« 時間の止まる夏 | トップページ | 「がんす」と「のぅ」 »

2003年7月29日

「恋人」と「愛人」

先日の NHK山形の「爆乳キャスター」さん関連で、書こう書こうと思いながら忘れていたネタを、今日書かせていただく。

早稲田小劇場の鈴木忠志氏が30年近く前、大学の授業で突然 「君たち、田中角栄のお妾さんを何と言う?」と言い出した。

彼は週一の非常勤講師として、「演劇における身体性」 の講義を受け持っていた。楽しみな講義だった。

話を元に戻すが、彼は、田中角栄のお妾さんを「愛人」と言ってしまっては、ちょっと違うだろうというのである。

「これが、ジスカール・デスタン (当時のフランス大統領: 貴族の出) だったら、どうなると思う?」 彼は言った。「フランス人なら、ためらわず『恋人』と表現するだろう」

「庭でステテコはいて鯉に餌やってるおっさんのお妾さんは、『恋人』という感じではないなぁ」
「いや、それは偏見ではないか?」
「恋人と愛人は、どう違うんだ?」
「独身なら恋愛の相手は『恋人』だが、浮気の相手は『愛人』だ」
「ならば、独身は恋して、妻帯者は愛するとでもいうのか?」
「愛人の方が、淫靡だ」

議論百出した。

言えることは、フランスだったら柱谷氏は監督を辞めなくて済んだだろうということだ。アメリカなら、やっぱり辞めることになるかもしれないが。

アメリカはピューリタニズムが案外幅を利かせているが、フランスは色恋沙汰では野暮は言いっこなしよという感覚がある。日本の場合は、その場その場の雰囲気だ。恋人だったり、愛人だったり、お妾さんだったりするので、一概に決め付けられないのだろう。

|

« 時間の止まる夏 | トップページ | 「がんす」と「のぅ」 »

比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 時間の止まる夏 | トップページ | 「がんす」と「のぅ」 »