2025年2月17日

会議中の居眠りって、極楽みたいなもの

Bluesky で SAWASAKI Fuyuhi さんが、伊藤ケンジさんの国会議員の居眠りが「気持ちよさそうだな」という記事に「国会議事堂居眠りツアーとか企画したらけっこう応募者集まりそう」とコメントしておいでだ(参照)。なるほど、そんな企画が本当にあったら私も参加してみたい。

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とにかく会議中の居眠りって、その心地よさと言ったら極楽みたいなものだ。これは一度でも体験してみればよくわかる。

実を言うと私は若い頃に団体事務局勤務が結構長かったので、いつも会議を主催する側にいた。会議当日、過不足ない資料を揃え、パワーポイントなどをきちんとセットして準備しておくのに、いざ蓋を開ければいつも出席者の 1割近くは居眠りするのである。

若かりし頃のこととて、これにはちょっと腹が立った。口には出さないが、腹の底では「会議出席手当と交通費を支給してやってるんだから、そんなに堂々と寝るんじゃねぇよ!」と思っていたのである。

ところが長ずるに及んで、自分がいろいろな団体でプロジェクト責任者とか役員みたいな立場となり、会議の「出席者」として参加するようになる。すると申し訳ないことに、今度は自分が睡魔に勝てなくなってしまうことが度々あるのだ。

エアコンのよく効いた会議室で配布された資料を眺めているうちに、いつの間にか目がうつろになり、「意味のある文字」として認識できなくなる。そして、会議のやり取りの声もどんどん遠のく。

初めの 5〜6分ほどは「ヤバい!」と気付き、気を取り直す。しかしそのうちに何の抵抗もできなくなって、意識が一瞬の間にすぅーっと異次元にまで遠のく。

そして実に立派に居眠りしてしまうのだ。これ、本当に気持ちがいいものなのである。

それは単に「陶酔」の世界に入るからというだけではない。身に課せられた「責任」みたいなものを何のてらいもなく意識の外に放り出してしまうのだから、その開放感も半端じゃない。

これが国会内のことで、しかもテレビで全国に流れるとなったら、その極楽気分はある程度のリスクを超越することとも相まって、一般人の想像を遙かに超えるまでに高まるんじゃあるまいか。

これだからこそ、国会議員っていくら年取っても引退したがらないのだろうね。

 

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2025年2月16日

「Me-Time(自分時間)」って、うまい言い方だ

私は昔から「一人で時間を過ごせないやつは、ろくなもんじゃない」と思っている。Gigazine の "1人で過ごす時間を「孤独」ではなく「自分時間」と呼ぶとポジティブな気分になれるという研究結果" という記事を読んでも、「それ、当たり前じゃん」と思うばかりだ。

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そりゃ仲間と一緒に賑やかに過ごす時間も楽しいが、だからといって「自分一人でいる時間」が確保されなかったら、大変なストレスになってしまう。そんなわけで、この記事の冒頭の一文を読んで驚いてしまった。

1人で過ごす時間は孤独でさみしいものだと考えている人もいるかもしれませんが、近年は「自分時間」という言葉で 1人の時間を肯定的に捉える動きもあります。 

うぅん、それって「近年」に始まったことじゃないだろう。昔からの常識だと思うがなあ。そうでなかったら、ゲーテもカントも生まれない。

そう思いつつ元記事の 【From “isolation” to “me-time”: linguistic shifts enhance solitary experiences】(「孤独」から "me-time" へ: 言葉を変えると一人がカッコよくなる)に当たったみると、こんなふうな書き出しだった。

Spending time alone is a virtually inevitable part of daily life that can promote or undermine well-being.
(一人で時を過ごすのは日常生活で不可避なことで、健康や幸福感を促進したり弱体化したりします)

「一人の時間」にはいい面も悪い面もあると説き起こされ、とくに近年に始まったこととは書かれていないので、これならまあ納得できる。相変わらず、Gigazine の翻訳にはひっかかるところが多い(参照)。

