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2002年10月に作成された投稿

2002年10月31日

理想の需給バランス

なるほど、それなら「優勝セール」の大安売りもナンセンスになるだろう。

今回のジャイアンツ優勝記念セールのような大安売りの目的は、集客、売上の数字を伸ばすこと、そして在庫を減らすことである。

集客は大きな目的だが、お客が来さえすればいいというわけではない。当然買い物をしてもらわなければならない。まあ、大概のお客は何か買って帰るだろうから、売上には結びつくだろう。しかし、単なる売上増加では利益に結びつくとは限らない。とくに優勝記念セール的なものは大幅割引が常だから、品物が売れても、大きな利益とはならないだろう。

そうなると、最後に残る正味の目的は在庫の減少である。悲しい響きである。

要するに、十年一日のごとく大量生産、大量仕入れ、大量販売というシステムを続けているから、金を払って優勝記念セールを開く権利を買ってまで、利益度外視の大安売りをしなければならないのである。

「常に需要が供給をほんの少しだけ上回る」というマーケティングを行えば、割引セールの必要はない。何しろ、常に納品待ちのお客がほんの少しだけいて、納品と同時に割引なしのお金が入ってくるのだ。

見せ掛けの売上高は少ないかもしれないが、収益からもエコの観点からも、こちらの方がずっと望ましいだろう。

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2002年10月30日

巨人の優勝セール

明日から、イトーヨーカ堂、三越、ビックカメラ、プランタン銀座などで、巨人の優勝セールだそうだ。

だが、待てよ。これらの店が、巨人とどう関係しているというのだ?少し前までは、巨人が優勝すると「そごう」がセールをしていたように思う。これなんぞは、読売のビルで有楽町そごうが営業していたからという縁だったろう。

それが、今はビックカメラになったのだということは、納得がいく。逆に、そごうは今では西武系列になってしまった。皮肉なものだ。

わからないのは、イトーヨーカ堂や三越だ。プランタン銀座というのも、「何で?」と言いたくなる。結局、金を出して権利を買っているのだろうなぁ。

素人目には、あんなに大安売りをして儲かるのだろうかという気がするが、当然、儲かるからやるのである。六大学野球で早稲田大学が優勝して、早稲田の商店街の親父さんたちが身銭を切って大盤振る舞いするのとは、わけが違う。

セールにはセール用の商品があり、安い値段には安いなりの理由がある。浮かれて買い物の行列に並んでも、それほどの「お買い得」があるのかどうか、それは買った人の気分の問題だから、ここでは深く追求しない。

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2002年10月29日

「制度」 の廃止は作るより手間がかかる

>開催中の「よさこい高知国体」で、開催県である高知の天皇杯獲得の可能性が消滅したそうだ。何と、1963年の山口県以来、39年ぶりのことらしい。

40年近くもの間、他県出身者を地元企業や学校などに就職させる「国体強化対策」が連綿と続いてきたのだが、近年になって、大会費用の削減、簡素化の一環で、こうした無駄遣いはだんだんと控える傾向にあったようだ。

とはいえ、制度というのは作るのは簡単だが、一度定着してしまうと廃止するのはとても難しい。実情に合わなくなった法律でも、変えるには信じられないほど手間がかかる。

国体で開催県が男女総合優勝するというのも、いわば 「制度」 だった。それを止めるには、既に 10年を超える不況で経費削減が叫ばれても、まだ足りなかった。橋本大二郎さんという過去の因習に囚われない「改革好き」の知事が号令をかけなければ、きっと今回も馬鹿馬鹿しい無駄遣いが続いたに違いない。

役人の天下りや補助金ばらまきなどの妙な「制度」も、よほど強力な掛け声が発せられなければ、理屈だけでは消えることはないのである。

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2002年10月28日

100人の村と「バタフライ効果」

「もし日本が100本の超高層ビルでできた村だったら、そのうち 38本は〇〇建設」という CM があるが、超高層ビルが 100本もあったら、そりゃ、「村」じゃなくて、「大都会」だろうと突っ込みたくなるのは、私だけではなかろう。

最近、やたらと「世界が(もしくは日本が)100の〇〇でできた村だったら …… 」 というレトリックが流行っているが、こういうのは、最初にインターネットで広まった「アレ」の、しみじみとした感慨を損ねてしまうような気がする。

なにしろ、世界が 100人の村だったら、パソコンを持っているのはたった 1人なのだそうだから、こうしてインターネットで情報発信しても、世界の 1%以下の人にしか伝わらないのである。それを考えると、つい視点が定まらなくなってしまう。

