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2004年4月に作成された投稿

2004年4月30日

「女陰」というキーワード

当サイトのアクセスログ分析によると、検索のキーワードとして最も多いのは「おざなり」と「なおざり」で、1日に 20~30件は、該当ページにアクセスがある。

ところが、最近「女陰」というかなり刺激的なキーワードでのアクセスが、1日に 2~3件はあるようになった。

当サイトは決してアダルトサイトというわけではないので、初めは一体何の間違いかと思ったのだが、すぐに思い当たった。「小股ってどこかよりも大切なこと」というページで、「小股とは女陰のこと」という折口信夫説を紹介しているので、それだったのである。

試しに「女陰」のキーワードでググってみても、なかなか私のページには行き当たらない。104番目のランクで、ようやく見つかった。そりゃあ「女陰」について論じたページではなく、あくまでも「小股」だから、そのくらいのランクはしょうがない。

しかし「女陰」のキーワードで私のページに来てくれる人というのは、なかなかのものである。普通は、Google でヒットしたページでも、上位 10~20位くらいしか実際にはアクセスしてもらえない。結構な物好きでも、せいぜい 50位ぐらいのものだろう。

100位以下のページにまできちんとアクセスするというのは、かなりのものである。その執念に敬服する。せっかく来た先が、思ったほどのエロチックなページでなくて、ご愁傷様である。

ちなみに「小股ってどこかよりも大切なこと」というページは、「小股」のキーワードでググれば、5,300件中の 1位として登場する。(今日現在)

 

 

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2004年4月29日

Today's Crack

ふと思いついて、「今日の一撃」をキーワードに Google で検索してみたところ、204件中 6位にランクされていた。

さらに思いついて、当欄の 英文タイトルである "Today's Crack" でググったら、なんと、世界レベルで 2位になっている。ただし、全体でも 44件しかないのだが。

普通は「一撃」を英語にしたら、"shot" なのだろうが、ここでは "crack" ということにさせてもらっている。"Crack" の元々の意味は、「裂け目」 とか 「ひび」 ということになる。専門用語で「クラックがはいる」 などといえば、製品の表面にひびがはいったということだ。

しかし、"crack" には、「ぴしゃりとくらわす」 などといった意味もあり、転じて、「気の利いた言葉」という意味にも用いられる。「うまいことを言うね」という場合、"It's a hard crack" などと言ったりする。そうした中で、世界第 2位というのは、ちょっと気分がいい。

ところが、どうも様子がおかしい。というのは、"today's crack" のキーワードでヒットした他のページをみると、どうも麻薬関係のものが多いようなのだ。「クラック」というのは、コカイン系の麻薬の俗語でもある。インターネットの世界で "crack" と言ったら、もう80%は、そっち系になってしまうのかもしれない。

だとすると、もし英語圏の人が私のサイトを見たとしたら、かなり怪しいものに見えているかもしれない。何しろ顔写真があれだもの。日本語が文字化けしてしまった画面で、 "crack" という言葉が一人歩きしたら、どんな風に思われるかしれない。

以前から怪しい内容の英文スパムメールが頻繁に届くのは、そのせいかなぁ。(それは、私に限ったことでもないか)

 

 

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2004年4月28日

ゴミ箱を覆う蓋

最近、東京の新橋と有明を結ぶ「新都市交通 ゆりかもめ」の構内に入ると、ゴミ箱がすべて紙の蓋で覆われ、ガムテープで取れないようになっている。

多分、爆発物などを入れられないための、テロ対策の一環なのだろう。ゆりかもめ以外の駅でもこの光景は広まっている。

しかし、爆発物を入れられないようにするためならば、ゴミ箱を撤去すればいいのではなかろうか? 紙とガムテープで蓋をするのと、撤去するのと、どちらが手間だろう。大して変わらないように思う。私なら、貴重な資源を使わないように撤去する方を選ぶがなあ。

それとも、大きな駅になると、構内のゴミ箱をすべて集めてしまっておくスペースなんてないのだろうか。

しかし、ちょっと気の利いた (?) テロリストなら、さりげなくガムテープをはがして、ゴミ箱の中に時限爆弾を忍ばせ、蓋を元通りにしておくなんてことを考え付くかもしれない。そうなったら、ゴミ箱が格好の隠し場所になって、蓋が逆効果ということになる。

なぜこんなことを言うかというと、私は 「臭いものには蓋をする」 的な発想がそもそも嫌いだからなのだ。臭いものほど、下手に隠しておかずに、きちんと曝け出さないと、いつまで経っても改善しようという気にならない。

いつも見えるようにしておけば、皆で気をつけられると思うのだが。

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2004年4月27日

圏央道問題って一体

圏央道を巡る問題は、なんだか聞いていて馬鹿馬鹿しくなってくる。

地裁段階でどんな判決が出ようとも、高裁で覆るのは見え見えだから、行政側は工事を中止する気は毛頭ない。地裁の判決は、無理とわかりながらべらぼうなボーナスを要求する労組みたいな感じだ。

私の考えで言えば、地裁段階の判決は反体制派の裁判長の自己満足に近いものがあると思う。どうせ上級審の結果は見えているのだから、余計な幻想を住民に与えるだけ、最終的に大きな失望につながる。その意味で、逆にとても不親切だとも言える。

先祖代々の土地を立ち退く人の気持ちはわからないではない。最大限の配慮をすべきである。しかし、だからといって「圏央道が必要ない」とまで言われたら、ひっくり返ってのけぞってしまう。

私自身、何でもかんでも自動車で運んだり移動したりするシステムにはかなりな疑問を感じている。しかし現状がそうである以上、なるべくスムーズに流れる道を造らなければ、都心は単に通り過ぎるだけの車(用もない車)で埋まって、既にどうしようもない状況なのだ。

常磐道や東北道方面と、中央道、東名の間を行き来するために、あの都心の渋滞を抜けなければならないと考えると、多くのドライバーは暗澹たる気持ちになるのである。地裁の裁判長は、自分で車を運転しない人なのかもしれない。新幹線のグリーン車しか知らない人なのかもしれない。

現状では、都心の大気汚染や渋滞による経済ロスの問題は言うまでもない。さらに首都高の渋滞でイライラを募らせるあまたのドライバーのストレスは、足し合わせたら大変なものになる。周辺の比較的空いた道を通って行き来できれば、それだけでどんなにありがたいかしれない。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」なんていうのは、絵空事である。速けりゃ速いに越したことはないのである。私は 2.8GHz のパソコンを導入してしまったので、もはや MHz 台のマシンには戻れない。ADSL を知ってしまった以上、ISDN に戻るのはまっぴらごめんだ。それが人間の悲しい性なのである

そりゃあ私だって、圏央道ができればできたで、今度はそこが混雑して、期待したほどスムーズな流れにはならないという可能性も高いことは百も承知だ。しかし、だからこそ「内側の環状線ができればそれで足りる」なんていう言いぐさは、楽観的すぎると指摘できるのである。

