2021年2月28日

「バーニーズ」流ファッション・ビジネスの衰退

東洋経済 ONLINE が "バーニーズ「日本1号店」撤退が示す深刻課題" という記事を伝えている。「バーニーズ」と言っても今や知らない人が多いと思うが、メンズ比率の高いハイ・ファッションの大型店で、元々はマンハッタン 17st. の "Barneys New York" のライセンスでスタートしていた。

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この Barneys New York は、今は懐かし黒ずくめジャパン・ファッションが世界で注目された 1980年代に、いち早く COMME des GARÇONS や Yohji Yamamoto などの東京のデザイナー・ブランドをニューヨークに紹介し、販売していた

この頃、当時の社長の Gene Pressman (創業者の Barney Pressman の孫)が来日した際の記者会見に、私も(若き記者として)出席したのを覚えている。で、印象と言えば「このジーン・プレスマンって、キザで嫌なやっちゃなぁ」というものでしかなかった。

この時の質疑応答で、私の質問(日本での会見なので当然日本語)を通訳が妙に勝手な解釈で伝えようとしたので、「いや、聞きたいのはそういうことじゃなくて・・・」と直接英語で聞き直したのだが、彼は結局、自分の言いたいことをペラペラまくしたてるだけだった。要するに台本があったのだろう。

この記者会見の約半年後に実際にニューヨークに出張し、 Barneys New York の本店も訪れた。品揃えは悪くないが、底の浅さは社長の第一印象と変わらない。で、その印象に違わず 1996年に最初の倒産。その後大手アパレルに身売りして復活したが、一昨年に再び行き詰まっている。

初代が苦労して創業したビジネスを二代目が発展させ、三代目が食い潰すというパターンの典型である。

この倒産の 7年前、1989年にライセンス・ビジネスとして「バーニーズ・ジャパン」を始めたのが伊勢丹だったが、スカ引いちゃったよね。その後、本家本元がガタガタになったので資本関係も何もなく、名前だけ生き長らえながらセブン&アイの子会社として営業を続けていたわけだ。

というわけで、頼るべきは 30年前に一時的に輝いていた頃のイメージしかないみたいなもので、こうした感じのファッション・ビジネスって「前世紀の遺物」になってしまうほかないよね。

【追記】

ちなみに、米国版の Wikipedia には、Barneys New York 創業者の Barney Pressman、二代目の Fred Pressman のページならあるが、三代目の Gene Pressman のページは見当たらない。目立つのはセレブだった頃のちょっと浮ついた写真ばかりだ。

 

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2021年2月27日

「異分子を認めない」という体制

HUFFPOST の "「憲法は同性婚の法制化を禁止していない」衆議院法制局が示す → それでも国は「想定していません…」" という記事に注目した。そして思わず、同じく HUFFPOST の “地毛なのに黒染め「校則」強要、大阪府に賠償命令。元女子生徒「不登校になった」” という記事を連想した。

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片方は政府、片方は学校の問題だが、共通するのは「異分子を認めない」あるいは「異分子は埒外に去れ」という考え方である。

LGBT も 黒くない地毛も、単に「趣味か体質の些細な違い」に過ぎないのだから、ちょっと我慢して「世の中のフツー」に合わせろ、さもなくば、それを武器にして一生はみ出し者として生きろという乱暴な話だ。

同性婚の法制化に関する憲法解釈というのは、頭が化石の自民党の爺さん連中にとっては考えるのも鬱陶しいぐらいの問題だろうが、今となっては避けては通れない。上述の記事は、この件に関する質問への衆議院法制局の回答は、かなり回りくどい言い方だが次のようなものだったと伝えている。

 「憲法24条1項と同性婚の関係については、論理的にいくつかの解釈が成り立ち得ると考えますが、結論から申しますと、少なくとも日本国憲法は同性婚を法制化することを禁止はしていない、すなわち認めているとの『許容説』は、十分に成り立ち得ると考えております」

