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2003年6月に作成された投稿

2003年6月30日

地域通貨というコンセプト

パンの購入代金としてのお金と、株式市場で資本として投資されるお金は違う」と言ったのは、ミヒャエル・エンデである。

アカデミックな経済学はどちらも同じ「貨幣」として扱うのだが、よく考えると、この二つは確かに違うように思えるのである。

かなりシンプルに暮らしても「パンを買うお金」は必要だが、株式投資は必要としなければ全然必要でない。現に私は一度も株式投資というものをしたことがないが、何の不便もなく生きていられる。

さらば、株式投資に使われる「資本」としての投資は、「パンを買うお金」というシンプルな段階からの発展形かといえば、そうとも言い切れない。発展形というよりは、まったく別の用途に同じ形のものを使用しているという感もある。

子供の頃に感じた疑問に、今の経済学は明確に答えてくれない。その疑問というのは「社会として、どうしても必要なものでも、『予算』がないという理由で作られないのは何故か」という疑問である。それは「生きるために必要な食料を、お金がないために買えないという事態が生じるのは何故か」という疑問と、結局は同じことである。

生きるために必要な食料を買うのに、大して必要でもない株式投資に使うのと同じ「貨幣というメディア」を使うのは、土台無理があるのではないか。同じメディアを使うという制度にしてしまったがために、株式市場に回るお金はあるのに、貧乏人のパンを買うお金がないのである。

その意味で「地域通貨」というのは注目すべきコンセプトである。失業していてもボランティア活動をすれば「パンを買うお金」= 地域の商店街でパンと交換できるメディアを発行してもらえるというのは、しかるべき姿である。そのボランティア活動によって「予算がない」という理由で棚上げになっていた社会事業が遂行されるとしたら、一挙両得だ。

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2003年6月29日

"Good Smoker" という矛盾

"Good" の比較級と最上級が、"better", "the best" となるため、"better" は "good" よりも「良い」と誤解されている。

しかし本当は、「より良い」というよりは「多少はましかも」程度の意味で使われることの方が、ずっと多いのだ。

気分が悪くなって寝込んだとき、しばらくして具合を聞かれたら、「さっきよりは大分良くなった」という意味で、"much better than before" などと答えるのである。「すっかり良くなった」という意味ではない。だから、"good" ではない。

何を言いたいかというと、最近の JT の煙草のコマーシャルに、ちょっと異議を唱えたいのである。例の、"Are You a Good Smoker?" というコピーである。「あなたは『良い』喫煙者ですか?」と問いかけているのだ。

私に言わせれば、「『良い』 喫煙者」などというのは存在しないのである。それは論理的矛盾であり、ナンセンスになる。喫煙者というのは、基本的に周囲に害毒を撒き散らす。「良い」わけがない。あるのは、少しは周囲に気を使いながら、申し訳なげに煙草に火をつける「『多少はましな』喫煙者」 である。

だから、あの広告は、"Are You a Little Bit Better Smoker?" (あなたは 「多少はましな」 喫煙者ですか?」というのなら、話はわかるのだ。

もちろん喫煙者でも「いい人」はいくらでもいる。しかし「喫煙者」という視点で見た場合、「ましな」が最上級で、それ以上はないのである。 だから "good smoker" などというありえないものになろうと努力するよりは、"non smoker" になろうと努力する方がずっと「真っ当」なのである。

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2003年6月28日

"My Documents" の中身

今日あるところで、仕事上で作成したファイルを適当に "My Documents" フォルダに放り込んでおくと、結局何がなんだかわからなくなってしまうという話になった。

これは、ファイルネームの付け方で解決できる。ファイルネームのアタマに、必ず年月日を半角数字で入れるのだ。

例えば、2003年6月28日に作ったワードのファイルならば、"030628****.doc" というようにするのだ。そうすれば、後で"My Documents" を開いた時、時系列で表示される。自分でいつ頃何を作成したかというのは、案外記憶に残っているので、探し出しやすい。

できれば、分野ごとに大雑把に分けておけるフォルダを作っておくといい。そうすれば、同じファイルネームが発生したとしても、どのフォルダにあるかで中身の見当が付く。

それを、"製品見積.doc" とか、"商品請求.xls" などというファイルネームで一緒くたに保存するから、訳がわからなくなるのである。下手をすると、"拝啓 貴社ますますご清栄と.doc" とか、"前略 いつもお世話に.doc" などというファイルネームばかりでどうしようもなくなっている場合もある。

"My Docments" は基本的には「ズタ袋」である。整理しないでおいたら、本当に訳がわからなくなる。時系列というのは、最も簡単に整理しやすい方法だ。

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2003年6月27日

梅雨入りと IT機器

急に湿度が高くなってきて、IT 機器の調子が悪くなってきた。我が家のレーザープリンタは以前から湿度に弱い。梅雨になったら、秋までは言うことを聞かなくなる。

この夏はエアコンを入れたので、ガンガンに効かせて何とかしている。

本来は、私はエアコンを効かせるのは地球のためにも最低限度にしたいと考えていたのである。ところが今日は大量に文書をプリントしなければならない用事があり、そのたびにプリンタが動かなくなるので、大変なストレスを感じてしまった。動かなくなる度に、エアコンをガンガンに効かせると動き出すのだから始末が悪い。

IT 機器は便利なようで、ストレスの元になる。サクサク動いて当たり前と思っていると、一番嫌なタイミングで動きがおかしくなるのだ。

やはり、IT機器も季節のいい時期が一番機嫌がいい。春と秋は本当にストレスなく動く。なんだかおかしな動きになってきたのは、完全に梅雨入りしてからだ。結局そんなこんなで、マシンを買い換えたくなり、メーカーは儲かるようになっているような気がする。

