2021年5月18日

「サステナブル」「エンターティナー」「プロテイン」

昨日の昼にラジオを聞いていると、「生活にちょっと役立つサステナブル・クイズ 」というのをやっていた。まあ、いいんだけど、私としてはどうしても「サステナブル」というカタカナ言葉にはむず痒さを感じてしまうのだよね。

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「サステナブル」(sustainable)というのは "sustain" (サステイン: 持続させる)という言葉から来ているので、私としては 40年以上前から「サステイナブル」と言ってきた。海外との関連で、そっちの方の仕事もしていたので。

一時、これを「サスティナブル」(「ィ」が小さい)と言う風潮が広まりかけ、"SDG" を「サスティーナブル・デベロプメント・ゴールをご存知ですか?」なんて、したり顔で言う人まで現れて、むず痒さは最高潮に達していた。今は「持続可能な開発目標」というまともな日本語に落ちつき、ほっとしている。

「サスティナブル」って、どうしても「うぅむ、それって "entertainer" を『エンターティナー』と言うのと同類の勘違い英語じゃん!」となってしまっていたのだよ。"Entertainment" はまともに 「エンタテインメント」で定着してるのに、"entertainer" はどうして「エンターティナー」なんだ?

探ってみると、「エンタテインメント」というのは、あの不滅の名作映画 "That's Entertainment" が『ザッツ・エンタテインメント』というカタカナでプロモートされたので、そういうことで落ちついたようなのだ。さすが「名画のチカラ」である。

一方で "entertainer" の方は、それとはほとんど無関係みたいに「エンターティナー」と表記されることが多い。下のビデオ、スコット・ジョプリン作曲によるラグタイム・ピアノの名曲 "The Entertainer" も、例に漏れず『エンターティナー』になっちゃってる。

これ、メロディは誰でも知っているが、実はタイトルは意外なほど知られておらず、「ほら、あのチャチャンカチャンカチャン、チャチャカチャカチャカァチャンカチャン・・・っていう曲」で通じてしまうので、「ザッツ・エンタテインメント」ほどには、まともなカタカナが定着していないみたいなのだね。

話は最初に戻るが、"sustainable" は、「サスティナブル」になりかかっていたのがどうして急転直下「サステナブル」に固定されちゃったのかというと、どうやら 2019年に AKB 48 が歌った『サステナブル』が、まさに持続可能な決定打となったようなのだ。「アイドルのチカラ」は大きい。

今月 11日付の「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の話じゃないが、本当に言葉というのは、どんなきっかけでどう変わってしまうか知れたものではない。

そして次なる疑問として残るのは、「プロテイン」(たんぱく質)だ。英語は "protein" で、その発音をカタカナで表記するとすれば、「プローティーン」(「ロー」にアクセント)が近いはずなのである。

ただし知る限りの米国人の発音は、下のビデオのように短めの「プロゥティン」に聞こえるので、私も英語で話す時は、「たんぱく質という重要テーマ」をことさら専門的に掘り下げるのでもない限り(そもそも、そんな専門知識ないし)、短めの発音に倣っている。

もしかしてこの手の言葉はドイツ語かなと思い、ググってみたところ、綴りは英語と同じで、発音は「プロティイン」のようだ(参照)。フランス語になると、綴りは "protéine" だが、発音は「プロテイン」(参照)。両方ともアクセントは「イン」にある。

日本ではどうしてまた、「テ」にアクセントを置く「プロイン」になってしまったのか。この手の言葉って、「プロティーン」とか(「キャンペーン」みたいに)「プロテーン」とかになりやすいのだが、こればかりはまったくの謎だ。

もしかしたら、「プロティーン」とかじゃバタ臭すぎて馴染めないというわけで、マッスル系の業界の人たちが「えいや!」とばかりに質実剛健なローマ字読みにしちゃったのかも知れない。

というわけで、本日のエントリーはいろいろな動画を散りばめた大サービスとさせていただいた。

 

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2021年5月17日

「ディープなアジア」の茨城バージョン

一昨日はたまっていた仕事を片付けてようやく一段落したので、「自分へのささやかなご褒美」としてつくば市にある日帰り温泉に行ってみた。ボーリング場や映画館などもある「つくば YOU ワールド」という複合施設で、日帰り温泉だけは「湯〜ワールド」と、駄洒落みたいなネーミングになっている。

