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2004年3月に作成された投稿

2004年3月31日

Netsky というウィルス

最近、Netsky というウィルスが猛威をふるっている。私のところにも、1日に 50~60件も届く。昨日の朝までは、B, D, P という亜種がほとんどだった。

ところが、Q という亜種が出たというニュースが流れたとたん、その夜にはそいつが私のところにまで回ってきたのである。

ウィルスの広がりがやたらと早いと思っていたら、この Netsky Q というのは、全世界の感染の 3分の2 が日本における感染なのだそうだ。困ったモノだ。

最初のうちは、こんなものは添付ファイルを開かなければ感染しないのだからそれほどの拡大はないだろうと見くびっていたのだが、なぜか届いた添付ファイルを見境なく開いてしまう人が多いようでなのである。

Netsky のくっついたメールはほとんどが英語のタイトルなので、日本人の多くは添付ファイルを開くまでもなく、削除してしまっていたようなのだが、今回の Q という亜種は、メールの未達レポートという隠れ蓑を使って届くので、日本人もつい開けてみてしまいがちのようなのだ。ちょっとした盲点だった。

また、添付ファイルでなく、Windows の脆弱性をついての感染もあるらしい。この「穴」はこれまで、Kletz などにも突かれた「古典的な穴」なのだが、まだパッチを当てていないユーザーがいるらしい。勘弁してもらいたいのである。

これだけウィルスメールが多いと、メール受信という作業がストレスになってしまう。はやくこの流行が収束してもらいたい。

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2004年3月30日

桜前線を実感

土曜に庄内に帰郷し、2日半滞在するうちに、日本中が妙に暖かくなり、筑波の里は桜が満開になってしまったようだ。

月曜の夜遅くに帰宅したが、途中のお寺でライトアップされた三重の塔の周りの桜が見事に咲いていて、500キロの道のりをドライブしてきた実感が湧いた。

今日は日本中が暖かかったとはいえ、山形県を出て福島県に入るまでは、道の両側に雪が解け残っていた。ましてや、桜なぞはまだまだ蕾の状態だったのである。福島県でもまだ咲いてはいなかった。

茨城県に入っても、県北を走るうちは、まだまだ満開にはほど遠く見えた。それが、筑波の里に入ったとたんに満開である。桜前線というモノを目の当たりにしたような気がした。今回はその逆方向を一挙にドライブしてきたわけだ。日本列島も結構な奥行きがある。

明日の朝は、満開の桜の中をでかけることになりそうだ。間に合って良かった。

来月早々には、新潟方面に出張が決まった。もしかしたら、そこでまた花見ができるかもしれない。花見酒のために、絶対に車は使わず、鉄道にしておこう。

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2004年3月29日

海老と蝦

28日、新之助の11代目市川海老蔵襲名記念パーティが開催され、小泉首相も参加したそうだ。さすが歌舞伎ファンの首相だけあって、新之助の芸には早くから注目していたと発言している。

新海老蔵に期待する声は大きい。次の団十郎になる人だから、当然だ。

実は私は九代目団十郎で卒論を、七代目団十郎で修士論文を書いた。だから、成田屋の今後には少々思い入れがある。

ちなみに「海老蔵」は初代団十郎の幼名とされており、今は団十郎になる前の役者が「海老蔵」を名乗るのが通例になっているが、江戸時代においては、既に団十郎を名乗り、その名前を次代に譲った役者が名乗っていた。

つまり今の海老蔵が次期社長を約束された「専務取締役」とするならば、以前の海老蔵は社長を退陣した「取締役会長」みたいなものだったようだ。

ところで「エビ」を英語で言う場合に、"lobster" "prawn" "shrimp" と 3種類ある。日本語でも「海老」と「蝦」の表記があり、それぞれ "lobster" と "shrimp" に相当する。"Prawn" は車海老だそうだ。「蝦」は、同じエビでも、小エビなのである。

寛政期の名優、五代目團十郎は、息子に六代目を譲って改名する際に、「親達は名人上手で江戸の飾り海老ですが、自分はザコで …… 」と謙遜し、「海老蔵」ではなく「蝦蔵」を名乗ったそうだ。謙遜だが、うまい洒落である。

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2004年3月28日

自動回転ドアの事故

六本木ヒルズの自動回転ドアの事故には衝撃を受けた。

私は当欄で相次いで書いたように、自動ドアが嫌いで、回転ドアが大好きなので、ものすごく複雑な思いがする。いくら好きな回転ドアでも、「自動」はやっぱり問題がある。

第二報によると、この回転ドアの高さは約 2.4メートルあり、ドアが閉まる付近には、天井と足元にそれぞれ赤外線センサーが設置されていた。しかし、地上 15センチから同 80センチの間は、センサーでカバーできない不感領域だったという。要するに、この部分に体が入ってしまうと、センサーが関知しなくて止まらない構造だったのだ。

今回の事件は、男の子が不運にもこの不感領域に頭から突っ込んでしまったらしい。回転ドアのメーカー関係者は「子供でも頭と足が同時に通過し、下のセンサーで感知できると思った。首だけ突っ込むことは想定外だった」と言っているらしいが、これはいかにも無責任な気がする。この規格では、私だって下手すると指を挟んでもっていかれそうだ。「想定外だった」というよりは「思慮不足」だったのではなかろうか。

ちなみに私は回転ドアは大好きだが、それが自動でグルグル回っているというのでは、かなり興醒めという気がする。回転ドアに「自動」という要素を付け加えるというのは、「余計なお世話」だと思うのだ。ちょっと考えてみても、自動回転ドアというのは、危ない気がする。

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2004年3月27日

今年の春は 4ヶ月

しばらく旧暦ネタから遠ざかっていたが、今年の春が寒暖を繰り返しながらダラダラと続いているのは、「閏 (うるう) 2月」 が入っていることと関係があるらしい。

旧暦では時々 1年が 13ヶ月 という 「閏年」 があり、今年は 2月が 2回あって、今は 2ヶ月続く 2月の真っ最中なのだ。

今年は 2月 20日から旧暦の 2月 (如月) に入り、それは 3月 20日まで続いた。しかし、翌日の 3月 21日 から 3月 (弥生) に入ったかというとそうではなく、今度は 「閏 2月」 ということで、旧暦では 2月のやり直しをしているのである。そして、今日は閏 2月 の 7日ということになる。つまり今年は、暖かくなったり寒の戻りがあったりという 「春先」 の陽気がだらだらと 2ヶ月も続くという年回りなのだ。