そう言えば、私も CPU が「ギガ」のマシンが欲しいし、ストレスのないプリンタが欲しい。小さなデジカメが欲しい。光ファイバーが欲しい。まったく、欲望は際限がない。

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落書きの芸風

夕べは青山で酒を飲み、取手駅に夜中の 12時過ぎに到着。近くの駐車場に置いてある車のリクライニングを倒して仮眠し、気付いたら小鳥がチュンチュン鳴いていた。

非日常的な時間、改めて見回すと、周りには変てこりんな落書きがやたらに多い。

ニューヨークでは、あれほど氾濫していた Graffiti(落書き)がかなり少なくなっていたが、日本では増加の一途だ。落書きのスタイルというのは、日本でも米国でも、妙に共通点があると思っていたら、スプレーペンキで速く描こうとすると、どうしてもあのような丸文字風になるらしい。とくに速攻でやっつけたものは、スローアップ(throw-up) というようだ。

ニューヨークではかのジュリアーニ前市長が、「ブロークン・ウィンドウ理論」というものに沿って、落書き撲滅作戦を行い、ある程度の成功を収めたものらしい。この理論は「割れた窓を放置しておくと、その場所で連鎖的に犯罪が起きやすくなる」ところから命名されたという。落書きが多い地域は、「きちんとした管理下にない」という印象を与え、まず軽犯罪が起きやすくなる。軽犯罪が多いと、自然と凶悪犯罪を呼ぶのだそうだ。

ところであの落書きの多くは、なにやら「文字風」なのだが、文字とも言えない。米国の "graffiti" は、かなり崩してあっても、確かに文字であり、「判読可能」のものが多いのだが、日本の「落書き」は、一見英文字のように見えて、その実、単なる視覚効果的な「模様」である場合が多い。そのために、「何か意味のあることが書いてあるのかもしれないが、その意味が、さっぱり伝わってこない」という印象を与える。これが「薄気味悪さ」をかもし出す。あまりいい芸風ではない。

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2003年6月26日

「ごとう日」 の謎

「ごとう日」というのがある。「五・十日」 とも書くらしい。5日とか、20日とか、5 と 0 の付く日で、その日は道路や銀行窓口が混む。

クルマを運転していて、「今日は何だか渋滞が激しいな」と思って日付を確認すると、大概 5 か 0 が付くのである。

どうして 5 と 0 の付く日に道路や窓口が込むのかというと、納品や支払いや書類提出の締め切りに指定される日に、5 と 0 の付く日が多いかららしい。なるほど、そのように指定する気持ちはよくわかる。

物事を頼むにも、「14日までにお願いします」と言うよりは、「15日までにお願いします」と言う方が、きちんとした仕上がりで、納期どおりに納まりそうな気がしてしまう。金の支払いにしても、「19日までに振り込んでください」などと言っても、どうせ 20日まで待たなければならないのではないかと疑われる。

そんなのは何の根拠もないことで、単なる思い込みや錯覚の類なのだが、それでも「しっくり来る」という感覚は、そう簡単には変えられない。

給料日にしても、25日だからうれしいのであって、26日になったら何となく気が抜ける。同様にクレジットカードの締め日も、9日とか11日とか言ったら、腑に落ちない気がする。「5日締め」と言うと、きちんと納得した気になるから不思議なものだ。

今日は(いや、日付が変わってしまったから、昨日だ)、25日でも、週半ばの水曜日だったので、それほど猛烈な渋滞にはならずに済んだ。これが金曜日だったりしたら、大変なことになる。今度の月末(30日)は、月曜日で、しかも、四半期締めだ。ある程度の覚悟が必要かもしれない。

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2003年6月25日

「何もしない日」 が必要

実は今、帰宅途中で常磐線の電車でこの欄の更新をしている。こういうことができるのも、PHSカードを新調したおかげだ。

まさに「どこでもオフィス」 だが、贅沢を言えば座席が狭いので、肘が窮屈でキーボードが打ちにくくてたまらない。

ここまでくると、便利なのだか貧乏性なのだか、区別が付かなくなる。本来ならばせっかく座席に座れたのだから、悠々と30分ほどの居眠りをする方が楽なのだ。

とはいえここで更新を済ませてしまえば、帰宅したら風呂に入ってすぐに寝ることができる。それを考えると、やはり「どこでもオフィス」はありがたい。

明日は一日がかりで書類を仕上げなければならない。フリーになっていきなりこんなに忙しくなるとは思わなかった。今月末までは暇なしだ。来月になったら、いくらなんでも一日のんびりできる日を作りたい。やはり「何もしない日」というのは、たまに必要だ。それがないと、自分の中の「創造性」への投資ができないように思うのである。

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2003年6月23日

”Histor”と 「歴史」

ヒラリー・クリントンの自伝 "Living History" のニュースをシカゴで聞いた時に感じた妙な違和感の正体が、今日わかった。

それは "history" という言葉の捉え方の違いである。"History" =「歴史」 といえば、日本では相当ご大層な言葉である。

ざつがく・どっと・こむ」 の小橋昭彦氏も、次のように述べておられる。

多少題名としての装飾は入っているとしても、「ヒストリー」とは。日本でなら個人の歩みはあくまで回想録なり履歴であって、歴史は後世から見てのこと

考えてみれば、英語では「履歴書」のことを "Personal History" という。また「過ぎ去ってしまう」ということを、"Pass into history" などというレトリックもある。そういう意味では、特別に気張った言い方というわけではない。

だがそれにしても、日本語で「歴史」といってしまうと、やはり気圧されてしまうのである。そもそも「歴史」は中国で易姓革命による王朝の正当性を政治的に立証する必要性から生まれたという説がある。その意味では「歴史」というのは政治的なものだ。それは「歴史観」と言うものと別個に、客観的に存在することなどできないものだからである。インド人には歴史感覚が希薄といわれる。 「哲学があるから歴史は要らない」などと説明されている