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料金はフツーのスーパー銭湯よりちょっと高めだが、その訳は、温泉施設内の大宴会場で上演される大衆演劇の観劇料込みということのようだった。5月公演は「劇団炎舞」とやらの舞台で、私が入った時は歌謡ショーの真っ最中だったが、なにぶんコロナ禍で客入りが少なく、気の毒なほど淋しい印象だった。

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いずれにしても大衆演劇込みの日帰り温泉なんて、なかなかあるものではない。ここの茨城度は、かなりディープである。

とはいえ、別に芝居を観に来たわけでもないのでさっそく温泉に浸かり、一通り体と神経の疲れをほぐしてから館内着を着てロビーに出る。ソファで涼みながら汗の引くのを待っていると、後ろのテーブルがやたらと賑やかなのに気付いた。

振り返って見ると、還暦過ぎぐらいのおばちゃん 4人のグループが世間話に花を咲かせてダハダハ盛り上がっている。これがまたディープな茨城弁で、一人ずつしゃべってくれれば聞き取れるのだが、常に同時に 2人以上が(時として 4人いっぺんに)しゃべるので、何が何だかわからない。

茨城弁特有のうねるようなイントネーション(単語自体に固有のアクセントはなく、様式のあるようなないような、気紛れな抑揚のセンテンスの中に埋没する)が重なり合って、途切れることのない「ウォ〜〜ン」という響きになり、時に 4人同時の大爆笑が強烈な効果として加わる。これはもう、大変なものだ。

この喧噪に包まれながら、私は時々出張することがあった香港の大衆食堂を思い出していた。香港の洋食レストランはやたら高いばかりで旨くもなんともない(何しろ英国領だったんだから)ので、食事はフツーの香港人の行く大衆食堂に入る。ちなみに香港の人たちはほぼ 100%外食らしい。

こうした大衆食堂は嬉しくなるほど安くてうまいのだが、とにかくうるさい。ドアを開けた瞬間に、店内から噴出する凄まじい騒音の圧力で押し戻されそうな気がするほどだ。だから日本人同士で連れだって食事しても、まともな会話はできない。フツーの声で話したのでは全然聞こえないのだ。

こうした状況では、一応の国際スタンダードとなっている西欧的常識からすると、互いに迷惑にならないように小声で話すのがエチケットとされる。ところがそれとは逆に、皆が周囲に負けないようにさらなる大声でしゃべるというのが、中国的常識のようなのである。

これって、バスや地下鉄に乗るのに決して列を作らず、我先にドアに殺到するのと同じメンタリティだ。そして放っておけば何事も混沌のままなので、強烈な中央集権的権力で身も蓋もないほど抑え込もうとする。

私は日帰り温泉ロビーの喧噪の中で、「これが『ディープなアジア』の茨城バージョンなのだよね」と穏やかに納得しながら、汗の引くのを待っていた。中国の圧政の色が強まっている香港に比べれば、ここはずっと呑気でいられる。

負けるなよ、香港!(最後にこれが言いたかった)

 

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2021年5月16日

「図を使って考える」というより・・・

東洋経済 ONLINE に 「頭のいい人が図を使って考える 3つの訳」という動画記事がある。YouTube の動画によるプレゼンみたいな形の記事だ。

「3つの訳」(動画のタイトルは「3つの理由」となっているが)というのは、図を使って考えると次のような効果があるというのである。

  1. 枝葉末節がそぎ落とされて本質がクリアになる
  2. ビッグピクチャーを得られる
  3. 思考の「見える化」ができる

かなりもっともらしく聞こえるが、私は「ちょっと待てよ」と言いたくなった。というのは、ここに挙げられた 1番と 2番は矛盾するのである。

1番では「情報が多すぎると、情報を整理するだけで手一杯になって思考の低下を引き起こす」と言い、2番では「正しく深く考えるためには、今考えていることに対して影響を及ぼすすべての要素を、視野を広げて大きく捉えることが必要」と言っている。

1番で「航空写真は情報量が多すぎて役に立たない」と言いながら、2番では「視点を上げることによる『鳥の目』が必要」と言う。頭の中にきちんと「図」を描きながら聞いたら(この場合は並列的な図となるが)、その図の中の 1番と 2番はケンカしてしまう。

私の場合でいえば、思考する時には順序としてまず「ビッグピクチャー」を描き、そこからだんだん絞り込んでいく。つまり 1番と 2番は同時には不可能なので、必然的に「時間軸」の要素が必要となり、そうすると順序を逆にして言う方が自然なのだ。

