2024年12月 6日

テストの点数ごときに、大した意味はない

X(旧 Twitter)で、学年最高点の 98点をとり「1人で静かに1位の気持ちを味わってるの最高に気持ちいい」という tweet がちょっと話題になってるいる(参照)。ここでの注目点は「98点」なんてことじゃなく、「1人で静かに1位の気持ちを味わってる」ということである。

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この tweet に関するコメントにはシンプルに「おめでとう」的なものが多いが、ほかにこんなようなものがあって、ちょっと興味を引かれた。

  • あ〜分かります。
    「誰〜98点、誰〜」
    なんて言いながら、こっそり1位の喜びを味わう。
    「すごいね〜」って言葉より、「こっそり喜び」がモチベーションになる奴でした。
  • これが最高のボッチの楽しみ方…参考にします

この 2つのコメントは、「ぼっち」的な喜びをかなり理解したものだと思う。ところがそうでないのも結構多い。こんなのだ。

  • 例え80点でも友達と点数報告しあえるほうがよくない?
    友達付き合いも学生時代にしとくべき人生勉強なんだけどね
  • 可哀想
  • それで友達に「あれ僕なんだよねって言うやつ」

押しつけがましさが感じられて、ぶち壊しだよね。とくに 3つめのぶち壊し感がひどい。人それぞれにいろいろな喜び方があるのだから、横からどうこう言わなくていい。

ちなみに私の場合は、返されたテストの点数を隠しもしなかった。「最高点はいつでも tak」というのはクラスの常識だったので、隠したりしたらかえって嫌らしい。「はいはい、いつも通り最高点だよ。それが何か?」って感じだった。

高校 2年ぐらいからやさぐれて点数が急落したが、それでも隠さなかった。「あの tak がそんな点数 !?」なんて思われることに、妙な快感さえ覚えていた気がする。そんなわけで、優等生と劣等生の両方の感覚が理解できるのはありがたい。

まあ、劣等生といっても「なんちゃって劣等生」で、大学受験間際にはあっさり挽回していた(参照)のだが。

いずれにしても、テストの点数ごときに、大した意味はないってことだ。

 

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2024年12月 5日

取手駅のキャラ、「とってくん」というんだそうな

先週末から鉄道を使っての出張が続いて、ようやく一段落付いた。12月 1日に取手駅から常磐線快速電車に乗るとき、ホームの待合室のドアに妙な絵が貼ってあるのに気付き、iPhone で写真に撮っておいた。調べてみると、取手駅のキャラクターで「とってくん」という名前なんだそうだ。

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絵的にはどう見ても素人っぽくて、取手駅の駅員による自作キャラなんだろうと想像される。調べてみると田村指圧治療院というところのブログにその誕生秘話から紹介してあり(参照)、それによれば駅員がホームで拾った「とって」が生きていたのだそうだよ。

ブログの日付はの 2020年 12月 8日付だから、誕生してから既に 4年ほど経つのだろう。この間に何度も取手駅を利用していたのに、全然気付かなかった。訴求の仕方がかなりおとなしいもののようなのである。

ただこれは「取手駅のキャラ」のようだから、取手市には取手市のキャラがいるのだろうと思い、調べてみると「とりかめくん」というのが出てきた(参照)。これは健康づくりを象徴しているのだそうだが、一見したところではそんなことまではわからない。

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取手市には東京芸大の取手キャンパスがある(参照)のだが、キャラ・デザインにはその点はほとんど反映されていないようなのだね。

【翌日 追記】

そういえば、取手市にはまた別のキャラがいたんだった。2020年 10月 13日付で紹介した取手競輪のマスコットキャラクターである。「砦の森の住人たち」というのだそうだ。

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キャラの立ち方と知名度で言えばこれが一番というのも、何だかもの悲しい。

 

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2024年12月 4日

韓国で大統領なんてやっちゃうと、やっぱり ・・・

昨夜は新山口のホテルに週泊、さすがに疲れのため早々に寝てしまったので、今朝の「韓国大統領が出し抜けに非常戒厳令を宣告し、そのわずか 6時間後に解除」というニュース(参照)には驚いた。いや、「はぁ?」と呆れたという方が当たっているかもしれない。こんなの、世界史的にも前代未聞だろう。

