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2002年8月に作成された投稿

2002年8月31日

ブラジルで歌う「故郷」

日系ブラジル人の友達が何人かいる。彼らは、親あるいは祖父母の生まれた日本に、出稼ぎに来ているのである。

日系ブラジル人の愛唱歌は「故郷(ふるさと)」 。あの「うさぎ追いし かの山」の歌だ。

ブラジルで、彼らは必死になって生きてきた。そして、日系人同士が集まって旧交を温め、一緒になって歌う歌が、「故郷」なのだという。懐かしい日本の風景を思い浮かべながら、日本の心を歌うのである。

二世ともなると、日本語が覚束なくなってくる。三世になったら、もうほとんど話せない。日本に来て、初めて日本語を学ぶくらいのものだ。それでも、彼らは「故郷」なら歌える。

一度、彼らと一緒に「故郷」を歌った。しかし、最後まで歌えなかった。こみあげてくるものが大きすぎる。3番目の歌詞、「志を果たして いつの日にか 帰らん」などは、絶句である。

故・寺山修司に「マッチするつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」という歌がある。

祖国を霧の中のマッチ棒程度の物にしてしまうのは、国に残った者の感傷と気紛れである。こんなもので、彼らの帰るべき「故郷日本」を、壊してしまってはならないと思うのである。

 

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2002年8月30日

「サ入り言葉」 はちょっとねぇ

近頃、日本語が確かに乱れている。

「見られる」が「見れる」になる「ラ抜き言葉」は、もうほとんど許せるような気がしているのだが、今度は「サ入り言葉」というのが気になってしょうがない。

例えば、「読ませていただきます」が「読まサセテいただきます」になったり、「やらせていただきます」が「やらサセテいただきます」になったりするのは、以前から「なんとかならんものかなぁ」と思っていたのだが、これが「サ入り言葉」と言われているとは、最近になって知った。

試しに、「みれる」とキーボードで入力すると、MS-IME ではきちんと「見れる」に変換される。なるほど、市民権を得つつあるのである。しかし、「よまさせて」と入力しても、「夜増させて」になってしまう。「読まさせて」にするには、「よませて」と入力し、「読ませて」に確定してから、後で「さ」を挿入するしかない。なるほど「サ入り言葉」とはよくぞ言ったものだ。

確かに、言葉は揺れ動き、変化するものだ。しかし、許容できるものとできないものがある。

私は「読まさせていただきます」と「とらまえる」(捉える + 掴まえる ÷ 2 ?)だけは、勘弁してほしいと思っている。

 

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2002年8月29日

インタートト杯はイナモト杯

サッカーの稲本君が、またやってくれた。インタートト杯で、ハットトリックとは恐れ入った。

ところで、彼は、インタートト杯に出場するにあたって、もともとすごくノッテいたに違いない。

というのは、稲本(Inamoto)は、英米人が発音すると、「イナモゥロ」と聞こえる。そして、インタートト杯 (Intertoto Cup)は 「イナートゥロ・カップ」 と聞こえる。(「ロ」は、どちらかというと、「ド」と「ロ」の中間ぐらいの音と言ったほうがいいかもしれない

「Inamoto」と「Intertoto」は、「モ」と「ト」 の違いだけで、とてもよく似た響きに聞こえるのだ。

我らが稲本君は、インタートト・カップを 「稲本カップだ、俺の試合だ」とばかりに、最高にいい気分で臨んだのではないかと思うのである。

何事も、いい気分でやればいい結果が出るのだ。人間、何かのきっかけでブレイクすると、とてつもなく伸びてしまう時というのがある。彼も、この先どこまで伸びるかわからない。

 

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2002年8月28日

関節を極める痛み

実は(というまでもなく、バレていると思うが)私は格闘技フリークである。

今現在も、K-1 主催の Dynamaite というイベントが国立で進行中であり、ウェブ上のリアルタイム・レポートを気にしながら、今日の更新をしている。

今も、ジェローム・レ・バンナがドン・フライに KO勝ちという短いレポートが入った。K-1 ルールの試合だけに、総合系のフライが K-1専門のバンナに勝てる要素はなかった。「フライも果敢に攻めたが …… 」とのレポート。負けるとわかった戦さによく体を張った。ドンは実に泣かせるヤツである。