そう考えると、やはり今回のヒラリーの自伝は「政治的」という臭いからはなれられない気がするのである。

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2003年6月22日

エアコンとの付き合い方

<今日、わが仕事部屋にエアコンが設置された。設置したとたん、昨日や一昨日よりも暑さが和らいだ。まぁ、世の中こんなものだ。

>狭い部屋のエアコンというのは、接し方が案外難しい。位置によっては、体の半分だけが冷えて調子を崩したりする。

とくに体の片側だけがエアコンの冷気を浴び続ける位置に長くいたりすると、冷えた方の肘とか膝とかの具合が悪くなるから要注意だ。設定温度をあまり下げすぎないようにして、扇風機で部屋の空気をかき回すなど、工夫が必要になる。

わが仕事部屋のエアコンは今日の昼前に設置工事が完了したので、半日いろいろと試行錯誤してみた。現在のところ、部屋の設定温度を摂氏 28度の「まろやか運転」モードにし、なおかつ目の前のデスクトップ・パソコンから発する熱がデスク周りにこもらないように、斜め後ろから軽く扇風機を当てるというのが、最適解のようだ。

冷えすぎは体に悪いが、この先、熱波の中で茹で上がったようになりながら仕事をするというのも、考えるだけでゾッとする(いや、ゾッとするというのでは涼しそうだから、「うんざりする」 と言い直そう)。地球環境のためにも、なるべく冷やし過ぎないように、ひと夏を乗り切ろう。

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夏至の夜をスローに

明日は夏至である。うっかり 5月 13日の一撃に書いたことを忘れてしまうところだったが、危ういところで思い出した。

夏至の夜、8時から 10時までは電気を消して、「スローな夜」を楽しもうという「百万人のキャンドルナイト」の呼びかけだ。

詳しくは こちら をご覧頂きたいが、1ヶ月以上も前に早々と賛同の意を書いてしまった以上、前夜になって忘れていたでは済まないので、こうして念を押すようなコラムを書いている。何しろ、私はこの企画を単純に「面白い」と思ってしまっているのだ。

話は簡単だ。夏至の夜、たった 2時間電気を消せばいいのである。多くの人がそれをやれば、きっと別の世界が垣間見えるだろう。「別の世界」といっても、特別にこねくりあげたものではない。逆に「余計なことをしなければ、当たり前に体験できる世界」なのだ。たまには「余計なこと」をよしてみるのも悪くない。

何しろ普段の日本列島の夜は、宇宙から見ると こんなに 明るいのだそうだ。なんだか馬鹿馬鹿しいではないか。普段でも山の中に入れば闇夜は体験できるが、見晴らしのいいところから見下ろすと、街の明かりが煌々と見える。山と都会は、今や紙一重だ。たまには街の中にも山奥の暗闇を持ちきたしたいものだ。

なんでも、この夜は東京タワーもライトアップを止めるらしい。どのくらい暗くなるか。ということは、どのくらい夜空に星が見えるか。楽しみだ。(晴れるといいなぁ)

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2003年6月21日

エアコン導入

梅雨の中休みとやらで、暑くなってきた。今年から SOHO(自宅オフィス)になったので、このまま本格的夏になだれこんだら、エアコン無しではバテバテになってしまう。

昨日ついに音を上げて、オフィス兼用の寝室にもエアコンを入れることにした。

我が家はとても風通しのいい造作で、リビングルームのエアコンもそれほど頻繁に出番があるわけではない。それでも日中に 2階でデスクトップ・パソコンの前に座っていると、頭が朦朧となる。

パソコンから排出される熱というのは、案外見過ごせない。多分、デスクの前は周囲と比べると 2~3度気温が高くなっているに違いない。これではこの夏、もちそうにない。

昨日、近所にできたばかりのショッピングセンターに行って、一番安いやつを買った。最近は 3万円台でエアコンが買える。ずいぶん安くなったものだ。というわけで、明日はさっそく据付工事となる。

ラジオによると、今日は昨日より 2度高くなるという。やれやれと思ったら、湿度がかなり下がるので、体感的には昨日よりも楽になるかも知れないということだ。そうあっていただきたい。明日にはエアコンが付いて、楽になる。

世の中は原発の停止で電力不足が確実となり、節電が呼びかけられているので、新たにエアコンを設置するなどというのははなはだ申し訳ないような気もするのだが、設定温度はなるべく高くしようと思うので、なにとぞお許しいただきたい。

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2003年6月20日

「温泉でのんびり一日」 という贅沢

近頃、妙に忙しい。考えてみると、4月以降、一日ゆっくりと休んだという日がない。いろいろなことに追われる毎日だ。

思えばありがたいことではあるが、贅沢を言わせてもらえば、どこかの田舎で温泉にでも浸りながらのんびりと一日過ごしたい。

ところが「温泉でのんびりと一日過ごす」ためには、実は 3日間必要なのである。1泊 2日では、初日に行って翌日戻ってくるだけで、結局のところ、のんびりできるのは初日の夜しかない。

その夜に、日本の温泉旅館特有のご馳走攻めにでもあったりしたら、胃腸が疲れるだけで、結局ちっとものんびりできない。どうして日本の旅館というのは、客の好みも聞かずに押し付けのご馳走攻めをするのだろうか。

私の夢は、こんなようなことだ。

クルマを飛ばして、初日の夕方前にひなびた温泉旅館に到着し、夕間暮れの近辺を散策し、湯に入る。これはどうしても、露天でなければならない。地酒を飲んで地元の食材による質素な夕食をし、ちょっとメールの確認だけして(モバイルPCを離せないのは、因果な業だ)眠りにつく。

