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2003年11月に作成された投稿

2003年11月30日

状況を見極めて判断

「状況を見極めて判断」とは、最近の小泉首相の答弁の決まり文句である。与党にも野党にも敵だらけの首相にとって、誰にも言質を取られたくない気持ちはわかるが、これではあまりにも芸がない。

昨年の内閣改造に関しての質問への答え方と同じだ。これでは相手にされなくなる。

この回答を繰り返すというのは、「行き当たりばったり決める」と言っているのと同じことだ。そうでなくするためには、「いつ、誰が、何を、どのような規準で」、「見極めて判断」するのかを示さなければならない。首相の答弁には、主語と目的語と補語が完全に抜け落ちているので、何の意味もないのである。

何の意味もない答弁をお約束のように繰り返すというのは 「本当に内容がない」か「言いたくない危険な検討を、秘密裏に行っている」かのどちらかである。そう受け取られても仕方がない。どちらに受け取られてもイメージは低下するのだから、この答弁というのは、実は 「最悪」 の答弁なのである。

その最悪の答弁を繰り返さざるを得ないというのは、よりよい答弁の仕方を知らないか、具体的説明をしてしまったら、最悪よりさらに悪い結果を生じるとみているかのどちらかである。いずれにしても、それでは任せきれないではないか。

これでは小泉内閣への期待度は低下する一方である。彼は「国民の期待」という「ただ一点のファクター」で支持されたのだから、それを失ったら何も残らない。国民と政治屋と、どちらを本当の味方に付けるのか、きちんと判断しなければならないところなのに。

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2003年11月29日

チェコのバドワイザー

巨人の球団代表の「代理人ではなくアドバイザー」発言から、ふと「バドワイザー」を思い出した。ご存じの米国ビールである。

しかし、「バドワイザー」はチェコスロバキアにもある。これは噂としてはかなり知られているが、実際にチェコのバドワイザーを飲んだことのある人は少ない。

私はチェコのバドワイザーを飲んだことがある。それはとても不思議な味のビールだった。

チェコ共和国がまだお隣のスロバキアと連邦国家の体制をとっていた頃、多分1980年代の終わり頃だったと思う。チェコスロバキア共和国が日本向けアパレル輸出促進のための展示会を開催した。その記者会見に参加した時、飲み物として振る舞われたのが、この「チェコのバドワイザー」だった。

今、その時の印象を思い出せば、みずみずしいフルーティ・フレーバーのあるビールだった。ドイツのコクのあるビールともまた違う。日本人の舌には、ビールと言うよりは「泡の出るアップルワイン」という感覚だったように思う。

その時、チェコの担当者は「アメリカのバドワイザーを偽物呼ばわりするつもりはないが、より歴史のあるのは、我々のバドワイザーであることを認識してもらいたい」みたいなことを言っていたように記憶している。なかなか大人の物言いだった。

私はアメリカのバドワイザーは金を払ってまで飲もうという気にはあまりならないが、あのチェコのバドワイザーならば、自腹でもう一度試したいという気がする。

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2003年11月28日

中途半端な寝業師

巨人の上原投手の契約更改時の「代理人」について、三山球団代表は、「代理人ではなく、アドバイザー」と発言、大方の「シラケ気分」を誘っている。

原前監督の「辞任」会見時にも、早々と「次期監督」を同席させ、世間の反発を買った。この人「客商売」をわかっていない。

スポーツファンの最も嫌う類の仕業を、短期間のうちに 2度も続けてやってしまった。この人、ちっとも「やり手」じゃない。本当のやり手だったら、同じことでも、もっと上手にやる。

例えば原前監督の後任が楽屋裏で決まっていたとしても、しばらくは難航しているポーズをとり、半月ほどしてから堀内新監督を出席させ、「何度も固辞されたが、ようやく三顧の礼で迎えることができた」みたいな言い方で発表すべきだった。その方が世間の抵抗はずっと少なかったはずだ。

今度の「代理人」にしても、「球団側としては『厳密に言えば』代理人ではないという認識なんだけどなぁ」という「つぶやき」程度でも、十分にその効果は発揮できたはずなのに、交渉終了直後の最悪のタイミングで声高に余計なことを言って、周り中の反発を買っている。

今は昔の「江川問題」にしても、 「協約の穴をついた(ということは、少なくとも 『協約違反』 ではない)」措置で入団させた江川を、ゴチャゴチャした正真正銘の「協約違反」の特例措置で、関係のない選手まで巻き添えにして、最終的に獲得してしまった。

ご本人は「うまくやった」と満足かもしれないが、こう言うのを日本語では「策に溺れる」と言うのである。あまりにも中途半端な「寝業師ぶり」ばかり発揮していると、いくら何でもファン離れが起こる。

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2003年11月27日

清澄山の騒動に思う

清澄山で中高年 30人のハイキンググループが一晩行方不明になり、ちょっとした騒動になったが、無事でよかった。

ニュースを聞いた時、「清澄山ごときで、どうやったら遭難できるんだ?」 と思ったが、どうやら、高原の先で道を間違えたらしい。唯一の可能性にひっかかったようだ。

このニュースの教訓は、やっぱり 「皆で渡れば恐くない」 はウソだということだ。こう言ってはなんだが、年寄りが 30人も集まって、ワイワイガヤガヤと山道を歩いたら、危ないといえば危ないのだ。もしも私がそんな一行のガイドをやれと言われたら、ぞっとする。

日本人は団体行動が好きなくせに、いざ実際に団体行動をさせると、本当に下手だ。たかだか 10人足らずのグループでも、最後尾なんか、きょろきょろ、ぺちゃくちゃ、のろのろで、必ずと言っていいほど、どんどん遅れてしまう。30人もの年寄りグループがぞろぞろ連なっていたら、先頭と最後尾では、相当な距離が開いてしまうだろう。