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というわけで今、帰路の新幹線の中でこれを書いている。

ユン大統領の「国民の力」が前回選挙で大敗して少数与党に陥っていたというのは当然知っていたが、その求心力低下の最大要因が大統領夫人の「一連のスキャンダル」(参照)というのだから、馬鹿馬鹿しくなってしまう。思わず「悪妻は百年の不作」なんて諺を想起してしまったよ。

いずれにしてもユン大統領は「血迷った」としか思われず、こうなってしまったからにはただでは到底済まないだろう。少なくともこのまま大統領の職に留まれるとは思われない。

当ブログの 2017年 3月 31日付「パククネ前大統領、韓国のお約束通りに逮捕」という記事に「韓国で大統領なんてやっちゃうと、その末路は大抵まともには収まらない」と書いているのだが、ユン大統領も「お約束通り」になってしまいそうだ。Wikipedia の「文在寅」(前大統領)の項にも次のようにある。

2023年現在、現職を除く韓国の大統領経験者のうち、本人・親族共に逮捕、亡命、暗殺、自殺といった悲惨な末路を迎えず難を逃れている人物は、文と崔圭夏のみである。

それでも韓国の政治家は大統領になりたがるみたいだから、「自分だけは別」と思っているのだろう。そうでないはずがない。ただ、「そう思っているのは自分だけということが圧倒的に多い」というのは歴史が証明している。まったくもって因果なことである。

こう言っちゃなんだけど、韓国の政治の推移って、やっぱり極端なところがあるような気がするなあ。

 

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2024年12月 3日

JR の往復割引が終了するのは残念!

再来年から JR の往復割引がなくなるんだそうで、日経は「JR 各社が往復割引を終了 26年 3月、IC カード普及で」と伝えている。なんだかいかにも「IC カードの普及がいけないんだ」と言わんばかりの見出しである。

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記事を読めば JR としても「交通系 IC カードやインターネット予約が普及し、きっぷ購入が減っている」のが往復割引廃止の原因みたいに言っているようだ。しかし私の感覚としては、「それとこれとは話が別でしょ!」と言いたくなるんだがなあ。

昨今は旅の JR 切符を予約するにも、インターネット購入や駅の切符自動販売機などで自前の操作が求められる。駅員が対面で対応してくれる窓口は、極端に減ってしまっている。

それは別にいいのだが、自分で PC や自動販売機を操作して複雑な経路の切符を買おうとすると、やたら難しくなってしまう。例えば往路で 1か所、復路の別の 1か所で途中下車して用を足し、その間を新幹線で乗り継ぐなんてことだと、ユーザーインターフェイスがまともに対応してくれないのだ。

単純に「行って来い」なら、往復割引で購入するのも簡単なのだが、途中下車してちょっとローカル線に足を伸ばすなんてことになると、本当に戸惑ってしまう。画面に希望通りの選択肢がなかなか表示されないのだもの。

そんなわけで十分に往復割引の対象になるはずの旅程でも、つい往路と復路を別々に購入してしまったりする。つまり「往復割引の需要が減った」というわけじゃなく、買いにくくなってしまったというだけのことなのだ。

実は今も、兵庫県の丹波篠山と山口県の防府での仕事があって、この 2か所で途中下車しながら往復割引を適用したかったのだが、行き先が新幹線の路線から外れるので経路が複雑になってしまう。

そんなわけで希望する経路の切符購入画面がなかなか表示されず、何度もやり直してかなりイライラした。結局は心ならずも往復別々に購入してしまったので、割引がなくなってしまったのである。

切符予約画面のインターフェイスがもっとわかりやすく親切なものになったら、往復割引切符や連続乗車券の購入は決して減らないと思うんだがなあ。

 

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2024年12月 2日

「ふてほど」には、「ふてくされるにもほどがある」かも

今、大阪にいる。丹波篠山の仕事先から滞在先のホテルに戻ったばかりだが、ネットを覗いてみると現代用語の基礎知識選「2024ユーキャン新語・流行語大賞」は「ふてほど」に決まったというニュースで一杯だ。見出しだけでは「何それ?」で、正真正銘初めて聞く言葉だ。