こんなことを言ってはなんだが、私だったら、どうせ立ち退くなら、早めに気持ちよく引っ越すんだがなぁ。ドロドロのもつれ合いの果てに、恨み骨髄で引っ越したら、引っ越先でも決して気持ちよく暮らせないと思うぞ。

 

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2004年4月26日

「ワープステーション江戸」

我が家の近くに「歴史公園ワープステーション江戸」という施設がある。「ミュージアム・パーク」というふれこみで、時々テレビのロケもしているらしい。

これは第三セクターとしてスタートしたが、案の定、大赤字をこいて我が自治体の出資は紙くずと化した。

我が家の娘たちは中学校時代に課外授業で行ったらしいが、「どんなとこだった?」と聞いても、答えるのも面倒そうに「つまんなかった」としか言わない。また行きたいかと聞くと、行きたくないと言う。これでは儲かるはずがないなぁと思っていた。

昨日、たまたま所用でその近くを通ったのでちょっと立ち寄ってみたのだが、日曜だというのに駐車場は閑散としている。物寂しい限り。

入り口には、農産物を売る売店がある。田舎でよくみる「道の駅」という風情。それにしても、何でここで農産物が主力商品になるのだ。もっと江戸文化を感じさせるクールなスーベニール(こじゃれた手ぬぐいコレクションとか)を揃えるという発想はないのか。

売店の奥に切符売り場があって、大人 1,400円、子供 700円と書いてある。一見しただけで、1,400円出したくなるような施設には見えない。しかも入り口からちょっと中をのぞくと、なんだか映画か何かの撮影の真っ最中なのだが、なんの映画かという情報も見たところ何にも表示されていない。

さっぱり様子がわからない上に、入り口を入ったすぐそこのあたりでものものしく撮影しているから、せっかく入場しても好きに見て回れるような感じがしない。これじゃあ 1,400円払う気には到底なれないから、早々に引き返してきた。

時代劇の撮影をするなら、客の少ない平日にすればいいのに(休日でも決して多くはないのだが)。それとも、わざわざ日曜にやるというのは、そのロケで客を呼ぼうというつもりなのかもしれない。しかしそれならそれで、もっときちんとした情報を告知しなければ意味がない。

帰ってからこの施設のサイトをみたら、これは崔洋一監督の『血と骨』の撮影だとわかった。それならそれで、もっときちんと告知したらどうなのだ。ちなみにこの情報は、映画の都合で終戦後の大阪の街並みに模様替えしている「お詫び」として告知されている。

なんでビートたけしや鈴木京香が出る映画の撮影を、客寄せに利用しないで「お詫び」にしてしまうのだ。

とにかくこのサイト、試しに こちら から行ってご覧いただくといい。笑ってしまうから。まず、トップページでがっくり脱力するし、「新着イベント情報」というのを見ると、先月末に終わってしまった「春休み江戸祭り」の「予告」がまだ堂々と出てくる。

やっぱりお役所仕事が入ると、こんなものなのかなぁと思ってしまうのである。

 

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2004年4月25日

あえて季節ネタ

"「毎日更新」 の輪" なる別サイトを始めたくせに、あやうく自分がその更新を忘れるところだった。

近頃、「和歌ログ」 という別サイトを作り、これまで割りに得意としていた季節ネタなどは、そちらにまわしてしまうので、「一撃」 の方でネタに困ることがある。

季節ネタといえば、3日前は 4月の最高気温を記録したというのに、一昨日は急に冬のような寒さになった。ストーブの灯油なぞは、もう切れ掛かっていたので、あわててガソリンスタンドに行って買ってきた。春は天候の変動がかなり激しい。

以前にも書いたが、旧暦では今年は閏二月があり、二月が二度あったので、やっと三月になったばかりなのである。本来なら、今が 「桃の節句」 ひな祭りの季節なのだ。周囲では鯉のぼりが上がり始めているが、新暦で伝統的な行事をやると、本当に季節感がおかしくなる。

というわけで、今年の春は、季節感の行ったり来たりが激しいので、体に気をつけよう。

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2004年4月24日

40,000 ヒットと、毎日更新サイト

このサイトのカウンターも、4万の大台を超えた。最近は毎日コンスタントに 100以上のアクセスがあるので、ほぼ 4ヶ月 以内に 1万ヒットが上乗せされる勘定だ。

40,000 ヒット目のキリ番ゲットの連絡がないので、今回も記念の和歌は「捧げ先知らず」になりそうだ。

和歌と言えば、当サイトの兄弟サイトである「庄内拓明の Wakalog - 和歌ログ」も、当サイトと同様、このたび @nifty のオススメ・サイトである Vippie に認定された。

一人で 2つも「毎日更新」のサイトを運営していると、毎日が新鮮だ。ふと思いついて「毎日更新」のキーワードでググってみたら、何と 24万件以上のページがヒットした。その中には企業の宣伝ページもかなりあるのだが、個人サイトもかなりの数にのぼりそうだ。

最近は blog や日記ページが増えたので、想像以上に「毎日更新」サイトは多いようだ。そこで "「毎日更新」の輪" というサイトを立ち上げてしまった。毎日更新サイトの交流と活性化を図るねらいである。

資格のある方は、ぜひご参加いただきたい。

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2004年4月23日

鯉のぼりが減った

茨城名物のずらりと並んだ鯉のぼりが、最近とんと見られなくなった。

この辺りでは、男の子が生まれたら初節句に親類縁者がこぞって鯉のぼりを贈るらしく、もらったのをすべて上げようとすると、逆V字にセットしたロープにずらりと吊すことになる。

どのくらい吊すかというのは、こちらをクリックして写真をご覧いただきたい。とにかく盛大なものである。以前は 5月が近づくと、こうした鯉のぼりが、あちらにもこちらにも立っていた。

どうして鯉のぼりが減ったかと言えば、それは不況というよりは少子化のためだろう。とにかく、子供が減ったのである。近所の小学校などは、1学年のクラスの数が減り尽くし、1クラスしかなくなって、そのクラスの生徒数も、今や 10数名のみという状態らしい。

どうしてそんなに子供が減ったかと言えば、大人が結婚しなくなったからである。結婚しても、子供を産まなくなった。

屋根より高い 鯉のぼり
大きな真鯉は お父さん
小さい緋鯉は 子供たち
おもしろそうに 泳いでる

鯉のぼりの歌にはこう歌われているが、今や鯉のぼりの世界でも、年寄りを含む大人ばかり多いようなのだ。子供が少ないだけに、親戚中が気前よく大きな鯉を贈るためだと思うのだが、「小さい緋鯉」 の比率がとても低いのである。

今回写真に紹介した鯉のぼりの家では、13尾家族だが、子供はみたところ、4尾だけで、あとはみな大人のようなのだ。じいさんばあさんと、父さん母さんの他に、大人が 5尾いる。きっと、父さんの 5尾の兄弟姉妹が独身で、ごろごろ同居しているのかもしれない。

周りを見渡しても、30歳や 40歳を過ぎた独身が、男女を問わずいくらでもいる。私は 25歳で結婚してしまったのだが、今や 25歳なんて遊び盛りだ。結婚なんて、思いもよらないだろう。20歳そこそこで結婚しなければ、30歳を過ぎても独身というパターンが増えた。

