリである Messenger を利用したスパムである。上の画像のような、YouTube を装ったような画像に、「このビデオはいつでしたか?」とかいうコメントが付いている。しかもその下にあるのは ”video" ならぬ "vimeo" なんて文字だ。

私の所にも、これが 2回届いている。あまりにもアヤシいので放ってあるが、届いてしばらくすると、当人から「済みません、ウィルス・メールを転送してしまいました。開かないでください」なんてメールが届く。当人は既に Facebook のアカウントが乗っ取られてしまったという。

間違ってこれを開いてしまったら、アカウントが乗っ取られないうちに ID とパスワードを変更すればいいらしいのだが、何しろこんなのを何の疑いもなく開いてしまうような人だから、そんな対処はあまり期待できない。そんなわけで、「このビデオはいつでしたか?」は結構な広がりをみせているようだ。

スパムの増減というのは波があるようで、流行り出すとどんどん増える。そして廃れている時期も結構あるのでその間に警戒心が薄れ、次の波が来たときに感染してしまいがちだ。常に「これ、アヤシすぎ!」と直観できる感性を研ぎ澄ましておかないと、周囲に迷惑を広げてしまうことになる。

 

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2020/08/03

"Come Gather 'Round People" (Wherever You Roam...)

昨日の朝の NHK ラジオで「マイあさ」という番組を聞いていると、ゲストに今年度の芥川賞を受賞した高山羽根子さんが登場していた。彼女の受賞作は『首里の馬』だが、昨年に芥川賞候補作となったのは、『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』という作品だという。

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私は恥ずかしながら昨年度の候補作については情報をもっていなかったのだが、『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』と聞けば、それはもう間髪を置かず、自然に "♫ wherever you roam..." と口をついて出てしまう。そう、ボブ・ディランの "The Times They Are A-Changin" (『時代は変わる』)だ。

というわけで、そこから先は完全にオートマティックな反応で、すぐに Amazon のサイトにアクセスして購入してしまった。芥川賞受賞作の『首里の馬』を読む前に、まずはともかく『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』を読まなければ、落とし前がつくまいと思ったのである。

で、今日は朝から所用であちこち出かけ、帰宅は午後 3時過ぎになった。途中、iPhone で Amazon の「注文履歴」を見ると「2020/08/03 に配達しました」と表示されている。最近は便利な世の中になったものだ。帰宅して郵便受けから Amazon の小さな包みを取り出し、早速読み始めた。

1時間足らずで一気に読み終わり、「これは当たりだったな」と思う。最初から最後まで、徹頭徹尾「フツーの現実感」というものがないのに、常にボブ・ディランの『時代は変わる』がバックグラウンドで聞こえるような「既視感」に、濃厚に彩られている。まるで自分の経験したことのように錯覚しそうだ。

これから読む人のために、敢えてこれ以上は書かないことにする。そして私としてはまた、ほぼ自動的に Amazon で『首里の馬』を購入してしまったよ。明日届くはずだ。

【2020年 8月 4日 追記】

ちなみに "Come gather 'round people" というのは、その昔に流行った『受験生ブルース』の出だし「おいで皆さん 聞いとくれ」になる。

 

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2020/08/02

梅雨が明けて、「カラダの鬱」から抜け出した

東海、関東、甲信越は昨日、梅雨明けが発表された。下手すると梅雨明けは来週前半になってしまうんじゃないかと思っていたが、まあ、なんとか「夏本番」になったわけだ

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この梅雨明けと同時に、私も「カラダの鬱状態」から抜け出せたような気がしている。ココロの方は、このブログをいつも通り更新し続けていることでもおわかりのように、心配ご無用なのだが、どうもカラダの状態がスッキリしなかったのだ。

いや、この春から始めたダイエットとエクササイズ(こちらを参照)は順調に継続しているので、体調不良というわけじゃない。朝は元気に 5時前には起き出せるし、有酸素運動も毎日ちゃんとこなしている。長梅雨で半ばジャングルと化している土手の雑草刈りも、近所中でいちばん元気にこなせる。

どこからどう見ても健康そのものなのだが、何が不満だったのかというと、ちょっと疲れやすかったということなのだ。いつも何となく眠くて、ふと気付くと寝落ちしてしまっている。午後 4時頃にふと椅子の背もたれに寄りかかると、ついそのまま寝てしまっていた。

そして 1時間ぐらい意識が遠のいて、5時過ぎにはっと目を覚ます。下の階の妻は、「なんだか静かだなあと思ってたら、寝落ちしちゃってたのね」なんてあっさりと言うが、どう見ても元気なのだから、「つい寝落ちしちゃった」以上のことには見えなかったようなのだ。

ところが、この「つい寝落ちしちゃった」が 1週間も連続するようになってしまうと、さすがにちょっと心配になる。「どこか悪いんじゃないの?」なんて言われるが、どこも悪い感じはしない。ただ、毎晩必ず夜中にトイレに起きてしまうのが気にはなっていた。前はそんなことなかったのに。

ところが昨日梅雨が明けた途端、体調がすっかり変わってしまった。相変わらず 5時前に起きても、一日中ちっとも眠くないのである。夜中もぐっすり安眠できる。「なんだ、心配して損した!」ってな感じなのだ。