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記事本文には "金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」の「ふてほど」が選ばれました" とあるが、ここまで読んでも一瞬ではわからず、数秒考え、「もしかして『不適切にもほどがある』の省略形で『ふてほど』ってこと?」と初めて分かった。どうやらドラマのタイトルのようだが、それすら知らなかったよ。

なにしろテレビなんてほとんど見ないから、ドラマ・ネタとなるとさっぱりわからない。それにしても、今の世の中になって「新語・流行語大賞」がテレビ・ドラマのネタに落ちつくなんて、ほとんど信じられないよ。テレビって、まだそんなに影響力があるのかなあ。

こうなってしまうと、こちらとしては「ふてくされるにもほどがある」という気分になってしまいそうだ。ふてくされついでに、今日はこれにておしまい。

【翌日朝 追記】

この件で、とても呑気なやり取りが「Yahoo 知恵袋」で見つかった(参照)。ふてくされない人も多いのだね。日本が平和なわけだ。

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2024年12月 1日

「図に乗る」というのも、突き詰めるのは難しい

ミチルさんという方が "以前作った「図に乗るクッション」が商品化しました。座ると調子づくかも" と tweet しておられる。なるほど、座ると文字通り「図に乗った」というカタチになる。

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ところが私はお恥ずかしいことに、この「図に乗る」という言葉の表記をずっと「頭に乗る」と勘違いしていた。改めて調べてみると『精選版 日本国語大辞典』に "「ず」は「頭」をあてることも多い" という但し書きもあるにはある(参照)が、やはり「図に乗る」が正しいようだ。

ただ、それでも疑問は残る。どうしてまた「図に乗る」なんていう言葉ができたのだ? そもそもこの場合の「図」って何なんだ? こうなると調べずにはいられなくなるのが、私の「ビョーキ」みたいなものである。

ググってみたところ、imidas のページには次のように書かれていた(参照)。

「図」は、仏教の声明(しょうみょう)で転調のことをいい、吟誦(ぎんしょう)の途中で転調がうまく行われることを「図に乗る」といったことからという。

へぇ、そんなこととはちっとも知らなかった。念のためもっと調べてみると、「日蓮宗 いのちの合掌」というページには、もう少し詳しく次のようにある(参照)。

元々は、声明の転調を「図」といい、難しい転調が成功することを図に乗る(上手くいく)と言いました。声明とは仏教の儀式において経文に節をつけて朗唱する声楽の総称で、古代インドに起り、仏教とともに中国を経て日本に伝えられたものです。

ですから、図に乗るとはネガティブな意味ではなく、本来は、少し難しいかな、大変かなという事にチャレンジをして、上手くいく成功することを指します。

つまり、元々は悪い意味ではなかったのだね。そこから「つけあがる」みたいな悪い意味に変化したことについては、AERA.dot に次のように説明されている(参照)。

ここでの「図」は、仏教の僧が唱える声明(しょうみょう)の転調のことです。この転調は難しく、うまくいくことを「図に乗る」といいました。そこから、声明の転調に限らず広く調子づくことを表すようになり、いい気になってつけあがるなどの悪い意味になりました。

なるほど、坊さんでも難しい転調がうまくいくと時にはつけあがってしまったりするようなのである。凡夫の身としてはよくよく気をつけなければ。

ただ、こうして言葉の上の説明だけでわかったつもりになるのも中途半端である。こうなったら、実際の声明の「図=転調」ってやつを聞いてみなければ気が済まないじゃないか。私の「ビョーキ」もかなり重症だ。

しつこくググってみたところ、伝統的な声明を再現した上に音楽をかぶせたものが見つかった。実際の URL には次のような説明がある(参照)。

この声明集では呂と律の部分が明確に朱と墨で書き分けられており、曲中に呂律が入れ替わります。

要するにそれが「転調=図」なのだろうか。よくわからないが、とりあえず聞いてみるほかない。下の動画の「▷」をポッチリしていただきたい。

はっきり言って、実際に聞いてもどの部分が「図=転調」に相当するのかわかりにくい。もしかしたら 2分 40秒あたりと、3分 20秒あたりなのかなあ。いずれにしても、モノにするのはかなり難しそうだ。

