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2002年9月に作成された投稿

2002年9月30日

放浪人生

昨日は 『ミー・アンド・ボビーマギー』 という歌について書いた。アメリカ中を放浪した経験を歌った歌である。

私も学生時代に放浪し過ぎて、まともな就職ができない年になり、業界紙記者というヤクザな稼業についた。

あれから、繊維業界周辺でいろいろな職を渡り歩き、気付いてみれば、今でもずっと放浪しているようなものである。どんな組織に属しても、結局は一匹狼的仕事で、部下というものを持ったことがない。

大学を 4年で出て、順調に一流企業に入り、中間管理職になって、近頃ではリストラの影に少々ビクついているような 「まともなコース」 というものをたどったことがないので、出世競争に一喜一憂する気持ちというのは、はっきり言ってさっぱりわからない。

私の場合は、自分の後始末は自分で付ければいいというのが基本的スタンスで、大儲けもしない代わりに、他人に多大な迷惑をかけることもない。どこかで人の役に立っていれば、それで十分だ。まぁ、仕事に関しては、ずっとこのペースでやっていきたいと思っている。

何しろ、自由とお金とどちらかを選ぶとなったら、自由を選んでしまうタイプなので、仕方がない。

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2002年9月29日

「全ての明日」より価値のある「たった 1日の昨日」

『ミー・アンド・ボビーマギー』 という歌をご存知だろうか? オリジナルはクリス・クリストファーソンだが、ジャニス・ジョプリンのカバーの方が有名になっている。

ハートに響く歌だ。私は今でも、この歌を聞くと泣けてしまう。

日本語で言えば 「俺とボビー・マギー」。ボビー・マギーという女の子とアメリカ中を旅した男の、思い出の歌である。もっとも、ジャニスがカバーすると、ボビーは男ということになる。(歌詞の中の "she"が "he" になる) 「ボビー」 は男でも女でも通じる名前だから、うまくしたものである。

ケンタッキーの炭鉱町から日の輝くカリフォルニアまで、心の秘密まで分け合って、旅を共にしたボビーだが、彼女はサリナスの近くで、落ち着いて暮らす家が欲しくなり、旅を続ける 「俺」 と別れることになる。「俺」 は彼女が希望通りの家を見つけて欲しいと願う。

そして、「俺」 は歌う。

俺は取り替えたい
ボビーの体をきつく抱きしめていた
たった 1日の昨日 (single yesterday) と
俺の全ての明日という日 (all my tomorrows) を

自由 (freedom) と言うのは
失うものが何もないということの
もう一つの言い方さ
何物にも変えがたい、
でも、タダ (free) で手に入るんだ

最高の殺し文句である。

「たった 1日の昨日」 が 「すべての明日」 と交換してもいいほどの、素晴らしい価値をもつというのは、なんとうらやましいことか。

これは決して後ろ向きなのではない。なぜなら、人間は 「全ての明日と取り替えてもいいほどの、たった1日の昨日」 を作るために、今日という日を生きているのだから。

fそして、そのためには、自由が必要だ。自由 (freedom) は 無料 (free) だが、時にはどんな大金を積んでも得られないこともある。

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2002年9月28日

吉本さんちの親父さんと娘

以前、20歳代の一応インテリと称される女性と話をしていて、ひょんなことから、彼女は吉本隆明を知らないということがわかった

「吉本ばはな の親父なんだけど」と言うと、「それなら、聞いたことがある」という。ちょっとずっこけた。

昭和20年代生まれとしては、あくまでも、「吉本ばなな は吉本隆明の娘」という位置づけなのだが、彼女の世代にとっては、「ばなな の父親は、何だか難しいことを書く人らしい」という程度の認識のようだ。

そこに現れた昭和10年代生まれのオジサン(彼も、一応インテリと呼ばれている)に、「ねえねえ、聞いてくださいよ。彼女は吉本隆明を、ばななの親父としてしか知らないみたいなんですよ」と言ったら、かのオジサンはきょとんとして、「ばななって何だ? 人の名前か?」とのたもうた。

こちらは、またまたずっこけてしまった。二重のジェネレーションギャップである。

「隆明」と「ばなな」の二人の著作をちゃんと読んだことのある人間というのは、実はずいぶん少ないのだということを、最近になってしみじみと知った。、両方リアルタイムで、同時代に生きる人間として感じることができる人間というのは、結構希少価値なのかも知れない。

それにしても、文学趣味の人間の常識というのは、しばしば世間では通用しないことがあるので、気を付けなければならない。

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2002年9月27日

すっかり日本酒党

つい最近気付いたのだが、私はこの夏、ほとんどビールを飲まなかった。これは驚くべきことだ。

実は、梅雨に入るまで燗酒を飲んでいて、それ以後、ようやく冷酒になった。そして近頃、また燗酒が恋しくなってきた。

すっかり日本酒党になってしまったようだ。 吟醸酒ブーム以降、日本酒は、かなりまじめに作られるようになって、おいしいのが増えた。ありがたいことである。

実は私は 「大吟醸」 というのがあまり好きではない。あのあざといまでに強すぎる 「フルーティフレーバー」 というのに馴染めないのである。あれは日本酒本来の風味ではない。そんなものよりも、きちんとしたコクのある 「純米吟醸」 くらいのものが一番おいしい。