どうやら梅雨の間は、体が東洋医学でいうところの「陰性」に傾きすぎていたようなのである。それで水分過多でホワーっとした感覚が続いていたのだ。ところが梅雨が明けた途端に元の体調に戻った。やはり周囲の環境って、体調にかなり影響するようなのである。先月末で 68歳にもなっちゃったしね。

というわけで今後は、少しはカラダと相談しながら突っ走ろうと思う次第なので、よろしく。

 

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2020/08/01

相撲の世界の浮世離れ

近頃雑事に追われてほとんど意識していなかったのだが、「大相撲七月場所」というのが行われていて、明日が千秋楽なんだそうだ。例年なら七月は「名古屋場所」ということになるのだが、今年は両国国技館での開催ということになっているらしい。

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大相撲名古屋場所」というサイトに行ってみると、ページトップに「大相撲名古屋場所は、大人数による東京から名古屋への移動・長期滞在を避けるため、東京(両国国技館)での無観客開催を目指すことになりました。事態が収束し、来年には多くの皆様に名古屋場所をご覧いただけることを願っています」とある。

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「えっ? 無観客じゃないだろうよ」と思って調べてみると、実際には「大相撲 7月場所、観客入れ開催 上限 2500、升席は 1人」ということで行われているらしい。どうやら相撲の世界のウェブの扱いはまだこなれていないようだが、それでかえってしっくりきたりしてしまうのがおもしろい。

ただ、実際にはこのページの URL を見ると "chunichi.co.jp" とあり、相撲協会ではなく中日新聞の管轄するサイトのようで、どうやら新聞社でも相撲の世界にどっぷり浸ると、こんな感じらしい。それでますますしっくりきてしまう。

ところで、今朝の NHK ラジオを聞いていたところ、女性アナウンサーが大相撲の話題に触れて、「〇〇(この部分、何と言ってたか忘れた)は、『うわずえ』の問題もありますしね」なんて言っていた。一瞬、「うわずえって何だ?」と思ったが、すぐに「上背(うわぜい)」のつもりだろうと納得した。

「上背」なんて、今どきは相撲の世界でしか使われない符丁みたいなものなので言い慣れないのか、つい「うわずえ」に聞こえてしまう発音になってしまったようだ。これは今朝の女性アナウンサーに限らないらしく、「うわぜい うわずえ」でググると、結構な数のページがヒットする。

さらに聞いていると、「4人用の『末席』に 1人だけですしね」なんて言っていたが、これも「枡席」と言ったつもりなのだろう。まあ、これはビミョーな発音だから仕方がないか。

というわけで、相撲の世界というのはなかなか浮世離れしたままであるらしいと確認できた次第である。

最後に一言書かせていただくが、国技館の 4人用枡席というのは、図体の大きな私にはどうにもこうにも狭すぎて閉口してしまう。あれは身長 160センチぐらいの人のためのデザインとしか思われない。あそこに 1人で座ったら、さぞかし楽だろうと思う。

 

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2020/07/31

ウナギを食うことについて

Gyoppy というサイトに ”ウナギを食べ過ぎると絶滅するらしいけど、結局食べていいの? 専門家に聞く4つの質問” という 7月 20日付の記事がある。今年は 8月 2日の日曜日が土用丑の日なので、それにちなんだものなのだろう。

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この記事の「4つの質問」と、それに対する回答は、ざっと次の通りだ。(より詳しくは、元記事に飛んで読んでいただきたい)

【質問 1】実際のところ、ウナギは食べていいの?

回答: 個人の倫理観にしたがって決定するものです。しかし、その決定を行う際に基礎となる知識が必要だと思います。

【質問 2】食べられているウナギの半分以上は違法なウナギ」ってホント?

回答:本当です。その年によりますが、国内で養殖されているニホンウナギのうち、半分から7割程度のウナギが、不適切に漁獲・流通したシラスウナギから育てられています。
養殖のためのシラスウナギ捕獲には、都道府県知事の特別採捕許可を受ける必要があります。しかし現状では、無許可で行う密漁、許可を受けた漁業者の過少報告(無報告漁獲)などの違法行為により、半数程度が不適切に流通しています。さらに、国外で漁獲されたシラスウナギが輸入される際も、原産国から密輸されている可能性が高いと考えられています。

【質問 3】今後、消費者がウナギに関してできることは?

回答: 個人の力は大きくはありませんが、たくさんの声が集まれば、産業界や政治に対して影響を与えることができます。現状では、消費を削減するべきです。
もうひとつ、消費者にできることがあるとするなら、基礎的な知識を学ぶことがあります。

【質問 4】ウナギをいつまでも食べることができる状態とは?

回答:人間が悪影響を与えているからウナギが減っているのなら、その悪影響をなるべく減らしてあげることが、まずは必要です。
これからの時代に合わせた新しい共存の形をつくることが大切です。

早く言えば、ウナギの消費を減らすことが求められるというわけだ。

ちなみに私も、この時期にうなぎに関する記事を何本か書いている。こんな具合だ。

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013/08/03)
土用丑の日に休業する鰻屋さんの志 (2017/07/24)
うなぎを「大事にいただきましょう」という環境省の tweet (2019/07/23)

2013年 8月 13日付の記事で明らかにしているように、私はこの頃から「ウナギとマグロは食わない」と決めている。というわけで個人的な見解としては「結局食べていいの?」なんて聞くまでもなく、「俺は食わないよ」と言うほかない。

 

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«「支庁」というものは、北海道に限らない