皆で馬鹿になって笑う
突然だが、笑いの原理というのが、西洋と日本では違うのだと思う。
西洋は論理で笑う。笑いの論理モデルというのがいくつがあって、そのバリエーションを作って笑いを取るのが、西洋の笑いだ。
パーティ・ジョークというのは、必ず論理がベースになっていて、その論理を半ば骨抜きにしたところで笑いが生じる。例えばこんなユダヤ・ジョークがその典型だ。
アブラハム・コーエンが林の中を歩いていると、川におぼれそうになっている男がいたので、必死に泳いで助けた。
助けてみると、おぼれそうになっていた男は、アドルフ・ヒトラーだった。
ヒトラーは 「助けてくれてありがとう、お礼に何でも希望を聞いてあげよう。何が希望かね」 と言った。
コーエンが言ったのは、「どうぞ、私があなたを助けたということだけは内密に」
もろに論理である。
日本の玉川カルテットの 「金も要らなきゃ女も要らぬ、わたしゃも少し背がぁほしぃ~い」 とはまったく異質の笑いである。
西洋の笑いは、「何でおかしいかというとね …… 」 と論理的に説明できる。(もちろん、説明してしまっては台無しだが)
ところが、日本の笑いは論理的に説明しても、なんでおかしいかわからない。そもそも論理的でないのだから、論理的に説明できない。
西洋の笑いは利巧な人でないと笑えない笑いだが、日本の笑いは、皆で馬鹿になって笑う笑いである。アメノウズメノミコトの天岩戸の前の踊りで、八百万の神々が笑った(古事記の表記では、「わらひき」の字に「笑」ではなく「咲」の字が当ててあるのだが) 時代から、皆で馬鹿になって笑っていたのである。
皆で馬鹿になるには、相当にシンクロされた意識をもっていなければならない。日本人のメンタリティの宝はそれである。
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