さらに経験則から言うと、「枝葉末節をそぎ落とす」ことが文字通り有効となるのは、「自分で考える時」というより「考えたことを提案する時」だと思う。

私としてもプレゼンをする時にはよく図を使うが、それはある意味、相手に「余計なことを考えさせない」ためである。ストレートに納得してもらうために、敢えてとりあえず視野を狭めて集中してもらう。いわば pursuasion(説得)の手段だ。

その上で、プレゼンが終わってから視野を広げて考え直してもらう分には一向に構わない。それで「待てよ、それって変じゃない?」なんて思われるようでは、プレゼンター側の最初の「ビッグピクチャー」の描き方がお下手なのだ。

このビデオ序盤のストーリーは「頭のいい人たちを見ていて、その共通点は『よく図を使う』ことだと気付いた」ということになっているのだが、それは彼らがプレゼンや会議の際に、上手に図を使うのを見てのことだろう。そもそも実際に思考に没頭している姿なんて、あまり人前にさらさないものだし。

ということは、これは「図を使って考える」というより、「図を使って提案する/納得させる」あるいは、「会議の内容をその場で図にまとめて整理し、結論に導く」(これは実際に、かなり有効)と言った方がいい。

少なくとも私は、紙やホワイトボードに図を描きながらものを考えるなんてことは、ほとんどしない。いちいち図を描きながらでないと考えられないなんて、そもそも頭が悪んじゃないかと思うほどだ。

そのかわりもっぱらしているのは、プレゼン資料を作る際に、頭の中で構築したアイデアを PC 画面上に「図として清書」するというテクニカルな作業である。経験から言うと、プレゼンに説得力をもたせるのは、矢印多用の「もっともらしい図」よりごく単純な「わかりやすい図」だ。

それにそもそもこのビデオって、画面に登場するのは「図らしきものの漠然としたイメージ」ばかりで、話の内容はちっとも具体的な「図」に落とし込まれてないよね。まあ、図にしなきゃ伝わりにくいほどの内容でもないけど。

 

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2021年5月15日

自然に無理なく「減酒」することの有効性

東洋経済 ONLINE に "茨城にある「減酒外来」に予約が殺到する事情" という記事がある。「断酒が難しいなら、減酒から始めればいい」というサブタイトル付きだ。すっぱりと酒を「絶つ」のはなかなか難しいから、とりあえず量を「減らす」ことから始めればいいのだという。

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この治療で最初に行われるのは 「AUDIT」と呼ばれるテストである。このテストは 10項目の質問に答え、その回答に従って 0点〜4点のポイントが付く。40点満点で 15点以上になるとアルコール依存症が疑われることになる。

この 「15点」というカットオフ値は世界共通のものではなく、それぞれの国に固有の飲酒文化によって自由に設定が変えられるらしい。世界的には「8点」が標準というのだから、我が国は酒に関する許容度がかなりユルいと言っていいのだろう。

ちなみに、私も試しに厚生労働省の AUDIT というページでやってみたところ、結果は「1点」だった。

最初の「あなたはアルコール含有飲料をどのくらいの頻度で飲みますか?」という質問への回答が「飲まない」なら 0点だが、私は「1ヶ月に 1度以下」なので 1点となり、他の質問ではすべて 0点の回答だった。というわけで、私はアルコール依存症になる心配がほとんどないらしい。

とはいえ、昔は結構飲んでいて、2013年 2月 25日付の "世の中の「酒離れ」の最先端を走る" という記事によれば、2005年以前(40〜50歳代の頃)は毎日酒を飲んでいたのである。それが徐々に「週に 2〜3回」に減り、還暦を過ぎた 2013年にはついに「週に1度も飲まなくても平気」になっていた。

そして今では「月に 1度以下」ということになったわけである。強いて「飲みたい気持ち」に打ち勝ったというわけではなく、体の方が自然に「飲めない体」になってしまっていたのだ。というわけで、「断酒が難しいなら、減酒から始めればいい」というのは、自分の体験からもとても有効と感じている。

ちなみに私の場合は、体のためを考えてことさらに酒を遠ざけたというわけじゃなく、単に「毎日飲むのも、何だか面倒になった」と感じているうちに、自然に飲む回数が減った。「面倒くさがり」というのは酒を減らしやすいのかもしれない。