そんなのを統率しようと思ったら大変だ。ガイド役は 3人いたというが、それではきっと足りない。10人に 1人しかいないことになるし、そのガイドにしても、同年代のお年寄りだったというではないか。ちゃんとした前方の道を探るより、最後尾がはぐれないように気を配るだけで、相当に気疲れしてしまう。多分、道に迷った時の状態はそんなだったのではないかと想像する。

いくら年寄り同士でも、5~6人の小グループに分かれて、それぞれが責任を持って歩くようにしたら、迷わずに済んだと思うのだ。「みんなで渡る」 時は、本当に気を付けなければならない。

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2003年11月26日

RFID の今後

IT業界では、"RFID" が注目の的だ。これは ICチップを利用して、非接触でデータの読み取りを行うもの。身近なところでは、JR東日本の "スイカ" が有名だ。

それどころか、一部ではセキュリティ利用のために、微少な IC チップを人体に埋め込むという構想まで検討されている。

人体 (腕の部分になるらしいが) に IC チップを埋め込めば、大切な IDカードを紛失したり、タクシーの中に置き忘れたりすることもなく、常に 「肌身離さず」 (まさに文字通りだ) 携帯していられるというわけである。ICチップは、小さなものでは砂粒の半分ぐらいの大きさが実現されているので、体内に埋め込まれたからといって、違和感を生じることもなさそうだ。

しかし、かといって手放しで喜ぶわけにもいかない。例えばスリをはたらく場合、従来の ID なら内ポケットから抜き取ればいいだけだが、体内に埋め込まれたりしたら、せっぱ詰まった泥棒なら、腕を切り取る行為に及ぶかもしれない。少なくとも、ナイフで斬りつけられるなんていう事件は起こりうるだろう。これまでならば、警察とカード会社に盗難届を出せば済んだのに、そうなったら、盗難届より先に 119番して救急車を呼ばなければならない。

それから、そんなに小さな ICチップが流通したりしたら、例えば、スーパーで買ったリンゴに付いていた ICチップを間違ってリンゴと一緒に食べてしまったりすることも出てこないとも限らない。そうなったら、排出されるまでの間は、時と場合によっては、その人は 「販売済みのリンゴ」 として認識されることになる。

体内に埋め込まれた チップのデータが、何かの拍子に消失したりしたら、その時から、その人は 「誰でもない人」 ということになる。よほどの対策が進まない限り、タクシーの座席に置き忘れる方がまだマシということになる。

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2003年11月25日

英語の擬音語、擬態語

日本語は擬音語、擬態語が豊富だと言われる。「ぽかぽか」「ふわふわ」「ちょこまか」などなど、いくらでもある。

それに比べて、英語の擬音語、擬態語は少ないと言われている。思い浮かぶのは、bow-wow(犬の鳴き声)、ding-dong (鐘の音)、smack (チュ!)など。

しかし、実は英語の擬音語、擬態語は少ないのではなく、擬音語と擬態語がそのまま一般の名詞、動詞として用いられていることが多いのだという説もある。

なるほど、英語は、crash (どしんとぶつかる)、splash (バシャっと水しぶきがあがる)、knock (コツンと叩く)、flutter (パタパタとはためく)、squeeze (ギューっと絞る) などなど、そのまんまで動詞になっている。同じ叩くでも、"Knock" 以外に、pat (軽く叩く)、hit (打つ)、strike (強く打つ)、slap (平手で、パシっと叩く)、beat (打ちのめす)、slug (殴りつける)、などなど、擬音語、擬態語から発した言葉自体がニュアンスを持ったいっぱしの単語になっている。

摩天楼は "skyscrapers" だが、この "scrape" というのは、「こすり落とす、こすって傷をつける」という意味である。だから、「摩天楼」はかなりベタな直訳なわけだが、scrape も擬態語っぽい。日本語は「ゴシゴシとこする」みたいに言うが、英語はいわば「ゴシゴシする」と言ってしまうわけだ。

"Crawl" は「這い這いする」 、"spank" は「(お尻)ペンペンする」、"scratch" は「ポリポリする」ということになる。Bomb(爆弾) なんかは、モロに「ドッカン」である。「爆撃する」という動詞にすると、「ドッカンする」というイメージか。こうしてみると、英語って、かなりプリミティブな要素をしっかりと残した言葉である。

 

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2003年11月24日

京都の某ホテル

いつの間にか、朝晩にはしっかりとストーブをたく季節になった。朝、ベッドから出るのに、ちょっとした決意がいる。

暖房で思い出したのが、10年以上前の京都への出張である。2月始め、京都の大学の受験シーズン。有名な京都の 「底冷え」 が一番きつい時期でもある。

急に決まった出張のため、ホテルを予約しようにも、どこも受験生で一杯で断られる。ようやく見つけた京都駅近くの某ホテルに、当日の夜遅くなってからチェックインした。

フロントでキーをもらって部屋を開けて驚いた。かなり広い部屋で、ベッドが 8台も並んでいる。どうも、修学旅行の団体向けらしい。寒々しい部屋のエアコンを全開にし、ようやく暖まってから風呂に入り、一番端のベッドに潜り込んで寝た。

ところが、夜中に目が覚めた。とてつもなく寒いのである。ゾクゾクする。暖房は一体どうしたんだ? エアコンの吹き出し口に手を当ててみると、なんと冷たい風がびゅうびゅう吹き込んでいる。どうも夜中を過ぎるとエアコンがストップして、単なる「送風」状態になるなしい。この時期の京都の夜の「送風」は、とりもなおさず、「強力冷房」である。あわててスイッチを切る。

ホテルのベッドはシーツと毛布 1枚しかかかっていない。このままでは凍えてしまう。とんでもないホテルに泊まってしまった。

私が凍えもせず、風邪もひかずに済んだのは、その部屋が団体向けだったからである。すぐさま 8台のベッドから毛布をかき集め、たっぷりとかけて寝たのだった。とはいえ、あれから、そのホテルだけは予約を入れないように気を付けたのは言うまでもない。