2日目は、朝から温泉三昧をする。最低でも 5回は湯に入る。その間に、昼寝と昼酒を楽しむ。他には金輪際何にもしない。この日だけは、メールも読まない。そして 3日目も朝湯に浸かり、昼前に発ち、途中で田舎そばをたぐって家路につく。ただこれだけのささやかな望みである。

ただ往復の道路状況を考えると、混雑する週末は避けたい。そうしないと、往復でストレスがたまる。しかしウィークデイに 3日も休みを取るのはかなりつらい。休めたとしても、温泉旅館で 2泊 3日なんてしたら結構な散財だ。

こうして考えてみると、「温泉でのんびりと一日過ごす」という一見ささやかな望みは、実はかなりの贅沢であることがわかる。

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2003年6月18日

カードの 「デポジット」

アメリカのホテルで部屋から外線電話をかけたい場合は、前もってクレジットカードを「デポジット」しておく必要がある。

デポジットといっても、カードを預けてしまうわけではない。前もって「このカードで支払いますよ」ということで登録するのだ。

これをしないと信用してもらえない。だから、外線電話もミニバーも使えないのだ。

部屋からの外線電話は、たった 1回かけてもたいていは 1ドル 50セント取られる。約 180円である。馬鹿馬鹿しいほど高いから、普通はテレフォンカードを買って、公衆電話からかければいい。

しかし私の場合、部屋に戻ってインターネット回線に接続しないと仕事にならないから、外線電話は必須条件である。普通の通話をすると高いが、インターネットの場合はつなぎっ放しにすればいいのである。米国の市内通話は、基本的にテレホーダイだ。何時間かけても同一料金である。

ただ、ホテルの場合は本当につなぎっぱなしにされると回線が混んでしまうので、30分とか 1時間とか時間を区切って、それを超過すると、1分につき 10セント追加ということになっているようだ。それでも基本的に、ちょこまか切らない方がいい。

一般家庭でインターネットを使っている人は、朝つないだら一日中、自動的に切れるまで、つなぎっ放しにしている場合が多いようだ。だから、米国ではダイヤルアップといっても常時接続と同じようなもので、それがインターネット普及のインフラ面での背景となった。ところが、今となってはブロードバンド普及の障害となっているというから、面白い。

ところで、私はシカゴのホテルで「クレジットカードを『デポジット』したい」というところを、つい間違えて、"I'd like to dispose my credit card." と口走ってしまい、フロントに真顔で "Excuse me, sir????" と聞かれてしまった。"Dispose" とは言うまでもなく 「処分する」という意味である。危うくカードをはさみでちょん切られるところだった。

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2003年6月17日

しつこい 3時間の時差ぼけ

はたしてこれは時差ぼけと言えるだろうか? いや、当人にとってはかなり異常な感覚なので、やはり時差ぼけなのだろう。

何がおかしいのかというと、朝の 4時にすっきりと目が覚めて、夜の 9時になると眠くて目を開けていることもできないのだ。

とても健康的なサイクルではないか、何が異常なのかと言われそうだが、やはりおかしい。

帰国した日の夜 9時に爆睡し、翌朝 4時に爽やかに目覚めた時は、今回は時差ぼけを克服できたと本気で信じた。呆気ないほどだと思った。

しかしそうではなかったようなのだ。実は 3時間くらいの、相当にシツコイ時差ぼけだったのだ。夜の 9時になると起きていられないなどというのは、私としてはやはりおかしい。

とはいいながら、こんな夜中に起きてサイトの更新をしている。実は 9時ごろにパソコンの前で気を失い、約 2時間後に意識を取り戻したところである。それで、眠い目をこすりながら更新している。

最初はどんなネタにしようかと途方に暮れたが、この異常さこそがネタであると気付いた。日常の中の非日常である。これが直るには、どのくらいかかるだろう。

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2003年6月16日

どこでもオフィス

米国出張前に申し込んでおいた Nifty の常時接続用(128Kb)PHS カードが届いていたので、さっそくセットした。

ADSL ほどではないが、かなりサクサク表示される。これでモバイル PC さえ持って出れば、どこでも自分のオフィスだ。

近頃は「ホットポイント」なるものがあって、「ユビキタス」環境が実現されているなどと喧伝されるが、実際には行く先々で自由にインターネット接続をするなどということは、案外大変なことである。私もこの度の独立以来、これに関してはかなりの不便を感じていた。

何しろ最近はインターネット接続ができないと、仕事にならないのである。裏返して言えば、インターネット接続さえできれば、かなり仕事の範囲が広がるのだ。

その意味で外出先でちょっとお茶でも飲みながら、メールが確認できて、原稿が送れて、サイトの更新ができるというのは、とてもありがたい。それも接続時間を気にせずにつなぎっ放しにできるというのは、かなりのメリットだ。

これで海外でも同じ環境で接続できるとなれば言うことはないのだが、それにはもう少し時間がかかるかもしれない。それでも、不可能ということはなかろうと期待している。

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ジメジメ感覚

昨日の夕刻、成田に到着して、夜に帰宅してからは、当欄の更新もせず爆睡してしまった。おかげで時差ぼけは感じない。

カラッとした米国にいるうちに、関東が梅雨入りしたので、必要以上に湿気を感じる。時差ぼけというよりは、気候ぼけだ。

帰国直後だけに、ことさらに感じるこのジメジメ感覚。まさに自分の国に帰ってきたような気がする。悪いものではない。

五木寛之氏が以前、テレビで金沢の街を歩く特集に出演していた時に、「この湿度、湿り気がいいんです」と何度も強調していたが、なるほど、わかる気がする。

若い頃は、カリフォルニアの明るい陽光にあこがれた。日本のジメジメとした人間関係に、息が詰まるような気がした。ところがこの年になると、この気候が日本の繊細さなのだという気がする。私自身は、平均的日本人にくらべるとかなり大雑把ではあるのだが、それでも米国人ほどノー天気なわけではないとわかる。

