« 南米のおおらかさ | トップページ | まさに旧暦恐るべし »

2003年3月 2日

「禅語」 のお話

大企業の社長室などによく 「日々是好日」 などと書かれた額が飾ってあるが、こうした類の言葉を 「禅語」 ということを、今日初めて知った。

臨済禅の方の文化らしく、「無門関」 などは、「禅語」 の宝庫である。

「無門関」 は、「むもんかん」 と読んで、中国宋代の僧、無門慧開が編んだ公案集である。「門のない関所」 というタイトルからして、ずいぶん禅問答的で、素敵だ。

この書物の第一則は、「趙州狗子」 (じょうしゅうくし) というもので、次のように書かれている。

趙州和尚、因みに僧問ふ、狗子に還って仏性ありや、また無しや。州云く、「無」。

ある僧が、高名な趙州和尚に、「犬ころに仏性 (仏性 = 仏の悟り) があるか」 と聞いたら、趙州和尚は 「そんなもの、ねぇよ」 と答えたというのである。

ちょっと考えたら、とんでもない坊主である。お釈迦様は、「山川草木国土悉有仏性」 -「自然物にいたるまで、すべてのものに仏性がある」 と説いているのに、それを否定しているのだから。

これは、「お前が言ってるような、『犬ころ』 と 『仏性』 が別々にあって、片方が片方に宿るみたいなもんなら、そんなものはねぇよ。味噌汁で顔洗って、出直して来な」 と言っているのだろうか。

はてさて、禅とは深いものである。

ちなみに、「日々是好日」 は、「ひびこれこうじつ」 ではなく、「にちにちこれこうじつ」 と読むのが正しい。(一応、漢文だから)

|

« 南米のおおらかさ | トップページ | まさに旧暦恐るべし »

哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 南米のおおらかさ | トップページ | まさに旧暦恐るべし »