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マイケル・ジャクソンといえば

スーパーで買い物していたら、幼稚園ぐらいの子どもに 「ねぇねぇ~、マイケル。ジャクソンて、どうして逮捕されちゃったのぉ?、ねぇねぇ!」 とうるさく聞かれて、返事に窮しているお母さんがいた。

「 …… よ、幼児虐待よ」、「ギャクタイってなぁにぃ? ねぇねぇ!」  あぁ、気の毒に。

マイケル・ジャクソンのヒット曲といえば「スリラー」だが、あるラジオの DJ が、「俺たちって、スリラーの『ス』にアクセントを置いちゃうけど、『リ』を強くいう子って、帰国子女っぽくて、いいよね。『ギナー』を『ビナー』っていうのもそんな感じ」と言っていた。ふーん、最近は、帰国子女はステイタスなのだな。

しかし、私は山形の片田舎の出だが、時々「スラー」と言ってしまうなぁ。さすがに、外人相手でないと "th" で舌を突き出したりはしないが。それに、"beiginner" は、外来語として日本語になったとしても、「ギナー」は違和感があって、聞きづらい。やっぱり「ビナー」だろう。

その DJ 氏の言うには、中日ドラゴンズも「ラ」にアクセントを置いて「ドゴンズ」というのが帰国子女だというのだが、それはどちらかというと、コテコテ系ではなかろうか。「燃えよ、ドゴン」なんて、「マック」を「マド」というノリに共通してしまう。「ラ」にアクセントを置くからには、「ドゥゴン」と言いたいところだが、それじゃいくら何でも気障だろう。

個人的に一番気になるのは、「グラフィティ」 ある。往年の大ヒット映画、「アメリカン・グラフィティ」以前は「グラフィティ」なんていう外来語は耳にしなかった。あのタイトルは「アメリカの落書き」という意味なのだが、なぜか本来の意味を離れて、かっこいい言葉になってしまっているようで、一時「グラフィティ世代」なんて使われ方をしていた。「落書き世代」なんて、ちょっと嫌だが。

その「グラフィティ」は、「フィ」にアクセントがあって「グラフィティ」なのだが、日本では「グフィティ」で定着している。「ポルノグラフィティ」というとんがった名前のグループがあるが、彼らも、「ポルノグフィティ」と呼ばれていて、発音で過激感が中和されている。英語圏の連中にはアクセントが違いすぎて通じないから、眉をひそめられることもない。

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2003年11月22日

ラグビーと EU

ラグビーにもワールドカップはある。10月 10日からオーストラリアで開かれていたのだが、サッカーに比べるとかなりマイナーだ。

さきほど、イングランド対オーストラリアの決勝が終わり、イングランドが 20-17 で勝った。初優勝だった。それどころか、北半球の国が勝ったのも、今回が初めてだ。

1991年、私は英国に本部を置く某繊維系団体の職員だった。この年の秋は、日本でこの団体の国際会議が開催されていたが、英国 (イングランド) からきた理事たちは、ラグビーの結果に一喜一憂していた。この年の英国勢は、3チームともいいところがなかったのだが。

そう、英国からは、イングランド、ウェールズ、スコットランドの 3チームが出場しているのだ。91年、私はイギリスの某理事に聞いた。「どうして、3カ国が "ユナイテッド・キングダム・チーム" としてワールドカップに出場しないのか。統一チームなら、もしかしたら、優勝だってできるだろうに」

彼は、笑って明確な返事をしなかった。しかし、彼の表情からは、「どうして、日本人のお前にそんなことを言われなければならないのか? 昔から 3カ国なんだから、それでいいじゃないか」 という気持ちが読み取れた。

グレート・ブリテンは、なるほど、3カ国による 「連合王国」 なのだと実感した。そして、もう 1つの北アイルランドというのは、ワールドカップに出る 3カ国とはちょっと違って、要するに 「植民地」 なのだな。

フランスとドイツが主導権を握って一体化を強めようとする EU の中で、英国は距離を置いて付き合っている。なるほど、グレート・ブリテンの中でさえ 3カ国であることを主張する人たちなのだから、EU で一体化しようなんていうのは、難しいだろう。

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2003年11月21日

「メグミルク」の安易さ

雪印乳業と全農の牛乳事業を統合して誕生した "MEGMILK" (メグミルク) が販売不振で 4工場を閉鎖し、社長も辞任だそうだ。

元々、「全農は間違ったな」と思っていた。「雪印」のブランド隠しをしながら、マーケットだけはいただこうという意図が見え見え過ぎて、とても安易に感じられた。

展開開始当初は、パッケージデザインなど、マーケティング論を賑わすサイドストーリーが豊富で、一時的に注目されたが、案の定、長続きしていない。おしゃれなパッケージも、もう手あかが付いてきたようだ。

そもそもどこのスーパーに行っても、牛乳で売れているのは、一番値段の安い地元ブランドと決まっている。1リットルパックで、20~30円も値段が違うのだから、ローカルブランドが強いのは当たり前だ。

「メグミルク」のプロジェクト概要を聞いた時、商品は全然違うが、少し前のマツダの戦略を連想した。あの自動車メーカーのマツダは、バブル全盛期、「ユーノス」だの「オートザム」だのという耳慣れないディーラー・ブランドで車を売ろうとして、見事に失敗した。

目新しいブランドで目先を変えようとしたのだが、実はメーカー自身が「マツダ」という従来の自社ブランドへの自信と誇りを喪失したためではなかったか。自分で自分の「ブランド隠し をしたわけだ。

発端にそうしたネガティブな姿勢が見え隠れしたこともあり、この戦略は結局、ユーザーには受け入れられなかった。トイレットペーパーや Tシャツじゃあるまいし、自動車はストア・ブランドで売れるような軽いアイテムではないということに、当の自動車メーカーが気付かなかったのだ。