盛んになったとはいえ、総合系格闘技はやはり地味だ。会場に足を運んでも、どこでどう関節が極まったのか、わからないで見ているファンの方が多い。私が、「まだまだ極まってないよ、逃げられる」とか、「あっ、これで極まり!」などと解説すると、「なんでわかるの?」 と不思議がられる。

それは、本当に極められた時の痛みを知っているから、わかるのである。

打撃系は見ていてわかりやすいし、プロレスはもともと素人にアピールするように作られているから、見ていて楽しい。しかし、関節の極め合いは実に地味だ。マウント・ポジション(仰向けの相手に馬乗りになる体勢)のまま膠着してしまうと、よほどの見巧者でないと退屈してしまう。本当はその膠着の中に、手に汗握るせめぎ合いがあるのだが。(安易に退屈などしないで、「やってる者の身にもなってみろ」と言いたい)

格闘技だけの話ではないが、「他人の痛みを知る」 というのは、大切なことである。

 

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2002年8月27日

久し振りに寝苦しい夜

南方に台風15号がいて西に進んでいる。東日本には接近しないというが、久々の湿った風で湿度が急上昇だ。

ガンガンにエアコンを効かせた車から降りたら、途端に眼鏡が曇って何も見えなくなってしまった。

夜になって気温は下がっても、空気中の水分の量が変わらなければ、相対的に湿度は上がってしまう。だから、夏は日が暮れてからの暑さが応えるのだ。

今年は盆が過ぎてから急に涼しい日が多くなったが、それまでは熱帯夜が続いた。1930年代までは熱帯夜は年間数日しかなかったそうだが、最近では40日以上にもなるという。日本の気候は変わってしまった。

これには「ヒートアイランド現象」というのが関わっているという。なんでも、都心の気温が高いと上昇気流が発生し、局所的に低気圧になってしまうらしい。太平洋高気圧でさんざん暖められた上に、ピンポイントで低気圧になってしまうのでは、不快指数が上がるはずだ。

今夜はは久し振りに寝苦しい夜になりそうだ。

 

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2002年8月26日

絵心

「絵心」のある人というのは、ちょっとうらやましい。

当サイトを見たある人が、「字ばっかり多いね」という感想を漏らしたそうだ。確かにその通り。私は文章は書けるが、絵の描けない人なのである。

いや、まんざら絵が描けないというわけでもなかった。中学の頃の美術では、ちゃんと「5」をもらっていた。

私の妻は、かなりいい絵を描く人である。付き合い始めた頃、私の描いた絵を見せると、彼女は必ず笑って「おもしろいね」と言うのだった。シリアスに描いた絵と思われていないことに気付くまで、それほどの手間はかからなかった。

それで私の得意分野は、画像ではなくテキストの方にフォーカスされることとなり、30年近くが経った。もう取り返しがつかない。

それでも、コンピュータを使えば「素材」をアレンジすることができるので、描く方の技術はパスして、編集能力だけで画像作品を作ることもできそうな気がする。

そのためにはとりあえず「素材」を集めるところからスタートしなければならないのだが、世の中にはいい素材が少ない。前途多難である。

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2002年8月25日

本当の「そつのなさ」とは

世の中には「そつがない」と言われる人がいる。

中には、処世術としての「そつのなさ」が表に出過ぎる人もいる。すると 、その「そつのなさ」が鼻に付く。結局、「そつのない人」ではなくなってしまっている。

「あの人は『クレバー』だ」 という言い方で人を誉める人がいる。私だったら、「クレバー」と言われても少しもうれしくない。人間、「もう少しクレバーなところがあってもいいのに …… 」と言われるぐらいが、ちょうどいいと思っている。

「クレバー」というのは、「賢い」と訳されるが、その賢さは「表面的」なレベルである。「英知」は「クレバー」ではなく「ワイズ」である。

表面に出すぎる「そつのなさ」というのは、この「クレバー」程度のレベルである。「本当のそつのなさ」とは、「表面的なそつのなさ」など感じさせないものだ。

中途半端な高級クラブのママ程度の「そつのなさ」は、私は好きではない。そんなのに注がれる酒は、決しておいしくない。

 

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2002年8月24日

スティクション日和

<愛用のモバイルパソコン、SONY の VAIO C1 が起動しなくなった。何度リセットしても "Operating System Not Found" という表示が出て、そこでストップしてしまう。「OS が見つからない」というのである。冷や汗が出た。

こういう場合、普通なら慌てず騒がず FDD からフロッピーディスクを取り出せばいいのだが、なにしろ、モノが VAIO C1 である。FDD なんてレガシーデバイスはハナから付いていない。

