写真というメディア
私は写真を撮ったり撮られたりということに、あまり興味を持たない方だった。例えば海外には仕事で何度も行っているのだが、その証拠写真があまりにも少ないことに、我ながら愕然としたりしている。
しかし最近、名刺サイズのデジカメを購入して以来、行く先々でパチパチやっている。
私は業界新聞の記者上がりなので、テキスト中心の情報発信を専らとしており、写真は必要最低限撮ればよかった。とくに現役の記者時代は、まともに撮れるカメラといえば、かなりご大層なサイズのものしかなかったので、気分としては 「カメラというのは重くてかさばって、面倒なもの」 という意識だったのだ。
私は根が不精なので、「重くてかさばって、面倒なもの」 というのは、それだけで御免蒙りたいのである。そして、最近気付いたのは、まさにそのことだった。私は決して写真が嫌いだったというわけではなく、「重くてかさばって、面倒」 が嫌いというだけのことだったのだ。その証拠に、超小型で 320万画素という高機能のデジカメを手にして依頼、写真を撮るということがちっとも億劫でなくなってしまったのだ。
以前は 「風景は脳裏に焼き付けておけばいい」 と思っていたのだが、記憶というのは薄れてしまうのである。これは最近しみじみと気付いたことだ。やはり、写真というメディアに記録するというのも意味のないことではない。
さらに、これは 今月 3日に書いた 「マルチメディア」 (死語だが) と関連するような気がする。自分のインターネット・サイトを持ってからというもの、テキストだけでなく、画像という形式の情報がだんだんと身近に感じられ始めたのだ。その身近感覚の増幅と、「重くてかさばって、面倒」 感覚の解消という 2つの要素が絡まってしまったものだから、私は近頃にわかに 「カメラおじさん」 になってしまったのである。
とくに、「和歌ログ」 というサイトでは、最近は毎日のように下手な写真を添えている。我ながら変われば変わるものだ。
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