結婚なんて、「勢い」でしてしまうものだから、30歳を過ぎたら、その勢いはなかなかつかない。というわけで、晩婚化傾向はどんどん進む。女性が 30代半ばを過ぎて結婚したら、子供はせいぜい 1人だろう。昔の子供 2人から、子供が 1人しか出現しないのでは、そりゃあ人口は減る一方だ。

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2004年4月22日

ワームとスパム

"Netsky" というワームの出現以来、最近はメールが 50件届けば、30件はウィルスかスパムで、うんざりの毎日だ。

Netsky のくっついたメールは、土日の 2日間減って、月曜日に再び増える傾向がある。ということは、これは企業ユーザーの感染がかなり多いことを示す。

私は、Nimda や Kletz などの大型ウィルスの流行に懲りた企業ユーザーの間では、かなりの対策が進んだものと思っていた。先般の Blaster などは、被害に遭ったのはほとんどが無防備な個人ユーザーだったという印象がある。

しかし、これはどうも楽観的にすぎたようだ。現に、Netsky の亜種 Netsky Q などは、私の場合だけかもしれないが、土日にはぱったりと姿を消して、月曜日になったとたんに再び急増した。

これは、土日の休日には、企業のコンピュータの電源が切られており、月曜日になって稼働し始めたとたんに、自動的にウィルス・メールを発信し始めたためと想像できる。私の知人が最近感染してしまったのだが、その時は 2秒に 1通というすごい勢いでウィルスメールを発信してしまったらしい。

こんなことでは、世界のインターネット網のトラフィックは、半分以上がウィルスという事態になっているのではなかろうか。@nifty なんて、ただでさえ夜中近くになるとウェブの表示が極端に重くなりがちなのに、その上、回線をウィルスで埋めてしまっては、ますます重くなる。

それから、スパムメールでも気の重くなるのが増えた。「アドレス変更しました ♪」というタイトルのメールが何通も届く。中身はアドレスではなく URL である。クリックしてないのでわからないが、多分、出会い系かなにかの、怪しげなサイトだろう。

「覚えてますか?」なんて思わせぶりなタイトルもある。

かえでです。今友達の家だよ…携帯かりてメールしちゃった…連絡まっててもぜんぜんこないからこっちからしました♪いそがしい?

あぁ、忙しいよ! かえでだかなんだか知らないが、こんなアホなメールをよこすんじゃない!!

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2004年4月21日

「ポルシェ」 というお店

「ポルシェ」 というのは相当にこだわりのあるブランドであるらしい。メルセデス・ベンツのオーナーは今やそこら中にいるが、ポルシェのオーナーとなると、別だ。

最近、近所に 「ポルシェ」 という名前の店が 2件できた。店の作りをみるだけで、かなりの思い入れを感じる。

Polushe

実は、この 2軒の店は、店の前を通りがかってちょっと気になっただけで、まだ入っていない。もしかしたら、一生入ることはないかもしれない。私としては気にかかったのは店構えであって、ぜひ入ってみたいというわけではないからだ。

しかしポルシェの好きな人にとっては、ぜひ入ってみたい店ということになるかもしれない。そのあたりは、人それぞれである。

上の写真の店は「ポルシェ」は「ポルシェ」でも、つづりがかなり独特である。 "Po Lu She" である。もしかしたら、ポルシェ違いの中国語かもしれない。「ポールーシェ」というものがあるのかもしれないが、それに相当する漢字の表記がないところを見ると、やはり「ポルシェ」なのだろう。

下の写真の店は「Bar ポルシェ」 である。まごうことなき「あのポルシェ」だ。スクラップのポルシェのボディが燦然と輝いている。ポルシェ好きが集まって、夜な夜なポルシェ談義に花が咲いているのだろう。

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2004年4月20日

広東語では愛は語れない?

中国語はまったく出来ないのに、3日続けて中国語ネタで押し通してみよう。

香港で通訳をしてくれた女性は、広東語は意志を手っ取り早く伝えるにはとても便利だが、ニュアンスの表現は非常に乏しい。だから「広東語で愛は語れない」と、言い切っていた。

確かに「中国には恋愛小説はない」というのを聞いたことがある。「紅楼夢」などはどうなるのだ? という向きもあるが、あれは「閨房小説」であって「恋愛小説」ではない。

中国では、結婚しても妻が夫の姓を名乗らない。その意味では、西欧的な意味での「カップル」ではない。中国の伝統的な家庭では、妻は子孫を残すためのもので、恋愛の対象ではなかったようだ。日本では「男女別姓」をさも斬新なことのようにありがたがる傾向があるが、それは前近代的なシステムでもあるのだ。

ところで、以前香港でファッション関連の展示会を取材した時に、香港貿易発展局がつけてくれた選任通訳の女性は、毎日 5時に仕事が終わると、ボーイフレンドが車で迎えに来てどこかに消えていくのだった。ある時、彼女に聞いた。

「毎日迎えに来る君のボーイフレンドとは、何語でしゃべってるの?」
「それは、もちろん、広東語ですよぉ。香港人ですから」

「本当に? ずっと最後まで広東語でしゃべってる? 例えば、ビクトリアピークで美しい夜景を見下ろしながら、とてもスィートなムードになったら?」

危うくセクハラ寸前の質問に、彼女は目をくるっとまわしてちょっと考えてから、自分でも驚いたように言った。

「そういえば、いつも、いつの間にか、英語に切り替わってる!」

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2004年4月19日

中国語の便利さ

昨日の中国語ネタをもう少し続けよう。以前広東語の通訳をしてくれた女性によると、中国語は、世界一手っ取り早く意志を伝えられる言語だそうだ。

「考えても見てください。『雨天順延』を英語で言ったら、どんなに面倒か」

なるほど、確かにその通りだ。

英語では「延期」を "put off" あるいは "postpone" という。手持ちの辞書で「順延」を引くと、やはり 同じ 2語が出てくるが、これは正確に言えば、かなり怪しい。「延期」と「順延」は違うのだ。英語では「順ぐりに延期」という 「ニュアンス」は、一言では表現しにくいように思える。

しかし、それでは「順延」と一言で言える中国語が本当に便利かというと、それも怪しい。一口に「順延」といっても、具体的にはどのように延期するのか。そのあたりは、わかったような気にさせられて、その実、かなり曖昧なのだ。

要するに「順延」というのは、「意味」というよりは「ニュアンス」なのだということだ。

例えば、日曜日に予定されていた小学校の運動会の当日が雨だったとする。子供が学校から持ってきた「お知らせ」をみると、「雨天順延」と書いてある。一見しただけでは、翌日になるのか、あるいは翌週の日曜になるのか、よくわからない。

そして、後ろにカッコ付きで「当日は月曜日の授業を行い、翌日に実施します」などと、かなりめんどくさいことが書いてあったりする。

それでは「翌日も雨だったら、どうなるのだ?」という疑問が生じるが、それに関しては何の説明もない。純粋に論理的に考えれば、「順延」という基本方針と「翌日」という付加条件に沿って、自動的に翌々日に実施されることになるはずだ。ということは、翌々日も雨だったり、グランド整備が必要だったりしたら、これまた自動的に三日後になるのだろう。