BIOS画面に入ってみると、Primary IDE Adapter の項目が "NONE" と表示されている。これは文科系の言葉に直すと「Windows が入っているはずの Cドライブがないよ」 と言っているのである。かなりヤバイのである。

ハードディスクが突然蒸発してしまうわけはないから、きっと接続関係か、そうでなければ、最悪クラッシュしてしまったかだと思ったが、別の用事が差し迫っていたので、確認は後回しにして外出した。

夕方帰宅して、C1 のスイッチを入れると、なんと、何事もなく起動するではないか。8月6日の Crack に

パソコンの世界では、「原因不明の不具合」と同様に、「なぜか、いつの間にか直ってしまった」というのも多い。

と書いたが、またしてもそれが起こってしまった。近頃、言葉に出したり文章にしたりすると、とたんに実現する。私は超能力者か?

ちょっと気持ちが悪いので、インターネットで検索してみると、ハードディスクのヘッド部分で空気中の水分が凝結する「スティクション」という現象に行き当たった。これは、「HDD内の自然な温度上昇で水分が蒸発すると、動き出すことがある」らしい。きっとこれだ!

今日は妙に蒸し暑く、「スティクション日和」だったに違いない。それにしても、ハードディスクとはデリケートなものである。これしきのことで、BIOS に 「ない」 と言わせてしまうのだから。

<pとりあえずは、余計な出費にならなくてヤレヤレだ。

 

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メディアとどう接するか

今日(というか、日付が変わってしまったから昨日)、TBSラジオで、「メディアの報道に対して、ある程度距離をもって接するか」という特集をしていた。ゲストは、松本サリン事件で冤罪被害を蒙った河野義行氏だから、かなり重いテーマではある。

<ジャーナリストの端くれとして言わせてもらうと、メディアの報道には大別して2種類ある。 それは「単純事実の記事」と、その単純事実にはどんな意味があるかという「解説記事」である。(実際にはその区別は一筋縄ではいかない場合が多いのだが)

「単純事実の記事」の報道にあたっては「ウラを取る のが記者としての「いろはのい」であり、少なくとも恣意的な「捻じ曲げ」は発生しにくい。ただ、時々「売らんかな」意識が強すぎて、先走った乱暴な報道が生じることがある。

松本サリン事件はの最もひどい例である。とはいえ、天災や新商品発表の記事に関してまで、いちいち疑ってかかるのもあまり意味がない。

より問題なのは「解説記事」である。私はこれに関してはほとんど常に「眉に唾つけて」接している。

メディアはその時の大衆に一番ウケがよくて、その上「エエカッコしい」ができる論調しかとらないものである。それだけにアブナイのだ。 私が「見識ある解釈と編集、そして最後の『一ひねり』」と謳う意味はそこにある。

ところで、今日(いや、昨日か)は夜遊びしてしまって、更新の日付が変わってしまった。昨日の Crack で書いた心配がもう的中してしまった。

 

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2002年8月22日

「毎日更新」 では夜遊びできない

ホームページで「毎日更新」(「ほぼ」付きだが)を宣言してしまうと、夜遊びが滅多にできない。

履歴を見ると、いつ夜遊びしたのかが一目瞭然だ。日付の表記がイレギュラーになっている日である。

ホームページの更新は夜に帰宅してから取り掛かるのだが、酒を飲んで「午前様」になると、翌朝になったりする。だから、「○月×日 朝」などという記載の前日は、大概飲んだくれたのである。

ちなみに、履歴を振り返ると、7月後半からはほぼコンスタントに毎夜の更新になっている。さすがに暑さでバテバテで、夜遊びする気にもなれず、毎日早く帰宅したというのが確認できる。

となると、あぶないのはこれからだ。近頃、日が沈むとめっきりと涼しくなってきた。更新の日付が飛んだり、「朝」 などというのが増えたりしそうな気がする。

せいぜい頑張って、きちんと更新を続けたい。

 

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2002年8月21日

首都高の値上げ案

首都高速の通行料金が、現行の 700円から 800円に値上げされるという。

<もの皆値下げのデフレの世に、経営努力もせず利用者負担を強いるのは、厚顔無恥な所業だ。

首都高速道路公団というのは、年間 81億円の赤字を出しているのだという。 地方のガラガラに空いた道路ではない。道路情報を聞くと「自然の渋滞」という摩訶不思議な状態を年がら年中引き起こすほどに「恵まれた」(?) 立地の大繁盛道路である。(「自然に」渋滞するような道路など作るな言いたいところだが)

