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2003年4月19日

大阪城は誰が造った?

「大阪城を造ったのは誰か」 というナゾナゾがあって、実はこれには答えがない。

「豊臣秀吉」 と答えると、「ブーッ、大工さんでした」 となり、しからば 「大工さん」 と答えると、「ブーッ、豊臣秀吉です」 となるナンセンスである。

役所などに行くと、「あのプロジェクトは自分がやった」 と自慢するお役人がいる。そう言いたい気持ちはよくわかる。

一方、ドヤ街に行っても 「あそこの道路は俺が作った」 と自慢するのが必ずいる。その気持ちもよくわかる。

この 2つの例は、実は意味合いとしてもあまり大差ないと思うのである。一つの事業が完成するには、誰か一人の意思だけで思い通りに運ぶなどということは滅多にない。途中で必ずグチャグチャになり、最後の最後でやっとつじつまが合う。

そこには最高責任者のお役人や大企業の社長の意向、プロジェクト・リーダーの性格、スタッフの出来不出来、アシスタントの気の効き具合・効かなさ具合、現場労働者の気分、果ては要所要所での天候といった外的要因などなど …… ありとあらゆる要素が複雑に絡まりあって進行する。

私は歴史というのは決してリニア (線的) にきれいな意図の元に進行するのではなく、瓢箪から駒的に、こけつまろびつ推移するものと思っている。歴史の黒幕の意思みたいなことを強調する人もあるが、そんなに黒幕の意思がうまく反映されるものなら、世の中はもう少しすっきりしているはずである。

大阪城は誰が造ったというより、いろいろな思惑の錯綜の結果、「できた」 のである。豊臣秀吉と大工さんは、代表的二つの視点から見た場合の、一応の 「シンボル」 である。

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