そして、吟醸酒は冷か常温で飲むのがいいとされているが、私は近頃とみに燗酒が好きになってしまった。誰が何と言っても、日本酒は燗で飲むのが本来だと思っている。もうすぐ新そばの季節になるが、ぬる燗でいい気持ちになったところでたぐる新そばの香りは、「よくぞ日本に生まれけり」 という風情になる。

この 9月は本当にいろいろなことがあったが、新そばの10月は、落ち着いて過ごしたいものである。

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2002年9月25日

「一人勝ちの時代」 は面白くもなんともない

「一人勝ち」の時代だという。一番手と二番手では、雲泥の差がある。

紙一重の差で一番の素材でも、入手するコスト差は紙一重の何倍にもなる。最高の素材を集めるためには、資金力が要る。そのためにも勝ち続けなければならない。

野球選手に例えよう。本塁打を50本打つ選手と40本打つ選手では、その貢献度の差はせいぜい 2割くらいだが、年俸は多分、倍近く違ってくる。 ホームラン王には、二番目の倍近くの需要があるのだ。野球選手も結局は広い意味で商品だから、需要と供給のバランスに左右される。

こうして、働きの成果の差はそれほどでなくても、コストの差は膨大なものになる。紙一重の差を維持するためには、その何倍ものコストを負担しなければならないから、商業的成功は不可欠な要素なのである。ここにアンバランスが生じるモトがある。

世の中にはアンダーグラウンドのスターが少なくなってきた。アンダーグラウンドで多少芽が出ると、メジャーがあっという間に引き抜いていく。そのため、アングラ市場の資金力ではスターを維持できなくなっているのだ。

しかし、アングラ市場が活性化していないと、メジャー市場だっていずれは枯渇する。だから、商業主義的な成功のみに支えられた市場は、砂上の楼閣で、バブルのように弾けるのである。スターの寿命も短い。

本当は、それほど莫大な利益が上がらなくても、細々ながらコンスタントに稼げるという市場が、健全に機能していなければならない。

「一人勝ち」 の裏付けは、いかに儲かったかという、一面的な数字でしかない。市場の進化とともに多様性が失われて、数字の多寡のみにうつつを抜かすようになるのでは、皮肉としか言いようがない。アメリカ流資本主義の幻想が弾けた今、多様な本質的価値の訴求できる市場を作り出さなければ、世の中、おもしろくもなんともないのである。

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野球はダラダラと長すぎる

私は近頃、野球に興味がなくなってしまった。何しろ、試合が長すぎる。3時間かかってもまだ終わらない。

昨日の巨人の優勝がかかった試合は、6時に始まって、11時過ぎまでやっていた。ただでさえ忙しいのに、これでは付き合いきれない。

平均 3時間以上の試合時間のうち、実際のオン・プレーの時間は非常に限られていて、多分、7割ぐらいはチェンジでの守備交代、ピッチャー交代による投球練習、そして意味もなく頻繁にとられる 「タイム」 によって占められるのではないかと思われる。

ピッチャーの投球の間合いがちょっと長いと、打者は遠慮なく 「タイム」 を宣言し、靴の泥をバットでコンコンと叩き落とし、あらぬ方向を向いて何度も素振りを繰り返し、周囲につばを吐き散らしてから、ようやくもったいぶってバッターボックスに戻る。こんなに際限なくタイムを取ることができるというのは、けっこうダラダラとしたスポーツである。

その上、ピッチャーがちょっとピンチに陥ると、テレビの解説者までが 「ここはキャッチャーが行って、間を取ってやらなきゃいけませんよ」 などと言う。冗談じゃない。ただでさえ試合時間がダラダラと長すぎるのだから、余計な間なんか取らないで、とっとと投げてもらいたい。プロのくせに、見てるものの都合をちっとも考えていない。

試合が長引けば、それを見ているオヤジたちが睡眠不足になる。また、それだけ野球中継が長引き、その後に予定されているテレビドラマの開始時刻が遅れ、それを楽しみにしている子どもたちが夜更かしになる。

サッカーなら、大抵は 2時間で終わる。高校野球の多くは 2時間以内で終わるのだから、プロだって早く終わろうと思えばできるはずだ。

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2002年9月24日

人生は予定通りにはいかない

父は特攻隊上がりである。旧制中学の頃、易者に短命だと宣告され、「どうせ死ぬなら空で死のう」と、予科練に志願した。

ところが幸か不幸か、戦争末期で飛行機に乗るまでに至らず、生き永らえて、今年74歳である。

10代で終戦を迎えた父は、「おつりのような人生」に突入し、それでも「20歳になった時は、30歳までは生きられると思った」という。まあ、それはそうだろう。おかげで、私はこの世に生を受けた。