これで赤字だというのなら、まともに考えたら、日本中で黒字企業などなくなってしまう。一体何にそんな無駄遣いをしているのだろうか。

郵政事業民営論者の小泉さんが首相になったとたんに、あの郵便局でさえサービスが急によくなった。道路関連公団の改革民営化が検討されている真っ最中にこんなことを言い出すようでは、相当にヤキが回ったとしか思えない。

今回の値上げ案には、味方が誰もいない。そんなに自分で自分の首を絞めたいなら、死ぬまで絞めていればいい。改革に拍車がかかる。

 

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2002年8月20日

憎たらしい顔

テレ朝の日曜朝の番組「サンデープロジェクト」で、司会の田原総一朗氏が衆院の高市早苗議員とのやり取りの中で、「靖国神社に行ったら日本で下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」と、やらかしたのだそうだ。

私はこの手の番組は、(とくにテレ朝の番組は)馬鹿馬鹿しいから見ないことにしているので、この発言が正確に報道されているのか知らない。しかし、高市議員の歴史認識を「無知」と決め付け、さらに、件の発言につながったのは確からしい。

「靖国神社に集まった人間」の中には、恥ずかしながら私も含まれているので、「下品」だの「憎たらしい顔」だのの罵詈雑言にはちょっとムッときた。決して自分で上等な顔だと自惚れているわけではないが、田原のオッサンには「顔のことでアンタなんかにどうのこうの言われたくないよ」と言ってやりたい。

自分の顔を鏡で見てから言ってもらいたいものだ。(「憎たらしさ」でアンタに勝てる人は滅多にいないよ)

高市氏に「そんな無知が国会議員をやっているなんておかしい」と言ったらしいが、「鏡像段階」を経ないでトシばかり食った駄々っ子が討論番組の司会をやっている方が、ずっとおかしいのである。

 

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2002年8月19日

人の心と天気

台風は都心には思ったほどの大雨を降らせることもなく、関東の沖を通り過ぎようとしているようだ。

今年の台風は、何個も上陸したり近づいたりする割に、被害は案外小さい気がする。

前の2個は、足早に通り過ぎてくれて、「関東直撃」という割には呆気なかった。今回は「自転車よりも遅いスピード」というので、以前に大雨被害をもたらした台風を思い出して嫌な感じがしていたのだが、青梅線や中央線には被害が出たというものの、常磐線方面では静かなものである。

実は、我が家は洪水地域に建っていて、以前はちょっとした雨でも道路が冠水していた。昔からこの土地に住んでいる人は、大分尾ひれのついた話だろうが、「昔は雨の日は学校から泳いで帰ったものだ」 などと言う。

この地域も下水道が整備され始め、洪水は年々減っているような気がするが、ヨーロッパの大洪水のニュースを見るにつけ、「近頃、本当に天気が極端だ」と思うのである。

人の心と天気は、「極端係数」が同調するみたいだ。

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2002年8月18日

人には言えない苦境

ウチには娘が3人いるので、50歳のオジさんの割には「女の子文化」に強い。

例えば「ちびまる子ちゃん」などは、アニメでブームになるずっと以前から注目していたのである。

今日も、高校 3年になる次女とその友達が、「ちびまる子ちゃん」の話でえらく盛り上がっていた。その友達は、過去に放送されたほとんどすべての話を覚えているという「筋金入り」のまるちゃんファンなのだ。

そして、自分がちょっと失敗して追い詰めらると、「そういえば、まるちゃんにもこんなことがあったっけ」と思い出すらしい。それだけで笑って抜け出せるのだそうだ。

そういえば、ちびまる子ちゃんはいつも肝心なところでウンコがしたくなったり、ブルマーのゴムが切れたり、「人には言えない苦境」に追い込まれてばっかりだ。しかし、それも時が立てば「マンガのタネ」になって、少女たちの共感を呼ぶのである。

大抵の人は(高校生の少女でさえも)、小さな「人には言えない苦境」をいくつも乗り越えているのである。

 