旧暦というのは、こと東アジア地域の気候に関しては、とてもよく当てはまるようにできている。それはそうだ。明治維新で新暦になるまで、少なくとも 1000年以上使いこまれてきたのだ。バグフィックスをし尽くして、とてもよく 「枯れた」 ソフトになっているのだ。「今年はことさらに残暑がきびしいなぁ」 と思うと、閏 6月かなんかで、夏が 4ヶ月あったりする。

今年の旧暦で 4月(卯月)、すなわち初夏になるのは、5月 19日まで待たなければならない。新暦と旧暦の差が 1ヶ月半以上も開くのだ。ということは、夏と秋の訪れもずれ込むとみていい。つまり、なかなか夏らしい暑さにならず、いったん暑くなると 9月になっても残暑が続き、年末近くになっても、なかなか冬らしい寒さにならないということのようだ。

さて、当たるかどうか、おなぐさみ。

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2004年3月26日

知的所有権の新しいコンセプト

昨日、現代クラシック曲のジャズバンドによる演奏に、作曲家が抗議して、CD出荷停止になったというニュースについて、私見を述べさせていただいた。

今日はそれを少し発展させて、Creative Commons という非営利団体の考え方を紹介したい。

Creative Commons とは、ローレンス・レッシグ (Lawrence Lessig) 教授が代表を務める米国の非営利団体で、インターネット時代にふさわしい新しい著作権のライセンス方法を提唱している。著作権で保護される著作者の権利の一部を、著作者自らが解放する意志を明示するシステムで、作品の様々な広がり、利用、他の創作者との共同作業を促進しようとする取り組みということのようだ。

私も最近知ったばかりで詳しくはないのだが、例えば楽曲の作曲をした場合は、その楽曲を非営利目的ならば自由に演奏してもいいという許諾を表明することができたりする。許諾条件は、著作者が様々な組み合わせで行使することができるようだ。(詳しくは日本語サイトをどうぞ)

日本での例としては平山雅浩さんという方が、「春宣りゆかむ」という歌集を Creative Commons のライセンスによって公開し、自らの短歌の朗読会や上演などにおける自由な使用を許諾している。

いずれにしてもソフトウェアにおける Linux の急速な普及に代表されるように、知的所有権というのは今やもっともっとフリーなものであるべきではないかと、私自身も感じ始めている。

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2004年3月25日

編曲と著作権

佐藤眞・東京芸大教授の作曲による現代クラシック曲を、ジャズバンド PE'Z (ペズ) が演奏録音したことに佐藤氏ががクレームを付け、ペズは「不愉快な気持ちを与えたなら」と、CD出荷停止と今後演奏しないことを決めたという。(こちら

面倒なところのある問題である。

問題の曲は昨年11月発売された 「大地讃頌」(東芝EMI)というもので、ペズのメンバーが「深い感銘を覚えた」として独自にアレンジし、CD 化した。もちろんジャズバンドのことだから、アドリブもたっぷりだろう。

ところが作曲家の佐藤眞先生は、そもそも自身の作品について一切の編曲を認めていない方なのだという。そこでペズとしては「片思いでした」ということで、訴えに応じたらしい。大人の対応だと思う。

あの有名な「ホワイト・クリスマス」という曲は、一切の訳詞を認めないということで知られている。あの曲の良さは、英語で歌われてこそ最高に発揮されるという信念からきているのだろう。それでも、編曲までは否定されていない。

編曲を認めないということは、オリジナルの楽譜通りに演奏されることが求められているのだろうが、それでも曲の解釈によって、微妙な演奏の違いというものは必然的に生じる。解釈と編曲の境目とは、一体どの辺にあるのだろう。

あるいは商業目的でない編曲だったとしたら、どうなるだろう。個人的に好きに編曲して楽しむことまでは、クレームはつけられないはずだ。

実は、私もその昔、シンガーソングライターとして、ライブハウスで自作の曲を演奏していたことがある。その私としては、自分の曲がどのようなスタイルで演奏されようと、著作権さえ正当に認めてもらえれば、文句は付けられないという立場である。

どちらかと言えば、いろいろな形で演奏してもらえるほど、自分のアイデアの発展形を示してもらえるのだから、楽しいことだと思う。実際に、自主制作盤で私の曲のカバーをしたグループもあって、それはそれでおもしろいと感じた。

個人的な感想を言えば、「佐藤先生はずいぶん頑固な方だなあ」ということに尽きるのである。

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2004年3月24日

市場経済に巣食うバザール経済

昨日の「一撃」で CM に起用されるタレントに、当該商品に対するロイヤリティがあるのかどうかということを話題にしたが、BBS にあらら姫さんが、化粧品に関しては、「使ってるわけないじゃ~~ん」 という貴重な断言情報を寄せてくれた。

「ふぅ~む、やっぱりね」 である。

これって、「市場経済の中核に巣食うバザール経済」 という趣である。

私は市場経済の論理の最も重要なポイントというのは、ある程度の規模をもった市場の中で、商品のサプライヤーとユーザーの間で、一定の信頼関係が成立するということだと思っている。それがあるから、安定した継続的な取引というものが成立する。

バザール経済というのは、ある意味、それがなくてもいいというところがある。粗悪な商品を売ってしまっても、次の日にトンズラしてしまえばいいのである。商品に責任を持たなくてもいい。

CM に起用されたタレントが、自分の宣伝する商品に明確な責任を取らないとするならば、 それは「バザール経済」的な様相を呈する。今回の社会保険庁 VS 江角マキコのケースは、完璧に「バザール経済」的構図である。広告業界というのは「ヤクザな水商売」であるという向きもあるが、まさにこうした要因によると思われる。

市場経済というのは、かなりエッセンシャルな部分でバザール経済的要素に支えられているということがバレバレになってしまった。学者がいうほど大したモンでもなさそうなのである。

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2004年3月23日

CM に登場する責任

社会保険庁の CM に起用された江角マキコが、国民年金保険料を払ってなかったというニュースには笑ってしまった。

ことは国民年金だけではない。例えばインスタント・コーヒーの CM に出ているタレントが、実はレギュラー・コーヒーしか飲まなかったとしたら、どうなんだろう。

今回保険料未納がバレてしまった江角マキコはちょっとしたイメージダウンだろうが、他の商品の場合はどうなのだろうか。あまたのタレントは、自分の登場した CM の商品に対して、ある程度の道義的なロイヤリティは感じているのだろうか。