禁止されておらず、要望は明らかにあるのだから、国として検討を開始しない理由はないはずなのだが、政府は「憲法は同性婚を想定していない」と繰り返すのみである。「想定していない」ことの「主語」は「憲法」ではなく、人、つまり「自民党の爺さん連中」に他ならないのだが。

同性婚問題に関しての政府の答弁は、さすがに曖昧にぼかすことを意識しているが、「茶髪」に関する一部ブラック校のやり方はストレートにひどい。「黒染めが不十分だ」として、授業への出席や修学旅行への参加を認めないこともあったというのだから、これはまさに人権問題だ。

ことは髪の毛の色だけでない。私が中学生の頃には生活指導の教師が全校生徒を集めた朝礼で、「なぜ長髪を禁止するかと言えば、クラスに長髪の生徒(どうやら私のことらしい)がいると、教育が成り立たないからだ!」と言い放った。

私はその場で「その程度のことで成り立たなくなるようなチャチな教育なら、してもらわなくて結構!」と反論したが、それに対してはついにノーコメントだった。当時、職員会議では「あいつとまともに議論で渡り合うと面倒なことになるから」と、無視することになっていたらしい。

自民党のオッサン連中の多くは「日本は単一民族だからいい」とか「黙っていても通じ合える」とかいう幻想を本気で信じ込んでいるようなのだね。それでふと気付いた時には、相互理解がとてつもなく困難な社会になってしまっているではないか。

 

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2021年2月26日

「数学嫌いの若者」に関する考察

東洋経済 ONLINE に "「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する" という記事を見つけて、「我が意を得たり」とばかりに読んでしまった。ちなみに私は「極端な文系」ということになっていて、数学は苦手である。

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この記事を書かれた 芳沢光雄 先生は、数学嫌いになる問題の一端に小学校時代の「かけ算九九」の授業があるとして、次のように指摘されている。

3×4=12の「サンシジュウニ」ならば、3+3+3+3=12 を示した後に暗記させるものである。ところが、困った指導が一部で行われて、3×4=12 のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである。

私の小学校 2年生の頃の指導は、まさにそれだったように思う。授業では「九九の意味と必要性」なんて一度もまともに説明されず、ふと気付くと、ただひたすら「九九を早く暗唱できるようになった子がエラい」みたいな雰囲気になっていた。

そんなわけで学校の休み時間でも登下校の途中でも、みんな異様に大きな声で競争のように「九九」を唱えて(というか、叫んで)いるのだった。申し訳ないけど、私は気恥ずかしくてその環の中には到底加われなかった。

「かけ算九九」って要するに「単純記憶」の勝負で「考える必要」がまったくないというより、下手に考えるとそれが邪魔になってしまうぐらいのものだから、誰でも抵抗なく入れたのだろう。しかし、ただ単に憶えるなら「寿限無」の方がずっと楽しいけどね。

私としては「九九」の喧噪の中でひたすらポカンとしながら、「『9×9=81』なんて、9を 9回足せばわかるじゃん」と思っていた。実際に九九のペーパーテストでも、九九を完全に暗唱できないくせに このやり方であっさり満点だった。(さすがに、その後しばらくして自然に覚えられたが)

で、芳沢先生の指摘によれば、これこそ正しいアプローチだったわけだ。そのお墨付きをもらっただけでも、この記事を読んだ甲斐があるというものである。「九九」って数学に必要な論理思考とは別の筋肉しか使わないみたいなのだね。

というわけで、私は「理数が苦手」とはいいながら「論理思考が苦手」というわけでは決してなく、むしろ得意と言っていいほどだ。このことは 2011年 7月の "「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ" という記事に書いている)

定理や公式の意味はことごとくきちんと理解できるし、相対性理論とか素粒子論などの文献を読むのもほとんど苦にならない。

これらの分野に関しては、その辺の「数学や科学は、誰が考えても答えが一つだからいいんだ」なんてノー天気なことを言っているフツーの理数系よりは、きちんと理解しているという自信がある。