これ以上突っ込むと手に負えなくなりそうで、図に乗ってつけ上がったりするまでには遠く及ばない。最後に「呂律(ろれつ)が回らない」と言った場合は意味が違ってくるということを書き添えて、本日はこれぎり。

 

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2024年11月30日

新幹線車内での富士山案内アナウンス、英語バージョン

私のもう一つのブログ『和歌ログ』にも書いた(参照)のだが、昨日は関西は曇っていたものの、新幹線で三島付近まで来ると文字通りの「雲一つない青空」になっていた。雪を戴いた富士山の姿が「理想的」と言っていいほどの美しさだった。

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この景色が見える直前、新幹線車内に「左の車窓より富士山の姿が見られます」という案内放送が流れた。これって正式のアナウンスというわけではなく、車掌のサービス精神によるものらしい。何かに夢中で外の景色に気付かない人もいるだろうから、ありがたいと言えばありがたいことである。

ところがこの日本語アナウンスに続いて、「ザビューオブマウントフジキャンビーシーンフロムザレフトウィンドー」という思いっきりのカタカナ英語(いや、平仮名っぽくさえ聞こえる)アナウンスが流れた。ちなみに一昨日の往路では、最後の部分が「ライトウィンドー」だった。

"The view of Mt. Fuji can be seen from the left window." というココロなのだろうが、外国人に理解されたかどうかはわからない。聞いてもわからない日本語アナウンスの延長と思われても仕方がないほどの口調だったからね。

思うにあの英文って、日本語の直訳なのだろう。しかも「キャンビーシーン」なんて持って回った受動態になっているところから察するに、機械翻訳の産物なんじゃあるまいかとさえ思われる(can be thougut)。

こんな時は同じカタカナでも、あるいは平仮名でも、ごく素直な中学生英語で「ゆーきゃんすぃーまうんとふじおんざれふと」(You can see Mt. Fuji on the left.)と言う方がずっと楽だし、まだ英語のつもりと気付いてもらいやすくて、辛うじて通じると思うがなあ。

まあ、ご参考までにということでよろしく。

【同日 追記】

あの車内アナウンス、やはり通じていなかったと思う。というのは、あの時は何人もの外国人が乗車していたが誰一人として反応していなかったもの。近くに座っていた米国人らしき夫婦も、顔を左に向けることすらなかった。

通じていたら、あの富士山の見事さだもの。"Oh!" とか "Beautiful!" とかいう声の一つぐらい聞こえてきてもいいはずだしね。やはり日本語アナウンスの延長としか思われていなかったのだろう。

 

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2024年11月29日

「ネットを見ない高齢者」という偏見

Threads で madrihard_69 さんという人が「ネットを見ない高齢者」やら「ネット初心者の高齢者」とかの言い方は、「高齢者はネットを知らないと見下すための詭弁に過ぎないのでは」と投稿している(参照)。「黎明期」を「聡明期」とミスタイプする(どうしてこうなるかなあ?)ご愛敬付きだが。

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この投稿では「1985年頃から」がネット黎明期とされているが、「ネット」というのがインターネットを指すのだとしたら、それはやや早すぎる。当時私は 30代前半で、限定的な「パソコン通信」には手を染めていたが、インターネットはまだ一般に開放されていなかったために手が出せなかった。

インターネットが一般化したのは 1995年頃からで、ちょっと「先進的」と言われる企業や団体が「ホームページ」なんてものをもち始めたのもこの頃だ。ただ、フツーのオフィスで「1人 1台の PC」がデスクに並ぶのが当たり前の光景になるまでには、あと数年待たなければならなかった。

だから西暦 2000年前後に 60歳になって停年を迎え、メジャーなオフィスを去った人たちの多くは、「パソコンなんてものを無理矢理押しつけられる前に停年になってよかった」なんて思っている。彼らは今、年齢的には 80歳前後に達していて、まさに「ネットを見ない高齢者」である。

madrihard_69 さんは「70歳くらいの高齢者(当時30歳)も、何十年も前からずっとネットに触れてるのでは?」と書かれている。確かにこの年齢層はインターネットに抵抗はないが、とは言っても「何十年も前から」やっていたというわけではない。せいぜい 20数年、長くて 30年だ。