化粧品の CM に登場したタレントは、きちんとそのメーカーの化粧品を使っているのだろうか。もし使っていなかったとしたら、今回の国民年金のケースのように問題になるのだろうか。

この問題を一番感じたのは、数年前のパソコンの CM だった。Windows 95 の登場で一気にユーザー層の広がったパソコンだったが、CM に登場するキャラクターの多くは、「どうみてもパソコンを使っていそうにない」 顔ぶれが多かった。

(裏はとれてないが、健さんはきちんと FMV を使ったそうだ。本当だとしたら、さすがである)

普通に考えれば、CM に出る限りは、ある程度、その商品が好きで、「他人にも本気でお薦めしたい」というような意識をもっていてしかるべきではなかろうか。国民年金の江角マキコでこれだけ騒ぐのだから、他の商品に関してもきちんとして頂きたいと思うのである。

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2004年3月22日

「ドリフ以前 と「ドリフ以後」

周囲で、いかりや長介さんの逝去への反応があまりにも大きいので、「ドリフ世代」って多いんだなぁと思った。

実は、私自身は「クレイジーキャッツ」世代なので、ハナ肇さんの死の方が衝撃的だった。「全員集合」最盛期の頃は、テレビなんか持ってなかったし。

「8時だよ全員集合」は、視聴率が 50%を越す怪物番組だったらしいが、本当に不思議なほどに、私にはドリフターズに対する思い入れが欠如している。そして今、改めて調べたところ、「8時だよ全員集合」は、昭和 44年から 16年間放送されたということになっている。

私が上京して、テレビなしの一人暮らしを始めたのは昭和 46年だから、2年間は実家で見ていてもよさそうなものだが、あまり鮮明な記憶がない。きっと、この頃は夜遊びばかりしていたので、家でテレビなんか見てなかったのだと思う。

東京で一人暮らしを始めてからは、昭和60年まではテレビなんか持たなかったので、「全員集合」にはほとんど接点がなかったことになる。私にとってのこの頃は、テレビ的には「失われた 15年間」なのである。

私と同世代の中でも、自分を「ドリフ世代」と思っているのは結構いて、彼らの中には「ウルトラマン」「仮面ライダー」「マジンガーZ」「ガンダム」などのヒーローオタクも多いのだが、このあたりのことは、私には完璧に「管轄外」である。

こうしてみると、「ドリフ」はテレビの創生期から成熟期に移る時期の、重要な役割を果たしたのだと思う。「ドリフ以前」と「ドリフ以後」という区分があってもいいかもしれない。

その意味で、私にとっての最高のテレビ番組は、今でも「シャボン玉ホリデー」であり、「夢で逢いましょう」であり、「若い季節」なのである。それ以後は、私はラジオの人になってしまったのだ。

 

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2004年3月21日

暑さ寒さも彼岸まで?

お彼岸は、冷たい雨で冬に逆戻りのような天気だった。

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、どうも、そうはならない。正岡子規の句にあるように、「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」 の方が正しいように思われる。秋の彼岸だって、まだまだ残暑が厳しい。

それでも、人は春と秋の彼岸に季節の変わり目を感ぜずにはいられない。要するに彼岸になっても暑かったり寒かったりするが、それは長続きせずに、次第におだやかな気候に収斂していくからだろう。

もっとも実感的なのは、夜中や夜明け頃の気温である。真冬は朝起きるのがつらい。よほど気合いを入れないと、布団からはい出すことができない。しかし、彼岸になると、いくら寒の戻りが来たからといって、ベッドから降り立つのにそれほどの決意はいらない。

秋の彼岸にしても、昼間の残暑がいくら厳しいとはいえ、熱帯夜で寝られないということはなくなる。季節感というのは、日暮れから夜明けにかけて、もっとも顕著に現れるもののようだ。

人間は季節の移り変わりを寝床の中で、もっとも早く感じると言えるかもしれない。花鳥風月は、実は二の次だったのだ。

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2004年3月20日

「オーダー・イーターズ」 ?

CNN ジャパンのサイトで、「くさい靴大会、10歳少年が優勝 秘けつは 『履くこと』」というニュースが紹介された。

このイベントのスポンサーは「オーダー・イーターズ (Odor-Eaters)」と紹介されているが、日本では「オドイーター」という名前でお馴染みのはずなんだがなぁ。

CNN の日本人スタッフは「オドイーター」を知らなかったのだろうか。たとえ翻訳を担当したスタッフ一人が知らなかったとしても、他に何人かが目を通すだろうに、その中で誰も気づかなかったんだろうか。

それとも、"Odor-Eaters" を「オドイーター」なんて、いかにもジャパニーズ・イングリッシュ的な読みで表現するなんて、彼らのプライドが許さなかったんだろうか?

そういえば自動車評論家の徳大寺有恒氏は、「ジャガー」を「ジャグア」と表記することにこだわっているなぁ。それと同じ類だろうか。

それを言うなら、私自身もアウトドア・グッズで "sierra cup" を「シェラカップ」というのは、内心で多少の引っかかりがないこともない。あれは、本来ならば「スィエラカップ」- あるいは「シエラカップ」(「エ」 が小さくない)だと思う。少なくとも「シェラ」ではない。

しかしそうなると、いわゆる「シェラネバダ山脈」も 「スィエラネヴァダ山脈」あるいは 「シエラネバダ山脈」にしなければならないから、話が大きくなってしまう。そんなわけで、今さらあんまり触れない方がいいと思っている。

自動車の Jaguar の場合も、日本法人のサイトをみると、「ジャガー認定中古車」なんて自ら表記していることだし、わざわざ「ジャグア」とこだわらなくてもいいだろうにという気がする。

"Odor-Eaters" も「オドイーター」で商標登録されているようだから、「オーダー・イーターズ」は、ちょっと奇異ではないかなぁ。なんだか、「臭い」ではなく「秩序」を食っちゃう人みたいだし。

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2004年3月19日

電車で眠る

この「一撃」は、普段は夜寝る前に更新するのだが、昨夜は無意識のうちにベッドに入って熟睡していた。急に冷え込んだとはいえ、やはり春である。眠い。

虫たちは冬眠から覚めて動き始める時季だというのに、どうして人間は、春になるとこんなに眠くなるのだろうか?