この繊細さは、国際的にアピールできるものだと思う。小津安二郎監督の映画などは、たいがいにおいて大した事件もなく、スペクタクルで見せるわけでもなく、ただ人情の機微だけで淡々と過ぎてゆく。それがとてもいい。

日本人というのは、かなり特殊なほどの繊細さを醸造してしまった民族だが、それだけにそれをきちんとアドバンテージとして発揮してもいいと思う。

「日本の常識は世界の非常識」というのも道理だが、かといって卑屈になることもない。世界の常識をわきまえた上で、日本特有の「非常識」を洗練された形で発揮すればいいのだ。

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2003年6月13日

スローフードを見直した

今日は米国視察の最後の夜。昼に某大手食品会社の物流センターを見学した。

とても効率化されたロジステックス・システムだったが、私としては現代の食品が我々の口にはいるまでに、いかに遠回りのルートを経て、高コストをかけているかに、感心してしまった。

最近「スローフード」というものが喧伝されているが、なるほど、実は合理的なものかもしれない。

スーパーマーケットで売られている食品が、原料の産地からトラックに載せられて加工工場に着き、いくばくかのコストによって、消費者市場に出回る「製品」となり、さらに物流センターに運ばれ、小売店の要請する姿に整えられて、店頭に届けられる。その距離を合計したら、かなりのものになり、ガソリンあるいは軽油の消費量だけでも大変なものだろう。

その間には、パッケージに要するボール紙、段ボール、ビニール、発泡スチロール、その他、いろいろな製品がくっ付けられては捨てられる。

我々の口に入るのは、ようやくそれからである。しかしこれらのプロセスは、産業革命以前ならば必要のないものだった。

その土地で取れた食材を生のまま消費者に届け、消費者が自分の家庭で好きな献立に調理してその日のうちに胃袋に入れてしまう。これは、実はつい昨日まで我々がやっていたごく普通のプロセスだったのだ。

私は正直なところ、これまでは「スローフード」というのは、ある種贅沢なムーブメントだと思っていた。ところが、今日、ごく普通の食品の流通がいかに「本来は必要としない」プロセスを経ているかを目の当たりにして、考えが変わった。

テクノロジーを駆使して食品の長い長いプロセスラインを合理化するより、すぐ近所でできたものをその日のうちに食べてしまうことの方が、より合理的なのだということに気づいたら、世の中はガラリと変わってしまうに違いない。

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2003年6月12日

米国人の返品事情

今日の夕方シカゴを立って、夜のサンフランシスコに着いた。そのままホテルの部屋から原稿をメールで送ったので、街には一歩も出ないうちに夜中になってしまった。なんだかもったいない気がするが、仕方がない。

ところで、このホテルは全館 LAN でネットワークされているので、快適に接続できている。

ニューヨーク、シカゴでは、アナログ接続で、しかも 56Kb のモデムを積んでいるのに、せいぜい 36Kb のスピードしか出なかったので、かなりイライラしてしまった。

ここはさすがに、シリコンバレーに近い土地柄のおかげか、ホテルの部屋でブロードバンドを使えるというのはありがたい。24時間で 9ドル 95セント (およそ1,200円) だが、アナログで接続してもプロバイダの接続料が 1分 10円かかり、その上にホテルの電話回線使用料が 2ドル近くかかるのだから、あまり惜しいという気はしない。

米国では、かなりインターネットが一般化していて、ウェブでの買い物も普及している。こちらは土地が広大で、田舎といったら本当に田舎だから、昔からカタログ販売が発達した。その感覚をそのままウェブ販売にも持ち込んでいるので、抵抗がないのだそうだ。

私は靴だの服だのまでインターネットで買う気はしないが、こちらの人は「サイズが合わなかったら返品すればいいだけのこと」 と割り切っているので、どんどん買ってしまうのだそうだ。

なるほど、こちらの通信販売の返品に関する規定は、おどろくほど寛大だ。これだけ寛大な規定だと、売る方は大変だと思っていたのだが、寛大だからこそ安心して買い物できるので、結局売り上げも伸びるのだろう。

ただし日本人は返品しやすいシステムとは言っても、そう気楽に返品しようという気には、ならないだろう。どうしても少々気がとがめる感じがする。

こうしてみると、買い物という行為ももろに文化に規定されている。

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2003年6月11日

時差ぼけの考察

成田を 7日の夕方に立ち、ニューヨークに付いたのが、同じく 7日の夕方。フライトに要した12時間は、いわば空白である。

機内では最初の 3~4時間の間に仮眠し、あとはずっと起きていた。自分の体に「長い長い夕方」と信じ込ませようとした。

その企ては一見成功したように思えた。ホテルに着いて旅装を解き、夕食を済ませてベッドに入ったのは既に真夜中。苦もなく眠りについた。熟睡した。

目が覚めて、「あぁ、よく寝た」と時計を見ると、まだ夜中の 2時だった。その時は「ありがたい、まだまだ眠れる」と思った。またすぐに眠りに落ちた。

また目が覚めた。窓の外はまだ暗い。それもそのはず、4時前である。もう一眠りしたいところだ。ところが、今度はなかなか寝付けない。ちょっとウトウトして、次に気づいたら、5時だった。もう眠れない。あきらめて、テレビのニュース番組を見た。

ッドの中では、ほぼ 2時間おきに目が覚めるのに、起きているときは反対に ほぼ 2時間おきに猛烈な眠気に襲われる。典型的な時差ぼけだ。

もう 4日経ったのに、この症状は相変わらずだ。しかし、四六時中眠くてもうろうとしているわけでもないから、それほど不都合ではない。それに、ここまでくると日本に帰ってからのつらさを和らげるために、これ以上米国時間に適応したくないという気持ちも起きる。