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2002年8月17日

日本人には「無私」が似合う

近頃、「無私」とか「無我」ということについてよく考える。西欧的「自我」の時代はいずれ過ぎ去るような気がしている。

<もともと、日本語では「俺が、俺が」とはあまり言わない。日本人には「無私」がよく似合う。

日本語で書かれた文章を英訳する機会がよくあるのだが、原文の日本語には「主語」のない場合が多い。とくに主語が自分自身の場合は、かなりの確率で省かれる。 私自身は英語の影響を受けすぎて、日本人としては主語をきちんと使う方なのだが、それでも意識して省くことがよくある。その方がしっくりするのだから、しかたがない。

(このコラムの最初の文に「私は」なんて主語がついたら、ゾッとするほど嫌らしいと思う。)

主語を過度に要求するヨーロッパ語は、確かに論理的ではあるが、ちょっとシツコイ感じがする。論理なんて、イザという時は直感に負けるのだ。

あんまり自分を「ことあげ」しない方がしっくりくる文化圏に生まれたユニークさを、今の世でも上手に生かしたいものだ。

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2002年8月16日

真夏の時の流れ

今年のお盆休みは帰省もしないことだし、たまった懸案事項を一度に片付けてしまおうと思っていたが、まだ半分もできていない。<

子供の頃も、夏休みが終わりに近づくと、似たような気分がしていた。

夏休みの宿題のことではない。私は夏休みの宿題は7月中にほとんど仕上げて、8月は自分のやりたいことだけに集中できるようにしていた。

それでも、お盆を過ぎる頃(東北の夏休みは、8月の第3週で終わり、その分冬休みが長い)には、いつも 「今年の夏も、大したことなく終わりだなぁ」 と、軽い失望感を覚えていた。

>夏休みに入る直前は、「あれもしよう、これもしよう」と意気込んでいたのに、真夏の時の流れ方は尋常ではなく、心の中にちょっと甘くうつろな部分を残して、足早に過ぎ去ろうとする。冬休みにはこんな感慨はほとんどないから、きっと夏という季節に特有のものなのだろう。

人は夏になると精神が過度に野心的になる割に、体の中の振り子がスローになるのだ。

妙な言い方だが、この感覚は大切にしたい。それはいつまでも「本当にやりたいこと」を失わないということだからだ。

 

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2002年8月15日

終戦記念日と靖国神社

今日は終戦記念日。靖国神社に参拝に行った。

いつもの年のこの時期は帰省しているので、終戦記念日の靖国参拝は初めてだ。小泉さんが行かないというので、総理大臣の代参と言えなくもない。

正装して行こうかと迷ったのだが、この暑さでは死にそうだと思って、結局はポロシャツにコットンパンツというカジュアルスタイルにした。しかし、さすがに特別の日である。多くの人は礼装で来ていた。私は本日の靖国参拝者としては、恥ずかしながら、もっとも律儀でない格好の部類だったと思う。

それどころか、旧日本帝国陸軍の軍服に軍靴という大真面目のパフォーマーも少なからずいた。中国あたりで報道されたら「日本軍国主義の復活」とステロタイプなことを言われそうだが、現場で見ると、決してそんな感じはしない。彼らは彼らなりの 「落とし前」 の付け方を志向しているだけだ。

帰宅してニュースを聞くと、巷では相変わらず「閣僚の靖国参拝反対」の抗議行動があり、四国では小泉首相と靖国神社を憲法違反として損害賠償を訴えたグループまであるという。ステロタイプは国内にもいた。きっと、おもしろいジョークにも笑えない人たちだろうなぁ。

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2002年8月14日

飲酒運転は怖い

今日、運転免許の更新に行ってきた。5年間無事故無違反だったので、めでたく「優良」ドライバーのゴールドカードである。

私の住む茨城県は、飲酒運転が非常に多いのだそうだ。そうだろうと思う。近所に飲み屋が軒を連ねた一郭があって、そこは夜になると客の乗ってきた自動車がズラリと路上駐車している。 この路上駐車のほとんどは、ほどなくして、いい加減に酔っ払ったオーナーによって操縦され、家路に付くのだろう。怖い話である。

私の先輩のお兄さんは、約20年前の元日、車に轢かれて死んだ。だから元日が命日である。明けましておめでたくないのである。轢いた車のドライバーは、「ちょっと飲みすぎたから、酔い醒ましにドライブしてくる」と言って家を出たのだという。それで業務上過失致死の刑事被告人になってしまった。

これを思い出すと悲しい。気をつけようと思う。

 

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2002年8月12日

「薄汚れた地べた」 と「生命の惑星」

子供の頃、宇宙から撮影したという 「地球の写真」が新聞に載った。それは真ん丸い地球のあちこちに白い雲が漂っている奇麗な写真だった。 自分もこんな風に「地球」を見てみたいと思った。

