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2003年1月25日

差別の助長とは?

選挙で当選するとだるまの目を入れる風習に、視覚障害者団体が 「差別を助長する」 と廃止を要請したという。

この風習がはたして、本当に 「差別を助長」 しているだろうか。別に廃止しても死活問題ではないだろうが。

申し訳ないが、首をかしげてしまった。誤解を恐れずに言わせてもらえば、こういうことを言い出したら、かなり不自由な世の中になる。そもそも、だるまという人形の形状自体が、その気になれば 「差別的」 と言えないこともない。

また、例えばプロ野球選手の 「打撃開眼」 などという比喩的な言い方はどうなるのか。

そうしたことで被差別感をもつ人は、確かに存在するのかもしれない。多分、まったく気にしない人の方が多いのだろうが、気にする人が一人でもいるとしたら、問題なのかもしれない。しかし、一人が気にするからといって問題視したら、問題にならない言い回しや風習は、案外少ない。

「見苦しい」 とか 「人聞きが悪い」 などという言い回しだって、下手をしたら差別用語になりかねない。

"アメイジング・グレイス"というとてもポピュラーな歌には、 "I was blind, but now I see" という歌詞がある。直訳すれば、"私は盲目だったが、今は見える" という意味である。

これは、あくまでも比喩的表現であり、盲人を差別するような文脈でないことは明らかなのだが、その比喩的表現こそが差別的と言うことだってできる。そうなったら、もうこの歌は歌えない。

私個人としては、差別的であるか否かは、文脈の中で判断すべきだと思っている。

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