ただ、この記事に書いているように、私の場合は「数字数式認識障害」とでも言いたくなるような欠陥があるみたいなのだ(「識字障害(Dyslexia)」に類したものだろうか)。それで、同じ生きていくなら数字の世界ではなく文系の世界で論理を貫いて行こうという気になって、今日に至っている。

というわけで、私は決して「数学嫌い」じゃないのに「数字に弱い」だけで、世間から「極端な文系」扱いされ続けているわけなのだよね。まあ、ここまできたら別にそれでもいいけど。

【2月 27日 追記】

本文で触れた「九九のペーパーテスト」では、完全に暗唱できない私が満点なのに、しっかり暗唱できている子が「70点」とか「80点」とかしか取れていないのが、不思議でしょうがなかった。

あれって多分、「さんしちにじゅういち」と「3×7=21」が、頭の中でリンクしていなかったんだろうね。何しろ「使う筋肉が違う」ので。

 

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2021年2月25日

Opera からたった 1日で Vivaldi に乗り換えた

昨日 「Mac 用ブラウザーとして Opera はなかなかいい」という記事で、Firefox から Opera に乗り換えたと書いたばかりだというのに、今度はたった 1日で Vivaldi に乗り換えた。当面は Safari と Vivaldi の併用で行こうと思っている。

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上の画像をクリックすると、Vivaldi 社の「私たちの信念とは」というページに飛ぶのだが、これがなかなかいい。「ブラウザとは、仕様にユーザーを合わさせるものではなく、ユーザーに合わせられるものであるべきなのだ」という「信念」がとても気に入った。

Vivaldi を知るきっかけとなったのは、昨日の記事に付けられた 柘榴 さん のコメントだ。次のようにある。

Operaは大手企業に買収されてからどうもあんまりいい噂を聞かないので、個人的にはOperaの作者が新しく作ったVivaldiのほうをおすすめしたいところです。

へえ! と思って調べてみたところ、Opera というブラウザーは元々は Opera Software AS というノルウェーの企業によって開発されたのだが、この会社は 2016年に中国企業のコンソーシアム(奇虎 360 が中心の投資会社)に買収されているとわかった(参照)。

ふぅむ、「奇虎 360」という会社に関しては、悪いけど、個人的にはいいニュースにはあまり登場しないという印象をもっている。ネットでは「中国がブラウザーを通じて日本の情報を盗む可能性がある」なんてことまで言われているようだ。いくら何でもそりゃないだろうけどね。

まあ、私個人に関してはたとえ中国に盗まれたところで問題を起こすような情報なんてないから、どうでもいいようなものだが、そうと知ったからにはやっぱりちょっと気持ち悪いので、早々に 柘榴 さんオススメの Vivaldi をインストールしたというわけだ。

使ってみた印象だが、確かに軽快そのものである。Opera も「速いな」と体感したが、Vivaldi はさらに速い。そして使い勝手も Opera よりしっくりくる。話は別だが、Vivaldi の『四季』は好きだし(とくに「」)。

というわけで、情報を提供してくれた柘榴 さんに感謝しつつ、当分使い続けてみようと思っている次第である。ちなみに Opera はさっさと削除した。

【同日 追記】

なんと、Twitter で @vivaldi_jp さんから、「いいね」がついてしまった。好感度アップしたから、フォローしちゃったよ。

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2021年2月24日

Mac 用ブラウザーとして Opera はなかなかいい

昨年の 1月 8日、「私のブラウザー遍歴」という記事を書いている。2014年に Mac を使い始めた時は Chrome メインで、翌年からは Safari と Chrome の併用に切り替えたが、昨年は Chrome を Firefox に代えたという内容だ。

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そしてつい最近、さらに Firefox を Opera (上図 右上のアイコン)に代えた。

昨年に Chrome を止めたのは、このブラウザーのメモリ消費が大きいため、重く感じられるからである。Firefox は Chorome ほどメモリを使わないので、動きが改善されたように思われた。

ところが Firefox にしても、それほど軽快なブラウザーというわけじゃない。とくに多くのタブを開いて長時間使い続けていると、クラッシュしてしまうこともある。それで「Mac で使えるもっと軽いブラウザーはないか」と探し、Opera に行き当たったわけだ。(なお、Opera は Windows 版もある)

