「禅語」 のお話
大企業の社長室などによく 「日々是好日」 などと書かれた額が飾ってあるが、こうした類の言葉を 「禅語」 ということを、今日初めて知った。
臨済禅の方の文化らしく、「無門関」 などは、「禅語」 の宝庫である。
「無門関」 は、「むもんかん」 と読んで、中国宋代の僧、無門慧開が編んだ公案集である。「門のない関所」 というタイトルからして、ずいぶん禅問答的で、素敵だ。
この書物の第一則は、「趙州狗子」 (じょうしゅうくし) というもので、次のように書かれている。
趙州和尚、因みに僧問ふ、狗子に還って仏性ありや、また無しや。州云く、「無」。
ある僧が、高名な趙州和尚に、「犬ころに仏性 (仏性 = 仏の悟り) があるか」 と聞いたら、趙州和尚は 「そんなもの、ねぇよ」 と答えたというのである。
ちょっと考えたら、とんでもない坊主である。お釈迦様は、「山川草木国土悉有仏性」 -「自然物にいたるまで、すべてのものに仏性がある」 と説いているのに、それを否定しているのだから。
これは、「お前が言ってるような、『犬ころ』 と 『仏性』 が別々にあって、片方が片方に宿るみたいなもんなら、そんなものはねぇよ。味噌汁で顔洗って、出直して来な」 と言っているのだろうか。
はてさて、禅とは深いものである。
ちなみに、「日々是好日」 は、「ひびこれこうじつ」 ではなく、「にちにちこれこうじつ」 と読むのが正しい。(一応、漢文だから)
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