とはいえ、この世には「バタフライ効果」というものもあって、蝶々が羽ばたくことによって、遠く離れた地域の天気にさえ影響を与えることができるというのだから、気長に情報発信をし続けよう。

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2002年10月27日

濃霧の中の点灯

今朝の茨城は濃霧が立ち込めた。驚いたのは、ヘッドランプを点灯せずに運転する車の多かったことだ。

これほど単純な安全策をなぜとらないのか、気が知れない。

確かに、霧の中でヘッドランプを点けても見通しがよくなるわけではない。しかし、自分の存在を確実に周囲に認識させることができるのである。

ライトを点けない車は、霧の中では唐突に目の前に現れる。交差点で右折しようとすると、本当に危ない。ライトを点けてさえいれば、かなり遠くにいても認識することができるので、右折車との衝突というケースは減少するだろう。

私が不思議に思うのは、ライトのスイッチをひょいとひねるだけですむ単純な安全策を、どうして実行しないのだろうかということである。そんなに好んで危険に身を晒したいのだろうか。

そういえば、夜に点灯しないで道路の右側を走る自転車も多い。真っ暗な道では本当にぎょっとすることがある。点灯しないで走る人に聞くと、「だって、ライトを点けると、ペダルが重くなるんだもの」と言う。命の重さほどではなかろうに。

霧の中で点灯しないドライバーにとっては、スイッチをひょいとひねるのが命よりも重いほどに億劫なことなのだろうか?

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2002年10月26日

「正義」に楯突いた山本夏彦氏

山本夏彦氏が亡くなった。週刊新潮を立ち読みする理由が、一つ減った。

「正義」に楯突くコラムが好きだった。私は勝手に「現代の悪人正機説」と思っていた。

山本氏が楯突いたのは、「正義という名の「衆愚」であったのだが、彼自身は「衆愚」の産物であるから「いわゆる正義」を嫌うのであるとは、一言も言わなかった。

ただ「正義」は嫌いと言い切っていたのみである。誤解を恐れぬその態度は、小気味よい。

親鸞は「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と言った。

「善人」とは、自分で自分を疑いもなく「正しい人」と思っている人である。他人から非難されると怒る人である。感謝されないと怒る人である。他人が自分より報われると怒る人である。

確かに、「正義」ほど扱いづらいものはないのである。

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2002年10月25日

並んででも食べたい「あらきそば」

どんなにおいしいと評判の店でも、並んでまで食いたいとは思わないが、山形の「あらきそば」だけは別だ。

大雨とか大雪とかいう日に外まで並ぶのでものでない限り、ついのんびりと並んでしまう。

山形名物「蕎麦街道」でも屈指の名店。秋の頃に車を走らせると、白い蕎麦の花が道端の畑に咲き誇り、寒河江に差し掛かる手前で左折すると、時間の進行がストップしてしまったような一画に、古いかやぶき屋根の民家にしか見えない蕎麦屋があり、それが「あらきそば」である。

ここだけは、並んで待っても心が急かない。少し並べば囲炉裏の切ってある上り框に通され、そこでおとなしく文庫本でも読みながら待てば、ほどなく座敷というのか何というのか、広間に通され、鰊の味噌煮をつまんで待っているうちに、豪快な板そばが出される。

メニューは「むかしもり」と「うすもり」の 2種類しかなく、後者が今風の少量版なのだが、妻はそれでも全部食べきれない。私がいつも 1枚半平らげることになる。

食べ終わって再び車を走らせることになるのだが、鼻の奥に蕎麦の香りが 1時間は持続する。これでこそ、並んだ甲斐があろうと言うものである。

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2002年10月24日

遠野には河童がいる!

昨日の「東京スポーツ」の1面トップに、遠野で撮られたという河童らしき写真が載った。岩手のテレビ局は、河童の生け捕りに賞金を出すという話である。

岩手県に行くと「遠野の連中は嘘つきばっかり」と言われているらしい。何しろ遠野では市民憲章だか何だかで、「河童はいる」と言わなければならないことになっていると聞いたことがある。

一説によると、遠野市民の 1割は河童を見たことがあるらしい。聞かれれば、「えぇ、こないだも見ましたとも。そこの河童淵 (河童の名所)で!」などと、真顔で答える人がそこら中にいるという。なんとすばらしいローカル・アイデンティティであろうか。

