便利な暮らしで失われる技
我が家の風呂釜兼給湯器の修理がようやくできあがり、今日から再び風呂とシャワーが解禁された。
広いスーパー銭湯もいいが、我が家の風呂もやはりいいものである。久し振りでゆったりできた。
ボタンひとつで風呂が沸き、栓をひねれば熱いシャワーが出てくる。今では皆当たり前と思っているが、そうなってからまだ日は浅い。40年は経っていない。
私は田舎の生まれなので、子供の頃は井戸で水を汲んで台所に運んでいた。上水道のある家に引っ越した時は、ずいぶん便利になったような気がしたことを覚えている。
それが、今では栓をひねって水が出てくるだけではダメで、お湯がふんだんに出ないと、ストレスの固まりのようになってしまう。贅沢になったものだ。
近頃ではキャンプをしても、ホワイトガソリンやガスボンベのコンロがあって、家庭の台所とあまり変らない便利さの中で暮らすことができる。上手に火を起こして、薪で炊事ができるのは、今や少数派である。
以前、キャンプ場の隣のかまどで、火が盛大になりすぎて、飯ごうが炎に包まれているのを目撃した。たまたまうまく行って薪で火を起こせたのだが、火の勢いを調節することを知らなかったらしい。案の定、ご飯は炭と化してしまったようで、気の毒なことだった。焚き火に自信がなければ、ガスコンロを持ってくるべきだったろう。
あるいは、たまには不便な暮らしを体験した方がいいのかもしれない。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 私も、同じことを何度も聞いちゃうことがあるんだが(2026.04.18)
- 晴雨兼用折りたたみ傘「浮世絵づくし」、欲しい!(2026.04.17)
- 原稿提出の「先延ばし癖」を巡る冒険(2026.04.10)
- 「田舎の徒歩」と「都会の徒歩」で【情報量】に差?(2026.03.22)
- コーヒーはシエラカップで飲むとおいしい(2026.03.11)







コメント