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2004年1月10日

専守防衛と平和のために

自衛隊のイラク派遣で、いろいろなことを言う人がいる。しかし、普段は 「危険なところには派遣するな」 とか 「死んだらどうする」 とか言っていて、そのくせ、いざという時には、きちんと国民を守ってくれと言っても、そんなにうまくは行かない。

それは、虫のよすぎる話ではないか。

マスコミや進歩的文化人の言辞は、とてももっともらしく聞こえるが、実際問題としては、いざという時にそれなりの働きをするには、それなりの場数を踏んでいなければならない。ごく単純な喩えで言ってしまうと、普段喧嘩しなれないやつが、実際の喧嘩の時には役に立たないのと同じことだ。

普段は武器の使用についてすらやたらと厳しい制約を付けて、「戦わない」 ことばかり求めておいて、そして、よくよくの時になって、初めてきちんとした 「専守防衛」 をしろと言っても、それは無理な相談だ。

普段から戦争慣れしろと言っているわけではない。しかし、一応の軍隊 (どう言いくるめようとも、あれは立派な軍隊である) であるからには、それなりの場数を踏むことも考えなければならない。

そのためには、平時の法律とは別の体系の 「軍法」 だって必要である。戦闘地域に行っても、「軍法」 に沿った行動ができないので (日本には軍法がないから) 、「非戦闘地域に派遣する」 だのと言った苦しい言い訳をしなければならなくなる。

平和平和というからには、自国の軍隊がいざというときには役に立たないものになっていたとしても、それは仕方がないとあきらめなければならない。平和を叫ぶからには、そのくらいの覚悟がなくてはならない。

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