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2003年3月25日

ケータイとインターネット

今日はケータイを家に忘れて仕事に出た。なんとなく不便だった。

ケータイを持たなかった頃は、なくても全然不便を感じなかったのに、一度持ちつけると、たまに持たないで外出すると妙な感じがする。それは一種の喪失感にも近い。

インターネットにも同じようなことがいえる。インターネットを本格的に使い始めて、たかだか 5~6年ほどのもので、無しで過ごした
時間の方が圧倒的に長いのに、今やこれなしの生活は考えられない。

「毎日更新」 を歌ったウェブサイトなんぞを持ってしまうとなおさらである。今や、体の一部と言ってもいいくらいだ。

しかし、使わない人は、インターネットなんかなくても、全然不便を感じていないのである。「便利ですよ」 「世界が広がりますよ」 と勧めても、「それは確かにそうなんでしょうがねぇ」 と言われるだけである。手元に常時接続の環境があっても、最低限のメールのやり取りを、仕方なくこなしている程度の人もある。


どうも、この世界は、「親和性」 のある人とない人がいるようなのだ。この 「親和性」 というのは、単にメカに強いとか弱いとかいうものでもないようで、どちらかというと、「習慣」 とか 「好奇心」 の部分の方が大きいような気もする。

私の場合で言えば、常時接続の環境は、勤務先で 3年半、自宅で 1年 3ヶ月程度のものだ。この環境が10年続いたら、世の中はどんなに大きく変わるのか、あるいは思いのほか変わらないのか。深く関わりながら見守っていきたいものである。

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