インターネットというのは、それくらいに「新しい技術」なのだということを忘れてはならない。

というわけで、「ネットに親しんでいるかいないか」という年齢的な境界線は、現在のところでは 75〜6歳 ということになるだろう。別の言い方をするならば、「団塊の世代」より上の男性の多くは確かにネットに馴染んでいない。

ここで「男性」に限った言い方をしたのは、女性の場合は 70代後半でもスマホでインターネットに触れるのにあまり抵抗を示さないからだ。それに関しては、今年 3月 31日付の「ジイさんはガラケーだが、バアさんは LINE ユーザー 」という記事を見れば納得してもらえるだろう。

従来のデジタル・デバイドはもっぱら年齢差で語られていたが、最近は男女差がプラスされたように思われるのである。

 

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2024年11月28日

首都圏での闇バイト強盗事件、その傾向と対策

NHK が一連の「闇バイト強盗事件」の特徴から推定される「家の防犯対策」のあり方を伝えている(参照)。首都圏で発生した19件の特徴を調べると、「事件に巻き込まれないための手がかり」が見えてきたというのである。

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記事によれば、8月末から 9月 3日までは貴金属販売店や質店などがターゲットとされていたが、9月 18日以降は個人宅への強盗が続いている。こうした中では 500万円以上の高額の被害がある一方で、多くは数万円から 20万円程度の被害だったというのが注目される。

つまり高額の現金があるかないかに関わらず、押し入られていたというのである。「ウチは多額の現金なんかありそうに見えないから大丈夫」ということにはならないようなのだ。

押し入られた時間帯はいずれも明け方から未明にかけてで、ガラスを叩き割って入るという単純素朴なまでの手口が圧倒的に多い。そして金品を奪うためには手段を選ばず、殺人やキャッシュカードの暗証番号を聞き出すための連れ去り・監禁など、かなり凶暴なことを平気でする。

こうした犯罪への対策として、警備会社で20年以上にわたって防犯対策の研究をしている濱田宏彰さんは、「窓ガラスの強化」が重要と指摘する。比較的簡単な方法は、窓ガラス全面に防犯フィルムを貼り付けることだ。特殊なフィルム 4枚を重ね合わせた「強化ガラス」はさらに防犯効果が高い。

ウチは防寒対策も含めてガラスにシートを貼ってあるので、少しは大丈夫そうだ。さらに窓ガラスが割られても「補助錠」が付けられていると、メインの鍵が開けられても窓は開かないという。ウチも考えようかな。

(補助錠は)窓の上側への取り付けを推奨しています。侵入者が外すときには立って作業する必要がある(=人目に付きやすくなる)ためです。数百円から購入可能で、簡単に取り付けられます。

また、塀を低くしたり植木をせんていしたりすることで、周囲から見えやすくすること、人に反応する「センサーライト」の設置や、踏むと大きな音がする防犯砂利を敷くことも効果的だという。ウチはかなり開放的なので、この辺のことは大丈夫そうだ。

それでも侵入を許してしまった場合は、次のことを心がけるように記されている。

  • 窓や勝手口からできるだけ外に逃げる。
  • それができなければ「トイレや寝室など、鍵のかかる場所に逃げる」こと。警察に通報する時間を確保できる。
  • それができずに、対面する事態に陥ったら「現金などをおとなしく渡す」。抵抗しないことが大切。

とにかく相手は強盗の素人のようなもので結構アセっているので、こちらの方が落ちついてあげないといけないようなのである。厄介な世の中になったものだ。

 

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2024年11月27日

アルツハイマーかどうかを簡単に見分けられる質問

NHK が「アルツハイマー病の疑い "簡単な質問で見分け" 慶応病院など」というネット記事を配信している。早期の治療につながると期待されているのだそうだ。私も 70歳を過ぎて「物忘れ」したりするので、なんだか気になって読んでみた。

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慶応大学の伊東大介特任教授らのグループが、患者と健康な人あわせて155人に簡単な質問をし、その答えやふるまいで病気を見分けられないか実験したという。その結果、次のようなことがわかった。

現在、困っていることがあるか」、「3か月以内で気になるニュースがあるか」という質問にいずれも「ない」と答え、「現在、楽しみはあるか」という質問に具体的に回答した人の 83%がアルツハイマー病の精密検査で陽性だったということです。