最近、電車に乗って周りを見回すと、座席に座っている人の 7~8割は見事に眠っている。かくいう私自身も、雑誌などを読んでいるうちに、引き込まれるように眠ってしまうことがよくある。

一説によると、電車で眠るというのは、日本人特有の現象であるらしい。外国では電車で眠ったりしたら大抵何かを盗まれるので、常に緊張していなければならないのだそうだ。日本という国は、それだけ安全なのだ。

日本人(とくに首都圏在住者)の場合は、たいてい通勤時間が異様に長いので、夜遅く寝て、朝ぎりぎりに起きるという生活習慣が身に付いている。ただでさえ睡眠時間が短いのに、長時間電車でゴトンゴトンと単調に揺られたら、眠くなってしまうのも無理はない。

さらに帰りの電車などは、お酒の入っていることが多いのでなおさらだ。私の場合、帰りは常磐線快速電車の終点で降りるので、乗り越すことは滅多にないのだが、その代わり終点で折り返して都心方向に戻ってしまったことが何度かある。だから、私は終点で眠りこけている人をみたら、必ず揺り起こしてあげることにしている。それが親切というものだ。

終点に着いて、周囲で眠りこけている人がいるのに気づいてもかまわず降りてしまうというのは、いかにも不人情ではないか。安全なだけで、周囲への無関心や不親切が拡大しているのは、困ったことだと思うのである。

ただし私は軽く揺り起こして、それでも起きない人は放っておく。そこまで泥酔するのは当人の責任だし、あまりしつこく起こして、なんとかスリに間違われるのはまっぴらだから。

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2004年3月18日

JR ホームの喫煙コーナー

いつも利用している JR の駅で、ホームの真ん中あたりにあった喫煙コーナーがなくなり、大型の灰皿を取り去った跡が生々しく残っているのに気づいた。

3月のダイヤ改正とともに、喫煙コーナーは、ホーム真ん中の特等席から、一番端っこに追いやられてしまったらしい。

調べてみたら、ホームの喫煙コーナーだけでなく、特急の喫煙車両を大幅に減らすなど、かなりの前進ぶりなのだった。(こちら

これまではホームを移動するとたいていの場合、真ん中あたりでもうもうと煙をくゆらせている集団がいて文字通り閉口したのだが、これで多少は楽になった。というより、これまで喫煙コーナーをわざわざホームの真ん中あたりに設置していたということ自体が、おかしなことだったのだ。こういうものはなくて当たり前だし、どうしても作りたいのなら、初めから一番端にしておくべきだったのだ。

特急でも喫煙車両を大幅に減らしたようなのだが、多分、掃除の係の人はとても楽になっているに違いない。煙草というのは煙を出している間も傍に迷惑をかけるが、吸い殻になってからもかなりの迷惑なのだ。まず、灰皿の周辺はヤニ臭さが漂うし、その後始末もかなりの負担なのである。

会議などの後かたづけで一番面倒なのが、実は、灰皿の始末である。人によっては、灰皿の中にありとあらゆるゴミ(煙草のパッケージやビニールくず、会議終了後に出たビール瓶の王冠、ペットボトルの蓋、こぼした飲み物を拭いたティッシュペーパーなどなど …… )を捨てて帰るので、その分別作業まで強いられることがある。自分の口にくわえて唾液を付けたものと他のゴミを一緒にしておいて、他人に分別作業を強いるいうのは、かなり傲慢なことである。

こうした傾向を見ると喫煙者の中には、傍に迷惑をかけているという自覚が決定的に足りない人が多いのではないかと思われる。そうした人が、自分の健康のためなどという利己的な目的で禁煙しようなどとするから、大抵失敗するのである。周囲に迷惑をかけたくないという一心で挑戦すれば、成功するのだ。(現に、私がそれで成功した)

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2004年3月17日

返信メールの引用は

今週号の「週刊アスキー」に「メールの常識・非常識」という特集があり、その中で「返信の際はどこまで引用する?」というテーマに関しては、一応「必要な部分のみ引用しよう」という模範解答になっている。

ただし「全文引用」の支持派も多く、意見が分かれているようだ。

全文引用に関しては「もってのほか、メールが重くなるだけなので止めて欲しい」という意見と、「どのメールに対する返答かを明確にするために、最後に全文引用を付ける」と言う意見が併記されている。

ちなみに私自身は、普段は全文引用派である。今時、テキストだけならそんなに気にするほど重くなんかならないので、気にせずそのように設定してある。私だけでなく、ビジネス関係では全文引用派が多いような気がする。

ただし返信の返信、そのまた返信 …… と何度もメールが往復すると、この設定のままではどんどんメールが肥大化する。甚だしくは、「了解しました」というたった 1行の返信の下に、これまでのやりとりがずらりと並ぶことになることもある。

こんな場合は、直近の内容以外は削除してしまうことが多い。いくらなんでも、引用部分ばかりが長すぎるのは馬鹿馬鹿しいからだ。

それにしても返信の場合の引用は、人によって意見が分かれるようだ。E メールというのは、まだそれだけ歴史が浅いのだ。

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2004年3月16日

改めてデジタルデバイド

最近、改めて「デジタル・デバイド」を考えている。以前、どこかに寄稿したコラムで書いた覚えがあるのだが、「デバイド = divide」には、「分水嶺」という意味合いがある。

要するに、山並みのどちら側に流れ落ちてしまうか、デジタル・システムへの対応で決まってしまいかねないのだ。

私はつい最近デスクトップ・パソコンを買い換えたのだが、新しいパソコンのセッティングで、「まいと~く FAX」という FAX ソフトのインストールを忘れるわけにいかなかった。

本心からいえば、こんなソフトはインストールしたくないのである。文書を FAX で送付するなんて、御免こうむりたい。できれば、すべて E-メールで送りたいのはやまやまなのである。しかし、普段から情報のやりとりをしているすべての相手が、メールの受発信可能というわけではない。FAX で文書を送付するしかない相手先も少なからず残っている。

印刷した文書を、FAX 機で複数の相手に送るのはかなり面倒だが、FAX ソフトを使えば、指定した相手先に順番に文書を FAX してくれる。かなり便利だが、それでも問題がある。一つには送信コストの問題だ。メールで同報送信すれば、ほとんど無料だが、FAX は送信先ごとに電話料がかかる。長い文書を市外に FAX する場合は、結構なコストである。

