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2002年12月に作成された投稿

2002年12月30日

「良いお年を!」

年末はいつも忙しい。会社は休暇に入っても、年賀状書きや大掃除で時間がどんどん流れていく。

大晦日は更新をせずに、年が変わってから 「初更新」 とさせていただきたいので、年内はこれが最後になる。

新年早々にこのサイトを立ち上げて、2~3ヶ月くらいは本当に淋しいアクセス状況だった。それが、毎日更新の 「今日の一撃」 を始めた頃から、だんだん訪問が増え始め、多少長く書き始めると、ますます活発になった。

こんな地球の片隅からの情報発信でも、毎日読みに来てくれる人が何人もいる。ありがたいことだ。やはり毎日シコシコ発信し続けることが、「結びの力」 につながるんだと感じている。「結びの力」 は相互の力だ。

バイト帰りの娘を、車で駅まで迎えに行った。年の瀬の県道は、いつもよりずっと暗い。商店や飲食店が早めに店じまいするからだ。皆、帰宅を急ぐ。年末年始は、とてもドメスティックなイベントだと思う。

冒頭に書いたとおり、次の更新は年明け早々にさせていただくので、お約束のご挨拶。

「皆さん、良いお年を!」

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2002年12月29日

年賀状作り

ようやく年賀状を書き始めている。宛名書きは 「筆まめ」 に任せきりだ。

文面の方は MS-Word で凝りまくっている。2台あるパソコンラックの片方は、インクジェットプリンタの動きで、グラグラ揺れっぱなしである。

パソコンのおかげで、年賀状作成が本当に楽になった。とはいえ、「筆まめ」 のソフトに入っている文面そのままなどということは、プライドにかけてもしたくないので、案外時間はかかる。そのうえ、かならず肉筆で一言書き添えることにしているので、結構たいへんだ。

近頃、年賀状は一枚も書かないという人も増えてきた。新年の挨拶はE-メールで十分というのである。確かにその気持ちもわかるが、あえて不便なメディアを使うところが、「正月」 という 「ハレ」 の機会と思っている。

しばらくは年末の 1日をつぶして年賀状作成を続けることになりそうだ。

知り合いの染色作家の先生は、毎年数百枚の賀状を全て筆書きする。「ボールペンだの万年筆だのは、疲れるから、筆が一番だね」 などと平気でおっしゃる。こういう達人には到底太刀打ちできない。

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2002年12月28日

認識はネットワークシステム

複雑系経済学によると、人間の認知活動は、自分を含めた 「社会的マトリクス」 の中で起きているという。

これを 「分散認知」 といい、人の記憶もいろいろな言葉、記号などにバラけた形となっているもののようだ。

例えば、私は赤穂浪士の討ち入りの日付を、普段は知らない。知らないがいつでも思い出せる。

三波春雄の声色をすれば、「時は元禄十五年十二月十四日 …… 」 とスラスラと出てきて、「あぁ、そういえば12月14日だった」 と認識することができる。

歴史の年号を憶える語呂合わせなども、この類で、「ウグイス鳴くよ、平安京」 「いい国造る鎌倉幕府」 なぞは、国民的シンボルである。

初めて見るドアでも、引くのか押すのか、一目でわかる。押し板がついていれば押し、引くための取っ手が付いていれば引けばいい。これも 「社会的マトリクス」 の一つだ。

こうして考えるだけで、人間は孤立して存在しているのではないとわかる。私は 「パソコンは脳みその大腸菌」 と書いたが、人間存在そのものが 「ネットワーク・システム」 だったのだ。

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2002年12月27日

クローン人間誕生?

世界初のクローン人間が誕生したと伝えられたが、まだ具体的な情報は入っていない。

専門家の間では疑問視されているようだ。しかし今回はガセだとしても、いずれ実現してしまうのは確実だ。

クローンというのは、他の哺乳類の例を見ると、出産時の生存率が低かったり、病気がちだったり短命だったりと、かなり問題が多いらしい。しかし、より大きな問題とされているのは、倫理上の問題だ。

単に同一の DNA を持った人間というのなら、いくらでも例がある。一卵性双生児がそうだ。しかし、いくら一卵性双生児でも同じ人間にはならない。かなりの部分で似ているが、まったく同じというわけではない。

私なぞは、「物質的な遺伝子は同じでも、そこに宿る 『霊 (たましい)』 が違ってしまうから」 と解している。見た目はそっくりでも、内面は違ってしまって当然だろう。

クローン人間はいくら禁止しても、どこかで必ず生まれてしまうだろう。科学者の探究心と、子供を授かれない人が 「どんなにしてでも子供を生みたい」 とする欲求がある限り、倫理や法律では全面的に止めるというのは無理のような気がする。