また、質問に直接答えず、付き添いの家族らに助けを求めて振り返る動作をした人の87%が陽性で、研究グループは質問への回答やふるまいをみれば病気の疑いがあるか高い精度で見分けられるとしています。

「へえ、そんなものかね」と思い、自分自身に同じ質問を投げかけてみたところ、「現在、困っていること」と「3か月以内で気になるニュース」に関しては、スラスラと答えられた。

日常生活上では「致命的に困っている」というわけではないものの、「何とかしたいものだが、なかなか対処する時間が取れない」みたいなことがゴロゴロある。あるいはこれって、「怠惰」の裏返しかもしれないという反省材料になりかねないが。

さらに「3か月以内で気になるニュース」なんて、このブログを書いているおかげでいくらでも出てくる。

逆に「現在、楽しみはあるか」という質問には「うぅん、何だろう?」となってしまい、我ながら情けない話だ。楽しみがないわけじゃないが、「忙しくてなかなかそれどころじゃない」というのが正直なところだが、よく考えればこれって、「現在、困っていること」になってしまうなあ。

強いて言えば「一番の楽しみはこのブログを書くこと」かもしれない。楽しくなければ 20年以上も毎日続けられるわけがないからね。

というわけで、アルツアイマーの心配は多分ないだろうということに落ちついて安心した。「物忘れ」に関しては、年取れば誰にでもありがちのことと片付けておこう。そういえば、若い頃から「忘れん坊」と言われていたし。

ただ、「嫌なことを忘れるのも才能の一つ」なんてノー天気なことを言ってるうちに、「気付いてみれば正真正銘のアルツハイマー」なんてことにならないように気を付けようと思う。アルツハイマーって、どうやら「楽しみ」しか答えられなくなるみたいだからね。

考えてみればそれって、ある意味幸せなことなのかもしれないが。

 

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2024年11月26日

「透析しないと死ぬ」は「透析しないと死ぬ」という意味

X (旧 Twitter)に Earl さんという方が次のような tweet をしておられる(参照)。最初に読んだ時は「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった。何でちゃんと説明してくれなかったのか」というのが理解できず、頭の中が「?!?!?!」になってしまった。

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二度繰り返して読み、これはこの通りの意味なのだと、やっとわかった。トアロさんという方のこのような tweet (参照)を踏まえたもののようなのである。

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これって実際にあったケースのようなのだ。医師はある女性患者に「透析しないと死にます」と説明したのだが、その患者は「手術はしたくない。透析も、もうしたくない」と言い、透析中止の同意書にサインした。

夫も妻の意思を尊重して「本人がいいならそれでいい」と了承。ところが実際に透析を止めた後に妻が死に至ると、夫は病院を訴えたというのである。

まさに「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった」というケースのようなのだ。こうしたことが少なくないため、病院はかなり苦労してしまうらしいのである。

ただ、医者の言葉をきちんと理解した上で「透析しない」と宣言し、その上で「医師の力」ならぬ「意思の力」で生き延びたら、「透析止めても死ななかったじゃないか。デタラメ言われたせいで余計なストレス味わったから、『医者料』ならぬ『慰謝料』よこせ」なんて病院を訴えるのも面白いだろう。

とはいえ「いずれ必ず死ぬんだから、決してデタラメじゃない」なんて言われたら、まさにその通りだから和解するしかないだろうけどね。

ちなみに私個人としては、生きるだの死ぬだのいうことにあくせくし過ぎるのは鬱陶しいと思うようになっている。ほとんど病気知らずで、20年以上元気に 2本のブログを毎日更新し続けていられる(来月 25日で 21年になる)のは、この「ほんの小さな達観」のおかげかもしれない。

最後に蛇足っぽいが、佐々木⋈和守さんという方のコメントにはちょっと笑わせていただいた。

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なるほど、「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っていると・・・」というような「小泉進次郎構文」にもそれなりの意味はあるようなので、そこにそれなりの意味を認めることにはそれなりの意味があるようなのである(チョー進次郎構文)。

 

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2024年11月25日

ロシアに移民したがるやつなんていないよ

AFP BB News が一昨日付で "ロシア、労働力不足補う「移民必要」" というニュースを伝えている。私は見出しを読んだだけで「ロシアに移民したがるやつなんていないよ」と呟いてしまった。ロシアと北朝鮮だけは、どんなに甘い言葉で誘われても行きたくない。

