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2003年9月15日

ソ連時代のロシア人との交流

30年近く前の夏休み、故郷の酒田でライブコンサートが開かれた。出演者も客も皆、身内だけの、酔いどれライブである。

一通りプログラムが進むと、あとは酔いに任せて飛び入りの連続。そこにロシア人が一人現れて、歌わせろと言い出した。

どうも酒田港に入港しているロシア船の船員らしい。昼から酒が呑み放題のライブに紛れ込んで、しこたま飲んでしまったようで、片言の英語と身振り手振りで、「ギターを貸せ」 「俺も歌う」 と言っている。どこの国にも酔えば歌わずにはいられないヤツがいるようだ。「よ~し、面白い、歌え」 ということになった。

カチューシャを歌えというと、大乗りで歌い始めた。上手ではないが、さすがに本場、味がある。その場で大受けしてしまって、酒をじゃんじゃん振舞うと、このロシア人、ますます酔っ払って悪乗りし、次から次へと誰も知らないロシアの歌のメドレーになって、いつまでもギターを放さない。そろそろうっとうしくなったので、そいつの予定を聞くと、「今日、これから出航」 という。

出航は何時かと聞くと、訛りが強くて聞き取りにくい英語で 「スリー・オ・クロック」 という。時計を見ると、3時 15分前だ。

「おい、やばいじゃないか、誰か送ってやれ」 ということになり、たまたま酒を飲んでいなかったヤツが車を運転して酒田港まで送ると、ロシア船の甲板で待ちかねた連中が、必死こいてタラップを上る酔っ払い船員に向かって非難ゴウゴウだったということである。私はその頃、再びステージに立って延々と歌っていた。ロシア人より始末が悪い。

帰り道、「あのロシア人、きっとシベリアで強制労働だな」 という話になったのであった。

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