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2002年12月26日

騙し続けて欲しかった

今朝、勤務先のビルのロビーに飾られていたクリスマスツリーを、業者が細かく切り刻んで撤去していた。

てっきり本物のモミの木と思っていたのだが、切り刻まれた断片を見て、初めてプラスチックの偽物と知った。

よくできた偽物だった。約1か月間、見事に騙されていた。

しかし、願わくば、切り刻むのは、撤去してから目立たないところで作業してもらいたかった。最後の最後であんな舞台裏を堂々と曝け出されては、興醒めだ。

昔の歌に 「どうせ私を騙すなら、騙し続けて欲しかった」 というのがあったが、なるほどそんな気持ちだ。

同時に、偽物を偽物と見抜けなかった自分がちょっと情けなく思えた。よく見れば、いくらなんでも本物とは違うことに気付いていたはずだ。毎日眺めていながら、全然きちんと見ていなかったわけだ。

「本物を見る眼」 は、使わなければ養われない。

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2002年12月25日

クリスマスの終わりに

イブは、早目に帰宅する人で、電車が夕方から混み合ったが、今日は一転して、都心が夜遅くまで賑わった。

ところが郊外の自宅近くまで戻ると、潰れた店舗やガソリンスタンドが海底の沈没船のように夜闇に潜む。

これが、21世紀初頭の日本の年の瀬の姿だ。都心を彩るイルミネーションは不況を忘れさせるが、その幻想を支えるために、周辺はゴーストタウンと化す。

一時は、「ドーナツ現象」 と呼ばれ、都心の空洞化が懸念された。しかし、今は新丸ビルや汐留駅付近の再開発に代表される都心の建設ラッシュで、様相は逆転した。裾野を枯らして山頂だけが潤うという状態だが、こんなことが長続きするはずがない。

もうすぐ羊年が明ける。前の羊年は、バブルが終わりかけた頃だった。ということは、この不況も一回りしてしまうのである。普通に考えたら、そろそろ、放っておいても回復せざるを得ない頃だ。

経済さえ回復すればいいというわけではないが、誰もが余計な心配をしなくて済むように、来年がいい年になるように、クリスマスの一日の終わりに夜道を辿りながら祈った。

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2002年12月24日

何が "Real" なのか

英国BBCの放送したドキュメンタリードラマ「聖母マリア」に、世界中から抗議の電話が殺到しているという。

「マリアはローマ人兵士にレイプされてイエスを身ごもった」と受け取れる場面を放映したためだ。

バチカン市国の広報官も「真実をねじ曲げた罪深い番組」と抗議声明を発表した。

一方、22日付の英日曜紙サンデー・テレグラフの独自調査によると、英国国教会の聖職者のうち、4分の1以上は「処女懐妊を信じない」とする「現実派」であるらしい。

私としては、「処女懐胎」を否定する立場でのドラマが作られようと、それはそれである種の表現行為だと思うので、一概に否定したくはないが、少なからぬ聖職者までがそれに懐疑的であることに驚いている。

聖母マリアの「神聖受胎」は、新約聖書の根幹的なコンセプト(「概念」という意味と「妊娠」という意味の両方で)である。よくまあ、自分自身が信じてもいない教義を、いけしゃあしゃあと説くことができるものだ。

私自身は神秘主義大好きな人間なので、聖書に書いてあることは 処女懐胎でも、イエスが水の上を歩いたことでも、ほんの少しのパンを大勢に分け与えてもまだ残ったということでも、そのまま受け入れている。

「現実にあったこと」というよりも、人々がそう受け取ったということを信じているのだ。そうした信念の前では、「現実」などというのは、ほとんど「現実味」がない。「現実」ほど頼りなく、実体のないものはない。

サンデー・テレグラフの記事の「現実派」とは "realists" の訳だろうが、何が "real" であるのかは、表面的な観察では追いつかない。

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2002年12月23日

心がけと天気

ここぞという時に天気がいいと、よく 「心がけがいいから」 などというが、私は案外それを信じている。

先週半ば時点の週間天気予報では、12月23日は曇りと雨のマークだったが、晴れるものと疑わなかった。

だって、天皇誕生日だもの、晴れるさ - と、単純に疑わず、前もって当欄で予言しておいてもいいと思うくらいだったが、少々遠慮もあって書かないでいた。それでも、終わってみればやはり快晴だった。

そういえば、11月 3日 (明治節に端を発した文化の日) も、晴れの特異日として有名だ。

別に何の根拠もないが、天候というのは、案外人間の心象を反映するものと思っている。近頃の天気が極端から極端にブレるのは、人の心もそんなような具合だからだろう。

人の 「想念」 というのもエネルギーだから、共通した想念が増幅されれば、類似した自然現象、社会現象が現出しても、何も不思議はない。

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2002年12月22日

人名表記の事大主義

18日の本欄にも書いた韓国人の名前の読み方表記だが、実は、盧泰愚元大統領が、日本のマスメディアでは 「ノテウ」 なのに、Newsweek誌では "Roh Dae Woo" と表記されていた頃から、かなり疑問に感じていた。昨日や今日の話ではない。

日本を出てわかること」 という出色のサイトを運営している Rick 氏によると、どうも英米メディアの表記は、中国語読みをそのまま単純に英文表記しているとみられる節があるらしい。