要するにこの記事で紹介されているのは、「一人の時間」をどう呼ぶかということに関する研究の結果だ。

1つ目の実験ではアメリカに住む500人の成人に対し、無作為に「Me-Time(自分時間)」「Time Alone(1人の時間)」「Solitude(孤独)」「Being Alone(1人でいる)」「Isolation(孤立)」の 5つどれかを割り当てて、それぞれの言葉についてさまざまな質問をしました。

結果は次のようなことだった。

「自分時間」は一貫して最もポジティブで望ましいものだと評価され、被験者はそれが幸福にとって有益であり、積極的に経験したいものだと認識していました。

実質的には同じような状態でも、それを肯定的な言葉で表現するとハッピーでいられるというわけだ。まさに「物は言いよう」で、その意味で「Me-Time(自分時間)」とはなかなかうまい言い方である。"My time" だと、「持ち時間」的なニュアンスのせいでストレスにつながるからね。

というわけで、「一人で時間を過ごせない」というタイプの人間は、「一人の時間」じゃなく "Me-Time" や「自分時間」と言い換えてみると、感覚が変わってしまうかも知れない。

 

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2025年2月15日

ビヨンセの「最優秀カントリー・アルバム賞」受賞

今さらのようだが、今月初めのビヨンセのグラミー賞受賞のことについて触れる。第67回グラミー賞において、彼女の "COWBOY CARTER" に「年間最優秀アルバム賞」が授与された。ただ注目したいのは、このアルバムが「最優秀カントリー・アルバム賞」も同時受賞していることである(参照)。

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カントリー・ミュージックと言えば「白人の音楽」というイメージが強いが、よく調べるとブラック・ミュージックの影響もないではないし、黒人のカントリー・ミュージシャンだっている。

ところがこれまで、グラミー賞の「最優秀カントリー・アルバム賞」は、白人以外に与えられたことがなく、今回のビヨンセが黒人初の受賞となる。それだけに、かなり画期的なことと言える。

さらに言えば、これって米国の音楽界のトランプに対する反発と見ることもできる。トランプが聞きそうなカントリー・ミュージックと言ったら、モーガン・ウォーレンみたいな、日本で言えば「ド艶歌」みたいなものになってしまいそうだが、ビヨンセのはかなりソウルフルだし。

今回受賞したアルバムに収録されたヒット曲、" TEXAS HOLD 'EM" を聞くだけでそれは如実にわかる。こんな感じだ。

それに何より、ビヨンセは今回の米国大統領選で民主党のハリス支持を明確に打ち出していたしね。

トランプはムチャクチャな政策を矢継ぎ早に打ち出しているが、米国民の中にビヨンセの歌を楽しむ流れがあれば、4年後はきっと大丈夫と信じることにしよう。

 

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2025年2月14日

あおり運転されたら、すぐに停まって先に行かせてしまう

「くるまも by 三井住友海上」というサイトに、「あおり運転をするのはなぜ? あおられたときの対処法は? 加害者1,000人にヒアリングした教授に話を聞いた」という記事がある。答えてくれたのは明星大学で「あおり運転」について研究している藤井靖教授だ。

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あおり運転には 10類型あるとされるが、圧倒的に多いのは「車間距離不保持」というもので、要するに車間距離を極端に詰めて迫るといやつだ。これって、追い越し車線をノロノロ運転しているクルマの後ろで発生しやすい。つまり「通せんぼ運転」があるから、つい車間距離を詰めてしまいがちなのだ。

それだけに藤井教授は「加害者の 83%は自分があおり運転をしている自覚がない」と指摘する。つまり加害者は「相手が悪いから自分もそうせざるを得なくなっている」と考えていて、むしろ被害者心理の方が強かったりする。

私も「通せんぼ運転」運転されてイライラすることがよくある。しかしそんな場合は、決して車間距離を詰めてあおったりせず、むしろ別の車線を走って「通せんぼ運転」のクルマには近付かないようにする。

というのは、「通せんぼ運転」するような人は、生まれてから一度もバックミラーもサイドミラーも見たことがないんじゃなかろうかと思うからだ。つまり、自分が「通せんぼ運転」しているということに気付いていないのである。

そんなような人の運転するクルマには、危なくて近付きたくないじゃないか。私は 2019年 12月 13日付の "「煽り運転」は、元(通せんぼ走行)から絶たなきゃダメ" という記事で、"「通せんぼ走行」のドライバーにも、高い違反点数を課すべきだと思う" と書いている。