昔、何日もかけた船旅をしていた頃は、時差を少しずつ消化していけたのだろう。その方がずっと自然なことのような気がする。

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2003年6月10日

胃袋と文化

ニューヨークではさすがにあまり感じないのだが、シカゴに来ると、人間の横幅が急に広くなっているような気がする。

中西部では、ニューヨークほどにはシェイプアップが至上命令ではないのだろう。皆、でっぷりとした腹を突き出している。

シカゴの街を歩いて、ショーウィンドウに映る自分の姿を見ると、ものすごくスマートになった気がする。しかしこれが大きな落とし穴だ。自分がやせたわけではなく、周りの腹が大きすぎるので錯覚しているだけだ。

こちらの人たちは、本当によく食べる。私も 20~30代の頃はかなり食べた方だが、最近はさすがに枯れてきて、もりそば 1枚で充分だ。ところがこっちでは、オジンでも妙齢のおねえさんでも、私の20代の頃と同じくらいにわしわし食べる。

今日の夕食は、日本にも支店があるらしい「ローリーズ」というステーキハウスで食べた。充分に用心して、最初に出てくるパンなんかはまともに食べない。パンで腹がある程度できてしまったら、ステーキで殺される。ステーキだけでも大変なのに、マッシュポテトとほうれん草で、まさに裏返しの兵糧攻めだ。

アメリカ人というのはこれだけ大食いをして、なおかつその後でシェイプアップに金をかけているわけだ。飯の量を減らせば、かなり合理的になると思うのだが、そこはそれ、長年の文化である。皿の上の盛りが少ないと、言い知れぬ寂寥感に襲われるに違いない。

そうしてみると、彼らの胃袋の大きさは人種的な生物的遺伝だけとは考えられない。かなりの部分、文化によって規定されているのだろう。

文化とは大したものである。胃袋の容量までも決めてしまうのだ。

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2003年6月 9日

ヒラリーの 「あざとい」 自伝

今日、ヒラリー・クリントンの自伝 "Living History" が出版された。TVニュースによると、書店の開店が 11時なのに、夕べの 9時から並んだヒラリー信奉者もいたらしい。

あまりの話題なので、空港の書店でちょっと立ち読みしてみた。

「私はファーストレディとして生まれたわけでも、上院議員として生まれたわけでもない。ましてや、民主党員として生まれたわけでもない」

ちょっと立ち読みしただけなので、細部は違っているかもしれないが、彼女の自伝は、のっけからこんな調子で始まる。これで、買って帰る気がしなくなった。

「ファーストレディとして同時に上院議員にもなった、米国でただ一人の女性」と賞賛されている事実を充分に利用して、「普通の暮らしを選べば選べたけれど、実際はファーストレディで上院議員にも選出された女なのよ」と高らかに謳っているわけだ。

米国人が好きなマーケティング的な視点からすると、とてもセンセーショナルで効果的な書き出しだろうというのはわかる。いろいろなファクターを入力して、将来の大統領選挙出馬に備え、もっとも最適化されたフレーズを出力したら、こうなるのだろう。しかし日本人の感性からみると、かなりあざとい感じがする。少なくとも「粋」なやり方ではない。

それでも、彼女は米国のベビーブーマーズにかなりの人気だ。書店の前で長蛇の列にマイクを向けると、「彼女を尊敬している」「ビルはいい大統領だったし、彼女にも期待している」という声が返ってくる。

多分、彼女は米国で初の女性大統領になれるだろう。しかし、それは米国社会の底の浅さを物語るものでもあるような気がする。

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2003年6月 8日

プエルトリカン・パレード

今日は 5th アベニューでプエルトリカンのパレードがあった。朝 7時頃に散歩に出ると、警察が物々しい警戒に入ろうとしていた。

現地スタッフに聞いたところ、数あるエスニック・パレードのうちで、プエルトリカンのものが最も「アブナイ」のだという。

さもありなん。角ごとにありったけのパトカーが終結して、「騒動」に備えている。

現地スタッフが「ニューヨークの警察って、居てもらいたいときには絶対に来ないのに、実はこんなにいるんですねぇ」とあきれるほどの警戒態勢だ。「ニューヨーク市警、やればできるじゃないか!」

ヒスパニック系住民の日頃の欲求不満が爆発して、流血沙汰になることもあるから、とくにパレードが終わりかける夕方からは気をつけろという。ところが、そう言われると興味津々になってしまうのが、私の悪いクセ(?)だ。

日程に組み込まれていたニューヨーク近郊のショッピングセンター視察から戻ると、ちょうど頃合いも夕方 5時近くである。こうなったら出かけない手はない。

プエルトリカンの人の波に飛び込むと、それはそれは大した熱気である。見るからにノー天気のもいれば、一見して頭のネジが 2~3本外れた「アブナそう」なのもいる。

車道では、人ごみに業を煮やしてちょっとクラクションをならしてしまった白人の車を取り囲んで、「コト」が起きている。あれだけいる警察の死角のできごとで、なるほど「居てほしい時には来ない」というのは本当だ。その後どうなったか、人の流れの彼方のことで、よくわからない。

ラジカセのボリュームを最大にして盛り上がる。暴走族がエンジン音を張り上げる。こちらは時差ボケもあって 7時頃には引き上げたが、さすがニューヨークという「ハイな」光景ではあった。

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2003年6月 7日

13時間のズレ

今回の「一撃」の更新の日付は、一応「H15.06.07 夜」としているが、実のところはよくわからないのである。

成田を夕方に飛び立って、ほぼ 6時間経った。本来の身体感覚では真夜中である。ところが窓の外は明るい。

各座席に備えられた小さな液晶スクリーンで "Flight Map" という画面を出してみると、そろそろアンカレッジ上空にさしかかっていることがわかる。

ニューヨークまでは、あと 6時間 20分と表示されている。とすると現地時間では、今は 7日の昼ということになる。家を出る前に更新した日付も 「H15.06.07 昼」 のはずだ。あれから半日以上経っているのに、時間は止まったままだ。理屈では理解できるが、体は理解していない。