「30歳になった時は、40歳までは生きなければならない」と思い、「40歳になったら、50歳まではいけると思った」という。さらに「50歳を迎えたら、60歳までは大丈夫と思い、60歳になったら、70歳までは十分生き延びられそうな気がした」という。10年ずつ、おつりの人生が長引いてきた。

70歳になった時には「さすがに、あと10年生きられるような気はしなかった」そうだが、ここ 1~2年、母の具合が悪くなり、父が看病しなければならなくなった。「この歳になって、まだ死ぬわけにいかない境遇になるとは思わなかった」と父は言う。「10代で死ぬはずの予定が、狂いっ放しだ」

人間は使命を持って生まれてくるというが、その使命が残っているうちは、なかなか死ねないもののようだ。息子としては、いつまでも使命を持っていてもらいたいと思うのだが …… 。

 

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2002年9月23日

銀婚式

今日は秋のお彼岸で、我々の結婚記念日 (覚えやすい)。しかも、今年は銀婚式 (25年目) である。

銀婚式なんて、じいさん、ばあさんの世界のことかと思っていたが、自分たちがそうなってしまった。

というわけで、今日は頭の切り替えが大変な日だった。昼は、昨日のこの欄で触れた知人のご母堂の葬儀、夕方はささやかに、家族でお祝いの外食をした。

25歳前後で結婚するとして、銀婚式は大体50歳である。昔は、50歳といえば結構な年配だと思っていた。白髪が目立ち、顔には皺が刻まれているというイメージである。ところが、現在の自分をみると、そんな感じはまったくない。妻にしても、若々しさが残っている。ありがたいことである。

「人生わずか50年」 といった昔からすれば、平均寿命は30年も延びた。ということは、50歳なんて、まだまだ青二才かもしれない。為すべきことは、半分も為し終えていない。

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2002年9月22日

神道式の葬儀

今日は尊敬する知人の御母堂が亡くなったので、お通夜のお手伝い。明日はご葬儀のお手伝いである。

今回の儀式は、珍しく、神道式である。お経ではなく祝詞(のりと)、ご焼香ではなく、玉串奉奠 (たまぐしほうてん) となる。

神道式というのは、とても日本人の心情に沿うものである。こうしてみると、仏教というのは、外来宗教なのだということがわかる。私は曹洞宗の坊主の孫なのだが、究極的にはそう感じてしまう。

しかし、今時の日本人は、玉串奉奠なんて普段したことがないから、相当にオタオタしてしまう。ご焼香の時ですら、作法がわからず、戸惑う人が増えている。学校で宗教教育というものをしないから、こういう時に恥をかいてしまうのである。

神道式の作法は、二礼二拍手一礼である。そして葬儀の場合の柏手 (かしわで) は 「しのび手」 といって、音をさせないようにする。このくらいは、日本人なのだから常識として知っておかなければならないことなのだが、多くの人は誰からも教えられていないのだから、しょうがない。こういうことのためにも、靖国神社を参拝して、勉強しておかなければならない。

自分の国の文化を自分の体で表現できないのは、悲しいことである。

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2002年9月21日

歩行者の交通事故の半数は道路横断中のもの

今日、ラジオを聴いていたら、「歩行者の交通事故死の約半数は道路横断中のもの」 と言っていた。

道路横断には気を付けようと呼びかけていたのだが、私には 「残り半数は、横断中でもないのに車にはねられて死んだ」 ということの方が驚きだ。

どう考えても、歩行者が車にはねられるのは、横断中に最もその可能性が高いはずだ。しかし、実際にはそれが半分の確率でしかないというのは、よく考えると恐ろしい。 秋の交通安全週間の初日、ラジオ局というのは、自らの情報のこうした裏の意味に何の疑問も抱かないのだろうか。そうだとしたら、その感性はジャーナリスト失格である。

横断中の場合と、普通に道を歩いている場合以外に、いったいどんなケースがあるのだろう。酔っ払って道路に寝てしまって、車に轢かれたというのもたまに耳にする。しかし、それが 1割にも 2割にも達しているとは思えない。

ということは、普通に道を歩いているときでも、横断中のケースに迫るくらい、車に轢かれる可能性があるということだ。これは大変なことだ。普通に歩いているところに、暴走した車が突っ込むなどということが、それほど多いのだろうか。

ここで私は、「知のヴァーリトゥード #7 - 赤信号は、本当にみんなで渡れば恐くないか?」 で書いたことを思い出す。それは、「集団登校の子供たちは、集団心理でふざけあいながら道を歩くので、かえってあぶない」 という指摘である。

多分、ふざけあって歩いているうちに、急に車の前に飛び出したりするケースもあるのだろうと推測する。

いずれにしても、普通に歩いているときでも、横断中と同程度に注意を払わなければならないというのは、大変なことである。

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2002年9月20日

日本はもはや鷹揚な「お大尽」 ではない

金正日は、日本を甘く見すぎたのかもしれない。

今回もうまく手玉に取ったつもりでいたのかもしれないが、近頃の日本人はもはや鷹揚な 「お大尽」 ではなく、欲求不満で怒りっぽくなっているということに思い至らなかったようだ。