50歳を過ぎても毎日飲まずにいられないというのは、ずいぶん「マメな人」なのだよ、きっと。

 

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2021年5月14日

日本の政治が期待できない象徴的答弁

5月 8日に「この国の政治家と官僚のレベル」という記事で、「政治家のレベルの低いのは元からだが、今となっては官僚の世界にも優秀な人材が入ってこないみたいなのである」と書いたが、その 2日後の国会でのやり取りでそれがしっかりと立証されてしまった。

オリンピック開催に関する菅首相の答弁は日本中を呆れさせたが、その答弁の原稿を書いたのは官僚である。まともなレベルにない文書を、まともな日本語を使えない首相が、眠そうな顔をして何度も繰り返し訥々と棒読みするだけなのだから、まともな国会になるはずがない。

こうした現状を眺めているのだから、この国の若い世代が政治に期待できるわけがない。8日の記事にはこんなふうに書いている。

こんなことでは、まともな青少年なら官僚なんかになって一時代か二時代前みたいな世界に埋没したいとは思わないだろうよ。

というわけで、日本の政治のレベルは今後ますます落ちて行ってしまうのだろう。10日の菅答弁は、日本の政治が期待できないことがいやでもはっきりわかる象徴的なものとなった。

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2021年5月13日

電気ナマズの「直列」って・・・

昨日の昼頃、クルマを運転しながら TBS ラジオの「赤江珠緒のたまむすび」という番組を聴いていたところ、テーマは「算数・理科の時間ですよ!」というものだった。小学校の算数や理科で習ったことでも、ずいぶん忘れてしまっているという話である。

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この日のお相手の博多大吉はこれに関連して、前日に放映された「火曜は全力」とかいう TV 番組での「電気足湯」なる罰ゲームの話を始めた。彼は番組内の罰ゲームで、電気ナマズの入った水槽に足を入れることになってしまったのだという。

恐る恐る足を入れる直前に水槽内を見ると電気ナマズが縦に並んでいるので、彼は「電池で言うと直列に並んでる!」と口走り、ますます恐怖を募らせてしまったという。ただ実を言えば、電池の直列と並列ではどちらの電流が強いのか、しかとはわからなかったらしい。

そんなわけで、TV 番組中に話をそれ以上おもしろく膨らませることができず、内心悔やんだと告白していた。お笑い芸人もなかなか大変だ。小学校の理科で習った常識(電流の強いのは、もちろん直流)を忘れると、商売に差し支えることまであるのだね。

帰宅してググってみて、その番組のビデオを見つけた(参照: 視聴可能なのは今月 18日 22時までということで、それ以後はクリックしても表示されないのでよろしく)。上の写真はその中の 2カットである。

ビデオの初めの方はつまらないので飛ばしに飛ばし、問題の場面になるのは最後に近い 44分 30秒あたりからだが、よく見ると 2匹のなまずは確かに縦に並んではいるが、上の写真で示したように、互いに頭をくっつけるように向かい合ってるじゃないか。これじゃ「直列」もへったくれもない。

いや、これはもしかして、番組スタッフが見た目のみ恐ろしげにして、実際は安全のために電流が打ち消し合って感電しなくなるように配慮したんだろうか?(まさかね)

それにしても、これで終わらせてしまってはもったいない。新たな疑問として浮かび上がったのは、「電気なまずの発する電気って、直流なんだろうか、それとも交流なんだろうか? もし直流だとすれば、頭と尻尾のどっちがプラスでどっちがマイナスなんだろう?」ということだ。

これについては、Wikipedia の「デンキナマズ」の項で調べてすぐに合点がいった。こんな風にある。

デンキナマズは体表を包むように発電器官が発達している。頭部がマイナス、尾部がプラス極となっている。

発電器官が、頭部がマイナスになるように直列に並んでいるということで、ということは直流なんだろう。じゃあ、なぜ直流なのに「ビリビリッと」感電してしびれてしまうんだろうか? いや、電気ナマズに感電したことはないから、「ビリビリッと」かどうかはわからないが。

それに関しては、「デンキウナギ」の項の記述から類推された。(ちなみにデンキウナギはナマズとは逆に、頭部の方がプラスらしい)

この高電圧は約 1000分の1秒ほどしか持続しない。(中略)しかし、1分以上も電気を発生させ噛み付いてきたカイマンを感電死させたという報告もされている。

多くの細胞が瞬間的に電気を発生させるので、「ビリビリッと」くるとすれば、パルスのような効果が発生してるんだろう。

というわけで、昨日は思わぬところで「ちょっとだけ小学校の理科以上」のお勉強をさせてもらったのだった。

 