実際には追い越し車線で「通せんぼ運転」しているクルマとは別の車線を走っていると、自然にそのクルマを追い越してしまうことになる。あおったりするよりずっと「結果オーライ」になることが多いのだ。

高速道路とは別のケースとなるが、片側一車線の地方道で後ろからもの凄いスピードで迫ってくるクルマがあったりする。こちらが常識的なスピードで走り続けていたら、確実に「あおられる」ことになる。

こんな場合、私はすぐに左端にクルマを停めて道を譲ることにしている。相手はすぐに追い抜いて猛スピードで走り去るが、しばらく行くと、バックミラーもサイドミラーも見ないノロノロ運転のクルマ(運転)に「通せんぼ」されているのに追いつくことが多い。要するに「煽り」って危険なだけでムダなのだ。

冒頭で紹介した記事の写真に、"対処法は 3つの「と」" と表示されているが、これは「① とらえる(捉える)  ② とまる(止まる) ③ とる(撮る)」ということだそうだ。「捉える」は早めに気付くことで、「撮る」はドライブレコーダーで記録することだという。

たしかにこの 3つの「と」は有効だと思う。とくに早めに気付いて停まるという 2つの「と」で十分ということがほとんどだ。

 

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2025年2月13日

茨城県常総市の火事 坂手町全域に避難指示だって

茨城県常総市の坂手町で今日午後に山林から出火、付近の住宅に燃え移って午後 6時を過ぎてもまだ燃えている。坂手町には知り合いもいるので心配だ。今のところ、ケータイに電話してもつながらない。

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今日は大変な強風が吹き荒れているので、ニュースの動画を見ると風に飛ばされた火の粉が離れた所に落ちて燃え広がっている様子もうかがえる。この分だと鎮火はかなり難しいだろう。

強風の元での火事と言えば、私は 1976年 10月の「酒田大火」を思い出してしまう。私が高校時代にいつも通っていた映画館「グリーンハウス」から出火して、折からの強風に煽られてどんどん燃え広がり、酒田市中心部の商店街を焼き尽くしたというものだ。私もブログに書いている(参照

今のところけが人は出ていないようなので、避難は順調に進んでいるのだろうが、下手するとかなり多くの家屋が焼失してしまうかもしれない。

かなり心配である。

【2月 14日 追記】

この火事は本日午前 7時前に鎮火したようだ(参照)。49年前の酒田大火のような惨事にはならずに済んだようで、ホッとしている。繁華街ではなかったので、急には燃え広がらなかったようだ。

 

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2025年2月12日

PC のタイプ音がうるさいという人向けの昔話

毎日新聞 2月 11日付に "タイプ音がうるさい! 意外と多い職場の「音ハラ」、どう対処?" という記事がある。実は昨日このニュースを目にしたのが、「絶妙」というほどのタイミングだった。

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ちょうどその時、スタバの隣のテーブルで PC を開き熱心に仕事をしていたニイチャンのタイピングが、やたら大きな音だったのである。こちらの画面に表示された「タイピング音がうるさい!」という文字と見比べながら、つい笑ってしまうほどだった。

あの手の人たちというのはたいていタイピングがかなり快速で、常にこれ見よがし(これ聞けがし?)なほど大きな音を立てたがるが、とくに Enter キーを叩く時の音が大きい。まさに「バシッとパンチする」感じである。

Enter キーは右手の小指でさりげなくタッチするのがフツーのはずだが、隣のニイチャン、時々は気合いを入れるためなのか、ホームポジションから離れて右手中指あたりで「バシッ!」とやりたがる。あれで、よく肩が凝らないものだなあ。

ちなみに私はそれから締め切りの迫った原稿書きに没頭したため、このタイプ音なんて全然気にならなかった。しかしこうしたことで「ハラスメント」と感じてしまうような繊細な神経の持ち主の隣にこのニイチャンが座ったりなんかしたら、悲惨なことになってしまうだろう。