しかし、その解釈で本当にいいのか。経験則からいうと、こういうことは、なかなかそうは運ばない。「それではいっそ、父兄の参加しやすい次の日曜日に …… 」なんていうどんでん返しがつきものなのだ。「意味」というよりは「ニュアンス」と言ったのは、そういうことである。

結局は当事者に「お伺い」を立てて確かめなければならない。そして、聞かれた方でも、実はあまり明確ではなく、その都度ああだこうだと相談する。それでもまとまらないことが多いので、一番偉い人に「一任」ということになり、最後は鶴の一声で決まる。

私は、中国語というのはスローガン主義の国家運営をするには、とても都合のいい言語であると思う。なんとなくわかったような気がして、皆で勇み立って突っ走ることができる。そして要所要所では「法治主義ではなく人治主義」といわれるように、偉い人の解釈や裁量で、どんでん返しだって可能だ。

 

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2004年4月18日

香港の卓球とは?

中国人とは筆談でコミュニケーションできると思いこんでいる人がいるが、それは、半分正解で、半分間違いだと思う。

中国の憲法を、中国語、英語、日本語で対訳表記したサイトがある(こちら)。私は英訳の文章はほぼ 100% 読めるが、中国語の原文はかなりしんどい。

中国語の原文は、一見わかりそうな気がするだけに、かえって雰囲気だけに流れてしまいそうなところがあって危ない。とくに、政治や学術の分野では、日本で作られて逆輸入された熟語があるので、なんとなく「術語」的にわかるところも多いが、一般的な言い回しの部分になると、かなりチンプンカンプンだ。

チンプンカンプンの要因としては、「簡体文字」であることもかなり大きい。東アジアの共有財産の本家本元で、あんな風にしてしまうのは、いかがなものかと思ってしまう。現在の日本人が自分の国の古文書を読めなくなってしまったような悲劇が、もうすぐ起きるだろう。

他人からの受け売りだが、日本語でいうところの「手紙」は、中国語では「信」と表記され、「手紙」と言ってしまうと、中国では「トイレットペーパー」のことになるらしいのだ。

これと似たような経験がある。1987~8年頃に香港に仕事で行ったところ、香港の繁華街にはやたらと「卓球」という看板が多いのに気がついた。「さすがにこちらは卓球(ピンポン)が盛んなのだなぁ」と思っていたのだが、どうも様子がおかしい。妙にトレンディで洒落た店ばかりなのだ。

現地の人にきいてみてわかったのだが、香港でいうところの「卓球」は、実は「ビリヤード」のことで、「卓球」の看板を上げたこじゃれた店は、「プールバー」だったのだ。それを知らずに帰ったら、「香港では卓球が盛んで、中心街に卓球場がたくさんある」などと、とんでもない誤解に基づいた吹聴をするところだった。

相違を認識せずにわかったつもりになるのは、かえって本当の理解を妨げることになる。

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2004年4月17日

「菊割れ」 とは?

キッチンシンクの排水口を覆っている、放射状に切れ目の入った黒いゴム製の蓋は、商品名を「菊割れ」というらしい。

Google で検索してみたら、「菊割れ蓋」とか「菊割れゴム」と称しているところもあり、まだ通称の域にあって、きちんとしたオーソリティはないようだ。

この「菊割れ」という商品名、なんだか、台所の 「流しのお尻」 と言っているようで、スーパーに行って、店員に「菊割れの売り場はどこですか?」とは聞きにくいなぁと思っていた。しかしよく調べてみたら、実はかなり気高い発想からの命名らしいことがわかってきた。

「菊割れ」という言葉は、茶道の初釜などに使われる高級な炭からきているらしい。 クヌギやカシの若木を使って丁重に焼き上げた炭は、断面が菊の花びら模様に見えるので、「菊炭」と呼ばれるというのである。火付きと火持ちがよく、立ち消えしにくい高級品であるらしい。

そして、その菊炭の断面のことを「菊割れ」というようなのだ。なるほど、あの流しのゴム蓋も大抵色は真っ黒なので、この「菊炭」の断面からの連想というのが本当のようだ。 「流しのお尻」などと考える方が、下司の勘ぐりだったのである。

と、ここまでわかっても、やっぱり「菊割れください」とは言いにくい。

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2004年4月16日

仕事と趣味

「仕事が趣味」と公言する人がいる。「好きな仕事につけて、幸せだね」と思う一方で、ちょっとした疑問も感じる。

「それで収入を得てるんだから、もはや『趣味』とはいえないだろう」と思うのだ。それにそんなんでは、定年過ぎたら人生途端につまらなくなるぞ。

「仕事が趣味」という人に 2種類ある。ひとつ目は、若い頃からの好きな分野を掘り下げていくうちに、プロになってしまったというタイプだ。技術者、研究者などの専門職に多い。こういう人は「仕事が趣味」ではなく、「趣味が仕事になってしまった」という方が正確だろう。幸せな人だ。

しかし、たまたま就いた仕事を脇目も振らずにやってきただけで、他に何にも趣味といえるものもないので、とりあえず「まぁ、仕事が趣味みたいなもんですわ」というのは、ちょっと怖い。こういう人は、定年退職してしばらくしてから会うと、急に背中が小さくなっていたりする。

ヨーロッパ辺りでは、「趣味 = ホビー」と呼べるものの条件として、次の 2つがあるそうだ。

1. それで収入を得ていないこと。
2. その分野で解説書を書けるぐらいの力量があること。

かなりペダンティックな条件で、いかにも貴族趣味社会だが、このスタンダードを日本に当てはめたら、「趣味が仕事」派は、1番目の条件で全滅だ。「趣味はゴルフ」派の多くも、2番目の条件で振り落とされてしまうだろう。

趣味にも英語では 2種類あって、上記の条件に当てはまるのが "hobby" (ホビー)で、暇つぶし程度のものは、文字通り "pastime" という。私の和歌は、まだまだ "pastime" レベルか。

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2004年4月15日

携帯電話のストレス

公共の場での携帯電話使用が迷惑がられるのは、声の大きさよりも、会話の片方しか聞こえないことの違和感の方が強いという実験結果が出された。(こちら

確かに私も、おばさん同士の声高な会話以上に、おじさんの「俺だ、例の件どう? …… ふんふん …… 」の方が気に障る。

対面で行われる会話ならば、「わいわいぎゃあぎゃあ」 のレベルでない限り、結構な声高でも何とか耐えられる。それは、自然のリズムがあるからではないかと思っている。ところが、携帯電話での会話の片方しか耳に入ってこない状態が延々と続くと、とたんにストレスになる。

だから、「もしもし、はい○○です。すみませんが、今、電車なのでかけ直します」程度で済めば、ストレスになるリズム以前の問題なので、ちっとも気に障らない。むしろそのマナーの健全さに、いい気分にすらなる。

しかし往々にして「かけ直します」だけでは済まなくて、「え?、 …… あぁ、そうそう、ん? …… いやいや、それはちょっと、 …… はいはい、 …… だから、もう少ししたら、かけ直しますから、 …… うん、はいはい …… 」なんてことになる。そうなると、こちらはいらいらして「いいから、早く切れよ」と言いたくなる。

もしかしたら、この「 …… 」の部分が多いと気に障るのかもしれない。しかもそこに「うっそぉ」や「ていうかぁ」や「チガくてぇ」が頻繁に入ったりすると、たとえ小声でもイライラ度は高まる一方だ。

それから、今回発表された実験結果では、呼び出し音はあまり気にならないとされているようだが、今時の作りのギンギンの着メロが、延々と鳴り続けるのは、やはりうるさすぎていただけない。これは日本特有の現象だろうか?

