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2002年12月24日

何が "Real" なのか

英国BBCの放送したドキュメンタリードラマ「聖母マリア」に、世界中から抗議の電話が殺到しているという。

「マリアはローマ人兵士にレイプされてイエスを身ごもった」と受け取れる場面を放映したためだ。

バチカン市国の広報官も「真実をねじ曲げた罪深い番組」と抗議声明を発表した。

一方、22日付の英日曜紙サンデー・テレグラフの独自調査によると、英国国教会の聖職者のうち、4分の1以上は「処女懐妊を信じない」とする「現実派」であるらしい。

私としては、「処女懐胎」を否定する立場でのドラマが作られようと、それはそれである種の表現行為だと思うので、一概に否定したくはないが、少なからぬ聖職者までがそれに懐疑的であることに驚いている。

聖母マリアの「神聖受胎」は、新約聖書の根幹的なコンセプト(「概念」という意味と「妊娠」という意味の両方で)である。よくまあ、自分自身が信じてもいない教義を、いけしゃあしゃあと説くことができるものだ。

私自身は神秘主義大好きな人間なので、聖書に書いてあることは 処女懐胎でも、イエスが水の上を歩いたことでも、ほんの少しのパンを大勢に分け与えてもまだ残ったということでも、そのまま受け入れている。

「現実にあったこと」というよりも、人々がそう受け取ったということを信じているのだ。そうした信念の前では、「現実」などというのは、ほとんど「現実味」がない。「現実」ほど頼りなく、実体のないものはない。

サンデー・テレグラフの記事の「現実派」とは "realists" の訳だろうが、何が "real" であるのかは、表面的な観察では追いつかない。

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