« 米国の爪切りは大雑把 | トップページ | "Enya" は「エンヤ」じゃないのか »

2003年7月25日

「突然の大きな音」 に弱い私

私は 「突然の大きな音」 に弱い。道を歩いていて、車のパンクの音や、工事現場で鉄板がぶつかる音なんぞが響いたら、 本当に心臓が縮み上がるほど、驚いてしまう。

どうしてみんな平気な顔で歩いていられるのかと、不思議に思うほどだ。

大抵のことにはあまり動じないでいられるのに、どうして 「音」 だけには弱いのか。これはどうも、生まれた直後に受けたトラウマらしいのである。

私は 7月26日に生まれた。田舎では例年、私の誕生日の 1週間から 10日後ぐらいに、「港祭り」 というのが開かれ、花火が盛大に打ち上げられる。そして、私の生家は港のすぐ近くだったため、花火の音が腹に響くほど間近で聞こえるのである。

大分後になってから母に聞いたのだが、生まれたばかりの私は、花火が打ち上げられるたびに驚いて、体全体でビクンビクンと反応していたらしい。「ホントに飛び上がるほど驚くから、皆、花火よりお前を見て笑ってたんだよ」

「それだよ! それが今でも直らないんだ !!」 と、私は叫んだのである。

そうだったのか、自分が 「突然の大きな音」 に弱いのは、この原体験のせいだったのだ。「三子の魂百まで」 と言うが、生まれて半月も経たない無防備な私は、腹に響くほどの大音響で、一晩中、何度も何度も執拗に脅かされたのだ。そして、何と、家族全員でそれを見て笑っていたというのである!

これがトラウマとして残らないはずがあるだろうか。平気でいろという方が無理ではないか。

ともあれ、かくも大らかな家族のおかげで、私もまた、大らかに育つことができた。トラウマは一つ残ったが、ありがたいことである。そして誕生日がまた来る。それは明日である。

|

« 米国の爪切りは大雑把 | トップページ | "Enya" は「エンヤ」じゃないのか »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 米国の爪切りは大雑把 | トップページ | "Enya" は「エンヤ」じゃないのか »