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2003年3月24日

「アラー」 と 「ゴッド」

今度の戦争を宗教戦争だという人もあるが、そうではない。戦争は「神」ではなく、人間の「迷妄」がぶつかるものだ。

イスラム教の神を「アラーの神」というが、「アラー」という名前の神が、キリスト教の神とは別に存在するわけではない。

「神」をアラビア語でいうと「アラー」になるのである。イスラム圏にも少数ながらキリスト教徒は存在していて、アラビア語の聖書というものも当然ながら存在する。そしてアラビア語の聖書では、「神」は「アラー」と表記されている。

つまり、「アラー」はイスラム教独自の神ではなく、英語で「神」を「ゴッド」というのと同様に、アラビア語では「アラー」というだけのことだ。

そもそも一神教では、神を名前で呼ばない。キリスト教の神の名を 「エホバ(Jehovah)」という人もあるが、「エホバ 」とはヘブライ語で、「彼はならせる」という意味があるのだそうだ。要するに「成すもの - 創造主」という意味である。「アポロ」とか「猿田彦」とか「シヴァ」とかいう多神教の神々の「名前」とはニュアンスを異にする。神を「エホバ」と呼びつけるキリスト教徒を、私は見たことがない。

八百万(やおよろず)の神の本拠地、日本にしても、同様である。『古事記』の冒頭に出てくる「天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 」は、「天の中心の主の神」という普遍的な呼称で、他の神が「~之神」とか「~之命」(大国主之命など)というように「之(の)」の字がついて固有名詞化されているのとは異質である。根源神の根源神たるところである。

一神教では、本来の意味では「神」に名前などない。「神」と言いさえすれば他に神はないので、名前は必要ないのである。名前というのは差異を強調するものだから、絶対神に名前などつけたら、相対化されて他に神がいることを暗示することになる。それでは絶対神のありがたみがなくなってしまうのである。

だから、「神」は「神」である。今度の戦争も 「ゴッド」と「アラー」の戦いでは決してない。これを宗教戦争といっては、神様に気の毒なことなのである。

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