最近「昔の話をよくするようになったら、年ってことだよ」なんて言われることがあるが、今日はちょっと半世紀近く前の話をさせてもらおう。

私がキーボード文化に触れたのは、20代半ば頃に、会社の片隅でほこりをかぶっていた「英文タイプライター」なんてものを使い始めたのがきっかけだった。その時の話は 10年以上前に「バカバカしいが魅力的な iPad 用キーボード 」という記事の中にも書いている。

当時私は外国向けに日本の繊維産業をレポートする雑誌の記者をしていて、英語で記事を書いていたのである(勿論ネイティブに校正してもらってはいたが)。そのタイプライターは、モロに中古品のブラザー電動タイプライターで、やたら大きな音を「ガチャガチャ・・・」と周囲に響かせる代物だった。

というわけで、あの騒々しい電動タイプライターを通してキーボードの世界に入った私は、ちょっとやそっとのタイプ音は気にならないカラダになってしまったのである。PC のタイプ音なんて、あれに比べればずいぶんおしとやかなものだ。

世の中、何が幸いするかわからないというわけで、昔話はこれでおしまい。ただいくら昔と比べれば静かとはいえ、よい子は無駄に大きなタイプ音を響かせないように気を付けようね。

それにしても、最初に紹介した毎日新聞の記事に添えられたイラスト画像、下手くそすぎて大きなタイプ音なんかよりずっと気になる。 "CHAOS" と書かれた Enter キーらしきモノを、なぜか左手の指(に見えるが、それにしてもやや不自然)で打ってるし。

 

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2025年2月11日

タイムカプセルとしての『サザエさん』と、紀元節

私の Mac の「写真」フォルダに、どういうわけか大昔のサザエさんの 4コマ漫画の画像がある。波平お父さんが盆栽を手入れしながら朗々と歌う『紀元節』の歌を、カツオが「きげん節(ぶし)でしょう」なんて言い、波平さんがブチ切れるというものである。

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「サザエさん きげんぶし」でググってみたところ、こちら のブログが「現代では通用しないオチ」として紹介してくれているおかげで、1967年 2月 7日付朝日新聞掲載のものとわかった。なんと 58年も前の漫画である。

なるほど、このオチは現代では通用しないだろう。この漫画の掲載当時でさえ、中学校 2年生の私は辛うじて笑うことができたが、同級生達にはほとんど通じてなかった。

時代が下って現代となってしまっては、ますます難しいだろう。国会に持って行ったら、石破首相はニコリともせず、高市早苗女史は怒り出すかもしれない。

一方で『サザエさん』自体は新聞の 4コマ漫画としての連載が終了してからも、テレビ・アニメとして脈々と「半世紀以上前の世界観」を伝え続けている。Courrier に "ギネス世界記録に輝いた85歳 サザエさんを演じて55年「永遠の24歳」加藤みどりに米紙も注目" という記事があるほどだ。

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「永遠の24歳」というのは、サザエさんの年齢設定が 24歳ということになっているからだろう(参照)。この漫画の連載開始は 1946年らしいから、計算してみると 1922年(大正 11年)生まれである(参照)。

サザエさんが大正生まれだったなんて、気付いてる人はそれほど多くないだろう。そして 80年近くずっと 24歳のままでいるというのは、ものすごい荒技である。本来なら加藤みどりさんの 85歳なんてもんじゃなく、とっくに 100歳を超えているはずなのに。

この記事には "忠実なファンにとって、『サザエさん』は「タイムカプセル」なのだと、シンガポール国立大学で日本学研究をしているデボラ・シャムーン准教授は指摘する" という一文がある。日本でも "『サザエさん』は時代劇" という指摘があったりするが、「タイムカプセル」とは言い得て妙だ。

ちなみに波平さんは『紀元節の歌』を歌っていい気持ちになってるが、一見するとそんな歌は知らない世代に見えるサザエさんも、実は戦前の教育を受けているはずで、放っといたら波平さんと一緒に歌い出しかねない。人は見かけによらないものだ。

さらに言ってしまうと、カツオだって昭和 13年生まれで終戦の昭和 20年には小学校 2年生だったはずだから、『紀元節の歌』を習っていても不思議じゃない。もしかしたらそれっきり途切れたので、題名を間違えて覚えたままになってしまったのかなあ。うむ、そうか、きっとそうに違いない。