着メロ開発者にお願いしたいのだが、過度にディストーション(歪み)を効かせた音作りは、避けてもらいたいものである。電車の中でもうるさいのに、映画館などであれが鳴り出すと、ぶち切れそうになる。

 

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2004年4月14日

ゴルファーに対する違和感

ゴルフのマスターズとやらが終わったそうで、なんとかという人が優勝し、タイガー・ウッズは振るわなかったのだそうだ。

私はゴルフにはまったく興味がなくて、ルールも良く知らない。だから、世の中のゴルフ雑誌とゴルフ番組の隆盛が、全然理解できなかったのである。

だから最近、日本のサッカー人口が約350万人で、野球人口が 約600万人、テニス人口が約700万人なのに対して、ゴルフ人口が 1,000万人を越すと聞いて、たまげてしまったのである。ボーリング人口の約3,300万人には及ばないが、よもや、そんなにいるとは知らなかった。

そういえば、野球やサッカーは団体競技だから、とにかく仲間を集めてチームを作らなければできない。だから観る人ばかり多くて、実際にやっている人は案外多くないというのは、なるほど、理解できた。

そこにいくと、テニスやゴルフ、ボーリングは、基本的に個人競技である。一人では抵抗があるだろうが、仲間が 2~3人もいればできる。なるほど、その面でのハードルはとても低い。ボーリングが圧倒的にポピュラーなのは、それに加えて、経済的なハードルも圧倒的に低いためでもあるだろう。

ゴルフ人口が案外多いということはわかったが、それを観る人は少ない。野球やサッカーとはわけが違う。日本中の老若男女が夢中になって、テレビのマスターズにかじりつくという光景は想像できない。その意味では、ゴルフはテニスやバレーボールにも及ばない。そもそも自分でやっている人以外には、観ていて面白いスポーツではない。

だから、ゴルフというのは案外間口の狭いスポーツである。やっている人にしかわからないものである。そして、そのやっている人というのも、大部分はお仕事上の 「お付き合いゴルフ」 なのだから、広範な熱狂というのは成立しにくい。

ところで、プロレスファンや格闘技ファンというのは、自らが「特殊なマイナー的存在」であることを自覚している。最近は大晦日に紅白を食ったりするという現象も生じてはいるが、基本的には決してメジャーではない。だから、世の中に対する「遠慮」や「照れ」のようなものを身につけている。

格闘技ファンは、マニア同士では一晩中でも熱く語り合うようなところがあるが、興味のない者にまでその感動を押しつけるような野暮はしない。当然、「あなたも、そろそろ『腕ひしぎ逆十字』の入り方くらい覚えなさいよ」なんてことは決して言わない。

ところが多くのゴルファーには、そうした「遠慮がちな気分」というものが感じられない。自分の趣味は立派なメジャーであると、信じて疑わないところがある。 「世の中の少なくとも過半数は、ゴルフにまったく興味がない」という事実に対して、無邪気なまでに無自覚である。

「君も、そろそろゴルフ、始めたら?」なんて、余計なお世話を平気で言う。まるで「ゴルフをするのが、正しい社会人である」と言わんばかりである。いや、確実に言外にそう言っている。それによって、ゴルフに興味がない者に居心地の悪い思いをさせていることに気付いていない。

格闘技ファンである私は、押しつけがましい種類のゴルファーには、ちょっとした違和感を覚えるのである。

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2004年4月13日

40,000ヒット間近

ふと気付いたら、カウンターが 39,000 を越していた。順調に運べば、今月末ぐらいに、キリ番ゲットの方に、恒例の和歌プレゼントをすることになりそうだ。

最近は病膏肓というか、「和歌ログ」なるものを別サイトで立ち上げ、昨年末から、一日一首詠み続けている。

このほど「電脳短歌イエローページ」というサイトに登録していただいたので、一応「ネット歌人」の端くれということになったが、おかげであまり恥ずかしい出来のは詠めなくなった。(十分恥ずかしいという見方もあるが)

和歌は何となく以前から興味があって、ちょこちょこ作り続けていたのだが、毎日詠むのは大変だと思っていた。しかし、やり始めてみると、習慣とは恐ろしいもので、すでに 4ヶ月以上続けている。120首を越えてしまった。小学校の絵日記もまともに続けられなかったのに、人間、ひょんなことでツボにはまると、どうなるかわからないものだ。

ものの本によると、歌を詠むのも続けて数をこなすことが大切で、100首を越えたあたりから、だんだんと「面白くなってくる」というのだが、果たして本当だろうか?

もし本当だとすると、今度のキリプレは初めて「面白く」なってからの歌を贈らせていただくことになるのだが …… 。とはいえ、そのあたりは、あまり期待しないでいただきたい。

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2004年4月12日

「じやや」はどこに?

エプソンのカラープリンタの宣伝に松浦亜弥が出ている。当人である「あやや」に、彼女の変身である「パやや」、「マやや」、「ばやや」が加わり、家族 4人で写真印刷を楽しむというコンセプトだ。

だがそこにはなぜか、「じやや」 が登場しないのである。

「なぜ、この家族には 『じやや』 がいないんだ?」 と聞くと、我が家の次女が「じややは、きっと死んじゃったんだよ」という。そんなに簡単にじいさんを殺さないでもらいたものだ。

それにじややが死んでも、ばややは、あんなに元気に「ばややは、紙焼きから写真コピー」なんて言っている。じややの生前の写真でもコピーするのかと思うとそうではなく、自分の若かりし頃のブロマイドのような写真である。

じいさんが死んでも、ばあさんは至って元気なのである。今日の日本の家族の典型的な姿がそこにあるのである。

いや、もしかしてじややは死んではいないのかもしれない。きっと家族が寄ってたかって画像プリントを楽しんでいるのに付いていけず、奥の仏間かどこかで、一人いじけているのではなかろうか。

「ふん、いいもん、いいもん、わしなんか、商店街の抽選でもらったカレンダーの、梅原龍三郎のレプリカがあればいいもん」 んて、すねているに違いない。悲しいものである。

