「全ての明日」より価値のある「たった 1日の昨日」
『ミー・アンド・ボビーマギー』 という歌をご存知だろうか? オリジナルはクリス・クリストファーソンだが、ジャニス・ジョプリンのカバーの方が有名になっている。
ハートに響く歌だ。私は今でも、この歌を聞くと泣けてしまう。
日本語で言えば 「俺とボビー・マギー」。ボビー・マギーという女の子とアメリカ中を旅した男の、思い出の歌である。もっとも、ジャニスがカバーすると、ボビーは男ということになる。(歌詞の中の "she"が "he" になる) 「ボビー」 は男でも女でも通じる名前だから、うまくしたものである。
ケンタッキーの炭鉱町から日の輝くカリフォルニアまで、心の秘密まで分け合って、旅を共にしたボビーだが、彼女はサリナスの近くで、落ち着いて暮らす家が欲しくなり、旅を続ける 「俺」 と別れることになる。「俺」 は彼女が希望通りの家を見つけて欲しいと願う。
そして、「俺」 は歌う。
俺は取り替えたい
ボビーの体をきつく抱きしめていた
たった 1日の昨日 (single yesterday) と
俺の全ての明日という日 (all my tomorrows) を自由 (freedom) と言うのは
失うものが何もないということの
もう一つの言い方さ
何物にも変えがたい、
でも、タダ (free) で手に入るんだ
最高の殺し文句である。
「たった 1日の昨日」 が 「すべての明日」 と交換してもいいほどの、素晴らしい価値をもつというのは、なんとうらやましいことか。
これは決して後ろ向きなのではない。なぜなら、人間は 「全ての明日と取り替えてもいいほどの、たった1日の昨日」 を作るために、今日という日を生きているのだから。
fそして、そのためには、自由が必要だ。自由 (freedom) は 無料 (free) だが、時にはどんな大金を積んでも得られないこともある。
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