試しにインストールしてみたところ、軽くてなかなかいい。体感速度が Firefox よりずっと速いし、機能的にも過不足がない。というわけで今後は Safari と Opera の 2本立てで行くことにした。

Opera は操作感がちょっと独特で、例えばほかのアプリではツールバーの左端に横並びで表示される 赤黄緑のボタン(「閉じるボタン/しまうボタン/ズームボタン」というらしい)が、左側のサイドバーに縦に表示される。慣れればどうってことはないが、初めはちょっと違和感かもしれない。

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ただ、メニューバーの「表示」から「サイドバーを隠す」を選択すると、下図のようにサイドバーが消え、3つのボタンはタブバーに横に並ぶ。サイドバーに表示されるメニューは使用頻度が高くないので、私としてはこのスタイルで行くことにした。シンプルな方がメモリの負担も軽いだろうし。

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気に入ったのは、右端のタブに「スピードダイヤル」というページが表示されることだ。ここにはお馴染みのウェブページのサムネイルを置くことができて、よく行くページはブックマークするより便利だ。そのため、普段はブックマーク・バーも非表示にして、ますますシンプルにしておける。

Opera はちょっとマイナーなブラウザーで、デスクトップ向けとしての昨年 12月時点でのシェアは世界市場では 2.6%で 5位だが、日本市場では 7位となっている(下図はクリックすると別画面で拡大される。詳しくはこちら)。

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この図を一見しただけで、Chrome が圧倒的なシェアをもっているのがわかる。よくまあ、あんな重いブラウザーを使い続けていられるなあ。

また IE(Internet Explorer)の国内市場シェアが 8.0%で、世界市場の 2.5%の 3倍以上というのがおもしろい。さらに Windows 10 から IE の後継ブラウザとなった Edge も、国内シェアが 14.3%で、世界シェア(7.4%)のほぼ 2倍だ。

日本人の 5人に 1人以上は、Windows PC を購入した時から入っているデフォルト・ブラウザーをそのまま素直に使い続けているわけだ。

日本人は Microsoft のあてがい扶持にあまり抵抗を感じないみたいなのだね。これって、国民性なのかなあ。

【2月 25日 追記】

この記事を書いた翌日にこんなことを書くのはいかがなものかと言われそうだが、柘榴 さんの書いてくれたコメントを信頼して、Vivaldi というブラウザーをインストールし、使い始めた。これ、なかなかいい。Opera より確実に軽快で、しかも使い勝手もしっくりくる。

オススメしておきたい。

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2021年2月23日

今日のスギ花粉飛散量は、今シーズン最高

今日のスギ花粉飛散量は、今シーズン最高だと思う。朝、ゴミ出しに行って戻ったら、いきなりくしゃみが止まらなくなってしまった。

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昨日まで暖かい陽気が続いてスギの木がたっぷりと花粉を付けた途端にいきなり北風に変わったので、関東北部の山間部からまともに花粉が飛んできているみたいである。ところが気象協会の tenki.jp のサイトで関東甲信地方情報を見ると、茨城県はまだマシみたいなのだ。

埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡は、マップの色が一段階以上違う。とくに東京都西部の多摩地区から山梨県境の奥多摩地区と、神奈川県全域なんて、赤っぽい色に染められている。神奈川県は都会的なイメージがあるが、実は半分近くが丹沢と箱根の山塊だから、この時期大変だろう。

さすがにたまらず、一昨日の記事に書いた「アレグラ FX」を服用した。私の場合はこのスギ花粉のシーズンが過ぎても、ヒノキとカモガヤの花粉にも反応してしまうので、連休過ぎ頃までしんどい思いが続く。

何とかならんものかと思うが、半世紀以上に渡って何ともならないのだから、もうずっと耐えているしかないのだろう。年取って死ぬ時は、花粉シーズンのやってくる前の冬のうちに安らかに死にたいものだ。