遠野市は今では南側から国道を通って入ると、普通の地方都市だが、北側から峠を越えるアクセスは、確かに河童や座敷童が出てくるような気にさせるところがある。

今時、浮世離れした話で、楽しませてもらった。

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2002年10月23日

BB ルータがいかれた

どうも BB ルータがいかれてしまったようで、家庭内 LAN を諦めている。

ものすごく不便な気がする。考えてみれば、去年の今頃に比べて、常時接続だけでも大変な便利さなのだが。

人間、これまで普通に利用していた環境が失われると、とてつもなく不便な感覚にとらわれる。ぜいたくなものだ。

住宅ローンの返済ができなくなって、自殺した人がいる。傍から見れば、それなら自宅を売りに出して、安いアパート暮らしに戻ればいいではないかと思うのだが、一度豪勢な自宅に住んでしまうと、なかなかそうはできないようだ。

元の暮らしに戻るくらいなら、いっそ死んでしまった方がいいという気持ちになってしまうのだろうが、それではあまりにも人生が悲しすぎる。

豪勢な自宅に住むことが人生の目的ではない。家庭内 LAN の便利さを享受することが人生の目的ではない。

とはいえ、家族がインターネットを利用できないということで、遠からずブーイングが出るだろう。なんとかしなければ。

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2002年10月22日

インターネット接続がおかしい

ちょと BBS の方にも書いたが、今日はネットワークの調子がおかしい。

インターネットにつながらない。どうも ADSL モデムと ブロードバンドルータの間の接続がおかしい。

さんざんあちこちいじってみたが、うまくいかず、試しに、LAN 接続をあきらめて ADSL モデムに直接つないだらうまく行った。しかし、なぜかこのサイトの FTP サーバにうまくつながらない。この時点で半分あきらめて、BBS に愚痴をこぼした。

そうこうしているうちに、「困った時の再起動」という格言(?)を思い出し、実行したところ、なんとか FTP もできるようになった。そこで、ぐったり疲れながらこの「一撃」を書いている。今日は一撃を食らったような感じだ。

さてさて、復旧は、ADSL モデムと ブロードバンドルータの間のケーブルを交換するだけでうまく行くか、それとも、ルータを買い換えることになるのか、前者で済んでくれるとありがたいのだが。

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2002年10月21日

潮来の風はすごかったらしい

昨日、潮来に行ってきた。先日の台風では、2階が揺れて寝られなかったとか、鹿島神宮の杉の巨木が何本も倒れたとか言っていた。

さすがに、海に近い。桜の葉に塩分が付いて枯れかかったらしい。

鹿島灘の海水が強風にあおられて空中に舞い上がり、その中の塩分が潮来まで飛んできて、木の葉に付いたというのだからすごい。桜の木は、幸いにも、その後の雨で塩分が洗い流されて、完全に枯れる前に生き返ったらしい。

送電線の鉄塔が、飴のようにひしゃげて倒れたという話も聞いた。それはそれは見事にひしゃげたらしい。年寄りは「冥途のみやげに」この珍しい景色に見とれたという。

かなりすごい台風だったわけだ。電車が止まったのも無理もない。

さて、ここまで秋が深まると、今年の冬がどうなるか気になってきた。気象庁によると、東日本は 50%の確率で暖冬になるという。しかし中長期予想は当たらないことの方が多いから、まだまだわからない。

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2002年10月20日

カウンターを設置

トップページにカウンターを設置した。実は途中からカウントし始めたので、あくまでも概算なのだが、初期値はかなり控えめに見積もってある。

これからどんな増え方をするかの方が重要だ。

しばらくの間、サイトの裏で無料の解析ツールによる簡易的なアクセス分析をしていたのだが、このサイトのトップページには、少なくとも毎日10人以上がアクセスしてくれている。(同一人物の再アクセスを含まない)

最近ではコンスタントに 15~6人以上がアクセスしてくれているようだ。トップページ以外のコンテンツにも、Google などの検索エンジンから結構アクセスがあるようだが、残念ながら、その数はつかめない。そのページからトップページに飛んで来てくれると、ようやくカウントできる。

これまでの分析結果からみると、最初に Google のキーワード検索から「知のヴァーリトゥード」のどこかに来て、そこからトップページに来るというパターンが案外多いようだ。ヒットの多いキーワードは、バロック、構造主義、連呼 などなど …… 。

さて、あなたはどのようにして、このサイトを知りましたか?