となると、韓国人というのは、自分たちの名前を、日本語読みされると腹を立てるが、中国語読みされてもおとなしくしているという 「事大主義」 の人たちのようだ。

本来ならば、固有名詞を自国語の流儀で読んでも非難されるに当たらないというのは、世界の常識である。英米人が 「イエズス」 を 「ジーザス」 と発音しても、「カエザル」 を 「シーザー」 と発音しても、誰も非難しないのである。

然るに、この問題に関して、韓国人だけが日本人だけを非難するというのは、どう考えても幼児的な所業と言わざるを得ない。どうしても現地主義の発音で徹底したいのなら、英米人にも 「ジーザス」 ではなく 「イエズス」 と発音するようにねじ込まなければならないではないか。

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2002年12月21日

「ババァ」発言の背景

石原都知事が 「ババァ発言」 で都内 119人の女性に訴えられたという。

しかしながら、政治の場でなされた文学的表現を、単に政治的視点から取り上げて問題視しても、結局は不毛に終わることに気付くべきだ。


これは「女性蔑視」 などという単純でステロタイプな問題ではなく、東京都の「東京女性財団」に対する財政援助の停止決定にともなう解散決議という、極めて政治的な問題とのリンクで表面化している。

だから今回の訴訟問題は、「石原都知事は、女性蔑視のひどい男なのよ。 彼は女の味方の 『東京女性財団』 を潰した張本人なのよ。だから、あんな男に都政は任せられないのよ」 というプロパガンダの一環であると、認識しておかなければならない。

そうしたポリティカルな視点を別にすれば、彼の「ババァ発言」は、煎じ詰めれば、単に遺伝子の継承のためにのみ生きている動物と、それだけで満足せず、確実に地球の破滅につながる物質文明、文化を営々と築いてきた人間とでは、どちらに意義があるのだろうかという、極めてプリミティブな幸福論に立脚した文学的表現に過ぎないのである。

要するに、「ババァ」という存在が生殖機能を失ったにも関わらず大きな顔をしていられるのは、物質文明や文化の発展が、単なる種の保存以上に意義があるという哲学に支えられているからなのだ。石原氏の言うのは、その哲学を根本から覆して、地球を滅ぼす要因のシンボルとして捉えることだってできるというストーリーである。

彼は政治的な波紋を確実に巻き起こすだろうとわかっていながら、こうした文学的表現を平気でするところがある。ある意味で、それも一つの政治的手法と言えるのだが。

ポリティカルな視点は文学的視点に比べれば常に薄っぺらであると宿命付けられているので、石原氏にとっては、何を言われようと痛くも痒くもないということになる。

それにしても、毒蝮三太夫が「ババァ」を連発しても誰も怒らないのに、石原氏が言うと裁判沙汰になるというところが、世の中の面白いところである。

 

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2002年12月20日

金大中氏の平和な晩年

韓国の大統領選挙は、与党候補の盧武鉉 (ノムヒョン = Roh Moo-hyun) 氏が、鄭夢準氏の支持ドタキャンにも関わらず、勝利した。

これで金大中氏も、平和な晩年を送れる可能性が高まっただろう。

今月15日の本欄に書いたように、韓国の大統領経験者は、その職を退いた途端に、とんでもない境遇に陥るケースが圧倒的に多い。しかし、今度ばかりは金大中氏に静かな晩年を送ってもらいたいという、韓国民の無意識の選択が働いたのではないかと勘ぐってしまう。

盧武鉉氏が当選したのは、彼の政策が支持されたというより、金大中氏の後継者とみられたことが大きいだろう。なにしろ、韓国初のノーベル賞、しかも平和賞受賞者の政策を引き継ぐというのだから、これまでとはちょっと別だ。

もし李会昌 (イフェチャン = Lee Hoi-chang) 氏が当選していたら、さしものノーベル賞受賞者も、妙ないいがかりで逮捕されてしまいかねない。さすがに、そうした事態は避けたいということだったような気がするのである。

とは言いながら、とんでもないどんでん返しがあるかもしれないが。

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2002年12月19日

飲酒運転取締り強化

酒気帯び運転の取締りがことのほか厳しくなったようで、私の周りでも、20万円の罰金を取られたとか、ワゴン車に乗った 6人合計で 120万円取られたとかいう話が飛び交っている。

おかげで田舎の飲み屋は大打撃だ。

確かに、最近の取り締まりは念が入っている。以前は、夜道で懐中電灯を振りかざした警察官に停車を命じられても、向こうは慇懃無礼なまでの丁寧な態度で、「夜遅くまで、ご苦労さまで~す。お酒なんか、召し上がってらっしゃらないですよね~」 なんて言って来たもので、「飲んでませんよ」 というと、「失礼しました~」 とにこやかに見送ってくれたものだ。