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この記事の見出しには「労働力不足補う」なんて謳われているが、確かにこの国の問題は労働力不足ということのようだ。記事を読む限りではロシアの人口動態が逼迫しているのは確からしく、「合計特殊出生率は 2023年は 1.41で、人口を維持するのに必要な 2.0を大幅に下回った」とある。

つまりロシアでは、若い世代がどんどん少なくなっているわけだ。これは日本でも似たようなものだが、ロシアでは「新型コロナウイルスによる超過死亡に加え、数十万人の男性がウクライナ侵攻への動員を逃れて出国したことが挙げられる」ともあり、より深刻な問題となっているらしい。

記事にはさらに「ロシアでは反移民感情が根強く・・・」なんて記述があるので、「ロシアに移住してくる人間が現実にいるのか」と驚いたが、その多くは「中央アジアの旧ソ連構成国出身の出稼ぎ労働者」ということのようだ。なるほど、経済的にはロシアよりさらに暮らしにくい国もあるのだね。

さらに関連ニュースを調べると、「ロシア、市民権取得した移民 1万人をウクライナ侵攻に投入」という記事が見つかった。「ほうら、やっぱりそうなっちゃうよね!」と思ったが、「そうした移民の中には、軍への入隊よりも出国を選ぶ人もいる」という。

当然だろう。戦争にかり出されるために故郷を離れてきたわけじゃないのだから。

この国は軍隊に北朝鮮からの人的応援を受けたり移民を投入したりしているわけだが、それでも足りていないようだ。それは「ウクライナ侵攻に加わる兵士らが抱える借金を 1千万ルーブル(約1480万円)を限度に返済免除」(参照)なんて言い出していることでもわかる。これでは新手の人身売買だ。

いくら借金を帳消しにされても戦死してしまったら「安すぎる命」ということになるし、金を貸している側への補償だってまともに語られていない。さらに国が「言い出しっぺ」なのだから、国庫からの借金もかなりの部分が返済免除ということになるのだろう。

それを補うために紙幣を余計に印刷することになるのだろうから、間違いなくインフレが進む。

というわけでプーチンは、さっさとウクライナ侵攻を止めない限りは自分で自分の首を絞めることになる。

 

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2024年11月24日

Bluesky で英語のネット・スラングを学べた

最近、金ももらってないのに Bluesky という SNS の宣伝なんかしちゃってる気がするのだが、この度は図らずも英語のネット・スラングを学べたというお話である。Bluesky の運営当事者の書き込みが原則英語で表示されるので、目の前に字があればつい読んでしまうカラダの私としては結構勉強になる。

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今回注目したのは、今月 21日付の「いくつかの技術面での機能的問題があるとわかったんだけど、忍耐強く使ってくれてありがとう」というお詫びみたいな書き込みで、「近日中の改善を期待しててね」と添えてある(参照)。自画自賛的アピールだけじゃないというのは、かえって好感度アップにつながる。

で、問題はこの書き込みの最終行にある "TL;DR we're so back" というものだ。恥ずかしながらこんなの初めて見た表現でさっぱりわからなかったが、とりあえずググってみたところ、こういうことだった。

TL;DR:  "Too Long, Didn't Read" (長すぎて、読まなかった)の省略形。転じて「長すぎるという方のための要約です」

We're so back: "Things are good again!" or simply "hooray!" (「また良くなってるよ」あるいは単に「万歳!」)

要するに「長くなるから詳細はくどくど書かないけど、どんどん改善されてるよ。やったね!」って感じなのだろうね。

それからちょっと戸惑ってしまったのは、この書き込みへの自己レスにある "I jinxed it" である。日本語では「ジンクス」というカタカナ語がいい意味にも悪い意味にも使われるが、英語の場合は「またやっちゃったよ、ついてないなあ!」みたいな、悪い意味だけに使われるからだ。

ただこの場合は、「😌」という「ごめんなさい」的な顔文字付きなので、「真剣に改善努力するから、もうちょっと見守っててね」というようなニュアンスなのだろう。

さらにこれに対するレスの "gl lol" にも戸惑ってしまったが、"gl" は "good luck" (幸運を)の略語で、"lol" は両手を挙げて笑ってる姿を表したもののようだ。日本でよく見かける「\(^o^)/ 」の米国版なのだろう。