いずれにしても、自分の体に13時間のズレをそのまま押し付けて「今は 7日の昼」と信じ込ませなければならない。ここから先は、居眠りをがまんしたままニューヨークになだれ込みだ。そうしないと明日の朝になっても、体は「宵の口」のままで、時差ぼけに悩まされることになる。

ホテルに到着して夕食を終えたら、Nifty のローミングサービスでインターネットに接続しなければならない。地球の裏側に行っても、ビジネスはほとんどリアルタイムで日本と結べる。それでも、この欄の更新日付は、現地主義ということにさせていただくことにする。

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「時空」 の概念

今日の夕方、成田空港から出発して、12時間遅れの国に行くことになる。ニューヨークについて、もし更新できるとしたら、現地では 7日夜だが、多分日本では 8日の朝以後のことになるだろう。

時間というのは、ややこしいものだ。

「絶対的な現在」というものって、本当にあるんだろうかと思う。

仮にあるとしたら、それに目盛りを付けて呼ぶときに地球の裏表で12時間ずれるというわけだ。目盛りに沿って認識した時点で、それは既に「相対的な現在」になってしまう。

だから「絶対的な現在」は、直観的に感じるしかない。多くの宗教が「瞑想」を重んじる所以である。

天体望遠鏡で観測できる 100万光年の彼方の星の爆発は、「絶対的な現在」 の基準から見れば 100万年前の出来事だが、地球の我々には、「今」の出来事のように認識される。

星の爆発という出来事が、我々に影響を与えるのに 100万年かかっているわけだ。100万光年というのは、実は時間ではなく距離をあらわす単位なのだが、ここでは時間と空間が渾然一体となって認識される。

「時空」というのは本来一つのもので、それを我々人間の不完全な認識器官でみると、「時間」と「空間」という別のものに感じられるだけなのだと思う。

時々は日常の生活感覚から離れてみないと、我々は錯覚の中に埋没してしまう。

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2003年6月 6日

不在者投票で考えた

明後日の日曜日、わが地元は町会議員選挙なのだが、当日は日本にいないので、木曜日に不在者投票を済ませた。

最近は不在者投票が簡単にできるようになったのでありがたいが、まだ投票用紙を封筒に入れて署名するなど、面倒さが残る。

第一、投票用紙を入れた封筒に署名するのでは、無記名投票の原則が甚だ怪しくなるような気がするのだが、これだけは一向に改まらない。

それから投票の参考にするために、立候補者のプロファイルや公約を紹介する広報のようなものはないのかと聞いてみたら、「前日に締め切ったので、現在印刷中で、金曜日に配布することになっている」という。「締め切った」というのは、何を締め切ったのか聞きそびれたが、立候補締め切りか、選挙公報用の原稿締め切りか、どちらかだろう。

申し訳ないが、呆れた。

日曜日の選挙に対して、水曜日の締め切りで木曜日に印刷し、金曜日に配布するというのでは、それ以前に不在者投票をするものには、まともな判断材料が提供されないということだ。選挙カーなんて、土台名前を連呼するだけで、具体的なことは何も言わないわけだし。(参照:「知のヴァーリトゥード」 #16

立候補締め切りだろうが、原稿締め切りだろうが、もっと早めにして投票日の 1週間前ぐらいには選挙広報で立候補者のきちんとした紹介をするくらいがちょうどいいと思うのである。

そもそも投票日の 4日前に滑り込みで立候補するなんて人はいないだろうし、立候補するからには、同時に選挙公報用の原稿も出せるぐらいでなければならないだろう。

すべての段取りは、公職選挙法かなんかで決められたとおりに行なわれているのだろうが、もっと現実に即した運用をしてくれないと、不在者投票の際にまともな判断材料がなく、それでは投票率だって下がる一方だろう。

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2003年6月 5日

バブル時代のお気楽

>今日、ある講演会でバブル時代の重役が社長になるには、会議で何を聞けばよかったかという話を聞いた。

まず「当社の前例は?」、次に「同業他社の動向は?」 、そして「監督官庁の意向は?」 、最後に「皆の意見は?」

これは完全に本当のお話というわけでもなかろうが、バブル時代のお気楽さを示す逸話としては、さもありなんという気がする。あの時代、いかにも景気がよかったように思えるのだが、実は「終わりの始まり」だったのだ。

あの当時は、この程度のことで企業はうまく運営できたのだろう。全体の景気さえよければ、その流れに乗っていればよかったのだ。ボーナスがどっさりと出て、使い道に苦労した時代。銀行が要りもしない融資の話をどんどん持ってきて、土地だの株だのゴルフ会員権を買い漁っていた時代。

遠い昔のようだが、つい 10数年前のお話だ。

実はわたしはこうしたバブルの恩恵に浴した記憶がない。当時、外資系の団体に所属しており、その団体は資金が逼迫していたので、もの皆浮かれるバブルの真っ只中で、不景気な顔をしていた。しかしおかげで株や土地に手を出すこともなく、大きな怪我をせずにすんだ。何が幸いするかわからない。

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空き地の草木

このところ多忙に紛れて気付かなかったが、家の隣の空き地にあるアジサイが咲き始めていた。梅雨が近い。

この空き地は、私が勝手に野ばら、シャリンバイ、アジサイを植えたのだが、世話をサボったために、皆枯れかけていた。

それを見かねたお向かいのご主人が、「私が世話をしていいですか?」と聞いてきてくれた。もとより公共の空き地で私の私有地ではないから、「どうぞ、どうぞ、助かります」とお願いしたのが、去年の春先である。