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2002年10月19日

画像クリエイトに挑戦

本日から "Image of Life" をスタートさせた。ちょっと面白い画像が手元にたまったので、見てもらってもいいかなと思い始めたのである。

これから、意識して画像をクリエイトしてみようかと思っている。

私は自分では、ビジュアル・センスのある方ではないと思っていた。しかしよく考えてみると、使い物にならないのは手で描くテクニックのなさであって、センス的には、それほどひどいものでもないのではないかと思い始めた。

自分のセンスを信じれば、テクニックは後から付いてくる。デジタル処理を駆使すれば、手を使うテクニックに頼らなくても、少しは見られる画像が作れるのではないか。

問題は、自分に本当にセンスがあるかどうかということなのだが、こればかりは、歩き始めなければなんともいえないだろう。

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2002年10月18日

「Bit の哲学」 をスタート

本日から、「アパレル業界の SCM / EDI」に替わって、「Bit の哲学」をスタートさせていただくことにした。

これまでの連載はどうもビジネス寄りすぎて、イマイチ乗って書けなかったのである。多分、もう更新しないだろう。

<結構熱心な読者もいて、感想などのメールをいただいたりもしていたし、Goodle で「アパレル SCM EDI」のキーワードで検索するとトップにランクされたりしていたので、もったいないと言えばもったいないのだが、私としては、このところ「どうも違う」という気がしていた。

こうしたテーマのものは腐るのも早く、2年前に書いたものは、それなりに時代遅れになっていた。やはりもっと極私的な視点のコラムで押して行きたいという気持ちが抑えきれなかったのである。

とはいえ、2~3本でスタートさせるのも貧弱過ぎるので、最初の2本を「知のヴァーリトゥード」から移動させ、残りはこれまでに書きためたものの中から、古くならないテーマのものを選び、適宜書き直して、とりあえず10本の固まりにした。お楽しみいただければ幸いである。

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2002年10月17日

E-コマースの罠

物販サイトで実店舗にも誘導するのは非常に効果的だが、せっかくの来店客に「買うならご自宅からネットを通じて」なんていう経営者はいない。しかし、E-コマースのほとんどは、それをしているような気がする。

E-コマースを運営している人の多くは、モノを売るという行為よりも、モノの販売をするサイトを構築すること自体がお好きなのではないかと思うのである。

いかに効果的なショッピングバスケットのシステムを開発するかよりも大切なのは、いかに魅力的な商品を消費者が満足する形で提供するかなのだが、インターネットの世界では、まだ技術的な自己満足の方が優先されているように思えるのだ。

そうした中でホッとするような気がするのは、産直販売サイトである。旬の果物の購入を単純なメールで申し込むと、代金受取人払いでモノが届く。まったくシンプルそのものの E-コマースである。

これで生産者と消費者の両方がハッピーなのだから、それ以上の複雑なシステムなんか要らないのである。技術先行は、大切なことから目をそらしてしまいかねない。

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2002年10月15日

24年間はあまりにも長い

今日、帰宅途中のカーラジオで、帰国した拉致被害者の記者会見を聞いた。何人かは、日本語がやや朝鮮訛りになっているように聞こえた。

ラジオの音だけで聞いたので、ことさらに気になったのかもしれない。

<9月10日付の本欄で、「小泉首相の訪朝は、最大限に好意的かつ希望的にみたら、エポックメイキングなものにならないとも限らない」と書いたが、さすがに、一挙にここまで進むとは思わなかった。

今後どうなるか。再会できて良かったと、喜んでばかりもいられない。彼らは北朝鮮に家族を残してきているのだから、いわば人質を取られているようなものなのだ。多分、言いたいことの半分も言えないはずだ。日本サイドの郷愁に訴えるプレッシャーが強すぎたりすると、板ばさみ状態で、かなりのストレスになるだろう。本当に気の毒なことである。

彼らに染み付いてしまった朝鮮語訛りは、事件発生からの歳月を感じさせるに十分だった。落ち着くところに落ち着くまでは、まだかなりの時間がかかるだろう。24年という「失われた時間」は、あまりにも長い。

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2002年10月14日

肝心な時にフリーズしてしまう日本人

バリ島のテロ事件の被害は、かなりの規模のようだ。これでまた、米国のイラク制裁論に勢いがつくのか。

ちなみに、人間、パニックになるとフリーズしてしまうものだ。以前、小さな経験でそれを知った。

ある年の冬、虎ノ門交差点で信号待ちをしていたら、歩道にある大きな植え込みから盛んに煙が上がっているのに気がついた。その煙の勢いがどんどん激しくなったと思ったら、突然ボウッと大きな音がして炎があがり、植え込み全体に火が回ってしまった。

大方、タバコの吸殻の火が原因なのだろうが、歩道にいた群衆は皆、炎をみつめたまま、呆気にとられたように立ちすくんで、誰も必要なリアクションをとらない。本当に写真のように誰も一歩も動かないのだ。

私は交差点にあった銀行に飛び込み、案内係のオジサンに、小声で「消火器出してください」と言った。ところが、向こうは怪訝な顔をしたまま動かない。

小声で言ったのは、銀行の中の人まで驚かせたくなかったからだが、やはり大きな声でないと効き目がないようだ。「外の植え込みが火事だから、消さなきゃ!」と怒鳴ったら、向こうもやっと事の次第が飲み込めたようで、2~3人が消火器を抱えて飛び出した。