 

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2021年2月22日

トニー谷の芸というもの

どういうわけか、唐突に「トニー谷」を思い出してしまった。今の若い人は知らないだろうが、昭和 20年代から結構売れっ子だったボードビリアンである。その後に一時的な低迷期もあったようだが、1960年代の「アベック歌合戦」という番組の司会でテレビの世界に復活した。

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上の写真を見ると『おそ松くん』の「イヤミ」を連想する人が多いかもしれないが、作者の赤塚不二夫大先生が自ら語っているように、そのモデルが他ならぬこのトニー谷である。ただ、漫画での名前が「イヤミ」になっていることからもうかがわれるように、当人のキャラもモロに嫌みだった。

この「嫌み芸」のイメージは昭和 30年代初頭に最高潮に達していたようで、たまに見るモノクロの娯楽映画に登場するトニー谷は、とにかく「低俗」を絵に描いたような役柄だった。もっとも当時、私はまだ 10歳にもなっていなかったのであまり明確な記憶としては残っていないのだが。

この「嫌み」な芸風は日本の津々浦々まで知られていたらしく、私が子どもの頃にちょっとシニカルな口の利き方をすると、祖父母に「トニー谷じゃあるまいし!」なんて叱られたものである。とにかく、「嫌われ者」でありながら、わけのわからない人気のあった芸人だったわけだ。

私が明確に憶えているのは 1962年にテレビの世界に登場した「アベック歌合戦」の司会者としてのトニー谷だが、我が家にテレビが導入されたのは 1964年の東京オリンピックがきっかけだったので、実際にはそれほど長い間注目していたわけではない。今思えば、絵に描いたような低俗番組だったし。

トニー谷がサンバもどきのリズムで拍子木を打ち鳴らしながら、ノー天気に「♫ あんたのお名前何てェの?」と問いかけると、素人の出場カップルが「♫ 〇⚫△◇と申します」と答え、いろいろ話になった後に、とても人前で歌うようなレベルじゃない下手な歌をデュエットで歌うというものだった。

その歌を審査員が採点するのだが、はっきり言って点数付けるに値するような代物じゃなく、あんな番組がどうしてウケたのかさっぱりわからない。強いて言えばトニー谷の、あの賑やかでノー天気なリズム感にテキトーに悪趣味を散りばめた芸のスタイルが、時代の「ツボ」だったのかもしれない。

当時の私としては何と言っても、ザ・ピーナッツとクレイジー・キャッツの「シャボン玉ホリデー」が最高と思っていて、その系譜を引くのがタモリと信じている。ただ、そのタモリの「ハナモゲラ語」は、よく考えればトニー谷のデタラメ英語「トニングリッシュ」の系譜でもあるのだろう。

そう言えば、インチキ外国語では、系譜はちょっと違うものの 藤村有弘 というのもいた。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの初代の声の人である。私はインチキ・イタリア語の「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ・・・トルナラトッテミーヨ」というのが好きだったなあ。

よく考えてみると、タモリはジャズのテイストとお笑いをミックスしたクレイジー・キャッツ(参照)と、シニカル芸のトニー谷の両方の系譜をうまくブレンドして、独自に昇華してしまったのかもしれない。その意味では、トニー谷は芸能史的に無視できない存在ではある。

いずれにしても、よくわからない存在なのだが。

そう言えば、小学校の頃に算数の授業でソロバンをさせられた時、私はトニー谷流で「ビギンのリズム」をかき鳴らす練習ばかりして怒られていたなあ。そのせいで、ソロバンを使った計算は今でもできない(参照)。

【2月 26日 追記】

Wikipedia 「トニー谷」で「舞台裏」の項に、そろばん芸について次のような記述のあるのに気付いた(参照

そろばんを使った芸も本来は坊屋三郎のアイデアで、坊屋は芸を盗まれたことに激怒していたという。

しかし私としては、坊屋三郎ではウォッシュボード(アメリカの洗濯板)を使った芸は印象に残っているものの(参照)、そろばん芸を見た記憶はないんだがなあ。そろばん芸は同じようなリズム効果を発揮するものの、ウォッシュボード芸よりずっと下世話な印象ではある。

