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2004年2月 2日

文治が死んでしまった

桂文治が死んだ。80歳だったそうだ。私は二つ目の伸治の時代から好きだった。ということは、子どもの頃から好きだったのだ。

死んだばかりなので、皆 「堅い人だった」 とか、「多芸多才な人だった」 とか言っているが、芸風としては結構 「やんちゃ」 と 「がんこ」 が入り交じっていて、そこがよかった。

「源平盛衰記」 や 「堀の内」 なんかがおもしろかったが、「反対車」 も志ん生的な味わいをずっと平成の御代まで伝えていて、そこはかとなくおかしかった。小さんのような丸みはないから、万人受けはしなかったが、結構ハイブローなところがあった。「わからねぇやつは、わからねぇでいいんだ」 とでも言い出しそうなムードすらあった。

20年以上も前、田舎から上京した母を初めて新宿末広亭に連れて行った時、文治も出ていた。「ほら、あの 『目はパッチリとフランス人形』 の伸治だった文治だよ」 と言ったら、わかったようなわからないような顔をしていた。

その時は、お上りさんのおばさんの団体が席を占めていて、文治としてはなんだか気の乗らないところがあったらしい。噺は全然しないで、20分以上徹頭徹尾、お上りさんの客をおちょくって、そのまま引っ込んでしまった。それがそのまま受けてしまって、私の母も結構喜んでいた。洒落のわからないおばさんだったら、怒り出したところかもしれない。

あの 「江戸っ子」 がそのまま着物を来て出てきたみたいな味は、今となっては、なかなか出せるものはいない。

はからずも、2日連続で芸能ネタになってしまった。

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