メディアとどう接するか
今日(というか、日付が変わってしまったから昨日)、TBSラジオで、「メディアの報道に対して、ある程度距離をもって接するか」という特集をしていた。ゲストは、松本サリン事件で冤罪被害を蒙った河野義行氏だから、かなり重いテーマではある。
ジャーナリストの端くれとして言わせてもらうと、メディアの報道には大別して2種類ある。 それは「単純事実の記事」と、その単純事実にはどんな意味があるかという「解説記事」である。(実際にはその区別は一筋縄ではいかない場合が多いのだが)
「単純事実の記事」の報道にあたっては「ウラを取る のが記者としての「いろはのい」であり、少なくとも恣意的な「捻じ曲げ」は発生しにくい。ただ、時々「売らんかな」意識が強すぎて、先走った乱暴な報道が生じることがある。
松本サリン事件はの最もひどい例である。とはいえ、天災や新商品発表の記事に関してまで、いちいち疑ってかかるのもあまり意味がない。
より問題なのは「解説記事」である。私はこれに関してはほとんど常に「眉に唾つけて」接している。
メディアはその時の大衆に一番ウケがよくて、その上「エエカッコしい」ができる論調しかとらないものである。それだけにアブナイのだ。 私が「見識ある解釈と編集、そして最後の『一ひねり』」と謳う意味はそこにある。
ところで、今日(いや、昨日か)は夜遊びしてしまって、更新の日付が変わってしまった。昨日の Crack で書いた心配がもう的中してしまった。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「御中」にするために、定規を使って「行」を消すって?(2025.01.18)
- 50年近く前に禁煙したのは「贖罪意識」からだった(2025.01.11)
- 千里の道なんてどーでもいいから、「取りあえずの一歩」(2025.01.02)
- 2024年も今日でおしまいということで(2024.12.31)
- 今どき「万博」なんて言ってもねえ(2024.12.29)
コメント