ところが、しばらくして気がついた。「俺はしょっちゅう地球を見ているじゃないか」と。足元に広がる地べた、これが「地球」だ。「地球そのもの」だ。

足元にある「地球」は、石ころだらけで、雨が降ればドロドロになるし 、あちこちに馬の糞まで落ちている(子供の頃の田舎って、こんなものだった)。美しくもなんともなかった。

地球って、遠目にはいいが、傍で見るものじゃないと思ったものだ。我ながら、ヒネたガキだった。

しかし、近頃になってようやく気がついた。妙に観念的な言い方かもしれないが、本当の地球は人間の心にあるのだ。 心が変われば、地球は 「薄汚れた地べた」 という衣を脱ぎ捨て、「生命の惑星」という美しくも瑞々しい姿を現すのだ。

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2002年8月11日

「神様」のいない夏祭

夏祭りの季節である。あちこちで神輿や盆踊りが見られる。 しかし、気にかかるのは、とくに新興住宅地などで、その祭りに「神様」のいない場合が多くなっているということだ。

本来、祭りというのは神社仏閣を中心としたものである。人々の素朴な「信心」が基になっている。 私は「信心」ということばが好きだ。別に特定宗教に限定しなくても、「信心」はできるのである。

以前、合気道を習っていた時、稽古の前後には必ず全員で神棚に礼拝していた。師匠は外国人には 「自分の神様と違うと感じてもいい、あの神棚の向こうに、貴方の神様がいると思って礼拝すればいい」 と言っていた。それで異を唱えるものは一人もいなかった。

世の中を救うのは「信心」である。「信心」をするには、「俺が俺が …… 」という気持ちが一番邪魔だ。「無私」とか「無我」という姿勢が一番いい。

失うものがあり過ぎると、「信心」はできない。それでは、金持ちや物持ちは「信心」できないのかというと、そうではない。「与える」気持ちになればいいのである。「与えよ、さらば与えられん」である。

「信心」のない祭りで育った子供たちは、これから先、一体どうなるのだろう。

 

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2002年8月10日

「聞く耳」は大事

マキコさんがついに辞職した。この方については、既にいろいろ書いたので、いまさら何もコメントする気にならない。

ただ、これを教訓に自分でも気を付けたいのは、「聞く耳を持つ」ということだ。

人の言うことを聞けない人というのは、結局人間としてのキャパが小さいのだろうなあと思う。自信があったら、どんな意見だって冷静に聞けるし、どんな目下の意見だろうと、感謝して取り入れることができる。

問題なのは、社会的に結構な地位のある人に「聞く耳」を持たない人が多いということだ。そんな人の部下たちは、何を言っても結局は聞き入れられないし、下手すると怒りを買ってしまうとわかっているから、大事なことは何も言わなくなる。周りは、面従腹背の 「イエスマンもどき」 だらけになる。/p>

周囲から見れば 「裸の王様」 そのもので、知らぬは当人だけということになる。人間、下手に偉くなってしまうと、そうなるのは簡単だ。普段から「聞く耳」を使い、養っておかなければならない。

(注:マキコさんとは、田中眞紀子さんのこと)

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2002年8月 9日

コミケットに注目

今日から有明のビッグサイトで「コミックマーケット」が始まった。漫画の同人誌展示即売会である。

たかが漫画と馬鹿にしてはいけない。日本中のオタッキーが少なく見ても20万人以上の規模で押し寄せるのだ。

このイベントは通称「コミケット」または「コミケ」とも言う。ビッグサイトではいろいろなイベントが開催されるが、これほどまでに動員力があり、しかも来場者が熱っぽくコアな催しを私は知らない。

ここに集まるオタクたちは、とても静かで平和的である。決して騒がず、暴れたりするようなことはない。そのくせ、妙に情熱的で、自分のヒイキの出展者が何番のブースにいるかは、来る前からすべて調べ倒しているのである。 その上、彼らは我慢強い。この炎天下、周囲の馬鹿でかいビルと広大な空き地を何周も回って延々と続く列の中で、黙々と入場までの時間を耐える。

普段は太陽の光など決して浴びることなく、暗い蝋燭の下でボロボロになった『エヴァンゲリオン』の単行本を読み、口の端からよだれを垂らしているであろう、この少年少女たちが、熱中症にもかからずにいられるのは、一重にその漫画に対するシンパシーの高さゆえであろうと感心するのである。

