地域通貨というコンセプト
パンの購入代金としてのお金と、株式市場で資本として投資されるお金は違う」と言ったのは、ミヒャエル・エンデである。
アカデミックな経済学はどちらも同じ「貨幣」として扱うのだが、よく考えると、この二つは確かに違うように思えるのである。
かなりシンプルに暮らしても「パンを買うお金」は必要だが、株式投資は必要としなければ全然必要でない。現に私は一度も株式投資というものをしたことがないが、何の不便もなく生きていられる。
さらば、株式投資に使われる「資本」としての投資は、「パンを買うお金」というシンプルな段階からの発展形かといえば、そうとも言い切れない。発展形というよりは、まったく別の用途に同じ形のものを使用しているという感もある。
子供の頃に感じた疑問に、今の経済学は明確に答えてくれない。その疑問というのは「社会として、どうしても必要なものでも、『予算』がないという理由で作られないのは何故か」という疑問である。それは「生きるために必要な食料を、お金がないために買えないという事態が生じるのは何故か」という疑問と、結局は同じことである。
生きるために必要な食料を買うのに、大して必要でもない株式投資に使うのと同じ「貨幣というメディア」を使うのは、土台無理があるのではないか。同じメディアを使うという制度にしてしまったがために、株式市場に回るお金はあるのに、貧乏人のパンを買うお金がないのである。
その意味で「地域通貨」というのは注目すべきコンセプトである。失業していてもボランティア活動をすれば「パンを買うお金」= 地域の商店街でパンと交換できるメディアを発行してもらえるというのは、しかるべき姿である。そのボランティア活動によって「予算がない」という理由で棚上げになっていた社会事業が遂行されるとしたら、一挙両得だ。
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