さらに、個人宛にはよくあることなのだが、電話と FAX が同じ番号で、要するに「FAX電話」を使っている場合である。FAX ソフトがその家を呼び出す。すると、相手の家のおじいさんか誰か(要するにお年寄り)が、受話器を取ってしまう。

「もしもし、○○ですが」

すると FAX なので、当然「ピーヒョロヒョロ」という発信音しか聞こえない。そこで、FAX受信ボタンを押してくれればいいのだが、「もしもし!、もしも~~し!!」とさんざん怒鳴ったあげく、「なんだ、こりゃ。いたずら電話か」などとつぶやいて、ガチャンと切ってしまう。

こんな場合、FAX ソフトは 3回送信を繰り返すのだが、そのたびに「もしもし、○○ですが。(ピーヒョロヒョロ) 、もしもし!、もしも~~し!! しつこいな、また、いたずら電話か。(ガチャン)」ということなってしまう。情報送信ができないのである。

こうしたことの繰り返しが、決定的な情報格差を生む。その家は、山並みのあちら側に流れ落ちてしまうのだ。

やはり、メールぐらいは使いこなしてもらいたいものである。

 

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2004年3月15日

万里の長城は宇宙から見えない

中国の小学校国語の教科書にある 「万里の長城は宇宙から肉眼で見える」 という記述は、とんだガセネタだったらしい。教育省が出版社に削除指示を出したそうだ。

これは以前からかなり有名なネタで、私なんぞはつい何の疑いもなく信じていたので、なんだか脱力してしまった。

NASA のウェブサイトでは、かなり前から「宇宙から万里の長城は見えない」と断定していたようだが、中国は教科書の記述を変えようとしなかったらしい。しかし中国が昨年10月に成功した有人宇宙船の飛行士が「長城は見えなかった」と指摘してしまったため、ついに折れたようなのだ。

米国に言われても突っぱねていたのに、自分の国の宇宙飛行士が言ってしまった以上、認めざるを得なかったというところがおもしろい。

ところで「宇宙から」というが、どのくらい上空になると、宇宙ということになるのだろうか。その答えは、学者の専門領域によって違うのだそうである。

宇宙開発系の学者は、上空 100~150kmを地球の大気圏と考え、それ以上の高さを宇宙としているらしい。人類初の宇宙飛行をした旧ソ連のガガーリンの乗った宇宙船は上空 200km~ 300kmのところを飛んだそうだ。スペースシャトルが飛ぶ高さも 300km~500kmというところという。

しかし地球をとりまく大気の研究者は、違った考えをしていて、地上から 500km~ 1000kmの高さまでを大気圏と考え、それ以上を宇宙としているらしい。えらい違いではないか。このコンセプトを採用してしまうと、これまで「宇宙飛行士」とされてきた人たちのほとんどが「大気圏内飛行士」にランクダウンされてしまう。これはゆゆしきことだ。宇宙開発系の学者は、この説を決して採用しないだろう。自分の研究が「大気圏内開発」になってしまったら、いやだろうし。

最低限、上空 100Km以上を宇宙と規定しても、100Kmも離れたところから城壁を見ろという方がムリだというのは、改めて考えてみると自然に納得できる。これを「見える」と言い続けてきたというのは立派なものだ。そのくらいの厚かましさがないと、国際舞台で生き残れない。

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2004年3月14日

広島出張 2 (原爆ドーム)

広島からは昼前の新幹線で戻ったのだが、せっかく広島まで来て、原爆ドームを見ないで帰ってはお話にならないと思い、朝早く起きて見学に出かけた。

斜めから朝日を受けた原爆ドームは、原爆を落とされて 59年目になるというのに、言葉にできないほど生々しかった。

いじめ 、虐待、テロリズム、戦争 …… すべての暴力的行為を引き起こす心的状態、そうした心根を引き起こす遺伝子が、我々人間の中にあるのだとしたら、とても悲しいことだと思った。

原爆ドームは、この忌まわしき遺伝子の引き起こした仕業の最悪のシンボルである。すべての人は、ここに来てそのシンボルを見なければいけないと思った。そして、忌まわしき遺伝子が発動しないように、スイッチオフしてしまわなければならない。

この廃墟を世界遺産に指定したことは、逆説的だが人類にとって重要なことである。生々しいままに半世紀以上も保存している、その努力に敬意を表したいとしみじみ思った。

参照 : 3月13日の和歌ログ

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2004年3月13日

広島出張 1

>今月 10日の当欄で触れたように、新幹線「のぞみ」で広島に来ている。

「のぞみ」の窓際席は非人間的なほど窮屈だと嘆いたが、今回乗ったのは、「700系」車両(先頭がアヒルのくちばしみたいなやつ)だったので、悪名高い「500系」(ロングノーズ型)より少しだけ快適だった。(参照

おまけに乗客の多くは新大阪で下車してしまったので、広島まではガラガラになり、3列並びの椅子を独り占めして広島まで来ることができた。来る前までは気が重かったが、これなら OK だ。

仕事を終えてホテルに入ったら、各部屋に無料の無線LAN が付いていて、試したら、平均して 10MB の速さでサクサクつながる。これまで、ケーブルを介した LAN サービス付きのホテルには泊まったことがあったが、無線LAN というのは初めてだ。無線LAN のインターフェイスがない PC を持ち込んだ場合は、フロントで無料で無線LAN カードを貸し出してくれるらしい。ふーむ、結構なサービスである。

テレビをつけると、CNN も無料で見られる。一泊 5000円の割には、かなりの充実サービスではないか。今回の出張は 「当たり」 だったかもしれない。

ちなみに、CNN ニュースでは、マドリッドのテロは「シリアス」に取り扱っているが、韓国国会の「大乱闘と号泣」シーンは、ほとんど「お笑い」扱いだ。気持ちはよくわかるが、「東洋蔑視」にならない程度にしてもらいたいなぁ。

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2004年3月12日

長島さんガンバレ

脳梗塞で倒れた長島元巨人軍監督の回復が順調と報じられている。何よりである。

右半身に麻痺があると伝えられ、ということは、言語や論理的思考を司る左脳にダメージがあるということのようである。甚だ失礼な言い方かも知れないが、これが右脳でなくてよかったと思う。

右脳は感情や直観を司るといわれている。直感的ひらめきで球界のスターとなった長島さんは、この右脳の働きが素晴らしいのだろうと思う。ということは、もし右脳がやられていたとしたら、長島さんが長島さんでなくなってしまったかもしれないのだ。今回は不幸中の幸いだった。

私はどちらかというとアンチ巨人なのだが、長島さんは好きである。なんといい人だろうと思うのである。きっと日本中に回復を祈る人が数多くいるだろう。祈りは強力な想念であり、想念はエネルギーだから、きっと作用すると、私は信じるのである。

病院の発表によると、心配された言語機能も徐々に回復しつつあるということだ。失語症の恐れはないらしい。よかった。

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2004年3月11日

「可能性」 はない?