ところが、最近は態度もやや高圧的で、こちらが運転席の窓を開けると、のっけから 「飲酒運転の取締りです」 と来る。「飲んでないですよ」 と言っても、「一応、ニオイだけね」 とか言いながら、顔を突っ込んでくる。そんなことが、最近何度かあった。

これだけ厳しく取り締まれば、確かに飲酒運転は減るだろう。しかし、それならば、ウィークエンドの真夜中にけたたましい騒音を響かせて周辺住民の安眠を妨害する暴走族の迷惑行為も、同じくらい厳しく取り締まってくれないかなぁ。

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2002年12月18日

韓国の人名の読み

大接戦の韓国の大統領選挙だが、前から不思議に思うことがある。

2人の候補者の名が、日本では 「盧武鉉(ノムヒョン)」 「李会昌(イフェチャン)」 だが、英語では "Roh Moo-hyun" と "Lee Hoi-chang" なのだ。

韓国人は韓国の人名を日本語読みされるのをことのほか嫌うようで、「盧」 は 「ロ」 ではなく 「ノ」 であるとして、「ノムヒョン」 の読みを指定している。同様に、「李
」 は 「リ」 ではなく 「イ」 であるとして、「イフェチャン」 ということになっているのである。

それならば、何ゆえに英語圏のマスメディアに対しても "Roh Moo-hyun" ではなく、"Noh Moo-hyun" であり、"Lee Hoi-chang" ではなく "Yee Hoi-chang" であると主張しないのだろうか。

「盧」 という苗字を日本人に 「ロ」 と読まれると腹が立つが、英米国民ならば "Roh" と読んでくれて一向に構わないというのでは、公正さというものに欠けるのではなかろうか。

もちろん、実際の発音が 「ロ」 と 「ノ」 の中間的な音であるらしいということは承知している。「李」 も、「リ」 にも 「イ」 にも聞こえる音らしい。

しかしそれならば、日本語圏の表記だって、慣れ親しんだ 「ロ」 と 「リ」 であってどうしていけないのか。

少なくとも、日本人向けには 「ノ」、「イ」 なのに、英米向けには "Roh","Lee" であるということの納得いく説明がなければならないだろうと思う。

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2002年12月17日

「大つごもり」に向かって

「良いお年を」 の挨拶を交わす時期になったが、なんだかそぐわない。

街の 「ジングルベル」 も、忘年会も二次会も、時代の感覚に合わなくなった。年末だからといって、盛り上がらなければならない理由はない。

私は大晦日の NHK番組、「行く年来る年」 が好きだ。とくに、元旦の夜中の零時を迎えるまでの、日本各地の神社やお寺の厳粛なまでの静かな風情が好きで、山里のお寺の坊さんが一突きごとに額づきながら除夜の鐘を打つ姿なぞは、たまらなくなるほどだ。

元旦の零時の時報とともに、世の中は一変して、初詣客のごった返す正月モードに入ってしまうのだが、私はいつも、もう少し大晦日のしみじみモードに浸っていたいと思うのである。

12月がクリスマスや忘年会で浮かれる月になってしまったのは、いつ頃からなのだろう。大晦日は 「大つごもり」 である。「つごもり」 とは お月様が隠れることで、それだけに、浮かれずに心静かに過ごすべきなのだ。そろそろ、「つごもり」 モードに入って行くべき時期なのだろう。

バブルが弾けて以来、12月の街は喧騒がなくなってきた。案外これはいいことなのかもしれない。心静かに楽しみながら、バブルのリハビリに励めばいいのだ。

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2002年12月16日

ナイジェリア詐欺

「ナイジェリア詐欺」 というスパムメールをご存知だろうか?

"Urgent and Secret"(緊急かつ極秘) というメールが届くことがある。英文なので読まずに削除される場合が多いが、たいていは詐欺メールだ。

私は職場でインターネット関連のシスアドをしており、電話で言えば代表番号みたいなアドレスを管理しているので、ウィルスメールやスパムメールが毎日山ほど届く。その中でも一番多いのが、この 「ナイジェリア詐欺」 である。

メールの差出人は、ナイジェリアのとある族長の子孫ということになっており、政争で得た何千万ドルだかの秘密資金を、海外の安全な銀行口座に移したいと言う。そして、あなたの銀行口座を一時的に使わせてくれれば、1000万ドルを差し上げる。ついては、送金処理に必要な少額の 「手数料」 を負担してもらいたいという申し出である。

あまりに馬鹿馬鹿しい内容なのだが、実はこの詐欺は20年以上前から延々と続いている古典的なもので、まずは航空便、次いで FAXで蔓延した。そして近年にいたり、E-メールの普及で爆発的に広まっているのだという。そして、驚くべきことに、米国では昨年、報告されているだけで 16人がこれに引っかかり、合計 34万5000ドルが騙し取られた。日本円にして 1人当たり約200万円の被害だが、実際の被害規模は、少なくともこの10倍以上にのぼると見られる。

日本では 「M資金」 というのが有名だが、「ナイジェリア詐欺」 はこれと並んで 「N資金」 とも呼称される。「うまい話」 なんてないと何度言われても、騙される人は騙される。人間の業というのはよくよく深いものである。

