「恋人」 と 「愛人」
先日の NHK山形の 「爆乳キャスター」 さん関連で、書こう書こうと思いながら忘れていたネタを、今日書かせていただく。
早稲田小劇場の鈴木忠志氏が30年近く前、大学の授業で突然 「君たち、田中角栄のお妾さんを何と言う?」 と言い出した。
彼は週一の非常勤講師として、「演劇における身体性」 の講義を受け持っていた。楽しみな講義だった。
話を元に戻すが、彼は、田中角栄のお妾さんを 「愛人」 と言ってしまっては、ちょっと違うだろうというのである。
「これが、ジスカール・デスタン (当時のフランス大統領: 貴族の出) だったら、どうなると思う?」 彼は言った。「フランス人なら、ためらわず 『恋人』 と表現するだろう」
「庭でステテコはいて鯉に餌やってるおっさんのお妾さんは、『恋人』 という感じではないなぁ」
「いや、それは偏見ではないか?」
「恋人と愛人は、どう違うんだ?」
「独身なら恋愛の相手は 『恋人』 だが、浮気の相手は 『愛人』 だ」
「ならば、独身は恋して、妻帯者は愛するとでもいうのか?」
「愛人の方が、淫靡だ」
議論百出した。
いえることは、フランスだったら、柱谷氏は監督を辞めなくて済んだだろうということだ。アメリカなら、やっぱり辞めることになるかもしれないが。
アメリカは、ピューリタニズムが案外幅を利かせているが、フランスは色恋沙汰では野暮は言いっこなしよという感覚がある。日本の場合は、その場その場の雰囲気だ。恋人だったり、愛人だったり、お妾さんだったりするので、一概に決め付けられないのだろう。
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