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2003年8月 2日

食べ合わせのフォークロア

ホームページの永代供養」 なんていうコラムを書いてしまったためか、「死」ということを考えてしまった。私は子供の頃、「死」を具体的に意識したことが 2度ある。

一度は 12歳の頃の「新潟地震」 の時だが、それより前、幼稚園の頃にも幼心に「死」を覚悟したのである。

山形庄内の田舎のこととて、私は三世代同居の家で子供時代を過ごしたのだが、祖母は「食べ合わせ」には大変うるさい人だった。「○○と△△」 は一緒に食うなとか、「××と◇◇」と一緒に食ったら死んでしまうとか、コトあるごとに言うのだった。中でも最悪なのが、「イカの塩辛と梅干」の食べ合わせである。これを一緒に食ったら、たちどころに死んでしまうと言うのである。

ところが祖母と二人きりで留守居をしていたある日、私はうっかりと、まさにこの組み合わせのつまみ食いをしてしまった。それがバレた時、祖母は冷酷にも「おぉ、死んでしまう」と言い放ったのである。幼い子供にとっては、これ以上のショックはない。

「本当に死ぬのか」 と聞くと、「イカの塩辛と梅干を食ったら死ぬと、昔から言う」と答えるのである。これはもう、後悔してもし切れない。頭が白くなった。

何よりも切ないことに、祖母はそれっきり私を放っておいたのである。医者を呼ぶわけでもなく、病院に担ぎこむのでもない。何事もないように日常の家事に戻ったのだ。私は、これはどう手を尽くしても甲斐のないほどに 「手遅れ」 なのだと理解した。

それから半日、私は泣き喚くこともなく、ひたすら大人しく自らの死を迎えようとした。死ぬのは仕方ないと思ったが、その前にさぞ苦しかろうと、それが恐ろしかったのを憶えている。

ところが、何時間経っても死ぬどころか、腹痛すら起きない。祖母に「いつ死ぬのか」と尋ねても、「死ぬ」としか言わない。そうは言っても、そのような兆候はまったく現れない。夜になってもまだピンピンしていて、いつの間にか「死」の恐怖は消えてしまった。

「食い合わせ」というのはほとんどが迷信だと知ったのは、小学校 3年か 4年の頃である。それまで私は、「あの時は『運良く』死を免れた」ものとばかり思っていた。

祖母は本当に私が「死ぬ」と思っていたのだろうか? あるいは、死なないと知っていて「死ぬ」と言ったのだろうか。私は長い間、それが疑問だった。後者だとしたら、相当に残酷な話だ。

しかし、その後に私はこう理解できた。祖母の頭の中は、「現代」ではなく、「近代」 、はたまた 「近世」ですらなかったのだ。

彼女は、「はひふへほ」を「ふぁふぃふふぇふぉ」と発音する人だった。これは音韻学によれば、奈良時代の発音である。「歯が痛い」というのを、「ふぁ、病める」と言った。昭和の御代に、奈良時代の物言いを維持する、「生きたフォークロア」 だった。

彼女
の生息する 中世以前」の感性においては、「食い合わせで死ぬという言い伝え」は、「死なぬという事実」 よりはるかに重視すべきテーマだった。伝承によるファンタジーの価値は、実証的事実に勝るのである。

だから大事な孫を目の前にしても、「事実」はどうあれ、「言い伝え」を忠実に繰り返す以外に選択肢はなく、いわば「オートマチック」な反応なのであった。これを現代の感覚から 「残酷」 と非難するわけにはいかない。

私のフォークロア的感性は、昨日や今日に始まったことではない。年季が入っているのである。

 

【2020年 1月 25日 追記】

この記事は、2011年 7月 29日 付の "単に 「もっともらしいだけ」 というのも、それなりに意味がある"  に、ほとんどそのまま再録されている。この「ココログ」というブログシステムは、2003年には存在しなかったので、2011年に改めてココログに書いたという事情である。

そしてこの記事は私の個人サイトに収録し、2019年にココログに移転させた。そのため同じ内容の記事が 2本という変則的なことになったことをお断りしておく。

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