日本は長い間、どんな難癖を付けられても、一応謝ったフリをして、金でその場をしのぐという外交を続けてきた。しかし、長期間の不況による不満が鬱積する今、そんな幼稚な手法を続けたら、国内で怒りが爆発してしまう。

そこに気付かずに、これまでどおりの 「狡猾な海千山千ぶり」 で事態を切り抜けようとしたことを指して、17日のこの欄で、「貧すれば鈍する」 と言ったわけだ。(もっとも、鈍したのは金正日だけでなく、小泉さんもかなりボ-ッとしてしまったようだが)

いずれにしても、今回ばかりは日本の経済協力も簡単には実現できそうにない。国内での抵抗が大きすぎる。そこまで 「お人好し」 でいられるほどの余裕は、今の日本にはないのである。それでなくとも、あの国には今までずいぶん鬱積した思いがあったのだが、ここに来て一挙に噴出し始めた。それをなだめる勢力は、今のところ見当たらない。

金正日の戦略は、失敗に終わるだろう。そうなると、北朝鮮における独裁者としての存立基盤が脅かされ、混乱が生じることは間違いない。それについて書いたのが、18日のこの欄である。私は今、東ドイツの崩壊を思い起こしている。

しかし、ドイツの場合はまだよかった。東西で戦争をしたわけではないのだから。南北朝鮮は、戦争を経験しているのである。今後の波は大きい。

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2002年9月19日

便利な暮らしで失われる技

我が家の風呂釜兼給湯器の修理がようやくできあがり、今日から再び風呂とシャワーが解禁された。

広いスーパー銭湯もいいが、我が家の風呂もやはりいいものである。久し振りでゆったりできた。

ボタンひとつで風呂が沸き、栓をひねれば熱いシャワーが出てくる。今では皆当たり前と思っているが、そうなってからまだ日は浅い。40年は経っていない。

私は田舎の生まれなので、子供の頃は井戸で水を汲んで台所に運んでいた。上水道のある家に引っ越した時は、ずいぶん便利になったような気がしたことを覚えている。

それが、今では栓をひねって水が出てくるだけではダメで、お湯がふんだんに出ないと、ストレスの固まりのようになってしまう。贅沢になったものだ。

近頃ではキャンプをしても、ホワイトガソリンやガスボンベのコンロがあって、家庭の台所とあまり変らない便利さの中で暮らすことができる。上手に火を起こして、薪で炊事ができるのは、今や少数派である。

以前、キャンプ場の隣のかまどで、火が盛大になりすぎて、飯ごうが炎に包まれているのを目撃した。たまたまうまく行って薪で火を起こせたのだが、火の勢いを調節することを知らなかったらしい。案の定、ご飯は炭と化してしまったようで、気の毒なことだった。焚き火に自信がなければ、ガスコンロを持ってくるべきだったろう。

あるいは、たまには不便な暮らしを体験した方がいいのかもしれない。

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2002年9月18日

横暴な独裁者が話のわかるオッサンのふりをすると

強力な独裁者として君臨するための第一の条件は、独断的で専横的な振舞いである。要するに、わがままで陰険で、横暴で理不尽でなければならない。

それがあって、初めて側近たちは戦々恐々として、イエスマンと茶坊主の集団と化す。

ここまで言えば、察しのいい方は既にうなずいているかもしれないが、北朝鮮の今後の不安定さを危惧しているのである。

問題は、あの国がテロ国家であってまともに相手にできるものではないとか、いや、東アジアの安定のために、多少は手を差し伸べなければならないとかという議論よりも、今まで金正日に服従していた連中が、急に跳ね上がって、クーデターでも起こしはしないかということだ。

これまで、金正日は模範的な独裁者として振舞ってきた。つまり、十分にわがままで陰険で、横暴で理不尽であり続けてきたわけだ。そのおかげで、側近たちは皆恐れをなして忠誠を誓ってきた。

しかし、ここに来て、彼は急に 「話のわかるオッサン」 にイメージチェンジを遂げ始めた。理由は簡単だ。そうしなければ国際的に生き残れない状況に追い込まれたからだ。

しかし、それを快く思わない人間が、北朝鮮の中には軍部を中心に少なからず存在するだろう。国が民主化してしまっては、膨大な既得権を維持できない層だ。この連中がクーデターを起こす可能性は否定できない。そうなったら世界は危機的な状況になる。

米国は、そのあたり、ちゃんと手を打ってくれているんだろうな。

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2002年9月17日

日朝首脳会談

今日の日朝首脳会談だが、さんざん事前交渉をした結果がこれでは、どうしようもない。

貧すれば鈍する。金正日は、経済援助を取り付けるために、思い切って最大限の譲歩をしたつもりなのだろうが、完全に逆効果だ。

これまでの 「得体の知れない悪辣な独裁者」 から、「実は案外話のわかるスマートな指導者」 にイメージチェンジして国際社会での生き残りを図るつもりが、逆に 「過去の国家的犯罪の責任を部下になすりつけて、自分だけは安全圏から一歩も出ようとしない狡猾な男」 という印象を、世界中に定着させる結果となった。