こうしてみると、『サザエさん』というのはかなりフレクシブルで、時々の都合によりどうにでもなるタイムカプセルである。

 

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2025年2月10日

世界の大都市で増加中のネズミが、東京では減少

CNN が「世界の大都市でネズミが増加、最大の原因は温暖化 米研究」という記事を伝えている。ネズミの増加まで「温暖化」のせいだったのか。

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米リッチモンド大学の研究チームが 16都市を対象として平均 12年にわたる集計結果をまとめた研究によると、11都市で、ネズミの数が大幅に増える傾向にあることがわかったというのである。ネズミが減っていたのは、米国のニューオーリンズとルイビル、そして東京の 3都市だけだった。

残る 2都市は Science Advances の "Increasing rat numbers in cities are linked to climate warming, urbanization, and human population" (都市のネズミ数増加は温暖化、都市化、人口と関連している)という記事によると、ダラス(微増)とセントルイス(微減)らしい。

とりあえず「へえ、東京じゃネズミが減ってるのか!」と驚いたが、ネズミさえ棲みにくい環境になってその分周辺に広がり、郊外がとばっちりをくってるのかもしれない。茨城県は利根川に阻まれて、とばっちりから免れているというならありがたいのだが。

いずれにしてもつくば周辺のネズミは普段は屋外に棲んでいるようなのだが、冬になると暖かさを求めて家の中に入り込んでくるのがいる。夜のうちに人間の食い物を齧ったりするので、油断がならない。

我が家ではいつもハーブから作られた忌避剤を屋内各所においてガードしているのだが、それでも冬になって天井裏から「パタパタパタ・・・」とネズミの走る微かな音が聞こえたら、粘着式のネズミ捕りの出番になる。この「ハーブの忌避剤」と「粘着式ネズミ獲り」の二段構え作戦はかなり効果的だ。

ただ、昨年は考えられないことが起きた。外に餌が豊富なはずの真夏にネズミが屋内に侵入してきたため、冬にしかやったことのない「二段構え作戦」で追い払うことになったのである。そしてこの冬はなんと、ネズミが入って来たような形跡が今のところない。

思うに昨年の夏は、屋外が「暑すぎた」のだろう。それでネズミとしても耐えきれず、日影と冷房でマシになっている屋内に逃げ込んできたとしか考えられない。そして冬にネズミが入ってこないというのは、温暖化も進み過ぎて、この辺りでも東京のように個体数が減ってしまったのかもしれない

昨年はヨーロッパの大都市も大変な暑さになったらしいから、もしかしたら東京のようにネズミが減少傾向に転じたりして。

 

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2025年2月 9日

1ヶ月予報によれば、この寒さは徐々に和らぐらしい

一昨日まで出張していた西日本では凍えるほどの寒風に震え、昨日はその風が関東まで侵入してきた。気温が低いだけならなんとか我慢するが、風が強いと体感温度がますます下がってしまう。ただ、風速が 1m 増すごとに体感温度が 1℃ 下がるというのは俗説のようだ(参照)。

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今日の夜明け前が今回の寒波による寒さの底だったらしく、確かにベッドから抜け出すのに一大決心を要した。ただ、底から脱したとはいえ今日の天気予報を聞くと「晴れても寒い」ということのようである。

一方、気象庁の発表した 2月 8日から 3月 7日までの 1か月予報を受け、ウェザーニュースは「厳冬の寒さは徐々に和らぐ 花粉の飛散と融雪に注意」との見通しを発表している。「徐々に和らぐ」というのはかなりビミョーな表現で、さらに「花粉の飛散」というのがかなり気になる。

ちなみに私の生まれた庄内(酒田)の天気はというと、「今日は雪が降り、ドカドカと強まることがあります」ということのようだ。「ドカドカと」というのが迫真に迫る。

そういえば私の通った小学校は築 60年のオンボロ木造校舎で隙間風がひどく、学校に着くと教室の机の上にうっすらと雪が積もっていたものだ。酒田というところは地吹雪がひどく、雪は上から降るのじゃなく横から下から吹き付けるので、ガラス戸の隙間から吹き込んでくる。

