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2003/06/13

スローフードを見直した

今日は米国視察の最後の夜。昼に、某大手食品会社の物流センターを見学した。

とても効率化されたロジステックス・システムだったが、私としては、現代の食品が我々の口にはいるまでに、いかに遠回りのルートを経て、高コストをかけているかに、感心してしまった。

最近、「スローフード」 というものが喧伝されているが、なるほど、実は合理的なものかもしれない。

スーパーマーケットで売られている食品が、原料の産地からトラックに載せられて加工工場に着き、いくばくかのコストによって、消費者市場に出回る 「製品」 となり、さらに物流センターに運ばれ、小売店の要請する姿に整えられて、店頭に届けられる。その距離を合計したら、かなりのものになり、ガソリンあるいは軽油の消費量だけでも大変なものだろう。

その間には、パッケージに要するボール紙、段ボール、ビニール、発泡スチロール、その他、いろいろな製品がくっ付けられては捨てられる。

我々の口に入るのは、ようやくそれからである。しかし、これらのプロセスは、産業革命以前ならば必要のないものだった。

その土地で取れた食材を生のまま消費者に届け、消費者が自分の家庭で好きな献立に調理してその日のうちに胃袋に入れてしまう。これは、実はつい昨日まで我々がやっていたごく普通のプロセスだったのだ。

私は正直なところ、これまでは 「スローフード」 というのは、ある種贅沢なムーブメントだと思っていた。ところが、今日、ごく普通の食品の流通がいかに 「本来は必要としない」 プロセスを経ているかを目の当たりにして、考えが変わった。

テクノロジーを駆使して食品の長い長いプロセスラインを合理化するより、すぐ近所でできたものをその日のうちに食べてしまうことの方が、より合理的なのだということに気づいたら、世の中はガラリと変わってしまうに違いない。

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