今回のメグミルクも、ストアブランドではないが、いわば、ディストリビューター・ブランドである。

牛乳は元々、ストアブランドでも売れる「軽いアイテム」だったのに、雪印の大チョンボのせいで、「メーカーの信頼性」という「寝た子」を起こしてしまった。その雪印の流れを汲む会社が、メーカー隠しと受け取られかねない戦略を取ったのは、選択として間違いだった。消費者は「素性のはっきりとした牛乳」を求めていたのに。

目新しいブランドで製造者の素顔をくらますような安易な戦略は、いつの場合も長続きしないのである。

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2003年11月20日

MSのパッチは、時々困りもの

「マイクロソフトのパッチによって IE のスクロール機能などに不具合」というニュースが流れた。そんなこともあるだろう。

例の Blaster 大流行以後、Windows のパッチはまめに当てることが奨励されているが、私の周りにはこのパッチが嫌いな人が案外多い。「不具合の源になる」と言うのだ。

確かに、私も最近経験したばかりである。IE の SP1 をインストールしたとたんに、リンクを新しいウィンドウで開くことができなくなってしまったのである。

例えば、私のサイトでは、トップページの右側の上から 3番目にある BBS のボタンをクリックすると、新しいウィンドウで掲示板が開くようにセットしている。これは、掲示板に書き込む際にサイトのコンテンツがいつでも参照できるようにという配慮である。そして、見終わってウィンドウを閉じさえすれば、すぐにトップページに戻れるというのも、ユーザーインターフェイスとしていいのではないかと思っている。

しかし「リンクが新しいウィンドウで開けない」 という不具合が生じると、これができない。新しいウィンドウのフレームだけは表示されるが、中身はいつまで経っても表示されないのである。Google でさんざん検索して、いろいろな処置を施したが、まったく直らない。

私は普段は Netscape を使っているので、さしあたっての不便はないのだが、マイクロソフトというのは妙に意地悪なところのある会社で、Windows Update だけは、IE でないときちんと進まないようになっている。また、IE でないときちんと表示されないサイトもある。こうしたサイトで 新しいウィンドウズでのリンクが多用されていると、少し往生した。

しかし、昨日試しにやってみたら、何もしないのに直っていて、ちゃんと新しいウィンドウのリンクが開くようになっていた。多分、その後に何度か当てたパッチの中に、この不具合をなおすプログラムが入っていたのだろう。

パッチを作る時は、そのパッチが新たなバグを生じさせないように、注意して作ってもらいたいものだ。

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2003年11月19日

良心的スポンサーのランク付け

日テレの視聴率買収事件では、900万円近くの金を使って、効果は最大 0.5%程度のものだったと発表された。そんなのは誤差の範囲内で、馬鹿馬鹿しさを感じる。

番組の価値判断の材料が視聴率しかないというのなら、質的判断を新たに視聴者自身が始めたらどうだろう。

これだけインターネットが普及しているのだから、やろうと思えば簡単にできるはずだ。良質の番組を提供する「良心的スポンサー」のランキング投票を、ウェブ上で行うのである。

コンセプトは「視聴率は必ずしも高くなくても、とても良質な番組を提供している良心的なスポンサー」ということにしよう。ベスト10 に入ってマスコミで発表されれば、ゴールデンタイムの俗悪番組に高いスポンサー料を払い続けるよりも、ずっと高いパブリシティ効果が期待できる。

ホームページで投票できるシステムを構築して、その集計を月ごと(あるいは週ごと)に発表すればいい。裏ランキングとして、俗悪番組垂れ流しのスポンサーというのもあってもいいかもしれない。システム的には全然難しくないから、やろうと思えばすぐにでもできる。

うまく軌道に乗れば、マスコミ的にも結構な注目を集めることになるだろう。そうすれば、企業としても単なる視聴率よりも「良心的スポンサー」というステイタスを得ることができるので、そうした番組作りを促進することにつながる。

それだけに、ランキングサイトの管理人は TV番組についてきちんとした見識を持った人が望ましい。私自身は TV番組にまったく疎いので、その資格はないから、アイデアだけ出して、誰かがやってくれることを期待する。

このコラムにヒントを得てそうしたサイトを始める人がいたら、それなりの挨拶として、菓子折ぐらいは届けてもらいたい。マスコミに対する発表の仕方なんかは、手伝えるかもしれないぞ。

 

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2003年11月18日

バレーボールの国際エゴ

バレーボールのワールドカップ女子大会で優勝した中国チームの試合後の様子が中継されなかったとして、中国系香港紙、商報が批判の評論を掲載したという。

独占放映権を持つフジテレビが、試合終了後の約20分間、日本チームの様子ばかり放映したことを不満としている。

西安市の日本人留学生の寸劇を契機に反日感情が高まっていた経緯もあり、中国内のインターネットでも同趣旨の対日批判の書き込みが増加していると報道されている。

そんなもん、日本のテレビ局だもの、日本チームにフォーカスを当てるのは当たり前である。映像提供を受けた中国中央テレビで、中国人キャスターが日本のやり方について「品がない」と批判をしたというが、テレビなんて、元々それほど品のいいものではない。国際的エゴイズムである。

これが逆の立場だったら、日本人としては「しょうがないなぁ 程度のことは思うだろうが、騒ぎ立てたりすることはなかろう。「相手の国のメディアだもの、そりゃあ、そんなことになるわなぁ」ってなものである。

とはいえフジテレビも「独占放映権」 を得ているという以上、多少は優勝国にリスペクトの意を表してもよかったかもしれない。あるいは、そんなことが気にならないほど、巨額の金が動くか何かで、あのイベントは実質上「フジテレビのもの」だったのか。

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2003年11月17日

たばこ規制が進まないのは?

