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2003年10月 6日

吊革への執着

以前、「知のヴァーリトゥード #24」 で、 「我を張らない」 ことの重要さを書いた。

要するに 「我を張る」 ことは、ますます自分自身を苦しめることになると主張したのだが、道路公団の藤井総裁を見て、呆れてしまい、改めてその感を強くした。

藤井氏は、電車の中で一度つかんだ吊革を、絶対に放そうとしないで踏ん張り続ける人である。藤井氏が最初に吊革をつかんだ時は、電車がある程度空いていた。ところが、途中駅に止まる度にどんどん人が乗り込んできて、ぎゅうぎゅう押される。藤井氏は、どんなに人が乗り込んできて押し合いへしあいになっても、一度つかんだ吊革を放さない。押されても必死に押し返す。その結果、藤井氏の周囲は人の流れが阻害され、窮屈この上ない状態になる。

どうすればいいか、周りからは一目瞭然でわかる。藤井氏は、ちょっとだけ譲って、今つかんでいる吊革を放し、人の流れに乗ってほんの少々移動し、行った先で、改めて手近の吊革につかまればいいだけの話である。実は、早めに諦めて別の位置に移動した方が、結果的にベターな位置で別の吊革につかまれる可能性が高い。

ところが、当の本人にだけはわからない。今つかんでいる吊革を放してしまったら、人生の終わりのような気になっている。この吊革こそが自分の存在基盤を支えるものと思ってしまっている。

「自分は何も悪いことはしていない」 と思っている。確かにそうだ。一度居心地のいい位置でつかんでしまった吊革は、誰だって放したくはない。それに、吊革をつかみ続けることを禁止する法律なんてないのだから、周りにどうこう言われるのは、甚だ心外だろう。

それでも、放した方がいいものは、放すべきなのである。周囲にとっても当人にとっても、結局はその方がずっと楽なのだから。

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