日本の広告制作者よ、じいさんの居場所もちゃんと作ってくれ。君たちも(もし女でさえなかったら)いつかきっと、じいさんになる日が来るのだ。

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2004年4月11日

切手の裏の接着剤

FAX や E-メールの時代になったので、郵便を送ることがめっきり減ったが、それでも、請求書などは、封書にして送る。

その際に切手を貼るのだが、必要な時に限って、専用のスポンジが乾いていて役に立たない。1枚か 2枚の時は、面倒なので、つい舌で舐めて貼ってしまう。

接着剤を舐めてしまうので、何となく体に悪いような気がしていたのだが、聞くところによると、あの切手の裏に塗ってある接着剤は、人体に有害な成分は含んでいないのだそうだ。当局としても、積極的に薦めはしないまでも、舌で舐めて貼るということを十分に想定してあるようだ。

ところで、日本の郵便切手の裏にあらかじめ接着剤が塗られるようになったのは、明治 5年からだそうだ。いまから百数十年も前の話で、日本に郵便切手が登場してすぐ翌年なのである。当初から、舌で舐めることを想定していたかどうかは知らないが、結構な歴史の中で、人体への影響については可能な限り改善されているとみていいようだ。

だからといって、安心して舐めようという気にはならず、おっくうがらずにスポンジに水を補給しようと思うのだが。

封書に貼る際には、記念切手を取りそろえておくと、見慣れた通常の切手よりも、なんとなく気が利いた気分になる。確かに、自分が受け取る時も、何かの記念切手が貼ってあったりすると、少しだけいい気分になる。問題は、そんなにしょっちゅう郵便局に行くわけではないので、なかなかいい切手が手に入らないことである。

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2004年4月10日

絶対に正しい選択はない

今日はテレビもラジオも、イラク邦人人質問題でもちきりで、これをきっかけに、自衛隊の撤退を求める声が強まりそうだ。

私は今回の自衛隊派兵に積極的に賛成しているわけではないが、だからといって、すぐに撤退すべきという論調には疑問を感じるのである

「そら見たことか、だから派兵なんかしなきゃよかったのだ」と、今さら言ってみたところで仕方がない。派兵してしまった以上、テロに屈して言いなりになったという既成事実を作るわけにはいかないではないか。世界中に悪影響を及ぼしてしまう。

こうしたテロに屈して、一度決めたことを覆していては、キリがないのである。ハイジャック対策と同じようなことで、「人命尊重」の原則に縛られすぎて、犯人側の言いなりになる前例を作ってしまうと、似たような事件を次々に誘発することになる。だから、毅然とした態度で臨むべきなのだ。

ラジオの解説を聞いていると、「自衛隊は自分たちの安全な宿営施設造りを優先しているので、イラクの人道復興支援という目的を果たしておらず、いてもいなくてもいい存在である。ならば撤退すべきだ」という言い方をする人もいた。

「よく言うよ」と思った。派遣された自衛隊員の身になって考えてみるがいい。まず安全な宿営地を確保しないことには、安心して活動できないではないか。彼らは死なずに日本に帰るという義務があるのだ。死んでしまったら、何を言われるかわからないのだから。

宿営地造りに手間がかかりすぎという人もある。しかし仕方がないではないか。幸か不幸か、戦後何十年も海外派兵なんかしてこなかったのである。何をするにも手探り状態だ。これがさっさと進むようなら、よほど海外派兵慣れしてしまっているということだ。

もし自衛隊が安全な宿営地造りをおざなりにして、復興支援作業にどんどん乗り出し、そのために何らかの人的被害が出たりしたら、その同じニュース解説者は何とコメントするだろう。安全を確保しないうちに、無謀な活動を行ったとして口を極めて非難するに違いない。

どんな場合でも絶対的に正しい選択などはあり得ない。こうなってしまった以上、常に与えられた条件の中でベターなものを模索していくしかない。

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2004年4月 9日

すごい「イチゲキ」

今日の「一撃」は、珍しいものをお目にかけよう。まさに「イチゲキ」である。

東京港区有明の TFT ビルというところの飲食店の連なる壁に飾ってあるレトロ・ポスターの中にあるのだが、「害虫一切 殺滅液」というものの宣伝ポスターだ。「殺滅」という二文字がスゴイ。

Ichigeki_xy

さらにスゴイのは、その「殺滅液」の噴霧の仕方である。今のようなプッシュ式のエアゾールではない。なんと、ビンの上部から出た管を口にくわえて息を吹き込み、気圧の差を生じさせて、噴霧する方式のようなのである。

高貴なまでの無表情で、自らの息によって「殺滅液」を噴霧する坊やの右上には、ほんのうっすらと「人畜無害」の文字まで見える。

「人畜無害」の液がどうして「害虫一切」を「殺滅」するのだとツッコミたくもなるが、当時(横書きが右から左なので、多分戦前だろう)は、そうしたことにはあまり頓着しなかったもののようだ。

今では、殺虫剤の瓶から出た管に口を付けるという行為自体が信じられない。ものすごい時代があったものである。神風特攻隊を生んだメンタリティと、それほど遠くないような気がする。

そして見逃せないのが、下にいる謎の老人である。ちょっと捨てがたい表情をしている。手の表現もなかなかのものである。

なお、この商品が実在したことは「ビンの博物館」というサイトの「ボトルライブラリー - ビール瓶その他」で知ることができる。このページの一番下に、「カンサイ蠅取り紙会社強力殺虫剤イチゲキ」の文字がエンボスされた実物の瓶の画像がある。

なお、このポスターの一番下にも、「関西ハイトリ紙○○○○会社」の文字がある (4文字判読不能だが、想像力を駆使すると、「関西ハイトリ紙製造株式会社」のように思われる)。 多分、瓶にエンボスされた会社と同じ会社だろう。社名の表記が漢字だったりカタカナだったりするのも、ご愛敬だ。

【2004年 5月 3日 追記】

このポスターのオリジナル・カラー版を発見した。参照

Ichigekioriginal 

【2026年 4月 30日 追記】

本文中の「ビンの博物館」というサイトは、消滅してしまったようだ。残念。

なお、2004年 5月 3日の追記で触れた「オリジナル・カラー版」のポスターは、

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2004年4月 8日

何だかわからないことが起きる時

いつもは毎週火曜日に定期的に訪問している仕事先が、今週に限って水曜日に変更になったため、頭の中がうっかり 1日ずれてしまっていた。

そのせいで隔週木曜に発信している業界メルマガの原稿を送りそびれ、夜になって催促電話をもらってしまった。

電話を受けたのは、ちょうど 9時頃。某所に寄って急ぎの仕事をこなし、晩飯を食いっぱぐれていたため、ようやく上野駅について、カレー屋でカレーを食べていた時のことである。「辛味オイル」というやつをたっぷりとスプーン 2杯分入れて、超辛口にしたやつだ。

「やばい! メルマガに穴は開けられない!」

さしもの超辛口もそれほど辛く感じない。大急ぎでカレーを食べ終え、今度はコーヒーショップに場所を移して、原稿を書き始めた。こんなことがあるので、どこに行くにもモバイル PC は欠かせない。

書き上げたのは 9時 40分頃。「やれやれ、また残業させてしまったわい」と、罪の意識を覚えながら、PHS カードでインターネットにアクセスし、メールで原稿を送ろうとした。