ちなみに、どうしてこの話が 「ナイジェリア発」 なのかというと、同国は世界で最も政治的腐敗の進行している国として悪名高く、秘密資金なんてものが 「いかにもありそう」 なイメージをもたれているからなのだそうだ。

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2002年12月15日

韓国の大統領経験者

韓国大統領選挙は19日に実施されるが、私は誰が新大統領に就任するかよりも、現大統領の金大中氏の今後の方に興味がある。

あの国の大統領経験者は、後々ロクなことにならないからだ。


ざっと見ただけでも、李承晩はハワイに亡命を余儀なくされ、朴正熙は在任中に暗殺された。全斗煥は着任前の光州事件が 「クーデター」 だとして、まるで敵討ちのような逮捕。盧泰愚は不正蓄財で逮捕、金泳三は息子が逮捕されてイメージ失墜。いずれも幸福な晩年には程遠い。

金大中氏も、既に息子の逮捕でジワジワと窮地に追い詰められている。

この国は大統領がその地位から離れると、まるで 「積年の怨念を晴らす」 ような勢いで叩きにかかるように見える。

歴史から学ぶ姿勢さえあれば、誰もこの国で大統領なんかになりたくはないと思うだろう。経験則からして、大統領の職からの 「ハッピー・リタイア」 の可能性はほとんどないのだから、この選挙に立候補するなんて、私の感覚からすれば、相当の 「向こう見ず」 である。

盧武鉉氏と李会昌氏のどちらが当選するかは知らないが、二人とも、自分だけはハッピー・リタイアできるものと思い込んでいるのだろうか。

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2002年12月14日

「色」 について

まがりなりにも 「知」 をウリにしている割には、このサイトは 「色」 を多用している方だと思う。

モノトーン系で統一すれば、ソフィスティケイテッドな印象になるのは百も承知なのだが、あえて逆らっている。

80年代にコム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトがジャパン・ファッション・ブームを巻き起こしたときも、私は流行に逆らって、黒の洋服を着ずに、アース・カラーで通した。

私がモノトーンを避けるのは、多分、中学・高校時代の学生服への反感からだろうと思う。せっかくあの非人間的な制服から開放されたのに、同じような色の服を着ることには抜きがたい抵抗がある。かと言って、その反動で派手な色を使おうという気にもならない。

20年ほど前、ファッション・デザイナーの田山淳郎氏のインタビューをしたことがある。彼は 「モノトーンにこだわっているわけではないが、『安っぽい色』 は使いたくないだけ」 と言っていた。私はその主張にとても共感したことを憶えている。

彼は今、"OZOC" のプロデューサーとしてビッグになったが、色に関するポリシーは貫き通している。

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2002年12月13日

「ノーベル街道」

富山県が国道41号線を 「ノーベル街道」 として売り出そうとしている。

元々富山湾で獲れたブリを内陸まで運ぶ 「ブリ街道」 と呼ばれていたが、富山県出身の田中さんにあやかって、観光誘致を図りたいようだ。

なんでも、日本人のノーベル賞受賞者 12人のうち 4人までが、この道になんらかの関わりがあったというので、出世魚のブリにかけて、「出世街道で41(よい)道」 のキャッチフレーズで行くらしい。

しかし、よくよくニュースを読んでも、4人のうち 3人がこの街道沿いの出身か、暮らしたことがあり、あとは小柴博士の 「カミオカンデ」 があったというだけのことで、眺めて感動するようなゆかりのものが点在しているというわけでもなんでもない。

となると、これから 「○○記念館」 といった 「ハコ物」 を作らなければならない。投資しただけで、見返りがなかったなんてことになりかねず、あまり悪ノリしない方がいいような気がする。

商標権の問題さえなかったら、きっと街道沿いの土産物屋に 「ノーベル煎餅」 なんてのが出てくるだろう。案外それが一番安上がりの観光誘致策かもしれない。

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2002年12月12日

スモーカーの妙な被害者意識

たばこが 1本 1円、発泡酒が 1缶 10円の増税になるそうだ。たばこは 1本 2円の当初案が半額になったらしい。

ノンスモーカーとしては、1本 5円の増税でもいいと思うのだが、スモーカーの発言力はまだ強いようだ。

JTなどのたばこ会社で作る日本たばこ協会を初めとする関連団体が、共同で 「たばこ税ドットコム」 というサイトを持って、増税反対キャンペーンを行っている。

このサイトの 「皆様の声」 欄に、

これ以上価格が上がると禁煙するしかありません。何故好きなたばこを止めなくてはいけないのですか。
岩手県 男性・会社員 (52)
(H14.12.12 現在、同欄の上から2つめに掲載)