日米の研究者らが、日本のたばこ規制が進まないのは「たばこ産業を政府が支配し、多大な収益を得ているため」として、たばこ税の増額など、5項目の提案を行ったというニュースが目を引いた。

この 5項目提案をみると、「今さらなぁ」という気がするものばかりだ。

5項目提案の内容は、(1) たばこ規制の主導権を(財務省ではなく)厚生労働省に与える (2) 最低1箱100円高くなるよう、たばこ税を増税する (3) 受動喫煙の規制強化 (4) たばこ事業法の見直し (5) すぐに確実に効果のある禁煙対策の実行 - というもの。

たばこ規制の「主導権」というのが、まず驚く。現状では、財務省が握っているようだが、既得権益を握る省庁がまともに取り組むわけがない。私はたばこは麻薬だと思っているが、他の麻薬が取り締まられるのに、たばこだけが取り締まられないのは、それによって税金が入るか入らないかという違いだけによるものと認識している。

たばこ税増税は先頃実施されたばかりだが、その直前には、日本たばこ協会を初めとする関連団体が、ホームページで反対キャンペーンをはっていた。私はこのキャンペーンのアホらしさ、具体的には、喫煙者がたばこ税増税で「被害者意識」をもつという、とんでもない見当違いについて、昨年12月12日の 「一撃」 で論陣を張った覚えがある。

受動喫煙の規制強化というのも、当然である。喫煙者はゆっくりとした自殺と他殺を同時にしているようなものである。「業務上過失致死」といってもいいぐらいだ。

問題は「すぐに確実に効果のある禁煙対策の実行」である。お仕着せの対策を行なっても、結局は喫煙者の意識が変わらない限り、効果は上がらない。私は「禁煙対策」というよりは、「喫煙はかっこ悪い」というイメージキャンペーンの方が効果的だと考えている。

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2003年11月16日

自公連立のリスク

共同通信のアンケート調査によると、自民・公明の連立内閣について「望ましくない」との回答が半数近い 47.3%を占め、「望ましい」の 13.8%を大きく上回った。

自民党の公明党頼りは、特効薬としては効いているかもしれないが、長い目でみると命取りになりかねないと考えられる。

一節によると、各小選挙区には平均して 2万票以上の学会票があるという。ということは、例えば今回の選挙で 8万数千票取って当選した自民党議員は、純粋な支持票 6万票に、2万票強の学会票をプラスしたわけだ。

しかし次回の選挙で、今回の支持票 6万票の 25%にあたる 1万5000票程度が、公明党との連立を「好ましくない」として、批判票を民主党候補者に投じたとしたらどうなるか。今回、対抗の民主党候補が、5万票程度しか獲得しておらず、3万票以上の差をつけた楽勝だったとしても、1万5000票が動くだけで、接戦と化してしまう。

半数近くの有権者が自公連立に批判的なのだから、現在の自民党支持者の 25%程度が動く可能性は、大いにある。もしかしたら、次回は選挙結果が逆転してしまう可能性だってあるだろう。批判票さえ生じなければ、6万票対 5万票で勝てたはずなのにだ。

自民党は、そうしたリスクをきちんと認識しなければならないだろう。

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2003年11月15日

広域農道と縦割り行政

全国各地に「広域農道」というものがある。私の郷里の近くにも、非常によく整備された広域農道がある。

この「広域農道」というのは、滅多に渋滞もしないし、大変使い勝手のいい道なのだが、大抵の場合、一般国道からの接続がとてもわかりにくくできている。

せっかくの道路なのに、国道からの接続がわかりにくく、標識も完備していないので、十分に活用されているとはいえない。それもそのはず。これらはあくまでも「農道」なので、農家の人たちが利用すればいいというコンセプトのようなのである。

とはいえ、国道を利用すると混雑する上に遠回りになるようなところに、ちょうどよいショートカットとして広域農道が作られているケースが多いので、とても重宝である。時には、今問題になっている「熊や猿しか通らない」ような高速道よりも、ずっと便利なルートに設定されていることもある。地元の人だったら、ちょっと隣町に行くには有料の高速道を使わずに、平行する広域農道を通る。そうすれば時間だって大して変わらないし、なんと言っても、無料である。

こんなに便利な道なのに、広域農道は地元の人以外にはちょっとわかりにくい道という位置づけになっていて、そのわかりにくさを解消しようという積極的な動きはほとんどない。

それはなぜかというと、一般国道や高速道は国土交通省の管轄となっているのに対して、広域農道というのは農林水産省の管轄になっているためらしいのである。縦割り行政の弊害で、せっかく広域農道があって、地元では別に何の不便も感じていないようなところに、新たに国交省管轄の道路を作りたがる代議士がいたりするようなのだ。

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2003年11月14日

リンク元の不思議

「人力検索サイト はてな」というのがあって、そこではいろいろな人の質問に、よってたかって回答がよせられる。

その中で「自分のサイトのリンク元として、どう見てもあり得ないサイトが表示されていたが、どういうことだろうか」といったような質問が目を引いた。

実はウチのサイトにも 「アクセス解析」 というものを導入しており、このサイトにどこから飛んで来たのか、そのリンク元がわかるようになっている。いろんな方がリンクをはってくれているようで、ありがたい限りである。

しかし最近、妙なところから飛んできたと思われるログがあり、そのリンク元に行ってみると、それはまぁ、ご立派なエロサイトであった。こんなところがウチのサイトにリンクをはっているのかと思うと、むかつくような、光栄なような、複雑な心境になったが、あちこち探してもそのようなリンクはない。隠しリンクでもあるのかと思い、ページソースまで調べたが、そのような形跡もない。

結局、どうしてあのエロサイトからうちのサイトに飛んでこられたか、謎のままに残っていたのだが、今回の「はてな」を見て納得がいった。「ある条件ではアクセスした人が直前に見ていたサイトがリファラとして記録されることがある」という回答が寄せられていたのである。

なるほど、ウチのサイトに来る前にあのサイトを眺めていたのか。残念ながらそのアクセスがどこから来たものかは、調べそびれているうちに、ログの容量を超えてしまったために、消えてしまった。