ところが、なぜかメールが送れない。インターネット自体にはちゃんと接続しているのだが、相手先のメール・サーバにアクセスしようとすると、何度トライしてもなぜかはねつけられてしまうようだ。おかしい。いつもこの方法で送って、何の問題もないのに。

先方に電話すると、急遽フリーメールのアドレスを取得するので、そちらに送ってもらいたいという。こちらはこちらで、当サイトに臨時のページを作り、そこに原稿をアップロードして、そこから落としてもらうことにした。ウェブサイトを持っていると、こういう裏技が効くことがある。

しばらくして、電車の中でメールチェックすると、先方から急遽取得したフリーメールのアドレスを知らせるメールが入っていた。既に当サイトからダウンロードしてもらっていることと思ったが、念のため、そのアドレスに原稿を送ることにした。その際に、いつものアドレスにも一緒に送ってみた。

すると、今度はなぜか呆気ないほど両方のアドレスにサクサクと送られてしまった。せっかくフリーメール・アドレスまで臨時に取得してもらったのに、あの騒ぎは一体何だったのかというほど、気が抜けるほどのスムーズさだ。

世の中には、何だかわからないことが多い。そして、パソコンだのインターネットだのという世界には、それが普通の世の中の何倍もの割合で頻発する。そして、それは時間に追われた時とか、切羽詰った時に限って起きるのである。本当に勘弁していただきたいものである。

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2004年4月 7日

地下鉄音痴

そういえば、「営団地下鉄」が「東京メトロ」になったのだそうだ。

「営団」は 「帝都高速度交通営団」という特殊法人の略称で、実態はよく知らないが、イメージだけは「公団」や「財団」より、ずっとましと思っていた。いち早く民間会社にもなれたことだし。

とはいえ、「帝都」だの「高速度」だのと称するのは、近年に至ってはかなり面はゆかっただろうと思われる。

ちなみに、最近は地下鉄に乗るのもなかなか大変だ。A地点から B地点まで移動するのに、地下鉄の最短コースが即座にわかる人は、かなりなものだ。

私は 30代半ばまでは新聞記者をしていたので、東京都心部の移動に関しては、かなり熟知しているという自信を持っていた。人形町から表参道まで行くには、日比谷線の先頭車両に乗ると、日比谷駅での千代田線への乗り換えが楽だということまで知っていた。

その上さらに、うっかり乗り越して一駅先の霞ヶ関駅まで行ってしまっても、千代田線への乗り換えは可能だが、その場合には乗り換え階段が最後尾の車両のあたりにあるので、乗り越しに気付いた時点で、最後部目指して車両を移動する方がいいという詳細情報まで持ち合わせていた。当時としては、ここまで知っていればかなりのものだったのである。

しかし私の熟知しているのは、千代田線止まりである。それより新しい路線については、からきしダメだ。私が新聞記者を辞めた時にも、確かに有楽町線や半蔵門線などという新しい路線があるにはあったが、まだまだ営業キロ数が短い「半人前」路線で、まともには使いものにならなかった。

ところが、今やそうした新参者の路線が延長され、「一人前」になった。それどころか、南北線だの都営大江戸線だのという、上手に使えばかなりなショートカットが可能になる路線までできてしまった。悲しいことに、そうした路線は、私の頭の中ではおぼろにしか認知されていない。JR や私鉄との相互乗り入れとなると、新しいのはほとんどわからない。

いちいち切符を買わずに済むように「パスネット」を持っているくせに、地下鉄に乗る前には券売機の前に長々と立ち止まり、その上に掲げられた路線図を必死に眺めるようになってしまった。一時はあれだけのノウハウを誇った私も、今や地下鉄音痴になりかけているのである。

 

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2004年4月 6日

目に余ると取り締まられる

よく言われることだが、道路の制限速度というのは、10km オーバーまでは許されるらしい。それでは、一体何のための制限速度なのかと言いたくなるが、確かに経験的にそれは言えるのだ。

制限速度 50km の道路は、パトカーだって 60km で走っているのである。

これもよく言われることだが、制限速度を生真面目に守りすぎると、後ろからつつかれてかえって危ない。制限速度を守るよりも、道路の流れに乗って走る方がずっと安全だという。これも、確かに経験則からうなずきたくなるところがある。

高速道路というのは、ちょっと激しい雨が降ったりすると、制限速度が 50km/h に制限されたりする。しかし、高速道路を時速 50km/h で走るというのは、かなり非現実的なことである。

以前、高速道走行中に激しい雨が降り、とたんに制限速度が 50km/h と表示された。私は試しに、言われた通りに 50km/h で順法走行してみようと思い立ち、アクセルから足を離してエンジンブレーキをかけ、徐々に減速した。

しかし減速しているうちにも、バックミラーには次々に猛烈な勢いで接近してくる車が映し出され、ヒヤヒヤする。それらの車の多くは、急に路線変更をして無理な追い越しをかける。そうでなければ、車間距離をほとんど取らずにあおってくる。恐ろしくて 60km/h 以下には到底落とせなかった。

本当に時速 50km/h で走ったら、下手したら追突されたかもしれない。こうしたケースにおいては、順法運転をすると、かえって身の危険にさらされるということが実感された。

以前、制限速度の 10km オーバーまで許されるのは、その車自体のスピードメーターの誤差と、警察側の測定器(いわゆる「ネズミ取り」)の 誤差を、それぞれ 5km と想定し、その合計 10km までは誤差の範囲内とするからだと聞いたことがある。もっともらしい理屈だ。

しかし本当のところは日本の法律の適用はかなりあいまいなところがあり、当局の「さじ加減」によるところが大きいということのような気がする。控え目なルール違反ならば多めに見られるが、目に余ると取り締まられるということなのではなかろうか。

そんなところから、「真っ正直」よりは「要領の良さ」が求められるというのは、かなり割り切れない思いがするのである。

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2004年4月 5日

AOR って?

"AOR" という言葉があるらしい。あるサイトで 「AOR としての エリック・クラプトン」 という言い回しを見て、「AOR って、何じゃ?」 と思った。

早速ググってみると「お洒落な大人のロック」だそうで、 "adult oriented rock" の略ということになっている。

AOR の代表は ボズ・スキャッグス なのだそうだ。私はクラプトンはよく聞くが、ボズ・スキャッグスは全然趣味じゃない。彼の代表曲を挙げろと言われても、本当に一曲も出てこない。私にとっては「梅は咲いたか、桜はまだかいな」よりもずっと遠い世界の音楽である。クラプトンが一緒にされるんじゃあ、個人的には不愉快である。

それに、"adult oriented rock" という言葉も、なんだか軽薄で気にくわない。そもそも、和製英語っぽい臭いがぷんぷんする。もう少し深くまでググってみると、案の定 「AOR を "adult oriented rock" というのは日本だけで、米国で AOR といえば "album oriented rock" のことを指す」というようなことを言っているサイトも複数見つかった。

試しに Google で ”AOR" "album oriented rock" の 2語 (米国流) で検索すると、16,700 件のページがヒットする。かなりの数である。しかしその中で日本語のサイトはわずか 36件しかない。比率にすると 0.2%だ。ネグレジブルな (無視できる)数字である。

