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2002年9月19日

便利な暮らしで失われる技

我が家の風呂釜兼給湯器の修理がようやくできあがり、今日から再び風呂とシャワーが解禁された。

広いスーパー銭湯もいいが、我が家の風呂もやはりいいものである。久し振りでゆったりできた。

ボタンひとつで風呂が沸き、栓をひねれば熱いシャワーが出てくる。今では皆当たり前と思っているが、そうなってからまだ日は浅い。40年は経っていない。

私は田舎の生まれなので、子供の頃は井戸で水を汲んで台所に運んでいた。上水道のある家に引っ越した時は、ずいぶん便利になったような気がしたことを覚えている。

それが、今では栓をひねって水が出てくるだけではダメで、お湯がふんだんに出ないと、ストレスの固まりのようになってしまう。贅沢になったものだ。

近頃ではキャンプをしても、ホワイトガソリンやガスボンベのコンロがあって、家庭の台所とあまり変らない便利さの中で暮らすことができる。上手に火を起こして、薪で炊事ができるのは、今や少数派である。

以前、キャンプ場の隣のかまどで、火が盛大になりすぎて、飯ごうが炎に包まれているのを目撃した。たまたまうまく行って薪で火を起こせたのだが、火の勢いを調節することを知らなかったらしい。案の定、ご飯は炭と化してしまったようで、気の毒なことだった。焚き火に自信がなければ、ガスコンロを持ってくるべきだったろう。

あるいは、たまには不便な暮らしを体験した方がいいのかもしれない。

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