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2003年11月13日

「考え落ち」のウルトラC

落語には「考え落ち」というのがある。文字通り、ちょっと考えてみて、はじめて意味のわかる「オチ」である。

先日ラジオを聞いていたら、小沢昭一さんが出ていて、戦時中の寄席の思い出を語っていた。その中に、とてつもなく難しい 「考え落ち」 の話があった。

戦時中は、艶笑落語などという不謹慎なものは金輪際演じないという建前だったそうだが、中にはこっそりと演る者もあったらしい。

その中に、こんなのがあった。尼寺に泥棒が入ったのだが、取るものがない。結局モノは取らずに、コトに及んでしまった。夜が明けて、尼さん同士の会話。

「夕べはどうだったかえ」
「不入りの芝居でした」 
「私は、侍の喧嘩でした」

これで、下げとなる。説明はない。難問中の難問というような考え落ちである。ちっとも似てない声帯模写をする売れない噺家だったというが、一度引っ込んでから、また出てきて種明かしをするという、いかにもあくどい趣向だったそうだ。

答えは、「不入りの芝居 - もっと入ればよかった」「侍の喧嘩 - 抜かなければよかった」という落ち。悪趣味に意味のあった時代だったのかもしれない。

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2003年11月12日

「オレオレ詐欺」と情報化社会

今日、山形県で「オレオレ詐欺」 被害を未然に防いだという記事があった。

75歳の女性が自分で銀行に出向き、現金を振り込む理由を行員に説明したところ、「そりゃあ、確認した方がいい」と助言され、ウソとわかったというのである。

これに類したニュースは以前にもあった。こうしたニュースを聞く度に、「情報化社会なんてウソなんじゃないか」と思う。「オレオレ詐欺」というのは報道し尽くされ、「使い古された手口」として既に知れ渡っているものだと思っていた。しかし、老人の中にはまだひっかかる人がいるのである。

被害者は決してボケ老人というわけではない。それは相手から振込先の口座番号を聞き、きちんとメモし、自分で銀行に出向いて振り込むという、結構高度な行動がとれるということでもわかる。こんなに「まとも」なオペレーションのできる人たちが、ニュースであれだけ話題になった詐欺の手口を知らなかったとは、にわかには信じがたい。

日本中が知っているようなことでも、それでも知らない人は知らないのである。情報化社会とはいえ、せいぜいその程度なのである。「情報」の多くは当てにならないし、当てになる情報でも、その伝わり方が当てにならない。

そう言えば、某新聞の投票日前のアンケート調査で投票日には 「必ず投票に行く」と「できるだけ都合をつけて行きたい」という回答を合わせて80数%になったという記事があった。「うそばっか!」と思ったが、案の定である。こんなのは「当てにならない情報」の最たるものだ。投票になんかあまり行く気がない人でも、新聞社に電話で聞かれるとカッコつけて答えるのである。そして自分で言ったことに責任をもたないのである。

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2003年11月11日

石原発言の字幕ミス

石原都知事が、TBS の字幕ミスで告訴も検討中だという。「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」との発言に、「100%正当化するつもりだ」と字幕をつけたものだ。

はっきり言って、TBS の大チョンボである。

本当に TBS の記者の耳に「正当化するつもりだ」と聞こえたにせよ、あまりにも不自然な言い回しである。文学者の都知事の言葉とも思われない。当然、後できちんと確認するべきだったろう。

それをせずに「正当化するつもりだ」として放送してしまったのは、完全に意図的なものか、あるいは、記者の石原都知事に対する偏見がよほど強かったため、ついそのように聞こえ、しかも聞こえた通りに信じ込んでしまったか、単純に考えればそのどちらかだ。

いくら何でも、明確に意図して誤報を流したとは信じたくないが、ニュースで見る限り、都知事発言の編集の仕方がいかにも「絶妙のタイミング」でぶち切ったもののように見えるのも確かである。都知事が「悪質な捏造の意図を感じざるを得ない」とするのもわからないではない。

テレビでは、いかにもセンセーショナルに見せるために、あのようなタイミングで編集するテクニックが確かに横行している。しかし今回の編集の仕方は、記者の書いた原稿に合わせて、映像の方まで無理に辻褄を合わせたような印象だ。

いずれにしても、「確信犯」ではなかったとしても「未必の故意」に近いくらいの恣意性はあったと、私はみる。そうでなかったら、いくらなんでもこんな正反対の間違いはない。

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2003年11月10日

「存在感」を英語で言うと?

日本語を英語に翻訳する時、とても困るのが「腰がある」だの「質感たっぷり」だの「存在感がある」だのといった、かなり感覚的な言い回しである。

はっきり言って、日本語に完全に重なるような英語の言い回しはない。

和英辞典で「腰がある」を引くと、「このうどんは腰がある」などの用例で、"chewy" という単語が出てくる。チューインガムの 「チュウ」 の形容詞である。わかるような気がするが、うどんで、そこまでモチモチしたものがあるだろうか? まるでスルメみたいなうどんのようだ。それに「腰がある」と形容されるのは食べ物だけではなく、布地などもある。布地に噛みつかれても困る。

私としては「腰がある」というのは、文脈にもよるが、"It has body" とか、"full-bodied" などと訳すようにしている。"Full-bodied" というのは、お酒などで「コク」があるというような場合にはぴったりだ。

「質感」は同様に和英辞典では "the feel of a material" とある。直訳である。私はこんな言葉が実際に使われているのを聞いたことがない。当たらずといえども遠からず的な英語は "texture" かもしれない。とくに織物などでは "texture" が「ズバリ!」だと思う。

一番問題なのは「存在感」である。和英辞典を引いても、直訳的な言い方すら出てこない。これこそ、文脈によっていろいろな言い回しを持ってこなければならない。「無視できない」とか「皆にリスペクトされる」とか、その文脈にふさわしい言い回しを探すのである。