一方、 ”AOR" "adult oriented rock" の 2語 (日本流) での検索では、ほぼ 10分の 1の 1,660件に減ってしまう。しかしその中で日本語のサイトは、437件と、前者の10倍以上になる。さらに、日本語以外のサイトとされるものの中にも、ドメイン名に "jp" の付くのがやたらに多い。

どうやら、世界標準は "album oriented rock" の方で、"adult oriented rock" は何かの勘違いによる和製英語らしいという直観は、裏付けられた気がする。

"Adult oriented rock" の言い方を採用している日本語以外のサイトでは、米国のほか、アジア、中東などの国のものが散見される。日本の思い違いが世界に逆輸出されているケースもあるのだろうか。その意味では、面白い現象ではある。

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2004年4月 4日

自らをそぎ落とす「美」

桜が満開だが、有名な家具職人がラジオで「ソメイヨシノ」は木材としては使い物にならない」 と言うのを聞いたことがある。

葉が出て樹木の内部に栄養が蓄えられる前に花が咲くので、体力を使い果たしてしまい、幹の内部がスカスカになってしまうのだそうだ。

昔からある山桜は、花が咲くと同時に葉も出るという。その意味では、ソメイヨシノはかなり人工的な木である。人間の目を楽しませるために、まず花が満開になり、そのために、見えないところで相当な消耗があるのだ。

同じことは梅にも言える。ソメイヨシノが人工的に作られたのは江戸時代の終わり頃だそうだが、梅はそのずっと前からある。当サイトに樹齢百年以上の梅の木の画像があるので、ご覧いただきたい。(こちら

本当に幹はスカスカで、主要な部分は立っている力も失せて、地面に横たわっている。それでも、先の方の小枝は新緑を茂らせている。こうなると、執念である。

人工的な「美」というものの多くは、自らの体をそぎ落としながら、ある意味「壮絶」な魅力さえ漂わせる。「凄み」というのは、そんなところにある。

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2004年4月 3日

真面目さと仕事の能力

2日の TBS ラジオで、「仕事の能力は今イチでも真面目なヤツ」と「不真面目だけど仕事ができるヤツ」のどちらがいいいかというアンケート企画があった。

集計結果は、60数パーセントの支持を集め、「仕事は今イチでも真面目なヤツ」の方がいいということになった。

聴取者参加企画だけに、いろいろとおもしろい意見が電話で寄せられた。ある消防署勤務の聴取者は、「真面目でさえあれば、仕事は叩き込めるが、不真面目な者に真面目さを叩き込むことは難しい。生命に関わる仕事だけに、不真面目な人間とは組みたくない」とおっしゃっていた。なるほど、説得力がある。

かと思うと、ある飲食店経営の聴取者は、「真面目なんだけどいくら教えてもトンチンカンばかりで、当人が真面目にやればやるほどこちらの余計な仕事が増える」ようなのが実際にいるとして、「多少不真面目でも、できる人間と一緒に仕事をしたい」と言っていた。

うぅむ。両論とも実体験から出ているだけに、切実である。

まぁ、実際にはどちらがいいかというよりは、仕事の質によって「こつこつ真面目にやる仕事」と「ばくっとくくるセンスがより重要な仕事」というのがある。短時間で要領よくまとめることが要求される仕事に、あまり真面目なヤツが関わると、周囲はイライラさせられる。

逆に新聞記事の校正みたいな、しらみつぶしに細かい神経をつかうような仕事に、センスだけでやってきたようなヤツが配属されると、ケアレスミスばかり増えて大変だ。

平凡な結論だが、要するに「適材適所」ということなのだろう。

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2004年4月 2日

総額表示スタート

4月 1日から店頭での総額表示がスタートした。

ニュースは消費者の声として 「いくら払えばいいのかわかりやすい」 とか、「支払っている税金の額が見えなくなるのが、不安」 とか、相変わらずの両論併記方式で伝えている。

新しい方式が現実にスタートしてしまったのだから、我々の現実的な問題としては、早くそれに慣れるしかない。どっちがいいかと議論したところで、こればかりは、正解はないのである。

総額表示方式のメリットは、従来方式のデメリットであり、その逆もまた真なりである。上記で紹介した消費者の声をひっくり返してみればわかる。従来方式でも、慣れてしまえばいくら支払えばいいか計算がついたし、新方式でも、計算すれば税額はわかる。

要するに、支払額と税額のどちらを計算しなくてもわかるようにするかという、単純な問題に行き着く。新方式では、支払額の方を優先させたわけで、政府も総額表示方式導入の理由としてそれを挙げている。

ちなみに、海外の動向を見ると、EU では総額表示が主流で、米国では州によって異なる。EU の総額表示は「消費者保護の見地から」だそうだが、どうして総額表示にすると消費者保護になるのか、私としては今イチわからない。

今回の総額表示導入は、税負担の感覚をうやむやにして消費税率をアップしやすくするためだともっぱらの評判だが、税率はこっそり上げるわけでもあるまいし、そのたびに問題を蒸し返すわけだから、制度を変えたからといって上げやすくなるというのは疑問だ。もしかしたら「寝た子」を起こす分だけ抵抗が大きくなるかもしれないし。

問題は、POS や売上管理などの IT システムにとっては、本体価格と税額をきっちりと区別する方がやりやすいということで、こればかりは、新方式への移行にはコストがかかったはずだ。

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2004年4月 1日

文春の出版禁止取り消し

例の週刊文春の出版禁止処分が、高裁レベルで取り消しになった。

私はこの問題にあまり興味がなかった。要は田中真紀子さんの長女の私生活というよりは、真紀子さん自身の問題であるようで、それに対してマスコミは「表現の自由」の原則論を言うばかりだったから。

このケースに関してのマスコミ関係の言い分は大抵決まり切っていて、プライバシーは尊重されなければならないが、表現の自由は最大限に認められなければならず、今回のケースは検閲につながりかねないので、容認できないというようなものだ。

同業者のよしみとしての、取って付けたような「お約束コメント」である。

件の週刊文春の記事を読んでいないので、田中真紀子さんの長女の私生活がどの程度書かれてしまったのかもわからず、「私人」だの「公人」だのといったレベルの応酬を見ていても、さっぱり要領を得ない。

しかし漏れ聞くところによると、記事の内容は長女の離婚問題を発端としながら、実は母親である真紀子さんの人間性を批判的に書いたもののようで、そうなると「私人」「公人」という議論はナンセンスになってしまう。

要するに「真紀子さんの長女の私生活」というよりは「長女を強引に離婚させた真紀子さん」という内容だったのではないかと想像されても仕方がないのではないかという要素が感じられるのだ (回りくどい言い方で恐縮)。それにしてもここんちは「父親不在」の様相が濃いようだ。

結局は、プライバシーだの表現の自由だのという問題よりも、「悪く書くのは許せない」というレベルの感情論が先に立つようなお話のようで、あんまり首をつっこみたくないなぁと思わせるようなもののようだ。くわばらくわばら。

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