というのがある。こう言っては何だが、これは52歳にもなったオッサンのものの言い方として、とても恥ずかしい。

「何故好きなたばこを止めなくてはいけないのですか」 というが、誰も 「止めろ」 とは言っていない。自分で言い出して、自分で哀れがっているだけではないか。

妙な被害者意識だが、本当の被害者は、無理やり煙を吸わされる周囲のノンスモーカーであることを忘れてはならない。

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2002年12月11日

4000アクセス突破

今日は今年最初の忘年会があって、11時過ぎに帰宅したところ、トップページのアクセスカウンターが 3999 になっている。

誰かが 4000 にしてくれるまで、身動きできなくなってしまった。

とかなんとか言っているうちに、無事に 4000の関所は通過されたようで、ほっとした。前回の 3000 突破が 11月20日だったので、ほぼ 3週間で 1000 増加ということになる。

来月、つまり来年の最初の月の16日が当サイトの 1周年なので、その頃には多分 5000の大台を達成できそうだ。

なにも数字にこだわっているわけではないが、数字が増えるたびに、そのうちの何人かは心の通じる 「仲間」 として、また再訪してくれるのがうれしい。

サイトをもったことで、これまで出会えなかった人との新しい出会いがあった。「おぬし、なかなかやるな!」 と言いたくなるような、中身の濃い出会いである。

このサイトのリンク関連のコーナーには 「『結び』 の力」 というタイトルをふってある。「結び」 とはいいものである。

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2002年12月10日

地吹雪体験は心の財産だ

季節ネタは翌年も同じことを書いてしまいそうなので、なるべく避けているのだが、それにしても寒い。

関東の雪が止んだら、田舎の酒田では今、一面雪野原になったと、父が電話で言っていた。

東北の日本海側から東京に出てきて、最初の冬を迎えた時、「どうして冬なのに、こんなに上天気が続くんだぁ!」 とたまげた。

それまで、冬といえば地吹雪の中を真っ白になって歩いていたのである。東京の冬は天国だと思った。ところが、最近になって、あの地吹雪が妙に懐かしくなることがあるから不思議だ。

東北人は粘り強いと言われる。粘り強いというよりは、それは仕方なく身に付いたものである。例えば、吹雪の中でも、一歩ずつ歩いて行きさえすれば、そのうちには目的地に着けるものと、経験上わかっている。いくらドカ雪が降り積もっても、端から少しずつ雪かきしていけば、そのうち全部かき終わる。

要するに、少しずつでも続けていさえすれば、いつかはやり終える。どんな大変そうな仕事でも、一目見て、「こりゃダメだ」 とは思わない。まずは端からとりかかる。こつこつやっていけば、いつかは完成する。

東北の日本海側に生まれたおかげで、こんなにも超楽観的な思想を身に付けることができた。地吹雪もいいものだ。

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2002年12月 9日

専門家と素人のギャップ

関東に雪が降った。確か中長期予測では暖冬のはずだが、かなり寒い。

しかし、この雪は冬型というよりは早春型の降り方なので、暖冬傾向の一つの現れであると、気象予報士が力説していた。なるほど理屈だ。

理屈ではあるが、それでは庶民は納得しない。番組の司会役も、「だって現に寒いではないか」 と突っ込みを入れる。「確かに今日は寒いが、冬を通した平均を取ってみれば、きっとそれほどでもないと思う」 と、気象予報士は応じる。それでも、割り切れない思いは残る。

ことほど左様に、専門家と素人の見方にはギャップがある。

3年前に発生した東海村の臨界事故について、専門家の忌憚ない話を聞く機会があった。彼は事故発生のニュースを聞いて、「臨界事故ならば、その現場ではかなり多量の被爆があるだろうが、それほど大きな広がりにはならないはずだと、すぐに思った」 と言う。専門家ならではの冷静な見方だ。

しかし、現実にはかなり広い範囲で住民は外出を控え、まんじりともせず一夜を過ごした。その間、インターネット上ではさまざまなデマや流言飛語が飛び交い、不安を募らせた。たとえ、その時に専門家の見解が表明されたとしても、その不安は決して納まらなかったのではなかろうか。かえって火に油を注ぐ結果になったかもしれない。

素人感覚というのは、とても力が強い。世の中のほとんどは 「素人」 だからだ。素人を納得させることのできるのが、本当の専門家というものだ。

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2002年12月 8日

ジョンの命日

今日はジョン・レノンの命日だ。

22年前の今日、車を運転していて、ジョンの殺害のニュースを聞き、ショックのあまり、車を左側に寄せて停車した。そのまま30分ぐらい動けなかったのを思い出す。

ジョン・レノンに 5発の銃弾を打ち込んだのは、マーク・チャップマンという男だ。当時、「ちゃっぷまん」 というギャグ漫画が流行っていたので、「なんでこんなふざけた名前の男に、俺の夢を壊されなければいけないんだ」 と思った。

ところが、夢は壊されたわけではなく、ジョン・レノンは死んでますます大きな伝説になってしまった。これが良かったのか、悪か
ったのか、誰にもわからない。

チャップマンはジョン・レノン殺害の動機を聞かれて、「僕は自分自身でない誰かになる方法を探していました。誰かから愛されるような」 と語った。

確かに、彼は自分自身でない誰かになれたような気がしたかも知れない。しかし、それは幻想でしかない。そして、それによって誰かに愛されたとも思えない。いい気分になれたとも思わない。