神戸児童殺傷事件で関東医療少年院に入所していた「加害者男性(21) が、すでに仮退院したと報道された。

関東地方更生保護委員会の小畑哲夫委員長は「再犯の可能性はないと判断した」と仮退院の許可理由を述べたそうだ。この判断が間違っていないことを望む。

一方で、「再犯の可能性はない」などと言い切っていいのかなぁと、疑問も感じる。誤解しないでいただきたいが、私は仮退院した男性が再び罪を犯すだろうなどと言っているわけではない。ただ単純に「可能性はない」などと言い切っていることに、「すごいなぁ」と驚いているのである。

「まさか、あの人が」と思われるような人が、時として凶悪犯罪を犯すことがある。可能性としては、どんな人間でも罪を犯す可能性は 0 パーセントではない。普通の人間ですらそうなのだから、このほど仮退院するという男性に関して、単純に論理的な問題として「可能性はない」などは言えないはずだいうのが、ごく普通の考え方だろう。

ドイツ人と結婚した女性に聞いた話だが、日本の天気予報で「降水確率 0 パーセント」と言い切るのを、論理性を重んじるドイツ人は驚くそうである。確かに、論理で突き詰めれば「0 パーセント」というのはあり得ないだろう。どんなに強い高気圧に覆われることが確実だとしても、多少の紛れがあるかもしれないではないか。

実際に「降水確率 0 パーセント」と言っていたのに、雨に降られたことが一度ならずある。そんな場合は「ごめんなさい」で済むかもしれないが、凶悪犯罪となるとそういうわけにも行かない。

ただ今回の場合は、単純に論理性を重視して「可能性は非常に低い」などと言ってしまっては、「万が一の可能性があるものを世の中に出すとは何事だ」ということになりそうだ。実際には「万が一以上の可能性」のある者が、その辺にごろごろいるのだが。とはいえ、ある種政治的な判断で仮退院という方向性がある以上、「再犯の可能性はない」と言わざるを得ないのかもしれない。

重ねて言うが、今回の判断が間違っていないことを望む。そして、その男性がきちんと更生して罪を償うことを祈るのみである。

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2004年3月10日

またしても 「のぞみ」の窓際

12日に広島に出張することになり、緑の窓口で切符を買ったら、またしても「のぞみ」号の窓際の席しか残っていなかった。

先月 27日の当欄でも書いたのだが、「のぞみ」の窓際の席は、非人間的なまでに狭苦しいのである。先月は大阪まででもかなりの難儀だったので、思いやられる。

緑の窓口の出札係のオジサンが、「お客さん、どうしますか。3人がけの窓際の席しか残っていないんですが」という。

「うわぁ、堪らんなぁ。『のぞみ』の窓際の席って、やたら狭いんですよね」
「そうなんですよ。どうします?」

なんだ、JR でも「のぞみ」の欠陥はちゃんと認識しているではないか。しかし「どうします」と言われても、ほかに選択の余地はない。しかたなくその座席を予約した。

それにしても、JR というところは、乗客のことはあまり考えていないもののようだ。以前は、新幹線を含む特急列車の一番前の座席がめちゃくちゃしんどかった。足を伸ばす余裕がなく、難聴苦行を強いられた。最近は縦方向の余裕がかなり考慮されるようになり、それはなくなったが、今度はすべての窓際の席で横方向が窮屈である。

次の新型車両では、なんとかしてもらいたいものだ。

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2004年3月 9日

ウェブページの横幅

私のサイトは大抵の場合、横幅 695picsで作っているので、今時の 1024×768 の画面では、かなり横方向に余裕がある。

それは、私自身がウィンドウを最大化して画面一杯にして見るのが嫌いなことと、IE で、左側に 「お気に入り」 を表示させても十分表示できるようにしているためである。

<これは好みの問題だから他人に押しつけるつもりは毛頭ないのだが、私はパソコンで作業をするときには、常にウィンドウを画面より一回り小さく表示している。最大化してしまっては、ウィンドウズのマルチタスクの意味がなくなると思っている。

ほとんどの場合、常に複数のウィンドウを立ち上げて作業しているので、一つのウィンドウで画面を一杯に占領してしまっては、やりにくくてたまらない。それに、例えば、Word を立ち上げて文書作成をする際にウィンドウを画面一杯に開いても、左右は無駄な領域が表示されるばかりである。

IE のウィンドウをモニター画面より一回り小さく開き、左側に「お気に入り」を表示させたとしても、695ピクセルならば、大抵の場合は横スクロールなしで表示できるのである。

だが、世の中のホームページは、横幅が 760ピクセルというのが多い。これは、ちょっと前の 800×600 のディスプレイを意識しているのだろうが、やはりこれでは横幅が大きすぎる。ややもすると、横スクロールが必要になり、とてもストレスになる。私はウェブページの横幅は 695 ピクセルが限度と思っている。

この数字のもう一つの根拠は、A4 縦で印刷した場合に、それよりも横幅が大きいと、右側が切れて印刷されやすいことである。ネットスケープの場合は、印刷時にサイズを適宜調整してくれるのだが、IE には今のところそんな気の利いた機能はないようだ。

というわけで、私は横幅一杯のウィンドウサイズで初めて表示されるようなウェブページには、少々閉口してしまうのである。

 

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2004年3月 8日

写真というメディア

私は写真を撮ったり撮られたりということに、あまり興味を持たない方だった。例えば海外には仕事で何度も行っているのだが、その証拠写真があまりにも少ないことに、我ながら愕然としたりしている。