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2021年5月12日

資生堂の「ドルガバ撤退」のニュースで思ったこと

昨年秋頃のことだったと思うが、ラジオで「君の『どーるちぇあぁんどがばぁなぁ』のその香水のせいだよ〜」(リンク先ビデオの 1分 11秒あたりから)という妙な歌を聞いて、一瞬「何それ?」と思い、その数秒後に「ああ、 "Dolce & Gabbana" も、もう終わりだな」と直感した。

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で、そのほぼ半年後に東洋経済 ONLINE に ”資生堂、「ドルガバ終了」から始まる欧米撤退戦” という記事が出るに至って、「ほほう、俺のアンテナも、まんざら錆び付いてないじゃん」と思った次第である。もう、ブランドでビッグビジネスをする時代じゃないのだ。

今はガタガタになってしまったアパレル・メーカーの オンワード が 1989年に "Dolce & Gabbana" と契約(参照)した時の記者会見には、実は私も参加していた。当のドルチェとガッバーナのご両人も来日して参加していたが、はっきり言って 2人とも「もっさりしすぎ」という印象だった。

こちらが啞然としてしまうほど、意味のあること(自らのファッション哲学とか、デザイン・テーマとか)は何も語ることができず、気の利いたジョークすらも言えなかった。要するにこの 2人、自分たちに深い考えなんてなく、周囲の「悪いオジサンたち」に動かされてるのが見え見えだったのだよ。

そんなことだから最近ではプロモーション面で余計な問題まで起こし(参照 1参照 2)、さらに本業は洋服のデザインなのに、実際は小物やコスメ、香水関連でメシを食ってる印象があって、要するに「もう終わってる」ってことなんだろう。実質以上のビッグネームに仕立て上げられた悲劇である。

そういえば、昨日の "「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の使い分けって・・・" という記事で、次のようなことを書いている。

私は昔、繊維・アパレル業界で仕事をしていたから、「ブランドのライセンサーに支払う『ロイヤリティ』が馬鹿にならないんだよね」とかいう言い方をよく耳にしていた。

当時は、「そんなに『ロイヤリティ』とやらの支払いが負担なら、欧米のブランドなんかに頼らずに、自前のちゃんとしたブランドを開発すればいいじゃん」と思っていたものである。で、改めて「最近の代表的なライセンス・ブランドって何かな?」と考えたが、急には思い浮かばなかった。

あの頃のアパレル業界大手といえば、オンワードの他には「アーノルド・パーマー」なんてゴルファーの名前でポロシャツや靴下を売るという妙なビジネスをしていた レナウン とか、「バーバリー」のライセンスによるコートに頼りきりだった三陽商会 とかだった。今はどちらもガタガタだが。

その他にも、誰も知らない(プロの私でさえ知らない)ような海外のどうでもいいブランドに「ロイヤリティ」を払って展開しているメーカーも、どことは言わないが少なからずあった。私は「それって、全然意味ないよね!」と思っていたよ。

一方、この頃は山口県のローカル企業に過ぎなかった「ユニクロ」は、どこにも「ロイヤリティ」なんて支払わずに、自前のブランドでここまで成長した。

余計な「ロイヤリティ」とやらを払いながら、他人のネームバリューによりかかる仕組みのライセンス・ビジネスは、地道に自前の財産を構築する本道のビジネスに負けるのである。「ロイヤリティ」とやらの収入に頼るビジネスも同様だ。

 

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2021年5月11日

「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の使い分けって・・・

昨日の記事で紹介した Gigazine の "iPhone の求心力が過去最高に達する" という記事タイトルで、実は「求心力」という言い回しがちょっと気になっていた。元記事と思われる英文記事を見ると、いずれも ”brand loyalty” という言葉が使われているし (参照 1参照 2参照 3)。

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「ブランド・ロイヤルティ」って、既に外来語としてあるんだから、「求心力」なんてビミョーな言い換えは必要ないんじゃないの? なんて思ったのだが、一方で「そう言い換えないと "brand royalty" と誤解する人も確実にいるから、しょうがないか」と、心ならずも納得していたのである。