この程度の安易なパフォーマンスで危機を乗り越えられると思ったのだとしたら、この男、案外甘ちゃんである。坊ちゃん育ちで修羅場をくぐっていないのだろう。金と食料が底をついて、仕方なく路線変更に出ているのは見え見えなのだから、今更いくら格好を付けても始まらない。

今回の会談で既に決定的な弱みを見せてしまった以上、後は地盤崩壊が続くだけだ。南北関係においても、金大中は今やレイムダックとなり、「太陽政策」 などというのも、既に過去の遺物になりつつある。

10月から日朝国交正常化交渉が開始されるというが、「そんなものは、全然急ぐ必要がない」 というのが、日本側世論の大勢を占めることになるだろう。

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2002年9月16日

温かいお湯の出る幸せ

文明生活に慣れきるというのは怖いことで、給湯器兼風呂釜が故障しただけで、娘たちは大変なストレスだ。

連休で修理を頼めないので、車に乗って、10km先のスーパー銭湯に行かなければならない。

私と妻が母の看病のために帰郷している間、関東も急に涼しくなった上に、冷たい水のシャワーしか使えなかったため、娘たちは風邪を引きかけたようで、「温かいお湯にゆったりと浸れさえすれば、何もいらない」 と言い出した。

お安い御用とばかりに、巷で話題のスーパー銭湯というものに 1時間ばかり入らせたら、幸せそうな顔をして出てきた。この単純さはなかなか好ましい。 毎日当たり前のように温かいシャワーが使えるということのありがたさが、身にしみてわかったようだ。

さて、問題は風呂釜の修理費用である。もしかしたら、全部丸ごと交換しなければならないかもしれない。その上、車のワイパーのシャフトがおかしくなって、こちらは確実に丸ごと部品交換しなければならない。出費が重なる時というのは重なるものである。

この上、ほかのものまで壊れないように祈るばかりだ。

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あっけらかんと大馬鹿になること

田舎に行くと、親族縁者やご近所の話がいやでも聞こえてくる。当然、いい話ばかりではない。

多くは夫婦、嫁姑の間の確執の話だ。世の中、この類の話は尽きない。つくづく人間の業を感じてしまう。

ありがたいことに、私はこの方面の問題で悩んだことがない。それは一重に 「馬鹿を晒す」 ことをいけしゃあしゃあとできるように育ててくれた親のおかげである。

人間関係は、心を開かないことでこじれる。心が開けないのは、小さなメンツにこだわったり、馬鹿のくせに馬鹿にされたくないと意地を張ったりするからである。

馬鹿でいいではないか、同じ馬鹿なら、大馬鹿になればいいのである。一旦大馬鹿と認めてもらうと、皆が安心して言いたい放題を言ってくれる。言いたい放題を言ってもらえるのは、大事なことを妙に遠まわしに言われたり、隠されたりするより、ずっとありがたい。

馬鹿と思われたくない人には、なかなか正直なことが言えない。言うと怒り出したり、傷ついたりして、後のフォローが大変だ。そうこうするうちに、人間関係が妙にひねくれたり、疎遠になったりしてしまう。

要するに、あっけらかんとすればいいのである。

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2002年9月14日

家族の関係

昨日この欄の更新ができなかったのは、残念ながら夜遊びのせいではなく、夜中までかかって帰郷したためである。

実は母の具合が思わしくないための帰郷なのだが、どちらかといえば、母の介護のためと同時に、孤軍奮闘の父の応援の意味もある。

父は昔気質の男である。母が元気だった頃は、優しい言葉の一言もかけることがなかった。

しかし、今は違う。「俺はいつ死んでもいいのだが、今は、この人のために生きているのだ」 として、懸命に介護している。自分が同じ立場に立ったとして、同じレベルの介護ができるかといえば自信がない。頭が下がる。

しかし、それだけに、母よりも父の体の方に気遣いしなければならぬない。妻が母の介護をしている間、父の話相手になるだけで、長生きしてもらえそうな気がする。

今時のベタベタした人間関係より、凛とした家族関係にいるような気がする。

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2002年9月12日

大国と小国

「井の中の蛙、大海を知らず」 というが、大海の鯨だって、井の中を知らないのだから、どっちもどっちである。

大国は小国の苦しみを知らず、小国は大国の悩みを知らない。こうして、憎悪だけが増幅する。

現在の混乱を宗教戦争と言う人もあるが、私はそれはマユツバだと思っている。宗教はもっと寛容なものであって、戦いを起こさせるものではない。戦いを誘発するのは、いつだって経済要因で、宗教は後から付けられた勝手な理由である。

米国人は 「どうして自分たちは世界中から嫌われるのか」 と訝しく思い始めた。ある意味で気の毒な話だが、米国が嫌われるのは、世界で最も豊かな国だからである。金持ちはいつだって恨まれるのだ。