そんなわけで。授業中も教科書の上にハラハラと雪が落ちてきたものだ。あんなところで授業を受けさせるなんて、今から思えば「児童虐待」だよね。そして小中高の全てが、私の学年の卒業した翌年に鉄筋の新校舎になったんだから、我々ってよほど「間の悪い年代」のようなのだ。

それを思えば、この程度の寒さの我慢できないことはないか(と諦める)。

 

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2025年2月 8日

「よほど忌まわしい不祥事」でもあったのかと思ったよ

読売新聞オンライン 6日付の "明治時代から販売するJR 米原駅の名物駅弁、さよなら…「井筒屋の DNA 残すべきでないと判断」" という見出し、はっきり言って意味不明だ。「DNA 残すべきでないと判断」なんていうから、経営者の身内がよほど忌まわしい不祥事でもしでかしたのかと思ってしまったよ。

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ところがどうやらそういうわけじゃないようで、「湖北のおはなし」などの駅弁の販売から撤退するということのようなのである。

記事中には、この駅弁の販売開始は 1987年とあるが、見出しはどういうわけか「明治時代から販売する・・・」となっている。明治時代というのは、井筒屋の創業である。これがまず、間違いの一つめだ。ちなみに記事には次のようにある。

同社は今年 1月1日、ホームページ上で駅弁事業からの撤退を発表。宮川亜古社長の名前で「食の工業製品化が一層加速し、手拵えの文化も影を潜めつつあります。そのような環境に井筒屋の DNA を受け継いだ駅弁を残すべきではないと判断致しました」とつづっている。

この挨拶文は同社サイトの「駅弁事業から撤退のご挨拶」にあるものだ。

ただ井筒屋のサイトを見ると、「お弁当」や「お寿司」などの事業も展開しているようで、同社の「DNA」は、駅弁以外の事業に残されるものと読み取れる。とすれば読売新聞記事見出しの「井筒屋の DNA 残すべきでないと判断」というのは二つめの間違い、しかもひどい間違いである。

「残すべきでない」と判断したのは、挨拶文にもちゃんと書いてあるように「井筒屋の DNA を受け継いだ駅弁」に限ってのことであり、決して「井筒屋の DNA」そのものに関してではないことが明らかだからだ。

この記事見出しでは「井筒屋が廃業」と読み取られてしまい、さらに言えば私が最初に感じたように、「忌まわしい不祥事」でもあったのかという誤解にまでつながりかねない。

短い見出しの中で 2つも間違ってしまうというのは、しようとしてもなかなかできるもんじゃない。読売新聞編集部、大したものである。

 

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2025年2月 7日

日本人の英語力って、下から数える方が圧倒的に早い

Courrier の "現在進行形で落ち続ける英語力… どこまでも「英語ができない」日本人に仏紙記者「英語を『死語』にする気?」" という記事が話題だ。「現在進行形で落ち続ける」というのが、私の個人的な印象とも一致していてコワい。

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記事の冒頭には「2024年 11月に発表された、英語力を示す国際ランキング(参照)で、日本は 116ヵ国中 92位と過去最低順位を更新」とある。しかも「2014年、63ヵ国のみの統計ではあるが、日本は 26位でフランスより3つ順位を前につけていた」とあるので、この 10年で急落したようなのだ。

昨年の調査によれば、近隣ではフィリピンが 22位、マレーシアが 26位、香港が 32位、韓国が 50位と健闘しており、インドは 60位と意外に低いが、それでも日本よりはずっとマシだ。それにしても 91位の中国より下というのは、かなりのショックだなあ。

ところで紹介した記事冒頭にある貼り紙だが、「関係者以外 立ち入り禁止」の訳語としては、実際のところ "PRIVATE" の一言で必要十分だ。その直接的な意味は「私的空間」ということで、要するに「関係者以外立入禁止」というココロになる。英語圏の貼り紙でもフツーに目にする言い方だ。

ところが上の例ではその後に、"PROBABLY"(おそらく)と "NO TRESPASSING"(不法侵入なし)という余計な「謎の呪文」が続く。どうしてこんなことになったのか、初めはわけがわからなかったがしばらく考えてようやく想像がついた。