改めて言うまでもないが、敢えて確認しておくとすれば、その違いはこういうことだ。

brand loyalty: 「ブランドに対する愛着心・忠誠度」みたいなこと
brand royalty:  商標使用料

ただ多くの日本人は ”L” と ”R” の区別が苦手だから、誤解が生じるのは仕方ないのかもしれない。そう思って念のため、ちょっと「ロイヤルティ/意味」の 2語でググってみたところ、驚いてしまった。

「ピポラボ」というサイトによると、日本には「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」という 2つのカタカナ言葉があり、似てはいるが「意味が全く違う」ので、注意して使い分けなければならないんだとさ(参照)。こんな風に書いてある。

フランチャイズとは、フランチャイズチェーンに加盟した店舗が大本の企業に使用料(ロイヤリティ)を払うというビジネスモデルです。(中略)顧客ロイヤルティは重要なキーワードとなりつつあります。先にも述べたように、これは顧客が企業やブランドの商品やサービスに対して抱く信頼や愛着心のことです。

要するに "royalty" をカタカナにすると「ロイヤリティ」になり、"loyalty" は「ロイヤルティ」ということらしい。ここだけじゃなく、WURK というサイトにも同じようなことが書いてある(参照)。いやはや、びっくりである。

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私は昔、繊維・アパレル業界で仕事をしていたから、「ブランドのライセンサーに支払う『ロイヤリティ』が馬鹿にならないんだよね」とかいう言い方をよく耳にしていた。その頃は、「うぅむ、『ロイヤリティ』じゃなくて『ロイヤルティ』なんだがなあ」と苦々しく思いながら聞いていたものである。

ところが今となっては、こうした意味で使う場合は「ロイヤリティ」と言うってことが、半ば正式に(ここまで来れば「暗黙の了解」以上だよね)認められてしまっているようなのだ。いやはや、そんなの、誰が誰に断って決めたんだよ。

私はいつも「言葉は生き物」なんて言うのだが、まさにそのことを実感してしまった。

「よくある言い間違い」が、よくありすぎるためにいつの間にか公認されて、国語辞典にも載ってしまうということは昔からある。「山茶花」(本来の読みは、漢字の通り「さんさか」)が、いつの間にか「さざんか」になってしまったようなものだ。(参照:音位転換

というわけで、こればかりは文句を言ってもしょうがないのかもしれない。個人的には「苦々しい思い」に変わりはないのだけれど。

ただ、最後に触れておくが、weblio というサイトの 下に示したページ は「苦々しい」では済まされないよね。思わず「おいおい・・・」と言ってしまいたくなる誤りだ。(「ブランドローヤルティ」なんて、初めて聞いたし)

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ちなみに、同じ weblio で "brand loyalty" の方を調べると、今度はこう来た

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基本的なところで、ずいぶんな混乱があるみたいなのである。とりあえず、このサイトは信用できないと結論づけておくことにする。

 

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2021年5月10日

iPhone は指名買い、Android は「ただ何となく」

Gigazine が "iPhone の求心力が過去最高に達する、対抗馬の Android では「Android 離れ」が顕著に" と伝えている。米国での調査によれば、iPhone ユーザーのブランド・ロイヤルティが過去最高に達しているのに対し、Android ユーザーは他メーカーへの乗り換え志向が高まっているという。

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この調査では「スマホを他の機種に替えたいか?」という質問に、iPhone ユーザーの 91.9%が、「替えるつもりはない」と答えたという。ちなみに 2019年 8月の調査では 90.5% だったが、さらに増えて圧倒的な数字となった。(下の図は、クリックで拡大される)

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iPhone ユーザーへの「どうして替えないのか?」という問いには、「OS を替えるのは面倒」という回答は案外少なくて 10% に過ぎず、半数近くの 45% が「今のブランドが好きで替えたくない」と答えている。ちなみに私も、同じ質問をされたらそう答えるだろう。

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翻って、iPhone のシェアが世界一高いと言われる(参照)日本市場をみると、Android のシェアが一頃より上がってきているらしい。ただ、私の周囲の Android ユーザーたちに聞いてみると、自らの意思で選んだというより、多くは店のスタッフの言うがままに買ったというケースが多いようだ。

その辺りの事情は、私の過去記事の「au ショップでは店員の口車に乗るなというマジな話」「iPhone と Android のお話」というのを読んでもらえばわかる。私としては、とくに au ショップは押しつけがましく Android を売りたがっているという印象がある。