ここに集まったアマチュアの中から、きっと未来の一流漫画化が輩出するのだろう。

<自分では決して会場に行きたいとは思わないが、外部から注目し続けたいイベントではある。

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2002年8月 8日

サメとお金は泳ぎ続けないと死ぬ

デフレは相変わらずである。コストが極端に安い国で作って輸入しているのだから、モノの値段は下がって当たり前だ。 これでようやく標準的な国際価格に近づいたのだから、無理やり逆流させるインフレ誘導など、到底無理だ。

エントロピーの法則というのがある。自然科学の話だが、手っ取り早く言えば、すべては放って置けば熱量均衡、すなわちのっぺりとした一様な状態に向かうという法則である。 経済だってそうだ。日本はすべてのコストが高すぎたから、周囲の市場と熱量交換が起こり、格差が解消に向かっているのである。

しかしこれは無生物の法則である。生命のあるところでは、 「生命体」(システム) と「外界」の間で きちんとした「差異」が維持される。 つまり、今の日本は 「生命」 を失いかけているために、エントロピーが高じてしまっているのだ。

重要なのは経済の流動性を高めることだ。お金はサメと同じで、泳ぎ続けなければ死んでしまうのだ。

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2002年8月 7日

住基ネットで鶏が卵を産まなくなる?

「住基ネット」が話題である。私は鉄道黎明期のエピソードを連想する。

鉄道が日本全国に敷かれ始めた頃、多くの町が 「そんな怪しげなものを街の中心部に通したら、札付きの余所者が集まってくる」 とか、「鶏が卵を生まなくなる」 とか言って反対した。 そのため、鉄道の駅は昔からの中心部を外れたところにあるケースが、今でも非常に多い。

年月は下り、「じいさんの代で馬鹿な反対をしたために、ウチの町は陸の孤島になってしまった」というウラミツラミは、日本中に存在する。新規なものへの単純なアレルギー反応は、後世からみると幼児的なものにすぎない場合が多いのだ。

私としては、住基ネットの情報なんて大したものではないと割り切っている。こんなもので神経過敏になるのなら、あちこちで遭遇する企業のアンケート調査は極悪犯罪ではないか。実は我々のプライバシーなんて、既に漏れまくりである。

ただし、住基ネットのデータを丸ごと盗む奴がいて、そいつが他のデータ(主に税理士や弁護士など向けに、お上のデータベースを有料で閲覧できるサービスもある) と手間隙かけて突きあわせをしたりしたら、とても貴重なプライバシー情報になるだろう。

要は、個人情報保護法案云々ではなくて、データ丸ごと盗まれないように、役所内部のセキュリティをしっかりすればいいだけの話だ>

それは、別に住基ネットでなくても、従来型のデータ管理でも同じことなのである。別に今に始まったことではない。

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2002年8月 6日

「結果オーライ」の神秘

<パソコンの世界では、「原因不明の不具合」と同様に、「なぜか、いつの間にか直ってしまった」というのも多い。

普通はいちいち原因を究明するヒマがないので、「相性」とか「こなれた」とか、ウヤムヤな表現にしている。 ウィンドウズは、何万というファイルの連動で動いているプログラムなのだから、それらすべての記述をあたれといっても、仕方がなかろう。

私が以前付き合っていたベンダーには、いかにもオタクのカタマリという風情のシステム・エンジニア軍団がいて、その中にも「職人」「先生」「師匠」「教授」「神様」 などのランクがあった。

「職人」レベルでも結構頼りになったが、中には、「神様」でさえ首をひねり過ぎてムチウチ直前まで追い込まれるという、難解な不具合もあったのである。そして驚くべきことに、そんなウルトラCレベルの不具合でも、何もしないのにある日突然直ってしまったりするのである。

パソコンとはそんな世界である。深く追求してもしょうがない。

「結果オーライ」ならハッピーだし、「結果が悲惨なもの」なら、お金が飛んでいくという、それだけの話と割り切るほかないのである。

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2002年8月 5日

ディープリンクの是非

ディープリンク - 深層リンク が隠れた話題である。

当サイトの「知のヴァーリトゥード #17」で触れたごとく、私はウェブの世界はハイパーリンクが自由であるべきだと思っている。ところが、ヨーロッパの裁判でフザケタ判決が出てしまった。

