テストの点数ごときに、大した意味はない
X(旧 Twitter)で、学年最高点の 98点をとり「1人で静かに1位の気持ちを味わってるの最高に気持ちいい」という tweet がちょっと話題になってるいる(参照)。ここでの注目点は「98点」なんてことじゃなく、「1人で静かに1位の気持ちを味わってる」ということである。
この tweet に関するコメントにはシンプルに「おめでとう」的なものが多いが、ほかにこんなようなものがあって、ちょっと興味を引かれた。
- あ〜分かります。
「誰〜98点、誰〜」
なんて言いながら、こっそり1位の喜びを味わう。
「すごいね〜」って言葉より、「こっそり喜び」がモチベーションになる奴でした。 - これが最高のボッチの楽しみ方…参考にします
この 2つのコメントは、「ぼっち」的な喜びをかなり理解したものだと思う。ところがそうでないのも結構多い。こんなのだ。
- 例え80点でも友達と点数報告しあえるほうがよくない?
友達付き合いも学生時代にしとくべき人生勉強なんだけどね - 可哀想
- それで友達に「あれ僕なんだよねって言うやつ」
押しつけがましさが感じられて、ぶち壊しだよね。とくに 3つめのぶち壊し感がひどい。人それぞれにいろいろな喜び方があるのだから、横からどうこう言わなくていい。
ちなみに私の場合は、返されたテストの点数を隠しもしなかった。「最高点はいつでも tak」というのはクラスの常識だったので、隠したりしたらかえって嫌らしい。「はいはい、いつも通り最高点だよ。それが何か?」って感じだった。
高校 2年ぐらいからやさぐれて点数が急落したが、それでも隠さなかった。「あの tak がそんな点数 !?」なんて思われることに、妙な快感さえ覚えていた気がする。そんなわけで、優等生と劣等生の両方の感覚が理解できるのはありがたい。
まあ、劣等生といっても「なんちゃって劣等生」で、大学受験間際にはあっさり挽回していた(参照)のだが。
いずれにしても、テストの点数ごときに、大した意味はないってことだ。
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