とくに今、世界の貧しい国では、若者を集めて訓練し、その鬱積を米国にぶつけて事を起こすためのシステムというものが構築されている。世界貿易センタービルで任務に殉じた消防士たちが英雄なら、飛行機でビルに体当たりしたテロ実行犯たちも、アラブ世界では英雄と称えられたのである。それを思うと悲しい。

憎悪は生産的な感情ではないから、当然にも貧困を呼び、その貧困ゆえに憎悪はさらに増大する。

宗教で憎悪を正当化してはならない。神は愛しか知らない。憎悪は人間が勝手に 「迷い」 の中から作り出した幻でしかない。その意味で、「悪の枢軸」 というものも、本当は幻だ。

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2002年9月11日

テロ 1周年

今日は米国のテロ 1周年。メディアでは 「あれから米国は、世界は変わったか?」 というテーマでいろいろな論議が交わされている。

そりゃあもちろん、変わった。何しろ、米国のバブルがきっちりと弾けてしまったのだから。

米国はあれから、お得意の 「二極対立構造」 という図式を頻繁に持ち出し始めた。以前は 「自由主義国家群」 と 「共産主義国家群」 の対立だったが、最近は、「文明国」 対 「悪の枢軸」 と言いたいようだ。

米国にとっては、バブルも弾けてしまったし、今後は社会的不平不満もかなり出てくるだろうから、今のうちに仮想敵国を明確にして、エネルギーをぶつける対象を国外に設定しておきたいところだ。

イラク攻撃を支持する比率は急激に低下していると言うが、それでも過半数である。それだけ、あの 9.11 の衝撃は大きかったのだ。今のうちに悪者を叩いておかなかったら、また、いつ何時あの恐ろしいテロが再現されないとも限らないではないかという切羽詰った心情は、確かに理解できなくもない。かと言って、事を荒立てすぎるのも考え物だが。

米国の気分が、バブル経済の謳歌から、内向きの防衛的なものへと変化しているのだから、日本も 「グローバル・スタンダード」 などという妙な幻想から自由にならなければならない。

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2002年9月10日

今回の訪朝はもしかしたら ……

小泉首相の訪朝は、最大限に好意的かつ希望的にみたら、エポックメイキングなものにならないとも限らない。

そろそろ北朝鮮の屁の突っ張りも効かなくなって、ヘタリ込みたくなっているところに、ちょうどいい座布団を用意することになるかもしれない。

そういえば最近、あの国も何となく、チラチラとサインを送ってきていると見られる兆候もある。

領海侵犯事件などを、「一部ハネ上がり分子」 によるものという条件付きで認めたり、「拉致」 を 「行方不明者」 と言い換えながらも、その行方不明者が自国内にいることをほのめかしたり、金正日が 「釣りバカ日誌」 のファンで、実は案外気さくなオッサンらしいというイメージ操作的情報をリークしたりというのは、確かにこれまではなかったことだ。

経済的にここまで苦しくなってしまうと、いつまでも我を張っているわけにもいかないと思い始めたとしても、不思議はない。

そう見ると、訪朝に対する一連の否定的マスコミ報道は、「妙なみやげを期待せずに、きちんと強気に出ろ」 というムード醸造の役割を果たしている。何だか、米国の後押しもあるようだし、案外ウラはそんなところかもしれない。

しかし、これは精一杯希望的に見ての話で、「やっぱり手玉に取られただけ」 という結果に終わる可能性も十分にある。それだけに、首相にはきちんと突っ張って帰ってきていただきたい。

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2002年9月 9日

怪しい儲け話

以前、事務所で遅くまで残業していたら、妙齢の女性が、中国のリゾートの株を買えと勧誘に来た。

値上がりが確実だから、銀行から借金してでも是非買えと勧める。初対面の人間にそこまで言うというのも、ずいぶん図々しい。

その女性は、いろいろな新聞のスクラップを見せながら、そのリゾート地が中国ブームに乗って非常に有望であると言い、さらに、開発には華僑の要人が絡んでいるので、信用面でも問題がないと力説した。

ところが、私は9月5日の本欄にも書いたように、株なんて全然興味がないし、自慢じゃないが、株を買うような余計なお金も持っていないのである。その上、中国への投資に関しては、甘い口車に乗って大やけどを負ったケースをいくつも見聞きしているので、あまりいいイメージを持っていない。いくら華僑の要人が絡んでいると言っても、わたしはその人を知っているわけでもなんでもないので、鵜呑みにできない。

そもそも、そんなに儲かるというのなら、他人になど勧めないで、自分で借金して買うか、親類縁者で買い占めればいいのだ。あるいは、私のような者を相手にするより、もっとお金のありそうなところに話を持っていく方が、効率がいいはずだ。

それができないというのなら、ますます信用がおけなくなる。とりあえず、まともに相手にするような代物ではないと結論付けて、なおもしつこく粘ろうとするのを、ようやくお引取り願った。

