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2003年9月29日

企業の無駄と国家の無駄

メーカーは、常に新製品を出し続ける宿命を背負っている。新製品発表のプレスリリースを見ると、販売目標として初年度いくら、3年度目いくらという額が記されている。

しかし、その額をクリアできる製品は、10のうち 3つもなかろう。

すべての新製品がその目標をクリアしていたら、ほとんどの企業の年間売上高は現状の何倍にもなっていなければならない。そうでないということは、多くの企業の新製品開発は、無駄に帰しているというわけだ。

これをどう捉えるかは問題である。

無駄な商品開発を即刻中止すべきだという見方もあるだろう。しかし、本当は無駄に帰した 7つか 8つのの開発があってこそ、残り 2つか 3つのヒット商品が実現しているのである。従来 10行っていた商品開発を 2つか 3つに絞り込んだら、成功するのは、年に 1つも生まれまい。要するに確率の問題だ。

とはいえ、打率を高めることはできるはずだ。マーケティングや調査研究をきちんと行い、従来は 3割以下だった打率を、イチローの打率程度に高めることは可能だろう。その効果は打率を高めるだけではすまない。企業の体質を強化することにもつながるだろう。

この喩えは、企業の製品開発だけではない。国家の事業においても言えることだ。税金の無駄遣いを減らし、国家としての体質を改めることができるはずである。問題は、企業にできることが、国にはできなかったりすることが多いということだ。

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