手っ取り早く言ってしまうと、iPhone ユーザーの多くは「指名買い」だが、Andoroid ユーザーの多くは、漠然と「スマホ」を買いに行って、わけがわからないうちにただ何となく買ったのが、結果的に Android だったということのようなのだ。これって多分、米国でもある程度共通するんじゃなかろうか。

というわけで、Android ユーザーのかなり多くの層(とくに 60代以上)は、アンケートで「あなたのスマホは iPhone ですか? Android ですか?」と質問されても、それに答えることすらできない。自分の持ってるのは単に「スマホ」としか思っていないから、質問の意味がわからないのだ。

こうした事情から察すると、Android ユーザーのブランド・ロイヤルティが低いというのも、自然なことのように思われるのである。ただ、最後にお断りしておくが、私はきちんと意識的に Android スマホが好きで選んだという人をディスる意図でこの文章を書いたわけでは決してないので、その辺は

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【注】
本文中の 2つの図は、cellsell の "Report: Brand loyalty at an all-time high of 92% for Apple as Android brands take a dive" (レポート: Apple のブランド・ロイヤルティは空前の 92%に達し、Android では急降下)という記事からの転載で、翻訳は tak-shonai による。

 

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2021年5月 9日

我が家は既に FAX がないので、よろしく

先日、iPhone の着信音が鳴ったので出てみると、何やら雑音が聞こえるのみだった。一旦通話を切り、折り返し発信してみたが、相手は「通話中」と表示される。そのうちに留守電が記録されたので再生してみたが、何やらプニュプニュいう雑音が聞こえるだけである。

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一体何だろうと思いながら再び発信してみると相手が出て、「そちらに FAX を送ろうとしてるんだけど、どうしても送れないんですよ」と言う。そうか、あの雑音は 数年ぶりで聞いた FAX の発信音だったのか。

「いや、ウチはもう FAX なんて設置してないんですよ」と言うと、「じゃあ、仕方がないから、メールで送ります」と言う。少し待ってみたら、ちゃんとメールが届いた。だったら、始めからそうしてくれればよかったのに。

我が家の馬鹿でかくて場所塞ぎだった A3 サイズ対応 FAX 兼用プリンターを処分した件は 2017年 4月 24日付の記事に書いてあるから、既に 4年以上前である。この記事には「この 2年ぐらい FAX の受発信そのものをしたことがない」と書いていて、いくら何でももう FAX は不要だろうと思ったのだ。

ところがそのほぼ 2年後の一昨年 3月 15日に、知り合いの女性から FAX を送付された。この時は大昔の安物 FAX 兼用電話機を押し入れの奥から引っ張り出してきて、なんとか受信できた(参照)が、これも処分してしまったから、もはや我が家に FAX というものはないのである。

この時の記事には FAX を使わないだけではなく、固定電話もほとんど使わないと、次のように書いている。

我が家の固定電話は FAX 兼用ではない一番安いタイプで、しかも呼び出し音が 1回なるだけで留守電応答に切り替わる設定にしてある。かかってくるのは 99.9%がアヤシい勧誘電話なのだから、これでまったく問題ない。

これでずっと何の不便もなかったのだが、2021年の世の中になってまたしても「FAX を送りたい」なんて言われたので驚いてしまった。そもそも FAX を送りたいくせに「090」で始まるケータイ番号に電話しておいて、「どうしても送れない」もないものだ。

そんなわけで試しに「FAX/不要」という 2語のキーワードでググってみると、Excite ニュースに「会社で FAX がまだ使われていると呆れる声に賛否 日本のファックス固執は異様?」という記事が見つかった。これがまた、私が FAX を処分したほぼ半月前の 2017年 4月 6日付なのだから笑える。

昨日の記事でもちょっと触れたが、官僚と政治家との文書のやり取りは、今どき 8割以上が FAX だというのもスゴい。そう言えば、確かにあの世界(お役所とか、公共団体とか)は、「お申し込みは以下の FAX フォームで」なんてのが多い気もするが。

世の中がまだこんなにも FAX 好きだとすると、PC やスマホで FAX の送受信ができるアプリを入れるのも手かなと思ったが、調べてみるとインストールは無料でも、固定の月額利用料がかかったり、送受信の度に課金されたりするのがほとんどだ。数年に 1度のことのためにそんな投資は馬鹿馬鹿しい。

というわけで、以後 FAX のことはすっぱりと考えないことにしたので、Yoroshiku4

 

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