「ババァ」発言の背景
石原都知事が「ババァ発言」で都内 119人の女性に訴えられたという。
しかしながら、政治の場でなされた文学的表現を単に政治的視点から取り上げて問題視しても、結局は不毛に終わることに気付くべきだ。
これは「女性蔑視」などという単純でステロタイプな問題ではなく、東京都の「東京女性財団」に対する財政援助の停止決定にともなう解散決議という、極めて政治的な問題とのリンクで表面化している。
だから今回の訴訟問題は、「石原都知事は、女性蔑視のひどい男なのよ。 彼は女の味方の 『東京女性財団』 を潰した張本人なのよ。だから、あんな男に都政は任せられないのよ」というプロパガンダの一環であると、認識しておかなければならない。
そうしたポリティカルな視点を別にすれば、彼の「ババァ発言」は、煎じ詰めれば、単に遺伝子の継承のためにのみ生きている動物と、それだけで満足せず、確実に地球の破滅につながる物質文明、文化を営々と築いてきた人間とでは、どちらに意義があるのだろうかという、極めてプリミティブな幸福論に立脚した文学的表現に過ぎないのである。
要するに「ババァ」という存在が生殖機能を失ったにも関わらず大きな顔をしていられるのは、物質文明や文化の発展が、単なる種の保存以上に意義があるという哲学に支えられているからなのだ。石原氏の言うのは、その哲学を根本から覆して、地球を滅ぼす要因のシンボルとして捉えることだってできるというストーリーである。
彼は政治的な波紋を確実に巻き起こすだろうとわかっていながら、こうした文学的表現を平気でするところがある。ある意味で、それも一つの政治的手法と言えるのだが。
ポリティカルな視点は文学的視点に比べれば常に薄っぺらであると宿命付けられているので、石原氏にとっては、何を言われようと痛くも痒くもないということになる。
それにしても、毒蝮三太夫が「ババァ」を連発しても誰も怒らないのに、石原氏が言うと裁判沙汰になるというところが、世の中の面白いところである。
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