あるいは私が坊屋三郎のそろばん芸を知らないだけなんだろうか。

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2021年2月21日

私の花粉症対策(非宣伝ということでよろしく)

「江草乗の言いたい放題」の江草乗さんが 2月 18日付で「鼻炎薬 A(宣伝ではなく)」という記事を書いておられる。市販薬だが、医者に処方される薬よりずっと効くのだそうだ。

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今年もまた杉花粉の飛ぶ季節になっていて、私もまた鼻水とくしゃみに悩まされている。杉花粉の季節が過ぎても、その後しばらくはヒノキの花粉に悩まされる。こればかりは肉食を絶つずっと前の小学生の頃からだから、悲しいことに完全なアレルギー体質なのだろう。

医者に処方される薬が効かないということに関しては、私も江草乗さんと同様である。昨年と一昨年、近所の医者で錠剤と、鼻孔に直接プシューッとやるパウダー・スプレーの 2種類を処方してもらったのだが、ほとんど効かない。

錠剤は「飲まないよりはほんの少しマシ程度のような気がしないでもないかもしれない」というビミョーさなのだが、パウダー・スプレーの方は、はっきり言ってまったく効かない。手元に置いておくだけ馬鹿馬鹿しいので、2年ともさっさと捨ててしまった。それで今年は医者になんか行く気がしない。

というわけで江草乗さんに倣って「非宣伝」という形で書かせていただくが、今のところ私が気に入っているのは、上の写真にある久光製薬の「アレグラ FX」という錠剤と、第一三共ヘルスケアの「AG ノーズ アレルカットM」というスプレー薬(こちらはパウダーではなく液体)だ。

「非宣伝」というのは当然の話で、私には効いても他の人に効くという保証はないからである。なにしろ、私にはほとんど無意味だった上述の医者の処方薬が、妻には劇的に効いたというのだから、本当に訳のわからない世界だ。

飲み薬の場合、江草乗さんは定められた「用量・用法」を守らず、「1日 3回」というのを 「1日 1回」にしておられるようだが、私も「1日 2回」というのを、「1日 1回」だったり「2日に 1回」だったりといういい加減さで服用している。回数はあまり関係ないみたいなのだ。

パッケージには「眠くならない成分」という謳い文句が印刷されているが、やはりクルマの運転をする前などは飲む気になれない。それでも結構効いてくれているから、悪くはない。

そして最も手放せないのはスプレー薬の方だ。私の場合、起きて活動している間は鼻水には困ってしまうものの、鼻詰まりで息苦しくなるなんてことはほとんどない。ところが夜にベッドで横になると詰まりやすくなり、つい口呼吸になりがちだ。

このスプレー薬はその鼻詰まりを速効で解消してくれるので、本当にありがたい。おかげで安眠できるというものある。

花粉症の季節、この 2つは私の必需品になってしまっている。

 

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2021年2月20日

ヴィーガンでも、たんぱく質不足にはならないようだ

鈴木形成外科院長で第 1回ベジタリアンアワード企業賞を受賞したCHOICEのオーナー&プロデューサーである鈴木春恵さんという方が一昨年 5月に書かれた「ヴィーガンとたんぱく質」という記事を、今頃知った。ヴィーガンでもたんぱく質不足にはならないことが説かれている。

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まず「らくなちゅらる通信」というタイトルが気に入った。「楽で自然なのが一番」と思っていることもあって、納得の記事である。私自身は魚介類は食べていて完全にヴィーガンというわけではないが、たんぱく質不足の心配なんて一度もしたことがないし。

そしてヴィーガンでバリバリのスポーツマンはいくらでもいるから、「肉を食べないとたんぱく質不足になる」というのは、多くの人が信じている根拠のない思い込みに過ぎないと、元々確信はしていた。ただ、そのあたりの専門家による情報というものに今イチ接していなかったのである。