火はまもなく消し止めたが、あの時、「火が出たら消す」という当たり前のリアクションを促すことができたのが自分一人だけだったということに、私は強いショックを覚えた。

もっと大きな事故だったら、一体どうなったことか。日本人の「人任せ主義」もいい加減にしてもらいたい。

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2002年10月13日

賞味期限切れのビールは半泣きビール酵母

今日、戸棚の奥から賞味期限切れの「一番絞り」6缶セットが出てきた。

期限は今年の 8月までと書いてあるから、2ヵ月過ぎているのだが、人間、酒のこととなると意地汚くなるもので、試しに冷やして飲んでみた。

結果、恐ろしくまずかった! 一口飲んで「こりゃダメだ」と思い、ためらうことなく流しに捨ててしまった。やはり、ビールはできたてがうまい。

話は変るが、私は近頃ダイエットのために、ヨーグルトに「ビール酵母」というのを混ぜて食している。最初に買ってきたメーカーのものは、ハッタイ粉みたいな感じで、かなり大量に混ぜても平気で食べることができた。

ところが、知り合いにやはりビール酵母を試している女性がいて、彼女は「まずくてまずくて、半泣きになって食べてる」と言うのである。わたしは「そんなに泣くほどまずいかなぁ?」と怪訝に思っていた。

ところが最近になって、それまで購入していたブランドのビール酵母がどこにも見当たらなくなり、しかたがないので日本の某ビール会社(断っておくが、「一番絞り」の会社ではない)の製品を買ってきた。

これが、何しろまずいのである。人間の口に入れるもののような気がしない。例えて言えば、(食べたことがないのであくまで想像だが)金魚のフンをヨーグルトに混ぜて食っているような気がする。なるほど、彼女の言っていたのはこのことだったかと納得して、私も半泣きになってしまっている。

それにしても、前に買っていたのは粒子が粗くて見るからに粗野なものだったが、結構イケていた。あれが買えないのは残念である。

話を元に戻そう。賞味期限を過ぎたビールは、この「半泣きビール酵母」の味がした。うがいをしたのだが、口の中にはまだその味が残っている。今日は、ビール酵母はもう止めた。

 

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2002年10月12日

日蓮宗って、気宇壮大

私は浄土宗系と禅宗系は馴染みがあるのだが、日蓮宗にはちょっとエキゾチックな感覚をもっている。

最近興味を深めている石原莞爾をはじめ、北一輝、宮沢賢治まで、強烈な日蓮宗信者だったというのである。

我が家の宗派は浄土真宗(大谷派)である。だから京都に行ったら必ず東本願寺に行って、1時間ぐらいはボーっとしている。このお寺さんは、珍しく拝観料を取らないので、自由にスタスタ入っていってゆっくりできるのが気に入っている。

そして、親父は曹洞宗の寺の生まれである。だから親父関係の親戚は皆、禅宗系の風習を保持している。あれも質実剛健で、なかなかいいものだ。永平寺にまだ一度も行ったことがないが、そのうち是非行ってみたいと思っている。

そして日蓮宗だが、今年になって初めて日蓮宗の葬儀というものに出席した。(7月28日付の本欄にも書いてある)

読経のほとんどは意味がわからないが、自我偈は読み下しであげられるからわかる。

衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も、
我が此の土は安穏にして天人常に充満せり、
園林諸の堂閣種々の宝をもって荘厳し、
宝樹華果多くして衆生の遊楽する所なり。

これは有名なところなので、知っていた。いわば、地球の寿命が尽きて爆発してしまう時がきても「我が此の土」(浄土)は素晴らしい様相のままであるというのだ。

法華経というのは、かなり気宇壮大なもののようなのである。

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2002年10月11日

引越しセンターが「伏せろ!」 と警告?

ある日高速道路を走っていたら、ドキッとした。前を行くトラックの後部パネルに「伏せろ!」と書いてある。

何事かと思ったが、「そういえば『ダック引越しセンター』というのがあったな」と思い当たった。確かに引越し屋さんのトラックだったのだが、普通、英語で "Duck!" と言ったら「伏せろ!」という意味である。どこかから銃弾が飛んでくると思ってしまうではないか。

(上記のリンク先を見たら、"Duck!" というのが、どんな風に書いてあるかお分かりいただけるので、ぜひご覧いただきたい)

名詞の "duck" には、ご存知の通り「アヒル」という意味もあり、動詞としての元々の意味は、「ひょいと水にもぐる」ということらしい。やはりアヒルから来ているのかもしれない。

