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2003年3月17日

知らずに犯す罪

息せき切って階段を駆け上がって、ドアの閉まりかけた電車に飛び乗った人は、しばらく吊り広告を眺めるのを遠慮しなければならない。

荒い息が収まらないうちに上を向くと、弾んだ鼻息が、前に立った人の顔にバホバホかかるのだ。


これはもしかしたら、気付かずにやってしまいがちな迷惑行為である。人間は、気付かないうちにいろいろな迷惑行為を働いている。

知って犯す罪と、知らないで犯す罪は、どちらが重いかと聞かれたお釈迦様は、「知らないで犯す罪の方が重い」 と答えられた。

例えば、焼け火箸を握るのに、熱いと知っていて握るのと、知らないで握るのでは、どちらがダメージが大きいか。知っていたら、恐る恐るの行為だから、握るか握らないかのうちに放してしまうだろう。大したダメージは負わずに済む。しかし、知らないで握ったら大やけどを負ってしまうだろう。

この譬えにより、お釈迦様は、言わば結果主義で 「知らないで犯す罪の方が重い」 とおっしゃったように言われている。しかし、それが釈尊の本心だったろうか。

私は 「知らない」 という、そのこと自体が 「罪」 なのではないかと思う。人間はいろいろなことを知るべきなのだ。少なくとも、知ろうとすべきなのである。

無関心であることは、憎むよりも残酷だ。世界は我々による真っ当な認識を待ちわびている。

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