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2002年8月17日

日本人には「無私」が似合う

近頃、「無私」とか「無我」ということについてよく考える。西欧的「自我」の時代はいずれ過ぎ去るような気がしている。

もともと、日本語では「俺が、俺が」とはあまり言わない。日本人には「無私」がよく似合う。

日本語で書かれた文章を英訳する機会がよくあるのだが、原文の日本語には「主語」のない場合が多い。とくに主語が自分自身の場合は、かなりの確率で省かれる。 私自身は英語の影響を受けすぎて、日本人としては主語をきちんと使う方なのだが、それでも意識して省くことがよくある。その方がしっくりするのだから、しかたがない。

(このコラムの最初の文に「私は」なんて主語がついたら、ゾッとするほど嫌らしいと思う。)

主語を過度に要求するヨーロッパ語は、確かに論理的ではあるが、ちょっとシツコイ感じがする。論理なんて、イザという時は直感に負けるのだ。

あんまり自分を「ことあげ」しない方がしっくりくる文化圏に生まれたユニークさを、今の世でも上手に生かしたいものだ。

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