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2003年7月18日

武士のお金と庶民のお金

先月 「パンの購入代金としてのお金と、株式市場で資本として投資されるお金は違う」 というミヒャエル・エンデの説を紹介した。

江戸時代には、高額決済に使うお金 (小判) と、日常生活に使うお金 (寛永通宝) とは別々の体系による通貨だった。

江戸時代の通貨は、金貨 (一両小判、一分金、一朱金)、銀貨 (丁銀、豆板銀、一分銀、一朱銀)、銭貨 (寛永通宝: 一文銭、四文銭) の 3種類あったらしい。これらは独立した体系の貨幣で、おおざっぱに言えば、金貨は上級武士、銀貨は下級武士と商人、銭貨は庶民の使うものだった。

一両は大体今の10万円に相当し、両替屋での交換率は、金一両が、銀五十匁 (後に六十匁)、銭四貫 (四千文) と定められていた。庶民は小判や銀貨を持っていてもしょうがないので、何かの機会にそのような高額貨幣を手に入れることがあっても、両替屋で銭貨に交換していたようだ。

今の感覚で言えば、株券や国債などを持たされても、日常の買い物の役には立たないので、さっさと換金してしまうというようなものか。ある意味、健全な感覚だ。

四千文で一両 (10万円) ということは、一文は約 25円に相当する。これではいくらなんでも 「おから」 ぐらいしか買えないが、四文銭は重宝された。これが大体今の 100円にあたる。

江戸時代は蕎麦一枚が十六文だから、大体400円。まぁ、今とそんなに変わらない。何ゆえに十六文などという半端な値段だったのかといえば、江戸前の蕎麦は蕎麦粉八割うどん粉二割の二八蕎麦だから、にはち十六文だという説もある。

しかし基本的なことを言えば、庶民の通貨が一文銭と四文銭しかなかったからだ。江戸時代の値段が、八文、十二文、十六文など、四の倍数ばかりがやたらに多かったのはこのためである。

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