それから彼は地面を掘り、根っこに絡みついた雑草の根を取り払い、肥料を与え、丁寧な世話をしてくださった。おかげで、枯れかけていたのが見事に生き返ったのである。 お礼を言うと、「どうせ、定年で暇なんだから、いいんですよ」と言ってくれるのだが、本当にありがたいことだ。

自分の庭を手入れするだけでも、結構大変な作業になる。私の場合は別に庭道楽でもないので、まぁ自分の家のことだから、あまりみっともない様子にもしておけないと、なんとか最低限の世話をする程度だ。

それを思うと、近所の空き地の草木まで世話してくれるというのは、いくら好きでもそうできることではない。

本来ならば、植えた手前、行きがかり上で言えば、世話をしなければならないのはこちらである。なんとなくバツの悪さも感じながら、帰郷などの折にはおみやげを買ってくる程度で勘弁してもらっている。

このあたりには、こうしたご近所づきあいの良さが、まだ残っている。

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2003年6月 4日

「銀髪鬼」の死

フレッド・ブラッシーが死んだというニュースが入った。この名前を知るのは、45歳以上か相当のプロレス・マニアである。

「銀髪鬼という異名で知られ、「噛み付き」という最も原始的な「ワザ」で一世を風靡した。最高の「ヒール」だった。

力道山との一戦では、テレビ観戦していた老人があまりの残虐さに興奮してショック死した。1人や 2人ではない。全国で 6人も死んだのである。思えば純朴な時代だった。今ではプロレスでそこまで興奮する者はいない。

私はブラッシーという存在から、多くのことを知った。

最初に度肝を抜かれたのは、彼が前歯をヤスリで研いでいるシーンである。私は歯医者で歯を削られるだけで飛び上がるほど痛いのに、この男は一体何なんだ!? しかし、直に疑問は解けた。彼の歯は総入れ歯だったのである。

「噛み付き」というワザを際立たせるために、わざわざ総入れ歯にしてヤスリまでかけて見せる。プロのギミックとはいえ、大した根性である。

次の疑問は、少々込み入っている。力道山やジャイアント馬場は、なぜにあんなにたやすく額に噛み付かれるのかという疑問である。実際は、そう容易に他人の額になど噛み付けるものではない。

そもそも、相手の額に噛み付こうなどというのは、「人中」(鼻の下)という急所をわざわざ頭突きの射程距離に差し出すという、非常に愚かな行為なのである。

しかし力道山やジャイアント馬場は、自分の額から血を流してまで、ブラッシーの「噛み付き」というワザの共同演出者として振舞うのだった。

私は、ブラッシーというのは本当は「いい奴」なのだと思った。そうでなければ、あんなに献身的に額を噛ませる奴などいない。果たせるかな、ブラッシーの素顔は、日本人妻を愛する紳士なのだった。

プロレスは相互の信頼の上に成り立った「受け」の美学であると知った。これは奥の深い真理であった。

 

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2003年6月 3日

「ゆったり派」と「あくせく派」

今、徳山から帰ってきたところだ。広島~東京間は、初めて「のぞみ」に乗った。

以前は、たかだか20~30分早く着くために「のぞみ」の割高料金を払うのは馬鹿馬鹿しいと思っていたが、今回はそれが必要になる時もあることを実感した。

何しろ徳山は遠い。飛行機を使おうかとも思ったが、それだと、どうせ宇部空港から新幹線で少し戻らなければならない上に、便数が少ないから、結局大して時間を節約できない。コストが倍近くになるだけの話である。

帰りは徳山を立つのが夕方になり、「ひかり」だけで戻るとなると、常磐線の終電に間に合わず、家にたどり着けなくなる。それが「のぞみ」を使えば家に帰れるのだ。たかだか 20~30分の違いが、結局は一晩の違いになる。

ゆったりとした旅の趣きも捨てがたいが、忙しいときの時間は何物にも替え難い。「ゆったり派」が「あくせく派」をさも愚かであるかのように哀れむのはたやすいが、「あくせく派」にはそれなりの理由があって「あくせく」しているのである。「あくせく」できる選択肢が用意されていることはありがたいことだと実感した。

ゆったりした旅をする選択肢もちゃんと残されているのだから、「ゆったり派」はそちらを選べばいいだけの話だ。私も、たまにはゆったりとした選択肢を選べる身分になりたい。

 

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2003年6月 1日

最近、旅づいている

昨日、水戸に出張して予定より早く切り上げられたので今朝早く自宅に戻り、こうして更新にとりかかっている。

この更新を終えたら、新幹線に乗って徳山に行く。近頃なんだかんだで飛び回る機会が多く、土日も何もない。

挙句の果てに今度の土曜日から米国行きだ。妙に旅づいている。

米国でもできるだけ更新したいと思うのだが、ホテルからローミングサービスでアクセスすると、かなり割高の電話代を取られるから、仕事関係以外のアクセスは、最低限のことになりそうで、個人サイトの更新に費やす時間も限られる。第一、アナログ 56KB の速度ではかなりイライラするし、時差ぼけでそれどころではないかもしれない。

思えば、最初に行った外国はドイツだった。今から23年前のことである。以来、ドイツには 4回行った。訪問都市はすべてフランクフルトである。アメリカは、ニューヨークに 5回、サンフランシスコに 2回、ロスアンジェルスとシカゴに各 1回。そのほか、香港に 4回、パリに 1回。他の国には一度も行ったことがない。かなり偏っている。

>私の海外旅行は、100%ビジネスがらみである。純然たる観光で行ったことは一度もない。だから、香港には 4度も行っているのに、ヴィクトリア・ピークには一度も登っていない。

今回のアメリカ行きで、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコへの訪問回数がまた 1回ずつ増えることになる。本当は東欧やインドにも行きたいのだが、まだ縁がない。

観光であちこち行ける身分に、早くなりたいものだ。

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