米国式が両手をまっすぐ上に挙げているのは、全角バックスラッシュ(「\」)なんて英文字にないからだろうが、半角でも "\o/" だとよりリアルに見えるがなあ。ただ、"lol" の方が圧倒的に素早く入力できるのは確かだ。

いやはや、いつまで経ってもお勉強のタネは尽きないものである。それにしても、Bluesky ってかなりカジュアルな雰囲気に満ちてるなあ。

【同日 追記】

ちなみに X (元 Twitter)の方でもイーロン・マスクの tweet が英語で出てくるが、くだらないものばかりで付き合いきれない。

 

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2024年11月23日

「さいとう元知事」が「〜元彦知事」というセコい戦略

今月 18日付の「今回の兵庫県知事選挙の、世論誘導に関する大きな教訓 」という記事で、"今回のケースは、ケチョンケチョン状態から一転して当選に至るまでどのような「世論誘導」が行われたかという視点で捉えるとかなり興味深い" と書いた。

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ケーススタディとして検証するにはある程度の時間がかかるだろうと思っていたのだが、それに関する直接情報が思いがけなく当事者サイドから上がってきたことには正直驚いた。今どきらしく、手間の省ける展開である。

株式会社merchu という PR 会社代表取締役の折田楓さん(上の写真左側)が、「今回広報全般を任せていただいていた立場として、まとめを残しておきたいと思います」として、選挙に当たってどのような戦略で活動したかを当事者の立場から書いているのだ(参照)。

J-Cast ニュースも言っているようにいささか「手の内自慢」的なはしゃぎようではあるが、なかなか面白い展開になった。ただそれは同時に「ヤバい」ということでもあるようなのだが。

公職選挙法では「インターネットを利用した選挙運動」をまったくの無報酬でボランティア的にやってもらったというなら何の問題もないが、「その選挙運動の対価として報酬を支払った場合には買収罪の適用があると定められている」というのである(参照)。

これ、はっきり言って妙な話で、私の感覚からすると「選挙プロモーションをするのに有料でコンサルタントや代理店を雇って何が悪い !?」と言いたくなってしまう。今の公職選挙法では、選挙への「スマートなプロモーション戦略」の適用なんて、そもそも想定されていないのだね。

実際問題として従来の選挙運動というのは、裏で「選挙のプロ」が暗躍し、その報酬はビジネス契約に基づいて直接受け取るなんてことではなく、間接的なところで「いろいろ妙な優遇をしてもらう」とか、あるいはその仲介なんてことになっているようだ。これ「癒着」による腐敗を生む元凶だよね。

今回の斎藤氏の場合はそうした「因習的政治手法」から脱して、まさに新時代の「ドライなやり方」でやっちゃったのだが、それがどうして「買収」呼ばわりされなければならないのか、さっぱりわからない。金で票を買ってるわけじゃあるまいし、政治ってこれだから付き合いきれない。

ただ、今回採用された選挙プロモーション戦略は結果として「上出来」と言っていいほど功を奏したわけだが、内容的には「イメージ優先の広告代理店的発想」がやたら強すぎて、個人的には「あんまり気に入らんなあ」と言っておく。

例えば「#さいとう元知事」をさりげなく「#さいとう元彦知事」(元の「彦知事」?)と言い換えてトボけるなんて、嫌らしくもセコすぎるやり方だよね。こんなもので圧倒的な「逆転勝利」が導かれたわけだ。いずれにしても、今後の選挙のあり方への影響は大きいのだろうけど。

斎藤知事の一連のパワハラ疑惑には事実が含まれていたとの証言もあるし、いくら選挙で勝ったからと言ってもそれが「帳消し」になったわけではない。兵庫県政は今後も「妙な緊張感」の中で、あっちに行ったりこっちに転んだりしそうな雲行きである。

【11月 25日 追記】

様相は「齋藤知事、選挙違反で失職か」という論調と、それに対する「守旧派の SNS 攻撃だ」という反論に二極化している。まったく面倒な話だなあ。

 

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