そもそも 「自分自身でない誰か」 なんて、この世にいないのだ。 すべて自分自身の心の反映なのだ。

初めてニューヨークに行ったのは、この事件から 1年も経たない 1981年の 10月。ダコタハウスの前で、やはり動けなくなった。

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2002年12月 7日

味覚の衰え

一説によると、人間は60歳になると味覚を感じる器官の 「味蕾」 が、20歳の頃の半分に減ってしまうと言う。

60歳にはまだまだ間があるが、そういわれれば、確かに私の味覚も、近頃少々衰えているような気がする。

それを感じるのは、とても微妙な味わいのものを食べた時だ。「この食べ物は、このような味がするはずだ」 という、いわば 「味の記憶」 が働いて、それを確認しようとするのだが、その通りの味覚が得られていないような気がするのである。

人間は歳をとると 「記憶」 によって食べ物を味わうというが、本当にそんな気がする。それだけに、味覚がちゃんとしている若いうちに、きちんとおいしいものを食べておくことが大切だと思う。

「味蕾」 による 「純粋味覚」 が衰えた分、全体的な 「食感」 で食べ物を楽しむようになった。「食感」 とは、硬さ、柔らかさ、ねばり、あっさり感、喉ごし、舌触り、コシなどなどである。「そば」 なんぞは、まさに喉ごしで食うものだけに、これからますます蕎麦好きがつのっていくだろう。

要するに、素材そのものの持つ自然な食感で食べ物を評価するようになり、いろいろな調味料を駆使したソースのようなものは、今イチわからなくなってしまうことになると思われるのだ。

それならそれで、結構だという気もする。単純でシンプルな食べ物で楽しめばいいのである。

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2002年12月 6日

ウェブに日付は大切

ウェブの世界では、「今年の夏は暑かった」 とあるから、「本当だよなぁ」 と思いながら読み進んでいると、一昨年の夏の話だったりする。

現在形で書き込んでも、すぐに過去形になるのが怖いところだ。

この世界では、案外 「日付」 というのがおろそかにされている気がする。日記サイトなどではきちんと表示されているが、1ページをまるまる使った読み物では、結局いつの時点の情報だかわからないことが多い。

そのサイトのトップページの "What's New" に行かなければわからなかったり、その "What's New" 自体も、古くなると履歴から消えてしまうことがあったりするので、注意してかかる必要がある。とくに、「腐りモノ」 の情報には、「日付」 は絶対に必要だ。読んだ人が新情報と勘違いして喰らいついて、結果、精神的下痢になったりしないように、計らわなければならない。

当サイトでは、その点だけは律儀に気をつけて、ありとあらゆる情報に日付を入れるように心掛けている。西暦でないのは、私のポリシーである。

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2002年12月 5日

「ライ麦畑」 の新訳

「ライ麦畑でつかまえて」 の新訳が出るそうだ。今度の翻訳は村上春樹氏らしい。期待していいかもしれない。

と言うのは、これまでの野崎孝氏の訳は、はっきり言ってあまり好きじゃないからだ。

その昔、米国のサリンジャーという作家の 「ライ麦畑でつかまえて」 という小説がとてつもなく面白いと聞いて、さっそく翻訳で買い求めたが、読み始めたらつまらなくて、10ページも行かないうちに放り出した憶えがある。

それからしばらくして思い直し、ペーパーバックで買い直して再挑戦したら、これがちゃんと面白い。あれよあれよという間に読み終えた。原書の面白さを翻訳でもきちんと伝えるというのは、大変な作業なのだと実感した。ちなみに、これが私が最初に原書で読了したアメリカ小説となった。

聞くところによると、野崎氏の訳は 「大人はわかってくれない」 というトーンで一貫しており、それに対して村上氏は 「わかり合うのは難しいが、それでも語りかける」 というコンセプトで翻訳するそうだ。なるほどねと思った。

ところで、「ライ麦畑でつかまえて」 というのは、スコットランド民謡 "Comin' thro' the Rye" (ライ麦畑を通り抜け) をベースにしている。曲は 「故郷の空」 、あるいはドリフターズの 「誰かさんと誰かさんが麦畑」 と同じ。原曲の詩は、ドリフターズの歌の方にずっと近い。

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2002年12月 4日

ネスケ 7.0 はいい

私はインターネット・ブラウザーは IE ではなく Netscape を使っている。紛れもないネスケ派である。

最近、ようやく Netscape Ver.7 にアップグレードしたのだが、なかなか使い勝手がいい。

まず、何より表示の美しいのがうれしい。エッジ感の際立つ表示というか、シャープでいながら、ナチュラルさも忘れていないという感覚がうれしい。私好みである。

起動も素早い。タスクトレイに常駐させる選択もあるが、そんなことをしなくても、Ver.6 より確実に速くなった。タブ・ブラウザーというのもなかなかいいものだ。次々と新しいウィンドウを立ち上げなくて済む。