私が案外好きなのは、"He is very heavy." と、ごくシンプルにやっつける言い方である。ジョン・レノンの歌に、"She is So Heavy" というのがある。 「彼女は太っている」 という意味では決してない。

言葉は杓子定規なものではなく、文脈で捉えなければならない。

 

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2003年11月 9日

総選挙の結果なんて

元バレーボール部の末娘が、女子バレーの W カップに熱くなっていて、我が家のテレビは開票速報どころではない。

まぁ、どうせ結果は日付が変わってからでなくてはわからないのだから、今からどうのこうの言っても仕方のないことだ。

このコラムは、日付が変わってから見る方が圧倒的に多いだろうから、そのときには、結果がわかっているはずだ。従って前夜の内に更新することを専らとする当コラムは、今日のようなケースはとてもハンデがある。

ならば夜更かしして、結果が出た夜中過ぎに更新すればよさそうなもので、確かにそれが一番のような気がするが、ちょっと自問自答してみて、自分の中では、総選挙の結果が明らかになったところで、それがどうしたという気分の方が強いことがわかった。だから今のうちに更新してしまう。

そう言ってしまえば実も蓋もない話になってしまうが、どうせ与党三党は過半数を維持して、民主は民主で大躍進の大喜びという構図になるのだろう。しかしいくら民主が躍進したところで、政権交代までには至らないだろうから、やっぱり「それがどうした」になってしまう。

この国で政権を担当するには、戦後半世紀以上かかって作り上げられた「構造」の中に入り込まなければならないから、それは踏み絵を踏むようなものだ。「構造」に手を付けなければこの国は変わらないが、それに手を付けようとすると、なかなか政権に近づけない。

この「構造」自体が金属疲労を起こして、とっくに持ちこたえられなくなっているのだが、ガラガラと音を立てて崩壊するまで待たなければならないのだろうか。

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2003年11月 8日

「川内」と「河内」の広がり

妻の実家は仙台にあるのだが、東北大学のあるあたりの地名を「川内(かわうち)」という。

この「かわうち」が音読みで「せんだい」となり、後にもっとかっこいい字を当てようということで、「仙台」になったらしい。

このような例は、日本中にあるが、一番有名なのは、日光である。元々は「二荒」(ふたら)といったらしい (現に 「二荒山神社」 (ふたらさんじんじゃ) というのがある)が、後になって「にこう」と音読みするようになり、さらに下って「日光」の字が当てられたと解説されている。

「かわうち」に戻るが、日本中に「川内」「河内」という地名は数多い。九州には「川内市」と書く「せんだいし」があるし、大阪の「河内」は「河内音頭」で知られている。

私の郷里の庄内にも「河内」(かわち)があって、「河内の兄マ」というのは、庄内の昔話に出てくる代表的なキャラクターだ。とても間が抜けているが、憎めないという、落語でいえば与太郎的な人物である。

実はベトナムの「ハノイ」という地名も、漢字で書くと「河内」になるらしい。ちなみに新潟南部を「越南」と称することがあるようだが、それは国際的には「ベトナム」のことである。

地名の読みというのは、かなりの曲者である。

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イラク派兵

自衛隊のイラク派兵は、1,000人規模になりそうだと報道されている。政府としては、今更「止めた」とも言えないだろうから、本当に行くことになるのだろう。

願わくば、全員無事で帰ってきてもらいたいものだ。

イラクは泥沼と化している。サダム・フセインさえ倒せば後は民主化が進むと思っていたのは、米国の大きな誤算だったとしかいいようがない。考えてみれば、「イラク」というのは無理矢理まとめなければ国家として機能しない事情がある。

基本的に多民族国家で、「あちらを立てればこちらが立たず」的な微妙なバランスが求められるし、隣国のトルコとイランの利害が密接に関わり合うので、なかなか複雑だ。さらに他国から訳のわからないゲリラが山ほど入ってきていて、あちこちでテロをしまくる。手のつけようがない。

想像するに、イラクの一般民衆としては早くまともな暮らしに戻りたいという願いに尽きるのではなかろうか。いろいろな思惑であちこち爆弾を仕掛けられてはたまらない。

多分、米国民としてもこれ以上イラクに駐留し続けることに何の意味があるのか、見いだしにくい状況になっているはずだ。裏に回ればいろいろな利権がらみで、引くに引けないのはやまやまなのだろうが、毎日毎日米兵の生命が失われていくという現実に、どこまで耐えられるのか。

そんなところに出て行くのだから、自衛隊も大変だ。政府はよほどしっかりと状況を見据えていかなければならないはずなのだ。下手すると最後には大した情報もなく、日本人だけでオロオロしなければいけなくなるぞ。

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2003年11月 7日

選挙区と比例区は別?

激戦区の自民党候補者が、「比例は公明党に」と呼びかけるケースが多いらしい。

小選挙区で推薦してもらっている「お返し」ということらしいが、いかがなものか。楽屋裏のケツを有権者にもって来るというのは、あまり行儀がよろしくない気がする。

参照 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031106-00000125-mai-pol

小選挙区の中で、公明党が独自候補を立てずに、自民党の候補を推薦するというケースはかなりあるようだ。組織基盤の弱い自民党候補は、そのおかげで民主党候補に勝てるという目論見なのだろう。そして、その分の見返りを用意しなければならないという事情なのだと思われる。

しかしそんな内部事情は、こちらにとっては関係のないことである。あまりゴチャゴチャした事情を持ち出さないでもらいたい。レストランで食事をしたら、「デザートは当店ではなく、隣のコーヒーショップでどうぞ」なんて言われるようなものだ。おかしな話である。そんなレストランには、二度と行きたくないという人も出るだろう。そのリスクの方が大きい。

