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2003年9月10日

まっとうな論理が通らないわけ

野中さんが 「参院の一部の権力を握る人は、政策も何もない。郵政と日本道路公団の民営化には反対すると言う。なのになぜ小泉首相を推すのか」 と非難したという。

これだけを聞いたら、至極真っ当な論理に聞こえるではないか。

至極真っ当な論理が、何ゆえこれほどまでにピンボケに受けとられてしまうのか。それは、これまでの自民党が、政策面では必ずしも一致しないのに、単なる行きがかり上や、選挙で勝つためのご都合主義だけで離合集散を繰り返してきた歴史があるからだ。

今回の動きを取り上げて、さも破廉恥のように批判しては、自民党の歴史そのものを破廉恥として糾弾しなければならないではないか。

本来ならば、このような真っ当な論理が日常的に通用する政治でなければならないのである。そうでないから、市井に暮らす一般の人は政治に何も期待しなくなる。

先日の埼玉県知事選挙でも、投票率の極端な低さが問題となったが、投票したくない人の気持ちもわかろうというものだ。お上は、投票しない人に対して、せっかくの政治への参加の機会を放棄しているというが、投票したところで、政治に参加している気はほとんどしないのである。いつもきちんと投票している私が言うのだから、本当である。

それは政治家の動きが、理念に沿っているのではなく、行きがかり上のご都合主義に流されているからである。選挙の時の 「約束」 が果たされないからである。投票率の低さは、選挙民の責任というよりは、政治家の責任である。

「あの程度の政治家ならば、選びたくない」 という心理を、政治家はわかっていないのである。一定の利害関係で自分に投票してくれる人だけを相手にしているのである。それだから、「あの程度」 と言われるのである。

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