これって、「貼り紙に書いてある "Private" ってどういう意味?」といった質問に、【"PRIVATE" って、おそらく「入るな」って意味だよ】というココロで届いた英文のレスを、意味もわからずまんまコピペしちゃったのだろう。そうとしか思われない。さすが世界 92位というお粗末である。

そもそも日本人って「フツーの英語」を覚えずに、「日本語としてさえ意味が曖昧な回りくどい言い方」をそのまま機械的に訳せば英語としても通じるなんて考える傾向があると思う。そのため、まともな英語からどんどん遠離ってしまうのだ。

まずは「雰囲気のもの」じゃない「ちゃんとわかる具体的な日本語」を磨く必要があるのだろうね。そうすれば自然に英語感覚に近づける。

 

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2025年2月 6日

我が故郷のクマ騒動

我が故郷、酒田市がここ 3〜4日ほど「クマ騒動」で揺れている(参照)。一昨年の 6月にも市街地にクマが現れて大変な騒動になった(参照)が、今年はまだ寒いうちからこんなことになったのでさすがに驚いている。

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今回クマが出たのは、酒田市でも中心街から離れた地域で、民家の車庫に入り込んだのを捕獲するために厳戒態勢で臨んでいたのだが、30数時間後に隙を見て逃げ出されてしまった。今のところ見つかっていない。山に逃げ戻ってくれていればいいのだが。

私は高校卒業の 18歳まで酒田で暮らしていたのだが、市街地にクマが出たなんて話は聞いたことがない。もっと言えば、鳥海山麓や朝日連峰などの山登りをしたのに、クマが出るかもしれないなんて考えたことすらない。それだけに、最近の状況には驚いてしまっている。

クマとしても、先週辺りはちょっと暖かくなったので「そろそろ春かな」と思って冬眠から覚めて動き出したのだろうが、市街地をうろついていると周り中の人間が大騒ぎするわ、さらに急に冬に逆戻りして寒くなるわで、驚いてしまっているかもしれない。「ちょっと早まったかな?」ってなもんだ。

ところで、今名古屋から新幹線で岡山に移動中。途中の関ヶ原から琵琶湖にかけて、薄ら雪化粧しているのに驚いた。この辺はいくらなんでもクマはいないだろうなあ。遙か向こうの紀伊山地まで行ったら、そりゃいるだろうけど。

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とにかく最近はちょっとした市街地でも、クマにはご注意のほどよろしく。

ちなみに新幹線車内での Wifi 接続は、新大阪を過ぎると急にスピードがまともになる傾向がある。名古屋より東京寄りは使い物にならないほど遅いので、iPhone 経由で接続してる。今は快調に Wifi 接続中。

 

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2025年2月 5日

最近とみに「美食」への興味がなくなった

先日 TBS ラジオ平日夕刻の「荻上チキ セッション」のパーソナリティ、荻上チキさんが「食べることに興味がない」と言うのを聞き、「おお、私と同じじゃん!」と思ってしまった。彼は こちらの記事 でも「おいしいものには興味がない。食事は動画観賞のお供」と言い切っている。

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私もだいぶ昔からそんなところがあるが、とくに最近は「美食」ということへの興味を失ってしまった。ただ腹が減らないというわけじゃないので、食べるのは空腹感を消すためである。

日常的にはほとんど決まり切った玄米と全粒粉パン中心の質素なメニューで過ごし、ちゃんと満足しているが、正直言ってしまうと「人間、メシを食わずに済んだら、どんなに幸せだろう」と心の底のどこかで思っているところがある。

「好きな食べ物は?」と聞かれたら取りあえず「そば」と答えるが、その理由のかなりの部分は「あっという間に手繰れて、面倒がないから」ということで占められると思う。できることなら、面倒な食い物は避けたいのだ。

昨年の初め頃、身内に夫婦で招待され、かなり評判のいいフランス料理店で食事をしたことがあった。確かにおいしかったが、正直なところシェフのもったいぶった説明付きで順を追ってチマチマ供される料理を、おもむろに食い続けることにうんざりした。