"Duck" と普通に書いてくれれば問題ないのだが、ことさらに感嘆符なんかを付けてくれるから、高速道路の真ん中で「伏せろ!」と怒鳴られたような気がしてしまうのである。少々人騒がせだが、イヤでも印象に残る。案外いい宣伝効果なのかもしれない。

それにしても今の世の中、少々物騒だから、英語圏を旅行して "Duck!" と叫ぶ声が聞こえたら、反射的に身を伏せた方がいい。ボーっとしていたら、弾に当たって死んでしまうかもしれない。大分前も、米国のハロウィンで鉄砲を構えたオヤジに "Freeze!" と言われて、何のことだがわからなかったために撃ち殺された日本人の若者がいた。

Windows95 か 98 でムカついた経験があったら、"freeze" とは「動かなくなること」だとピンときたかもしれないが、まことに気の毒なことになったものである。

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2002年10月10日

戦う前から負けている日本人

>j-fashionの坂口さんが「日本人は戦う前に負けている」と言っている。

ビジネスフェアに行っても、名刺交換したがらず、セミナーに参加しても、質問ひとつ発せず、補助金はもらっても、活かして使えない。

どこの国でもあることだが、輸出振興には政府から補助金が出る。ヨーロッパからも、フランス、イタリー、スペインなどの国々から、政府の補助金を使って、日本で行われるトレードフェアに出展しにくる。

その逆に、日本からもアメリカやヨーロッパのトレードフェアに、出展しに行く。大抵の場合、業界団体がリードして、何社かの出展者をまとめて乗り込んでいく。

普通に考えたら、わざわざ外国のフェアに出展しに行くのだから、モノを売りたいのだろうということになる。しかし日本の出展者は違うのである。ブースの片隅で、日本人同士が片寄せ合ってヒソヒソ話をしているだけで、来場者があっても、応対しない。それどころか、なるべく目を合わせないようにしている。下手に商談になんかなったら面倒だと言わんばかりの態度である。

彼らの多くは、「お付き合い」で出ているに過ぎない。何事もなく帰りたいだけだ。現地の来場者は「こいつら、一体何をしに来たんだろう」と思うに違いない。

日本人から見ても不思議な行動をするのだから、外国人にとっては、さぞ「神秘的?」に映るんだろうなぁ。

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2002年10月 9日

防火管理者資格を 2日間の講習で取得

勤務先でひょんなことからお鉢が回ってきて、昨日と今日、「防火管理者資格」を得るための講習を受けてきた。

丸々 2日間、狭い座席に座りっぱなしで「エコノミークラス症候群」という言葉が脳裏に浮かんだほどだ。

考えてみれば、2日間おとなしく講習を受けるだけで国家資格を得られるなんていうのは、あまり聞いたことがない。ともあれ、帰り際に「修了証書」というのをくれたので、めでたく有資格者になることができたのだろう。ありがたいことである。

講習を受けた感想で言わせてもらうと、消防法というのは本音と建前の使い分けがはなはだしい世界のようだ。例えば火災報知器というのも、せっかく設置されていても、あまりにも誤動作が多いので、普段はスイッチを切ってしまっていたり、避難階段が荷物置き場になってしまっていて、防火査察の時だけ一時的に片付けたりといったことが多いらしい。

実際、講習会場になった会議場の講師の左手にある非常口も、何と演題や大型ディスプレー機器が置かれて塞がれてしまっていた。完全な違反状態の中で、防火管理講習が 2日間も行われたわけだ。講師も苦笑いしながら「これは反面教師」などと言っていたが、お笑い草である。

昨年の新宿歌舞伎町の 44名が死んだ火災事故を契機に消防法の大幅な改正が行われ、もうすぐ施行されるらしい。これだけの人が死なないと改正されないというのも、悲しい話だ。

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2002年10月 8日

米泥棒が今年も横行

収穫の秋、去年も多かったが、今年も米泥棒のニュースが流れ始めた。

農家のセキュリティは、元々ものすごく甘い。米の保管場所なんて、ほとんど無防備だ。その気になれば誰だって盗み出せるだろう。

今日も山形県の寒河江で、米40袋(被害総額38万円)が盗まれたというニュースが流れた。40袋といえば、重さ 1.2トンである。軽トラでではとても運べない。実行には少なくとも 2人は必要で、どうみても計画的犯行だ。

20年前、私が今の家に引っ越してきた時、この辺りは田園地帯だった。妻が買い物に出ようとして、玄関に鍵をかけていたら、近所の子供に「なんで、買い物に行くのに鍵をかけるの?」と驚かれたくらいだ。しかし、今となっては鍵をかけない家はなくなってしまった。

