極私的ジャニス論
昨日、団塊の世代の後に生まれたのに、彼らより古い感覚を持ってしまっていることを書いたが、本日、当サイトの掲示板にジャニス・ジョプリンで泣けるなどと書いているのは、20代の男である。
私の上を行く、恐ろしいタイムラグである。
ジャニスを聞いたことのない人は、ぜひ聴いていただきたい。ロックが今よりずっと切羽詰っていた頃(1960年代後半)の歌である。最近のロックは、聴衆が軽く踊ってくれさえすれば、それで事足れリとしている風情があるが、ジャニスの歌はそんなものではなかった。
彼女は自分の歌声が、聞く者のハートの一番深くまで(to the bottom of heart) 届かなければ、自分は、その瞬間、生きていないんだとでもいわんばかりの、追いつめられたような歌い方をするシンガーだった。
当時、彼女の歌は我々の胸の底まで十分に切ないほどに届いていたのだが、彼女はまだ満足しなかった。
彼女は我々のハートの底を突き破るくらいでなければ、自分の歌が届いたことにならないと思っていたのだと思う。しかし、我々はそこまで踏み込んだ聞き方は、さすがにしなかった。一歩手前で踏みとどまってしまった。
だから、彼女をアルコールで殺してしまったのは、私を含めた当時の聴衆だったのだ。彼女の歌を聴く我々が、彼女と一緒に無茶苦茶なところまで追い詰められてしまえば、彼女は死なずに踏みとどまったのだ。なぜならば、その時こそ彼女は、一転して我々を救うエンジェルとして振舞えただろうから。
我々が(卑怯にも)踏みとどまってしまったから、彼女は自分がエンジェルだとも知らずに、自分で破滅してしまった。
彼女に本当のエンジェルを演じさせるには、当時の聴衆は器が小さすぎた。私は今、そう思っている。
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