本当に、食事なんてさっさと済ませたいのである。私はクルマを運転することが多いのでワインを飲むわけにもいかないし、そうなるとますます場がもたないのだよ。

あの日は食事を終えて帰る時、妻に「あなた、よく我慢できたわね」と褒められた。「不満が顔に出たりしないか、内心気が気じゃなかったわよ」

うぅむ、さすがに妻はよくわかってくれてる。

あんな場面ではじっと我慢の子で、楽しいフリして食うほかなかったわけだが、「この店は誘われても二度と来ない」とマークすることは忘れなかった。どんなに美味しい料理でも、「面倒くささ」という苦痛に耐えてまで食いたいとは決して思わない。

ただ、我が家では普段から玄米食や手作りの全粒粉パンなどを食す。玄米を炊いたり、全粒粉をこねてパン生地を作ったり(参照)するのは 40年来の私の担当だが、それらは「当たり前のものを当たり前に食うためのプロセス」と位置付けているから、面倒でも苦痛でもない。

耐えられないのは、外で「コース料理」なんてもったいぶったものを食わされることなのだよね。あれだけは、いくらおいしくても付き合いきれない。「不味い」というだけならあっという間の我慢で済むが、コース料理はじわじわと長時間に及ぶから、かなりの「美味しさ」でも「苦痛」に圧倒されてしまう。

ちなみに上の画像は、新幹線東京駅で買える駅弁の中で一番安い「深川めし」。今、名古屋に向かいつつこのメシを食っている。他の色とりどりの総菜が入ったのや焼き肉がどっさりなんていうのは見るだけで食欲が失せるが、これはシンプルに食えていい。ちゃんとうまいし。

そう言えば、先月も "「ひとりメシ」って、私にも当たり前のことなんだが" というタイトルで、似たようなことを書いたんだった。よかったらどうぞ。

 

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2025年2月 4日

マンガに出てきた「空き地+土管」の景色を巡る冒険

藤井一至 (土の研究者) さんという方の "『ちびまる子ちゃん』のさくらももこさんが小学生だった50年前、当たり前にあった空き地+土管の景色。上下水道整備に使われた。今、ちょうど耐用年数の50年" という tweet が話題だ。埼玉県八潮市の事故みたいなのは今後もあり得るってことのようなのだ。

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そういえば、昔は空き地と土管の組み合わせという場面をマンガで見ることがとても多かった。ちびまる子ちゃんに限らず、この tweet へのコメントにはドラえもんの一コマも引用されている。

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これだけマンガに登場しているってことは、実際にも珍しくない光景だったのだろう。しかし告白すると、私はこうした「空き地+土管」という景色をリアルで見たことがない。

私の生まれた山形県庄内の地は、高校を卒業した 1971年(今から 50年ちょっと前)の頃には下水化はほとんど進んでおらず、トイレもいわゆる「ボットン式」だった。そんなわけで、私の少年時代、庄内の空き地には土管なんてなかったのである。

もっとも酒田市には「前田製管」(読みは濁らない「まえたせいかん」)という、その世界では著名なコンクリート製品(土管も含む)製造の企業があって、この会社の敷地にはデカい土管が山と積まれていた。しかしあれってほとんど都会の下水管に使われて、地元ではお呼びじゃなかったのだね。

そしてワセダに入って上京した頃は、少なくとも都心は下水が行き渡っていたし、土管を積み重ねておくような空き地もほとんどなかった。だから、リアルで「空き地+土管」という景色に馴染みがあるのは、都心からちょっと離れた郊外や大きめの地方都市で育った人たちなのだろう。

さくらももこさんは、まさにそうした存在なわけだね。なるほど、なるほど。

というわけで、私にとっての「土管の原風景」というのは、「空き地に 2〜3本」というのじゃなく、「広大な工場敷地に山と積まれてる」というちょっと変わったものなのだ。そんなこともあり、空き地で土管に座って夕陽を眺めるなんて光景には、ちょっと憧れてしまうのである。

それにしても、その土管の多くが耐用年数に迫っているというのは気になるニュースである。酒田の土管はまだ少し余裕があるだろうが、都会の土管はそろそろ交換しなければならないのだね。

こりゃ、前田製管が忙しくなるかも。

 

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