問題は農家が今でもノホホンとしていることで、せっかく汗水たらして作った自分たちの商品をしまっておくのに、まともに鍵もかけないでおくところが多い。そりゃあ、田んぼはお天道様の下で開けっぴろげだが、いったん収穫して袋に詰めてしまったら、それはいつ持っていかれるかわからない「商品」なのである。

セキュリティだけの問題ではない。農業って、きちんと頭を使えばもっと儲かっていいビジネスだと思うのだが。

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2002年10月 7日

北朝鮮とのお付き合いは大変

>新聞報道は連日、拉致事件でもちきりだが、そろそろ食傷気味だ。

真相解明には時間がかかるだろうし、国交正常化交渉は日本人の誰も望んでいないのに、急がなければならない事情があるかのようだ。

北朝鮮の態度は、絵に描いたような典型的な不誠実さだし、毎日毎日この話題で怒ったり呆れたりするのも、そろそろ不毛な感じがしてきた。第一、墓が洪水で流されたなんて言われても、「もう少しましな言い訳を考えて、出直して来い」 と言いたくなるではないか。

そろそろ、落ち着いて深く冷静に調査を進める時期に入っているのだろう。

国交正常化は難しい問題だ。金正日に花を持たせてやりたいという日本人は皆無だろうが、あまり叩きすぎても北朝鮮内部でクーデターが発生したりしたら、ますます事は面倒になる。軍部のはねっ返りが主導権を握ったりしたら、それこそ妙なミサイルが飛んでこないとも限らない。

そうなると、少しずつでも金正日にはおみやげを与えてやらなければならないのかもしれない。

いずれにしてもそう長持ちしそうにはない国なのだが、あまりハードなランディングは避けたいというところなのだろう。

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2002年10月 6日

中華レストランの喧騒の本当の意味

世界には公衆の中では小声になる民族と、他に負けない大声で話せばいいと思っている民族とがある。

経験則からいうと、アジアは概ね喧騒の文化であり、ヨーロッパは、例外はあるものの小声の文化である

私は中国本土には行ったことがないが、香港のレストランなどに行くと、それはそれは耳を覆いたくなるような大声の坩堝である。それぞれが、隣のテーブルに負けないような大声で話すため、「喧騒」という言葉以外にどんな単語を使えばいいか、見当がつかないほどだ。

一方、ヨーロッパのレストランは大抵ひっそりとしている。めいめいがそれぞれのテーブルに着いた者同士で必要最低限のボリュームで話をしているので、食事も落ち着いて取ることができる。

私は長い間、この違いをアジア人の幼児性によるものと思い込んでいた。しかしそれはどうも違うようなのだ。アジア人、とくに中国人が大声で話をするのは、「無用の敵を作らない」という心理が働いているらしい。小声で話しなぞしたら、周囲から「あいつら、何か悪だくみをしているのではないか」と疑われる。

それを避けるために、食事の席では徹底的に下らない話を周囲に聞こえるように大きな声で話しておく必要があるらしい。長い戦乱の歴史を経験した民族の、学習の結果である。

それにしても、厄介な学習結果ではある。

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2002年10月 5日

素直な良い子のストリート・ロッカー

今日は(いや、日付が変ったから昨日か)池袋で飲み会。サンシャインの58階で、夜景がきれいだった。

帰り道、池袋駅前でロックバンドが華々しくストリートライブをやっていた。腕は確かなバンドだった。

腕は確かだが、音的には私の好みではなかった(シャウト系)ので、そのまま通り過ぎようとしたら、警察がやってきて、ボーカルのお兄ちゃんに何か言い始めた。大方「無許可の路上ライブは違法だから止めろ」と言っているのだろう。

それを見たら、何だか急に昔の「バッドボーイ的心情」が頭をもたげてきて、このバンドにシンパシーが湧き、しばらく立ち止まって聞いていた。誰も迷惑してないんだから、やらせとけばいいではないか。警察があまりワカランチンだったら、「帰れコール」の先導でもしてやろうかと思ったくらいである。

しかしそのバンドは、1曲エンディングまで演奏し終わると、あっさり「そういうことなので、終わります。今日はどうもありがとう!」と言って、店じまいになった。近頃の若い子はずいぶん素直なのである。「帰れコール」もどこらかも起こらなかった。