しかし最近、名刺サイズのデジカメを購入して以来、行く先々でパチパチやっている。

私は業界新聞の記者上がりなので、テキスト中心の情報発信を専らとしており、写真は必要最低限撮ればよかった。とくに現役の記者時代は、まともに撮れるカメラといえば、かなりご大層なサイズのものしかなかったので、気分としては「カメラというのは重くてかさばって、面倒なもの」という意識だったのだ。

私は根が不精なので、「重くてかさばって、面倒なもの」というのは、それだけで御免蒙りたいのである。そして、最近気付いたのは、まさにそのことだった。私は決して写真が嫌いだったというわけではなく、「重くてかさばって、面倒」が嫌いというだけのことだったのだ。その証拠に、超小型で 320万画素という高機能のデジカメを手にして依頼、写真を撮るということがちっとも億劫でなくなってしまったのだ。

以前は「風景は脳裏に焼き付けておけばいい」と思っていたのだが、記憶というのは薄れてしまうのである。これは最近しみじみと気付いたことだ。やはり写真というメディアに記録するというのも意味のないことではない。

さらにこれは 今月 3日に書いた「マルチメディア」 (死語だが)と関連するような気がする。自分のインターネット・サイトを持ってからというもの、テキストだけでなく画像という形式の情報がだんだんと身近に感じられ始めたのだ。その身近感覚の増幅と、「重くてかさばって、面倒」感覚の解消という 2つの要素が絡まってしまったものだから、私は近頃にわかに「カメラおじさん」になってしまったのである。

とくに「和歌ログ」というサイトでは、最近は毎日のように下手な写真を添えている。我ながら変われば変わるものだ。

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2004年3月 7日

過去形の婉曲表現

先日の「トレビアの泉」で、「山形県の村山地方では、電話で名乗る時『○○でした』と過去形で言う」というのが出ていた。

私は同じ山形県でも庄内出身なので、さすがに「~でした」とは名乗らないが、何となく雰囲気はわかるような気がする。丁寧な言い方では、過去形で婉曲表現するのだ。

例えば庄内地方でも他所の家を訪ねて、玄関先で「おいでですか?」と聞く際には、「いましたが?」と過去形で聞いたりする。

庄内では「おいでですか?」なんていう洒落た表現はないので、「いるか?」と聞くことになる。それを庄内弁では「いっが?」という。しかし、さすがに「いっが?」ではぞんざい過ぎるニュアンスなので「いっだが?」(いたか)と過去形で聞く。実際の感覚では過去形というよりは、過去完了進行形である。前からずっと居て、今も居るかという感覚だ。この感覚が根底にあることをまず押さえておいていただきたい。

そしてさらに、庄内弁では「です、ます」は比較的新しい表現なのである。おそらく、明示以後の国語教育で初めて知った表現だろう。それ以前は、「ござります の訛りで「がんす」と言っていた。映画「たそがれ清兵衛」でも多用されていた。鹿児島弁では「ごわす」と言うところである。

だから「です、ます」はどちらかというと、かなり他所行きの表現である。あまり生活の中に深く根ざしていない。そこにもってきて、他人の家に訪問する時には、「いますか?」ではあまりにもきつ過ぎる気がする。何しろ庄内弁オリジナルでも、「いっが?」ではなく「いっだが?」と過去形で聞く感性がある。そこで、婉曲表現として「いましたが?」になる。

おそらく村山地方の電話での名乗り方も、「○○です」ではちょっときつ過ぎる気がして、「○○でした」に落ち着いたのだろうと思われる。英語だって、「~したい」と丁寧に言うときは "I would like to ..." と未来形の過去分詞なんて、七面倒くさい用法が一般的じゃないか。

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2004年3月 6日

新しいパソコン

5日の昼前に新しいパソコンが届いた。Dell である。CPU は 2.8GH である。

しかし、新しいパソコンを使い始めるということは、家を引越しするようなものである。まともに使い始めるまでは、ほとんど 1日がかりのセッティングが必要になる。この忙しいのに、本当に勘弁してもらいたい。

昼前から取り掛かって、夜中過ぎまで延々と作業が続いた。一応は何とか使えるようになったが、まだ必要なソフトでインストールし終えていないのがある。

とりあえずは、毎日使うソフトを早くインストールして、インターネット関連のセッティングを完了しなければ話にならない。メールのアカウントだけで、4つももっているし、ウェブサイトの FTP も、頻繁に更新しなければならないサイトが4つある。すべて ID と パスワードの世界だから、きちんと設定しておかないとあとが面倒だ。

今まで使っていた NEC のデスクトップは、1階に降ろして、家族の共用マシンとする。こちらの方の設定もある。後は、いつもリュックに入れて持ち運んでいるノートパソコンと同期を取らなければならない。まったく、パソコンの使い初めというのは大変だ。

ディスクごとざっとコピーしてしまうと、あとは新しいマシンに合わせて細部の設定を変更してくれるなんていうウィザードは開発されないものか。それがないと、3年に 1度くらいの割で本当に面倒な思いをすることになる。

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2004年3月 5日

桜開花予想

気象庁の発表した桜(ソメイヨシノ)の開花予想によると、今年の東京の開花は 3月 20日 になるということだ。

今年の2月は、記録的な早咲きとなった一昨年以上の暖かさだったが、3月は平年並みと予想され、最終的な開花予想は「平年に比べて早咲き」という程度のようだ。

それよりも由々しき事態なのは、東京都心と八王子の桜の開花が、ほとんど差がなくなってきたことだという。以前は都心に比べると 1週間くらい遅れて開花していた八王子の桜が、最近はわずか 1~2日遅れ、あるいは、年によっては、都心より早く咲いてしまうということまであるらしい。

これは、都市気候が郊外の八王子近辺に至るまで広がってきたということのようだ。ただ、いくら何でも 3月の時点では八王子の方が気温が低いのだが、桜というのは、開花以前の冬の気温が低いと、春の訪れに敏感に反応して咲くものらしい。だから、八王子の冬の方がかなり寒いので、ちょっと暖かくなるとさっさと咲くもののようなのだ。