ああいうのにコロッと引っかかる、欲の皮の突っ張った人間が、結構多いのかも知れない。

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2002年9月 8日

訪朝みやげなんかなくてもいい

小泉首相の訪朝が迫ってきたが、賛否両論が飛び交っている。

保守派の多くは 「どうせ海千山千の相手に手玉に取られる」 と言い、リベラル派は 「東アジアの安定に何らかの成果を期待」 と持ち上げている。

これまでの経緯から見れば、相手に幾ばくかの誠意を期待する方が無理という気がする。多くの保守派の論調がそうであるように、「金ばかり取られて、みやげはないも同然」 という結果に終わる公算も高い。

それならば、「相手の虫のいい要求をことごとく突っぱねたため、持ち帰るみやげは何もなし」 という結果になるのなら、それはそれでいいという判断をすべきだろう。

雀の涙ほどのみやげ欲しさに、法外な要求を受け入れるよりは、毅然とした態度で話をぶち壊す方が、後々のためにはずっといい。そうした姿を見せることの方が、日本国民にとってはずっといいみやげになる。

はっきりいって、相手は困窮している。たまには相手の足元をみた外交をしてみてもいいだろう。何かを期待するならそれなりの誠意を示さなければならないということを学ばせるためには、いい機会だ。

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2002年9月 7日

リスクマネジメントの「いろはの い」

企業による 「ごまかし」 事件が後を絶たない。牛乳、牛肉、米と続いて、ついに原発まで登場した。

リスクマネージメントにおいては、「洗いざらい正直に発表する」 というのが基本中の基本なのだが、この国ではそれが全然通用していないようだ。

何か問題が起こったら、トップが責任者となって対策本部を設置し、関連情報を一元的に吸い上げて、包み隠さず発表するというのが、「リスクマネジメント」 の基本である。こんなことは、ちょっとしたマネジメント・セミナーに参加すれば、「いろはのい」 として教え込まれることだ。

この常道に反して、保身のために隠し事や虚偽の発表をしても、次から次にウソがばれて、企業イメージはますます失墜する。逆に正直に発表して迅速で適切な対策を取れば、企業イメージの向上につながることさえある。こんなことは企業人の常識と思っていたが、どうもそうではなかったようだ。

「貧すれば鈍す」 というが、日本経済はそこまでひどくなったのか。それとも、そんなのは昔からあったことで、最近になってウソがばれやすい世の中になっただけなのか。

せめてまともなリスク・マネジメント措置が取れるような企業風土を作りたいものだ。

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2002年9月 6日

「何かの都合」 の言い換え

今日は「生活習慣病予防検診」というのを受けた。

「生活習慣病」と言ってもピンとこないが、「いわゆる成人病」と言えば皆納得する。だったら、最初から そう言えばいいのに、「何かの都合」で「生活習慣病」になっているようだ。

そういえば、最近「精神分裂病」を「統合失調症」と言い換えることになったらしい。これも、しばらくは「以前は精神分裂病と言われていた病気」と言って初めて納得されることになるだろう。

「精神が分裂しているような誤解を与えるために、言い換えることになった」というのだが、「バラバラ」と言わずに「まとまらない」と言っているだけのような気もする。

英語では、"schizophrenia" (浅田彰の「スキゾ・キッド」はここからきている) で、schizo というのは「分裂」という意味なので、「精神分裂病」は訳語としては自然なものだったと思われるが、まあ、「何かの都合」で言い換えたのだろう。 英語では "unification dificient syndrome" などと言い換えるようになったとは聞かないから、日本独特の言い回しに違いない。

近頃、「何かの都合」による言い換えというのが、とても多い。言い換える以前の呼称が「差別的」という理由が多いのだが、「差別」かどうかは文脈による。

表面的には無難な言い換えをして、後でこっそり「いわゆる …… ・のことさ」と耳打ちするのでは、かえって陰湿な気がするのだが。

 

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2002年9月 5日

世界同時株安で、それがどうした?

世界同時株安なのだそうだが、申し訳ないことに、私はそっち方面には全然思い入れがない。

株価なんて所詮「気分」で決まるのだから、結局あってないようなもので、そんなものに血道をあげるのは、馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのである。

子供の頃に、切手コレクションがブームになった。昭和24年発行の「月に雁」という 8円切手が人気の的で、昭和30年代に 3,000円ほどの値がついていた。今では 13,000円になっているらしい。

しかし、その「月に雁」も、封筒に貼れば額面通り 8円の価値しかない。差額の 12,992円分は何だったのかと言えば、それは切手マニアの作り出した「気分の値段」でしかないのだ。

いくら経済理論を駆使して、株安が日々の暮らしにいかに脅威となりうるかを説明されても、理屈では尤もだと理解できるが、素朴な気分の問題として、「それがどうした」と思ってしまう。投資家の作り出した「気分の値段」に、律儀に付き合うほど暇じゃない。

土台、平均株価が 9,200円だなどと言うが、実際に 9,200円つけている株なんてほとんどない。あれは詳しくは知らないが、いろいろないきさつで調整に調整を重ねた「行きがかり上のシンボル」みたいな数字であって、なんだかんだ言っても、「結局は 額面 50円なんでしょ」と言いたくなる。そう言って何が悪いと言うのだ。