以下に上記のページから引用させていただく。

必須アミノ酸(人体で合成できないアミノ酸)が一つでも足りないと人体に必要なたんぱく質は作れませんが、植物でも何種類か組み合わせれば必須アミノ酸は不足なく摂取できるのです。

さらに、植物性たんぱく質は消化吸収が良く、体内で利用されやすいのに対し、一般に「動物性たんぱく質」と称されている、牛や豚の筋肉や乳製品などのたんぱく質は消化されにくく、腸内で腐敗し、さまざまな病気のもとになります。

(中略)今では動物性食品の摂取割合が多いほど、がん、高血圧、心臓病、脳梗塞、糖尿病、骨粗鬆症、アルツハイマー病、アレルギー、自己免疫疾患、黄斑変性などの病気の発症が多くなることが、数多くの研究で明らかにされています。

というわけで、今後も安心して肉は遠ざけて暮らしていこうと思っている。数年前に高校時代の同級会に出席したとき、医者になっている友人が食事で肉を避けている私を見て、「肉を食わないと長生きできないよ」と忠告してくれたことがあるが、それも「諸説ある」ってなことに過ぎないわけだ。

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上の写真は 2019年 5月 25日付の「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」と言う記事に使ったものだ。要するにこんな具合に「諸説あり」で、個別の寿命の話は「ケースに依存する」というほかなかろう。

だったら、どっちの説を信じるかは好きにさせてもらう方が、いい気分で生きられるというものだ。死に際になって、「しまった、肉を食っとくんだった!」なんて思うことはないから。

 

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2021年2月19日

満月の前は睡眠時間が短くなるらしい

NewSphere の「満月の前は睡眠時間50分短く 満ち欠けにあわせ変動 米研究」という記事に目が止まった。人の睡眠は、満月が近付くにつれて短くなり、月が再び欠け始めると、長くなるという周期を繰り返しているのだそうだ。

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本日 2月 19日の晩は上弦の月で、それがだんだん満ちていき、27日に満月になる。ということは、今は睡眠が短くなるプロセスにあるわけで、26日の土曜日で最短になり、その後はまた長くなっていく。この働きによる睡眠時間の差は 50分にもなるらしい。

98名の被験者から収集されたデータを分析したところ、満月が近づくにつれて睡眠時間は短くなり、入眠のタイミングも遅れてゆく傾向が確認された。満月の前にピークを迎え、人々は平均して30分遅く眠りにつき、睡眠時間は50分短くなる。その後は再び睡眠時間が増え、月齢周期である29.5日とほぼ一致するサイクルで変化を繰り返す。

(中略)

精神医療と睡眠の専門家であるアレックス・ディミトリ博士の見解を伝えている。博士によると、睡眠調整ホルモンであるメラトニンの働きは、何らかの光を見ることで抑制される。そのため、月光が多く降り注ぐ満月が近づくと眠気が抑制されることは十分に考えられるという。

夜は月明かりしかなかった大昔からの体の「クセ」みたいなものが、現代人においても引き継がれているらしいというのはなかなか興味深い。考えてみれば、それほど太古の昔というわけではない江戸時代頃までは照明といえば行燈ぐらいしかなく、それもなるべく長く灯さないようにしていたという。

つまり人間というのは 19世紀までは、日が暮れたら素直に眠りについていたのだ。ライフスタイルは昔とは比べものにならないほど変わり、夜になっても皓々とした明かりのもとで暮らせるようになった今でも、人間の体の中の深いところはそれほど変わっていないようなのだね。

ということは、満月の前に「近頃、ベッドに入ってもすぐに眠れない」なんて言って、不眠症なんじゃないかと思い煩う必要はないということだ。元々目が冴えてしまうものなのだと思っていればいい。

「狂気」を表す「ルナティック(lunatic)」という言葉が「月」を意味するラテン語の "luna" から来ているというのも、これと関係があるような気がしてきた。 昔は眠れない夜には闇の中で悶々としているほかなかったので、「狂気の一歩手前」みたいな気がしていたのかもしれない。

 

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