デンマークの新聞協会がオンラインニュース検索エンジンのNewsbooster を訴えていた裁判で、裁判所は 「新聞社の許可なしに、トップページ以外の記事ページに対してリンクを張ってはならない」 という判決を下してしまったのである。

この件に関しては、Hotwired Japan がネット上で意見を求めているが、この判決支持が14票、不支持が153票 (本日午後11時30分現在) で、圧倒的に不支持が多い。

結論から言えば、どうしてもディープリンクされたくなければ、JavaScript 1行で足りるのである。そうした簡単な手立ても講じないで訴訟に出るなど、コストパフォーマンスが悪すぎる。バカバカしいにも程がある。

ディープリンク拒否のサイトは、イメージを悪くするだけだ。勝手に悪者になればいいのである。

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2002年8月 4日

夏と童心

今日は一日、茨城の御前山でアウトドアライフを楽しんだ。中川の河川敷がさりげなく利用でき、里山のハイキングコースも手頃だった。

いろいろなセミが鳴いていた。アブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、カナカナゼミ …… 。関東の田舎は、昆虫のバリエーションが豊富である。

私の育った山形の庄内では、アブラゼミとツクツクホウシしか聞いたことがなかった。アブラゼミは 「ジー、ジー」と鳴くので、子供の頃はどうしてこれが「ミーンミーン」に聞こえるのだろうかと訝しかったが、セミの種類が違うのだと知って納得した。セミといえば「ミーンミーン」と鳴くと思うのは、立派なステロタイプである。

今年の夏も既に8月に入って、夜がだんだん長くなってきた。そのうちツクツクホーシが鳴き出して、秋に移っていく。子供たちにとっては、夏の終わりはなんともメランコリックである。

大人にとっては、足速に過ぎ行く時間の一コマでしかなくなっているのが、何だか切ない。大人と子供の時間の流れの速さは絶対に違っている。子供の感覚で追う時間は、とても貴重なもののような気がする。 たまには今日のように童心に帰る日があってもいい。>

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2002年8月 3日

ヒートアイランドと安物の簾

暑い。とにかく暑い。

私が子供の頃はこんなに暑くなかった。あの頃は、気温が33度を超えたらとてつもない暑さのような気がしていたし、熱帯夜などというのも、ひと夏に何度もなかった。今年は連日連夜ではないか。

この暑さの原因は、二酸化炭素の増加による地球温暖化もあるだろうが、「ヒートアイランド」現象というのも見逃せないらしい。

私のパソコンは、東南のベランダを背にする位置に置いてある。普段は夜になってから操作するので気にしていなかったのだが、今日は土曜日である。午後の日差しをまともに背中に浴びて気が遠くなった。カーテンもあまり効果がない。あと10分続けたら、確実に熱中症になるところだった。

まだ命が惜しいので、ホームセンターで簾を買ってきてぶら下げたところ、驚くほど涼しくなった。葦でできた中国製で、たった490円の安物である。大変なコストパフォーマンスである。

都会でも屋上緑化など地道な対策を講じたら、少しはヒートアイランド現象も和らげられるだろうに。

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2002年8月 2日

コラムをちょっとだけ長くした

今日から、この コラムをちょっとだけ長めに取らせていただくことにした。

これまで、約 120文字で頑張ってみたが、原稿用紙の 3分の 1にも満たない分量ではいくらなんでも短すぎて、不自由だったのだ。かといって、トップページのスペースは限られている。個人的にはこのデザインは気に入っているので、あまり変えたくはない。

そこで、今日からは、下の「続きを読む」 - 「全文表示」の文字をクリックすると別ウィンドウが開き、続きが読めるという形式にした。(何と、JavaScript を使ってしまった)極端に短い文章を書くのは、シンプルで簡潔な文章を書く訓練になったとは思う。削れる部分は削り、言い回しを工夫するなど、短い割には思いのほか時間もかかっていたのだ。

「もの言わぬは腹ふくるる技」というが、時間をかけて中途半端な文章を書き続けるのはそれに近いものがあった。このくらいのスペースがあれば、ある程度言いたいことも言わせてもらえるだろう。というわけで、今後ともご贔屓をお願い致したい。

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2002年8月 1日

暑い一日だった

暑い一日だった。

夜になってようやく雨が降り始めたと思ったら、とんでもない大嵐になり、雷がそこら中に落ちまくった。

ウチは茨城の田んぼの中なので、えらい見ものだった。最近、天気が極端だ。人の心もそうだが、もう少しマイルドでありたい。

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