これは悲喜こもごもなのだが、表示がIEに近い感覚になったのも、ありがたいといえばありがたい。自分のホームページの表示を確認するために、IE とネスケの両方で見てみるのだが、世の中は IE ユーザーの方が圧倒的に多いので、つい、IE 寄りの作りをしてしまうことが多い。それをネスケで見ると、少々間の抜けていることがあって、悲しい思いをしてきたのである。

ネスケ Ver.7 の場合は、IE寄りに作りこんだページを見ても、それほど間の抜けた感じがしない。それどころか、なかなかキリリとした感覚である。

そういうわけで、ネスケ Ver.7 は、なかなかのお奨めだ。インターネット・ブラウザまで MS に牛耳られるのは、真っ平御免なのである。

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2002年12月 3日

洒落の通じない世の中

やや旧聞めくが、10月24日の本欄に書いた遠野の河童は、日テレの 「ヤラセ」 とわかり、「電波少年」 は非難ゴウゴウだそうだ。

なんと洒落の通じない世の中になってきたものではないか。

鳩山由紀夫氏の講演会にママさんコーラスを乱入させたのもこの番組で、これは鳩山氏が烈火のごとく怒って、放映は中止になったそうだ。

鳩山さんも、もう少し洒落のわかる人だったら、今回のような失態は演じなくて済んだだろうに。歌が終わったところで、コーラスの一人一人と笑顔で握手でもしてみせる余裕があったら、きっと株が上がっていただろう。惜しいチャンスを逃したものだ。

どうせ下らない番組なのだから、マジに怒ったらそれこそ 「無粋」 のきわみである。日本人は 「無粋」 は好きじゃないのだ。

遠野の河童騒動では、地元の人は 「遠野の河童は顔の赤い 『赤河童』 だから、あれとは違う。初めからわかってたよ」 と余裕を見せているそうだ。それでこそ大人というものだ。

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2002年12月 2日

政治の世界はラッシュアワーの電車以下

世の中の問題は、傍からだとよく見える。「こうすれば、簡単に解決できるのに」 と思えるが、渦中の当事者たちにはそれがわからない。

だから、世の中は一足飛びには良くならない。改革には時間がかかる。

ラッシュ時の電車の中を思い浮かべるといい。どっと乗り込んできたばかりの乗客たちの多くは、かなり無理な体勢である。そのままの姿勢が続いたら、相当しんどいだろう。

しかし、電車の揺れに身を任せているうちに、押し合いへし合いの阿
鼻叫喚も自然にバラけてくる。お互いに、ほんの少しずつ譲り合っているうちに、誰がリードしたわけでもないのに、落ち着くべきところに落ち着くのである。

もし満員電車の中で、誰かが上から眺めて 「はい、そこの黒いコートの人、半歩右に! そのとなりの人、右に向きを変えて!」 などと 「指導力」 を発揮して
も、誰も言うことをきかないだろう。

よしや全員が指示に従ったとしても、結果がうまく行くとも思えない。
 現実の社会もそんなものだと思えばいい。

誰がどうこうしたわけでもないのに、自然に落ち着くところに落ち着くのでなければ、世の中というのはまともには動かないもののようだ。

最近の民主党を見ていると、どっと乗り込んできたばかりの乗客同士の、押し合いへし合いにしか見えない。実際には乗り合わせてから相当の時間が経っているのに、まだ押し合いへし合いしている。

自然の譲り合いをしないで、肩肘張って突っ張るからである。政治家は、ラッシュアワーの乗客以下と言われても、反論できない

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2002年12月 1日

師走と別次元の時間

ついに師走だ。1年がこんなに早くてはかなわない。

この季節、喪中のお知らせがポツポツと届く。これまでは親の喪中というのが多かったが、配偶者の喪中というのも出てくる。人の一生も早い。

一生が早いといって、生き急いではもっと早くなってしまう。これ以上早くなっては追いつくのもかなわない。

今日、車を運転しながらラジオを聴いていたら、「映画を見たいか、演劇を観たいか、100人に聞きました」 というのをやっていて、なんと、100人中91人が 「映画を見たい」 と答えていた。その理由は、時間がないからとか、気軽に見られるからとかいうのが大半だった。

聞いていて、「時間なんか、作れよ!」 と言いたくなった。 「気軽に見られるのと、観て気軽になるのとは違うだろう!」 。

私なら、1日暇な時間ができたら、映画のハシゴなんかせずに、朝から (実際は昼前から) 晩まで歌舞伎座で過ごすだろう。なにしろ、歌舞伎は別世界である。時間の流れが違う。たゆとうごとくのゆったりとした時を、夢幻の舞台空間を前にして、酒を飲み、弁当を食いながら過ごす。

普段はドッグイヤーの中に暮らしているのだから、時にはこんな風にして時間感覚の調整をする必要がある。

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