「アラー」 と 「ゴッド」
今度の戦争を宗教戦争だという人もあるが、そうではない。戦争は 「神」 ではなく、人間の 「迷妄」 がぶつかるものだ。
イスラム教の神を 「アラーの神」 というが、「アラー」 という名前の神が、キリスト教の神とは別に存在するわけではない。
「神」 をアラビア語でいうと 「アラー」 になるのである。イスラム圏にも少数ながらキリスト教徒は存在していて、アラビア語の聖書というものも当然ながら存在する。そしてアラビア語の聖書では、「神」 は 「アラー」 と表記されている。
つまり、「アラー」 はイスラム教独自の神ではなく、英語で 「神」 を 「ゴッド」 というのと同様に、アラビア語では 「アラー」 というだけのことだ。
そもそも、一神教では、神を名前で呼ばない。キリスト教の神の名を 「エホバ (Jehovah)」 という人もあるが、「エホバ 」 とは ヘブライ語で、「彼はならせる」 という意味があるのだそうだ。要するに 「成すもの - 創造主」 という意味である。「アポロ」 とか 「猿田彦」 とか 「シヴァ」 とかいう多神教の神々の 「名前」 とはニュアンスを異にする。神を 「エホバ」 と呼びつけるキリスト教徒を、私は見たことがない。
八百万 (やおよろず) の神の本拠地、日本にしても、同様である。『古事記』 の冒頭に出てくる 「天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 」 は、「天の中心の主の神」 という普遍的な呼称で、他の神が 「~之神」 とか 「~之命」 (大国主之命など) というように 「之(の)」 の字がついて固有名詞化されているのとは異質である。根源神の根源神たるところである。
一神教では、本来の意味では 「神」 に名前などない。「神」 と言いさえすれば他に神はないので、名前は必要ないのである。名前というのは差異を強調するものだから、絶対神に名前などつけたら、相対化されて他に神がいることを暗示することになる。それでは絶対神のありがたみがなくなってしまうのである。
だから、「神」 は 「神」 である。今度の戦争も、 「ゴッド」 と 「アラー」 の戦いでは決してない。これを宗教戦争といっては、神様に気の毒なことなのである。
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