「衣食足りて礼節を知る」というが、最近はロッカーもあまりハングリーじゃなくなったみたいである。「金持ち喧嘩せず」というところか。

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2002年10月 3日

他人の迷惑までは開き直れないぞ

昨日に続いて、禁煙ネタ。

私は 24歳までヘビースモーカーだった。それから禁煙して、今ではタバコが大嫌いになってしまった。

タバコは麻薬だ。止めた方がいい。

私がタバコを止めた時は、10日目から2週間目にかけて猛烈な禁断症状になり、口から手を突っ込んで肺の中を掻きたくなるほど、のた打ち回った。これだけとって見ても、タバコは麻薬だとわかる。アレが、人生で一番意志の強さを発揮した時だった。

電車の中でウォークマンを聞いている若者のヘッドフォンから「シャカシャカ音」が漏れてくるのを、人は大変迷惑がる。暴走族の騒音も迷惑がる。スモーカーも一丁前に迷惑がる。だが、私はそれらを迷惑がるスモーカーに「アンタにそれを言う資格はない!」と宣言したい。

音も、煙も、臭いも、垂れ流しということに関しては同じなのだ。

「シャカシャカ音」や騒音を迷惑がるならば、自分もタバコを止めなければならない。「人の振り見て我が振り直せ」というではないか。それができなければ、それは「独りよがり」というものだ。

スモーカーの多くは、自分自身の健康問題については、開き直っている。それについては、趣味の問題だから、なんとも言えない。

しかし自分の健康は開き直れても、「周囲の人の健康問題まで、アンタは開き直れないだろう!」と言わなければならない。さらに「アンタが開き直ったおかげで発生する医療費の増加も、国民全員の負担増になるんだ!」とも指摘しなければならない。

タバコが好きだという人に、どうしても止めろと言う権利は、誰にもない。しかし人に迷惑をかけるような喫煙は止めろと言う権利は、誰にでもある。そして困ったことに、喫煙というのは大概は人に迷惑がかかるものなのである。

だからどうしてもタバコを吸いたい人には、密室のみで喫煙し、人前に出るときは消臭スプレーを身にふりかけ、さらに多少具合が悪くなっても、医者にかかるのを我慢するくらいに、ストイックになってもらわなければならない。

それがイヤなら、禁煙してもらうしかない。

私は自分にできないことを他人に強要しない。私だってできたのだから、他人にも言うのである。

 

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2002年10月 2日

昨日から千代田区の路上喫煙禁止

風ネタで 1日遅くなったが、千代田区での路上喫煙の禁止条例について一言触れたい。

本来、路上喫煙はマナー違反であり、それを条例で取り締まらなければならないというのは情けない話だ。

私は昨年まで神田のオフィスに通勤していたので、あの辺りの事情には詳しいのだが、神田駅で降りた通勤客の多くは、駅から出ると待ちかねたようにタバコに火を点けて歩き始める。

それが朝の人ごみだから、大変な迷惑なのである。喫煙者にはわからないだろうが、人ごみで歩きながらタバコを吸うと、吐き出した煙が、モロに後ろを歩いている人間の顔にかかる。とくに私は長身なので、吐き出されたタバコの煙が上ってちょうどわたしの顔にかかってくる。

>これは大変に失礼な行為である。タバコの煙の嫌いな人間の顔に直接煙を吐きかけているようなものなのだから。私なんぞは後ろからどつき倒したくなるのを我慢していたのである。

今回の規制に対する喫煙者の反応を見ても、皆「タバコを吸ってなんで悪いの?」 というようなイケシャアシャアとしたものだった。

お前ら、自分がどんなに迷惑かけてるのか、ちっとも自覚してないなぁ! と一喝してやりたい気分になった。

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台風が来てもバカボンパパでいよう

平静 14年もついに最後 3ヶ月に入ったと思ったら、戦後最大級の台風とやらがやってきた。

今年は台風がよく関東に上陸する年だ。今回のは足早に通り過ぎたが、帰宅の足が滅茶苦茶になった。

台風接近の特例措置で、会社をいつもより早めの5時頃に出たのだが、上野に着いた時には常磐線がストップしていた。

そこで、家に「今日は観念して、都内のビジネスホテルにでも泊まることになると思う」とケータイで連絡を入れたのだが、まもなく「ニュースで運転再開と言ってるわよ」と折り返しが来た。

これが運のツキで、それから先は当サイトのBBSにも書いたように、我孫子で延々と足止めを食っているうちに、ひょっこりと長女と一緒になり、親子でクタクタになって家にたどり着いた。

自分だけの都合で言えば、ホテル泊まりの方が楽だったかもしれないが、そうなると、長女が駅から我が家に戻るアシがなくなるし、無事に帰りつけたおかげで、こうして日付は変ってしまったが「今日の一撃」の更新もできた。よしとしよう。

何でもかんでも「これでいいのだ」と、バカボンパパのように思っていれば、あまりストレスもたまらない。

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