これは東京の方が鹿児島あたりより桜の開花が早いというのと同じである。鹿児島は冬の寒さがそれほどでもないので、桜の方も、春になったと気付くのが遅れるようなのだ。

やっぱり何でも「メリハリ」というのは大切なのだろう。

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2004年3月 4日

火葬場の金歯拾い

愛知県半田市にある火葬場の業務を請け負っていた会社の社員が、残った遺灰から金歯などの貴金属類を集めて売りさばいていたとして、問題になっている。(こちら

3年で集めた貴金属を売り払って、16万円。5人で山分けしたのだそうだ。金額で言えば、1人当たり 3万円ちょぼちょぼ。

業務を請け負っていた知北公益の竹内勝博社長は、「監督不足により関係者に大変な迷惑をかけ、深くおわびしたい」と話しているという。しかし「大変な迷惑」とは一体なんだろう。素人考えでは、誰もそんなに迷惑なんて蒙ってないと思うのだが。

2月末に内部告発があったらしいが、こんなもの告発したところで、いったい何になるんだろう。見方を変えれば、1年当たりにして 1万円ちょっとだから、休日分を引いても たった数十円の日当で、貴金属のリサイクルに励んでくれたのである。さもなければ、せっかくの資源が灰と共に処分されてしまうところだったのだ。

正式な事業としてリサイクルに取り組んだら、人件費だけで赤字になってしまうだろう。いや、火葬場の貴金属リサイクルなんて、そもそも正式な事業になんかしにくいだろう。こっそりやってくれたからこそ、余計なコストがかからずに資源の再利用ができたのである。よくまぁ、やってくれたとねぎらってあげてもいいくらいだ。

今回のは同じ告発でも、京都の養鶏場のケースとはずいぶん違うという気がする。「告発」というよりは、「告げ口」というレベルである。多分、似たようなことは日本全国の火葬場で行われているのではないかという気がする。今回の事件で、密かに行われていた貴金属リサイクルがやりにくくなくなるとしたら、資源の無駄というものではなかろうか。

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2004年3月 3日

「マルチメディア」は死語化してる

一世を風靡した「マルチメディア」という言葉が、今では死語と化している。

私のもう一つのサイト「和歌ログ」の BBS に、「和歌ログはマルチメディアなので、できるだけ写真を添える」というようなことを書いたのだが、書いてみて改めて気が付いた。確かに死語化している。

試しに、「マルチメディア、死語」の 2語でググったところ、2,430件が検索された。上位のページの内容をみると、ほとんどが、かなりまともに「マルチメディアの死語化」を論じている。しかしこれでは紛れもあると思い、"マルチメディアは死語" と、一つながりにしてよりシビアな条件にしたら、それでも 5件がひっかかった。調子に乗って、"マルチメディアって死語" で検索してみると、7件になった。

言葉というのは「差異」を際だたせるためにあるので、それがあまり当たり前である場合は、言葉で強調する意味がなくなってしまう。昔は「歌」 といえば 三十一文字の「和歌」のことだったが、他にも歌のジャンルが出てきてしまうと区別がつかないから、差異を強調するために「和歌」と言うようになった。「歌」といえば「和歌」だった頃は、わざわざ「和歌」なんて言う必要がなかったのである。

「マルチメディア」に関しては、今や当たり前になってしまったので、わざわざそんなことを言う必要がなくなってしまった。DOS 時代は、テキストと画像を一ぺんに表示するだけでなかなか複雑な手順とテクニックを要したのである。単純なテキストにへたくそな画像を絡めるだけで、いかにも特別なことのような気がしたので、「マルチメディア」と、ご大層に呼んでみたい気がしたわけだ。気持ちがわからないではない。

しかしメディアって、本来「マルチ」であるべきで、それが当たり前なのだ。ようやく当たり前が気軽にできるようになっただけのことなのだが、考えてみればありがたいことである。

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2004年3月 2日

回転ドアってイケてるじゃないか

>先月末の一撃で「自動ドアが嫌いだ」と書いたところ、BBSで富良野のつぼちゃんの誘導尋問(?)に乗り、成り行きで「回転ドア」が好きだと白状してしまった。

ちょっと無邪気すぎる趣味だと思って、あまり口外しなかったのだが、「国際回転ドア協会」 のサイトで認識を改めた。

ちょっと こちら をご覧いただきたい。英語のサイトだが、"Gallery" がイケてる。世界各地の回転ドアの写真が紹介されている。

このギャラリーでもニューヨークの回転ドアがいくつか紹介されているが、本当にマンハッタンには回転ドアが多い。ニューヨーカーは回転ドア好きが多いのではなかろうか。

回転ドアのメリットは、基本的に「開け放される」ということがないということだ。常に「閉った」状態でいて、升で量ったように人がポロポロと出入りすることになる。

常には「閉っている」から、ドアが開く度に外の騒音や寒気 (または熱気)が入ってくるということがない。後楽園ドームに出入りするときも、ちゃっちい回転ドアを通らされるが、あのおかげで、ドームの内部の気圧が下がらずに済むのである。普通のドアだったら、開閉するたびに中の空気が抜けてしまって、ドームの天井がたるんでしまうだろう。

しかし何といっても回転ドアのメリットは、その「心躍る楽しさ」である。回転ドアは映画館や劇場に向いている。あの回転ドアをくぐることで、いかにも非日常的空間に足を踏み入れるという感覚が増幅されるのである。だから、あんまり家庭用には普及しないだろうなぁ。

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2004年3月 1日

またしても詐欺メール

「あなたが支払いを延滞している下記サイト運営者より、あなたの氏名調査・所在調査及び集金代行の依頼がありました」 というメールが届いた。

メールアドレスから氏名・所在調査を行い、3月 7日までに正式な関係書類を持参で我が家に来るのだそうだ。ご苦労なことだ。

「依頼者からの情報」 というのは、以下のようになっている。

■登録日時 :平成15年8月23日(土)23:43
■登録ID  : (私の滅多に使わないメールアドレスになっている)
■SITE名  : GALGAL
■商品名  :銀行振込後払い会員180日パック
■期間   :自動延長システム180日
■料金   :¥36,800
■延滞利息 :年利14.5%

¥36,800 というのはいかにももっともらしい金額だが、メールアドレスだけで、氏名や住所もわからないのにサービスを提供して、支払いを要求するビジネスがあるわけないだろう。万が一あったとしても、潰れるばかりだ。

それにそんな金額ではいくらマージンを取っても、氏名と住所を割り出して自宅まで押しかけるほどの手間をかけたら完全に赤字だろう。電話でアポイントを取ってくれなければ、留守という場合も多いし (^_^;)

とはいえ、こんなのに引っかかって払い込んでしまうのがいるから、後を絶たないのだろう。困ったものだ。

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