実体からかけ離れた幻に一喜一憂する社会の「おかしさ加減」に、そろそろ気がついてもいい頃だ。「あれは20世紀後半に現れた特殊な現象だった」ということになっても、不思議はない。

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2002年9月 4日

「会社人間」と「仕事人間」

「日本人の『会社人間度』 は主要10か国中最低」 という調査結果が、今日発表された。

これは、国による回答傾向の違いを無視しているようなので、あまり真に受けることもないが、やや意外と言えば意外である。

この調査は、「今の会社にずっと居続けたいか」「他人にも今の会社を薦めたいか」という設問だったというので、その解答は、民族的メンタリティにかなり左右される。まぁ、参考程度にとどめておきたい。

ただ、「会社人間」と「仕事人間」とは違う。

経験的な尺度で言わせていただけば、百貨店と総合商社には「会社人間」が多い。仕事の中身よりも、社内で出世することに魅力を感じるタイプである。現場の専門的オペレーションよりも、総合的マネジメントの方が好きなのだ。

対照的に、マスコミや技術屋には「仕事人間」が多い。こうした分野では、出世して現場を離れるのがイヤなので、独立してしまうというケースも多い。何しろ「会社」よりも「仕事」が好きなのだ。百貨店の人間が、現場が好きで独立したなどというのは、あまり聞いたことがない。

画一的に区別するのは危険だが、私は個人的にはどちらかというと後者のタイプが好きだ。「職人芸」を持った人間が好きなのである。

出世志向の強い人間には、「会社とゴルフを取ったら何が残るだろうか?」と思わせるタイプも多い気がする。

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2002年9月 3日

「文句言い」と当事者能力

昨日は、長野の田中知事が「当事者」として何ができるかと書いた。

それで、もう一人の田中さん、マキコさんを思い出してしまった。彼女も「当事者能力」に大きな疑問符の付いた人である。

人間には、外野から文句を言い続ける人と、当事者として文句を言われ続ける人がいる。

外野から文句を言う方が楽だし、カッコいい。大衆人気も高まる。しかし、「文句言い」に当事者能力があるかといえば、それは、まったくの別問題である。経験則から言えば、派手な「文句言い ほど「当事者」になってしまうと無能である。

私は以前、青島幸男氏が東京都知事に当選した時に唖然としてしまった。東京都民は、傍から文句を言うのだけがお上手な青島氏に、本気で都政を任せられると思ってしまったのである。見当違いも甚だしい。その意味で、一番驚いたのは、青島氏自身かもしれない。案の定、彼は都市博中止以外に何もできずに任期を終えた。

マキコさんとなると、「何もできずに」どころではない。さんざんかき回し、無用の混乱を演じて、結局は任期途中で職務を去ることになった。

大衆人気というのは、当てにならないものだ。首相公選制などは、断固阻止しなければならない。

 

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2002年9月 2日

田中知事は「当事者」 として何ができるか

長野県知事選挙で、田中康夫氏が大差で圧勝した。

これほどまでに支持率の高い知事に、圧倒的多数で不信任を突きつける議員を選んだのも、同じ長野県民とは、にわかには信じられない。

ニュースでは、長野県民は改革を望んだという。この流れは止められないという。 それでは、それほどまでに改革を望んでいる長野県民が、県議会議員選挙では何ゆえに、これほどまでに守旧的な議員を選んだのだろうか。

県知事レベルでは改革を望んでも、「おらが村」 レベルではきちんと利益誘導してくれる昔ながらの土建屋的オッサンに一票を投じてしまうのか。地縁血縁の濃い選挙になれば、守旧派の天国なのか。

あるいは、次の県議会選挙では、田中知事派に鞍替えする議員が続出することになるのか。そもそも、田中知事のこれまでの業績は、あくまでも 「外部」 としての立場からのものであり、今後純然たる「当事者」として「脱ダム」や「記者クラブ廃止」以外に何ができるのか。

地方選挙というのは、国政レベルよりも「食えないこすっからさ」(行政、有権者の両方の)がよく見える。

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2002年9月 1日

男気に男気で応える

男というのは、とても素晴らしく馬鹿なところがある。

浮世のしがらみで考えたら、絶対損するに決まっていることでも、あるいは、下手したら切腹ものでも、それを覚悟で男気に男気で応えるところがある。

勧進帳の富樫がそうだ。 安宅の関守の富樫は、自らの守る関所にさしかかった山伏一行が、実は義経主従であるとわかっていながら、弁慶の忠義の情に感じて、通してしまう。頼朝に知れたら切腹を免れない。しかし、男気に男気で応えたのである。

損得だけで考えたら絶対にありえない行為というのが、現実に時々出現して、それが世界を大きく動かすことがある。

1940年、リトアニアにいた杉原千畝(ちうね)領事は、1ヶ月かけて、6000人のユダヤ人のために通過ビザを書き続けた。帰国後、彼は外務省を退職せざるを得なかった。

しかし、彼の英雄的行為は人々の記憶の中に残った。たった一人の孤独な行為だったが、日本人全体に光を投げかけることとなった。侍である。近代の富樫である。

人間、時には大馬鹿にならなければならない。

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