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2003年10月22日

「なんば」 の動き

近頃、「なんば」 が注目である。巨人の桑田投手が昨年 「ねじらない、ためない、うねらない」 と言い出したあたりから 「むむ?」 と思っていたが、陸上の末続選手が 「なんばの動き」 を言い始めて火がついた。

これは日本特有の古武術的動きである。

一般には右手と右足が同時に出る動き (普通の「近代的歩行」 とは逆) とされているが、そう単純に言い切ることもできない。いろいろなバリエーションがある。腰を中心に半身になる動きという方が実際に近いかもしれない。

「なんば」 については、演劇評論家の故・武智鉄二氏が 「伝統と断絶」 という著書の中で詳細に触れている。氏は早稲田大学の講師として演劇論の講義を担当された時、「腕で反動をつけることの下手な日本人は、短距離競走では勝つことができない」 とおっしゃっていた。まさか末続選手のような走者が現れるとは考えなかったに違いない。

武智氏の 「なんば」 は演劇的な、つまり様式美としての視点からみたものだったので、その 「戦闘的実効性」 については、近代的軍隊の集団行動 (行進など) にはまったく向かないなどの他には、あまり考察されていなかったようだ。しかし、古武術のフィルターを通すと、「なんば」 は非常に優れた身体理論だったわけだ。

それは武智氏も勘づいておられて、著書の中で、戊辰戦争における 「農民兵」 は、西洋式身体訓練を経る前は、「武士」 という専門的集団にまったく歯が立たなかったと述べておられる。同じ 「なんば」 でも、農耕生産に密着した身体所作と、武術に昇華させたものでは、質が違っていたようだ。

農耕生産の 「なんば」 の動きとは、とりもなおさず、鍬を振るったりするときの半身の姿勢である。刀や槍を構えるときの姿勢と共通している。しかし、それだけではダイナミックな戦闘的な動きとはなり得なかったようだ。

実は私も古武術の流れを汲む合気道をかじっているので、この 「なんば」 の動きは得意といえば得意である。人混みの中で、人とあやうくぶつかりそうになった時など、さっと身をかわし、一瞬にして相手の後ろに出て、すたすた歩き去ってしまうので、相手は目を白黒させることがあるらしい。だが、このくらいは、ちょっとかじった人ならなんなくできることで、威張るほどのことでもなんでもない。

ウチの娘などは 「おとうさん、その忍者みたいな動き、止めてよ」 と言うのだが、身に付いてしまっていて咄嗟の時は無意識に出てしまうので、自分でもとまどっている。

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