「マニフェスト選挙」だなんて、看板倒れもいいところだ。小手先の戦術を多用するのは考え物である。

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2003年11月 5日

父が釣りを止めた

父があれだけ好きだった釣りをきっぱりと止めた。自慢だった黒鯛の大物の魚拓も、いつの間にか捨ててしまったようだ。

寝たきりの母に付ききりで介護をするために、釣りのことは完全に断ち切ってしまったもののようだ。頭が下がる。

実は、今回帰郷した時に「知のヴァーリトゥード」で、庄内の魚拓についてのコラムを書こうと思い、父の自慢の魚拓を写真に撮って挿絵に使おうと思ったのだが、以前飾ってあった場所に見当たらない。聞いてみたところ、処分してしまったという。「もう、釣りはしない」というのである。

寝たきりの妻を残して、釣りのために家を空けるのは忍びないというのである。よく思い切ったものだ。

近所のおばさんにも、「あんたのお父さんは、本当によくやっている。あんたは自分のお父さんと同じことができるかい」と言われた。

子供はいつまで経っても親を超えられないと思ってしまった。

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2003年11月 4日

庄内弁の生きた化石

今、酒田から戻ってきた。昨日に引き続き、庄内弁ネタにお付き合いいただきたい。

大学に受かって酒田を離れたのは32年前だから、思えばどえらい昔である。だから、私の中の庄内弁は、32年前のオールド・ファッションドのまま保存されている。

その上、「はひふへほ」を「ふぁふぃふふぇふぉ」と、奈良時代のままの音韻で発音する祖母と一つ屋根の下で暮らしていたので、私の庄内弁はかなり筋金入りなのである。それが 32年前のまま、冷凍保存されているのだ。

酒田に帰ると自然に庄内弁で話をするのだが、周りの庄内人たちは、32年前に比べると、かなりの年配でも妙にしゃれた言葉遣いをするようになっている。ずいぶんアップデートされているようなのだ。しかし私の場合は、いったん「庄内弁モード」にスイッチが切り替わると、昔の言い方がそのまま出てくる。

だから、「あんや、としょりくせごど。今だば誰もそんだしゃべよ、さねもんだ」(まぁ、年寄りじみてること。今は誰もそんなしゃべり方はしないよ)などと言われてしまう。

普段は関東で IT なんぞを取り扱っていても、こと庄内弁に関しては「生きた化石」になりかねないのである。

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2003年11月 3日

ふるさとの訛り懐かし

今日は妻に母の世話をしてもらい、父の骨休めのために、近くの温泉に行った。祝日とあって、昼からかなりの混みようだった。

温泉につかりながら、懐かしい訛りの会話が飛び交うのを聞いていると、しみじみ故郷にいるのだという気がしてくる。

「おめいのかぎ、んなもいだが?」
「やんや、まだだの」
「ごんぼは?」
「ごんぼだの、だめだ、のぎにぐぐで、こしいだぐで、こしいだぐで、やだぐなる」
「んだの、おらいも、ごんぼだば、つっこしがと、こしゃわねぐなたぉんの」

翻訳すると、以下の通り。

「お前の家の柿、みんな取ったか?」
「いや、まだだね」
「ごぼうは?」
「ごぼうはだめだ。抜きにくくて、腰が痛くて痛くて、いやになる」
「そうだな、俺んちもごぼうは少ししか作らなくなったものなぁ」

庄内弁を単にひらがなで表記してしまうと、我ながら、どこの国の言葉だと言いたくなる。しかし翻訳して標準語にしてしまうと、なんだかよそ行きでちっともニュアンスが伝わらない。方言は、きちんと残していきたいものである。

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2003年11月 2日

父のアイヌ関連ウンチク

今日は朝に出発して、酒田に帰郷している。この秋、父が久しぶりに北海道旅行をしてきた土産話を聞いている。

アイヌ語に詳しい父は、北海道各地のアイヌ関係の博物館で歓待されたようだ。どうも見る目が違うらしい。

父によると、庄内の名峰、鳥海山もアイヌ語で意味がわかるという。この山は今でこそ「ちょうかいざん」と言うが、昔は「とりのうみ」だった。これはアイヌ語で「高いところに沼がある」という意味なのだそうだ。確かに、鳥海山には火口湖がある。

これに類した地名はいくつでもあるようだ。例えば「鼻」のことを「エド」というらしい。伊豆半島の「いづ」は、この変化であり、鼻のように突き出した半島だからこの名がついたという。「あご」は「ぬとぅ」 。能登半島はあごのように突き出しているので、「ぬとぅ」-「のと」半島だというのである。

そんなに詳しいのなら本にでも書けばいいのに、「いやだ」と言い張っている。そのくせ、大学ノートに何冊も資料を残しているのだから、そんなものをまんま受け継いだら、大変だ。

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2003年11月 1日

昔話のお約束

今日の TBS ラジオ「永六輔その新世界」は、岩手の遠野からの生放送だ。

遠野では昔話は「昔々あったどもな」で始まり、「どんとはれ」で終わるのだそうだ。庄内でも昔話の初めと終わりには、似たようなお約束がある。

庄内の昔話は、「昔々、あったけど」で始まり、「トッピンカラリンねけど」で終わる。「ねけど」というのは 「なかったと」 ということだ。

「昔々」に「あった」というのはわかるが、「トッピンカラリン」に「なかった」というのは、庄内の者でも意味はさっぱりわからない。わからないながらも、庄内で生まれた子供は自然にそういうものだと納得し、懐かしい響きとして心の奥で育んでいるのである。

「トッピンカラリン」は「トンピンカラリン」や 「トッピンカッタリ」などのバリエーションがあるようで、同じ庄内でも奥行きがある。私の育った酒田では、大抵は「トッピンカラリン」のような気がする。

ところで、庄内には「世界で一番短い話」というのがある。

それは、「昔々あったけど。今、ねけど」(昔々あったとさ。今、ないとさ)というのである。

これには、「トッピンカラリンねけど」 というのは、一般には付かないような気がする。それは「昔話」ではなく、近世になってから「作った話」だからではないかと思う。

明日から、庄内に行く。寝たきりの母を介護する父の応援だ。

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